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【検証:近未来交通地図】<近未来鉄軌道転換可能性地図>
(過去ログNo.002)

下記内容は予告なしに変更することがありますので、予め御了承下さい。
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存続問題の路線における不吉な共通点
 投稿者---エル・アルコン氏(2004/01/08 15:49:01)
http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs
─システムだけでは解決できない典型的事例といえる
 └総論と各論
  └Re:総論と各論

 昨年末、路面電車・LRTにとっては衝撃的なニュースが相次ぎました。

 別項のルポにもありますように、京阪が大津線の存続が困難として地元に協議を申し入れました。
 さらに、阪堺電軌も堺市内の廃止を堺市に申し入れ、堺市では「堺のチンチン電車を愛する会」を組織して市を挙げて対抗しています。

京阪大津線系統点描… ../../gallery/report/050.html

堺のチンチン電車を愛する会 http://www7.ocn.ne.jp/~sakaiudc/aisurukai.htm

***
 ここで気になるのは、この両線が路面電車としてはユニークな存在であり、各地のLRT導入における理由付けや参考になっているということです。

 つまり、京阪の場合はHRTに近い存在ではありますが、4両編成で地下鉄に直通するマルチモードの軽電車としての存在であり、阪堺の場合は対象となっている堺市域はセンターリザベーションによる軌道が確保され、定時性を確保出来ると言うように、「単なる郷愁の対象としての路面電車で無い」LRTの目指す姿を含んだ、ある意味「先進的」「先端的」な路線であると言うことです。

 そう言う意味では先に社会実験を行いながらも芳しからぬ結果となった名鉄岐阜市内線も、揖斐線、美濃町線とあわせて郊外鉄道線との直通というユニークなスタイルであり、今現在存続の危機にある路線がそういう「ただの路面電車とは違う」という特徴を何かしら持っているのが、一般則として「そういうメリットは何の足しにもならない」ということの証明になりかねないだけに、単なる偶然であればいいのですが。

 もちろん各路線とも大手私鉄の一員、もしくは100%子会社であり、小駒がグループ全体の経営判断として切り捨てられると言う側面も無きにしもあらずです。大手私鉄グループにとっては株主への責任として収益の維持確保、向上があるわけですが、一方で単に企業収益に現れるだけでないメリットがあるわけです。それをもっぱら享受する地元が地域全体でのプラスマイナスを考えて支援もしくは経営移管を受けて存続するか、バスなど他モードへの転換とするかを決断するしかないでしょう。

システムだけでは解決できない典型的事例といえる
 投稿者---とも氏(2004/01/09 12:57:08)

 ともです。

 今現在存続の危機にある路線がそういう「ただの路面電車とは違う」という特徴を何かしら持っているのが、一般則として「そういうメリットは何の足しにもならない」ということの証明になりかねないだけに、単なる偶然であればいいのですが。

 偶然でしょうが、まさにといったところです。
 つまり、「路面電車は既存鉄道と直通してLRT化すればよい」「路面電車を入れれば皆が使ってくれる」といういわばLRT論では「常識」とされている策で救えるモノではないと言うことでしょう。
 もちろん、阪堺や京津線は機能的に中途半端な面は否めませんし、名鉄は行政・事業者双方の思惑(残したいが手を入れられない行政と手を入れても乗らないからなんとかしたいが投資として悩ましいと考えちゃう名鉄)で振り回されている面もぬぐえません。
 しかし、単に今の路面電車を便利にして車を閉め出せばいいという次元ではなく、トータルでの交通対策を検討していく中で、役割を与えることを考えないと、どこにしろ立ちゆかない。その典型事例といえましょう。

 システム面や導入政策に目がいきがちな路面電車やLRTですが、その前段階、つまりは「都市」「地域」「まちづくり」「総合交通体系」という観点からの検証こそが重要であるということを示しているモノといえましょう。

 「愛する」「愛着」「電車だから」ではない考え方を支援する側が持たなくては何の解決にもならないでしょうね。

 まとまりませんが。では

総論と各論
 投稿者---かまにし氏(2004/01/10 00:10:54)

 かまにしです。

 確かに総論としては、まさにともさんのおっしゃっていることに尽きるわけですが、この2路線の場合はそれだけで片付く話ではない、というのが個人的な実感です。特に京津線については「JR西日本の攻勢で客が奪われた」というのも大きいとはいえ、その経緯から考えればやはり地下鉄東西線開通時の分離によるところが大きいと思います。個人的には以前からこの分離のあり方について強く疑問を抱いていたことから、今回のような話になってしまっていることがなおさら無念でもあります。

 中でも個人的に「どうにかならないか」と思うのは、京津線が大津市と京都市の中心部をダイレクトに結ぶというJRにはないメリットがありながらも、地下鉄開通時の分離による運賃面での高騰で、それが活かしきれないところです。少なくとも三条京阪〜御陵は直上を京阪として走っていたわけですから、連続立体交差事業として地下にするとか、あるいは南北線・三田線の目黒〜白金高輪のように双方で共用とするといったスキームが取れなかったのか、と素人考えながら思うわけです。
 それから、京津線側の地下鉄乗り入れ先が京都市役所前までというのも、廃止云々以前に改善すべき点だと思われます。御陵〜京阪三条間については地上時代と比べて速くなっているわけですから、(たとえ前述の運賃問題があったとしても)同じ頻度を保ちつつ烏丸御池や二条まで乗り入れれば、事態はだいぶ違ったのではないかと思われます。

 今後についてですが、京津線の京都側については先日、報告があった京都市のLRT構想と絡めて、京津線のあり方も検討すべきではないかと個人的には考えます。場合によっては、京津線を検討のLRT路線のいずれかに乗り入れる、ということも選択肢としてあってもよいのではないでしょうか?併せて大津市側は、石山坂線を「大津のLRT」と捉えて、水平エレベータ的な利用が見込める区間については開発計画と絡めながら有効活用し、JRと並行する部分については部分廃止の上、JR駅への乗り入れを進めるべきだと思います。

