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【検証:近未来交通地図】Special025-2
神姫バスの「付帯事業」から考える
”公共交通事業者”という存在

 本投稿は、【検証:】掲示板でもお馴染みの、エル・アルコン様より当BBSに御投稿頂きました文章を、読みやすく構成させて頂いたものです(なお一部文面を編集しております)。

下記内容は予告なしに変更することがありますので、予め御了承下さい。
当サイトの全文、または一部の無断転載および再配布を禁じます。

神姫バス(KAZ様御提供)

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バンビは跳ねず…〔続〕
 投稿者---551planning(2003/12/01 13:43:16)

バンビは跳ねず…
└高速バス不毛の地で育つ大手バス会社という妙
 └Re:高速バス不毛の地で育つ大手バス会社という妙
  └
「何でも屋」への挑戦
   └稼ぐためには「運輸業」であり続ける必要は実は無いのだが...
    └Re:稼ぐためには「運輸業」であり続ける必要は実は無いのだが...
(以上前ページ)

     └運輸業=本業という考えが古くなりつつあるかも
      └Re:運輸業=本業という考えが古くなりつつあるかも
      └Re:運輸業=本業という考えが古くなりつつあるかも
       └むしろこんな事業だから
       └完全自由競争はありえない
        └好ましい形は「完全自由競争」でなく
                            「有効な民間活力の活用」
       └何故の「“公共”交通」か?
        └Re:何故の「“公共”交通」か?

▽前ページより

運輸業=本業という考えが古くなりつつあるかも
 投稿者---551planning(2004/02/28 14:10:26)

 TAKA様からも御紹介がありましたが、交通事業者の「遊技場ビジネス」自体は珍しい業態というわけではなく、大手民鉄(名前が挙げられているのは東武・小田急・京成・京阪)も子会社で参入していますし、JRも色気を持っているとも云われています。
 ただ、直営で付帯事業の基幹たるところまで行っているのはなかなか、というのが実情のようでの記事とも思われます。

UGビジネスクラブ「これからのパチンコビジネスにおけるマーケティング戦略」http://www.ugbc.net/db_rep/rep17/17pc.htm

 当方は当初記した通り、こういうギャンブル業への参入事例、特に社の安定事業にもなりつつあるということ自体について否定するつもりは毛頭ありませんし、本業である運輸業そのものとの係わりについて云々する意図もありませんで、むしろ「黙認」から「寛容」あるいは「承認」を勝ち取りつつあるパチンコ産業での生存競争に、準公共事業体の持つバックボーン・ネームバリューの必要性すら出てきたのかな、という印象(なおその前提にパッキーカード問題等に見られる閉鎖的・陰湿さという「マイナス面からの必要性」、というものも強く感じていますが)を受けつつ、記事のつくりがどうも「準公共企業が…」という視線からと感じられる事への違和感を持ったところからの投稿でした。その意味でエル・アルコン様の「主客逆転の可能性」は直ぐにはなんとも、という印象を受けつつ、一方でTAKA様の指摘にある紀州鉄道のような事例を思えば、お二人の切り口になるほど、と感じたものです。

 ただ紀州鉄道については、「副業のネームバリューの為の運輸業」というよりも「本業である不動産業の担保的性格」、すなわちある意味その究極であるという認識を明確にしておく必要があるかと思いますし、むしろ非運輸事業で財をなす事業者が単なるネームバリューを求めるだけでない運輸業参入形態というのも今後十分考えられるのではないかと思います。バブル期前に「企業メセナ」たる社会貢献が注目を集めましたが、昨今住民バスといったスタイルが見られるようになってきた中で、設備支援に留まらないソフト面での関与スタイルというものもなくはないのかなと。
 そうした形態は、かつては地場の主力企業が運輸系子会社を造って自らやっていたというスタイルが想起されますが、昨今では例えば自動車教習所送迎バスの住民開放等がその端緒となる可能性がありますし、知識が乏しいので具体的言及は避けますがアウトソージング「クリスタルグループ」の観光バス事業への急速な参入展開も気に掛かります。一方、甘納豆工場わきに駅を設置し、観光ツアーなどでの支援策を行っていたとかち岡女堂と北海道ちほく高原鉄道のコラボも印象的でした。
 この点これまで運輸業の持続可能性側面として「独立採算制の呪縛からの解放は行政主体で」という視座に偏りすぎていた当方も、今回図らずも「何も運輸業が専業なり本業なりである必要性はどこにもないのでは」との思いに至り、はっとさせられるものがありました。皆様はどう思われますでしょうか?

Re:運輸業=本業という考えが古くなりつつあるかも
 投稿者---とも氏(2004/02/28 16:04:06)

 ともです。
 思うところを少々。

 この点これまで運輸業の持続可能性側面として「独立採算制の呪縛からの解放は行政主体で」という視座に偏りすぎていた当方も、今回図らずも「何も運輸業が専業なり本業なりである必要性はどこにもないのでは」との思いに至り、はっとさせられるものがありました。皆様はどう思われますでしょうか?

