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CTC〜千葉圏公共交通利用者協議会〜
(過去ログNo.132)
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千葉の道路(その1)外環道
 投稿者---エル・アルコン氏(2001/06/26 19:25)
 http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

─ふと思うのですが
 └Re:ふと思うのですが
  └Re:ふと思うのですが
   └Re:ふと思うのですが
   └一般道拡充では外環道ほどの効果がない
    └環状高速プラン(再掲?)
     └Re:環状高速プラン(再掲?)
      └外環・R298県内ルート
       └国分地区追加情報
      └千葉は道が悪い!
       └千葉の一般道:横須賀との比較
        └京葉道路がバイパスなんですが....
         └京葉道路がバイパスなんですが...それもわかっているのですが...

(以下次ページ)
        └横須賀も道が悪い!その上行き止まり!出口なし!
         └Re:横須賀も道が悪い!その上行き止まり!出口なし!
          └…改革だ!痛いぞ!
           └Re:横須賀も道が悪い!…
            └…出口はある。改革するなら湾口道路!!
             └…出口はある。改革するならなるべく安く!!
              └Re:横須賀も道が悪い!…
               └アクアラインの使い道
                └Re:アクアラインの使い道
                └Re:アクアラインの使い道
                 └アクアラインVS館山道VSR16-357
                  └Re:アクアラインVS館山道VSR16-357

●外環(東京外環自動車道&R298)概論
 高速道路部分は現在、大泉IC・JCTから三郷JCTまで開業。R298は和光市松ノ木島(荒川を渡る埼魂大橋の南詰)から松戸市矢切IC(R6との交差点)まで開通しています。開業は和光−三郷が平成5年11月、大泉−和光が平成8年3月です(いずれも開業初日に走ってます)。
 なおR298が三郷市内の未成区間が完成し、松戸までつながったのは平成12年3月のことでした。

 県内関係では、三郷JCTから三郷南IC(仮称)(松戸三郷有料道路との交差点の北側)までが、工事現場の表示だと平成15年あたりに開業するものとみられます。
 その先は事業中で、矢切から南は湾岸道高谷JCTまで市街地を貫きますが、市川市新田〜国分地区の地元説明がまだで仔細が不明な他は、地元説明を終え、三矢小台地区など一部では準備工事に着工しています。

●未整備の現状
 県内は松戸市から市川市にかけて通過するのですが、県内の道路事情における最も問題な点として、京葉地区と東葛地区の間を結ぶ幹線道路(最低でも主要交差点が立体化された片側2車線の道路)が環七の外側はR16まで無いことが挙げられます。南北幹線が無いことで、現在、県道市川松戸線と船取線(船橋我孫子線)に挟まれたエリアは、下総台地特有の谷津田地形が災いして抜けられるルートが限られるため、主要道路に抜けられる道路の総てが裏道として通過流動が入り込んでいるといっても過言ではありません。

 東西交通が同様の状況だった埼玉県内ですが、外環の完成で、内側の環七、外側のR16、そして並行する県道松戸草加線、浦和草加線の改善を、それも半端じゃないレベルで実現しました。外環埼玉県区間の効果として、JHでは移動時間が従来の1/3になったとしていますが、実際は「道の川島本」こと「首都高はなぜ渋滞するのか!?」(清水章一著、三推社/講談社)にあるように、「事実上選択不可能だった」都心環状線をわざわざ通ら無くて済むルートが確立されたという「革命」といったほうが実態に即しています。

 ちなみに現在市川松戸線の市川広小路(R14)−松戸ニ中前(R6小山陸橋)間は渋滞が無ければ10分程度で走りますが、日中は概ね30分近くかかるのもざらで、三郷まで1時間は見る必要があります。これを考えると1/3というのも「控えめな」予測かもしれません。
 なお、江戸川を渡る外環葛飾大橋が現在三郷方面への内回りだけの開通のため、市川への外回り方向は金町−松戸間の地域道路である旧葛飾橋(R6新葛飾橋開通まではR6としてメインルートだった)を間借りしてます。旧葛飾橋へはR298から橋の北詰でクランク状に曲がって合流するが、市川松戸線にダイレクトで入れ、外環葛飾大橋はR298にダイレクトですが、市川松戸線からはR6経由になるというちぐはぐなコースも、渋滞や所要時間の長さの一因です。(現在外環葛飾大橋の外回りが建設中)

●建設はなぜ遅れたか
 外環の建設については、当初地上・高架構造で予定されており、戦前からの市街地であった市川市菅野地区など既存市街地を大きく分断、買収する形だったため、昭和43年の都市計画発表と同時に官民あげての反対が起こりました。
このため計画は凍結され、以後長い眠りについたのですが、この間国は半地下構造に設計を改めて再提案し、平成4年には市議会が市民に対して行ったアンケートで外環賛成派が多数を占めることが分かり、市川市は四半世紀にわたる反対を取り下げ、建設を受け入れました。

 しかしこの間の反対運動と計画の凍結により、沿線の再開発が止まったという事実は、外環整備とセットにならざるを得ない(菅野駅付近で交差するが、外環の基本設計が決まらないと高架か地下か、それとも高高架か決められない)市川市内の京成連立化構想構想やR14の改修も止めてしまいました。このため他の主要道も整備出来ず、結果として地上を走る京成と平面交差になる主要道が多いという弊害が残りました。

●他の主要道の現状
 現状でも地域を走る主要道がそれなりに機能すればいいのですが、市川市内を走る市川松戸線や国分街道、市川柏線は旧市街を貫くこともあって拡充が難しく、右折車線の確保も満足に出来てません。特に国分街道は市川駅から出るバスのメインルートですが、狭い道にはみ出す電柱でバスの離合も難しい状況で、お世辞にも機能してると言えません。

 松戸原木線はもともとバイパス機能を持つ市川松戸有料道路(昨年10月無料開放)で、規格も2車線にしては良いのですが、中山競馬場の真ん前を通るという特殊事情から、土日日中に機能が完全に死ぬケースがあることと、両端部で交差するR14とR6の渋滞が波及することがあります。また船取線(県道船橋我孫子線)は鎌ヶ谷以南の開通がかなり遅い(昭和50年前後)こともあり、このエリアでは珍しく自然地形を無視して真っ直ぐ伸びていますが、これが災いしてアップダウンが激しく、ピークやボトムを先頭にする渋滞が茶飯事です。また主要交差点で右折車線が無い(船橋市金杉十字路、馬込沢、沼南町大島田)ことも渋滞に拍車を掛けています。
 そして何よりも京葉道花輪ICの北に位置する中野木交差点がネック(花輪ICやR357若松交差点との間で、船取線と合流する成田街道(R296)の流動が輻輳し、慢性的な渋滞だった)で、平成11年の中野木−花輪間4車線化と、平成13年5月の立体化部分完成でだいぶ解消されてますが、全面完成まではまだ時間がかかりそうです。

●外環への期待
 埼玉県内外環の実績から考えると、県内区間の開通によって首都高中央環状線、環七、R16の3つの幹線道路と、上述の各主要道での交通量減少が確実視されます。実際にはさらに、R14や木下街道といった放射道路にも好影響を与えるでしょう。

