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【検証:近未来交通地図】
(過去ログNo.137)
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〔提議〕鉄道趣味誌的思想の危うさと滑稽さ
 投稿者---とも氏(2004/03/26 19:28:00)
  http://town-m.vop.jp/

─徒花で終わるか、昇華するか
 └趣味は趣味でもいいのだが
 └私が考える交通論を議論することの意義
 └趣味誌・会社派・趣味的視点。。。
 └ミーハーな私。調べ物をする私。
京阪京津線で感じた「趣味誌的定説」の陥穽
 └趣味誌的定説のバイアス(偏り)
  └予想外に読める専門誌や専門書
   └Re:予想外に読める専門誌や専門書
    └「空気」をどう使いこなすか
     └「空気」を読むには
  └「事実」と「ドキュメンタリー」の間ですら、の話

 ここ一月ほど、「鉄道論」とでも言うべき議論が続いておりますが、どうも宙ぶらりんで終わったままです。
 無論、結論が確実に出るものではないので、宙ぶらりんも仕方がないのですが、気持ち悪いものであるのは確かです。

 ここで、一つきわどい問題提起をいたします。読まれる方によっては非常に不快でしょうから、本投稿に関する管理人様裁定なりが生じた場合にはそれを甘受いたします。

1 鉄道趣味誌的思想とはそもそも何か

 No.2686において、和寒様が書かれた「基礎知識(情報)の偏在」とそれを提供する「鉄道趣味誌」的思想について、私も非常に危惧している。
 そもそも趣味誌は「趣味誌」であって、決して「専門誌」でも「業界紙」でもない。その内容は多少専門的であっても、所詮は「趣味」レベルでありそれが全てではない。
 しかし、どういう訳か鉄道趣味界という世界ではこれらが「真実」となり、専門誌や専門書籍の情報がないがしろとなっている。

 たとえば、航空論を語るとき、出典で「エアライン」を持ち出すことはあっても、それだけで語ることはそうそう無い。ジェーン交通年鑑なり航空白書なりも用いるのが一般的である。車はどうか。出典で「カーマガジン」「NAVI」「CG」「間違いだらけの車選び」だけで語る人もまずいない。自動車白書なりメーカー資料なりを用いる。
 でも、鉄道はどうか。鉄道ジャーナルやピクトリアル、あるいは川島氏の著作と言った「趣味誌」だけで語られてないか。たとえば大きな書店や図書館で割と容易に手に入る「運輸白書」、「数字で見る鉄道」、あるいは国土交通省や各社のHP、さらには専門誌の類が出てくることはそうそう無い。

 つまり、論者が趣味誌からしか情報を得ない場合、趣味誌でチョイスされた情報しか無いわけだから、各自の思想は偏ってくる。しかも「鉄道愛好」というスタンスにおいては「鉄道より」の見方しかできない層が表れ、結果、論点がぶれるだけではなく、既に世間では解決している、もしくは方向性が出ている問題をああだこうだと議論しかねない。しかも間違えた方向と正しくない(不足した)知識で。これが「鉄道趣味誌的論」である。

2 何が危ないのか

 では、何が危うさにつながるのか。
 端的に言えば「ヲタの妄想」として専門家にも振り向いて貰えないものになることだ。
 たとえば、航空ならば趣味誌が評価するランキングは航空会社の宣伝にもつながるから非常に気にする。ベストエアラインなどがまさにそうであろう。自動車はどうか。カーオブザイヤーなどは趣味誌を活躍の舞台とする評論家による評価であるが、これを受けるか受けないかは大きな問題である。メーカーにとって、「カーオブザイヤー」を受賞したことは誇りであり、宣伝になる。

 しかし、鉄道ではどうか。友の会が実施するブルーリボン、ローレルといった賞はそれなりに認知されているが、でもそこには「趣味誌」はカーオブザイヤーやベストエアラインほど関与はしていない。
 ましてや趣味界ではボロクソに叩かれている車両が受賞している。

 私は仕事で鉄道やバスの計画などに携わる機会がある。ここで、「鉄道ジャーナルに出ていたのだが」とか「鉄道ピクトリアルに」などということはまずない。資料作成の際のネタ探し、もしくは事例参考に使うことはあるが、ジャーナルあたりの文献をひもといて「ジャーナル誌にこう出ていました」などとやったら失笑ものである。

 つまり、趣味誌をベースにした議論というのは既に「相手にされていない」ともいえるのだ。
 しかし、それを多くの鉄道マニア・ファン・ヲタクと言われる方々が認識しているとはとても思えない。HPにしろ何にしろ、恣意的でありしかも情報が薄い。信憑性もない。その上で「こうすべき」と語られても、所詮情報が怪しいのだから説得力など無いのだから。

 であるからして、趣味誌的視点というのは極めて危ういものなのだ。

3 何が滑稽か

 鉄道趣味誌というものは一般的に鉄道主体で書いている。であるからして全てのものの見方は「鉄道」中心である。
 ところが、世間は違う。
 あくまで一つの交通手段としての鉄道であり、都市計画なども通常は鉄道を「活用する」とするものであり「活性化させるため」などということは断じてあり得ない。

 たとえばTOD(公共交通優先都市開発)という思想があるが、これを「鉄道を活性化させ、自動車を使わないようにするための都市開発の考え方」と、とある趣味誌では紹介している。また、トランジットモールも「電車の通りから車を締め出し歩行者と電車の空間にする施策」と書いてある記事もあった。また、これをその通り受け取っている人もいる。
 しかし、これは完全な間違いである。
 TODの考え方は「鉄道を「活用して」都市開発を進める」というものであり、鉄道活性化のためではない。無論、本来の意味では「公共交通を」であるからバスでもなんでもいい。そして車は「駅までのアクセスなどでは使ってもらうことで総走行台キロを減らす」という考え方である。「使わない」「所有しない」ではない。欧米において「カーシェアリング」が盛んなのも、「車を賢く使う」という考えからであって、日本の鉄道マニア等が騒ぐような「脱クルマ」ではない。
 また、トランジットモールは「歩行者専用街区」という視点である。そもそも車を中に入れると混乱するので車をフリンジに停め、半径1キロぐらいの範囲を歩行者だけにするが、公共交通が入れないと不便だから入れましょうという考え方である。確かに似ているが、全く違うものである。

 また、鉄道趣味誌では活性化云々という話で「郊外店舗があるから」「車社会で中心市街地が衰退しているから活性化のために」というものも出てくるが、これも端から見れば滑稽である。
そもそも鉄道を敷けば、あるいは郊外店舗を鉄道沿いにすればいいというのは「手段選択」という概念を飛ばした考え方である。
 通常、我々は理由を持って交通機関を使う。買い物や食事や娯楽や仕事や学校など。これらの理由・目的を達成するのに最もベターな交通機関を探すということを無意識に行う中で鉄道を選択するか車を選択するかということになる。
 つまり、「利用者の交通手段選択」という視点が無くてはこういった話はできないのに、趣味誌の世界では容易にできてしまう。それが一般人から見ても滑稽なのだ。

4 ではどうすべきか

 非常に簡単な話である。まず情報を得る。国土交通省のHP、特に各局のHPを見るだけで実に様々な情報が得られる。データ類も豊富である。
 さらに専門誌の購読はできなくともネット上の情報に目を通す。学会のHPなどにも様々なものがある。そういうものを見る必要がある。
 そして、最後、鉄道から一歩引く。つまり、鉄道というものを一つの手段として捉え、大きな視点から交通・都市・地域を見るのだ。
 こういう努力をして、始めて「交通論」は成り立つ。

 鉄道趣味誌的な思想は交通論という場においては私は全否定せざるを得ない。しかし、それを否定しなければ、滑稽な交通論を繰り広げるだけに終始してしまうのだ。

***
 「プロ」という立場から見ると、昨今の議論の方向性は私は鉄道贔屓の論点としか感じられない。
 よって、あえて苦言のようだが書かせて頂いた。
 それでは

徒花で終わるか、昇華するか
 投稿者---エル・アルコン氏(2004/03/26 21:01:37) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 なかなか刺激的な投げ掛けですが、一方で正面から受け止めないといけない部分でしょう。