 とはいえ、このエリアの路線については、実はほとんど乗車経験がないに等しいので、もし僕が見当はずれなことを言っているようでしたら、ぜひ皆様からのご批判・フォロー等をよろしくお願いいたします。

 では、失礼いたします。

Re:総論と各論
 投稿者---うり氏(2004/01/10 02:58:26)

 うりです。

 特に京津線については「JR西日本の攻勢で客が奪われた」というのも大きいとはいえ、その経緯から考えればやはり地下鉄東西線開通時の分離によるところが大きいと思います。

 この区間については、JRの攻勢というよりは、京阪の自爆であると考えています。

  1. 京津線+地下鉄東西線沿線は、京都の商業集積とは外れた場所を通っている。逆にJRの京都駅ビルへは、湖西線および東海道線方面からは乗り換えなしでたどり着くことができる。京都の人は、街の広がりがほとんどない京都駅へ敢えて買い物に出かけることはあまりないという話はよく聞きます。しかしながら滋賀県民にとって京都駅ビルは(河原町四条の行きにくさと比較すれば)非常に行きやすい場所となっている。滋賀県民の指向が、行きにくい河原町四条より、行きやすい京都駅ビル、さらには梅田と変わってしまっている(所要時間で考えた場合、滋賀から河原町四条へ出るのと、滋賀から梅田へ出るのとでは、ほとんど変わらないくらいの時間となってしまいます)。
  2. 京津線は高い。というか、合算運賃のため高くなってしまった。もしも京阪四条まで行くとなれば、さらに運賃が合算されてしまう。そのため河原町四条へ行く場合、(JR)京都駅からバスで河原町四条へ出るほうが安い。
  3. 浜大津、におの浜といった大津の商業集積地は駐車場が完備されており、クルマで行くところになってしまった。

 中でも個人的に「どうにかならないか」と思うのは、京津線が大津市と京都市の中心部をダイレクトに結ぶというJRにはないメリットがありながらも、地下鉄開通時の分離による運賃面での高騰で、それが活かしきれないところです。

 確かに東西線沿線も浜大津も中心部ですが、商業集積地としての魅力はありません。ゼスト御池(東西線京都市役所前駅直結の地下街)の経営難、浜大津OPAの閉鎖というのがその象徴です。

 京阪三条−御陵分離時の運賃高騰はおっしゃる通りです。ただ私はそれ以外に、以下のような問題が利用者を飛ばしたと考えています。

 それから、京津線側の地下鉄乗り入れ先が京都市役所前までというのも、廃止云々以前に改善すべき点だと思われます。御陵〜京阪三条間については地上時代と比べて速くなっているわけですから、(たとえ前述の運賃問題があったとしても)同じ頻度を保ちつつ烏丸御池や二条まで乗り入れれば、事態はだいぶ違ったのではないかと思われます。

 京津線の地下鉄乗り入れ電車は、ラッシュ時以外は現状空気輸送みたいなものですから。京津線をすべて二条まで乗り入れさせ、かつ京阪山科と地下鉄山科の運賃の扱いを同一にすれば、地下鉄の醍醐行きの電車を間引くことが出来、京都市交と京阪双方のためになったと思われます。

 今後についてですが、京津線の京都側については先日、報告があった京都市のLRT構想と絡めて、京津線のあり方も検討すべきではないかと個人的には考えます。場合によっては、京津線を検討のLRT路線のいずれかに乗り入れる、ということも選択肢としてあってもよいのではないでしょうか?

 非常に面白い案で、京津線の復活は間違いなしでしょう。
 どうやって京津線電車を三条京阪付近で地上に出すかが最大の問題となりそうです。確かに三条京阪−河原町三条(もしくは河原町御池)−河原町四条−河原町七条−京都駅と結べば、膨大な需要が見込めます。さらに河原町七条ではなく烏丸四条を通すことが出来れば完璧でしょう。クルマに対する影響は一切考えていませんが・・・。

 併せて大津市側は、石山坂線を「大津のLRT」と捉えて、水平エレベータ的な利用が見込める区間については開発計画と絡めながら有効活用し、JRと並行する部分については部分廃止の上、JR駅への乗り入れを進めるべきだと思います。

 並行する道路の混雑が激しい区間を走っているというメリットがあるのですが、線路の引き方が現在の人の流れと必ずしも一致していないというのが悩ましいところです。
 クルマ移動を前提とした施設が増えているのも、石山坂本線にとっては辛いところでしょう。市民病院も、微妙に石山坂本線を利用しにくい位置にあります。

いろいろと難しそうな「湖南のおはなし ../../gallery/report/050-2.html

鉄道は持続可能か? −「赤字ローカル線問題」の延長で済むのだろうか
 投稿者---World's Uniquest Railway Enthusiast氏(2004/02/25 01:08:34)
─コギト・エルゴ・スム
 └鉄道も交通の一モードと考えれば...
  └極めて単純に考えてみると
「近未来交通地図」の根源的問題提起かと
 └Re:「近未来交通地図」の根源的問題提起かと
─鉄道とて利用客のない鉄道は消滅して可笑しくない・・・
─Re:鉄道は持続可能か? −「赤字ローカル線問題」の延長で済むのだろうか−
─持続する鉄道は持続する。持続しない鉄道は持続しない。

 くりはら田園鉄道、樽見鉄道、名古屋鉄道600V線、阪堺電気軌道・・・。

 全国各地で鉄道の廃止が表明されている昨今ですが、どうも気になる事が一つあります。廃止に批判的であっても肯定的であってもその根底に、「こういった廃止は例外的なもので、『普通』の鉄道路線は廃止される筈がない。」というような考えが根底にあるように思えるという点であります。
 私自身は、時刻表に太字で描かれているような幹線(すなわち、地方交通線以外の路線)であっても、独立採算下で現状の姿を保ちつつ存続する事は今後非常に難しくなるのではないかと考えております。