 既存道路の劣悪な状況を一掃する期待が外環にはあり、またその可能性が非常に高いことを考えると、外環の整備は何を置いても真っ先にすべきです。幹線道路の整備であると同時に、地域の主要道や生活道路の改善という副次効果が大きいのも外環の特徴であり、費用対効果の側面からいってもメリットは大きいです。

●残る問題点
 県内区間のICが、松戸、千葉北JCT、市川北、市川南、京葉JCT、高谷、高谷JCTと続きますが、どれもハーフICとなっており、松戸と市川南が南行き専用、市川北と高谷が北行き専用となります。
 ここから分かるとおり、三郷方面に向かう場合、高速に乗れるのは高谷、市川北だけであり、その先は三郷南となり現在の三郷・外環三郷西と大差ありません。
 R6との関係もそうですが、放射路線からR298に入ったあと、高速ICまでの距離がやや長いようです。

 市川市街からだと、国分・須和田地区に出来る市川北へ行くのは国分街道か、R14からR298に入るしかなく、それなら市川松戸線から中矢切でR298経由三郷南(常磐道利用だったら外環の通行料を浮かせるために三郷まで進むでしょう)にいく流れが多いと想定されます。
 これでは市川松戸線や国分街道から通過流動こそ無くなりますが、市内発着の流動が引き続き集中することが予想され、渋滞緩和効果が薄まります。

外環  現在新田の国分街道入口まで4車線(上りは幅員だけ確保して1車線運用)ですが、これをR298との交差地点まで4車線化してスムーズに外環に流す施策が同時に必要です。

 また、京葉道との連絡となる京葉JCTですが、国土交通省の地元説明資料によると、びっくりするほど大胆な工事をして、地下の外環道と地上の京葉道の間をスルーさせるようです。
 問題はR298と京葉道の関係で、行徳街道(県道6号線)と市川市文化会館の南付近で交差してそのまま斜めに産業道路と交差します。市川ICのすぐ南を高架で越えたあと、新行徳橋へ向かう市川浦安BPと本線は立体交差するのですが、もちろん側道経由でBPと出入りできます。
 R298から京葉道へは、この地点で市川浦安BPに入り、現在行徳方面から市川ICに出入りするのと同じやり方のアクセスになるため、現在でも渋滞がちなBPの市川IC橋の上の渋滞が激化することが懸念されます。

 また、産業道路と行徳街道が交差する大和田兜橋交差点から市川インター北側交差点間も渋滞しがちですが、ここにR298が斜めにずれて平面交差するため、例えば大和田兜橋が青でもR298との交差点が赤というように、信号がどうあっても進路を塞ぐケースに陥りそうです。
 ここが滞ると、産業道路(市川広小路−原木IC)や市川浦安BP(R14市川IC入口−新行徳橋方面)、そして市川IC出口流出車にも波及しますので、地域交通にとって却って有害かもしれません。

●都内区間について
 なお、大泉以南の都内区間ですが、そもそも和光北(埼魂大橋南詰めの松ノ木島交差点)でR298が終わり、サービス道路のみがR254を越えて和光市と練馬区の境まで続いて終わる(大泉ICには抜けられない)状態で、基本的に松ノ木島以南は高速道のみという設計では、埼玉県内で実現し、千葉県内でも実現しようとしている「外環効果」の実は思うほど上がらない懸念があります。
 これは外環の容量が高速道部分の4車線のみと半減することのみならず、並行都道や生活道路に溢れる域内移動のクルマのはけ口には、有料且つ出入りが限られる高速道路はなり得ないからです。

 その意味で環八地下に建設するプランは、現在地上部や環七(実際、環八より走りやすいため環七まで入り込んで周回するクルマが多い)にいる通過流動を高速道部分が吸収し、緩和された地上部が「裏道」に溢れるクルマを吸収することが期待できるのです。イメージとしては、井荻トンネルの地上地下を考えて頂ければいいでしょう。信号のない地下を通過流動が流れ、交通量が激減した地上部もまた、地域移動のクルマが走れるようになったのです。
 なお大気汚染への懸念ですが、なぜ「環八」「環七」だけ取り沙汰され、「首都高環状線雲」や「箱崎JCT雲」が無いのかを考えた際、完全な停止状態からのゴーストップを繰り返しが与える環境負荷が桁外れということを想定すれば、高速道部分が与える環境負荷のほうが少なく、結局従来比での改善が期待できるのではないでしょうか。また、外環道和光IC付近の西大和団地は外環道に蓋をして建てられた、高速道直上の住宅ですが、被害というものを聞かないところを見ると、懸念するには当たらないのではないでしょうか。

ふと思うのですが
 投稿者---brother-t氏(2001/06/27 02:01) http://members.jcom.home.ne.jp/brother/index.htm

 ふと思うのですが矢切さんもエル・アルコンさんも外環道に関して書いている事を見ると、「外環道よりも主要道路の整備を行った方が問題は解決する」と思うのですがどうでしょうか?確かに外環道が開通する事で長距離のトラックなどは外環道に移るとは思うのですが、それでもバス路線の幹線ルートである国分街道や市川松戸線はとてもバス路線の幹線ルートとして充分なインフラではなく、また右折車などネック要因となるであろう部分の改善が無くて問題解決に近づくのかな?と思います。
 確かに三郷〜市川の所要時間が1時間から10〜20分まで短縮されるのは大きく見えます。それでも三郷〜市川の流動がどれだけあるでしょうか?
 少なくともそれによって千葉方面〜各方面の所要時間の短縮、また千葉方面〜都心の短縮にどれだけ結びつくか、どれだけ都心の道路の混雑緩和が成り立つかと言う効果、そしてどれだけの費用がかかり、どれだけの収入が期待出きるのかが分からなければ評価は出来ません。
 特に採算は効果が大きいと忘れられがちですが、都心部で少しでも採算が取れなければその損失は莫大な物になるというのは国鉄が何故つぶれたかを考えれば容易に分かる(債務超過に苦しむ北総の営業係数は40台、国鉄でこれだけの高収益路線は無かった)はずです。
 とは言え確かに市川の都市計画にかかる影響や、圏央道が100km近い建設距離なのに対し15km弱と言うのはやはり外環道建設を優先させる理由として大きいとは思うのですが…

Re:ふと思うのですが
 投稿者---エル・アルコン氏(2001/06/27 10:21) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 どうしてもこの手の議論は「地元有利」になってしまうのですがご容赦の程。

***
 さて、このエリアの問題は、
  1.南北(環状)方向の「幹線道路」が無いことにより
  2.地域の主要道が幹線代替に使われるばかりか
  3.生活道路にまでクルマがあふれている
ということです。

 生活道路からクルマを締め出す、という俗耳に入りやすい対応は、市川松戸線のような地域の主要道を麻痺させるだけで、1.2.の解決にはなっていません。また地域の主要道を改善するというbrother-tさんの御説ですと、3.の解決(改善)にはなりますが、1.の解決にはつながりません。
 また、主要道のグレードアップを図るにしても、幹線道路クラスの所要時間短縮の効果をあげようとすれば、多車線化や立体化が必須ですが、街の分断等の問題もあり(外環ですらこれへの反発が強いのに、既存市街地を構成し、かつ中軸となっている主要道でこれをしたら、既存市街地を一から全部作りかえることになる)、実現は非常に困難です。

