【検証:】常設板過去ログ集

【検証:近未来交通地図】
(過去ログNo.074)
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中国地方のローカル線から
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/07/28 23:30:03)
 
 http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

中国地方のローカル線から
└中国地方のローカル線と並行国道
└Re:中国地方のローカル線から
 └JR西日本の保守減速
  └Re:JR西日本の保守
   └減速アナウンスなきシステム格下げ

 7月27日、中国地方のローカル線に乗ってきました。岡山訪問の行きがけで、単純に神戸−岡山の往復もつまらないので、姫路から姫新線で津山、そして新見に至り、芸備線で東城まで往復。新見から伯備線、吉備線で岡山に至り、岡山からは赤穂線経由で帰りました。このあたりは15年ぶりの乗車ですが、一方でJRWのローカル線合理化の対象となっており、気になっていた区間でもありました。

●姫新線(姫路−佐用−津山)
 15年前は5時前に始発があったのですが、佐用までの区間が端折られ、さらに播磨新宮や佐用での分断ダイヤになっています。第二土曜が運休対象で、その時は始発から姫路14時5分まで津山に抜ける列車はありません。
 摂津本山を始発で出て姫路に付いたのは7時前。乗車列車は姫路7時2分の播磨新宮行きですが、次の津山連絡は10時5分と凄まじいダイヤです。
 それでも佐用の先の上月までは駅名標もアーバン仕立てで、余部の先にある姫路鉄道区(車庫。和田岬線用だったキハ35も留置中)の出入庫を兼ねた余部や、本竜野、新宮までの列車は多いです。
 ちなみに本線は姫路から英賀保、網干、竜野と来るのを(ただし竜野駅は揖保川町)、姫新線は播磨高岡、余部、太市、本竜野とまめに停まってますが、沿線は新興住宅街が続いており、もっと積極展開しても良さそうな区間です。
 新宮で乗り換えた佐用行きは佐用到着時点での乗客は40人ほど。ただ、津山行きに乗り継いだのは13人で、多いと見るか少ないと見るかです。

 上月の先で岡山県に入りますが、さっそくの美作土居で8人、美作江見は6人と乗ってきて、東津山到着時点で38人の乗客を数えています。降車も各駅でそこそこあり、のべで60人近い客が佐用−津山間で出入りした訳で、この列車も第二土曜運休対象なんですが、割り切りが良すぎる気もします。実際、18利用は佐用乗り継ぎの数人程度で、日常利用がそこそこついているのです。
 あと、美作三湯の一つ、湯郷温泉最寄りの林野(テープでも温泉案内が入った)、かつての急行停車駅ですが、交換も出来ない駅とはびっくりで、今回も温泉帰りの利用があったり、駅前にマンションがあったことを考えると、利用が無くなるまえに切ったのではとも思ってしまいました。
 なお実は4月の日曜日にもこの乗り継ぎをしましたが、利用はこの日と同じ程度でした。

 なお、津山から岡山は岡山道が勝山の西、北房での分岐のため鉄道が優勢で、1往復の急行「つやま」と6往復の快速「ことぶき」が主力です。9時47分の「ことぶき」も6、7割の乗車で出ていきましたが、発車間際は窓口や改札が賑わってました。

●因美線(津山−智頭−鳥取)
 ここでその4月のレポートも入れましょう。その時は智頭から鳥取に抜ける予定でしたが、智頭行きは約2時間待ちです。途中の美作加茂行きで三浦まで乗り、川沿いに歩いて桜の奇麗な(寅さんのロケ地だったそうです)美作滝尾から津山に戻り、智頭行きにつないだんですが、この1往復も智頭行きも、乗客はほとんどいません。加茂からの津山行きが10人程度乗ってましたが、智頭行きは老若の「鉄」だけで5人程度。並行するR53もクルマが少なく、かつて急行「砂丘」が5往復していたのが、智頭急行経由の特急「いなば」に置き換えられて津山が袖にされたんですが、岡山−鳥取の移動はあっても、より近いはずの津山−鳥取の流動は皆無に等しかったようです。

 智頭で乗り継いだ智頭急車両の普通は智頭、用瀬、郡家と乗ってきてそこそこの入りでしたが、如何せん陰陽間の移動なら普通でも智頭急行のようで(智頭−津山が1時間10分程度なのに、智頭−上郡が1時間20分程度)、タブレット廃止時が最後の賑わいだったようです。

●JRWによる「究極の規制速度」
 
この時初めて姫新線から因美線内で、JRWの究極のメンテナンスフリー策である、路盤の弱いところの最徐行を経験しました。姫新線内では楢原駅構内と東津山、その先は刑部と丹治部の先の2箇所の計5箇所で確認してますが、制限25kmの標識の下に、青地で「雨15」の表記。つまり、晴天で25km、雨天は15kmという警戒表示以下、言ってみれば豪雨や信号故障など異常時にやむなく動かす時の速度が定位になっているという究極の規制です。

 この表示があるのは概ね土盛りの斜面に掛かる区間であり、警笛一声(崩壊に音は悪いんですが…)で減速します。25kmといってもどうもそれ以下のようで、停まるんだかどうだかといったスピードでは、自転車どころか走るのよりも遅そうです。
 4月は朝方雨が残っていたため、15km規制を体験しましたが、あまりの遅さに事故か立ち入りと思った乗客が立ち上がって前方を見ていたのが印象的でしたが、今回も訝しむ人が少なからずおり、乗客が不審に思うほどの「保護策」というのはやり過ぎにも程があるのでないでしょうか。だいたい、月に1回運休して集中的に手をかけている建前の区間ですし。

●姫新線(津山−中国勝山−新見)
 
この日は第4土曜で同区間は日中6時間にわたり運休ですが、10時33分の列車までは動きます。列車は所定では単行ですが、この運休の関係か2連で出発です。
 ホームには運休に関する注意を促す看板が立ち、改札でも尋ねてきた乗客に運休を告げており、周知が足りないというか、定期外利用も多い土休に白昼堂々の運休はやはり無理があるのではないでしょうか。
 発車直前に岡山からの急行「つやま」が着きましたが、40〜50人程度の乗車。全国的にも珍しい、というか昼間の急行では最後の存在となったグリーン車(半室)には4人いました。ほとんど津山で降りたようで、佐用行きと新見行きへの乗り継ぎはそれぞれ5人程度、当方は都合25人程度の乗車でした。

 マイペースで進みますが、美作落合で上りと交換するとここから長大間合いに入るので、駅の詰め所には作業関係者の顔が多数見えました。落合、久世、中国勝山で一握りの「鉄」を除いて概ね降りましたが、勝山では中学生の野球部の集団が25人ほど乗ってきました。
 中国勝山では湯原温泉、蒜山高原の案内も入りましたが、勝山こそ中国道が南の北房を通るため鉄道が便利ですが、湯原など観光地は落合から北上する米子道がフォローしてしまうため、地元利用がメインです。

 中国道の大佐SAのある大佐町の中心が実は刑部ということを初めて知りましたが、地元は姫新線には目もくれず、中国道の大佐IC開設に熱心なようでした。
 そして懐かしいスタイルの駅舎が状態良く残る岩山を過ぎ、新見に着きましたが、乗り込みもあって20人の乗車は立派というべきか...