 ご指摘の部分、「鉄道趣味」が持つ特徴に起因していると考えます。
 つまり、趣味の対象が自動車や航空なら車両や機材を対象にするのがメインですが、鉄道の場合、車両趣味も主流ですが、一方で鉄道システムそのものに興味を持つケースが多いわけです。
 それゆえに趣味誌ももっぱら車両方面をメインにした「鉄道ファン」「レイルマガジン」、鉄道システムから交通全般に軸足を持つ「鉄道ジャーナル」、テーマ研究がメインの「鉄道ピクトリアル」とそれぞれ特徴を持った展開をしています。

 これまで、いわゆる「社会派」として鉄道システムから交通全般まで扱う「ジャーナル」の存在により、単なる興味の世界だけではなく、鉄道を広く見ることを趣味のジャンルとして確立したことは「メリット」として考えてきましたが、一方で指摘を踏まえると、それがかえって徒になった面もあると感じます。

***
 つまり、趣味の世界と実務の世界が峻別された他の交通趣味においては、例えば車両や機材に対する顕彰も、「価値観、基準の異なる外部からの評価」として実務からも尊重され得るものになります。
 ところがそこが渾然となってしまいがちな鉄道趣味の場合、結局は「価値観、基準が異なる」という「素人の良さ」が死んでしまい、プロと比してレベル感が落ちる「セミプロ」の評価となってしまい、実務にとってもあまり参考にならないのではないでしょうか。

 それでも趣味誌が実務との違いを認識して、プロとの橋渡しに徹したり、敢えて違う見方を提供するスタンスであれば、趣味人へプロの視点を教え、プロに趣味人の視点を教えることで多重的な視点の提供となるのですが、どうも趣味人どころか趣味誌も含めてその違いの認識が見えないのではと言うケースが増えています。そしてそれが指摘にもあるような問題ある「視点」の横行につながっているとも言えましょう。

***
 趣味誌から得られる情報には限界があります。本来突き詰めていく時、濃い話にしていく時は情報ソースを変えないといけないのですが、趣味誌の情報でまだまだ行けると思いこんでいるということが根源ではないでしょうか。
 逆に趣味誌のスタンスも、かつては脂の乗りきった実務者が執筆していたのに、昨今は素人目にも平板なケースが多いわけです。これは何も「社会派」を看板にするグループに限らず、「趣味」に軸足を置いているグループにおいても、一目で分かるようなウソがあったり、この系列、列車を語るには外せないはずの抜けや漏れがあったりと、レベルダウンが目につくのです。

 そういうことも、趣味誌に頼らない情報ソース、また、趣味系であっても多様な情報ソースを得ていれば自ずと分かるわけですが、それがないと文字通り「鵜呑み」にしてしまうのです。
 まあそれが「勘違い」ぐらいで済めばいいんですが、それが「正論」だと言うレベルになると、まさに指摘の通り「滑稽」なものになってしまうわけで、そうなると本人にとっても悲劇ということに気がつくべきでしょう。

***
 そんなことを言ってもプロの得られる情報とでは差が...と批判があるでしょう。確かに専門誌や交流会など素人には無理なソースもあるんですが、基本的には乗降数や流動なら国土交通省や自治体のサイトに載ってるなど、誰にでも得ることが出来るものを活用しているかどうかの違いに過ぎません。
 さらに言えば、新聞の経済面、社会面にも情報は無造作に転がってますし、図書館にいけば読める専門紙(産業、流通系)にも情報は多いです。
 苦言を言えば、ちょっとネットの検索をすれば分かるだろ、と言うケースも多いわけです。

 「鉄道贔屓」というよりも、「中途半端な情報を鵜呑み」というのが問題の本質だと思います。そしてそこを克服できれば、「趣味誌的な視点」も馬鹿にならない存在に昇華させられると思うのですが、どうでしょうか...

  ▼ 秋波は我侭よりも通じない

 もう一つ、鉄道趣味というかその一つのジャンルを形成している「時評」的な部分に関しても言えることがあります。

 すなわち、単に列車や車両の表面だけを追うのではなく、鉄道や交通を社会全体の中で追っていくと言う「社会派」の視点ですが、往々にして利用者として感じる素朴な欲求・感想を否定し、経営や社会的役割を絶対視する傾向があります。
 もちろん、きちんと目配りの利いた議論をしていれば問題はないのですが、それが「趣味誌的思考」に留まるレベルであれば、「社会派」ならぬ「会社派」だったり、それこそそんな意見を聞いていたらお客が逃げると言うような贔屓の引き倒しレベルのものもあるわけです。

 どんな企業でも経営効率、運用効率を絶対にして経営が成り立てばそんな楽なことはありません。客商売でそんな虫の良い話はないわけで、例えば近場の客は普通列車に乗せて優等列車の速達化を計る、なんて利用者に言うことを聞かせるような商売が通用するケースは実は少ないのです。
 どんな分野でも、ユーザー側のはずの素人談義でユーザー側のメリットを追求しない、甚だしいケースでは追求することを咎める姿は滑稽を通り越すものです。
 例えば自動車メーカーでも、このクルマにすれば経営効率がいい、なんて話が通用するのであれば、トヨタは小型乗用車はカローラだけを作っているでしょうし、日産が経営が苦しい時期にあの手この手でユーザーの目を引く商品を開発することも無かったでしょう。

 一方で企業は、ユーザーのニーズが何処にあるか、ということをユーザーのわがままとしか思えない部分まで丹念に拾います。そして、そこからユーザーにアピールし、ライバルに差を付けるわけです。
 そうした商品開発、さらには企業の発展に役立つ意見は、決して中途半端な「会社派」の意見ではないのです。

***
 鉄道の将来を本気で考えるのなら、ユーザー、いや、世間一般が「移動」のツールに何を求めているのか、という素朴な感情に忠実であるべきなのです。
 事業者が良かれと思っていてもニーズが無ければそれまでです。それだけの価値があると思えばユーザーは大枚を叩いてでも利用しますし、価値が無ければ割り引いても見向きもしません。

 「かっこいい電車」「快適な電車」...
 経営的に見ればあまり収益に寄与しそうも無い無駄な部分かもしれませんが、ユーザーがそういう尺度で鉄道を見ているとき、それはどこかで利用の有無を決めるファクターになります。
 そう考えると、現実はどうあれ、楽しさを追求する「趣味的視点」(≠趣味誌的視点)のほうが却ってプロである事業者にとっても有益なのです。

 そう、プロであっても、「乗って楽しい」「乗って良かった」と乗客が、そして自分も思うような鉄道であれと思っているのであり、中途半端な「趣味誌的視点」の層を別とすれば、想いは一緒なのでしょう。そしてそれは鉄道や交通に限らず、実はそれぞれの世界での「プロ」である我々にも共通する話なのです。

趣味は趣味でもいいのだが
 投稿者---World's Uniquest Railway Enthusiast氏(2004/03/28 23:16:27)

 こんばんは、WUREです。時差ぼけにちょっと苦しんでいます。

 私もとも様と同様、鉄道趣味界の雰囲気に馴染めない人間の一人でありますが、他方、趣味は趣味でかまわないという考えももっています(それが、趣味人を自称する理由でありますし、カールスルーエでLRTの写真を撮るのをさぼって商店街検分をしていたのも一種の趣味でしょう)。もっとも、鉄道趣味界に馴染めないのは、現在の鉄道趣味に(「趣味誌的思想」からかもし出されたのかもしれない)狭隘さを感じるからでもあり、特に気になる点をちょっと列記してみます(書いた後見ると、エル・アルコン様の意見を遠回りに辿っていくといった感じの見解になってしまいましたが)。