 交差点改良のようないわば小手先の対応でしのぐ場合、所要時間短縮という効果を諦めるため、1.の解決になっているかは甚だ疑問です。さらに市川松戸線や国分街道、市川柏線など総ての主要道を同時施工して、一本一本の容量は多くないが、分散させることで流動を引き受けざるをえませんが、こうなると改良対象の総延長は外環1本の建設より却って長くなることは必至であり、かつ移転・補償といった対象も却って増える懸念があります。

 なお現在、主要道が混み合うのは、設計上の通過交通量を超える流動があるからです。これは不思議なもので、数字に比例して時間が延びるのではなく、許容量の範囲内だとあまり変わらず、超えたら雪だるま式に時間が膨らむ傾向があるようです(信号の1サイクルで滞留した車列を捌けなくなるとてきめんに渋滞が拡大する) 。ですから、このボーダーラインまで下げることが急務なのです。

***
 市川松戸線に入ってくる通過流動ですが、産業道路(原木−市川IC北側−市川広小路)を通る大型車の大半がそのまま市川松戸線に直通するようです。市川松戸線自体は、実はR14の市川橋を越えて都内から来るクルマの方が多いのですが(R6の金町付近を嫌ってる?)、大型車に限っては市川橋からの流動より産業道路の方が多いようです。

 この流動は松戸口で、そのまま外環葛飾大橋に回るのと、R6に入るのが7:3から8:2くらいと見られます(私は市川広小路から産業道路のルートで外環を利用していたので、その時の実見)。
 また、平日にこのルートを使って外環に出入りすることが多い家内の話だと、土休に比べて圧倒的に時間がかかるようで、商用、産業用車の利用頻度が相当あります。
 ただ、小山陸橋を直進した後、常磐線を越えた地点で松戸市街に下りる車が結構あります(京成バスのルート参照)。

 市川市域から松戸市街や三郷へ向かう流動は、市川松戸線の他、R464や松戸原木線からのものがあります。R464との間は、R6に合流する松戸トンネル西側から、三郷に向かっては矢切IC経由、三郷からは小山陸橋経由が主流です。小山陸橋で市川松戸線とR6やR464方面と分かれる流動はR6・464方面が多いようで、さらにその半分以上はR464に入ります(松戸トンネル交差点には右折車線が無く、追い越し車線が右折車線になっており、これもR6渋滞の原因)。
 松戸原木線は、R6と交差する陣が前交差点がR6東京方面から右折禁止(松戸原木線に入れない)ということもあり、東京・三郷方面とのクルマが避ける傾向があり、陣が前手前の西美野でR464に回りこんだり、二十世紀が丘から市川松戸線の三矢小台に抜ける流れがあります。

***
 さて、外環整備による効果への疑問ですが、例の「道の川島本」にありましたが、この手の幹線道路の整備は、意外なところに効果が現れるという広域的な効果があることを見逃せません。つまり、首都高11号台場線(レインボーブリッジ)の開通で、4号新宿線上りの渋滞緩和効果が大きかったという事実がそれであり、新宿線からの千葉方面へのルートが、従来の箱崎経由とレインボー経由に分散されたことにより、6号線箱崎を先頭にする環状線外回りの渋滞緩和はもちろん、環状線に合流する三宅坂における内回り方向への分散でJCT先頭の渋滞が減ったのです。

 外環の場合、並行する首都高中環の渋滞緩和に資することは明らかですが、これにより堀切や小菅、葛西での6号向島線や湾岸線の渋滞緩和が両方向で期待できます。一方で湾岸線自体の通行量増加が懸念されますが、それと裏表の関係で都心環状線が空くでしょう。
 R16からのシフト(柏IC−千葉北IC、穴川IC間をR16でつないでいた流動が三郷−(外環)−高谷・京葉経由になる)を考えると、柏の呼塚(よばつか。R6との交差点)や千葉北警察署前、穴川付近といった「名所」の状況が変わることも十分考えられます。

 県内の問題ですが、南北方向の主要道でR14を直進できないケースが多く、こうした箇所では南北流動と東西流動が輻輳して混雑に拍車をかけていました。(本八幡付近など)こうした輻輳箇所に付いては、R357の若松交差点(「湾岸道」で詳述の予定)のように個々レベルを容易に改善出来るわけではありません(新道の建設など街区の変更を伴うから)。
 南北流動の相当数を外環に流せれば、R14など東西方向の道路の混雑緩和にもなります。

***
 道路の場合、採算とは高速道路の収支だけではなく、渋滞緩和による物流費の削減といった、直接道路事業に還元されない利益も含めて考える必要があります。社会インフラの整備は、道路という「手段」を作るのが目的ではなく、その「手段」により円滑な交通の実現による社会生活の向上といった「効果」を実現させるのが目的だからです。

 手段だけを取り出して云々する愚は避けたいですし、また、手段の段階だけを取り出して判断を強いる結果となる独立法人化やその究極である民営化(手段の段階のみで収益を挙げなければいけない)というものは、却って目的実現の妨げになりかねず、馴染まないのではとも思います。
 その意味で、公共性が高い一般道路、生活道路の整備・維持に対しての一般財源比率が高いことは、好ましいことでしょう。

Re:ふと思うのですが
 投稿者---brother-t氏(2001/06/28 00:43) http://members.jcom.home.ne.jp/brother/index.htm

 生活道路からクルマを締め出す、という俗耳に入りやすい対応は、市川松戸線のような地域の主要道を麻痺させるだけで、1.2.の解決にはなっていません。また地域の主要道を改善するというbrother-tさんの御説ですと、3.の解決(改善)にはなりますが、1.の解決にはつながりません。

と言うよりも僕は地元出身の矢切さんやエル・アルコンさんの意見を聞いて、1.の改善に役立たないのはむしろ外環道に見えます。例えば、外環道が出来た所で市川〜松戸のバス路線が経由する訳が無く、例えば横横道路が県道横須賀三浦線の混雑緩和に役立っているとは思うのですがそれでもやはり朝ラッシュなどにはバスが身動き取れなくなったり、未だに衣笠十字路が横須賀一の渋滞の名所と言う現状は何ら変わっていません。更に市川松戸線は聞いている所ではバスも難儀するような区間がありますので、むしろ大金を掛けるのなら主要県道の方が良いと思います。

 主要道のグレードアップに関してはせめてバスがちゃんと走れる様にというレベルの問題に見えるのですがどうでしょうか?ただR14だけは別だとは思いますが。

 交差点改良のようないわば小手先の対応でしのぐ場合、所要時間短縮という効果を諦めるため、1.の解決になっているかは甚だ疑問です。さらに市川松戸線や国分街道、市川柏線など総ての主要道を同時施工して、一本一本の容量は多くないが、分散させることで流動を引き受けざるをえませんが、こうなると改良対象の総延長は外環1本の建設より却って長くなることは必至であり、かつ移転・補償といった対象も却って増える懸念があります。

 いやむしろ必要なのは外環道による市川〜三郷の40分の時間短縮よりも主要道の小手先の改善による市川〜松戸の10分の短縮の様な気がします。市川〜三郷の40分短縮と京葉道〜上越・東北・常磐道の40分の短縮とイコールとは限らないと思います。もしそうであるのならそれを挙げるべきで、穿った見方をすれば、これらの短縮には決してならないけどとにかく外環道が欲しいと思ってる人が編み出した詭弁にすら見えます。逆に主要道路の渋滞の減少のもたらす効果は少なくとも人の流れに関しては県内流動は東京志向の流動よりも遥かに大きい事から県内流動に直接関与しない外環道とは比べ物にならないと思います。

 最近買った道路地図を見て思ったのですが、確かに外環方面とR6を見ればそうかもしれませんが一番の問題は松戸中心部方面などの地域流動と広域流動の割合だと思います。しかもこの地区は通過流動である大型車が無くなってもバス路線が多い為大型車対応はどの道必要ですし少なくとも市川〜松戸の距離をどんなにインター間が速くても外環道を使う人はほとんどいないと思います。

 しかしR464は鎌ヶ谷を超えると本当に国道かと疑いたくなります。さらに右折環境にいたっては・・・逆に本当に外環道につぎ込むお金があれば…と思うのは僕だけでしょうか?