●芸備線(新見−東城−新見)
 
備後落合行きは30分ほどの待ちあわせ。昼飯時に弁当屋が昼休みと洒落になってませんが、この時間帯、「やくも」の停車が無いので止む無しか...
 「スーパーやくも9号」が通過しましたが、「のぞみ5号」連絡と時間帯が良いはずなのに、空席が目立っており、鉄道離れも相当厳しいのでしょうか。

 落合行きは予想外にも35人の入り。7時25分から5時間ぶりの列車だからなのか...
 この区間は休日運休と第1日曜運休が絡んで複雑です。詳しくは時刻表をご覧頂くとして、第1日曜は新見発は7時25分の次は16時23分。しかし7時25分発は東城以遠への接続が休日運休のため、16時23分が備後落合へ抜ける「始発」です。ちなみに落合以遠の連絡もひどく、第1日曜はこの16時23分の落合行きしか新見から備後落合を越えて比婆山以遠に行く列車はないのです(上りは三次10時2分と16時25分の2パターン。但し前者は落合で4時間28分待ち)。
 まあ良心的なのは第1日曜運休でも正月休みの1月と夏休みの8月は除外ということ。姫新線や関西線の第4土曜がGWに掛かる4月でも実施というのに比べれば、まだマシですが、桜井線や和歌山線も夏休み除外で、そのボーダーはどこにあるんでしょうか。

 備中神代、市岡、矢神、野馳と5〜6人ずつ降りました。岡山県西北端に位置する阿哲郡の貴重な足のようです。沿線はコスモス、赤とんぼともう秋の装いで、県境を越えた東城で折り返しましたが、ここでも5人ほど降りたので、一区切りのようです。
 折り返しの434Dは東城始発。422Dを受けてますが80分待ちです。車内は11人ですが、結局新見まで乗ったのは4人。細かい乗降がありました。
 矢神駅手前では、すぐそばの高速に停留所があるのか、「阪急ハイウェイバス 大阪行き乗り場」の案内看板もあり、不便なのか便利なのか...

 なお新見を前にした布原で伯備線下りと交換。オールドファンには「布原」というと即座に「三重連」と帰ってくる撮影名所でしたが、今は静かな山峡。4分の停車時間に「古戦場」を偲びました。

●伯備線・吉備線(新見−総社−岡山)
 
始発の岡山行きはすぐの連絡ですが、115系2連はボックスにも空きを残していました。幹線筋なんですが、時間帯の違いがあるとは言え、芸備線よりも少ないとは…
 編成は米子方が先頭車改造を受けたクモハ114。福知山の究極の改造車113-3800系とは違い、若い1000番代とあって切り妻ながら顔立ちは整えられています。
 ただ中から見ると、内装こそN40改造(ボックスバージョン)ですが、運転台周りのそれは113-3800系と大差なく、間仕切りは壁ではなくパーテーションでした。ただ、運賃表示器が付いていたのが長足の進歩か...

 鍾乳洞最寄りの井倉で観光客が5〜6人乗ったのが目立つような動きの無さで備中高梁へ。ここから車掌が乗務し、乗客も増えましたが3割程度。山側を見ると、岡山道賀陽ICへつながるR484の多重ループのような橋が見えました。
結局高梁川沿いに下って総社までは新見から1時間程度でした。

 向こうのホームに井原鉄道の神辺行きが見えましたが、窓辺に人影が少なからず見えており、空気輸送ということはなさそうです。折り返しの岡山行きは2連、ロング改造編成ですが、後ろ1両がこの陽気に冷房故障で、車掌が駅駅で乗ってきた乗客に前に移動するよう奨めていました。
 岡山への乗客ばかりでもなく、入れ替わりもあり、岡山到着時には40人程度。客層は老若男女さまざまで、街に遊びに来た若者も目立っており、大都市起点の強みというか特徴でしょう。

●赤穂線(岡山−播州赤穂)
 MOMO見物を終えて帰路は赤穂線です。発車8分前にホームに行くと115系の3連はもうほぼ満員で、かろうじて空席を見つけて座れました。
 ちょうど出た本線の吉永行きも満員で、岡山で遊んだ帰りでしょうか。結局各車50人以上は立った状態で発車しました。

 ところが赤穂線に入らぬ高島、東岡山で早くも降車が多く、西大寺ではどさっと降りました。ここで座席定員程度に落ち着いてしまい、邑久、長船とまとまって降りてしまうと、伊部では座席定員の半分程度です。時折現れる海を見ながら播州赤穂に至れば、新快速が対面接続。時間は掛かりますが、とかくいわれる姫路−岡山間を優雅に過ごせる行程でした。

中国地方のローカル線と並行国道
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/08/19 15:59:46) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 7月に18片手に通った姫新・芸備線沿線をクルマで走ってみました。
 姫路駅からトレースすれば良いんですが、都合により起点は太子竜野BPの福田ランプ。ここからR179で姫新線沿いの旅に入りました。旧盆中で動きが多いはずですが、道はどこも空いており、たまに見かけた列車も半分程度の乗りですから、母数となる人が少ないのでしょうか。
 集落に人影が無いのも最近の地方共通の現象で、1回虫網を持った家族連れを見ましたが、ベビーカーなどの装備から見てどうも帰省中の都会の家族でしたし、道路も含めて移動需要自体が無いのかもしれません。

 ルートはR179で津山に出て、そこからR181に入り中国勝山へ。勝山からは県道で新見に出て、R182で東城へ向かう行程でした。東城からは広島県下山陽スジの実家に向かって山越えでした。
 津山市内や新見市内の一部を除き対面2車線という典型的な一般国道で、勝山−新見の県道区間は離合困難な区間もあるという状況では、鉄道もきついが道路もしんどいです。

 中国勝山の先でキハ120単行の姫新線列車が追い掛けてきましたが、さすがに直線では素晴らしいスピードで抜かれました。このあとR181から県道に入ると、鉄道が蛇行する月田川を直線でまたいで進むのに対し、県道は川に沿って蛇行し、かつセンターラインも無い狭隘区間とあって追いつけません。
 刑部の先でようやく追いつき、例の「制限25」でやっと引き離せましたが、このあとも道路事情は悪く、新見駅に寄るために駅に着くと間もなく列車も着きました。
 ローカル線はクルマに歯が立たないといいますが、高性能の気動車があれば実際にはどっちもどっちであり、「制限25」のような施策はもったいないです。

 このあたりは中国道が並行してますが、広域移動としての道であり、混んでいる様子もありません。
 その広域移動も山陽道の開通でだいぶ減ったようで、陰陽連絡バスも広島から中国道ではなく線形の良い山陽道+岡山道というルートをとるケースも出ています。
 国道の方を見ると、さすがにセンターラインは完備ですが、昔ながらの街道を舗装しただけという感じで、街中で鍵の手に曲がるケースが多く、そこがネックです。
 R179の場合、龍野(本竜野)、新宮、南光(播磨徳久)、佐用、上月、美作(林野・2箇所)で右左折を伴う屈曲があり、決して走り良いわけではありません。

