【検証:】常設板過去ログ集

【検証:近未来交通地図】
(過去ログNo.079)
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体験的「方法序説」

 投稿者---和寒氏(2002/09/03 20:57:10)
 
http://www.geocities.jp/history_of_rail/

■はじめに
 その道の第一人者といえども、はじまりは等しく初心者である。ところが、第一人者とそうでない方との間には、厳然とした差が存在する。
 この差はなぜに発生するのか。もともとの素質の差に原因を求めるのは、あまりに短絡にすぎよう。知識経験の差は確かにあるとしても、それは交通論において必ずしも絶対ではない。いったいどこが違うのか。
 ところで、交通論を論じていると、議論の先鋭的対立がまま発生する。これは思想信条の違いに基づくことも多いが、そうでない場合もまた多い。
 誤解をおそれずに敢えて記す。「そうでない場合」とは、議論の体裁をとっていても、実は議論になっていない。自己の意見を一方的に発信しているだけなのである。一方的であるがゆえに、常に平行線をたどらざるをえない。収束すべき解が議論の先に存在しないのである。
 相手を言い負かすことが目的であればそれでもよい。闘争の手段が議論になることは、世において決して珍しくはない。とはいえ、知見を深めていこうという議論の場において、一方的な意見表明はただただ空虚である。
 交通論において、とりわけ鉄軌道論において、一方的意見表明が頻発するのはなぜか。筆者には思いあたるところがあるので、記していきたい。
 なお、筆者は幼時において鉄道趣味者であり、マニアと目されることもあった。長じていくつかの段階を経て、端くれながら鉄道に関わる職を奉じている。筆者が経てきた体験を記すことを通じて、一方的意見表明の根底に対する所見を示すとともに、有意義な発展性のある議論に必要な要素とはなにかを呈示していきたい。

 本論は、自伝的体験記の体裁をとるので、「筆者」ではなく「私」を主語とするつもりである。
 また、質問や意見は、申し訳ないけれど、原則として受け付けない。時間という資源は有限であり、それは本論の進行促進のために使いたいからである。
 そして、本論は私の反省に基づくものでもある。私は様々な場面において、ごく厳しい筆致をもって自説や批判を展開してきた。それには勿論、相応の裏付けがあるとの自負はある。厳しい対応をするからには、理由と覚悟はあるのだ。さりながら、ハンドルネームを用いて相互に顔が見えない状況で、無機的な字面だけを追う限りでは、攻められる側が辛いことは確かである。私にとっても、今後もこのような展開が続くことは決して本意ではない。
 本論を確たるかたちでまとめられるかどうか、正直なところ自信はないが、まずは筆を進めていこうと考えている。

■鉄道趣味のはじまり
 私が鉄道を趣味とするようになったきっかけは、単純である。生家が線路際にあった、というだけのことにすぎない。
 当時はまだ、蒸気機関車牽引の列車が残っていた。しかしそれは、朝夕の輸送力列車に限定されており、運行本数は日に1往復のみであった。
 蒸気機関車とは目立つのりものである。また、機関士の顔が外部に露出しているという特性をも備えている。私は毎日、夕方の下り列車の機関車に向かい、手を振っていたそうだ。そして、機関士もそれに応えて手を振り返してくれたそうだ。「そうだ」としたのは、私自身の記憶には残っていないからである。私は4歳には転居しており、それまでのことはどうしても思い出せない。

 小学生の時分は普通のこどもなみの鉄道好きであった。親族が硬券や記念乗車券の収集を後押ししてくれたので、やや抜け出した鉄道好きであったろうか。収集欲は趣味の基本であるから、程度の差はあったとしても、その点で格別変わったところはなかったはずである。
 もっとも、当時はスーパーカー・ブームの最盛期であり、世のこどもがおしなべて熱中するなかで、私が鉄道趣味から離れなかったというのは、変わっていたといえば変わっていたかもしれない。

■鉄道ジャーナルとの邂逅
 当時の小学生共通の読み物といえば、小学館の「小学n年生」か学習研究社の「n年生の科学」「n年生の学習」であった。
 ここで「小学n年生」は、4から5に進級する際、質的に大きな変化が加えられていた。4年生以下には多少なりとも学習内容が反映されていたのが、5年生以上はコミック誌と化していたのである。私はコミックを必ずしも好きではなく、この変化は受容できるものではなかった。
 ある時叔父が、一冊の本を示して、私にこう言った。
「君もこどもの絵本ばかり読んでいないで、こういうのも読んでみたら如何」
 それが鉄道ジャーナルであった。その号の特集は「ドライな現代っ子快速列車」であり、これは今でも手許にある。
 私は「小学5年生」の購読をやめ、鉄道ジャーナルを読みはじめた。
 私は鉄道ジャーナルに魅了された。写真が多かったということもあるが、高度な記述も多く、それを理解することは出来ないまでも、「高度なものを読んでいる」という満足感は伴っていた。

 実際のところ、当時の鉄道ジャーナルの内容は高度だった。今日の視点から顧みても、その内容はたいへん優れている。
 執筆陣にはその世界での第一人者が揃っており、健筆をふるっていた。また、その当時は国鉄の蒸気機関車が全廃された時期と重なっており、鉄道趣味界全体が新たな方向性を模索し、熱気に満ちていたという状況もあった。
 鉄道趣味者としての私は、鉄道ジャーナルから強い影響を受けた。いいかえれば、私は鉄道ジャーナル的な思考法を学習しながら育った、ともいえる。

