【検証:】過去ログSpecial

【検証:近未来交通地図】Special003
New York & Washington〜spring 2001〜
(追悼…アメリカ同時多発テロに寄せて)

 本投稿は、【検証:】掲示板でもお馴染みの、さいたま市民@西浦和様より当BBSに御投稿頂きました文章を、読みやすく構成させて頂いたものです(なお一部文面を編集しております)。

 なお、【検証:】では掲示板投稿に限らず広く皆様からの御意見・レポート等を御紹介致します。自分ではホームページを持っていないけれど、意見が結構纏まっている…という貴方、各種ご相談に応じますのでお気軽に管理人までどうぞ!

下記内容は予告なしに変更することがありますので、予め御了承下さい。
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 みなさんこんばんわ。半年前の私のNYとDCの体験記です。

 私の商売では、年度始めにも若干の休業が認められているので、思い切って、休暇を使って8年ぶりの海外旅行をしたのです。そのときのことを思い出して(9/11発生のアメリカ同時多発テロの)「追悼文」としたいと思います。
 今年の4月1日は日曜日でしたね。2日はやはり年度始めの業務がありましたので、3日より8日の日曜日まで6日間の旅をNYを中心にしてきたのです。日程に沿って思い出してみます。


#第1日目(4月3日)

 前にも掲示板に書いたのですが、自宅を11:00出発。武蔵野線〜京浜東北線で日暮里へ向かいました。しかし、11:35に日暮里を出るスカイライナーを快速電車の窓から見送って上野駅へ到着。大連絡橋のフードコートで無印良品のシェービングジェルなどを買った後、次の12:10のスカイライナーの券を京成上野駅で英語の練習をかねて購入。切符売り場の女性はいやな顔をしてましたが…。
 概ね満席のスカイライナーは約60分で空港第1駅へ到着。エスカレータを上り、北ウィング4F出発ロビーへ。両替を済ませた後、集合時間の14:00、閑散としたロビーの団体カウンターで航空券を受け取り、5Fのショッピングビルへ。名残のマグロ丼を食べたりした後、出発ロビーからおなじみのエスカレータを降り、3F出国手続き場へ移動。ゲート44番は南ウイングの先にあるため、長い廊下や動く歩道をずうーっと進んで到着。
 44番はNY行き、43番はシアトル行きなどNW社の路線の集中する時間で、多くの乗客がサテライトで待っていました。アジア大陸からの便から一旦降機した人も多かったでしょう。私はそこで水1Lを買って、12時間の長丁場に備えたのですが、飛行機を待っている多種多様な人種民族の人々を様子を見ると、ルールはどうあれ、グローバリズムの現実を思い知らされます。

 NW社18便は香港発成田経由NY行きで、747型です。
 香港からの人々と、東京からの人々とを乗せて、15:55成田を離陸しました。機内は、結構混んでいるかと思いましたが、私の3人がけ席は真ん中は空いてました。トイレに近い後ろの席では、5人がけ席に1人で横たわっている、「エコノミースリーパー」の人もいました。
 飛行機は、夜になっているアリューシャン列島(このへんでは結構揺れました)からアラスカ南岸、カナダ内陸部上空を飛行し、5大湖付近からは夜も明け、明るい中を北側からNYへ到着しました。マンハッタン島の北側からNYへ降りていきますので、窓から見下ろすとマンハッタン島が一望でき、「お〜ここへ来たのか」との思いもひとしおです。一旦大西洋へ回り、180度ターンして高度を下げていきます。ロングビーチの電車の終点や、地下鉄の走っているのを見ながらJFK空港へ降りていきます。この飛行場の周囲が干潟や沼になっているのは、騒音対策や安全、自然保護の意味があるのでしょうね。

 JFK空港では、前の飛行機がつかえていることもあって、しばらくサテライトへ着けなかったのですが、世界各国の飛行機が集まっていることは良くわかりました。
 JFK空港の中はなんかよくわからずに、前の人について行くばかりで、長い廊下を進んだり階段を上ったり降りたり、同一平面ではない移動をして、入国審査場へなんとかたどり着きました。入国カードに宿泊先を書いてなかった私は、警備の人(警官でしょう)に旅行会社の書類を見せて書いてもらったりして、何とか入国できました。おおっと〜、アメリカは甘くない。でも、このとき日本時間では既に午前4時。眠いはずなのに。
 迎えに来たHISの人に出口のゲートで会って、彼の運転する会社のミニバンでマンハッタン島へ向かいました。JFKからマンハッタンへのハイウエイは工事中の地点もあり、あまり道は良くなかったのですが、中央分離帯には新交通(ジャマイカ駅へ向かう)の支柱も立ち、次に来るときは鉄道アクセスが実現しているでしょう。