 確かに、日本は国土が狭く、欧米に比べると旅客鉄道輸送は極めて有利にありますが、他方で、自家用自動車の輸送量の増加は留まるところを知りません(具体的な資料は、例えば、「第53回 日本統計年鑑 平成16年」の12章 輸送機関別輸送量 など)。

Excelファイル http://www.stat.go.jp/data/nenkan/zuhyou/y1204000.xls

 このまま進めば、今後も鉄道が安泰なのは首都圏の物理的に道路建設が不可能な場所や、比較的改良が進んでいる区間の都市間旅客輸送に限られ、地方のローカル輸送などは相当厳しくなるのではないかと想像されます。

 憶測でものを語るというのはあまり良くないことですが、私が懸念しているのは、例えば、

という可能性が20〜30年のスパンで見たらありうるのではないかというレベルのものです。

 これは一見自動車至上主義者の妄想のように見えますが、今では鉄道での移動など 考えられなかったアメリカに多数の旅客鉄道が走っていて、これが1955年から1970年にいたるわずか15年でほとんど消滅した事実(1950年代のロサンゼルス駅の発着時刻表を参考に挙げておきます。逆に言えば、半世紀前のアメリカ人は自動車や飛行機が発達しても、まさかこれが全廃に近い状況になるなどとは想像しなかったかもしれません)などを考えると、あながち考えられない話ではないかと思うのですが、いかがでしょ うか。

http://homepage3.nifty.com/tract/peline.htm#no7

 さらに言えば、海上コンテナを輸送できる車両限界を持つゆえにアメリカと欧州の鉄道は貨物輸送で活路を見出し、アメリカの鉄道などは貨物輸送量で言えば黄金時代を謳歌しているわけですが、それの不可能な日本の鉄道は、ネットワークの維持という点でも不利な点を抱えているといえるかもしれません。
 経営面においても鉄道産業が安定的なのかどうかは謎なところで、創業期から倒産と合従連衡を繰り返してきたアメリカはいわずもなが、日本においても大正昭和の郊外電車の経営難の話は良く知られた話です。日本の場合は高度成長という特異的な経済成長でしばしこの問題は無視できましたが、果たして永続的な経営基盤を確立できたとはいえるでしょうか。

 今後の鉄道経営の見積もりはより慎重に行うべきとは思いますが、果たして鉄道の存続問題が「赤字ローカル線問題」の延長で片付けられるのかどうかには再考の余地があるように思われます。極論ともとれる発言ですが、ご意見、感想いただければ幸いです。

WURE

コギト・エルゴ・スム
 投稿者---和寒氏(2004/02/25 09:32:29)http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 たいへん興味深い提言と思いますが、論じるには幅が広く、奥が深すぎる感じもします。
 自分の直感を信じるならば、

「鉄道は、ある。ゆえに鉄道あり」

なのかなあと。禅問答のようで恐縮ですが、連続している事象は今後も連続する、という程度の意味だと思ってください。
 自称「鉄道ナショナリスト」の私にしても、WURE様の問題提起に対する確答を持っているわけではありません。同じような懐疑は、実は一再ならず持ったことがある、ということだけは記しておきましょう。

 答にならず恐縮ですが。

鉄道も交通の一モードと考えれば...
 投稿者---エル・アルコン氏(2004/02/25 13:34:16)http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 確かに難しいテーマです。

 ただ、「鉄道」だけで考えずに、(クルマ、自転車を含めて)自分で動く私的交通をサポートする公共交通全体で考えた時、どういうレベル(規模)の交通機関を、どの程度のアクセス距離で設定すべきなのか、また、「輸送サービス」という事業として成立させた方が良いのか、税金などの支援・負担で維持すべきなのか、と考えた時、自ずから鉄道が残る分野が見えてくるはずです。

 樽見鉄道の場合は、バスを含めた道路交通に不安があるケースへの対応として鉄道を維持するとしても、通学や観桜といった時期や時間帯、利用者が限定されたケースにおいて、大垣−樽見の全線を維持する必要があるのか。また、バス専用道などでの対応と比較しての費用対効果はどうなのか、という視点で考えて、あるべき公共交通の姿=鉄道となった場合は残るでしょうし、そうでない場合は残らないでしょう。

 亜幹線においても、3月の改正で日豊線の「県境区間」である佐伯−市棚(−延岡)間の普通列車がとうとう1日2往復に削減されます。これも(旅客)鉄道というモードが必要なのは(福岡−)大分−宮崎の都市間流動と朝夕の通勤通学輸送という判断でしょうし、それ以外の時間帯の対応は例えばバスや福祉タクシー的なもののほうが良いというのであれば、この手の「業態変更」は実は好ましいとも言えます。

 地域の、また幹線であっても交通を考える際、複数の交通モード(異種or複数同種)が選択できることに越したことはありません。ただ、それが可能なのは大都市圏やそれを結ぶ幹線流動のなかでも限られる存在でしょう。
 一方で、適材適所とは言い難い交通モード選択があるのも事実ですし、「鉄道で無いと」「コミュニティバスで無いと」というある意味固定観念化された発想でモード選択がなされているケースも散見されます。

 ちょうど中量板で和寒さんが紹介された千葉県野田市のコミバス「まめバス」も、旧関宿町方面の路線は、既存の朝日バスの経路変更にすればもっと効率的ではなかったのか、と思いますし、逆に交通不便地域の解消のためにコミバス導入を検討してきた千葉県船橋市は、コミバスではなく市内4箇所の自動車教習所の送迎バスに高齢者の便乗をお願いする形で取り敢えず高齢者の対応を図るというモードに捕らわれない柔軟な対応になっています(船橋市の施策については、個別具体論として論じる予定です)。

***
 極端な話をすれば、あらゆる交通の局面において、鉄道を選択する理由が無くなった場合、鉄道という交通機関は駕籠や人力車のように観光用や保存用は別として消滅します。
 感情としては受け入れたくない思いがありますが、それを受け入れられるかどうか、それを前提に出来るかどうかという部分に、趣味と実務の境界線があるのかもしれません。

極めて単純に考えてみると
 投稿者---とも氏(2004/02/25 21:57:29)

