【検証:】掲示板過去ログ集

【検証:近未来交通地図】
(過去ログNo.092)
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『若い人たちの“鉄道離れ”を憂える』を憂える
 投稿者---551planning(2002/12/20 01:33:40)

『若い人たちの“鉄道離れ”を憂える』を憂える
└さようなら、僕らの「鉄道ジャーナル」
 └“鉄道離れ”ではなく“鉄道趣味離れ”
  └鉄道趣味とジャーナリズム追究の狭間で
「肩透かし」と新たな問題提起
 └「苦言を呈しておく」だけでよいのか
  └ついに・・・
   └Re:ついに・・・
└自分勝手か?〜「週刊鉄道の旅」を見て

 当方自身かなりの逡巡の末、一時の感情の下に本文を投稿することを先に記しておく。

***
 毎月と同じく月刊誌「鉄道ジャーナル」(RJ)03年2月号(No.436)を「早買い」してきた。いつものように巻末から読み始める。今回の竹島編集長の記述は『若い人たちの“鉄道離れ”を憂える』。未曾有の出版界の苦境下にあっての鉄道誌の状況分析を行っている。氏は5つの要因を挙げ、特に若い世代の活字離れ、ひいては「鉄道離れ」を憂いている。
 ・少子化…「男の子の乗り物好き」の時代から、少子化によるクルマ中心の移動が主となり、鉄道との付き合いが無いまま成長している
 ・別趣味…TVゲームなど現代的な遊びに夢中になり、鉄道に興味を持つことが無いまま成長している
 ・不況…当初は鉄道誌自体は影響を受けないどころか安定した「追風」的雰囲気があったが、これほど長く続くと…
 ・コピー…「コピー文化」の日常化により、必要な情報の取捨選択の下購買行動が減少している
 ・ネット…「読んで楽しむ」「情報を掴む」ニーズである鉄道誌が、信憑性は二の次でも速報性の高いネットに押されている

 生き方や“価値観”が急激に変化しつつある昨今、論じても仕方の無いことかもしれませんが、70年近くを鉄道趣味一途に行き、40年間を鉄道誌編集一途に生きてきた私としては残念に思うことも少なくなく、非常に複雑な思いです

***
 当方は社会的にはそろそろ「若い人たち」の範疇から…という年代にさしかかりつつあるが、氏から見ればまだヒヨッコであろう。そうした立場から甚だ僭越ながら反証してみたい。
 当方がRJを毎月購入し始めたのが1991年。高校生になったばかりの頃だ。それまではRFの比重が高いものの毎月買うまでに至っていなかった。よって「東西私鉄論争」だの国鉄民営化論など頂点というべき時代をリアルタイムでは見知っていない。
 「グラビア的」な読み方をしていたRFと違い、RJで教えられたのは「後ろから読む」ということ。当初は「タブレット」ありきではあったが、ナマの声で編集方針が如実に示される「乗務員室」「こちらジャーナル編集室」を先ず読むようになっていったのは、現在経済誌なぞを読むに至っても習慣となり、逆に「後ろがしっかりしていればそこそこ良いホン」と受け止める基準ともなっている。勿論「列車追跡」シリーズにハマったのは云うまでも無く、「バスコーナー」があってこその今の【検証:】的総合交通体系ありきの視点が養われたものと感じている。

 …そんなRJを最近はじっくり読むことがなくなったと改めて痛感した。学生から社会人になったということもあろうが、確実に「読ませる」記事が減っているという「事実」を認識するに改めて愕然とする。
 こうしてネットの片隅で趣味の一端に興じる当方にとって、最近のRJから得るものは「確実性ある情報確認」であり「論点のネタ・要素」でしかない。自身が伸張したとはおこがましかろうが、今のRJでの諸記事よりも【検証:】のみならず各所BBS等で日夜繰り広げられている議論のほうが余程魅惑的であり知識欲を掻き立てられるものは無いと感じている。
 かといってRJそのものが堕ちたというわけでもないとは思っていた…しかし今回の編集長の一文を読むに至り、この「鉄道の将来を考える専門情報誌」が向かおうとする方向性は、当方自身のそれとはかなり異質なもの、かつ当方には受け入れられるものではなりつつあることを認識することとなったと考える。
 すなわち、RJとしてここ数年の出版不況下において販売部数がさほど変わらなかったことがどのような結果をもたらしたのかを認識しているのかという点において疑義を感じざるを得ない。言い換えれば「こうした若年層へのアプローチの必要性を感じない」としているかのようなものではなかろうか。氏の挙げた要因はまさしく昨今のRJとして欠けた視点ではなかろうか。
 若年層に媚び諂え、というのではない。むしろカタログ的、技術紹介的な記事は確実に増えている。一方で懐古・郷愁的な記事が増えていることを実感されている方は少なくなかろう。そうした視点を求めている層が今のRJを支えているのであろうか…当方自身がそうであるように、半ば惰性的に購入を続けている層が実は多いのではなかろうか、と感じている。それが如実なのは「タブレット/読者論壇」の質の低下だ。ついにこの2月号で読者論壇が消え、タブレットは1ページとなった。採用どころか送った事すらない当方が云えたものではなかろうが、非礼を承知で云わせて頂ければ、今回の6編についても目新しいものはなかった。

 編集長は角度を変えた分析をと次号続きを明記されている。一縷の望みを託しつつ、その隣の3月号特集「東北新幹線開業と12月ダイヤ改正」という実質2号続きの内容に溜息をついてみるのであった。

***
 本投稿は一介のBBSで論じるのは危険かつ不毛かもしれない。しかしあえて書いたという当方の感情を多少なりとも汲み取って頂ける読者の存在を期待しつつ、批評を心待ちにしておく。

さようなら、僕らの「鉄道ジャーナル」
 投稿者---第三波平氏(2002/12/20 21:06:33)

 初めて投稿致します。よろしくお願いします。

 私が思うに正直な所、この雑誌は「ネタ切れ」の感が否めません。
 ここ数年の同誌の特集を見ると、(1月から)「新幹線→ダイヤ改正→東京圏→ローカル線→北海道→私鉄→京阪神→夜行列車→新幹線…」のループといった感じで、魅力を全く感じません。

