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高松港

岐路に立つ“四国の玄関”ルート~100周年の宇高航路・宇野線を往く

1910/06/12、鉄道院は宇野線開業に合わせ宇野~高松間に航路を開設、宇高連絡船の歴史が始まりました。それから今年で100周年。今年01/21には香川県観光協会などが5月~6月にかけ香川県内での「船の祭典2010」の開催を発表。その後JR四国・JR西日本も連動した企画開催を発表、岡山県内でも行われています。
-しかし、多くの人が思わず耳を疑ったのは、02/12の宇高航路事業廃止届提出ではないでしょうか。運航を続けていた宇高国道フェリー・四国フェリーの2社が03/25での運航終了の旨同時提出。その後地元自治体や国を巻き込み耳目が集まる中で、03/04には宇高国道フェリーが、03/11には四国フェリーも届出を取り下げ、宇高国道フェリーは減便していますが四国フェリーは届出提出時点のダイヤを現在も維持しています。
航路消滅の危機は当面回避されたとはいえ、両親の故郷ゆえ連絡船や民間フェリーにも近からずも馴染み感を覚える当方、胸騒ぎを抑えることができず、なんとか都合をつけて駆足ながら廻ってきた次第です。

まずはさらっと現状を整理しておきます。
1988年の瀬戸大橋開通により宇高連絡船は廃止、JR四国は高速船を運航も利用低迷から1990年に休止、翌年には航路廃止となり、鉄道院以来の80年の歴史に幕となりました。一方で、1959年には一般旅客運送を扱う民間航路が開設、1966年からは国鉄と民間3社が覇を競う時代となり、民間3社は24時間高頻度運航、国鉄も1972年から新幹線連絡速達化のためホーバークラフトを就航させるなど、まさしく四国連絡の最重要航路となっていたわけですが、瀬戸大橋架橋と連絡船廃止後も通行料金が割高だった(フェリーに配慮したのも一因だが)ことから物流関連需要を集め、3社体制は揺るぎなく続いていたのでした。
しかし1998年の明石海峡大橋開通、1999年のしまなみ海道全通による「本四三橋時代」の到来、更には長引く不況により風向きが大きく変わります。2004/03には3社の一角・老舗の津国汽船(日通本四フェリー)が四国フェリーと共同運航化、3社120往復体制から2グループ100往復体制となりました。それでも約15分毎運航ですから凄まじい気も。

不満の強かった瀬戸大橋通行料金ですが、2003/07に全車種10%値下げ、2007/08からは大型車ETC深夜料金の30%割引が開始されると割安感が出てきます。2008/04には開通20周年記念として2日間のみ普通車ETC50%割引を実施した際には通行量が前年比約1.7倍にと効果を如実に示したことなどを受け、福田内閣における「安心実現のための緊急総合対策」の名の下で9月から普通車休日50%割引開始・大型車深夜割引50%拡大がスタート。四国F そして2009/03には麻生内閣における緊急経済対策の名の下で、かの普通車「休日1000円割引」および平日終日30%割引が導入され、直後のGW期間中で瀬戸大橋通行量は約1.6倍、05/04には交通量が6万8952台と架橋以来最多、05/03と05/05もそれぞれ2位・3位を記録。2010年のGW期間中は対前年比3%減とはなっていますが、効果が持続しているとも捉えられようかと。

瀬戸大橋の活況は航路を直撃、2007年の大型車ETC深夜割引開始が大きかったか、2008/04に宇高国道フェリーが20年振りとなるダイヤ改正にて50往復から37往復に減便。9月には四国・津国グループも50往復から44往復(休日40往復)に減便し、2グループ81往復体制となります。そして2009/04、津国汽船が「休日1000円割引」と刺し違えるかのように航路撤退。ここから坂を転げ落ちるかのように両社とも減便を繰り返すこととなり、12/20には1年でほぼ半減となる2社44往復体制となりました。最盛期の1987年度には民間3社だけで最大148往復あったとのことですから、減少振りがお分かり頂けようかと。
そして冒頭での「撤退騒動」の後、2010/04には宇高国道フェリーが16往復に減便改正。四国フェリーとあわせ2社38往復体制となっています。

