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【検証:近未来交通地図】 Special205-2

再構・浜松LRT計画

浜松における新規軌道交通についての思案
浜松都市圏の交通に対する私見

新浜松駅

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浜松における新規軌道交通についての思案  投稿者---さいたま市民@西浦和氏(2003/09/09 01:21:14)

 こんばんは。みなさん。地図を買ってきました。私の地図から見た浜松の分析と提案をしてみましょう。どうぞご笑覧下さい。

*1 でっかい市街地再開発

 1/10,000地形図買ってきました。南北800m東西400m、昔の遠鉄線遠州浜松信号所(東田町駅?)や遠州馬込駅のあった所とか全部ひっくるめて区画整理してしまったのですね。ここへいかに人を集め、その中でいかに便利な交通を作っていくかが宿題の答えですね。小さい家々を全部どかして幕張みたいな新都心を作っているんですね。その中心が高層ビルだったり文化芸術大学なのですね。道路は格子になるように造ったのですね。

*2 電車計画都市計画

 浜松市の都市計画のPDF見てみました。で、1/25,000地形図も見てみました。257号線バイパス道路と環状線道路に電車を走らせる計画ですね。このバイパスには電車用?の側道まで地形図に描かれているではないですか!「天浜線の新駅」のそばの工業団地・新都心へのLRTなのですね。他の計画の地域は人口密度低そうですね。で、都市計画のPDFには、計画構想の展開の構想まで書かれているわけで、この構想はある意味レールに乗っているんですね。市役所との連携はどうなっているのでしょう。電車を走らせるところと都市計画用途区分の関係はどうなっているのでしょうか。

浜松市都市計画マスタープラン http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/admin/plan/tosike/toshimasu.htm

*3 浜松の中心商業地

 1/10,000地図に戻ると、浜松駅を右下の角として田町、連尺町、旅籠町を角とした四角形の範囲が商業地のブロックですね。その真ん中の交差点の南西角に松菱百貨店があるのですね。この北西角のブロックの肴町は料飲街でしょうか?この入り口に遠鉄電車の第一通り駅があるのですね。このブロックから北へ伸びる二俣街道ぞいに商業施設が並んでいます。駅から市役所など行政施設のある元城町から二俣街道へ出て、肴町、そして浜松駅へという人の流れが想像できます。駅と市役所は約1kmの距離にありますね。市役所から姫街道への沿道にも商業施設が見られます。これはバスの本線ですか。旧奥山線の線路跡は緑道か遊歩道ですね。姫街道の下をトンネルでくぐっていますね。商業施設はよくまとまっているように見えますね。そういう都市計画をしてきたのですね。

*4 浜松の周辺商業地

 1/10,000地図の範囲に見られる周辺のまとまった商業地域はロードサイドの集積と工場跡地などの再開発ショッピングセンターのタイプとありますね。
 話題のバイパス道路では上新屋町、その船越公園そばから柳通りの東へ伸びる神立町、旧東海道沿いでは天神町、木戸町、その南の寺島町には「名鉄パレ」ショッピングセンターですか。その南東の参野町に「しまむら」と「コープ」。遠鉄線沿いでは助信駅そばにちいさいショッピングセンターがありますね。その西の高林4丁目付近の152号沿いもロードサイド店がありますね。連尺町から西へ向かうこれも旧東海道ですか、高町付近、広沢3丁目鴨江3丁目に店が並んでいますね。その先佐鳴台1丁目付近では道も広がり、ロードサイド店が2kmぐらいに渡って並んでますね。西浜松貨物駅そばに長崎屋ショッピングセンターがありますが、長崎屋からほかのチェーンに変わったのでしたか?佐鳴台のなかにも小さい商店街があるようですね。姫街道は浜松城そばの松城町、市立高校そばの鹿谷町、静大工学部手前の布橋2丁目に店があるようです。それから富塚中学校のさき、富塚町付近にマンション街を相手の商店街がありますか。

*5 浜松の地形

 浜松城は山の上にあって約40mの高さです。台地地形と低地地形が入り組んでいる町ですが、鴨江、佐鳴台2〜4丁目、蜆塚、広沢、布橋、城北、和地山、住吉付近は三方が原台地から続く台地の尾根ですね。駅や中心商業地域は海抜5m程度の低地になります。高校生の彼が指摘したように多くの学校は山の上にあり、生徒たちはバスや自転車で登校しているのですね。バイクが普及したのはこういった地形に町が広がっていると言う点もあるのでしょう。

