【検証:】掲示板過去ログ集

【検証:近未来交通地図】
(過去ログNo.131)
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JR-Wの安全輸送に対する姿勢を疑う
 投稿者---551planning(2002/12/04 21:06:44)

−究極のモラルハザード

 鉄道にとってレールは命そのものといえるものでは無いだろうか…。
 12/3付毎日新聞夕刊記事より。11/22午前、JR-W呉線呉トンネル内のレールが破損、通過列車の運転士より異常音感知の報告を受けながら、広島総合指令所は現場点検をさせずに施設係員を後続列車添乗にとどめて運転停止は必要ないと判断したものの、後続電車5本通過後に現場に到着した係員により破損箇所が危険な状況であるとして、ようやく運転停止措置を取り、4時間不通になった事態が発生したという。

12/3付毎日 http://www12.mainichi.co.jp/…

 記事中にもある通り、11/6の東海道線消防隊員死傷事故があったことによる「記事としての取り上げられ方」を差し引いても見過せない事故ではなかろうか。
 ここでふと思い出したのが、当時さほど話題にはならなかったこの事態。
 10/27夕刻、JR-W山陽線岩国発白市行普通電車で制御機器不良によるノッキング(激しい揺れ)が発生、しかし電車はそのまま45分間運転を続行し、広島駅で運転打ち切りとなったもの。乗客2名が腰を打つなどして病院で手当てを受けたというが、「現場から報告がなかった」と広島支社は事故を把握していなかったというものである。

10/28付毎日 http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/865830/JR90bc93fa967b-0-20.html

 記事から読み取るに、このどちらの事故も乗客が明らかに気づくような事態となっていたと思われる。特に10月の事故では怪我人まで出ているほどだ。このときの『安全運転第一に万全を期したい』という支社広報室長は今どのように受け止めているのであろうか…。

***
 今年、JR各社で運転士が停車駅を通過した、車掌がトイレで発車できなかった、駅員が寝坊で始発に間に合わなかった…等々のニュースを見かけることが多い気がする。そのとき必ず「うっかりミス」などと紹介されるが、JR-Cのハイウェイバス飲酒運転事件やJR-F運転士の山陽線居眠り運転逆走事件など一歩間違えば、という事態は大きく取り上げられたのは記憶に新しい。

 今秋JR-Eが白河に造った社員研修施設に『事故の歴史展示館』をオープンさせたという。是非一般にも開放してもらいたいところであるが、とかく事故の影響の大きさから揶揄されることが多い同社ではあるが、ちゃんと自サイトトップから安全に対する取り組みの紹介ページに辿りつく事が出来る。翻ってJR-Wはどうだろうか…いや、多くの鉄道会社はどうであろうか。こと東海道線事故という重大事象を惹き起こしているJR-Wはこの事実を真摯に受け止めるべきでは無いだろうか。

究極のモラルハザード
 投稿者---和寒氏(2002/12/05 20:47:32) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 551planning様の御意見は大正論であって、異論反論の余地はまったくありません。とはいえ、それでも少しの引っかかりを感じてしまうのです。
 その当事者はなぜそんなことをしてしまうのか?

 「わかっちゃいるけどやめられない」というフレーズもありますが、結果がわかりきっていても、悪い方向に舵を切ってしまう、その心理状態をどのように理解すればよいのでしょうか。
 例証として引かれているJR-C飲酒事件などはその典型ではあるように思われてなりません。当事者くらいのベテランともなれば、自分の行為がどういう意味を持っているか、しっかり理解しているはずです。隔離された運転室中にいる鉄道の運転士と違い、すぐ間近に利用者という監視者もいる。そして、理解してわかっていて敢えて危険行為に走ったのであるならば・・・・・・
 これ以上は忖度に仮定を積み重ねることになるので、控えるべきなのでしょうが、近年の事件事故(鉄道関連とは限らない)には共通する心理を感じてしまうのです。「もうどうにでもなれ」とでもいうような、破滅願望を。
 もしこのような心理が一連の事件事故の底流に存在しているならば、究極のモラルハザードといえます。善悪の問題を超越して、社会心理の頽廃(より正確には疲弊か?)と捉えることもできるでしょう。
 当たり前のことを当たり前に実行する、たとえ顧みられなくとも行うべきことを行うという「高度な平凡性」こそが、人間の大きな美徳であるはずなのですが。なぜそれが出来なくなっているのか。一考するだけの価値がありそうです。

深刻なモラルハザード…利用者はどうあるべきか?
 投稿者---551planning(2003/11/18 12:38:59)

−深刻なモラルハザードへの対応策?
 └「厳しく悲観的」に過ぎないか
  └Re:「厳しく悲観的」に過ぎないか
   └企業責任と改革の虚実
    └信頼性の考え方
     └チェック機能の形骸化を避けるために
  └敢えて「厳しく悲観的」な意見を・・・
   └Re:敢えて「厳しく悲観的」な意見を・・・
    └Re:敢えて「厳しく悲観的」な意見を・・・
     └Re:敢えて「厳しく悲観的」な意見を・・・