 HISの送迎ミニバンは、イーストリバーをくぐり、繁華街42丁目の高級ホテルのエントランスへ到着。私は87丁目の安宿なので、そのまま乗ったまま。42丁目から87丁目は距離にして数キロ、地下鉄でも6〜7駅あったですね。アッパーウエストサイドの落ち着いた地域に私の安宿はありました。これから定宿にしたいなあ。
 説明の後、翌日の1日観光と野球ツアーの申し込みをした後、荷物をほどいて夜のNYへ出撃です。といっても一人ぶらぶらなのですが…。
 まず、地下鉄へ乗ります。駅は86丁目、路線は1号線と9号線です。ブロードウエイローカルといわれています。電車は川崎製の新型で、切符は自動販売機でメトロカードを買います。何ドル分買ったか忘れましたが、再び42丁目へ行ってみます。
 42丁目タイムズ=スクエアーは東京で言えば銀座〜数寄屋橋と新宿をあわせたといった様子ですね。劇場や映画館、全米ネットワークのテレビ各社のサテライトスタジオが並び、アメリカの情報産業のある意味中心と言ってもいいでしょう。また、私もそうですが世界中からの観光客が集まっています。
 そして、次にエンパイヤ=ステートビルへ上ります。ブロードウエイからは数ブロック東にあります。すたすたと歩いて、入口を見つけます。入場料を払って、エレベーターへ並びます。中学生の修学旅行がたくさん来ています。その中に一人黄色いのがいるのはなんか場違い。
 そして、87丁目へ帰り、Deliで大きなサンドイッチとジュース、水を買って宿へ帰り、その日は終わったのです。
 ホテルは、一番安い(らしい)が、ベーシックなサービスがしっかりした、ビジネスホテルとペンションの間のような感じでした。 「風呂のある部屋」をオーダーしたのですが、バスダブが浅く、時ならぬ半身浴となりましたが、時間をかけて入ったので、結構疲れがとれました。

#第2日目(4月4日)

 時差ボケで、浅い眠りの中、窓の外が明るくなってきました。TVをつけると午前6時。ケーブルテレビはローカルニュースをやっています。交通事故、火事、発砲事件…まさにここはNY!
 今日は1日観光と夜の大リーグ観戦ツアーを頼んでいます。集合場所は7番街53丁目のホテルです。ホテルを出て地下鉄1/9号線で49丁目まで行きます。ちょっと早く着きましたので、ホテルを出たり入ったりしておりましたが、ホテルの前の屋台のベーグル屋でコーヒーとベーグルを買いました。バスに乗ったら食べましょう。

 HISの1日観光は53丁目から出発し、南へ行きます。タイムズスクエア〜ワシントンスクエア〜チャイナタウン・リトルイタリー〜市庁舎〜ウォール街〜バッテリーパーク〜自由の女神(登らないのですが)〜PIER16での昼食〜国連ビル〜ダコタハウス〜セントジョンカテドラル〜ハーレム125丁目〜セントラルパーク沿いに5番街を南下、私はプラザホテルの前で降ろしてもらいました。ぶらぶら歩いた後、再び集合場所のホテルへ戻るのですが、その途中、有名なカーネギーホールの前を通ったりしました。
 大リーグ観戦ツアーは夕方17:40集合です。この日の「地下鉄で行く大リーグ観戦ツアー」は、ヤンキースタジアムで行われる、NYヤンキース対カンザスシティーロイヤルズの試合です。ホテル前の47-50丁目ロックフェラーセンター駅から地下鉄D号線でマンハッタン島を北へ向かいます。ヤンキースタジアムはハーレムリバーをくぐり、サウスブロンクス161丁目ヤンキースタジアム駅で電車を降ります。D号線はマンハッタン島内では急行地下鉄で、ブロンクス区へ入ると3線区間を利用して、片方向へ急行運転を行いますね。
 ヤンキースタジアムの裏側は地下鉄の高架線で4号線の電車がちらちら見えます。TVの中継でも見えます。
 試合はヤンキーズが勝って、皆満足して帰宅します。私たち日本人団体客は、添乗員さんの心配をよそに、夜の地下鉄でホテルへ帰ります。私の86丁目にはD号線は止まりませんから、59丁目コロンブスサークルで1/9号線へ乗り換えて86丁目駅近くのホテルへ帰りました。一行の中にはもっと北の110丁目まで帰る人もいました。

