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【検証:近未来交通地図】<道往かば〜高速道研究> (過去ログNo.505) 下記内容は予告なしに変更することがありますので、予め御了承下さい。 当サイトの全文、または一部の無断転載および再配布を禁じます。 |
無意味な縄張り争い 投稿者---エル・アルコン氏(2002/05/28 18:04:13) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs |
─細かいようで実は大きな話 |
高速道路や一般有料道路は道路公団、一般国道は国土交通省という棲み分けがありますが、どうでもいい縄張りを無関係の利用者につけまわすケースがあります。
例えば、規制や渋滞情報。SAで10分おきくらいに更新されるFAXのやつですが、ご丁寧にもカバーする区間を峻別しています。具体的に言うと山陽道で見た例として、米子道からつながる山陰道ですが、一般国道9号線のバイパス扱いである安来道路の区間については、情報を書く欄が無く、「国土交通省」と書いているのです。また姫路バイパスから加古川バイパス、第二神明の区間も、有料時代の名残か姫路バイパスの欄はあれど、加古川バイパスの区間は細線1本で省略です。この区間は実際に通ったのですが、須磨本線の手前、名谷まで渋滞が無いように書いてあったのですが、実際には加古川バイパスの区間で渋滞があり、騙された格好です。
また、専用端末で所要時間やルートを検索する機械ですが、これも困りモノで、山陽道竜野西SAのそれは、竜野西から阪神高速神戸線深江までのルートを、かたくなに三木JCT〜垂水JCT〜名谷JCT〜須磨と表示します。まあそれも渋滞がひどい時には使えるのですが、通常は竜野西でそのまま降り(ここはSAから出られる)からR2に入り、太子竜野BP〜姫路BP〜加古川BP〜第二神明でしょう。もしくは山陽姫路西で降りて、姫路西BPから姫路BPへ。これだと全区間4車線以上の自動車専用道ですから文句は無いはずです。これも姫路西BP(一般国道29号線)や加古川バイパス(同2号線)の存在を無視している証左であり、縄張り争いで利用者をミスリードしています。
***
実際には、新しいSAにある案内板のように、並行国道の情報もあわせて掲示するケースが増えているだけに、この手の利用者には全く意味の無い縄張り争いの産物を早く無くしてほしいものです。道路情報ラジオが、公団、国交省とも1620khzに統一されおり、やれば出来るはずですが...
細かいようで実は大きな話
投稿者---とも氏(2002/05/28 23:50:52) http://town-m.vop.jp/ともです。
この話、細かいことのようで非常に縦割りチックな話なんですね。
高速道路の場合
高速道路の情報は「JH(首都高・阪神高速)が一括して」流します。
よって、渋滞も事故も道路障害もみな一元化された情報として流されます。
そのため、エル・アルコンさんがかかれているSAなどでは一元的に情報が取れるのです。- 一般道路の場合
一般道路の場合、原則として「渋滞・事故」などの「交通情報」は警察、「道路障害、工事、災害」などの「道路情報」は国土交通省や都道府県などの道路管理者がという非常に縦割りチックなわけがあります。
これが極端に出ているのが道路情報版という電光掲示板で、渋滞中に「雨スリップ注意」なんていうなんともむなしい表示がありますが、これが道路管理者の表示です。
この規制、警察と道路管理者の縦割り的な情報をどちらが出すかという細かい話からきています。
これがVICSメディアの複数化につながり、ユーザーにとってはありがたい話ではありません。これがSAでのFAXサービスに入らない理由でして、道路管理者たるJHや国土交通省は一般道路の「交通情報」の提供が出来ないのです。
非常に細かいようでこの縦割りの規制、現実には一部の都道府県で情報の相互乗り入れも行われていますし、VICSのように相互で利用しあう制度ができています。
とはいえ、いまだそんな縦割りが残っているのも事実。国土交通省とJHの相互乗り入れ以上に日本の行政の縮図を現しているかのような現象です。
それでは
読ませる?広報誌 | 投稿者---エル・アルコン氏(2002/06/24 00:34:27) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs |
SA、PAで配布されている公団の広報誌「ハイウェイエクスプレス」ですが、まあありがちな御用新聞と高を括っていると、たまに辛口の記事が載っていたりもします。
このあたり、民間の一般向け広報誌で自社批判記事がまず出ないのと好対照であり、そのほか、事業整備の効果や実績など、新聞記事などでは端折られることが多い数値データが掲載されており、利用者向けのフリーペーパーにしては内容の「硬さ」も異色といえましょう。
ちなみに、今月配布の6月号では、話題?の秋田道西仙北ICについて特集されており、経緯や効果などが記載されていますが、事業費の節約など努力もうかがえます。同誌では特にETCについて、「利用者寄り」のスタンスが出ており、一昨年秋には、建設省(当時)の内部で、導入には割引制度が不可欠という意見があることをきちんと紹介しており、それが今の期間限定割引につながったのですが、現在配布中の6月号では、7月19日からの前納割引について、ハイウェイカードと同率ということへの不満が多いことに触れています。同じ面ではアクアライン料金への不満と「社会実験」としてのETC割引実施についての記事がありますが(2000円という数字が出ており、期待が持てる)、こちらもユーザーの不満への言及があり、単に提灯記事と読み飛ばすには惜しい内容といえます。
そして単なる広報ではなく、読まれる率が高いと踏んでいる節が広告にもうかがえ、JRバス関東が広告を出しているのです。高速バスや観光バスの休憩で目に触れる機会が多いとはいえ、読まれるからこその「異業種」?の出稿でしょう。
(そのあたりが中面織り込みの「道の駅しんぶん」にも見習ってもらいたい部分で、現状は「御用記事」オンリーではそれこそ読み飛ばすだけ...)