*6 都心と近郊(浜松編)

 1/25,000地形図「浜松」「磐田」(浜松市街地は2枚に分かれるので)を見ていますと、一番最初に指摘した再開発地区が戦時改描のように図面上で異様な白さを見せています。この不景気にこんなに大きな再開発をしてしまったの…。と言葉が慎重になってしまいます。この範囲に住んでいた人たちはどこ行ってしまったのでしょう。
 地形図では浜松都心かラ4〜5kmぐらいまではスプロールが進んでいて、人口密度も結構出そうですね。舘山寺方向へはニュータウンも造成され、住んでいる人たちがバスのお客さんたちになっているのでしょう。佐鳴湖北西の「大平台」はこれからの町なのですね。また、どの地域も自家用車での生活も定位となっていそうです。日常的な買い回りはロードサイド店やショッピングセンター、スーパーセンターへ向かう日常が想像できます。公共輸送機関の一番のお得意さまである、高校生や近隣諸都市への通勤者が、駅ビルや中心市街地を回遊するのでしょう。

*7 放射と環状(浜松編)

 さて、東西1km南北800mあまりの「都心」に結構商業施設が集まっている浜松の町ですが、これを北に広がる三方が原と結ぶ交通路はどのようになっているかというと、地形の起伏はありますが、きれいな放射線を描いていると言っていいのでしょう。バス路線もほぼそういう形に広がっているわけですね。
 海岸線に沿い東西に伸びる東海道、掘留川北側を西へ向かう雄踏街道、佐鳴湖北側を北西へ向かう舘山寺街道、浜松基地を東側へ避け、北北西へ向かう姫街道、真北へ向かい遠鉄電車も走る二俣街道、北東へ向かう笠井へ向かう道、中野で天竜川を渡る東海道の南に並行して東へ向かう飯田街道、東南東の方向の天竜川の河岸であった掛塚へ向かう掛塚街道、そして、真南へ向かい、中田島へ向かう道といった放射線があるのですね。それぞれバス路線が引かれているのでしょう。一番系統数が多いのは、姫街道ですか。
 何重にも市街地を囲む環状道路の計画が進み、建設も進んでいますね。一番外側の環状道路は、近郊と言うよりも、雄踏から笠井へ浜松市街地より離れた位置を回る路線ですね。そこにも電車の計画があるわけですね。二次計画ですか。電車が通った頃にはどういう都市景観になるのでしょう?
 そして市街南側の環状道路の役を1号線バイパスがになっているのですね。敷地が広いのは、都市高速道路も構想しているからでしょうか?

*8 住宅団地工業団地

 市街の周辺には住宅団地としてのニュータウンが大規模に造成されているのですね。そして工業団地もあるのですね。話題のLRT計画の終点は「都田テクノランド」ですし、天浜線の金指付近には工場群や「細江テクノランド」が造成されていますね。旧奥山線沿いです。
三方が原は、海抜は高い台地ですが、地形はほぼ平坦ですので、耕地整理も進んでいたように見えます。ミカン畑や茶畑になっているわけですが、LRTが走れば今のままの都市計画では乱開発が必至でしょう。
 東名高速と浜松基地の間の高丘地区は住工混在ですね。どうせ電車を走らせるなら、比較的人口密度の高そうなこういうところの需要に応えたいですね。

*9 葵・曳馬野・小豆餅

 浜松市街の北辺のこのあたり、結構都市化が進んでいるのでしょう?この辺から駅前再開発地区へ、現状よりスピードアップした交通機関を作りたいですね。計画でもこのあたりをフリンジにしているのですね。297号バイパス〜都田新都心へ向かう道路のバスレーンが答えになるようですか。
 おそらく、市街中心から離れたこの地域に副次中心が成立するはずで、今後「大店規制緩和」でスーパーセンターとかできるのでしょう。この3地域に加えて基地北側の高丘地区にはもう出来ているものもあるのではないでしょうか。
 曳馬野には「遠鉄ストアー」(小さいマーケット?)があります。これは駅の跡でしょう。

*10 都田新都心

 計画の目論見は、第2東名との結節点となる都田地区に「新都心」を建設して、これを浜松駅北側の再開発地域と固定した中量交通機関で結び一体化した都市計画をしたいということですね。地形図では、「テクノランド」、「都田総合公園」、そして住宅地「新都田2丁目、4丁目、5丁目」があります。
 この工業団地、「テクノランド」と称しているだけあって、いわゆる「産学協同」の工業団地なのですね。静岡大学の研究施設や、「カミオカンデ」で有名になった「浜松ホトニクス」とか、「スズキ」「ローランド」とか大どころの工場(研究所?)が並んでいます。ここと新幹線の駅を電車で結びたいというのは結構簡単に思いつくことができるかもしれませんね。

