さて、約半年に渡って書き連ねてきました拙論も、そろそろネタが尽きてまいりました。今夜は、鉄道を中心とした交通施設をいかにシームレスな移動施設として整備するべきかという理想というか妄想的な考えを主張して、一旦中〆めということにしましょう。
◆交通機関での移動はどのくらいなら受け入れられるか?
まず、大体電車での移動はどのくらいまで受け入れられるのか。ということを考えてみます。
時間では、どうでしょう、新幹線と飛行機の議論でのぞみ号の問題が出てましたが、東京から大阪まで2時間半の電車と、1時間の飛行機で競争が成り立つのは、車室・座席への拘束時間と、駅・飛行場へのアクセスを総合して利用者が判断しているのですね。また、企業が購入する回数券や出張パックがどの交通モードを擁しているかというセクターがあるわけです。東京大阪間で飛行機がシャトル便化するなど飛行機側も工夫しているのに対して、新幹線側は、途中駅の名古屋や静岡と東京大阪との行き来を便利にする傾向があるようですね。
新幹線が独占できるのは、2時間ぐらいといったところでしょうか?東京からなら名古屋新潟仙台長野山形といった360km圏相互が飛行機の影響なく新幹線が独占できる距離なのでしょう。これらの都市へ飛行機で行くとなると不経済で時間が無駄な感じがします。飛行場まで行くうちに目的地へ着いてしまう…。
東京から大阪や金沢秋田とか、大阪から新潟や福岡くらいの500km圏になるとどうも微妙なようですね。更に東京から700km圏の岡山や青森となると、岡山でのぞみ号ががんばっているのが歴史的経緯とはいえ、奇跡なのかもしれません。札幌〜東京〜福岡〜沖縄という1,000km圏相互の行き来はもう、やはりこれも2時間弱で着く飛行機以外には考えられないでしょう。自動車での帰省とか特殊な例は別としてもですね。
いわゆる在来線や私鉄各線ではどうでしょうか?これも、大輸送が行われている区間の時間距離は限られてくるのではないでしょうか。関東地方の100km圏、中京圏、名阪間、京阪神、福岡北九州筑紫平野といった地域ですね。高速な列車種別がありますが、おおむねこの区間や範囲ではやはり2時間がひとつの単位となるのではないでしょうか?
長距離バスでも、高速道路のSAでの休憩は2時間ごとが目安ですね。生理的にはひとつの単位でしょう。
交通流のグランドデザインを考えるときも、各モードの「2時間」での移動距離というのは目安となるでしょう。これを組み合わせて交通圏を考えればいいのですね。
デフレ経済の下とはいえ、目的地までの費用も、ある程度の目安が欲しいですね。値頃感とでもいうのでしょうか。例えば大阪〜東京間500kmの移動は新幹線飛行機共にトータル3時間で1万円とか、東京〜宇都宮100kmの移動はJR宇都宮線新特急東武線急行とも2時間2,000円とか、という受け入れられる標準の値段がありそうです。それに対して、同じ東京大阪間の4列シートバスで8時間5,000円とか、3列シート夜行で8,000円とか、寝台夜行列車で1万円とか、夜行快速乗り継ぎで4,000円など時間やアメニティーの欠ける分を割り引きすると考えて異交通モード同士の共存を考えていけばいいのではないでしょうか。移動の何に価値を求めるかというマーケッティングを進めていって欲しいですね。
距離に比例して運賃が決まる鉄道路線の料金も、基準の距離の値頃感を一つの照査点として賃率を決めて欲しいです。結果として包括運賃と同じになってもいいのです。乗り放題や包括運賃の割り引きによるキャンペーンを期間限定や条件限定で行えば、ブームも作れるのでしょう。
都市内の運賃の異企業乗り継ぎによる運賃の倍増は何とかして欲しいですね。将来的にゾーン制を目指した運賃制度への工夫は出来ないものでしょうか。異企業による運営を維持したままでゾーン運賃を、電車バス共通でやって欲しいのです。どの会社でも初乗り200円からでいいですから、違う会社の電車へ乗り継いだら倍になるというのはとにかくやめて欲しいです。
