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東西線軌跡展

変わりゆく風景を、たどってみよう。-Web再録「東西線開業と沿線地域発展の軌跡展」

東西線軌跡展

ごあいさつ

 本日は地下鉄博物館にご来館いただき誠にありがとうございます。
 地下鉄博物館では特別展「東西線開業と沿線地域発展の軌跡展」を3月12日から4月21日まで開催することとなりました。
 東西線は首都圏の交通機関の混雑緩和を図ることを目的に建設され、昭和44年3月に中野~西船橋間が全線開通しました。江東区、江戸川区並びに千葉県西部地域を走る東陽町~西船橋間は、当時地下鉄で唯一の快速列車を運行し、千葉方面と都心部との所要時間を大幅に短縮し、開業後の利用者が急速に増加しました。
 東西線が開業する前の昭和40年代初めの葛西、浦安、行徳地区は埋立地そのままに昔の面影を残すのどかな風景が広がっていましたが、鉄道ができたことで急速に都市化が進み、居住人口が増え続けました。
 今回の特別展は、高度経済成長期に建設された東西線がその後の発展に寄与した事象、特に江戸川区、千葉県西部にスポットを当て沿線地域発展の軌跡をご紹介いたします。

 また、今回の特別展開催にあたり、ご協力頂きました江戸川区強度資料室・中央図書館、浦安市郷土博物館、市川市歴史博物館・映像文化センター、その他ご関係者のみなさまに御礼申し上げます。

平成25年3月12日
地下鉄博物館

 

東京メトロ駅頭で特別展開催ポスターを見た際には、思わず暫しその場で固まってしまいました…思えば【検証:】の前進として「東西線友の会」なるサイト運営もやっていた当方ですが、棲み暮らした彼の地を離れてはや10年近くが過ぎようとしていることに改めて愕然としつつも、学生から社会人に至るまで、通学通勤は当然ながら、云ってみれば自我形成においても欠かせない存在として過言ではない“東西線地上区間”にスポットを当てた企画とは、当方自身にとって何たるド直球!なものかとつい前のめりに…既に終了していますが、永く記憶に留めておくべく、勝手ながらWeb再録する次第です。


それこそ昔はチャリンコで乗り付けた地下鉄博物館ですが、2003/06のリニューアル後は初訪問かな。丸ノ内線用301号を、羽田空港連絡バス葛西系統ウォッチの折々に外から小窓越しに見ていた記憶が残っていますが。
自動改札の入口は変わらないものの、未だ交通系IC非対応とは逆に時代を感じさせられたり(なお鋭意対応中の由、昨秋からはミュージアムショップや休憩コーナーの飲料自販機が対応化) 直ぐに赤と黄色が否応なしに眼に飛び込んできますが、早川徳次翁への挨拶は欠かせないでしょう。改めて東京地下鉄道1000形と営団300形をじっくりと-車内にも入れるんですな。

その先のコーナーは昔と大きく変わってはいなさそう。副都心線池袋~渋谷駅間の断面模型が目新しかったものの、新宿三丁目駅ホームのアーチや都営新宿線との“11cm差”という流行りネタ※は特に触れられず。「交差する地下空間」と題した御茶ノ水駅周辺模型は、車両はおろか日立本社も御茶ノ水ソラシティに生まれ変わったばかりでココにも時代を…。

東西線軌跡展

東京高速鉄道100形カットボディの前のスペースが特別展コーナー、基本的には壁掛けパネル解説が中心ながら、東西線利用者には懐かしの小物展示やクイズコーナーなどもあり、子供でもそれなりに楽しめる仕掛けがなされていました。

入口写真は東京湾上からの江戸川放水路河口部で1982年撮影とはちょうど首都高速湾岸線~東関道開通時かと。JR京葉線開通までは更に6年を有するわけですが、それにしても原木中山駅周辺はまだ畑が多いというか、現妙典駅周辺もそれこそ2000年の開業から数年前までは未開の地感が強かったし、まさにこの頃ともなれば“湿地帯”を走り抜ける風景が記憶に残っているもので。

上空写真の横にはいかにも営団らしいというか、時代を感じさせる開業ポスター。廻り込むと先ず「東西線の開業と沿線の歩み」として、経済情勢なども織り交ぜた年表形式での紹介。1964/12の開業時3連が66/03の竹橋開通時に7連化、そして全線開通後の69/08から7・8・9連体制が一時続くと、77/10から7・10連体制に整理された旨の記載はあるものの、何故か完全10連化の文字はなし…ちなみに営団車が90/06に、JR車を含めた完全10連化は91/12とは改めてフクザツな心境になるような。だから書かなかったのかな? その意味では05系、ワイドドア車、そして15000系運転開始の記載がある一方で沿線民としては忘れられない8000系営業運行の記述も…あ、こちらはトリビアコーナーにて紹介されていましたが。

