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「バス高速輸送システム」とは何か-かしてつ・気仙沼線に見る理想と現実

2012/07/31、国土交通省は、子ども達や孫達の世代にすばらしい国土を残すための主要政策を取りまとめた「持続可能で活力ある国土・地域づくり」を発表しました。同日閣議設定された「日本再生戦略」にも多くが盛り込まれ、今後、予算要求や税制改正要望、制度改正等を通じて、施策の具体化が図られるとしていました…が、御承知の通りその後政権交代に。その後暫くはサイトトップからも直リンクが張られており、この基本方針は変わりないのかなとも思っていたのですが、さすがに新年度予算案が見えてきた段階でひっそり消された様子?(現在も総合政策のページから辿れますが)。
ともあれ、そこでは「4つの実現すべき価値、8つの新たな政策展開の方向性」が示されているところ、「持続可能な社会の実現」における「地域の生活・経済機能の強化と集約化」のうち次世代型の生活支援として、「超小型モビリティ」「ホームドア」とともにキーワードとなっているのが「BRT」(Bus Rapid Transit)-『定時性向上や輸送能力増大を目指したシステムであり、公共交通の利便性の向上及び利用促進を図るため、速達性・定時性等に優れたBRTの導入を支援』を掲げています。

さてBRTとは何ぞや…とある資料から引っ張ると『専用走行空間を有し、一般自動車と共存して運行する通常の路線バスよりも高速に運行し、都市あるいは都市圏内の幹線的な交通システムの役割を担うバスシステム』が“狭義のBRT”として捉えられようかと。1970年代中盤にブラジル南部クリチバ市で整備が進められたのを端緒に中南米各地に広がるとともに、豪アデレード、加オタワ、仏ナンシーなど世界各地にも波及し多様化。近年は韓国ソウルや中国などアジアでも導入が進んでいる由。
いっぽう日本はというと、モータリゼーションによる都市内での深刻な交通渋滞による「バス離れ」への対応策として、バス(優先・専用)レーンから名古屋市基幹バス(1982/03)そして名古屋ガイドウェイバス(2001/03)への革新、またバスロケから都市新バス(東京・新潟 1984/03)そしてPTPS(札幌 1996/04)といった進化、また車両面では千葉幕張導入(1998/12)から10年超と時間こそ掛かったものの連節バスがいよいよ各地に広がりつつある-という展開を見せており、その一部で“広義の”BRTとの呼称がなされておりますが、諸外国のように都市計画と密接に絡むトータルシステムとしてのものとはいささか違うかなと。加えて1960年代から存在してきた「鉄道廃線(および未成線)敷転用によるバス専用道」という存在が、昨今BRTの名の下に注目を集める状況となっているわけです。

今回は、茨城空港連絡という役割も与えられたことでその嚆矢ともなったかしてつバス、そして東日本大震災からの路線仮復旧と位置付けられるJR-E気仙沼線の現状から、両者がBRTの訳とした「バス高速輸送システム」とは何かを探り、その将来展望を考えてみることとします。


“クルマ社会”の中での存在感-かしてつバス

かしてつバス
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2000/03の改正鉄道事業法により、路線廃止が原則1年前事前届出制となったことで全国各地の赤字路線廃止が相次ぐことに。百里基地燃料輸送が2001/08に終了した鹿島鉄道でも御多分に漏れず存廃議論が浮上、地元高校生が2002/07に結成した「かしてつ応援団」の取り組みは2003年度の第2回日本鉄道賞「地方の活性化への貢献」部門選考委員会特別賞を受賞するなど大きく注目されましたが、結果的には親会社である関鉄が、TX開業に伴う経営環境変化を理由とする支援中止で2007/04に廃止・代替バス転換に。
しかし、石岡駅至近における慢性的な交通渋滞により、鉄道廃止前の懸念通りバス利用者は4割程度にまで落ち込むことに。時同じくして百里基地民間共用化が進められていたこともあり、アクセスルートとしても活用すべく「かしてつ跡地バス専用道化検討委員会」から「かしてつ沿線地域公共交通戦略会議」を経て、全国初の公設民営方式(専用道は市道として公的管理、運行は関鉄グリーンバス)による“地方型BRT”を標榜したバス専用道運行が、工事遅延で茨城空港開港には間に合わなかったものの5ヶ月遅れの2010/08にスタートしたのでした。

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当方は2010/10に茨城空港に初訪問の折、つくばセンターから連絡バスに乗車し千代田石岡ICからR6、R355と経由した際に横目にしたのだが、その時点ではかのシャープなスタイルのバスシェルターが各所でまだまだ整備途上だったことから、落ち着いた頃にでもじっくり再訪をと-考えていたのがすっかり御無沙汰に。2012/09の夕方、通りがかりのついでに1往復後、やっぱりじっくり見ようとその1週間後にようやく訪問したのだった。かしてつバス

