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【検証:近未来交通地図】<road to 〜 当世道路研究>
(過去ログNo.506)
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環境問題に対する概見と異見〔続〕
 投稿者---和寒氏(2002/07/19 23:37:33)
 http://www.geocities.jp/history_of_rail/

環境問題に対する概見と異見
└Re:環境問題に対する概見と異見
 └若干の補足
  └Re:若干の補足

(以上前ページ)

└環境問題に対する概見と異見 ひと言追伸
Re:環境問題に対する概見と異見 増補(マスコミ篇&民主主義篇)
 └社会変革とは時間がかかるものでは?
  └Re:社会変革とは時間がかかるものでは?
   └社会**とは時間がかかるものです
    └Re:社会**とは時間がかかるものです
    └Re:社会**とは時間がかかるものです
   └超楽観的な環境と文明論
    └Re:超楽観的な環境と文明論
     └Re:超楽観的な環境と文明論
      └Re:超楽観的な環境と文明論

前ページより

Re:環境問題に対する概見と異見 ひと言追伸
 投稿者---栗栖克寛氏(2002/07/26 11:51:34)

 とはいえ、環境問題は人類に厳しい課題を突きつける。
 環境問題とは、人類に突きつけられた匕首であり、文明の制約条件でもあり、また乗り越えるべき壁であるともいえる。

→要するに地球が物理的な限界に達しつつあるということです。

 つい先日ツバルという小さな島嶼国がアメリカとオーストラリアを国際司法裁に提訴するとの記事を目にしました。ツバルでは温暖化の影響により国土が水没寸前で、その損害賠償を求めているのだそうです。いずれツバル国民は「環境難民」として国外へ出てゆかざるをえなくなるでしょう。人の欲望は無限ですが、地球は無限ではありません。「持続可能な成長」などという虫のよすぎる話はもともとありえないように思われます。

 昔何かの本で読んだのですが、ニュートン以来の天才と評され、あのブラックホールの発見者として名高いイギリスの天文学者、ホーキング博士が来日し、記念講演をしました。その後の質問時間にある人が

「この宇宙空間に、この地球のように高度な文明を営んでいる星は、どれほどあると思われますか」

と問うたところ

「2兆ほどでしょう」

 あまりに巨大な数字に、会場がどよめきました。さらに

「文明の発達した星がそんなにたくさんあるにもかかわらず、どうしてわれわれは宇宙人に会うことがないのですか」

と尋ねると

「どこの星でも、文明があまりに高度に発達しすぎると、加速度的に自滅してしまうのです」

 この言葉に、会場はシーンと静まり返ったそうです

Re:環境問題に対する概見と異見 増補(マスコミ篇&民主主義篇)
 投稿者---栗栖克寛氏(2002/07/25 22:07:45)

 環境問題とは、人類に突きつけられた匕首であり、文明の制約条件でもあり、また乗り越えるべき壁であるともいえる。
 文明は貴重で、価値があり、唯一無二の素晴らしいものである。これを護っていくためには、人類の叡智を結集していかなければならないだろう。そして、その作業こそが文明の根幹、ということになるのだろうか。

→まことにおっしゃるとおりだと思います。温暖化の影響が顕在化するころには小生はとっくに死んでおるでしょうが、子孫の未来、日本の将来を考えると暗い気分になります。

 ここで小生が提起するのはマスコミの問題です。欧米で公共交通の見直しが進んでいる、という事実そのものがわが国においてはほとんど知られていません。いうまでもなくマスコミが報じないからです。
 しばしば日本のマスコミは定見がないなどと批判されますが、要するに大衆に迎合しがちということです。
 日露戦役の後、ポーツマスで講和会議が催されましたが、残念ながら日本は賠償金を1円も取れませんでした。このとき当時の新聞はどう報じたかといえば、やれ日本政府は弱腰だの、小村寿太郎は国賊だの、もういっぺんロシアに宣戦しろなどとさんざん民衆を煽りたて、ついには日比谷で焼き討ち事件が惹起されるに至りました。
 いうまでもなく当時の日本には戦争を継続するに足りる国力はもはや残っておらず、明治政府の対応はやむをえなかったものなのですが、マスコミは冷静な記事を載せるどころかもっぱら大衆に迎合したのです。
 あるいは大東亜戦争のときもそう。日英と戦争が始まったとき、マスコミはさんざん喜びを喚起し、大本営発表を極端に誇張して報じ、冷静な検証などやってはいません。あまり知られていないのですが、明治憲法下において、政府は「言論統制」とか「報道管制」なるものをただの一度も出してはいません。意外に思われるかもしれませんが、戦前にも言論の自由や報道の自由は(純法律的に)あったのです。治安維持法が取り締まりの対象としたのは共産主義であって、反戦ではありません。現に戦時下にあっても、当時の評論家や学者が、大東亜戦争を冷静に検証する本を上梓しています。ただしまったく売れることはありませんでした(むしろ言論統制や検閲、報道管制を布いたのは戦後のGHQです)。

 さて、かかるマスコミが戦後にあって少しは反省したか。ちっともしてはいません。
 例の教科書問題を見てください。栃木県の下都賀地区の教委がいったんは「新しい歴史教科書」の採択を決めたのですが、すぐに撤回してしまいました。じつは採択決定後、教育委員の自宅に刃物が送りつけられたり、脅迫電話が殺到したり、ある教育委員の奥さんはノイローゼになったりと抜き差しならぬ仕儀となり、やむをえず採択を撤回するに至ったのです。明らかに組織的な犯罪であり、この裏には過激派が絡んでいるものと思われ、公安調査庁が調査を始めていますが、多くのマスコミはちっとも報じはしない。朝日新聞は教委が民意に押された、などと報じましたがとんでもない“意図的誤報”です。
 交通政策についてもしかり。欧米で路面電車が復活しつつあるとかの事実を日本のマスコミはほとんど報じていません。テレビが欧米の交通改革を報ずるのはNHKがたまにちょろっとやるだけ。民放では皆無ではないがめったにやらない。なぜか。視聴率がとれないからである。LRTとかの番組を流してもあまり高い視聴率は期待できません。そのいっぽうで、やれ高速道路が高いだの、税金の取られすぎだの、エコカーが開発されたなどといった情報はしょっちゅう流れてくる。なぜか。視聴率がとれるからである。民衆の欲望におもねった報道をすれば高い視聴率が期待できます。
 日本のマスコミは本当に困ったものです。

 さて、次に提起したいのは民主主義についてです。諸賢は子供のおり、学校で民主主義はスバラシイ、などと教えられたと思うのですが、これはとんでもない誤りです。むしろすぐれた名君により、平和で安定した社会を築きあげた例はいくらでも挙げられます。民主主義を絶対視することは倒錯であるばかりかかえって危険ですらある。
 たとえばヒトラー。彼は独裁者と評されますが、しかしながらクーデターを起こすなどして武力でむりやり政権を奪取したわけではない。ナチスはれっきとした政党であり、選挙によって民衆の高い支持を得て政権の座に着いたのです。
 そもそも民主主義とは民衆ひとりひとりが政策の善し悪しを判ずるに足りるだけの識見を有しているという前提にたった妄想でしかありません。多くの民衆は労働と子育てで手一杯であり、そのような識見があるはずがない。近ごろの若者に至っては選挙にすら行こうとはしない。「最大多数の最大幸福」というが、では最大多数がバカだったらどうなるのか。かつてチャーチルが「民主主義は最低の政治だが、しかし結局これしかない」と言ったとおり、民主主義は最上の政治方法だから選ばれているのではなく、あくまで民主主義以上の政治方法が見つからないうちの暫定的な政治方法です。