 ここで冷静に考えてください。どう考えてももっとも大きい県内の流動に関して外環道はあまり期待できず、レインボーブリッジの効果が出たのは、東京〜千葉の流動は千葉〜首都圏多摩地区・神奈川県・埼玉県の流動の5倍近い事でそれをそのまま千葉県〜埼玉県に当てはめても出来た時には千葉県には失望しか残らないでしょう。

 道路の場合、採算とは高速道路の収支だけではなく、渋滞緩和による物流費の削減といった、直接道路事業に還元されない利益も含めて考える必要があります。社会インフラの整備は、道路という「手段」を作るのが目的ではなく、その「手段」により円滑な交通の実現による社会生活の向上といった「効果」を実現させるのが目的だからです。

 確かにそれは間違ってませんがだからと言って無計画に首都圏に金を掛けて破綻した国鉄の長期債務の問題を見ると、少なくとも収支の帳尻は合わせておかないと将来にツケを残すでしょう。その時も「赤字ローカル線が」と詭弁を吐くのでしょうか?

 少なくとも収支の帳尻を合わせてインフラを整備する必要があると思います。特に人口集中地区は金額が大きくなりますから、少しでも赤字になったらものすごいことになるでしょうね。これを「効果」を実現させるのが目的とホッカムリをするのが一番将来に対する犯罪だと思います。

Re:ふと思うのですが
 投稿者---エル・アルコン氏(2001/06/28 18:18) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 ちょっと拙論の趣旨が伝わっていなかった部分があるので補遺から。

 もう一度、現状認識からいくと、
   1.南北(環状)方向の「幹線道路」が無いことにより
   2.地域の主要道が幹線代替に使われるばかりか
   3.生活道路にまでクルマがあふれている
というものであり、外環に期待される効果というのは、「外環」(R298併設が大前提)という幹線道路の整備により、域内流動の主力である地域の主要道を通る通過流動が転移し、生活道路を「裏道」として使用しているクルマが減少する、というものです。

 幹線道路の建設によっても地域主要道の渋滞はなくならないかというと、例えば市川松戸線の場合は渋滞の主因はやはり通過流動としての大型車(トラック、トレーラー)です。渋滞の先頭が両方向とも国立病院と小山陸橋というケースが多く、国立病院の場合は中国分に抜ける道との交差点のせいも大きいですが、この地点が国府「台」のピークに位置すること、つまり勾配の屈曲点での渋滞という、教科書通りの現象でもあるのです(逆に小山陸橋は「谷」に位置する)。
 この時、鈍重な大型車ほど対応が鈍いため滞りがちで、さらに道路が狭隘ということもあって、全線の通り抜けにかかる時間が長くなります。そして片側1車線ですから、いちばん遅いクルマの所要時間に合わせることになるのも無視できません。
 一般道での渋滞というのは、案外と一握りのクルマが原因のことが多く、原因と目される大型車を外環に逃がせればかなりの改善が期待できます。

 市川松戸線の改良ですが、小山陸橋から坂を上がった三矢小台付近の区間で、遅々として進まぬ拡幅工事が続いていますが、上矢切の商店街の続きとあって、簡単にはいかないようです。
 拡幅といっても、それこそバスが楽に走れる程度の路側帯と歩道の整備でこれですから、こうした個別対応を各主要道で実施することが可能でしょうか。

***
 論を地域主要道(この場合は市川松戸線)の渋滞緩和とすると、通過流動を外環に流すことによる通行量減少で実現するのか、地域主要道自体の改善により通行可能量増加で実現するのかということでしょう(鉄道だと「輸送量の分散・減少」か「輸送力の増強」の選択になる)。
 すでに外環〜京葉・湾岸のルートに組み込まれているこの区間において、渋滞緩和の実を上げるだけの改良を施すとなれば、市川松戸線ルートで外環を作るのと然程変わらないといえます。
 少なくとも外環、京葉、湾岸、R6、R14とも4車線ですから、産業道路〜市川松戸線が2車線であること自体が既にボトルネックです。

 ところで、このエリアに全く関係ない通過流動を逃がせば良いとなれば、例えば湾岸〜中環ルートとか、圏央道の整備でも、と思うかもしれません。
 しかしここで指摘したいのは、R298という一般国道の幹線道路の存在と、外環に出入りすることによる高速アクセスの容易さです。
 バス路線は通らずとも、例えば市川から国分街道経由で曽谷に向かうクルマが、菅野から国分までR298を利用して時間短縮を図るといった利用を考えると、「別の一本」ではない「もう一本」のメリットは大きいです。また、前にR298を相当走らないとICに行けないと言いましたが、それでも外環三郷西や湾岸市川まで下道を行くことを考えれば屁でもない「苦行」です。

 このメリットがないのが都内区間の計画であり、「外環効果」における「R298の効果」(実際は地域にとってはこれがいちばん大きい)のシェアを考えた際、「高速としての外環」の効果を享受するのは、都内を通過する流動ですから、都内それ自体が享受するメリットが実は無いという懸念すらあります。(県内区間でR298がなければ、brother-tさんのご指摘は正しいです)

 なお、域内流動がR298区間を使うかですが、移動方向がR298と同一方向であれば、それこそ信号1つや2つと言った区間でも利用されるでしょう。裏を返せばそれだけこのエリアの一般道事情は悪いのです

一般道拡充では外環道ほどの効果がない
 投稿者---矢切氏(2001/06/28 02:15) http://www3.ocn.ne.jp/~skylark7/

エル・アルコンさん
 環八地下に建設するプランは、現在地上部や環七(実際、環八より走りやすいため環七まで入り込んで周回するクルマが多い)にいる通過流動を高速道部分が吸収し、緩和された地上部が「裏道」に溢れるクルマを吸収することが期待できるのです。イメージとしては、井荻トンネルの地上地下を考えて頂ければいいでしょう。信号のない地下を通過流動が流れ、交通量が激減した地上部もまた、地域移動のクルマが走れるようになったのです。

 外環道の西側を環八の下に通すことには反対です。高速道路は出入口が限られるうえ、たとえ出入口が目の前にあっても近距離の流動では料金負担を嫌って高速を使わないですから、外環が環八直下にあろうと西側2kmの位置にあろうと通過流動取りこみの効果に大差ありません。