#第3日目(4月5日)

 ようやく時差ボケが直ってきて、今日はワシントンへ行ってみようと思います。どうしても朝の寝起きは悪いため、ゆっくり起きます。そして34丁目ペン=ステーションへ行ってみます。駅は有名なマジソンスクエアーガーデンの円形の建物の地下にあります。なんか不思議な感じです。駅の入口は建物の四方八方にありますが、入口によって雰囲気が違うのは上野や梅田などと同じかもしれません。
 階段を下りて、コンコースに入りますと、これもまた日本の大都市の駅同様商店街が続いています。長距離客用の出札口と待合フロアーには大きな掲示板があり、皆見上げています。当地では空いているホームに列車を入れますので、到着ホーム出発ホームが決まっていません。到着数分前にホームが決まることもざらです。
 コンコースを探検してみますと、長距離ロビーと近距離コンコースは別れていることがわかります。近距離列車のロングアイランドレイルロード線やニューヘブン線などは東側のコンコースからホームへ降ります。コンコースは地下鉄各線の入口へ繋がっており、人の流れは止まりません。近距離コンコースで各線のパンフレットになっている時刻表を手に入れておりましたら、駅員が不審に思ったのか、「どこへ行くのか?」みたいなことを聞かれたのですが、答えられずにあわてて長距離ロビーへ移りました。
 長距離のインフォーメーションでアムトラックの無料の時刻表や旅行ガイドを分けてもらい、DCへ行く列車の時刻を調べてみます。超特急のacela expressは1日に数本早朝と夜の運転で、1時間ごとのmetro linerは予約制で、結局ローカル直通列車のnortheast directがちょうどあるようなので、出札口で切符を買ってみます。ところが、どうも発音が悪いのか、よくわかってもらえないようです。でも列車のホームも決定し、時間も迫ってきましたので、発券された切符をもらい1層下の乗り換え通路へ降り、到着を待ちます。列車は機関車牽引の客車列車で、まあ普通車といったところでしょう。やっぱりイスは大きいですね。

 さて、乗車し、席に落ち着いたところで列車は出発です。地下にあるペンステーションのホームが終わりますと、一瞬地上の光が射し込んで、ハドソン川の川底のトンネルに入っていきます。トンネルを抜けますと、列車はニューアーク手前の湿地帯を走ります。速度が上がって、ブレーキが掛かりニューアーク駅に停車。PATHやニュージャージートランジットの電車も到着します。その先は、複々線区間を結構な速度で飛ばします。
 車掌が来て検札を行いますが、とんでもないことに気づきました。切符がワシントン行きではないのです。フィラデルフィアの次のウィルミントンという駅までしか買ってなかったのです。“I have wrong ticket”というのが精一杯の私に、隣に座っていたご婦人が、助け船を出してくれました。私が時刻表を見せて、ワシントンまで行くということをわかってもらい、乗り越しをすることになりました。罰金とかは無いのでしょう?アムトラックの車内補充券なんていうのは珍しいですね。その後、そのご婦人と片言の英語で、汗を拭き拭き話をしました。日本に滞在したこともあるとかで、お世辞でしょうが私のめちゃくちゃな英語をほめてくれました。
 トレントンに止まり、フィラデルフィアに着きます。お友達と会う約束があるそうで、ご婦人も降りていきます。駅のそばは結構荒れた感じですが、遙かに望むフィラデルフィアの都心はビルが建ち並び、大都市であることがわかります。この30丁目駅はアムトラックの駅ですが、そばには近郊からの路線だったのか、古い鋼製の高架廃線(それも電化跡)があったり、鉄道による輸送もスクラップアンドビルドが行われたのだなあと思います。
 話題のウィルミントンにも停車します。駅前に大きな銀行のビルディングがあるのが見えます。そしてボルティモアを過ぎますと複々線も複線になり、ワシントンが近づきます。地下鉄線の始発駅にも連絡のために停車し、客車区の横を通り、列車はブレーキをかけます。ユニオンステーションアッパーレベルの行き止まりホームに到着しました。NYから約3時間半の行程です。

