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【検証:近未来交通地図】<道往かば〜高速道研究>
(過去ログ-道路公団民営化編-No.502)
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道路4公団分割民営化〜法衣の下のなんとやら〜
 投稿者---エル・アルコン氏(2001/08/26 02:58:37)
 http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs
─「サンプロ」での大臣所感など
 └Re:「サンプロ」での大臣所感など
 └分割は不要
  └Re:JRに見る分割の効用
   └私も、分割には反対ですね(むしろ、合併民営化が良いのでは)
    └書き忘れました
Re:道路4公団分割民営化〜法衣の下のなんとやら〜
 └公益の対価と究極の夜警国家
  └Re:公益の対価と究極の夜警国家その1
道路4公団分割民営化って...

 8月22日に「行革断行審議会」が道路公団など関係4公団を分割民営化するという具体案をまとめたことが報道されました。これは設備資産と債務を管理する道路保有機構と、地域別に分割された運営会社(素案では5つ)にわけ、運営会社を民営化するというプランです。
新規事業は必要性を吟味厳選して直轄事業化するので、審議会の試算では、民営化後30年くらいで債務の償還が可能になるそうです。今でも本四公団以外はキャッシュフローが黒字なので、新規の借金が無くなれば順調に返済できますし、旧国鉄スキーム失敗に鑑み、フロー収益の算入をベースにしているのも現実味があります。

 もちろん償還後も運営コストがかかりますが、微々たるもので、従前のような通行料を取ることはまず無いでしょう。
 24日のニュースステーションで、作家で政府税制調査会委員の猪瀬直樹氏が、「将来はタダになる」といい、「分割民営化で東北道と常磐道が競争する」という発言がありました。
 放送では「将来は新規参入も」という話もあり、民営有料道路の例として藤田観光が経営する芦ノ湖スカイラインが出てました。

***
 この議論でいつも不思議なのは、債務の大きさだけを主張して、見合いの返済原資収入の大きさを無視してきたこと。
 そしてそれが論駁されると、道路資産の非償却を理由に資産勘定を洗い替えれば資産が激減して債務超過になると言ってきていることで(本当は減価償却をしない代りに負債勘定に積んでいる償還準備金勘定を同時に落とさないとバランスが取れないんですが)、なんとしてでも公団の経営が破綻していると言いたい向きがあることです。

 で、彼らの理論も「だから公団は解体して」とまでは整合しているのですが、なぜ「民営化」なんでしょうか。
 有利子負債が巨額で、債務超過であるのなら、民間なら格付は投資不適格で経営破綻まっしぐらという状況を一方で主張し、それを民営化するというのは矛盾そのものです。

 そして債務完済後は「タダになる」のであれば、運営会社の収入が無くなることを意味するので、その時点で保有機構同様解散するしかありません。維持費用程度への値下げでも、主要高速道の営業係数が10から20台という現状から推測すると、現在の通行料の5〜10%程度への値下げ(=90〜95%の値下げ)になるはずで、これでは経営破綻は必至です。

 それなのに「民間会社」にしたがり、あまつさえ「新規参入」とはこれ如何に、です。
 この理論で整合性が取れる結論は実は、
   「債務返済の完了後も通行料を現行水準で徴収」
   「債務を切り離すことにより莫大な収益が期待」
   「投資対象、もしくは事業対象として非常に魅力的」

ということしか考えられません。

 さらに、債務返済に要する期間においても、民間会社であれば、投資家へのリターンを確保できる収益を上げる必要があるため、その分を増収する必要に迫られます。
 公団が民間と同レベルの効率性と運営能力を達成したと仮定すると(この可能性と努力目標を無視ないし否定するのは実に不思議)、配当原資分の値上げか、返済額の減少(=完済までの期間延長)となるのです。

***
 競争にしても、東北道と常磐道の利用者は、それぞれ目的を持って利用しており、それに適したルートを選択しているに過ぎません。
 道路の規格が法律で決まっており、ハード面での差異は付けようがありません。ITS化の進捗度合いで差がつくかも知れませんが、利用者サイドの導入(これはETCも同じ)がキーです。

 民間経営の事例にしても、東急の箱根ターンパイクはバイパス路として有効ですが経営面ではかなり厳しいように、道路事業(と関連事業〜大観山ドライブウェイ〜)で帳尻を合わすのは難しいようです。
 藤田の芦ノ湖の場合、道路事業だけで何とか黒字とのことですが、民間のメリットを謳う場面で小湧園のユネッサを出すのは付会牽強も極まれりです。
 芦ノ湖西岸と小湧園が相関関係にあるなら、同じグループの目白の椿山荘も取り上げれば、といいたくなります。

***
 かつて西武(国土計画)は、その小湧園から早雲山、湖尻を経て箱根町から十国峠への有料道路を所有していました。有名な箱根の「東西戦争」のおり、正式に免許を取って運行していたライバル箱根登山鉄道(小田急〜東急系)の定期バスをある日料金所で追い返したくらい大事にしていた収益源ですが、ある時期、(真意は薮の中だが)公益を理由に突然神奈川県に譲渡し、一般道になりました。

 それから幾星霜、利用者と納税者を出汁にして、どうも別の目的が見え隠れする民営化論が出てきました。
 あまり政治的思惑と見られかねない発現はしたくないのですが、どうもこれに限らず各種の公的セクター撤退論は、その結果における受益者に、国民以外の存在が見え隠れすることで整合性が取れることに重大な疑義を感じるのです。

 なお、減価償却については、もともと道路は償却資産でないこともあり、土地同様価値の減少が認められないこともあり、当てはめること自体がナンセンスという意見もあります。
 よしんば償却資産と見なした場合、損益計算時に償却を考慮していないという話があり、考慮すると利益が大幅に圧縮されるという批判があります。しかし、減価償却費は投資キャッシュフロー上は自己資金になりますので、設備投資の原資になるか、償還・返済に回ります。つまり、CF上は結局償還準備金繰り入れになる(返済が進んでいる)ことでは変わりはないのです。

「サンプロ」での大臣所感など
 投稿者---エル・アルコン氏(2001/08/27 01:03:30) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 さて、Nステと同じANN系(当地ではABC)で26日に放映されたサンデープロジェクトでは、扇千景国土交通大臣を迎えて道路4公団の分割民営化について直撃していました。

 現行の9300km余の整備計画はまずありきで、それ以上は厳選する。そして民営化は推進するが分割は反対というのが大臣個人の考えで、9月初めに国土交通省から出てくる素案もそれを敷衍したものになりそうです。

