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首里城

【検証:近未来交通地図】特別リポートNo.048

2003・11
ゆいレール&那覇都市交通
視察会(ゴーヤオフ)備忘録

(2003/10/31〜11/02)

下記内容は予告なしに変更することがありますので、予め御了承下さい。
当サイトの全文、または一部の無断転載および再配布を禁じます。

首里駅に近づく

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 (無)551ぷらんにんぐでは、サイトオープン時より、『皆様と顔の見える関係構築』を標榜して積極的にオフ会を開催してきました。今冬の大型企画第1弾〔さぬきび交通サミット〕(2/1〜/2)に次いで、去る10/31〜11/2に〔ゆいレール&那覇都市交通視察会〕と題して沖縄を訪問、軌道系交通不毛の地であった経過と現状を駆け足ではありましたが巡ってまいりましたので、その模様を御紹介致しましょう。

さぬきび交通サミット2003備忘録 041.html

◆訪沖経緯

 今年8/10に開業した日本最新のモノレール『ゆいレール』。長らく軌道系交通空白地帯であり、ゆえに深刻なクルマ一辺倒な社会構造となっている沖縄に新風を吹き込んでいる状況は皆様も既に御存知の通りでしょう。当方自身軌道系がなかったゆえ、というわけでもないのですがこれまではなかなか行く機会がなかったところ、ある意味車社会に対する壮大な実験場とでも云いましょうか…その経緯と現状、学ぶべきところが多々あるものと考え、そんな常連有志で訪沖について進め、結果的に【検証:】公式オフとしては急場の発表となったために追加参加される方は残念ながらいらっしゃいませんでした(ただどなたかは存じませんがまちBBS等で御宣伝頂いた様で…?)が、ともあれ無事実施に至りました。
 今回御参加頂いたのは、訪沖経験のあるTom様・とも様・かまにし様と、初沖となる和寒様・打越健太郎様と当方551planningの計6名(順不同)、【検証:】ではお馴染みの方々ですね。なお各人の都合により三々五々のアプローチとなっておりますが、以下当方のものを中心に進めてまいります。行程としては10/31午後に訪沖して国際通りの夜を楽しみ、11/1には名護までの北部方面を、11/2には南部戦跡と那覇市内を巡るというものです。「北奔南送」の足となってくれたのがトヨタレンタリース沖縄・那覇空港店のトヨタWISH1.8L、『人数を載せるとちょっと非力ですね…』とはまたもや見事なハンドル捌きにてナビゲーションして頂きましたとも様、改めましてこの場を借りて御礼申し上げます。

1日目 10/31(金)

 「はじめての…」 ◆

 朝便で先発のかまにし様に次いで本隊?となるとも様・打越様と当方は16時前のANA129便にて出発、ジャンボながらバス利用となり、図らずも先のJALのCMの再現?となりました…タラップも2つついており、続々と上ってゆきますがさすがにバリアです。車椅子などにはリフト車もありますが、これを見る限りボーディングブリッジを好むのも理解できます。
 ほぼ満席の状況で着席も済んだかなと思いつつ、一向に飛ぶ気配がありません。ようやくというタイミングでコパイから放送が。何でも出発直前に搭乗キャンセルが出て、その客の預け荷物が既に機体の奥に積み込まれており探すのに時間を要しているとか…結局30分近く遅れての離陸となりました。

 当方は渡航経験がなく、これがはじめての2時間半を越えるフライト…遠くにくっきりと富士山を拝み見ながら、航空談義の話題は国内線供食事情へ。当方的にはコンビニ事前購入スタイルが広く一般化された中で然程の拘りを持たなかったのですが、単純に独りで乗っていたとしてかなり手持無沙汰になった事は否めず、変化をつけるには印象に残るものと思う一方で、サービスレベルとコストの釣り合いを思えば全席独立モニターのほうがいいのかなとも。BSも民放視聴が可能なのですし、独自コンテンツ(ゲーム)こそワンコイン程度とってもいいでしょうし…ただいろいろと国際線&外国国内線オモシロ話を教えて頂くところでは食事提供は「当たり前」なんだとも思えそうですね…。

 那覇空港&ゆいレール初見 ◆

 外は遠くに夕暮れの境界線を見るようになり、徐々に高度が下がってすわ着陸となりますが、米軍管制との兼ね合いから結構な距離を低空水平飛行するそうで、旧香港啓徳と行かないまでも地上から見てもおもしろいポイントなのだとか。左手に那覇のきらめく夜景を眩しく覚えつつ着陸、「印象よりも人口はかなり多いんですよ。那覇も大都市ですから」ととも様。
 北方からのランディングで南側から延々と地上走行の後、会社別対応でコの字型に配された国内線ターミナルに直結しました。飛行機の動線は苦しそうですが、話題の免税店を掠めつつコンパクトながらも綺麗なターミナル内を進めば、利用者の動線はシンプルで利用し易い印象を受けます。