 ちょっと余談を挟みます。昨今首相公選制の導入が取り沙汰されていますが、小生は絶対反対です。日本には天皇がいらっしゃるので大統領制はふさわしくないという理由もありますが、今の日本人に自分たちの政府のトップを選出するだけの能力があるのか疑問だからです。石原慎太郎氏ならまったく問題はないのですが、田中真紀子なんかが総理になったら日本がシナの属国になり果てるのは目に見えている。彼女はシナの子分のようなものであり、日本はおしまいです。それに首相公選制の下では第二のヒットラーが現れるおそれもあり、あるいはしょうもない芸能人が総理になってしまうおそれもある。今だってタレント議員が数多くいるではありませんか。また地方にあっても議院内閣制を採りいれる。議会の中から首長を選べばいい。無能なバカが知事になったらどうなるか、長野県政の混乱ぶりを見れば自明でしょう。
 加えて、憲法改正の国民投票や最高裁裁判官の国民審査も廃止。こんなのは国会でやればいい。地方にあっても住民投票は全廃。近年ダムや堰を造るか否かを住民投票で決める動きがあるが、仮に住民投票で反対派が多数を占め、ダム建設が中止されたとしよう。その後大雨が降って川が氾濫し、洪水で多くの住民が死んでしまったらいったいどこの誰がどうやって責任をとるのか。あるいは原発もそう。そもそも原発の是非は国全体の問題であり、地元の住民だけで決するのは明らかにおかしい。
 もともと日本にはヨーロッパの民主主義とは異なる伝統があります。古代には天皇の下で豪族が合議によりものごとを決めてゆく。中世には貴族や武士の談合により政策が決まる。いわゆる賢者政治ですが、だからといって独裁でもない。日本にはヨーロッパと違い絶対王政の時代がありません。天皇が政権を握ったのは古代を除けばせいぜい後醍醐天皇ぐらい。明治憲法下にあっても、天皇はただ盲判を押すだけで権力などありはしませんでした。

 さて環境問題においても、民主主義との兼ね合いが難儀です。北朝鮮なんかはともかく、多くの国の政治家は民衆の欲望を満たすような公約を掲げないと選挙に当選できない。小泉首相が大衆迎合だと批判されましたが、もとより民主主義とは大衆迎合なのです。今の日本において「環境問題に取り組み、公共交通を育てます」といって選挙に出てもおそらく当選できない。かのマスキー上院議員も後に落選してしまっています。もし現代が絶対君主制であったなら、一方的に「マイカー禁止令」「エアコン禁止令」を発すればいい。温暖化防止など朝飯前です。

 最近「高速道路をタダにしろ」などという意見がしょっちゅう聞かれますが、国全体のことを真面目に考えているかといえばほとんどそうではないだろう。ただ単に安くドライブしたいというエゴでしかない。日本は山が多く、トンネルの掘削に莫大なおカネがかかるため、自動車のユーザーにもある程度の負担を求めるのはやむをえないはずなのに。たとえ高速道路を無料化しても、それまで一般道を走っていた者や鉄道を使っていた者までが高速道路に殺到してしまい、ますます渋滞して新たな高速道路を造るはめになるのは明らかです。
 政治家や役人が民衆の欲望に安易に迎合することがどれほど危険なことか、考えるべきだと思います。より多くの者が賛成するかどうかということと、政策が正しいかどうかということはまったくの別儀です。広島港は明治初期に当時の県令(県知事の旧称)だった千田貞暁が築きましたが、当時は反対も多く、カキの養殖業者などとの折り合いも大変に難儀だったそうで、ついには他県に左遷されてしまいました。しかしながら開港後はとても栄え、日清戦争のおりには軍港としての大役も果たし、今では「千田」は地名ともなり、千田公園には彼の銅像が立派に建っています。

 現代にあっても交通政策担当者は大いなる決断力をもって、住民の反対にものおじすることなく、交通の変革に踏み切ってもらいたいと思います。

社会変革とは時間がかかるものでは?
 投稿者---さいたま市民@西浦和氏(2002/07/26 23:51:48)

 みなさんこんばんわ。栗栖さんはじめまして。
 適宜引用をしますが、文意をゆがめるつもりはありません。ご了承ください。

 学校で民主主義はスバラシイ、などと教えられたと思う…とんでもない誤りです…すぐれた名君により、平和で安定した社会を築きあげた例はいくらでも挙げられます。民主主義を絶対視することは倒錯であるばかりかかえって危険ですらある。

 私は、学校で民主主義について教わりましたが、決して絶対的に正しい物でなく、人類の歴史の結果そうなっているという程度の認識です。民主主義が徹底しているかに見えるアメリカ合衆国でも、この2年の対外政策(いや、かの国の建国以来の歴史を見てもですね)を見れば民主主義が決して平和で安定した社会を築いてきたとは言いかねるであろうことは、明らかでしょう。でも、私たちは、そのアメリカが押しつけたのであろう民主主義なる政治制度を55年に渡って活用してきたのでしょう。その中で生まれ、育ってきた私(たち)は、このやり方が結果として今の社会を築いていることは受け入れなければならないし、このやり方が世界の歴史の結果各国で受け入れられていて、どの国もそれなりにこのやり方でやっているという事実を受け入れていますね。

 たとえばヒトラー。…クーデターを起こすなどして武力でむりやり政権を奪取したわけではない。ナチスはれっきとした政党であり、選挙によって民衆の高い支持を得て政権の座に着いたのです。

 そうですね。彼は「合法的に」政権の座についたのです。そこへいくまでにはいろいろありましたよね。

 チャーチルが「民主主義は最低の政治だが、しかし結局これしかない」と言った…最上の政治方法だから選ばれているのではなく、あくまで民主主義以上の政治方法が見つからないうちの暫定的な政治方法です。

そうですよ。それ以上のものがあるならば。ですね。

 首相公選制の下では第二のヒットラーが現れるおそれ…しょうもない芸能人が総理になってしまうおそれ…タレント議員が数多くいるではありませんか。また地方にあっても議院内閣制…議会の中から首長を選べばいい。無能なバカが知事になったらどうなるか、長野県政の混乱ぶりを見れば自明でしょう。

 栗栖さんが第2のヒットラーが出てくることを心配しているのは安心しました。でも、私の立場は長野県の前知事を評価しているほうだと思います。混乱は収拾したいですが。

 …憲法改正の国民投票や最高裁裁判官の国民審査も廃止…国会でやればいい。地方にあっても住民投票は全廃。近年ダムや堰を造るか否かを住民投票で決める動き…仮に住民投票で反対派が多数を占め、ダム建設が中止…大雨が降って川が氾濫…住民が死んでしまったらいったいどこの誰がどうやって責任を…原発もそう…国全体の問題であり、地元の住民だけで決するのは明らかにおかしい。

 おかしいから、国と地方の政策がねじれるのでしょう。でも、はじめに推進ありきで説明が足りないのでは問題があるでしょう。私たちのさいたま市の合併も、合併前の市長選挙だけしか有権者の判断をする機会が無かったということもあります。ネットの情報が近年ますます充実しているのはいいことですね。
 反対派が首長になってしまったような自治体は、それこそ、それまでやってきたことが結果として足りなかったということでしょうからそのことは受け入れなければならないでしょう。

 もともと日本にはヨーロッパの民主主義とは異なる伝統…古代には…豪族が合議…中世には貴族や武士の談合…賢者政治…独裁でもない。日本には…絶対王政の時代がありません。天皇が政権を握ったのは古代を除けばせいぜい後醍醐天皇ぐらい。明治憲法下にあっても、天皇はただ盲判を押すだけで権力などありはしませんでした。

 ここで日本史について勉強することになるとは思いませんでしたが、私のささやかな受験知識では、日本の歴史で天皇が直接権力を握った時代は後醍醐天皇よりも後三条天皇の頃だったかと思います。もともと神官として豪族の談合より一格上であった存在の天皇家はそのころを除いて、常に時の権力(それは個人に集中した時代も集団指導の時代も2大勢力の対立の時代もあったでしょう)に利用された存在だったのかもしれません。栗栖さんは天皇親政の時代がお好きなようですね。

