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CTC ≪特別企画≫成田新高速鉄道を考える
(過去ログNo.160)
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都心側ターミナルとしての上野・日暮里の価値をどう上げるか
 投稿者---矢切氏(2002/05/28 22:00:31)
 http://www3.ocn.ne.jp/~skylark7/

都心側ターミナルとしての上野・日暮里の価値をどう上げるか
└Re:都心側ターミナルとしての上野・日暮里の価値をどう上げるか
└上野・日暮里の大改良+αは必要では?
 └Re:上野・日暮里の大改良+αは必要では?
 └上野・日暮里の大改良:やれれば文句はないけど不可欠ではない。
  └Re:上野・日暮里の大改良:やれれば文句はないけど不可欠ではない。
   └「グロス」とは何ですか?&モノレールは京急に「負けた」のでしょうか?
    └「グロス」と「ネット」&モノレールは無用で
                     機能していないアクセスとは言っていない・・・
     └モノレールの話は例として不適?&日暮里改良は新高速と関係ない
      └Re:モノレールの話は例として不適?
 └誰との競争に税金を使うのか?
  └一連の過去の議論を踏まえながら・・・税金(補助金)投入について一言
   └「必要性?」
    └必要性と議論の根本にかんする「見解の相違」
      └単純な誤解に関する件のみ取り急ぎ
     (乗り入れは必ずしも相互直通にあらず)

(以上前ページ)

└現実と妄想の狭間に入り込んでしまったアクセスターミナル改善議論
 └現実と妄想のアクセスターミナル改善議論に妄想を重ねれば
 └JRを仮想敵とみなすのはいかがなものか
  └掻い摘んで私の私見を御返答です。
 └「シビルミニマム」論自体が幻想では?
  └日暮里駅改良工事に関する一連の見解の相違についての意見
  └「シビルミニマム」論自体が幻想では?に対する御反論
   └現在の「先進国」では「シビルミニマム」論自体が幻想かもしれません
    └Re:現在の「先進国」では「シビルミニマム」論自体が幻想かもしれません
    └「先進国」だからこそ「シビルミニマム」論を語れるのでは?
     └「先進国」の「シビルミニマム」論 いろいろ御回答ありがとうございます

▽前ページより

現実と妄想の狭間に入り込んでしまったアクセスターミナル改善議論
 投稿者---TAKA氏(2002/06/10 18:34:50)

 見ず知らずの方から誠意不足を指摘されるというのが掲示板のパワーなんだなと感じておりますが、

※正直言って私は皆さんと意見が違えども真面目に議論していたつもりですから・・・多少きつく失礼な表現になりましたが、敢えて言わして頂きました。
 少なくとも私の意見が全て正しいとは絶対言いませんが、根拠のない世迷い言や妄想を言っているつもりはありません。

 題名がすべてですが、京成上野駅と御徒町付近との新線建設を意図しております。「浅草線東京駅乗り入れ」の「乗り入れ」と同意。直接京成上野駅に乗り入れて新宿副都心とのアクセスを強化する趣旨です。

※乗り入れ=接着という意味で使われたのですね?私は単純に相互乗り入れと理解しましたので前の様な書き込みをしました(少なくとも具体的内容について言及がなかったので・・・勝手に解釈しましたその点はお詫び致します) 。

※京成の弱い新宿方面のアクセス改善に仮想敵のJRでなく大江戸線を使うと言う考えは一理あると思います。又私も新宿方面のアクセス改善は出来ることならしたいと思います。
 しかし大江戸線に上野御徒町(上野広小路)〜京成上野間に枝線を作ることには非常に困難な問題があると思います。

  1. 中央通り下の地下駐車場・地下通路との整合性をどう取るか?(都市計画決定済みにて、準備工事が始まっている)
  2. いったい幾ら掛かるのか?(中央通り下には銀座線が浅い面にあり銀座線をアンダーピニング(新しい基礎で構造物を支えてその下を掘削する工法)しながらの工事は距離当たりの金額が高額の筈)幾ら地下駐等と一括施工しても費用は浅草線東京駅接着の約1300億円を笑えない金額になるはず・・・
  3. それだけの工事をしていったいどれぐらいの利用客が望めるのか(=日暮里乗換に対し対新宿でどれだけ優位に立てるのか?)
  4. 準環状線の大江戸線に枝線を作りその枝線の運行形態をどうするのか?

 私がざっと考えてもこれだけの問題点がすぐ浮かんできます。それでも現実的なのでしょうか?
 私にはまだ妄想の類にしか見えない夢物語の様な気がします(きつい表現ですいません)。

※そう考えるとお手軽な?対新宿アクセス改善は仮想敵のJRを利用する形の日暮里改良の方がまだ現実的でしょう?

  1. まだ地上の工事であるから、工事の内容により違うにしろ京成日暮里駅だけなら数十億円の費用で済むはずです。
    (少なくとも100億円を超える駅改良工事となると非常に大規模な改良内容が行えます)
  2. 効果波及範囲が広い=恩恵を受ける人の数が多い
    (日暮里改良→山手線新宿〜秋葉原間・京浜東北線秋葉原〜大宮間)
  3. JRが妨害しなければ少なくとも大江戸線より山手線・京浜東北線の方が競争力が高い
    (新宿西口〜上野御徒町間17分・新宿〜日暮里間20分、日暮里〜上野御徒町間が京成上野に大江戸線が接着しても3分では結べないはずだから日暮里乗換の方が優れている?)
  4. 総合的な日暮里駅改良工事を行えば成田新高速鉄道利用客=空港アクセス客以外にも受益者は多い
    (その利用客もしくはその鉄道会社に受益者負担をさせれば相対的な公的資金は少なくて済むし、それをさせないとしたら便益者が多い分こちらの方が社会的にも有効)
  5. 相対的にこちらの方が費用対効果は高い。

等々のメリットが上げられます。日暮里駅の設備的キャパシティが成田新高速鉄道利用客に耐えられ乗換抵抗も少なく、だから改善の必要性が無く、従って日暮里駅改良工事が不要というなら、その説明の論拠が理屈が通っていれば十分な議論にもなろうかと思いますが、正直言ってこれでは妄想と現実論の議論で議論にはならないと思います。

日暮里 現実と妄想のアクセスターミナル改善議論に妄想を重ねれば
 投稿者---さいたま市民@西浦和氏(2002/06/12 01:43:11)

 こんばんわ。TAKAさん。樫通さん。みなさん。
 とても貴重な意見だと思います。どんどん異論をぶつけ合いましょう。そうすれば、どこがかみ合っていて、どこがかみ合っていないか、どの認識が共有できていて、どの認識が共有できていないのかがわかります。私などはそれを繰り返してずいぶん勉強になっています。この掲示板はそういうことのできる板だと思います。
 私などは自ら「妄想担当」と割り切って投稿しています。ただ、自分なりの客観性や実現可能性のありそうな妄想のつもりです。お金のことや現在の政治のことはちょっと疎いのですが…。

 さて本題です。私も上野駅再開発や日暮里駅再開発について妄想を開陳しましょう。皆さんのご参考になれば幸いです。

樫通さん:
★題名がすべてですが、京成上野駅と御徒町付近との新線建設を意図しております。「浅草線東京駅乗り入れ」の「乗り入れ」と同意。直接京成上野駅に乗り入れて新宿副都心とのアクセスを強化する趣旨です。