 私は何が副業で何が本業でも、それが公共交通の公共性をいたずらに阻害せず、また経営安定が図れるのであればそれでよいと考えます。ただ、結果的にそれが、公共性の欠如につながるのであればいかがなものかというところです。

 一般的に「行政の補助があるから成り立っている」とされる欧米の公共交通を見ても、都市によっては地場の企業体が運営し、そこに行政なりが補填をする形をとっている(スイス、フランス、オーストラリアに例がある)場合や、居住する社員へのサービスという概念で公共交通を運営している(オーストラリア、ドイツに例がある)例もあります。
 また、サイパンのようにツアー受け入れの旅行会社が直営で運営する例や、グアムやオーストラリアなどにあるようにショッピングセンターが路線バスや鉄道を運営し、センターをバスターミナル・拠点駅にするといったものもあります。さらには、カジノが自分のところへのアクセスと、観光客のトータル利便性と社員のアクセスを確保するために公共交通を運営している(飲酒などを考えて)なんて例も海外では見られるわけですし、バックパッカーに知られる王国時代のアフガニスタンのバス会社「アフガンポストバス」(郵便公社直営)や、リゾーターに知られるマレーシアの航空会社「ペランギ航空」(リゾートホテル直営)等、副業が運輸業というのは例を挙げていけばきりがないとも言えます。

 つまり、利用する立場に立って考えれば、その会社がパチンコ屋をやっていようが、カジノを経営していようが構わないわけです。

 ただ、なんにしてもそうですが、そこに第三者というか公的機関のコントロールが入ること、一定レベルの公共性をきっちり担保することができればという前提になります。あくまで「公共交通」ですから。

 ということで、まとまりませんが。
 では

Re:運輸業=本業という考えが古くなりつつあるかも
 投稿者---TAKA氏(2004/02/28 22:21:28)

 管理人様今晩はTAKAです。

 当方は当初記した通り、こういうギャンブル業への参入事例、特に社の安定事業にもなりつつあるということ自体について否定するつもりは毛頭ありませんし、本業である運輸業そのものとの係わりについて云々する意図もありませんで、むしろ「黙認」から「寛容」あるいは「承認」を勝ち取りつつあるパチンコ産業での生存競争に、準公共事業体の持つバックボーン・ネームバリューの必要性すら出てきたのかな、という印象(なおその前提にパッキーカード問題等に見られる閉鎖的・陰湿さという「マイナス面からの必要性」、というものも強く感じていますが)を受けつつ、記事のつくりがどうも「準公共企業が…」という視線からと感じられる事への違和感を持ったところからの投稿でした。その意味でエル・アルコン様の「主客逆転の可能性」は直ぐにはなんとも、という印象を受けつつ、一方でTAKA様の指摘にある紀州鉄道のような事例を思えば、お二人の切り口になるほど、と感じたものです。

☆直営形態の神姫バスにしろ子会社での参入の立川バス・神奈川中央交通にしろパチンコ業界への参入に”準公共事業体の持つバックボーン・ネームバリュー”を利用したという事は可能性的には低いと思います。私は殆どパチンコをしないので何とも言えませんが、実際にパチンコをやる人が「準公共事業体の持つバックボーン・ネームバリュー」を意識してパチンコ店を選択するとは思えません(意識するのは出玉だけ?)。
 実際にパチンコ店に入る人はパチンコ店の名前を知っていても運営者の名前を知っている人は少ないと思います。もしそのネームバリューにメリットが有れば子会社参入という方法を取らずに直営形態を取るでしょうし、店の名前や運営にも事業体の名前を全面に出すと思います。
 実体は「関連事業や遊休地の有効活用を捜していた。」「其処にぴったり当てはまり収益性の高い事業が偶々パチンコ屋であった」と言うだけだと思います。パチンコ屋は儲かるみたいですし、駐車場を広く設けた幹線道路に面した郊外型のパチンコ屋の立地としては、バス車庫用地等はぴったりでしょう。そんなに深い事情はないと思います。

 ただ紀州鉄道については、「副業のネームバリューの為の運輸業」というよりも「本業である不動産業の担保的性格」、すなわちある意味その究極であるという認識を明確にしておく必要があるかと思いますし、むしろ非運輸事業で財をなす事業者が単なるネームバリューを求めるだけでない運輸業参入形態というのも今後十分考えられるのではないかと思います。バブル期前に「企業メセナ」たる社会貢献が注目を集めましたが、昨今住民バスといったスタイルが見られるようになってきた中で、設備支援に留まらないソフト面での関与スタイルというものもなくはないのかなと。

☆確かに紀州鉄道の場合、不動産屋が買収して鉄道会社に名前を変えたという事から考えて、不動産業の多少良くないイメージを緩和し鉄道会社の名前の社会的信頼を不動産業の担保にしようと言う事ですから主は不動産業で鉄道は不動産業のイメージ向上の広告塔みたいな物になってしまっています。又その様な形態の究極的な状況である事は仰有るとおりだと思います。
 他業種の企業が「社会貢献の為にバス運行」と言うのは社会貢献の宣伝効果が限定的である事を考えてなかなか有り得ないとは思いますが、鉄道会社の沿線地域への影響力を利用する為に鉄道業者を買収する、又買収した事でその本業の業種を鉄道沿線に絨毯爆撃的に集中進出させて相乗効果を狙うという形態は今後あり得るかもしれません。

 この点これまで運輸業の持続可能性側面として「独立採算制の呪縛からの解放は行政主体で」という視座に偏りすぎていた当方も、今回図らずも「何も運輸業が専業なり本業なりである必要性はどこにもないのでは」との思いに至り、はっとさせられるものがありました。皆様はどう思われますでしょうか?

