【検証:】常設板過去ログ集

【検証:近未来交通地図】
(過去ログNo.081)
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並行在来線問題本格立論−−真の問題は奈辺にありや〔続〕
 投稿者---和寒氏(2002/09/13 08:20:03)
 
http://www.geocities.jp/history_of_rail/

並行在来線問題本格立論−−真の問題は奈辺にありや
└Re:並行在来線問題本格立論−−真の問題は奈辺にありや
 └やや極論になりますが
  └上下分離と整備新幹線・並行在来線融合案について

(以上前ページ)

└並行在来線スキームの問題&「交通税」問題&地域輸送の根本問題
└並行在来線問題--空路・道路との分担
Re:並行在来線問題本格立論(論点1:責任分担論)
 └包括対論その1(主に責任分担論)
  └責任分担論の中で・・・(貨物輸送と交通税について)
  └沿線利用者にとっては常にメリットがある
   └個別レス−−プロジェクトとしての意義
  └それでもローカル・貨物の分離しか道はありえないのか?
   └Re:それでもローカル・貨物の分離しか道はありえないのか?
   └個別レス−−在来線の機能

(以下次ページ)
Re:並行在来線問題本格立論(論点2:収支均衡と負担問題)
 └包括対論その2(主に収支均衡と負担について)
  └Re:包括対論その2
   └個別レスその3−−運賃体系
Re:並行在来線問題本格立論(論点3:資産と損失と国鉄債務)
 └内部補助と国鉄債務とJRの関係の問題について
  └現状を疑う前提での極論ですが
   └現状を疑うではなく、現状を踏まえた上での問題への私見
 └包括対論その3(主に国鉄改革理念)

  └国鉄改革の理念の再構築とローカル輸送維持スキームの必要性
   └Re:国鉄改革の理念の再構築とローカル輸送維持スキームの必要性
    └改めてローカル輸送維持スキームの必要性と内部補助の問題
     └内部補助(会計関係)
     └ソース開示請求
      └回答
       └承知しました

▽ 前ページより

並行在来線スキームの問題&「交通税」問題&地域輸送の根本問題
 投稿者---TAKA氏(2002/09/13 22:35:47)

 和寒様今晩はTAKAです。正直言って難しい議論でしょう。特に都会生まれ、都会育ちの私には地方の実情に疎い側面もあるので、実情に合わない発言をするかもしれませんが、一応頑張りたいと思いますので、「肩肘張って」「張り合いながら」議論を進めていきましょう。
 まあ私も意見がまとまるかどうか自信はありませんし、最終的に結論が簡単に出るほど簡単な問題でないとは私も十分分かっていますが・・・

■前提条件
・国は地域間交通に責任を持ち、ローカル交通には責任を持たない。
・あらゆる交通事業者は自由に営業廃止できる。
・JR各社は、内部補助によりローカル部門を維持している。

★前にも述べたとおり、この前提条件に関しては異論の余地はありません。これが問題の前提ですし、此処に問題の根本があると思います。

■盛岡−八戸間の場合
 画龍点睛を欠くとすれば、資産が有償譲渡であり、しかも第3セクター会社への譲渡という点が挙げられます。
 現状での最適解は、資産を鉄建公団に無償譲渡のうえ、JR貨物及びローカル列車運行第3セクター会社はそれぞれ受益の範囲内で線路使用料を払う、というスキームの構築にあったでしょう。こうしておけば、原理原則に矛盾することなく、かつ第3セクター会社に過重な負担をかけることなく、並行在来線の分離ができたはずです。

★ 画龍点睛を欠いている問題点は「画竜点睛を欠く」ぐらいの問題ではなく、今の並行在来線問題の「根幹」でしょう。現状のスキームでは国が地域間輸送の内の貨物輸送に関して全く責任を果たしているとは言えません。
 並行在来線設備を地方に持たせる事で設備的負担を地方に持たせ、「貨物輸送」の「調整金」は整備新幹線のリース料から賄うと言う事は、整備新幹線運営者のJR、最終的には旅客鉄道の乗客に不明朗な形でかかってきます。
 それならやはり仰有られている様とか、私のレスの「運営問題」や「責任のあり方や責任に応じた補助」でも書いている上記の様な「設備は一体して国(鉄建公団)が保有して使用料を徴収する方が好ましく、国が地域間交通に責任を果たしている事になるでしょう。
 如何でしょうか?