 なるほど、東京駅接着線の京成上野版ですね。これはむずかしいでしょう。でも、大江戸線でも銀座線でもいいからホームタッチしたらなあ、とずっと思っています。私は銀座線を公園方向へ曲げて京成上野駅へ並べてほしいです。

TAKAさん:
※京成の弱い新宿方面…JRでなく大江戸線を使うと言う考えは一理ある…新宿方面のアクセス改善は出来ることならしたいと思います。

 大江戸線活性化とかを都がまじめに考えるなら、試してもいいかもしれません。

※しかし大江戸線に上野御徒町(上野広小路)〜京成上野間に枝線を作ることには非常に困難な問題がある…

 ここからは私の考えです。

*日暮里駅をどうするか
 確かに、京成側はJR連絡駅としてきれいにしましたね。しかし、1Fのホームが狭い。それにJR側はほとんど何も考えていない様子。東京都とか公共セクターによる駅の改修を期待して待っているように見えます。やはり、この駅の一番の人の動きは、常磐快速線対池袋方向の動きでしょう。
 また、谷中側から降りてくる道路もどうするのか?戦前からこの形態が続いているはずですから、大改良の必要性は誰もが認めるところではないでしょうか。
 こんな風にしてほしいなあ。という一例を。

*上野駅 京成上野駅 上野広小路駅
 現在構想、実現の可能性があるのは、京成上野駅〜上野広小路駅の地下の動く歩道と駐車場計画でしたね。これはこれとして、良しとしましょう。
 ただ、日比谷線上野駅〜銀座線上野駅〜JR上野駅南口〜京成上野駅と南北に並んでいますので、上記の動く歩道計画を、延長するというのはどうでしょう。現存の地下道(古くて天井低いのですが)を改良するだけでも出来そうな気がします。
 そして、京成上野駅をもう少し広く使えるように、西郷さんの下のおみやげ屋さんや映画館の入っているビル、昔カメラ屋さんが入っていたビルを改装して、一体とした京成上野駅を再構築するべきでしょう。ビルの分散の不利はそれぞれのコンセプトや役割分担を明確にすることで、人を回遊させられるのではないでしょうか。W杯をきっかけに、今後日本へ多くの外国人が観光旅行へ来ることは必至ですから、多国籍都市としての上野の中心となってほしいです。
 そして駅舎をきれいにしたJR上野駅ですが、「正面玄関」を復活させてほしいという妄想も持っています。昔あった車寄せスロープが無くなってしまって久しいのですが、バリアフリーを考えれば、正面玄関へタクシーを乗り付ける構造に、また、してほしいです。階段で上る歩道橋で覆われてしまった駅前広場をもっと立体的に使えるのではないかとも思えます。
 京成上野駅の車寄せも駐車場入口と兼用で、混雑時には入りづらいですね。池之端側から入るというのも遠回りです。先ほどの2つのビルの再開発のときに車寄せのJR側への移転も考えてほしいです。
 これらの再開発は、それぞれの企業単独では不可能でしょうから、上野公園の管理者なども含めて複雑な利害を調整しなければならないでしょう。専門家の方のご意見などもいただきたいものです。できるんでしょうか?

 そして対成田空港への輸送についてですが、目的地は一つであることは明白なのですが、どのような交通モードを利用するかというのは、利用者それぞれの認識で多層化しているのではないかと思うのです。直接タクシーという人もいるでしょうし、家族の自家用車という人もいるでしょう。そして京成を選ぶ人、JRを選ぶ人、NEXを選ぶ人、バスを選ぶ人と様々です。それぞれのモードは、基本的には補完関係にあると私は考えます。しかし、まだ、日本では案内表示の不備などから(特に飛行場から都心へは、競争関係にあるという発想が整備を邪魔しているとも思えますが)、一部モードへの集中が起こっているとも言えそうです。
 前にも書いたかもしれませんが、それぞれの地点から選択肢があればいいのです。渋谷も新宿も池袋も横浜もさいたまも…。「新宿だからNEX」「池袋だから京成」というのではなく、各地点で各モードに平等対等なチャンスを確保できるような交通の案内やサービスの設定ができればいいのです。アクセス整備もこれを実現するための一つの方法であると見れば自ずから整備の優先順位が決まってくるのでしょう。

 乱入乱筆ご容赦。お休みなさい。

JRを仮想敵とみなすのはいかがなものか
 投稿者---とも氏(2002/06/10 22:50:59) http://town-m.vop.jp/

 京成の弱い新宿方面のアクセス改善に仮想敵のJRでなく大江戸線を使うと言う考えは一理あると思います。又私も新宿方面のアクセス改善は出来ることならしたいと思います。

 新宿方面へのアクセス改善ならば、日暮里の改善の必要性は否定しませんが(というか改良自体は、建設中の舎人新線はどこに出来るの?とかJRの跨線橋はだれがつくるの?(JRが負担できるのか?)という問題が解決できるのなら大賛成です)、上野御徒町と京成上野はたかが350mです。建設中の地下歩道に動く歩道が整備できたら・・・大差はなくなりますね。
 そう考えると、上野のほうが現実的かつ有効と思います。大江戸線は深いとか使いにくいというのも理解しますが、山手線も駅が古いため案外荷物を所持しての乗り降りは不便であり、エレベーター完備の大江戸線に分があるともいえます。
 ましてや都庁前、六本木、青山一丁目、大門、飯田橋とホテルなどがそれなりに集積する地域を通過していますから、ロケーション的にも魅力的です。
 さらに、銀座線(上野広小路)経由銀座、赤坂、渋谷を押さえられるのも魅力的です。
 そう考えると、無理に山手線への乗り継ぎを図るのならば、上野の改良のほうが現実的ではないかとも思いますし、乗り入れも検討に値するのは事実です(現在の工事は見る限り準備工事にすぎず、連壁の施工が始まる前ならば修正可能)。

 乗り入れまでせずとも、京成上野〜上野御徒町の改良ができるのなら日暮里以上に効果も大きく、利便性が大きいと考えられます。
 大江戸線の活性化にもつながりますし。
 雑感ですが。

※JRを仮想敵とみなすのはいかがなものでしょう。JRと京成はそんな対立軸なのでしょうか?競争しあって共存する・・・という関係ではないのですか?
 東京圏を含め都市交通のあり方において、競争原理を振りかざしても巧くいかないですよ。世界中の国々で都市内鉄道の独立採算が成立している国が何カ国あるか・・・。日本、香港、あとは・・・

掻い摘んで私の私見を御返答です。
 投稿者---TAKA氏(2002/06/10 23:53:26)

※別に日暮里と京成上野は両方同時に改良してターミナルとしての役割を分けるべきであると思います(少なくとも日暮里と京成上野の関係は「ゼロサムゲーム」ではないですから・・・)。
 私案としては日暮里・上野に関しては以下の様に改良を考えております。