 「タブレット」に関しても、こういう言い方も大変失礼に当たるのですが、ここ数年の号に関しては「実りない意見」しか見た覚えがありません。

 RJの「若者離れ」に関しては、一部においては去年の「あの騒動」がきっかけ…という勝手な考えがありますが、私は「知識を持ったライターがいない」という厳しい現実も背景にあるのでは?と感じています(これはRFにも同様のことがいえると思います)。

 鉄道趣味文化を育てるには、やはり若年層をどう取り込むかが必要で、ライターを育てることが必要ではないかと感じています。そのためにもやはり表面的ではない、踏み込んだ文が必要ではないか?と思います。

 支離滅裂な感じとなり申し訳ありません。
 駄文失礼いたしました。

“鉄道離れ”ではなく“鉄道趣味離れ”
 投稿者---和寒氏(2002/12/21 11:49:36) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 551planning様、自覚されているとは思いますが、かなり危険な内容ではないでしょうか。もっとも、かなりの部分私も同じ思いでいるのです。「惰性的に購入を続けている」のは、私にしても同じこと。もはやRJから得られるものはないという諦念をすら感じています。
 第三波平様の御指摘は正鵠です。特集のローテーション(マンネリ)は私が購読を始めた頃から言われ続けている事柄ではあるのですが、近年の展開には疲弊感が伴うこともまた争えない事実なのです。ものすごく文芸的な修辞で恐縮ながら、「熱が感じられない」といいますか。
 「知識を持ったライターがいない」という御指摘などもまさにジャストミートでして、今のRJには力量ある書き手がいません。少なくとも「交通の専門家」と呼ぶに値する方は皆無です。

 まあ、しかしこのあたりの批評は、今しばらく控えておきましょうか。というのは、中途で筆が止まっている「体験的『方法序説』」には、具体的なRJ評論を盛りこむつもりでいたからです。また、No.946やNo.1126は、RJ評論(というよりもむしろ後述する鉄道趣味評論)を実はかなりの程度意識しているつもりです。

体験的「方法序説」 log079.html

***
 根本的には鉄道趣味のあり方の問題にすぎない、というのが、私の認識です。“鉄道離れ”など冗談ではありません。No.946にも記しました。幹線鉄道や大都市圏鉄道は、今日もなお隆盛なのです。
 勿論、景気低迷や少子化の影響を受けている面はあります。モータリゼーションの高度化により、鉄道のシェアが食われているというのはまぎれもない事実ではあります。しかしその一方で、輸送実績という量は伸び続ける傾向にはあるのです。20〜50年前の統計データと比較してみても、あるいは時刻表に記載された列車運行本数を見ても、現在の方が過去よりもよほど隆盛だということが実感できるはずです。
 だから“鉄道離れ”などというのは自虐的なレトリックに過ぎないのです。勿論、生活の中で鉄道の比重が下がっていることは否定できない。でもそれは“離れ”でもなんでもない。たとえ“離れ”た分があっても、それ以上に需要が伸張しているのだから、全体としては隆盛なんです。
 それを“鉄道離れ”と認識してしまう。そこに鉄道趣味の問題があります。

 鉄道趣味には構造的な問題が内包されています。それは「鉄道らしさ」よりもむしろ「鉄道らしくなさ」を追求する傾向がある、ということです。具体的にいえば、
   ・ローカルな(さびれた)
   ・古い
   ・レアな(あるいはマイナーな)
 ものが趣味(興味)の対象になっている。これは鉄道という交通機関においては矛盾しているというしかないんです。
 鉄道という交通機関の本義は大量高速輸送にあります。それなのに空気輸送のローカル線が趣味の対象になってくる。
 古い施設は利用者・企業者にとっては更新・置換すべき対象であっても、趣味の世界では存置・保存すべき対象となってくる。
 特に車両の世界においては「1両しかない珍車」が尊重されるけれど、企業者にとっては車種を統一するに越したことはない。
 要するに、鉄道の本質や企業者としての当然の戦略と、趣味の方向性は、まったく合致していないのです。

 昭和30年代からローカル線はどんどん廃止に追いこまれ、その一方で幹線鉄道や大都市圏鉄道の整備が進んでいる。古い雑多な車両は淘汰され、これを淘汰した新型車両も新世代車両に置換が進みつつあります。さらに、会社を越えた同規格車両の投入も現実に向かいつつある。
 それが鉄道の現実であり、あるべき方向性なんです。そのなかに趣味性を見出すことができないまま、“鉄道離れ”を嘆いたところで、倒錯しているとしかいいようがない。実態は、鉄道の現実に“鉄道趣味”が追随できないでいるにすぎないというのに。

 RJの良さは、上記したような趣味性が薄く、冷徹とさえ形容できるほど現実を的確に認識し、卓抜した将来ビジョンを呈示し続けたところにありました。路面電車(LRT)・通勤鉄道・新幹線・特急列車・航空アクセス・高速バスとの競合・寝台列車・ローカル線・青函トンネル等々、呈示されてきた将来ビジョンには枚挙にいとまがないほどです。
 RJから将来ビジョンの呈示が見られなくなったのは、いつ頃からでしたでしょうか。将来ビジョン呈示なきRJには、本来の魅力があるとはいえません。
 そこへ“鉄道離れ”を嘆かれてしまうと、RJも所詮はただの趣味誌にすぎなかったかと、落胆を覚えざるをえません。RJを読んで育ってきた私としては、ガッカリです。

***
 なお、私は昭和50(1975)年蒸気機関車全廃直後からの読者であり、足かけ28年間の購読、読者論壇への採用が数回あります。以前は論壇に採用されることに喜びを見出し、かつステータスをも感じたものでしたが。

鉄道趣味とジャーナリズム追究の狭間で
 投稿者---551planning(2003/01/03 23:50:25)