*11 私の浜松妄想鉄道

 で、私の「妄想鉄道浜松編」です。
 私の提案は「奥山線復活」です。案外べたな企画かも。
 三方が原の交通路結節と同地域の再スプロール化に耐えるための考えで、市街北部に遠鉄電車に並行する第2の公共交通施設(いささか時期尚早かもしれない)の設置です。もちろん、この路線を中心とした都市計画区割りは必須です。
 路線としては、遠鉄電車遠州病院駅〜元城町〜静大工学部〜小豆餅〜曳馬野(ここまでは旧線跡の道路・緑道使用)〜三方が原交差点〜聖隷三方が原病院〜細江テクノランド〜祝田〜金指というコースで、仕様は、遠鉄電車に揃える形態です。単線2〜4両編成の12分間隔。駆動エネルギーは何でもいいです。燃料電池でも、架空電線からの電力でも、アルコール系内燃でもいいです。3rdレールというのは堪忍です。
 新浜松〜遠州病院間(川の上の部分ですね。高架支持柱は川を跨ぐ門形のはず)は複線化です。
 線路跡の道路に走らせるときは、浅い地下や低い高架でかまわないのです。路面というのはどうかなあ?構想は広い道路に電車を走らせたいのでしょうけれども、電車と道路は別の交通機関として考えた方がいいでしょう。
 バスを維持するためには、並行する2本の軽鉄道を結ぶコミュニティーバスの路線を肋骨のように設置していけばいいのでは無いかと思われます。

*12 第2期線はどうする?

 私の第2期線は、構想の目標である「都田新都心」への路線ですね。まずは曳馬野から257号バイパス側へ線路を振って、新都心への道の測道をもらえばいいのでしょう。
 あと1路線。浜松北高交差点で西へ分かれ、富塚〜弥生橋〜大平台〜志都呂町という路線を考えました。佐鳴台から入野町というのも考えたのですが、この地域は中心市街へどのようにも行けますので、佐鳴湖で遮られる大平台からの交通流を弥生が丘、西山富塚側から元城町へ向ける収束を考えました。大平台南側の放水路の上に線路を通せないかな。
 雄踏町からの交通流はJRの担当ですね。舞阪駅の活用ももっと考えなければなりません。高塚と浜松の間に新しい駅もおそらく出来るでしょう。「西浜松」ですか。
 天竜川方向や遠州浜への路線はその重要性を認めません。地形が平坦で、交通流を収束する必要がないからです。
 環状道路にも軌道系交通機関を引く必要はありません。人口密度が低く、将来も、自動車のバイパス流動のための道路として機能するでしょう。鉄道のない郊外地域間の公共輸送機関を考えるなら、後述するバスをもっと活用すればいいのですね。 

*13 バスの役割

 さあ、新幹線浜松駅を中心として、東西方向の東海道本線(短距離輸送はLRTレベルの輸送力か)、北北西と北北東への2本の軽鉄道が実現したとして、バスはどう振る舞うかという話をして終わりにしましょう。
 11章で書きましたが、軽鉄道路線の間をきめ細かく結ぶ輸送単位の小さい路線を張り巡らせ、均等な密度の住宅地域の需要に応えればといいと思います。発地〜小さいバス〜電車〜浜松駅・再開発新都心という交通モードで移動できる地域をなるだけ広くしたいですね。軽鉄道の経営やバスの経営を考えれば、お客をどのように増やすかは今度は鉄道だけの課題では無くなるのでしょう。そして、現状の広い道路のバスレーンの路線の工夫は必要でしょう。提示した電車の路線と遠鉄電車が並行する形になる地区(元城町〜東名高速付近まで)の中央を、興成高校のところで分かれた二俣街道と257号バイパスが放射状に走ります(以下に図示)ので、徒歩圏に電車停留所又はバス停が確保される形になるでしょう。