○「けちな」鉄道趣味

 まず、「趣味誌的思想」を問題視する前に、なぜ、鉄道趣味誌の意見、もしくは鉄道ファンの意見というのが軽視されるのか考えてみました。例として出すのは以下のような話です。

 前にとある鉄道ファンとこんな会話をしました。


相手
 「(以前ここの掲示板で論じた調子で)地方の鉄道はもうもたないよ、特に○○線あたりはねえ・・・。」
 「ファンが支持しているから大丈夫でしょう。」
 「・・・(一瞬絶句)」

 勿論、相手が悪いわけではないわけで、私がこの瞬間悟って驚愕してしまったのは、おそらく、「鉄道ファンの支持で鉄道は(かなり)維持されている」という幻想が、鉄道ファンのかなりに伝播しているのではないかという自身の直感にであるわけです。

 鉄道雑誌を見ると分かるのですが、「自分は鉄道ファンで、列車乗車中も車内をうろうろしたり、写真を撮ったりで、乗務員や周りに迷惑をかけているから、多めに料金を払ってもいい(もしくは払ってもいい気分だ)。」というような意見をもっている人は極めてまれです。大概、「趣味誌的な」交通論かぶれの意見を弄して鉄道料金の高さを批判します。
 雑誌などに載っている話はあくまでも主観的なものですが、ファンだからといって、移動における支出行動やその金額が極端に変わっているケースは少ないように感じます。もし、これが大きければ(例えば、「山陰客車鈍行リバイバル運転」を毎週運行しても客がつく、というような事をイメージすればいいのですが)、例え趣味が趣味の中だけであっても、世間的に無視されない存在になると思うのですが、世の鉄道ファンはそれほど気前が良くないようです。

(あと、日本の高額な真鍮HO鉄道模型を見て、日本ほど鉄道模型に金を出す国はないとする意見もあるようですがこれも勘違いで、確かに欧米HOの入門プラ製品は安価でも、真鍮の高額製品も沢山あって、品揃えも豊富。PEの車両はそんな形でしか製品化されないので買えない・・・)

○「趣味的思想」と「趣味誌的思想」

 この掲示板でも度々でている話ですが、「鉄道趣味誌」には、「鉄道趣味」の幅広さから比べるた場合に、視野の狭さを感じさせられる事が少なくありません。よく言われるのは、鉄道評論系の「鉄道ジャーナル」かと思われますが、模型界でも、主流のある雑誌が、欧州の3線式有力模型メーカーを嫌っているとか、デジタル式の個別コントロールシステムの動きに疎いとかいう話はよくでてくるもので、模型趣味全体によからぬ影響を与えているのではないかという噂はまことしやかに語られます。
 ここで注意すべきは、趣味誌が偏っている見方をしているからといって、それが鉄道ファンを誘導しているところに問題があるというより、趣味誌的見方というのが、多くの鉄道ファンに好まれる見方なので、趣味誌もそれを採用しているという点です。鉄道趣味自体には広さがあっても、「現在の日本の鉄道趣味」にはそれを狭めようとする性質が備わっているように感じられてなりませんし、それが、鉄道趣味がけちだという話に通じるのかもしれません。

○趣味と文化、趣味と交通論

 ここまで記すと、「日本の鉄道趣味の文化が貧相で・・・」と書きたくなるのですが、よく考えてみれば、鉄道趣味に関心を持つ人間が綿々と存在してきて、そこに大体の型が存在しているという事は、私には解明できていないちょっとした謎であったりもします。この話題は少し放置しておく事にしましょう。
 締めくくるにあたって私が議論すべき事は、趣味の世界にあって交通論を語って良いのかという話でしょうか。これはとも様の問題提起への返答に近いものと思われます。
 私自身は、「趣味的な思想」でものを語っても良いとは思いますが、その場合にもう少し想像力を働かして欲しいな、という風に思います。仮に、鉄道至上主義的な考えが通って、鉄道が無理やり存続されたとしても、税金で維持されていて客も乗らない、乗務員にもやる気のない鉄道の存続、試乗がそんなに楽しいものでしょうか?東京の過密輸送を批判するのはいいのですが、それだったら、転換クロスシートに追加料金なしで乗車できる関西で生活できるように人生設計を変えるという発想はどうなんでしょうか、いや、そもそも転換クロスシートとは快適性を志向する為に生まれたものだったのでしょうか?⇒ついでに、自分が本当に鉄道に愛着を持っているのかどうかもこの時に胸に手を置いて考えるといいかもしれません。とにかく趣味であっても現実感は重視されるから、突き詰めていけば、専門分野で活躍する人の意見にも勝るとも劣らない筈です。それを不十分な「趣味誌的な思想」でものを見るというのは、趣味というものを甘く見ているためか、趣味を十分に楽しんでいない証拠(こう言ってしまうと、趣味の楽しみ方論という難しい議論に分け入ってしまいますが)、とも言えるわけです。

WURE

私が考える交通論を議論することの意義
 投稿者---かまにし氏(2004/03/29 22:46:29)

 かまにしです。エル・アルコンさんの書き込みに感銘を受けました。
 以下に私の雑感を述べたいと思います。

 すなわち、単に列車や車両の表面だけを追うのではなく、鉄道や交通を社会全体の中で追っていくと言う「社会派」の視点ですが、往々にして利用者として感じる素朴な欲求・感想を否定し、経営や社会的役割を絶対視する傾向があります。
 もちろん、きちんと目配りの利いた議論をしていれば問題はないのですが、それが「趣味誌的思考」に留まるレベルであれば、「社会派」ならぬ「会社派」だったり、それこそそんな意見を聞いていたらお客が逃げると言うような贔屓の引き倒しレベルのものもあるわけです。

 私も同感です。通常、多くの掲示板でされている議論は、鉄道の車両に関する話でもダイヤに関する話でも、鉄道会社の経営の視点から「現状はこうだからそれはできなくても仕方がない」という議論が大半です。それは一つの見方としてはもっともなのですが、本来ならば「経営の視点上可能かどうか」という議論と「社会的な必要性があるかどうか」という議論は別に行なわれるべきだと思います。そして、「経営の視点上難しい」けれども「社会的な必要性がある」と判断された時には、『そのギャップを埋めるためにはどのような策を講じるべきか』というように議論が展開していかなければならないはずだと思います。

 ところが、そこまで議論が展開することは非常にまれで、たいがいは「赤字ローカル線は鉄道趣味者が乗るから安泰だ」とか「中心市街地にLRTを引けば街が再生する」という非現実的な話から、一方では「川崎縦貫高速鉄道は不要だ」といった経営の観点からの慎重論があります。これらの議論は、途中で思考がストップしている表面的・一面的なものの見方でしかなく、鉄道趣味的な考え方は往々にしてそういった傾向があるのではないかと私は考えます。

 ひるがえって、経営的な側面から考えた場合でも、鉄道業界は非常に特殊な状況にあると言えましょう。それはエル・アルコンさんが書いている通りで、

 どんな企業でも経営効率、運用効率を絶対にして経営が成り立てばそんな楽なことはありません。客商売でそんな虫の良い話はないわけで、例えば近場の客は普通列車に乗せて優等列車の速達化を計る、なんて利用者に言うことを聞かせるような商売が通用するケースは実は少ないのです。
 どんな分野でも、ユーザー側のはずの素人談義でユーザー側のメリットを追求しない、甚だしいケースでは追求することを咎める姿は滑稽を通り越すものです。

 通常の商売は、企業はお客様の持っているニーズを形やサービスにして提供することで、その満足の対価としての金銭交換があり、そこからコストを差し引いたものが企業の利益となるわけで、企業は「いかにお客様の満足を高めるか」を考えて行動をします。当然、お客様によって「何に満足を感じるか」は異なるわけですが、ある人の「満足」がある人の「不満足」につながる例はほとんどありません。