◆
シームレスとバリアフリー
いま、電車賃のシームレスについて少しぼやいてみましたが、電車乗り場のシームレスはもっともっと進めて欲しいですね。同じ地平ホーム同士の八戸で出来なかった新幹線と在来線のホームタッチが立体交差駅の新八代で実現しそうですし、人の動きに合わせたエレベータやエスカレータの設置を工夫して欲しいです。
ずいぶん前に内灘駅の話をしましたが、小さな電車とバスの間でも、改札をはさんで同一平面での乗換が出来るよう工夫されているのですから、全国の駅でそれをすればいいのでしょう。今では駅の形態の標準系の橋上駅を一つでも減らして、出来るところからでいいですから、ホームと道路の段差を減らす工夫を進めるべきでしょう(おっと!「べき」って書いてしまった)。私個人のシームレスとかバリアフリーの視点から見ると、地上線の橋上駅は「会社の論理」以外の何物でもありませんね。まあ、もっとも高速輸送に力の入っている会社では、一旦お客を線路の上の駅舎へ上げておけば、乗り遅れることもないし、踏切を待つこともないというメリットもあるにはあるのですね。この解決はきっと難しいのです。
それから、車椅子などでエスカレータに乗るために、旅客の流れを止めるようなことはして欲しくないです。通常の利用者を止めてエスカレータを車椅子モードにするのではなく、スロープやエレベータを整備して欲しいです。車椅子の人だって、普通の人と同じように行動したいのです。車椅子だからといって他の乗客と違う動きをするわけではないのです。
◆ 戸口から戸口へ2003
さて、最後の最後になりますが、私の個人的な経験と妄想的な提案です。
今年2月に、車椅子の父と山形新幹線に乗る機会がありました。西浦和の家から、母の実家のある山形県新庄市へ往復したのです。
今まで何度かウェルキャブ仕様の自家用車で往復したこともあり、今回もそうすることができましたが、雪や時間、予算の都合もあり新幹線と福祉タクシーという組み合わせを試すことで、現実的にどれだけバリアフリーが実現しているかを検証したかったのです。
自家用車ではスタッドレスタイヤとタイヤチェーンを買わなければならなかったので、これも費用に入ります。往復のガソリン代、半額になる高速代を加えると、「土日きっぷスペシャル」と身障者介護者割り引きで乗車券半額の往復切符に特急料金とほぼ同額であることがわかり、「自動車で行きたい」と言っていた母も納得し、行ってきました。結果から言いますと、「まだ途上かな」というのが素直な感想です。詳しい内容は別スレッドへ投稿することとして、私たちの行程を紹介して、改善への妄想をご披露しましょう。
西浦和の家から大宮駅まではウェルキャブ仕様の自家用車。大宮駅では駅長室入り口から営業所を通り業務用兼用エレベータで新幹線ホームへ。新幹線電車はE3系車だったのですが、車椅子席は取れず、普通車の席へ乗車。新庄駅は皆さんもご存じの通り、ホームから駅前広場まではフラットで、駅前へ福祉タクシーを呼んでおき、これにて母の実家へ着いたのでした。帰路も同様に、福祉タクシー〜400系自由席〜大宮駅〜自家用車という行程で、2泊3日の旅を終えたのでした。要介護度4の父は結構疲れたかと思ったのですが、翌日も何事もなかったかのように、週に一度のデイサービスへ行きました。
さて、この旅でいろいろ考えたことがあります。
まず、浦和〜新庄と言う距離は約400kmありますが、自宅から実家まで、イスに座ったままの旅の出来る自動車と、乗り換え、上下移動、座席の移動のある電車の旅では、まさに、本人の快適性は雲泥の差であっただろうということです。自動車ですと、パーキングエリアには必ず車椅子トイレがありますし、自宅では車椅子から洋式トイレへ移るのと同じ家庭での生活と同じように、できるのです。駅やトイレの事については、現在改修中の大宮駅に不満を言うのは心苦しいのですが、私たちの実証の旅は時期尚早であったという結論です。