 以上を鑑みれば、当時の鉄道ジャーナルに対する評価は不可欠であろう。
 端的にいえば、他誌が趣味の範疇内で鉄道を取り扱っていたのに対し、鉄道ジャーナルは鉄道論を論じていた。あるいは論じようとしていた。その違いはたいへん大きなものであったと認定すべきであろう。
 執筆陣の白眉は、東京学芸大学助教授(当時)青木栄一氏であった。青木氏の論理展開の特徴は、歴史的経緯に対する考察を必ず行っているところにある。そのため、論にブレがまったくなく、また論の奥行きが深かった。
 例えば、ローカル線を題材として採りあげる場合、情緒面ばかりを強調することなく、その背景についても論じる姿勢が、鉄道ジャーナルにはあった。特に青木氏においては、軽便鉄道法や改正鉄道敷設法に関する記述から立論しているほどで、問題の起源をも明確に示す成果を残している。
 青木氏以外に特筆すべき記事を挙げるとすれば、「路面電車再発見」シリーズである。各号の記事は各地の路面電車紹介であり、さほど特色がある内容ではなかった。ところが、確か最終回だったと記憶するが、今でいうLRTの概念を呈示したうえで、LRTが適合する都市構造モデルを提案したのには驚いた。
 蒸気機関車の動態保存の討論会では、「蒸気機関車というメカニズムの動態保存は保守に手がかからない小型機でも充分、大型機は静態でよい」と発言する方もおられた。このように、情緒に流されない合理的な判断が、論の根底を支えていた。

 これ以後も、鉄道ジャーナルは鉄道のあるべき姿を何度も提議した。鉄道の現状に満足することなく、批判精神をもって、新たな概念や将来のビジョンを次々と提案していく。鉄道ジャーナルの真骨頂といえる特色は、この点こそにあったといえる。
 ただし、上記の特色を含め、私が鉄道ジャーナルを読みこなしていたかといえば、必ずしもそうではない。所詮読解力は小学生にすぎないから、表層的な部分を眺めていただけに近い。青木先生の記事は難解だったし、都市構造モデルには抵抗感が伴った。それでも、毎月読んでいただけに、強い影響を受けたことは間違いない。

■遠出の萌芽
 さて、話は多少前後するが。
 鉄道ジャーナルを読みはじめる以前から、鉄道の書物には触れていたわけだが、その中でも特に印象に残っているのは、山と渓谷社が出版したカラーブック「日本の私鉄 I」であった。このカラーブックは各鉄道毎に、見開き2ページの写真、見開き2ページの解説という体裁で、北から南まで紹介していくという内容であった。「 I」はローカル私鉄編、「II」は大手私鉄ほか都市圏鉄道編だったと記憶しているが、印象に強く残っているのは、やはりなんといっても「T」であった。
 あの衝撃は、忘れようもない。写真は、薄曇りの夕暮れに、盛田牧場前に到着しようという、南武縦貫鉄道のレースバスをとらえたものだった。
 簡素かつ粗末なつくりの短いホーム、たった1両の小さなレールバス。「こんな鉄道があるのか!?」とまずは驚き、そして強く魅かれた。
 行きたい、と素朴に思った。時刻表を調べ、夜行で乗りこみ夕方に帰ってくるという、0泊2日の行程まで組んでみた。しかし、その計画は実行できなかった。私はまだ小学生にすぎず、当時の常識として、単独での宿泊旅行が許されるはずがなかった。
 結局のところ未遂に終わったが、これが私の遠出の萌芽である。

■初めての遠出
 遠出などそう簡単にできない、と思いこんでいたところ、案外簡単に実現した。行先は山形。信頼できる相手先があったことから、むしろ両親が主導するかたちで、友人2人と組んで出かけた。これが中学1年生の時である。
 往路は夜行気動車急行「出羽」に乗った。現地では、案内を受けながら2泊したと記憶している。山寺、天童の人間将棋盤、銀山温泉などに行った。
 仙山線でもまだ客車列車が主力という時代であった。奥羽本線では、客車の後尾に回送気動車がぶら下がる列車を目撃したりもした。
 帰路は福島まで延々普通列車に乗った。扇風機もない旧型客車で、こんな古くさい車両が現役ということに素直に驚いた。もっとも、当時はまだエアコンなど贅沢品という意識があったから、あまり違和感がなかったこともまた確かではあった。米沢では牛肉弁当が美味しかった。峠の力餅には魅かれたが、小遣いが少なかったので諦めた。
 福島から乗ったのは特急「はつかり」だったか「ひばり」だったか。ボックスシートに座ったことから、車両が583系であったことを明確に覚えている。

 次の年も、同じ仲間で山形に行った。往路は前と同じく「出羽」、山形着が早朝なので、使い勝手がよかった。このときは冬場に行ったのだが、車内は暖房が効きすぎてかえって暑く、ほとんど眠れなかった。板谷越えでは中間運転台の補助椅子に逃げて、「夜の底が白」い様子をぼんやり眺めたりした。
 帰路は福島までの記憶が曖昧である。延々乗車には飽いていたのだろうか、普通列車に乗ったはずなのだが覚えていない。福島からは臨時急行に乗り換えた。列車の名は覚えていない。確か12系客車で、満席のため、先頭車のデッキに座りこみゲームに高じた。黒磯からはEF58が牽引していたと記憶している。