 しかし鉄道会社の鉄道輸送の商売はそうはいきません。特に東京圏は朝の混雑がひどすぎて人が乗るほど乗っている方は不愉快になる、ということが現実に起きていますし、優等列車の停車駅や緩急結合による損得も明確に分かれます。鉄道や道路といった交通業界がこれまで全般的に公共のコントロールが強かった(?)のも、通常の商売とは一緒にしてはまずい部分があったがゆえなのだと思います。

 ただそうは言っても、再び公共のコントロール下に戻せば良くなると言った話でもないです。今後は、上下分離・PFIといった新しい「半民半官」の運営手法や、中量版でエル・アルコンさんが取り上げていたようなNPOによる交通運営などに可能性があるのではないかと考えています。

 そう、プロであっても、「乗って楽しい」「乗って良かった」と乗客が、そして自分も思うような鉄道であれと思っているのであり、中途半端な「趣味誌的視点」の層を別とすれば、想いは一緒なのでしょう。そしてそれは鉄道や交通に限らず、実はそれぞれの世界での「プロ」である我々にも共通する話なのです。

 だから、あえてこういった掲示板で交通論を議論することの意義は、「会社派」の視点を学ぶということよりも、やはり通常の商売と同じように「どうやってより多くのお客様=利用者の満足を高めることができるのか」を議論できることにあるのだと思います。まずどういった社会的ニーズがあって、それをどうやって実現していくことができるのかを皆さんと一緒に考えていければと思っております。

 ではでは。

趣味誌・会社派・趣味的視点。。。
 投稿者---3京新聞氏(2004/03/29 23:58:51)

 こういう話題はあまり得意ではないですが、よく話題に上がるものでもありますから・・・

■ともさんへ

 私は幾つか鉄道系のサイトに出入りしていますが、確かに趣味誌だけ・川島本だけを証拠に話をする方は目に付きます。一方、川島本を引き合いに出すのは禁止し、あるいは明確なソースの提示を求めるところもあります。ソースが曖昧なままのサイト・掲示板は議論のレベルも低くなりますね。極端に妄想に陥るか極端に会社寄りによるかになってしまいます。
 ここ数年、車両に対する賞も迷走している感があります。投票順位は参考にしつつあくまでも新しい技術・取り組みが入っているかどうかなどで決めていたときもありましたが、最近は投票順位の高いものに与えるという傾向が出てきています。どちらについても賛否両論あるように思います。209-950が賞を受けたときも鉄道ファンの恥だとする人から授賞は当然だとする人までいました。こうも評価基準がぶれることは航空や自動車ではないように思います。
 それから、鉄道車輌に対する賞があまり気にされないことですが、これは「ヲタの妄想」だからだけではないと思います。自動車は消費者が自由に選べ、航空も大抵の場合は少なくとも2社の中から選べますが、鉄道会社の多くは(鉄道に関しては)地域独占なので航空や自動車とは環境が違うというのもあると思います。尤も、JR九州のようにそこそこ宣伝に使うところもありますが・・・。

■エル・アルコンさんへ

 なかなか色んなところで、なるほどと思うところがあります。

 単に列車や車両の表面だけを追うのではなく、鉄道や交通を社会全体の中で追っていくと言う「社会派」の視点ですが、往々にして利用者として感じる素朴な欲求・感想を否定し、経営や社会的役割を絶対視する傾向があります。

 そうですね。最初の頃は素朴な欲求を持っても段々そういうことを否定していくことに染まってしまいます。これが極度に進むとちょっとした疑問や問いかけもダメ。褒めること以外、一切禁止となってしまいます。正しく贔屓の引き倒しというところなのでしょうか。流石にそこまで行くと議論にならなくなります。
 かまにしさんの

 「経営の視点上難しい」けれども「社会的な必要性がある」と判断された時には、『そのギャップを埋めるためにはどのような策を講じるべきか』というように議論が展開していかなければならないはずだと思います。

という点には同意できるものがあります。本来なら、そう考えるのが自然なのかなと思います。

 どんな企業でも経営効率、運用効率を絶対にして経営が成り立てばそんな楽なことはありません。客商売でそんな虫の良い話はないわけで、

 それも頷けます。あまりに会社派であると効率化・近代化・合理化を絶対肯定するところがありますね。でも、3セクなどで地域住民・利用者にアンケートをすると合理化に対しては抵抗が強いですね。

 「かっこいい電車」「快適な電車」...経営的に見ればあまり収益に寄与しそうも無い無駄な部分かもしれませんが、ユーザーがそういう尺度で鉄道を見ているとき、それはどこかで利用の有無を決めるファクターになります。
 そう考えると、現実はどうあれ、楽しさを追求する「趣味的視点」(≠趣味誌的視点)のほうが却ってプロである事業者にとっても有益なのです。

 確かに・・・。「かっこいい電車」「快適な電車」ついつい否定してしまいがちなのですが、否定はできませんね。四国のアンパンマン列車など「たのしい電車」も利用促進に寄与することは証明されていますし、それ以外でも・・・。「趣味的視点」というのもまんざら捨てたものではないですね。

ミーハーな私。調べ物をする私。
 投稿者---さいたま市民@西浦和氏(2004/03/29 00:28:10)

 みなさん。こんばんわ。時節柄?いい話題だと思います。

 なかなか刺激的な投げ掛けですが、一方で正面から受け止めないといけない部分でしょう。

 そうですね。まじめに考えてみましょう。謎かけに対して、答えになっていませんが、私はこんな切り口で行ってみます。

* 鉄道の何が好きなのか?
* 「交通」に何を求めるのか?
* では、どうやって主張するのか?
* そして、何を学ぶのか?
* ネットで何ができるのか?
* ちょっとした「参考文献」

では、始めましょう。

 * 鉄道の何が好きなのか?

 「鉄道びいき」の人は多いですね。もちろん、同じ割合で「自動車」の人も「飛行機」の人も「船」の人もいるわけです。
 「自動車」の中でも、「乗用車」「乗合自動車」「貨物輸送車」「特殊な自動車」と乗り物に興味を持つ人と、「道路」や「運転」に興味を持つ人があるのでしょう。この掲示板での話題の分類(過去ログ参照)を見ますと、「交通」と言っても広い話題があるものです。それぞれの分野にも、更に細分した興味があるのでしょう。それぞれ専門の技術や趣味の雑誌が出ていたりするわけですね。乗用車は、趣味や必要に応じて個人でも手に入れることのできる「乗り物」です。お金はかかりますが。
 「鉄道」は個人で思うようにできる乗り物では無いですね。ですから「公共」という枠を通して議論が広がるし、専門的な技術知識が意外と話題になりますね。そんな事から子どもでも知的な興味を満たす練習のできる趣味の対象となるのでしょう。私たちはそうやって育ってきましたね。
 その時に、興味が向いた分野がおそらく皆さんの発言の思想の元になっているのだと、掲示板を読んでいて感じます。
 鉄道は公共施設であるからこそ、「こんなこといいな。できたらいいな」という意見が各分野に出てきますね。路線の配置や線路の幅や駅の配線など線路に対する意見や、イスやドアやトイレや窓や最高速度など車両に対する意見や、走る本数や順序、どこに止まるか、止まらずに行くかなどダイヤに対する意見や、お客として利用者として物理的にふれあう駅施設や駅員乗務員のサービスに対する意見など、私たちの目に入るすべてのハードソフトが興味や議論の対象になるのです。確かに、掲示板の中では、そこに趣味が顕れるわけだけれども、「個人で手に入れることができる趣味」で終わってしまうのではないですよね。よしんば「個人の趣味」が話題になったとしても、あくまで、趣味というより「それは交通全体に対してどうなの?」という話題の展開になりますね。
 だからこそ、皆さんの投稿で、良く使われるキーワードとして「ブレインストーミング」という言葉が出てきますが、そういう態度で投稿される方が多いわけです。もちろん私もそうです。そうやって語り合うことが、大人になった私たちの、子どもの頃からの「電車が好き」という気持ちを表していることになるのでしょう。
 また、実際に鉄道関係のお仕事に就かれている方は、個人のお気持ちと実際の業務の違いを指摘して頂いたり、業務の上で「電車が好き」という態度をどのように生かしているのかを披瀝していただく事になりますね。

 * 「交通」に何を求めるのか?