 「未必の故意」ならぬ「密室の恋」、なんて駄洒落にもなりませんが…今日の昼のニュースはこれでもちきりです。

新幹線運転中 写真メール JR東海42歳運転士(中日11/18)http://www.chunichi.co.jp/…

 JR東海道新幹線運転士が一昨年より交際中の既婚女性に対し、乗務中の運転席から写した写真メールを多い時には1日で数十通に渡り送付、女性の夫がこれに気づきJR-Cに通報した…という中日会心のスクープのようです。既に今日の閣議後に石原国交相会見でもJR-Cに対する指導検討を含めた言及もなされています。
 まぁそれにしても、指導運転士という立場、かつ指導中にすら送信していたというのですから、まさに空いた口が、を通り越して怒りすら感じます。まさにTVショーのコメンテーターも触れていましたが、乗客には車内での通話を遠慮しておきながら何たることかと…。「携帯メール問題」は先にバス運転手で問題になっているところ、そもそも先の同系JR東海バス「逆走事件」の際に【検証:】でも指摘されたように、社の顔であり屋台骨である「立場」に関する自覚の欠落を痛感せざるを得ません。

〔東名ハイウェイバス逆走事故〕JR東海バスに覚える怒り ../highway/log527.html#21

 JR-C他事業者は真摯に受け止めるのは当然として、在来線ではよく「幕締め」が怠慢とも結び付けられるところではありますが、新幹線では特に安全担保として法規で守られている「運転席という密室」の何等かな形での開放化も今後検討されるべきなのかもしれません。これは趣味的なところではなく、例えば飛行機のようにアナウンスをさせるとか、利用者が実感できる何らかの対外的緊張感を求める必要があるのではと考えるのですが、如何でしょうか?

深刻なモラルハザードへの対応策?
 投稿者---TAKA氏(2003/11/19 12:13:59)

☆指導運転士が業務中にお手本を見せるべきなのに、その人間が率先して業務と安全を放棄して遊んでいたというのは論外ですね。バスの飲酒運転もそうですが、業務に対してのモラル低下がついに此処まで来たか!という感じはします。
 少なくとも見せしめにして懲戒解雇ぐらいの厳罰を与えたの人間への教訓にするしかないでしょう。

 例えば飛行機のようにアナウンスをさせるとか、利用者が実感できる何らかの対外的緊張感を求める必要があるのではと考えるのですが、如何でしょうか?

☆その前に日本人の職業に対するモラルハザードが此処まで来ると、人間より機械の方が信用出来るのではないでしょうか?
 バスや飛行機では難しいにしろ、鉄道では自動運転は技術的に可能です。機械の場合指示を間違えたら自動的に修正する様な柔軟性は存在しませんが、少なくとも飲酒運転はしないですし、運転中に写メールも取りません。その意味では人間より機械の方が信用出来るでしょう。
 それかテレビカメラ等を設置して終始業務態勢を監視するか?そこで違反行為が見つかった時にはそくクビ等の厳罰で見せしめにする等の恐怖政治的な厳罰政策で対応するかの方策の方が好ましいでしょう。
 少なくとも今の日本人の状態を考えると、今後もこの様な職業上でモラルハザード的な事件が増えてくると考えます。今の高校生みたいなモラルなんか持っているのか大いに疑問の人間が社会に出てくるのですから、その人間達が社会に出た段階ですぐ素晴らしい職業モラルを持つとはとても思えません。

 ちょっと厳しく悲観的な物の見方かもしれませんがそうなると、機械に頼るか厳罰で対応するかと言う方法しかないと思います。乗客がモラルハザードに対応すると言っても利用機関を選ぶ等の選択肢しか無いですし、間接的な対応等しか出来ません。人の命を預かるに近い職業である以上、厳罰を後押しする様な法整備を含めて考えた方が良いかもしれません。
 この様な日本人の職業に対するモラルハザードの問題は交通関係だけでなく日本全体で考えても国の先行きを左右する様な重大な問題であると思います。私がそれだけモラルがあるか?と言われればこの様なことを言う資格はないかもしれませんが、今後の先行きを憂いて敢えて書き込みました。

「厳しく悲観的」に過ぎないか
 投稿者---551planning(2003/11/20 00:12:45)

 TAKA様返信有難うございます。ただし複雑な感情を覚えているところです…。

 この様な日本人の職業に対するモラルハザードの問題は交通関係だけでなく日本全体で考えても国の先行きを左右する様な重大な問題であると思います。

 この部分については悲しいながらも同意するところです。それゆえに、真剣に悩み、考えなければならないと思います。

 その前に日本人の職業に対するモラルハザードが此処まで来ると、人間より機械の方が信用出来るのではないでしょうか?