「民営化」だと、こうした「宣伝にならない」広報誌は真っ先に消えるでしょうな…
山手幹線走破の記 投稿者---エル・アルコン氏(2002/07/14 02:01:12) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs |
─山手幹線走破の記(補遺・芦屋の未成区間の記) |
先週ですが、山手幹線を現時点開業区間ですが全線走ってきました。端から端までの一気走りならよかったのですが、都合で東灘区から尼崎市まで東進し、六甲の北側を回って湊川に出て、長田区から東灘区に戻るコースとなりました。
「山手幹線」というと、尼崎から神戸・長田まで、R2、R43に次ぐ第三の幹線道路として阪神間の「山手」を貫く幹線の意味ですが、実際に走って見ると、各市が整備してきただけに、各市の思惑とそれによる路線の微妙に違う性格が見え隠れして印象的でした。●長田〜石屋川
長田神社のところで板宿方面との多聞通りからクランク状に分岐して始まります。
比較的交通量も少な目ですが、湊川公園をアンダーパスしR428と交差する楠町六丁目を過ぎると都心然としてきます。下山手通六丁目からは分離帯にも街路樹が植わっており緑がきれいです。その下山手通六丁目から中山手通四丁目まで、兵庫県庁を南北に挟むように支線があり、北側が本線格ですが、ロードマップでは南側ルートが県道として指定されています。
北野と元町を結ぶトアロードと交差する中山手通三丁目から、東門街や、北野坂やハンター坂と交差し、繁華街の真ん中という感じです。
フラワーロードと交差する加納町三丁目から再び落ち着き、高架下に事務所などが入った年代物の阪急の高架が右手に寄り添うあたりは街路樹で仕切られた側道を持っています。阪急の高架を潜る王子公園の交差点は、東からの山手幹線と直通するのは新神戸駅南(布引)へ向かう「原田線」になっています。ただ原田線は布引を過ぎるとそのままフラワーロードになるため、加納町三丁目で戻れます。
このあたりは片側2車線ですが、六甲道まで路駐のクルマが多く走りづらいです。かつての市電の終点だった市バス石屋川車庫まで来ると、急勾配を上がって天井川の石屋川を渡ります。●石屋川〜甲南山手
このあたりは御影、住吉、岡本と続く高級住宅街で、そこを貫く緑溢れる4車線道路にはゆとりすら感じます。天井川の住吉川を越えるために再び急坂を上がりますが、見通しが悪いほどの急勾配に、両岸道路との交差のための複雑な信号もあり、滞りがちなことはR2などと共通する悩みです。
R2、R43を抜けて魚崎浜の第三工区(埋立地)まで続く十二間道路と交差する岡本交差点の手前で、とうとう「この先行き止まり」の表示が出ます。
構わず進むと右にJR摂津本山、左が阪急岡本という神戸東部屈指のスポットです。ここからぐっと交通量が減り、右側分岐でアンダーパスして右折する森北町三丁目の手前にも「この先行き止まり」と出てますが、ここまでくると後は甲南山手駅手前しか逃げ道はない巨大な袋小路です(路地も無い)。
甲南山手駅とバス待機場を右に見る頃には、正面に異様な光景が見えてきます。4車線の道路がプッツリ途切れて正面はガードレールと壁。建設予定地すら見えない状態の地点が神戸市と芦屋市の境界で、神戸市の整備状況100%を異様な形で証明しています。●未完成区間(甲南山手〜芦屋〜夙川)
いったんR2に出て、次は芦屋駅前の芦屋市が270mだけ完成させた区間に移動です。
これも天井川の芦屋川の左岸を進み、芦屋駅北口へ向かいます。山手幹線は芦屋川をトンネルで抜ける計画で、右岸の様子は分かりませんでしたが、左岸は北口の区間から、芦有道路経由で有馬へ抜ける精道奥山線まで用地確保が進んでいます。同線は両岸道路より低いため、山手幹線と南北の幹線のリンクが確保できます。芦屋市内の完成区間は、平たく言うと駅北口の再開発、ラポルテ北館と南館に挟まれた通りだけですが、手前芦屋川までの間と、苦楽園方面に抜ける通りまでの区間は用地確保が進んでいます。しかしそこからは痕跡も無く、傾斜地に住宅が立ち並び、用地買収にも相当苦労しそうです。
路地を進み西宮市に入り、大手前大学の踏切手前で左に曲がると、山手幹線が再び現れますが、西側にも若干の用地確保はしているようです。●夙川〜西宮
阪急夙川駅を見て、夙川を渡った左岸で早くもおしまいです。ただ、再び続く寿町までの区間はすでに舗装や路面のマーキングなど擬装関係も最終段階で、間もなくつながるようです。
阪急の高架沿いに寿町に出ると、ここからは山手幹線が続きます。ただ、神戸市内と違いなんと片側1車線。路肩が広く、歩道も広めで、幹線道路のような透明な防音壁が特徴ですが、もともと4車線道路の規格を敢えて絞ったようです。
R171との交差からは4車線ですが、路駐も多く、実効性が無い4車線です。西宮球場を左に見て、名神を潜って中津港線との交差点で、右側車線が右折車線になって絞られてしまうのも、4車線確保にあまり重きを置いていない感じです。●西宮〜尼崎
ここから片側1車線です。この先、5月に開通したばかりの市境の武庫川にかかる山手大橋から再び4車線ですが、ここを拡幅しないと橋の投資が無駄になりかねません。
いままで「山手幹線」でしたが、六甲山系は武庫川で終わり、大阪平野になるり山手」とは言いづらいのか尼崎市内では「山幹通り」と名前が変わります。山手大橋の上には名前が変わる予告か、「山手幹線(山幹通り)」と併記しています。
あとは4車線のどこにでもある通りと言った感じで、名神尼崎ICを過ぎて名神が右に寄り添うと終点は近く、県道41号線(近松線)とのT字路になる佃交差点で終わります。そのまま道なりに進めば十三から梅田に至るというロケーションで、元々の計画では園田のほうまで少し進めるようですが、豊中ICまでぶち抜くのでもない限り、必要性も薄いでしょう。山手幹線走破の記(補遺・芦屋の未成区間の記)
投稿者---エル・アルコン氏(2002/07/15 00:49:41) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs前回、中央分離帯の街路樹を下山手通六丁目からと書いたのは間違いで、湊川公園のトンネルを出たところからです。
***
さて、前回見れなかった甲南山手〜芦屋川の未完成区間を見てきました。
