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【検証:近未来交通地図】<中量輸送システムの明日…>
(過去ログNo.302)

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LRTの可能性は高くないのでは
 投稿者---エル・アルコン氏(2000/10/22 23:50)
 http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs
─Re:LRTの可能性は高くないのでは
└自動車側から見た論理に過ぎないか?
 └公共交通のネットワーク性とLRT
 └Re:自動車側から見た論理に過ぎないか?
  └LRTと自動車・公共交通機関・市街地活性化の接点
   └横レス:人身事故の処分について
   └Re:LRTと自動車・公共交通機関・市街地活性化の接点
    └Re:LRTと自動車・公共交通機関・市街地活性化の接点
     └ちょっとティーブレークを致しましょう(ディーゼルトラムの可能性)

 LRT、というか中量軌道系交通が展開できる条件としては、

1. 線的展開をしている中心街を持つ。
2. ターミナルと都心間というようなまとまった流動がある。

というシチュエーションが必要です。
 つまり、バスより大きく、高速鉄道より小さいヴィークルの特性がフルに発揮でき、かつバスのような機動的な面的展開を必要としないという条件があってはじめてLRTを展開できます。y
 もうひとつ条件3.として、比較的輸送力の小さい高速鉄道の都心乗り入れ手段という形態もあります。

***
 私はLRTでないと駄目、つまりバスでは果たせないという部分は極めて限られていると考えています。

1.加減速及び制動距離などはバスに劣る。

 特に制動距離が問題で、道路信号に従う以上、自動車より最高速度を低く抑えないと交差点内に過走する。
 優先信号の考え方も出来なくは無いが、青信号を維持する余裕距離・時間を考えたら、一般の鉄道優先踏切を設置するのとほぼ同じになり、歩行者も含めた道路交通が事実上麻痺する。

2.路線設定及び運行の柔軟性が無い。

 軌道敷という改廃が困難な設備に拘束されるため、寄り道や迂回が出来ない。工事や渋滞、事故といった障害の回避が不可能。
 極端な話、ダンボール箱1つといった障害を避けることも出来ない。また混雑時に終点までの直行便を設定と言うような対応も出来ない。

3.スケールメリットは限定的。

 連節バスと比較しても3〜5車体のLRTの輸送力は確かに大きく、人件費の負担という面では効果が大きい。
 但し、終日にわたって大きな輸送力を必要とはしないし、地下鉄などの高速鉄道でまかなうべき輸送量には達しないので、効果は下限同様上限もあるので限定的。

4.設備が大掛かり過ぎ、汎用性も無い。

 軌道敷が無いと話にならない。
 バスは専用レーンにこだわらなければ1車線の一方通行道路でも利用できる。

5.高速走行という点でも優位性は無い。

 専用軌道と一般道という比較をすれば当然LRT優位になる。立体交差完備の専用道路方式と比較すれば、何も特別なことをしないで100km/hで走れるバスが優位。

6.判り易さや「名物」は相対的なもの。

 路線網がさほど密でないから判り易いだけ。全盛期の都電と、今の都バスの路線網を重ねてみれば、都電が判り易いとは決していえない。もしLRTのネットワークを張り巡らせていけば、急激に判り難い存在になる。
 珍しいから名物なのであって、当たり前の存在だった過去、各都市で排除されて希少価値が出てきたからの「名物」化である。かつては地下鉄も希少価値があって「名物」だった。

***
 郊外路線と直通する幹線の設定が可能で、それを補完するように直通または接続する路線を持てる都市であれば、LRTをバスより有利な乗り物として積極的に整備することに意義があります。もちろん市内線のみでも輸送量が相当量に達している場合は別です。

 岡山の場合を例に取ると、岡山駅での断絶と単車で済む輸送量ですから、バスによる整備の方が汎用性、連続性に優れるのですが、そのあたりの採算性比較といったFS(事業化調査)を踏まえているのでしょうか。岡山でLRTを積極的に導入するのであれば、津山線や吉備線など、ある程度まとまった利用のある鉄軌道線の市内直通という役割を担わせたほうが良いと思います。

***
 最後に、法令面ですが、道交法はその冒頭で円滑な交通を目的とすることといたずらに取り締まりをしないことが明記されています。つまり、道路上における交通手段・機関および歩行者は、円滑な交通の実現という目的の前には平等なのであり、どの交通機関・手段・歩行者を強者として排斥し、弱者として保護するということが、円滑な交通を阻害する結果を招くとすれば、それは法の趣旨を取り違えた間違った施策といえます。

 現行の法運用(法文と必ずしも一致しない)で歩行者がその責任の相当部分をクルマに転嫁できるようになっていることが、信号無視や禁止場所横断・通行などの横行を招いており、それが人身事故の相当数を占めていることはその典型です。

 路面電車の乗降の取り扱いにしても、バスなどとの扱いに差があるわけで、安全地帯の迅速な整備か、路肩での乗降が可能なように軌道形状を改める必要があります。安全地帯の設置が出来ないような狭隘な道路の真ん中で客扱いが出来るというのも妙な話であり、それならバスやタクシーも好みの場所で他の交通を法に基づき抑止して客扱いできてもおかしくありません。

 ここでの論点とはずれるので深入りはしませんが、他のすべての道路交通に優先する緊急自動車が、踏切で鉄道を止めて通過が出来ないように、我が国の交通法規における鉄道優先の残滓という捉え方も出来るのです。

美濃町線***
 なお、安全地帯の設置ですが、それが可能な幅員(安全地帯を設置して1車線が確保できる)があるのに設置を認めないケースがあります。
 名鉄岐阜市内線(美濃町線)がその典型ですが、クルマの側からも路面を緑に塗っただけの電停は識別困難であり、幹線道路の路上に電車待ちの人が立っていたり、電車からいきなり人が降りてきたりと非常に危険です。

#「ターミナル」の新岐阜駅前電停ですら、ロープで囲っているだけで道路と同じ高さ。

 これは道交法議論をする以前の問題であり、早急な改善が望まれます。

Re:LRTの可能性は高くないのでは
 投稿者---KAZ氏(2000/10/23 00:56)

 どうもです。

 私もほぼ同意見です。結局は軌道敷と架線に縛られるLRTは限定的なモードのように思いますね。導入できるのは既存の軌道線所在都市か郊外鉄道線の都心直通部分といったところでしょうか。

 今までの経験則からも、交通ネットワークは「連続性」を重視しないと利用されないのは明確で、そういった意味ではガイドウェイバスを含めたバスの連続性は明らかに優れており、また環境面でも燃料電池が実用化すれば鉄道の優位性は崩れます。鉄道のシステムは軌道や電路の保守費にカネがかかり、公共財である道路を無償で使える上に電路保存費の発生しないバスは非常に経済的な交通モードのはずです。また大量輸送も特定の一路線で比べれば劣る部分もありますが、バスの場合は機動性を活かして別経路を自由に設定できますから、複数ルートで需要を分散させて対処することも容易です。