 とも様にレンタカーの回送をお願いして打越様と当方はいざゆいレールへ。到着が1Fで連絡通路のある2Fに上がると出発口。ただしチェックインカウンターは3Fにあるため、ゆいレール利用の場合にはそれぞれに微妙に動線とずれた上下移動が伴うところは後付感を感じさせます。
 ANA系/JAL系それぞれから通路が延びてターミナル向かいの立体駐車場を抜けた先で折れ、双方の通路が交わると奥のゆいレール乗場につながります。その部分には動く歩道があるも、心理的にはちと歩かされる感じもしなくはないです。関空が好例ですが、判りやすい1本道ながら実は結構歩かされるというところと好対照な感じを覚えました。尤もゆいレールの名誉のために云えば、羽田はさておき伊丹よりトータルで歩く距離は全然短いです。

空港内那覇空港駅外観ゆいれーる車内

 さて改札は随分こぢんまりとしており、券売機も改札機も3〜4台、拡張余地も然程あるわけでもないため、これで大丈夫かな?という印象すら受けます。そのときこそそれくらいの利用前提なのだと受け止めつつ、この後にうーんと思うこととなるとは全く思っていなかったのですが…。3Fのホーム階も広いな、という印象を受けず。ホームドアこそあれいわゆるゲート式(ちなみに開閉時警告音も標準?の「都営三田線仕様」)で、各地のAGTのようなホーム内エアコン完備等でなく、簡素ながら転移を図るには沖縄こそ?と思いつつ、むしろすっぽり覆いのために空気の循環も…という感じすら受けました。
 早速車両に乗り込めば、こちらもシンプルイズベスト感満載。ロングシートの背摺りも低く、クッションも硬め(JR-E E231改善型に近い?)、運転席後の前方シートが微笑ましく思われます。車両自体も小さめなのだと感じましたが、圧迫感は受けませんで、トータルとしてデザインの勝利を実感します。

 あちこち見ているうちに車内も混み合ってきて、着席+立席少々で発車、2つ目の小禄で下車、ここはジャスコ併設で交通広場も整備されていますが、ここで都心方面への乗車が結構見られました。その交通広場に停まるレンタカーに乗車し、ホテルへ向かいます。ゆいレール沿いに進みますが、「この時間でR58がこんなに走れるとは」がとも様の実感。すんなりと松山社交街の一角、潮渡川南岸のホテルに到着して荷物を降ろしました。

 国際通りの夜さんぽ ◆

 先乗りのかまにし様と合流して食事に向かいます。まずはR58沿いに南下、ビジネス街の様相は他の都市と何ら変わりません。久茂地交差点を折れると久茂地川そばのゆいレール県庁前駅、その奥に沖縄県庁が聳えます。駅横には「パレットくもじ」なるテナントビルがあり、ペデで国際通り入口まで結ばれています。もうちょっと大階段を印象付ければ新たなスポットになったかなとも思いつつ、ぺデの屋根の灯りが夜の街に映えて見えました。
 で、県庁前の交差点、ベスト電器の明るい店先から続くのが「奇蹟の1マイル」国際通り。狭い狭いとは聞いていたものの、本当に狭く、電線地中化工事の影響こそあれ、対面のクルマがなんとか進めるほど、観光客も多く出ているため歩道はかなりの混みようです。正直横須賀ドブ板に近いもっと「なんとなくアメリカ色」の強い店舗構成かなとも思っていたのですがそんなこともなく、色とりどりの店舗構成が目を楽しませます…それ以上に釘付けになってしまうのが、やってくるバス来るバス「えらいこと!」手ぶらで来たのを後悔するくらいにオンボロゲテモノのオンパレードでした!バスファンにはまさに垂涎、当方も知識にあるアジアンテイスト溢れる光景を国内で味わえるとは…これが最終日には(趣味的に)真っ当に見えてくるのですから!
 実はだらだら上る坂道となっている通りをを2/3ほどそぞろ歩き、お腹も減ったということでライブ演奏のある店に腰を下ろします。まずは幕間ということで沖縄料理に舌鼓。ゴーヤは食べず嫌いでしたがなるほど泡盛に限らずお酒に合いますね。沖縄そばはイメージ通り、むしろソーメンチャンプルに惹かれます…そのうちちょうど真後ろでライブ演奏も始まり、食事に音に満腹となったのでした。

 22時過ぎの街中もまだまだ活気があり、台湾資本のドリンクスタンドで飲み物を買えば気持ちもひんやりいい気分です。通りを挟んでゆいレール高架下をしばし進むと、中に客席のあるお店の、通りに面する厨房部分を開けてそのまま屋台調のオープンスペースにしたレストランもありましたし、その先は「社交街」とゴッタ煮感も興味をそそられます。
 ゆいレールと国際通りの関係性、なるほど行けば判りますね。ただし国際通りにモノレール空間はないものの、モール化するなら簡易的なトラム…サンフランシスコのケーブルカー的なものがあれば似合いそうという気もしましたが、さてバス網をどのように処理するかが課題でしょうね。