<AAご容赦>

   三方が原方向   都田新都心方向 浜北方向 
   |  |        |    
===|==|=東名高速===|================
   |小豆餅|        |自動車学校前
   |  |        |    
   |   \        |    
   |工学部  \      /    
   |     \興成高校/     
―――+浜松北高   \  /      
   |      | /      助信
   |      |         +――+――――――+
   | ++++++++++++遠州病院|  |文化芸術大学|
   |    市役所|         | <再開発地域> |
―――+―――――――+―――――――――+――+――――――+
           |連尺   第一通り |  |      |
           +―――――――――+――+――――――+
         成子坂     新浜松 駅前BT|アクトシティー
==================JR浜松駅==========

 軽鉄道の無い地域の公共輸送は確保されなければなりません。天竜川や遠州浜の方向へは、バスの高度化を進め、軽鉄道並みの輸送力やサービスをしていかなければなりません。バスと電車(またはバスとバス)を1回乗り継げば市内どこへでも行けるようなサービスが出来ればいいのになあ、と思うのです。都心を突き抜けるようなバス路線は現在でもあるのですから、このような発想は大事にして欲しいですね。バリアフリーについて等は、別のスレッドで。

 大乱筆ご容赦。なにとぞご笑覧の程。

浜松都市圏の交通に対する私見
 投稿者---エル・アルコン氏(2003/10/05 12:10:54)
 
 http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs
〔浜松論〕深夜の浜松駆け足探訪記

 別項で浜松訪問時のルポを書きましたが、それを踏まえて浜松エリアの交通などについて私見を述べます。

遠鉄バスから見た浜松 ../report/045.html#2

● オムニバスタウン事業

 1986年、市営バスの遠鉄移管に伴い市民、遠鉄、市の3者による「浜松市バス交通対策調整協議会」が発足、3者連携でバス交通の活性化を進める基盤が築かれました。
 そうした基礎の下、1997年に旧建設省、旧運輸省、警察庁により全国初の「オムニバスタウン」指定を受け、「人・まち・環境にやさしい」バス交通の総合的な活性化のためにオムニバス事業を推進しています。当初予定の5年間が終了した2002年以降も一部事業においては3ヶ年の事業期間延伸を受け、継続的に取り組んでいます。

 「オムニバスタウン事業」は、単にバスの低床化やいわゆる都市新バスシステムといった交通事業ではなく、「中心市街地活性化対策」「交通渋滞対策」「道路網の整備」「交通需要マネジメント(TDM)」「バス車両の改善」「運賃対策」「バス停整備」「啓発活動」の8要素からなっており、ハード系、ソフト系の事業を組み合わせた、交通を軸にした総合的な都市再生であり、そこを見誤ると都市計画全体が崩れる懸念があります。

 「オムニバスタウン事業」は単に5年間の事業というわけではなく、第2ステップとしての継続事業や、後発都市に対する「モデル」としての意義もあり、一過性の政策で終わらせることは出来ません。そのため、都市計画や交通政策については、「オムニバスタウン事業」そのものを見直す場合を除いて、「オムニバスタウン事業」の遂行や発展を考えた整合性を持ったものである必要があります。つまり、LRT事業を考える時も、「オムニバスタウン事業」のコンセプトを理解し、その1ツールとして都市計画と交通を構築するものになる必要があります。

 なお、「オムニバスタウン事業」の開始に伴い、市営バスの事業廃止、遠鉄移管という事象に象徴されるバス利用者の減少について、歯止めが掛かるなど一定の成果を挙げており、これも事業の有効性を証明するとともに、後発都市が現れるという効果につながっています。
 ただ、それでも「減少の度合いが抑えられる」というレベルであり、近年では「オムニバスタウン事業」の効果も薄れたのか、再び減少に歯止めが掛からない様相を見せているやに聞いており、市内路線における再編や休廃止など厳しい話題も聞こえています。とはいえ、2002年度の浜松市政における満足度の高い施策のトップが「公共交通機関の利便性」であり、そういう評価を実績に結び付けるような事業のリニューアルや、その前提となる「評価と実績のギャップ」の正確な分析こそが今求められます。それが「オムニバスタウン事業」という交通・都市政策の定着と普遍化につながるからです。

参考文献:「交通連携事例集」国土交通省パンフレット

● 遠鉄バスのサービス

 「オムニバスタウン事業」のコンセプトでもある「利用者の立場に立った柔軟なサービス」の具現化としては全国屈指の水準です。最低運賃値下げや上限運賃制、各種定期券やフリーパスによる需要喚起のほか、レイニーバス、モーニングダイレクトといったバスの機動力を活かしたサービス提供も有名です。