 LRTでないとダメという場面は、正直なところ少ないのではないかと思っています。バスシステムの汎用性・柔軟性・機動性はもっと高い評価を受けてもいいのではないかと思いますね。

自動車側から見た論理に過ぎないか?
 投稿者---打越健太郎氏(2000/10/23 02:05)

 打越健太郎です。エル・アルコン様のご意見にはうなずける点も多いのですが、今回の御主張には聊か疑問な部分も御座いますので、少々ご質問をさせて頂きます。

 まず、第一に、

路線設定及び運行の柔軟性が無い。
 軌道敷という改廃が困難な設備に拘束されるため、寄り道や迂回が出来ない。工事や渋滞、事故といった障害の回避が不可能。

 これに関してですが、一理あるものの、これが逆にバスのスプロール化という望ましくない事態を生んではいないでしょうか。路線が自由であるが故に、かえって路線の数だけがインフレ的に増大し、実にルートマップを見ると、一見大規模なバス路線網が整備されているように見えて、実際には1日2本などという利用しようの無い路線ばかり、というのは、地方都市はおろか東京都内ですら実際にある話です。また、バスルートは簡単に改変が可能であるため、逆に都市の骨格を築き難いということもあります。具体的に言えば、「駅前商店」というものはあっても、「バス停前商店」というものは、バスターミナルのように、移転が考えられないような特殊な例を除いて、新規に設けられることは実に稀です(既存の商店がバス停の傍、ということなら有り得ますが…)。これは「どこかに移動してしまうかも」というバスのフットワークが、逆に仇となった例でしょう。
 これに対抗するには、バスルートを何らかの方法で固定してしまうことです(例えばガイドウェイなど)が、これは事実上、バスを軌道系の交通機関としてしまうことに他ならず、バスの「フットワークの軽さ」という持ち味を殺してしまうことになるでしょう。

 次に、

 バスは専用レーンにこだわらなければ1車線の一方通行道路でも利用できる。高速走行という点でも優位性は無い。専用軌道と一般道という比較をすれば当然LRT優位になる。
 立体交差完備の専用道路方式と比較すれば、何も特別なことをしないで100km/hで走れるバスが優位。

 このご意見、エル・アルコン様は2つに分けて御主張されていますが、両者を並べると全く矛盾しています。LRTは軌道が無ければ走れない、という意味では確かにバスが有利ですが、そのバスを高速運転するためには、やはり専用軌道が必要になる、ということですか?少なくとも都市内では、100km/hでバスが走れるのは高速道路だけ、LRTは専用軌道、バスは一般道、という比較をしているのは何もアンフェアーな話をしているのでなく、世界の多くの都市に於ける事実を踏まえているのです。
 それとも、バスの為にわざわざ専用軌道を造れ(まさに志段味線はそういった形をしていますが、あれはもはやバスではなく、軌道系交通機関としか言えないでしょう)ということですか?そもそもバスが鉄道に比べて安価に運営できるのは、自ら走行のためのインフラを整備していないからです。バス会社に自ら専用車線を建設させよと主張するか、ないしはエル・アルコン様の御主張を証明するような、都市内で猛烈な高速運転をしている具体例をあげるのでない限りは、事実を踏まえない「為にする議論」そのものでしょう。

 判り易さや「名物」は相対的なもの。路線網がさほど密でないから判り易いだけ。全盛期の都電と、今の都バスの路線網を重ねてみれば、都電が判り易いとは決していえない。
 もしLRTのネットワークを張り巡らせていけば、急激に判り難い存在になる。

 これは(半分はLRT推進派の責任ですが)チンチン電車とLRTの差が分かっていないが故の誤解です。「もしLRTのネットワークを張り巡らせていけば」とありますが、LRTというものは、そもそもネットワークを広げたりはしないのです(広がっている場合は、既存の路面電車をLRT化した場合)。僕が言うだけでは信用を得られないでしょうから、少々、識者の意見を引用します。

 (前略、アメリカのLRTは)かつての日本のように網の目のようなネットワークではなく、路線は多くても数本、中には一本だけというところもあり、これまでの路面電車と大きくイメージが異なっている。(中略)
 従来型の低速の路面電車が機能できるのは、あくまでも都市が高密度でコンパクトにまとまっていることが条件であり、それゆえ利用者は都市内の沿線がほとんどで、面的なネットワークが充実していたことから、路面電車だけで都市のどこへでも行くことができた。しかし都市が発展し、自動車の利用が進むことによって低密度で拡散(スプロール)すると、それまでのネットワークでは機能できなくなるとともに、移動距離が増大し、低速のシステムでは機能できなくなる。これがかつての路面電車廃止の理由のひとつであった。
 こうした都市に導入することから、新しいライトレールではまず、地下鉄やモノレールと同じく都市の骨格のように、ラインホール形に導入することにした。(中略)しかしながら、これでは都市の中で利用できる範囲が限られてしまう。そこでアクセスが非常にしやすいという点を活かし、バスとのネットワーク作りが行われた。すなわち、ホームタッチで乗換えができるよう、便利なバスターミナル(結節点)を整備し、バスをフィーダー輸送に使うことによって、サービスエリアを拡充した。

(「鉄道ファン」1999年4月号・99ページ 服部重敬『20周年を迎えた北アメリカのライトレール』)

 もっとも、これによって乗換が生じてしまうという点は事実であり、大阪市のゾーンバスの失敗から、「きっとこれも嫌がられるだろう」と想像する向きもおありでしょうが、実際に「LRTとバス」で乗り換えが行われた欧米の例がおおむね巧く機能している点、また大阪同様のバス同士の乗り継ぎでも、市民の発案に基いて行っているブラジル・クリチバ市の例では、むしろ乗換システムの完備で自家用車からバスへの転移がおこったことから、「杞憂である」と主張したいと思います。

 最後に、法令面ですが、道交法はその冒頭で円滑な交通を目的とすることといたずらに取り締まりをしないことが明記されています。
 つまり、道路上における交通手段・機関および歩行者は、円滑な交通の実現という目的の前には平等なのであり、

 これは岐阜県公安委員会の考え方ですね。実際には現代において、道路は自動車の容量ゆえにパンク寸前であり、これを解決するために色々な対策が採られているわけです。その中から、軌道敷内立入禁止(これも道路交通法21条に明記。軌道内を通行しているのはあくまでも公安委員会による「特例」)、或いはバスレーン(これも考えようによっては不平等)等といった政策が実施されているわけです。勿論、道路を整備して交通の流れをスムースにする、という手が無いわけではありませんが、道路の拡充と、公共交通に特権的な地位を与えてでも「迅速移動」というニーズを満たし、もって自家用車を減らす、といったTDM的手法と、どちらを採るのが望ましいのかは、政策的な判断に委ねられるはずです。
 道路を建設せよ、と財政や環境等を無視して法が一方的に命ずるはずはありませんし、もし命じたとすれば、それは立法権による不当な行政権への介入に他なりません。少なくとも、軌道敷を自家用車に開放したり、自家用車をさらに便利にすることと、自家用車の流れを阻害して、不便をかけてでもクルマの数そのものを減らしたほうが良いのかということは個別具体的な検討に値するはずであり、

