【検証:】過去ログSpecial

【検証:近未来交通地図】Special007
利用者便益分析の解説を試みる

 本投稿は、【検証:】掲示板でもお馴染みの、和寒様より 当BBSに御投稿頂きました文章およびその返信を、読みやすく構成させて頂いたものです(なお一部文面を編集しております)。
 また、和寒様のサイト 以久科鉄道志学館 ではグラフが付いた詳細版がアップされていますので、併せて御覧下さい。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/5256/benefit/00.html

 なお、【検証:】では掲示板投稿に限らず広く皆様からの御意見・レポート等を御紹介致します。自分ではホームページを持っていないけれど、意見が結構纏まっている…という貴方、各種ご相談に応じますのでお気軽に管理人までどうぞ!

下記内容は予告なしに変更することがありますので、予め御了承下さい。
当サイトの全文、または一部の無断転載および再配布を禁じます。


■ はじめに

 今日においては、プロジェクト投資に有効性を論じるにあたり、「費用対効果分析」がよく採りあげられる。「費用対効果分析」とは、単位投資あたりどれほどの効果があるかの除算であるから、わかりやすい。ところがその「効果」とはなにか、を定義することはたいへんむずかしい。
 本論では、上記「効果」の有力な計測手法とされる、「利用者便益分析」の理論体系について、わかりやすく解説したい。ただし、原理原則のみを羅列しても理解されにくいと考え、典型的例題を示すことにより、理論的背景の解説に徹したい。
 なお、私は技術畑の人間であり、経済学経営学は自分の専門の延長としてかじっただけに過ぎない。敢えてデフォルメした箇所を含め、わかりやすい記述に努めたが、その一方で厳密ではない、あるいは不正確な記述もあると思う。これについてはあしからず御容赦ありたい。


■ 仮定及び前提条件

QC=Constant
    Q:XY間の鉄道利用客数
    C:XY間の鉄道での移動にかかる一般化費用
→現状では 運賃 2,000円+80分×50円/分= 6,000円

 ※:XY間には鉄道しか存在しないとの仮定を置いたため、QCはこの定義になる。
   XY間に複数の交通機関が存在する場合には、QCは下記の定義となる。
     Q:XY間の総利用者数
     C:XY間の移動にかかる全交通機関を総合した一般化費用
   複数交通機関が存在すると、このCを求めるためには、数学的に極めて複雑な
   処理が必要である。
   そのため、「XY間は鉄道のみ」と状況を単純化した。

Pi =(Ci−C0)(Q0+Qi)/2
   P :プロジェクト実行後の利用者便益総額
   C0:
現状でのXY間の移動にかかる一般化費用
   Ci:
プロジェクト実行後のXY間の移動にかかる一般化費用
   Q0:
現状でのXY間の利用者数
   Qi:
プロジェクト実行後のXY間の利用者数

 この定義式は、(Q0,C0)(Q1,C1)(0,C1)(0,C0)を4頂点とする、台形の面積を求めていることから、「台形公式」または「ショートカット公式」と呼ばれている。