 また中国道は院庄を出ると北房を迂回して新見に至っており、真庭郡の久世、勝山そして阿哲郡に入った大佐(刑部)は高速道から離れています。このあたりは鉄道巻き返しの余地がありそうに見えるのですが、姫新線が久世までの間、南の落合を迂回するため、直進する国道に負けています。迂回で良いなら落合で分岐した米子道が久世にICを持っていますし、勝山から入る湯原や蒜山も米子道沿いです。

***
 沿道を見ると、鉄道への期待は見られないといって良いでしょう。
 バスも佐用付近や美作−津山では毎時1本見当(ただ早仕舞いですが)あるケースもありますが、あまり乗っていないようです。
 大佐では中国道のICや県道の改修期待の看板は見ましたが、姫新線関係の看板は見ませんでした。それでも鉄道が機能していれば不必要なんでしょうが、おそらく「鉄道後」を考えているのか、県道の隘路を詰めて近代化する工事がそこここで実施されていました。
 姫新線の「アーバン区間」である上月までは、集落は駅中心に発展している感じが見て取れますが、岡山に入ると駅周辺と国道沿いが拮抗しています。つまり、鉄道開業後も街道筋を中心にしていたのであり、鉄道が市街地を動かすほどのインパクトを持ち得なかったようです。

 鍵の手の田舎道を、長野−白馬のオリンピック道路のような最小限かつ必要な部分に絞った改修で近代化することで道路交通の質は相当高まりそうです。中国道との二重投資を避けるのであれば、通過交通では山陽道に勝てないことを開き直り、地域利用の値段を極端に下げたり無料化して、中国道を「国道」として扱うといった対応でも良いでしょう。
 鉄道の活性化は妙案が思いつきません。姫新線を見ていると、津山近郊の集落をこまめに縫った方が良いのか、それとも速度面でのアドバンテージを活かして、少々の中間利用を犠牲にしてでも拠点間輸送に特化すべきなのか、最適解はどこにあるのでしょうか。

 ただ、高速道路網を不要とした場合、国道の規格を良くすればスピードアップが図れるかというとさにあらずで、一般国道だとよろよろ走る自転車や電動車椅子、そして農耕車も走ってますから、厳しいのです。高速道路のメリットには「交通の分離」もあることを失念した議論なんですよね。

Re:中国地方のローカル線から
 投稿者---栗栖克寛氏(2002/08/08 20:30:24)

 JRWによる「究極の規制速度」

→へえ、そうなんですか。寡聞にして存じませんでした。いやじつは小生も芸備線の東城・備後落合間で経験したことがあるのですが、JR西日本の策とは知りませんでした。何しろ今にも列車が谷間へ落ちそうなものすごい渓谷の中だったものですから、もともと開業当初からそういう規制がなされていたものと勘違いしておったのです。たしかに今から思えば、速度規制の標識がかなり新しいものでした。
 中国地方のローカル線をみると、ほとんど絶望的です。急行「ちどり」「たいしゃく」も運転区間が短縮されてしまいましたし、今後10年もつかどうか。
 そもそもローカル鉄道というのはいわばボランティア事業のようなものであり、本来は国が福祉事業としてやるべきものです。それなのに可部線の可部以北が廃止されるとなると、沿線住民は政府ではなくJR西日本に抗議するのです。国鉄の民営化のときには国を挙げてさんざん国鉄を叩いたくせに。一番の被害者は当のJR西日本のような気がしてなりません。

JR西日本の保守減速
 投稿者---KAZ氏(2002/08/19 17:50:56)  http://www5b.biglobe.ne.jp/~ktnh/momo/

 JR西日本がローカル線で行っている減速運転ですが、本来は係員が軌道敷を徒歩巡回で安全点検をしていたのを、営業列車の車内から行うようにしたためのものです。危険な状態を発見して即時に停車できる速度ということで25km/h運転になったようで、運転台に係員が同乗して車内から目視で監視しています。雨の日の15km/h制限も視界が悪くなることを配慮したものでしょう。

 係員の徒歩巡回を止めることによる費用削減効果がどれくらいのものかは解りませんが、昼間とはいえ軌道内という危険区域内での肉体労働ですから、人件費は結構かかっているのでしょう。これと共に始めた特定日時の計画運休も、夜間作業から昼間作業へ切り替えることによるコストダウンを狙ったものですし、JRも「なりふり構わない」施策を取らないとローカル線を維持していけなくなってきているのでしょう。

Re:JR西日本の保守減速
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/08/19 19:25:10) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 なるほど。そういう事情ですか。てっきり保線のサイクル延長程度だと思ってました。

 ただ、そうなるともっと根本的な問題が出てきます。
 つまり、徒歩巡回による安全点検の場合は、巡回−現認−防護−停止のステップですから、よほど巡回と列車通過のタイミングが近接していない限り、列車の安全確保という意味では危険箇所を含む閉塞外で停止するので、危険箇所に突っ込む可能性は非常に小さいです。

 ところが営業列車車中からの目視の場合、現認−停止のステップしかありません。しかも現認と停止が同一者(運転士)によって行われますし、現認出来る地点は「停止が可能な距離」ということはギリギリの距離しか確保していないことですから、ATSその他信号系によるバックアップもありません。
 この場合、見逃し、判断遅れなど人的要因による事故の防止は全く期待できず、これまで数多の(鉄道に限らず)事故で指摘され、対策が積み重ねられてきたヒューマンエラーとフェイルセーフの問題を根本から無にするのではと思います。

 そこまでするのであれば、いっそATSも信号も止めてしまえばもっと節約できますが、そういうレベルの施策だと思います。

アナウンスなきシステム格下げ
 投稿者---和寒氏(2002/08/20 08:22:34) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 KAZ様、エル・アルコン様、御教示ありがとうございます。

 てっきり保線のサイクル延長程度だと思ってました。

→ほとんど以下同文です(苦笑)。

 そこまでするのであれば、いっそATSも信号も止めてしまえばもっと節約できますが、そういうレベルの施策だと思います。

→まったく同感です。目視運行とは、運転士の技量と感覚に全てを頼る、路面電車的あるいは自家用車的な運行方式です。つまり、システムとしては機械的なバックアップがなく、明らかに格下げされていることになります。
 こうなると、これを鉄道と呼べるのか、という疑義すら生じます。中小私鉄にもあまねくATSが導入されつつあるというのに、かたや大JRが実質的なシステム格下げとは、如何なものでしょうか。

夏の旅見たまま思ったまま

 投稿者---さいたま市民@西浦和氏(2002/08/07 22:57:31)

 みなさん。こんばんわ。岡山の会(8/4開催MOMOオフ会)はお疲れさまでした。勉強になりました。
 この会を含め、5日間ほど電車を乗り回してきましたので、見たままご報告など…。