 どの交通機関・手段・歩行者を強者として排斥し、弱者として保護するということが、円滑な交通を阻害する結果を招くとすれば、それは法の趣旨を取り違えた間違った施策といえます。

などと決めて掛かることは妥当性に欠けているはずです。また、法の趣旨を言われるのであれば、凡そ法は人権擁護こそが究極的な目的のはずであり、全ての法には明文と黙示とを問わず、「人権擁護のために」という趣旨が含まれています。ですから、たとえ理屈をどれだけ並べても、自家用車と歩行者がぶつかれば、これは歩行者のほうが受けるダメージは圧倒的に大きいわけで、たとえ歩行者保護を撤廃することによって道路の流れが良くなるとしても、そのような政策を法が命ずるはずも無く、また行政官たる僕としても、絶対に導入したくありません。

 もしも「歩行者保護などやめて道路の流れをスムースにしろ」と本気で御考えなのであれば、是非、そのような提言をあちこちでなさってみては如何でしょう(皮肉で言っているのではありません。そういった考えも理論的にはありだと思います。但し、少なくとも人命に高い価値を認める現代社会の倫理とは相容れないでしょう。ましてそれが「クルマを便利にするために」などという理由では)。さらに言葉を重ねれば、法律の趣旨と明文の規定とがずれている(僕はそうは思いませんが)としても、趣旨と明文とでは明文の規定が優先します。勿論、「この規定は法の趣旨に矛盾している」との主張すること自体は結構ですし、或いは賛同者が現れる可能性もありますが、「だから守る義務は無い」というのは許されませんよ。

 現行の法運用(法文と必ずしも一致しない)で歩行者がその責任の相当部分をクルマに転嫁できるようになっていることが、信号無視や禁止場所横断・通行などの横行を招いており、それが人身事故の相当数を占めていることはその典型です。

 この御主張は、これはどこの国に関してのご意見なのでしょうか。僕の手元にはこれに反する資料が御座います。平成10年の自動車関係の業務上過失致死傷事件、全2,033,546件のうち、検挙者は682,541人、その中で、起訴率は12.9%、実に8件のうち7件までが起訴猶予、という非常に「寛大な」刑事政策が実施されていることをどのように御考えなのでしょうか。で、起訴されたうち略式起訴(罰金を払っておしまい)78,068人、正式裁判で罰金刑を受けた者が114人、懲役は2,231人(うち実刑492人)、禁錮は2,427人(うち実刑105人)、さらに言えばこれら実刑の597人のうち、刑期が1年を超えるのは280人です。因みに、平成10年の交通事故死者の数は9,211人(以上「平成11年版 犯罪白書」)、他の被害者は助かったのかと思えばそうではなく、これは事故から24時間以内に亡くなった方のみの数です。こういったデータを見ていると、大学院で研究をしていた頃にお会いした、実際にご家族を交通事故で亡くした方々の顔が思い出され、「法は自動車の運転手に厳しい。法を正しく運用して交通の円滑化を」などと言っておられる方は「呑気で良いなあ…」と、溜息の1つも出てしまいます。

 「いや、数ではない。事故の原因の多くは歩行者にある」と主張されるでしょうか。これも手持ちのデータがあります。死亡事故のうち、第一当事者(事故の責任者)が歩行者なのは4.1%、ではその他はと言うと、(ドライバーの、以下同じ)スピード違反が17.8%、一時不停止が5.2%、酒酔い運転が3.6%、信号無視が5.4%、通行区分違反(ex.バス専用レーン侵入)が3.7%、優先通行妨害(ex.バス優先レーンでバスを妨害)が3.3%、追越違反が1.2%、脇見運転が10.0%、車両の不適切な操作が7.7%…(以上、「平成11年度版 交通安全白書」)これら、犯罪的運転をしていた加害者が死亡させた被害者が全部、1名だったとしても、被害者数は5,333人に及びます。先の実刑になった人数、597人には全然及びませんね。エル・アルコン様のご主張とは全く逆に、日本の刑事司法が交通関係の致死傷事故に関して、異様なほど甘い実態が浮かび上がってきます。因みに、歩行者が法を犯して事故に遭い死亡した「自業自得的」死者の絶対数は378人。まあ、これを「かなりの数」と表現なさるのはご自由ですが…

 路面電車の乗降の取り扱いにしても、バスなどとの扱いに差があるわけで、安全地帯の迅速な整備か、路肩での乗降が可能なように軌道形状を改める必要があります。

 事業者もやりたいのではないですか? 岡山でもこういった意見がありますから。でも、これは軌道法の原則には反しています。ですから、

 安全地帯の設置が出来ないような狭隘な道路の真ん中で客扱いが出来るというのも妙な話であり、それならバスやタクシーも好みの場所で他の交通を法に基づき抑止して客扱いできてもおかしくありません。

というのはおかしいですよ。少なくとも、法律で「道路の真中に線路を敷け」と命じている以上、それを糾弾するのは間違ってますね(それとも、また法の趣旨を盾にして明文を無視する、という乱暴な手法に頼る、と仰るのでしょうか)。因みに、道路交通法はバスについても、発進時の優先権(法31条の2)、交差点や踏切近くにおける駐停車禁止の除外(法44条)、事故発生時の運転継続権(法72条4項)などといった特権を与えています。これをアンフェアと謗る事は確かに可能ですし、個別具体的には不当な特権も有り得ますが、路面電車と自家用車を全く対等に扱って、結局全車線が渋滞して、交通手段としての最小の役割すら果たせなくなってしまう、それこそ緊急自動車すら走れなくなる、といった事態が起こりうる場合(具体例のある話です)にすら、形式的・機械的な平等を貫く必要があるとは、僕は思いません。

 最後に、

 他のすべての道路交通に優先する緊急自動車が、踏切で鉄道を止めて通過が出来ないように、我が国の交通法規における鉄道優先の残滓という捉え方も出来るのです。

 いいえ、出来ないと思います。その理由は、

 加減速及び制動距離などはバスに劣る。特に制動距離が問題で、

です。もっとも、ストラスブールなどではLRTを導入しても、オーバーランしたとは聞いておりませんから、案外、最近の鉄道車両なら「自動車優先」に切りかえることは可能かもしれませんが…

 最後に少々、僕の考え方を… 確かにエル・アルコン様やKAZ様のご指摘のように、LRTというものはバスでは通用しない場所にこそ導入すべきでしょう。そういった意味では、御2人のご意見・特にその中の苦言には頷ける点が多々ございます。また、今回の件とはあまり関係無いので取り上げませんでしたが、「LRTさえ導入すれば市街地は活性化、まちづくりはこれだけで充分」などという安易な意見には「?」と思いますし、現に路面電車が有っても市街地が衰退している高岡のような例があることも考えておくべきでしょう。外国に目を転じても、イギリス・シェフィールドやアメリカ・サンノゼなどではLRTを導入したものの、必ずしも巧く機能しておらず、特にサンノゼではトランジットモールを整備しても市街地が空洞化している、という、あまり知られていない事実があります。