 初めての遠出の様子は、かくの如しであった。正直なところ、ただ行って遊んで帰ってきただけ。現地の風物を充分に見聞したとはいえないし、趣味の対象であったはずの鉄道に対してさえ、印象は既に遠くに去っている。写真がなければ、薄れた記憶を思い起こせない部分も少なくない。

並行在来線の根本矛盾
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/09/08 02:13:27)
 
 http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

並行在来線の根本矛盾
└根元は遠くからつながっている
 └盛岡八戸間の場合
 └幹線輸送とローカル輸送分離の是非
  └理論をひとまず措いて
   └Re:理論をひとまず措いて
    └新幹線の「特性」を活かすべきか否か
     └駅への近さか、それとも乗ってからの速さか

(以下次ページ)
並行在来線と整備新幹線の運営問題
 └議論の前に
  └ほぼ横レスです
  └共通されて居るであろう認識と議論すべきであろう問題
   └責任分担と今日の現実
    └責任分担のあり方と責任に応じた補助
     └
収益と負担と分離のミスマッチ
      └補遺・いびつな上下分離

 12月の東北新幹線の盛岡−八戸延伸がにより同区間の「東北本線」はJRから分離され、岩手県区間が「IGRいわて銀河鉄道」、青森県区間が「青い森鉄道」として再スタートを切ることになります。いわゆる並行在来線の分離はしなの鉄道に次ぐケースとなり、今後増えていくことになります。

 並行在来線は地域輸送や貨物輸送で経営を成立させる宿命となっていますが、今回の両社は首都圏−北東北・北海道の貨物輸送、また寝台特急のような幹線旅客輸送の受け皿として存続することを半ば義務づけられた区間でもあります。
 今回の分離では、貨物輸送のコスト負担につき、線路維持コストをこれまで旅客と貨物の分担比に基づいて負担していたものが、旅客の新幹線移行に伴う分担比の変更で大幅な負担増をJRFが強いられることを回避するために国がその差額を補填するため、会社収益の相当を補助に頼るいびつな構成でスタートすることになっています。
 JRFは線路使用料の節減が経営安定の鍵ですが、JRの経営という前提が分離新会社となり、規模と状況に見合うコストとの間に乖離が生じた場合、それをJRFがおいそれと受け容れては経営が破綻しますし、かといって運行を止めるという選択肢も事実上ありません。しかも並行在来線分離に際してJRF側の拒否権は当然無いようですし。

***
 さて、今回の分離開業で気付いたことがあります。それは「並行在来線の分離」という「事業」は実は成立不可能ではないか、ということです。
 今回分離される盛岡−八戸間の運賃を比較すると、下記の通りです。

新幹線はやて利用  3,410円 (乗車券1,620円 自由席特急券1,790円)
並行在来線利用  2,960円 (IGR2,300円 青い森660円)

 たった450円しか違いません。
 首都圏の収益による内部補填が不可能になるため、自社管内で収支を均衡させるための賃率アップ分が、本来上乗せとなるはずの特急料金見合いの差額を食い潰した格好です。しかも新幹線は線形向上により営業キロの短縮が実現するため、さらに有利です。
 このため、これまでの新幹線並行区間ではそれなりに見られた経済性を重視した在来線乗り通しの旅客が全く期待できないといっても過言ではありません。
 所要時間差は比較するだけ無駄であり、並行在来線といいながら、旅客輸送として成立する可能性があるのは、盛岡および八戸近郊、それといわて沼宮内と二戸から新幹線に乗り換えるための近距離輸送ですが、これはおそらくクルマで乗りつける形態へシフトするでしょう。
 既に転換されたしなの鉄道においても、新幹線が予想外に近距離輸送を侵食していますが、これも長野−上田で新幹線1410円、しな鉄640円、軽井沢で新幹線3070円に対して2130円と、しなの鉄道が全国的に見ても相当低い賃率を採用しているにもかかわらず、賃率の差と篠ノ井での2社加算運賃が新幹線を相対的に安くしているのです。

 収益源の通過流動を失い収支均衡を図るには賃率のアップしか手はなく、並行新幹線より相当高い鉄道となる宿命を背負うわけで、両社のように全区間での特急料金相当額が450円という、JREのライナー料金よりも安い状態になるような現象が発生するのです。こうなると旅客が並行在来線を利用するケースは、新幹線が全く使えない区間か、使えてもフリークェンシーその他で優れているケースしか考えられなくなります(本数が多くても目的地までの間で新幹線にゴボウ抜きされたら意味が無い)。

 この状態でクルマやバスとの競合も存在するわけですし、さらに並行在来線が「健闘」している場合、新幹線が各停型ダイヤの充実や新駅の建設といった短距離輸送に注力する可能性もあるわけです。
 しなの鉄道のように賃率を抑えても同社の経営難が示すように自爆になりかねず、ましてやJRの幹線運賃より下げて割安感を創出することは、「ペイしないから分離された」はずの並行在来線がいままでより安い運賃でペイすることを前提とするという根本的矛盾を抱えることとなり、非現実的です。