 さて環境問題…現代が絶対君主制であったなら…「マイカー禁止令」「エアコン禁止令」を発すれば…温暖化防止など朝飯前です。

 栗栖さんには残念なお知らせをしなければなりません。栗栖さんの世代のみなさんが、「地球の温暖化が解決されました」というニュースを聞くことは無さそうです。もちろん私たちの世代も。

 政治家や役人が民衆の欲望に安易に迎合することがどれほど危険…多くの者が賛成するか…政策が正しいかどうかということはまったくの別…広島港は明治初期に当時の県令…築きましたが…反対も多く…養殖業者などとの折り合いも大変に難儀…他県に左遷…開港後はとても栄え、日清戦争のおりには軍港としての大役も果たし、今では「千田」は地名ともなり、千田公園には彼の銅像が立派に建っています。

 広島の港とは宇品港のことですか。明治の県令たちは、維新派の各国出身の若手官僚で、彼らが全国へ派遣され、インフラ整備を進めたのですが、どこの県でも旧勢力(抵抗勢力かな?)との軋轢はあったはずです。特に旧幕勢力の強かった地域では、その軋轢が様々な悲劇を生んだのです。特に東北地方では自然の厳しさに加え、維新諸国出身の県令が当時の近代インフラ整備のために強権的な施政を敷きましたし、「白河以北…」などという差別的な意識の流布までされましたから、現在ではもう無いでしょうが、私が生まれた頃までは東北人の被差別意識は強かったと言えましょう。同じことは、九州南部や沖縄の人たちにも言えるかもしれません。

 現代にあっても交通政策担当者は大いなる決断力をもって、住民の反対にものおじすることなく、交通の変革に踏み切ってもらいたいと思います。

 交通の変革が進むことは現代社会のトレンドといってもいいでしょうが、私の意見はむしろ、政策担当者は反対意見をよく聞き、反対の理由を明らかにし、誤解を解き、限られた予算の中で効果的な政策をタイミング良く執行するべきであるということです。乱暴な政策や政治は、後世に禍根を残します。私は(おそらく)栗栖さんよりも年が若いでしょうから、安全で平和な社会が続くことを願っておりますし、その建設のために努力したいと思います。この掲示板でのみなさんとの対論も、その一環だと思っております。

 ちなみに、私の伯父は戦中には海軍に属し横須賀に赴任していました。私が鉄道マニアになったのはこの伯父が、私が子供の頃いろいろな電車に乗せてくれたのがきっかけだったかもしれません。また、大伯父は山形県出身ですが、戦前、開拓団として大陸へ渡り、戦後シベリアへ抑留され、昭和31年の最後の引き揚げ船で帰国しました。この大伯父はその後国鉄へ勤め、奥羽本線の保線に携わっておりました。この大伯父の影響か、私も公的なセクターで働いております。

 反論のような、励ましのような、乱文ですがお気を悪くなさらずに、どうぞご笑覧ください。まさに、乱筆ご容赦。

Re:社会変革とは時間がかかるものでは?
 投稿者---栗栖克寛氏(2002/07/28 16:08:43)

 はじめまして。

 私は、学校で民主主義について教わりましたが、決して絶対的に正しい物でなく、人類の歴史の結果そうなっているという程度の認識です。

→そうですか。それならいいのですが。

 でも、私たちは、そのアメリカが押しつけたのであろう民主主義なる政治制度を55年に渡って活用してきたのでしょう。

→そうそう、その結果アメリカとシナの属国と成り果て、韓国の内政干渉に屈服し、改憲もできず、日教組による社会主義教育で学力は低下、若者はフリーターにうつつを抜かし、少女は公然と売春に走る。戦後55年のうちに、何ともスバラシイお国となったことです。

 地元の住民だけで決するのは明らかにおかしいから、国と地方の政策がねじれるのでしょう。でも、はじめに推進ありきで説明が足りないのでは問題があるでしょう。

→いや、もちろん説明は十分すべきなのですが、いくら説明しても住民の理解が得られないときはどうしたらいいと思われますか。ぜひお聞かせください。

 私のささやかな受験知識では、日本の歴史で天皇が直接権力を握った時代は後醍醐天皇よりも後三条天皇の頃だったかと思います。

→時代により教科書も違うでしょうから一概には論ぜられませんが、後三条天皇はたまたま藤原氏の血をひいていなかっただけだと思います。藤原氏の摂関政治は、娘を天皇に嫁がせて外戚となり、皇太子を産ませて次の天皇にすることにより成立していました。ところが後冷泉天皇に嫁いだ藤原氏の娘は、子供を産めなかったのです。そこでやむなく藤原氏の血をひかない後三条が皇位に就く仕儀となり、これにより永きにわたって栄華を誇った藤原氏の摂関政治は幕をおろし、代わって院政の時代がやってきます。
 つまり後三条が親政をしくことができたのはいうなれば産科学上の偶然の産物であり、しかも院政を本格的に始めたのはその子の白河です。自ら指揮をとり、鎌倉幕府に反旗を翻した後醍醐の比ではありません。

 もともと神官として豪族の談合より一格上であった存在の天皇家はそのころを除いて、常に時の権力(それは個人に集中した時代も集団指導の時代も2大勢力の対立の時代もあったでしょう)に利用された存在だったのかもしれません。

→要するに「権威」はあれども「権力」はなかったということです。ここがヨーロッパの王制と根本的に異なるところであり、だからこそ世界唯一の「万世一系」の皇統が建国以来今に至るまで脈々と受け継がれているのです。さもなくば経済基盤も兵力も弱小な天皇家などとっくに滅ぼされているはずでしょう。外国では革命のたびに王家が断絶しているのですから。

 栗栖さんは天皇親政の時代がお好きなようですね。

→いえ、そのようなことはありません。むしろ天皇にはあくまで「権威」のみを背負っていただき、「権力」は政府が握るべきです。これこそ日本の伝統ですので。

 私の意見はむしろ、政策担当者は反対意見をよく聞き、反対の理由を明らかにし、誤解を解き、限られた予算の中で効果的な政策をタイミング良く執行するべきであるということです。
 乱暴な政策や政治は、後世に禍根を残します。

→ですがそうでない場合もあると思います。昭和30年代、時の十河信二国鉄総裁による東海道新幹線の建設案に、周りのほとんどの幹部はこぞって反対しました。ですが十河総裁は、世界銀行から借金してまで建設にゴーサインを出します。当時大蔵省の高官はこう揶揄したそうな。「世界3大バカ事業 万里の長城 戦艦大和に 新幹線」と。
 ところがフタを開けてみたら大ヒットしたわけで、多くの者が賛成するかどうかということと、政策自体が正しいかどうかとはまったくの別儀だと思います。

 ちなみに、私の伯父は戦中には海軍に属し横須賀に赴任していました。

→伯父様をうらやましく思います。小生もカッコイい海軍に入りたかったのですが、不幸にもダサい陸軍に召集されてしまいました。

社会**とは時間がかかるものです
 投稿者---さいたま市民@西浦和氏(2002/07/29 01:06:04)

 栗栖さん。みなさん。こんばんわ。掲示板での対論は楽しいですね。
 かいつまんでお返事などをさせていただきます。

 国と国の関係というものは、小さく見ると溶け合っていますが、大きく見るとそれはそれは厳しい対立の歴史になりますね。
 私のアメリカのレポート(過去ログ・レポート編)をお読みいただければわかると思いますが、ニューヨークのグランドセントラル駅の食堂街には、私たちがコンビニで買うのと同じ鰻弁当や持ち帰り寿司を売っている店があります。ここでは何人もの日本人が、私たちの近所のコンビニで働いているように働いています。確かにアメリカに住んだり観光で出かける日本人が犯罪被害に遭うこともあるでしょう。でもそれは日本でもアメリカでも犯罪は犯罪なのです。私の出会ったアメリカ人は日本人に対して、陰口を言うことはあるかもしれませんが(私や栗栖さんもアメリカ人の陰口を言うかもしれませんね)、対等な外国人として扱ってくれました。いい体験をしたと思っています。
 栗栖さんがおっしゃるように、かつて(特に戦争中ですか)の日本人の他のアジアの国々やそれらの国々の人たちに対しての扱いのような目には少なくともあわなかったですね。確かに、日本は軍事的にはアメリカの基地もあり、安全保障条約を結んでいます。この条約を最初に結んだのは戦前戦中の外交官から首相になった吉田茂でしたね。そして安全保障条約は以後3度更新されましたが、日本の軍事的独立は未だならずというのが現実です。そして、日本の軍事費は世界第3位なのだそうです。もしかするとアメリカと日本が世界の中で軍事的に突出しているのかも?しれません。