 というわけでこの日は早めに散会となりまして、なかなか居住性の高いホテルで休息と相成りました。明日は暑くなりそうです…。

2日目 11/1(土)

 改めて那覇市街&空港ウォッチ ◆

 2日目はトーストにハムエッグといった感じながらもなかなかボリュームあるホテルの朝食で始まりました。ここで先夜23時過ぎの到着となられた和寒様が合流。ゆいレールでの市街入りはさすがにその時間とあって空いていたそうですが、途中での乗り降りが目に付いたとのこと…金曜ということもありますが総じて沖縄の夜は深いそうで、国際通りもレストランで2時3時閉店がざらなのだとか。

 後程Tom様の到着を受けるまでしばし市街を走る事に。R58から丘陵地形を東進しておもろまちの那覇新都心を掠め、R330を北上します。各所にあるJCT処理に軍用道路からのアメリカ流を感じつつ、それを補うカタチ?の「左折矢印信号」(←)の多さ(=時差式信号ということでもある)に驚き、また総ての歩道橋や高架道路の交差部に地上高のメートル数が大書されているのに「現実」を垣間見る気もしました。
 浦添の市街を抜けてR330を北上、普天間基地の外周を巡ります。那覇・浦添から宜野湾市に至る途中はほとんど市街地化しており、改めて地図を見るとぽっかりと基地なりキャンプがでんと鎮座しているのだということが痛感できます。
 再びR58を南下すると、3車線ありながらも次第に交通量が増加、途中でR330に逃げたのですが、その道すがらにJRバスカラーの那覇交通と出くわしました(JR主催ツアー用に導入されている由)。写真が撮れれば…。R330で那覇市街地南部を回り込むように進むと、余儀公園で返還後に送られたというD51を見つけます。このあたりが県営鉄道の駅だったそうですが、御承知のように沖縄戦で灰燼に帰したうえ、当時の地図にも載っていない路線もあるなど、歴史の重さを実感させられます。

米軍施設が点在
道の両側に米軍施設が点在
R58
午前中から交通量が多いR58

 全長3キロと短いR332を通り那覇空港国際線ターミナルへ。ここで車を停めてターミナル見学へ。丁度台北便の搭乗手続き中で団体客を中心に人出がありました。あ、上海線もデイリー運行になっていますね!ただし小ぢんまりとし過ぎるターミナル、話によるとトランジットはより場所がないということで、早急な改善が望まれるところです。このあと徒歩で国内線ターミナルへ向かいましたが、然程歩かずに済む分、国際線ターミナルとの一体化の方策が期待できるところです。
 国内線ターミナルではまず100円払って展望ブリッジへ。まさにひっきりなしの離発着の中、当方はRACのDASH83機並びが見られただけで御満悦です。その後バーガーショップA&Wで寛ぎましたが、正直今はなきバーガーキング派としてはもう一回行きたいかな…そうこうしているうちにあれがTom様搭乗のジャンボかなということになり、到着口で待ち受け合流。フルメンバーとなって再びクルマで出発です。

風格以上に年代を感じる微妙な空の交差点737揃い踏み

 一路名護へ ◆

 那覇空港からゆいレール沿いにR331から豊見城市内を東進、現在無料区間の高規格道・豊見城東道路から那覇空港道に向かいます。将来的には全線が那覇空港に向かう事になるわけですが、それにしても那覇市街地の相当な迂回振りですね。雄大なアーチ橋を遠望すれば沖縄道に直結、高速バス停も独特の赤瓦の配されたデザインが目を惹きます。沖縄市に入りコザ市街の掘割区間を走行、ここは常磐道などと同時期の整備なのだとか。そういえば昨日先乗りのかまにし様は路線バスでコザ市街まで行って中央パークアベニューの辺りを歩かれた由。我々も後程コザ市街を通りましたが、那覇からの距離に驚きましたね。ここまで下道の路線バスで来たかと…勿論名護までの下道路線があることからも「凄い」わけなんですが。

豊見城東道路は現在暫定無料供用中
豊見城東道路
沖縄道高速バス停も独特の赤瓦デザイン
沖縄道で

 火力発電所が構える石川市街を見やりつつ、石川ICで高速を降り、西岸の恩納村に向かい、ムーンビーチそばの「恩納そば」にて昼食。さぬき文化圏とはまた違う、いかにも沖縄らしい打ちっぱなしコンクリ建物、こぢんまりとした質素な客席に不釣合いな食券制となかなかの味のあるお店(こうした一見怪しげドライブインチックな店が主流らしい)で、先着組は昨夜も食しているものの、それ以上の濃くもさっぱりとした味を堪能したのでした。
 団体客が入ってきたので、お腹を満たしたところで早速出発、歩道含め整備されたR58を快調に進みます。沿道には所々ショップが建ち並ぶところも見られながらも、やはり主流は大規模ホテル直送ゆえの完結型リゾートであるところが悩ましいとのこと、域内観光シャトルバス等の可能性について話が出ます。と、クルマは景勝地・万座毛へ…断崖絶壁からつい「東尋坊」と出てしまうのは御愛嬌、まぁ海の綺麗さは比べ物にならないというか、いかにも南国です。またこちらは芝生と絶壁とのコントラストが印象的でしたね…それにしても11月でもバナナボートが出来るのはさすが沖縄!
 沖縄道の北端が近づき道の駅許田を過ぎれば緩やかな弧を描いて名護市街。十字路からアーケード街を通りますが活気に掛けるのは気になるところ…お、目の前にガジュマルの樹が道路の真ん中にでんと聳えていました。名護市街の鎮守木だそうです。