  • 日暮里はJRとの乗換駅として舎人新線・京成・JRの三者にて駅の改良工事を行う。京成関連に於いてはJR連絡通路・ホーム上コンコースの拡張を図る。又JR・京成の各ホーム等にエスカレータ・エレベータを整備して乗換抵抗の削減を計る。又可能ならホームの拡張を図る。
  • 京成上野は東北・上越新幹線と常磐線・東北線・高崎線との京成上野〜JR上野駅間の連絡の改善と同時に、地下鉄日比谷線・銀座線との乗換の改善を図る(中央通り下の既存地下道を拡幅し動く歩道を整備する等)。又この地下道を上野広小路にまでのばして大江戸線上野御徒町への乗換通路にする。同時に地下の一部分を改善してタクシー等の自動車交通機関のアクセス接続を改善する。

 正直言ってかかる費用、得られる便益即ち費用対効果で効率のいいターミナル改善になるとこれぐらいの内容が落としどころでしょう(これなら京成と成田新高速鉄道の負担はそんなに重くないですから・・・)。

※大江戸線に日暮里でのJR以上の効果を期待するのは無理でしょう。
 私見では大江戸線北側はそんなに便利な路線ではありません。もし上野御徒町〜京成上野間を便利な形で結んでも、利用される区間は東新宿〜月島間ぐらいでしょう。
 その上浅草線に成田新高速鉄道の列車が乗り入れたら大江戸線東側でも競争力を失うでしょう。
 私は大江戸線は「駅が深く地上にでるまでに時間が掛かり、その上に東京の都心の微妙な周囲を通っているので沿線その物に用事がないと使いにくい、又列車の運行速度がそれほど速くなく、列車間隔が開いているので意外に時間が掛かる」というイメージしか有りません(但し私のよく利用する区間は練馬〜都庁前〜新宿〜青山一丁目間なので其処でのイメージで他の区間を語るのには問題があるかとは思いますが・・・)。
 ですから私自身の体験からの考えでは「皆さん大江戸線の実力を買いかぶりすぎでは?」と言うことになるのですが・・・

 JRを仮想敵とみなすのはいかがなものでしょう。JRと京成はそんな対立軸なのでしょうか?競争しあって共存する・・・という関係ではないのですか?

☆「仮想敵」という言葉は比喩です。誤解を招きやすい表現であることは陳謝します。
 只JRと京成は成田空港アクセスではライバルですし、JRの日暮里駅を見ると「京成に成田空港利用客を誘導したくないからエスカレータ・エレベータも付けないでぼろっちいままにしているのか?」と勘ぐりたくなるほど、全然連絡の乗換抵抗改善に力を入れてないですからね・・・そう言うこともあり「仮想敵」という表現を使いました。
 只山手線の高田馬場の西武新宿線への連絡通路もそうですが、JRは他私鉄との連絡通路の改善にもう少し力を注いで欲しいですね!高田馬場なんかは西武は改良工事が終わって綺麗な連絡コンコースが出来ているのに、JRに入ったとたんに木製の壁のぼろい跨線橋でエスカレータ・エレベータは当然無しですから・・・ 私はJRが怠慢に思えてくるのですが・・・

☆それと都市内交通機関の独立採算は日本が非常に過密した都市構造で、鉄道利用客が非常に多いという特殊性の上に成り立っている物です。各個別の企業間での協力による利便性の向上は必要ですが(パスネット等)、都市交通の中で競争原理を振りかざすのも振りかざせるだけ、日本の都市交通には民間が生きていける適正な規模の市場があり、其処で市場内で競争と強調が行われることは、非常に素晴らしいことであると思います。只競争と同時に協調も同じぐらい必要ですが・・

「シビルミニマム」論自体が幻想では?
 投稿者---樫通氏(2002/06/11 02:58:39)

※正直言って私は皆さんと意見が違えども真面目に議論していたつもりですから・・・多少きつく失礼な表現になりましたが、敢えて言わして頂きました。
 少なくとも私の意見が全て正しいとは絶対言いませんが、根拠のない世迷い言や妄想を言っているつもりはありません。

★貴殿の仰せられる「シビルミニマム論」を施行した国家に成功例が無いという状況下で、現状の日本が如何にして貴殿の仰せられる国家へ変貌し、またそれに伴う益が損よりも多いという論拠はどこにあるのでしょうか? 過去10年ほどでも貴殿の仰せられる減税・緊縮財政の両方とも試行されましたが結果は成功とは言えません。政治状況等も考慮に入れた上で、具体的かつ実現可能なプロセスの案はお持ちですか? 無いのであればシビルミニマム論を前提として種々述べられている貴説は全て幻想を前提とした空論ということになります。幻想でないとしても根拠はありません。

※乗り入れ=接着という意味で使われたのですね?私は単純に相互乗り入れと理解しましたので前の様な書き込みをしました(少なくとも具体的内容について言及がなかったので・・・勝手に解釈しましたその点はお詫び致します)。

★具体的内容についての言及が無い以上、勝手な解釈に基づく前に確認のプロセスを持つのが誠意と言えましょう。

 日暮里駅の設備的キャパシティが成田新高速鉄道利用客に耐えられ、乗換抵抗も少なく、だから改善の必要性が無く、従って日暮里駅改良工事が不要というなら、その説明の論拠が理屈が通っていれば十分な議論にもなろうかと思いますが、

★日暮里駅改良工事の必要性は成田新高速建設に起因しないと考えております。理由は現状で上野・日暮里で14万人近くの利用客があり、1万人の上乗せでキャパオーバーは考えられないという点であり、この点も貴説と異なります。貴殿が何故1万人の利用客増(そもそも1万人という数値の根拠も小生は知らないのですが)で上野と日暮里のキャパシティーを超えてしまうとお考えなのかご興じいただきたく。

★一方でたとえ日暮里駅改良を行っても新宿副都心地区からのアクセスは現状と比較して改善はありません。都庁前駅周辺の副都心地区からのアクセス改善は大江戸線が最も効果的である点が大江戸線乗り入れの根拠です。なお貴殿がお考えの新宿西口付近の利用客は、新高速開通後もNEX利用が最善ですので小生としてはメリットと考えておりません。

★そもそも大江戸線乗り入れは、貴説の「日暮里駅ホーム拡張案」と同様、建設に際しての採算面での問題が極めて大きいという点を認識しているので「妄想」という表現をしております。ただし採算性度外視案の中では期待効果を得るためには比較的投資の少ない案と考えております。すなわち、採算性が悪いという点については当方も認識しており、一方で貴殿とは考えている期待効果が違っております。

★貴説の日暮里ホーム拡張案以外の施策は、貴説の「必要性」根拠とされている日暮里の乗り換え客処理能力不足にどのように役立つのでしょうか? 日暮里における流入と流出との能力差解決が無い以上、乗り換え所要時間の短縮用の各種施設整備は処理能力向上にはつながらないと考えます。

★日暮里ホーム拡張はどちらにスペースを設けるのでしょうか?

