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【検証:近未来交通地図】 特別リポートNo.055-2

高岡・富山現地会“ホタルイカオフ”備忘録

(2004/05/08)
下記内容は予告なしに変更することがありますので、予め御了承下さい。
当サイトの全文、または一部の無断転載および再配布を禁じます。

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「富山港線LRT化」についての私見見解
(【検証:】ホタルイカオフ見聞から)
 投稿者---TAKA氏(2004/05/28 18:02:28)

 皆さんこんにちはTAKAです。前に「富山港線LRT化」について報告しましたが、今回【検証:】ホタルイカオフに参加させて頂き、高岡・富山を参加の皆さんと見てきました。今回のオフ会の場所は高岡は「万葉線問題」が有り、富山には「富山港線LRT化」問題ありと、今路面電車・LRTに関しては、岐阜の存廃問題と並んで正しくホットな地域です。
 今回また皆さんが色々と報告されるかとは思いますが、オフ会の前に「富山ライトレール」設立について報告し、興味のある私の報告として、又今回のオフ会で見たことを皆さんに報告し、【検証:】のオフ会が交通について皆さんが真剣に議論する意義あるもので、その意義を参加されていない皆さんと共有する為にも、僭越ながら筆下手ではありますが「富山港線LRT化」問題の言いだしっぺの私が、自分の考えに基づき報告したいと思います。
 尚本文中の間違い・誤解等至らぬ点はすべてこの報告を書いた私に起因するものであります。そのことを念頭において頂き、至らぬ私の報告を基に色々と議論して頂ければ幸いです。

(1)富山港線LRT化計画の概要

 富山港線のLRT化については前に概要を報告しましたが、4月17日に「富山ライトレール」が設立され、事業化に向けて正式に動き出しました(会社の概要は下記サイト参照)。

「富山ライトレール」が発足 社長に森富山市長就任 役員体制決める(04/18北国)http://www.toyama.hokkoku.co.jp/_today/T20040418005.htm
路面電車とLRTを考える館 路面電車ニュース41http://www.urban.ne.jp/home/yaman/news41.htm

 「富山ライトレール」は、基本的には資本金が4億9800万円、富山市が33.1%、富山県が16.1%+基金8000万円、民間が残りの50.8%を出資し設立された会社です。出資先には北陸電力・インテック・富山地鉄・富山第一銀行・日本海ガス等計15社で、富山の主要企業そろい踏みの感じで作られた会社です。それだけでも富山市・富山県の事業への意気込みがわかります

 富山港線LRT化事業の骨格は平成15年11月の富山港線路面電車化検討委員会の「中間取りまとめ」の内容が骨子となっています(詳細は下記サイト参照)。

富山駅周辺整備についてhttp://www.city.toyama.toyama.jp/contents/7d35080e2c07000/7d35080e2c0700015.htm
富山港線路面電車化検討委員会−中間とりまとめ−http://www.city.toyama.toyama.jp/contents/7d35080e2c07000/other/7d35080e2c070007.pdf
開業にむけて出発進行!富山ライトレールhttp://www3.city.toyama.toyama.jp/topics/20040507.html

 基本的には
  1.富山港線について15分間隔運転に適当な交換設備・低床車両を整備
  2.中学校前踏切〜富山駅北口間を路面(綾田北代線〜ブルーバール)に単線で移設
  3.関連街路の整備(八田橋改修他)
  4.電圧を600Vへ降圧を実施
  5.新駅3駅設置
等の事業を45億円(専用軌道整備20億・併用軌道整備9億・車両16億)掛けて実施し、平成18年度開業を目指すというのが計画の概要です。
 又将来的には、北陸新幹線富山駅乗入と富山駅周辺北陸線連続立体工事が竣工した段階で(開業後10年・平成28年頃)高架下を通り富山駅南口に乗り入れ、富山地鉄市内線に乗り入れを行う予定です(詳細は決まっていません)。

(2)ホタルイカオフにて実際に富山港線を見学して

 私も上記の内容(5月20日付中量板書き込みも合わせて)を基礎として調べた上、22日〜23日の【検証:】ホタルイカオフに参加をし、22日に富山16:38→岩瀬浜16:59・岩瀬浜17:22→富山17:41で富山港線を試乗、23日朝にLRT軌道予定区間と富山港線隣接の県道30号線と県道142号線を通り、車窓より富山港線沿線を見てきました。

○富山港線に試乗して
 22日実際に富山港線に試乗してきました。上記試乗の列車は偶々3両編成の電車でしたが、各車両とも(われわれオフ会の参加者を除いて)大体各ボックスに1名に欠ける程度の乗客が乗車している程度でした
 この時間は前の列車が24分前に出ていて、昼間の時間帯の毎時1本が毎時2本になり、その増発に3両の電車が入る時間帯なので、この程度の乗車率なのでしょう。富山駅で乗車後乗車客はほとんどなく、各駅で五月雨式に下車して行き、最終の岩瀬浜駅ではわれわれを除くと数名の下車客が有るだけでした。
 又途中駅の城川原でキハ120系単行と行き違いしましたが、部活帰りの中学生を含めて(競輪帰りの客も少し居た感じ、競輪場駐車場は閑散としていたが、富山行きは競輪場前にも停車したので)立ち客が通路を塞ぐ位の乗客が有りました。

富山港線
富山駅富山港線ホーム(停車中の列車はキハ120系単行)