 なお、TAKA様御提案の「地域交通協力税」は、ありえない選択肢です。これは私がこの意見に賛成できないから、ではない点に御注意ください。「地域交通協力税」では、国がローカル交通維持に責任を持つことになるからです。遠近交通の責任分担を是とするならば、「地域交通協力税」は責任分担の原理原則に矛盾します。

★これに関しては、私の言葉が足りなかったかもしれません。私のレスの「責任分担のあり方と責任に応じた補助」の中で述べている「交通税」について「整備新幹線を含めた固定資産に関しては交通税を財源に国が責任を持つ」「各運営主体に関してそれぞれの採算性・公共性を主体に補助金の投入を決定する」と書いております。
 私が言いたかったのは「固定資産に関しては国が「交通税」を財源に責任を持つ」という事であり、「各運営主体への補助に関しては(1)貨物会社に関しては国への設備使用料を維持する事で「交通税」を基に補助をする(2)ローカル輸送に関しては補助を行う、それに税金を投入するには「地域交通協力税」を作るとしても「地方税」で作り対応する(その地域のローカル輸送の現状で税率は異なる)」ということです(ちょっと後付反論みたいですいません・・・)。
 これならば前提に反する事もありませんし、地域税を掛けると言う事は地域にとり地域間流動に税金という価格で抵抗を作る事になり活性化を阻害させる事になりますから、真に地域の成長を考えるならば、地域ローカル交通の採算性に対し努力して税金を減らそうとするでしょう。それが地域のローカル輸送改善へのインセンティブになるでしょう。
 これなら如何でしょうか?

■問題の奈辺
 敢えて極端な状況を想定してみましょう。JRが「並行在来線は存続します、かわりに山田線と岩泉線を廃止させてください」と提案してきたらどうなるか。なんと無茶な、と思ったところで、利用者も自治体もそれを止めることなどできないのです。
 JRは、利用者と自治体に対して切り札を握り続けているようなものです。そのJRにローカル交通維持を依存している。なんとも倒錯した構造というしかありません。

★上記は十分想定できる事です。しかしそれはそれでいいのではないでしょうか?なるべく地域輸送を維持すべきとは思います。しかしそれを鉄道で残すのだけが選択肢でしょうか?
 残す必要が有れば、JRの内部補助に甘えるのではなく自分たちの自治体が補助等で内部補助の代行をして残すべきでしょうし、その前に「本当に鉄道が必要なのか?」を考えるべきでしょう。
 本来JRの内部補助ではなく公共体がローカル輸送に対する補助をすべきですし、それでは地方だけ負担が大きくなると考えたら、その為に「地方交付税交付金」があるのですから、その様な地方格差是正のスキームを有効活用する事で地方が責任を持つべきでしょう。但し上記の「交通税」も全国一律で税金を掛け、交付金を地方格差を付ける事で交通版「地方交付税交付金」にして、最低限の国の関与も地方格差の是正の側面からも必要かもしれません。
 国土の中で最低限のシビルミニマム(又出てきた表現ですが・・・)を維持する為には杓子定規に「国はローカル輸送に責任をもたない」と言い続けるのも如何かと思います。最低限は国が関与しても良いかと思います。
 但しこれは総合的な交通体系で考えるべきで、鉄道だけに「税金」を掛けずに他の交通手段等の「日本中の公共交通」全体に掛け、全体の地方ローカル輸送に最低限の補助はするべきかもしれません・・・

並行在来線問題--空路・道路との分担
 投稿者---樫通氏(2002/09/14 07:58:13)

★いたずらに話を膨らませると言うのも良くないかとは思うのですが、八戸延伸に関しては、

 国は、地域間交通のアップグレードに責任を果たしている

ことは確かとは言え、空路・道路も含めて所要時間に関するアップグレードの範囲が小さすぎると感じてます。

★鉄道の場合2点間に限らない集客が容易ですから、パターン数から言えば多くのエリアで所要時間短縮が実現するでしょう。しかしながら、まとまった流動という観点では八戸・三沢エリア対仙台だけがあきらかな短縮になると思います。より近いエリア同士では道路、対東京では空路に対してドラスティックな改善になっているとは考えにくいかと思います。にも関わらず整備され行く新幹線に対してやや複雑な感を持っており、それゆえ派生する並行在来線問題というのは問題が存在すること自体がなんとも・・・というところです。

★空路が贅沢とみなされ、かつ運賃の観点からも贅沢であり、一方で鉄道は日本中どこでも同じ距離を乗れば同じ運賃とすべき、という前提があった時代であれば、新幹線の要望が悲願であることも理解できます。建設コストに見合わぬ低運賃による新規参入者によって空路が駆逐もしくは弱体化されるということが社会全体でどれだけメリットがあるのか、という点に関心があります。

Re:並行在来線問題本格立論(論点1:責任分担論)
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/09/15 13:53:41) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 さてご提示頂いた論点で気になる部分について少々述べたいと思います。些か反論のための反論になっている面は否めませんが、問題点の確認ということでご容赦頂きたく。

●責任分担論総論
 広域流動、都市間流動という「遠距離交通」と地域流動という「近距離流動」の担い手=責任を分離することについては、そもそも国鉄再建法自体がそれを最大の動機と目的にしたことが明らかであるように、整備新幹線で初めて出てきた問題というわけではありません。

参考:鉄道ジャーナル昭和60年9月号「地方交通線問題の本質と将来を考える」青木栄一

 国がどこまで地方の面倒を見るのかという問題は何も鉄道や交通の分野に留まらないことは言うまでもないですし、どこまでも国が面倒をみるというのであれば、究極の考え方として中央政府から地方組織(それこそ町内会といったレベル)までの一貫した上意下達体制こそベストであるということになります。本論ではけっこうそもそも論に言及していますが、さすがに地方自治そのものへの懐疑や否定まで進めると収拾がつかなくなるので、ここは地方自治の存在及び地方が賄うべき各種サービスが存在するという前提は固定して考えます。