日暮里駅改良工事に関する一連の見解の相違についての意見
 投稿者---TAKA氏(2002/06/12 23:43:39)

 此処では貴君との日暮里駅改良工事にかんする具体論としての見解の相違について一応最後の御回答として私の見解を述べさせて頂きます。

★具体的内容についての言及が無い以上、勝手な解釈に基づく前に確認のプロセスを持つのが誠意と言えましょう。

※確かに仰有るとおりですが、そう仰有るのなら具体的内容せめて勝手な解釈をしなくても済むぐらいの解説を一行ぐらい付けて頂けるのが親切ではないのでしょうか?確かに勝手な解釈をしたのは私の責任で不徳の致し所ですが、はっきりした説明もなく誤解を招く様な表現を放置している方に、上記の様に言われるのも小生としては釈然としない物を感じます。

★日暮里駅改良工事の必要性は成田新高速建設に起因しないと考えております。
 理由は現状で上野・日暮里で14万人近くの利用客があり、1万人の上乗せでキャパオーバーは考えられないという点であり、この点も貴説と異なります。貴殿が何故1万人の利用客増(そもそも1万人という数値の根拠も小生は知らないのですが)で上野と日暮里のキャパシティーを超えてしまうとお考えなのかご教示頂きたく。

※1万人の根拠は現在の成田新高速鉄道の需要予測3万3千人の内、浅草線・京成上野・日暮里に3分の1ずつ分かれるのを前提にして約1万人と言っています。
 ちなみに京成上野・日暮里合わせて1万人ではありません。上記の話は日暮里駅改良に話で出した数字で其処で京成上野については触れていなかったので、こちらは日暮里だけを前提にして話をしていました。
 貴方みたいな方が居るのを前提に全て事細かに説明して解説を書いておけば良かったですね・・・

※確かに日暮里の改良を成田新高速鉄道に結びつける必要性はなく京成が単独で行うべきと言う考えも現在の日暮里の使用客に対する、空港アクセス客の比率を考えると納得は行きます。
 只現況のまま日暮里を放置するのも問題有りと考えます。少なくとも民鉄の幹線で山手線に接続するターミナルとして日暮里は日暮里その物の都市の魅力が低いにしても貧弱と考えます。
 では何故日暮里改良を成田新高速鉄道に結びつけようかと言えば、日本のインフラ整備の特筆性があります。
 何故かと言えば、何も問題がない時やイベント・プロジェクトがない限りなかなか大規模な思い切ったインフラ構築の投資を積極的にしようとしない性質があります。
 東京オリンピックに対する首都高速、長野オリンピックに対する長野新幹線・上信越自動車道等々です。
 そこまで言うと大げさですが(別に問題・イベント・プロジェクトが無くても地下鉄整備・道路整備等は計画を作り着々と進んでいますから)、何か大規模なインフラ改良工事を行うのに何か触媒となるきっかけが重要なことは否定できません。それで日暮里駅改良を成田新高速鉄道と結びつけ問題・イベントに変わる触媒たるプロジェクトとして成田新高速鉄道を活用すべし、成田新高速鉄道を日暮里駅改良の大義名分にすべしと考えています。

★一方でたとえ日暮里駅改良を行っても新宿副都心地区からのアクセスは現状と比較して改善はありません。
 都庁前駅周辺の副都心地区からのアクセス改善は大江戸線が最も効果的である点が大江戸線乗り入れの根拠です。
 なお貴殿がお考えの新宿西口付近の利用客は、新高速開通後もNEX利用が最善ですので小生としてはメリットと考えておりません。

※新宿に於けるNEXに対する成田新高速鉄道の最大の優位は多分運賃でしょう。現在のスカイライナーもそうですから・・・
 少なくとも都庁前周辺の「新宿新都心」地域は基本的に新宿駅から徒歩でアクセスが都庁前駅と同じぐらい有効なアクセスとして使われています(実際私もそうですから・・・使い分けはしていますが)。
 そうしたら幾ら大江戸線を京成上野に接着させても実際にアクセス改善になるかは大いに疑問です
 新宿から座っていけるNEXに対し大江戸線接着が優位に立てるとは思いません。
 費用の優位性を生かすのなら、別に大規模な大江戸線接着は要りません。
 強いて言えば日暮里駅改良も要らない事になります。

★そもそも大江戸線乗り入れは、貴説の「日暮里駅ホーム拡張案」と同様、建設に際しての採算面での問題が極めて大きいという点を認識しているので「妄想」という表現をしております。ただし採算性度外視案の中では期待効果を得るためには比較的投資の少ない案と考えております。
 すなわち、採算性が悪いという点については当方も認識しており、一方で貴殿とは考えている期待効果が違っております。

 私は上記に示した様に期待効果も「捕らぬ狸の皮算用」ではないのか?と感じています。
 費用対効果について費用だけでなく効果も劣るのでは話になりませんよね?

★貴説の日暮里ホーム拡張案以外の施策は、貴説の「必要性」根拠とされている日暮里の乗り換え客処理能力不足にどのように役立つのでしょうか? 日暮里における流入と流出との能力差解決が無い以上、乗り換え所要時間の短縮用の各種施設整備は処理能力向上にはつながらないと考えます。

※私は京成から日暮里に乗り入れてくる客をJRが送り出すだけの能力はあるそう言う流入と流失の能力差は別に改善する必要はないでしょう(只愚考な小生には優秀な貴君の言われる「日暮里における流入と流出との能力差解決」と言う問題の本質がイマイチ理解できないので断言できない旨予め明記しておきますが・・・)。
 只日暮里の駅に於いて京成の設備、JRの設備が日暮里で乗り換える乗客を捌くだけの能力が有るのかには大いに疑問ですし、舎人新線乗り入れ成田新高速鉄道開通に伴う旅客増が常磐新線開通に伴う常磐線の乗客減に伴う乗換客減と相殺してその上で現在の乗換・駅設備のキャパシティで賄えしかも利便性に優れた設備であるかに大いに疑問を感じています。
 ホーム拡張は駅設備自体のキャパシティ拡張に役立ちますし、乗り換え所要時間の短縮用の各種施設整備は乗換設備のキャパシティ拡張に役立ちそれが駅の利便性を高めアクセスポイント改善に役に立つと考えます。
 ですからそれらの一連の設備改善・改良工事は乗換能力・利用者処理能力の向上に十分役に立つと考えます。

★日暮里ホーム拡張はどちらにスペースを設けるのでしょうか?

※日暮里駅改良工事を京成単独でなくJR・舎人新線を含めての総合改良工事とするなら場所のひねり出し方は色々あるでしょう。
 例えば此処で「さいたま市民@西浦和」さんが述べられている京成を高高架にして、その空くスペースに常磐線を2面3線化する案も十分考慮の対象たるプランでしょう(京成を1面2線でホーム拡張の上高高架にしても少なくとも大江戸線接着の3分の1とかの費用で作ることは可能でしょう)。

「シビルミニマム」論自体が幻想では?に対する御反論
投稿者---TAKA氏(2002/06/11 02:58:39)

★貴殿の仰せられる「シビルミニマム論」を施行した国家に成功例が無いという状況下で、現状の日本が如何にして貴殿の仰せられる国家へ変貌し、またそれに伴う益が損よりも多いという論拠はどこにあるのでしょうか? 過去10年ほどでも貴殿の仰せられる減税・緊縮財政の両方とも試行されましたが結果は成功とは言えません。政治状況等も考慮に入れた上で、具体的かつ実現可能なプロセスの案はお持ちですか? 無いのであればシビルミニマム論を前提として種々述べられている貴説は全て幻想を前提とした空論ということになります。幻想でないとしても根拠はありません。

※確かに現在の世界で私の言う様な「シビルミニマム論」に関して実施している国家は一つも存在しておりません。
 そこから言えば、確かに幻想の世迷い言でしょう。その点に関しては仰有るとおりです。
 只此処で言っている「シビルミニマム論」の中身は実質的には、アダム・スミスの「諸国民の富」の中にでてくる「夜警国家」です。これに完全に一致する国家は歴史的には存在しませんが、近似の国家は「ビィクトリア時代の大英帝国」が当てはまります。近似の国家像に世界を制した経済大国があり「ビィクトリア時代の繁栄は古典派経済学モデルを実行したことにある」とまで言われている以上、必ずしも妄想ではないと愚考しますし、無謀な理論ではないと思います。
 アダム・スミスの「諸国民の富」は中学・高校の教科書にもでてくる名著ですし、私の時代には「夜警国家論」も高校の政経の教科書にでてきていました。でも貴方の言い方では高校の教科書が学生に妄想の世迷い言を教えている事になりますね?