プロジェクト実行前の鉄道の収入は、下記のとおり定義される。

I=FQ
  I:鉄道の総収入
  F:XY間の運賃料金
→I0 = 2,000×20,000 = 4,000万円/日

■ プロジェクトの設定

▼ケース1:
 プロジェクト実行後、XY間の移動に特別料金 1,000円を課金する。

Q1C1


 ∴Q1

  P1








Q1×(2,000円+60分×50円/分+1,000円)
Q1×6,000円
Q0×6,000円
Q0=20,000人

(C1−C0)(Q0+Q1)/2
(6,000−6,000)(20,000+20,000)/2
0

 ゆえにこのケースでは、利用者便益が発生しない

I1 =(2,000+1,000)×20,000 = 6,000万円/日
I1−I0 = 6,000−4,000 = 2,000万円

 ゆえにこのケースでは、鉄道会社は1日あたり 2,000万円の増益となる

▼ケース2:
 プロジェクト実行後、XY間の移動に特別料金10,000円を課金する。

Q2C2


 ∴
Q2

  
P2








Q2×(2,000円+60分×50円/分+10,000円)
Q2×15,000円
Q0×6,000円
Q0×6/15 = 8,000人

(C2−C0)(Q0+Q2)/2
(6,000−15,000)(20,000+8,000)/2
−1.26億円/日

 ゆえにこのケースでは、1日あたり1.26億円の利用者損失が発生する

I2 =(2,000+10,000)×8,000 = 9,600万円/日
I2−I0 = 9,600−4,000 = 5,600万円

 ゆえにこのケースでは、鉄道会社は1日あたり 5,600万円の増益となる

▼ケース3:
 プロジェクト実行後、XY間の移動に特別料金を課金しない。

Q3C3


 ∴
Q3

  
P3








Q3×(2,000円+60分×50円/分)
Q3×5,000円
Q0×6,000円
Q0×6/5 = 24,000人

(C3−C0)(Q0+Q3)/2
(6,000−5,000)(20,000+24,000)/2
2,200万円/日

 ゆえにこのケースでは、1日あたり 2,200万円の利用者便益が発生する

I3 = 2,000×24,000 = 4,800万円/日
I3−I0 = 4,800−4,000 = 800万円

 ゆえにこのケースでは、鉄道会社は1日あたり 800万円の増益となる

▼ケース4:
 プロジェクト実行後、XY間の移動に特別料金 500円を課金する。

Q4C4


 ∴
Q4

  
P4








Q4×(2,000円+60分×50円/分+500円)
Q4×5,500円
Q0×6,000円
Q0×60/55 = 21,818人

(C4−C0)(Q0+Q4)/2
(6,000−5,500)(20,000+21,818)/2
1,045万円/日

 ゆえにこのケースでは、1日あたり 1,045万円の利用者便益が発生する

I4 =(2,000+500)×21,818 = 5,455万円/日
I4−I0 = 5,455−4,000 = 1,455万円

 ゆえにこのケースでは、鉄道会社は1日あたり 1,455万円の増益となる

▼ケース1〜4総括
 利用者便益分析理論においては、「算出される利用者便益は社会全体に発生する便益の総和」とされている。従って、各ケースのセクター毎の便益は、下記のとおりとなる。

(単位:万円/日)

  利用者便益 鉄道会社増益
ケース1 0 2,000
ケース2 −12,600 5,600
ケース3 2,200 800
ケース4 1,045 1,455

 ここで、鉄道会社増益が即ち純然たる財の増加(あるいはストック)と認定できれば、下記のような差引が成立する。

(単位:万円/日)

  利用者便益 鉄道会社増益 鉄道会社以外の便益増加
ケース1 0 2,000 −2,000
ケース2 −12,600 5,600 −18,200
ケース3 2,200 800 1,400
ケース4 1,045 1,455 −410

 しかし、実際には鉄道会社増益は必ずしもストックではない。この増益を他事業に投資すれば、社会全体に配分されていく。つまり、鉄道会社増益は一時停止中という意味でのストックにすぎず、マクロ的に見ればフローの一部を構成する。
 従って、利用者便益と鉄道会社増益とを差引することは適切でない。利用者便益と鉄道会社増益とは、併記してバランスを見るべき数字である。

 なぜこのようになるかというと、両者の性質に大きな差違があるからである。
 利用者便益とは「社会全体に発生する便益の総和」であり、「貨幣換算された効用増分」である。実際の貨幣が動くわけでは必ずしもなく、仮想的な金額が示される。
 鉄道会社増益とは、鉄道会社が手にする利益の増加であり、これは純然たる貨幣であり金額である。
 この両者を同列に扱うわけにはいかない点に、注意を要する。

■小結論

 現在オーソライズされている利用者便益分析理論を是認する限り、時間短縮便益に相当する(あるいはそれ以下の水準でも)対価を利用者に求める場合、利用者便益は相対的に低水準となる。
 鉄道会社は全ケースにおいて増収となり、即ち便益を得る。
 つまり、「受益者負担の原則」は、この例では鉄道会社、即ちプロジェクト主体に着目した「部分最適化」でしかなく、「社会全体の最適化」にならないことが示された。


■考察

 とはいえ、以上は理論的な展開である。
 理論とは「よくわからないことに仮定・前提を置く思考体系」にほかならず、その仮定・前提が是ではない場合、結論の全てが覆されることになる。
 ここで、以上の分析における主な仮定について検証する。