 
  • Photo:国道フェリー宇野港
  • 国道F
    壁面を提供する鉄工所、やるな
  • 国道F
    うたターミナル長?は巡回中
  • 国道F
    人も車も自動券売機で購入
  • 国道F
    必要十分な感じの待合室
  • 国道F
    国道フェリーはタラップ乗下船
  • Photo:国道フェリー高松港
  • 国道F
    こちらも大看板が目印
  • 国道F
    ETC乗船にも対応
  • 国道F
    コンビニの前にぽつんと自券機
  • 国道F
    コンビニ内でもうどんが頂けます
  • 国道F
    待合室の奥にレストランも

宇野09:00→10:00高松/宇高国道フェリー:こんぴら丸

乗船日は05/28(金)午前、まずは宇野から高松まで宇高国道フェリー(以下国道F)に乗ります。
国道FのりばはJR宇野駅から徒歩10分ほど、先に四国フェリー(以下四国F)のりばを見ながら進むことになるので徒歩利用者にはネックになるところですが、無論クルマ向けであるとはいえ、赤文字の大きな看板にて誘導されます。「昼も夜中も28分ごと」だったのは2年前の話、だったのですが…尤もさらに前には19分毎の時代も。国道F
乗場は平屋のコンパクトなものとなっており、エントランスを入るとすぐ右下には空っぽながら猫の塒が…わかやま電鉄「たま」ブームに乗っかったものかはさておき、こちらは「うた」だそうで、丁度巡回中、かな? ちなみに待合室内には「うたかまりんちゃん」なる萌えキャラも。
で、受付には食券機チックな自動券売機が並んでおり、一般乗船片道390円也。その先には待合室と、売店(ヤマザキデイリーストア)が仕切りなしでありますが、若干ごみごみした印象を受けます。売店には飲食スペースもあり、うどんもありますが…ちと遠慮。

外でしばし待っていると、こんぴら丸が近づいてきました。国道Fはクリームベースにスカイブルーのシンプルなデザイン。現在は3隻在籍で20年選手、うちたかまつ丸には2008/10に日本初となる「マンガ喫茶フェリー」となっており是非現状を見てみたかったのですが、丁度すれ違いの行程となり残念。
くるりと反転しするすると接岸され、一般旅客は20人ほど、自動車は大型トラックと乗用車が各10台程度が出てきました。なお最大積載量は乗用車で53台分とのこと。国道Fは一般旅客はタラップからの乗船となるため向かうと、丁度乗船が始まったところで30人弱が乗り込みます。先にも自動券売機があったのは駆け込み客が多かった証左でしょうか。ふと車両甲板を見下ろすと、行商に向かうリヤカーつき自転車を漕ぐオバチャンの姿が…生活航路であることを実感させられます。

船は3層構造で、下部が車両甲板、その上が客室となりますが、後半分は屋根つきのオープンスペースで中央にはゲーム機がずらりと並びます。前半分の室内は長椅子が並んでおり、前方には両脇にテレビ、中央には各種情報案内板が。中央に売店があるもこの便では非営業でした。昨秋乗船したスオーナダフェリーは桟敷席もあったこともあるせいか船室の区画がしっかりしていましたが、こちらは開放的です。更に階段を上がると屋上オープンデッキ、階段脇にはドライバー用の風呂があり、ちょいと中をのぞきましたがこぢんまりとしています。ちなみにこくどう丸だとサウナがついているようで。天気は良いものの多少風があり、何人か屋上に顔を出すもののすぐに退散。当方も客室に戻ります。
バスが載ったのか十数人が加わったものの、ざっと50人いるかいないかという感じは、客室を寂しく感じさせます。よちよち歩きの赤子を連れた若夫婦が2組のほかは大半が熟年層。撤退騒動を受けての懐古乗船、でしょうか。なお高松接岸前に車両甲板の様子を確認したところ、この便では大型トラック5台にマイクロバス1台、乗用車10台程度とかなり余裕がある状態でした。