 しかし一方、ヨーロッパやアメリカ・カナダなどでLRT導入が盛んに行われ、今なおその勢いが止まないのは何故なのか、という点をきちんと説明しないと、苦言がただ単にLRTにケチを付けているかのように見えてしまいます(勿論、市街地以外での商業活動に厳格な規制を加えているドイツと、アメリカ合衆国同様に都市のスプロール化が進む日本を一緒にした議論はおかしいのですが、わが国と国情が似ているはずのアメリカ合衆国でもLRTが整備されていることや、土地の豊かな合衆国と違い、土地、特に可住地面積が極端に狭いわが国で、本当にどこまでも都市のスプロール化が進んでいくのか、といった疑問を感じる人もいるはずです)。また、少なくとも現時点での報道やLRT賛成派の主張では欧米の具体例が「成功例」として紹介されていますから、こうした苦言が或いは反動的な意見に見えてしまいかねません。少なくとも、苦言を呈したりLRTに反対したりするのであれば、単なる思弁ではなく良くない理由を、出来れば具体例付で説明してもらいたい、と思います

 反対派のご意見を見ていてもっとも欠けていると思うのがこの点で、たまに反対の具体例を見ても、それは前述のシェフィールド、サンノゼといった1、2の例を挙げるだけで「これでLRTが役立つと言うのは嘘と証明された」などと先走り過ぎるのですね(サンノゼの場合、トランジットモールがやや街外れなので、「サンノゼが失敗ならば、やはり市街地のど真ん中にトランジットモールを」などと、賛成派の意見に油を注ぎかねません)。自然科学の法則ではないのだから、なるべく多くの例から主張を導かないと説得力が無いし、それこそ思弁的にも間違いになってしまいます。「LRTは市街地の活性化に有益だ」という意見に反論するのであれば、「その両者の間には相関関係が無い」ないしは「負の相関関係が有る(LRTを導入すると市街地が衰退する傾向がある)」という意見を、出来れば具体例つきで提示すべきでしょう。例が無い、ないしたった2例くらいでは、「LRTでも市街地衰退を止められなかったと言うのは、有利な条件を生かせなかったということだ。自家用車向けに街を整備して活性化したと言うのは、それは不利な条件を跳ね返したのだ」とだって言えるのですから。

 もっとも、これは少々反対派・懐疑派に酷かもしれません。具体例と言っても、日本には具体例がまだ有りませんからね。その場合は、理屈・思弁で攻めるしかないのですが、今回のエル・アルコン様のご意見は「事実認識が少々、自動車に甘すぎるのではないか」「頑丈さに格段の差が有る自動車と歩行者とを形式的に平等に扱えとは、あまりに不合理ではないか」といった疑問を禁じ得ず、長文の反論をさせて頂きました。投稿してから読むと、少し筆が滑ったかという反省を感じます。僕がもともとは犯罪被害者支援の研究者で、修士論文は「交通死亡事故遺族の現状」というものを書いた為、つい自分が被害者のような気分になって、穏当を欠く物言いになってしまったのだ、とご寛恕頂ければ幸いです。付け加えれば、エル・アルコン様が自動車に対して寛大なのは、おそらくご自身がマナーをきちんと守る、優良なドライバーなるが故と拝察致します。優良ドライバーは、「世の中には滅茶苦茶な運転をする奴がいる」ということをなかなか実感できないでしょう。僕もエル・アルコン様のようにドライバーを信頼しきれるほどの優良運転手になりたい、と自戒の念を込めて申しておきます。

公共交通のネットワーク性とLRT
 投稿者---KAZ氏(2000/10/23 11:12)

 どうもです。

 打越さんの発言の中に気になる部分があったので・・・

 LRTというものは、そもそもネットワークを広げたりはしないのです(広がっている場合は、既存の路面電車をLRT化した場合)。

とありますが、単独の交通機関として整備するのであれば今までの地下鉄や新交通の整備で問題になってきた「他のモードとの親和性」という点は内包したままになりますね。それに、路面電車とLRTの違いがどうも履き違えていらっしゃるような節もありますので・・・。
 LRTとは単にライトレールトランジット、要は軽便鉄道ですよね。へヴィレール(従来の普通鉄道)に対する言葉であって、広義には路面電車もLRTに含まれるでしょう。正直なところ、どんな形態であってもライトなレールであればLRTと言うことはできるはずです。
 都心周辺に多くの人が住んでいる(例えば広島の中心デルタ内)といった事例で、狭いエリア内で旺盛な移動圧力がかかるなら、例え既存の軌道がなくともバスより効率的なLRTネットワークを新しく構築する意義はあると思いますし、全面併用軌道であってもいいと思います。専用軌道や高架・地下軌道がLRTの絶対条件ではなく、単に整備の可能性がある、というだけです。

 ネットワークを構築するしないは、それを導入する都市の判断であって、LRTの持つ絶対的な要素ではありません。

Re:自動車側から見た論理に過ぎないか?
 投稿者---エル・アルコン氏(2000/10/23 12:51) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 どうも、エル・アルコン@いのうえです。
 (HNの意味はスペイン語で「鷹」を意味します。HN自体は大昔にPNとして使っていたものです)

 さて、最初にちょっと言い訳ですが、論点と対立点を明確にするために、先の私論は、わざと攻撃的に書きました。この点で不快感を感じられたらご容赦のほど願いたいと思います。

●路線設定について
 まず、利用実態に応じた機動的な改編が出来ないことは、潜在需要を横目に流動とずれた不採算路線と化してやがて廃止というプロセスの元です。
 商業施設や公的施設の新設・移設、また大規模住宅の建設といった流動の変化への対応において、軌道敷の改廃を伴う再編は事実上不可能です。
 これまで公共交通(や既存商業施設)は、「客がそこに来る」のを当然視した受身の思考しかなく、だからこそ他の手段や施設を規制すれば客が来るという誤解を生んでいました。

 そうではなく、「客のいるところに出向く」という商売としては当たり前の発想に転換しないと、「公共交通があれば」という潜在需要は取り込めないどころか、やがてクルマ利用で充分というありがちな結果となります。

 なお、路線のスプロール化ですが、これへの対応としては(特に路線重複によるスケールメリットが望めない区間において)過度の系統分散をしないことですが、バスだと不可能と言うことではありません。逆に需給の変化に応じた分散・集約の対応が可能なはずです。

●道路交通中心の街づくりは可能
 これは路面電車が下地を作った部分もあるのですが、都心部では鉄道駅と無縁な商業集積地が各所に見られます。(麻布十番、清澄、牛込柳町など大江戸線が辿るポイントがその代表)
 これはかつての都電の主要電停をトレースしており、それを踏襲した都バスの主要停留所がその中心になっています。
 もし、軌道だと栄え、バスだと衰退するのであれば、これらの都電路線廃止から既に30年程度が経っても街の中心を維持できていることが説明できません。

