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雪中行路…只見・飯山2011

気象庁は03/01、2010/2011冬季の天候について平均気温的には「暖冬」であったと発表しました-全国的に気温の低い時期と高い時期との差が大きく、北日本と東日本で3年連続の暖冬、西日本では平年並み、沖縄・奄美では実に15年振りの寒冬に。
強い寒気が断続的に流れ込んだ12月末~1月中にかけては日本海側の広い範囲で降雪量が増え全国22地点で積深雪観測史上1位を更新。平均降雪量は西日本で多くなったものの、2月が顕著な少雪だったため、東日本日本海側で平年並、北日本日本海側では少なくなったそうで。

交通的には福島会津(2010/12/25)、鳥取米子(12/31)、福井南越(2011/01/30)で大規模な道路交通支障-いわゆる“渋滞立往生”が発生し大きなニュースとなったのは記憶に新しいところ。鉄道でもJR-W山陰本線や北陸本線の特急などで“車内缶詰”が発生し、中には2昼夜を車内で過ごした乗客も出たそうで…。
そして01/17からは木次線が一部区間長期運休に突入、更に1月下旬から断続的に運休していたJR-E只見線も2月以降一部区間でこちらも長期運休を余儀なくされています。両線とも2005/2006冬季「平成18年豪雪」以来の長期運休となりますが、木次線は代行タクシーでカバーされている一方、只見線はまさに存続理由ともなっているR252六十里越区間冬季閉鎖により只見~大白川間の移動は完全に不能となっています。去る03/06までは会津川口~只見間も運休となっていたものの、JR-Eサイト列車運行情報では代行輸送の案内はなし…tadami沿線の金山町・只見町サイトではめぼしい情報がなく、只見町観光まちづくり協会のサイトがおそらく唯一情報提供しているものと思われます。

そのサイトで「来てけやれ。」との文字を見るとつい行きたい気になるもので…冬季の一大イベントである「只見ふるさとの雪まつり」(今年は第39回、02/12・/13開催)時には臨時快速「只見雪まつり号」が運行される(今年は当然会津川口で臨時バス代行乗換)とともに福島県内各地からのシャトルバス・会津田島駅からの臨時直通バスも出ているのですが、只見町内の路線バスは2007/03限りで廃止となっており、東京から公共交通でのアプローチは1日3本の列車のみ。ベストは只見泊なのでしょうがそうとも行かず、日帰りで考えると会津若松13:10発の1択に-これを使うと只見で日暮れ時ながら2時間弱滞在することが可能で、ちょっとは体感できるかな…と思いながら18きっぷにて早朝東京を出発したのでした。

  • Photo:只見線
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荒天に不安を覚えながら ~ 只見線

郡山では積雪はすっかりなかったものの、磐梯熱海から地面の雪が次第に深くなり、猪苗代では吹雪に…会津若松駅前こそしっかり除雪されていたもののまだまだ根雪が残る状況だった。さほどない乗換時間の間に駅頭を見回しつつ片道2時間超に備えた食糧の買出しを手早く済ませて改札前へ-この時点で03/13まで会津川口~只見間の終日運休の旨の表示が出されるとともに、安全確保のため会津宮下~会津川口間で時速35km以下の徐行運転との案内も。こちらはWeb等に記載はなく、早くも道中が思いやられる。
当方の只見線乗車経験は過去に2度、いずれも真夏…近いほうだと2007/08に乗車し、全国的にももはや稀少価値?となった非冷房車に延々揺られたのだった。今回はキハ40 2140+キハ48 551の2両編成…あまり車両番号に興味はないので本稿をまとめている際に写真から調べたのだが、キハ40は冷改車だそうで-で、乗ったのはキハ48のほう。只見線では唯一残る同形車両なんだそうだが、当方的には車番に縁を感じたり。tadami