※経済学的な常識から言えば、経済学上のモデルに100%合致した国家は、有り得ないというのが一般的見解です。
 国家を如何にすべきという具体的提言ならいざ知らず、私は一般論として「シビルミニマム論」を述べている手前、当然の如く貴方から見れば世迷い言の妄想論になるでしょう。もし経済学上のモデル通り行われるのなら、マルクス経済学ではロシア革命とソ連は、絶対に有り得ないことですしレーガン政権下のアメリカで、「ラッファーカーブ」に当てはまらない減税による財政赤字の拡大は発生しないでしょう。
 現実には経済学では当てはまらない政治的行動や恣意的な操作がはいる為、純粋経済学モデルは国家に100%当てはまらないのが正しいのです。
 これでも世迷い言とか妄想とか幻想と言われるのでしたら、経済学その物がその類のペテンの学問になるでしょう。
 経済学は流動的な経済を相手にしている学問である以上、現実と乖離することも当然発生します。

※日本で何故故緊縮財政と減税で景気が回復しないかは、非常に簡単で珍しくない考えです。
 一つは総需要から考えれば減税と緊縮財政は「トレードオフ」の関係にあるからです。
 即ち政治の失敗で、減税による「ラッファーカーブ」による税収回復を持って財政再建にあてず、緊縮財政を持って財政の再建を図ろうとしたことにあります。その為に「トレードオフ」になり結果的に景気が回復しなかったのです。
 二つ目は「規制緩和の不在」です。即ち緊縮財政により政府の介入による経済に調整を放棄するなら、経済のバランスの調整をするのには「市場の自動調整機能」に頼らざる得ません。政府は規制により「市場の自動調整機能」の足を縛り、その上で予算を投入しないで政府の介入をも放棄したならば、経済は調整不可能になり、当然経済は自己調節が出来なくなり景気は調整できなくなります。 

※ではどうすればいいのか?と言われるでしょうが、こう考えれば解決策は簡単です。

  1. いわゆる「サプライサイドエコノミックス」の考えを用い、減税による供給側面に対しプラスの押しをすることで景気を回復する。
  2. 逆にケインズ経済学的考えで財政支出を拡大することで、需要を増加させる「総需要政策」を行い需要の側面から景気を後押しして回復させる。
  3. 政府の介入効果を信じない、即ち景気を「市場の自動調整機能」に委ねる。その為に「市場の自動調整機能」を最大限生かすため政府は規制緩和とそれによる支出削減に見合う分の減税をして、民間に任せられる物は民間に任せる事で経済運営の主体を民間に移行させ民間の活力により経済の構造改革と調整を計る。

 簡単に考えてもこの3つの考えが浮かびます。その中に1.と2.には決定的欠点があります。
 さて欠点はなんでしょう?と言って終わらせても良いですが、変に解釈され誤解を招いてはいけないので書くとして・・・
 1.には現在の不況の根本には「供給能力の過多とその調整の失敗」があるのにサプライサイドエコノミックス的政策は、逆効果になりかねない(又バブルを招く)
 2.には経済対策で公共事業を行ったのに規模に対して期待した経済回復が出来なかった=総需要政策の根幹の「乗数効果」が現在の日本の経済体質では発揮できなくなった。即ち金の流れが途中で詰まる動脈硬化が起きているのにどんどん金を流しても効果はない。
 その様に考えると対応策は3.の政策が経済学的に望ましいとなります。只実体は幾ら「構造改革」を旗印にした政権が出来て構造改革を実施しようとしても「抵抗勢力」に阻まれ実施できない現状です。
 だから規制緩和後の姿たる「夜警国家的シビルミニマム論」は世迷い言の妄想と言われるのでしょう。
 只民主主義国家で国民が選んだ政治家による「政治の失敗」をカバーする経済理論はありません。これを解決するには経済学ではなく「神に祈る」しかないでしょう。

※此処での本題から外れた書き込みで大変申し訳有りませんが、此処での成田新高速鉄道に対する私の基本的考えに対する「幻想」「妄想」「世迷い言」と言われたご意見でしたので、敢えて長文にて書き込みご意見に一つずつ反論させて頂きました。
 只又御反論がない限りは、これ以上此処で本題に外れる書き込みはするつもりはありません。その点を踏まえて御一読され御検討下さい。
 別に逃げ出したいとは思いませんが、此処で余りにも本題と外れる議論を長々と今後も続けるのは皆さんに御迷惑をおかけすると思いますので悪しからずご承知下さい。
 上記本文中に御気分を損ねる失礼な表現も有ろうかと思いますが、先にお詫びを申し上げます。

現在の「先進国」では「シビルミニマム」論自体が幻想かもしれません
 投稿者---さいたま市民@西浦和氏(2002/06/13 02:20:54)

 こんばんわ。TAKAさん。改めて初めまして。
 私も勉強させて下さい。よろしくお願いいたします。引用を適宜省略させていただきますが、文意を歪めるつもりはありません。

 世界第2位の経済規模を持つ我が祖国は、国民の総資産が千数百兆円、そのうち世の中に出回っている通貨供給量が六百数十兆円、国家予算が八十兆円、そのうち国債にたよる収入(残りが税収)が三十兆円(これはほとんど国内で消化されるとか)、東京都の予算が四兆円、埼玉県の予算が一兆数千億円というところですか。

※確かに…「シビルミニマム論」に関して実施している国家は一つも存在しておりません。そこから言えば、…仰有るとおりです。
 只此処で言っている…中身は実質的には、アダム・スミスの「諸国民の富」の中にでてくる「夜警国家」…一致する国家は歴史的には存在しませんが、近似の国家は「ビィクトリア時代の大英帝国」が当てはまります。…「ビィクトリア時代の繁栄は古典派経済学モデルを実行したことにある」とまで言われている以上、必ずしも妄想ではないと愚考しますし、無謀な理論ではないと思います。

 古典派経済学が成立したのは、まさにその時代なのでしょうから、その時代のお金やものや人の動きを総合して見ないと、現代に当てはめるのは難しそうです。現代のものやお金や人の動きは、百年前のイギリスとは違いますよねえ?

…「諸国民の富」は中学・高校の教科書にもでてくる…「夜警国家論」も…教科書にでてきていました。でも貴方の言い方では高校の教科書が学生に妄想の世迷い言を教えている事になりますね?