 実際にバス路線を見てみますと、浜松駅起点の各路線とも概ね毎時4〜5本以上が確保されており、フリークェンシーの維持による利便性確保というコンセプトが見えます。実際には利用者がそれに見合うボリュームとは言い難く、ワンマンカーによる数往復の運用での採算分岐点といわれる10人弱を何とかクリアしているレベルであり、30人の座席定員を持つ車両を考えるとやや非効率という印象です。

 バス運行の特徴として、郊外の住宅街や拠点と浜松駅を結ぶ系統において、各々がフリークェンシーを確保している系統が、R257などの幹線に合流することで幹線上では更なるフリークェンシーを提供しており、さらに市街地、中心街での経路を違えることで中心街で必要以上に飽和したサービス提供になっていないことがあります。
 つまり、漸減型の輸送において、途中折り返しで調整するのではなく、系統設定を上手に重複、分散させることで個々の停留所における運行本数を調整している格好です。

● 遠鉄バスのジレンマ

 需要に応じて供給を均衡させるスタイルではなく、一定のボリュームのサービスを提供することで需要を確保するというスタイルです。問題は、利用が減少している中で需給見合いにフリークェンシーを低下させると、一般的に利用が適正化されるのではなく利用総数が減少する傾向があるため、サービス水準の低下が困難です。
 さらに、超低床バス「オムニバス」というシンボル車両にしても、導入が進みそれが当たり前になるなど、「オムニバスタウン事業」によるサービス向上が普遍化して利用者にとっては「新味」が無くなった事も弱点です。

 つまり、他都市に比べると格段に優れている浜松の遠鉄バスですが、日常利用者にとって見ると「代わり映えがしない」というマイナス評価すら受けかねない可能性があります。
 おまけに現在のハイレベルなサービスが「当たり前」になっているので、それを上回るインパクトを利用者に与えることは並大抵ではないという難しさもあります。

● 中心市街地の問題

 浜松市循環まちバス「く・る・る」のルポでも述べましたが、市がゾーンシステムの導入を図っているいわゆる中心街の求心力に難があります。
 メイワンから遠鉄百貨店、ヨーカドーあたりの動線はありますが、鍛冶町から伝馬町へ、ザザシティ方面と微妙にベクトルがずれています。
 「くるる」が通る肴町通りやしにせ通り大安路にしても、石畳や案内標識の整備はありますが、アルコモール有楽街を含めて活気があるとは言い難いですし、ゆりのき通りで終わってしまうような都市規模の割に「狭い」中心街というのに回遊性を持たせられないのは意外としか言いようがありません。

遠鉄バスから見た浜松 ../report/045.html#2

 これは商店構成や客層が主因のようであり、浜松の「独自性」が見えないこと、また消費につながるファッション関係が遠鉄百貨店などで完結しているため、こちらにあるのは居酒屋やカラオケ店といった単価の低い、かつ特徴の無い店舗が中心です。ぱっと見の印象は、ひどい言いようですが「寂れた渋谷センター街」という印象です。
 その意味で、「オムニバスタウン事業」の中心市街地活性化事業の「未達」が強く窺えるわけですが、西武の撤退、松菱の破綻といったシンボリックな事象よりも、そうした大型店を支える中小の商店街の弱さ、魅力の乏しさこそが原因ではないでしょうか。これは「くるる」やバス路線再編、ましてやLRTでも救えない部分です。

 余談ですが、西武グループを築いた堤康次郎が戦後、池袋の所有地を乞われて地元に売却した時、競合する商店用地になるだけでためにならないという反対論に対し、たくさんの商店があることで街の魅力が高まり、西武百貨店のためにもなるという、いわゆる「喬木は風に弱し」の理論で押し切った話があります。都市というのはオンリーワンでは発展しないのであり、浜松の場合、遠鉄百貨店にしろ松菱にしろ、あくまで喬木に過ぎない、集団で風に耐え得る木々が育っていないということでしょう。

 あと、遠鉄の路線変更に伴う用地を中心にした再開発ですが、商業中心のエリアが西側なら、業務や文化ゾーン(大学や楽器博物館など)として開発することで街の特徴を出すというような計画性が求められます。
 その意味で市役所や中央図書館、教育文化ホールなど中心街西側に展開する業務施設は、そうした街の「核」づくりを曖昧にしており、市役所周辺は家康の浜松城という史跡観光ゾーンとして中心街と連携した観光ルートとして整備するといった計画が必要でしょう。

 そうすることにより、現在あれもこれもで大回りに過ぎる感のある「くるる」も、コンセプトに合わせた東西2ルートに分けることが可能になり、バスターミナルで結節して効果的に目的別の各ゾーンを回るという交通連携が可能になります。