名護市街の鎮守木「ひんぷんガジュマル」 1997年国指定天然記念物に
ひんぷんガジュマル

 「叩いて渡る…石橋ならぬ?」 ◆

 さてここからは沖縄道で東岸を眺めつつ一気に南下、石川ICまでは右側通行で作られた区間ということで、加速減速車線の長さの違い(逆という意味)を実感します。石川ICから車線拡幅工事途上のR329石川BPを経て、味のある県道の細道を越えて具志川市から与那城町に至り、海中道路を経て宮城島へ。もともとの浅瀬を盛った1972年完成の初代海中道路は2車線でまさしく「海中道路」らしかったようですが、湾の海流を変え汚染等も発生、老朽化や渋滞解消、海流の復活や地域リゾート化強化など目的に1998年に現在の4車線化が図られたとのことで、歩道も広く取られていて中央部にはロードパークとして駐車休憩スペースも取られたかわりに、海の中を行く感じは薄れていますが気持ち良い道には変わりありません。
 さて、その先の浜比嘉大橋をも渡った帰りにロードパークで休憩です。道の両側に駐車スペースが作られ、北側にある観光施設とはこの後行く勝連城を模した歩道橋で結ばれていました…で、海中道路の歴史説明板を見るとこう書かれておりました…

『平成12年に日本初のFRP歩道橋として…』

 ここで一同目の色が変わりました!見た目はクリーム色の欄干ですが、実際に叩いてみると…まさに「プラスチック橋を叩いて渡る…」いかにも【検証:】らしい光景?が展開されたのでした…。

海中道路
そのFRP歩道橋から海中道路と浜比嘉大橋を望む

 一同気を良くして?次は世界遺産にも登録されている勝連城(かつれんぐすく)へと向かいます。琉球王府の最後の抵抗者の居城として知られる存在だそうですが、独特で優美な弧を描く城壁、なかなかの高度に上ってみると気持ち良いを越して高所恐怖症の方には少々堪える?ところでした。
 その後具志川市内から「←沖縄 ↑沖縄」の道路案内板を見つつ沖縄市街・コザの街へ。「シャッター通り」と呼ばれて久しい街並みらしいものの、やはり色眼鏡で見てしまうせいかその独特なアメリカナイズが受け入れ難い異国情緒を醸し出しているように映りました。
 ただ救い?だったのが道路が混んでいるな、と思ったらその「シャッター通り」中央パークアベニューが物凄い活気があって、隣の空港通りではなにやら踊りの連が出ている感じ…沖縄国際カーニバルがまさに開催されていたのでした。よって素通りということで、市街をぐるっと廻って嘉手納飛行場を周回します。
 嘉手納ロータリーを巡りR58の飛行場内を通過しつつ南下、この先も桑江や瑞慶覧のキャンプ、普天間飛行場と米軍施設が途切れません。さらにはここで夕暮れ時となり感慨を覚えさせます。

有名な標識
間違いではないですが…
コザ市街暮色
ゴザ市街暮色

 「軌道系交通」に思いを馳せつつ ◆

 R58の新道に入りコンベンションセンター横を走ります。とも様の構想案ではここが北側の拠点となりますが、「ここが車庫予定地で」というところには広大な無舗装簡易駐車場用地が。なるほどどこぞの案と違って導入空間から考え込まれている事を実感します。
 R58から渋滞回避を兼ねてR330の手前を走るパイプライン通りに入ります。ここは那覇港と普天間を結ぶ石油パイプラインが埋められていることから来ていますが、丁度戦前には県営鉄道が走っていたとされるところでもあります。結構アップダウンがあるので導入空間としては?という声の中、「地形が変わるほどの砲撃を受けている」という事実の前に声もありません。
 そのうちにとっぷりと日の暮れた那覇新都心に入り、まだ長い渋滞のR58をパスすべく泊大橋を経由して那覇中心部に戻りますが、このルートは湾岸線張りに気持ちの良い大橋道路、将来はこの先に沈埋トンネルを経て那覇空港につながるというR58都心部バイパスとして期待されるところです。