 ちょっと厳しく悲観的な物の見方かもしれませんがそうなると、機械に頼るか厳罰で対応するかと言う方法しかないと思います。乗客がモラルハザードに対応すると言っても利用機関を選ぶ等の選択肢しか無いですし、間接的な対応等しか出来ません。人の命を預かるに近い職業である以上、厳罰を後押しする様な法整備を含めて考えた方が良いかもしれません。

 さて、それが本当に好ましいのでしょうか?この点につき、これまでの【検証:】での当方の書き散らしから考えて見たいと思います。
 先ず機械化という意味では、大手民鉄で加速化しつつある業務委託についての議論の中で、こんな投稿をしていました。新聞記事で読んだ都営大江戸線運転士の「プライド」とは、というところで、『大江戸線は機械が全てだけど、中身はブラックスボックス。いつヘソを曲げるか神経を使わされます』というある運転士の独白を重く感じたものです。
 厳罰化に対しては、飲酒運転他の厳罰化に関して疑義を呈していました。こちらのほうは実務上効果がはっきり現れている一方でJRバスなどの事件が後を絶たないというように、規則と現実の職務の中での歪みも見えてきています。この背景として感情的配慮ありきに進められた感のあるところについて、『(悪質運転加害者への)量刑は、われわれが感情論になればなるほど法関係者は冷静な考え方をしていく面があって、隔靴掻痒の感がないわけではない』との森前首相の発言に一方的見解に対する危惧を感じたものです。

効率化と生産性と… log024.html#21
厳罰化は抑止力となり得るか 
log020.html#11

 TAKA様の御意見を極論と切り捨てる意図はありません。むしろもはやそのような状況になっている現実に目を向けるべきなのかも知れません。ただ、仮に機械化を突き詰め、あるいは厳罰化を図ったときに、果たして我々利用者は救われるといいますか、トータルとして適正なサービスレベルを享受することができるのでしょうか?当方自身はブラックボックスに身を委ねたくはないですし、より率直な感想として「恐怖政治的…」なる発想を容易く理解し得る感覚を持ち合わせていません。これは表現の非難ではなく、根底の思考の問題ではなかろうかとあえて問わせて頂きたいと思います。

 改めて当方の考えとしては、利用者による何らかのチェック機能の必要性を考えたいところです。現状、輸送という行為の対価を払う絶対的関係性のほかに、各種方法による苦情や改善要求を示す事、モニター制度など積極的な意見取入れといった「利用者対会社間」の関係性こそいろいろあれど、その実務に携わる人々との直接的な関係性はだんだんと失われているところです。その中で成立過程ゆえのところとはいえ航空や船舶分野では「サービス」というところに着目し、自動車や鉄道ではサービスのないとまで行かずとも、直接的な行為提供こそがというところになってきていると思うところ、そこで生じている問題解決において、個人的にはあらゆる部分での「接客」という場面にもっと光を当てるべきではなかろうかと。そこから事故の職務への誇りと責任を自覚させるような仕掛けを考えるべきではなかろうかと思うのです。
 また今回も多分に精神論的ではありますが、究極に相手を信用する心があり、自己をわきまえているといった「人間としての価値の追求」あって“社会”総てが成り立っているのだと思いたいです。

Re:「厳しく悲観的」に過ぎないか
 投稿者---あんぱん氏(2003/11/20 00:48:32) http://homepage1.nifty.com/m-fujii/

 モラルハザードについては、今も昔も大して変わっていないと思います。旧国鉄時代に比べて遙かに可愛いレベルでしょう。今日で問題なのは、自らがモラルハザードを起こしているマスコミの体質です。マスコミのトップは時代について行けず昔の自分との間で自己矛盾に陥っている、下は現在の日本の中でも格段に不安定な職種です。

 話は元に戻しますが、JRで多数発生していることに着目すべきでしょう。JRだけがこういう状況が連発しているのか。他企業では考えにくい労使関係に問題があると考えるべきなのでしょう。横のつながりも縦のつながりもあったものではありません。
 国鉄分割民営化ではモラルハザードから脱する一つの方策だったからこそ、国鉄内部に強力な自らを解体する部隊が出来、実現してしまったわけです。

 機械に使われるというのは、小さい事故は防げるかもしれませんが、より大きな事故を起こしやすくなると考えています。完璧な機械は到底存在していないのです。複雑なシステムほど問題の把握は絶望的なほど困難になっていきます。Winが良い例でしょう。
 一方では省力化又は人間の瞬時の判断能力を超えた部分を補うためにはシステムを充実させていくことが不可欠です。現場レベルでバグを炙り出すという日常作業を行うことで、機械に使われない状況を生みだしていくことが出来ます。コストが掛かることですが、これしかないというのが感想です。

 トンチンカンなことを言ってしまいましたが、お許しください。

企業責任と改革の虚実
 投稿者---551planning(2003/11/20 13:14:36)