13:10に定刻出発。早速会津川口止まりと途中徐行の車内放送があったが、この日は更に強風警戒のため西若松~会津高田間で徐行規制も。会津盆地の只中で阿賀川などを越える区間ゆえだろうが、結果的には薄日も射す天候で風は余り感じず。結局10分弱の遅れで会津坂下に到着-さて車内はというと、若松出発時点で各ボックスも埋まらない程度の乗り。各駅でぱらぱらと降りてゆき坂下で入れ替わりこそあったものの若松からは半減といった感じに。18きっぷシーズンながら平日ともあってか御同輩の姿も殆ど無い。
坂下から徐々に高度が上がるとともに、ちらついていた雪の大きさも量も増えてゆく。会津坂本からいよいよ右手に只見川が。C11が静態保存されている会津柳津駅も雪に埋れていたが、反対側には「SL会津只見号」の宣伝大看板-10/30・/31って昨年の案内では? 柳津の集落が過ぎるといよいよ深閑とした風景に。川を渡った先の会津宮下にて2度目の小休止、ただひとり乗り込んだ通学生といれ違いに気分転換を兼ね駅前まで出てみたが雪は横殴りとなってきた。先に触れたようにここから徐行規制ともなり、いささか心許なくなってくる。

宮下を出発後、しばらくして右手には東北電力宮下発電所・宮下ダム。工事用車両が停まっており、吹雪の中に作業員がちらと見えた。早戸駅先のR252も道路工事中で、年度末が迫る状況があるやもしれないが、ライフラインを支える力は季節を問わず必要であることを改めて肝に銘じておく。それにしても雪は更に激しくなりまた堆く積もっている。会津中川駅の前後でR252を見下ろす形になった際に、一部区間では片側通行にして雪崩防止の除雪作業が行われていたり、ガソリンスタンドの裏手に停められていた軽トラの半分が雪に完全に埋れていたり…ゆるやかに右カーブを描くと、この列車の終着・会津川口には5分超の遅れにて到着となった。
tadami 車掌に折返時間を確認後、急ぎ駅前へ-当方の他15人に満たない乗客を待ってか数台の車が停まる中、真ん中には朝日タクシーの文字が入ったハイエースがドアを開けた状態で据えられていた。空車のメーター表示が出ているほかは何の案内もなかったが、どうやらこれが只見行の代行タクシーの模様。老婦人が1人乗り込んだが、果たしてその後何人乗ったのだろう…。

ということで10分足らずで来たばかりの線路を一路会津若松へと戻ることに-只見に行きたいのはやまやまであったが、「先」を考えある程度のリスクを想定しての決断だった。さて通常ダイヤでは丁度交換となる列車だが、徐行の影響で5分弱の遅れにて出発となる。川口からは降車客と入れ替わるように待ちわびていた通学生グループを含め20人ほどが乗車、駅舎まで行かずにそのまま折り返す御同輩も数人いたようだ。
坂下までは通学生を中心にパラパラと降りてゆくばかりだったが、坂下駅ホームは黒山の人集り! 通学生が軽く200人以上は乗り込んだだろうか。戻り列車では小休止も少なく、御多分に漏れずのろのろとした乗車を駅員が急かして出発…それまでさっぱり静かだった車内は喧しい程だが、コレがあっての只見線でもあるのだ-。


さて、こうなるとJR-Eもうひとつの“豪雪路線”飯山線にも乗りたくなるもの-というか、もともと今回の旅程は本来長野に行くことが発端、只見線乗車を織り込んだ際になんとか飯山線も入れ込もうと苦心したもののダイヤ的に厳しく涙を飲んでいたのですが、只見行を断念する代わりにこちらを取った-ともなりましょうか。
というのも飯山線、今冬もダイヤに支障が出ており、02/03~/07で越後川口~森宮野原間が終日運休となったほか、その後も十日町~森宮野原間を中心に日中時間帯で除雪作業による一部列車運休が断続的に続く状況に。
当方は2007/01に長野から乗車し雪景色を眺めていますが、今回は長岡始発の列車からスタートしました。

  • Photo:飯山線
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好天に雪目を気にしつつ ~ 飯山線