#1 旅の目的の概略…

8月2日  午後から3日午前にかけて島根県松江市での会合出席。
8月4日  午後岡山にて本掲示板オフ会。
8月5日  午後長野にて会合出席。夜、友人と会食。同日中に帰埼の必要があった。

基本は18切符での移動、数カ所で特急・新幹線利用。

#2 8月1〜2日(木〜金)

 この日は、16:30まで業務上の会合があり、いったん帰宅後荷造りをして自宅近くのバス停より、ミニバス路線「武蔵浦和駅〜松本循環」で武蔵浦和駅へ。駅で18切符を購入。同時に救済臨乗車のため、川崎までの乗車券をスイカカードで購入。カードで入るとどうなったんだろう?
 埼京線南行きは珍しい新宿行きの通勤快速。追い越す各停電車の恵比寿行きにきっと新宿で乗ることになるのだろうと思いつつ乗車。新宿では、ハンカチなどを構内無印良品で買って、恵比寿行きへ乗車。恵比寿でようやく山手線へ移り、品川へ。大崎の工事もだいぶ出来てきたようで、相変わらず埼京線電車が折り返しのために止まってはいました。
 さて、今夜の品川は、雷鳴とどろく熱帯夜。出発まで2時間は並ぶかと、コンビニでビールと水を買い、コンコースのチップトイレを使い、「いつもの」7番ホームへ…。ホーム事務室にはこの救済臨の予定表が張られ、8両の日、9両の日、11両の日と日程が書かれています。8両は田町167系、9両は高崎165系、11両は…?などと思いを巡らせつつ、大垣の階段の位置を思い出しながら2両目の列へ並びます。前回2年前は8月13日22:00過ぎでちょうど40番目ぐらいだったのに比べ、今夜は5番目と拍子抜け。
 今年おもしろかったのは品川駅員が放送で「今夜の臨時大垣行きは9両編成で1両に76から80人乗れます。現在各列の人数は25人程度で十分お乗りになれます。」というコメントを繰り返していたことで、これは乗り残しとか、ながらへの集中を心配するからかな?などと思いつつ時刻は早や23:00。「23時を過ぎますと整列をお願いします」と言っていた割にはあまり盛り上がらずに電車が入線。乗り込みますと、1ボックスに1〜2名ずつの乗りで「このままいけばなあ」と思っていたのはまあ甘かった。

 23:40ごろ、ぞろぞろと車内を歩き回る人たちが私のボックスや周囲のボックスへ入ってきます。言葉を聞いてみるとハングル!ああやっぱりこういう人もいるよなとお互い様子を窺っているうちに、電車は出発。川崎、横浜と通勤客も乗り込んでくるかと思いきや、通勤客はデッキで納まるレベル、座席に座るととんでもないことになると思っているのか、通路へ立つというほどの混みはなかったでした。「シュプール」スタイルで運行すれば?という昔の議論を思い出します。
 韓国の人たちは、若い人のツアーですが、羽田イン福岡アウトの行程で今日は箱根へ行こうとしたら、出発が遅れて小田原までしか行かなかった上に小田原でJRと小田急にはぐれてしまい、新宿から東京駅へ来るのに大変だったとか、箱根フリーパスを買うのに、小田原で買うのを新宿で買ったのでお金を損したとか、女の子が大騒ぎしていました。ガイドの人も頭を抱えていました。この列車に乗るために、18切符を使っていたようで、大垣乗り換えで京都へ向かうとのことで、ハングルの出来ない私はまた、片言の英語で、向かいに座った学生さんと話したのでした。今回は汗が出なかったなあ。ガイドさんは日本語が少し出来るようで、私の日本語のねぎらいの言葉に微笑んでいました。
 今年の臨時大垣夜行は、純粋に快速で、浜松の先も快速運転です。「ながら」とは豊橋で緩急接続?で「ながら」は各停へ、救済臨が快速です。名古屋・大垣到着も「ながら」より1時間早く、大垣からは平日は網干行き(土休は姫路行)快速(今年は4両編成!)へ接続ですし、この快速から米原で新快速(平日は大阪8:09着・土休は大阪7:59着〜姫路接続岡山10:26着)へも接続します。8月2日は金曜日ですので、姫路接続がありません。そこで私は米原〜京都間「新幹線ワープ」をします。米原6:50〜京都7:13のワープで、京都7:16の新快速姫路行へつながります。京都駅で走るかと思ったのですが、運良く私の乗った位置が階段のそばで余裕の3分接続となりました。2,060円の高速代となりました。

*東京〜大阪「東海道夜快速」
急行銀河 :東京23:00→岐  阜5:01→大 阪7:18
救済臨〜新快速 :品川23:55→名古屋5:19→大 阪8:09
「ながら」〜新快速 :東京23:43→名古屋6:05→大 阪9:10

 京都7:16の新快速は通勤新快速です。大阪へは7:45、三宮は8:10と、通勤時間のまっただ中を走ります。そして姫路は8:50到着です。9:04の岡山行へ接続です。新快速を岡山へという議論も思い出しました。岡山行は4両編成で、平日のためか乗り継いだ人よりも姫路からの人の方が多かったようです。ようやく座れたので、少し居眠りです。車掌の車内検札で目が覚め、上郡からの智頭急行線へ乗り越します。上郡では岡山からの特急「いなば」が対面接続です。2分で乗り換えます。この乗り換えは私を入れて数人でした。181系特急気動車は、私が幼い頃母の実家の山形を走っていた「つばさ」号に使われていたものではなかったでしょうか。
 智頭急行線は新しい路盤で、古い特急気動車の3両編成も結構飛ばします。むしろ、因美線へ入ってからの方が、ポイントの徐行や交換のためにゆっくり走っておりました。その因美線も、鳥取市内へはいると高架線となり、鳥取駅へ到着です。10:57到着でこんどは山陰線へ乗りかえます。鳥取名物「かに寿司」を買って、「スーパーくにびき」号に乗ります。島根県の補助?で建造された187系気動車は落ち着いた内装で、イスの背も大きくちょっと贅沢な感じがしました。昔乗ったスコットレールの158系気動車みたいです。鳥取県の人がうらやましい。乗っている人たちは金曜日ということもあってネクタイ族が多かったです。車内でかに寿司を食べながら松江へのラストスパートです。この特急の鳥取米子間の停車駅は倉吉だけですが、結構「交換のために止まります」。なんか、「スーパー」の名が泣きますね。でも、加速は結構いいです。そういうところが「スーパー」なのかも。
 そんなこんなで松江駅には12:48到着です。タクシーに乗って松江市役所そばの会場へは13時過ぎに到着できました。

#3 8月3日(土)