***
 結局「並行在来線」とは何か。
 並行区間を併存させることが不可能な区間において存続させることが根本矛盾なんですが、一方で地域負担や国家負担を前提にしたコスト極小化目標は負うとしても、採算性を基準にすることは適当としない鉄道事業の創設ともいえます。
 公共交通のあり方の根本を図らずも露出させた感のある問題であることは事実です。

整備新幹線並行在来線問題でJR貨物に援助 log013.html

根元は遠くからつながっている
 投稿者---和寒氏(2002/09/08 06:55:45) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 エル・アルコン様の問題提起は、重要で、かつ様々な周辺課題をも包含していると考えます。

■根本的な部分

 「並行在来線の分離」という「事業」は実は成立不可能ではないか

→ここが最大のポイントですね。
 「地域間幹線輸送と地域内ローカル輸送を一体的に経営できる在来線の方が経営効率はよい、新幹線事業は東海道を含め全ての事例において経営を非効率化しており、成功とは認めがたい」・・・・・・かなり大雑把な要約ですが、これはかの角本良平氏の主張です。まずエル・アルコン様にお尋ねしたいのは、この意見に賛成するか否か、です。
 ちなみに私は、角本氏の意見には反対します。なぜならば、地域間幹線輸送において、在来線ではスペック不足と考えるからです。在来線から新幹線へのアップグレードを実行できない限り、高速道(バス)や航空に対する競争力を削がれていくのは必至です。幹線輸送が相対的に地盤沈下し、収益力が落ちていけば、ローカル輸送とてそれに引きずられます。そうなると、幹線輸送もローカル輸送も「一体的に没落」するのです。
 私が考えるに、角本氏の意見は、今日の経営効率性を優先するあまり将来の全てを失う、という必然的なリスクを顧慮していないように見えます。ゆえに反対するのです。

 「実は成立不可能」というエル・アルコン様の見立ては正鵠です。その前提条件として、ローカル輸送は幹線輸送に依存してきた、という単純な事実が存在するわけですが、なぜかこの事実は見逃され続けています。
 本当に単純なんです。JRのローカル輸送の客単価は12円/km程度でしかなく、これに定期券の割引率等を加味すると更に低くなります。これと比較し、幹線輸送の客単価は20〜25円/kmと高く、収益力の高さがわかります。コスト構造はこれとはまったく逆で、客一人あたりの乗務員数や駅務員数はローカル輸送よりも幹線輸送の方が少ないはずです。
 収益構造とコスト構造に大差があるという前提において、両者を分離すると、必然的に分離された側−−ローカル輸送−−の経営は苦しくなります。ローカル輸送の経営を成立させるためには、単体でも充分な輸送密度を備える必要が生じます。それが充分でなければ、賃率を上げて調整する以外ありません。

 収益源の通過流動を失い収支均衡を図るには賃率のアップしか手はなく

→エル・アルコン様はおそらく「賃率のアップ」に対して、好ましくない状態と見ているものと拝察します。
 ここで私は敢えて問いかけたい。なぜ今までローカル輸送の賃率アップを図らなかったのか。
 優等列車利用の際に課せられる料金は、速達性など付加サービスへの対価、という理解が一般的です。しかし、この理解は今日では現実に即していないのではないか。新幹線と航空の運賃水準を比較してみればそれは明瞭で、実乗時間に大差があるというのに、運賃料金はほとんど同じという区間が大部分を占めます。つまり、ある都市間を移動するための対価として「値ごろな」運賃水準が、共通認識として形成されている証左です。
 富める者は金を払って時間を買い、そうでない者は時間をかけて出費を抑える。かように単純な経済行動は、今日の日本ではほとんど見られません。高速バスに例外的な行動は見られるにせよ、しかし利用者の過半は、金を払って時間を買っているのでしょう。
 してみると、鉄道の運賃体系はどこかの時点で変革を図るべきでした。私が考えるに、ターニング・ポイントは急行を廃止して特急を増発した昭和50年代にあり、遅くとも東北・上越新幹線が開業した時点で、運賃体系は一新すべきでした。なぜならば、この時点で地域間輸送のデファクト・スタンダードは新幹線もしくは特急になったからです。
 そのあるべき運賃体系の詳細を論じると、紙幅が足りませんので、概略だけ記します。例えば東京から仙台まで移動するとして、新幹線に乗っても在来線を乗り継いでのんびり行っても、徴する運賃料金は同額、というのが基本です。
 なにを無茶な、と思うなかれ。都市間移動に「値ごろな」運賃水準があるならば、それを求めてしかるべきです。実質的には新幹線への誘導となりますが、新幹線の本義が幹線輸送とローカル輸送の分離にあることを鑑みれば、妥当な誘導でしょう。そして、利用者側が敢えてローカルを利用したいならばそれを止めはしない、という発想です。ローカル乗継をディスカウントする方策には、18きっぷなどのオプションもありますし。