単行列車は女性車掌が案内していたが越後川口で乗務員交代となり、その先はベテラン乗務員がレバーを握る。長岡には前夜遅く入ったので判らなかったのだが、上越線からして雪深く、この日は朝から快晴で二条のレールこそはっきり見えるものの両脇には窓にもかかるほどの雪の壁が続く-そんな中、只見線のキハ40とはうって変わり軽やかに走るキハ110だがエンジン音は力強く頼もしい限り。
十日町で乗り換えた列車は再び単行、駅前を撮るため遅れて跨線橋を渡ったのだが難なくボックスシートを確保…といってもさすがに信濃/千曲川は埋まっていたが。すぐの数駅で地元客がパラパラと降りれば御同輩、というよりはむしろ純粋に川と雪景を楽しみたい旅行客が各ボックスを占める乗り具合に。東京電力信濃川発電所を右手に見やりながら川を渡るとこの先は左手がメインビュー、カメラ片手に身を乗り出し、思い想いに風景を切り取ってゆく人が少なくない。

津南からは熟年男女グループが乗車、地元の方がちょっとお出かけ…といった感じだが、聞くともなしに聞こえてくるのは「列車に乗るのは久し振り」と「今年の雪は凄い」との由…どうやら車窓からの雪景色が珍しく映るようで、カメラ片手に忙しい-それにしても確かに、窓から上方を見やると崖の途中にある雪覆いにもこんもりと雪が溜まっている状況で、これでは日中に安全確認・除雪作業する時間帯を確保する必要もあろうかと。ただ影響は1往復とはいえバス代行輸送はなく地域流動の観点から考えるとどうなのだろう…iiyamaちなみに十日町~津南間は南越後観光バスの路線が日中そこそこの頻度であるほか、森宮野原からは津南経由で越後湯沢まで急行バスも出てはいる。

ところで飯山線では02/01、足滝~森宮野原駅間でライトバンの運転手が死亡する踏切事故が発生したのだが、当該踏切は故障により修理作業中で係員が交通整理していたものの、付近には3m近くの雪の壁となっており係員の見落としにより事故が発生した可能性があるとされており、運輸安全委員会が調査中。当方も時折前方を眺めてみたが特にトンネル手前などでは周囲の雪の壁が迫ってくるような感覚、これではクルマにせよ立哨にせよ道路側からの安全確認も厳しいようにも思われた。
なお一部報道によると、飯山線は従前長野支社が一括管理してきたところ、地元の要望等もあり2010/04から新潟県内区間(越後川口~森宮野原間)について新潟支社に所管変更となったのが絡んでいる?とも伝えられているのだがどうなのだろうか…所管変えによってかその前2010/03ダイヤ改正から朝時の十日町~長岡間直通列車が1本増(上越線区間が純増)となっており機動性向上とも感じられるのだが、ただでさえ負担のかかる冬季保守や緊急時対応についての移行にも影響があったのであろうか。

その境界駅・森宮野原では小型の除雪用モーターカーが待機中。ここから長野県(=長野支社管轄)となり、並行バス路線もないためか日中運休措置も取られてはいない。なお、いわゆるラッセル機関車は2009年に引退し大型モーターカーに代替されたが、今回その姿を確認することはできなかった。ここからは千曲川に更に寄り添うように進んでゆくが、空は徐々に晴れ間を増し陽射しも強くなってくる。多くの旅行客は引き続きカメラ片手に川面と雪景色を眺めるものの、雪の照り返しもあって顰めっ面になる人も。iiyama
大きな乗降もなく戸狩野沢温泉に到着すると、隣には2両編成の列車が待っていたが、長野への用務客に加え周辺でスキーを楽しんだらしき大荷物を抱えた外国人グループもいて既にかなり席が埋まっている状態だった。更に各駅での乗車も格段に増える。飯山からは立客も出て、北陸新幹線工事状況を見たかった当方もここからはドア横に立つことに。
なお北陸新幹線は高架橋こそ伸びていたが駅の形まではまだまだといった状況。飯山線も移設される予定だがその様子も伺えなかった-それにしても新興住宅街然とした風景に新幹線駅躯体が工事中という画もあまりないのでは?