正午前の石岡駅はマッタリムード。駅横のバスターミナルには11:35発の茨城空港行が停車中もスルーし徒歩移動、踏切を渡り「鹿島鉄道跡地 バス専用道」の看板が掲げられた入口へ。踏切脇ということで膨らんだ専用スペースも独特だが、ちょうど離合風景を目の当たりにすることとなった。入口ゲート部には遮断棒があり、そこを通過できるのは幅的に1台分のみ。作動は運転席からのリモコン操作とされているが、開放時間90秒とはバス通過後もそこそこ空いたままな感じも…実は1週間前の乗車時に石岡南台駅の先で侵入乗用車と遭遇!日暮れ後とあってかまさにここのゲートから間違って入ってきた様子、運転手氏が転回・誘導してゲート外まで出したのだが、その応対も慣れた様子は珍しくないということだろうか。
なお専用道内は歩行者も通行禁止だが、バス停前後のみ「乗降者を除く」旨の道路標識がしっかり掲げてあるのはさすがというかなんというか。というわけでR355をしばし進む。R6との交点である山王台交差点は日中も交通量が多い、そういやつくばからの空港連絡バスもココで暫し滞ったような。脇道から専用道脇に出ようとしたところ、住都公団(現UR都市機構)が開発した総面積74ha・1987年分譲開始の「フローラルシティ南台」エリアをかなり廻りこむ形となって石岡南台駅へ。鹿島鉄道としては最も新しかった1989/06の開業、2面2線で洒落た跨線橋がそのまま残るも封鎖。ホームもそのままと富山ライトレール東岩瀬駅にも似た感じか、ただ軌道2線のところバス道路としては1台分しか取れず、前後に交換スペースがある。というか、交換スペースは約200m間隔に確保とのことだが取れるところにボコボコという感じ? ちょうどやってきた石岡駅行を見送るが、バス停に人影がないと見るや停まることなくそのまま走り去っていった。
もう少し時間があるのでさらに徒歩移動、できれば東田中駅まで行って件のバスシェルターをじっくり見たかったのだが、手前の南台三丁目バス停から茨城空港行に乗車。このバス停は築堤上に完全新設、住宅地側に階段と送迎スペースも整備されている。現時点の専用道区間は石岡一高下~四箇村駅間5.1kmだが、旧駅5か所にバス停9か所が追加されている。

石岡駅12:05発の茨城空港行は10人ほどの乗りもこの先でパラパラと降車。ところで専用道区間では交差点16か所、うち7か所に遮断機が設置されているが、半数以上で原則バスが一時停止となることに。廃線から専用道化まで2年以上経過していたことも考慮されたためだが、特に遮断機設置の交差点についてはバス停もあるため、1週間前の夕方乗車時には都度引っ掛かる印象も。昼間はそれほどでもなかったが、バス停もある玉里工業団地が隣接するためか大型トラックも目についた。
かしてつバス R355が左手に寄り添うと石岡市から小美玉市入り。専用道区間は四箇村駅先で終了、その先約2kmは「利用状況等を鑑みて地元で検討」とされているのだが、草に埋もれた廃線敷は復活するだろうか…R355をしばし走って右折すると小川駅、「駅」を名乗るも2面3線を有していた常陸小川駅跡はすっかり整地され簡素な東屋があるばかり、ロータリー向かいとなる菓子店が往時の面影を伝えているか。かしてつバス的にも拠点性を有しており小美玉市がバスターミナル整備もという話もあったかと思うがどうなっただろう。

ちなみに乗車便は茨城空港で12:45発SKY那覇行と13:20発春秋航空上海行に一応接続ではあったのだが、残っていた乗客も小川駅で全て降りて当方貸切にて空港へ、思ったよりもそこそこな距離感だった。夏休み最後の週末とあって空港内は賑やか。上海からの到着便を受ける東京駅行高速バスは既に予約で満席、案内嬢が「石岡駅まで出て…」と身振り手振りで説明する一幕も見受けられたのだったが、この辺りの案内強化は是非にお願いしたく。運用的にはなかなか難しいのかもしれないが、専用デザイン車や茨城空港ラッピング車もいる中で、効果的なアピールにも期待したいのだが…。

かしてつバス
白棚線
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【日本初の“高速バス”-JRバス関東白棚線】

「バス専用道」を語る上でなんといっても外せないのがJRバス関東白棚線でしょう。1916年に白棚鉄道として開業も水郡線全通により経営悪化、1941年に国有化されたものの戦局悪化により不要不急線として1944/12に休止・代行バス転換。戦後、鉄路復活の機運が上がるも最終的には1957/04に自動車専用道化され「白棚高速線」に。国鉄が種々将来を見越していたこともあるとはいえ1963/07の名神高速初開通に先立つこと6年、文字通り“日本初の高速バス”となりましょうか。