 さて、ここで問題視したいのは、田原キャスターが掲げたフリップに「償還後も通行料金は徴収」とあったことです。同じ放送局で1日前に放映された報道番組と矛盾しています。これは公団改革に国民が期待する部分の最たるものであり、この大前提が怪しいことは論外です。わざと曖昧にしたり、誤解を招くようにして、はじめにありきの「分割民営化」の結論をどさくさに紛れて通そうという下心があるのではという邪推すらなりたちます。

 なお、余談ですが、本四架橋の苦戦について、大臣が、橋を渡った先に何があります? (橋だけ作って整備してないから)何も無いでしょ、と斬って捨ててましたが、その時にアクアラインも一緒に斬られてました。
 木更津の実態を知ってるだけに、この言われようには反論の余地が無く、それをいっちゃあおしまいよ、てなところでした。

***
 「競争」ですが、同一箇所で同種のサービスがあって初めて成立するものであり、違う場所では競争とはいえません。
 最たる例として、SA、PAの「競争」があり、道路施設協会の独占を改め、J-SAPAとハロースクウェアの2社で「競争」させ、良くなったと当事者は自賛しています。
 しかし、実際は利用者にとってその「競争」ははっきり言って無意味です。

 「ハロースクウェアは嫌だから海老名SAに入らずJ-SAPAの足柄SAまで走り通す」なんて利用の仕方をしている人はいません。逆に複数業者化によってサービス内容に差異が出るほうが困るのです。つまり、利用するSA、PAは業者ではなく行程によって決まります。特に居住地から出て最初に入るSA、PAはほぼ固定化されており、サービスの優劣で変更するようなものではないのです。

 実は2社体制になった当初、サービス内容に差が出たことがあります。小さな話ですが、SAで配布されるルートマップのSA、PA案内が各社自社優先の記載になったのです。
 そんなもの、同一社の施設だけを利用する訳ではないのですから、他社施設のサービス内容が今一つ判らないのは大迷惑です。幸い今ではほぼ同体裁になっていますが、無意味な「競争」は独占よりたちが悪いのです。

 先にNステで猪瀬直樹氏がいみじくも語った東北道と常磐道の「競争」ですが、確かに郡山以遠の東北道や磐越道と首都圏では両者を天秤に掛けることがあります。
 しかし、それは天候や走りやすさ、渋滞といった状況に応じて決定するものです。

 例えば東北道で福島付近を走行中、「他社」である常磐道の情報が適切に提供されるのか、営業施策として東北道に誘導するようなことはないのか(本来ドライバーの自己責任に属する部分だが、状況情報提供以上の営業的な誘導があった場合、事故時や渋滞による損失に対する責任という新しい「責任」を創設する必要がある)、懸念材料は山積です。

Re:「サンプロ」での大臣所感など
 投稿者---brother-t氏(2001/08/27 02:12:01) http://members.jcom.home.ne.jp/brother/index.htm

 エル・アルコンさんこんばんは。

 まず道路整備の必要性に関してなのですが、個人的に感じるのは必要かどうかを考える時に客観的な基準が無いような気がします。と言うのは鉄道の新線を作る時だったら、都市鉄道であるならば混雑率、新幹線だったらその路線の在来線特急の本数などまがりなりにも数字と言う形にして比較すると言う手法がまがりなりにも可能なのですが、道路の場合僕が調べてないだけなのかもしれませんがこう言った情報ではたから必要性が判断しづらい面があると思います。

 結局最終的に通行料金の徴収その物は無くならないと判断した方がいいと思います。と言うよりも無くなる無くならないと言う2つの基準で考える事の方が間違いでは無かろうかと思います。

 「競争」ですが、同一箇所で同種のサービスがあって初めて成立するものであり、違う場所では競争とはいえません。最たる例として、SA、PAの「競争」があり、道路施設協会の独占を改め、J-SAPAとハロースクウェアの2社で「競争」させ、良くなったと当事者は自賛しています。しかし、実際は利用者にとってその「競争」ははっきり言って無意味です。

 確かに会社名でどこのSAを利用すると言うのは考えづらいと思います。とは言え「あそこのSAのトイレにはベビーベッドがあるから赤ん坊のオムツ交換のために…」(まぁ今でもあるのかもしれませんが)であったり、「あそこのSAには吉野家があってメシ代が安く上がるから」であったりとサービスの幅が広がればそれはそれで意味があると思うのですがどうでしょうか?

 実は2社体制になった当初、サービス内容に差が出たことがあります。小さな話ですが、SAで配布されるルートマップのSA、PA案内が各社自社優先の記載になったのです。

 とは言えやはりこう言った形のデメリットが出るかもしれないので、もし「競争」を導入するのならこう言ったデメリットを最小限にするような工夫が必要だと思います。闇雲に「競争すれば良くなる」とばかりになんでも民営化・競争と言うのは確かに意味がないですね。

 「競争」を導入する時にはやはり公正・公平・情報公開は大前提にして考えないと行けない点ですね。確かに最初に書かれていたようにまず始めに〜ありきと言うのはまず根本の目的と言うのが道路の運営を効率化して社会全体で負担を減らして効果を増やしていく事と考える限り、あくまで民営化は1手段に過ぎない訳ですから。
 とは言え現状での今一つわかりづらい情報が少なくとも決算に関してはBS,PL,CFと言う民間企業の枠組となり一定の形で保障される事(今が保障されてないとは思わないが分かりづらい)、また建設に関しても今までとは違った意味で採算性にさらされる事を考えると民営化のメリットも大きいと思います。
 果してどうなって行くのでしょうか、注目したい所です

分割は不要
 投稿者---矢切氏(2001/08/27 15:45:40)

 エル・アルコンさんの意見に賛成です。

 とくに分割案には反対します。JRの例を見ても、分割による競争によって良くなったとはとても思えません。(それどころかJRになって改善されたと思われがちな多くの点は国鉄末期からの改善ですし、民営化のデメリット(株主優先乗客不在)がこれから出てくる恐れもあります)

 石原大臣の下の審議会の案よりは扇大臣の意見を実現してほしいです。

Re:JRに見る分割の効用
 投稿者---brother-t氏(2001/08/29 00:20:50) http://members.jcom.home.ne.jp/brother/index.htm

 とくに分割案には反対します。JRの例を見ても、分割による競争によって良くなったとはとても思えません。(それどころかJRになって改善されたと思われがちな多くの点は国鉄末期からの改善ですし、民営化のデメリット(株主優先乗客不在)がこれから出てくる恐れもあります)