☆今の鉄道業界では副業は別に普通ですし、沿線地域に鉄道を幹にした総合的な生活サービスを提供する総合産業に鉄道企業グループがなっている現状から考えて運輸業が専業である必要は何もないと思いますし、専業である場合内部補填というものも出来ないですからその分採算的には厳しくなるでしょう。又大手民鉄グループの場合やはり鉄道業が収益や影響力的に根幹である状況は変わらないですが、相対的には関連副業がある事で運輸業にも当然メリットがある事を考えると副業の存在は当然プラスになっている事も多いです。
 又鉄道企業グループでは、東急や西武の様に連結で考えると既に鉄道売上が半分以下になっている鉄道グループも多数存在します。そう考えると内容的には程度の差は有れども既に大手民鉄の企業グループは鉄道を中心にした総合グループ化しているのですし、この流れは昔から続いて居るのですから(日本独特の鉄道運営形態とも言えますが)「運輸業=本業or専業」という事に拘る必要はないと思います。東急グループの東急建設のように損失補填で何回も東急電鉄から増資を受けている様なお荷物の例もありますが連結決算で収益に貢献している例も多数有る事から、もっと柔軟に考え「公共交通を維持出来れば手段は問わず」という考えで良いと思うのですが?如何でしょう。
 少なくとも社会全体で考えれば「公的資金投入で赤字を補填」よりかも「赤字分をパチンコ屋が稼いでくれる」の方が好ましいのですから、今後地方の赤字ローカル線等の運営に関して「沿線で特定の副業を行う場合利益の一定を補助金代わりに公共交通維持に内部補填する」とか「沿線の開発事業に対し特別の特権を与える変わりに公共交通維持に責任を持つ」等の思い切った方策も特に地方での公共交通維持や都市圏で絶対必要な新線の建設等の場合に有効は方策ではないでしょうか?(まあ利益優先的な私の考えの極端な例とも言えますが・・・)

※但しとも様の言われる『ただ、なんにしてもそうですが、そこに第三者というか公的機関のコントロールが入ること、一定レベルの公共性をきっちり担保することができればという前提になります。あくまで「公共交通」ですから。』と言う考えには条件付きで反対です。
 私が考えるに一定限の公共性を維持する事には反対はしません。鉄道・バス等を利用するのに有る一定限の平等性・公共性は必要な事は確かですが、公的な収支補助を得ずに本業・副業等で独立採算を維持する為に努力している民間企業に最低限以上のコントロールが特に公的機関から入るのは反対です。公的機関からコントロールは恣意的になる可能性も十分ありますし、透明性が維持出来ない可能性も又あります。それに加え赤字補助等のメリットを受けていない以上、有る一定の平等性・公共性維持以上の干渉を受けるべき筋合いはないのではないでしょうか?又平等性・公共性の維持は透明性や公平性の維持出来る明確な法や規制で各業者平等に課すべきです。補助や特別な利権を受けて良いのなら公的セクターから露骨な干渉を受けるべきではないと思います。民間企業を自由に活動させた方が公的セクターの運営より効率的である事は明白ですから・・・

むしろこんな事業だから
 投稿者---World's Uniquest Railway Enthusiast氏(2004/02/29 00:57:55)

 こんばんは、

 「バス会社がパチンコ屋」という話を聞いて、一瞬戸惑いましたが、これは意外に上手くいく組み合わせなのかもしれない、と思うに至りました。

 私自身は、公共交通の赤字補填の為の兼業という発想には以前から疑問を持つ立場にいます。公共交通と兼業部門を同時に経営する事で、実際に両者、もしくは一方の生産性が高まるのであれば利点が存在しますが、もはや民間の不動産会社が地域デベロッパーとして活躍できる機会が皆無になった現在では、『電鉄会社の子会社だから黙っていても客がつく』的な殿様商売の兼業部門と独立した不動産事業者を比較した場合に前者に生産面での優位があるとはとても言えない状況が出現しています。生産面で差がない場合に、独立した事業者との競争があるのであれば、この競争に打ち勝って運輸部門の赤字を補填するだけの利潤を生む事は困難と想像されます(実際には事はそんなに簡単ではなく、関係会社間で人員移動が出来ることなどから、運輸業界で兼業を行う事には色々なメリットがあり、それゆえ、大手民鉄は兼業を続けるのでしょうが)。

 これに対し、神姫バスのパチンコ業には二つの利点があるように思えます。一つは、皆様ご指摘のようにパチンコ業と運輸業の組み合わせにはじめからある程度をマイナスイメージ(負の「ネームバリュー」)があるために、両者の関係にあぐらをかいて殿様商売を行う事が困難である事。もう一つは、既存のバス運行施設の活用などが出来、生産面において両者を単一企業で経営する事にメリットがあることです。この事例は、実のところパチンコ屋だから成功できたのであって、バス会社の「ネームバリュー」で殿様商売ができてしまう可能性のある他の商売では失敗していたのかもしれません。

●兼業とはなにか

 以前、おふざけでこんな文章を書いたことがあります。

赤字ローカル線は携帯電話会社が運営せよ!!−内部補助の再検討−

 携帯電話会社に、ローカル線を運営させる事には様々なメリットがある。携帯電話の市場は好調、若干値上げがあったからといって若者が電話を持つのをやめたり、公衆電話を利用したりするわけではない。各都道府県のローカル線を運営する事をそれぞれの都道府県内の経営権と引き換えにすれば、各電話会社とも運営に参加せざるを得ないだろう。
 携帯電話会社にとっても、この計画は悪い話ではない。基地局などの通信設備の一部はローカル線の一部と併設出来る。また、各ローカル線が乗り入れる中核都市において、ローカル線設備と関連する土地建物には税制上の優遇処置を講じると同時に、用途においては規制緩和を行う。駅構内の設備を利用して携帯ショップを運営しても良いわけである。これはローカル線の赤字以上の利益を携帯電話会社にもたらすだろう。
 ローカル線にとっては存続以上の利益がある。国民のほとんどが所有する携帯電話で各路線が宣伝されるのである。洗練された経営が持ちこまれて、現状維持にとどまらず、利用客の大幅増がもたらされだろう。