New York & Washington〜spring 2001〜 ../../gallery/special/003.html

 中国との関係も厳しいものがありましたが、ソ連と中国の関係が変わってから一転して日米との国交が結ばれましたね。30年前のことですね。以来日中間は経済を中心とした緊密な関係が続いていて、今は最も安定した状態かもしれません。確かに中国は日本を敵視しますが、それは文化面でのことで、軍事面の対立は中国も日米両国も今は望んでいないはずです。中国国民の政治思想的安定にとって日本が悪役として必要ならば、中国の正式な軍隊が日本との国境を侵すような(彼らにその必要が現在あるとは思えないのですが)、行き過ぎのない限りで許容できると思います。このバランスが今の外交や軍事に一番大事でしょうね。
 韓国との関係もサッカー大会をきっかけに良くなったのではないでしょうか。大きな本屋さんで韓国の国定教科書の日本語訳を立ち読みしたことがありましたが、節々に日本に対するライバル意識が見え隠れします。経済力の絶対値で日韓にはやはり差がありますから、彼らが批判する出来事もあるでしょう。むしろ心配なのは、その批判が日韓両国で政治的に利用されることや、現在進んでいる韓国での日本の大衆文化解放によって韓国の若い人たちに日本の文化が浸透して、韓国独自の文化が失われてしまうことです。

 憲法を変えるということについては、憲法の中に改訂するための約束がありますから、これに則ってすればよいでしょう。栗栖さんは憲法を変えたいと思っていらっしゃるのですね。
 日教組や国労といった公務員の労働組合の連合であったかつての総評は、栗栖さんもご存じかと思いますが、「昔陸軍今総評」といわれたくらい禁欲的で統率のとれた巨大組織であったそうですね。まあ、労働組合ですから社会主義的な思想の基盤があったでしょうけれども、日本の法律に基づいて結成、活動していた団体でしょうから、それが社会の中で一定の地位や主張を持っていた時代は今よりも社会に緊張感があったことでしょう。また、このような人たちの活動が、戦後の社会改良の底上げに資したのではないかと、後世の私たちは思っているのですが。

 若者論については、そうですね、なんと言ったらいいでしょう、いつの時代も「今の大学生は…、今時の若者は…」と年輩の人は言うものですね。「太陽の季節」なんていう風俗小説もありましたね。ロマンはいつまでも持ちたいものです。ただ、いつの時代も若い女性が苦界に身を沈めてしまうのは悲劇ですね。フリーターという失業者が生まれたのは今から20年ぐらい前ですかね。東大生の学生商売から始まったアルバイト斡旋の会社が大企業になって汚職事件まで起こしたりしたことがありましたね。この会社が発行している雑誌とかで使われたのが始まりでしょう。栗栖さんもそういう若者に期待した時代があったのではないですか。

 いくら説明しても住民の理解が得られないときはどうしたらいいと思われますか。ぜひお聞かせください。

 わたしは、できる限り時間と技術(必要ならお金)を掛けるべきだと思っています。現在は昔ほど反抗的な人は少ないでしょう。東京外環道路など30年目にして動き出しているプロジェクトもあります。
 考えられるメリットとデメリットをすべて出して、隠し事無く進めていけばいいのです。当事者の住民に考えてもらうようにすればいいのです。
 都市計画も35年前に計画されたものなのですから、今時それを知らずに住宅が建設されたり、不動産売買が行われるということは無いでしょう。
 経済的な問題があるのなら、それは解決してあげるべきでしょう。

 つまり後三条が親政をしくことができたのは…偶然の産物であり、しかも院政を本格的に始めたのはその子の白河です。自ら指揮をとり、鎌倉幕府に反旗を翻した後醍醐の比ではありません。

 私が言いたかったのは、約100年続いた院政は、その後の二重権力の時代の鎌倉幕府滅亡の時期に比べて、時期も長く、各地の悪党の組織化に努力した後醍醐帝の建武親政の数年間とは意味が違っているのではないでしょうか。それに、おそれ多くも先の天皇陛下に対し引用の仕方が失礼ではないですか?

 外国では革命のたびに王家が断絶しているのですから。

 革命の起こる外国とはヨーロッパ諸国のことと思いますが、ヨーロッパ諸国の各王朝は、日本の戦国大名よろしく一族の誰かが嫁いでいたり養子に入っていたり、皆親戚同士なのです。断絶しても、次の王朝は縁のある王様が即位したりしていたのではないでしょうか。先に挙げられていた後醍醐帝も二つの皇統の対立に巻き込まれてしまうのですよね。

 むしろ天皇にはあくまで「権威」のみを背負っていただき、「権力」は政府が握るべきです。これこそ日本の伝統ですので。

 この考え方は、現行日本国憲法の条文に実現していますよね。第一章第一条から第八条までは天皇に関する条項です。我が国の最高法規の最初の項目が天皇のことなのです。政治権力のことはずっと後です。

 「世界3大バカ事業 万里の長城 戦艦大和に 新幹線」
 ところが…大ヒット…多くの者が賛成するかどうか…と、政策自体が正しいかどうかとはまったくの別…。

 昭和30年代の国鉄を巡る状況は、現在の高速道路民営化論と全く同じで、収支黒字の本線で赤字のローカル線を補っていたのですね。新幹線ができるまでは、国鉄自体も黒字だったのです。新幹線の成功に群がった政治家たちが借金でのローカル国鉄線の延長拡張に血道を上げて、50年代の破産へと突き進んだのでしたね。
 確かに大蔵省や国鉄の官僚たちから見ると、当時は鉄道改良の他にお金を回さなければならないことや新路線建設よりも直さなければならない施設がたくさんありましたから、当時の交通網を維持する以上にお金を回せなかったでしょう。ですから悪口も出たでしょう。
 十河総裁の立場は、輸送量の逼迫していた東海道本線を何とか救うために、戦中に一部建設された弾丸列車の施設を生かした高速新路線を建設するというものでしたね。世界銀行の融資もその条件は厳しかったでしょうから建設された新幹線の施設はぎりぎりのものでしたね。名古屋で騒音裁判が起こったり、東海地震に備えて柱に鉄板を巻いたりと後から補うことになった施設も多いでしょう。
 そして、その後の日本は、時間を金で買うという文化が根付いたのではないでしょうか。いつだだったか、劉小平が日本に来たときに新幹線に乗って、電車が前後に揺れるのを感じて、「後ろからむちで打たれているようだ」と言ったニュースを今でも覚えています。普通の列車は左右に揺れますが、確かに新幹線電車は前後に揺れますね。
 今は新幹線電車に乗るのは珍しいことではなくなったのですが、当時は飛行機に乗るくらいの覚悟が要ったものでした。
ちなみに、ん十年前の私の小学校卒業文集には尊敬する人として十河総裁と書いてありました。新幹線を作った人について調べていたのかもしれません。

 伯父様をうらやましく思います。小生もカッコイい海軍に入りたかったのですが、不幸にもダサい陸軍に召集されてしまいました。

 ありがとうございます。お年の割にはナウい言葉をお使いですね。

 若輩者が生意気を申し上げました。乱筆をご笑覧ください。

Re:社会**とは時間がかかるものです
 投稿者---栗栖克寛氏(2002/07/30 02:20:59)