結論から言うと、市境の「行き止まり」部分と、芦屋川手前のトンネル入口に当たる部分を除いて、用地確保はかなり進んでいました。しかし、おそらくわざとでしょうが、芦屋駅北口から芦屋川を渡ってJRの北側を並行する道が、市境手前で諸車通行止めになって途切れており、いつの日かの山手幹線完成まではこのエリアに通過交通は入れさせないという姿勢のようです。ただ、このエリアは甲南山手の駅勢のようで、歩行者や自転車は駅のほうから結構やってきます。なお、R2の前田町からJRを乗り越して山手幹線を結ぶ都市計画道路が出来上がっており、山手幹線完成の暁にはR2との行き来を芦屋川の両岸道路から極力排除するスタンスのようです(ただ、山手幹線から先は阪急の小さな踏切で、そこから山手の住宅街を行く路地になるため、変に大通りにして直進すると後が大変だが...)。
未完成区間を実見した感想として、要の部分ともいえる市境と芦屋川トンネルの手前の用地確保が未成というのが難物ですが、あと一息という感じもします。
芦屋駅から先、夙川までもまた難物ですが、芦屋駅北側までの開通(甲陽園方面とR2上宮川に出られる)を急ぐことで、山手と中間部の流動負荷が芦屋川にかかるR2業平橋に過重にかかっていることの減殺を急ぐべきです。
どうしてもJRや阪急の踏切や跨線橋が限られているなか、山手相互の流動をいったんJR南側のR2にまで下すことは、却って南北の生活道路への負荷がかかる状態であることは無視し得ませんし。
HEVのコスト 投稿者---Tom氏(2002/07/20 00:11:30) |
─Re:HEVのコスト └Re:HEVのコスト 増補 └Re:HEVのコスト 増補 └Re:HEVのコスト └増補燃料電池の改質元燃料は何通りもあります └Re:増補燃料電池の改質元燃料は何通りもあります └Re:増補燃料電池の改質元燃料は何通りもあります |
常設板「交通モードと環境影響の基本的な考え方」の返信部分を移設致します(551planning@おさぼり管理人)
交通モードと環境影響の基本的な考え方 ../traffic/log073.html#12
Tomです。半導体屋さんの目から気になった点のみレスします。
→プリウスについてですが、トヨタがプリウスそのものの製造、販売により利益を上げているとは到底考えられません。プリウスの標準価格は215万円ですが(違ったらごめんなさい)、1.5〜1.6リットルクラスが160万円、2リットル直噴エンジン搭載のコロナが212万円であることからすればかなり安く設定した価格です。バッテリーだけで80〜100万円、モータが30万円、永久磁石式発電機が20キロワットで20万円、電子制御装置も30万円はするでしょうし、むろんエンジンや動力分割機構などのコストも加わります。ここまではあくまで原価の話で、開発費用、装置やボディの型の償却費、その他もろもろの経費を勘案すると、相当な赤字であることは間違いありません。しかも月販目標台数は1,000台です。1台200万円の赤字なら年に240億円、300万円なら360億円の赤字ということです。こんな車をわざわざCMまで流してなぜ宣伝するのか。いうまでもなくトヨタのイメージアップのためでしょう。それしかありえません。
栗栖さんも戦争に行かれた位の年齢でありながらPCを使いこなされる位ですから博学ですよ。
ところでプリウスの件ですが、当初は確かにお札をつけて売っていたようです。ただ、プリウスが予想以上に売れたことと、トヨタお得意の原価低減と相俟って、今は利益が出ているそうな。
絶対的な利益額は少なくとも、そこで培ったノウハウをエスティマなどに展開し、かつ燃料電池車でも必要なモーター制御のノウハウも身に付けたわけですから、決して高い投資ではなかったでしょう。 少なくともトヨタは欧米の自動車メーカーに対し数年分のアドバンテージを得たものと思っています。
また、部品のコストにしても栗栖さんが記述されている金額ほど高くないと思われます(どう見積もっても半額以下です。積算根拠は業務に触れるので明かせませんが)。ユーザー側のメリットはといえば、年に10,000キロを燃費10キロ/リットルで走ればガソリン代は10万円ですが、プリウスに乗り換えて燃費が15キロ/リットルに向上したとしてもガソリン代は67,000円とじつに30,000円の差でしかありません。もちろん使い方にもよりますが、ただしプリウスのパンフに載っている燃費28キロ/リットルという数字はクサい。補助金とかもあるようですが、少なくともプリウスにより浮いたガソリン代で車両価格がペイし、お釣りがくるとはちょっと考えられません。これを埋めるのは静かで滑らかな運転フィーリングもさることながら、やはり環境に貢献しているという自意識でしょう。
とはいえ、プリウスは乗ってみると意外にも運転して楽しいクルマだったりします。3年前の冬に北海道でレンタカーとしてたまたまプリウスに当たったことがありますが、たっぷりした低速トルクとトヨタにしてはしっかりした足でなかなかいいクルマと感じました。比較的飛ばす私が運転しても燃費は17〜18は行きましたので、道東のようなところを普通の人が走れば28は無理でも20km/リットルには乗るでしょう。
Re:HEVのコスト
投稿者---栗栖克寛氏(2002/07/20 13:20:56)ああ、どうしよう。拙稿がいろんな人の目に触れている。恥ずかしい。
栗栖さんも戦争に行かれた位の年齢でありながらPCを使いこなされる位ですから博学ですよ。
→ハハハ。
プリウスが予想以上に売れたことと、トヨタお得意の原価低減と相俟って、今は利益が出ているそうな。
→それは事実なのですか。それともトヨタ自身がそう言い張っているだけですか。
絶対的な利益額は少なくとも、そこで培ったノウハウをエスティマなどに展開し、かつ燃料電池車でも必要なモーター制御のノウハウも身に付けたわけですから、決して高い投資ではなかったでしょう。少なくともトヨタは欧米の自動車メーカーに対し数年分のアドバンテージを得たものと思っています。
→それはおっしゃるとおりだと思います。ただ、プリウスの価格がひとつの標準になってしまうと、ほかのメーカーが追随するのはさぞ大変でしょう。他社がおそらく「不当廉売で訴えたくなる」と嘆いているであろうこのプリウスに行政が補助金を出すのは具合が悪いのでは、などと妙な心配をしております。これはメーカー同士の体力勝負ですぞ。それから燃料電池についてですが、ハードウェア以前に燃料そのものをどう量産するのでしょうか。水素やメタノールをどう大量かつ安価につくるかが本当の課題だと思うのですが。
また、部品のコストにしても栗栖さんが記述されている金額ほど高くないと思われます。(どう見積もっても半額以下です。積算根拠は業務に触れるので明かせませんが)