こちらも当方、なかなか訪問機会がなかったのだが、2012晩夏の「南会津大周遊」の折、甲子道路を路線バスで通り抜けた後にそういえば…ということで乗車することに…お気付きの方は鋭いが、白棚線から水郡線で水戸へ抜け、帰京する“通りがかりのついで”にかしてつバスにも乗車したというわけだ。

ラウンドダイヤではないものの日中もほぼ時間1本見当は走っているが、あえて直近の1本を外して新白河駅から電車で1駅移動、先ずは白河駅から程近いJRバス関東白河支店へ…かの震災1週間前にその姿を確認していた元京成連節バスとの再会。2010年の退役後4台をJRBKが購入、震災を経て2011年秋からJR東日本総合研修センターへの送迎バスとして使用されている。白棚線での活用との話もあったようだが現時点では実現していない。

白棚線

さて白河駅13:45発便に乗車。この日は土曜日ということでグループで出掛けた少女など15人程が乗って出発。白河支店を右に見た先で左手にゆるかやにカーブする道へ。一般道化されているが元線路跡、一般車は一方通行だが「路線バスを除く」。白河高校前バス停で対向車と離合するが“らしさ”を感じさせてくれる。その先でR289に合流、一旦新白河駅に立ち寄るために外れたが、再び戻ってしばしR289を進む。白河モールまで4車線だったがその先から2車線に、そして関辺の交差点で右手前に入ると専用道区間。入口は車両進入禁止の標識のみで遮断機はおろかカラー舗装などもない。その先の一般道との交差点でも所々に「JRバス専用道路 一般車通行禁止 歩行者・自転車も通行できません」という看板も出ているが、迷い込んでしまいそうな気も…谷中バス停の先は震災による土砂崩れ復旧工事中で一般道迂回となっていた。
その先は丘陵の拓けたど真ん中を突き進んでゆく。緑のトンネルの手前にあるのは番沢バス停、ここも一般道との交点だが専用道が線路跡であることが判り易い。更に進むと「国鉄高速度専用自動車道」の文字が残る看板も朽ちかけながら残っていた。表郷幼稚園前の先でR289復帰、というか線路跡がR289改良に充てられたのであろう。その先が磐城金山、いわゆる「自動車駅」として窓口営業も1988/04のJR東日本バス→JRバス関東発足時を以って終了、駅舎も1996年に取り壊されているが、やけに立派?なバス停が往時を物語る。白棚線
白河市役所表郷庁舎脇から再び専用道へ。庁舎周辺の整備でちょっとだけ舗装が綺麗になっていたがすぐにくたびれた路盤に。一部生活道路兼用状態となっている住宅街を抜けしばし林間を進むと再びR289へ。この先にも専用道区間があったのだが1999/07の路盤崩落で翌年廃止された由。R289をトレースして棚倉中心街へ進み、磐城棚倉着。やはり磐城金山での入れ替わりが大きかったものの、通しで乗る人も少なくなかったが、水郡線に乗り継いだのは当方と婦人1人だけだったかと。

ときに“余所者”が専用道に入り込むこともなくはないかと思われるが、はや半世紀超の貫禄というか、交差部も多いので何とかなっているんだろうな…と、何故だかしみじみとさせられたのだった。

 

“仮復旧”という名の呪縛-JR-E気仙沼線

気仙沼線
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東日本大震災では、巨大津波により東北沿岸のJR-E在来線23駅が流出、25駅と線路1700か所余りに被害を受けた7路線325kmが長期運休に追い込まれることに。2011/04/05に震災後初めて記者会見に応じたJR-E清野社長(当時)は地元の復興計画次第としつつ「責任を持って復旧させる」と明言したことが大きく報道されましたが、2012/03には八戸線がいち早く全線復旧、2013/03も石巻線と常磐線の各一部区間が運転再開予定となっているものの、原発事故警戒区域内を含む6路線の全線復旧には程遠い状況です。

2011/11に入って、JR-Eと国交省が気仙沼・大船渡・山田の3線でBRTによる復旧案検討-との報道。折しも国が第3次補正予算で被災第3セクター鉄道の復旧費用のほぼ全額負担を決定する一方で、黒字企業であるJR-Eは原状復旧としても公的補助対象とならないため、機動的かつ比較的低コストで復旧でき、代行バスより定時性や利便性確保に資すると判断したのは想像に難くないでしょう。
2011/12/27の第3回気仙沼線復興調整会議でJR-Eが復旧案を提示、紆余曲折はあったものの最終的には「あくまで仮復旧である」という前提のもと2012/05/07の第5回会議で合意に至り、05/21には陸前階上~最知駅間2.1kmで工事着工。08/20には同区間で暫定運行を開始し、歌津~陸前港駅間2.6kmの専用道化と他の駅舎整備・バス新車投入等の体制が整った12/22から本格運行に移行-と、専用道自体は短いとはいえトントン拍子で進んだ印象を受けます。なお最終的な専用道区間は6割程度となる見込みだそうで。