長椅子が並ぶ客室
国道F
中央部にある売店はお休み
国道F
これも時勢か喫煙ルーム
国道F
国道F
ゲーム機が並ぶオープンスペース
国道F
湯船は一般住宅並み?
国道F
車両甲板は余裕あり

定刻から数分程度遅れて出航。まずは葛島を左舷に見て南下、右舷には三井造船が広がり、丁度修理中の護衛艦いなづまが引き出されていましたが、注目は2004年の進水後もほぼその場に留まっているTSL「SUPER LINER OGASAWARA」。完成直前に原油高等により東京都・国が公的支援を渋ったことから運航予定事業者の小笠原海運が受取を拒否、今なお先が見えぬままの白い船体には部分的に汚れも見られ、なんともいえない気分になります。ちなみに全長約140m・全幅約30m、総トン数約14,500tは、かの「ナッチャンRera/World」よりちょっと大きい(全長112m・全幅約30m、総トン数約10,700t)感じですが、速力は約40ktと大きく上回ります(ナッチャンは約36kt、ちなみに宇高航路のフェリーは2社とも約13kt)。

陸地が離れると、西方遠くに瀬戸大橋が望まれます。この後航路はゆるやかに左手に弧を描いてゆきますが、前方を見やるとほぼ同サイズのフェリーが先行。直島(宮浦)からの四国汽船なおしまですね。宇高航路が廃止された場合も一応直島連絡で航路はつながる-という話もありましたが、接続ダイヤが考慮されているわけではないので所要が1.5~2倍になるほか、そもそも夜間早朝帯の運航もありません。国道F

さて先行するフェリーに気を取られていましたが、すでにサンポートのビルなど、高松市街がはっきりと臨めるのに驚き、改めて近さを実感します。遠くには宇野行四国F便も見えますね。
ビルがどんどん近づいてくると高松港、防波堤の位置的に左手に廻りこむかたちとなりますが、直島からの四国汽船のほか、小豆島航路のフェリーや高速艇が行く手にいるため、お客としては賑やかなれど操船には気を遣うことと思います。港内には丁度05/29に金刀比羅宮で行われる第59回掃海殉職者追悼式に伴い掃海母艦ぶんご他が寄航しており、明日の一般公開の準備が行われている様子。
サンポートを横目に、国道Fは駅から遠いエリアに接岸、丁度宇野に向けて出航する四国F便と入れ違いになりました。県営玉藻町駐車場に視界を遮られ、手前にはこくどう丸が係留されています。結局10分ほどの遅れで到着、タラップが降ろされて下船です。乗船口には20人ほどが待っていましたがこちらも熟年層が中心。

高松のターミナルビルは本社も入っていることから2階建てと大きいですが、かなりの年季を感じさせます。1Fは奥に細長い待合室とレストランがありますが、前面にはヤマザキデイリーがどんと入居、宇野のそれとは異なりしっかりコンビニですが、中にはこれまたしっかり?とした軽食スペースも入っていました。で、コンビニの軒先に自動券売機と、宝くじ売り場然とした有人窓口があるという、ある意味不思議な光景に。
さてビル前には乗船車待機場と交差点があることから駅方向に向かうとなると、ぴったり隣接する駐車場から伸びる歩道橋経由に。丁度エレベーターが点検中で階段を上りますが、高齢者にはなかなかしんどいルートです。歩道橋からのりばを見やれば、改めて年季というか陳腐さは否めません。