●責任と見返り
 では並行在来線問題、いや、地方における交通で、地方が責任を持つというテーゼが無理なく成立するかどうかが問題になります。地方がその地域交通を責任をもって提供したとして、単に一定のレベルの提供を以って責任を果たしたとするのではないことが問題です。たとえ公営交通であっても特別会計による独立採算制を原則としている現状、それどころか交通維持のための必要不可欠な支出として税金で整備・提供することにおいても税金の適切な支出かどうかのチェックが厳しい現状、地方の交通を地方が提供するという責任は、それが収支均衡は無理としても収支を極力均衡状態に近づけるという裏付けがあって初めて達成できます。

 ところが責任範疇とされる地域交通を地方(自治体or地方輸送を担当する事業者)が整備しているにも関らず、一方でそこからの回収が地方に帰属していないアンバランスが問題なのです。例えば航空機は遠距離交通を担いますが、寄港できない近距離での利用は出来ませんから物理的な遠近分離が成立しています。また高速バスは物理的な停車は可能ですが、クローズドドアの採用で遠近分離を成立させています。
 では鉄道はとみると、在来線での幹線輸送の場合、特急列車であってもかなりの頻度で停車しており、その利用制限がありません。また新幹線も10km程度で駅があるケース(新尾道−三原:10.5km)もあるなど、その遠近分離の思想は相当曖昧と言わざるを得ません。
 逆に高速道路は広域流動から地域移動まで担いますが、役割を分担する一般道路には基本的に独立採算などの制約が無いため、分離の経済面での結果が問われにくい構造であることは無視できません。

●峻別と侵食
 このように役割分担、というか峻別されていればまだしも、10km程度の移動においても遠距離交通機関が片手間に賄う余地を残した現状では、地域の交通は地域が責任といっても、事業成立の裏付けとなる利用が尻抜けになってしまいます。実際、しなの鉄道で長野から33.2kmの上田への利用が新幹線に相当侵食されている現状は、本来地域交通の経営維持のための収益源として政策的に確保されていてもおかしくない部分も保証しないで独立採算の建前を押し付けてはいないでしょうか。

 地方においては、P&Rによる集客を考えれば、新幹線の速達性を著しく阻害するほど過密な駅設置をしなくても地域輸送の兼務が可能であり、そうした形態を容認するのであれば、真に地方が分担するのは、過密な駅設置が必要な拠点都市の近郊輸送と、極々近距離もしくは少数、またP&R利用が出来ない層(所謂「交通弱者」)への限定に収斂することになります。
 結局、規模に応じた鉄道、バスのミックスと、相当区間においては万人向けの公共交通を放棄してP&R拠点までは各自で来るようなスタイルに転換し、残りは福祉タクシーのような福祉事業としての移動手段確保になるのではないでしょうか。

●現実を踏まえた対応
 現実問題としては、遠近の峻別(という規制)を為し得ないことと、税金による補助にも収支均衡の発想を求められる以上、税金による公共交通の維持というテーマは、税金を支出してでも移動手段を確保しないといけない層の救済という視点に変更し、可能な範囲で新幹線が近距離輸送も担うことで、JRセクターと地方セクターを合算してもっとも効率的な交通機関整備になるようなスタイルを目指すべきでしょう。
 そのスタイルとしてはJRが責任をもって近距離輸送にもあたるというスタイルには限定されず、JRが「新幹線列車」を運行する線路で地方が地域輸送用の列車を運行するとか、地方が一定の費用を支出する形で「新幹線列車」が地域輸送を掛け持ちすることが考えられます。
 なお遠近の峻別による維持も選択肢ですが、現実にはクローズドドアを原則としていた高速バスも地方ではそれを放棄し、はては自由乗降すら採用して近距離輸送を統合することで収支均衡を計っていますから、容易ではない話なのです。

●貨物
 ここが一番のネックですが、地域輸送として「不要」だが貨物輸送に「必要」という場合は、線路を地域ではなく国が所有、もしくは旅客鉄道会社が所有のままということを考えるべきでしょう。
 JR所有という選択肢は、そもそも上物だけ貨客分離したスキームで、下物所有の旅客鉄道会社の都合で分離可能ということであれば、JRFの経営というのは非常に脆弱というか不安定なものだからです。整備新幹線と並行在来線問題はあくまで旅客輸送という分野でのスキームであり、旅客鉄道会社とJRFの間に限定される貨物輸送の問題については、整備新幹線が貨物輸送に資するどころか全く関係ない以上、整備新幹線の開業で貨物輸送の下物を分離(放棄)する謂れは本来ないからです。

 JRFの今の経営状況だと厳しいですが、逆に並行在来線区間の設備一切をJRFが所有して、地域輸送を担う三セクから利用料を徴収するというような米国に多い形態を採用するという手もあったのでしょうね。そこで所有を国と折半とか公有スキームを絡めても良いですし。