 ホームからコンコースへ出ますと、そこはフードコートになっており、各種のレストランやファーストフード店が並んでいます。また、長距離列車もありますので、クリーニング店やおみやげ屋もあります。天井の高い正面玄関へ進み、インフォーメーションで市内観光バスがあるか教えてもらいます。玄関の真ん前から出ていると聞き、切符を買って乗り場へ行ってみます。市内観光バスはトロリー形式で要所要所で乗り降り自由、降りずに回っても2時間ぐらいで回れるとのことで、天気も良く、NYよりも暖かなDCを回ってみました。
 ホワイトハウスは大統領が替わったばかりで内装工事中で、バスは横を走るだけでした。国立劇場、ナショナルジェオグラフィックソサエティーの前や大使館通り、ジョージタウンと回り、満開の桜並木、オベリスク、スミソニアン、国会議事堂、連邦最高裁判所と回り、ユニオン駅へ戻りました。NYにあまり遅く帰りたくないので、帰りの列車のことが気になり、切符売り場へ行ってみますと、ATMのような自動販売機が並んでおりましたので、これで切符を買ってみます。クレジットカードを使います。次のノースイーストダイレクトは20分後、NY到着は夜の7時過ぎとなります。そのあとはしばらくメトロライナーなので料金が倍かかります。あわてて切符を買いホームへ行きます。行き止まり式ホームの先頭近くの客車の座席に落ち着き、列車は発車です。

 車内の売店で瓶入りの“グリーンティー”を買い(店員の女の子は来るときの列車でも働いていました「また乗ってるの?」といわれた気がする)、ボルチモアエアポートや、来るときに止まった大都市の各駅に止まりながら列車はNYに近づきます。夕方の便のせいか、来るときよりもいくつか停車駅が多かったようです。その中には、駅前に日本のショッピングセンターのような立体大駐車場のある駅もあり、パークアンドライドが徹底しています。
 うとうととしているうちに再び、NYの摩天楼を望むニュージャージーの湿地帯に入ってきました。ニューアークのホームではPATHの電車が横付けです。そして再び川底トンネルを潜ってペンステーションへ到着です。ニューアークまでは複々線ですが川底トンネルは複線です。よく列車をさばいているなあ!
 およそ半日で列車でワシントン見物をしてきました。は〜疲れた。

#第4日目(4月6日)

 今日もゆっくりと起きて、市内をぶらぶらしてみようと思います。
 目的地はあまりなかったのですが、「コロンビア大学」と「地下鉄博物館」へ行ってみることにしました。
 87丁目の宿からはコロンビア大学は北へ向かいます。116丁目付近のブロックです。地下鉄ではなくバスで北上してみます。バスは市バスM104番です。一番前で空いていた優先席へ座って前方を確認しながら進みます。地下鉄の駅もある116丁目停留所で降りると西門です。芸術学部やホールがある入口です。門から校内へ入ってみます。大きな講堂や庭園、教室棟が並んでいます。「ルームメイト募集」とか「バンド演奏会」とかポスターがいっぱい張ってある部室らしい建物もありました。
 敷地を横断して、西側のアムステルダムアベニューに出ます。大学の北側角に「teacher's college bookstore(教育学部書店?)」というカンバンを出した本屋がありましたので、入ってみます。大学生の教科書や記念グッズが売られています。本や記念品を買い求め、南へ向かうバス11番に乗り込みます。バスは南へ南へ進み、ポートオーソリティーバスターミナルが見えたところで降りてみます。9番街33丁目あたりでしたか、ちょっと荒れた感じの通りでしたので、7番街へ移ります。