→これはマツダに勤める親戚に聞いた話であり、しかも貴殿のほうも積算根拠を明かせない以上、議論しようがありませんね。しかしそうなると周囲の想像を絶するような究極のコストダウンの秘策を有しとるのかな。どうもトヨタの「出血大サービス」のように思えてならないのですが。
比較的飛ばす私が運転しても燃費は17〜18は行きましたので、道東のようなところを普通の人が走れば28は無理でも20km/リットルには乗るでしょう。
→エンジンとモータを掛け合わせると、長所だけでなく短所も同時に掛け合わされます。モータで走っているときはエンジンやガソリンタンクは余計な荷物であり、エンジンで走るときはモータや蓄電池はむだな荷物ですから、ハイブリッドカーの低燃費は都市内で頻繁に加減速を繰り返す場合の話であり、高速道路や渋滞のない一本道を定速で走ると確実に燃費は悪化します。プロのテストドライバーと一般ユーザーは違うし、市場での使われ方がメーカー側の予測を逸脱することは多々あるでしょう。
Re:HEVのコスト 増補
投稿者---栗栖克寛氏(2002/07/20 13:20:56)ところでプリウスの件ですが、当初は確かにお札をつけて売っていたようです。ただ、プリウスが予想以上に売れたことと、トヨタお得意の原価低減と相俟って、今は利益が出ているそうな。
→じつは小生の義理の甥がマツダに勤めており、先日この儀を話してみたところ、一笑に付せられてしまいました。「あんなもん儲かるわけない」と。
ハイブリッドはどうしても重くなるため、過負荷に弱い大型車には向きません。社会を支えているのはマイカーではなくトラックです。本来なら個人に奉仕するハイブリッド乗用車が発売されたことを祝うより、社会に奉仕するトラックにハイブリッドが向かないことを嘆くべきでしょう。これは国全体が将来の交通体系のあり方を真面目に考えていない証左だと思います。
Re:HEVのコスト 増補
投稿者---Tom氏(2002/07/25 23:47:51)会社によって原価低減の度合いが違うので、一概には言えません。
失礼ながらマツダの場合、古い技術をだましだまし使っているため、既存の年何%かの原低はできても設計の根本的な変更などできる余裕がないでしょう。
今のところHEVをやって儲かる会社はトヨタ一社、ホンダがシビックで懸命に追い上げているが、日産は原価低減のメドがたたない為HEV量産車を投入できず、三菱・マツダに至っては投入するにも技術がない、というのが正直なところだと思います。
モーターとの協調制御、トルク特性最適化など克服すべき技術課題は多いです。ただ、これがクリアできると燃料電池車にも応用できること、また重いものを背負っても余りあるほど自動車としては効率化を図れるため日本メーカーは技術開発進めているわけです。 尚、欧州メーカーは欧州の道路特性からゴー/ストップが少ないこと、及びモーター制御技術が社内に十分蓄積していない為未だ投入していないものと考えられます。もっとも欧州メーカーもエレキはジーメンスかボッシュにブラックボックスとして任せる気があれば1年で投入可能でしょう。
話が飛びますが、日本では電装メーカーが擬似HEVシステムをいろいろ開発していますので、(モーターショーでも発表していました)これを採用しHEV化するという手もあります。 要はやり方でしょう。Re:HEVのコスト 増補
投稿者---栗栖克寛氏(2002/07/26 12:02:53)→燃料電池車そのものはいいとして、肝心の燃料はどう供給するのでしょう。
小生としてはいわゆる新世代自動車なるものについては、にわかに普及を図るのではなく、当面の間は技術の蓄積に専念すべきと思います。技術が未熟なまま普及させてしまうと社会の不安をいたずらに大きくし、ひいては新世代自動車に対する不当な評価を招く仕儀ともなりかねません。やたら普及を旗印にはしゃいでいると、かつての電気自動車ブームの二の舞になるような気がしてなりません。政府や自治 体の「低公害車普及目標台数」はひとまず白紙に戻し、研究のみに力を入れるべきと思うのですが、この儀、どう思われますか。燃料電池の改質元燃料は何通りもあります
投稿者---Tom氏(2002/07/30 22:34:01)燃料電池の燃料としては何通りあるということは既にご存知のことと思います。
その内、「ガソリン改質」方式を取るのであれば、従来のガソリン車同様ガソリンを燃料として使用できます。トヨタはこの方式ですね。
別にはじめから「水素」である必要はないのです。話は飛びますが、燃料電池はクルマ以外の動力源、というより電源としても注目を集めています。
PCのバッテリーも燃料電池に置き換えるプランがあり、カシオが試作機を発表しています(これはメタノール改質型の燃料電池です)。
参照 http://ascii24.com/news/i/tech/article/2002/03/06/634153-000.html
また、家庭などに小型の燃料電池を取り付けると電力会社からの送電も不要になります。まあ、都市部はともかく、山間部などでは送電コスト、送電ロスを抑える有効な方策になるでしょう。また、原理的に排ガスを出さないので、途上国の小型発電施設に応用できればCO2削減に一役買えるものと思います。
Re:燃料電池の改質元燃料は何通りもあります
投稿者---栗栖克寛氏(2002/08/09 22:15:19)ボケ老人のたわ言にお付き合いいただき、光栄至極に存じます。
「ガソリン改質」方式を取るのであれば、従来のガソリン車同様ガソリンを燃料として使用できます。
→ガソリンを内燃機関でそのまま使ったほうがはるかに安上がりなのではないですか。
また、家庭などに小型の燃料電池を取り付けると電力会社からの送電も不要になります。まあ、都市部はともかく、山間部などでは送電コスト、送電ロスを抑える有効な方策になるでしょう。
→ああ、なるほど。
また、原理的に排ガスを出さないので、途上国の小型発電施設に応用できればCO2削減に一役買えるものと思います。
→燃料そのものをつくる段階では二酸化炭素は出ないのですか。
Re:燃料電池の改質元燃料は何通りもあります
投稿者---Tom氏(2002/08/15 09:40:00)ガソリンを内燃機関でそのまま使ったほうがはるかに安上がりなのではないですか。
現状のコスト面で考えたらそうでしょう。
但し、ガソリン改質であっても燃料電池化することにより、環境への負荷が軽くなる(「燃焼」を行なわない)ということが
メリットとしてあります。また、燃料電池の方がエネルギー効率も良いようですが、今時点で手元に効率を対比した資料がない為確認しておきます。燃料そのものをつくる段階では二酸化炭素は出ないのですか。