 終点岩瀬浜駅では折返しの時間を生かして駅を出てみました。駅前は県道の交差点ですが、鄙びた駅舎に駅敷地内に月極駐車場・自転車が数台おいてある駐輪場があるだけで、駅周囲も店はコンビニのサークルKが有る位で、住宅は有るが栄えているという感じではないです。只駅の富山寄りの河川(運河?)敷に岩瀬カナル会館という観光施設の感じの飲食施設の入った観光施設が有るのですから、駅のホームの富山寄りに連絡口ぐらい作っても良いのでは?とは感じました。少なくとも競輪場以外は観光等の定期外客の獲得に熱心でないのは分かります。

↓ 富山港線岩瀬浜駅舎
富山港線富山港線
富山港線岩瀬浜駅ホーム状況(写真奥・ホーム富山寄り突端の先に観光施設がある) ↑

 岩瀬浜で20分強折返しの時間調整後17:22発の列車で富山へ戻りましたが、帰りも我々オフ会の参加者以外は行きの岩瀬浜行き列車の乗客数と同じぐらいで、岩瀬浜では数人しか乗らない状態、そこから富山へ向かい増えていく状況でした。
 帰りの電車も城川原でキハ120系単行と又行き違いましたが(富山17:19発)、向こうの列車は多少の立ち客が居ました。しかしキハ120系単行ですから・・・。土曜日の夕方という時間帯と運行間隔が夕ラッシュ用に毎時2本に近くなったと言うことも有るのでしょが、キハ120系では若干輸送力不足(立ち客を容認すれば適性?)だが、電車3両では輸送力が余り過ぎという事でしょう。そう考えると輸送量から見てLRT化は適正なのかもしれません。

↓ 富山港線車内状況(岩瀬浜17:22発、富山到着直前に撮影)
富山港線富山港線
同列車富山駅17:41着の状況 ↑

○LRT軌道予定区間と富山港線の平行県道を見る

 23日には、その日のオフ会参加者6名でレンタカー(エスティマ)に乗り、富山駅前からLRTの路面走行区間のブルーバール〜綾田北代線〜県道30号線〜県道142号線を見てきました。
 富山駅南口は業務地域として再開発された地域で北陸電力・インテック等の上場企業の本社やホテル・公共施設等が立ち並び整然と開発された地域です。ただ駅前広場は北陸新幹線乗り入れ・北陸線高架化との絡みでしょうが、とりあえず整備してあるという様な簡易的整備がされている状況です

↓ LRT導入計画空間(富山駅北口広場)
富山港線富山港線
富山駅ホームから富山口方を見る(北陸線高架時に線路を移設する区間) ↑

 ブルーバールは道路幅員が非常に広く、歩道を多少縮小して再整備すればLRTを複線で導入する空間は十分確保できる余地はあります。しかしこの道路を整備したときには、少なくともLRTを導入することを考えていたとは思えません。それならば道路中央に中央分離帯を広めに確保して置く等していたでしょうから・・・。写真を見る限り、車道拡幅しないでLRTを導入すれば、車線が片側1車線になります。それは歩道の広さから考えれば不釣合いですから推測では有りますが、間違いはないでしょう。

↓ LRT導入予定空間(駅前広場→ブルーバール)
富山港線富山港線
LRT導入予定空間(ブルーバール→駅前広場) ↑

 綾田北代線は写真の通り片側2車線ですが歩道も狭く、LRTは単線で乗り入れるのが限界です。又途中の八田橋は中間報告にも有るとおり改修をしないとLRTの荷重に耐えられない状態で有り、その上中学校前踏切で富山港線に入るところでは南西の角にビルが建っていますが、曲線のでの擦り付けを考えるとこのビルの買収も必要であると思われます。

↓ LRT導入予定空間(ブルーバール)
富山港線富山港線
LRT導入予定空間(ブルーバール→綾田北代線) ↑

 その後完全に平行している県道30号線を岩瀬浜まで走りました。県道30号線は片側1車線でしたが所々は拡幅が行われており、車は走りやすい環境です。日曜日の朝であったためかスムーズに流れており、ただ土曜日夕方車窓から見た県道30号線もスムーズに流れており、車が富山港線を追い抜くというローカル線特有の事象が頻発していました。

 その後岩瀬浜から富山市街に戻るときに使った県道142号線(産業道路)は海寄りには三菱レーヨンと東ソーの大型工場、リサイクル施設の工業団地が建ち、富山市街に近づくとロードサイド型の店舗が立ち並ぶという地方都市にはよくある光景が有り、意外に通行量も多く片側2車線で右折帯もあるという走りやすい道路環境と相まって、富山市北部の海岸地域から富山市街へ一番早く行けるルートとして完全に機能しているという感じでした。
 県道142号線通過時に近接の北陸本線東富山駅にも寄りましたが、駅前こそ店も少なく富山から1駅目の駅とは思えないローカル駅でしたが、店はすぐ近くの県道にロードサイド型の店舗があるので、駅前の旧型の店は敗退してしまったというのが正しいところでしょう。しかし富山港線より本数が多く、昼間こそは毎時1本でも朝夕のかなり広い時間帯は毎時2本強有り、終電が富山発22:50と富山港線より1時間遅いということから考えても、富山港線の大広田・東岩瀬の各駅の東側の駅勢圏はかなり東富山に侵食されているのではないかと感じました。