 現在の計画線の位置でなく環八直下に作るメリットは、はやく完成すること、この1点のみといっても良いでしょう。しかし後述するデメリットを考えると、5年〜10年早くできる道よりも、20年・30年後の世代に良い道を残すことのできる現在の計画の方が優れていると思います。5年10年は長いというのも事実ですが、外環が出来る前に中央環状や圏央道ができるでしょうから、我慢してほしいと思います。

環八直下とするデメリットその1=
 環境負荷。尼崎での大気汚染公害訴訟で国側が敗訴したのは記憶に新しいところで、環八沿線のみに排気ガスを増やす方法には問題があります。計画線であれば道路の上にグリーンベルトを作ることも可能ではるかに環境に優しいです。
環八直下とするデメリットその2=
 放射状高速との接続。環八直下からだと中央道との接続が無理な構造にならざるを得ません。計画線ならばよりよい形がとれるでしょう。
環八直下とするデメリットその3=
 費用。埼玉県内の外環の混雑を見れば、4車線でなく6車線道路とすべきなのは明らか。「首都高はなぜ渋滞するのか!?」(清水草一著)では環八直下のほうが費用を1割強削減できるとありますがこれは4車線を仮定しての数字。6車線だと現在の計画のほうが安上がりでは。

 環八の混雑を緩和するために地下道による立体化を拡大するのは大いに結構ですが、それはあくまで一般道の強化であり、外環道にはなりえないものと考えます。

brother-tさん
 外環道が出来た所で市川〜松戸のバス路線が経由する訳が無く、例えば横横道路が県道横須賀三浦線の混雑緩和に役立っているとは思うのですがそれでもやはり朝ラッシュなどにはバスが身動き取れなくなったり、未だに衣笠十字路が横須賀一の渋滞の名所と言う現状は何ら変わっていません。更に市川松戸線は聞いている所ではバスも難儀するような区間がありますので、むしろ大金を掛けるのなら主要県道の方が良いと思います。

 朝ラッシュ時のバスの渋滞を無くしたければ、主要地方道の改善に、外環道建設以上のコストがかかります(改善すべき道路の数が多く、改善すべき箇所は住宅密集地ばかりのため)。外環道ができても南北方向主要道の朝ラッシュ時の渋滞は無くせませんが。

 確かに外環方面とR6を見ればそうかもしれませんが一番の問題は松戸中心部方面などの地域流動と広域流動の割合だと思います。しかもこの地区は通過流動である大型車が無くなってもバス路線が多い為大型車対応はどの道必要ですし少なくとも市川〜松戸の距離をどんなにインター間が速くても外環道を使う人はほとんどいないと思います。

 外環道が三郷まで出来てから、県道1号を通過する大型車の数や渋滞は激増したように感じます。非常に多数の「通過する」車が流れ込んでおり、これを既存の道に流さないことが重要なのです。地域内移動についても外環道の脇にできる国道へ移ることが期待できます。

 ここで冷静に考えてください。どう考えてももっとも大きい県内の流動に関して外環道はあまり期待できず、レインボーブリッジの効果が出たのは、東京〜千葉の流動は千葉〜首都圏多摩地区・神奈川県・埼玉県の流動の5倍近い事でそれをそのまま千葉県〜埼玉県に当てはめても出来た時には千葉県には失望しか残らないでしょう。

 外環道開通による著しい改善効果は埼玉県内で実証済みです。埼玉でも、環状方向の流れより対東京の流れが大きいという状況は同じでした。

 また、ご意見は県内の都合を優先しているようにも感じますが、都内の交通が改善することも県内の都合と同じ基準で評価したいです。

環状高速プラン(再掲?)
 投稿者---エル・アルコン氏(2001/06/28 18:36) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 昔環七か環八直下に環状高速を作る話を「近未来交通地図」でしませんでしたっけ。

 その時に私が提案したプランは、
   1.上下2段の3車線以上(往復6車線以上)のトンネル構造。
   2.放射路線との接続は、取り敢えず放射路線の真下に分岐して、適当なところで合分流。
だったと思います。

 環八の場合は元々幅員が狭いこともあり、直下に高速道路に相応しい4車線を並列で置けるとは思えません。これの克服と、放射方向の分岐時に、構造が単純になる(十字型に交わる区間では、各段の左右にY字で分岐させるだけ。分岐後高低差を揃えるだけで複雑な交差が不要)メリットもあるため、重層地下構造でいきたいです。
 JCTがこれで良いとした理由は、環状高速の目的は、地上の環状道路からアクセスするのではなく、放射道路との受け渡しであり、交差地点で無理に接合したり出入り口を設ける必要は無いというものです。

 もちろん、並行するR298部分を完全に諦めることが前提ですから、本来の私の主張と相容れない部分があるのは百も承知ですが、現在の高速道部分だけを延々と地下構造で民有地の下に建設するプランよりは遥かにマシでしょう。

***
 なお、都内区間がなぜここになったかですが、もともと戦争中の防火用の緑地帯計画で、国や都が入手済みの土地が多いからだそうで、だから石神井や砧と言った緑地帯の名残の大規模公園を縫った計画になっているのです。
 いまとなってこの計画をトレースすると、当然公園への悪影響と言う話になりますから、その意味でもルートを変更した方が良いのです。

Re:環状高速プラン(再掲?)
 投稿者---brother-t氏(2001/06/28 23:36) http://members.jcom.home.ne.jp/brother/index.htm

 さてここまで書いてきた中でもしかして(ではないとは思いますが)外環道反対に思ってる方も多いと思いますが僕は必ずしも外環道に反対な訳ではありません。

外環・R298県内ルート
 投稿者---エル・アルコン氏(2001/07/02 11:03) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

●外環・R298のルート(首都圏版の地図をご用意下さい)
 開通しているのは外環葛飾大橋からR6矢切インターまでです。なお、高速道(専用部)は外環葛飾大橋の上下線間の高々架で江戸川を越え、そのままR298が常磐線とR6をアンダーパスするのに対し、高々架のままオーバーパスして、矢切の台地にぶつかったところで両方ともトンネルに入ります。
 矢切インターでのR6との出入りは現状通りで、そこから現在R298の三郷方面だけの分岐ですが、既に橋脚が立ち上がっていることから分かる通り、湾岸方面への分岐も出来ます。
 ここからは専用部は地下をそのまま行き、R298は上り勾配で地上に出て、中矢切バス停付近で市川松戸線と交差します。交差形態はR298本線と市川松戸線が平面交差。専用部は地下。R298の高谷寄りに湾岸方面のみの松戸IC(以下建設区間のIC、JCTは総て仮称)へのランプウェイを設置します。

 そのまま市境を越えて市川市に入り、北総線と交差する小塚山公園はR298も含めて地下で通過。北国分駅の南1km(市川駅−国府台駅−国分操車場のミニバス路線が、最後国分操車場に大きくカーブして向かうところの頂点付近)に北千葉道路との北千葉JCTを設置します。このあたりから国分街道に重なって進み、国分交差点(国分バス停)手前に三郷方面への市川北ICが設置されます。国分交差点からは国分街道の東側に移り、住友鋼管の東側を通りますが、R298もここからスリット式の半地下構造になって菅野駅直下で京成線と交差します。
 R14との交差もR298が地下、R14が平面の立体交差で、R298から分岐した側道がR14と平面交差しますが、R14側も4車線への拡幅が計画されている模様です。
 そしてR298は総武線と交差するあたりで地上に戻ります。
 なお、松戸市川市境から総武線までの区間については首都国道工事事務所による設計・用地説明会がまだであり、首都国道事務所発行の「みどりの道」を通じた詳細図の提示がないため、全体平面図と、一部図表(菅野付近構造)を元にしています。