 人間やものが移動するという事は、永遠に続くことで、この日本列島の中の移動も活発で、地球全体を股に掛けた日本人の移動だって珍しくない世の中になりました。もちろんどこの国の人たちも同じですよ。
 では、その時に「何が理想的な移動なのか」という、これもとてつもないテーマを、私たちは大陸間移動から角の交通標識まで望遠広角自由自在に話題にしているのですね。
 そして、「私たちにとって望ましい移動の姿」はその時々によって違うものなのですが、現代の課題を指摘するときに、過去の姿から学ぶことが重要でもあるんですね。
 私の問題意識は、「今の交通企業は合理的なんだかどうなんだか分からない」というところです。問題意識の置き方は皆さんそれぞれの趣味や興味や学術的な視点にあるのでしょう。

 * では、どうやって主張するのか?

 いつか皆様にご紹介したいと思っていた、手元にある単行本「鉄道好きの知的生産術」(佐藤信之著)によりますと、テーマの設定例として、「運輸政策」「都市鉄道整備」「地方私鉄」「東南アジアの都市交通」が上げられていますが、管理人さんはじめ、この掲示板の皆さんの投稿テーマは多岐に渡っていますね。もちろん佐藤先生が上げられたテーマでくくられる話題もあるでしょうが、鉄道以外の話題も取り上げる掲示板群ですから、他の交通モードからも、同じ態度の主張が必要なんですね。
 具体的な方法、スタイルとして佐藤先生は、前褐書で「卒業論文の書き方」のさわりを例とされており、電子媒体であってもTPOが重要であると主張されていますね。と、なると、私のこの掲示板での語り口のような文章は、…どうなんでしょう?
 皆さんそれぞれに、文章のスタイルというものがありますから、「〜節」なんていう独自の視点や文体があり、それはそれで知的な興味を呼び起こし、満たされるわけで、やはり「読んで楽しい掲示板」でもあることが、こちらの良さではないかと思われるのです。
 極端な事を言えば、大人の娯楽としての「鉄道雑誌ごっこ」でもいいのではないかと思うぐらいです。ただ、その中で、学術的な吟味に耐えうる文章や主張の投稿の存在は、この掲示板の投稿者の幅の広さを表しているのです。各分野を「良く知っている」、皆さんの知識や考え方を学ぶことができることは、匿名同士の世界ではありますが、そうそうあることではないと言えます。管理人さんは、「顔の見える掲示板」を標榜されておりますので、実際投稿者の皆さんがオフ会の現地見学などで会う機会もありますから、他の掲示板でこちらの掲示板群が話題になった時に「ご一行様」という表現をされた方もありましたね。
 この掲示板での常連投稿者の皆さんは、それぞれ深く広い専門知識や視点をお持ちの方ばかりですから、私のように抽象的な総論ばかりを書いていると、その間に話題が移ってしまって、ちょっと場違いな感じがしてしまうときもあります。これは掲示板というメディアの特性ですから仕方がありませんが、古いテーマでも話題にすれば「最新の話題にできる」という点で、主張を繰り返したり大きなテーマで長い時間かけてまとめる場合、その時どきの参加者の意見を聞いたり取り入れたりできますから、これは便利であり、知的な生産の上で有用だと思っています。

 * そして、何を学ぶのか?

 「交通」に関する様々な意見や主張、レポートを読むことが何になるのか?
 これもよく考えさせられることです。
 私などは子どもの頃に「電車の本ばっかり読んでるんじゃないよ」と親に叱られたものでした。でも、現実には結構いろんな事を「電車の本」から学んだような気がします。それは、決してバランスのいいものでは無かったのですが。
 乗り物が動き、人やものを運ぶにはたくさんの人の手が掛かっているということは子供心によく分かったつもりです。その時に、様々な約束があり、マナーや仕事の手順や法律で定められている基準やその法律自体を、歳をとるに従って学んでいったのが今の私や皆さんかもしれません。
 「理想的な移動の姿」を考え、主張することは誰でもできますし、皆さんにして欲しいことです。さまざまな立場や視点の主張をたくさん知ることは、日頃当たり前だと思っていたことが、実はおかしな事であったり、自身の考えていたことと同じ事を思っている人がたくさんいることに気づいたり、これはまさに学んでいることになるのでしょう。
前節で書いた「ブレーンストーミング」は今の私たちに必要なことなのでしょう。「鉄道が好き」「バスが好き」「飛行機が好き」「船が好き」という気持ちやこの気持ちに基づく知識の蓄積は、おそらく膨大なものなのです。一人一人の蓄積がネットで集まって、新たな思潮が生まれるというのがまさに現在の文化の動きなのですね。その一部分を担うことができるのは、疎外感の深い現代に生きている私たちが人間性を取り戻すために大きな役割を果たす事になるのだと思います。
 「理想的な移動の姿」を考えるときに、人や乗り物の動きの約束に基づいて主張する人もいるでしょうし、その約束自体を吟味しようとする人もいるでしょうし、いっそ新しい約束を作ろうとする人もいるでしょう。どの主張がどの考えに基づくものか、考えるだけでも十分に「ブレーンストーミング」になってますね。

 * ネットで何ができるのか?

 ネットの力というのは、「ブレーンストーミング」の中から新しい思潮が出てくるという、とてつもなく先の長い文化活動なのだと思うのですが、私たちの議論はそのどれだけを担っているのか、あんまり分かりませんね。でも、参加ししている私たちは、それぞれ思惑や主張があるわけで「私の考えを分かって欲しい」という気持ちは同じはずですね。
 前出の佐藤先生ではないですが、「鉄道好きの知的生産」の活動は、ネット上の各地で行われている訳ですね。この掲示板をはじめとする鉄道趣味の掲示板の総合案内のHPを見ますと、地域別や車種別、企業別など様々な掲示板があるんですね。驚きます。
 こちらの掲示板群では、管理人さんの時宜に応じた話題の提供と、投稿者に長文が許されている事が相まって、広い話題が展開しています。また、写真や地図・統計・グラフを用いたレポートや論文の投稿もありますので、もう、趣味誌の体裁です。
 そのようなまとまった主張をされる投稿者の皆さんと、読者の皆さんの疑問質問意見がダイレクトにやりとりされる訳ですから、内容において本屋さんに並んでいる趣味の雑誌を乗り越えているのではないかと錯覚するくらいです。
 そのようなこの掲示板群の中身を高め、既存の雑誌の活性化にも寄与できるくらいになれば、私たちの拙い文章でも書き甲斐があるというものです。
 でも、既存諸雑誌がその特性を生かし切れているのかという疑問は残ります。これはまた別な話題として皆さん、やりましょう。

 * ちょっとした「参考文献」

 ちょっとした参考文献リストを上げてみます。役に立つかどうか分かりませんが、本屋さんや古本屋さんで捜してみて下さいね。

# 「鉄道好きの知的生産術」 佐藤信之
# 「東京圏通勤電車事情大研究」 川島令三
# 「電車の世界」 鈴木重久
# 「東京都市計画物語」 越澤 明
# 「埼玉の鉄道」 老川慶喜

***
 長い文章の割には、話題についていっていませんでしたね。書き足りませんでした。更に続けます。

 * 調べ物をする私

 このスレッドのおおもとの問題提示に私も答えたいと思います。

 私は学生時代、地理学を勉強しましたが、地理学を志す高校生の意識は当時大きく3つに分かれていました。
 1つは外国の事情に興味がある学生。これは学校で習う地理の授業の中に「地誌」という分野があり、日本や外国の物産風俗を学んだことから興味を持った人たちですね。
 1つは登山や海洋スポーツなどに興味がある学生。これも地形や環境に興味を持った人たちであると言えましょう。「地形学や気候学」という分野を学ぶことになります。
 1つは地図や乗り物の好きな学生。鉄道ファンなどに由来するきっかけですね。交通や地図学、都市、人口について学ぶことになります。私はこのジャンルに入ります。
 そのような仲間たちと共に学んできたわけですが、最初は自己の趣味の得意な分野から勉強を始めるわけです。