***
 以上がオフ会で見学した物を私の主観で述べた富山港線を取り巻く状況についてのレポートですが、一言で言えば富山港線を取り囲む環境は極めて厳しいという事が改めて分かったのが、今回の見学の私の結論です。
 確かに富山港線周辺には富山化学等の大工場も駅前に有ったり、競輪場が有ったり、沿線には住宅地が途切れなく続き沿線人口は多いというように、普通のローカル線に比べて極めて恵まれた状況と潜在需要が存在することは疑う余地はありません。そこから今回のLRT化計画が出てきたことは間違いないでしょう。しかし、富山県は人口当たりの自動車保有台数が日本一である現状を裏付ける様に、各住宅に車が置いてあり、その上沿線には駐車場が多く置いてある車も多く、県道142号線のように車利用が圧倒的に便利な環境が整っているということが、今回の富山港線沿線見学で改めて実感できました。そう考えると今回の富山港線LRT化計画には「はたして計画通りに行くのか?」「LRT化は車社会を変える事はできるのか?」という危機感を改めて感じました。

 以下において当初あげた計画を基に富山港線LRT化計画について考えたいと思います。

(3)富山港線LRT化計画に対しての私見
 以上のように実際に富山港線LRT化計画の概要を見た上で、実際にオフ会で見学に行ってきましたが、果たして富山港線のLRT化は果たして成功するのでしょうか?以下において私個人の見解を基に考察してみたいと思います。

○富山港線LRT化の大本→富山駅連続立体の絡みで出てきた計画?
 私が色々と調べてみると、基本的に富山港線LRT化計画は基本的に「富山港線を如何にして富山駅高架化の計画と摺り合わせるか?」ということに対しての回答として出てきたというのが直接的な動機ではないかと感じます。ですからまず都市の公共交通の活性化のためにLRTを考え出したというよりかは、「現況では”放置プレイ”のまま野垂れ死にしそうな富山港線に高架化費用40億は出せない。その対案として費用を掛けLRTにしてそれで活性化をさせて生き残らせよう。座して死を待つよりかは良い」というのが本音のような気がします。
 それは中間報告の行間からも読み取れますし、以下の参考資料にも詳しく書いてあります。

公共交通をよくする富山の会http://www5e.biglobe.ne.jp/~thlt/index.html
路面電車化へ踏みだす「JR富山港線現地調査」−土居靖範立命館大学教授に同行して−http://www5e.biglobe.ne.jp/~thlt/minatosen/minato.sisatu.pdf

 上記サイトに書いてありますが、「まず始めに富山港線の存続ありき」で「その方策がLRT」ということは、あながち間違えていないといえるでしょう。状況としても北陸本線連続立体化工事と北陸新幹線建設に伴う北陸本線仮線用地を富山港線線路用地に求めラップする部分を路面電車化し、路面電車が走れる設備を導入するために富山港線をLRT化する。そのついでに増発等の利便性向上策を行い富山港線を活性化させようというのが、本事業の旗振り役・富山市の本音ではないでしょうか?

○果たして富山港線LRT化計画は十分検討された上での計画なのか
 私の推測も含まれますが、上記の様な背景の基に1年前に出てきた「富山港線LRT化計画」、果たして十分に練りこまれた計画なのでしょうか?基本的にはすでに富山港線路面電車化検討委員会の最終答申と整備計画が公表されています。

富山港線路面電車化に関する検討報告書http://www.city.toyama.toyama.jp/contents/7d35080e2c07000/other/7d35080e2c070004.pdf
整備計画等http://www3.city.toyama.toyama.jp/topics/20040507.files/seibikeikaku.pdf

 ただこの最終答申・整備計画は基本的には前述の「中間取りまとめ」を基本に作られています(経営形態と財政補助の部分以外は中間報告とほとんど同じ)。又中間取りまとめも3回の会合で内容が決定されており、沿線地域住民へのアンケート等は取っていますが、答申自体の内容は事務局の富山県・富山市が作成したものであることは当然でしょうが間違いないと推察されます。
 ただJR西日本が富山港線と吉備線の分社化の上LRT化をすると表明したのが昨年2月で、富山市が議会に富山港線路面電車化を表明したのは1年前の昨年5月、委員会の第一回の会合が7月で、中間取りまとめ公表されたのは昨年11月です。かなり前の時期から計画の検討を進めていたのは間違いありませんが、その短い期間で果たして十分吟味されたLRT化の計画立案がされたのでしょうか?その点が疑問です。私的には需要予測とそれに基づいた収支計算に疑問があります。今の富山港線の利用客数は約2500人/日(平成11年度※、検討報告書p6では約3400人/日)ですが、LRT化で増発・新駅設置・新規乗客の誘発等を行うと約70%増の4200人/日に増加するとのシミュレーションをしています(検討報告書p6)。