ゆいレールの延伸と沖縄の公共交通の提案 ../special/027.html

 こうして2日目の大移動も終了、ホテルに荷物を置いて再び国際通りに繰り出します。改めて県庁前駅からペデを通ります。と、かまにし様からの情報で、ゆいレールの券売機で京急&東モノのセット券が買える由、なるほど…。そうそう、今日はちゃんと写真を持っての出陣ですが、初日ほどにオンボロ・ゲテモノには出くわしません…「目が馴れた」という話もありますが…。
 そぞろ歩きの後にビアホールにて宴席の始まり!何故か話題は打越様ことMAKOチャン様(改名される由!)へ…大いに盛り上がらせて頂きました!この日は23時過ぎまでたっぷりと楽しみつつ、那覇の夜は暮れていったのでした。

パレットくもじ東京モノレール切符も買える (左)パレットくもじをバックに(県庁前駅)
(右)東モノ&京急の乗継きっぷ?も購入可能
このタイプは沖縄でしか見ない那覇交通車両(左)
米軍特定輸送専用車転用の琉球バス車両(右)
那覇交通琉球バス
 
3日目 11/2(日)

 南部戦跡を巡る ◆

 最終日となる3日目はオフの主目的であるゆいレール乗り歩きとなりますが、その前に早起きして南部戦跡を巡ります。
 中心部から国場川沿いに走ればラムサール条約にも登録されている漫湖…当然ながら車内は盛り上がるわけで。この先はR507をひたすら下り、具志頭からR331を経て最初の目的地になる平和祈念公園へ。沖縄戦の最終地となった摩文仁の丘に建ち並ぶ平和の礎、そのロケーションはさすがにまだ鮮やかに目に焼きついています。特に台風が近づく中で素晴らしく晴れ渡った空が余計に印象に残ります。
 さらにR331を西進すればひめゆりの塔。慰霊塔の目の前が悲劇の場所となる第三外科壕、「壕」といっても単なる竪穴に過ぎないことに改めて自身の認識の浅薄さを恥じ入るばかりです。双方とも朝早かったこともあってそれほど混雑していなかったのですが、ある意味観光客で混んでいるのも…と思えば不思議なものではあります。
 西岸の海を遠望しつつ糸満市街へ。ロータリーを抜け、郊外の県営鉄道コンクリート橋跡とされる遺構を眺めた後に、県道7号線を北上、豊見城市の旧海軍指令壕を訪ねます。沖縄戦末期に壮絶な最期を遂げた場所は小高い丘の中に巡らされたまさしく壕(トンネル)で、『沖縄県民かく戦えり』の電文の重さに言葉を失くします…。

糸満市内で
糸満市内にある県営鉄道コンクリート橋跡

 都合3箇所を駆け巡っただけであり、なにを言葉としても空虚になる、どんなポーズをしてもそれは表せないことだという意識とともに、一義的にはずるい潜在意識としての、自身の中の「訪れる意義」への想いを新たにしたのでした。
 また、御謙遜されるところではありますが、車中の会話の中で御参加の皆様の、特にガイド役という形の中にとも様の教養の深遠さに触れる事ができ、改めて知り合えた幸運と自身の浅薄さに思い入るのでした。

 ゆいレールはオドロキの連続! ◆

 さて、ここで当方今冬の長野訪問に次いで再びやらかしまして、携帯電話をホテルに忘れてしまい、那覇大橋からのゆいレールの外観写真撮影がてら一度市街に戻り、そしてレンタカー返却時間も迫ってきたため一旦那覇空港へ。荷物をコインロッカーに預け、クルマを返却してゆいレール一日乗車券を購入、まずは首里へ向かいます。実はここでTom様ととも様はゆいレール初乗となりました。当方も日中の乗車は初めてで、改めて那覇市街のパノラマを楽しみます…と、始発時点では着席定員を超えていたくらいのところ、どんどん増えて国際通り至近の牧志駅で立錐の余地なしの状況に!その後おもろまちを境にだいぶ降りましたが、観光客地元客老若男女入り乱れての光景、まぁ「瞬間風速」かもしれませんが、さすがにアメリカ人が見れば3両にしろと云われても、の世界でしたよ。

<DFS社>「モノレール3両編成に」(琉球新報11/04)http://www.ryukyushimpo.co.jp/…

那覇大橋手前で優雅に弧を描くゆいレール
弧を描く

 そんなこんなの中、首里に至るまでにかなりの高度を重ねます。中でも市立病院前駅はなかなか面白い構造、再訪を期します。首里駅はまさに途中駅の風情、原則1線使用の構内や思わせぶりな終点構造、発車風景などを観察して、そろそろ14時近くというところで首里城までの道すがらの民家風のお店で昼食とします。
 さて首里城、守礼門は意外と小さいとは聞いていましたが、そのほか昨日の勝連城の持つ剛健さと政治行政拠点としての荘厳さを併せ持った施設と感じました。ただやはり沖縄戦で灰燼に帰したところの復元であることも含めて考えさせられたところです。特に個人的には国王の肖像画(御後絵)が戦前に白黒写真撮影されていたものの総て消失したため、その極彩色とされた色がほとんど判らない状況にあるということが強く印象に残りました。あとは国定公園ゆえにバリアフリー対策の施されようも大いに注目点でした…ただ毎年恒例の首里城祭にぶつかったことと、そもそも有数の観光地ゆえに修学旅行客でごった返していてじっくり見て廻るに難があることもという現実があったのですが。なお、入場料800円は高い安いという話で、事前訪問者からすると那覇市街の遠望にその価値ありとされていたところ、実はゆいレールのビューこそ劣らず…という事実を再発見するに至ったのでした…。