 う〜ん、これはJR東日本のことを言ってるのでしょうか?だとしたら逆説的にこれはそのまんま分割のメリットを語っていると思います。東京を離れて考えて見れば大阪や名古屋の新快速は有名な話ですし、一時期不景気な日本の中で福岡が「元気都市」と持ち上げられていた背景(メインは各種商業開発だが)には、JR九州の特急強化策(とそれに対抗する西鉄の高速バス強化策)があったと言うのは、東京 一極集中の呪縛から離れた事での活性化の結果ととれないでしょうか?そして逆に東日本が株主重視乗客無視と言うのは逆に首都圏と言う中枢地区にいる人間がいかに富の源泉である本業を無視して別の視点(極端に言えば鉄道の話を全くしないJRの説明会に象徴される)で運営を行っていたかが分かります。逆にこの呪縛から地方が離れる事で確かに首都圏はよくならないかもしれませんが首都圏外と言う日本の大半が良くなると言う点でむしろ歓迎すべき所ではないでしょうか?

私も、分割には反対ですね(むしろ、合併民営化が良いのでは)
 投稿者---(仮)奈良環状LRT氏(2001/08/31 01:20:51)

 (仮)奈良環状LRTです ご無沙汰致しております。

 私も分割民営化には反対ですね。
 分割すれば、天下りの巣になる事は明白ですし、道路の所有権を新会社に移行しなければ、固定資産税が取れませんので、地方自治体の支持が得られるとは全く考える事が出来ません。
 むしろ、全ての道路系の公団を合併した上で完全民営化するのが得策と思います。

書き忘れました
 投稿者---(仮)奈良環状LRT氏(2001/09/02 00:35:53)

(仮)奈良環状LRTです 書き忘れました。

 株が上場されてしまえば、採算性無視の道路建設は株主代表訴訟の存在により全く不可能になります。
 完全民営化時の、固定資産税の納税義務と合わせて、これは極めて効果的なオプションです

Re:道路4公団分割民営化〜法衣の下のなんとやら〜
 投稿者---brother-t氏(2001/08/28 16:33:08) http://members.jcom.home.ne.jp/brother/index.htm

 新規事業は必要性を吟味厳選して直轄事業化するので、審議会の試算では、民営化後30年くらいで債務の償還が可能になるそうです。今でも本四公団以外はキャッシュフローが黒字なので、新規の借金が無くなれば順調に返済できますし、旧国鉄スキーム失敗に鑑み、フロー収益の算入をベースにしているのも現実味があります。

 正直な所これで「国鉄民営化の時より進歩している」と考えてたとしたら厳しい気がします。少なくとも国鉄の営業係数と言うのはもともと間接費を含まないCF比率ともとれる訳ですし、そして営業CFが黒字だとしても黒字が利払い分を下回って行けば結局借金が減らないので結局逆に「現実的」と感じさせしまう所に逆に危惧を感じます。

 この議論でいつも不思議なのは、債務の大きさだけを主張して、見合いの返済原資収入の大きさを無視してきたこと。そしてそれが論駁されると、道路資産の非償却を理由に資産勘定を洗い替えれば資産が激減して債務超過になると言ってきていることで(本当は減価償却費の代わりに積み立てている資金を引当金勘定として資産勘定に計上しないとバランスが取れないんですが)、なんとしてでも公団の経営が破綻していると言いたい向きがあることです。

 確かに最近のマスコミのひどさはものすごいと感じるのですが、ただ債務の大きさを重視するのは悪い事では無いと思います。結局営業係数ではBSが語る事が出来ない事を考えると確実にわかる債務の額で行くのは確実な安全策だと思います。とは言えPLとBSとCFを試作して検証するくらいして断言はして欲しいものですが…

 で、彼らの理論も「だから公団は解体して」とまでは整合しているのですが、なぜ「民営化」なんでしょうか。有利子負債が巨額で、債務超過であるのなら、民間なら格付は投資不適格で経営破綻まっしぐらという状況を一方で主張し、それを民営化するというのは矛盾そのものです。

 基本的に巨額債務は引き離してと言うことなのでしょう、逆にこれを語ってないと言うのは前提条件は自明と判断したからなのでしょう。ただ前提条件をはっきりさせないシミュレーションと言うのは大学のレポートでも通らないのは言うまでもありませんが…。

 そして債務完済後は「タダになる」のであれば、運営会社の収入が無くなることを意味するので、その時点で保有機構同様解散するしかありません。維持費用程度への値下げでも、主要高速道の営業係数が10から20台という現状から推測すると、現在の通行料の5〜10%程度への値下げ(=90〜95%の値下げ)になるはずで、これでは経営破綻は必至です。それなのに「民間会社」にしたがり、あまつさえ「新規参入」とはこれ如何に、です。

 確かにそうなのですが、根本的に高速道の無料化は絵にかいた餅だからと言う前提で見ると分からないではないです。とは言え仮に上場されて株を保有すれば少なくとも株主としての権利で直接高速道路への不満を言うことが出来ると言うのは現状のとても複雑な意志決定過程よりは大きく魅力的に映るのは確かです。

 公団が民間と同レベルの効率性と言うのは根本的に不可能では無かろうかと思います。結局公団が公団である限り公共性と言う制約から逃れるのは不可能ですし、また国が絡む事による意志決定の複雑性から逃れる事も不可能でしょう。結局「無駄も公共の福祉」となってしまうと思います(ただ必ずしもそれを否定する気は無いですが)。そして投資家へのリターンに関しても、まず当初は結果的に債務を引き取るであろう国へのリターンであり、それほど問題点は無いと思います。

 競合に関しても確かにおっしゃる事は分かりますが、それでも京阪神間や京浜・横須賀間の鉄道などではやはり間接的な部分も多いですが競争が起きていることで改善された事例は多いと思います。

 あまり政治的思惑と見られかねない発現はしたくないのですが、どうもこれに限らず各種の公的セクター撤退論は、その結果における受益者に、国民以外の存在が見え隠れすることで整合性が取れることに重大な疑義を感じるのです。

 そこまで複雑な物ではないと思います。というより単に手段先にありきと言うより救い様の無い理屈だけではないでしょうか、きっと今の十代に木鐸の意味を聞いたら「煽りに関係する物」、痩せたソクラテスは「悪い事がばれないために画期的な方法でダイエットした人」と捉えられてるのかなと言う意味合いの救いの無さですが…