● 軌道系交通の活用

 ある程度ロットがまとまっていることが軌道系交通が活きる条件です。
 その意味で、天竜川の渡河点が限られる豊田町、磐田方面や、浜名湖南岸という回廊が形成されている舞阪、湖西方面をカバーする東海道線は理に適った位置どりになっています。遠鉄電車も、駅勢は天竜川と三方原台地に挟まれた回廊となっており、ロットがまとまりやすい条件を満たしています。

 そういう視点で見ますと、浜松西北方面では佐鳴湖、浜松基地、三方原台地の縁という障壁があるわけで、「隘路」となる部分で流動が集約されるため、軌道系交通の導入を考える余地があります。同様に南部へは、天竜川を越えた竜洋町(掛塚)方面も同様のシチュエーションにあります。
 ただし、その集約点の段階で軌道系交通を成立するに足る流動を確保していることもまた条件です。現在の遠鉄バスの路線網を見ますと、これら「隘路」の内側で面的展開しているのが多いわけで、実際、その外側における浜松環状線を走ってみますと、人口集積を云々するレベルではなく、バスによるカバーが適当であることは一目瞭然です。

 また、既存軌道系交通からのフィーダーバス路線によるカバーですが、雄踏町方面の場合、メインとなる県道62号線と国道257号線、東海道線との間隔がまさに徒歩圏であり、かつ湖沼地帯を越える道路の整備も進んでいることから、浜松からの距離が長くなるにつれて高速鉄道の競争力が増すこともあり、東海道線を軸にした軌道系交通利用を考えたほうがいいでしょう。特に島田−浜松−豊橋間の東海道線は前後の区間に比べて明らかに輸送力が少なく、増発・増結余力があります。
 一方、三方原方面の場合、高丘付近までは電車、バスともに利用が多く、台地の上下での共存が可能であり、北部では両線の間隔も拡大するわけで、三方原方面の動線を延長するかフィーダーを設置するか、遠鉄電車からのフィーダーにするかになり、得失を見極める必要があります。

 ここで問題なのは、既存軌道系交通のうち東海道線は高速鉄道であることは疑いを持ちませんが、遠鉄電車をどう定義するかです。フィーダーバス路線によるカバーを前提にするには、大量高速輸送という高速鉄道としての特性を具備する必要がありますが、実際にはLRTクラスの輸送力であり、そう考えると別の軌道系交通をサポートする立場に無いとも言えます。また、軌道系交通を新規に導入するとした場合、遠鉄電車との規格統一や、遠鉄電車の規格を新規導入側に合わせるといった、相互乗り入れや施設の活用を前提にした軌道系交通網の構築を考える必要があります。

● 雄踏ルートの検証

 佐鳴湖南縁の入野町あたり、その先の志都呂まではそこそこ流動がありますが、雄踏町域はどうでしょうか。入野町エリアを含めて県道周辺というより、その後背地である台地上に人口集積が見受けられますが、坂の上下という位置関係もあり、台地の下の電停から歩くという形態よりも、バスによるダイレクトアクセスが好まれるのではないでしょうか。特に浜松駅から離れたエリアの場合、台地の下まで歩くくらいならクルマ利用や、JR駅までの交通機関を指向する可能性が高いです。

 道路事情を見ますと、浜名湖博対応のバイパスの整備が旧県道の南側に進んでいますが、そちらを導入空間とした場合、旧県道沿線とその北側に展開する人口を拾うには辛い位置関係です。軌道系導入を図るとしたら旧道の通行を大胆に規制するしかなく、それよりはバスの高度化による対応が現実的かと思います。
 また、浜松西郊への展開として考えるとR257(旧R1)沿いに旧可美町エリアに展開したほうが、道路事情も合わせて目があるのではないでしょうか。
 あと、駅南に向かうLRT計画は浜松市街地を目的とする流動に即しているのか、また、中心市街地活性化というテーマに合致しているのか、非常に気になる部分です。

● 三方原ルートの検証

 需要的には妙味のあるルートです。人口集積、業務集積を考えると高丘支線とされるルートを軸にしたいです。
 問題は、バスは旧R257経由が圧倒的ということであり、バイパス経由だと足下の需要すら拾いきれない懸念があります。この場合、旧R257経由のクルマをバイパスに誘導するための道路整備を行い、旧R257を規制して敷設するというのがベターですが、旧奥山線ルートを整備して再利用となると(ホテルコンコルドの敷地をどうするかは別として)、道路沿いに展開している今の都市構造や、中心市街地でのルート(再開発エリア経由になる)に難がありますし、市街地でルートを細やかに変えているサービス展開をどうカバーするのかというテーマもあります。