包括対論その1(主に責任分担論)
 投稿者---和寒氏(2002/09/20 22:04:18) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 お待たせしました。和寒です。このスレッドは、だいぶ繁盛してまいりました。
 なんといっても議題が難しい。おそらく「正解」は導きえないでしょう。「べき論」で括れる内容とも思えません。私含め、相当な極論が出ることもありえます。だから、まずとにかく考えてみるべきなんでしょう。
 本文は、皆様が挙げられた全ての項目に対応しているわけではありません。さりながら、内容はほぼ包括していると思っております。御笑覧のほど。
 なおエル・アルコン様がテーマ毎に投稿を分類しておられますので、この分類に従って筆を進めます。御了承ください。

【責任分担論】
■幹線貨物の維持

TAKA様
★画龍点睛を欠いている問題点は「画竜点睛を欠く」ぐらいの問題ではなく、今の並行在来線問題の「根幹」でしょう。現状のスキームでは国が地域間輸送の内の貨物輸送に関して全く責任を果たしているとは言えません。

→現状のスキームでは、少なくとも、国は地域間幹線系貨物列車を「現状維持」する責任を負っています。しかし、幹線貨物の「グレードアップ」や「恒久維持」に対する責任を負ったわけではありません。
 これを「画龍点睛を欠く」のか、もっと重いことなのか。私は、現実の制約のなかで、よく練り上げたスキームだ、と認識しています。
 それは、なぜこのスキームが組まれたか、という背景についていささか考えてみたからです。確たる情報がないので想像になりますが、ひょっとすると、鉄道貨物が「市場から退出を宣告される」事態が想定されているのではないか。その場合、国が施設を保有していると、過剰な責任を負うことになりかねません。
 もし幹線貨物列車が市場から退出したら(させられたら)、その後の路線維持は地域にまかせるよ、ということなのではないでしょうか。あくまでも想像ですが。
 ただし、幹線貨物の市場退出がないとの前提で考えれば、現スキームが十全でないことは確かです。望ましいスキームに関する認識は、一致していると思います。

■交通税
 まず現在の税体系は、旅行税ほかの間接税を一本化のうえ、消費税に移行している、という経緯を理解する必要があります。この経緯を鑑みれば、新たな間接税を設けることは好ましくありません。
 また、「交通税」という発想そのものは、実はかなり古くからあります。これが今まで実現しなかったのは、課税対象を広げれば広げるほど結果的に内部補助の範囲を拡大してしまうこと、ある鉄道の利用者に課税した財源を他の鉄道に投資することに対する事業者サイドの抵抗感、などを挙げることができます。
 揮発油税においては、ユーザーが走行距離にほぼ比例する税を支払うことにより、道路維持及び整備に資する財源が確保される、という目的税としても道路利用の対価としてもごく素直な体系が構築されています。
 それと比べ、鉄道においては多数の事業者が存在するという現実が、問題を複雑にしているのです。道路に例えるならば、民営の有料高速道路が多数存在し、それらの通行料金にあまねく課税し、並行する国道の維持整備に使う、という状況に近くなります。これが許容されうるかどうか。

 従って、仮にこの種の課税を行うとすれば、それは範囲を限定した地方税とならざるをえません。この点に関しては、TAKA様の考えは正しいです。
 しかし地方税とすると、これは一種の「関所通行料金」のような性格を帯び、利用者の抵抗感はかなり大きいでしょう。だから「課税しない方がよい」というインセンティブが働くわけですが、かような性格を持つ税ならば、別の手法を模索した方がよいように、私には思えます。

■航空との競合

樫通様
 建設コストに見合わぬ低運賃による新規参入者によって空路が駆逐もしくは弱体化されるということが社会全体でどれだけメリットがあるのか、という点に関心があります。

→幹線系の運賃は、一種の「常識的相場」が形成されていて、そう高くも安くもできないと考えています(なお、JRの運賃はローカル系の「常識的相場」と比べ著しく低廉です。だからこそ、運賃体系を分離すべきだと、極論を繰り返し述べているわけですが)。
 社会全体のメリットとは、一義的には利用者便益分析で導きうるはずです。私の記事中では簡略的に鉄道のみに着目していますが、QをXY間の総利用者数、CをXY間の移動にかかる全交通機関を総合した一般化費用と読みかえれば、社会全体に発生するメリットを定量的に計上できます。私がこの検討を出来るかといえば、作業量が多すぎて無理ですが、検証するための手段はあるということです。

利用者便益分析 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/5256/benefit/01.html

 最も重要な点は、航空との競合激化ですが、東北新幹線が青森まで全通しても、航空で撤退があるとすれば東京−三沢便くらいでしょう。
 航空撤退があるならば、利用者にとってより便利な新幹線が機能を代替したことになり、決して悪い事態とは思えません。また航空撤退がないならば、複数の選択肢が温存されるうえ、しかも鉄道の機能が向上するわけですから、航空にとっては競争条件が厳しくなるでしょうが、利用者にとっては望ましい事態といえます。

 なお、もっとも理想的な展開は、新幹線開業後も航空利用者数は横這い、鉄道利用者が急伸して総需要を押し上げる、という状況です。実際にどうなるか、当然ながら私も興味津々であります。