公益の対価と究極の夜警国家
 投稿者---エル・アルコン氏(2001/09/10 21:19:16) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 青春18の使い残しを消化するため、高松に行ってきました。上の子を連れていくことが条件だったので、ほとんど身動きが取れず、単純往復に終わってしまったばかりか、暑くて歩くのを愚図られたせいで、サンポートすらロクに見れませんでした。

本四架橋  さて、JR利用ですから往復とも瀬戸大橋を渡りました。ルート全体の長さではしまなみ海道、単体の長さでは明石海峡大橋に譲りますが、鷲羽山から番の州までの一連の橋梁群の迫力は他を圧するものがあります。今年の2月にNHKの「プロジェクトX」で瀬戸大橋に賭けた人生のドラマが放映されていましたが、確かに永遠の金字塔といえる構造物です。

 さて、そうした苦難の歴史の末に完成した本四架橋ですが、経済効果となると本四公団の惨状を挙げるまでも無い状況は周知の事実です。
 ではこのプロジェクトは無駄だったのか。足下の議論は総てを「収支」で図ることにより、各プロジェクトの意義を忘れている気がします。
 本四架橋の場合、3本も必要かという議論がありますが、では1本だけであとは従前通り海路に任せてよかったかというと、必ずしもそうはいえない部分があります。
 海路と架橋の比較で、運賃と通行料を単純比較する議論が多く、だから架橋は無駄という単純な結論をよく見ます。しかし、架橋の最大の意義は、天候等に左右されにくい通行路の確保と、往々にして主要航路を横断する航路の立体交差化にあることを軽視しすぎては無いでしょうか。

 本四架橋が昭和30年の紫雲丸事故、青函トンネルが昭和29年の洞爺丸事故を契機に具体化したことはあまりにも有名ですが、両者とも悪天候(前者は濃霧、後者は台風)の出来事であり、前者は輻輳・複雑化する航路が招いた衝突事故です。
 また先日の台風や今回の台風でもそうでしたが、指呼の間に望む海峡であっても、ひとたび荒れれば海路は呆気なく欠航となり、文字通りの「孤島」になるのです。
 今回の道路関係4公団の「解体」案でも、有料道路の建設を一切凍結するという話は出ていても、あらゆる道路自体の建設はさすがに凍結するという話は出ていません。それどころか、厳選するというエクスキューズをつけてはいますが、公共事業としての施工、つまり国や地交体への肩代わりを前提にしているのです。
(その部分においしいトコどりのえげつなさが潜んでいる。道路建設・設備投資という「汚れ仕事」を抜きに商売ができるのだったらこれほど楽なことは無い。それと、各方面が例に挙げるが、それしか例が無いともいえるイタリアの民営高速道路会社も、うまく行ってる影には、実は道路の建設をまだしていないという落とし穴がある)

 結局「語るに落ちた」を地で行くのがこの部分です。
 道路の公益性を前提にしないとこのような議論はできません。ところが同時に道路の収益性を問題視することは自家撞着の気配がします。採算が合うのに限って建設するのなら建設・運営の一貫を図れば良いのであり、それを言わないことは採算が合わない道路の必要性があるという部分を認めているのです。
 本四架橋のような、明らかに四国の「孤島」回避という公益を重視すべきケースを槍玉に挙げて不採算を問うのはどうでしょうか。公共事業で建設すべき道路があるという議論であれば、本四架橋の残債は国費で引き取り、一般国道28、30、317号線として無料で通行させて国民の利益に還元するという議論が正当でしょう。

 以前、高速通信回線の全国普及によりどこでも東京のように情報を入手し、と薔薇色の夢を説いたその口で、離島への通信回線が多重系になっているのは勿体無いと述べて馬脚を現した高名な評論家がいましたが、地形から来る格差はある程度(で済まないレベルであると考えるが)止む無しと正直にいうのでしょうか。その時点で決定的な一極集中の潮流が生まれますが、どこかの国のように、首都(や都市中心街)に住むには資格が必要というような、都市生活者とそれ以外という「身分格差」だってあながち冗談では無くなります。

 そして看過できないのは、大都市圏の都市高速や環状高速のように、まさに都市のグランドデザインにかかわるような高速・有料道路すら凍結すべきという教条主義的な発言が見られることです。総ての事業、なかんずく公共事業においても収益をあげないといけないと考えているのであれば、それはその人の考えレベルにとどめて欲しいものです。
 治安や国防部門でもPFIが導入されるご時世、総ての公共サービスは営利事業として対価を徴収し、そして(国内に限らない投資家層による)投資の対象であるという、究極の夜警国家、いや、夜警すらしないのですから「国家」の定義を問うような事態を目標にしているのでしょうか。

***
 国家が巨額の売却益を得て、投資家は負債を切り離した優良投資先を確保する。そして営業CFに不安があればおそらく補助・補填金が出るでしょう。
 通行料はおそらく下がらず(羊頭狗肉のような「値下げ」は出るでしょうが...)、国民の利益になるのかは定かではありません。
 公共・公益事業で、民営化され、自由競争が導入されたはずの通信業界で、確かにトータルの通信料は下がっているが各社消耗戦の迷路に入りこみ、将来的に公共事業としての体力の維持への不安を惹起させたり、「マイライン」の判りづらくペテンすれすれの「割引」広告の横行のような事態を見ると、国民の利益になったか検証が必要です。

 また株主への配当をして、法人税を払うというプロセスから考えると、費用項目が却って増えているのも怪しいところです。そして何よりも懸念するのは、道路という鉄道の比ではない公器の運営に対して、国や地交体という「公」と利用者である国民がどこまで関与できるかということです。
 「未完の国鉄改革」でJRCの葛西社長が披瀝している、IRロードショウの席での換算線区切り捨てを推奨された話ではないですが、純民間会社であれば、経営が向くべき方向はただ一つと言うことを忘れてはいけません。

Re:公益の対価と究極の夜警国家
 投稿者---brother-t氏(2001/09/11 14:46:41) http://members.jcom.home.ne.jp/brother/index.htm

 青春18の使い残しを消化するため、高松に行ってきました。上の子を連れていくことが条件だったので、ほとんど身動きが取れず、単純往復に終わってしまったばかりか、暑くて歩くのを愚図られたせいで、サンポートすらロクに見れませんでした。