※ 公共交通をよくする富山の会 駅ごとの旅客輸送状況http://www5e.biglobe.ne.jp/~thlt/data/ryokakuusou.html

 果たしてこの計画は旨く行くのでしょうか?レポートのところでも述べましたが、富山港線沿線は自動車交通に障害の少ない地域で、平地でもあるので自転車も脅威になります。全線に渡住宅地が連なっていても今の状況ですから、LRT化による活性化計画を行っても70%も乗客が増えるのでしょうか?今は対距離制運賃で最高200円の運賃も全線均一で200円になります。これは今利用客が多い下奥井〜蓮町間では値上げになることを意味します。増発等による利便性向上に引き換え値上げになっても乗客は増えるのでしょうか?
 富山港線路面電車化調査委員会では沿線にアンケートを実施しており、その中で運賃は現状の水準で不満を表明している人は約9%で他項目より低く、LRT化計画ではこのアンケートで不満の多い運行頻度・終電時間に対してはケアをしていますが、実質的運賃上げについては何も表明していません。そのような形の調査では、アンケートでは63%の人が「利用は増える」と言っていますが、実質運賃値上げを知ったらこの比率は減るのではないでしょうか?
 そうなると、根本の需要予測が怪しい?となると当然収支計算も怪しくなります。現在の収支計算は、償却前収支で「LRT化の4200人/日では約9%の赤字」「11年後の市内線乗入後は5000人/日に乗客数が増え約5%の黒字」となっていますが、市内線直通後の原価が増えていません。富山地鉄市内線と乗り入れれば車両も増備する必要が有るでしょう。そうすれば原価は膨らむ可能性は大です。10年後の乗り入れに最初から必要車両を保有している事は非合理的で無駄ですし、富山地鉄市内線が10年後までにLRT化を進めなければ乗り入れ時にLRTでない富山地鉄車両が乗り入れてくることになります。このようなことを素人の私が少々考えただけで粗が見えてきてしまいます。そのような計画が練りこまれた計画なのか?そう考えると、老婆心ながら富山港線LRT計画について不安が出てきてしまうのですが・・・。

○しかしながら”座して待つより打って出よ”の決断は正しい
 しかし今の富山港線がJR西日本の”放置プレイ”で半身不随状態にあることは間違い有りません。平成7年〜12年の5年間で沿線人口→3%減に対し富山港線利用客→25%減は明らかに沿線住民に富山港線が見捨てられたことは間違いありません。なんせ今や昼間はキハ120系単行での運行ですから・・・。1時間毎はキハ120系単行1両で運転できる運転間隔です。ただ今の設備であれば城川原で交換可能なので、キハ120系単行2両に増やせば30分毎の運転が可能になります。全駅が無人駅でワンマン運転あれば、今の運行体制は最小コストの運行体制です。そこからの最小の投資でのサービス向上を怠っていたということはJR西日本の”放置プレイ”と言われても仕方ありません。そこに高架化で40億も投資はできないでしょう。そうなると富山港線廃止が現実の問題となってきます。
 そのような廃止議論の前に先手を打って高架化に必要な投資に近い金額の45億円を投資して利便性向上と存続への方策を実施し”放置プレイ”のJR西日本から富山港線の経営を切り離し地域の影響下に置く事で富山港線を維持しようという考えは基本的に正しいと考えます。少なくとも今のまま高架化に40億円投資してもまったく意味を持ちません。北陸線連続立体化は北陸新幹線乗り入れとワンセットですが、実質的に富山港線を高架化しても道路交通の障害幹線道路の踏切が解消される訳ではありません。そうなると高架化の必要は無い事になります。それなら利便性向上のための生き残り策に45億円を投資したほうが社会的には有用な投資になります。そう考えれば今回の決断は正しい決断と言えると考えます。

○問題は”地域住民との合意の成立があるか?”という事と”?ピーク時の輸送力は大丈夫か”
 しかし問題は表題の通り、”地域住民との合意が有るか?””ピーク時の輸送力は大丈夫か?”という2点に有ると思います。
 地域住民との合意は当然利用客となる地域住民に富山港線LRTに興味を向かせると同時に、積極的に利用することで富山港線の維持に住民も責任を果たさせるという意味で重要と思います。実際アンケートでは計画を「知っている・聞いたことある→94%」「賛成・どちらかと言えば賛成→78%」となっていて、住民は基本的に「知っているし賛成だ」と結論は出ています。しかしこの計画に住民が積極的に参加し意見を述べた形跡も無いです。実際に富山港線路面電車化検討委員会には住民代表は入っていないですし、「北陸線・ローカル線の存続と公共交通を良くする富山の会」という市民団体は存在しますが、高岡のRACDA高岡の様に公共交通に積極的に関与して行くような市民団体が関与したとの形跡も有りません。そこがまさしく問題であると考えます。
 市民が積極的に関与し意見を反映させ成立させたプロジェクトであれば、住民も意識が高まり積極的に利用したり協力したりすることでプロジェクトの成功に力を注ぐことになり、それが惹いては地域の活性化につながります。けれども今回の富山港線LRT化計画では、官が主導した計画という感じで地域住民が疎された上での計画と言う感じが計画について色々と調べてみると感じます。実際「富山港線を育てる会」が作られたそうですが後付で作られた感じですし、まずはじめに市のプランありき後から任意の市民団体が要望するがノラリクラリかわされる状況で、市民参加と言う点では同じ高岡とは似ても似つかない状況に有ると言えます。これが将来の住民の富山港線への維持への自主的協力意識というものに対し悪い方向に影響しないか?心配です。

公共交通をよくする富山の会 JR富山港線の路面電車化を考えるhttp://www5e.biglobe.ne.jp/~thlt/minatosen/minatosen.index.html

 あと問題は「朝夕の輸送力は足りるのか?」と言う問題です。LRT化するということは車両は必然的に小型化します。又軌道上を走る以上は特認を受けない限り軌道法の制約で車両編成長が40mに制限されていたはずです。40mということは電車約2両分です。今は3両まで入れるのでLRT化後は輸送力が3分の2に減ることになります。昼間はキハ120系単行で運行本数も毎時1本だったのが毎時4本に増える以上問題ないでしょうが、朝・夕のラッシュ時には本数が毎時2本から毎時4本に増えることで時間当たりの輸送力は問題ないでしょうが、沿線向上等への通勤が集中する時間帯の場合瞬間風速的に輸送力が不足する可能性が有ると考えます。
 又広島のグリーンムーバーは車長約40mですが、富山では朝夕の為にずっと5連接車のグリーンムーバークラスのLRTを運行するには非効率的です。キハ120系単行に輸送力的に匹敵する「赤momo」クラスが好ましいでしょうが、そうすると朝夕には併結運転が必要になります。ましてや利用客は70%増の計画です。1日あたり1700名増加の計画が根本になっています。
 導入のイメージ図では連接タイプの欧米型のLRTが描かれていますが、実態的には高岡でも入している「赤momo」クラスが現実的です。併結の問題・輸送力との現実的兼ね合い・軌道法との関係等、需要と輸送力の関係を検討しなければならないと思います。