 貴殿しっかりしていらっしゃいますね。感銘いたしております。

 私の出会ったアメリカ人は日本人に対して、陰口を言うことはあるかもしれませんが(私や栗栖さんもアメリカ人の陰口を言うかもしれませんね)、対等な外国人として扱ってくれました。いい体験をしたと思っています。

→まことに残念なのですが、貴殿は少しばかりお考えが甘いように見受けられます。そりゃ面と向かって「リメンバー パールハーバー!」なんて叫ぶ者はそうはいないでしょう。しかしながら有色人種に対する白人の潜在意識というものは今なお彼らの心中にくすぶっております。ロスの警官が黒人を暴行したり、南部の州ではKKK団なる連中がはびこるなど、枚挙に暇はありません。

→これをいうとまた反論されそうなのであまり申し上げたくはないのですが、当時の日本の国策はあくまで「大東亜共栄圏」の樹立であり、現に戦時中に自由インド仮政府を承認したほか、ビルマなども独立させています(詳しくは「新しい歴史教科書」をご覧ください)。
 こういうことをいうとすぐ「日本はただ南方へ石油をとりにいっただけじゃないか」という反論があるのですが、そもそも国のプロパガンダなるものは、半分は真実であり、もう半分は嘘なのです。100%真実とか、100%嘘なんてことはありえません。たしかに日本は石油欲しさに東南アジアへ出ていった。これは一面真実です。しかし「大東亜共栄圏」を樹立し、欧米の搾取にあえいでいるアジア諸国を解放するために戦争を始めたというのも半分は真実なんです。日本が戦ったのはアジア諸国ではなく、連合国軍です。日本軍がアジアへ進出したとき、現地の人々はみな大喜びでした。もちろん日本が国策として人種差別などするわけがなく、むしろ国際連盟に「人種差別撤廃条約」案なるものを提起しております(もっともアメリカの反対で廃案に追い込まれましたが)。日本はたまたまドイツと手を組んではいましたが、ユダヤ人の迫害には一切手を貸しておりません。
 欧米の「民族自決」の理念だってそうではありませんか。「民族自決」の理念はヨーロッパには適用されたけれど、アジアやアフリカにはまったく適用されなかったんですから。今でも日ごろあれほど「人権」を声高に叫ぶアメリカはシナのチベット侵略には目をつぶっているでしょう。

 確かに、日本は軍事的にはアメリカの基地もあり、安全保障条約を結んでいます。この条約を最初に結んだのは戦前戦中の外交官から首相になった吉田茂でしたね。

→彼の最大の失敗は憲法を改正しなかったことです。やろうと思えばGHQに頼んでできたはずなのに。

 確かに中国は日本を敵視しますが、それは文化面でのことで、軍事面の対立は中国も日米両国も今は望んでいないはずです。中国国民の政治思想的安定にとって日本が悪役として必要ならば、中国の正式な軍隊が日本との国境を侵すような(彼らにその必要が現在あるとは思えないのですが)、行き過ぎのない限りで許容できると思います。このバランスが今の外交や軍事に一番大事でしょうね。

→貴殿は日本を潰す気ですか。今シナは尖閣はおろか沖縄まで自国の領土だと言い張っているのですよ。「沖縄はアメリカから誤って返還された土地だ」と。現に与那国島付近の航空情勢は、民間機は無事発着できますが、自衛隊機は近づけない事態になっています。
 もともとシナ人には中華思想なるものが民族性としてあります。「中華」とは地名ではなく、世界の中心という意味です。古代からシナ人は自分たちこそ優秀な民族と驕り高ぶり、周辺国は自国の属国としか見ていませんでした。だから日本のことが後漢書“東夷”伝に載っているのです。「夷」はえびすと読み、野蛮な国という意味です。
 シナの君主は「皇帝」ですね。いっぽう周辺国の君主は「国王」です。国王というのは皇帝の臣下であり、皇帝により任命されるのです。周辺国はシナに貢ぎ物を贈り、その見返りとして国王に任じてもらう。これを華夷秩序といいます。
 日本もかつては華夷秩序に組み込まれていました。古代の日本の君主は「大王」(おおきみ)でしたし、九州で見つかった金印には「漢倭奴国王」と刻んであります。これは「漢の属国である倭(日本の蔑称)の奴の国王」という意味です。
 ところがいつのころからか、日本の君主は「大王」から「天皇」に変じます。そう、アジアの中で唯一日本だけが華夷秩序から飛び出し、シナと対等な国であるということなんです。小野妹子の隋への国書がそれを如実に示しています。李氏朝鮮も琉球も台湾もタイも、すべて「王国」だったのと対照的です。また元号についても、他国がシナの元号を強制されていたのに対し、日本だけは大化から平成に至るまでずっと独自の元号を使い通しています。
 さて、このような背景は今なおシナや韓国に多大な影響を及ぼしているように見受けられてなりません。自分たちの属国であるはずの日本がどうしてあんなに経済大国なんだ、しかも「天皇」などという生意気な称号を使いやがって、という嫉妬心……。

 むしろ心配なのは、その批判が日韓両国で政治的に利用されることや、

→外交上利用できるものは何でも利用する。これは世界の常識です。

 現在進んでいる韓国での日本の大衆文化解放によって韓国の若い人たちに日本の文化が浸透して、韓国独自の文化が失われてしまう

→韓国に独自の文化などありはしません。古代にはあったのですが、中世以降はすべてシナのコピーにすぎません。
 沖縄の首里城もそうです。あれはまさしくシナの建築そのものです。日本の城とはぜんぜん違います。

 憲法を変えるということについては、憲法の中に改訂するための約束がありますから、これに則ってすればよいでしょう。

→ですが総議員の3分の2以上の賛成なんてムリですよ。GHQが事実上憲法を変えられないようにしたのです。石原知事は過半数の賛成で憲法の失効決議をしたらいいと主張していますが、小生も同感です。

 日教組や国労といった公務員の労働組合の連合であったかつての総評は、栗栖さんもご存じかと思いますが、「昔陸軍今総評」といわれたくらい禁欲的で統率のとれた巨大組織であったそうですね。…このような人たちの活動が、戦後の社会改良の底上げに資したのではないかと、後世の私たちは思っているのですが。

→国労については小生はあまり詳しく存じておりませんので言及は避けますが、日教組が社会に奉仕したというのは失礼ながら噴飯ものといえわざるをえません。
 日教組がいかに日本の教育を荒廃させたか。公立学校で習熟度別クラス編成が廃止されてから久しく、優秀な子はみんな私立や塾へ行かざるをえず、結局裕福な家庭の子どもしか大学へ進めなくなっている。かつて東京大合格者ナンバーワンは都立日比谷高でしたが、今は開成やらラ・サールやら愛光やら、私立の出身者が8割を占めるまでになってしまっています。最近ではテストに点数をつけなかったり、運動会のかけっこで全員が手をつないで同時にゴールインしたりする学校もあるとか。まさに悪平等教育です。競争そのものは決して悪いことではないはずなのに。
 結果どうなったか。いじめの増加です。今の学校では誰が優秀で誰がバカかはた目からではわからないため、気の弱い子をいじめて満足せざるをえないのです。昔のように勉強でもスポーツでも歌でも絵でも習字でも、徹底的に競争させてきっちり優劣をつけるようにすれば、いじめはなくなると思います。その証拠に、私立の進学校や学習塾ではいじめなんて聞きませんよね。

 いつの時代も「今の大学生は…、今時の若者は…」と年輩の人は言うものですね。

→ハハハ、お恥ずかしい。

 「太陽の季節」なんていう風俗小説もありましたね。

→文芸作品の評価は人それぞれですのであまり論じても仕方ないでしょうが、小生は「太陽の季節」を風俗小説とは見ておりません。むしろ懸命に生きる美しい青春物語と考えております。