 端的に言えば、移動需要の伸びが鈍化するであろう向こう30年を見据えて考えてみると、今の鉄道のままではニーズに応えられず、つまりは需給ギャップにより衰退する線区が当然出現すると考えます。

 日豊線にしろ奥羽線にしろ、普通が減ったのは、移動ニーズと列車の運行体系が合わないために利用者が減少したと考えれば納得できます。

 ただし、運行本数や所要時間や線サービスとしての強化をニーズにマッチさせてできれば違うでしょう。

 アメリカの場合、複雑な要因はあれど、自動車や航空に喰われたというよりも、旅客列車サービス(決してイスがどうの車両がという意味のサービスではない)がニーズにマッチしなかったということでしょう。
 アメリカの旧来の旅客鉄道はどう考えてもトリップパターンと一致しませんから。

 日本の場合、地域的にこうなっている地域があります。そして、上手くやっている地域もあります。1時間に1本でも覚えやすいダイヤでストレス無く走り、そしてその移動需要がベースとして存在するのであれば、おそらく無くなることはないでしょう。
しかし、悲しいかなローカル線問題では「生活路線」「環境問題」という点に論点をもっていく論調が強い。

 自動車や航空との競争云々ではなく、真の意味で使える交通機関であるのかどうか。その評価をしないことには廃止の是非を問うことも、また安泰と考えることも、そして危惧することもできないでしょう。

 まとまりませんが。では

「近未来交通地図」の根源的問題提起かと
 投稿者---551planning(2004/02/25 17:57:05)

 当方も感覚的な返答となりますことをまずは御寛恕の程。

 全国各地で鉄道の廃止が表明されている昨今ですが、どうも気になる事が一つあります。廃止に批判的であっても肯定的であってもその根底に、「こういった廃止は例外的なもので、『普通』の鉄道路線は廃止される筈がない。」というような考えが根底にあるように思えるという点であります。
 私自身は、時刻表に太字で描かれているような幹線(すなわち、地方交通線以外の路線)であっても、独立採算下で現状の姿を保ちつつ存続する事は今後非常に難しくなるのではないかと考えております。

 御指摘の考えにつき、現地の考えか、あるいは全般的な交通(鉄道)趣味界的な捉え方を示されているのか、それとも弊【検証:】サイトでの雰囲気なのかを御教示賜りたく。前2者、特に2番目であるとすればこれは致し方なしと考えますが(その私感は後程ちょこっと)、2番目の延長線上にある【検証:】の雰囲気がそうであるとすれば、これは管理者として意図する方向性ではないことから、より深い議論喚起による修正を図る必要があると考えます。その背景として、新企画『近未来鉄軌道転換可能性地図』の開始によるところがある、ということになろうかと考えますが、これについて編集者としての立場から補足的な説明と私見を。
 同企画は昨今の存廃論状況を時系列で整理することにより、今後の展開に反映される動向分析に資する意図で行っておりますが、対象について「切り捨てられるべき例外的な赤字ローカル線区の話だ」という前提に立つものではありません。個人的にはその表れとして、千葉都市モノレールや北九州モノレールなどの状況もあえて盛り込んでいることを挙げますが、一方で御指摘のような(亜)幹線の状況に対する言及、あるいは中長期的な「交通モードにおける鉄道のあり方」たる考察を明確に行っていない点を含め、総じて見れば結果的にはその「例外的な」括りを前提とした作業と捉えられても致し方ないという現実もあります。
 この点逃げを打つようで恐縮ですが、昨今の事態に至った総論的背景分析が肝要と企画開始当初から感じており、現在纏めを行っているところではありますが、時間的都合により披瀝できるまでには至っておりません。これは宿題とさせて頂きたいと思いますが、御批評を頂戴すべくラフに描いてみると、
   ・利用人員の低減、“平成大不況”なる時勢の変動
   ・京福事故に端を発す、構造物安全性緊急評価というハードル
   ・(転換3セクでの)車両更新の必要性
   ・経営体質、地元意識の「孤立化」とその「反動」
大枠ながら、こういったところにその背景を見出すことができるのではないかと考えています。

 さて、ここからは御指摘に沿っての私見をば。
 まずは幹線鉄道の中長期的方向性ですが、整備新幹線の動向とフリーゲージトレイン(FGT)、スーパーレールカーゴ(SRC)の位置付けをどのように政策的に考えるかではないかと。・新幹線と在来線の軌間差、・旅客と貨物の高速性能差、という2つによるここ数十年の日本の鉄道輸送の「変質」は、WURE様もネットワーク維持不可能性として御指摘ですが、双方に技術的光明が射しつつあることを、総合交通体系のグランドデザインで政治的に「押し込める」ことができるかが、今後の業界(=JR)全体の課題となるのではと思うのですが、肝心のグランドデザインが…というのが現実であったりするところが真の問題点ではあるのですが。ただしSRCについては環境面・モーダルシフトとしての政策的価値を持っていること、一方FGTについては整備新幹線から見放されている山陰・四国と東北日本海側(日本海縦貫線の貨物的活用と絡めて)がどれだけ「声の大きさ」を持っているかに掛かっているのでしょうが…。
 地域ローカル輸送の将来性は、かなり暗いものと考えざるを得ません。特に整備新幹線建設が行われて「しまった」東北・北陸・九州の幹線移管3セクの末路が非常に気に掛かります。というより、御指摘のように道路整備が困難な大都市圏以外での「面的輸送」は絶望的といっても過言ではないでしょう。しかしながら、現時点でのサービス提供維持は事業者の責務でもあります。よって以前にWURE様とも議論となった身延線での「長距離客を取るか地域客を取るか」は、極論にせよそのどちらもベストを目指す必要があるのではないかと。事業者側の負荷は相当のものではありますが、そこでの脱落云々を論ずるよりは、長期的に拠点間輸送へのシフト過程で、地域輸送に対する内部補助の問題や地域(行政)の関係性、引いては独立採算制形態そのものの変化を指向したいと考えます。
 (都市における)自動車交通との関わりについては、環境面に安易に答えを頼ってはいけないとは考えますが、様々な志向性の中で鉄道のあり方は受け継がれてゆくであろうと考えています。その点個人的には昨今の「LRTブーム」からムーブメントへの転化を横目にしつつ、その多くの運動体が納得できうる志向性を示していない点を不満に思いつつ、さりとて自分自身にもなかなか見えていないことを歯痒くも思っています。