 あんぱん様、ちょいと当方の冷静さを欠くところにフォローを賜りまして有難うございます。心もとないながらも私見をば。

 モラルハザードについては、今も昔も大して変わっていないと思います。旧国鉄時代に比べて遙かに可愛いレベルでしょう。
 話は元に戻しますが、JRで多数発生していることに着目すべきでしょう。JRだけがこういう状況が連発しているのか。他企業では考えにくい労使関係に問題があると考えるべきなのでしょう。横のつながりも縦のつながりもあったものではありません。

 確かに国鉄末期の記憶はよぎりました。しかしながら、ことバス業界では一昨年の西鉄における事故頻発、昨年の札幌市交や神戸市交、千葉交通など、今年の名鉄も然りですし、鉄道業界ではやはり京福が浮かぶところです。今年で云えばANAのシステムダウンや新日本海フェリーでの漂流事故などの物理的問題も記憶に新しいところです。
 特に日本の社会経済情勢“落日”の歪みがここ数年来の政官財、各業種を問わずいろいろな問題として噴出し、企業責任というものに対しての見方が大いに変わりました。その底流にはPL法であったりコーポレートガバナンスであったりIRの徹底化であったり、また行政改革や特殊法人改革という芽吹きも見出す事ができるわけですが、一方で企業成立の根本事業である、まさに今回であれば新幹線や東名高速線での「事件」が社全体にどのような影響を及ぼすのかという、社員個々の意識改革の難しさをも露呈する結果はこの問題の根の深さ、すなわち日本の社会全体の疲弊ぶりを示しているものと考えます。
 特に日本の公共交通は「正確無比」の徹底が暗に前提とされていることそのものを異常視して考えることも出来ましょうが、それが日本人の美徳観念、誇りにつながっていたわけで、これがバラバラと音を立てて崩れていく様を直視する事はできません。

 さて、問題点にJRについて労使関係の特殊性を提示して頂いたところですが、確かに国鉄改革にあって結果として歪んだ形で推移した案件であるところ、また先のJR-C新幹線写真メール事件を追うように-E千葉支社運転士の喫煙携帯操作問題が取り沙汰されたときに少なからず知る人は心中「なるほどね」と思ったであろう現実?もあるわけですが、これをして改革の虚実と捉え、また他企業との違いとして見るかについては、すなわち国鉄改革はある種のショック療法に過ぎないとも取れる以上、当方自身は(あくまで)感情的に異論のあるところです。無論国鉄改革の側面にショック療法的なものであった事を否定するつもりはありませんが、現在の企業責任の問題点は私企業をも共有するところであり、かつそれらにとっての「ショック療法」が何を意味するのかにコタエが見出せないからです。

JR東日本でも運転士が携帯操作・喫煙 客が目撃し通報http://www.asahi.com/national/update/1119/008.html

***
 一方でマスコミの責任論は御指摘の通りであり外せないと考えます。当方自身思考の前提として情報収集があるわけですが、こと道路問題が好例ですが生のデータを飛び越えた流言蜚語とまで云わずともフィルターがかかった形で毎日伝えられているところもあろうと認識しますし、特に不祥事ネタではその姿勢が顕著になるのが当然のところになっているわけで、それをどのように受け止めて噛み砕いて理解するかは個々で異なるでしょうが注意しておきたいところですね。

 なんだか返答になっておりませんが、取り急ぎ…。

信頼性の考え方
 投稿者---串間氏(2003/11/21 03:09:18)

 いい題名が思いつきませんでした。言葉で伝えるのが難しいとは思いますが・・・

 こういった事故を起こすことを肯定するつもりは全くありません。しかし、こういったことが起きてしまうことは、現在の状況ではどうしても避けられないとしか言いようがないのです。
 そして、このようなことが起こることを前提として、会社は手を打たなければならないわけです。同時に、チェック体制を見直すよい機械ととらえることすらできると考えてます。

●自動化は容易ではない
 鉄道の現在の機械化、というか自動化でしょうか。これは段階を踏むと、このように進歩しているでしょうか。かなり大雑把ですがお許しを。

A:完全に人に任されている状態
  欠点  発生する事故は致命的なほどの大被害に発展する可能性がある
 運転技術を磨くのに時間がかかる
 緻密なダイヤの場合、対応が難しい
  長所  緊張感を持って仕事に取り組む
 本数が少ない場合はローコスト
 
B:この危険な状況を改善しようと部分的に自動化
  欠点  いいかげんな勤務態度になる
  長所  大事故がなくなる
 運転技術の習得が早い
 緻密なダイヤ設定が可能になる
 
C:さらに自動化を進める(ワンマン化対応など)
  欠点  さらにいいかげんな勤務態度になる(かもしれない)
 ホームドア設置・完全立体化などの機械化に関わる費用の増大化
 必要のない社員がリストラされる(かも)
  長所  大事故がなくなる
 運転技術の習得が早い
 緻密なダイヤ設定が可能になる