 今度はブルックリンの地下鉄博物館へ行ってみます。地下鉄A号線のHoyt-Schermerhorn駅へ行くのですが、ペンステーション近くの地下鉄駅からは乗り換えがあります。まあいいやと適当に地下鉄駅に入ってみます。入ったのは86丁目の方から来る1/9号線で途中Chember Street駅で乗り換えることにしました。すると、一旦外へ出て、1ブロック歩いて乗り換えるのでした。
 A号線はずうっと乗っていくとJFK空港の入口のある駅へ行きます。ホームにも小さく飛行機のマークが表示されています。 黄色いのが一人で下町へ行くのは心配ではありますが、Hoyt-Schermerhorn駅には交番もある表示になっていましたので、着いたときにその交番で道を聞けばいいかとたかをくくってどしどし行ってみました。
 電車を降り、改札出口を出ると交番がありましたので入ってみます。「地下鉄博物館」を私は"subway museum"と発音しておりましたのでお巡りさんたちにはわからず、"transit museum"だろうなどというのが聞こえます。「2ブロック先だ」「地上出口に書いてある」みたいなことを言っていたようでしたので、そこそこに地上へ出てみます。出ては見たものの方向音痴状態で、違う方へ2ブロック行ってしまい、汗だくになったところで、スタバがあったのを幸いに入ってトイレを借り一服です。スタバは日米共通の作りなのでなんとなく落ち着きます。店員の女の子に聞いてもわからなさそうで、来た方向へ戻ってみます。何人かの人に聞いてみてようやく博物館の入口へ着きました。

 古い地下鉄の駅を使っていますので、入口は地下への階段です。地下1階のフロアーはショップと歴史の展示です。地下2階はホームに旧型電車を並べ、乗り込めるようになっています。100年前の現金輸送用車両から、2重屋根の旧型電車などが並んでいます。ぱらぱらといた見学客は子供連れはもちろん、アベックや年輩の人もいます。
 ショップで無料の路線図などをもらい、キーホルダーを買います。古いトークンなどをキーホルダーにして売っています。

 博物館から、外へ出て、マンハッタンへ戻ります。博物館はブルックリンの中心部にも近く、地方裁判所のそばの地下鉄バスのターミナルから、今度はバスでローワーマンハッタンへ行きます。B51番のバスに乗ってみます。市庁舎行きです。渋滞するマンハッタン橋を渡り、チャイナタウンを通って、市庁舎前が終点です。バス終点の前にあるパソコン屋をながめてからWTCの方へ行ってみます。今は無き110階建てツインビルのWTCはてっぺんが雨に煙っており、入場券売場の人に、「何も見えないよ」と言われ、登るのはあきらめました。見上げる方が印象が強かったです。合掌。
 NYSEの前を周り、再び地下鉄に乗って42丁目へ戻ります。最後はグランドセントラル駅へ行ってみます。市立図書館の前を通り、メットライフビル(旧パンナムビル)を見上げます。駅そばの「コイデカメラ」支店でポケットいっぱいになった使い切りカメラを60分現像に出します。その間に駅の中を探検です。夕方のターミナル駅は多くの人が家路につきます。DCユニオン駅同様高い天井のメインホールを抜け、コンコースから地下1階フロアーのフードコートで夕食を食べます。有名なオイスターバーは混んでそうなので入らず、日本と同じ持ち帰り鮨やほか弁を売っている「EKIBEN」店(働いているのはもちろん日本人)がありましたので、ここで、「鰻弁当」と「黒ラベル」を夕食としていただきました。店員の人は2年前からやっているとのことで、旅行者にとってはここがNYのグランドセントラル駅であることを忘れてしまう空間でした。
 そして、地下鉄博物館のミュージアムショップを見て、出来た写真を引き取り、地下鉄で87丁目の宿へ帰りました。

#第5〜6日目(4月7〜8日)