 総武線以南は、平田小の西側からスタートします。なお、総武線高架の橋脚の関係か、R298南行き本線の2車線の真ん中に構造物が入ります。(首都高都心環状線の銀座付近の構造と同じか?)また南行きのサービス道路(側道)が最初の信号(一番掘通り)を越えた先ではじめて本線に合流するため、サービス道路から市川駅方面への右折を確保するためには通常の十字路より信号サイクルが1つ多くなる(R298、側道、一番掘通り)ため、南行きの渋滞が懸念されます。(上記の妙な構造及び、上り勾配で地平に出るピークという構造とあわせて、渋滞しやすい構造)
 この先が湾岸方面専用の市川南IC、向きは東南にかえて、東西南北の街区を斜めに横断する形になりますが、街区の分断という意味では単純な分断より厄介で、また既存道路との交差点の処理も難しくなります。
 行徳街道と産業道路の交差点である大和田兜橋は、潮郷橋西詰の八潮八条交差点のように六差路になるのではなく、交差点中心間で200mくらいの三角形を描いた平面交差点が兜橋を入れて3箇所出来る構造で、渋滞が懸念されます。

 ここからR298は高架になり、京葉道市川ICの出口車線がはじまるあたりで斜めに京葉道を跨ぎ、丸一鋼管の横まで進んで地平に戻ります。地下では専用部と京葉道の京葉JCTの分岐線が離合し、地平の京葉道に合流しますが、既存の京葉道市川ICの出入口は上り出口のみ京葉JCTの進入路と統合されるほかは今まで通りになります。イメージとしては、市川ICの出入口の外側に京葉JCTの出入口が出来る形で、東側は今の鬼高PA付近、西側は江戸川を渡ったカーブのあたり(行徳街道を跨ぐあたり)での合分流です。なお、京葉道は往復6車線ですが、下りがそのカーブの入口まで、上りも江戸川橋梁から片側4車線となっており、京葉JCTへのランプウェイまでのわずかな区間を拡幅して欲しいものです。(京葉道は市川−篠崎間は無料なので、江戸川区方面からのアクセスがし易い)

 なお、R298から京葉道への出入りについては、市川浦安バイパス(旧新行徳橋有料道路)との交差も絡み、複雑怪奇な「側道網」が出来るようで、基本的には、松戸方面本線とは京葉道直上付近で分岐し、湾岸方面本線とは丸一鋼管横で分岐します。この側道が市川浦安BPと平面交差し、既存の市川ICを利用するようになりますが、複数のルートどりが出来るという複雑さに加え、ただでさえ産業道路との交差点を経てR14まで滞りがちで、出られないクルマが京葉道本線にまで列を作っているのに、原木ICから松戸原木線とか、篠崎街道や環七といったルートからのシフトを考えると、県内屈指の渋滞ポイントになる可能性があります。
 上述の大和田兜橋付近とあわせ、R298、市川浦安BP、産業道路が絡んでおり、相互の干渉が複雑であり、簡単な解決は出来ないでしょう。
#先の平田付近同様、市川IC付近の側道が整備されるため、これの交差も干渉する。

 丸一鋼管横で船橋行徳線と交差した後は、江戸川の土手横、高谷川沿いに進み、営団妙典車庫の対岸付近に三郷方面専用の高谷ICが設置されます。ここから専用部は地上に出てそのまま高架になり、東関道・首都高湾岸線との境界でもある高谷JCTに至ります。R298はそのまま地平を進み、高谷JCT手前で高架になり、R357に至ります。

国分地区追加情報
 投稿者---エル・アルコン氏(2001/07/02 11:03) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 6月24日に北国分、中国分、堀の内地区の説明会が開催されたそうです。
 なお、当該エリア内にある小塚山公園トンネルの環境問題が問題になったのに加え、このエリア最大の構築物である北千葉JCTが図面に入っていなかったことで説明会が紛糾したそうです。
 国土交通省側は、北千葉道路の事業主体も計画も決まっていないためと説明しましたが、一方でランプウェイ4本(T字分岐だからこうなることは推測できる)のうち、3本が地下、1本が高架という説明を補足していることから、何らかの図面はあるはずです。

 確かに京葉JCTの図面を見る限り、相当な変化が予想されるため、北千葉JCTを図面に載せなかったことは問題と思います

http://www1.posso.ne.jp/seiji.html

千葉は道が悪い!
 投稿者---さいたま市民@西浦和氏(2001/06/29 02:10)

 みなさんこんばんわ。こちらの掲示板は初めてです。どうぞお手柔らかに。
 エル=アルコンさん、新境地はいかがですか?

 親戚の葬式があり、浦和から市川へ往復する機会が重なりましたので、千葉の、それも話題の県道1号線を行き来する機会が続きました。

 なぜかわかりませんが、千葉80万、松戸市川90万、船橋習志野70万の人口がありながら、交通網がすっきりしないですね?
 埼玉は前にも書いたとおり格子状交通路が完成に近づいているのですが、千葉はまだですね。
 埼玉に秩父地域があるように、千葉にも房総地域があるのはわかります。房総地域が奥深いのもよくわかります。そこに長い道路を引かなくてはならないのもわかります。でも、柏流山松戸市川の道路は全然繋がっていませんね!

 唯一できたのは京葉道路と湾岸道路と東関道と東京湾横断道路と16号線だけといってもいいのでは?16号以外は有料だし、埼玉が北関東東北への回廊であるということを引いても、千葉、特に松戸市川船橋が冷遇される理由が見あたりません。政治的な理由もあるのでしょうか?野党支持が多いから?もしそうなら、この地域の人たちはもっともっと声を大きくするべきでしょう。

 市川の14号は市川広小路からなぜか2車線のまま。埼玉の17号線も戸田橋を越えると2車線になりますが、最初の交差点を右左折すれば、川口市内、戸田市西部へ車は拡散していきます。市川広小路はむしろ、松戸方向と小岩方向から合流した流れが、市川インター方向と14号方向へ再分流する形ですね。

 市川から千葉へ向かうにも、14号は2車線のまま船橋市内を通過しますので、船橋市街は慢性的な渋滞が続きます。開発が進んだ八千代など内陸への成田街道へT字路ではいる形でその手前の中野木は南北方向の幹線である船橋我孫子線との交差点で、ようやく立体交差ができます。その成田街道も中野木、成田街道入口と続く交差点のため、常に渋滞しているようですね。14号線も幕張インターまで行けば4車線、さらには6車線と広がっていきますが、それはあくまで千葉市内の交通のためで、通過交通は有料道路へ、という発想が鼻につきます。その有料京葉道路も宮野木を中心に各方向への渋滞があることはラジオを1時間聴けばわかります。
 さいたまでは、大宮バイパスや122号、16号は4車線・6車線の通路を確保しているためか、吉野町インター、宮前インターでの渋滞は事故でもなければありません。でもその先、上尾市にはいるとだめですし、東北道の岩槻出口とも絡む岩槻の加倉も若干渋滞します。