  • Photo:四国フェリー高松港
  • 四国F
    JR駅からは徒歩10分弱
  • 四国F
    この看板はいつから?
  • 四国F
    しっかりとした有人窓口
  • 四国F
    チョロQほかグッズもあります
  • 四国F
    左が国道F、右が四国F
  • Photo:四国フェリー宇野港
  • 四国F
    本四フェリー(津国汽船)と並び
  • 四国F
    海側はウッドデッキに
  • 四国F
    喫茶スペースもオシャレ
  • 四国F
    時刻表が1枚減らされている
  • 四国F
    今日も物流の動脈には変わらず

高松10:50→11:50宇野/四国フェリー:第八十五玉高丸

この後、いったん駅方面に顔を出そうかと思っていたのですが、国道F遅延のため時間的に中途半端になったことから岸壁でひといき。玉藻公園から道路を越えてはみ出すは報時鐘、そのすぐ東側は整地途上の殺風景な印象ですが、ここにもともと津国汽船の桟橋がありました。ところで、国道Fの看板は28分ごとのまま、でしたが、四国Fのりば周辺には「お乗りください」の幟はともかく、「大幅増便 □分毎に出航」なる看板も1つ…2004年の津国汽船との共同運航化時に単独40往復から50往復に増えたことを示すのかもしれませんが、□にこそ貼紙がされているとはいえ、空しさを覚えてしまいます。四国F
しばらく行き交う船を眺めていると第八十五玉高丸がやってきました。船体は国道Fとほぼ同サイズですが、側面の「四国フェリー」の文字で遠くからでも容易に識別可能。グループの小豆島急行フェリーでは「Olive Line」と入っているのでこちらとの見分けもできます。
国道Fと異なり四国Fは高松港で反転して接岸。車両甲板はほぼ満載、トラックや乗用車に加え、観光客を乗せた両備バスが4台出てきました。四国Fは一般旅客も車路と同じ乗降となり数人が降りてきたのですが、脇に止められていた自転車に乗ってさっと走り去ったのはなかなか印象的。

四国Fも本社社屋で、一般旅客スペースは国道Fのそれより少なく、飲食店等もありませんが、有人窓口のスペースはしっかりしています。といってもこちらも自動券売機が主体-と、こんな貼紙が。

通勤通学の皆様につきましては、新ダイヤの場合ご乗船頂けない時刻が発生すると思われます。その場合、弊社定期券及び乗船券(回数券・一般乗船券等)にて国道フェリーに乗船できますので新ダイヤ表をご確認いただき、よろしくお願い申し上げます。

日付が記載されていないので、今年というよりは昨年から掲出されていると考えるのが自然かもしれません(ちなみに運航時刻の平準化調整が行われたのは2009/12/20の44往復体制時から)。ただ、国道Fではこのような貼紙を確認していなかったのですが、減便は常に国道Fが先行していたことを考えると、国道F側でも対応しているはずかと思われますが、どうなんでしょうか。

さて、切符を買うと丁度徒歩乗船開始、係員が確認しているとはいえ、やはり専用タラップがあるのと比べれば危険性は否定はできません。ここでも自転車リヤカーとすれ違いましたが、いやいやパワフルですね。
甲板横の狭い階段を上がり客室へ。国道Fとほぼ同じ3層構造ですが、こちらでは風呂が2階後部中央で、表には「伊予の湯」との案内がかかっていました。こちらは「どなたでもご自由にご入浴下さい」とされています。先客なしを確認してさらっと内部を見ると、国道Fのそれよりも広い感じ。なお、女性利用を考慮して入室禁止札も用意されていますが、さすがに利用するにはハードルが高そう。
屋上に上がると、中央部に煙突があり、赤をバックに四国フェリーのマークが映えます。こちらも早々に退散して再び客室へ。オープンデッキ部はゲーム機などはなく広々としています。室内にはゲーム機とマッサージ機が各1台ありました。向かいには売店があり弁当などの軽食も提供、当方早速うどんを購入。動き出したところで頂きましたが、冷凍うどんを湯掻いたものながら、やっぱり船上では目に見えない味付けがなされるんでしょね…美味しいです。なお四国Fでは320円(天ぷら・きつね・月見・わかとろ、別途大盛・トッピング可)、国道Fは350円(トッピング等不明)とのこと。