 家族サービスも大変そうですね。

 さて、そうした苦難の歴史の末に完成した本四架橋ですが、経済効果となると本四公団の惨状を挙げるまでも無い状況は周知の事実です。ではこのプロジェクトは無駄だったのか。足下の議論は総てを「収支」で図ることにより、各プロジェクトの意義を忘れている気がします。

 「収支」で見る事で「近似」は出来るのですがあくまで「近似」ですからねぇ、アクアラインもそうなのですが、逆にこう言った道路を一般国道として無料開放して置いた方が良かったかなと思います。もはや受益者負担と言う美名に隠れた関銭という時代では無く(このやり方が定着した田中元首相の娘がもはや元首相が首相になった年齢を過ぎている)、「地域価値の向上を目指した投資」と言う公共投資の原点に戻る時期にきたと思います。話は大幅にずれますが、道路特定財源は廃止して自動車関係の各税金は整理の上一般財源として、その分消費税を廃止する(と言うのはこう言った税金には逆累進性があるから消費税の代わりは充分勤まるし、単に消費を抑制して経済活力の低下を招く消費税に比べて交通の効率化と言うインセンティブが働くので)、その上で交通整備は一般財源から必要性を徹底的に論議して財源を確保していくのが筋のような気がします。

 架橋の最大の意義は、天候等に左右されにくい通行路の確保と、往々にして主要航路を横断する航路の立体交差化にあることを軽視しすぎては無いでしょうか。

 とは言え、こと人的交通に関しては航空の比重が高まり、天候に左右されない交通と言うのなら3本の架橋よりも1本のトンネルの方が効果があると思います。そして何よりも利用率が低いならまずはルートを増やすのではなく、道路で言えば通行料の値下げ、鉄道で言えば宇野線の複線化と言う形で流れの集約を先に行っておいた方が良かったのではと思います。

 今回の道路関係4公団の「解体」案でも、有料道路の建設を一切凍結するという話は出ていても、あらゆる道路自体の建設はさすがに凍結するという話は出ていません。それどころか、厳選するというエクスキューズをつけてはいますが、公共事業としての施工、つまり国や地交体への肩代わりを前提にしているのです。結局「語るに落ちた」を地で行くのがこの部分です。道路の公益性を前提にしないとこのような議論はできません。ところが同時に道路の収益性を問題視することは自家撞着の気配がします。採算が合うのに限って建設するのなら建設・運営の一貫を図れば良いのであり、それを言わないことは採算が合わない道路の必要性があるという部分を認めているのです。

 あくまで料金がかからず歩行による通行が許される道路と言うのが全ての交通の基本としてそこを通る事で基本的に私有地以外の全ての場所に到達出きると言う基本ラインで考えて行けばあくまで有料道路は+αでその点で考えれば「語るに落ちた」という事は無いと思います。ただ本四架橋に関しては一般国道として無料通行にする配慮は必要だと思います。

 結局「論議無し、批判無し、思想無し」という事なんでしょうね、結局何を目指すかと言う思想が無く極端に言ってしまえばマスコミや4権にぶら下がるインテリ連中には「おれは正しい、おまえのやってることは間違ってる、だから俺に従え」とばかりに他者に有無を言わせず否定しかしないからとにかくプランであったり議論だったりのレベルが上がって行かない、そしてプランを作る側にしてみたらそんな否定勢力がほとんどだから、仮にしっかりとした理由で何かに反対する人達に対しても「代替案(=もっと正しい案)を出せ」と実質相手にしないと言う悪循環しか生まれない。結局その解決には透明性のある情報公開、そして民主的な手続きによる意志決定(しかし何故マスコミはどう考えても複雑で公平でも有権者を納得させてない選挙制度をほっておくのだろうか?)そしてそれをサポートする真に有能な人材(インテリゲンチャ)の育成(出来る人材は…いないだろうなぁ)が必要だと思います(思わずブルハ的論調になってしまいましたが)。

 確かになんでもかんでも民営化と言うのはまず問題の原点を考えてその解決案と言うCheckーActionと言う問題解決のいろはを無視して、目の前に民営化と言うぱっと見よさげでカタルシスに浸れる物があったから飛びついたと言うまさに「思考を放棄」した考えだと思います。まずこれらの問題点は何が問題で、そして周りの状況はどうで、その上でどういった理由とどう言ったやり方で問題解決していくかといった意志決定の過程が不透明かつ捻じ曲げられていてその結果に関してもしっかり公表されず(伝わらず)、金(税金・利用料金)だけ払わされて、中身は知らされずかつ中身にはぱっと見無駄が多かったり、筋の通らない事に使われていたりする(様に見える)と言う点でしょう。その解決のためには国家の利益と言うよりも納得出来る意思決定(そのためには自分も参加したと思えることが手っ取り速い)が必要だと思います

道路4公団分割民営化って...
 投稿者---とも氏(2001/09/03 01:13:51)

 ともです。
 このネタに関してはいろいろ書きたいことはあるのですが、要点だけ。

 まず、そもそも政策的に必要があって造った4公団を廃止するからには当然政策転換を行うはずであるのに、そのへんがクリアになっていないなかで、道路4公団の民営化だけが先行しているのがどうも理解できません。
 道路が不要である(今後一切)ということに対する国民のコンセンサスが本当に得られているのか(マスコミの論調がそのまま国民世論では無い)という点すらあいまいなままでこんな議論をしても、結果は見えています。さらに、民営化で競争というのはサービスを提供するにも最低限程度のサービスになってしまう道路というものに対して本当に適切と言えるのか、例えばSA,PAは民間に完全に開放するが、公物管理まで民間にまかせるべきなのかという議論すらあいまいなままです。

 道路4公団の合併には反対しません。ただ、それを単純に民営化は意味がありません。特殊会社が1社増えるだけです。固定資産税課税もそもそも本当に公共交通施設に行うことが適切なのか(これは鉄道にも言えることなのですが)ということもありますし、そういった面を無視した単純な論調はちょっとあきれてしまいます。

 まずは、道路はいらない(=未来永劫一切整備しない)という国民のコンセンサスを本当に得られるのか、そこから始めるべきでしょう。
 自分のところには必要だけど、他人のところには不要という地域エゴ丸出しの議論がまかり通るようではこんな改革は無駄に終わります。(JR化時の四国や北海道の切り捨て論と同じです)

 ではでは

誰が為に道はある?(2001年版)
 投稿者---551planning(2001/11/10 16:08:14)
─道路は何のために作るのか
 └税金というパイのわけ方
  └ビジョン無き改革では
   └今や道路が地方発展の必要条件ではないし、十分条件でもない
    └あまり得意なネタではないのですが??