 バイパス経由の場合、導入空間はありますが、バス試乗時にも感じたのですが中沢町交差点の対策がネックです。ここだけ立体化して処理するとか、直進して遠鉄電車に合流するという方策も考えられますが、一長一短です。
 あとは坂道の問題。興誠高校から中沢町交差点にかけてと、市役所前後の坂道が輸送力に与える影響は大きいのでは。特に渋滞の先頭に向けて坂を下る形態は制動力の弱い軌道系には不利かつ危険です。LRT計画レベルの運行頻度ならダンゴ運転はないでしょうが、現状のバス代替として考えると明らかに少ないわけで、増発余力を縛る箇所の存在は懸念材料です。

〔浜松論〕深夜の浜松駆け足探訪記
 投稿者---エル・アルコン(2004/01/12 01:28:50) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 昨年末、帰省の道すがら思い立って浜松をほんの少しですが走ってみました。普段は東名か浜松バイパスで通り抜けるだけですが、話題のエリアをちょっとでも見ておきたいという意思です。
 以下、年末の深夜という一般論化しにくい特殊な環境下ですが、その時の簡単な様子と感想です。

●国道257号線

 12月26日、仕事納めの深夜、というか日付も変わって27日の0時半頃、神戸から走り継いだ浜名湖SAで休憩し、1時前に浜松西ICから市内に入りました。深夜というのに長距離トラックだけでなく中高年の団体客が目立つ浜名湖SAでは24時間「ウナギ」を切らさないことをウリにして、深夜帯はスナックコーナーで提供していますが、見ていると手を出している人が多く、さすがご当地ブランドです。

 浜松西ICではブースで5台くらい待つなど深夜というのに行き来がある感じですが、浜松環状線に入ると車影を見ずという感じ。さっきの車列も真っ直ぐ高丘方面に向かうのでしょうか。
 三方原まで進み、R257旧道に入ります。深夜ゆえコンビニくらいしか明かりが点いていませんが、見た感じで驚いたのは先日初生からバスで眺めたバイパスと比べて沿道に家が建て込んでおり、かつロードサイド型でない通常の商店が途切れない感じということ。旧街道特有の展開ではありますが、商店(街)が現在でも機能している印象を受けました。

 道の方は片側1車線ですが、幅員は通常よりも広い感じです。歩道を削れば狭めの4車線道路にもなりそうですし、逆に路側帯を充分にとってマーキングすれば路駐によるストレスをあまり感じずに走れそうです。
 静大工学部を過ぎた城北交差点では朝ラッシュ時の直進禁止という奇想天外な標識がお出迎え。バスなど公共交通の対策でしょう。ここから道は狭くなりますが、商店は途切れません。

 富塚方面からの道路が合流するあたりはちょっと複雑な感じ。あとで地図を見るとバスは旧道というべき道路を行くようですが、バイパス(R152)まで通じていないのが何とも勿体無い道路です。
 鹿谷町で道は急に広くなります。実はR257はこっちという標識ながら道なりに進むと国道から外れて立派になったという感じで、そのまま市役所前に降りてきます。あとでもう一度通ったときにはR257を通りましたが、突き当たりを左折してもまだ狭めの道で、紺屋町でR152になっていきなり大通りになるギャップには戸惑います。

●浜松駅前、国道152号線(中沢町方面)

 ゆりの木通りと名乗るR152を東進し、広小路〜駅前〜鍛冶町〜伝馬町と回ってR152を北上しました。
 ゆりの木通りから有楽街や田町通りの方を見ると繁華街の灯りや人通りが見受けられます。終電もとうに出て淋しい駅前を一回りして鍛冶町に入ると、有楽街方面とモール街方面との間を行き来する人が両方向それなりにいます。時刻は1時半になろうとするあたりであり、仕事納めの日ということを割り引いても、この時間のこの人出はまあ拠点都市らしい風景ということが言えます。

 ちなみにゆりの木通り側もそうですが、客待ち待機や流しのタクシーも多く、信号待ちで停まっていると何気にタクシーに乗り込む人も多いです。そういえばR257を南下してきたときやR152を北上するときにも市内に戻るタクシーが前後におり、三方原方面や浜北方面でしょうか、2回転かそれ以上回せる程度の近・中距離の流動が太いようです。代行も見かけましたがタクシーが主流で、道交法改正による飲酒運転抑止効果はありますが、公共交通の分担がしっかりあることがうかがえます。