 ところが、演習の発表などとなりますと、雑誌などを一生懸命調べましても先生たちはそれを評価しないのです。趣味の雑誌では勉強する意味がないのですね。雑誌記事を書いた人も、実は学生と同じレベルだったり、記事の書き方が論文になっていないからなんですね。更には、先生に「その記事を批判してご覧」等と言われて赤くなったり青くなったりするわけです。18歳の学生にとっては、どんな記事でも「活字になっていれば、それはすごい立派な情報なのだ」という意識の方が先に立っているからなのですね。大学へ行くことや実務経験を積み重ねることは、「活字=すごい」を批判できるようになることなんですね。

 そういう経験を重ねますと、だんだん、世の中の雑誌には「趣味の雑誌」というものと「学術雑誌」というものがあるのだと分かってくるものです。
 地理学であれば、「地理学評論」を始めとする、各学会が会員向けに団体の名前で編集発行する学術誌があります。大きい本屋にはあります。
 また、学術誌とは違う、裾野の広い雑誌「地理」などは、研究者向けであり、一般向けでもある雑誌になります。
さらに、同じ地理の名前を付けていても、読み物として多くの人に読まれているのが「ナショナルジェオグラフィックマガジン」だったりするわけですね。
 非常におおざっぱな分け方ですが、雑誌のグレードというか、異なる読者層それぞれに向けた雑誌があるのはどの分野でも同じ事でしょう。
 で、どのようなグレードを意識して文章や論文を書くか、というのはテーマの取り方や主張の内容、相手を想定しなければならないのですね。
 学生たちは、今度は雑誌を批判する事ができるように原典や基の資料に当たることになるのです。こんな事を繰り返して、感情的な批判から定性的、定量的な批判をすることができるようになるのですね。

 前に、佐藤先生の本を紹介しましたが、先生はその本の中で、参考文献、原典をたくさん紹介しています。
 各社の社史や、地方出版、公的な統計、報告書に加えてネット上で検索できる地方新聞の紹介までしています。

 私は、文章を書くときにはそんなにたくさん調べるわけではないですが、興味に沿ってネットの検索はしましたね。浜松の議論の時には、地形図や都市計画のPDFに加えて、「浜松市統計書」ぐらいまではあたったのです。
 若い人たちや、プロで無い人たちは、鉄道雑誌程度の知識や問題意識でネットへ投稿するのでしょうから、「ネットの情報は玉石混淆」となってしまうのですね。
 ただ、私も掲示板の投稿で、どのレベルを選んだらいいのかは答えが出ていません。

 夜も遅くなりました。改めて今夜はこのへんで。

京阪京津線で感じた「趣味誌的定説」の陥穽
 投稿者---エル・アルコン氏(2004/04/12 16:40:38) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 週末、スルッとKANSAI3dayチケットを使って京都や大津エリアを散策した際に、京阪京津線を利用しました。

 ここは97年の京津三条−御陵間の併用軌道廃止、京都市交東西線化に伴い、御陵−山科間の二重運賃が話題になりました。つまり、蹴上以遠の京都市街のほうから乗車した時、東西線の醍醐行きに乗り、地下駅の山科駅で降りたら京都市交の運賃だけで済むのに、京都市役所前まで乗り入れる京阪に乗って地上の京阪山科で降りると、御陵−京阪山科間の京阪線の運賃を取られる(乗継割引で+90円)というものです。
 さすがにここまで違うと京阪山科から三条方面への利用は絶無になると思われていましたが、あにはからんや京阪山科の三条方面ホームで電車を待つ人がいたりするわけで、謎が謎を呼んだ形です。
 よく言われるのが、地下鉄山科は地下駅であり、バリアフリー完備とは言え面倒くさいので敢えて京阪電車を使うのでは、という理由で、趣味誌や鉄道関係の書物などでも目にするわけで、なるほどと膝を打ちたくなる理由です。

***
 さて、週末の乗車時も山科で5人程度の乗車がありました。
 山科で段落ちして4両編成に座席定員半分程度での5人は少なく無いわけで、どういう流動か興味を惹きましたが、結論から言うと、全員次の御陵で降りました。
 考えて見れば、山科区内の移動だってあるわけで、特に山科−御陵であれば市交200円に対し、京阪が160円ですから、京阪を積極的に使う動機があるわけです。

 区役所こそ離れてますが、駅前には再開発ビルであるラクト山科があるわけで、山科を向いた流動があってもおかしくはありません。
 そう考えると、直通する乗客でも、蹴上以西〜四宮以東への定期券を持った人が京阪山科に途中下車するというケースも充分考えられます。
 また、三条方面に急ぎたい、三条での接続があるので、次の地下鉄まで待てないと言うケースもあるでしょう。

 もちろんバリアフリーだから、という理由もあるでしょうが、上記のように利用に対する合理的な理由がそれなりに存在する以上、一見奇特な利用の総てを帰結せしめるのは単純だと感じました。
 このように、「定説」化しているような事象でも、実際に見て考えて見ると違う回答が見えてくることもあるわけです。
 このケースでは、鉄道の側から見がちな趣味誌的な視点だと、「本数が少なく、高い運賃なのに利用されるのはなぜか」→「地平レベルで発着と地下ホームから発車」→「やはり乗りやすさか」→「バリアフリー云々...」という流れになりやすいのですが、利用者の側の事情をあれこれ忖度すれば、京津線を指向する合理的な理由が他にも存在するわけです。
 そういう点からも鉄道誌その他の情報を単に取り入れるだけでなく、どう咀嚼するかが問われると思います。

趣味誌的定説のバイアス(偏り)
 投稿者---World's Uniquest Railway Enthusiast氏(2004/04/13 00:32:08)

 こんばんは、WUREです。

 このように、「定説」化しているような事象でも、実際に見て考えて見ると違う回答が見えてくることもあるわけです。

 鋭い指摘ですね。

 実はおなじ事を問題意識としては持っていたのですが、上手く言い表す事が出来ず、ここ一週間ほど考え込んでいました。

 私の場合、俗っぽい批判が一つくっついていて、それは、この種の説明の根拠になっている試乗についてのものです。

 鉄道に関心があり、かつ鉄道批判を試みる人の多くが陥る罠は、非常に限られた試乗でその路線、列車の全てを知ったようにものを語る事にあります。単純に言えば、鉄道ファンが「試乗」と称して趣味の範囲で乗りに行けるのは、休日の昼間に限られ、平日の昼間よりは空いていて様相を異にしている時間帯です。仮にラッシュ時に乗れたとしてもこれも難しいところ、職場や高校が特定の場所に集中している地域などでは、10分乗る時間を変えれば客層が全く異なる可能性もありますが、これを考慮して全ての列車の乗車を試みる事などは難しい話です。運行本数等の条件が似ていれば、自分たちが普段利用している路線より、趣味でたまにしか乗れないような路線の評価が高まるのは当然ともいえ、私は、関西の通勤輸送サービスが評価される理由は、こうした検分のバイアスの帰結ではないかとすら考えています。

 個人で鉄道の好みを云々するのは自由であるし、その各個人の嗜好に合わせて趣味誌が記事をつくっているのであれば(少なくとも経営的には)問題はないのですが、気になるのは、鉄道趣味誌自体が、こういうバイアスのかかりやすい試乗調査を行い、これを元に客観的観察の結果として(信じて)バイアスのかかった批評を行っている可能性であります。個人で調査するよりは、資金にも人材にも余裕があるはずですから、この辺り慎重にやって欲しいのですが、どうも過ちを犯しているように感じるのは私だけでしょうか。