年表の隣では5000系と05系の写真と模型展示。その手前には記念乗車券やパンプレット、江戸川区報などが箱入り展示される中、なんといっても目を惹くのは「快速表示器」。側面種別・方向幕のなかった5000系にあって、長らく地下鉄随一だった快速運転の証でしたが、通過駅利用者としてはある種恨めしい表示でもあったり。
「東西線がつくられた背景」と題されたボードには高度経済成長期に、国鉄総武線のバイパスルートとして建設された東西線の経緯を端的に紹介。相互直通運転や快速運転もその策の1つというわけですが、それにしても特別展紹介ポスターとなった行徳駅周辺の高架橋工事写真や、埋立地の規模に改めて驚かされる昭和30年代の地図がなんとも印象的。
「東西線地上部の主な工事」では高架橋工事と橋梁工事を写真で。「沿線は将来急速に市街地化されることが予想され」高架での建設となった由も、浦安駅先のカーブから行徳方面を望む写真の“何もなさ”といったら! 荒川・中川橋梁は長らく民鉄最長の1236mを誇ったもの(現在の民鉄最長の鉄道橋は関空会社/南海空港線の関西国際空港連絡橋:3750m)ですが、旧江戸川に架かる江戸川第一橋梁も改めて美しいアーチだなと。

さて合間では東西線トリビアを5つ紹介-

東西線軌跡展

東西線に千代田線の車両が走ったことがある!

まあ6000系のコトではあるわけだが、5000系自体は千代田線先行投入実績もあったり、今やアルミ車が…と。

東西線が丸ノ内線に変身?

2006年公開の映画「地下鉄(メトロ)に乗って」の一コマだが、色んな意味でざわついたもの。

東西線が半蔵門線に変身?

先述の通りだが、「05系が配属されるまで活躍していたそうです」の紹介文、何故に伝聞調?

東西線の地上部沿線はかつて野鳥の楽園だった!

「ガン、サギ、チドリなど」が飛び交っていたそうで。にしても車両ネタがなかったにしてはイマイチ?

日本で始めてアルミ製の電車が走ったのは東西線!

5000系アルミ車・国鉄301系は1966年製、ちなみに山陽2000系アルミ車は1962年製だったかと…。

あと地下鉄クイズ10問もありましたよ-敢えて正解は書きませんが。

東西線が開通したばかりの頃(昭和30年代~40年代)の日本はどんな時代だった?

高度経済成長期/バブル期/昭和恐慌期

東陽町~西船橋間が開通したのは昭和何年?

昭和24年/昭和34年/昭和44年

東陽町~西船橋間の距離は何km?

14km/15km/16km

東陽町~西船橋間にある川はいくつ?

3つ/4つ/5つ
※問題の答えは、特に大きい川の数です。この他に長谷川と真間川という2つの小さい川を渡っています。

東西線5000系車両は次のうちどれ?

5000系/05系/15000系 の写真

東西線がはじめて相互直通運転をおこなった他社線は?

東武線/西武線/JR線

1236mの長い鉄橋、荒川・中川橋りょうのあるところは次のうちどの区間?

南砂町~西葛西間/葛西~浦安間/原木中山~西船橋間

東西線快速運転の時の最高速度は何km/h?

60km/h/80km/h/100km/h

現在、快速電車が停車する駅は次のうちどれ?

妙典駅/行徳駅/浦安駅

東陽町~西船橋間が開業後、新たに造られた駅はいくつ?