 会合も終わり、同県の参加者の皆さんと松江市内見学ですが、皆さんは出雲空港からの飛行機の時間があるので、シャトルバスの時間から逆算して何が出来るかと観光地図を見ましたところ、城の周りの堀を船で巡ることが出来るとのことで、県庁近くの乗船場へ向かいます。松江市内には一畑電鉄と市交通局と日の丸自動車の3社がバス路線を巡らせています。一畑バスは市内循環100円バス「まつえウォーカー」を20分ごとに走らせており、市交通局も市内中心部の小循環バスを走らせています。車両も、一畑はノンステップ車(車のナンバーが100!)、市交通局はデッキ付きのトロリースタイルの車と凝っています。
 堀巡りは途中3カ所の乗船場もあり、乗車券は1日券となっており、考えようではこれもトロリースタイルです。船は15分間隔のゴザ敷き、靴を脱いで乗り込みます。城の石垣を見たり、小泉八雲記念館、地ビール館、保存建築の前を通るなど見るところもあります。私たちは単純に1周したのですが、途中の乗船場から乗り込む人もあり、それなりに暑い夏の日、水上を行く旅もまた良かったです。それから、コース上には低い橋や短いながら暗渠を通る区間もあり、舟の屋根を電動で下げる(一番低く頭を下げさせられたのが歴代藩主の菩提寺の前の橋の下だった=なかなかのユーモア!)など、苦労しているところもありました。でも、水がきれいで鳥や水辺の植物を眺めている間に一周は終わってしまいました。

 その後、昼食を取り、シャトルバスに乗る飛行機組の皆さんとは松江温泉駅前で別れ、一人、出雲大社へ行ってみることにしました。
 新しくなった松江温泉駅は松江しんじ湖温泉駅と名を変え、行き止まり1面2線のホームで、止まっていた電車は元京王の5000系改造の急行車でした。1-2人掛けのクロスシートですが、2人掛けの方は回転も転換も出来ず、私は1人掛けの転換シートに納まりました。2両編成のワンマンカーは湖に沿って大社へ向かいますが、途中一畑口でお約束のスイッチバックがあり、平田市では車両交換(乗り換えたのは元京王のロングシート版)もあって、なかなかバラエティーに富んでいます。そして、大社へは川跡駅で乗り換え(今度は元南海のズームカー)です。川跡駅には各方向からの電車が集まって交換するダイヤで、松江〜出雲市・大社に加え、出雲市〜大社という移動も可能です。また自転車持ち込みも行われており、親子で自転車ごと乗り組む家族もおりました。
 電鉄出雲大社駅はレトロモダン調の駅舎で、構内には立派なインフォーメーションもあり、若い女性が受付をしておりました。ロッカーに荷物を預け、ぶらぶらと大社参道を歩いてみることにしました。まず、旧大社駅の保存駅舎へ行ってみます。旧駅舎は寺社造り風の立派なものですが、現在は記念館扱いで、構内では下校の女子中学生が雑談の真っ最中。たまに寄る観光客も、自動車を駅前広場に置き、しみじみしていると言った風情。私はホームや展示などを見たりして、30年前に、伯父と来たことを思い出しました。その時は、山陰周遊券で、出雲から京都というずいぶんな強行軍だったことや、台風が来たのに当たって、出雲市発の夜行鈍行「京都夜行」で京都へ移動したことなどを覚えています。
 さて、せっかくですから出雲大社へお参りしましょう。旧大社駅近くのバス停から出雲市発のバスに乗ります。一時間間隔で運行されており、かつての鉄道代行バスでしょう、バスの行き先は日御碕ですが私は参道の鳥居の前で降ります。ここから少し参道があります。バスの運転手さんは「神社のそばでも降りられます」と言っていたのですが「値段が変わります」の言葉にあわてて手前で降りてしまいました。夕方の参道は人も少なく、大きな神社の大きさを更に感じさせます。拝殿そばに行きますと、駐車場・バス停方向から人が並んで歩いてきます。団体客は参道さえも歩かないのです。出雲式の参拝を済ませたあと、拝殿を巡り、近年発掘された巨大な柱の跡の掲示を見ます。出雲大社はかつて神殿が高層建築であり、吉野ヶ里や三内丸山のように柱を立てた(それも柱を束ねた)上に建造物があったことがわかってきました。何と言っても出雲の神の正体(それが何かはここでは他言しません)に近づこうという古代の人々の素朴な気持ちは大切にしたいものです。

 今度は歩いて電鉄大社駅へ戻ります。ロッカーから荷物を出すと、発車3分前!再び川跡乗り換えで松江しんじ湖温泉駅へ戻ります。若者でごった返す松江しんじ湖温泉駅では最終電車の案内を繰り返していました。花火大会があるのです。
 温泉駅から、「まつえウォーカー」に乗ってみます。左回りです。温泉駅から出発したバスは、先ほど舟で回った堀の更に外側の環状道路を回ります。沿線には、ショッピングセンターや県立高校、そして堀沿いの小泉八雲記念館、県庁、松江大橋、そしてJR駅と戻ってきます。松江の町は環状道路が整備された(という話がありましたね)ことから一畑電車を温泉駅からJR駅前へ乗り入れればという話題がありましたが、やればできなくもないかな?という気もします。
 私の案は温泉駅(市役所もほど近い)から県庁・県民会館へ向かってから松江大橋を渡って、JR駅へというものです。JR駅と松江大橋の間は区画整理が進み、道路も広く直線的になっていますし、この道路を中心に市街地再開発が進みそうですから、新しい道路沿いの近代化と古い町並みの保存を並立するために、電車を走らせても良さそうです。松江大橋から南詰めの古い商店街(ここには立体駐車場もある)はモール化してすでにモール化しているカラコロ広場から連続させればここは新旧併存の商店街となりそうです。
 何と言っても松江には市交通局があって、公共セクターによる交通企業が成立していますから、これを中心に道路の部署と連携すれば案外出来そうな気がします。
 花火大会は、宍道湖大橋そばの湖から打ち上げられる花火を温泉側や橋の上から見るというもので、約1時間行われました。カラコロ広場ではイベントも行われ、若者を中心として多くの人出がありました。翌日も行われるようでしたが、花火の後、私はJR駅近くのビジネスホテル(ダンピング競争が激しくて、1泊2食付き2,980円からという宿も!)に宿を取り、駅前の勤労者会館のスポーツクラブのサウナで汗を流して床につきました。

#4 松江で考えたこと

 さて、松江の交通事情のおさらいです。去年の2月頃に、この掲示板で松江へのLRT導入議論がありましたね。

【LRT】可能か? 松江LRT導入案 ../neotrans/log314.html

 一畑バスは結構HPが充実しており、出雲平野の公共輸送機関としての気迫を感じさせます。GPSロケーションもやっています。バスロケは市営、一畑共に行っており、HP表紙の一番下にはしっかり国土交通省松江工事事務所の名も。それから、「トロリー形式」の堀巡りも市交通局HPに出てきます。

一畑バス 「まつえウォーカー」路線図 http://www.ichibata.co.jp/bus/M-walker/map.htm
松江市交通局 
http://www.web-sanin.co.jp/matsue/koutsu/