 フリーターという失業者が生まれたのは今から20年ぐらい前ですかね。…栗栖さんもそういう若者に期待した時代があったのではないですか。

→いや、むしろ絶望していました。ただ、最近は少し明るい兆しも見えてきています。西尾幹二氏の「国民の歴史」や小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」などが若い世代に広く読まれております。

 わたしは、できる限り時間と技術(必要ならお金)を掛けるべきだと思っています。現在は昔ほど反抗的な人は少ないでしょう。東京外環道路など30年目にして動き出しているプロジェクトもあります。
 考えられるメリットとデメリットをすべて出して、隠し事無く進めていけばいいのです。当事者の住民に考えてもらうようにすればいいのです。

→それでもなお理解が得られなかったらどうしたらいいのでしょうか。

 私が言いたかったのは、約100年続いた院政は、その後の二重権力の時代の鎌倉幕府滅亡の時期に比べて、時期も長く、各地の悪党の組織化に努力した後醍醐帝の建武親政の数年間とは意味が違っているのではないでしょうか。

→たしかに意味は違うのですが、スケールが異なります。そもそも本格的に院政を始めたのは白河です。それに後醍醐はとてつもない思想をもっていました。これについては井沢元彦氏の「逆説の日本史」をお読みください(紙幅が足りん……)。

→「陛下」というのは今上天皇つまり今の天皇をお呼びするときに用いる尊称であり、「後三条天皇陛下」「後醍醐天皇陛下」「昭和天皇陛下」などと過去の天皇を陛下とお呼びするのはかえって不敬にあたります。
 それに過去の天皇というのは歴史上の人物であり、歴史書ではいちいち「○○天皇」と書かず、「後醍醐」とか「後三条」などと書くのが通例です。

 革命の起こる外国とはヨーロッパ諸国のことと思いますが、ヨーロッパ諸国の各王朝は、日本の戦国大名よろしく一族の誰かが嫁いでいたり養子に入っていたり、皆親戚同士なのです。断絶しても、次の王朝は縁のある王様が即位したりしていたのではないでしょうか。

→それはケースバイケースです。血縁のある者が次の王朝を開くこともあれば、そうでないこともあります。ことにシナがそうです。漢も宋も明も、すべて王朝の交代の連続であり、前の王朝は次の王朝に皆殺しにされています(中国に4000年の歴史などありはしません)。

 天皇にはあくまで「権威」のみを背負っていただき、「権力」は政府が握るべきです。これこそ日本の伝統ですので。

 我が国の最高法規の最初の項目が天皇のことなのです。政治権力のことはずっと後です。

→おっしゃるとおりですが、天皇が元首である旨が明記されていません。

Re:社会**とは時間がかかるものです
 投稿者---とも氏(2002/07/29 22:28:58) http://town-m.vop.jp/

 ともです。
 私もかいつまんで簡単に。

 わたしは、できる限り時間と技術(必要ならお金)を掛けるべきだと思っています。現在は昔ほど反抗的な人は少ないでしょう。東京外環道路など30年目にして動き出しているプロジェクトもあります。
 考えられるメリットとデメリットをすべて出して、隠し事無く進めていけばいいのです。当事者の住民に考えてもらうようにすればいいのです。

 住民に説明しても反対が多い。そうですね。圏央道も成田も外環も小田急もみんなそうですね。そうそう芦屋の山手幹線に名古屋2環、福岡地下鉄、横浜環状道路までつけましょうか。
 これらを分類しましょう。

1)開発前、もしくは開発途上で都市計画決定済みであって今まで動かなかったもの(既都計未事業路線)
  ・・・東京外環西側、山手幹線など
2)開発後、もしくは近年になって都市計画または計画決定したもの
  ・・・小田急、圏央道、横浜環状線など
3)都市計画などの手続きを経ることなく計画決定し、収用法認定により事業が行われたもの
  ・・・成田空港、ダム関係

 このうち、1)は昭和43年の旧都市計画法改正前(旧々都市計画法下の国指定都市計画)のいわゆる「駆け込み都市計画」が多くこれらの場合は都市計画が決定されている土地への建築制限などはあるものの、実質的に3)と同じと考えられます。よって決定的な違いは

1)、3):都市計画に当たり住民に説明が無い
2):都市計画に当たり住民に説明がされた

です。

 つまり、1)や3)の場合、計画決定まで住民に知らされていなかったことによる反発が相当あるのは否定できません。
 2)はどうでしょう。小田急は旧都市計画法です。ただ、住民側に反対運動があった。適切に説明しておけばすんだ部分でのすれ違いがあり、どうしたって住民側は強行になっていく。という当然の過程を踏んできています。
 圏央道も同じ旧都市計画法ですが、環境問題というよりも自然保護での反発が強いです。これらは通常の環境問題とはまったく異なり、自然環境への配慮が求められる反対運動です。
 これらの2つに共通しているのは反対運動が目的化している部分が見えることです。住民がというよりも「動植物を守る」「住環境を守る」という部分を見すぎるがあまり都市機能として必要か不要化の議論が抜けてしまっている。いわゆる「プロ市民」が背後にいるということはもちろん、各地の反対を目的化としている団体が存在する点が大きく違います。
 要は2)の場合の反対は経済的担保や説得で解決するものではなく、環境への配慮や計画論での説明充実、目に見える形でのデータの提供などをしなくては永遠に平行線のままのものです。ましてや強攻策は逆に住民以外の国民の反感を買ってしまいます。

 つまり、1)や3)の場合、住民の反対はある程度やむを得ないものと考え、適切な現行法に基づく手続きをすることや説明責任を行政が果たすことが必要です。白紙にするまでは必要ないでしょうが、それなりの形で行政側が住民側に歩み寄る必要があります。この方法である程度の解決を見たのが東京外環埼玉区間や市川・松戸区間です。収用法までいったとしても総論賛成ですから世論は事業者側にありますから、それなりの手に打って出れるのです。

 一方、2)の場合には難しい問題がありますが、環境アセスメントや石原東京都知事が公約としている計画アセスメント制度(計画について全般的な影響評価を行う手法。ほぼ世界各国で導入されている)などでフォローするしかありません。
 すでに都市計画決定しているものは行政側の適切な説明、環境保護配慮は不可欠でしょう。旧都市計画法は住民意見反映などの手続きがありましたが曖昧であったことは否定できず、難しいところですが、その他を含め市民の賛同が得られることは当然であって、強行にではなく、柔軟かつ温和にすすめていくことが必要です。その上でデータ類などを適切に出し、その他の住民にしっかり事実を伝える。そこで環境上の問題があると思われるようなら改善策を提示する。そういった行政の説明責任があるのでしょう。

 つまり、問題は2種類あって対処法はまったくちがうのです。

 これらの対処法は「これ」といったものではなく、様々な手法の組み合わせです。市民の賛同が得られるかどうかは「パブリックインボルブメント」やアンケート、住民投票もありうるでしょう。その場合、メリットデメリットをきっちり事業者(多くは行政)、住民がそれぞれ出さなくてはなりません。

 しかし、せっかく住民と行政が同じテーブルについて議論をしていても、プロ市民といわれる方々のむやみな介入で失敗した例はあります。
 特に道路では顕著であり、環境論やべき論からの「大所的すぎる反対」や環境保護を名目とした「超局所的な反対」により、上手くいっていないところもあります。ゼロサムになる日本の悪い癖ともいえますが、総論で賛成にできる資料を行政が用意できれば、世論は行政側にできるのですから案外反対運動がしぼんでいくものです。

 実際、外環のように反対派をも巻き込んでのシンポジウムや会議によって合意形成が進んでいる例もあります。成田の円卓会議もその是非はあるにせよベクトルは同じですね。また、福井空港のように事業をするか否かまで様々な中立立場の団体(商工会議所など)により議論を尽くすものもあります。
 政策的な是非や環境論だけではなく、経済性、技術的妥当性など様々な観点から中立に資料の判断材料を与えられるコーディネート機関としてのNPOなどが育ってきていることもあり、今後はこのような様々な観点からの整理を行って是非を住民や国民が判断できる材料を与えられるようなことになっていくでしょう。
 大所的すぎる意見か局所論しかない反対運動ではもう立ち行かないのです。
(田中前長野県知事の脱ダムに対し、理念的すぎて経済性や技術的評価が一切無いことがじわじわ批判に現れているのは、こういったことが一般化しつつあるということではないですか?)