 以上はほんの少しの例でしかないでしょう。確かに機械化は有効でしょうが、限界は必ず出てきます。
 今現在でも起こっている例として、ドアにベビーカーが挟まれたりする場合や、踏切で立ち往生する車、さらにはホームへの転落・・・挙げ出せばきりがありません。
 これを全て機械化でやろうとすれば、相応の技術が要求されます。人間が簡単に気がつくことを、機械は簡単にはすることはできません。

 問題を車に置き換えてみましょう。次第に交通事故による死者は道路舗装や街灯の取り付け、タイヤ技術の向上などで、大きく減っていますが、事故自体はむしろ増えています。交通量との関係でみればおそらく事故数は変わっていませんが。
 自動車での技術は進んでいます。今年採用された技術を少し見てみると

 ホンダのインスパイアは「追突軽減ブレーキシステム」
 トヨタのプリウスは「自動駐車支援システム」

 これでも騒がれるぐらいですが、自動運転の技術はまだまだ遠い道のりと言わざるを得ません。人間に簡単にできることですら、そのひとつひとつを機械化するというのはとても難しいものです。ASIMO君が歩くのにどれだけの工程を組むか、動きを見て考えてみていただければ十分かと思います。「歩く」という行動がどれだけ複雑であるか。
 レールの上でこそかなり自動化されていますが、それだけ単純だからこそできる技術でしかないのです。
 ちなみに、こうした技術を開発するのはやはり人間です。

 余談ですがTAKA様の発言は「近頃の若い者は・・・」というのと同等のニュアンスを含んでいるように感じられ、私には賛成しかねます。

●チェック機能はしっかりと働いているか
 むしろここからが本題です。
 今回の事故をきっかけに社内チェックが行われ、そうなった結果を洗い出し、事故再発防止に向かうとすればそれは健全な方向と言えます。
 むしろ、厳罰による対処は事実関係を見えにくくし、処分が終了したからそれでおしまい、という非常に危険な兆候になりかねません。
 今回起こるような事故は、その人物だから起こしたのではなく、そうしたことが誰の身にも起こると考え、失敗を糧にすることができるような会社こそ健全だと私は考えます。

 一例ですが、今巷をにぎわせている視聴率操作問題ですが、これをプロデューサーの責任にして問題を終わらせてしまえば、やはり同様のことが後をたたないことになります。

 繰り返しになります。問題を起こした本人に責任を押し付けるのは最も簡単な方法ですが、それは非常に問題があるといわざるを得ません。今回の事故は、JR東海全体の問題ととらえなければいけないのです。

●具体的な対処方法はあるか
 これに関しては難しいわけですが・・・。
 管理人様が提示してくださった新幹線の運転席の開放化、などは一鉄道ファンとしてはぜひともやってもらいたいです(爆)。運転士のモラルに訴えるものとして高い効果があることからしても、十分に効果は期待できるわけですし。

 とりとめもなくなり失礼致しました。では。

チェック機能の形骸化を避けるために
 投稿者---エル・アルコン氏(2003/11/21 15:20:38) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 久留里線における運転士の喫煙と携帯操作の問題ですが、これを巡る対応の中に、高速バスの飲酒や無免許の問題と全く同じものが潜んでいます。
 つまり、酒気帯びでの乗務を阻止するためのチェック、無免許(免許更新忘れなど)での運転を防止するためのチェックがあり、会社は適切に実施していると大見得を切っていながら、実はチェックそのものが形骸化しており、結果としてチェック漏れの発覚や事故発生につながっているわけです。

 今回の久留里線の「事件」も、運転中に喫煙し、携帯を操作していたという乗客からのクレームに対し、引用された記事によると「運転士は喫煙は認めたものの、携帯電話については『駅に停車中、着信履歴を確認しただけ』と主張したため、同社は厳重注意にとどめた。」とあります(メディアによっては喫煙も含めて上総亀山駅での折り返し待機中だったとある)。
 つまり、事実の調査と対応は、「酒気帯びでないだろうな?」「違います」「ではOK」という形骸化された「チェック」となんら変わるところがないわけで、特別法により用地内への立入が禁止されており、また柵などで遮断されており、かつATCなどのバックアップが完備している新幹線と違い、入り放題の地上線に四種踏切という久留里線において、この手の行為の危険度は比べ物にならないわけで、それを防ぐ体制を考えた時、形骸化した酒気帯びチェックと同類項では意味がないわけです。

 世に言う「フェイルセーフ」の思想や、事業所における「安全QC」では、人が間違いを犯すということを前提に、どうやったらミスの発生や連鎖を防ぐかということを体系的に考えて実施しています。
 その前提で機械によるサポートの活用は重要ですし、それにより「人を信用していない」という批判は、「ではサポートを拒否したことにより発生した責任を物心ともに負えるのか」と言うわけで、職人が名を失うほどの責任も負わないわけですし、いわんや経済的な責任など到底負えませんから、当たりません。