 わたしも高校の教科書を引っぱり出してみました。***しいですね。読んでみると、あまり細かいことは書いてなさそうですが、ずいぶん抽象的です。抽象的であるという点では、妄想的かもしれません。夜警国家の項を見ますと、国家の役割を徴税・防衛・立法などの最小限度にとどめ、経済活動を国民の自由にまかせるとか書いてありましたね。

※経済学的な常識から言えば、経済学上のモデルに100%合致した国家は、有り得ないというのが一般的見解です。
…私は一般論として「シビルミニマム論」を述べている手前、…もし経済学上のモデル通り行われるのなら、マルクス経済学ではロシア革命とソ連は、絶対に有り得ないことですしレーガン政権下のアメリカで、「ラッファーカーブ」に当てはまらない減税による財政赤字の拡大は発生しないでしょう。

 ロシア革命は、始めから社会主義国家をめざしたものでは無かったはずです。ロシアでは日露戦争中の1905年にも、国内の混乱があり、これもロシア革命の始まりとして捉えられているようです。ロシア革命後の新政権を社会主義政党が担ったため、社会主義政策が強調、継続されたのでは無かったでしょうか。
 レーガン革命の減税政策(クーポン券とかもやりましたよね)は始め赤字を覚悟の上で、そのことによって国内の消費を拡大しつつ、成長が見込め、規制緩和可能な業種においてこれを行い成長政策を採ったと認識しています。その結果、通信、サービス部門が先頭となり、これにデジタル化諸産業が続き、多くの産業が成長軌道に乗って、次政権での繁栄へ続いたのではなかったでしょうか。それに、結果として冷戦終結を導いた軍事費の増大も当時の赤字の原因の一つでは?一方で保護されている産業は保護されています。対日対中セーフガードが適用された製品を生産しているような産業ですね。

 現実には経済学では当てはまらない政治的行動や恣意的な操作がはいる為、純粋経済学モデルは国家に100%当てはまらないのが正しいのです。
 これでも世迷い言とか妄想とか幻想と言われるのでしたら、経済学その物がその類のペテンの学問になるでしょう。

 ペテンとまでは思いませんが、経済学は万能ではないでしょう。抽象と現実を比べ、抽象により想像される、よりよい結果を求めて経済政策は策定されていると、小市民の素人の私は思いたいです。

 経済学は流動的な経済を相手にしている学問である以上、現実と乖離することも当然発生します。

 そうですね。ですから何にでも古典経済学だケインズだマルクスだとあてはめてそうならないからと言って悲観したり、憤慨したりしても仕方なさそうです。

※日本で何故故緊縮財政と減税で景気が回復しないか…総需要から考えれば減税と緊縮財政は「トレードオフ」の関係にあるからです。
 即ち政治の失敗で、…結果的に景気が回復しなかったのです。
 二つ目は「規制緩和の不在」です。…政府の介入による経済に調整を放棄するなら、…「市場の自動調整機能」に頼らざる得ません。政府は規制により「市場の自動調整機能」の足を縛り、…政府の介入をも放棄したならば、経済は調整不可能になり、当然経済は自己調節が出来なくなり景気は調整できなくなります。 

 このへんの分析はなるほどそうかもしれません。意地悪を言えば、政治家たちはダッチロールを放任して様子見を決め込んでいるようにも見えます。このまま、規制緩和だけが進んで、経済の自己調節が進んだら、日本経済は間違いなく縮小均衡へ向かうのではないでしょうか。

 私たちが支払う税金は、サラリーマンなら天引きで収入の10%、企 業・法人なら利益の40%ぐらいでしたか?その他にも、種々の直接税間接税があり、ガソリンの税金は値段の半分以上、消費税は品物の値段の5%…これを高いと見るか安いと見るか。
 その他の公的負担もありますね。国民保険や介護保険、公的年金、資産にかかる税などなど全部合わせると、年収のかなりの部分を占めていそうです。案外日本も「高負担高福祉」が実現しているのかもしれません。
 どの立場に立ってお金の流れを見るかによって、利害が変わってくるのかもしれません。

…国民が選んだ政治家による「政治の失敗」をカバーする経済理論はありません。これを解決するには経済学ではなく「神に祈る」しかないでしょう。

 私は「困ったときの神頼み」派であまり信心深くはないので、「政治の失敗」に気づいたときは、「よりましな政治家を次に選ぶ」程度のことしかできません。

 いやいや、大変勉強になりました。私こそ、言いたいことばかりを書いて、失礼な言い回しをしていたらどうぞご容赦下さい。これからも異論をおそれず、いろいろとお教えいただければ幸いです。

 こちらこそ、大変失礼を致しました。でも、飛行機や鉄道の話をするのは楽しいですね。ではまた。

Re:現在の「先進国」では「シビルミニマム」論自体が幻想かもしれません
 投稿者---TAKA氏(2002/06/13 07:59:46)

 取り急ぎ前編にだけ、私の意見を述べておきます。
 表題の部分は後編に述べたいと思います。
(ちょっと時間がないので・・・取り急ぎ書き込みます。)

 古典派経済学が成立したのは、まさにその時代なのでしょうから、その時代のお金やものや人の動きを総合して見ないと、現代に当てはめるのは難しそうです。現代のものやお金や人の動きは、百年前のイギリスとは違いますよねえ?

☆「シビルミニマム論」を施行した国家例が存在しないと言われたので「夜警国家」の近似の国家例として「ビィクトリア時代の大英帝国」を取り上げただけです。
 少なくともあまりに時代が違いすぎて、具体的な点が現代に当てはまるとはとても考えられません(少なくとも大英帝国を支えたのは植民地・自由貿易・産業革命ですから・・・今では総論として当てはまる点があるにしろ、具体的には時代が違うとしか言えません)。

 わたしも高校の教科書を引っぱり出してみました。***しいですね。読んでみると、あまり細かいことは書いてなさそうですが、ずいぶん抽象的です。抽象的であるという点では、妄想的かもしれません。

☆それは高校の教科書ですから・・・詳細に書いてあったら一年間の授業の半分がアダム・スミスと古典派経済学で終わってしまいます。
 高校の教科書でも出ている位の一般論である。それぐらいの一般論を述べているのに妄想だの幻想だの言われてしまったので高校の教科書の話を出しただけです。
 正直言って私の「シビルミニマム論」はアダム・スミスの「神々見えざる手」と「夜警国家論」と新古典派経済学の「レッセフェール(自由放任)」の考えを基本に置いていますので、その事はお分かり頂けたかと思いますが・・・

 ロシア革命は、始めから社会主義国家をめざしたものでは無かったはずです。ロシアでは日露戦争中の1905年にも、国内の混乱があり、これもロシア革命の始まりとして捉えられているようです。
 ロシア革命後の新政権を社会主義政党が担ったため、社会主義政策が強調、継続されたのでは無かったでしょうか。

☆マルクス経済学では「資本主義が深化し、資本家と労働者階級と対立が先鋭化した時に革命が起こる」即ちマルクス経済学では革命は資本主義の極限まで発達した段階で発生することになります。
 それに対し当時の帝政ロシアは資本主義の原始的蓄積段階であり当時の欧州諸国内で一番革命の発生しずらい国であったことになります。
 その様な国で革命が起きてしまい、マルクス主義・共産主義を行おうとしてしまった為、存在するはずの資本蓄積を作り出す為に強引な計画経済を実施せざる得なくなったのです。マルクス経済学に対し其処で大きな変質が発生したのです。
 ですからロシア革命時に、共産党がマルクス主義・共産主義を旗印に政権を運営する様な状況になかったと少なくとも経済学的には言えることになります。