 静岡県内の東名高速を走っていると、北側の小高い丘陵部で高架橋の建設が進んでいるのを多くの箇所で見掛けることができる…。
 11/8付朝日新聞朝刊1面トップで「第2東名 一時休止案」とのタイトルが踊った。小泉内閣が進める構造改革における高速道路整備計画見直しにおいて、「国の関与が残る組織形態で、できるだけ多くの道路建設ができる」民営化(朝日記事より)を図ろうとする国土交通省と自民党道路族議員が示した「玉虫色」の案である。第2東名を見せ球とし、公団組織を保有機能の独立行政法人と運営・建設の複数の特殊会社分割を押してゆくのだという。

 個人的には、JH他道路系4公団の民営化と、不採算高速道路整備の凍結は必ずセットとなって語られなければならないものなのだろうかというのが素朴な疑問だ。確かにこの財政状況下にあって、高速道路整備計画の100%完工を急ぐ必要もなかろう。短期間とはいえ、それを精査して要る要らないを示すのが行革断行評議会の役割ではなかったか…そもそも、道路そのものが不必要である、ということがあるのだろうか。それが将来の「建設費償還=無料開放化」を前提とした通行料金徴収による「高速道路」でなければならないとすることこそが問題点なのではなかろうか。さらにいえば独立採算を前提としつつ、料金プール制が導入されてもはや30年間が経過しているという事実に、どのように答えを出そうというのか。

 話を突き詰めてゆけば、結局のところ「改革」の旗印の下、道路というものだけに目を向けてああだこうだと小手先論を並べているのが間違いではないのか。高速道路最大の顧客である物流そのものの構造を再論議して、マルチモーダルや環境論の観点、はては市場流通の観点からの議論を前提として、高速道路の必要性、またその機構としてのあり方を問う必要があるのではなかろうか。
 例えば第2東名。まずもって東名高速が逼迫しつつある状況にあるかといえば、答えはまだNoであろう。しかも建設が進められているのは用地買収等の絡みからも、静岡県を中心とした区間に留まっており、しかも渋滞が生じる山岳区間や都心部だというわけでもない。傍から見れば「とりあえずカネのつくうちに…」とも、つい意地悪く感じてしまう。
 片や東海道新幹線を見ると、昨年社会問題化した山陽新幹線のように、高架橋の多様・手抜き工事のつけという心配は、基本的に盛土構造が多いため少ないかもしれないが、こちらも突貫工事で完成させたもの、特に昨今の輸送力強化と高速化の両立から、40年近くになる構造物の劣化が気にかかる。もはや昔のように半日運休による大手術も非現実的といえる状況の中、JR東海は法律上完全に民営会社となろうとしている…運営に対する国の責任は限りなく小さくなるだろうが、国土軸構築という国家的使命はまさに国の専轄事項ではなかろうか。
 単にリニアを引けばいいというものではない。しかしながら、例えば中央新幹線を建設し軌道系を二重化することで、東海道新幹線の負担を軽減し、あるいは貨物輸送などの幅が生まれるやも知れない。特に整備新幹線で「在来線切り」が行われるときに貨物輸送の問題が解決されてはいないのである。東海道においては東名間で既に高速道路は二重化されている。さらに第2東名が果たしてゆく役割を見出すには非常に限定的になると考える。そのあたりの議論もなしに、単に箱物をどう処理するかを議論しているのは、まさに国鉄改革の再来(特に物流という分野)ではなかろうか。

 3年前、時の小渕内閣は金融危機による経済対策として、高速道路着工前倒しの「施工命令」を出していた。その総計500キロ…時は過ぎ、今まさに反対のことをやっている。道路公団民営化がバラ色の将来をもたらすとも考えにくい。しかしながら、現状よりはマシになるだろうからという議論は不毛ではないか。誰が為に道路はあるのか…。審判は、我々がいずれ下さなければならないのである。

誰が為に道はある?(高速道の迷走) ../traffic/log001.html#7

道路は何のために作るのか
 投稿者---エル・アルコン氏(2001/11/26 14:45:18) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 道路4公団の問題で賛否両論とも完全にずれている点として、「何のために道路を作るのか」「有料道路はなぜあるのか」という根本的な部分があります。
 将来に赤字を残すな、とか、経営が破綻している、という議論。また民営化するという議論を額面通り受け取ると、道路は採算が取れないと作れない、とか、有料道路は通行料収入で利益をあげる事業、という結論になります。

 果たしてそうでしょうか。まず有料道路は戦国期の「関銭」ではないはずです。道路財源を持ってしても単年度予算、そして後年度負担であっても整備が追いつかない状況に鑑み、利用者負担としての通行料を徴収することで建設費を賄うのが有料道路であり、建設費の償還を以って無料開放するのが原則です。現行システムの問題は有料道路事業において、国や地方の骨格である幹線道路の整備であるにもかかわらず、公団に施工命令を出したものについては通行料収入での整備を原則にしており、却って道路財源の直接投入が無いことです。実際には国の出資金という形で道路特会経由で特定財源が投入されていますが、出資金の原資が結局特定財源であることを隠すような形で4公団への出資金削減が決定したことは、本来当然使えるべき資金を取り上げられた点と、特定財源を使うべき支出に回さなかった点で納税者は非を鳴らすべきです。

 また道路整備はなんのためにするのでしょうか。こんなところにこんな道は必要無い、と言う意見は多く聞きますが、ではそういったエリアに住む人にとって、またそういったエリアに用がある人にとって、高速交通網の恩恵は無くて良いと言い切れる物でしょうか。
 先日朝日新聞に、南予地方の首長が投稿してましたが、対面通行の国道しかなく、飛行場も遠く、鉄道整備もいま一つという地域にとって道路整備こそ命綱といっています。同様に山陰地方の人の投書があり、山陰線沿いの移動は事実上R9のみであり時間がかかるという指摘がありました。

 山陰地方を例に取ると、米子道や浜田道が完成し、大阪や広島、岡山への高速交通は確保されていますが、県都松江や鳥取への移動は、今春山陰道が米子−宍道間に整備された他はR9のみです。
 鉄道はどうか、というと伯備線や智頭急行経由のアクセスは良好ですし、山陰線高速化による「スーパーくにびき」「スーパーおき」は出来ましたが、日常の足となると必ずしも使い勝手は良くないでしょう。R9に関して言えば、先日但馬の出石に行きましたが、和田山や福知山で渋滞に巻き込まれましたが、交差点改良や立体化、中心街の拡幅や車線増がほとんど進んでいません。近畿圏の一角といえるエリアですらこうという現状を見ると、整備はもう充分とは言えません。