長距離客をとるか日常最利用客をとるか、「のぞましい」ダイヤ編成とは ../../topics/traffic/log127.html

 …だらだらと書き散らしてしまいました。この御返答を持ってとりあえず締めたいと思います。

 果たして鉄道の存続問題が「赤字ローカル線問題」の延長で片付けられるのかどうかには再考の余地があるように思われます。

 まさにその通りです。丁度エル・アルコン様も指摘されておいでですが、別途樽見鉄道のスレで「実例研究」がなされつつあるところです。まず地域や存続運動体の意識がどこにあるのか、そしてそれを取り巻く交通(鉄道)趣味界(…特にこれまでオピニオンリーダーであった趣味系専門誌、そういえば北勢線を手放しで応援されている御仁も居られるようですが…)の意識はどうかが客観的に検証されるべきと考えますし、それは末端線区であろうと幹線、果ては都市線区であろうと「今そこにある危機」なのだということを利用者としてどう考えてゆくかが必要だと思います。
 感覚的ながらかなり硬い文章となりました。自身の性格もあってこの【検証:】という空間はとかく取っ付き難いような“雰囲気”が醸成されているのではないかといささか懸念するところではありますが、既に皆様が御指摘のように「近未来交通地図」の根源的問題提起とも考えられることから、より多くの皆さまからの率直な御意見を賜れればと存じます。

Re:「近未来交通地図」の根源的問題提起かと
 投稿者---World's Uniquest Railway Enthusiast氏(2004/02/29 02:18:47)

 皆様、こんばんは。
 私の素朴な問いかけに関して、いろいろとレスありがとうございます。

 今回の問いかけは、エル・アルコン様の『〔樽見鉄道〕少数株主である地元に「使命を終えた」鉄道を残す覚悟はあるのか』の改題でもあります。

〔樽見鉄道〕「セメント輸送の打ち切りはプラス」…支援団体の評価に見る「マイレールとは」 log001.html#6

 「鉄道が持続可能か」、別の言い方をするなら、「今の鉄道は存続できるのか。」という議論は、今に始まったわけではなく1960年代以降、主張の差こそあれ、ネットワーク存続に危機感を覚えた交通権の議論者や、国鉄改革を担った人が少なからず行ったものであると認識しています。そういった伝統ある議論を改めて問うのは、一つには国鉄民営化の成功により、「民営化や規制緩和が問題を解決する。」との幻想を与えてしまっている(ただし、その弊害の最たるものは道路公団の民営化でしょうが)こと、もう一つは、鉄道の絶対的な優位性(鉄道はモードの一つではなくという・・・)が今だ持って自動車交通量が増えているのに信じられていると思われる節があるからです。

○管理人様

 御指摘の考えにつき、現地の考えか、あるいは全般的な交通(鉄道)趣味界的な捉え方を示されているのか、それとも弊【検証:】サイトでの雰囲気なのかを御教示賜りたく。

 あまりはっきりとは記しませんでしたが、「全て」と認識しております。
 私自身はフィールドワークの経験はあまりありませんが、報道や各種HPなどを見ると、各地域における考え方は、ごく一部の当事者を除くと甘い、という印象を受けます。「欧米で公共交通が復権している。」という話は出来ても、「そのために、消費税なり、社会保険の負担金の数%のアップが必要。」などと言う話は全く出来なさそうな感じがありますし。
 交通趣味界の話は形を変えながらなんども議論されているので省略し、残るのはこのサイトの雰囲気なのですが、ローカル線廃止問題で盛り上がると、どうしてもその他の線の影が薄くなる印象はあります。ただ、これは、管理人様の責任というよりは、現状の事実がそうなので致し方のないことで、サイトに投稿している人が個々に留意していけば良いものだとは考えていますが。

○レス頂いた皆様

 言い出した私自身が言うのも難ですが、昨今の厳しい交通経営下で鉄道の絶対優位性を理論だてて言うのはやはり、難しいようですね。ただ、こんな事を論じる理由は、殊更に不可抗力である鉄道の危機を煽るためではなく、新たな論点を提示するためであります。
 ここではじめに記したように、国鉄民営化の成功は、企業努力により公共交通の改善がいくらでも成し遂げられるという幻想を与えてしまった側面があるように感じられます(逆に言えば、国鉄民営化以前によく出てきた『赤字を補助金として毎年助成していれば国鉄民営化という茶番も必要ではない』というような今から見れば滑稽にも思える議論は、国鉄の内情を定量評価するのが難しく、かつ民営化がこれほどまでに成功している姿がないという条件ならばある面で正当だったのかもしれません)。巷の鉄道評論はいわずもなが、このサイトのような比較的多角的な視野で意見を論じているところでも、(特に本州JR3社に対して)企業努力で片付けてしまっているところが多いのではないでしょうか。
 ちょっとくどくなりますが、私の言う企業努力とは、

 地域ローカル輸送の将来性は、かなり暗いものと考えざるを得ません。
  (中略)
 しかしながら、現時点でのサービス提供維持は事業者の責務でもあります。よって以前にWURE様とも議論となった身延線での「長距離客を取るか地域客を取るか」は、極論にせよそのどちらもベストを目指す必要があるのではないかと。

長距離客をとるか日常最利用客をとるか、「のぞましい」ダイヤ編成とは ../../topics/traffic/log127.html

 この以前の話でいう『ベストを目指すこと』を指します。当然このあたりの議論には異論も多いかと思いますが、地域輸送問題を考えた場合、都市間輸送とローカル輸送、沿線の利益と会社全体の収益の影響など、一方を立てようとすればもう一方に影響が出るといったトレードオフの関係が存在するものと私は認識しています。すなわち、全てを満足させるベストな解は存在せず、また、鉄道事業者側で任意の選択肢を良かれと思って選択できる時代は終わったのではないかという思いがあるわけです。