■新幹線の目的外使用

エル・アルコン様
 10km程度の移動においても遠距離交通機関が片手間に賄う余地を残した現状では、地域の交通は地域が責任といっても、事業成立の裏付けとなる利用が尻抜けになってしまいます。

→正直なところ、ここは盲点でした。
 近距離帯で新幹線を使うというのは、いわば「目的外使用」であって、なるべく避けるべき状況であると私は考えます。しかし、現実に駅間は平均的に30km程度、小倉−博多間のように新幹線と在来線とで会社が違う区間もあり、近距離であっても利用者を拾う、というのがJR各社のスタンスでしょう。
 これへの有効な対応策を、私は示すことができません。近距離帯では割高感が伴う運賃料金体系にする、という案しか考えつきません。それにしても、割高感を持たせられるのは50kmくらいまで、100kmくらいの距離帯になると利用者の相当部分が新幹線を志向すると思われるので、どれほど有効か自分でも疑問です。

■新幹線とローカルの線路共有
 新幹線と貨物は、貨物列車の最高速度向上という条件つきながら、線路の共有は可能でしょう。しかし、ローカルとの共有はかなり難しいのではないでしょうか。
 ローカルの表定速度を60km/h(これは最高速度よりむしろ停車駅間隔に規定される)、新幹線の表定速度を180〜240km/h、新幹線の運行間隔スロットを毎時3〜4本と仮定します。この条件では、追抜設備を20〜30km間隔でつくらなければなりません。勿論、設備を用意することは可能です。とはいえ、新幹線列車が不等間隔で運行される場合、または速達型各停型といった複数の表定速度パターンが存在する場合、ローカル列車のダイヤはきつく拘束されてしまいます。走っている時間よりも駅で待避している時間が長い、ということにもなりかねません。

 してみると、エル・アルコン様御提唱の「『新幹線列車』が地域輸送を掛け持ちする」という案が生きそうです。ところが、既に記した表定速度低下抑制の観点から、駅間隔はそう短くはできません。せめて10kmは離す必要があるでしょう。
 この駅間隔は、在来線の機能を代替しうるものとはいえません。どちらかというと拠点間輸送に近い性格を帯びます。
 もしこれで利用者が新幹線に傾くのであれば、それはもはや新幹線による在来線の淘汰といえる現象でしょう。遠近分離ならぬ遠近統合となり、新幹線への一本化という事態が起こります。在来線は新幹線1区間未満の需要のみ担うことになりますから、そこに充分太い需要がなければ、鉄道としての存在意義を失うといわざるをえません。

責任分担論の中で・・・(貨物輸送と交通税について)
 投稿者---TAKA氏(2002/09/22 22:20:44)

 和寒様今晩はTAKAです。私の考えに御意見を頂きまして有り難うございます。今回は対立の討論ではなく、友好的な討論になりそうですね。
 早速御返答の書き込みをさせて頂きます。

■幹線貨物の維持
☆確かに国は貨物輸送に対する維持責任は存在すれども、「グレ−ドアップ」に関しては、責任を負ってはいませんね。東海道線でもそうですが、貨物輸送の能力向上にはJR貨物が国の補助を得つつでも、JR貨物の設備投資にて行われていますから・・・
 しかし「恒久維持」に関しては、有る程度責任を負うべきではないかと考えます。即ち鉄道貨物輸送が、自動車よりも環境に優しく二酸化炭素の排出も少なく安全に自動車より貨物を運べる物であり、大量輸送では船に敵わない物の面的な輸送可能地域と天候等に対する安定性及びスピードで優位に立ち、これを捨てる事は総合的な運輸政策上好ましくないと考えています。
 しかしその様に考える私に取り、「国は鉄道貨物が市場より退出を宣告される事を想定している」という予想は、衝撃的であると考えます。しかし市場原理を重視する私にしてみると否定は出来ません。しかし簡単に退出させる訳には行きません。退出されるとそれが引き起こす将来的損出は環境面等を総合的に考え、貨幣で計る事の出来ない部分で非常に大きいと考えます。
 確かに貨物輸送が市場から退出する事になれば、東北本線等の並行在来線の維持責任は国になくなり地方が負うべき物となります。しかし上記のように鉄道貨物は簡単に捨てるべきではない物は明確で有りますから、もっと並行在来線の貨物問題にも「調整金」という消極的方法ではなく、積極的に関与すべきであったと考えます。