 上記の運賃体系を実現するためには凝制キロの採用が不可欠です。また、短距離移動の運賃水準は現行なみとして、ある距離を境に運賃が跳ね上がる仕掛も必要でしょう。
 ともあれこの変革を事前に行っていたならば、ローカル輸送が幹線輸送に依存していたという今日の構造はありえなかったはずです。なぜなら、同一路線であってもローカルと幹線の会計分離が可能となるからで、ところによっては「特急に乗るよりも各停に乗る方が高い」という事態もありえたに違いありません。
 漸進的な変化を経ず、いきなり全てを調整しようとするために、歪みが出た。そんな気がしてなりません。

■もう一つの根本

 今回の両社は首都圏−北東北・北海道の貨物輸送、また寝台特急のような幹線旅客輸送の受け皿として存続することを半ば義務づけられた区間でもあります。

→これもまた重大な課題ですね。
 貨物もまた、重要な地域間幹線輸送の一翼なのですが、しかしJR-Eにとってはそのように認識されていないということなのでしょう。
 JR-Eが盛岡−八戸間在来線の経営をやめるならば、同区間を鉄建公団に継承させるとの選択もありえたはずです。新幹線の資産は開業後も鉄建公団が保有しますから、同じ思想をもって、幹線輸送にかかるインフラを鉄建公団が引き継ぎ「受益の範囲内で」JR-F及びローカル列車運行会社から線路使用料を徴収するというスキームが組まれても、不思議はないのです。
 では何故そうならないのか。それは同区間の資産をJR-Eという「民間会社」が保有しているからにほかなりません。しなの鉄道の実例にも見られるとおり、「民間会社」であるがゆえに、会社(もしくは株主)の利益を損なう資産の無償譲渡は出来ない、というのが同社の基本姿勢と見受けます。
 会社の論理として、これは正論でしょう。しかし、国鉄改革の理念から評価すると如何でしょうか。JR各社は国鉄から資産を継承していますが、三島会社の場合長期債務償還の一部負担見合いという意味あいが強かったはずです。背負わされた負担と手にした資産のどちらが重いか。用地を基本に考えれば、簿価評価であれば負担が圧倒的に重く、時価評価であれば資産が圧倒的に重くなるはずです。
 してみると、国鉄の用地をJRに渡したのは正しかったのか、との疑問に行き着きます。当時としてはそれ以外ありえない選択だったにせよ、今日の状況を顧みると、用地は全て国に帰属させておくべきだった、と思われてなりません。

 なんにせよ、様々な課題を包含する事柄ではあります。

盛岡八戸間の場合
 投稿者---矢切氏(2002/09/08 10:53:36) http://www3.ocn.ne.jp/~skylark7/

 重要な問題提起であり、和寒さんの返信でさらに様々な問題点が見えてきました。そうした点への返信はのちほど時間のある時にするとして、まずは比較的些細な所への突っ込みで恐縮ですが投稿します:

 新幹線並行区間ではそれなりに見られた経済性を重視した在来線乗り通しの旅客が全く期待できないといっても過言ではありません。(エル・アルコン氏)

 たとえ運賃が据え置かれていたとしても、そうした在来線乗りとおし客は当該区間においてほとんど見こめないと思います。在来線特急対普通よりも新幹線対普通の方が所要時間的な差が大きくなり遅いほうを使う動機が低下する、そもそも八戸・盛岡とも人口がさほど多くないうえ県境を超える部分であり総需要そのものが少ない、などと考えられます。当該在来線の利用者のほとんどは中近距離利用・県内利用であって、例として挙げられたような運賃料金上の問題による普通列車利用者の数(の減少)は事業の存立可能性を問う上で適当ではないと思います。

 重要な貨物輸送に対して多額の課金をすることが好ましくない以上、ローカル利用旅客の運賃収入だけでの存続は到底無理、自治体負担を入れても数ある三セクのような苦戦をするのは明らかという状況下で、国側がJRから取った新幹線の使用料の一部を新会社への補填に回すという方式(ですよね?)は妥当だったのではないかと思います。JR東に運営させることができたならば、それがベターだったのではないかとは思います。

 余談ながら、長距離利用はほとんど望めないのであれば、新会社は単純に運賃を定率で値上げするのではなく長距離は大胆なディスカウントを行なっても良かったんじゃないかと思います。距離にほぼ比例する運賃形態が妥当とは思いません。

幹線輸送とローカル輸送分離の是非
 投稿者---かまにし氏(2002/09/11 11:27:17) http://www.sfc.keio.ac.jp/~t99971dy/kcbl

 おはようございます、かまにしです。

 私はそもそも、幹線輸送とローカル輸送を分離することは望ましくないと考えます。できるだけ両者は一体的に請け負うべきではないかと思います。

 なぜなら、この両者は相補的な関係ではないかと考えるからです。これは大都市圏輸送でも少なからず言える話で、例えば大部分の大手私鉄も近郊からの短距離輸送よりは、郊外⇔都心の長距離輸送の単価が高く収益源となっていますが、近郊の駅が都心や郊外から幅広く人を集めているケースも少なくありません。

 それから私が特に強調したいのは、ローカル輸送のユーザーも、時として幹線輸送のユーザーになりえるということです。それと同時に、幹線輸送を利用するためには必ず何らかの形でのローカル輸送が必要だということです。結局、そのようなローカル輸送のネットワークがあるからこそ、幹線輸送はそれに特化できるのではないかと考えます。またその点については、地方でも大都市でも共通している点ではないかと思います。