 問題は、携帯電話会社が複数存在する事である。各社にどのように分配すればよいのだろうか・・・。

 こんな政策は上手くいくとは思えませんが、それはさておき、何故現在の運輸業で兼業が広く行われているかは、吟味する必要があるかと思います。
 兼業は、「運輸事業は利益を上げることができず、その赤字を補填するために、事業者は自己努力で兼業経営をしている。」という風に度々解釈されます。しかし、運輸事業の規制というものは、運輸事業の産業の弱さゆえに設けられたというよりは、事業者が利益を上げやすいため、その利益を社会や行政が吸収できるようにするために設けられているものであります。高度成長期の日本の大手私鉄で見られた兼業部門の発展は、これらの規制によって社会に逸出した利益を取り戻すために生まれたと解釈するのが正当のような気がします。

⇒例えば、規制がなければ、高運賃にして獲得できたニュータウン鉄道の利益を、沿線で不動産経営を広く経営し、自社の住宅価格に上乗せする形で取り戻している・・・という構図です。

 ゆえに、規制がなければ、兼業で赤字補填などという構図は生まれてこないし、運輸業の魅力(潜在需要)が少なくなければ、本業という重荷を持たない競合他社との競争の中で、赤字補填ができるほどの利益を生むのは不可能ではないかと言うような気がします(先に言った、複数産出による生産性の向上可能性があれば話は別で神姫バスはそのケース、紀州鉄道は「鉄道経営」という言葉に基本料金ともいえる価値があると解釈できる例外でしょうか。紀州鉄道だって、赤字削減のためにある程度合理化をおこなっているわけですし)。
 兼業を評価するとしたら、その背景にある規制の評価も必要でしょうし(規制を強化するなら最初に記した夢物語も実現できる?)、本業の魅力の維持も考えなければなりません。ただ、公共交通の魅力の維持、すなわち、都市計画などの工夫によって公共交通の価値を失わせない各種努力は、一企業の努力の範囲を超えるものと思われ、当然各種介入は必要かな、と考えるところであります。

WURE

完全自由競争はありえない
 投稿者---とも氏(2004/02/29 00:34:18)

 ともです。

 私が考えるに一定限の公共性を維持する事には反対はしません。鉄道・バス等を利用するのに有る一定限の平等性・公共性は必要な事は確かですが、公的な収支補助を得ずに本業・副業等で独立採算を維持する為に努力している民間企業に最低限以上のコントロールが特に公的機関から入るのは反対です。公的機関からコントロールは恣意的になる可能性も十分ありますし、透明性が維持出来ない可能性も又あります。それに加え赤字補助等のメリットを受けていない以上、有る一定の平等性・公共性維持以上の干渉を受けるべき筋合いはないのではないでしょうか?又平等性・公共性の維持は透明性や公平性の維持出来る明確な法や規制で各業者平等に課すべきです。補助や特別な利権を受けて良いのなら公的セクターから露骨な干渉を受けるべきではないと思います。民間企業を自由に活動させた方が公的セクターの運営より効率的である事は明白ですから・・・

 ここは厳しく書きます。
 民間公共交通企業運営体に対し、公的に限らず第三者を含め公共もしくは近い存在のセクターなりが関与しないなどということは断じてありえません。
 なぜなら、交通というものは公共性を少なからず有しているからであり、撤退の自由も参入の自由も一定条件下でのみ認められているのはまさにそのために他ならないのですから。

 経営に口出すな。それは賛成です。しかし、規制がまったくない交通運営が果たしてありうるか。ありえないでしょう。安全は当然として撤退参入のコントロールをだれもしないなどという話はない。そのハードルは低くてもかまわない。けれど、そのチェックが入らないなどという話はどう考えてもありえません。

 仮に民間企業が自由に路線の新設撤退を繰り返した場合、民間企業の思惑ひとつですべての都市活動に影響を与えることができるようになります。それは都市計画・開発分野からして論外であり、また、現実問題としてでは「不採算ですから撤退します。」で「ハイ判りました」としかいえない自治体など住民からすれば自治体の仕事をしているとは言えず、あくまで「企業経営」だけを考えればそれでいいんですが、住民という「本来の主役」を考えればそうはいきません。

 古くはアメリカのロサンゼルス、最近では沖縄のバス事業者の3/4社がそうですが自由にやらせたからといって必ずしも都市や企業に成功を与えるわけではなく、むしろ弊害が大きい。であるからして、バスの規制緩和にしろ航空の規制緩和にしろ「通告」「通知」「届出」ではあるものの公的機関、利用者サイドへのアクセスをさせているのです。

 それを踏まえずに自由競争すべきであるなどと軽軽しく言ってほしくはありません。副業か本業か。それはどうでもいいんです。そんなことに公が口をはさむべきではない。しかし運輸業の部門において、公共性を担保する部分では公が口をはさむ。ある種当然ですよ。都市のスプロールもかまわない。ゴーストタウン形成もかまわない。スラム化は競争社会だから当然。一部企業の思惑ひとつでその町がどうなってもかまわない。そこまでおっしゃるのなら別ですが。