■交通税
☆確かに消費税創設時の事がありますので、間接税としての交通税を復活させる事は問題があるでしょう。此処とは直接関係有りませんが、間接税に関しては基本的に消費税に一本化すべきであり、それ以上に関しては、特定目的税と高級贅沢品に対する特別消費税的税金(これも福祉目的等の目的税化が好ましい)に絞り込み、簡略化した間接税体系にすべきと考えます。
 私の交通税に関しても特定目的(鉄道整備補助とローカル輸送維持)にすべきであると考えます。しかし和寒様の言われるように交通税が事業者の意向や利害関係者の多さ等で困難なのも事実ですし、揮発油税みたいに効率的で平等な負荷の方法がなかなか無いのも事実であり、又民間努力で公共性を維持している民間企業が存在している事も問題を複雑化させています。
 ですから国税としての特定目的税の交通税は、民間努力の阻害・地方間格差(税を払うばかりで恩恵を蒙れない地域が大都市で出てくる可能性が高い)等の問題がある以上なかなか困難でしょう。
 しかし、地方がローカル輸送や設備改善に投資するのに補助を出さざる得ない事も発生するでしょう。その為の財源の選択肢として地方税としての交通税に関しては、検討すべきであると考えます。和寒様の仰有られる「課税したくないインセンティブ」が発生しても良いと考えます。確かに考え方として「関所的通行税」を課する事で利用者が抵抗感を感じそれがその地方への流動を阻害して最終的にその地方の成長を阻害するとの考えも当然発生すると思います。それならば地方が責任を持って地方ローカル輸送に維持と設備投資に当てる財源を探せばいいのですから・・・・基本的には地方分権の考えの下で財源も地方に移譲する、その中で地方の責任たる地方のローカル輸送維持と設備投資の為の財源の選択肢を作る事が大切であると思います。ですから県税程度の地方的大きさで課税するのが上述の意味合いから考えて好ましいと考えます。あくまで選択肢の一つとして・・・

沿線利用者にとっては常にメリットがある
 投稿者---樫通氏(2002/09/23 15:02:34)

★ご教示ありがとうございます。考察がまだ未整理ゆえ、取り急ぎ雑感を記させていただくことでお許しを。

■航空との競合

→幹線系の運賃は、一種の「常識的相場」が形成されていて、そう高くも安くもできないと考えています(なお、JRの運賃はローカル系の「常識的相場」と比べ著しく低廉です。だからこそ、運賃体系を分離すべきだと、極論を繰り返し述べているわけですが)。

★現実には常識的相場による運賃では回収不可能な部分については国家財政からの補填がなされている、もしくはゆくゆく補填がないと立ち行かなくなる、というスキームなのではとの先入観を持っております。

 社会全体のメリットとは、一義的には利用者便益分析で導きうるはずです。私の記事中では簡略的に鉄道のみに着目していますが、QをXY間の総利用者数、CをXY間の移動にかかる全交通機関を総合した一般化費用と読みかえれば、社会全体に発生するメリットを定量的に計上できます。私がこの検討を出来るかといえば、作業量が多すぎて無理ですが、検証するための手段はあるということです。

★ありがとうございます。ただ別の方々も述べられているとおり、鉄道貨物への負荷増大についての考察も必要かと感じます。そしてこちらはさらに難しいと感じます。

 最も重要な点は、航空との競合激化ですが、東北新幹線が青森まで全通しても、航空で撤退があるとすれば東京−三沢便くらいでしょう。
 航空撤退があるならば、利用者にとってより便利な新幹線が機能を代替したことになり、決して悪い事態とは思えません。また航空撤退がないならば、複数の選択肢が温存されるうえ、しかも鉄道の機能が向上するわけですから、航空にとっては競争条件が厳しくなるでしょうが、利用者にとっては望ましい事態といえます。

★上記の考え方は、新規路線建設の際は常に成り立つかと思います。問題は上記が成り立つかどうかではなく、上記メリットの絶対値が、(運賃で回収できない投下財政費用に加え、貨物への負荷増大も含めた)デメリットをどの程度上回るのか、ということかと思います。どのように考えればよいか、というのは、こちらの掲示板に出入りさせていただくようになってからしばしば考えるものの、まったく持って難しいです。

★なお、国鉄再建に際して鉄道貨物が終息すると考えられたと言うのは、真偽はともあれ、当時の貨物輸送状況を考えるにそのような結論を導き出されたとしても不思議は無いなと思ってます。とはいえある程度のまとまった流動の拠点間輸送と、北海道への輸送に関しては、鉄道貨物存続の意義が大きいと考えます。後者に対してわざわざ負荷をかける施策というのは疑問を感じます。

★まとまらず大変失礼しました。

個別レス−−プロジェクトとしての意義
 投稿者---和寒氏(2002/09/26 23:15:33) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 現実には常識的相場による運賃では回収不可能な部分については国家財政からの補填がなされている、もしくはゆくゆく補填がないと立ち行かなくなる、というスキームなのではとの先入観を持っております。

→これについては、誤解というか適切というか。
 国鉄改革以前の国鉄のプロジェクト投資といえば、借入金調達→プロジェクト実行→成功or不成功という流れがあり、これは極めて企業的な形態であって、最悪の場合初期投資をまったく回収できないリスクもあったように思われます。
 ここで整備新幹線のスキームは、JR各社による受益の範囲内での線路使用料負担+国と地域による負担によりプロジェクトが実行されますから、財政的な破綻はありえない形態です(国・地域負担が債券発行による資金調達であるとみなしかたがややこしくなるがとりあえず措きます)。
 この国・地域負担を補填とみなすか否かは見方が分かれるところでしょう。実際に列車を運行しているのはJRですし、広告宣伝上JRも自社プロジェクトとして打ち出す傾きはありますから、そのように認識されるのはしかたないかもしれません。
 しかし、スキームの性質上、また費用負担の重さから考量すれば、整備新幹線プロジェクトを実行する主体はあくまでも国・地域であり、JRはオペレーターとして乗りこむだけにすぎません。主体がどちらに存するかは、線路施設が鉄建公団の保有になるということからも明らかです。
 プロジェクト実行主体が国・地域であれば、補填という概念は成立しえないといえるでしょう。JR各社に負担を求めるのは、プロジェクト実行によるフリーライディングを許容しないという縛りにすぎないと思われます。