 ただ、地方ではローカル輸送の絶対数から言って、それを公共交通として維持していくのが難しい現実はあるでしょう。したがって、地方のローカル輸送を何でまかなって行くべきか、幹線輸送までのアクセスのあり方なども、鉄道に拘らないさまざまな形をその状況に応じて考えていくべきだと思います。

 ただ、私はその方法の一つとして、あえて幹線輸送とローカル輸送を分離しないこともありえると考えます。例えばミニ新幹線で、在来線のグレードアップにより飛行機や高速バスにも対抗できる競争力を持つとともに、ローカル輸送も維持できる方式です。私は先ほども言いましたが、ローカル輸送が幹線輸送に依存することは、そんなに悪いことだとは思いません。この両者は、持ちつ持たれつの関係だと思うからです。

 富める者は金を払って時間を買い、そうでない者は時間をかけて出費を抑える。かように単純な経済行動は、今日の日本ではほとんど見られません。高速バスに例外的な行動は見られるにせよ、しかし利用者の過半は、金を払って時間を買っているのでしょう。

 私はこの点について少々懐疑的です。全ては高速バスを「例外と見るか」という点に尽きるのですが。。。

 都市間移動に「値ごろな」運賃水準があるならば、それを求めてしかるべきです。実質的には新幹線への誘導となりますが、新幹線の本義が幹線輸送とローカル輸送の分離にあることを鑑みれば、妥当な誘導でしょう。そして、利用者側が敢えてローカルを利用したいならばそれを止めはしない、という発想です。

 果たして新幹線の本義は本当に、幹線輸送とローカル輸送の分離なのでしょうか?東海道線の慢性的な輸送力不足を解消するために建設された東海道新幹線の時代なら分かるものの、現在整備中の新幹線についてこの命題は私はあてはまらないと思います。むしろ「高速化や快適性の向上といった在来線の機能をグレードアップ」することではないかと思います。そのことによって、航空や高速バスとの競争力を高まり、結果的に経済や人々の交流が活発化させることが目的ではないかと考えます。

 上記の運賃体系を実現するためには凝制キロの採用が不可欠です。また、短距離移動の運賃水準は現行なみとして、ある距離を境に運賃が跳ね上がる仕掛も必要でしょう。
 ともあれこの変革を事前に行っていたならば、ローカル輸送が幹線輸送に依存していたという今日の構造はありえなかったはずです。なぜなら、同一路線であってもローカルと幹線の会計分離が可能となるからで、ところによっては「特急に乗るよりも各停に乗る方が高い」という事態もありえたに違いありません。

 この点については、私も同意します。今回の盛岡〜八戸間についても、盛岡〜好摩がIGRとなることで盛岡〜花輪線の利用者が二重取りになってしまうのも、私が沿線住民だったらきっと怒るでしょう(笑)。とも様がコメントされていたように、盛岡都市圏でのゾーン運賃などの全く違ったスキームをぜひとも実験してほしかったです。

 ではでは。

理論をひとまず措いて
 投稿者---和寒氏(2002/09/11 17:15:27) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 かまにし様。まずは現実を踏まえて話をしましょう。
 これは理論を抜きにした事象に対する話になるので、逐条的に私の考えを記していきます。

 私はそもそも、幹線輸送とローカル輸送を分離することは望ましくないと考えます。できるだけ両者は一体的に請け負うべきではないかと思います。
 なぜなら、この両者は相補的な関係ではないかと考えるからです。

→本当に相補的でしょうか。
 ローカル列車が幹線列車に接続しているダイヤになっているでしょうか。多くの区間でそうはなっていないはずです。特急よりも普通の方が少ない区間だってあります。
 くりこま高原や山形新幹線などのように、P&Rにより集客しているところもあります。私がよく使う長野新幹線でも、長野駅に到着して在来線に乗り換える利用者は、見た感じ多くとも2割未満です。幹線列車は幹、ローカル列車は枝葉、という認識は過去のものといわざるをえません。

 それから私が特に強調したいのは、ローカル輸送のユーザーも、時として幹線輸送のユーザーになりえるということです。それと同時に、幹線輸送を利用するためには必ず何らかの形でのローカル輸送が必要だということです。

→この部分は正当ですが、このローカル輸送とはフィーダー輸送をさすものであり、鉄道である必要は必ずしもないことに注意が必要です。そのため、

 したがって、地方のローカル輸送を何でまかなって行くべきか、幹線輸送までのアクセスのあり方なども、鉄道に拘らないさまざまな形をその状況に応じて考えていくべきだと思います。

→こちらの方が認識としては正当です。ただし、ここに至るまでの途中部分は、問題提起としての位置づけが不明確です。

 ただ、私はその方法の一つとして、あえて幹線輸送とローカル輸送を分離しないこともありえると考えます。例えばミニ新幹線で、在来線のグレードアップにより飛行機や高速バスにも対抗できる競争力を持つとともに、ローカル輸送も維持できる方式です。

→在来線のままで200km/h超の高速運転を実現できるのであれば、この認識は正当でしょう。しかし、現実のミニ新幹線では、乗換時間を解消するほか、若干の時間短縮しかできないのです。それでは、先の投稿にも記したとおり、高速道(バス)や航空に対する競争力を保持できません。