 と考えた時に、我々の持ち駒はまだまだ少ないような気がします。列車の加減速をあげて転換クロス車を入れれば万事解決というどこぞの意見は論外(しかし、ある意味通念になってしまっているのは悲しいですが)としても、事業者側への形式的な批判になってしまっている事が如何に多い事か。事業者が撤退を表明したときに行政が動く現在の形でいいのか。地域交通の運営に関してはあらかじめ利用者の経営への参画を受け入れるよう事業者に求めるのが良いのか、比較的議論の薄い財源確保の問題はどうすれば良いのか、経営者側と利用者側のトレードオフの関係というのに着目していく必要があるように思います(全く題材は異なりましたが、以前の中央線工事に関する一連の議論は、技術的な話でしたが、単純に「事業者の努力」で片付けられない現在の公共交通運営の姿を上手く描写していたと思います)。

中央線高架化工事に伴う列車運休への不安 ../../topics/traffic/log118.html#2

 感覚的ながらかなり硬い文章となりました。自身の性格もあってこの【検証:】という空間はとかく取っ付き難いような“雰囲気”が醸成されているのではないかといささか懸念するところではありますが、既に皆様が御指摘のように「近未来交通地図」の根源的問題提起とも考えられることから、より多くの皆さまからの率直な御意見を賜れればと存じます。

 私自身は、半年位前にこの問題ではじめて書き込みをしたわけですが、掲示板へのアクセス性(たまに自宅以外のパソコンでHPタイトルから掲示板に入る事があるのですが、大都市のターミナル駅の雑踏を踏み分けて目的の列車を探す際のような不安感を感じることがあります)には改良の余地があるように思います。また、自分のような人間が頑張って、『高加減速の転換クロス車の導入が鉄道会社の正義だ』と言う発想から、より多様性のある交通評論への道への解説を作るべきなんだろうとは認識しているのですが、前回述べたようになかなか難しい事ですね。

 色々と議論する話は残っていますが、議論尽くせなかったものに関しては、別スレッドで触れたいと思います。

WURE

鉄道とて利用客のない鉄道は消滅して可笑しくない・・・
 投稿者---TAKA氏(2004/02/26 01:01:43)

 皆様大変お久しぶりでございます。TAKAです(かれこれ1ヶ月ぶりになります)。
 なかなか仕事が忙しくて、書き込めずにおりました。久しぶりではございますがお手柔らかにお願いします・・・。

 WURE様には非常に奥の深い問題提起を頂いたと考えます。只非常に難しい話であると思います。この様な話は今まで似た話で何回かこの掲示板で出てきていますが、大体は結論が出ていません。それだけ難しく、その人の立場で議論百出の内容で有ると思います(私も今まで議論が纏まらなかった張本人ですが・・・)。
 只それでも興味のある話ですので、WURE様の書き込みの内容に部分的に私の意見を添える形で書き込みをしたいと思います。纏まらない拙文ですがお付き合いの程宜しくお願い致します。

 廃止に批判的であっても肯定的であってもその根底に、「こういった廃止は例外的なもので、『普通』の鉄道路線は廃止される筈がない。」というような考えが根底にあるように思えるという点であります。

☆何故「今までの鉄道路線の廃止が例外的な物で、普通の鉄道が廃止されるはずがない」などと言えるのでしょうか?
 今の日本が資本主義で、日本の鉄道の多くの部分が民営企業で原則的な独立採算下(これには色々議論が有るでしょうが・・・)で運営されているという現実から考えれば、不採算の鉄道が廃止されても何も可笑しくありません。
 今や届出で鉄道の廃止が可能になっている現状を考えれば、特に地方の不採算の鉄道に関しては雪崩的に続々と廃止されていくと言う状況が訪れる可能性は、十二分にあると考えます。「普通の鉄道が廃止されるはずがない」などと悠長に構えていると後でしっぺ返しを受けるでしょう。

 私自身は、時刻表に太字で描かれているような幹線(すなわち、地方交通線以外の路線)であっても、独立採算下で現状の姿を保ちつつ存続する事は今後非常に難しくなるのではないかと考えております。
 このまま進めば、今後も鉄道が安泰なのは首都圏の物理的に道路建設が不可能な場所や、比較的改良が進んでいる区間の都市間旅客輸送に限られ、地方のローカル輸送などは相当厳しくなるのではないかと想像されます。

☆私もこの意見に同意します。「独立採算」という概念に色々な見解の入る余地があるでしょうが、私は「大・中都市圏の都市圏輸送」・「新幹線等の中長距離都市間超高速輸送」・「在来線・新在直通等で3時間以内の中距離輸送」等の絶対的需要が多いか競争力の高い地域間輸送でないと「独立採算」は困難と思います。
 只大都市でも公営地下鉄の様に営業上は何とか黒字だが経常赤字とか、建設費の償還が出来ないと言う様な路線も数多く存在します。公営企業は基本的に事業の効率性が悪いのが一般的ですが、その様な無駄は省いていく事が絶対必要ですが、その上で最低限「営業上は黒字」でインフラに関しては、建設費償還・減価償却が困難なので公有民営方式で、インフラの使用料に関しては公の補助を受けるが何とか運営費だけは賄えるという「部分的独立採算」が今後の鉄道運営の最低限の目標となるでしょう。

 経営面においても鉄道産業が安定的なのかどうかは謎なところで、創業期から倒産と合従連衡を繰り返してきたアメリカはいわずもなが、日本においても大正昭和の郊外電車の経営難の話は良く知られた話です。日本の場合は高度成長という特異的な経済成長でしばしこの問題は無視できましたが、果たして永続的な経営基盤を確立できたとはいえるでしょうか。