 鉄道貨物への負荷増大についての考察も必要かと感じます。そしてこちらはさらに難しいと感じます。

→これについては同意します。
 先の投稿では、幹線貨物の市場からの退場が考慮されている可能性を指摘しましたが、私の考えとしては、恒久維持もしくは更なるグレードアップを考慮してしかるべきだったと思います。八戸開業のスキームは、幹線貨物に対して消極的にすぎるように感じます。

 問題は上記が成り立つかどうかではなく、上記メリットの絶対値が、(運賃で回収できない投下財政費用に加え、貨物への負荷増大も含めた)デメリットをどの程度上回るのか、ということかと思います。

→近頃の国のプロジェクトは、費用対効果に対する見方が喧しい折り、トータルでの便益−不便益がコストに対してどれほどの値になるか、分析検討のうえ、それが良好な数字でなければ、プロジェクトにゴーサインを出せない仕切になっているはずです。
 国土交通省鉄道局のHPを見ると、現在着手中の区間のB/Cは1.4以上ですから、なかなか良好な数字といえそうですが。

国土交通省鉄道局 http://www.mlit.go.jp/tetudo/index.html

 なお、国鉄再建に際して鉄道貨物が終息すると考えられたと言うのは、真偽はともあれ、当時の貨物輸送状況を考えるにそのような結論を導き出されたとしても不思議は無いなと思ってます。とはいえある程度のまとまった流動の拠点間輸送と、北海道への輸送に関しては、鉄道貨物存続の意義が大きいと考えます。後者に対してわざわざ負荷をかける施策というのは疑問を感じます。

→私もそう考えたいところなのですが、青函トンネル開業以後、鉄道貨物が伸び悩んでいることもまた事実であり、どこまで優位性を訴求できるものなのか、いささか悩ましく思っているところです。

それでもローカル・貨物の分離しか道はありえないのか?
 投稿者---かまにし氏(2002/09/23 18:16:07)

和寒様
■新幹線とローカルの線路共有
 してみると、エル・アルコン様御提唱の「『新幹線列車』が地域輸送を掛け持ちする」という案が生きそうです。ところが、既に記した表定速度低下抑制の観点から、駅間隔はそう短くはできません。せめて10kmは離す必要があるでしょう。
 この駅間隔は、在来線の機能を代替しうるものとはいえません。どちらかというと拠点間輸送に近い性格を帯びます。

 私も、エル・アルコン様の「『新幹線列車』が地域輸送を掛け持ちする」という考え方に近いみたいです。鉄道ジャーナル10月号での並行在来線特集でも触れられていた話ですが、長野の通勤圏でもある上田では、しなの鉄道から新幹線への予想以上の逸失が見られるようで、これは新幹線が事実上、地域輸送を掛け持ちしていることを示していると言えます。

 和寒様は、最低10km離れた駅間隔を在来線の機能を代替しうるものではないとおっしゃっていますが、それでも幹線輸送を充実させ、かつ既存の新幹線よりもきめ細かいローカル輸送サービスを両立できることから、その意義はあるのではないかと思います。

 具体的に今回の盛岡〜八戸を例にとって、以下のように考えてみました。

○並行在来線を残す区間 :盛岡〜沼宮内
○貨物・在来線を新幹線に移設する区間 :沼宮内〜八戸

 この時、貨物・在来線を新幹線に移設する区間でも、全ての駅を移設するのではありません。全ての駅を移設すれば、和寒様もおっしゃっていたように表定速度の低下を招き、幹線とローカルの共存はより難しくなるからです。移設するのは、在来線の中でも比較的利用者の多い駅(例えば、特急が停車する一戸・三戸)に絞り、残りの小駅をこれらの駅からコミュニティバスなどでカバーします。

 なお盛岡〜沼宮内に関して並行在来線を残したのは、この区間が盛岡都市圏で一定数の利用が見込めること、一般的に都市圏ということで比較的きめ細かい公共交通サービスが必要とされること(←要検証)、花輪線からのアクセス、の3つの理由からです。

 こうすることで盛岡〜八戸間の新幹線上には、沼宮内・一戸・二戸・三戸の4つの中間駅ができるわけですが、これらの駅には基本的に新幹線列車は停めず、高速化した在来線列車(盛岡〜八戸)のみを止めるようにします。こうすることで、新幹線列車は盛岡〜八戸をノンストップで運行することができ、幹線輸送により特化できるはずです。これらの駅〜東京方面へ行く場合は、盛岡で対面接続という形になります。