○結論に代えて「富山港線LRT化計画が満たしているもの・欠けているもの」
 以上のように富山港線LRT化計画について私見をダラダラと述べて来ましたが、実際に動き出した計画が「満たしているもの」「欠けているもの」は何なのでしょうか?それを考えることで、富山港線LRT化計画に今後必要な物や他の都市の廃線問題に対する存続・改善計画への対応すべき問題点等が浮かんでくると思います。

 「富山港線LRT化計画が満たしているもの」
   ・存続へ向けての現況の具体的改善策が存在する(多少煮詰め足りなく問題が有るが・・)

 「富山港線LRT化計画が欠けているもの」
   ・今回のLRT計画に対する住民の自発的かつ積極的な参加(今のところその痕跡は無い)
   ・富山港線を路面電車化する計画としては立派だがそれを基に地域をどうするかという全体的な計画が今の段階で存在しない
    (まずは存続のためのLRT化計画で、都市全般の各種構想・計画への組み入れはこれからなのであろうが・・・)

 個人的には「甘い点が有るにしろ良く練られたそつの無いLRT化計画で実現性はきわめて高い」とは感じました。しかし「新幹線問題・富山駅高架化問題との時間との競争で作られた計画で域が必要だから要望に応じて作った計画ではなく、”天から降ってきた計画”という要素が強いのではないか?」というのが率直な感想です。この計画が実現されれば、最低限の税金(高架化に必要な費用+5億円)で地域の公共交通の利便性が高められるという効率性の高い公共投資が行われ好ましいモデルになるでしょう。しかし”天から降ってきた計画”であるがゆえに地域住民の草の根的熱意が乏しく、自分たちが積極的に作った計画でないがゆえに最終的には便利な車に無責任に逸走し、乗客の誘発策も空振りになりかねないです。又それで乗客が計画数まで達せ無ければ、今回の計画の将来までの存続の前提が根本から覆される事になりかねません。そのようなことに対する担保のひとつとして
 「住民から自発的かつ積極的に参加するように自治体が誘導する」
 「計画立案の段階から住民の意見を反映させる」
 「住民(市民団体)には将来にわたり責任の一端を持たせるとともに事業を監視させるために“口も手も出すが金(出資・寄付金等)も出す”スキームを作る」
ということが必要では無かったでしょうか?同県内の高岡がそれで旨く走り出したことを考えると残念でなりません。

 そこが今後色々なところで発生してくる「公共交通存廃問題」にとって重要な所でしょう。国鉄解体時の「赤字ローカル線問題」の時は、住民は“廃止反対”の運動はすれども存続させる為に作られた第三セクターへは、個人的出資はあれども大部分は自治体・企業が出したもので、住民が積極的に金を出すが口も人も出すという形のスキームが乏しかったと考えます。その事が時が経った今又第三セクターの赤字ローカル線の再廃止問題として浮上してくる原因になったのではないでしょうか?そのことを良く考えるべきでしょう。官が作った”天から降ってきた計画”の弊害を十二分に考えないといけないと思います

のと鉄道と能登半島の交通を見て  投稿者---エル・アルコン氏(2004/05/28 15:04:13)
 http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 本サイトの「ホタルイカ」オフに参加しましたが、せっかく北陸まで行くのであれば、と前後にあれこれつけて回ったのですが、その際、穴水以遠の廃止を会社が決めたのと鉄道を乗ってみました。

 のと鉄道は旧国鉄能登線を引き継ぐ形で(厳密には約1年間JR西日本が経営)、88年4月にのと穴水(穴水)〜蛸島間を開業し、後に七尾線和倉温泉〜穴水〜輪島を引き継ぎましたが、経営不振から七尾−輪島間を廃止し、今また穴水以遠の廃止というわけですから、元々の廃止対象であった特定地方交通線としての能登線区間が消えるわけです。
 廃止に対しては地元の反対は当然のごとくあるのですが、地元レジャー会社である山崎屋が引き受けに名乗りを上げるなど、やや迷走気味のきらいもあります。

 一方で、沿線というか能登半島は北陸有数のいや、全国的に著名な観光地であり、最後のローカル空港と揶揄された能登空港が蓋を開けて見たら全国屈指の高搭乗率となるなど、ポテンシャルは十二分にあると目されるエリアだけに、のと鉄道の不振、特に能登半島を代表する街である輪島への路線が先に廃止され、今回の廃止申請という流れには、単に鉄道のひとり負けという感があります。

 私は開業間もない88年8月に乗車したのですが、それ以来ご無沙汰と言う状態で、今回の乗車が16年ぶりという有り様ゆえ、大きなことは言えないのですが、それでも一旅行者の目から見た状況を述べたいと思います。