飯山駅は未だ雪に埋もれていたが、遠くから上信越道が寄り添ってくる頃にはだいぶ根雪も少なくなり、千曲川と分かれる頃には地面の多くが見える状況となってきた。改めて峠越え区間の厳しさに想いを馳せつつ、あと4年内には新しい飯山駅もできるわけで、飯山線もその姿を変えることになるのだろうか。


改めて只見線に触れておきます。代行輸送について触れられていたのは只見町観光まちづくり協会だけ-と先述しましたたが、それだけ地域公共交通機関としての主たる機能は細っているとも取れる一方、会津若松から食料や日用品を買い込んで会津川口まで乗り通した老紳士がいたことがやけに印象に残りました。
岩泉線が災害長期運休中でもあるJR-Eとしては、地方ローカル線については観光路線としての活性化を図りたいところでしょうが、五能線や津軽線、大湊線のように新幹線とのセット提案もなかなか難しいところ。飯山線こそ北陸新幹線との連動が期待できるでしょうが、只見線はどうでしょう…少なくとも、キハ110系等の車両置換による輸送改善にまずは期待したいのですが。

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会津川口での交換風景(上は2007/08) キハ110は雪道でも頼もしい(十日町)

なお、六十里越より難所とされる八十里越のR289点線国道区間(福島県只見町~新潟県三条市間)のうち、2010/11に県境区間の9号トンネル(仮称)が貫通。冬期間の工事中断は言うに及ばず、新潟側からの片方向掘りであることや掘削途上の盤脹れなどの厳しい状況を越え着工から9年での貫通ですが、他のトンネル・橋梁工事はこれからというところで、国道としての全通には10年単位の時間が掛かりそう。とはいえ、数年後には暫定供用も-との話も出ており、只見にとって新しい光がもたらされることになろうかと。
ただ、R289といえばもうひとつの難所であった甲子道路も難工事の末に2008/09に全通していますが、期待されていた路線バスの運行は結局事前予約制の周遊バスのみ、しかも冬期間運休という状況。観光だけでは厳しい状況を改めて感じさせます。

若松~坂下を中心とした通学需要と、周辺の冬期間の道路状況改善を横睨みにしながら、まだまだ“現状維持”が続くであろう只見線…がらんどうの車内で揺れる「MADE IN DREAM」の中吊り広告に、なんとも言い難い現状に対するJR-Eの“想い”を垣間見たような気がしてならなかったのでした。

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  • Photo:急行湯沢森宮野原線
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栄村復興支援アピール
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盛夏、森宮野原にて。

投稿者---551planning (2011/09/15(Thu) 11:11)

雪中行路記録をアップしたのは03/11の昼前。その約3時間後、あのM9.0の巨大地震が東日本を襲いました。当方訪問直後の03/07に只見まで開通していた只見線は全線で運転見合わせとなりましたが、03/29に大白川~小出、/30に会津若松~会津坂下間で運転再開。そして04/08に会津川口、/12に只見まで開通し、04/14に、大雪見合わせから約3ヶ月を経て全線で再開となりました。5月には予定通り風っこ会津只見号・SL会津只見号が運行されています…ちなみにR252六十里越区間の開通はGW後の05/13、例年より2週間程度遅かったそうで今年の豪雪ぶりをあらためて感じさせられます。

いっぽうの飯山線、除雪作業による一部列車区間運休は03/07を以て解消していましたが、03/11の地震で十日町~越後川口駅間で終日運転見合わせに-そして翌03/12未明、長野・新潟県境が烈震に揺さぶられることに。M6.7の直下型地震と2度の余震で長野県栄村では震度6を計3回観測する長野県北部地震の発生です。2004/10の新潟県中越地震の記憶も強いだけに、初報段階ではまたか…との思いもしたのですが、翌朝のヘリ空撮で目に飛び込んできた映像に絶句-千曲川沿いで飯山線の路盤が崩落し、線路が宙吊り状態に。その後森宮野原駅のホームが損壊し除雪車が脱線との情報も入り、つい1週間前に訪問した場所の変わり様に愕然としたのでした。
新潟県中越地震の際には激震に見舞われた越後川口~十日町駅間で約2ヶ月間の運転見合わせとなりましたが、今回は豪雪が残る中での復旧作業に。栄村の被災状況も雪解け後の4月以降に深刻さが伝えられていますが、そんな中で03/13に豊野~戸狩野沢温泉、/22に十日町~越後川口間で運転再開、そして04/29に全線で運転再開、GWに間に合いました。
東日本大震災の甚大な鉄道被災状況という現実もある一方、約1ヶ月半での復旧は最初の映像からするとかなり早い印象を受けました。現状を探るべく、3度の烈震に見舞われた森宮野原駅周辺を実見しました。