 なお、瑣末的な話ですが、歩行者天国のようなイベントの開催とLRTは決定的に相性が悪いので、商店街の活性化という視点で考えても、疑問に感じる部分はあります。

#嚆矢となった都心・中央通りの歩行者天国は、クルマ優先社会へのアンチテーゼという触れ込みでしたが、直接的には都電が廃止になったことで可能になったという皮肉な現実もある。

●車両の性能差
 最悪の結果を招く過走はさすがに多発しないでしょう。そのために性能を抑えて走っている面もありますから。
 ただ、併用軌道で速度向上をした場合、冗談抜きで電車専用の信号を設置する必要が出てくることは確かです。

 なお、発進時に「全赤」時間でのフライング発車がほぼ各都市で実行されていることは問題で、こうしたセコい手を積み重ねないと運行が出来ないのであれば、軌道側のランカーブを向上したときにはかなり無理を繰り返さないとサービスの維持が出来ないのではという懸念もあります。
 全赤時間は特に右折車など交差点内に取り残された車両の脱出時間であり、直進車の見切り発車は車対車での事故の定番ともいえる右直事故の原因の一つです。

 なお、性能差には二つの意味があります。
 一つは、車両自体の性能であり、バスの場合は都市内バスであっても高速走行が充分可能であるということ。
 もう一つは設備面に支えられる性能であり、専用軌道(専用道路)を整備してはじめて可能になる性能です。

 市内で併用、郊外で専用という形態ですが、福岡での都市高速を使用した一般路線バスと比較すればどうでしょうか。
 何の変哲もない路線バスが都市高速に上がりこみ、近郊の街角に急ぐ様子を見ると、バスを活かしきれていないのではと思います。

●人身事故の処分
 実際に人が死んだり傷ついたりしており、その罪を「業務上過失」としてただの「過失」とは比較にならぬ重罪にしているというのに、結果として起訴猶予や軽い量刑になるケースが多いことに、別の意味で不自然さを感じます。
 同じ交通関係でも、スピード違反のような水掛け論にすらなるケースでもそこまで起訴猶予率は高くないと聞きますし、正式裁判になったらまず勝てないのと比較するとこれは異常です。

 これは人身事故だけ被告に寛大というのではなく、過失の判定をした結果、被告の罪を問えないという事例、つまり被害者(=歩行者)に原因があるという事例が多いこと以外に説明がつきません。
 もう一つ、検挙率が33.6%しかないのも気になりますが、それだけ迷宮入りになっているということとは思えません。
 死亡轢き逃げ事件はまず捕まるというのが定説ですから、検挙すら出来ないレベルの「過失」のケースが多いのではないでしょうか。

 交通死亡事故の原因については、まず「前方不注意」や「スピード違反」(いかに流れに乗っていても、5kmでも超過していたらそっちが主因になるし、過失も高くなる)、「操作を誤り」といった要因に括られてしまうのは、新聞の地方面に出てくる所管署発表の事故記事の文面を見ればわかります。

 そもそも、原因としてあげるべきは、人をはねたクルマの状況ではなく、なぜクルマが人をはねたのか、つまりなぜそこにクルマがいて、人がいたのかという本質の部分です。
 歩行者側に一点の瑕疵も無いケース、つまり信号機つきの横断歩道を横断中とか、一時停止義務つきの横断歩道を横断中だったのなら全面的にクルマが悪いですが、果たして4%以外のケースは総てそういう一点の曇りもないケースだったのでしょうか。

 この問題で常々クルマ寄りの発言をしているのは、クルマが故意に事故の直接的な原因になる行為をするのは、酒酔い運転や暴走行為であり、それ以外は回避が事実上不可能であっても問われる過失の部分であるのに比べ、歩行者が被害に遭う直接の原因は、その大半が信号無視や禁止場所での横断など、被害者の故意による行為としか考えられないからです。

 こうした行為は、クルマに例えると、故意に歩道に乗り上げて走行するといったまず見られない行為に他なりません。
 最後の悲劇的な瞬間までは、クルマは法規を守り、歩行者が法規を破っていたのではないのかという疑問が付きまといます。

 この手の事故多発に業を煮やしたNY市警察当局が、「ジェイウォーク」追放作戦として、歩行者の交通違反に厳罰主義で臨んだところ、大きな効果をあげたことから見ても、歩行者(および自転車)の取締りこそ悲惨な交通事故減少への早道です。

●強者と弱者
 交通事故におけるダメージの程度は人の方が明らかに大きいというのは当然のことですが、ではなぜ「弱者」である歩行者が故意で法規違反の行為を繰り返すのでしょうか。そしてなぜまがいなりにも人車分離ができている幹線道路で歩行者とクルマが接触する機会があるのでしょうか。そこに、違反しても大丈夫という歩行者の甘えと優先意識が介在することは明らかでしょう。
 深夜の人通りもクルマの通りも絶えた信号交差点で、信号無視をするクルマはほとんどいませんが、逆に信号を守る歩行者もほとんどいないことは日常茶飯事です。

 私の言う歩行者保護への問題提起は、歩行者保護の撤廃ではなく、著しく公平を欠く現状を改めよと言っているまでであり、弱者の名のもとで、故意の法規違反まで結果として保護されることへの疑問です。
 その結果として、クルマをとにかく止めればいいという安直な規制が蔓延り、円滑な交通の実現とは程遠い状況になっています。

 なお、歩行者の方に是非一度お勧めしたいのは、クルマから自分たちの行為がどう見えるかということの確認です。
 無秩序に車道に広がって歩いたり、直前横断したりという行為の数々がいかに危険であり、クルマにとって邪魔であり、運転の神経をすり減らすものであるかを認識して欲しいものです。

 よく聞く話ですが、運転するようになって歩行者のマナーの悪さに気がついたと言う人は多いですよ。

●法令と運用
 先の論での「いたずらな取締り...」は明文規定ではなく、確か警察庁長官か誰かの国会答弁でした(所管官庁の立法府での答弁ですから、法令適用の基準として尊重しないといけない)。それはさておき、道交法の条文を字義どおり取ればかなり円滑な交通の実現が可能なのですが、実際には歩行者や自転車に対する適用を事実上放棄していることや、追いつかれたクルマの退避義務のような円滑通行の促進を目的とした条文の不適用が当局によって行われていることも問題です。

 明文規定を守るのは当然ではありますが、実態に則していない規定があることもまた事実です。道交法の規定におかしい部分が多いことは、元検事総長も認めるところです。
 もっとも道交法の場合は、道路交通のうち特定の層に対しての適用が事実上停止されていることのほうが問題ですから、何人にも公平に明文規定を守らせるだけでいいのです。

***
 一方で酒酔い運転や暴走行為への「お目こぼし」も問題です。
 飲酒運転に対する運転者と酒類販売側の意識の低さに鑑みれば、駐車場のある店ではアルコール類は一切提供禁止とすべきですが、現実は駐車場つき居酒屋の存在など、開いた口がふさがりません。
 暴走行為についても、補導するのではなく、自然解散を待つだけという無為無策であり、言わば事故の原因行為を総て看過してきたことが事故が減らない主因ともいえます。