 東京や大阪といった大都市への移動はまあ便利になっても、県内移動が全くだめというケースを考えると、「便利じゃないか」「整備されてるよ」というのが東京(大阪)からの視座に過ぎないのではないでしょうか。また先の南予地方もそうですが、例えば紀伊半島東部、先日原発招致の住民投票があった海山町のある三重県南部なんかは、県都津へ行くのもしんどいですし、対東京、対大阪の高速交通網からすら取り残されています。

 10年くらい前までは、道路交通に頼りすぎることなく、適材適所の考え方で交通モードを整備する総合交通体系の議論が盛んでした。しかし、ここに来てその議論と理想は完全に忘れ去られています。つまり、交通モードの整備は採算次第であり、収益源になる幹線用に羽田発着の枠を確保するために地方路線は切り捨てられています。鉄道も減車減便です。これで道路交通も整備の目処が立たないとなると、便利な都会に出るという生活防衛をしない限り言い方は悪いですが「野垂れ死に」という結末すら見えてきますし、実際地滑り的に地方都市の空洞化(ロードサイド型への移行なんて生易しいものではなく、一切が衰退する形態)が進んでいます。
 この部分、通信の世界でも市区部から整備されているADSLのように、都市と地方の格差は拡大する一方です。交通においても然りで、国家としてそういう政策を取ると明言するのではない限り、居所によって生活水準の格差が進行することを容認するばかりか、促進しかねない政策を取る是非を検討すべきでしょう。

***
 有料道路は利用者負担を強いてまでも作るべき幹線道路。直轄事業や地方事業はそこまで緊急ではないが作るべき道路。という区分であり、その区分は整備すべきスピードによるべきです。そして「作るべき」は、採算や通行量もさる事ながら、大都市や都道府県庁へのアクセス時間といった観点で国土開発をある程度均質化する(完全な平等は却って悪平等だが)という目的意識をもった計画を立てるべきです。

 余談ですが、金額の多寡で論じていくと、「採算の合わない」路線の是非論と同時に、有効性は疑いの無いレベルだが莫大なコストが見込まれる大都市圏の整備の是非論まで問われてしまいます。地方整備もしない、大都市圏の整備もしない、というのでは、それこそ何のために道路を作るのか。コストもそこそこで利用もそこそこという中庸狙いの、実はもっとも意味が無い路線を尊ぶことになるのです。

税金というパイのわけ方
 投稿者---樫通氏(2001/11/27 12:42:20)

 まったくもって一般論になるのですが、道路に限らず行政サービス自体が強制的な利益再配分のために存在しているという側面もありますから、ある程度は採算度外視の事業があります。問題はどこまで採算を度外視させられるかという点で、これはその時々の事情によって完全にモノサシが変わってきうるものです。というわけで、

 将来に赤字を残すな、とか、経営が破綻している、という議論。また民営化するという議論を額面通り受け取ると、道路は採算が取れないと作れない、とか、有料道路は通行料収入で利益をあげる事業、という結論になります。

というわけではない、という点は、エル・アルコンさんの書かれている通りと思います。ですから、

 現行システムの問題は有料道路事業において、国や地方の骨格である幹線道路の整備であるにもかかわらず、公団に施工命令を出したものについては通行料収入での整備を原則にしており、却って道路財源の直接投入が無いことです。

という点についても首肯できます。

 しかしながら、

 また道路整備はなんのためにするのでしょうか。こんなところにこんな道は必要無い、と言う意見は多く聞きますが、ではそういったエリアに住む人にとって、またそういったエリアに用がある人にとって、高速交通網の恩恵は無くて良いと言い切れる物でしょうか。

というところ以下に書かれている点については、あまり同意できません。強制的な所得再配分を強いてまで行うことなのかどうか、特に今早急に行う必要があるのかどうかという点でやや疑問があります。早急に行う根拠が、地方コミュニティーの崩壊が進んでいるということにあるというご主張ですが、じゃあ道路を作れば崩壊しないのかという点で疑問がありますし、そもそも2車線国道があれば最低限の用は足りるのではないかと考えるからです。

 上記の「最低限」については私自身は急患等への対処と言った程度においており、この基準はやや厳しいかもしれません。また自身が地方在住経験が無いですので、そんな奴に苦しみが分かるかといわれればおしまいなのですが、所詮地理的な優劣について実際移動時間の差異を減少させるには限界があります。現在の日本は総税収のパイが減る方向にある経済状況であるうえに、パイの分けかた自体、のちのちパイを増やすようには思えぬ分けかたをしていることが多すぎます。道路投資にも多くパイを増やすものがあるとは思いますし、現在の施行命令も形式上将来の経済効果をうたってはいますが、計算方式や前提等にかなり疑義があります。

 一筋縄で判断基準のおけぬ問題ではありますし、個人の感度にかなり依存する問題でもあることは承知の上ではありますが、治安や教育などで従来の常識が覆されるような劣化の進んでいる状況の中で、優先的に整備しないといけない道路というのは、かなり限られるのではと思います。別に道路を壊したりクルマの税率を上げるなどの足かせをあげる必要はない(というよりやってはいけない)と思いますが、今何が困ってるのか、という点で、道路を作ることで本当に解決できる問題というのはかなり少ないと考えます。

 もっとも道路を作らないで「浮いた」金の再配分という機能がどこまでうまく働くかという点でも、あまり楽観はできないかとも思っております。そういうことまで考えて、取り敢えず道路でも作っておく、という考え方もあるのかもしれませんが、国債発行額増やしてまでやることかなとも思います。

ビジョン無き改革では
 投稿者---エル・アルコン氏(2001/11/27 16:00:44) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 これは欲を言えばきりがないのですが、結局「縦貫」「横断」「外周」の道路整備は最低限必要と考えます。「縦貫」は東京や大阪といった広域拠点と各エリアへの流動の骨格となる道路。「横断」はその「縦貫」から各エリア個別への連絡及びエリア相互の連絡となる道路。「外周」はエリア相互の連絡及びエリア内の連絡となる道路(エリアとは都道府県及び同一都道府県内でも経済圏が異なる場合はそのそれぞれを指す) 。
 「縦貫」の必要性は言うまでもないですが、「横断」と「外周」の両方を必要とする理由は、自然地形の制約から街道筋や都市の配列が海岸線に沿っているケースが多いこと(かつての道制が海岸に沿った展開だった)、また行政上の地方区分が脊梁山脈を挟む両岸を含むためその両エリア間の流動が発生していることによります。