行き交う列車毎になかなかの乗り
混雑する車内
市民病院前
市民病院前 奥の網の張られた通路が病院直結
それにしてもかなりの高低差があります  
市民病院前駅
病院エントランス
病院内モノレール通路エントランスにある案内図
首里駅車止めは意味深な曲がり方?
首里駅
V字カーブ
V字カーブ ちなみに隣接両駅から互いの駅が見えます

 首里駅に戻って市民病院駅を目指します。ここの地形はちょうど急な坂道の途中、隣の市民病院へは駅から直結通路が延びており、そこを1F(裏手にメイン玄関あり)として、地上6F地下3F構造と昨今問題の半地下室構造。実は駅舎自体も少々傾いでいる感じですが、なかなか興味深い立地と対応です。
 その後再びゆいレールで安里−牧志のV字カーブを楽しみつつ今度は旭橋駅で下車、那覇バスターミナルで「定点観測」です…当方思わずデジカメの電池が切れるくらいになってしまいましたが、なかなか乙なBTでございました…。

県庁・国際通りと目と鼻の先にある那覇バスターミナル…実際は操車場を兼ねており、ひっそりとしている
中心街バスセンター入口琉球バス
たまたま並んだ琉球バス3態…左から1978年交通方式変更時導入車(7.30車)、元大阪市交通局の西日本車体車、そして右が元遠鉄バスと思しき中型車
沖縄バス沖縄バス東陽バス東陽バス
郊外線は原則前乗り前降り 移籍車の場合後扉は大胆な改造をされるかそのままに車内造作が手を入れられるか(左 沖縄バス 右 東陽バス)

 さて時間もだいぶ残り少なくなり、最後の国際通り繰り出しとなりました。牧志まで移動し下車しようとすると、何やらお祭りをやっているようで(→首里城祭の行列だったらしい)、ホームも結構な混雑…!丁度乗ってきた首里行きがなかなか発車しないと思っていたら、ついには積み残しを出して発車!まさにおいおい状態であります。ここで前後策で躊躇したものの、結局隣の美栄橋駅から国際通りへ。そのまま牧志の公設市場へと向かい、道すがら三々五々お土産購入に精を出します。活気溢れる商店街を堪能してゆいレール最後の乗車で那覇空港駅へ向かいました。その際にも行き交う列車列車で立客多数の状況、まさにくねった線形はピンポイント集客の集合体である事を痛感したのでした。

美栄橋駅
「バス乗継きっぷ」対応もされているが…(美栄橋)
牧志駅
「瞬間風速」かもしれないがキャパ不足を示す積み残し

 名残を惜しみつつ ◆

 空港には18時過ぎの到着、レストラン街の地場料理屋で最後の沖縄料理に舌鼓。当方はほどほどにですが、皆様はすっかりゴーヤの魅力にハマった御様子、ゴーヤチャンプルとオリオンビール瓶が出発ぎりぎりまで飛び交う状況でありました…気づけば先発となる和寒様搭乗のJAL便が搭乗案内中、結局ダッシュでロクな御挨拶もできないままに散会となりました。残り組は日本では現在ここだけのDFSを冷やかし。Tom様ととも様は何やらお買物をされていましたよ…パスポートチェックこそないものの、航空券の確認があり、これで県内離島航路利用客は弾かれる由。さてさて、おもろまちは如何になりましょうか。

免税店 免税店

 さて駆け足の沖縄旅行ももうすぐ終わり、一路東京へ向け飛び立つと一同思い思いの時間を過ごしておりました。途中で機長よりまもなく機体の横揺れ区間通過の旨の放送があったものの、2度3度オシリがくすぐられる程度で済み、気づけば伊豆か三浦か房総かという灯りが飛び込んでくればもうすぐ東京…無事に着陸はちょい冒進気味、デジカメ禁止ながらスカイマークの2機並びなど撮りたくなる画の中をターミナルへと進みました…当方もはじめての13番ゲートから挨拶もそこそこにダッシュ!実は既に家まで辿り付く方法としてはANAのあいのりタクシーしかなく、かつ今回は飛び乗りということで乗れるかどうかもあやふやだったのでして…案の定?「本日は一杯で…」という御返答に踵を返して地下へ。するとなんとかモノレールが乗れるということで飛び乗らせて頂いた次第でございます…御参加の皆様にはなにとぞ非礼御容赦の程。