 厳しめですが。では

好ましい形は「完全自由競争」でなく「有効な民間活力の活用」
 投稿者---TAKA氏(2004/02/28 22:21:28)

 とも様今日は&ご無沙汰しておりますtakaです。
 この内容は厳しくご指摘頂くと思っておりました。何せ私と皆さんの一番スタンスが違う事ですから・・・ですから私も書く内容が増えてしまいましたが、何か真意が伝わっていなかったみたいなのでご説明・言い訳を兼ねて私も長めに書き込みします

 民間公共交通企業運営体に対し、公的に限らず第三者を含め公共もしくは近い存在のセクターなりが関与しないなどということは断じてありえません。
 なぜなら、交通というものは公共性を少なからず有しているからであり、撤退の自由も参入の自由も一定条件下でのみ認められているのはまさにそのために他ならないのですから。

 経営に口出すな。それは賛成です。しかし、規制がまったくない交通運営が果たしてありうるか。ありえないでしょう。安全は当然として撤退参入のコントロールをだれもしないなどという話はない。そのハードルは低くてもかまわない。けれど、そのチェックが入らないなどという話はどう考えてもありえません。

☆ 一番最初の私の書き込みを見て頂ればれれば分かるでしょうが、私は別に公的セクターの関与を全面的に否定していません。「平等性・公共性(此処には安全等も含まれると考えます)を維持する為の最低限のコントロール」に関しては、当然必要と考えます。それ以上の民間公共交通企業の自主性を損ねる様な規制には反対という事です。
 安全に関しては絶対必要な最低限のルールが必要な事は明白です。それを守らなければ民間企業足れども京福の様に「取りつぶし」も当然です。又運賃に関しても「上限の価格設定」に関してのある一定の透明性のあるルール(計算根拠の様な物)は必要です。その様な規制に関しては否定しません。但し根拠があり透明性が確保されている事が条件ですが・・・

 仮に民間企業が自由に路線の新設撤退を繰り返した場合、民間企業の思惑ひとつですべての都市活動に影響を与えることができるようになります。それは都市計画・開発分野からして論外であり、また、現実問題としてでは「不採算ですから撤退します。」で「ハイ判りました」としかいえない自治体など住民からすれば自治体の仕事をしているとは言えず、あくまで「企業経営」だけを考えればそれでいいんですが、住民という「本来の主役」を考えればそうはいきません。

☆確かに参入参出が完全自由化されれば、その参入参出への民間企業の思惑により都市交通へ重大な影響を及ぼすのは事実です。この様な嫌がらせ行為的な物は前に述べた「平等性・公共性を維持する為の最低限のコントロール」という事で規制すべきでしょう。ただ「不採算だから撤退します」と言う時に、それが事実の時に民間企業の退出を規制するのはどうかと思います。
 あくまでも民間企業は営利目的の団体である以上、公的に何も金が落ちていない企業が「不採算です。撤退します。」と言った時に規制する根拠がないでしょう。民間企業はボランティアではありません。金は出さないのに口は出すと言うのはおかしな話です。
 只その時に十分な協議が必要な事は言えると思います。その民間企業が不採算で撤退するのなら、自治体と企業が協議して赤字の有る程度の分補助をするとか、公的セクターが変わって運営するとかすべきでしょう。本来公共交通という公的なセクターがやるべき物を収益が上がるから民間企業が行っているのですからその収益という民間企業の前提が崩れた時には当然公的セクターが介入すべきであると考えます。
 それこそその様な時に何も出来ない自治体などというのは住民からしたら「税金泥棒」「役立たず」という事になるでしょう。本来公的セクターが行うべき公共交通を収益性が上がるから民間が行っているのです。その前提が崩れた時には当然公的セクターの介入があってしかるべきです。

 本来なら公的セクターが公共交通を行っても条件が良くても不採算という例が多く存在します。日本一の人口の東京都の地下鉄ですら(営団との路線分けが不利等の理由はあるにしろ)償却前こそ黒字ですが営業・経常とも赤字の状況です。

http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/jigyou/outline_index.html

 又関西での2001年度の輸送1キロ当たり人件費では、JR・大手民鉄は1人キロ当たり5円台後半なのに、公営三者(大阪・京都・神戸)は12円近くです(鉄道ピクトリアル2004年3月号150ページ)。
 これらを見れば公的セクター運営の公共交通がきわめて効率が悪い事が分かります。その効率が悪い公共セクター運営の公共交通に任せるより、可能な限り効率の良い民間企業運営に任せた方が社会的に効率的である事は疑う余地はありません。
 その民間企業ですら「不採算」という事になると、その先は公的セクターが社会的義務として相対的に効率の良い方法を用いて公共交通を維持するというのが好ましいのではないでしょうか?