 前の投稿で、温泉駅〜県庁〜松江大橋〜天神町〜JR駅と書いたら、しっかり、前の議論で「この路線!」という構想になっていました。予習しないで書いてしまいました。
 確かに松江大橋に電車を走らせるのは橋の補強が必要でしょうが、おそらく、市内で最も古い橋なのでしょうから、改修時にレールを埋めておいて、実現の折りには舗装をはがして使うというのはどうでしょう。このコースなら、市内の最重要地点を結ぶ形になりますから、人の流れもこのようなものでしょう。
 温泉駅も、よく見ると、行き止まり駅舎の北側に岐阜の忠節駅よろしく軌道線乗り入れスペースがあるようにも見え、後はやるばかり?とも見えます。県庁付近は公共施設が集まっておりますから、用地買収の心配はありません。
 現在の循環バスは、「まつえウォーカー」が右回り左回りそれぞれ20分ごとで、市営バスの小循環が35分ごとといったところですから、市内乗り入れ線は単線でもいいかもしれません。最小運転間隔を7分〜10分程度になるような交換停留所の配置で温泉駅〜JR駅を結ぶというのはどうでしょうか。
 松江ではこの電車通りは結構狭そうなので電車専用で、他の新しい大通りをバス路線とするのが良さそうです。ただ、JR駅、県民会館、温泉駅は電車バスの結節点とするのが良さそうです。2つの鉄道駅前には立派なバスターミナルもあり、工夫次第でバスと電車でシームレスに輸送できそうです。
 島根大学や、JR駅南側方向への延伸は、とりあえず後回しでいいです。バス路線を充実するほうが現実的でしょう。

 日本で一番日本的な都市であろう松江で、ヨーロッパ風の鉄道システムが成立したら、インパクトは強そうです。何も知らない人には、古い都市の交通再構成による市街地活性化の方法は、洋の東西を問わないという一例ともなるでしょうし、松江を静かな都市として保とうするためにはこのくらいの荒療治が必要なのかもしれません。
 では、旅の話へ戻ります。

#5 8月4日(日)

 前日の夜、松江から岡山への接続時刻を調べたところ、山陰線〜伯備線の直通一番電車に乗れば、岡山12時に間に合うということがわかり、ビジネスホテルでは早々に寝たものの、やっぱり朝の早いのはきつい。駅弁売場だけが開いている構内で、450円の(コンビニに対抗してるな!)幕の内弁当を買い、出雲から来る各駅停車新見行きを待ちます。115系2両のワンマン列車はぽつぽつとした乗りで、各駅に止まっていきます。どこで駅弁を食べようかと思案しているうちに安来の声が。米子へ向かう流れもあるかと弁当をあわてて広げたものの、日曜の朝では、何があるのか、私服中学生がぱらぱらと乗って来るばかり。米子へ着いても静かな駅や車内の状況は変わらずでした。
 伯耆大山から伯備線へ入るのですが、このまえの地震の跡はあまり見られず、農家の古い小屋の瓦がずれているのが何軒か見えるばかりで、鳥取県知事の英断のおかげなのかなあ。としみじみしてしまいました。
 伯備線が谷を詰めていきますと、備中神代、布原と険しい山の中を走ります。伯備線といえば、40歳以上の人はSL3重連を思い出すと思いますが、今は振り子特急ががんがん走り回る幹線で、「フリーゲージ」電車が最初に実現するのはこの線?という噂もありますね。SLで有名になった布原は私の乗っている各駅停車の終点の新見駅の1つ手前の駅で、当時は信号場でしたが、今は駅名標のある駅なのですね?
 新見駅のずいぶん手前から伯備線は複線となり、2面6線の新見駅へ入ります。ホームのない中線が2線あるのです。かつてのにぎわいを忍ばせます。ここでワンマン各駅停車電車は折り返しです。
 新見駅での待ち時間は駅舎の待合室へ行きます。新見駅は、伯備線の他、姫新線、芸備線が集まる駅です。伯備線の時刻表を見ますと、1時間に特急が1本ずつあり、各駅停車も1〜2時間に1本はあります。しかし、姫新線や芸備線は朝の通学列車が終わると次の列車が昼頃だったり、日曜日は日中の列車が全部運休になる日があるなど、すさまじいダイヤです。かつて行ったスコットランドのイギリス最北端の路線のようです。かの地では休日は全列車運休でしたが…。
 それから、改札口には簡易式の自動改札機がありました。これも外国の刻印機のような機械でした。

 さて、今度は岡山のやはり115系3連電車に乗り換えます。今度はワンマン電車ではありません。西日本エリアに入って湘南色の電車は久しぶりです。この電車も丹念に各駅に停車しますが、日曜の昼とあってか、どの駅も乗降はぽつぽつ。乗っている人たちも、大きな荷物を持った人たちが多く見受けられました。18切符利用者かも。
 その怠惰な雰囲気を破ったのは備中高梁駅でした。ここからは結構な乗りで、吊革を掴む人もちらほら。おそらくは岡山や倉敷へ向かう人たちなのでしょう。そんな人たちに囲まれて電車は高梁川の谷から岡山平野へ出てきました。その最初の駅が総社駅となります。ここには井原鉄道のレールバスも来ます。ここから話題の吉備線に乗ってみましょう。
 私の乗った吉備線の列車は、40系3連の列車です。車内には簡易な冷房機が装備され、そこそこ涼しいです。発車しますと、次の東総社駅で下り列車と交換です。総社駅方向へも結構乗る人がいたのを見ました。ここだと岡山や倉敷へは伯備線へ乗りかえた方が早いのかもしれませんね。
 その後、吉備線の線路に並んで高速道路が走ります。これは山陽道でしょうか?そして、線路の北側は水田、里山といった景観なのですが、線路の南側は東京や大阪近郊と同じ建て売り住宅群!これらの住宅の住民へ吉備線は十分なサービスをしているのかしらん?という思いは湧いてきます。
 小さな駅をいくつか過ぎ、車内もにぎやかになりつつ岡山市街へ入ってきますと、大きな高校や3〜5階程度のマンションアパートが見えます。無人駅の券売機が食堂の食券販売機と同型のものだったりするのに驚きながら、岡山駅へ入ります。ホームは山陽線などとは少し離れた位置となりますが、なんとか、12時前には着きました。11:57です。

#6 吉備線雑考

吉備線に総社駅から乗ったのですが、前に書いたように、総社に近い1〜2駅からは伯備線方向への流れが定位のようで、総社駅への吉備線の取り付き方からも路線の独立性は高いかもしれません。これが高梁方向へ取り付いていれば、また別のアプローチが出来るのかもしれません。井原鉄道との関係は、直通する事に積極的な意味を見いだせないという印象でした。
 どういう都市計画なのか、吉備線線路と高速道路が並行する区間があるのですが、これも何か、活用できることはないかなとも思うのですが、高速道路のバスを鉄道が補うほど高速道から市内へ入るときに渋滞があるとは言えなさそうで、結節させることも意味はなさそうです。
 消極的な消去法の残りの方策としては、吉備線を独立した路線として整備し(和田岬線みたいな簡易な電化でいいでしょう)、福岡の筑肥線のような形で乗り入れ専用路線とするのが現実的かもしれません。
 現状の40系気動車2〜3両40〜60分間隔を、岡軌「MOMO」型18m連接車15〜20分間隔に置き換えるとしたら、それでも完全には輸送量を保証できないですね。軌道直通車と岡山止まりJR型単行電車(宇野線とかで走っていたやつ)を交互に運行する方がいいのかもしれません。
 経済的にどのセクターも厳しいのでしょうから、実際の改良は出来るだけ簡易な形にとどめて、軽量の車両を運行することで路盤等の改良を行わずにどのくらいのことができるか。もしやるとしたらJR-Wの知恵が試されることになりそうです。