 さてR152ですが、こちらは片側3車線と広くタクシーなどに混ざってスムーズに流れます。ちょっと気になるのは中沢町までの区間、沿道の賑わいというか商店が旧R257ほど見受けられないことでしょうか。
 焦点の中沢町の交差点は北行きが左折専用車線と左折矢印で捌いています。
 曲がってすぐに上り坂ですが、これはクルマから見てもちょっと厳しいです。聞くと6%はあるとのことで、これが興誠高校まで400mほど続くわけで、軌道系交通の導入を考えたとき、この勾配をいかにして処理するかが最大の問題になりそうです。

 上がりきってからは横道をちまちまと通り(実は旧R257に出ようとして迷った...)、前述の通りもう一度R257でゆりの木通りに至りました。

●国道152号線(中ノ町方面)

 時刻は2時前となり、夜明けには東京に入りたいのでこの辺で浜松を後にします。
 R152で中ノ町に至りR1に復帰したのですが、馬込川のあたりで早くも片側1車線になったのには驚き。掛塚、浜岡方面へのR150を分け、そのうちに4車線に戻りましたが、気になったのは将監町、宮竹で変則的な右左折が入ること。将監町は実は直進側が中ノ町に真っ直ぐ抜ける旧街道なんですが、道路の本線はそうなっていません。

 浜松に向かう、浜松から出てくるという拠点都市の宿命なのか、街道がY字分岐、T字分岐になっているケースが多く、流動の輻輳や集中による混雑がうかがえるわけで、浜松バイパスや浜松環状線、また計画中の市内環状線をサポートする中心街の基幹道路として考えたとき、やや力量不足であり、改善が必要でしょう。

 ちなみに中ノ町の合流ですが、浜松バイパス側、R152側とも信号制御というのはせっかくの立体交差、右折立体路を無駄にしています。お互い1車線に絞って無信号で合流にした方がスムーズに流れるはずで、改善が期待されます。

●所感というか私案(ラフスケッチ)

 浜松におけるLRT計画ですが、可能性があるとしたらという三方原方面の路線は導入空間から考えるとR152からバイパス経由ということになるかと思います。
 しかし、実際に走ってみると中沢町〜興誠高校間の6%超の勾配をどうやって克服するかが最大の問題になりそうです。まあ中沢町交差点対策を兼ねてR152〜バイパスの立体連絡路を建設して勾配緩和を兼ねるという手はありますが。

 沿道の様子を見て思ったのは、バス交通がバイパスではなく旧R257をメインにしているのも肯けるということで、この方面、作りやすさならバイパスですが、ニーズは旧道にあります。
 それならばいっそ通過交通をバイパスに集中させてしまい、旧道を公共交通軸として機能させるという逆転の発想はどうでしょうか。ロードサイド型でない商店が連なる沿道は、比較的移動距離が短い利用で支えられてると見受けられ、ここに短距離が乗りやすい交通機関でアシストすることで、一連の商店街として、さらに進めればトランジットモールのように機能させることも可能かもしれません。

 広めの道路を活かして、欠き取り型の荷捌き場兼駐車スペースを設け、車道は基本的に商店に立ち寄るなど沿道関係のクルマの乗り入れになるように交通制御を行います。最初は「オムニバス」のモデルとして試行し、うまく育ち、流動が増えたところで軌道系の導入に移るというイメージです。
 中心街側が窮屈ですが、旧R257ルートの規制を曳馬坂から紺屋町まで徹底するか、市役所に抜けるルートにするかになります。市役所ルートは2個所ほど若干急な勾配がありますが、中沢町ほどではなく、軌道系の運行には支障はないでしょう。

 軌道系導入時の中心街の処理は、ゆりの木通り〜広小路〜伝馬町というループ運行にして、ループの内側やループ外側を結ぶ「くるる」のようなコミバスに同一箇所で同一運賃で乗り継げるようにしてサポートというイメージ。

 東西方向の通りをバイパスへ抜けられるようにする道路新設は相当厳しく、かつ日中などの道路事情を見ていない非現実的な妄想で、浜松を後にした道すがら即興で思い付いたラフなイメージですが、交通だけでない市街地活性化まで考えると、という私案でした。

2004.11.02 Update


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