●乗車記
 サンダーバード型車両6連という豪華な七尾線の始発からの乗り継ぎ。七尾では蛸島行きまでは1時間以上間があるので、和倉温泉でひと浴びしてから乗り継いだのですが、和倉温泉駅から少し離れた温泉街に入る七尾バスは、七尾から和倉温泉駅を経由して行くにも関わらず、和倉温泉駅での接続はあまり考慮されていません。今回も七尾で電車を受けたバスは、七尾で接続する列車を受けずに和倉温泉駅を出てしまいます。バスは七尾市街、和倉市街での経路を違える循環路線で30分ヘッドの運行ですが、鉄道接続よりも独自のパターンダイヤが優先されているところに鉄道の地位を感じます。
 それでも和倉温泉駅では、能登島方面からでしょうか、高校生を送ってくるクルマが続々現れており、羽咋、金沢方面での鉄道指向は、「おはようエクスプレス」の設定も含めてそこそこあります。

 ただ、観光となるとどうでしょうか。和倉温泉までの七尾線区間は「サンダーバード」「しらさぎ」「はくたか」が乗り入れてきますが、そこから半島への足としては甚だ心許ない状況です。
 和倉温泉のバスターミナル向かいのタクシー会社に観光貸切のモデルコースが掲出されていましたが、和倉起点で半島をひと回りするだけで270km程度もあるわけで、穴水以北には高速道路、高規格道のサポートがないだけに、クルマで回ると言うのもしんどい距離です。
ただ、奥能登、輪島などをフォローしているのは定期観光バスです。和倉起点のコースが成立しているのはさすがに北陸有数の温泉街の貫録ですが、少なくとものと鉄道が観光コースに一枚噛んでいる感じは見うけられません。

 和倉温泉駅に戻り列車を待ちます。カメラを下げた旅行者らしい人と、曾祖母以下4世代というような大家族であろう10人のグループ、さらには高齢の男性グループ4人が待っています。驚いたことに大家族は「乗りに来た」ようですが、どうも地元のようであり、廃止が報じられて乗ってみるという感じでもあります。
 やって来た列車は3両編成。さすがに全部が蛸島に行くまいと尋ねると蛸島行きは先頭車で、残り2両は穴水どまり。困ったことに蛸島行きだけがオールロングシートで、せっかく和倉で買った駅弁の処遇に悩みます。

 穴水で切り離しのため7分停車。能登線内に進む人が移ってきましたが、それでも20人程度の乗客であり、座席がさらっと埋まる程度。ここまで交換した列車は単行で座席定員の7割程度ですから、存続区間でもバスで運べるレベルと言えます。
 入り江に忠実に沿い、いろは48文字を充てた「いろはトンネル」で入り江を縫って進みます。ちなみに珠洲まで「い」から「ん」までの49文字に、オーラスが「すず」の50箇所となっています。
 途中能都町の中心である宇出津への流動が目立ちましたが、高齢者中心の様子と時間帯から、通院需要でしょうか。病院も2箇所あるようですし。ちなみに到着時には乗客50人を数え、出発時も30人を超えました。乗り通しが17人ですから、宇出津が一つのキーです。

 しばらく進んだ白丸は他と違い高原のような地勢で、低木がまばらにはえるだけ。駅前に何やら看板があったのを斜め読みすると、01年5月にあった大規模な山火事の跡のようで、森林の再生を目指すボランティアの森だそうです。
かつて急行「能登路」のヘッドマークを飾った見附島を遠望すると鵜飼。そして鵜飼のあたりで左手に能登広域農道が現れます。能登有料とつながり半島の中央をひた走る道路で、能登線のライバルである特急バスの経路でもあります。

 かつて国鉄時代、珠洲市は時刻表での「市の代表駅」が珠洲駅ではなく国鉄バスの飯田だったことからもわかるように実は飯田が中心に近いです。その飯田、端っこのほうの電灯の柱に、国鉄時代の「すずいいだ」の駅名標が残ってました。駅前には南浜町の曳山の格納庫があり、屋台が町を練り歩くのでしょうか。

 珠洲に着いたのは10時21分。ここで例の大家族と数人以外はすべて降ります。
 しかし、和倉から2時間以上と言うのはさすがにしんどいです。
 そして淡々と走り蛸島着。相変わらず何もない駅ですが、上り列車は約2時間待ち。列車は珠洲に回送になるのですが、上り列車になる車両は珠洲−蛸島の区間運転として営業しており、腑に落ちません。

 2時間をどうするか。車内にあった沿線のパンフにこの先に温泉があると言う情報があり、駅前の表示では1.5kmとあるので歩いて見ました。ほどなく蛸島の集落が現れましたが、そこそこの集落で、結局いずこも同じ、集落の入口まで鉄道を引きました、というケースのようです。
 20分ほどで温泉のある鉢ヶ崎へ。通りを挟んでホテルと温泉施設がある公園になっており、特急バスの終点でもあるわけで、鉄道がここまであればまた違ったとも感じます。確かに蛸島集落を考えての延伸でしょうが、あの形態なら珠洲までで良かったともいえるのです。

 温泉に行くと入浴1100円と言う強気の設定にビビリましたが、タオル類からアメニティまですべて揃い、温泉自体も良く、再入場も可能なので一日遊ぶなら安いです。
 駅に戻り、穴水行きでこれも入浴のために縄文真脇へ行きましたが、珠洲では飯田高校の生徒が大量乗車。意外なことに松浪、九十九湾小木でまとまって降車しており、各駅で降りていくという形態ではありませんでした。
このあと縄文真脇から九十九湾小木に出て、特急バスで金沢に出たんですが、縄文真脇駅前の公園で幼稚園の行事があったようで、園児の集団が乗車したのが目につきました。
 もっとも、ここまでの時間帯、単行で充分事足りるレベルというわけで、これが平日の実情なんでしょう。