 それを踏まえずに自由競争すべきであるなどと軽軽しく言ってほしくはありません。副業か本業か。それはどうでもいいんです。そんなことに公が口をはさむべきではない。しかし運輸業の部門において、公共性を担保する部分では公が口をはさむ。ある種当然ですよ。都市のスプロールもかまわない。ゴーストタウン形成もかまわない。スラム化は競争社会だから当然。一部企業の思惑ひとつでその町がどうなってもかまわない。そこまでおっしゃるのなら別ですが。

☆私は幾ら難でも「完全自由競争」という物がこの世に存在していると迄は思っていません。「完全自由競争」は経済学の教科書の中の物です。只自由競争は好ましい物である。しかしその自由競争にも最低限のルールが必要である。そのルールこそ運輸業の場合「一定限の公共性・平等性・安全性を定めるルール」であるべきであり、それ以上の事に関しては民間の運営・その方針に任せるべきです。
 鉄道が本業でも副業でもその関連する産業が合法的な産業で収益が上がれば問題有る物ではありません。逆に関連的な産業が有るからこそ交通業にプラスになる場合もあります。それはそれで好ましい事で、まさしく公的セクターの運営では出来ないことでありそれにより公共交通が効率よく運営されるのなら好ましい事です。

 究極に私が目指すべきと思う物は「有効な民間活力の活用」です。それには「自由競争」も必要であり「公的セクターの関与は限定的に留める」という事も必要です。交通事業に関して民間の方が公的セクターより遙かに効率的に良いサービスを提供出来る事は疑い有りません。それこそ社会全体的に考えればプラスの事であり社会的に好ましい有効な社会資源の利用であるならば、それが町に地域に活力を与えるのではありませんか?別に都市がゴーストタウンになったりスラムになる事が好ましいとは当然ですが私は思っていません。
 公的セクターが只線路を引いて町を開発するより、民間企業が線路を引き開発した方が遙かに素晴らしい町になる例だって存在するではないですか?多摩NT・千葉NTと多摩田園都市を比べてみてください。どちらが成功して栄えていて住みやすい町ですか?多摩田園都市の方が色々な問題はあるにしろ、少なくとも普通の人には多摩NT・千葉NTより住みやすい町で住みたい町だと思われています。多摩田園都市開発圏内では色々問題があるにしろ最低限恥ずかしくないインフラは整っています(公団のNTとそんなに遜色はないと考えます)。町とて東急系が多いですがバスが走りデパートがありスポーツ施設がありケーブルテレビがあり公団のNT同等もしくは以上の設備が整っています(その分地価は高く豊かでないと住み辛いですが・・・)。
 これこそ「有効な民間活力の活用」の素晴らしい例ではありませんか?この様に民間の活力を使うことで社会的に効率よく住民には素晴らしいサービスを提供出来る方法は存在するのです。この様な民間の活力を最大限生かす方法は「自由競争」「公的セクターの関与は限定的にする」「有る程度適正に儲けさせる」と言う事です。その上で民間企業が足を踏み外すのなら其処に規制や指導を行えばいいのです。そうすれば社会的には一番好ましいのではありませんか?

 長々となり纏まりませんが・・・取り急ぎ何か少々私の言い方が不味かったみたいで真意が伝わっていないみたいなので・・・

何故の「“公共”交通」か
 投稿者---551planning(2004/02/29 01:23:43)

 総て解釈論でのやり取りとなるので、結果的に平行線となるわけですが、とりあえず論の明確化をば。

 直営形態の神姫バスにしろ子会社での参入の立川バス・神奈川中央交通にしろパチンコ業界への参入に”準公共事業体の持つバックボーン・ネームバリュー”を利用したという事は可能性的には低いと思います。
 実際にパチンコ店に入る人はパチンコ店の名前を知っていても運営者の名前を知っている人は少ないと思います。もしそのネームバリューにメリットが有れば子会社参入という方法を取らずに直営形態を取るでしょうし、店の名前や運営にも事業体の名前を全面に出すと思います。

 御指摘のように参入の背景としては遊休地活用等でしょう。ただ今後の方向性として、かなりの店舗間競争が予想されている事(前掲のような事業セミナーが結構開催されている事からも伺える)、その際に出玉なり付帯サービスなりでの差別化というよりは、どれだけ設備投資(新台の入れ替え頻度によるコンスタントな「波」づくり)が出来るかが問われてくるといっても過言で無い状況を想起すると、ある程度の事業規模の必要性があろうかと思いますし、地元で名が通っていればそれに越した事は無いわけですから、という意味での指摘です。
 無論そのお店が運輸業者が経営していようと無かろうと利用者には直接関係ありませんし、前面に押し出す必要性は全くないと言い切れるところですが、一方雇用面や対外的(特に公安面)でのポイントもあるのかなとはさほど難しく考えなくても辿り着ける結論のひとつと考えますが。むしろ今後は遊休地活用で、という安易な考えで手を出すべき業態ではないと思います。神姫の例はまさに事業性ありきになっているからこそBBSで取り上げたわけです。

 鉄道会社の沿線地域への影響力を利用する為に鉄道業者を買収する、又買収した事でその本業の業種を鉄道沿線に絨毯爆撃的に集中進出させて相乗効果を狙うという形態は今後あり得るかもしれません。

 うーん、当方のバスの事例もいささか無理があったかとは思いますが、御指摘の事例はより画が浮かばないといいましょうか…そもそもその位置になりうる「本業態」ってありますかね。

 又鉄道企業グループでは、東急や西武の様に連結で考えると既に鉄道売上が半分以下になっている鉄道グループも多数存在します。そう考えると内容的には程度の差は有れども既に大手民鉄の企業グループは鉄道を中心にした総合グループ化しているのですし、この流れは昔から続いて居るのですから(日本独特の鉄道運営形態とも言えますが)「運輸業=本業or専業」という事に拘る必要はないと思います。