 レーガン革命の減税政策(クーポン券とかもやりましたよね)は始め赤字を覚悟の上で、そのことによって国内の消費を拡大しつつ、成長が見込め、規制緩和可能な業種においてこれを行い成長政策を採ったと認識しています。その結果、通信、サービス部門が先頭となり、これにデジタル化諸産業が続き、多くの産業が成長軌道に乗って、次政権での繁栄へ続いたのではなかったでしょうか。それに、結果として冷戦終結を導いた軍事費の増大も当時の赤字の原因の一つでは?
 一方で保護されている産業は保護されています。対日対中セーフガードが適用された製品を生産しているような産業ですね。

☆その減税政策の根本こそ「ラッファーカーブ」による減税による税収増予想です。これはサプライサイドエコノミックス的に言えば供給側面の設備投資を増大させ、元々レッセフェール的なアメリカ経済で供給側面を後押しすることで「市場の自動調節機能」において産業の構造的転換を図り、政府の経済政策がそれを後押しするのが、「レーガノミックス」の基本です。
 只最終的結果として、クリントン政権時代の経済的繁栄は「レーガノミックス」の賜と言えますが、当時の「レーガノミックス」ではそんなに長期的先に経済繁栄を生み出すのではなく、短期的に効果があると考えられて政策実施されました。
 其処に経済学的に言う政策と現実の間の錯誤が存在する事になります。
 財政赤字は軍事費支出も大きな一因ですが、期待したほど「ラッファーカーブ」が有効に作用しなかったと言う点、即ち減税効果で逆に税収増を期待したのに思う様にいかなかったのが主因と考えます。

 ペテンとまでは思いませんが、経済学は万能ではないでしょう。抽象と現実を比べ、抽象により想像される、よりよい結果を求めて経済政策は策定されていると、小市民の素人の私は思いたいです。

☆経済学に「正しい正解」は存在しません。「経済学者の意見同じものは存在しない」とも言われますし「10人の経済学者に聞けば11の答が出る」とまで言われる位多種多様な意見が存在します。
 それは相手にする経済その物が多種多様ですし、それに完全に合致させたモデルを作ることが、科学的学問と違い作ることが不可能でその上で実験を行うに余りにもリスクが高すぎる為です。
 ですからここからは私見ですが、経済学を語るには上記に様なことを踏まえ、他人の異なる意見を完全否定することは避けながら議論をしないと、落としどころのない泥沼の平行線の議論になります

「先進国」だからこそ「シビルミニマム」論を語れるのでは?
 投稿者---TAKA氏(2002/06/14 00:27:35)

 このへんの分析はなるほどそうかもしれません。意地悪を言えば、政治家たちはダッチロールを放任して様子見を決め込んでいるようにも見えます。
 このまま、規制緩和だけが進んで、経済の自己調節が進んだら、日本経済は間違いなく縮小均衡へ向かうのではないでしょうか。

☆只単純に市場の自己調節のみに任せていたら、当然収縮を続けて行く可能性は存在します。それに関しては否定しません。
 これは1929年の大恐慌の時のフーバーの政策の失敗とルーズベルトの「ニューディール政策」の関係にあるでしょう。
 当時フーバーは「市場の自動調整機能に任せておけば自然に不況は解決する」と言いましたが、市場の自動調整機能では需要と供給の格差を埋めることが出来ず(当時約2割以上の余剰生産力があったとも言われている)ルーズベルトの「ニューディール政策」と第二次大戦の戦時経済投入という需要創造の政策・状況が不況を解決させました。

☆では今の日本の状況は1929年の大恐慌の時と同じように総需要創出政策でこの不況を切り抜けられるのでしょうか?
 答はNOです。今まで日本は何回かの「緊急経済対策」を行い総需要創出政策を行ってきていますが、失敗の連続です。その為に日本は財政でももう余力を使い果たし身動きが出来ない(=政府の介入をしたくても国債以外に財源がない)状況に追い込まれています。ですからケインズ的総需要創出政策は出来ません。
 そうなるとどうすべきか、と考えると日本の「緊急経済対策」の失敗は乗数効果が景気に影響を及ぼさなかった(=もう土建型の公共事業は国民全体に乗数効果(=経済的恩恵)を及ぼさない、即ちインフラ投資型公共事業で景気回復を計るのは不可能)という点にあります。
 失敗した政策を繰り返す訳には行きませんから、次の方法として

  1. 乗数効果の期待できる新しい公共事業で総需要創出を行う
  2. (金融政策の限界(公定歩合は0%以下には落とせない)を通り越しての禁じ手、政策的インフレの創出(=M2+CDを増やす為の通貨増発or国債の日銀引き受けによるインフレターゲット政策)を行いそれによりデフレを解消し経済のインフレ化で景気を回復させる。
  3. 政府の介入を減らし公共体のリストラ(=規制緩和・レッセフェールの実施)を行いその浮いた費用で減税・セィフティーネットの構築を行い
    その上で痛みを伴いつつも市場の自動調整機能に頼る構造改革を行い最終的に景気回復を目指す。

と言う3つを考えました。
 さてこの3つの内どれが良いでしょうか?私は3.がベターかと思います。
 1.はそんな都合のいい公共事業が見つかるのか?財源を格付けの落ちた国債(=赤字国債)に頼るのか?
  2.には本当にインフレターゲットは効果があるのか?根本の対策に触れない表面的対処療法で終わるのでは?インフレをターゲット内で制御できなくなったらどうするのか?等々の問題があると思います。
 3.に関しては前の意見の方向転換をして減税=供給面の改善から減税=市場の自動調整機能の衝撃緩和にアレンジすることでより現実的になると思います。

☆当然立場により利害は変わってきますし、各々の持たれている意見により「高負担・高福祉」が望ましいのか?「低負担・最低限の福祉、それ以上は自己努力に任せる」が望ましいのか?大きく変わってくると思います。それを完全に意見の統一を図るのも不可能ですし、全員の利害を調整するのも不可能でしょう。
 ではどうするか?もうこれは政治の問題です。経済学的に言えばその全ての調整をすることは考えられません。
 そうなると民主主義の原則で意見の多い方へ多数決で押し切るか、最大公約数的政策を取るか、政治的に解決するしかないでしょう。

 私は「困ったときの神頼み」派であまり信心深くはないので、「政治の失敗」に気づいたときは、「よりましな政治家を次に選ぶ」程度のことしかできません。

☆これが「民主主義の限界」ではないでしょうか?そうなった時、民主主義制度下で良い政治家を選べればいいですが、それが不可能な時には、仰有られる様な「より少しでもマシな政治家を民主主義制度下で選ぶか」又は私的シナリオの「善政を行う英雄の登場(=民主主義的制度下での選出でなく)を期待するか」位しかないでしょう。素晴らしい政治家が出てきて選挙で選べればそれに越したことはありませんが

☆やはり私の考えの基本は「政府の役割は基本的にシビルミニマム+αの社会サービスの維持にとどめるべき」「経済運営は基本的にレッセフェールで行い、市場の自動調整機能を基本に据えて構造の改革と経済の調整を計るべき」と言うことになります。
 少なくとも今の日本ではシビルミニマム+α以上の社会サービスに関してはほぼ達成されております。ですからそれ以上の過剰とも言える部分の政府の役割を減らすべきと言えるのです。
 これが発展途上国や新興工業国では民間に資本蓄積・資産が少ないので、その様なことを言っていられません。
 政府が積極的に経済運営に戦略的に介入・誘導を行い、公共事業を行いインフラを整備し、社会福祉にも目配りをする等の政府の役割が多くなり、それが国家の発展への原動力になるのです。
 少なくとも先進国では上記の様なシビルミニマム+α以上の社会サービスを達成しています。その上の部分に関しても十分経済的蓄積が進んでいます。ですからこそ「政府はシビルミニマム+αの社会サービス以上は介入すべからず」「自由放任(レッセフェール)でシビルミニマム以上は民間の投資を誘発する様に政府が誘導すればいい」と言う意見を語ることが出来るのではないでしょうか?