#7 8月4日(日) 岡山オフ会参加記

 吉備線の列車を降り、地下道へ入ります。前の岡山議論の時、「地下道を拡幅して電車を」と思ったのですが、吉備線の岡山到着直前に駅をまたぐ道路橋の工事が行われており、ここを越させるという構想ですね。そして吉備線へつなぐということだったのですが、西口広場を回って吉備線に入ればループ状になるということでしょうか。
 地下改札そばのロッカーへ荷物を預けて、集合場所へ走ります。駅前の桃太郎像前へは皆様がお揃いで、挨拶もそこそこに駅構内へ移動です。全員がそろったところで、早速岡山電気軌道線へ乗車です。車両は床の高い在来型の車両で、清輝橋へ向かいます。途中、人出の多い繁華街や中鉄バスターミナルや3丁目劇場などを見ながら電車は進み、終点へ到着です。清輝橋停留所向かいにはバス停もありますが、これを電停と統合するのは難しいですね。と参加者の皆さんもおっしゃっていました。また交差点を曲がりますと、病院もあるのですが、横断のアプローチは歩道橋というのも気が利いているような利いていないような。ここから延長して、大元駅方向へ向かうという計画ですが、乗ってきた電車の乗客の人数からは、どうかなあ?というところですね。延長することで利用を喚起できるというなら、まあそういうものかな?というところです。これは私の感想です。
 次の折り返し電車で柳川まで戻ります。交差点角では高層マンションが建設中で、交差点の改良アイディアの募集に答えた子供たちの絵が現場の壁に描かれていました。今度は東山終点へ向かいます。
 城下〜西大寺町筋へのアーケード街が結構人の集まる地点のようで、郵便局前〜県庁通のデパート街と十字に繁華街が広がっているようです。もっとも、この電車の100円区間がこの繁華街と駅の間となっており、これは結構便利に使われているようです。水平エレベータの面目躍如かもしれません。西大寺町筋付近は料飲街というか歓楽街となっているようですが、昼間はあまり人通りが無さそうで、旭川を渡った先の、問題の安全地帯のない小橋、中納言停留所を注意深く見てみましたが、停留所の間隔が短く、何らかの改善が考えられているのではないか、といったところです。でも、電車通りと自動車の通りは分かれており、中納言付近は、道の狭さもあって、何らかの知恵を出さなければならないのでしょう。

 終点東山停留所そばのバッティングセンター2Fにある資料館を見せてもらいます。確か、このバッティングセンターも電車会社の副業ではなかったでしたっけ?
 資料館にはMOMO号のポスターやロゴの原稿などが展示されています。古い電車の部品や、書類、資料が並べてあります。昭和初期に市内各地への路線拡大計画があったことが新発見資料で展示されていました。当時から岡山が大きな都市であったことがわかります。岡山大学付近が軍用地であったことなどもわかります。
 貴重な資料の一部のコピーなども分けていただき、資料館を辞します。ちょうどMOMO号が来る時間なのです。さあ、乗り込んでみましょう。
 ご案内の通り、超低床電車ですので安全地帯とはほとんど段差がありません。車椅子でもちょっと押せば乗れます。自分で乗るには電車とホームの間の空間を越えるのにちょっと力がいりそうです。そして、私たちは後ろの車両へ陣取ってエクステリアを見回してみます。天井のデザインなどはすばらしい印象です。イスも木のベンチで、立っている人が寄っかかれるデザインなどはおもしろいですね。長い時間乗らないという絶対的な前提があるので、路面電車としての究極の姿なのでしょう。
 オフ会の皆さんとは、降車ボタンのデザインについての話題で結構盛り上がりましたね。ベースの車両がドイツ製とのことで、降車ボタンはヨーロッパの標準スタイルなのです。ポールに付いている黄色いボックスに赤いボタンは、ヨーロッパ大陸各地で使われている形式です。これは日本式の押すと「とまります」ランプのつく形にした方が良さそうな気がするのですが…。エル=アルコンさんの指摘していたカードリーダの入れ方もバスとは違うとのことで、フォーマットの統一は今後の課題になりそうですね。それから、中乗り前降りのスタイルは、良さそうですね。在来車と同じ感覚で乗れそうです。

 さて、城下停留所でMOMO号を降りまして、期間限定のMOMOショップへおじゃまします。資料館のポスターで展示されていた様々なキャラクター商品が販売されています。浴衣やチョロキューまであるという凝った嗜好で、電車を中心とした街づくりに賭けている意気込みが伝わってきます。こちらの店番の女性(斉藤様ですか)と、話をしているうちに、会長を呼ぶ話となって、一同が驚いているうち、NGOのRACDA会長の岡様との歓談という状況へ…。
 中で印象に残った話題は、岡会長の地元・中央の人脈が、この電車導入に大きな影響を与えたということ、この先の展開も構想しているということ(新資料発見もその一歩)というところで、なかなか考えていらっしゃるという事はよくわかりました。貴重な体験をさせていただきました。今後、こちらの掲示板でのご発言も見られることを期待したいです。
 さまざまな話題で時間のたつのは早く、私と管理人さんの電車の時間が近づいてきて、名残惜しくも、ショップを辞し、再び電車の人となり、駅前で恋人との最後の逢い引き(結構写真取ってる人がいましたね)の後、管理人氏は空港へ、私は赤穂線へと会を辞しました。

 いよいよ私も大返しとなります。

#8 も一度出雲雑考

 岡山から帰る前に、出雲で書き忘れたことを書いておきます。
 出雲地域の交通企業として多角的に事業を行っている一畑電鉄のHPです。

一畑グループHP http://www.ichibata.co.jp/

 ページをたどっていきますと、電車やバス、タクシー、デパート、不動産など電鉄会社を中心とした島根県の中核総合企業となっているわけですが、この中に出て来ますが、最近の航空掲示板の話題にもなっている、出雲空港の地上業務も一畑グループが行っているのですね。航空機の誘導や空港ビルの運営はもとより、話題になっている停泊の管理もしているのでしょうか。交通企業のノウハウを生かして出来ることは何でも引き受けるという印象です。
 松江温泉駅から出雲空港への空港バスももちろん一畑バスで、この調子で行けばそのうち、自前の航空機を運航してしまうのでは無いかとも思えてきます。大げさですか?