 国土交通省も政策に「合意形成を進める手法を採用し」となってますね。時間はかかるし回り道に感じるけど結果的に早くなるのならということでしょう。
 都市計画法でも住民合意形成手法として様々な形での住民参加が義務づけられ、また、「地区計画」として住民の発意による都市計画も法制度として新設されています。

 こういった制度をいかに住民や行政が活用できるかがすべてといえましょう。
 先進的な都市では行政や事業者、そして住民はすでに現状よりも一歩(半歩かな?)進んでいるです

 ではでは

超楽観的な環境と文明論
 投稿者---さいたま市民@西浦和氏(2002/07/27 01:39:28)

 こんばんわみなさん。時ならぬ文明論の時間になってしまいました。

 とはいえ、環境問題は人類に厳しい課題を突きつける。
 環境問題とは、人類に突きつけられた匕首であり、文明の制約条件でもあり、また乗り越えるべき壁であるともいえる。

 とはいえ、この課題を完璧にクリアすることはできない。残念ながら。
 私たちがここで発展をあきらめる必要はないでしょう。単純な環境論で片づくほど、現実の環境は簡単ではないですし、ましてや簡単な生態学論での説明は危険でしょう。

 …地球上で生きていくためには、文明活動の総量を抑制し縮小…しなければ文明を維持できない。
 道徳的・宗教的・抑制的に振る舞えなければ、文明の蕩恣と浪費の果てに、人類は衰亡していかざるをえないであろう。課題は重い。

 かつてアフガニスタンを支配していた人たちもそのようなことを言っていたような…。

 文明は貴重で、価値があり、唯一無二の素晴らしいもの…を護っていくためには、人類の叡智を結集していかなければならない…その作業こそが文明の根幹…だろうか。

 そうでしょう。現代の文明が過去の如何なる文明とも異なる点は、批判しあって客観的に過去を見ようとしている点だと思います。そして、そこから私たちは何かを学び、それを生かした技術や知識を生みだし、活用しているというところが過去とは違うところだと思います。

***

 温暖化の影響が顕在化するころには小生はとっくに死んでおるでしょうが、子孫の未来、日本の将来を考えると暗い気分になります。

 現状の環境が寸分違わず未来永劫に存続するという考えは捨てた方が良さそうです。断層が動いて地形が変わり、火山が噴火して山の形が変わるというのは日本人の意識の底にある自然観ひいては文明観です。これを誇りましょう。

 ここで小生が提起するのはマスコミの問題です。…
 しばしば日本のマスコミは定見がないなどと批判されますが、要するに大衆に迎合しがちということです。

 これを乗り越えるために、私たちは掲示板で対論しているのです。

 日露戦役の後、ポーツマスで講和会議が催されましたが、…ついには日比谷で焼き討ち事件…いうまでもなく当時の日本には戦争を継続するに足りる国力はもはや残っておらず、明治政府の対応はやむをえなかった…マスコミは…大衆に迎合したのです。

 これはある意味ガス抜きだったかもしれません。その後の帝国の軍事政策を見れば、拡張政策が続くわけですから、裏の裏は表です。

 …明治憲法下において、政府は「言論統制」とか「報道管制」なるものを…一度も出してはいません。意外に思われるかもしれません…言論の自由や報道の自由は(純法律的に)あったのです。治安維持法が取り締まりの対象としたのは共産主義であって、反戦ではありません。…

 ああそうでしたか。栗栖さんはご体験されたと思いますが、戦争中に反戦は表立って言えなかったでしょう。冷静に検証しても「戦争に負ける」とは書けなかったでしょう。いろんな人がいても徴兵を逃れるような人は表には出なかったでしょう。時代の雰囲気というやつですね。

 …マスコミが戦後にあって少しは反省したか。ちっともしてはいません。例の教科書問題を見てください。…
 交通政策…欧米で路面電車が復活…の事実を日本のマスコミはほとんど報じていません。…欧米の交通改革を報ずるのはNHKがたまに…やるだけ。民放では皆無ではないが…視聴率がとれない…番組を流しても…視聴率は期待できません。…高速道路が高い…税金の取られすぎ…エコカーが開発…といった情報は…流れてくる。…視聴率がとれるから…民衆の欲望におもねった報道をすれば高い視聴率が期待できます。

 人生の大先輩に対して申し上げるのは大変心苦しいのですが、ここはそういう話をするところではないと思います。私は交通についてイデオロギーを越えて学びたいのです。

 交通改革は決して宣伝で耳目を引くことだけで実現するものでは無いと思います。公共交通は公共セクターであるが故に多くの宣伝費を掛けるわけに行かず、むしろ「ニュース」の時間に報道してもらう方がお金がかからず宣伝効果があります。無責任なキャスターのコメントがつくのがリスクといえばリスクなのですが。
 むしろ、多数の人々が集まる公共輸送機関を1つのメディア(広告媒体)として活用しようとしているのが、交通機関各社の現在の努力ですね。
 自動車に関係する報道は、多くの人たちが興味を持つ問題ですが、報道というより宣伝の番組を放送するのは、もちろん販売促進や企業の主張のためでしょう。イメージ戦略という方法ですね。

 日本のマスコミは本当に困ったものです。

 大丈夫です。見ている私たちは常に「スポンサー」を気にしています。それがNHKであっても。私の父や伯父や祖父などは、どんな番組をやっていても「下らない。どうせ何かの宣伝だろ」と言いながらテレビ番組を見ていたものです。この感覚は栗栖さんの世代ならよくおわかりのはずですね。

 若輩者が生意気を申し上げました。どうぞお許し頂きご笑覧のほど。乱筆ご容赦。今後ともよろしくおつきあい願います。

Re:超楽観的な環境と文明論
 投稿者---栗栖克寛氏(2002/07/28 17:45:46)

 現状の環境が寸分違わず未来永劫に存続するという考えは捨てた方が良さそうです。断層が動いて地形が変わり、火山が噴火して山の形が変わるというのは日本人の意識の底にある自然観ひいては文明観です。これを誇りましょう。

→ちょっと待ってください。火山の噴火で地形が変わるのと、地球環境が破壊されるのはまったくの別儀でしょう。

 これ(日比谷で焼き討ち事件)はある意味ガス抜きだったかもしれません。その後の帝国の軍事政策を見れば、拡張政策が続くわけですから、裏の裏は表です。

→これ、少々意味がわかりかねます。もう少し詳しくお願いします。

 戦争中に反戦は表立って言えなかったでしょう。冷静に検証しても「戦争に負ける」とは書けなかったでしょう。いろんな人がいても徴兵を逃れるような人は表には出なかったでしょう。時代の雰囲気というやつですね。

→そう。本当に国のことを思うなら、ああいうときにこそ冷静に検証するのが社会の公器たるマスコミの責務のはずなのに。

 人生の大先輩に対して申し上げるのは大変心苦しいのですが、ここはそういう話をするところではないと思います。私は交通についてイデオロギーを越えて学びたいのです。

→そうですね。あくまで例を挙げたつもりだったのですが、貴殿のおっしゃるとおりです。撤回いたします。

 交通改革は決して宣伝で耳目を引くことだけで実現するものでは無いと思います。公共交通は公共セクターであるが故に多くの宣伝費を掛けるわけに行かず、むしろ「ニュース」の時間に報道してもらう方がお金がかからず宣伝効果があります。無責任なキャスターのコメントがつくのがリスクといえばリスクなのですが。