 第三波平様、和寒様、返答が遅くなり恐縮です。
 お二人の御指摘については当方も賛同するものです。

 「鉄道趣味」の変遷をここで紐解こうとは思いませんが(仔細は鉄道ピクトリアル(RP)平成13年7月号に詳しい)、それまで主として車両面の分析追及が主であったところにジャーナリズム手法に基づく社会性の追究を掲げたRJという存在は、大いに異質であったと思われます。実際当方が鉄道誌の存在を知り得てから、RF=グラビア誌、RP=学術誌、RJ=情報誌という大まかな区分は現在に至るまで変わらないところです。
 SLブーム以降の「在来線回顧」的風潮が周期的に鉄道誌を覆う中で、その対極的存在である新幹線をRJが折に触れ取り上げてきたことは、改めてバックナンバーを見るにつけ瞠目させられます。しかも和寒様御指摘のように飛行機や高速バスといった公共交通機関を交えた視点を持ち合わせていたことは、まま鉄道に偏りがちなものを内包していたにせよ、評価に値するものであったと考えます。
 しかし、現在連載中の『さようなら、僕らのブルートレイン』に見るまでもなく、社会性の追究という根本的視点は何処へという記事がまかり通ってしまう現状を見るにつけ…一昔であれば「それでも潜在的需要は存在している」という視点があったはずなわけで(ただそれも鉄道に求める願望的要素が強いのであろうが)、あまりに一方的な惜別テイストだけの記事では…と思ってしまいます。

 「鉄道の社会性追究」という視座での提起は、一般的にすらなった廃線・未成線探求だけでなく、様々なアプローチがなされ、活字として商業ベースにもなっていることはここ数年特に感じるところです。確かに月刊誌という性格において部数の落ち込みが直接社業に繋がることは理解しますが、ここ最近RPにテクニカルながら都市鉄道へのアプローチとしての社会性追究姿勢を見出してもいる身としては、その分析もままならないままに「鉄道離れ」とされてしまうのはなんともはやと…。

「肩透かし」と新たな問題提起
 投稿者---551planning(2003/01/21 01:57:56)

 さて、RJ3月号を入手したので早速続きをば…と思いきや、話は思わぬ方向へと向かっていた。

 「雑誌の企画と編集部の姿勢」と題された中身は、鉄道ファン(RF)1月号の特集記事「下り“さくら”1350.5kmの旅」の手法について、本誌独自の企画として自他共に認め34年余の歴史を誇る「列車追跡」が全く同じ形で(本文ママ)あることに対する、義憤とまでは行かなくとも苦言を呈する内容であった。本件についてはRF編集部とも話し合いが持たれているともされており、RF側からも今後何らかの反応が示されるかもしれない。

鉄道ファン1月号 http://www.railfan.ne.jp/koyusha/bn/200301.html

 当方該当分については目を通していないので、現時点での詳しい言及を避けたいが、ただし竹島編集長はこう書かれていることに引っ掛かりを覚えるものもあった。

 最後に付け加えれば、私は編集者として他誌で活躍しているプロのライターやカメラマンには原則として執筆や撮影を頼まないことにしています。それが編集者の見識であり、優れた新しい人材を掘り起こし秘術を尽くして立派な雑誌を創ることが世の中の発展につながると考えているからです。

 このあとに「“アマ”と“プロ”の差がなくなってきた」と題して、前号の続きと思しき記述があるが、出版界では師匠弟子の関係のごとくプロになるまで厳しい指導を受けて育つものが、昨今では「トコロテン式にさして苦労もせず進む」ようになり、こと趣味界では昔からその傾向が強く、さらにはネットを通じての情報発信・収受するファンの急増で『鉄道(趣味)誌の領域を侵しつつあ』ると危惧、プロとして切磋琢磨しなければ誌の未来は開けないと締める、という流れである。

 ここで改めて感じるのが、我々がRJをはじめとした鉄道誌に何を求めているのかについて十分なリサーチがなされているのだろうか、という素朴な疑問である。そのキーワードとして、編集長自身が触れている「製作の閉鎖性」こそが挙げられるのではなかろうか。
 RFの件は確かに「ルール違反」かもしれない。特にリンクを見ればお判りのようにライターはRJでもたぶんに執筆していた人物でもある。編集長自身、技法そのもののパクリから何かひねりこそあればまだしも…と書かれているが、「列車追跡」の金看板を守るがゆえに疲弊した部分はなかったであろうか…。

 とりあえず速感までに。折角の新たな問題提起から、この先読者側から見た、かつ『領域を侵しつつある』立場の片隅にいるものとちょいとは自負する立場から、鉄道誌のあり方を考えてみたいと思う。

「苦言を呈しておく」だけでよいのか
 投稿者---第三波平氏(2003/01/21 21:10:00)

 当方RF読者の為、同誌の擁護みたいな形になりますが…

 寝台特急の乗車ルポ、となると20年程前に同誌が機関士の視点から書いた「特急さくら乗務ルポ」という特集を行ったので、この号ではその後の現状という形で行ったのだと考えています。

 ただ、同誌もネタに困っている現況は変わらず、ここ数年は寝台特急特集がやたらに多く今回の乗車記も違うアプローチから取り込みたかったのだと思います。

 ただそのアプローチを認めず、「パクリだ」と片付けるのはどうかと思います。
 『真似された、だったらそれを超え、真似されない記事を作ろう!』というガッツ性が出てくれば、と思います(とはいえ来月号の予告を見て「またか…」と再び深い溜息をついてしまいましたが)。

 月並みな台詞になるかも知れませんが、鉄道雑誌はこれから「紙のメディア」でしか伝えられないことを送るべき、と思います。最近のRPが「キハ55系」や「戦前形旧型国電」等の特集を送っているのも、その現れと感じますが…

ついに・・・
 投稿者---かもめ氏(2003/03/22 23:48:17)