ちなみに気仙沼線では代行バスではなく臨時延長運行措置のミヤコーバス三陸線への振替輸送という形態でしたが、暫定運行開始時に三陸線の臨時運行を終了するとともにJR-EからBRT車両提供を受けた代行バス委託運行となり、本格運行に際してはミヤコーへの委託は変わらないもののJR-Eが運行主体の「BRT線」として運賃が別途定められています。
ところで左図では大船渡線についても示しておりますが、こちらは2012/10/04の第3回大船渡線復興調整会議会議で合意し、2013/03/02からBRT運行となりますが、ミヤコーに加え振替輸送を実施してきた岩手県交通への委託となりますがちと変則的でして…この辺りは後程。

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8月の暫定運行開始時にはさほど現地を見たいとは思っておらず、本格運行開始後もいずれ暖かくなったら…などと漠然と考えていたところ、冬の青春18きっぷが1枚だけ手許に残ることとなり、そういやBRTにも乗れるんだよなとなってから猛然と行きたくなるのだからゲンキンなものである。種々アプローチや実見ポイントを検討。夜行バスで01/08早朝仙台入り、仙石線始発から2011/05にも目の当たりにした仙石線野蒜駅付近と、震災前の2008/07訪問時の風景が今なお記憶に残る女川、そして石巻と訪ねつつ、鉄路前谷地経由で柳津駅へと向かったのだった。気仙沼線BRT

前谷地から乗り込んだキハ110は単行、ただでさえ座席定員に満たない乗客は柳津着時点で15人強に。『BRTは改札を出て…』と当然ながらもしっかりテープ音声に促されて駅前に向かうと、本格運行に合わせ導入された日野ブルーリボンシティハイブリッド車が待っていた。地上係員に促されてパラパラと乗客が乗り込むが、壮年男性が運転手氏に「きっぷは…」と一声。どうやら乗越の手続きをしたかった様子も運転手・係員ともに判らなかった様子、改札横の窓口で一旦精算をと促したがたまたま窓口が昼休みか人が居なかったということで、ともあれ乗車区間の運賃を下車時にお支払い…ということで一段落。
結局10人に満たない乗りで出発、先ずは線路を左手に見ながらR45を進むこととなるが早速赤いクルマと離合。BRT化によって運行本数だけでいえば格段に増え、震災前は9.5往復だった柳津~本吉間が基本1時間ヘッドの15往復(+志津川~本吉間は上り3本/下り6本区間運行)、本吉~気仙沼間は基本30分ヘッドの上り30本/下り33本となっている。隣駅・陸前横山は駅前まで入らず、というか基本的に駅前まで入るところは少ないが、R45上にポールが建っていた。ここから山越え…集落を1つ過ぎ、まだ真新しそうな海産物工場の先で風景が一変する-震災からまもなく2年を迎えようとしているが、荒涼とした更地が広がっていた。陸前戸倉駅は道路より5mほど築堤上にあったものの流失、重機が整地作業を行なっていた。向かいにはプレハブのコンビニがあるばかり。目線を先にやると真っ青な海が見えるが、手前の水門脇には機器室と思しき小屋が斜めを向いていた。
ここからは海岸沿いに北上、アップダウンの後に眼前に広がったのは南三陸町中心部-R45を一旦離れ、今なお残る瓦礫の山を横目に志津川駅跡を素通り。R398で線路跡を乗り越えて暫く先がBRT本格運行を機に移転された志津川駅となるが、洒落たデザインの駅舎が迎えてくれた。やはりここで乗客が入れ替わる。再びR398を戻って、南三陸町防災庁舎の鉄骨を右手に見やりつつR45に復帰。丘を駆け上がると再びR45を離れ、町役場仮庁舎等が置かれ拠点となっているベイサイドアリーナに立ち寄るもこの便では乗降はなかった。気仙沼線BRT