 この問題は、より具体的なものでいうと『RJ誌の「列車追跡」などはいかがなものか』という話になります。私の場合、古いものはむしろ好きだったりもするのですが、最近のものに関してはいただけない印象をもちます。こうした取材方法には長所・短所があるわけで、上手く使いこなす事が肝心なわけですが、RJ誌がそれを忘れてしまっている感じがあるからです。

***
 ちなみに、こんな事を思った理由は先月のヨーロッパ旅行にあります。
 特に関心をもったものは車内での食事サービスで、不採算と言う事で縮小傾向にある食堂車が、イタリア国内や夜行列車では復権傾向にあり、これで議論を提起したいと思ったもの(食文化や客単価から経営の可能性を示すというかたちで・・・)の、よく考えてみれば、列車が空いていて快適なオフシーズンの一度きりの旅で何が語れるのかという事に気づいたと言うわけです。アメリカのように英文資料が容易に入手できれば評価も出来るのですが、非英語圏ではそれを望むべくもなく(ゆえに、LRT復権論も、根拠となる資料が地図と写真と短期間の訪問記が中心という事が多く、文書を深く吟味しようとすると難しくなるケースがあるようです)、欧州の鉄道を元に日本の鉄道を議論する事の難しさを感じました。

WURE

予想外に読める専門誌や専門書
 投稿者---とも氏(2004/04/18 03:28:59) http://town-m.vop.jp/

 ともです。
 WURE様に少しだけ。

 アメリカのように英文資料が容易に入手できれば評価も出来るのですが、非英語圏ではそれを望むべくもなく(ゆえに、LRT復権論も、根拠となる資料が地図と写真と短期間の訪問記が中心という事が多く、文書を深く吟味しようとすると難しくなるケースがあるようです)、欧州の鉄道を元に日本の鉄道を議論する事の難しさを感じました

 確かに趣味誌ではそうなりましょう。しかし、専門誌もあわせれば案外資料は集まるものです。
 たとえばストラスブールのLRT整備効果の資料のフランス語版はweb上でも手に入りますが、これの日本語訳(抜粋)がすでに専門誌には掲載されています。これを読むとストラスブールの意外な悩みもわかるのですが、それに加えて趣味誌のバイアスの怖さ(いかにLRTを片面からしかみていないか)が良くわかります。また費用対効果なども触れられ、これらは非常に興味深いです。
 また、各種専門誌(鉄道だけではなく道路、都市、建築など様々)を読むと海外事例紹介などで結構要約とはいうものの非英語圏の情報が手に入ります。

 たとえば以下の専門誌を探されてはどうでしょう。大きな図書館には蔵書があるかと。

・土木学会誌
・交通工学(LRT特集は年に1度くらい組まれている)
・運輸と経済(LRTの記事は頻発に掲載)
・運輸政策研究(LRTのレポートは多い)
・高速道路と自動車(海外文献の紹介ページあり)
・道路交通経済(費用対効果論などはかなり参考になるはず)
・都市計画

 これらは少なくとも図書館での閲覧や大きな書店で購入が可能なものです。これらを観ることから初めてはどうでしょう。

 やや説教くさいですが。それでは

Re:予想外に読める専門誌や専門書
 投稿者---World's Uniquest Railway Enthusiast氏(2004/04/22 00:14:50)

 とも様、掲示板来訪の皆様

 こんばんは、WUREです。
 まず、ちょっとお詫びをしておきます。
 先週、

 ゆえに、LRT復権論も、根拠となる資料が地図と写真と短期間の訪問記が中心という事が多く、文書を深く吟味しようとすると難しくなるケースがあるようです

 と記してしまいましたが、言葉どおりの意味で、全ての資料が「地図と写真と短期間の訪問記」で終わっているわけではないことは付け加えておきます。
 私自身は、専門誌の記事であっても、一通りのシステムの概要、制度の把握などの短期間の調査に基づく報告で終わってしまっていて、(同じような専門家が参考とするには問題ないにしろ)私のような人間があれこれ思索するには物足りない、というニュアンスを伝えたかったのですが、舌足らずな表現ですし、きちんと調査している専門の方々に対しては失礼であったかもしれません。

 実際のところ、私は(自分の使途において)少々物足りないという失礼な印象を持っているものの、とも様ご指摘のとおり、交通を議論する際の参考資料としても、趣味的な題材としても、専門誌の方が優れているなと感じる事は多いです。取り上げる範囲が広範で渡っています。また、その叙述も基本的に事情に詳しくない読者を対象にしたもので、平易かつ、趣味的関心も満足させるような原稿が多い事は特筆すべきかと思われます(海外事情のみならず、国内事情でも「運輸と経済」などはバスジャーナルかと感じるほど論文、報告でバスを取り上げていますし、「高速道路と自動車」もそれに追随している感じはあります)。
 私の場合もHP作成にあたって現代のアメリカの鉄道事情(TEAやアムトラック存続問題など)を記述する際には専門誌や、学術書を利用するのですが、同じようなかたちで欧州の交通事情、政策の叙述をする分には不便は感じていません。この掲示板でも昔論評された「陰謀説」が未だに学説として出てきたり(勿論、重要な部分ではないんですが)、社会保険的性格を有す、フランスの交通負担金制度が、あたかも法人税のような「交通税」として扱われているのには違和感を感じますが(といってもストラスブールの公式HPの記事がそうなっているからやむをえないのではありますが)。

 では、何に不満があるのか?という話になりますが、こういう技術的な話、政策的な話を超えて、「交通を取り巻く空気」とでも言うべきものにじかに触れようとすると、たちまちにこういった事例の理解が難しくなるというのが現在の私の悩みであります。
 日本であれば、利用者=我々、ですから、主観が入る事にさえ気をつけていれば、この「空気」を感じる事はそれほど難しくありません(空気というと曖昧ですが、利用者が何を感じ、どう思い、何を望みながら交通を利用しているのかというような話です)。海外、それもML等で何とか把握できる英米を抜けるとに出るとこの把握は非常に難しくなります。
 確かに、技術・制度面での情報は多く入るようになりました。フランスの行政制度の変革を参考に、権限、財源の地方分権を進め、公共交通用の財源を確保し、行政と市民の協議会を行う事で、日本にLRTを設ける事はできるかもしれません。「システムの植え替え」とでも称すべきようなこうした話は徐々に精緻化されながら、趣味の世界をはじめとするあちこちで議論されています。しかし、これは、同時に今だ理解できていないこういった交通システムにまとわりつく「空気」を持ち込むことにも繋がるわけです。で、こうした話題にはなかなか手が出にくいわけです。

 勿論、別に先進地域から全てを汲み取ろうとせずに、有益な情報だけを持ち帰り、これを日本型のシステムに組替えることは十分可能ですし、通常はむしろそうすべきかとは思います。ただ、あれこれ想像を広げる際にはどうしてもまわりをとりまく「空気」に触れたくなる事が多く、悩みます。よくわかりもしない(ここでいう空気のような)ものについてあれこれ議論する事こそが「趣味誌的思想を生み出す根源」といわれれば、まさにその通りではありますが。

WURE

「空気」をどう使いこなすか
 投稿者---エル・アルコン氏(2004/04/23 11:44:21) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 「空気」の問題ですが、そこは難しいようで簡単な話かもしれません。

 もし、利用者(ケースによっては趣味人なども含むでしょう)の感覚でもある「空気」が重要でないのであれば、交通機関の整備、運営については地理的条件、距離、人口規模などから最適解が機械的に求め得るわけですが、実際は(交通に限らずあらゆる分野でですが)そうではなく、利用者の感覚、つまり「空気」が支配する部分が多いのも事実です。

 では、その「空気」をどう把握するか。
 結局、実際に見て初めて解る部分、というのはまさにその「空気」であり、それをどう分析するかによって、その地域における交通の把握におけるレベルが決まります。
 そこで「一見さん」にどこまで分かるかという問題にもなるのですが、客層の観察や分析が出来ていれば、定常的な流動なのか、イレギュラーな流動なのか、それともイレギュラーではあるが、そういう流動のための対応路線なのか、等々の判断も可能です。