 というわけで駆け足で見てまいりました備忘録はとりあえずは以上とさせて頂きたく、なにはともあれ、ゆいレールについては最混雑期に当たったという事もありましょうが、この11月にダイヤ改正にて対処されていることからも好調さが伺えることは先ずはほっとするところ、むしろ突発的需要への即応性におけるキャパシティ不安を感じなくもない展開は痛し痒しとも思われます。また難航しているバス会社との連携ですが、既に当板でも取り上げられてきたように主要4社中3社が事実上の倒産状態にある苦境を車輌ひとつとってもひしひしと伝わってくるところに難しさを禁じ得ません。個人的には時間的都合により路線バス乗車が叶わなかったので、無論それだけでなくいろいろな意味で、再訪の意を強くしているところでもあります。
 なおとも様のゆいレール延伸提案や当方が空港板で以前提示の那覇空港の国際ハブ可能性についてはようやくこれで語れる資格を得た気がしておりますので、先ずはこちらを中心に別途BBSにて妄言となりましょうが重ねさせて頂きたいと存じます。

ゆいレールの延伸と沖縄の公共交通の提案 ../special/027.html
ホットな地域ゆえの「当事者の柔軟な発想」に敬意 ../../topics/airport/log437.html#3

ゆいレール4つの視点 ../special/027-2.html


牧志駅

瞬間風速に耐えられないのは痛い
 投稿者---とも氏(2003/11/10 19:39:58) http://www.koutsu-machi.com/

 ともです。

 トップ写真のゆいレール牧志駅。まぁ瞬間風速ですから例外と言えばそれまでですが、これが与える心理的な面での選好影響は見逃せません。

 ゆいレールは土日の場合、現在12分間隔。地方都市としては恵まれたダイヤですが慢性的な混雑が見られるのは確かなようです。
 もちろん、初見乗車だお祭りだという影響はありますが、基礎的需要は確実にありそうですから、そもそものベースが多いのは間違いないでしょう。

 その前提でこの写真。確かにイベント時の「瞬間風速」です。しかし、詰め込み意識がそもそも薄い地方都市において、積み残しが若干でもあるというのは印象としてよろしくはないと言えます。ましてや観光客や土日の私事交通利用者にとっては選択肢が他にあるなかでのゆいレール選択であり、価格弾力性や時間価値の変動率の高さ、さらには個札客であることを考えると、こういう層の乖離は痛い問題です。

 つまり、「ゆいレール=混雑」という図式ができあがってはどうしようもないのです。座れない程度ならまだしも、見た目150%超がもしも頻発する事態であれば望ましいとは言えません。
 そう考えると、今回の首里祭絡みの臨時ダイヤでも若干不足があったかなと感じます。その点は十分に思慮しないとならないでしょう。

 以前、とある都市で土日パークアンドライドを実験したところ、そのシャトルバスの混雑が原因で失敗したということがあります。また、違う都市ですが平日に既存地下鉄を使うパークアンドライドをやったものの、地下鉄の混雑が敬遠されて上手くいかなかったという事例があります。

 自家用車からの転換を目論まない都市交通システムはそうそうあり得ません。でも、今のゆいレールのスペックで果たして転換が進むか?やや懐疑的な印象を持ちます。
 快適なシート、速達ダイヤも結構ですが、その前に利用者からして乗る気にならない混雑は避けなくてはなりません。そう考えれば増発は本気で考えても良いのかもしれません。

 まとまりませんが。では

新規路線に見る「混雑」とその対応
 投稿者---エル・アルコン氏(2003/11/14 18:26:43) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 新線の開通では関係者が、この路線が金の卵になるのか金食い虫になるのかということで、需要予測と実績に一喜一憂するわけですが、最近では概ね下方修正という憂き目を見るケースが多いようです。

 こうした中でこの8月に開業した沖縄戦後初の軌道系交通になるモノレールの「ゆいレール」は、最近でこそ予測を下回り始めてはいますが、ここまでは概ね当初の見こみを上回る利用を集めており、まずは順調な滑り出しとなっています。
 ところが【検証】のオフ会レポートにもあるように、イベント時などの瞬間風速ではあるものの積み残しが出るケースもあるようで、開業前は賛否両論ですらあった輸送力について少ないのではと不安視する声が、沿線事業者から出るまでに至っています。

※那覇新都心(おもろまち駅)に大型店を開業予定のDFS社が増結及び増発を会社に要請。
<DFS社>「モノレール3両編成に」(琉球新報11/04)http://www.ryukyushimpo.co.jp/…

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 さて、こうした「嬉しい誤算」ですが、本当に「誤算」なんでしょうか。
 別稿で和寒さんが分析されていますが、需要予測の数字を列車本数で割り返すと、何と終日の乗車率が立席定員を含めた定員に匹敵するわけで、どうも「需要予測」として出ている数字と、実際の設備建設にあたって想定した輸送量の間に齟齬があるようです。