「先進国」の「シビルミニマム」論 いろいろ御回答ありがとうございます
 投稿者---さいたま市民@西浦和氏(2002/06/15 00:31:11)

 こんばんわ。みなさん。樫通さん。
 TAKAさん。いろいろ教えていただきありがとうございます。

 なるほどなるほど。TAKAさんの、政治と経済に関するお考えがよくわかりました。近年の政治と経済のトレンドをよくお掴みになられていて、全くおっしゃるとおりなのかもしれません。これで一連のTAKAさんのご意見に一本筋が通った感じがします。

 もしかすると、主張されているご意見からすれば、私が書いて主張していることなどは、「抵抗勢力」の一味の意見になってしまうかもしれませんね。でも、不便なものは不便ですよね?

 いろいろ教えていただいた上にお願いするのは心苦しいのですが、1点教えていただきたいことがあります。それは、鉄道の世界でも、規制緩和が進んで、第2種鉄道運行事業など、既存の鉄道会社の枠を超えて新規参入者でも上下分離的に鉄道輸送ができるようになったのですが、一向に新規参入が進まないように見えます。まさに民間活力で突破すべき分野なのだと思うのですが、どうして進まないのでしょう?

 別スレッドでもいいと思いますので、よろしくお願いします。
 乱筆ご容赦。それでは

京成の秋葉原への延長を提案
 投稿者---ななしのちば氏(2002/06/08 04:45:38)
─おもしろいけど面白いだけで終わるかも
 └隙間がないのでは

 都営浅草線を利用しての東京へ延長した場合は,もし延長部分が別会社の場合,東京から成田までの路線の経営会社が多くなるため料金が高くなる。
 これに対し,京成が秋葉原まで延長した場合は経営会社も少なく,秋葉原ならば多少東京に比べターミナルと規模は劣るが,新宿方面からもさほど不便ではないし,京成自体も現時点では総武線に負けている利便性が高まると思われる。
 なお,秋葉原の用地については狭いかもしれないが,常磐新線と中央通りの間に現在の上野と同規模の駅を建設すればよいと思う。
 この案はいかかでしょうか。

おもしろいけど面白いだけで終わるかも
 投稿者---青野邑咲氏(2002/06/09 00:39:13)

 京成上野から秋葉原延長案は、面白い案ですね。たしかに、上野から秋葉原延長はとても魅力的な話と思います。秋葉原は、数年後に筑波エクスプレスが乗り入れて、さらにヨドバシカメラが開店する話があるようです。将来にわたって魅力的な街ですが、喜ぶのは京成線都内の沿線に住んでいる方だけと思います。ここの掲示板は成田新高速鉄道に関する話なので、成田空港関係で話をするなら秋葉原を経由して成田空港に行く乗客は、ほとんどいないと思われます。建設するなら銀座線、大江戸線、日比谷線を潜ることになり、かなり深いところに駅を作る可能性が高く、利用しにくいでしょう。
 結局京成線から秋葉原電気街に、簡単にいける手段があっても悪くはないと思いますが、面白い話で終わってしまうのではないでしょうか。

隙間がないのでは
 投稿者---和寒氏(2002/06/10 13:54:20) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 上野から都心方向に向かっては、日比谷線・東北引上線(東海道線と直通する構想あり)・京浜東北線・山手線・銀座線・千代田線と、既に6本もの複線が存在します。また、秋葉原には常磐新線が乗り入れてきます。これだけの既存線の間に、新線を割りこませるというのは、かなり厳しいでしょう。
 それは単に建設する空間がないというだけではなく、競合条件が激しいことをも意味します。これらを考えれば、京成の秋葉原延伸というのは、選択肢としてに優先順位が低いというべきでしょう。
 京成は現状で既に浅草線に乗り入れているわけですから、こちらをどのように活かすか、の方が説得力ありそうです。

 突飛なアイディアとしては、銀座線の設備更新時、断面を普通鉄道なみに改築して京成と直通させるという手もありますが、これは妄想を通り越してSFロマンといえそうです。

≪管理者投稿≫当板休止のお知らせ  投稿者---551planning@おさぼり管理人(2002/08/11 06:18:50)

 CTCでは特別企画として当板<成田新高速鉄道を考える>BBSを運用してまいりましたが、昨今の方向性を鑑み、当板を休止の上CTC附属掲示板への再統合を図ることを決定致しました。

 当板は今から丁度1年前の8月下旬、小泉内閣誕生の熱気も覚めやらぬ中、丁度都市再生議論が沸き起こる中で成田新高速鉄道がメインテーマとして位置付けられたこともあって、見渡せばそれに相応しい一般レベルでの議論スペースの不在から、CTCを運用していた当管理者によって分離独立させたものです。
 以後多くの方に御覧頂き、種々の議論展開がなされたことについて一定の成果が得られた旨自負するところではありますが、なにぶんコアな議題に絞ったということで、最近の動向はまさに沈静化したものと考えられます。
 当板については以前収束という方向性を打ち出した際に、「現地調査含めプロジェクト実施によって大団円を」という方針も打ち出しましたが、率直に申し上げて現段階で管理者当方としてはそのころ持っていた熱すら失ってしまった状況にあります。

 なお、CTCという企画自体についても現在方針検討中であり、遠からず結論をお示しする方向ですが、基本的にはサイト自体の閉鎖の方向でおります。姉妹企画である【検証:近未来交通地図】含め6つものBBSを運用し、特にCTCではその中でもコアな部分の議論板として運用してきましたが、投稿内容そのものが千葉から全国へ広がる展開のものが増え、実質的に内容のバッティングが数多く生じる事態となっていること、一方でCTCの開設主旨として、当時乱立していた鉄道系掲示板の大同団結を目指すという方向性が、セミナーというオフ会の継続開催という果実を生んではいるものの、企画倒れに終わったことから、結果「行動に移す」という理念が導かれたかどうかは疑問のところであり、「千葉圏地域公共交通利用者協議会」という大儀なる看板を今後維持してゆくことが適切かについては、管理者自ら否定的であります。

 #こじつけながらCTCというネーミング、我ながらよくできているとは思っているんですが。

***
 当<成田新高速鉄道を考える>BBSにつきましては8/17を持ちまして休止し、CTC附属掲示板および【検証:】<ニッポンの空(港)論>にて引き続き議論継続とさせて頂きます。
 これまで御覧頂きました皆様に感謝致します。ありがとうございました!

2002.08.11 551planning@おさぼり管理人

【検証:】<ニッポンの空(港)論> http://www2.realint.com/cgi-bin/tbbs.cgi?traffic003

2005.07.20 Update

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