***
 不思議なのは「安全」を絶対とすることでは変わりがないはずなのに、運輸関係における特に「飲酒」をはじめとした間違いが目立つことです。
 結局、事業所においては職場ぐるみで風紀が弛緩していない限り、同僚や周囲の目があると言うことは否定できず、一方で運輸関係はどうしても自分一人もしくは小人数のクルーになるということで、チェック機能が働かないということでしょうか。
 そこに原因があるとしたら、残念ですが監視に近いレベルの何らかのチェック機能を付与するしかないです。

 あとは、事業所においては安全パトロールや「ヒヤリ」「ハット」対策と言った安全QCの活動を職員一丸で取り組んでいますが、そういう意識共有を当たり前にする職場環境に向上させる必要があります。別レスでともさんがおっしゃってるリスペクトも結局はそういう「プロの矜持」に裏打ちされるものですから。

敢えて「厳しく悲観的」な意見を・・・
 投稿者---TAKA氏(2003/11/20 21:50:08)

 管理人様今晩はTAKAです。確かに複雑な感情を覚えるでしょう。普通からみれば厳しすぎかつ悲観的な内容でしょう。
 何故この様な事を書いたか。最初の問題からかけ離れますが敢えて今後の為に書き込みます。

☆私は「機械に任せる」とか「厳罰主義で対応」と書きましたが、普通の意見なら「此処まで必要なのだろうか?」という意見でしょう。私とてこんな事になって欲しくはありません。しかし町の中の現実を見てみてください。今の学生みたいな人間達が仕事をする様になったら、果たして職業に対するモラルなんて今のレベルを維持することが出来るのでしょうか?そうなった時行き着く所まで行ってしまったら、最後はこういう方法しか無くなる様な気がします。
 今日本人のモラルハザードは「今そこにある危機」であることは残念ながら否定出来ません。これに本当に大切なのは「教育」です。今の日本はそれを間違えてきたのでしょう。今の25歳ぐらいの入社2〜3年目の年の人間はハッキリ言って質の低下が目立ってきていると思います(あくまで私の主観ですが)。これが進んだらどうなるのか?最後には「機械に任せなければ安心出来ない仕事しかしない」という質まで日本人は落ちるかもしれません。それに対する警鐘という意味でも「厳しく悲観的」な意見を書きこみました。

 また今回も多分に精神論的ではありますが、究極に相手を信用する心があり、自己をわきまえているといった「人間としての価値の追求」あって“社会”総てが成り立っているのだと思いたいです。

☆これが社会の理想です。管理人様の言われる様に社会はあるべきです。しかしこの様な社会は「考える人間」の存在の上に成り立っています。今後ともそれだけのことを考え行動出来る人間が日本国民の大多数を占めていることを真剣に祈ります。そうすればその様な理想的な社会になれるでしょう。

☆只その「考える能力」を人間が失った時どうなるか?そうなると「厳罰主義」の様な「恐怖政治」的な物で押さえ込まないと社会は維持出来なくなります。「独裁」「恐怖政治」は人間が考えることをしなくなり、自己の主張を表に出さず、信念に従わず流れに流されるときに発生する物です。
 これはこの様な時代が来て欲しいということではありません。只この様なことに日本はどんどん当てはまっていって居るのではないでしょうか。私はその事を危惧してこの様なことを書いています。

※以上が「私が何故敢えて厳しく悲観的な意見」を書いたかの真意です。本当はこういう事のなって欲しくないが警鐘を鳴らさなければならないほどの状況があることを書いただけです。この話は暗い話ですし、交通の話題とはかけ離れる話ですから、私はこれ位にして置いた方が良いのかと思います。

Re:敢えて「厳しく悲観的」な意見を・・・
 投稿者---とも氏(2003/11/21 13:06:09)

 ともです。
 どうも気になりますので簡単に。

1 モラルハザード
 ハッキリ言えば昔から似たような話はそこかしこにあって、今に始まった問題ではないわけです。
 さらに言えば、若い世代云々だって言われてきた話ですし。新人類だの団塊ジュニアだのという詞で括りながらそう言う話は常に出ていたものです。
 ですから、私はそこまで悲観的になるのは、単に悲観的な論調を書きたがるマスコミの考えに近いだけかな?と感じますが。

2 機械化で救われるモノではない
 そもそも機械化は人間の操作性を容易にするとともに、ミスなどの際のバックアップを行うモノです。よって、最終的な操作権限は人間にあります。
 極論ですが、列車のATOだろうが飛行機のオートパイロットだろうが自動車のAHSだろうが人間の操作があって始めて作動するものであり、人間の意思が関与しない全機械化など少なくとも人間の移動手段において存在できるとは思えません。

3 必要なのは教育ではない
 私はモラル問題で教育というのは道徳心の押しつけと言ったモノと同じで意味が無いと考えます。
 本来必要なのは運転士やパイロットの社会的評価ではないかと。
 昨今の規制緩和・構造改革・雇用変化という流れの中で、運転士にしろパイロットにしろ現場サイドの冷遇がよく聞こえてきます。
 しかし、彼らは特殊技能を有するプロであり、彼らの就業意欲を殺ぐ政策・施策は彼らのプロ意識の欠如につながり、それがモラルハザードにつながっていくと考えます。
 プロをプロとしてきちんとリスペクトすることこそが結果的にモラルの維持につながる。そう考えます。