今回は越後湯沢から森宮野原までバス移動。豪雪時の状況を目の当たりにして機会があれば…と思ってはいたものの、真夏に乗ることになろうとは。

当方乗車時は中型車がやってきた。乗車してまず目を見張ったのは運賃表示…当方も初めて見る「パタパタ式」紙製表示器だ。若い男性1人と老婦人2人が乗車。老婦人は手荷物から、時間的に早い感じはしたものの朝イチのバスでやってきて所用を済ませた帰りと見受けた。
しばしR17を北上、ガーラ湯沢駅や丸山スキー場を横目にすると、石打駅前で左折しR353へ。観光用の案内看板には野沢温泉の文字も見えるが、上信越道・長野新幹線開業前には東京からの最短のアプローチルートであり、1985/07から10年ほどだろうか、本路線が長電バスと共同運行で野沢温泉にも乗り入れていた由。
スノーシェードで覆われた上越新幹線高架を仰ぎ見れば峠道をあえぎながら登る。この時には対向車こそ多くなかったものの沿道では整備工事が行われており地域主要道であることを実感。覆道から十二峠トンネルを越えると十日町市に入る。魚沼丘陵を一望できるという魚沼スカイラインと別れて快調に下ると左下に日本三大渓谷の一つに数えられる清津峡への入口となる温泉街を見下ろした後、いったん清津川沿いに高度を下げるものの、田んぼに案山子のアート作品が展示されているのを見やりつつ再び坂を登って河岸段丘上の集落を経由する。途中では地震の影響により路肩崩落のおそれがあるようで山側に仮設道を設置の上片側交互通行となっていた。
集落でぽつぽつ老婦人が乗車、人家が増えてきてR117と合流する山崎で2人下車。清津川を渡ると津南町。しばらく走って市街地になると津南の集落、湯沢から乗った2人を含め老婦人が降車し、代わって数人が乗車。交差点に津南駅入口の表示があったが、駅は信濃川を挟んだ西側に1km弱ほど離れている。集落が途切れた先でぽつぽつと降車があると、山と信濃川に挟まれた隘路を通過。今秋にも横に掘られている大倉トンネルが開通予定だが、この辺りも地震直後に雪崩により通行止めとなったとかで、センターラインにも所々に赤いコーンが置かれるようになってゆく。
morimiyanohara 東北電力宮野原発電所を横目にすると信濃川を宮野原橋で渡り長野県入り、川の名も千曲川となる。道の駅を過ぎて栄村役場前を右折すると集落の細道をくねるように進んだ先が森宮野原駅。湯沢から乗り通した若い男性と津南から乗った老婦人を降ろし、回送車となったバスが走り去ると駅前は再びひっそりとしてしまった。次の列車までは1時間以上ある。

まずは駅舎横へ-終戦直前の1945/02/12に記録した7.85mという日本最高積雪地点の標柱を見上げる。列車内から見たことはあったが間近で見上げるのは初めて…その足下は駐車スペースとなっているが一部で地割れていて立入禁止のロープも張られていた。その奥のホームは基礎を残して真新しいコンクリで嵩上げされていた。駅前の集落を西方に進む。豪雪地帯らしい板壁が目に付き、パッと見さほど損傷しているように感じられなかったが、よくよく見ると歪んでいたりする。駅前の荷物受付所は建物自体に影響はなさそうだが、土台自体がずれていた。それぞれの玄関前には「危険」の赤紙や「要注意」の黄紙といった応急危険度判定が貼り出されていた。