2つ/3つ/4つ

東西線軌跡展

いよいよメインというべき「東西線延伸による地域の発展」では、各駅別の乗降人員変遷を中心に懐かし画像を並べていました。乗降人員変遷は伸びゆく西葛西・葛西やJR京葉線開通でがくんと減った浦安も印象的ですが、行徳と妙典の関係性も興味深く。個人的には今や急成長著しい南砂町も加えてもらいたかったなと。
「地元から見た東西線開業と地域の発展」と題して江戸川区・浦安市・市川市の学芸員3氏による寄稿も-折角なので一部抜粋で。

区の南部を東西に走る地下鉄東西線は、葛西地区だけでなく江戸川区にとっても念願の公共交通でした。(中略) その後の清新町・臨海町の住宅整備も、東西線なしには実現しなかったかもしれません。

浦安発展の象徴として「東京ディズニーランド」が挙げられますが、それは未だ先の話。浦安発展の要因として「東西線浦安駅の開業(昭和44年)」「漁業権全面放棄(昭和46年)」が挙げられますが、浦安にとって、この2つの大きな出来事は、これまでの浦安の発展を誰しもが予想していなかった人々の心にも、今なお刻まれています。

都市化が進展すると、自然、文化、伝統といったものが失われ勝ちとなります。幸い、行徳や南行徳地域に関しては、かつて舟運で栄え街場を形成していた旧行徳街道などに行くと古くからの景観を窺うことができますので、これからも、このような景観が活かされた地域として発展していくことを望みます。

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葛西も浦安も埋立地が急速に宅地化された一方で、行徳を含め旧江戸川沿いを中心に古くからの景観も残っているのが地元民としても印象深いです。江戸川区教育委の方は葛西の海岸堤防にも触れていましたが、今や遊歩道などに様変わりし街中に飲み込まれつつも、変遷を知る人々にとってはそれがまた特異な存在感を放っていたり…。

東西線軌跡展

ラストでは10年毎の自治体別人口と各駅別乗降人員数が表になっていましたが、江戸川区が1970年の44万人から2010年の67万人に、浦安市が同2万人から16万人に、市川市が26万人から47万人に-浦安市の数字が小さくも見えますが、面積は17.29平方キロ、東西線開通前は4.43平方キロですから面積4倍人口8倍は驚異的かと。

本リポート冒頭で掲げた駅別乗降人員では、こちらには記載の南砂町がやはり出色かと。この10年間の伸びという意味では東陽町や木場も無視できず、都心回帰の一端でしょうか。西船橋駅の伸びは東葉高速や京葉線(対海浜幕張方面)も影響しているかと。むしろ西葛西~原木中山駅間がさほどの伸びを示さなかった感すらあるのは、沿線が成長期から成熟期に入りつつある証左? 無論ぱっと見の感覚ですし、当方自身が彼の地を離れたことも感傷的に加わっているかもしれませんが。今後の展望含め研究してもらえないですかね。
裏の小部屋ではミニシアター「明日をひらく東西線」がエンドレス上映。草生した未開発地を歩く担当者が地権者に出向く用地買収のシーンから始まりましたが、それこそ一升瓶片手といった感すらあった交渉の世界にもつい歴史を感じるような。なおこちらは1970年の作品で、2009年にCS放送後、DVDも出ている由。ニコ動で有料視聴も可能だとか。

地下鉄博物館

地下鉄博物館最奥部は人気のシミュレータとメトロパノラマ。この日は平日午前中で館内もまばらでしたが、ちょうどメトロパノラマの実演時間に当たり子供たちが食い入るように見てました。
先のNHKのジオラマであったり、東京メトロCMのそれであったりを見ると若干時代感も感じてしまうのですが、駅の造り込みなどではよくできた印象がやはりありますな。当方的にはついバスの模型にツッコミを入れていたのですが…。


おわりに

地下鉄東西線の開通は沿線地域と都心部とを短時間で結ぶこととなった為、それまでの農地から急速に宅地化されるなど、都市の発展に貢献して来ました。今回の特別展によって、鉄道が都市の発展に果たす役割について、少しでもご理解いただければ幸いです。

平成25年3月12日 地下鉄博物館

 

一部チャチャを入れたところもありましたが、改めて良い企画でした。むしろ色々な点でもっと掘り下げられるよなと強く感じた次第。例えば現在との画像対比も少しはありましたが、もっともっと見比べられるところもあったし、南砂町や木場の駅改良や、地上部各駅での太陽光発電など未来ネタとしてももっと膨らませられたはず…なんて。そういえば、

このたび東西線開業と沿線地域の発展の軌跡を取り上げた展示が催されるに際し、江戸川区発展に大きな役割を果たしてきた東西線の歩みを通して、江戸川区の現在を考える良い機会になることを期待しております。

と教育委の方が結んでおられましたが、当方自身葛西駅に降り立ったのがかなりの御無沙汰、駆け足訪問ゆえ直ぐに移動となったものの、改めて沿線をぶらり歩いてみたいなと思いましたねぇ。変わりゆく風景を、たどってみますか。


ご意見は【検証:】常設板までお気軽に!

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