 私はこの点(金を払って時間を買っている)について少々懐疑的です。全ては高速バスを「例外と見るか」という点に尽きるのですが。。。

→長距離帯では明らかに例外です。高速バスのシェアはせいぜいコンマ数%のオーダーですから。
 しかし、中距離帯では高速バスも相応の競争力を持ちます(運賃が安いだけでなく所要時間でも大差ない場合がある)から、先に記したとおり、鉄道も競争力を強化しないと、食われていく一方となります。

 果たして新幹線の本義は本当に、幹線輸送とローカル輸送の分離なのでしょうか?東海道線の慢性的な輸送力不足を解消するために建設された東海道新幹線の時代なら分かるものの、現在整備中の新幹線についてこの命題は私はあてはまらないと思います。

→整備新幹線においては、輸送力増強が本義でないのは確かです。とはいえ、実態として、幹線列車とローカル列車は同じ線路を共有していても、利用者の流れとしては分離されていると見てさしつかえない状態です。そのため、

 むしろ「高速化や快適性の向上といった在来線の機能をグレードアップ」することではないかと思います。

→幹線列車のグレードアップを図るためには、現状の線形ではだめで、新しい線路をつくる、というところにつながっているのだと認識しています。結果として、名実ともに幹線とローカルが分離され、問題が顕在したといえるでしょう。

 繰り返しになりますが、在来線のままで200km/h超の運転が出来るのであれば、あるいは新幹線サイズの車両を直通できるのであれば、幹線とローカルは問題なく共存できるのです。しかし、現実にそれが出来ないからこそ、新幹線が建設され、在来線分離の問題が出てくる。その制約に対する認識を共有できないと、議論は先に進めないように思います。

 厳しめですが。

Re:理論をひとまず措いて
 投稿者---かまにし氏(2002/09/12 10:19:32) http://www.sfc.keio.ac.jp/~t99971dy/kcbl

 かまにし様。まずは現実を踏まえて話をしましょう。
 これは理論を抜きにした事象に対する話になるので、逐条的に私の考えを記していきます。

 申し訳ありません。確かに私は勉強不足な部分と地方での実状を知らない部分がある上で、この議論に参加しているので、そのあたりはぜひ和寒様の見識をお聞かせいただければと思います。

 ローカル列車が幹線列車に接続しているダイヤになっているでしょうか。多くの区間でそうはなっていないはずです。特急よりも普通の方が少ない区間だってあります。
 くりこま高原や山形新幹線などのように、P&Rにより集客しているところもあります。私がよく使う長野新幹線でも、長野駅に到着して在来線に乗り換える利用者は、見た感じ多くとも2割未満です。幹線列車は幹、ローカル列車は枝葉、という認識は過去のものといわざるをえません。

 そうですか。鉄道は新幹線のフィーダーとしてはほとんど利用されていないようですね。ただここで素人ながら考えてしまうのは、バスなりの他の交通機関も含めて、新幹線のフィーダー的役割を果たす公共交通が現れれば(あるいは在来線がそのように改良されれば)、そのローカル輸送たる公共交通と新幹線との間で相補的な関係が生まれる可能性はあるんでしょうか?それとも、やはりクルマには勝つのは難しいのでしょうか?

 在来線のままで200km/h超の高速運転を実現できるのであれば、この認識は正当でしょう。しかし、現実のミニ新幹線では、乗換時間を解消するほか、若干の時間短縮しかできないのです。それでは、先の投稿にも記したとおり、高速道(バス)や航空に対する競争力を保持できません。

 これはケースバイケースではないかと思います。乗換時間の短縮+若干の時間短縮に、東京まで直通できるというメリットを加えて、他の交通機関に大きなインパクトを与えた例もあるわけですし。

 在来線をミニ新幹線以上にグレードアップさせるためには、線形の悪い在来線を改良しただけではグレードアップに限界があり、やはり根本的な解決は新線を作ってを図らなければならないということですよね。

 私が今回このような書き込みをさせて頂いたのも、そもそも(大都市にもあてはまる部分もありますが)幹線輸送のためにローカル輸送が犠牲になり、そのローカル輸送の犠牲を地元の新幹線利用者とは全く異なる層が負担しなくてはならないという図式に憤りを感じていたからです。確かに、現実的なことを考えればその図式自体は仕方のないものだと思うのですが、もう少しその両者を両立させるような方策があるのではないかと考えてしまいます。

 今回の盛岡〜八戸間でも、新幹線の線路を使って貨物を走らせるとか、在来線の駅を新幹線上に移設させるといった案も一応検討されて、すぐにボツになってしまったと聞いています。確かに今回の盛岡〜八戸間は、ゆくゆくは新青森までの延伸、最終的には北海道新幹線と接続されれば、ローカル列車(といっても在来線ローカルよりは遥かに速いはずですが・・・)を一緒に走らせる余裕はないはずで、結局のところ分離は仕方ないことなのでしょう。ただ一方で私は、場合によっては新幹線に幹線輸送だけでなく、貨物輸送やローカル輸送を並存させることをもっと真剣に考えてもよいのではないかと思うのです。少なくともそうすれば、幹線輸送・ローカル輸送ともにグレードアップされ、在来線を第三セクターとしてジリ貧状態で運営していかなくても済んでしまうのではないかと考えてしまいます。ただ新幹線は、在来線とはかなり離れた場所を通ることも多いので、その場合は駅の移設といっても一筋縄ではいかないのでしょうが・・・(そういう意味では盛岡〜八戸間はかなり近接している方ですね)。