●観光に絡むことが出来ていないのは...
 のと鉄道が開業した時、金沢直通の急行や、線内急行。さらに観光イベント列車である「のと恋路号」の設定など、能登半島の観光資源を生かす姿勢があったことは誰もが見ていました。
 確かに交通不便の地でありますが、それがかえって自然を前面に押し出した観光資源となるわけで、さらに和倉温泉に輪島と、恵まれた観光資源の宝庫というのが沿線の基調です。

 実際はどうだったのでしょうか。能登半島の周遊コースを考えた時、珠洲もしくは蛸島までのと鉄道に乗り、輪島まで半島北端の海岸線を辿るということは誰もが考えるはずです。
 ところが昔からこのコースのバスの連絡はひどく、JRバスの撤退で奥能登交通に統一されても変わりません。今回も蛸島に着いたとき、駅前の狼煙方面のバスの時刻表を見て、2時間待ちに呆然としている旅行者がいたわけですが、下車観光を考えた時、のと鉄道〜狼煙〜木ノ浦〜輪島を辿ることは実は事実上無理なのです(平日のみなんとか成立する)。

 それどころか乗り継ぎも何もないはずの輪島ですら先に廃止されたわけです。昔半島を巡ったことのある家人に、珠洲へはあるけど輪島への線路が無いといったら信じられないという反応でしたが。

 さらに沿線の観光地との連携はどうでしょうか。
 今回回ったところを見ても、のと鉄道との連携ははっきり言って悪いです。バスとの接続が今一つの和倉温泉にはじまり、送迎手段も確保されていない鉢ヶ崎に九十九湾の海洋センター、駅前にあると言いながらもアプローチの案内が鉄道利用者を向いていない縄文真脇温泉。これでは使えません。

●のと鉄道自体の問題
 平日とは言え、朝、和倉温泉を出て奥能登に入る唯一の列車にオールロングシート車両をわざわざ充当するような「ホスピタリティ」はどうでしょうか。
 時代の趨勢が団体旅行から個人、グループ旅行に完全にシフトしているなかで、のと鉄道のホームページを見ると、お座敷列車や普通車両の「貸切」を謳っている感覚のズレは、観光利用におけるCSを全く考えていません。

 この問題の根は昔からのようで、16年前に利用した時、のと穴水で「のと恋路号」の指定券を求めたところ、発券しようとした駅員を遮るように上席から「団体で満員!」とにべも無く断られた経験があります。
 後で乗りたかった同列車を見たら満員と言うのかな?というレベルであり、貸切列車のような運用をしていたようですが、個人売りの列車のはずなのに、という思いは残りました。

 当時は利用も多かったわけですが、シーズンになると車両の絶対数が足りなかったようで、その時は夏でしたが往復とも穴水から珠洲まで立ち通しの客も多く、途中すれ違った線内急行も3連ですし詰めでした。そういう状況の中で、「のと恋路号」のような世界もあるわけで、個人の客を大事にしてきたのでしょうか。

 また、今回は宇出津の利用が目立ったわけですが、穴水と珠洲に車両基地があり、見たところ車両は余っているうえに増解結が可能ですから、2両ワンマン運行をもっと多用してもいいのですが、それもありません。地元に対しても着席サービスすら満足でないとしたら、どうでしょうか。
 そして、ダイヤを見れば分かる通り、沿線の拠点である宇出津を起終点とする列車がないわけで、利用の多寡にあったメリハリのある運行がされていたのかどうかも疑問です。

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 それでも地道な努力はしているようで、沿線の宿泊施設とタイアップした「ど田舎クーポン」の発売や、5月22日、23日に開催された能登杜氏の第100回品評会を記念した「能登の酒匠百年祭」にあわせて、最終列車の後に珠洲から蛸島、穴水への臨時列車を運行するというようなケースもあるわけです。お酒が入るイベントゆえの配慮でしょうが、「お帰りは安心な列車をご利用下さい」とあり、こうした取り組みがもっと周知されていればここまでのことにはならなかったのかもと思います。

●指摘したい戦略ミス?
 もう一点、のと鉄道固有の問題として、七尾線区間が実はJR西日本の所有だったということがあります。つまり、七尾−和倉温泉−穴水−輪島の区間はJR所有で、和倉まで1種、そこから3種であり、のと鉄道はあくまで2種事業者だったのです。
 七尾−和倉間の2種はともかく、和倉以北の区間がなぜこんな取り扱いになったのか。JRが自分で経営する意思がなかったことは輪島まで区間を完全に廃止(線路も剥がしている)していることからも明らかです。

 のと鉄道に七尾線を購入する体力がなかったというのが真相でしょうが、通常の営業経費に線路使用料までかかるスキームというのは厳しいわけで、逆にJRにとって見れば、線路使用料が入り、営業に関する損失からは逃れるわけですから、おいしい話です。
 もちろん、のと鉄道が自社区間よりも利用が多い他社の線路に乗り入れて営業することで、経営基盤を強化出来るという目論見があったのでしょうが、少なくともそこの経営で黒字を出さない限り、いわゆる「ナンピン」に過ぎず、最終的には経営を悪化させる方向にしか働かないことは自明です。