 その形態が4車線の自動車専用道路なのか対面通行の一般道なのかという議論については、対面通行の自動車専用道もしくは4車線のバイパス(主要交差点が立体化されたもの)で、例外的に2車線で整備されたバイパスというところでしょう。
 2車線で平面交差を原則とする道路、それも自然地形に極力従った勾配や曲線を含む道路については、高速交通とは縁遠いものであり、生活道路と何ら変わりが無いといえます。我が国の現状を見る限り、かつて1級国道とされた国道ですら、高速道路はおろかバイパスの整備すらないレベルのままの区間が実際には多く残っている現実は認識すべきです。
 一例を挙げると、本州の1桁国道で見るとR6のいわき市〜仙台市、R7の新発田市〜大館市、R9の丹波町〜淀江町、宍道町〜山口市とあり、2桁国道になるとそれこそ書ききれません。

 このクラスの道路整備については、巷間言われる誰も利用しない道路とは格が違います。確かに数個の住宅しかないようなところへのアプローチに高規格の道路を建設するのは悪しき平等主義でしょうが、このクラスにおいては結果の平等(これは悪平等として排されるべき)ではなく機会の平等すら奪われかねない懸念があります。

***
 私が懸念するのは、この国の発展をどう考えていくのか、というビジョンが見えないことです。全国津々浦々まで均質な発展は夢物語としても、都市部のインフラ整備と地方のそれを積極的に差をつけるべきではないでしょうし、どうすれば国土全体が発展して、国力を維持向上するかという視点から国家のインフラは整備されるべきです。そしていちばん問題なのは、開発がどうしても不均質になり劣後する地方にとって、格差が固定されることのみならず、都市部への傾斜配分により格差が拡大する可能性であり、そのことは国土のいびつな発展と衰退の同居を意味します。

 最近思うのですが、実は日本はGDPに見合う以上の人口を抱えているのではないか、ということです。いままで地方では暮らし向きをそれなりにしていればそこそこの生活が出来たのですが、空洞化と格差の拡大により、本来ある一定の人口を吸収すべき地方が人口を保てなくなって来ていると感じます。そして、その人口は都市部にシフトしますが、それでGDPが拡大するわけでもなく、同じパイに群がる数が増えるだけになります。これは都市のスラム化であり、中国の海岸部と内陸部の経済格差と「盲流」と呼ばれる流動が我が国に起こらない保証はありません。なにも外国の例を引かずとも、江戸時代天保期の水野忠邦の人返し令の背景も根は一緒です。

***
 とはいっても財源の問題はつきまといます。そして国家ビジョンとは到底言えないような明らかに無駄な道路建設に限りある財源が注ぎ込まれているのも事実です。また涜職行為が見られるのも事実です。しかしながらその責めの総ては公団組織というスキームであるという議論も飛躍した論ではないでしょうか。そこの詰めを明らかに欠いたまま急ぐ現下の議論には、そうまでして民営化と建設凍結をしなければいけない裏の理由が存在するのではという疑念すら抱かせるのです。

 最後に、金の問題になるのであれば避けて通れないのが道路財源です。道路財源を原資にした道路特会からの出資を否定したことにより、全国のドライバーから広く厚く(薄くとは決して言えない...)集める根拠の一角が崩れたのではないでしょうか。そして明らかに余るその税収を還元すべきです(もちろん既発の建設国債の買入消却に使うという手段もとれる) 。
今回の議論で気になるのは、通行料は本当に無料になるのか、という点での迷走だけでなく、現在本則以上に徴収されている自動車関係諸税の議論が抜け落ちていることなのです。

今や道路が地方発展の必要条件ではないし、十分条件でもない
 投稿者---樫通氏(2001/11/29 13:29:43)

 道路があった方が便利であることは全く持って当然なのですが、今までにそれなりの道路が整備されたエリアが現在活気があるかというとそうは言い切れないと思います。また景気回復時に道路が整備されたエリアから回復していく訳でもないと思います。道路を使ってたどり着く先が、観光地であるにせよ産業用地であるにせよ、再度訪問するインセンティブが働くような土地でなければ、建設した道路は建設自体に際して他所における所得を移転させる効果以上のものはなかなか生み出さないでしょう。機会の不平等拡大についても、主因は高所得層が高所得層を再生産している傾向が強まっている点にあって、道路を作れば解決できる問題ではないと考えます。

 道路建設自体が社会にとって極めて効果的であった時代には公団自体の存在意義は十分すぎるくらいあったと思いますが、国自体が返せるあての無い借金を抱えている中でこれ以上作るだけの効果が今あるかというと非常に疑問に思います。状況が変われば作ってもいいのでしょうけど、借金重ねてまでの急を要するのかというと否定的に捉えております。例示されたエリアの中でR7については新発田〜山形秋田県境付近まで何度か訪れたことがありますが、ほとんど表定速度60kmくらいで通過可能な状況で、制限速度の問題さえクリアできれば現有設備でももっと早く通過できるという感度を持っております。

 国の行く末といった議論はこの板とやや離れると思いますし、あまり自身も得意ではないですが、適者生存競争の相手がよりボーダーレスになっていることから、国際競争力強化につながる方向への投資というのが税の分配方法としてより適していることかと思います。道路建設は、たいていの場合、日本の中における秩序変化をもたらすだけにすぎず、しかも効果が限定されてしまうと思いますので、現在の必要性はかなり低いと考えます。

あまり得意なネタではないのですが??
 投稿者---とも氏(2001/11/30 23:23:56)

 ともです。

 道路整備にはいくつかの目的がありますが、地方だから無駄だとか、都市には必要とか、地方の発展には不可欠とかそういった単純なものでは無いと思います。
 ただ、日本の今の状況を見る限り、不要と断言することだけはできません。

 地方高速道路の見直しについては私もそう思います。しかし、すべてが無駄ではないのです。日本の悪い癖で、一つ一つ必要か不要かを判断せずに単純にすべて不要とかすべて必要とかそういったことになる。さらには道路=利権という世界的に笑いものにされている解釈をいまだに引きずっていることです。

 少なくとも、必要なものはどれで、不要なものはどれなのか、単純にモーダルシフトを進めますなんていうことで解決できない問題があることを考えなくてはならないんですから。

2005.07.20Update

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