▼利用者便益分析理論

 利用者便益分析理論での「算出される利用者便益は社会全体に発生する便益の総和」という仮定(あるいは命題)の真偽を立証することは、極めて困難である。
 真偽いずれであれ立証できれば、経済学博士どころかノーベル賞ものの業績である。私の手には余るし、他の誰かに立証せよともいえない。それほど難しい対象である。
 仮に「偽」であることが立証できれば、上記の結論は根底から覆るが、これを立証することは私の能力を超過する。
 ただし、私が「この仮定(命題)は本当か?」との懐疑を抱いていることは否定しない。この理論が実体経済の中でほんとうに「真」なのか、あやしいと感じている。だからこそ「公共事業は『財を再生産する』対象に投資すべき」という根拠の乏しい持論を展開していたりするのだが、この仮定が「偽」であると自力では証明できないため、隔靴掻痒の観あり、というところ。あしからず御承知おき願いたい。

▼需要曲線

 この分析での需要曲線は、経済学で一般的に仮定されているもので、多少ニュアンスの違い(双曲線でなく負の一次関数とか)があったとしても、各ケースを極端な状況に設定しているため、傾向が異なるとは考えにくい。
 ここで、需要曲線の仮定が根本的に異なる場合、例えば、
   Q=Constant
 つまり、利用者数がXY間の移動に伴う一般化費用の変動に対して感応せず、常に一定である場合、これは現状が「限界効用」に達していることを示している。
 この状況において利用者便益を算出することは、形式的には可能である。しかしながら、一般化費用の変動に需要が連動しないとあれば、プロジェクトを実行する意義そのものを問わざるをえない。このような状況では「受益者負担原則」は至当であり、説得力を持つ原則として社会に受容されるものと考えられる。

▼貨幣価値換算

 この分析では時間価値50円/分としたが、この設定次第で社会的便益は大きく異なってくる。これが大きくなればなるほど、課金は正当化しやすく、また容易になる。

▼課金の形態

 例えば現金払いとクレジットカード払いとでは、消費者の消費性向に違いが出てくるのと同様、課金形態によって支払抵抗に差違があることが、様々な分析から確認されている。
 ここで、20分の時間短縮に対する課金を特別料金として賦するのではなく、XY両市での消費税率増加(それも内税)で回収するものとすれば、支払抵抗は少なくなり、結果として利用者便益を減殺しない。

■まとめ

 現在オーソライズされている利用者便益分析理論を「是」とする限り、「受益者負担の原則」は利用者便益を相対的に低水準化する。
 ただし、課金形態を支払抵抗の少ない形にする、その変形として利用者便益を別ルートにて環流するスキームを構築する場合においては、その限りではない。
 また、現在オーソライズされている利用者便益分析理論が「非」であることを証明できれば、分析結果は根底から覆り、「受益者負担の原則」は相応に説得力を持つ。個人的には実は「非」ではないかとの疑いを持っているが、この証明は大至難であり、論点としての提示は回避したい。

 論点として残るのは、当該プロジェクトが利用者便益分析理論を体現するか否か、との見極めであろう。理論が常に実際に当てはまるとは限らないので、個別的な検証が必要である。
 この分析を例にとると、20分も時間短縮したにもかかわらず、利用者数が増えないような場合は、理論の体現を疑ってしかるべきである。移動にかかる一般化費用が低減されても需要が伸びないとは、前述したとおり、現状が「限界効用」に達していることを示しており、プロジェクト推進を図るべきではないと理解できよう。また、そういう状況でこそ「受益者負担原則」、即ち直接的に受益する利用者が対価を払うべきという思想は社会的に受容されるであろう。


■最後に理論の背景解説

 以上のとおり、「利用者便益分析理論」と「受益者負担原則」とは両立しにくいことが示されたが、これは両者の理論的背景がまったく異なることに根源がある。
 「利用者便益」とは誤解を招きやすい用語で、より厳密に定義すれば「消費者総余剰」であり、「社会全体に発生する便益の総和」であるとされる。
 この分析では、計算の単純化のため、鉄道の利用者数と一般化費用のみを変数としたので、あるいは誤解を招いたかもしれない。本来の変数は、総利用者数と全交通機関を総合した一般化費用であることを鑑みれば、「社会全体に発生する便益の総和」であることが容易に理解できよう。
 即ち、「利用者」の「便益」と銘されてはいるものの、最終的に受益する主体が狭義の利用者であるとの保証は実はない。