 さあ、いよいよ帰国の日です。ホテルへの迎えは11時に来ます。8時前にホテルを出て、もう一回りしてみます。まずは72丁目へ。ここには有名なダコタハウスアパートメントがあります。NYの歴史的建造物になっています。セントラルパークのほとりの古いマンションを目指して歩きます。古いNYの通りです。マンションの中には入りませんでしたが、その前から市バスでまた、南へ向かいます。
 53丁目で降り、東へ歩きます。まだ開いていないモダンアートミュージアムの前を通り、メトロノース線の上のパークアベニューを越え、シティーバンクのビルへ向かいます。旅行会社のくれたシナモンロールのクーポン券の指定された店がそこなのです。ビルのそばにはNYメッツのグッズ店もあり、ステッカーなどを買います。背番号5番の彼については、まだ行ったばかりなので店員も知らない様子。大きなシナモンロールを食べて、地下鉄F号線で34丁目へ向かいます。家族へ何か買っていけるかとMacy'sデパートへ行ってみます。大きなデパートなので、時間もないので上の方の階へは行かず、1階で何かないかと探したところ、デパートオリジナルの麻の買い物袋がありましたので、これを買って、鞄から溢れた荷物をまとめれば、機内持ち込みもできるだろうと求めました。

 さて、時間は10:30!87丁目へ戻らなければなりません。地下鉄1/9号線にまた乗ります。平行している2/3号線は改修工事中で急行運転は無し、少し混んでいます。汗を拭き拭きホテルへ戻りますとHISの人がホテルの前でいらいらしながら待っています。ジャスト11時到着。部屋へ飛び込み、あわてて荷物をまとめます。チェックアウトの後、ミニバンで空港へ向かいます。「今日はほかのホテルの人がいなくて良かった」と言われながら、ハイウエイを東へ。若干混雑しているところもあって、クイーンズの裏道を抜けたりしてJFK空港へ急ぎます。NW社の空港ターミナルは第3です。
 チェックインまでは係の人につきあってもらってそこで別れます。出発ターミナルへ移り、おみやげ屋や軽食の売店などを一回りします。町中の屋台で売っていた甘い匂いのするピーナッツ菓子が買いたかったのですが、同じようなアーモンド菓子がありましたのでこれを買います。細かいドル硬貨はもって帰っても両替できませんから、使ってしまいます。小さな絵はがき、水など買い求めます。

 一通りの儀式が終わり、いよいよ出国です。荷物検査を通り、待合室へ移ります。東京経由香港行きNW0017便を待つ人々はやはりアジア系を中心とした様々な人々です。飛行機の準備ができ、ようやく乗り込みます。行きとは違って結構な乗りです。満席です。私は、香港へ向かうおばさんと、アメリカ各地で1年近く働いていたので、ビザが切れてるかわからなくて心配だと言っていた日本人の若い女性の間におさまりました。12時間の飛行は今度はずっと明るい中を飛んでいきますので、機内は暗くされ、3本立ての映画の上映です。その上、日付変更線を越えますので、1日進めることになります。午後に乗った飛行機を降りるのは夕方なのですが次の日になるわけです。
 成田からは、18時頃の上りスカイライナーでしたが、そんなに混んでいた印象はありません。50〜70%の乗りだった気がします。そんなこんなで帰宅したのは21時近くになってしまいました。でも、40男の肝試し、なかなか楽しかったです。


 追悼に加えていくつか思うところを…。
 さて、このたびの出来事でかの地では各航空会社による輸送がそれぞれ20%ずつ縮小されるそうです。ナショナルフラッグの時代〜規制緩和〜サービスのアイディアやダンピングの大競争時代〜数グループのハブアンドスポーク輸送による再寡占時代〜テロによる輸送縮小の危機、と航空輸送も激動の時代を過ぎてきましたが、この先はどうなるのでしょう?そして Amtrakの運命は???
 どの国でも安全には力を入れているのでしょうが、人々の気持ちの上での安全保障は誰が責任を取るのでしょう。特に現在の日本では…。ただ、国内において「(現代)文明の衝突」が最も早い時代に起こった国であり、一時はテロリストを輸出したとも言われ、サリン事件なども経験したアジアの我が国はもっと独自の貢献が出来るような気がします。私たちの代表たちはどこまで考えているのでしょうか。

 そして、あの瓦礫の下には2つの地下鉄駅があるはずです。どうなっているのでしょう。MTAの路線図も書き換えられています。
 あらためて合掌。そしてかの国とその地球の裏側の貧しき人々の間の不条理に号泣。

 今夜はTVの追悼番組の再放送を見ながら…。また必ず行ってみたいと思います。
 長くなりました。ありがとうございます。次に進みましょう。

2004.11.14 Update


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