 皆様、お久しぶりです。

 私も幼少の頃より鉄道趣味誌を愛読しておりました。もちろんRJ誌も例外ではなく、むしろ一押しの存在として夢中で読みふけっていました。

 ここ数年は皆様ご指摘のことを私も同様に感じておりました。そして来月号の予告を見たとき、「ついに・・・」とことばを失ってしばし呆然と立ちすくんでしまいました。

 ここ最近危機的な状況に追いこまれている他産業と異なり、鉄道界ははるか昔から「斜陽」「衰退」ということばがささやかれ、国鉄分割民営化という事態も訪れました。そうした中でも前向きな姿勢を失わず、時には「夜行列車全廃はありえない」といった厳しい口調で叱咤激励し、また他の交通機関の発達に関してもこれを前向きに受け止め総合交通体系の確立を訴え、10年前には「鉄道復権」を主張していたのがRJ誌です。そのRJ誌がついに・・・

 思えばこの前兆は半年ほど前の関西私鉄の特集の頃からありました。減りつづける乗客やブランド力・沿線の資産価値について、回顧や「時代は変わった」のオンパレード。もちろん少子化・デフレ・人口の都心回帰等一企業の努力だけではどうにもならない現実があることは事実ですが、それにしても最近の一部の一般雑誌にあるような「衰退を楽しむ」ととらざるをえないような論調がみてとれたようで悲しくなりました。

 竹島氏が雑誌を創刊し、今日まで存続させてきたという事実は、私などからは想像もできないような重みがあることは間違いありません。本当に心から、これまでの氏やスタッフの皆様の努力には頭を下げずにはいられません。だからこそ、何とかもう一踏ん張りを、と願わずにはいられないのです。

Re:ついに・・・
 投稿者---エル・アルコン氏(2003/03/23 23:24:48) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 鉄道雑誌が車両や路線ではなく、利用者の心理領域に踏み込んだ特集をメインに据えるのは極めて珍しく、RJにおいても1982年6月の「鉄道旅行の魅力をさぐる」、1999年4月の「鉄道と利用者の間で」の2回しかないはずです。
 前者は「旅情」を定性的に分析しようとした企画であり、後者は事業者と利用者のギャップを探ろうとした企画です。
 まあどちらも消化不良であったことは否めず、前者は編集長自身が失敗と認めていますが、次号の2003年6月号で1999年4月号より踏み込んだ、というかさらに事態が悪化した認識のテーマで特集を組まざるを得ないということに深い感慨を覚えます。

 ただ、このテーマは、実は1999年の前半や、2000年から2001年に掛けて断続的に取り上げられており、鉄道への不満を通り越して、鉄道自体が省みられなくなっているという認識(2000年12月号)も示されており、その意味では1999年4月号の時点で取り上げているべきテーマであり、その時点ではまだとは言っても遅くとも2001年の早い時期に問題提起をすべき事象でした。

 2003年の時点ではもはや現状を分析するいわば「あと追い」記事の域であり、「鉄道の将来を考える専門情報誌」であれば、その兆しが見えてきた時点で取り上げておきたかったテーマです。
 このあたり、1980年代の早い時期から幹線交通と高速バスの関係を的確に指摘してきた実績と対比しても、その遅れが誌面の質と価値に与える影響は分かるかというものです。

 ただ、1999年4月号も消化不良気味であっただけに、今回もその轍を踏まない保証はなく、その意味で敢えて自己否定にもつながりかねない難しいテーマに挑んだことが注目を集めます。

自分勝手か?〜「週刊鉄道の旅」を見て
 投稿者---第三波平氏(2003/03/17 22:42:40)

 RJ3月号の騒動ですが、RFは4月号でもは明確なコメントを避けていました。来月号以降に果たして載るかどうか…(相手にしていない、と見ることもできるが)

 さて、先日本屋で講談社「週刊 鉄道の旅」という雑誌を見たところ、竹島編集長の名が掲載されているのに気づきました。調べてみたところ、同氏は車両コラムについて毎週連載をしているそうです。

 これで感じたのですが、何故フリーのライターが他誌に掲載することに(上手い言い回しとはいえないが)クレームをつけ、その一方で自らは他誌に掲載を行う…551planning様のおっしゃる「製作の閉鎖性」感が否めないとおもいます。
 今回の騒動に関しても、この状況を見る限り、同氏の極端なエゴのように感じられるのですがいかがなものでしょう。

 今回のことは私も感情面で書いたところも多少あります。管理人様、この文章が見るに値しない不快な文章に当たるようでしたら削除願います。

ひかりからのぞみへ「?」(RJ記事への異論)
 投稿者---うり氏(2002/12/23 21:21:12)

ひかりからのぞみへ「?」(RJ記事への異論)
└ヒカリアン のぞみvsひかり
 └「周知の事実」と「問題の所在」に目をつぶる愚
  └Re:「周知の事実」と「問題の所在」に目をつぶる愚
   └岡山からみた新幹線特急料金を巡る攻防
   └東北新幹線のように
  └理論と現実の不整合(多少の推測こみ)
   └「出張パック」の脅威(?)
   └Re:理論と現実の不整合(多少の推測こみ)

 うりと申します。
 RJ記事への異論が私もあり、投稿した次第です。
 私の個人的な思いこみで事実と異なる点があれば、ご指摘願います。

 RJ1月号に、[今やビジネスマンにとって、『東京−大阪2時間半』が一つの尺度となった]という記述があります。これ以外にも、需要がのぞみの本数を増やしているという記述が多々見受けられます。

 仮にこれが事実であれば、同じ時間帯においてのぞみの指定券が売り切れでひかりの指定券が売れ残っているということが多々起こっていいはずです。
 ところが実際にはどうでしょう?
 新大阪発7時台、8時台、9時台前半の指定券を直前に買おうとすると、「ひかりの指定席は売り切れです。のぞみなら空いています」と言われることが、昨年(01年)10月「改正」以降、格段に増えてしまいました。

 ということは客のニーズはのぞみよりもひかりにあるはずです。ひかりの方がのぞみよりも指定券は取りにくいというのは01年9月以前も同じでしたが、01年10月以降は格段に取りにくくなったというのはれっきとした事実です。客の需要を取り込んだのであれば、のぞみを減便し、その分をひかりに回すのが筋ですが、実際にJR東海がやったことはその逆です。