やはりプレハブのコンビニが開いていた清水浜は、線路の高架橋が所々で分断されていた。しばし内陸を進むとこんどはR45が通行止、歌津大橋が一部流されたためで旧道に迂回するがやはり更地が広がる。歌津駅は駅舎は流出したがホームは高台にあり残っていた。急坂の脇道を駆け上がるとバス専用道入り。車両感応式信号の先にはトンネルが。次の陸前浜駅までは2本のトンネル区間、うち2本目の歌津トンネルは全長1744m、完全舗装されており思ったほどの圧迫感はないにせよ、長く感じられた。トンネルを出ると専用道区間も終点、横のR45に復帰する。
陸前港の先で気仙沼市入り、蔵内の先の橋も落橋し仮設状態。陸前小泉付近の鉄道高架橋も所々で落ちていた。津谷川を渡って暫く先でR45を離れ本吉集落の細道へ。復興関連のダンプと離合し、坂道を駆け上がると本吉駅。ここまで時刻通りも、3分の調整時間が設けられておりトイレタイムにも。ここまで1時間強、当方も一旦外に出て背伸びする。

再び市街を通ってR346からR45に戻ると交通量が増えたことに気づく。本吉駅至近にありBRT車両基地ともなっているミヤコー津谷営業所から気仙沼方面へは路線バス三陸線も通っておりこれが7往復、ただしバス停は完全に別となっている。BRTは岩井崎入口交差点で右折、その先で最初に整備されたバス専用道に入る。しばし進んでホームのすぐ左脇をすり抜けると陸前階上駅に到着。当方はここで降りた。バスを見送ると、ちょうど先で上り便が控えており、日中は必ずここで離合するダイヤが組まれている。気仙沼線BRT
上り便を見送って改めて“駅舎観察”、ホームは北側が切り欠かれており、そこに平地のバス用乗降スペースを確保。車道は1台分ながら左側乗降扱ゆえに上下線別、ソコソコなスペースが必要だなとも。丘上にある駅ゆえ津波の被害はなく跨線橋も残っていたが封鎖されており駅舎まではダイレクトで。駅舎も大きな損傷はなかった様子、小洒落た外観や扉新調など改修され、待合室にはバスロケ画面を表示する運行情報案内板が据えられていた。
ここから徒歩で隣の最知駅まで。バス専用道区間には交差点が5か所、うち1か所は2車線道路との交差だが遮断棒に加え信号機も双方に備えられていた。専用道沿いに進めないのでR45を進んでゆくと、前方から赤いクルマが…まだ経路的にショートカットにはならないので、回送便はそのままR45を進む様子。その後には明石市営バスや都営バス…から譲渡されたミヤコー車も見かけることに。
20分弱で到着した最知駅は、津波に飲まれ更地と化してた中にぽつんと佇んでいた。北側道路が一般道との分界点、R45との交差点横には離合スペースも整備されている。ゲートの向かい、北側はちょうど専用道化の整備中といった感じ。駅部は陸前階上よりも幅員は狭いかなと、気仙沼方面乗り場には小振りながらも待合室も設けられており、内部には陸前階上よりぐっと小振りながらも運行情報案内板がしっかりと。なお、運行情報や沿線案内等についてはスマホ無料アプリ「BRTネット」でも提供されているが、方やガラケー版はやたらとシンプルなのがまた…。

気仙沼線BRT

と、定刻きっかりに本吉行が到着、現れたのは京成バスからやってきたといういすゞキュービックノンステ。暫定運行時には川崎市交通局や東武バスからも総勢18台の中古車両が揃えられたそうだが、本格運行に際してハイブリッドノンステ新車が14台投入され全20台体制での運用になっているのだとか。この日見た限りでは柳津系統に新車、本吉・志津川折返系統に中古車が投入されていた様子。なお余剰車は津谷営業所に固められていたが、大船渡線BRTにも投入されるものと(ちなみに3月運行開始の大船渡線BRTは全12台でうち4台が新車の由)。
当方はやってきた気仙沼行に乗車、本吉発だが新車だった。学生2人が降りると見事に貸切で出発、専用道からR45に戻るもバイパス手前で旧道へ進む。バス停前に仮設店舗が並ぶ松岩を過ぎて丘を越えると気仙沼市街へ、南気仙沼駅は直線距離で500m以上離れた市立病院前となっているが市街地の真っ只中。そのまま進めば気仙沼駅にショートカットとなるものの、線路沿いに律儀にぐるりと左旋回してのアプローチとなった。途中で踏切を渡ったが、既に遮断機等は撤去されており、踏切前後のレールも綺麗サッパリ撤去済。ここも専用道に変わるのだろう。気仙沼線BRT