***
 今の日本はプロをリスペクトできない社会ではないか。そう考えます。
 市民意識はいいとしても、あたかも自分は正しいのだと言わんばかりの独善的言動でプロを愚弄することも珍しくはありません。
 もちろん、批判や意見は重要です。積極的にやっらなくてはなりません。それがプロや専門家の傲慢・暴走の歯止めですから。しかし、だからとって、彼らのやる気を殺ぐ批判、あるいは独善的な批判・非難は単なる自己主張にすぎず、結果、それが続けば彼らのプロ意識を殺ぐものとも言えます。彼らのプロ意識を強固にすることこそが最大のクスリと私は考えます。

 批判は誰にでも出来ます。非難はもっと簡単です。でも、プロの操縦・運転技術は並大抵の努力や訓練でできるものではないのです。それができる彼らをもう少し社会的に評価して上げること。それが大切なのでは?

 思うがままです。やや偏った見方かもしれませんが、ご容赦を。
 ではでは

Re:敢えて「厳しく悲観的」な意見を・・・
 投稿者---まえだ氏(2003/11/30 01:02:18)

 今さらながら、ちょっとだけ。
 私は仕事柄日常から子供と接触しているのですが、やはり教育というより学校の問題は、以前と今では大きく違っているんじゃないかと感じます。

 今の学校は、「個性重視」、「平等主義」などという言葉が悪い方向に出てしまって、「何事も順位をつけない」のですが「入試に関する点数」だけははっきりと順位が出てしまう。
 それから、大学進学率の異常な高まりと、少子化による大学入試の易化。第二次ベビーブーマーによる18歳人口の拡大および大学進学率の上昇に合わせて急速に大学入学定員が増加し、その後の少子化により定員割れの大学が急増したという事実があります。そして、現在は大学を選ばなければどんなに学力がなくても自分の名前が書ければ大学生になれる時代です。入試に学科試験がない大学は珍しくありません。

 という背景の中で、学校の先生あるいは親は、大学に進学するのが当たり前、高卒で就職するのは社会からドロップアウトした人間である、という認識が生まれてきています。

 プロをプロとしてきちんとリスペクトすることこそが結果的にモラルの維持につながる。そう考えます。

 これはその通りだと私も考えます。
 しかし、鉄道やバスの運転手はその多くが高卒でしょう(最近の事例は知りません。すみません)。

 私個人の意見としては、高卒で専門技術を身に付け働くほうが、大学へ行って遊んでばかりで何の生産的活動もしないより遥かに有意義だと思うのですが、上に書いたような状況では、「高卒で働く」=「社会からドロップアウトしている」という認識を、まわりの人間はともかく、働いている本人が持っても仕方がないのが現実だと思います。
 まあ、これは教育(学校)が問題なのか、社会が何とかする問題なのかは、私にはわかりません。ただ、社会の意識を作る、という点で、「学校教育」が果たす役割は大きい、と思っています。

 単に「教育」という点でいえば、会社に入ってからの教育もあるんでしょうが、これも職業意識を作るという点では非常に重要だと思います。

 何が言いたいのかよくわかりませんが、この辺で。

Re:敢えて「厳しく悲観的」な意見を・・・
 投稿者---TAKA氏(2003/11/30 16:29:30)

 前田様今日は、私も今更ながらレスをさせて頂きます。

 そして、現在は大学を選ばなければどんなに学力がなくても自分の名前が書ければ大学生になれる時代です。入試に学科試験がない大学は珍しくありません。

☆少なくとも今の大学生は急速に質が低下してきているという話は聞きました。「授業で10年前と同じレベルの話をしても、学生は理解出来ない」「授業をまともに90分受けられない」という大学生がうようよしていると言う話を私の大学の恩師から聞きました。
 少なくとも私の大学へ行っていた10年前〜5年前ぐらいの間が分かれ目みたいで(私の時には今よりずっと大学は難しかった。1浪は当たり前だったし、大学進学率は50%位だったはずです)、その後急速に大学生の質が悪化したと言う感じのようです。それは大学入試の簡易化と時期を同じくしていると思います。

 という背景の中で、学校の先生あるいは親は、大学に進学するのが当たり前、高卒で就職するのは社会からドロップアウトした人間である、という認識が生まれてきています。

☆これは安直には決めつけるべきではないです。そう言う人も居ます。しかしそうでなく真面目に目的を持ったり、家庭の事情で致し方なく高校卒業後就職したと言う人も居ます。それにその様な人の方が目的がある分、真面目で優秀で仕事も出来、大学卒業者の同期入社の人より遙かに社内の評価が高いと言う高卒の人も沢山居ます。
 その様な「高卒者=不優秀」というような考えがある事自体が問題でしょう。本来ならばその人の人物本位であるはずです。これは「高卒」「大卒」とか言う問題ではなく、今の若者の