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R117と合流して緩やかな坂道を登ってゆくと、両脇にコーンが並べられており川下側の路肩が一部崩れかけている場所も。沢の奥で大規模崩壊が起きたため、土石流警戒との文言もあり気が張り詰める。更に進むと栄大橋、橋全体が西方にずれ東端のジョイント部分が20cmほど隙間が生じたものの地域復旧復興のための動脈ということもあり鉄板を敷いた応急処置がなされ、飯山線再開前日の04/28になんとか片側交互通行解除にまでこぎつけている。
橋から千曲川を見下ろすと、ヘリ空撮で目の当たりにした飯山線路盤崩落現場。大規模な損傷かと思われたが、しっかりと整地されていることが確認できた。栄大橋を渡りきった先には北沢橋。橋脚の剪断破壊が発生しこの日は橋脚上にクレーンを据えての工事により片側交互通行中、橋脚部への応急取り付けルートも整備され補強工事が続けられていた。2つの橋がある青倉集落も村内でも最も建物被害が出たそうだが、倒壊家屋こそ片付けられてはいたものの、道路は亀裂の応急補修がなされた程度でマンホールの浮き上がり等が確認された。

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役場前を経由して再び駅へ。駅舎は2004/04に改築されており、「安全」の貼紙が。交流館「ふきのとう」が併設され売店や喫茶店もあるがこの日はお休み…というか、2Fのギャラリースペースが栄村復興支援機構「結い」の事務局となっている影響もある様子。ホーム周辺はしっかり整備されており地震の面影はなかった。12時を前にパラパラと人が集まってきたが、morimiyanohara定刻ぎりぎりに大型の路線車で現れた越後湯沢行急行には乗る人なくすぐさま出発していった。この辺り列車との接続はあまり意識されていないのか。
そして10分後に飯山線列車が交換。同じバスで来た若い男性が十日町行へと乗り込み、当方は長野行に。あちらは単行、こちらは3連。先頭には添乗係員がいたので最後尾に陣取る。トンネルを抜けると左カーブとなって被災現場、真新しいバラストとなお整備中の擁壁が間近に見て取れた。次駅の横倉はもともと立て替え予定のあった老朽駅舎が倒壊危険とのことで前倒し改築中、周辺の建物にもブルーシートなど青倉に次ぐ被害が未だに見受けられたが、その後08/22に駅舎が竣工。復興に向けて着実に歩み始めていることを改めて感じたのであった。

 
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何分遅筆なもので、そろそろアップしようかと思っていた矢先、「平成23年新潟・福島豪雨」災害が発生。飯山線・只見線は再び長期見合わせとなってしまいます。飯山線は羽根川橋梁が流出し十日町~森宮野原駅間で不通となっていましたが、09/16夕方からの運転再開がようやく発表されました。また、上越線が変電所設備支障等により一部区間見合わせもお盆前に復旧、東日本大震災時には郡山口で一時不通となるもその後「石油列車」で存在を示した磐越西線は阿賀野川出水により各所で路盤流出、津川~馬下間が年内に復旧するかどうかという状況の由。
そして全線開通40周年号が運転された矢先だった只見線、只見川氾濫により3橋梁や各所で路盤が流出する甚大な被害となり、今なお会津宮下~大白川駅間が不通となっています。並行するR252も落橋のため金山町内で、そして落石危険のため新潟県境区間で通行止めとなっており、まず道路が通れないことには復旧に程遠く、少なくとも数年単位となる可能性が非常に高くなっています。

東日本大震災の被災路線については4月段階で全路線復旧方針を社長が示す一方、7月には現状復旧だけで軽く1000億円掛かるともしており、土砂崩壊災害から1年を過ぎた岩泉線については今なお調査中として先行きが見えない状況。岩泉線に次ぐ閑散路線である只見線も、まさしく先冬の状況を鑑みれば並行道路云々という存続理由も厳しいと思われ…。


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