 しかしながらRJ誌ライターは、我々のような一般サラリーマンとは違う次元でしか物事を見ていないようです。「のぞみの利用状況が伸び」たのは、単に列車本数が増えたからであり、どれだけの人がのぞみを能動的に選択したのかは、甚だ疑問です。むしろ、ひかりの指定席が取れなかったので止むなくのぞみを選択したという人が、のぞみの利用状況を伸ばしたのでは?と推測しています。
 本当にのぞみの利用状況が伸びたかどうかは、のぞみとひかりの座席の予約状況を比較し、ひかりよりものぞみの方が座席の予約率が高くなって初めていえることであり、誌面でそうした比較がなされていない以上、この記述を額面通り受け取るわけにはいきません。

 RJ誌には、JR東海の発表だけでなく、ひかりとのぞみの(1ヶ月前から当日発車までの)座席の予約率の推移をきちんと調べ、そうした上でビジネスマンが、運賃よりも2時間34分を選んでいるというのを数字で証明
してもらいたいです。
 本当にビジネスマンがのぞみを選び、のぞみにあぶれた人がひかりに止むなく乗っているのであれば、予約率の推移からその結果が出てくるでしょうし、なおかつJR東海もそれなりの取材協力は行うはずです。

ヒカリアン のぞみvsひかり
 投稿者---矢切氏(2002/12/24 09:52:30) http://www3.ocn.ne.jp/~skylark7/

  「ひかり」が「のぞみ」よりも先に指定席が売りきれるという話は、以前にもここであったかと思います。その時は、会社が出してくれる旅費は「ひかり」の金額でしかないとか「ひかり」回数券の現物支給であることがあり、こうした人たちが「ひかり」を志向するという話がありました。これが「ひかり」混雑の大きな理由でしょう。

好調、「のぞみ」の新神戸全面停車 log048.html#6

 回数券などの現物支給でなくのぞみ料金相当のみの差額を自腹で買う人だけを調査対象にしたばあい、ひかりとのぞみのどちらが人気列車なのかが気になります。970円で30分を買う人と買わない人が多いか。

 静岡や米原停車の列車が仮にひかりとすると、のぞみとひかりの指定席に料金差があれば、本来静岡や米原の利用者を乗せるべき列車が混んでしまいます。米原からの上りなど指定席利用志向が強いのに。ひかりとのぞみの指定席料金は同額であってほしいなと、私は思います。多少ひかりが値上げでも私は構いません。

「周知の事実」と「問題の所在」に目をつぶる愚
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/12/24 13:32:31) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 この論点については料金問題のリリースをベースに書きたかったのですが、意外な形でスタートしてしまいましたね。

***
 まず現状の話から。
 うりさんのおっしゃる通り、昨年10月改正後は「ひかり」の入手難が激しくなっており、特に上り列車の午前便はひどく、東京着が14時近い便まで空いていない事が多く、これではビジネスに使えません。そうした中でもサイバーステーションを見ると、「×」の行列の中に規則正しく「○○...○」と「のぞみ」の空席が目立っています。なお、これを見て明日以降の状況をご覧になっても、既に仕事納めも近い状況ゆえどの列車も空席という「異常事態」になっていますので念のため。それでも満席は「ひかり」だけですが…

 私自身RJ1月号の記事は鼻で笑い飛ばしたのですが、そもそも毎時1〜2本から2〜3本に増発しているうえに、「のぞみ」指向が高まっているのであれば、「のぞみ」のシェアが50%程度の上昇を見せていないといけないんですが、そうでないということは単に受給バランスを崩しただけということです。
 このことは「常識」の域なんですが、それすら書けないというのは情けないです。もちろん何かを慮っているという可能性も否定できませんが、それではその記事にとどまらない誌面全体の信憑性を著しく下げますし、見ていなかったら記者の取材能力(サイバーステーションを見るだけでわかる話)が厳しく問われるというわけで、いずれにしろ雑誌にとってはマイナスです。
特に、80年代の誌面に惹かれて読者になった世代が、今まさに出張で新幹線を乗りまわしているわけで、雑誌のマーケティングとして最低の結果を招いているのです。

***
 さて来秋の改正に伴う「のぞみ」中心ダイヤと料金改定で、「のぞみ」への自由席設置と自由席料金の据置、そして指定席料金は「のぞみ」料金は値下げするものの料金格差を維持という方向での調整という話ですが、これも実質と実体を見れば全くメリットが無いのです、

 東京−大阪間での新幹線利用のデフォルトは言うまでもなくビジネスきっぷ。自由席回数券よりも安いのですから、最初から自由席しか使えない切符で乗車する人は少ないという基調をまず押えないといけません。ですからここで最大の論点は「のぞみ変更券」が現状の2350円からどこまで下がるかという一点なのです。「のぞみ変更券」=「のぞみ回数券」=「個札−約200円」という強気の設定こそが「のぞみ」が使われない理由であり、これこそが「東海道新幹線 ここが不満」(エクスプレス予約の宣伝から)なのです。

 もちろん来秋以降は「のぞみ」を避けていたら仕事にならないので、「のぞみ」利用は確かに各社とも「解禁」されるでしょうが、ここに重大な落とし穴があります。
 多くの企業が現在「のぞみ」利用を認めていないのは、たかだか30分弱の短縮に約20%、2350円のコストアップを容認していないからです、よしんばそれがそれなりの効果があるとしても、このご時世に経費を20%もアップさせる大盤振る舞いを認める企業などありません。
 それが例え「値下げ」になるとしても、従来の「ひかり」利用よりも値上げであれば同じことで、経費の総枠が増えることはないのです。現下の経済環境で、経費増額なんていう予算、提出することすら憚られます。

 つまり、出張する個人レベルでは「のぞみ」が使えるようになるのですが、トータルでの出張回数は単価が上がるぶん確実に減ります。それならまだ良いほうでして、絶対に発生するのが旅費規定、出張規定の見直しであり、今まで安易に出張していたのを削減する方向に働き、かつ、現状よりも経費削減の方向に動くことも充分有り得ます。
 これが何を意味するか、JRCにとっては増収どころか減収の可能性もあるということです。今まで巷間囁かれていた不満は個人レベルでの「のぞみ」禁止の問題でしたが、その旅費を支給する企業の予算枠の問題まで考えているのでしょうか。