 いずれにしても、私は今の新幹線建設&在来線分離のあり方がベストだとは到底思えないのです。ただ同時に思うのは、フル規格の新幹線を誘致する地元も本当に新幹線開業後の「幹線輸送・ローカル輸送・貨物輸送」のあり方を見据えた上で、誘致しているのかは疑問に思えます。もしそれを真剣に議論しているのであれば、安易に「整備新幹線欲しい!」なんて言えないはずなわけで。。。結局のところ、地元が新幹線開業後の幹線輸送・ローカル輸送・貨物輸送の分担のあり方について考え、「整備新幹線の誘致の以前に」実際の利用者と一緒にそのグランドデザインを練っていく作業が必要ではないかと思います。

 きっと今のままでは「気が付いたら、電車の運賃が2倍になっていた・・・」ってことになりかねないと思うんです。少なくとも、私はそういう状況は避けなければならないと考えます。

新幹線の「特性」を活かすべきか否か
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/09/12 11:02:30) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 ひとつだけ。

 在来線幹線区間における都市間輸送とローカル輸送の間の相補関係が薄いというのは事実です。
 それは、本来特急列車は極力停車駅を絞って、快速・普通列車が補完するという理想に対して、「おらが町からも直通を」という要望と実需という現実が、優等列車の停車駅を増やしてきたため、需要に応じて停車駅を増減した優等列車とローカル輸送という補完関係に無い存在が並存していたわけです。

 ところが、新幹線の場合は一筋縄でいきません。
 新幹線の場合は例え並行していたとしても、新幹線に駅がなければ止まれないわけで、今回の場合はいわて沼宮内と二戸以外の各駅は、例え対東京、仙台といった新幹線需要が強くても止まれません。実際に今の「はつかり」との比較では一戸、金田一温泉、三戸が袖にされており、一戸と三戸は基本的に全列車停車だけに、すくなくともこの両駅(金田一温泉を含めたら3駅)については何らかの補完関係にある輸送を考える必要があります。

 しなの鉄道にしても、あれほど滅多矢鱈に止まっていたイメージのある「あさま」が新幹線になって、軽井沢から先、並行区間では上田しか途中駅がないのですから、中軽井沢、小諸、田中、戸倉、篠ノ井などへの補完を担う存在になるはずです。

 もともと旧国鉄時代、昭和50年の新幹線博多開業時に、新幹線と並行する区間では快速で補完というコンセプトを見せており、新幹線から外れた主要駅が多い山陽本線(岡山〜広島〜下関)で実際に快速列車が整備されています。
 現在はそれが普通列車になったとはいえ、それなりに乗り継ぎ需要はあるように見うけられます。

***
 今回のIGR、青い森、そして先行のしな鉄の場合、こうした需要を拾いきれているかどうか。また拾う体制になっているかどうか。新幹線駅に直接乗りつけるP&Rが主流になってしまい、従来同様都市間流動と無縁な地域流動に特化してるのではないか。
 本来鉄道というのは拠点間輸送ではありますが、航空機などと比べて路線上からこまめに集客できる利点を持っていると考えます。それがその集客ポイントを限定していき、純粋な拠点間輸送に近づくにつれ、近・中距離輸送での高速バスや遠距離輸送での航空との性格の差が無くなることを意味します。
 同じ土俵の同じ条件(「自分有利」の技を持たずに)での勝負に出るのは果たして得策かという思いが残るのは事実です。

駅への近さか、それとも乗ってからの速さか
 投稿者---和寒氏(2002/09/13 18:48:59) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 私もひとつだけ。

 本来特急列車は極力停車駅を絞って、快速・普通列車が補完するという理想に対して、「おらが町からも直通を」という要望と実需という現実が、優等列車の停車駅を増やしてきたため、需要に応じて停車駅を増減した優等列車とローカル輸送という補完関係に無い存在が並存していたわけです。

→この視点は正鵠ですね。需要を拾うという意味において、特急停車駅を増すという選択肢は正当だったでしょう。

 本来鉄道というのは拠点間輸送ではありますが、航空機などと比べて路線上からこまめに集客できる利点を持っていると考えます。それがその集客ポイントを限定していき、純粋な拠点間輸送に近づくにつれ、近・中距離輸送での高速バスや遠距離輸送での航空との性格の差が無くなることを意味します。
 同じ土俵の同じ条件(「自分有利」の技を持たずに)での勝負に出るのは果たして得策かという思いが残るのは事実です。

→そのかわり、幹線列車最大の命、高速性をどれだけ確保できるか、が判断の境目でしょう。新幹線といえども、各駅停車型の表定速度は100〜150km/h程度にすぎません。当たり前ですが、駅に停まれば停まるほど遅くなるのです。
 高速性確保、アクセス利便性確保、これをうまくバランスさせることが重要なのでしょう。近頃の新幹線は、駅数がかなり増えており、東海道開業時の「一県一駅」からは隔世の観があります。今の駅配置は、なかなかいいバランスではないかと、私は思うのですが。

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2004.11.06 Update


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