●のと鉄道以外の状況(特急バスを中心に)
 さて、九十九湾から特急バスで金沢に出ました。九十九湾小木から結構歩いて、バスの始発ののと海洋ふれあいセンターへ。海の見晴らしは利かないのですが、海岸線に下りて楽しむことは出来ます。

 特急バスがのと海洋ふれあいセンターから2時間40分というのは能登半島の奥深さを感じます。バスの経路も興味深く、宇出津までは海岸線沿いの県道、そして柳田村に向かい、広域農道と県道からなる珠洲道路から能登有料道路と出世魚のようなコースです。おまけに縄文真脇から宇出津までの区間、県道が落石通行止になっており、離合もままならない山あいの間道で国道に出て、さらに海沿いの能都町役場に回りこむため宇出津の漁港を縫って走るという濃ゆいコースでした。

 北陸鉄道の特急バスの停留所には「特急 XX(停留所名)」というデザインの専用ポールが用意されており、三重交通の「EXPRESS」表示の専用ポール(こっちは色もオレンジ色で一般と違うが)の扱いと似ています。
 平日の午後でしたが、海洋ふれあいセンターから2名、能都町役場から7名、柳田天坂から2名と10名を超える乗車を数えており、特急バスが金沢との流動の主力であることが分かります。

 上町からの珠洲道路は、地図の上では県道や主要道、広域農道の寄せ集めですが、実際には長野のオリンピック道路よりも規格が良い一本道。一部未改良区間が残りますが、地域高規格道の候補路線であり、能登有料と一体で金沢−珠洲を2時間圏にという看板が沿道に立っていました。
 道の駅桜峠を経て、能登空港に向かいますが、驚いたのは能登空港は「道の駅能登空港」となっていること。奥能登行政センターも入居しており、珠洲道路にほぼ面しているというシチュエーションもよく、交通拠点として機能していることがわかります。既に航空便がない時間帯ですがバスの乗降がありましたし、航空便だけでなく人が集まるような仕掛けを見ると、能登空港の好調は決してフロックではなく、実は計算づくなのかもしれません。
 バスは穴水此の木から能登有料に入りますが、輪島への能越道との連絡を睨んで延伸工事が進んでおり、ちょうど東名阪〜伊勢道の連絡線のような関係です。

 ちなみに能登関係の特急バスは七尾・和倉方面を除き総てこの穴水此の木を通るのですが、有料入口の十字路と言う要衝ではありますが、特段の施設やP&Rはありません。
 北鉄の特急バスは「宇出津・真脇特急」「大谷特急」などとラインナップは豊富なように見えて、基本的には朝向こうを出て夕方金沢を出る典型的な地方中心ダイヤです。おまけに便によって始発は一緒でも経路が違うわけで、「宇出津・真脇特急」にしても、朝の金沢行きは珠洲始発で穴水までのと鉄道に沿って進むわけで、能都町から此の木までの経路が全然違います。珠洲からの便も、「宇出津・真脇特急」はともかくとしても、他の系統も微妙にお互い違うわけで、別個の系統の集大成に過ぎない印象です。

 金沢発の時間を見ても、昼以降概ね毎時1本の輪島系統を軸に、宇出津や大谷、珠洲が絡むわけですが、輪島系統に雁行するケースもありますし、見た感じ必ずしも乗車率がいいと言うわけでもないわけです。穴水方面には関係ないですが、門前急行線なんかは中型車両ですし。
 ここは金沢−穴水此の木−能登空港を軸にして、接続便の設定によるカバーエリアの拡大や実効便数の増加を計ったほうがよさそうです。あとはP&Rをもっと活用すべきでしょうね。

 さて、能登有料とはいっても羽咋の柳田(猫の目)ICまでは対面通行で、尾根筋を通りけっこう勾配がある路線なので、追い越し車線区間があるとはいえ鈍重なクルマが前を塞ぐと厳しいです。
 羽咋からは海岸線に出て日本海を望みます。防砂林や地形の関係で、手前の砂浜にあるはずの千里浜なぎさドライブウェイは見えませんが、終点近くまでオーシャンビューが続きます。
 国道バイパス経由で北陸道金沢森本ICを結ぶ白尾ICを出るとなんと対面通行(一部2車線になる変則3車線)で内灘に向かいますが、バスは内灘本線TBの先で有料道から分かれ、サンセットブリッジと名付けられた有料や県道より一段高い橋を渡ると金沢医大病院です。

 能登関係の特急バスの特徴として、金沢−医大までの区間輸送の任務があり、駅西に移転した石川県庁や駅西合同庁舎の足にもなっています。私が乗った便も、駅西合庁からの乗客がいましたが、2000円以上の運賃を払う中で170円というのは何ともアンバランスです。
 医大病院から向陽台に至る高台は内灘町の新興住宅地の趣ですが、その尾根の付け根に北鉄浅野川線の内灘駅があるわけですが、どう機能しているのか気になります。
 あとは日本海と河北潟に挟まれた準工業地帯や開発エリアを進み駅西口に至りますが、駅に向かう便は市内の混雑の影響を受けにくい西口に着け、出発便は東口のバスターミナル発と分けているのはうまいやり方に見えます。

***
 早朝の金沢を出てから12時間以上。ささやかな観光も挟みながらの行程でしたが、魅力ある能登の風物と、それをサポートする交通網とその改善が印象的でした。そして、16年前と同じような、いや、悪化した感もあるのと鉄道の姿には、競争に敗れた痛々しさというよりも、滅びるべくして...という冷たい評価をせざるを得ないものがあったことも確かなのです。

2004.11.16 Update

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