***
 このあたりは一般マスコミでも分かっていないのであり、RJだけを責めるのはお門違いかもしれませんが、趣味誌ではなく専門誌を標榜するのであれば、率先して踏みこむべきテーマです。
 20年近く前、科学万博時の乗り継ぎダイヤが徹頭徹尾嫌われたという鮮やかな消費者性向の結果が出た事がありますが、この14ヶ月間の「のぞみ」と「ひかり」の利用格差もそれに負けるとも劣らない利用者からの「ノー」というおいしいテーマなんですが。

Re:「周知の事実」と「問題の所在」に目をつぶる愚
 投稿者---うり氏(2002/12/26 23:29:29)

 うりと申します。
 いろいろレス頂きまして、ありがとうございます。

 うりさんのおっしゃる通り、昨年10月改正後は「ひかり」の入手難が激しくなっており、特に上り列車の午前便はひどく、東京着が14時近い便まで空いていない事が多く、これではビジネスに使えません。そうした中でもサイバーステーションを見ると、「×」の行列の中に規則正しく「○○...○」と「のぞみ」の空席が目立っています。

 そうでしたね。
 サイバーステーションを見れば一発でわかりましたね。

 私自身RJ1月号の記事は鼻で笑い飛ばしたのですが、そもそも毎時1〜2本から2〜3本に増発しているうえに、「のぞみ」指向が高まっているのであれば、「のぞみ」のシェアが50%程度の上昇を見せていないといけないんですが、そうでないということは単に受給バランスを崩しただけということです。

 ある区間におけるのぞみの利用率、ひかりの利用率は以下の式で算出可能です。

のぞみ利用率(%)=[(座席数−空席数)/座席数]×100 (ひかり利用率も同じ)

 01年「改正」前後では、利用率の分母となる座席数がのぞみ、ひかりともに大幅に変更になっているため、分子に相当する利用者数のみの比較では、誤った結論に達することはみなさんご指摘の通りです。
 そこで上記の利用率を比較し、のぞみの利用率が上がり、かつひかりの利用率が下がったというのが数値的に示すことが出来て初めて、RJ誌の主張する「利用者ののぞみ指向」を説明することが可能となります。
 私自身はこのような数値を入手できる立場にないので、自らの体感による印象しか述べることが出来ませんが、自らの体感による印象では、01年「改正」後、ひかりの利用率は間違いなく上がっています。

 従いまして、仰せの需給バランスが崩れたというのは、私自身も感じているところです。

 東京−大阪間での新幹線利用のデフォルトは言うまでもなくビジネスきっぷ。自由席回数券よりも安いのですから、最初から自由席しか使えない切符で乗車する人は少ないという基調をまず押えないといけません。ですからここで最大の論点は「のぞみ変更券」が現状の2350円からどこまで下がるかという一点なのです。「のぞみ変更券」=「のぞみ回数券」=「個札−約200円」という強気の設定こそが「のぞみ」が使われない理由であり、これこそが「東海道新幹線 ここが不満」(エクスプレス予約の宣伝から)なのです。

 RJ誌は回数券のばら売りを基準にした議論が出来ていません。
 関西では、昼間時や土休日に、私鉄のみならずJRも高い割引率の切符を発売し、人々の行動はその安い切符により選択されている面もあるにもかかわらず、私が知っているここ数年来、RJ誌では回数券を基準にした人々の行動嗜好に基づいた記事を書いたことが無いように記憶しています。

 今回の場合も、正規運賃での差額(\970-)ではなく、ビジネス切符+のぞみ変更券(のぞみ変更券\2,350-)を元にした議論をすべきでしょう。
 私自身、現在ののぞみ変更券の意味は、実質的には「直前予約ペナルティー」だと認識しています。
 なぜならのぞみ変更券を買った多くの人は、ひかり指定席が空いていればひかりに乗ったけれども、ひかり指定席が空いていなかったので、立って行くくらいならペナルティーを払ってでものぞみで座っていく、という考えなのではないのでしょうか?(全員とはいいませんが、大多数はこうだと思われます)

 もちろん来秋以降は「のぞみ」を避けていたら仕事にならないので、「のぞみ」利用は確かに各社とも「解禁」されるでしょうが、ここに重大な落とし穴があります。
 多くの企業が現在「のぞみ」利用を認めていないのは、たかだか30分弱の短縮に約20%、2350円のコストアップを容認していないからです、よしんばそれがそれなりの効果があるとしても、このご時世に経費を20%もアップさせる大盤振る舞いを認める企業などありません。

 確かに01年「改正」以降、「ひかりの指定席がとれない」という理由だけでのぞみに乗れるようになってしまいました。
 これだけなら、まさにJR-Cの思惑にはまってしまったのかもしれません。

 しかしながら、今後は出張費削減を目指すというよりも、出張そのものの削減のため、本社機能の東京集中を後押しするのではないかと危惧しています(私は現在関西在住です)。
 ただ、こうなってくるとJR-Cvs一般企業という図式にとどまらず、関西の自治体として新幹線値上げ阻止に動く必要があると感じるのですが、いかがなものでしょうか?
 企業からの「ノー」は静かですが、目に見える形で現れます(話が飛躍してしまい、すみません)。

岡山からみた新幹線特急料金を巡る攻防
 投稿者---あんぱん氏(2002/12/27 18:04:26) http://homepage1.nifty.com/m-fujii/

 おひさしぶりです。あんぱんです。

 RJ1月号では実態を無視している内容に憤慨した口です。こだま号やら静岡の問題をはっきり取り扱ってほしいものです。

 東海道新幹線の来年秋からの料金設定について、利用者から見えればかなり良い方向へ検討が始まりました。のぞみとひかり・こだまの料金一本化は行う方向でJR東海社長の発言がいままでもありましたが、のぞみ自由席設置が出てくるとはという感じです。
 来年秋のダイヤ改正では、因美北線・山陰本線の鳥取〜米子・境線の高速化事業完成によりSはくと号の増発・いなば号の置き換えによるスピードアップと増発、マリンライナーの新車投入という、中四国地域医では久々の白紙ダイヤ改正と呼べる大激変になります。
 のぞみの取扱についてはJR西日本の施策とも密接に絡んでくるので、岡山在住の私の考えを書きます。