 また、円滑な交通の実現を図るのであれば、商用車に多い路駐の取り締まりこそ即効性のある対策ですが、これもお目こぼしです。
 高速やバイパスの合分流部分で駐車して合分流の支障になるばかりか事故の原因になっているケースの取り締まりも滅多に見ません。

 手段と目的がバラバラな対応で事態を悪化させて、悪者視されるという貧乏くじを何時まで引かされるのでしょうか

LRTと自動車・公共交通機関・市街地活性化の接点
 投稿者---とも氏(2000/10/23 16:11)

 ともです。
 こちらにも参加します。

 さて、みなさんの意見をちょっと読ませていただいて、その内容から僕の意見を言わせていただきます。

1 LRTとはそもそもなにか

 おそらく、KAZ様と打越様の意見の相違点はこれだと思います。
 打越様のおっしゃられているLRTとは、ヨーロッパやアメリカで導入されている新規整備のシステムまたは路面電車を専用軌道化などにより昇華させたとしてのLRT(あえて「狭義」といわせていただきます。)で、KAZ様の言っているLRTはもう少し広い、どちらかというと中量軌道システムのうち、鉄軌道方式全般を指しているのではないか(これを「広義」と言わせていただきます)と思います。
 これでは、議論がかみ合いませんね。

 今、マスコミや様々な場で言われている「LRT」とは打越様の言われる「狭義」のほうだと思います。
 しかし、都市計画的な考え方からすれば、KAZ様の意見に近いものとなります。僕も、LRTといえば、このKAZ様の意見に同調します。
 LRTとは、そもそもLRVが走る軌道=路面電車活性化の一環としてスタートしていますから狭義の考え方でスタートしたものと思います。しかし、現在においては、LRTといえどもマニラやクアラ・ルンプール、エドモントンのようにほぼ全区間で専用軌道もしくは立体化されたものもあります。
 また、LRTの「象徴」となりつつある低床車にしても、一般車と同じようなものも結構あります。(エドモントン、カルガリー、ロサンゼルス等)
 であるからして、LRTを低床車が併用軌道を走る(ストラスブールやグルノーブルなど)といったものだけではなく、広くとらえていかなくてはならないのではないでしょうか。

2 LRTがネットワークを構築するか?

 LRTがネットワークを構築するかしないかは、都市の地形的特徴や市街地の構成によって変わるはずですから、一概にはいえません。LRTでも路線網が複雑なところはあります。
 偶然、これまで日本で紹介されているストラスブールやポートランド等が、少ない路線数で幹線交通となっているだけであって、香港(二階建てトラムではなく郊外にあるLRT)のように10系統以上があり、往年の都電並にわかりにくくなっているものもあれば、シンガポールのようにMRTの端末として機能しているものもあります。

 基本的にヨーロッパの都市構造は中世の都市国家から発展しており、城壁に囲まれた旧市街地とそこから放射状にのびる新市街地からなります。よって、コンパクトな旧市街地(元が中世ですから徒歩で動ける範囲です)と幅の狭い新市街地の拠点間の交通機関としてLRTがあり、そのサービス圏は単一もしくは2路線程度にバスネットワークを組み合わせることで十分カバーできるものです。
 一方、アメリカやカナダの場合、車社会ですから、必然的に都市は「広く薄く」なります。しかし、スプロールが進んでも、都心の集積地区から外れないエリアでの再開発となるので、都心部は比較的高集積となります。ただし、住宅の広がりはヨーロッパ以上でしかも放射状ではなくラダー型の都市の広がりから、LRTは点在する拠点と都心のアクセス路線との位置づけです。
 フィーダーバスについても、ポートランドなどの一部の都市では行われていますし、逆にロサンゼルスなどはフィーダーバスはありますがパークアンドライド指向の計画です。このようにバラエティがありますが、総じて言えば、車との連携を模索しているといえるでしょう。
 (ちなみに、ポートランドは全22駅中5駅がパークアンドライド、5駅がトランジットセンターによるバス乗り継ぎ拠点です(「都市交通問題の処方箋」都市交通適正化研究会))。

 では、日本ではどうでしょうか。日本の場合、都心に高集積が見られる地方都市は限られ、徒歩圏で中心市街地が終わる都市はそれほど多くありません。
 しかも、持ち家志向が極めて高く郊外に家を求めるため、地価の安い放射方向の基幹交通で距離のあるところや交通の間のいわば隙間に住宅が広がり、そういったところはもともとアクセスが不便ですから、自動車依存度が高まり、そして自動車に便利な郊外に都心機能が分散していき、結果的に空洞化するスプロールがおきているのです。
 ということはヨーロッパのように放射同心円状に市街化されるのでもなく、アメリカのようにラダー型で一定の人口密度で市街化されるでもない、独特な都市構造を持っているのです。
 ここから考えるとやはり日本でLRTを導入するのであれば、ヨーロッパ型でもアメリカ型でもない日本のオリジナル型となり、それには香港タイプの複数路線によるネットワークが必要な都市もあるでしょう(ブラジルのクリチバに近いのかもしれません。クリチバの基幹(急行)バスはネットワーク化されています)。

3 自動車との関係

 道路交通法や安全地帯の問題は、ちょっと論点が飛躍してませんか?
 岐阜の話にしても名鉄と岐阜県のやる気の問題であって、「道路幅員が狭いから安全地帯を確保できない=道路交通法での規制」と話が飛ぶのは飛躍しすぎです。
 道路構造上(軌道も含め)問題があるのであれば、まずは、道路管理者と鉄道事業者が協力して対策をとり、それでも問題がある場合に始めて道交法による規制をかけるべきで、なにもしないままにいきなり道交法の規制をかけるのは、法の趣旨から外れませんか。
 ちなみに、道路の安全な通行に支障があるにもかかわらず、それを放置しているとしたら(名鉄が申請しないせいか、県が認めないかにもよりますが)、道路管理者は道路法上の管理瑕疵(行政用語かな?)として訴えられてもおかしくはありません。
 もちろんこのままでいいとは僕も思っていません。岐阜の場合にはなんらかの対策(仮設バリケードでもなんでも良い)により安全地帯を設けるべきとは思います。

 もし、今後日本の都市にLRTを導入するとして自動車を規制するのであれば、その受け皿としての道路整備(なにも新設するだけではなく、今の道路の部分改良などでも良いですが)を行って、迂回ルートを確保して、自動車交通の規制を行いやすくする必要があるでしょう。
 これがなければ、同じようなことが全国でおきないとも限りません(おそらく岐阜は道路交通の円滑化を重視するあまり、そのようなことになっているのではないでしょうか。岐阜は環状の道路もバイパスもないですから・・・)。
 ちなみに、法律上、軌道は中央にとありますが、道路法(道路交通法、軌道法の上位法と考えるのが自然です)に基づき道路管理者が「監督処分」として「路側に軌道を敷け」と指導すれば、路側に軌道を持ってくることはできると思います(岡山で道路改良によって一時的に路側走行にしたことがあります)。