☆経営面で見て「鉄道産業が安定的である」「永続的な経営基盤を確立出来た」という事に関しては、両方ともあり得ません。逆にこれからの鉄道経営は茨の道である事は間違い有りません。関東・関西大手民鉄の場合乗客が減少局面に入った時期に大規模な輸送力増強工事が完成し、収入が減少した中で多額の減価償却を行わなければならないと言う会社も多数有ります。
 又本州JR3社は安定的な収益源の「東海道・山陽新幹線」はインフラ設備の更新時期を迎え今後多額の投資を迫られますし関東・関西圏でも設備更新投資を迫られる時期が迫っています。その様に多額の投資が迫られるのに乗客は増えないと言う状況であり、今後の鉄道経営では「設備更新投資や多額の減価償却を背負い込みつつ乗客減少の収入縮小下での経営」というきわめて厳しい経営を求められる事になると思います。

※少なくともハッキリ言えるのは、「鉄道が生き残れるには需要を取り込める様なしっかりした運営を行う」という事です。
 鉄道が万能な訳ではありません。少なくとも鉄道が営業上の最低限の独立採算を確保して、インフラ面で公的補助を受けるにしても、其処まで行くにはそれなりの需要がなければなりません。そこまで需要が有れば少なくとも税金を投入して補助をしても、他の交通手段より鉄道を行かす事が社会的にもプラスという状況であると推測出来ます。
 その様な状況になるまで需要を喚起出来、しかも最低限の独立採算性を達成出来る運営を行う事が鉄道の生き残る必要条件と言う事になると考えます。又それを達成するには「安全性を担保した上での可能な限りの合理化」「利便性を保てる最低限の運行頻度」「安全かつ快適な運行によるサービス向上」等が必要であると考えます。
 そうなれば、地域が税金を投入しても鉄道を行き残す事にメリットと大義名分が出来ますし、そうなる事で必然的に鉄道が生き残っていく事が出来ると考えます。税金を鉄道に投入してもそれで社会的にメリットが得られるので有ればこれから公的セクターの財政状況が厳しくなっていく状況下でも社会的な合意を取り付ける事が可能でしょう。
 そこまで鉄道が行き着く事が出来れば鉄道は生き残れると言うより生き残らせなければなりません。又その様な状況でなければ鉄道に生き残る社会的必然性はありません。鉄道が社会的に生き残る必要性が無いので有れば、消滅していく事は致し方ないと考えます。

Re:鉄道は持続可能か? −「赤字ローカル線問題」の延長で済むのだろうか−
 投稿者---かまにし氏(2004/02/26 02:23:37)

 かまにしです。

 WURE様の問題提起は非常に身につまされます。地方都市のローカル輸送の今後に関しては、全体的に捉えればおっしゃる通り現状と同程度のサービス水準を保つことは厳しいだろうと私も考えるところです。

 とりわけ、私が地方都市のローカル輸送問題で強い問題意識を抱いているのは、並行在来線関連です。この問題については以前、この板でも議論にもなった話題ですが、一般的に多くの地方都市のローカル輸送は特急などによる長距離輸送の内部補助のおかげで、その線区だけを単独で運営する時よりも割安の運賃水準となっております。実際にその線区だけの独立採算による運営となった時に運賃水準が一気に跳ね上がるという現象が、「しなの鉄道」「IGR銀河鉄道」「青い森鉄道」「肥薩おれんじ鉄道」によってようやく世の中に認識されるようになったわけです。
 しかし、これらの並行在来線の運営環境をより厳しくしているのは、内部補助がなくなって単独線区の独立採算になったということ以上に、長野口や鹿児島口の輸送密度が高い区間だけはJRが手放さず、いわば『おいしいとこ取り』になっていることです。言い換えれば『選択と集中』ということに過ぎないのかもしれませんが、捨てられた方は一般的に考えればいっそう淘汰が進むわけで、個人的には並行在来線の切り離しまでは仕方がないとしても、並行在来線内で比較的輸送密度が高い区間から低い区間への内部補助は、それこそ地方都市ローカルを持続させていくためには不可欠だと考えます。

並行在来線の根本矛盾 ../../topics/traffic/log079.html#2
並行在来線問題本格立論−−真の問題は奈辺にありや ../../topics/traffic/log080.html#2

 もう一つの論点は、『選択と集中』の一環として将来的に地方ローカル線において各駅停車がなくなり特急だけとなるのではないか、という懸念に関してです。私は、これは決して地方都市だけの問題ではなく、根本的な原因は差異はあるにせよ結果的には大都市でも起こりうるのではないかと考えます。例えば少子高齢化が進み全体のパイが増えない中、大都市圏においても会社間の競争はさらに激化する傾向にあり、今後は輸送力増強をはじめとした投資を控え、スピードアップなどのための『選択と集中』がさらに進んでいくものと考えます。

優等停車駅論から考える「都市の装置としての鉄道」と「鉄道会社の立場」の両立 ../../topics/traffic/log102.html#3

 もちろん、以上に挙げたような傾向が必ずしも悪いというわけではありません。鉄道というモードでの救済が不可能であれば、バスをはじめとした別のモードで救済するということも考えうると思います。しかし、残念ながら日本では全体的に見れば、まだまだ鉄道とバス・自動車といった他の交通モード間の連携が考慮されているケースは少ないのが実状だと考えます。並行在来線問題を見ても分かる通り、拠点間からローカルに至るまで一つ一つの交通モードに関して、場当たり的な対応が取られてきたのが現状ではないでしょうか。この点を是正することが、「鉄道が生き残っていく道だ」と言い切るつもりはありませんが、公共交通からバス・クルマに至るまで交通のあり方をトータルで考え、それらをトータルで最適化できる施策を打つことで、少なくとも鉄道の持続性を高めることは可能だと考えます。

 ではでは。

持続する鉄道は持続する。持続しない鉄道は持続しない。
 投稿者---さいたま市民@西浦和氏(2004/03/08 01:18:07)