#9 どこまで行けるか大返し

 オフ会が16時解散で、翌日午後に長野へ18切符で到着するために、私が最初に考えていたのは、姫路、米原乗り換えで名古屋までは行きたいということでした。そこで岡山から山陽線16:21の上り各駅停車に乗ることを考えたのですが、ホームへ行って、うどんなど食べている間に電車が入線。みると、すっかり満席で、どうしようかなあ?と思案に暮れているうちに赤穂線の列車が入線してきました。車両も、広島の115系3000番代車で、2ドア車の誘惑に勝てず、そちらへ乗り込みます。これで赤穂へ行けば、相生乗り換えでも何とかなるだろうと16:37出発です。
 岡山の東側の地域の都市化も結構進んでおり、建て売り住宅が各駅を囲んでいます。またマンションやアパートも目立ち、結構潜在的な利用者を発掘できるような気がします。
 赤穂線ですから、海を見たかったのですが、いつの間にか眠ってしまったようで、「次は赤穂」の声で目覚めます。「姫路行きへ1分の接続」との放送もあり、相生での乗り換えは無くなりました。日曜日の夕方の電車は、1ボックス1〜2名ずつの乗りで、姫路へ向かいます。姫路へ近づくに従って乗ってくる人はいますが、途中の網干では始発の快速を待つ人たちも見られました。

 姫路からは新快速長浜行きです。姫路駅はこれも各路線の集まる駅ですが、播但線のローズピンクの103系が新鮮でしたし、姫新線の気動車が長いホームに単行で到着したり、ちょっとの間でしたが、おもしろかったです。アナゴ弁当を買って長浜行き新快速の先頭車へ乗り込みます。弁当は加古川までに食べ終え、ずっと座りっぱなしだったので、西明石からはかぶりつきに挑戦です。複々線区間は外側線を120km/hでぶっ飛ばします。舞子の歩道橋や、長田の再開発を通り過ぎ、電車は高速で走ります。120kmかぶりつきは東京では京急でしかできませんが、大阪は気合いが違います。クモハ223のモーターの音がやみません。日曜夜の先頭車ですので、大阪までは全員着席といった乗りでしたが、階段位置の関係で大阪で結構乗ってきました。補助席も使用されています。京都手前の西大路で前を走っていたコンテナ特急に追いつきました。京都でも入れ替わりがあり、滋賀県へ向かって多くの人々が乗り込んできました。その人たちも草津あたりから順々に降りて行き、私が補助席へ座れたのは能登川でした。

 米原からは大垣行き区間電車です。女性車掌の声が新鮮でした。乗っている人たちは、大垣からの救済臨へ乗る人たちが目立ちました。大垣では救済臨の行列を縫って、快速電車へ乗ります。私の乗ったJR-Cの快速電車は3両編成だったようで、結構立っている人も多かったです。
 岐阜、一宮と止まって名古屋へ着いたのは22:30ごろでした。指定券売場の時刻表で中央西線〜篠ノ井線の列車の接続を確認し、東側駅前のビジネスホテルになんとか部屋を取り、早々に就寝し、長い1日が終わりました。

#10 8月5日(月) 木曽谷の旅

 長野へ午後早く着くためには、名古屋を6:18の中央線電車に乗らなければなりません。ホテルへの滞在7時間で早々にチェックアウト。名古屋駅へ向かいます。ホームへあがりますと、向かい側のホームに「ながら」が到着です。名古屋で後ろの3両切り離しを眺めているうちに私たちの中央線中津川行きが入ってきます。313系ですね。名古屋のJR電車はすっかりきれいになりました。先頭車の転換クロスシートに座って一駅一駅止まっていきます。大曽根駅ではガイドウエイバスの高架駅が見え、バスが発車するのを見ましたし、高蔵寺など丘陵部に近くなりますと、山の上まで住宅街が広がっているのが見えました。こういうところの人たちを都心へ直行させるバスというのも有りだよなあと思いつつ、電車は古虎渓の峡谷へ入ります。多治見を過ぎ、郊外と言うよりものどかな眺めが続く中、中津川へ到着します。ここで、松本行きワンマン列車へ乗り換えです。
 松本行き電車は313系ワンマンカー仕様の2両編成で、車椅子対応のトイレもあります。これも先頭車に乗りましたので運転士が駅ごとに料金の収受を行います。運転席上の料金表を見ますと、中央線中津川〜塩尻間と関西線名古屋〜亀山間の表示が出来るようになっていますので、この電車は木曽谷と伊勢方向に運用するのだということがわかります。でも大名古屋駅にワンマン電車が走っているというのはなかなか愉快ですね。

 中津川駅だったか、車内だったか定かではないのですが、名古屋〜飯田間中津川乗り換えで電車バス直通切符の広告がありました。名古屋から飯田へ行くのには、電車、電車とバス、バスの3通りがあるのですね。
 ワンマン電車は木曽谷を詰めていきます。月曜日の午前中ではあるのですが、結構な乗りです。木曽福島付近では吊革を掴む人もあり、会合でもあるのか、山で働くおじいさんたちがまとまって乗り込んできたり、中学生も体操着で部活の練習でしょうか。
 分水嶺をトンネルで越え、川の流れが電車の進行方向へ変わると、塩尻、松本へ向かう人たちが増えてきます。松本はお祭りだそうで、私服の学生さんたちが増えてきました。塩尻駅からはJR-Eのテリトリーとなって、駅名表示が私の地元と同じになります。なんとなく落ち着きます。
 2両編成に120%程度の乗客を乗せ、電車は松本へ到着です。こんどは篠ノ井線へ乗り換えです。駅そばを食べて、入線を待ちます。
 篠ノ井線電車は115系3両編成で、私は景色の良い右側へ陣取ります。安曇野から離れ、山へ入ったところでまた眠ってしまい、目が覚めたら姥捨のスイッチバックでした。同じボックスに座っていた人たちが、いい眺めと感心しています。善光寺平へ降りてきました。新幹線の高架線が近づいて長野駅へ到着です。12:07です。

#11 長野からようやく帰宅

 長野での会合終了後、友人に会います。それまでのあいだ市内の様子をほんの少し見てみます。相変わらず駅前のバスターミナルは会社ごとに分かれているようですし、駅前のデザインは煩雑です。バス路線も工夫が進んでいるようで、市内循環バスもあるようです。駅前から善光寺までは100円区間のようで、このバスへ乗ってみます。参道へ入ったバスは、撤退したスーパーの前を通ります。このほかにも、閉店した巨大デパートのビルが大きな通りにあります。
 友人との会食の後、最終の新幹線で帰宅します。21:40発です。あまり混んでもなく、車内販売もあった電車は大宮には23:00過ぎに到着です。夜の9時まで善光寺の前で居られる上に西浦和へ武蔵野線の終電(0:46)より遙かに早く帰れるという幸せは、何と言って良いのか?

***
 そんな旅でしたが、みなさん、どうぞつたない文章をご笑覧ください。何かの参考になれば幸いです。
 長文ご容赦。ありがとうございました。次へ行きましょう。

2004.11.02 Update


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