 山陽新幹線では、レールスターの高乗車率は定着した感があります。伊丹〜板付線では減便されましたので、阪神淡路大震災の年すら下回る山陽新幹線の利用者数の中ではかなり良い成果を上げることが出来たと言えるでしょう。
 一方で課題も沢山あります。こだま号の大幅な乗客数の減少であります。前年比40%減とかの凄まじい数字です。
 これは広島を中心とする高速バス路線は毎年億円単位で赤字を出している中国JRバスが会社の生き残りをかけて都市部のバス路線すら撤退(岡山営業所の一般路線を来年3月限りでほぼ完全に廃止したり、広島市内の路線減便を行った)を行い、経営資源を高速バスへシフトしております。今年だけで、広島〜福山線の復活、広島〜岡山線と広島〜下関線を開業しております。車両仕様を下げて定員を大幅に増やし、在来線普通運賃を完全下回る運賃設定を行っていることが特徴です。広島都市圏はバス利用に抵抗感がない地域だけにビジネス客の利用が多く、1便辺り20人程度と完全に採算ラインに乗っております。来年3月には鬼門とも言える岡山〜姫路線を中鉄・神姫と共に開業させます。
 広島都市圏ではダイヤ改正ごとに快速列車の増発が行われておりますが、広島〜岡山間の快速は昼間の減便が行われております。福山〜広島間の高速バス対決ではJR側が今年割引切符の体系を見直したことからJR在来線の完敗が印象づけられました。

 この様な中で、新幹線は硬直化した料金設定のお陰で、利用者は所要時間の短さのみで新幹線を選ぶ状況になっています。
 指定席に対して割高感がある短距離ではレールスターの自由席を選ぶ状況になっており、レールスターがのぞみ非停車駅救済という意味合いもあり、レーススターの自由席は凄まじい混雑になっています。もちろん、近距離ではレールスターとの所要時間が殆ど差がない特別料金が必要なのぞみは西へ行けば行くほど、空気を運ぶ状態になっています。
 こだま号は途中駅の利便性確保の意味合いから、他社比べて桁違いの本数を運行しております。それでも高速バスの影響は深刻になっているのは先ほど書いたとおりです。100系への置き換えに合わせて、空気を運ぶくらいならということで、4列シート化に踏み切ったわけですが、博多南線や新大阪口など混雑する区間では乗客から不評で、朝晩にこだま号の増発を行うハメになっております。また、こだまは所要時間が延びても節電運転に心がけてきた(年間数億円の運転経費が節約できた)のですが、今年秋のダイヤ変更では最高速度の引き上げもなく広島〜岡山間で10分程度の所要時間短縮を行いました(グランドひかりのこだま化では230km/hから220km/hへの最高速度引き下げが行われています)。

 JR西日本としては、乗車率を均一にすることが一つの経営目標になっており、のぞみ号が他の幹線列車と同じ特急料金取扱になり、のぞみ号に自由席が設置されれば、レーススターの増結増発は不要となり、また利用者の要望が多い速達列車の増発効果を期待することが出来ます。航空会社としては羽田〜岡山間を狙い撃ちにしており、JR西日本も殆ど余裕の無い設備投資を東京〜岡山・広島間のひかり号向け700系B編成新車投入へ集中させていることから、一刻も早いのぞみ料金の廃止を求めているでしょう。
 私としては来年秋のダイヤ改正で、新幹線特急料金でのぞみ料金が廃止される形となり阪急京都線みたいなこと。静岡・滋賀県内非停車タイプの列車はのぞみ号を名乗り、これ以外の速達列車はひかりを名乗る形になるだろうと予測しております。

東北新幹線のように
 投稿者---しんたろー氏(2003/01/23 17:15:29)

 東北新幹線では列車ごとにそれぞれ役目が分けられているが、東海道新幹線では半数近くのひかりがのぞみと停車駅は同じでも遅く走っている。自分はどうせ遅いのだったら停車駅を増やして、東北新幹線のように役目分けを行なったほうがよいのではないのだろうかとおもう。停車パターンも考えてみた。


























 のぞみ
 ひかり
 こだま

 このように大都市間はのぞみ、静岡などの中都市はひかり、それ以外はこだまという風に役割を分けてみた。またのぞみ料金は廃止にするのが望ましい。

理論と現実の不整合(多少の推測こみ)
 投稿者---和寒氏(2002/12/24 14:46:51) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 より高度なサービスにより高い対価を求む、というのは理論として正当であり、そういう戦略をJR-Cが採ることじたいを利用者は妨げられません。また、短縮時間に対する対価は理論的な時間評価値に概ね合致しており、価格設定にもそう無理な点はないはずです。
 また、ビジネス層においては所要時間が最も高く評価されることが理論上経験的に知られているということ、極めて個人的感覚ながら自分自身に「のぞみ」料金に対する抵抗が全くないことから、「のぞみ」シフトは私個人としては支持しうるところではあるのです。
 しかし、現実はそうではない、ということですね。所要時間の短さが支持されていないということは、要はその障壁として、利用者の価格抵抗が大きいとしか解釈のしようがないわけです。
 以上のように、理論と現実が整合しないのですから、その現状を分析するにあたっては、なぜ整合しないのかという問題意識を持っていなければ、相応の誌面は構成できないということにつながっていきます。

 付加価値の高いサービスにより高い対価、というテーゼは、実は国鉄の分割民営化の前後に賞揚されはじめたものです。RJの誌面でも、そのことを具体的に言及された当事者がおられます。
 分割民営化という時機は、国鉄にとってはむしろ最苦境の時ではありましたが、全国的にはバブル最盛期に向かう絶頂への登り坂だった、という点に留意する必要があります。この未曾有の経済状況下において当時の感覚のままでいいのか、という批判精神を持って現状を見てもいいのです。
 もっと単純にいえば、在来線で「スーパー○○」と「○○」に料金格差をつけている事例はありますか、という点から出発してもいい。それだけのことです。