 国をはじめとする自治体で、プロジェクト評価に「利用者便益分析」をベースに置いた「費用対効果分析」を採りあげていることは、

最終的な便益は誰が受益するかにかかわらず、社会全体の効用を効率的 ・効果的に増加させるプロジェクトに優先的に公費を投入する

ことを政策の基本理念としているにほかならない(ただしこれが明確に意識されているかどうかはまた別問題である)。

 これに対し「受益者負担原則」には、

どのようなプロジェクトを実行しても社会全体の効用は増加しない。 だから、直接の受益者がプロジェクトのコストを負担するべきである

という「限界効用」を前提とした理論背景がある。「受益者負担」とは、いわば商行為を理論化したものであって、便益の発生が限定的かつ特定できる状況に適用すべき理論といえる。

 従って、「利用者便益分析」と「受益者負担原則」の相性が悪いのは当然であり、一般的な状況では両立しえない概念とさえいえる。
 かろうじて接点があるとすれば、開発利益の還元等バイパス的な手法による、投下資本の回収ということになるであろうか。「社会全体の効用が増加」すれば「財産価値も向上し国富が増加する」という流れが「利用者便益分析」の本義であるならば、最終的に帰結された便益の一部を「税」にて回収する手法こそが、政策的に妥当ということになる。

■了■

追:本論は後日拙HP「以久科鉄道志学館」にも掲載します。
  その際は、「台形公式」をより理解しやすくするため、グラフを1葉追加します。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/5256/benefit/00.html


質疑応答編


大仰な横レス・理想は何処にありや
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/06/02 01:58:26) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 この論文に直接レスを付けるのも憚られる内容ですが、日頃漠然と(もやもやと)考えていることにつき、ちょうどいい機会なので述べてみたいと思います。
 これはあくまで和寒さんの論文に直接対峙するものではなく、一般論としての所感です。

●「最適解」とは
 利用者の便益と事業者の利益という二つの側面を考えた場合、その「最適解」を利用者にとっての極大化に置くのか、事業者にとっての極大化に置くのか。それともその総和に置くのか、という定義付けの問題があります。
 利用者の犠牲によって事業者の利益が極大化するケースもありますし、お互いの総和であっても片方のセクターが犠牲になっているケースも考えられます。

 このあたりは、「サービスはかくあるべき」「そこまでやってももうからない」という意見の対立をそのまま投影した格好であり、本来利用者と事業者の利益がそれぞれ極大化するのが理想であるのに、あたかも二律背反というか、対立軸にすらなっている部分です。公共・公益セクターの事業におけるベストモデルをどう定義付けるか、これをコンセンサスの形でまとまるのを待つのか、ある程度強権的に定義するのかというところです。

●「最適解」は存在するのか
 どこに軸足を置くのか、という議論はさて置き、利用者にとっての最適解、事業者にとっての最適解、社会にとっての最適解というものが存在する場合、その「最適解」が各セクターへベストの還元を実現することになります。
 そうなると、その区間、地域、極端に言えば国家単位での「最適解」が存在するという仮説が成り立つのではないでしょうか。

 その根拠、というか果実でもある便益、利益の積算において、事業のコストパフォーマンス、利用者のCSなどを計算するわけですが、例えば鉄道のダイヤにおいても、その評価を定量化する試みはすでにある、というか実際にそれで評価されています。(本掲示板でもお馴染みの矢切さんのサイト、「ダイヤと交通論」ご参照)

「ダイヤと交通論」 http://www3.ocn.ne.jp/~skylark7/

 そうなると、ダイヤグラムを含めた最適解が存在することになりますから、「あるべき事業内容」というものが固定されます。
それが正しいと仮定すると、自由競争は却って「最適解」実現への妨げということも可能であり、極めてオーバーに言うと、今までの運輸政策、というか(資本主義)社会そのものを根本から覆しかねないものといえます。

●「競争」って?
 それでも「競争」が成立すると仮定すると、これは事業者サイドの話ですから、事業者にとっての極大化を最大化した(最適解の)状態で、利用者および社会の便益をより増やすことを目的とした状態ということでしょうか。
 それによって利用者の支持を得て、収益を確保、極大化して事業者と利用者、社会に還元するということといえそうです。

 しかし、その「最適解」が事業活動、営業活動に付帯する一切の経済行為(雇用、調達など総て)を網羅したものであれば、「最適解」を超える「最適解」は存在するはずも無い、という矛盾に陥ります。