4 バスに対する優位性

 これは、その都市の将来をどうしたいかという行政、市民の考え方一つでしょう。
 その都市によって、そこがLRTを導入するのに適切かということをじっくり検討し、そこからバスとすべきかどうかの判断があると思います。
 実際、クリチバ市やオタワのようにLRTは向かないと判断し、バスを導入した都市もあります(クリチバは結果的にLRTを入れることになりそうですが)。
 バスが優位かどうかは、その都市毎に違いますので、一概にはいえないでしょう。
 ちなみに僕は岡山はLRT向きだと思います。
 (個人的にはLRTは、前橋、松山、岡山、長野、水戸、宇都宮、札幌、横浜といったところが向いていると思います。逆に岐阜、甲府、福島は向かないと思います。これらの都市には共通項がありますので地図で比較してみてください)

5 LRTは市街地活性化に資するか

 実は、僕はこの意見の反対派なんです。もちろん、市街地活性化にLRTがまったく寄与しないとはいいませんし有益では無いともいいません。
 しかし、そもそも、なにが市街地衰退の原因でしょうか?
 魅力の無い商店街、早じまいの商店、偏った商品構成、車でも鉄道でも不便な交通・・・これが原因ではないですか?
 「車社会の進展で都市がスプロール化した・・・だから車から鉄道に戻せば活性化する」あるいは「LRTが走れば人が戻ってくる」これは幻想にすぎません。
 その「街」に魅力がなければ、LRTを整備したところで活性化しません。「街」にくる「客」は他に逃げてしまいます。車向けに商店街の駐車場を作っても、結局商店街に人は来ないといったところはいくらでもありますね(水戸や高崎が典型ですね)。
 LRTを整備して活性化したいのであれば、その整備をきっかけとして魅力ある街にできるかどうかにかかっているんです。これは、都市計画・まちづくりの基本中の基本です。
 また、活性化の方法でよく言われる「トランジットモール」も、そのモールに魅力がなければだれもあるきません。社会実験では物珍しさで人がくるでしょうが、そのうち飽きられます。
 モールの先駆的な都市の旭川が成功しているのは、沿道の商店がバラエティに富み、様々な年代に合わせたものとなっているからこそ成功しているのです。モールはその手段にすぎないんです。
 3でも書きましたが、日本の都市の空洞化は都心の郊外分散です。しかし、中心市街地に魅力的な街があれば、たとえ分散化しても中心市街地は空洞化しません。その典型は、宇都宮や松山です。
 宇都宮はバスは便数や路線は多いものの系統化されていないきわめてわかりにくいことで有名です。しかも鉄道もJRと東武の駅が離れているうえに本数も少ない、駐車場が少ないという交通に悪条件だらけなのに街に魅力があるので、自動車だけではなく、公共交通機関を使っての来街も多いそうです。エル・アルコンさんの書かれている麻布などもイメージ的に近いかもしれません。
 ヨーロッパなどのトランジットモール沿いのお店も同様に様々な店舗があり、歩きたくなる街が多いようです。

 ちょっと交通論からははずれますが、LRTに関するこの議論を聞いての僕なりの考えです。
 長くなってしまいました・・・。なんだかわからない文章ですみません。

横レス:人身事故の処分について
 投稿者---打越健太郎氏(2000/10/23 17:58)

 打越健太郎です。皆様が丁寧なるレスを付けて下さったので、これまでの疑問点などが大いに解決もし、また皆様のご意見を踏まえて、さらに僕なりの意見を述べさせて頂きたいと思います。で、今からちょっと遠出をせねばならないので、また後で投稿させて頂きたいのですが、ただ1つだけ、気付いた点に(反論ではなく)コメントをさせて頂きます。

●人身事故の処分
 実際に人が死んだり傷ついたりしており、その罪を「業務上過失」としてただの「過失」とは比較にならぬ重罪にしているというのに、結果として起訴猶予や軽い量刑になるケースが多いことに、別の意味で不自然さを感じます。
 同じ交通関係でも、スピード違反のような水掛け論にすらなるケースでもそこまで起訴猶予率は高くないと聞きますし、正式裁判になったらまず勝てないのと比較するとこれは異常です。

 これは人身事故だけ被告に寛大というのではなく、過失の判定をした結果、被告の罪を問えないという事例、つまり被害者(=歩行者)に原因があるという事例が多いこと以外に説明がつきません。

 これなんですが、道路交通法の起訴率が高いのは、客観的に証明しやすい(スピードメーターなどで証拠を取り、ビデオ撮影もすれば明白です)事の他に、政策的判断もある、ということです。スピード違反など道路交通法の規定は行政刑罰で、例えば200km/hで自動車を飛ばせば捕まりますが、200km/hで走ること自体が道義的に問題なわけではないですね。あくまでも法の規定を設けたことによって違法になったわけです。一般的に言って、行政刑罰は起訴率が高いのです。何故か? 道義的には許されることをわざわざ法で禁止しているのだから、何としても守らせるために罰則を加えることが求められる…と、大学時代の講義で習いました。
 また、過失の判定ですが、本当にドライバーに過失が無いのなら誰も文句は言いません。交通事故では(死者が出た場合ですら)あまり本格的には捜査を致しません。ひき逃げ以外では犯人は明白、一般の致死事件(殺人、傷害致死、強盗致死…)と違って、損害賠償はほぼ100%支払われる(交通人身事故の場合、自動車保険は強制加入な上、「挙証責任の転換」つまり一般事件とは逆に加害者が無過失を証明しないと賠償責任を免れない…一般の致死事件では被害者が相手の故意・過失を証明せねばならないので、警察や検察も被害者が民事訴訟で捜査資料を使うことも考慮し、一生懸命捜査します)ので、警察も実は捜査をあまり一生懸命やりません(偏見じゃありませんよ。平成11年秋の「日本被害者学会・被害者支援シンポジウム」で、警察庁のキャリアが発言していました)。
 因みに、ひき逃げや無保険者による事故の場合には国が「被害者支援」の一環として、賠償相当額を払います。これ自体は被害者の経済的苦難を軽減する善政というべきですが、その結果、警察や検察が「死者が出た重大犯罪」という一面を忘れ…件数が多すぎて感覚が麻痺した、と警察官僚達も言っておられました。因みにその中のお一人、警察庁のある警視正は、僕以上に事故撲滅の為に公共交通に熱心でした…いい加減な捜査が行われていることは「片山シュン君事件」等で皆様のご記憶に新しい所でしょう。
 少なくとも、スピード違反などと言ってもある程度(どの程度か決まっているのですが、犯罪誘発を避けるため、敢えて伏せておきます)までは取り締まらない、と警察内部でも規定がありますから、僅かな義務違反が加害者にあって起こった業務上過失致死傷事件では、それで正式起訴という例は、交通犯罪の量刑相場が確定した1960年代以降ほぼ有り得ないはずです。「いや、ある」と判例集などを片手に反論しようとなさる方もいらっしゃいますが、これは刑事司法の実務を知らない方の物言いで、裁判での事実認定というものは(万が一、立証に失敗することを考え)真実よりもかなり抑制されています。ですから、「被告人は制限速度を10km/h超えて運転し…」と判決文にあれば、実際には60km/hくらいオーバーして起こした事故なんですね。
 あと、エル・アルコン様やその他のドライバーの皆様、ご安心ください。交通事故などでは「信頼の原則」というものが判例上確立しています。これは「相手が合法的な行動を取るだろう」と信頼して行動していた者がいて、予想に反して相手が異様な行動を取った場合、その結果として過失を惹起されてしまっても、その過失者の罪は問わない、というものです。つまり、高速道路をいきなり自転車で横切った者が現れたために仰天してハンドル操作を誤り、その自転車を撥ねてしまっても、そのドライバーは無罪です。しかも最高裁は、ドライバーに道路交通法上の義務違反があった場合にまで「信頼の原則」の適用を認めていますから、「ドライバーは理不尽に処罰される」などと心配なさらなくても大丈夫ですよ(^^)。そうそう日本の刑事司法はおかしなものではありません。ですから、本当に