私たちの購入した切符は、「土日きっぷスペシャル」と帰りは月曜日になってしまう両親の身障者割り引きと介護者割引の乗車券+それぞれの特急券でした。これを合わせると、スタッドレスタイヤ+チェーン+半額の往復高速料金+リッター6〜10kmのガソリン代よりも安くなったからなのです。
山形新幹線電車も、「ミニ新幹線」であるためか、車椅子で車椅子席以外の通常の乗り口から乗車するのはやや難がありましたね。車内も、イスの間の通路が「あと2cm(!!)」広ければ、指定された席に移動でき、座れたのです。車椅子が入らずに難儀していた私たちを見かねたデッキのそばの席に座っていた方が変わって下さったというのが事実です。ありがとうございました。大宮・新庄両駅でも、スロープ板でもあるかと思いましたが、人の力で持ち上げる(新庄駅では金線の入った帽子の駅員さん=助役さんか駅長さん?まで来てくれた)形となって、介添えの我々は大変恐縮した気持ちになりました。山形新幹線は新庄駅が終点ですから、最後に降ろしてもらえましたが、大宮駅のように途中駅での乗降は、駅員の介助(担当の青年は大変に丁寧でありがたかったのですが)があっても電車を遅らせることになるのでしょう。
福祉タクシーも、埼玉側山形側両方で予約しようとしましたが、両方とも1輸送3,000円強で、埼玉側でタクシー券が使えるのですが、山形側は現金で支払いました。車椅子タクシーの乗り心地は、どこも同じでしょうが、業務用ワンボックス車の改造でしょうから、あまり乗り心地のいい物ではなかったですね。将来は何とかなるのでしょう。これは自動車会社の宿題です。
ただ、障害を持っている者にとって、確実な素早い移動をするためには、新幹線電車は正確で早い!これに尽きるのです。だから試したのです。雪の深い山形へ不安を抱えながら、何時間もかけて自動車で行くよりも、3時間で確実に着く電車のアメニティーが良ければ、これからは電車で行きたいのです。母の実家の伯母も足が悪く、「もう東京へは来れない」と言っているのですが、できれば招きたいのです。
そこでここからが妄想ですが、総合的な交通のあるべき姿として、以下のような姿を考えるのです。
自宅から目的地(それは親戚の家でも、仕事上のお得意さまでも、観光地でも良いのです)へ、交通機関や移動手段を駆使して、同一平面で移動できるような交通システムを完成させてほしいのです。
自宅そばのバス停からノンステップバスのコミュニティーバスで乗車駅へ向かい、一般の乗客と同じようにエレベータで改札やホームへ上がり、車椅子スペースでなく、きちんと車椅子から座席へ乗り移って、家族や介護者と一緒に座り、それが在来線の寸法の電車でもトイレや売店など、どこでも車椅子で入れるような設計の電車で、目的地へ向かうのです。着いた駅でも同様に乗り換えができ、目的地の駅からは同じようにコミュニティーバスや福祉タクシーで目的地へ到着するという旅がしたいのです。都市内の日常的な移動でも「移動する」という本質は変わらないのだから、その輸送量の大小に応じた工夫をして、ハンディキャップのある人の移動を保障して欲しいですね。
そして、その料金も、自宅そばのバス停から目的地の駅やバス停まで通して計算してもらえればいいのだろうなあ。選択の幅のある多様化した移動方法やそれぞれに応じた料金制度をすべての人に納得してもらえるような方法で決めてもらえればベストでしょう。その中で、公的な負担が必要ならば、ぜひして欲しいですね。皆が便利になるために使われる税金に誰が不満を言うでしょう。採算や事業の成立などにこだわっているのなら、不景気と不良債権増加の追っかけごっこの今の社会の風潮では何もしない方がいいに決まってくるのですから。こういうときこそ、「国土のどこに住んでも、不利益無く生活できる社会」をつくってほしいです。
長々と書き連ねてきましたが、お楽しみ頂けましたでしょうか。
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