気仙沼駅は比較的高台にあり構内含め津波の被害はなかった様子、バスは駅前発着となる。改札前の待合には運行モニターが置かれ、駅掲出時刻表も鉄道のそれと同じだったが、改札上の次列車表示は大船渡線上りのみが表示されているだけだった。ここで1時間足らずながらインターバルを予定していたが、先に触れたミヤコー津谷営業所が気になって、駅構内をちらと見ただけで本吉行に再乗。近いうちの再訪を心に誓いつつ元きた道を戻る。
先程歩いた専用道区間を車内から。最知を出て緩やかに登ると待避所にて一旦停止、気仙沼行便と離合するが、かしてつバスの待避所と比べスペースがしっかり取られている印象を受けた。その先では遮断機付きの交差点、接近すると信号が切り替わり遮断機が上がって減速するもスルー進行はストレスがないなと。
本吉駅は丘上にあるが、バスは坂道を下ってその先のミヤコーバス津谷営業所に入庫。河口から2kmはあろうかと思われるここも津谷川を逆流してきた津波に飲まれた場所で、事務所はプレハブ造となっていた。先述したようにBRT車両が30代以上に達する中、大船渡線BRT開業を前に中古車を中心に一時留置されていて車庫内は賑やかだった。

本吉駅でしばし一息。ちょうど下校する県立本吉響高校生が三々五々集まってきて、始発の気仙沼行が立客も出る状況に。それを見て次便にしようというグループもいるところは30分ヘッドの利点だろうか。
当方は再び柳津行に乗車、こちらも通学生を中心に席が半分以上埋まる程度の乗りだったが、駅毎に1人2人と降りて志津川に着く頃には数人に。ベイサイドアリーナを経てR45に戻った所では名鉄バス…カラーのミヤコー高速バス南三陸線、仙台の県庁市役所前14:10発便だ。乗り具合は見て取れなかったが、震災前2006/10運行開始で、震災後は2ヶ月足らずで迂回運行再開、7月にはほぼもとのルートに戻り、2012/04に3往復体制となっている。
夕暮れ時に志津川到着、特徴的な駅舎は後ほどとして、北隣の南三陸さんさん商店街にて遅めの昼食。2012/02/25にオープンした仮設商店街、30軒に灯りが入る頃で人影は少なかったがしばし暖をとった。さて、志津川“駅舎”に戻って観察。BRT本格開業とともに移設営業開始となった駅舎は円筒形を横倒しにしたようなデザインの建物で、中央部に事務所、半分を待合室、反対側にはトイレを配している。気仙沼線BRTバスはぐるりと反時計回りに進むが、乗降扱は片面のみ。待合室にはベンチが1基置かれており、窓口では女性係員が学生の定期券発券対応をしていた。かっちりしたJR関連の時刻表・案内のほか、南三陸町災害臨時バスの時刻表等案内も紙張り掲出。もともとミヤコー撤退後の2006/10から町民バスを運行していたが、震災後2011/05から臨時無料シャトルバスとして運行。基本的にはベイサイドアリーナを拠点としているが、さんさん商店街も経由地に加えられ、志津川駅供用開始後はこちらで乗降扱となっている。また、2011/09からは町民の多くが避難する登米市とを結ぶ日本赤十字社による無料バスも要望を受け経由化された。

こちらでも下校の町立志津川中学生がパラパラと集まって、始発の気仙沼行と臨時バス、そして当方も乗る柳津行にそれぞれ乗車。すっかり暗くなった上に灯りがほとんどない嘗ての市街地を走り抜ける。各駅でパラパラ降りて柳津では5人ほど…実は接続する列車は1時間空いているのだが、それぞれ駅舎内へと向かっていった。当方はというと夜道を1km弱進んで柳津三丁目バス停へ。丁度のタイミングで東日本急行の高速バスとよま総合支所線がありタイムラグ分仙台に早く到着できるのは有難い。バスは貸切で到着し当方とクルマで送られてきた婦人を乗せ出発。桃生津山ICから一旦三陸道に入り、河北ICで一旦降りて追波川運動公園にて2人を乗せると、後は三陸道から仙台東部道路へ。仙台東ICから市街を抜けるのに多少手間取って10分弱の延着となったのだが、鉄路だと小牛田での乗継を要する分、座ったままで到着できるのは大きいかなとも思われたのだった。


南三陸・気仙沼へは震災後初訪問でしたが、改めて発災後2年が迫ろうかという状況においても、被害の巨大さにただただ息を呑むばかり-というのが率直な感想。気仙沼線は1977/12の柳津~本吉間で地元悲願の全線開通、そして国鉄最後の地方交通線開通区間でもあるわけですが、それなりの規格であったはずが盡く破壊されている様からは、沿線地域の現状を含めて“鉄道での復旧”へのビジョンがどうしても見えてこないと。無論余所者の戯言、地元が鉄道復旧を切に願う思いは文字通り重いのですが、鉄道としての現状復旧だけで数年スパン、防災対策等を加味した復興計画全体でみれば十数年スパンとなるであろう状況下での「バス高速輸送システム」が現実的な解であることとJR-Eの姿勢は十分評価されて然るべきと実感しました。