 貨物輸送については、沼宮内・八戸に並行在来線から新幹線への連絡線を作り、並行在来線のない沼宮内〜八戸のみを高速走行します。

 もしこれで利用者が新幹線に傾くのであれば、それはもはや新幹線による在来線の淘汰といえる現象でしょう。遠近分離ならぬ遠近統合となり、新幹線への一本化という事態が起こります。在来線は新幹線1区間未満の需要のみ担うことになりますから、そこに充分太い需要がなければ、鉄道としての存在意義を失うといわざるをえません。

 私の問題意識はまさにここにあります。前にも書きましたが、幹線輸送はフィーダー輸送があってこそ成り立つわけですが、並行在来線を分離することは、名目は遠近分離でも結果的には遠近統合で、新幹線の止まらない駅が切られていく、そして公共交通の利便性低下で、ローカル輸送に関しては従来の公共交通利用者も自動車に流れていくような気がするんです(実際にそういう現場を見たわけではないので、本当にそうなのかは定かではありませんが・・・)。

 ちなみに以前、京急線の品川〜京急蒲田間の複々線代替案として、中間駅の機能をバスに代替させ、拠点駅で幹線と接続させるという案を出したと思います。今回の案は、まさにその考え方に基づいているんです。

京急・品川〜京急蒲田間の普通を基幹バス化できる? log062.html

 それでもやはり、ローカルとの共存は難しいことなんでしょうか?
 ではでは。

Re:それでもローカル・貨物の分離しか道はありえないのか?
 投稿者---とも氏(2002/09/23 23:13:48) http://town-m.vop.jp/

 ともです。

 新幹線はやはり本来は中長距離輸送を受け持つのが筋ですよね。
 とはいえ、日本の都市構造や国土形成状況からすると、アメリカ以上の低密度開発ですから、都市近郊が連坦し実質的に都市圏相互がラップする構造になります。
 その上で考えれば今の新幹線の駅間が短いのか、さもなくば都市圏輸送として並行在来線が弱いといわざるを得ないのかと感じます。
 上田など典型で、終日の運行間隔などを総合的に考えても在来線に優位性は考えられるものの、朝ラッシュの運行間隔などに課題が残るほか、新幹線に比べ混雑が激しいという根本的な問題があります。サービス水準がそれ相応にならなくては新幹線・在来線の前に利用されないということではないかと。

 新幹線や幹線交通のフィーダー輸送は必要不可欠なものとはいえません。
 端末から直に幹線交通でも構わないのです。幹線交通拠点まで自動車なりバスなりで動ければよい。なにも軌道の必要は無いのです。
 交通弱者対策と新幹線問題は切り離さなくてはならない。レベルが違いすぎます。
 自動車輸送の増加は仮に新幹線級の線路にローカルが走ったとしても同じことです。駅が不便な場所になれば同じです。
 であれば、逆に並行在来線を都市内や地域内輸送に特化させればよいのであって、それを無理に結びつける必要はないでしょう。

 なんだかまとまりませんが。
 ではでは

個別レス−−在来線の機能
 投稿者---和寒氏(2002/09/25 08:30:29) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 和寒です。近頃あまり時間がとれないので、個別に短くレスしていきます。それにしても、皆様が挙げられた全ての事柄をカバーできるかどうか。
 まずはかまにし様から。

 和寒様は、最低10km離れた駅間隔を在来線の機能を代替しうるものではないとおっしゃっていますが、それでも幹線輸送を充実させ、かつ既存の新幹線よりもきめ細かいローカル輸送サービスを両立できることから、その意義はあるのではないかと思います。

→この点に関しては補足が必要ですね。
 だいぶ前のことですが、私は東北本線を普通列車のみで北上したことがあります。そこで強い印象が残っているのは、特に黒磯以北においては、郡山・福島・一ノ関など拠点駅及び仙台都市圏を除き、中間駅での乗降が極めて少ないということでした。郡山→福島間の列車などは、郡山乗車の七割方以上が乗り通したように記憶しています。
 こうなると、列車の性格としては、途中駅に停車はするけれど、郡山→福島直行に近いかたちになるわけです。

 で、駅間隔が10km程度以上の新幹線が在来線の機能を充分に代替できるならば、それは途中駅での乗降が極めて少ないことを示す現象となります。そうなると、在来線を存続する意義があるかどうか、疑わしいといわざるをえない。
 だから在来線の淘汰という、きつい言葉を使ったわけです。

→従って、かまにし様の御提案は、新幹線による在来線の機能代替を前提したものとなります。旅客に限っていえば、在来線列車である必要はなく、新幹線車両を使ってもいいのです。というよりも、その方が自然でしょう(貨物が存在するので話はもっと複雑だがとりあえず措きます)。

 これは新幹線とローカルの共存の難しさ、という事例にはならないでしょう。在来線の機能が、短区間の需要を担っていたというよりも、専ら拠点駅間を通しで乗る利用者を運んでいたということならば、むしろ積極的に新幹線に機能代替させた方がいいのかもしれません。

▽ 以下次ページ

2004.11.06 Update


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