 結局、「競争」とは、各当事者にとってあくまで相対的な「最適解」しか存在しない前提においてのみ存在しうるのではないでしょうか。

●果実の帰属
 利用者の便益という場合、その区間(地域でも国家でもよい)の利用者全体に還元されると見ることが出来ます。
 一方で事業者の利益とした場合、事業者に帰属した利益が事業者の再投資活動などその事業者の空間で還元される限りは、結果的に利用者が果実を享受することが出来ます。

 これならば利用者の便益と事業者の利益を同種のものと見ることが出来ますが、実際には事業者の利益については、利益配当の形で特定の存在に帰属します。
 これが同種の事業に再投資されるとは限らない、その区間(地域、国家)での事業に再投資されるとは限らない、という、事業を取り巻く空間から見ての「外部流出」が必ず発生する事実を考えると、ある程度置くべき軸足は見えてきます。

●終わりに
 ここまで極論に走ると、では「最適解」を念頭に置いた計画経済を是とするのか、といった話になるかもしれません。ところが計画経済と自由経済を比較した場合、社会の活力その他様々な面で自由経済のほうが優れているということは自明です。

 これはここの理論は正しいが合わせると不適になる合成の誤謬の世界なのか、最適解を念頭に置いた計画経済というものがまだ試みられていないだけなのか、理由は分かりません。
 悪魔的発想をすれば、優勝劣敗というか、何か犠牲になる存在があるから社会の活力が維持されるという、人間というか生き物の本質にかかわる部分が影を投げ掛けているのかもしれません。

 以上、確たる裏付けも無い思い付きよりも戯言ですが、御海容のほど。

「利用者便益分析の解説」を読ませて頂いて
 投稿者---TAKA氏(2002/06/03 00:09:21)

 和寒様 元々私が成田新高速鉄道の建設に関して巻き起こした、プロジェクトの実施に関して「利用者便益分析(社会全体の便益)」を重視すべきか「受益者負担原則(事業単独の採算性)」を重視すべきかと言う議論に関して理論的解説を頂き有り難うございました。
 本来なら私も理論的に自分の主張(受益者負担原則)の有用性を解説しなければなりませんが、正直言って私では和寒様の意見に匹敵できるほどの理論的解説をする事は不可能なので、感想と簡単な私見だけ述べさせて貰います。

  1. 「利用者便益分析」と「受益者負担原則」は基本的に同じでは?
     「利用者便益負担の解説」では「費用対効果分析理論」は「最終的な便益は誰が受益するかにかかわらず、社会全体の効用を効率的・効果的に増加させるプロジェクトに優先的に公費を投入する」のが基本的考えで、「受益者負担原則」は「どのようなプロジェクトを実行しても社会全体の効用は増加しない。だから、直接の受益者がプロジェクトのコストを負担するべきである」と言う内容が書かれておりますが、これはちょっと違うのでは?と思います。
     私は基本的に受益者負担を求める事が出来るプロジェクトは「社会全体の効用が増加するプロジェクト」です。その中で一部の人の効用が増加する事で社会全体の効用が増加する事に対して、プロジェクトへの投資負担を社会(=政府)ではなく一部の受益者に直接求めようと言うのが考え方です。
     又「費用対効果分析」で公費を投入すると言うことは、社会全体の便益(実際は一部の人の便益)を社会全体で税金の形で回収すると言うことになります。
     基本的にはプロジェクトの投資負担を「受益者に直接負担を求める(受益者負担原則)」か「税金で社会全体で負担するか」と言うだけの差であるので基本的にはそんなに差があるのではないのではないか?と考えます。
     