 「のぞみ」賛歌を書くのはよいとして、私ひとりが支持しえても、幅広い支持(あるいは納得)が得られない内容であるならば、それは良い記事とはいえないでしょう。この事例の場合は、分割民営化時の熱気をそのまま持ち越している観がありますが、いつまでもそのままでいいのでしょうか。
 最近の号に懐旧的郷愁的な記事が闇雲に多いのは、「感覚」の時計がどこかで止まってしまったからではないかという危惧すら覚えてしまうのですが。

「出張パック」の脅威(?)
 投稿者---RAH氏(2002/12/25 00:18:37)

 すでにご承知の方も多いと思いますが、JR東海は20日の会見で、「のぞみ」の料金値下げ、自由席設置を発表しました。
 どの程度下がるのか、「ひかり」「こだま」の料金はどうなるのか興味深いところですが、さすがのJR東海もこのままではまずいと気付いているのは確かでしょう。

 閑話休題。先日私は国内某所に日帰り出張しようとしたところ、総務から「宿泊付の出張パックの方が安いから前泊するように」と指示されました。
 出張前夜も翌朝も本社にて用事があったので何とか日帰りを認めてもらいましたが、わざわざ日帰りできる場所を前泊しろというのも納得いきませんが、往復の交通費よりも宿泊付の方が安いなんて何だかなあ、という気分でした。

Re:理論と現実の不整合(多少の推測こみ)
 投稿者---うり氏(2002/12/27 23:16:00)

 うりです。

 より高度なサービスにより高い対価を求む、というのは理論として正当であり、そういう戦略をJR-Cが採ることじたいを利用者は妨げられません。また、短縮時間に対する対価は理論的な時間評価値に概ね合致しており、価格設定にもそう無理な点はないはずです。

 極めて高い参入障壁を持つ新幹線事業において、ニーズの高い列車は需要が供給を上回っているのに、ニーズの低い高付加価値列車を増便するという行為に対しては、公的機関より何らかの足枷をはめられてもおかしくはないと考えます。実質独占企業による実質値上げであれば、公取が動いて当然ではと思います。

 また、ビジネス層においては所要時間が最も高く評価されることが理論上経験的に知られているということ、極めて個人的感覚ながら自分自身に「のぞみ」料金に対する抵抗が全くないことから、「のぞみ」シフトは私個人としては支持しうるところではあるのです。
 しかし、現実はそうではない、ということですね。所要時間の短さが支持されていないということは、要はその障壁として、利用者の価格抵抗が大きいとしか解釈のしようがないわけです。

 多くの利用者は2,350円を払ってまで30分を節約したいわけではないということですね。逆に「ぷらっとこだま」のように、1時間余計にかかることを承知で安く利用したいという需要も確かにありますが、この切符が入手難でもないことから、多くの利用者は12,000円で3時間かけて東京−大阪を移動するのが、費用対効果の面で最も妥当であると考えているのではないのでしょうか?

 以上のように、理論と現実が整合しないのですから、その現状を分析するにあたっては、なぜ整合しないのかという問題意識を持っていなければ、相応の誌面は構成できないということにつながっていきます。

 そのためには、下記アンケートを実施し、信頼できるサンプルから出てきた結論に基づいて議論をするしかないと私は考えます。

問:東京-大阪間において、ひかりとのぞみの差額(のぞみ変更券)がいくらであれば、あなたはひかりよりものぞみを利用したいと考えますか?

(1)1円でも高ければのぞみは利用しない
(2)のぞみ変更券が500円以下なら積極的にのぞみを利用してもよい
(3)のぞみ変更券が1,000円以下なら積極的にのぞみを利用しても良い
(4)のぞみ変更券が1,500円以下なら積極的にのぞみを利用しても良い
(5)のぞみ変更券が2,000円以下なら積極的にのぞみを利用しても良い
(6)現在でも積極的にのぞみを利用している
(7)わからない
(8)その他

ちなみに、私の回答は(3)です。

 「のぞみ」賛歌を書くのはよいとして、私ひとりが支持しえても、幅広い支持(あるいは納得)が得られない内容であるならば、それは良い記事とはいえないでしょう。この事例の場合は、分割民営化時の熱気をそのまま持ち越している観がありますが、いつまでもそのままでいいのでしょうか。
 最近の号に懐旧的郷愁的な記事が闇雲に多いのは、「感覚」の時計がどこかで止まってしまったからではないかという危惧すら覚えてしまうのですが。

 鉄道雑誌である以上、懐古的な記事がある程度出てくるのはやむを得ず、かつ一読者としてもそれを期待している場合もあります。
 しかしながら最近のRJは寝台列車の懐古的な記事を始めとし、「昔はこうだった」的な記事が増えてきたと、和寒さんだけでなく私も感じております。逆に、現在の寝台列車の何が問題で、何処をどう改善すれば乗ってもらえる列車になるといった、現実的な提案というものがほとんどありません。
 過去に、「寝台列車の旅客収入の振り分けは線路長により行われるが、新車製造時等は、新車を導入した旅客鉄道会社に多く振り分けがなされるのがよい」といった提案がありました。RJ誌としてはこれでも具体的なのかも知れませんが、世間一般では、これでは抽象的としか言いようがありません。他の提案は言わずもがなです。

 当然このままでよいはずはなく、だからこそ何をどうすればよいのか、RJ誌として具体的提案を示すべきではないのかと、私自身思うのです。
 巷でよく聞く、最終のぞみを逃した客に対しのぞみ回数券で急行銀河を利用させるべきだ、などという具体的提案に対し、鉄道誌としての考察を加えて適切な提言を導き出す・・・といったことこそ、今のRJ誌に求められているのでは、と言う気がします。

「のぞみ」と「昼特急」と「青春18」の経済学 log093.html#6
「のぞみ」シフトを検証する 
special/015.html

2004.11.02 Update


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