ただし、であるからこそ、ミヤコー既存路線や南三陸町臨時バスなどとの連携は積極的に図って貰いたいなと。そもそも柳津までの鉄道区間との接続も微妙な現状では、他所からの訪問者には使い難い印象を与えかねません。まだまだ一般道区間が多い以上遅延等を考慮してのダイヤ組みであることは理解するのですが、2013/03/16改正で7往復から9往復への増発を評価しつつ、別にBRTなり接続バスを前谷地まで延ばすといった考慮も期待したいです。気仙沼線BRT前谷地まで伸ばした所でその先がない、という話かもしれません。だったらミヤコーや東日本急行の高速バス路線との親和性を高めるのも一策ではないかと。両路線にとって志津川駅なり柳津駅なりに入るのは手間かもしれませんが、それぞれ大きなロスというものでもないはず。個人的には気仙沼線専用道整備の進展如何では三陸道との“結束化”、端的に云えばミヤコー南三陸線の専用道区間走行だってアリではとすら…。
さすがにソコまでは大風呂敷となりましょうが、柔軟なバス停設定など折角のバスの機動性を活かせる策はまだまだあるのでは?というのが当方の実感-そこにはどうしても“仮復旧”という名の呪縛があるのではないかと睨みます。JR-Eとしてもなかなか打ち出し難いのでしょうし、大船渡線BRTでは鉄道の経路と実流動を加味した“発展的展開”もみられる部分は今後の展開に期待が持てるとしても、ここは別視点で1つ-あくまで「仮復旧」である前提である以上は、いったん運賃体系を完全分離化(≒マルスから外す)。むしろSuicaシステムを導入することで運賃収受の利便性および確実性の向上、各種割引等施策から更には戦略的な電子マネー展開(ICカード1枚で買物はじめ地域全体での支払ツールとする)による地域貢献といった志向性は如何でしょうか。今や単なる鉄道会社ではない同社にとっての復興への貢献は、一介の素人がバス云々で管を巻くよりも多方面で可能なはずなのですから。

かしてつバスで「バス高速輸送システム」に話を戻すと、こちらは交差点1か所をクリアするための専用線と云っても過言ではないと思うのですが、なるほどその効果を実感する半面、“クルマ社会”において2年のブランクというのは大きいなとも。すなわちバス側が一旦停止を強いられる交差部での処理ですが、ここはやはり一般道側の一旦停止前提であるべきだったのではと考えます。気仙沼線BRTでも既に接触事故が数件起きているところ、馴れの問題とするのは早計。全区間のカラー舗装というのも難しいでしょうが、例えばガードレールや路側線の色を変えてみるのも一考では?
今春にも日立市で旧日立電鉄跡でのBRTが、また近鉄がナロー内部・八王子線のBRT化を地元に打診している現状、より懸念されるのは都市部における歩行者・更には自転車等の侵入。乗用車の逆走、誤進入すらニュースで珍しくなくなってきた昨今ですから、学生等が侵入してくるのは容易に想像できましょう。気仙沼線BRTなんといっても見た目は道路そのものである以上、カラー舗装等でも防ぎようがない(むしろ自転車専用道的に思われてしまうとか?)となりそうな…ヨーロッパやオーストラリアのようなガイドウェイバスの専用路(タイヤ接地面付近のみの舗装、周辺緑化等も)が参考になりそうですが、となるとコストが…難しいですね。
なお、ガイドウェイバスという観点では、気仙沼線トンネル内だけ案内輪を活用するカタチで、高速化および安定走行に資するのでは?とも思いついたのですが、なにぶん地震発生頻度が激変している中では安全面・コスト的にも厳しいでしょうか。

かしてつ、気仙沼線ともに最大のポイントであろう朝通学時間帯の状況を見ていないので、実効性という観点では論評できないのですが、下校場面を見た限りでは、ダイヤ面でのカバーで足りるものと。特に気仙沼線の30分ヘッドは正直過剰感もある一方で、気仙沼市街での渋滞を織り込んでの安心感醸成につながるという意味で長期的継続に期待。その意味でも、インフラシステムとしての鉄道と、機動性としてのBRTのコストバランス比較は、「仮復旧」前提という大義の中では諸刃の剣にもなりましょうが、JR-Eや地元自治体では積極的な検証および開示をお願いしたいところです。