 皆様。ご無沙汰いたしております。久しぶりにお世話になります。

 Greatさん改めWURE様。すばらしいHPをお作りですね。大変勉強になりました。私もいつの日かHPを作るときにはあのクオリティーを目指したいと思います。
 今夜はよろしければ私の意見を、お返事になっているか分かりませんし、話を蒸し返すようですが、ご笑覧下さい。適宜省略して引用をしますが、お許し下さい。さて、

 全国各地で鉄道の廃止が表明されている昨今ですが、どうも気になる事が一つあります。廃止に批判的であっても肯定的であってもその根底に、「こういった廃止は例外的なもので、『普通』の鉄道路線は廃止される筈がない。」というような考えが根底にあるように思えるという点であります。

 そうですね。でも、これも「東横線の横浜−桜木町廃止」の騒動で、「なあんだ。町中のあんなに乗ってる電車でも廃止になるんだ」と思う人が出てくるかもしれませんね。まあ、ホントはあれは廃止ではなく「移設もしくは路線変更」ですよね。
前に、「地下鉄のリストラ」の話がありましたが、この掲示板の人たちは結構頭が柔らかい人たちだと思っておつき合いをさせていただいているのです。

 私自身は、時刻表に太字で描かれているような幹線(すなわち、地方交通線以外の路線)であっても、独立採算下で現状の姿を保ちつつ存続する事は今後非常に難しくなるのではないかと考えております。

 大判時刻表に書かれている「JR線会社別路線図」を久しぶりに見ますと、「あれ?あったはずの路線がない!」「ああそうか。3セクになったんだ。」という驚きが時々ありますね。窪川〜中村とか、盛岡〜八戸とか、八代〜出水とか。

 確かに、日本は国土が狭く、欧米に比べると旅客鉄道輸送は極めて有利にありますが、他方で、自家用自動車の輸送量の増加は留まるところを知りません。

 私も西浦和に住んでいるのに、「都心へ車で行きます」と宣言したことがありました。実際そうすることは多いのです。ただ、このライフスタイルが永劫に続くとは思ってないですけれども。

 このまま進めば、今後も鉄道が安泰なのは首都圏の物理的に道路建設が不可能な場所や、比較的改良が進んでいる区間の都市間旅客輸送に限られ、地方のローカル輸送などは相当厳しくなるのではないかと想像されます。

 まあ、今の政策・今の政策に影響力を与え続ける勢力が代わらなければ、そうなるのでしょう。

 憶測でものを語るというのはあまり良くない…

…という可能性が20〜30年のスパンで見たらありうるのではないかというレベルのものです。

 これは一見自動車至上主義者の妄想のように見えますが、…(…半世紀前のアメリカ人は自動車や飛行機が発達しても、まさかこれが全廃に近い状況になるなどとは想像しなかったかもしれません)などを考えると、あながち考えられない話ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。さらに言えば、海上コンテナを輸送できる車両限界を持つゆえに…貨物輸送で活路を見出し、アメリカの鉄道などは貨物輸送量で言えば黄金時代を謳歌しているわけですが、それの不可能な日本の鉄道は、ネットワークの維持という点でも不利な点を抱えているといえるかもしれません。

 小さな島の海岸沿いに都市が連続する我が国の地理的条件からみると、確かに巨大都市を点として結ぶのであれば、鉄道より船が意味のあるものと言えそうですが、必ずしもそれがベストであるとは言えなさそうです。

 経営面においても鉄道産業が安定的なのかどうかは謎…アメリカはいわずもなが、日本においても…経営難の話は良く知られた話です。日本の場合は高度成長という特異的な経済成長でしばしこの問題は無視できましたが、果たして永続的な経営基盤を確立できたとはいえるでしょうか。

 このことについては私も答えを捜したいところです。この掲示板での皆さんのお知恵から勉強したいと思います。

 今後の鉄道経営の見積もりはより慎重に行うべき…存続問題が「赤字ローカル線問題」の延長で片付けられるのかどうかには再考の余地があるように思われます。極論ともとれる発言ですが、ご意見、感想いただければ幸いです。

 まったくもってその通りで、「鉄道は商売として成り立つのか?」という永遠の命題を考え続けるこの掲示板がこの数年、マクロ・ミクロの題材で議論がビビッドに続いていることも、常に「再考」が続いている事を表しているのでしょう。

***
 この掲示板群で「浜松」の話題が長らく続いたことがありました。浜松市周辺の合併の推進に軽鉄道路線網を活用しようという主張から、現実的に何ができるか?という議論になったものでした。
 実際に軽鉄道を建設するのに現実的にはどのような手順があり、こなすべき課題は何なのかを明確にして下さっていると私には見えます。

 今回奇しくも樽見線、岐阜市内線、浜松新交通と東海地域の話題が続きましたが、それぞれ、現在の軌道交通の課題を象徴しているように思えます。
 新聞等の報道や、この掲示板での議論を見ていると、どの地域でもよく分からないのは、軌道交通運営へのコンセプト、都市計画やいわゆる「街づくり」のコンセプト、軌道交通の応援や建設の推進団体と利用者の乖離などです。この不明な点を明らかにし、乖離を埋めていくのはネットの力ではないかと思っているのです。

 私は、今後、日本がアメリカのようにならないで欲しいと思っていますから、そのために、掲示板での議論が役立つと思っているのです。更に言えば、私は、日本とアメリカでは人の住み方や、都市の作りなど地理的な環境が全く違うと捉えていますから、政策の面で何でもアメリカの通りにしようとする動きには批判をするべきであると思っています。

 人がたくさん集まって住んでいるところで、皆が自動車で移動すれば道路はパンクするでしょうし、人がいないところを目的地にして膨大なお金をかけて鉄道を造るのは無駄ですね。まあ、おおもとの考え方はこんな所にあるのだと思っているのですが…。こんな考え方を元にして資料を揃え皆さんの話題に加わるというささやかな娯楽を楽しんでいるのが、この掲示板での私ですね。

 乱筆ご容赦。今後ともよろしくお願いいたします。資料がまとまりましたら更に続けたいと思います。

Since 2004.01.17 Last Update2004.12.07

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