 さらにそこから踏み込むこととしては、専門誌、地元情報などで復習することによる補強です。
 特に自分で考えていたストーリーと合わない場合、自分が間違っているのか、レアケースに当ったのか。「復習」によってその解がある程度は見えてきます。

***
 趣味誌の良いところは、ルポにより「空気」を示すことにあるんですが、「空気」の把握が出来ていない机上の資料で書いたようなルポがあるわけです。一方で「空気」の検証が出来ていない尻抜けのルポもまた多いわけで、そのあたりに本来趣味人の「手本」となるべきプロとしての趣味誌の問題があると思います。

「空気」を読むには
 投稿者---とも氏(2004/04/23 17:55:14) http://town-m.vop.jp/

 難しい問題のようで、私もさして難しいとは思いません。
 エルアルコン様ご指摘の通り、

 結局、実際に見て初めて解る部分、というのはまさにその「空気」であり、それをどう分析するかによって、その地域における交通の把握におけるレベルが決まります。

ということではないかと。
 たった一度きりの訪問でも、みようでいろいろ判ることがあります。
 たとえば地方路線の駅前に駐輪場が多ければ学生が多い可能性があるとか、パークアンドライドが盛んなら道路混雑が激しいのではないかとか、さらには時刻表、車両の運用、バスならば本数や信号制御、車線割り、構成・・・様々に見ることで判断ができるようになります。

 たとえば外国に行くとしても1回の訪問で何が判るのか?と言われれば普通は「判らないよ」となるかもしれません。しかし、ある程度の「訓練」によってそれはクリアされます。
 これは技とかなんとかではなく経験が全てです。

 だいたい都市活動や交通行動には法則があります。地方都市でもなんでも土曜日の午後はこういう流動とか日曜日は午前中は意味がないとか。そういったことと沿線の状況を見て、乗って、駅や車内をよく観察し、そこにデータを照らし合わせれば1度の訪問でもある程度見ることができます。

 以前、中量板で沖縄訪問の話が出ていました。たった1日の訪問ですが、みなさん要点を掴んでます。実際、あの後何度か訪問しましたが、外れてはいないでしょう。
 そういった「空気」を読む「努力」をしさえすれば、それほど難しいとは思えませんが。

 その一助となるのが専門誌のデータであり趣味誌ルポですが、その趣味誌のルポが閉口もの(鉄道に偏りすぎ、肝心なことを見ていない)という悲しいことこそが最大の問題なんです。

 まとまりませんが。では

「事実」と「ドキュメンタリー」の間ですら、の話
 投稿者---エル・アルコン氏(2004/06/16 12:01:43) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 6月15日のNHK「プロジェクトX」は、1972年11月6日に起きた北陸トンネル火災事故がテーマでした。
 深夜、下り急行「きたぐに」の食堂車(オシ17)から出火。当時の基準に従ってトンネル内に停車して消火、食堂車を切り離しての脱出を試みるうちに停電で動けなくなり、一酸化炭素中毒などで30人が亡くなり、500人以上が負傷した事故で、長大トンネルでの防災体制や火災時の運行基準の変更につながった事故であり、これによりオシ17を使用していた急行列車の食堂車が全廃になっています。

 さて、この事故は「続・事故の鉄道史」(佐々木富安、網谷りょういち共著)でも取り上げられており、そちらで粗々の状況を把握されている人も多いかと思います。
 しかし、今回の放送には、同書内容との相違、また、同書で看過されている部分があるわけで、こうした「定本」化している書物の評価の難しさを感じます。

 このあたり、参議院運輸委員会(1972年11月9日)の議事録(国鉄側説明委員:磯崎総裁、阪田理事)などで補強すると、番組と書物のそれぞれの「見方」が見えてきます。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/070/1290/main.html

***
 さて、三者を見比べての感想ですが、事実関係、境遇の差異が気になります。

●自由席乗客の車外避難は?
 番組では乗客として普通車自由席の乗客にスポットがあたっており、救援がなかなか得られなかった状況がリアルに再現されていました。一方で、書物では、同じ普通車自由席の乗客が、早い段階で車外に出て、福井方坑内に抑止中の上り急行「立山3号」に救出された証言が掲載されています。

●旧型客車のドアが施錠?
 両者に共通する事象として、「外に出られなかった」ということがあり、その地点はどちらも新潟回転の寝台車と、青森まで行く普通車自由席の境界でした。
 当時は10系寝台車と、10系もしくは43系座席車ですから、デッキのドアは手動のはずです。それが開かなかったということは、忍錠か何かで施錠されていたことになるわけですし、番組では「前(寝台車方面)に進めなかった」ともあるので、貫通路の扉も施錠されていたということでしょう。
 書物では、機関士がドアを開けて退避できたとあり、号車によっての運不運かもしれませんが、同じ号車で「施錠」「解錠」が同居と言うのも妙な話です。
 また、桜木町事故でドア開放の手段が周知されていないことが多数の焼死者を出した教訓から、いわゆるDコックの位置を明記するようになったのですが、「きたぐに」では手動のドアをわざわざ施錠するという非常に危険な状況だったことへの言及はありません。

●旧型客車の窓は開かない?
 番組では、車外に出る時に窓ガラスを割ったとありますが、「きたぐに」編成の旧型客車はB寝台車を含めて窓は開くはずです。開口部が小さ過ぎたのかもしれませんが、B寝台車の下降窓ならいざ知らず、普通車の1段上昇窓で窓を開けての出入りを考えなかったのは不思議です。

●斜坑からの救助は?
 書物では、斜坑からの救出はなかったとあり、一部の斜坑は本坑との間の鉄格子が閉まっていたとありますが、番組では斜坑から救助隊が進入し、かつそれ以前に斜坑から脱出して来た乗客があったとしています。
 敦賀美方消防組合によると、斜坑からの進入と救助がなされたそうですが、実際はどうだったのでしょうか。委員会の議事録では斜坑を利用しなかったともよめる磯崎総裁の答弁があるのも気になります。

救援隊、斜坑から進入 北陸トンネル事故(敦賀美方消防組合)http://www.jnc.go.jp/xturuga/tshiki/tno51/page4.html

●乗客残留の通報は?
 番組では車外に出た方が、トンネル内の非常電話で通報したとありますが、議事録を見ると、非常電話は確かに300メートルごとに設置されているが、それは、機関士もしくは車掌が携帯している電話機を差し込むモジュラージャックに過ぎず、受話器が装備されている高速道路と違い全く役に立たないという質疑がされています。

 もちろん機関士は非常電話で交信しており、その後受話器を持って救助活動をするわけも無いので、現場の非常電話には幸い受話器が差し込まれた状態だったということでしょうが、説明が足りません。

●消防の事前警告は?
 番組で指摘されていた、地元敦賀消防署による警告が再三なされたにもかかわらず、国鉄(金沢局)が対応しなかったことについては、議事録でも厳しく批判されていることがわかります。

 一方で議事録は、事故3年前の1969年12月に、同じ北陸トンネルで寝台特急「日本海」が火災を起こし、煙による負傷者を出したことを挙げています。入口から200メートル地点だったため引き返して難を逃れたとありますが、番組も書物もこれへの言及が無いのはなぜでしょう。私も今回議事録を見て知った事故ですが、「先例」の有無は事故の評価を大きく変えるものです。

***
 有名な事故であっても、その「調書」にあたらない限りは、その真相や背景は性格に把握出来ないことがわかります。
 そう考えると、人気番組である「プロジェクトX」、また良著として孫引きされる機会も多い「事故の鉄道史」の記述・記載は、「事実」となって定着していく反面、そこから漏れた真実や、事実ではないとされた異説をどう扱うのかの問題が残ります。

 「事実」と「ドキュメンタリー」の間ですらこの状態、と考えると、趣味の世界での議論や立論におけるバイアスの排除は相当難しいでしょうね。

2005.02.05 Update

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