ガソリン改質であれば現状と同じなので「出ます」というのが答えです。
ただ、ガソリン燃焼という工程がなくなればそれだけでも環境への負荷は軽くなります。勿論、鉱物資源以外からも燃料化できるメタノール改質や水素そのものの方が環境に与える負荷はより軽くなります。
但し、水素については取り扱いの難しさがあります(爆発対策をどうするか、など)。
クルマのコストを見据えた公共交通シフトの方法 投稿者---エル・アルコン氏(2002/07/19 10:37:54) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs |
─Re:クルマのコストを見据えた公共交通シフトの方法 |
常設板「交通モードと環境影響の基本的な考え方」の返信部分を移設致します(551planning@おさぼり管理人)
交通モードと環境影響の基本的な考え方 ../traffic/log073.html#12
栗栖氏ととも氏の議論を拝見しましたが、クルマの所有とそのコストについてのご認識に若干の疑問があるので、その分野を中心に割り込ませて頂きます(昨夜いったん投稿したものの訂正再投稿です)。
●クルマの所有は費用ではなく資産取得
そのコストは単に損益勘定の費用計上ではなく、資産取得となって所有者の資産となりますので、単純にランニングコストと合算して比較することは失当です(償却資産として投資見合いの金額が最終的には費用となりますが)。
ちなみにクルマは自動車税という資産課税の対象ですし、税法でも「車両及び運搬具」という固定資産の位置づけになっており、それへの支出は費用計上ではなく設備投資として扱われます。では「資産」であることの意味は何でしょうか。その人にとって有形無形の「財産」という評価になることです。またその資産を自ら所有することにより、自らのために用益し、利益を得ることが可能になります。取得価格やローン金利、租税公課等諸経費を勘案すると賃貸の方が安いとも言われるのに持ち家指向が強いのも、そうした「メリット」を感じるからにほかなりません。
クルマというのは移動、運搬等の目的のための「設備」ですから、取得に関する損得は「設備投資」の評価にほかなりません。設備投資において、その取得に対する支出(実際には減価償却費)とランニングコストだけを計算して、その設備が稼いだ利益を算入しない効果の判定は絶対に有り得ません。
そのため公共交通利用のコストとクルマ利用のコストの比較をするのであれば、公共交通利用にかかるコストと比較すべきは、クルマ取得に関するコスト(設備投資額)+クルマ利用にかかるランニングコスト−(クルマ利用によって得られる利益)を比較しないといけません。ですから公共交通の方が割安というのであれば、下記の式の成立が必要です。
公共交通利用にかかるコスト<クルマの取得額+クルマのランニングコスト−クルマ所有によって得られる利益
↓
クルマの取得額>(公共交通利用コスト−クルマのランニングコスト)+クルマ所有によって得られる利益
固定費部分が高いですが、それをカバーすればあとは変動費絡みの話ですから使えば使うほど損益分岐点は下がります。この行動はクルマを所有する人だけを吝嗇と敢えて蔑む話ではなく、資産(設備)を持つ人にとっては至極当たり前の行動です。もし(実際には有り得ませんが)、公共交通利用のほうが歩きや自転車よりも有利・有益であるのなら、当然人は公共交通を使い倒しますが、それも「吝嗇的」という蔑称で括るのでしょうか。単にレッテル貼りだけの気がします。
●クルマのコスト
では実際にクルマのコストはどのくらいでしょうか。下記のモデルケースを見てみましょう。いわゆるファミリーカーとして、1600ccATの新車を購入して、車検を2回通して7年間、年間10,000km、合計70,000km乗ったケースです。(*は変動費)
本体価格及び取得費用と金利
(固定資産計上価格): 180万円 駐車場 : 126万円 (月15,000円。もっと高いケースもあれば、持ち家なら0もある) * 燃料費 : 70万円 (リッター10km、100円で計算) * 通行料など : 84万円 (月1万円) 租税公課
(車検と定期点検及び自動車税): 60万円 (車検時の検査と租税公課を15万円で見ている) 任意保険料 : 84万円 (月1万円。カタカナ損保ならもっと安い) その他維持費 : 20万円 (ざっくり) 合計すると624万円。賃率に直すと89円/km、通行料を抜いた「普通乗車券ベース」だと、77円/kmとなります。ちなみに私の場合、今乗ってる新車ですと7年落ちで80円弱。前に乗ってた中古車だと4年間使用で40円弱というように、所有形態や条件次第でかなりのばらつきがあります。
なお、このコスト計算はあくまで車両単位ですから、通常は家族や彼女との移動というように複数人での頭割りになることに注意する必要があります。●評価
近場のお買い物利用のような日常利用だと1人、レジャーや帰省だと家族単位(大人2〜3人換算)といったところですが、初乗りやバス+電車の乗り換えによる打ち切り計算など近距離のコストは明らかに公共交通が割高です。さらに荷物を持ったり歩いたりすることからの解放や、まとめ買いによるコスト削減といった便益を算入した場合は顕著になります。
レジャーの場合は遠距離逓減や企画商品がある公共交通にも分がありますが、複数人利用が基準になるので1人あたりのコストでは拮抗もしくは逆転することが多いです。さらに末端部分(しかしそれが目的地でもある)の本数の少なさによる行程の拘束や、乗り換えの時間・金額的なロスといった便益の存在を考慮する必要があります。もちろん、自分の意思によって行動出来ると言う移動機会の獲得(移動の質、満足度の向上)という部分の価値が大きいことはいうまでもありません。普段クルマに乗らない人をクルマで案内すると、たいがい「いろいろ行けて嬉しかった」と喜ばれることを想像していただければ分かると思います。
こうした中で公共交通に誘導するためには何が必要か。公共交通利用とクルマ利用の場合の直接のコスト差を縮めることと同時に、間接のコスト差である公共交通とクルマの利便性の格差を縮めることです。コスト差については、家族割引、グループ割引など利用実態に応じた対応が望ましいですし、利便性格差についてはフリークェンシーや居住性、定時性、連続性、バリアフリーなどでの対応となります。