→では「ニュース」で報道してもらうには、いったいどうしたらいいとお考えですか。過日、土曜朝8時の「ウェークアップ」(よみうりテレビ)で、京都大の教授が「高速道路でカネがいるのは、フランス南部とイタリアだけ」などと臆面もなくのたまっていました。京都大の教授サンですら、アウトバーンが有料化された事実をご存知ないのです。それほどまでに、欧米の交通改革は日本人に周知されていない。

 見ている私たちは常に「スポンサー」を気にしています。それがNHKであっても。私の父や伯父や祖父などは、どんな番組をやっていても「下らない。どうせ何かの宣伝だろ」と言いながらテレビ番組を見ていたものです。

→うーん、そういう賢い方ばかりじゃないと思うのですが。

Re:超楽観的な環境と文明論
 投稿者---さいたま市民@西浦和氏(2002/07/30 00:48:15)

 こんばんわ。栗栖さん。みなさん。日本史の次は文明論です。
 ただ、環境保護のために人類が文明を縮小するというのは私が生きているうちは御免です。人間が変えた環境なら人間が元に戻さなければなりません。

 火山の噴火で地形が変わるのと、地球環境が破壊されるのはまったくの別儀でしょう。

 違うのは時間のオーダーだけです。1000年単位で変わるもの、100年単位で変わるもの、10年単位で変わるものそれぞれに私たちは対応しなければなりません。私や栗栖さんが経験してきた気候の変化だってあります。昔に比べて、東京でも日本海側でも大雪が降らなくなったと思いませんか?
 それに、縄文時代の人たちは今の私たちより、薄着だったような気がしませんか?毛皮1枚で野山を駆けめぐっていた…。2万年前の氷河時代は今よりも海の水が100m少なかった…。
 富士山が最後に爆発したのはいつだったでしょう?今から200年前です。このとき御殿場は1〜3mの火山灰に覆われたのです。
 確かに中国の経済発展で日本の気候は変わるでしょう。では、日本が経済発展したときに日本から発散されたエネルギーはどこへいったのでしょう?

 (日比谷で焼き討ち事件)はある意味ガス抜きだったかもしれません。その後の帝国の軍事政策を見れば、拡張政策が続くわけですから、裏の裏は表です。

→これ、少々意味がわかりかねます。もう少し詳しくお願いします。

 栗栖さんなら大丈夫でしょうが、「三国干渉」「臥薪嘗胆」「仮想敵国」これらの言葉の意味はおわかりですね。

 本当に国のことを思うなら、ああいうときにこそ冷静に検証するのが社会の公器たるマスコミの責務のはずなのに。

 「特高警察」「検閲」「自己批判」「転向」こういう言葉が再び聞かれる世の中にならないほうがいいですよね。栗栖さん!ほんとに戦前のお生まれですか?

 交通改革は決して宣伝で耳目を引くことだけで実現するものでは無い…公共セクターであるが故に多くの宣伝費を掛けるわけに行かず…報道してもらう方がお金がかからず宣伝効果があります。…

 「ウェークアップ」(よみうりテレビ)で、京都大の教授が「高速道路でカネがいるのは、フランス南部とイタリアだけ」などと臆面もなく…京都大の教授サンですら、アウトバーンが有料化された事実をご存知ない…欧米の交通改革は日本人に周知されていない。

 この土曜朝のワイドショーは見ていていつもいらいらします。そう視聴者に思わせる企画なのかもしれませんが、チャンネルを変えてしまえばいいのですが見てしまいます。京都大の先生が何の研究をしているのか名前を調べればわかるでしょうけれども、まあ、芸能人がラーメンの食べ歩きをしてとんこつラーメンとしょうゆラーメンの味が違うと言っているようなものでしょう。
 交通というものは、個人の移動の積み重ねです。地域の交通路の改良が積み重なって都市や国土の骨格となっていくのです。交通の改革とは住んでいる人の意識をすこしずつ変え続けていかなければならない気の長いものだと思います。道路を建設したり、乗り物を改良したり、少しずつ変わっていくのです。そしてある日気づいたら、全線が開通していればいいのです。理想の輸送システムができていればいいのです。そこには偉大な政治家も天才的な技術者もいなくていいのです。私たちが少しずつ意識を変えて、そのときできることから取り組めばいいのです。バリアフリーもしかり、クリーンエネルギーもしかり。
 昔は意識しなかったゴミの分別があれだけ細分化したのは、私たちがしているからですよね。リサイクルショップの隆盛もそうです。70年代には子供たちの夏休みには毎日出ていた光化学スモッグ警報も、今年久しぶりに出ましたね。あと何回もないでしょう。私たちもなかなか捨てたものではないのです。

…私たちは常に「スポンサー」を気にしています。…私の父や伯父や祖父などは、…「下らない。どうせ何かの宣伝だろ」と言いながらテレビ番組を見ていたものです。

→うーん、そういう賢い方ばかりじゃないと思うのですが。

 栗栖さん。テレビ放送が始まる前から生きてきた先輩のお言葉とは思えないのですが…。

 若輩者が生意気を申し上げました。ホーキンス博士の言葉にも触れたいのですが、これ以上話題を逸らすと私たちは管理人さんに掲示板から追い払われてしまいます。さあ、自動車の話題に戻りましょう。
 栗栖さんのご心配は、用もないのに自動車に乗る人のことでしたね…。
 スレッドを変えましょう。乱筆ご容赦。お休みなさい。

Re:超楽観的な環境と文明論
 投稿者---栗栖克寛氏(2002/07/30 03:49:37)

 違うのは時間のオーダーだけです。1000年単位で変わるもの、100年単位で変わるもの、10年単位で変わるものそれぞれに私たちは対応しなければなりません。

→いや、そうではなくて、火山の噴火は自然の営みであるのに対し、環境破壊は人為的なものだということを申し上げたのですが。

 確かに中国の経済発展で日本の気候は変わるでしょう。では、日本が経済発展したときに日本から発散されたエネルギーはどこへいったのでしょう?

→結局、先進国が発展途上国から資源を収奪しているわけです。この事実に耐えられない人は、共産主義に走るか首を吊るかのいずれかです。

 「特高警察」「検閲」「自己批判」「転向」こういう言葉が再び聞かれる世の中にならないほうがいいですよね。

→ちょっと事実を誤認されているようです。治安維持法が取り締まりの対象としたのは純粋に共産主義者だけです。いつだったか、田原総一郎氏が「朝まで生テレビ」で言っていたのですが、戦時下にあっても評論家や学者が戦争を冷静に分析、検証する本をいくつか上梓しているのです。共産主義イコール反戦とは限りません。
 それに軍部はいく度となく検閲法の制定を図ったのですが、実現には至っていません。むしろ検閲を実行したのは戦後のGHQです。

 交通というものは、個人の移動の積み重ねです。地域の交通路の改良が積み重なって都市や国土の骨格となっていくのです。交通の改革とは住んでいる人の意識をすこしずつ変え続けていかなければならない気の長いものだと思います。道路を建設したり、乗り物を改良したり、少しずつ変わっていくのです。そしてある日気づいたら、全線が開通していればいいのです。理想の輸送システムができていればいいのです。そこには偉大な政治家も天才的な技術者もいなくていいのです。私たちが少しずつ意識を変えて、そのときできることから取り組めばいいのです。バリアフリーもしかり、クリーンエネルギーもしかり。

→貴殿は性善説なんですね。何だか新興宗教の勧誘ビラのような気がします。外部からの規制や誘導がなければ何もしないのは人間の常だと思いますが。
 そもそも欧米ですでにLRTとかトランジットモールとかを実現している都市を見てみると、市民ではなく行政の側が音頭をとっているケースがほとんどです。優秀にして決断力のある議員や役人なくしてはどうしようもありません。

…私たちは常に「スポンサー」を気にしています。

→いや、もちろん小生自身はスポンサーを気にしますよ。でもそうでない人、マスコミの報道をうのみにしてしまう人も多いはずです。そうでなければトヨタの提供するエコ番組なんか視聴率がとれるはずがない。

2005.07.20Update

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