  2. それでもある「利用者便益分析」と「受益者負担原則」の差
     上記では「基本的に差がない」と言っていますが、根本的には1つ差があると思います。
     即ち前にも議論で言っている「プロジェクトを「官」が主導するか「民」が主導するか」の差です。
     というのは社会の中でプロジェクトの社会効用の最適化を図るのに官が主導して経済モデルで最適モデルへ税金を投入する事で政府が誘導するか?、民が「受益者負担によるプロジェクト単体での採算性」を基準にして市場調節によってプロジェクト単体での最適化を図りその積み重ねで社会全体の最適化を図るという、いわゆる「神々の見えざる手」により最終的に社会全体で最適化を図る手段の差です。
     つまり現在の政府が「費用対効果分析」でプロジェクトを企画するやり方はマクロ的に上から行うやり方で「受益者負担原則」による民のプロジェクトはミクロ的にしたから積み上げていくやり方なのでその決定的差があり、その差がこの二つの考え方が両立せず相性が悪いと言われる根元にあると思います。
     しかし経済学的には政府にも「政府の失敗」があり市場にも「市場の失敗」があり現在ではどちらが正しいとも言えず優劣が付けられる物ではありません。
     それこそこれのどちらが正しいかが経済学的に証明できれば「ノーベル経済学賞」物ですが、それでももしあるかもしれない両者を融合させた新しい経済理論が有ったとしても政治的調整が入り「政治の失敗」が発生してそれこそ「社会的便益が極端に少ない無駄に近いプロジェクト」が発生する可能性があります。
     

  3. 最終的解決は不可能?
     飽くまでも私見ですが、この両者の最終的解決は不可能です。現在でも計画経済が完全に失敗に終わっているのが明らかなのにマルクス経済学が生き残っているのですから(なんとしぶとい・・・)アダムスミス以来の「市場と政府の関係」について完全に決着を付けるのは不可能です。
     それを解決させる「第三の理論」を見つけられたらこれ又「ノーベル経済学賞」物です。
     ですから本当に決着を付けようとしたら絶対に平行線をたどる事は間違い有りません。
     

  4. ではどうするべきか?
     これ又私見ですが、解決不可能な議論をしていても解決不可能です。
     私は社会全体の便益が図れる「利用者便益分析」は絶対に前提にすべきですし「費用対効果分析」もプロジェクト投資の前提にすべきと考えます。
     正直言ってこれは「受益者負担原則」にとっても受益者負担を求める理論的前提になります。
     只プロジェクトの投資負担を政府の税金投入で行い税金で社会全体から投資を回収するか?、「受益者負担原則」で受益者から直接投資を回収し、政府(自治体)はプロジェクトに介入しないか、支援しても間接的補助でとどめるか?、と言う判断は個々のプロジェクト毎に議論するしかないと思います。
     出来れば個々に民意を反映できる形にしたいですが、現在ではなかなか困難な状況ですから此処での議論は此処での議論として踏まえて「政府の失敗」や「政治の失敗」が発生しない様に神に祈るしかないのでは?(ちょっと投げやりかな〜?)

 正直言って和寒さんの「利用者便益分析の解説」は理論的にも非難の余地がないですし、私も基本的には否定する要素は存在しないと考えます。
 只此処で補足的意味でちょっと私見を述べさせて貰いました。基本的な差は経済学で言う「マクロ経済学」と「ミクロ経済学」の差です。
 これは私は「マクロ経済学」しか勉強していないので(大学時代(約10年前)「ミクロ経済学」関係の成績はボロボロでしたから・・・)
 こういう物の考えしか出来ず、正直言って和寒さんみたいにミクロ的な数学的理論の説明は出来ません。
 ですから私の意見はあくまで参考程度に考えて頂ければ幸いです。

続編をお待ちください
 投稿者---和寒氏(2002/06/04 07:21:47) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 このたびはあれほどの長文にお付き合い頂き、ありがとうございます。
 エル・アルコン様、TAKA様の御指摘には、相応の背景があると理解します。ところが、現時点で明快な回答は難しいです。
 といいますのは、本文では「利用者便益」の本質をわかりやすく示すことを心がけたため、「費用便益分析」に踏みこんでおらず、敢えてコスト要因を度外視しているのです。コスト要因には、運営コストと償還コストがあり、場合分けも多く解説がけっこう難儀です。
 以上の次第ですので、そのあたりのことも踏まえた続編を記しますので、その内容を見てまた御指摘を頂戴できればと思います。

 以下、一点だけ補足説明を。

 基本的にはプロジェクトの投資負担を「受益者に直接負担を求める(受益者負担原則)」か「税金で社会全体で負担するか」と言うだけの差であるので基本的にはそんなに差があるのではないのではないか?と考えます。

→差がない、という主旨と理解しますが、これには「差がある」と答えなければなりません。
 それは各ケースでの利用者課金(受益者負担)の額によって利用者便益に大差が生じていること、支払形態−−例えば現金払いかクレジットカード決済かの違い−−による支払い抵抗の差違(ただし本文ではこれに関する分析結果を外挿しているため根拠を明示していません)を考えれば、明らかです。