コスト格差は啓蒙だけでといったレベルで動くような話ではありません。よしんば強制したとしてもクルマと公共交通はゼロサムではありません。その場合は移動を手控えるという第三の選択肢、しかも最も環境に優しいという究極の選択肢を選びかねないという落とし穴が待っています。
ですから、利便性の向上や価格設定の適正化など、利用者に利便性を失わない、インセンティブを与えるやり方での公共交通誘導がやはり王道でしょう。実際、P&Rなどの成功例の存在は、こうしたインセンティブこそ有効な手段という証左ではないでしょうか。近距離で数をこなすというクルマのコストメリットを遺憾なく発揮する局面において、敢えて公共交通に乗り換えるということは、それに見合うメリットを利用者が感じているからなのです。Re:クルマのコストを見据えた公共交通シフトの方法
投稿者---栗栖克寛氏(2002/07/20 14:02:29)ああ、とんでもないことになった。拙稿にこんなにレスが入るとは。
この行動はクルマを所有する人だけを吝嗇と敢えて蔑む話ではなく、資産(設備)を持つ人にとっては至極当たり前の行動です。もし(実際には有り得ませんが)、公共交通利用のほうが歩きや自転車よりも有利・有益であるのなら、当然人は公共交通を使い倒しますが、それも「吝嗇的」という蔑称で括るのでしょうか。単にレッテル貼りだけの気がします。
→ちょっと誤解があるようなのですが、この「吝嗇的多面利用」なる言葉は奈良女子大名誉教授、湯川利和氏(故人)がその著書『マイカー亡国論』(三一書房刊、絶版)の中で用いた言葉であり、小生自身の造語ではありません。ほかに的確な表現があればお教えください。
ただし、普段ン億円も稼ぎ、高級車に乗っている有名芸能人でさえ、たとえば松本人志が「税金の取られすぎ」だの、小倉智昭が「首都高の700円は高い」だの、大竹まことが「高速道路を早くタダにすりゃいいじゃん」だの、なんやかんやと文句をたれるのを見ると、湯川氏の主張もあながち倒錯とは断ぜられないと思われるのですが。いわゆるファミリーカーとして、1600ccATの新車を購入して、車検を2回通して7年間、年間10,000km、合計70,000km乗ったケースです。
(計算略)
合計すると624万円。賃率に直すと89円/km、通行料を抜いた「普通乗車券ベース」だと、77円/kmとなります。ちなみに私の場合、今乗ってる新車ですと7年落ちで80円弱。前に乗ってた中古車だと4年間使用で40円弱というように、所有形態や条件次第でかなりのばらつきがあります。→うーん、理論上はそうですが、こんなことを常日頃逐一考えている人なんているんでしょうか。
コスト格差は啓蒙だけでといったレベルで動くような話ではありません。
→拙稿の言葉足らずで申し訳ないのですが、小生のいう「啓蒙」とは「公共交通を利用しましょう」というものではなく、「公共交通に税金を投ずる政策にご理解ください」というものです。
近距離で数をこなすというクルマのコストメリットを遺憾なく発揮する局面において、敢えて公共交通に乗り換えるということは、それに見合うメリットを利用者が感じているからなのです。
→いや、たしかに近距離ではそうでしょうが、遠距離はどうですか。重い荷物を一緒に運ぶとか、駅からはるかかなたの山奥へ行くような特殊なケースを除いてみても、小生の周りに飛行機や新幹線を使う者など一人もおりません。
環境問題に対する概見と異見 投稿者---和寒氏(2002/07/19 23:37:33) http://www.geocities.jp/history_of_rail/ |
─Re:環境問題に対する概見と異見
(以下次ページ) |
私は環境問題には深く通じているわけではない。しかし、当代に生きる者の一人として、それなりに考えている部分はある。その考えているところを、書き連ねてみようかと思う。堅固なデータに依る部分は少なく、定量的というよりもむしろ定性的かつ抽象的な一文になるだろうし、交通論から逸脱する面もあるだろうが、その点は御容赦願いたい。
■これからの環境
環境負荷にかかる現下の課題は、どのようなツールを用いようとも、負荷の総量を抑制する方向性にあると理解している。個々のツールの環境負荷が半分になろうとも、需要が倍増以上になるようでは、負荷総量は現状より増し許容されない、ということである。
鉄道も自動車もそれぞれに確たる基盤があり、交通機関として滅びる事態は少なくとも当面考えられない。
であるならば、鉄道も自動車も、それぞれ環境負荷を抑制する方策を講じていく必要があるといえる。■公共交通の利用を促すためには
鉄道やバスが集約的交通機関である以上、環境負荷が相対的に低いことは自明である。従って、自動車利用から公共交通利用への転換を促すことは、相応に意味がある。
しかし、それには一定の限界がある。一極集中型の都市構造であれば、集約的交通機関の特性を活かした誘導もできるが、分散型の都市構造ではそうはいかない。
日本の都市構造は、近年急速に郊外化が進みつつある。バイパスに沿ったファミレスや量販店という状況が典型で、この都市構造において最適な交通機関は自動車である。
公共交通の利用を促すには、都市計画や土地利用規制から始めなければならない。とはいえ、公共交通が主で都市計画がそのツールというのは本末転倒である。
本来は「都市構造はかくあるべし」という理念や理想から入り、それを担保する手段として都市計画や交通計画、土地利用規制がツールとして用いられなければならない。
ツールの担保能力が弱いゆえ、対症療法的な手法が用いられがちなことは否定できない。それにしても、都心への交通量集中を緩和するために交通流入規制をかけると、利用者は郊外型店舗に逃げるため、交通流入規制をかけられないというという図式は、笑い話にもならないところである。■公共交通は自らなにをアピールすべきか
自動車メーカーが環境対策をアピールする理由は簡単である。もはや差別化を図る面が残っていないからである。プリウスはやや高めの価格帯だが、それでも人気がある。環境対策は、ユーザーの意識を惹きつける。
その一方、鉄道が環境対策をあまりアピールしないのはなぜか。これも簡単。環境対策をアピールしても利用者の誘致につながらないからである。
全国の鉄道でバリアフリー化が進展しているが、利用者にとっては「駅に行く」という行動を必要とすることじたいがバリアである。そのようなバリアを乗り越えて利用を促すには、環境対策を前面に出すより利便性を訴求した方が、効果が大きい。
結果として公共交通利用を促進し、環境負荷を下げるのであれば、アピール手段の選択は方法論にすぎないように思える。