 千葉の道路は、その目的地が拡散しているかもしれませんが、現状では以下の3地点を東西方向の目的地として意識するべきでしょう。

1 房総方向
2 成田空港
3 銚子・鹿島方向

 そして、その収束地点として県庁所在地政令指定都市千葉市と国際空港のある成田市を考えればいいのでしょう。
 また、南北方向への流れは以下の3つの流動を考えるべきでしょう。

1 16号コース・野田〜千葉〜木更津〜内房
2 東関道コース・鹿島潮来〜成田〜半島内陸
3 九十九里浜コース・銚子佐原〜茂原〜外房

 4つ目として外環道コースの松戸〜市川〜浦安が構想されるのでしょう。

 東京の環状流動の未消化分(地域の東西流動の方も多いですが)を埼玉の外環道が引き受けるのと同じように、千葉県内でも引き受けるべきなのです。東京の環状道路が8号線までで終わっているのに対し、埼玉千葉が引き受けるのは環状9号10号といえるのではないでしょうか。環状9号線として、川口草加線〜草加松戸線〜柴又街道、環状10号線として298号線〜市川松戸線、環状11号線として463号線、環状12号線として16号国道があるといえるのでしょう。

 外環道の建設がようやく本格化するなかで、今までできなかった一般道の地道な改良も必要です。
 埼玉から千葉へ入るといつも感じるのは、「どうして右折レーンがないの?」なのです。有名な?木下街道と松戸市川有料の競馬場前交差点なんかは、交差点そばまで左右に民間駐車場が並び、競馬場への車と通過する車が錯綜しますね。その先の馬込十字路、鎌ヶ谷大仏などもだめですね。松戸の6号線もだめですね。市川産業道路は結構余裕があって(大宮までの17号と同じ1.5車線)、右折レーンが確保されています。船橋我孫子線も金杉十字路、初富と厳しい状況が続きます。
 また、14号線から内陸部へ入るT字路には、「どうして左折レーンがないの?」です。東京から来て左折するとすぐ京成電車の踏切があるのはわかりますが、せめて、14号線を左側に1車線広げることができれば、14号線で直進する車はスムーズに走れるのでしょう。また、14号線と市川産業道路の間の道も無いですね。

 全体的に見れば、千葉の道路はまだまだ途上ですね。計画はしっかりしているのでしょうが、整備はまだ線になっていません。これに優先順位を付けて、1本ずつでいいですから完成させるべきでしょう。千葉と東京の間はそれぞれが独立した都市として、高速道で点と点を結ぶ発想で整備された道路網整備から、市川船橋習志野の市街地化の進展を受けてこれらの都市を巻き込んだ面としての交通路として考える時期に入ってきたのでしょう。
 まずは環状道路として、298号の測道でいいですからこれを先行開通させ市川市内に実績を作り、放射道路として、一般道の改良を進め、464号を実質的に東西へ伸ばす努力を続けるべきなのでしょう。もう、海を埋めることばかりに血道を上げている場合ではありません。この道路整備を怠ったたり、遅れるようなことがあると、ある意味千葉の命でもあるだろう、土地の価値を下げることになるでしょう。千葉県庁!しっかりしなさい。

 埼玉では、確かに時間はかかりましたが、「革新県政」時代の都市計画が現在実現しているのです。
 別スレッドで展開されているマナーの問題も、道路整備の遅れる理由と深い深い部分で繋がっていますね。

 さいたまからの視点でした。乱筆ご容赦。

千葉の一般道:横須賀との比較
 投稿者---brother-t氏(2001/07/01 00:00) http://members.jcom.home.ne.jp/brother/index.htm

 さいたま先生こんばんは&こちらでははじめまして。

 市川の14号は市川広小路からなぜか2車線のまま。(中略)市川から千葉へ向かうにも、14号は2車線のまま船橋市内を通過しますので、船橋市街は慢性的な渋滞が続きます。

 これはひどいですね、横須賀も市川も40万人クラスの都市なので比較すると、横須賀だと国道16、134号が京急線の金沢八景〜京急久里浜とほぼ併行する地区で4車線です。しかもこの道路は14号の様に県庁所在地などの大集積地区で無く続くのは京急も単線の横須賀南端部と人口5万人の三浦市だけという…、これを考えるとこれまで何故2車線か分からなくなります(とは言え横須賀に357号線はないのですが)。

 千葉の幹線ルートを考えて行った時に鉄道になぞらえて説明すると以下の様になるでしょう。

1、東京〜船橋・幕張〜成田〜銚子・鹿嶋(総武・成田線)
2、東京〜千葉〜館山・東金・茂原〜鴨川(京葉線・外房・内房線)
3、東京〜柏〜茨城県(常磐線)

 そして頓挫してるかもしれませんが新しい幹線ルートとして

4、東京〜鎌ヶ谷〜千葉NT〜成田(北総線)

が考えられていると言った感じになると思います。と考えるとこれらを結ぶ環状ルートとして外環道よりも圏央道が浮かび上がってくるのはある種理にかなってなくはないかなと思う面もあります。更に主要な連絡線としては

1、千葉〜八千代〜千葉NT〜柏〜野田〜埼玉県と言う16号線ルート
2、千葉〜佐倉〜成田の51号線ルート
3、銚子〜東金〜茂原の126号線ルート

と言った感じになっているのですがどうにも中途半端な感じがします。千葉はそれなりにと言った感じなのですが、成田やベッドタウン地域である、柏・松戸・市川・船橋と言った地域の連絡がもう少し密にならないと苦しいですね。逆に現知事が外環道の建設をストップするならば逆にこの地域のフォローとして、こう言った道路整備を幹線ルート環状ルート問わずやって行くべきだと思います。

京葉道路がバイパスなんですが...
 投稿者---エル・アルコン氏(2001/07/02 18:39) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 さいたま先生、ご無沙汰してます。
 関西は道は良いほうですが、巷間言われるようにマナーが悪いですね。それでも「荒っぽいが腕が立つ」のであれば救いがあるのですが、「無茶をする割に下手」ですから始末に終えません。
#クルマを置いてきているので、路上やバスからの観察。

●千葉の道路(前史)
 シリーズに入る前に前史を書かなければいけませんでしたね。
 近世、千葉県を構成する下総、上総、安房の三国における幹線交通は、基本的には江戸と御三家の水戸藩を結ぶ水戸街道を除けば脇街道もいいとこでした。
 また、江戸湾や江戸川・利根川を使った水運が発達していたこともあって、江戸−千葉県域の交通は、明治期に入っても水運がメインでした。

 とはいっても、堀田氏の佐倉藩や本多氏の大多喜藩といった徳川譜代の重臣が江戸防衛の為に配されていたこともあり、それなりの街道筋はありました。
 ただ、千葉の街道を語る際に外せないのが神社仏閣関係で、成田山新勝寺(不動明王信仰)、鹿島神宮(物事の初めとなる「鹿島立ち」や安産の「常陸帯」)へのルートが開拓されており、江戸庶民の信仰とレジャーブームで街道も整備されました。