 交通死亡事故の原因については、まず「前方不注意」や「スピード違反」(いかに流れに乗っていても、5kmでも超過していたらそっちが主因になるし、過失も高くなる)、「操作を誤り」といった要因に括られてしまう

というご心配はご無用です。警察の発表や判決文などがこうなっていた場合、その時には5倍くらい大げさな状況を想像してみて下さい。それが真の事件の状況です。

 ただ、エル・アルコン様のご指摘のほかの部分、特に

 一方で酒酔い運転や暴走行為への「お目こぼし」も問題です。
 飲酒運転に対する運転者と酒類販売側の意識の低さに鑑みれば、駐車場のある店ではアルコール類は一切提供禁止とすべきですが、現実は駐車場つき居酒屋の存在など、開いた口がふさがりません。
 暴走行為についても、補導するのではなく、自然解散を待つだけという無為無策であり、言わば事故の原因行為を総て看過してきたことが事故が減らない主因ともいえます。

この部分には全く賛成です。これこそ、是非とも法の明文を厳格に適用して取り締まるべきですよね。

Re:LRTと自動車・公共交通機関・市街地活性化の接点
 投稿者---KAZ氏(2000/10/23 23:30)

 どうもです。少しだけ定義について・・・

 LRTという言葉は、先も述べたような非常に広い幅を持ったものなので、これと路面電車や地下鉄を直接比較するのはちょっと違うんですよね。LRTと対になるのは地下鉄や郊外・都市間路線を含めた「普通鉄道」になりますからね・・・。
 しかしLRTを高規格路面電車と表現してしまえば併用軌道が前提と勘違いされそうですし、かと言って新交通は先に使われてしまいました。
 なかなか定義付けが難しいんですよね。整備の仕方によっては近代的な地方私鉄といったイメージにもできますし、どこから見ても路面電車といったイメージにも仕上げられるでしょう。LRVもどこまでがLRVで、どこからが普通鉄道なのか難しいところですよね(京阪京津線の車輛はLRVの最大級とも取れますからね)。しかも普通鉄道と路面電車を融和させたものがLRTですから、両者のイメージに偏らせる必要もないし、表現が難しい交通モードです。

 狭義のLRTというのを定義付けたいと思うのですが、うまい表現がどうも見当たらないんですよね・・・。とりあえずは路面電車のイメージを払拭したいのですが、わかりやすく説明するとなると「高規格路面電車」になってしまうんです。誰かいい表現方法を見つけてください(^^;;;

Re:LRTと自動車・公共交通機関・市街地活性化の接点
 投稿者---さいたま市民@西浦和氏(2000/10/23 23:40

 こんばんわ。週末は休ませてもらいました。

 交通路と交通機関の規模のレベルを考えてみます。
 他の掲示板でも書いたのですが、道路系の交通機関だと、

輪タク・リクシャー<タクシー<ジャンボタクシー<マイクロバス<バス<連節バス<トレーラーバス・・・

 軌道系の交通機関だと、

トロッコ・軌道自転車<LRT(単車<連接車<連結車)<新交通システム<通常鉄道(レールバス<ふつうの車体の車両)<新幹線鉄道

となるのではないでしょうか。だぶっているところもありますね。

 私は、かつての投稿で、交通の計画は、人口の分布や都市計画との関わりの上に考えるべきだと書きました。それぞれの交通機関の特性を吟味する皆様のご議論を楽しませていただいております。

 最近の(私がひろった)論調を見ますと、道路交通の問題解決の方法の一つとして、道路上の軽鉄道の復活が吟味されていますね。建設省や運輸省の合併の効果が現れる政策として、かつての路面電車を「新交通システム」の一種として現代化した物をLRTと呼び、各都市での可能性を検討し、実現することで道路の付加価値を高めようとしているのだと思っています。
 このとき、競合する他の公共交通機関、すなわちバスですが、これも現代化することで同様の効果を上げようとしているのだと思っています。
 しかし、現代の社会の課題として、エネルギーやエコロジーの問題解決があり、公共輸送機関や大量輸送手段はこれに答えなければならない状況にあります。
 さらに、現実の日本の都市計画は、公共輸送機関の大量輸送機関化を進めて来ましたので、来るべき福祉社会・超高齢化社会には対応できないであろうことは明確です。
 21世紀への期待はしていいのかわかりませんが、あまりにも自動車中心になりすぎた交通の現実に変革を促すことは必要だと思います。その突破口になる「新交通システム」として様々な可能性を持つ、LRTであると信じたいと思います。

 ちょっと謳いすぎました。

ちょっとティーブレークを致しましょう(ディーゼルトラムの可能性)
 投稿者---打越健太郎氏(2000/10/24 00:14)

 打越健太郎です。先日はエル・アルコン様と激論を交わしてしまいました。「激論」と言えば聞こえは宜しいですが、実際には過激な物言いを連発し、エル・アルコン様ご自身や常連の皆様にはご不快の念を御持ちか、或いは呆れていらっしゃるかと思うと、何とも恥ずかしい限りです。LRTや都市交通、トランジットモールの可否、都市のスプロール化に対する僕なりの対応案など、まだまだ投稿したいのですが、少しオーバーヒートしてしまったので、ここで少々のティーブレークを提案致します。
 皆様は「LRD」という言葉をお聞きになったことがおありでしょうか。実に見ていて楽しいページを発見致しましたので、上記URLをクリックしてみて下さい。種明かしをしてしまうと、気動車のLRVを提言しているページです。札幌のディーゼルトラムの写真ともども拝見し、少々気分を和ませ、和んだらこれに関して議論を致しませんか。

http://www.tpo.co.jp/LRD/projectlrd.html

2005.05.15Update

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