また、鉄道の環境対策は、既に確立されて新規性が乏しい面もある。JR-Eでは、209系以降の通勤電車は103系と比べ約半分のエネルギーで走行可能である。登場当初はそれをアピールする価値も意義もあった。今はどうだろうか。京浜東北・総武緩行で置換が完了、山手・東北・高崎・常磐快速でも置換進行中とあれば、その事実の方がよほど重い。
利用者に訴求するより、鉄道ではこれだけ環境負荷を下げた、道路交通はじめ他の部門は如何、と水を向ける方が、社会的意義は大きいだろう。■自家用車はなぜ保有されるのか
自家用車の保有コストは高い。それなのに何故保有台数は伸びる一方なのか。
それは、保有コストをキャンセルして余りある効用が認識されているにほかならない。いつでもどこでも行ける、多量の荷物を運搬可、という効用はやはり大きい。
ヴィッツとマーチでどちらが得かという比較考量はあっても、持つべきか持たざるべきかで損得計算するユーザーは少ない。自家用車を購入するという点に関して価格抵抗感を持つ層は、稀なのである。
ちなみに、私は持つべきか持たざるべきかの損得計算をしてみたことがあるが、結論としては「月に3日以上利用する場合は借りるよりも買った方が得」であった。閾値が月に2日か3日かというレベルであれば、価格抵抗感など働かないのは当然である。■そろそろ限界効用へ
初期投資への価格抵抗感が働かない以上、ランニングコストへの抵抗感はさらに小さい。だから、購入した以上は「使い倒そう」という意識が働くのは当然である。
しかし、マクロ的に見れば、顕在化している「使い倒し」行動は、比率としては少ない。うろ覚えだが、こんなデータがある。
- 貨物の分担率は、トンベースではトラックが9割以上だが、トンキロベースでは半分程度(トラックは短距離輸送を主に分担している)。
- 隣の県まで行く交通の自動車分担率は高いが、さらにその隣の県までとなると分担率は指数関数的に低下する(遠距離での自家用車分担率は低い)。
- 自家用車の保有台数は一定のペースで伸び続けているが、自家用車の総走行キロは伸び悩んでいる(1台あたり走行キロの伸び悩みもしくは減少)。
ユーザーは「使い倒し」ているつもりでも、実際には近距離交通に限定的に利用されている傾向がある。しかも、台数が増えても走行キロが伸びない状況に至りつつあり、これは自家用車の「限界効用」といえるだろう。
日本においては、自家用車交通はこれ以上発展しないという兆しが、実際のユーザーの行動を通じて見えつつある。■環境問題における厳しい課題
とはいえ、環境問題は人類に厳しい課題を突きつける。
環境問題とは、人類に突きつけられた匕首であり、文明の制約条件でもあり、また乗り越えるべき壁であるともいえる。
鉄道か自動車か、との二元論で括れるならばまだ気楽である。環境問題が要求する課題とは「文明の縮小」にほかならず、これは人類が発展してきた方向性と相反する。人類が地球上で生きていくためには、文明活動の総量を抑制し縮小していかなければならない。そうしなければ文明を維持できない。
道徳的・宗教的・抑制的に振る舞えなければ、文明の蕩恣と浪費の果てに、人類は衰亡していかざるをえないであろう。課題は重い。西安(長安)は秦や前漢の国都であり、おおいに発展を示し、殷賑を究めた。現代でもそれなりに大きい都市だが、周辺の砂漠化が進み、決して住みやすい都市ではない。
砂漠化の原因は、人々の生活行動に伴う森林の伐採が、自然の回復力以上に進んだため、とされている。当時の人口と生活様式を考えれば、人間の存在が自然に与える環境負荷の大きさが理解されよう。
人類は、農業を発明した時点から環境負荷を与え続けてきた。一面の田圃に広がる稲穂、美しいが決して「自然な」風景ではない。人間は、存在するだけで、自然に一定の方向性を与えている。その方向性が急角度でありすぎれば、反動を受けるのは免れえない。
文明は貴重で、価値があり、唯一無二の素晴らしいものである。これを護っていくためには、人類の叡智を結集していかなければならないだろう。そして、その作業こそが文明の根幹、ということになるのだろうか。Re:環境問題に対する概見と異見
投稿者---栗栖克寛氏(2002/07/20 14:56:46)ああ、どうしよう。恥ずかしい。
環境負荷にかかる現下の課題は、どのようなツールを用いようとも、負荷の総量を抑制する方向性にあると理解している。個々のツールの環境負荷が半分鉄道も自動車も、それぞれ環境負荷を抑制する方策を講じていく必要があるといえる。
→そうですね。
鉄道やバスが集約的交通機関である以上、環境負荷が相対的に低いことは自明である。
→それ、とも殿もおっしゃっていたんですが、皆さんは博識だからそう思われるのです。小生のようなバカもいっぱいおるのです。新幹線と自動車とではどちらがエネルギー消費が多いかと問われれば多くの者は新幹線と答えると思います。ご自分の見識の高さを一般大衆にあてはめるのは少々無理があるのではないかと……。
しかし、それには一定の限界がある。一極集中型の都市構造であれば、集約的交通機関の特性を活かした誘導もできるが、分散型の都市構造ではそうはいかない。
→そうそう。たとえば広島大学ね。医学部と歯学部を除き東広島市に移転しましたが、そもそも何であんなところに移転したのか。小生も行ってみたことがありますが、西条駅からバスで南へ20分くらい行った山の中にデーンとあります。夜にはタヌキも出没するとか。しかも駐車場がよく整備されていて、マイカーで通学する学生も多い。移転するにしてももう少しマシな場所はなかったものかと首をかしげております。
公共交通の利用を促すには、都市計画や土地利用規制から始めなければならない。とはいえ、公共交通が主で都市計画がそのツールというのは本末転倒である。
本来は「都市構造はかくあるべし」という理念や理想から入り、それを担保する手段として都市計画や交通計画、土地利用規制がツールとして用いられなければならない。→おっしゃるとおりです。東広島市はその失敗例と思われてなりません。
鉄道が環境対策をあまりアピールしないのはなぜか。これも簡単。環境対策をアピールしても利用者の誘致につながらないからである。
→利用者の誘致に直接にはつながらなくとも、一定のイメージアップにはなるのではないでしょうか。それに鉄道整備への世論の誘導という意味もある。
全国の鉄道でバリアフリー化が進展しているが、利用者にとっては「駅に行く」という行動を必要とすることじたいがバリアである。そのようなバリアを乗り越えて利用を促すには、環境対策を前面に出すより利便性を訴求した方が、効果が大きい。