 プロをプロとしてきちんとリスペクトすることこそが結果的にモラルの維持につながる

☆これに関しては私もともさんの意見に賛成です。只今の段階で鉄道会社の現業の人々は、出世という点では多少厳しいのかもしれませんが(私の知っている会社では高卒=現業=ノンキャリア・大卒=管理分門=キャリアと言う区分が有る会社が複数有ります)、少なくとも給与面では、下手な大卒より遙かに多い生涯収入を貰っている等の最低限それ相応の評価は今の段階で設けてはいるのではないでしょうか?(実際の同年度で比べると、業務が厳しく朝夕の仕事がある分現業の方が手取りは多いらしいです)
 又上記ではキャリア・ノンキャリアという区分で書きましたが、今では別にノンキャリアだから、現業を離れた後管理職になれないでずっと現場と言う訳でもなく、管理職になると言う人も居ますから、キャリア・ノンキャリアという区分も成立しないかもしれません。
 少なくとも高卒・大卒という区分は昔ほど重い物ではないと考えますし(完全にゼロとは言いません)、鉄道関係は現業と管理に給与的差がないと言うだけですが、飛行機のパイロットなんか航空会社の管理部門の人よりずっと高い評価と給与を貰っているのはありませんか。パイロットの評価なんかは、諸外国や近い別の職業(船長)等とも比べても逆に高すぎたのではないかと思いますが・・・。今の冷遇と言われる事情は、その調整という側面もあるのでは?
 こう考えても有る程度の評価は受けているのではないでしょうか?何処までの評価が適当なのかは分かりませんが、評価が低いと言うよりは個人的な素質や考えがモラルハザードの原因になるのではありませんでしょうか?

 しかし、鉄道やバスの運転手はその多くが高卒でしょう(最近の事例は知りません。すみません)。
 私個人の意見としては、高卒で専門技術を身に付け働くほうが、大学へ行って遊んでばかりで何の生産的活動もしないより遥かに有意義だと思うのですが、上に書いたような状況では、「高卒で働く」=「社会からドロップアウトしている」という認識を、まわりの人間はともかく、働いている本人が持っても仕方がないのが現実だと思います。

☆確かに鉄道の現業関係の方は多くが高卒の方です(私の知人でも、「鉄道の現業部門に勤めたい」と言って高卒でJR東日本に就職した人が居ます。私と高校は一緒でしたが私はその付属高校から大学に進学しましたが、大学卒業・就職時にはJR東日本なんて手すら届きませんでした)。

☆高校卒業で就職するのが良いのか、大学へ行くのが良いのかは何とも言えません。大学教育にはそれなりの意味があります。その様な学歴だのに拘るより、要は本人の素質でしょう。只一般的に自主的高校中退者等に社会的常識もなく勤労意識も乏しい「ドロップアウト」に近い人も多数いて、それが若者全体に広まりつつあると言うのは否定出来ないでしょう。
 只「高卒者=ドロップアウト=不優秀な人」と言う様な認識が存在していることが問題であると思います。前述の様に大学生でも授業もまともに受けれない様なレベルの人間も多くいますし、高卒の人でも優秀な人は沢山居ます。人の評価は学歴でなく個人であるという事すら認識出来ず教えられない大人にも問題があるでしょう。

☆その様なすさんで質の悪い若者が蔓延してきている(その進み方は過去の比ではないでしょう)状況では、将来的には「プロ意識」とか「教育」とかで就業意識・就業モラルを維持出来るのか非常に心配であると思います。この様なレベルの若者ばかりが(今の大人にも就業意識・就業モラルが欠けている人も大勢居ますから、若者だけとは言えません)就業するとなった段階で、プロ意識の高揚ぐらいで対応出来るのかが非常に不安です。
 それこそ万能ではないですし、最後は人間の意思が全てを決するのを百も承知の上で、「機械に頼った方が全然安心だ」という状況が来かねません。「人間はスタートのスイッチだけ押せばOK、後は写メールでも何でもしていて下さい」と言う時代が来るかもしれません。技術的には鉄道に関しては無人運転は可能なのですから・・・。写メールをしている運転手より無人運転の方が安全だという事になりますからね・・・写メールをする運転手が全部ではない事は百も承知の上、敢えて言います。
 只前にも言いましたが、「人間にやらせるより機械の方が安心」というレベルに日本人が堕落してしまうと言う可能性は十二分にあります。それこそ私は例えば「ピアスだの入れ墨だのして道にしゃがみ込んでいる茶髪の若者」が運転する電車よりATOで無人運転の方が信用出来ます。極論ではあり、今それがある訳ではありませんが、上記の様な若者が巷に溢れている状況では何時そうなるか、反論出来ないのではないでしょうか?

2004.11.02 Update


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