 千葉県西部における江戸期の街道となると、水戸街道新宿(葛飾区)から分岐し、小岩、市川から現在のR14、R296をほぼトレースする成田(佐倉)街道。これと船橋から分かれてR14をトレースして千葉へ向かう千葉街道、江戸霊巌島から小名木川、新川経由で結ぶ行徳舟を受けて成田街道につなぐ行徳街道、成田街道の中山から分岐し、木下河岸で利根川水運につなぐ木下街道といったところでしょうか。変わったところでは成田街道の前原(中野木)からそのまま直進し、東金に至る東金御成街道があり、これは徳川家康が東金で鷹狩(これは遊びではなく、当時の軍事演習である)を催すために急遽作った軍道で、まっすぐ引かれたルートが特徴です。

 さて水戸街道、今は常磐線が通るエリアは「東葛地区」と総称され、総武線沿いの「京葉地区」と一線を画している感じがします。これは戦後まで両地区を結ぶ交通がほとんど無かったことに端を発しています。というのも、水の便の悪い下総台地がしめるこのエリアは、開墾して栄えることも無く、幕府の小金牧、大和田牧といった牧場に指定され広大な放牧地というより荒地のままで幕末を迎えました。この東京近郊の広大な平地に目をつけたのが軍で、明治天皇、西郷隆盛以下の近衛兵が参加した明治6年の大演習後、「習志野原」と名づけて軍用地にしたのはその典型です。

 昭和初期に船橋−柏間に総武鉄道が開通したのが戦前の「南北交通」で、あとは昭和30年代の新京成、40年代のR16、50年代の武蔵野線(当初は小金線)と今から考えると交通網の整備は非常に遅れています。このエリアに人が増えるのはこうした交通網の発展と、昭和30年代以降の住宅公団による大規模団地の建設であり、これにより隔絶していた両エリアがつながる形になり、交流も増えてきました。

●国道14号線
 さて、R14が市川橋を渡り、上りは市川駅前、下りは国分街道入口で片側1車線になる理由ですが、一つには市川地区は外環道と同時整備する必要から来る遅れ(外環側の設計確定まではいじれない)があります。しかし、この区間は実は40年以上前にバイパスが整備されているので、幹線交通対策としては特に手が入っていないということも言えます。

 R14のルートを見ると、浅草橋から東進し、小松川橋を渡った東小松川交差点を左折します。すぐ右折し、市川橋の西詰で右折して市川・船橋へ向かいます。しかし、最初の左折ポイントの東小松川を直進する道もR14で、そのまま篠崎から京葉道路に入ります。
 そうです、京葉道路こそR14バイパスであり、その起点は篠崎ICではなく、一般道区間である環七との一之江交差点なのです(その西も浅草橋まで「京葉道路」という愛称になっている)。
 昭和35年にその一之江から船橋まで開業しており、船橋ICが本線とY字分岐のようになっているのは、かつては出口側が本線で、現R14と合流する地点が終点だった名残です(今もそこまでJH管理)。

 今でこそ6車線の高速道路然としてますが、当時は市川以東に平面交差もあったようです。また、「高速自動車国道法」の成立前ということもあり、東京から出る高速のうち、唯一「高速道路」でないのが特徴です。

 なお、その後幕張まで伸びましたが、R14が幕張ICから南で4〜6車線化されていることからわかるように、一之江(東小松川)から幕張までのバイパスであり、これを介せば都心から千葉市の中心までそこそこの規格の道路で走れます。また、当初は20年くらい前には無料償還されている予定であり、今ごろはR14京葉バイパスとでも言われていたのかもしれませんが、ご存知の通り京葉道自体が千葉南まで伸び、東金道路とのプール制になり、挙句の果てはアクアラインとのプール制になったため、無料開放はまず有り得ないと言えます。

***
 「バイパス」はあるのですが、既存道路自体の通行量がパンクしているため、改良が必要なのですが、市街地化と肝心な部分が外環との同時施工ということで、今日に至っています。

京葉道路がバイパスなんですが...それもわかっているのですが...
 投稿者---さいたま市民@西浦和氏(2001/07/06 21:51)

 エル・アルコン様こんばんわ。「埼玉交通ルーム」でもご活躍ですね。
 どうも、お忙しそうですね。水も変わって、お体を大切に。

 関西は道は良いほうですが、巷間言われるようにマナーが悪いですね。それでも「荒っぽいが腕が立つ」のであれば救いがあるのですが、「無茶をする割に下手」ですから始末に終えません。

 わたしもあちらでは、車には乗りたくないですね。

●千葉の道路(前史)
 シリーズに入る前に前史を書かなければいけませんでしたね。
 近世、千葉県を構成する下総、上総、安房の三国における幹線交通は、基本的には江戸と御三家の水戸藩を結ぶ水戸街道を除けば脇街道もいいとこでした。
 また、江戸湾や江戸川・利根川を使った水運が発達していたこともあって、江戸−千葉県域の交通は、明治期に入っても水運がメインでした。

 このへんが、道の悪い理由ですかねえ?人口密度も少なかったでしょうし。

 水の便の悪い下総台地がしめるこのエリアは、開墾して栄えることも無く、幕府の小金牧、大和田牧といった牧場に指定され広大な放牧地というより荒地のままで幕末を迎えました。この東京近郊の広大な平地に目をつけたのが軍で、明治天皇、西郷隆盛以下の近衛兵が参加した明治6年の大演習後、「習志野原」と名づけて軍用地にしたのはその典型です。

 しかし、この地域は軍用地になる寸前、すなわち、明治初年に「東京新田」と称され、開拓も進んだのでしたね。初富・二和三咲・四街道・五香六実・七光台・八柱・・・十余二・・・豊四季・・・と数字の付いた地名はこのときの開拓順序だったのでは?いづれにせよ、人口がほとんど無く、雑木林や谷地を開拓した先人には最敬礼です。

 さて、地図を横に向けてみましょう。さいたまで言えば、中山道のまま17号国道が無い状態で戦後を迎えてしまったわけですね。横浜でたとえたら第2国道がないまま、狭い第1国道と第3有料道路で捌いている状況でしょう。埼玉で同様な状況にある地域として254号沿線の志木〜川越付近があります。この区間はいつも混んでいる1.5車線の国道と東へ離れた有料道路がバイパスになっています。
 埼玉の17号大宮バイパスが整備される前に、千葉で有料道路が整備されてしまったのも、ある意味悲劇かもしれませんね。

 昭和35年にその一之江から船橋まで開業しており、船橋ICが本線とY字分岐のようになっているのは、かつては出口側が本線で、現R14と合流する地点が終点だった名残です(今もそこまでJH管理)。

 まず船橋へ。更に幕張へ、そして千葉市街の環状道路の役割を担わされてしまったのですね。
 おそらく、埋め立て地の中を伸びるバイパスだったのでしょう。工事中は砂利道だったでしょうか。いかにも新開地の道路ですね。

 それなら、やはり第2国道の必要性は高いですよ。それをしないのは行政の怠慢以外の何でもありません。第2湾岸ではありませんよ!!!
 せめて、市川産業道路を船橋千葉へ延ばす都市計画がいいのでは?もちろん内陸部は北千葉道路464号線ですか。

 「市川」という街をどのようにするかという宿題の答えを出すのと同時進行で解決しなければなりませんね。
 私が尊敬する荷風先生の街の雰囲気を保ちつつ、道路交通の要衝として再構築する提案を是非進めて下さいね。

 乱筆ご容赦。

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2006.01.23Update

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