 そういう意味での問いかけではなかったのですが…。
 あと、確かに売上高では鉄道業<付帯業となる大手グループはありますが、やはり損益ベースで見る必要があろうかと。特に土地神話崩壊後は不動産での「調整」ができなくなっているということがありながらも、ひっくり返してみればかのバブル期でも損益ベースでは鉄道業が主力を譲ってはいないはずです。これは「安定配当」という前提条件ゆえのものであったわけですが、弾力的配当施策に変わりつつある中で強化されている事業はやはり鉄道業であるということの評価論にもなろうかと。

 赤字ローカル線等の運営に関して「沿線で特定の副業を行う場合利益の一定を補助金代わりに公共交通維持に内部補填する」とか「沿線の開発事業に対し特別の特権を与える変わりに公共交通維持に責任を持つ」等の思い切った方策も特に地方での公共交通維持や都市圏で絶対必要な新線の建設等の場合に有効は方策ではないでしょうか?(まあ利益優先的な私の考えの極端な例とも言えますが・・・)

 内部補助を問題視すれば、御指摘のような「明確な条件化」でスッキリするとは思いますが、ただ字面からの感覚論で申し上げる限り、それこそ過度な保護施策として原則法的側面から成立し難いスキームかなという印象を受けます。

 鉄道・バス等を利用するのに有る一定限の平等性・公共性は必要な事は確かですが、公的な収支補助を得ずに本業・副業等で独立採算を維持する為に努力している民間企業に最低限以上のコントロールが特に公的機関から入るのは反対です。
 公的機関からコントロールは恣意的になる可能性も十分ありますし、透明性が維持出来ない可能性も又あります。それに加え赤字補助等のメリットを受けていない以上、有る一定の平等性・公共性維持以上の干渉を受けるべき筋合いはないのではないでしょうか?又平等性・公共性の維持は透明性や公平性の維持出来る明確な法や規制で各業者平等に課すべきです。補助や特別な利権を受けて良いのなら公的セクターから露骨な干渉を受けるべきではないと思います。民間企業を自由に活動させた方が公的セクターの運営より効率的である事は明白ですから・・・

 とも様からも御指摘あるところですが、「“公共”交通」の根源を質せば、こうした「民間運営万能論」は成立し得ないことは明確です。端的に云えば、平等性・公共性の立法保持を強調されるあまり、行政によるコントロールを否定するのであれば、実名を挙げてしまいますが北総開発鉄道や東葉高速鉄道などの運賃認可もおかしいということになりませんか?また既存事業者が補助を受けなければ独立採算維持として法外な運賃体系とすることも容認されうる可能性すら出るものと思われます。
 すなわち、これまでの行政コントロールは「実態に即した公共性の判定」であり有効であったわけですが、今後都市と地方の格差がより広がる時に行政の役割は更に重くなるものと考えます。と同時に、民間運営システムを十分活用すべく各種規制緩和が行われていると考えるのが至って自然かと思いますが。

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 最後に管理者からの雑感を。
 個別具体事例からいろいろと議論が展開している現状を好ましく思いつつ、あちこちで似たような「公共交通の根源論」が出てきているのは、なんとか集約化できないものかと考えを巡らせているところです。尤も事例紹介を散らしつつ、リプライがつくといろいろと論点が整理されて見えてきて、ではこうした考えは…という繰り返しをしている当方がイケナイのかもしれませんが。
 何か妙案、良い知恵がございましたらお教え頂きたく。

Re:何故の「“公共”交通」か?
 投稿者---TAKA氏(2004/02/29 16:26:16)

 管理人さんこんにちはTAKAです。確かに解釈論は難しいですし、なかなか文章だけでは伝わりづらい点もあり平行線になりやすい(敢えてする意思はないですが)内容ですし、私にも不明確な所もありますので、取りあえずその当たりは確かに明確化して置いた方が良いでしょう。

 御指摘のように参入の背景としては遊休地活用等でしょう。ただ今後の方向性として、かなりの店舗間競争が予想されている事(前掲のような事業セミナーが結構開催されている事からも伺える)、その際に出玉なり付帯サービスなりでの差別化というよりは、どれだけ設備投資(新台の入れ替え頻度によるコンスタントな「波」づくり)が出来るかが問われてくるといっても過言で無い状況を想起すると、ある程度の事業規模の必要性があろうかと思いますし、地元で名が通っていればそれに越した事は無いわけですから、という意味での指摘です。
 無論そのお店が運輸業者が経営していようと無かろうと利用者には直接関係ありませんし、前面に押し出す必要性は全くないと言い切れるところですが、一方雇用面や対外的(特に公安面)でのポイントもあるのかなとはさほど難しく考えなくても辿り着ける結論のひとつと考えますが。むしろ今後は遊休地活用で、という安易な考えで手を出すべき業態ではないと思います。神姫の例はまさに事業性ありきになっているからこそBBSで取り上げたわけです。

☆まあ遊休地活用でパチンコ屋というのも事業性は当然考えて居るでしょう。事業性という形では子会社運営方式・直営方式でも遊休地活用の副業でも変わりはないと考えます。又イメージ的にはパチンコ屋というのは収益性が高くてもイマイチのイメージがある事は否定出来ませんから子会社方式の方が企業イメージ的にはプラスかもしれません。その当たりの判断は難しいと思いますが・・・
 只民間運輸業者の名前を全面に出す事で公安面でプラスがあるというのは問題です。パチンコは警察の規制業種ですが、その規制は当然申請した会社全てに当然平等に掛けられ審査されるべき物です。親会社や運営会社の名前でポイントがあるというのは規制の恣意的使用で好ましい事ではありません(と建前論を・・・、実際は多少はあると思います。只バス会社の場合交通課には顔は利くみたいですが、公安方面にはその効果は?ですね)。