▽続編 費用対効果分析によるプロジェクト類型化を試みる へ

続編の前に私もちょっと・・・
 投稿者---TAKA氏(2002/06/04 21:16:53)

 本文では「利用者便益」の本質をわかりやすく示すことを心がけたため、「費用便益分析」に踏みこんでおらず、敢えてコスト要因を度外視しているのです。コスト要因には、運営コストと償還コストがあり、場合分けも多く解説がけっこう難儀です。

◎確かに仰有るとおり、「利用者便益分析」の側面のお話しであり、相対する物であるコストの話が欠けているのは事実です。
 しかしコストの話は個別の案件での各論の話にした方が、具体的で分かりやすいのではないでしょうか?
 「利用者便益分析」は基本的概念で共通的項目(一般論として説明できる)ですが逆にコストに関しては、事業のスキーム・事業を取り巻く状況や環境・償還の金利等の事業毎の環境が大きく異なるので、個人的には個別の事業で例示して説明した方が良いのでは?と思います。

 差がない、という主旨と理解しますが、これには「差がある」と答えなければなりません。

◎確かに利用者便益は利用者課金で相殺されますから、利用者便益だけで考えれば、当然「税金で社会全体で負担する=利用者課金がない」方が利用者便益は大きいですから、その点では差があるでしょう。

◎只社会全体の便益の総和で考えれば、差はありません。投資費用の出所が「個人の財布か国の財布か」と言うだけで社会全体ではどちらでも投資費用のもたらす負担は社会全体に対して中立的にしか働きません。
 ですから見方次第では「差がある」「差がない」という2つの見方が発生するでしょう。これはどちらも正しいと考えます。

◎確かに運賃等の直接的負担より税金による間接的負担の方が負担感が少なく支払抵抗が少ない点は優れているでしょう。
 但し支払抵抗が少ない物の税金による投資負担にも欠点はあります。

(1)税金による負担の場合、便益を得ない人にも負担が発生する。
これはいつか廻り回って低負担で便益を得られるチャンスがあると考えれば必ずしも欠点とは言えないが、必ずしも回ってくるとは限らない為、便益を得る人から確実に投資を回収する受益者負担も公平性の面から捨てがたい魅力がある。
(2) 税金投入によるモラルハザード発生の可能性。
これは「政治の失敗」と言える物ですが、税金は負担が軽くてしかも負担が間接的な為起きやすいと言えます。
「鹿や熊しか通らない高速道路」なんかはこの良い例です。
この様な事業が推進されても負担が軽く痛みも軽い為私たちは文句を言わず黙認してしまい勝ちです・・・

※この点は受益者負担で事業を行えば、必然的に税金の補填がないと思えば、採算性が重視され回避される可能性が高いです(但し現在の日本では、第三セクターの破綻等必ずしもこの通り言っているとは言えませんが・・・)。

◎受益者負担原則の限界
 正直言って上記の※印の文章は逆を言えば受益者負担原則の限界を示しています。
 即ち事業が採算性が取れないと判断された段階で、事業が中止されてしまいその事業の公共性が高く実施すべき事業でも、採算が取れないと言う理由で中止されてしまいます。
 これこそまさに受益者負担原則の限界です。
 この様な場合に税金投入の公共事業の場合には、問題なく実施されます。

◎ではどうすべきか?
 上記の通り受益者に直接負担を求める(受益者負担原則)」か「税金で社会全体で負担するか」はどちらも選択肢として保留しておき事業毎に「税金で社会全体で負担するか」を検討して、税金での負担が好ましくないが事業を行う時には採算性を考え採算性が取れる時には受益者負担原則にて事業を行うのが好ましいと考えます。
 但し社会で最低限必要であるシビルミニマムの部分に関しては、(先にシビルミニマムの内容について社会全体で合意をしておく必要性が当然ありますが・・・)無条件で「税金で社会全体で負担する」方法を選択する様にする必要性があります。

※私も多少本題から離れ、長々と文章を書いてしまい申し訳有りません。
 もう少し和寒さんみたいに理論的かつ具体的に説明できればいいのですがちょっと抽象的になりまして申し訳有りません。
 もし宜しければ御一読頂きご意見を下さい。

2004.11.14 Update


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