冒頭、“狭義のBRT”の語意として引いた「とある資料」とは、次世代型バスシステムとしてのBRT導入を進めている新潟市のそれですが、市街地における「地域内の公共交通の確保」「都心アクセスの強化」「基幹公共交通軸の強化」を掲げ、新潟駅から万代・古町を経て白山駅に至る第1期区間の整備が2014年度にも行われようとしているところ、メインストリートでの車線減少による渋滞懸念、更には厳しい経済情勢の中でプロジェクトそのものへの疑義などから、新潟駅~古町間約2kmでの中央走行式専用路導入は3年程度の先送り、連節バス導入は8台から4台に半減となることに。市と新潟交通がスクラムを組んで計画を進めてゆく以上、先ずは実を取る方向性と評価しますが、宇都宮市LRT同様、市民理解への険しくも深いところまで種々のアプローチ継続に、公共交通そのものへの理解に直結するという意味で注目しております。

そこで「バス高速輸送システム」とは何かと問えば、先ずは鉄道代替機関であることは否定出来ないでしょうし、その点において定時性はさておき高速性には見劣りをとせざるを得ないかと。路面電車と比べた「高速度交通」としての地下鉄に近い表現とすればまだ理解しやすいでしょうが、モータリゼーションを経ての「路線バスは遅い!」というレッテル前提の物言いのような気がして、個人的にはあまり好ましさを感じませんね。
コトバ遊びはこのくらいとしても、やはり“狭義のBRT”とは別モノだとして捉える必要がありそうです。こと気仙沼線・大船渡線BRTについてはまだまだ端緒とあって、今後の専用道整備進展如何ではまた評価が変わる可能性もありますが、逆説的に捉えれば、二条のレールから解き放たれることでの地域公共交通への深化、例えばスクールバスや病院送迎バスとの統合であったり、地場路線バスとのゾーンバス化であったりにもつなげてもらえればと考えるのですが、かしてつバスではその可能性がありながら、地勢的問題等でなかなか…というのが現状なのかとも。地域それぞれの課題がある中で、標準化までは見え難いかもしれませんが、“地域新バスシステム”的昇華を期待したいと考えます。

  • BOOKS
  • 鉄道ジャーナル 2013年 03月号 [雑誌]
  • 鉄道ジャーナル 2013年3月号
  • 週刊 東洋経済増刊 鉄道完全解明2013 2013年 2/22号 [雑誌]
  • 週刊東洋経済増刊 2013/2/22
    鉄道完全解明2013

一応言い訳

投稿者---551planning (2013/03/04(Mon) 11:02)

本編は気仙沼BRT取材によってプロットができ、直後から書き進めていたのですが、6割ほどの時点で1月末に発売された鉄道ジャーナル3月号の鈴木文彦氏による「バス交通の最先端をさぐる 日本型バス・ラピッド・トランジット(BRT)」が出て、かしてつ&気仙沼線とモロカブりだったのに一旦意欲を失い、更には週刊東洋経済臨時増刊「鉄道完全解明2013」で「BRTにLRTの代役は務まるか」(草町義和氏)と「バス化も? 動き出す被災路線」(土屋武之氏)も出て、こちとら御蔵入りも考えたのですが、やはり新潟市BRTを見据える上では一旦「バス高速輸送システム」を整理しておく必要があろうと考えなんとかそれなりにしてみた次第…左著はそれぞれ一読の価値がありますので是非ということで、そこから相当割り引いて弊本編を御笑覧賜れれば幸いでございます。

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レレレ、「odeca」だけですかぁ?

投稿者---551planning (2013/05/16(Thu) 08:23)

あくまで「仮復旧」である前提である以上は、いったん運賃体系を完全分離化(≒マルスから外す)。むしろSuicaシステムを導入することで運賃収受の利便性および確実性の向上、各種割引等施策から更には戦略的な電子マネー展開(ICカード1枚で買物はじめ地域全体での支払ツールとする)による地域貢献といった志向性は如何でしょうか。

と先のレポートにて当方、記してはいたのですが…。

  • 2013年8月3日(土)から、仮復旧として運行中の「気仙沼線BRT」及び「大船渡線BRT」において、BRT専用ICカード乗車券「odeca(オデカ)」を導入します。
  • BRTの車載機にチャージ済のodecaをタッチすることで、自動的に運賃を差し引く他、定期券としてもご利用頂けます。
  • カードには、BRTと沿線の復興のキャラクターとしてデザインした、リスのキャラクターを使用し、地域の復興を盛り上げます。

いや、まさか単独カードを用意してくるとは思いませんでした。「お出かけしやすいICカード」とは「スイスイ行けるICカード」にも通じるものがあると思われますが、リリース内でSuicaについての言及は一切なし、互換性は考慮外なのか。「尾デカ」のリスはキャラビジネス狙いアリアリですが…。 何より電子マネー機能なし、BRT区間のみ利用可能で、鉄道区間やミヤコーバス路線相乗りとなっている気仙沼~上鹿折間についてもIC利用は不可とかなり限定的な…素直にSuicaを入れる訳には行かなかったのでしょうか?

無論これは端緒で、更なる展開は当然…と考えられるのですが、さて。


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