→ですが、JR東日本のような巨大鉄道会社はともかく、ローカル私鉄のバリアフリーを実現しようとしたら、当然ながら税金を投じないと無理と思われます。今の段階ではたして協賛を得られるかどうか。
ヴィッツとマーチでどちらが得かという比較考量はあっても、持つべきか持たざるべきかで損得計算するユーザーは少ない。自家用車を購入するという点に関して価格抵抗感を持つ層は、稀なのである。
→みなさん分限者なんですね。
貨物の分担率は、トンベースではトラックが9割以上だが、トンキロベースでは半分程度(トラックは短距離輸送を主に分担している)。
→商用車の場合はトラック自体の維持費なんかもトータルでコストを計算し、なるべく少ない車両での効率的運用を図るでしょうから当然でしょう。
隣の県まで行く交通の自動車分担率は高いが、さらにその隣の県までとなると分担率は指数関数的に低下する(遠距離での自家用車分担率は低い)。
→これはビジネス利用などをも含めた話でしょう。仕事で出張する場合は会社から旅費が支給されるでしょうが、私的な移動ではどうなんですかね。
自家用車の保有台数は一定のペースで伸び続けているが、自家用車の総走行キロは伸び悩んでいる(1台あたり走行キロの伸び悩みもしくは減少)。
→寡聞にして存じませんでした。自らの不見識を恥じるばかりです。
若干の補足
投稿者---和寒氏(2002/07/20 14:56:46) http://www.geocities.jp/history_of_rail/みなさん分限者なんですね。
→自家用車の保有は、既に生活必需品と認識されている、ということにすぎないと思います。
確か昭和50年代半ばと記憶しますが、自家用車を保有していることを理由に、ある生活保護受給者の受給を止めたのは適切か否か、という案件が裁判にかけられています。結論からいえば、自家用車は贅沢品ではなく、最小限の生活を維持するに不可欠なものという判決が下っていたはずです。
自家用車(軽トラックを含む)は既に総人口3人に1台以上、地域によっては2人に1台以上流通しています。これだけ普及すると、良くも悪くも、もはや贅沢品では呼べないでしょう。「吝嗇的多面利用」なる言葉は奈良女子大名誉教授、湯川利和氏(故人)がその著書『マイカー亡国論』(三一書房刊、絶版)の中で用いた言葉
→「吝嗇的他面利用」という表現は、文学的で直感に訴えるものはありますが、分析的に見ればかなり厳しいものだと思います。
拙稿で述べたとおり、自家用車の保有には相応の効用があります。効用の増分は、潜在需要の顕在化を促し、人間の社会的活動を励起します。吝嗇的に使い倒すというのは一面的な理解であり、その道具が便利だからこそ需要が伸張するというのが正当な認識でしょう。
これはあらゆる交通機関に当てはまるものです。具体的にいえば、明治時代に日本を出る人がどれほどいましたか、ということです。現代は、どれほどどころか、「何回」出たかというオーダーになっています。それもこれも、航空機という便利な道具が出現して、需要が伸張しているからこそです。ただ、それにしても油断ならぬことはあります。
拙稿に記したとおり、自家用車の保有台数は一定のペースで伸び続ける一方、総走行キロは伸び悩んでいます。これは自家用車の限界効用であり、保有することによる効用が限界に達し、自家用車のいま以上の発展はないという兆しではあります。
しかし、これは楽観的な解釈であることもまた否定できません。保有台数が伸びて総走行キロが伸び渋る状況がなにが起こるか。保有効用を極大化するために、あらゆる移動を自家用車で行う可能性を指摘できます。ここまでくれば、まさに「吝嗇的他面利用」そのものになります。
今日でこそ、公共交通と自家用車が補完財として、相互に活用されるべきものとして認識されています。が、その状況がいつまでも続くという保証はありません。自家用車がこのまま増え続け、かつ保有効用を極大化するマインドが働いた場合、公共交通と自家用車は代替財の関係になりかねません。公共交通が担っていた需要が自家用車により代替される可能性がある、ということです。これは公共交通にとって、戦慄すべき恐怖です。
その萌芽は既にあります。過疎地の状況がまさにそれです。郊外開発型の都市においても、見受けられる現象です。
私が名鉄美濃町線(新関−美濃間/まだ営業中の時代)の沿線を歩いた時、自家用車には頻繁にすれ違いました。しかし、徒歩や自転車の人には、ほとんど会わなかったのです。自家用車は乗り物というよりもむしろ、靴や下駄のような履き物の類になりつつあるのです。この状況を是とするか非とするか。私は非としたいのですが、それにしても分析や研究が不足しています。私自身、あれこれ考えているところですが、妙案はなかなか出てきません。
Re:若干の補足
投稿者---栗栖克寛氏(2002/07/25 21:08:20)自家用車(軽トラックを含む)は既に総人口3人に1台以上、地域によっては2人に1台以上流通しています。これだけ普及すると、良くも悪くも、もはや贅沢品では呼べないでしょう。
→ハハハ、要するに世代間のギャップですな。小生のような年寄りの感覚だとやはり自家用車は贅沢品という感があるのです。
吝嗇的に使い倒すというのは一面的な理解であり、その道具が便利だからこそ需要が伸張するというのが正当な認識でしょう。
→いや、たしかに近距離ではそうです。公共交通よりマイカーのほうが速い。しかしながら遠距離ではどうですか。東京から大阪へ行く場合、大きな荷物を一緒に運ぶなどの特殊なケースを除き、明らかに新幹線のほうが便利ですが、現実には何百キロもの距離をえんえんとマイカーを走らせる者もかなり多い。
今日でこそ、公共交通と自家用車が補完財として、相互に活用されるべきものとして認識されています。が、その状況がいつまでも続くという保証はありません。自家用車がこのまま増え続け、かつ保有効用を極大化するマインドが働いた場合、公共交通と自家用車は代替財の関係になりかねません。公共交通が担っていた需要が自家用車により代替される可能性がある、ということです。これは公共交通にとって、戦慄すべき恐怖です。
その萌芽は既にあります。過疎地の状況がまさにそれです。郊外開発型の都市においても、見受けられる現象です。→まことにおっしゃるとおりだと思います。都市計画というのはいったん失敗してしまうと取り返しがつきませんからね。
2005.07.20Update | ||
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