 この「齟齬」がもっとも鮮やかに露呈したのが多摩モノレールの全線開業初日です。
 まさに需要予測で示した1日の利用客が押し寄せたことで、積み残しどころか入場制限までかかる大混乱となり、一時は多摩センター駅の行列が京王・小田急多摩センター駅までつながるほどでした。
 需要予測通り、つまり、計画通りの収益を上げて返済をしていくための利用への対応が物理的に不可能というわけで、物理的に有り得ない利用を前提にした虚偽の返済計画を批判すべきなのか、設備投資において下方修正のマージンを上手に取ったやりくり上手を褒めるべきなのか、難しいところです。

 近年、需要予測を上回る実績を残しているケースの典型としてはゆりかもめがありますが、計画比50%以上の実績増は確かに予測を上回るスピードでの収支改善と累損解消につながりましたが、一方で凄まじい利用増への対応のため、車両の増備による設備投資の増加や、運用、要員の増加による営業経費の増加という面もあり、それなりの追加コスト負担は不可避です。
 さらに問題なのは、ゆりかもめは混んでいる、国際展示場でイベントでもあった日には乗れないといった評価が広まってしまったマイナス面も無視できません。

 ゆいレールの場合、確かに予想を上回る実績ではありますが、ゆりかもめのように爆発的に伸びて乖離するまでには至らないようです。となると、混んででも乗るというような需要ばかりとは限らない微妙なバランスの下での「好調」であり、混むというような開業景気に水を差し、かつ利用者が離れかねないような印象を与えることはやはり不利です。
 とはいえ増結余力はせいぜい1両で、構造物全体の造り替えになるため2両編成の「重連」対応に出来ないことから、増結すると終日その輸送力になるわけで、かつ、増発対応となると運行経費もかさむので、経営基盤の弱い会社にとっては悩ましい問題です。

 こうしたケースを見ると、「嬉しい誤算」にも対応出来るような準備を苦しい台所事情ではありますがしておいたほうが良いのかなという気にもなりますが、一方で4連対応で建設された設備の大半が遊んでいる千葉都市モノレールの惨状を見ると、これは大きな賭けでもあります。
 まあ、少なくとも公表ベースの「需要予測」の数字で無理が出るような設備は、一種の二重帳簿ですから問題でしょう。

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 さて、先日のゆいレールの場合のように、イベント時の最大瞬間風速だから止む無しとすべきかどうか。

 もちろん「公共交通機関」はそういう時は激しく混んで不快だと定着してしまうと、本来そういう大量輸送のためにある公共交通機関が、その特性をもっとも発揮出きる場面で敬遠されかねないわけです。
 現実的な「持ちダマ」で、積み残しは絶対に避ける水準で、かつ極力不快感を与えないように出来ればベストですが、理想はそうでもなかなかうまくいかないようです。

 この傾向が端的に出たのは2002FIFAワールドカップで、【検証】でも当時議論になりましたが、持ちダマを必要以上に出し惜しんだカシマ会場において、鉄道はひどいと言う実態が明るみに出て、鉄道輸送が回を追うごとにシェアを落とし、クルマやバス利用にシフトしたと言う鮮やかな結果が出ています。

W杯輸送総括 〜その1 カシマスタジアム ../../topics/traffic/log065.html#33

 もちろん、対応のほうが物理的に無理なレベルであったり、予想を遥かに上回るケースにまで無理を求めてはいけないことは確かですし、まずは積み残さない、輸送を完遂するのが大前提ですが、例えばゆいレールなら大規模商業施設の開業というようにある程度予測がつくケースにおいては、やはり事前の綿密な対応をベースにおいての「誤算」であるべきでしょう。

 さて、今を去ること33年前のEXPO70、大阪万博。6ヶ月間の入場者予測が3000万人だったのに、なんと2.1倍の6421万人を集めました。
 新幹線は前年の三島開業時から万博輸送を睨んだ対応をはじめており、70年3月の開幕直前のダイヤ改正で万全だった「はず」でした。ところが入場者数が上記の通りで、しかもそれが夏場から9月の閉幕にかけて激増したため、本来予定臨でまかなう夏臨に設定臨を出し、さらにそれでも輸送力が足りなくなって追加設定を強いられるという考えられないような対応で乗りきりました(まあこの瞬間風速に対応した輸送力を活用するべく始まったあの「ディスカバージャパン」キャンペーンが当ったことと高度成長の継続で、輸送力過剰の危機は回避できたのだが)。

 ワールドカップでもカシマ以外の会場についてはそれこそ大阪万博以来といわれた深夜帯の新幹線運転など、持ちダマを最大限活かした厚巻きの輸送体系を敷くことにより、大量輸送と快適性の両立を概ね成し遂げています。
 「瞬間最大風速」を記録するような時は、普段がいかに快適、便利であるかを知らない「一見さん」が増えるわけで、だから少々の無茶はいいとしがちですが、一方で普段を知らずにひどい状態だけを体験してしまうことで、「いいところが全然無い」と路線のみならず街やイベントへの印象を損なうことも事実です。
 そうした風評は得てして野火のように広まりかねないわけで、そうした有形無形の損失を考えると、やはり「出来る限りの」対応をお願いしたいものです。

2007.01.28 Update

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