> 鉄道会社の沿線地域への影響力を利用する為に鉄道業者を買収する、又買収した事でその本業の業種を鉄道沿線に絨毯爆撃的に集中進出させて相乗効果を狙うという形態は今後あり得るかもしれません。

うーん、当方のバスの事例もいささか無理があったかとは思いますが、御指摘の事例はより画が浮かばないといいましょうか…そもそもその位置になりうる「本業態」ってありますかね。

☆ 確かに・・・私の想定はその地域スーパーがバス会社を買収しその沿線地域に進出しその時にバス会社の路線を店に経由させるとか、不動産会社が鉄道会社を買収してその沿線を開発するとかを想定したのですが・・・。ちょっと古いモデルではありますが、紀州鉄道の広告塔的考えの拡大版があっても上手く行くかな〜とは思ったのですが・・・。まず私の中で想定出来る業種は不動産になりますね。

 内部補助を問題視すれば、御指摘のような「明確な条件化」でスッキリするとは思いますが、ただ字面からの感覚論で申し上げる限り、それこそ過度な保護施策として原則法的側面から成立し難いスキームかなという印象を受けます。

☆赤字の公共交通を効率的に運営するには、やはり方策を任せて民間に任せる事です。その中で金(補助金)を出すと当然税金の投入となり其処で公的な金が投下される事になりますから、それならば税金を投入するより利権を与えて其方で金を儲けて貰いその金で公共交通を維持して貰う事が社会全体的にみて効率的では?という事です。暴利貪りが目的ではありません(最後の一言が誤解を招いたかな?)
 まあ考えのモデルはアメリカですが無いわけではありません。1862年の太平洋鉄道法です。この法は大陸横断鉄道建設促進の為法律ですが、この法は鉄道両側20マイルの公有地を建設の鉄道会社に譲渡の上第三者に売却可となっています。これは建設促進の為のアメで利権獲得の恣意的法案ですが、「公共鉄道建設促進の為に利権をアメにする」という考えは利用出来ると思います。今日本でこんな土地譲渡は出来ませんが「何か収益の上がる利権を保証する替わりに赤字の公共交通に尽くしなさい」と言うのは、如何に努力しても赤字の地方公共交通に税金を投入するよりかは、社会全体から見て効率的な方策だと思うのですが・・・

 とも様からも御指摘あるところですが、「“公共”交通」の根源を質せば、こうした「民間運営万能論」は成立し得ないことは明確です。端的に云えば、平等性・公共性の立法保持を強調されるあまり、行政によるコントロールを否定するのであれば、実名を挙げてしまいますが北総開発鉄道や東葉高速鉄道などの運賃認可もおかしいということになりませんか?また既存事業者が補助を受けなければ独立採算維持として法外な運賃体系とすることも容認されうる可能性すら出るものと思われます。
 すなわち、これまでの行政コントロールは「実態に即した公共性の判定」であり有効であったわけですが、今後都市と地方の格差がより広がる時に行政の役割は更に重くなるものと考えます。と同時に、民間運営システムを十分活用すべく各種規制緩和が行われていると考えるのが至って自然かと思いますが。

☆私はとも様のレスに先に意見を付けましたので重複する事を考えて余り述べませんが、決して完全に公の関与を否定はしていません。最低限にしてなるべく民間の活力を生かすべきで有ると言う事です。公的セクターの運営する鉄道事業はきわめて効率悪いですから・・・その効率悪さ投資根拠の不明確さが地方財政を圧迫する、それにより住民により多くの負担を強いる可能性があるという事です。
 少なくとも独立採算の為に暴利を貪る様な企業は公的な力で規制されるべきですし、可能な限り自由競争(鉄道では難しいですが、バスならそんなに難しくない?)が行われていれば、その様な事は市場の調節で調整されます(教条的な考え方ですが・・・)。
 私はそう考えています。これは皆さんが思っているほど私は自由主義者で規制には何でも反対というわけではないので・・・。その点は御理解頂ければと思います。

 最後に管理者からの雑感を。
 個別具体事例からいろいろと議論が展開している現状を好ましく思いつつ、あちこちで似たような「公共交通の根源論」が出てきているのは、なんとか集約化できないものかと考えを巡らせているところです。尤も事例紹介を散らしつつ、リプライがつくといろいろと論点が整理されて見えてきて、ではこうした考えは…という繰り返しをしている当方がイケナイのかもしれませんが。何か妙案、良い知恵がございましたらお教え頂きたく。

☆この手の議論が出てくるとご登場の私も、あちこちでこの手の議論が出てくる張本人の一人ですが・・・。事例を話している内は良いのですが、根本の所に話が行くと議論の根は一つ「公共交通は如何にあるべきか?」と言う所にたどり着きます。これは正直言って結論のでない問題である事は今までの一連の議論から明らかです。
 管理人様にはお手間を掛けますが、この話の為に別レスを常駐させ、他のレスがこの話になったら其処で打ち切って常駐レスに移管させるというのは如何ですか?
 それともこの話で何処か実例が出てきた所で現地でオフ会を開いて大議論してみるというのも良いかもしれませんね?

2004.11.14 Update


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