質素な客室内
四国F
売店ではうどんも提供
四国F
喫煙室は仕切りなし
四国F
四国F
オープンスペースも簡素
四国F
湯船は大きめ
四国F
車両甲板はぎっしり

腹が落ち着いたところで、改めて客室内を見廻すと…うーん寂しい乗り、ざっと20人ほどでしょうか。トラックドライバーの方が目立ちますが、長椅子で横になるには丁度いい乗りなのかもしれません。売店のおばちゃんと顔馴染みの人も多いのか、昼どきもあってうどんや弁当が売れていました。
ソファーは白一色で、シンプルというか質素な感じ。ちなみに国道Fのソファーはシックな柄で床はカーペット敷、シャンデリア?は場違いな感じもしなくはないですが、高級感を感じさせる内装でしたね。気になったのは喫煙スペース、国道Fでは客室内に間仕切りがされていましたが、四国Fでは空気清浄機?が置かれていたものの仕切りはなし…ま、オープンデッキで吸えばというところではあるのですがね。いっぽう、国道Fでもゴミ箱が可燃・不燃と分かれていましたが、四国Fでは売店横に大型のものを設置、不燃物を弁当ガラとその他に区分するなど分別の徹底を促していたのは印象に残りました。

ところで、到着便が10分弱遅れていたのですが、その遅れのままで当便も遅れての出航。国道Fも遅れを伴っていましたがそれぞれ港湾施設は1船のみの対応となっており、となると要員減による影響が大きいのでしょうか。港を出ると右舷に女木島を掠めるように進みますが、小さく鬼ヶ島と看板が出ているんですね。
この後、宇野10:30発の四国F第八十二玉高丸と10:50発の国道Fたかまつ丸と離合。それぞれ目測ながら車両甲板には大型トラックがかなり乗っている様子。先述の通り昨年末から運航時刻の平準化を行っているものの、国道Fの減便により深夜帯では最大80分空く一方で、四国F 日中では7時台が合計2便、8時台が1便のみの一方、高松発10時・12時台と宇野発13時台が合計3便と中途半端な印象も受けますが、このあたりは長距離トラックの運行との兼ね合いなどもあるやもしれません。実際、高松を25分前に出ている国道Fも当四国F便も、隙間がないほど満載となっていました。

瀬戸大橋を遠くに見やりつつしばし、右舷には直島が迫ってくるとここから小島に囲まれた狭い航路を進み眼前には宇野港、25日から日本丸が入港しており存在感たるやさすがです。
結局5分ほど遅れで宇野着。車両甲板のぎっしり感からすると、大型トラックなどでそのまま運転席に留まっている人が少なくないのかもしれません。国道Fでもそうでしたが、航行中の車両甲板への立入もロープ等で制限管理されているわけではなく…この日は晴天、風は感じたものの航行中には揺れはまったく感じないほどということもあったのかもしれませんが、このあたりはなんともというところ。

宇野のターミナルは岡山県の整備により2002年に一新されており、小振りながらオシャレな建物に。中には軽食スペースも入っています。隣接して津国汽船の建物もあり現存する直島航路専用となっていますが、随所に1年前までの痕跡を感じさせます。なお、津国汽船の直島航路は三菱マテリアル関連により徒歩乗船不可等制限つきの風戸行となっておりひっそりとしていますが、東側に離れてある四国汽船の建物は、豊島経由小豆島行きの小豆島フェリーと合築となっていることもあり、出航間際ということもあったのか、宇野に買出しに来ていた然の人々で活気に包まれていたのでした。

■各方面の“思惑”が波風立てる「共生」への航路

久し振りに船で往復してみて、物流・生活航路ニーズの底堅さを実感しつつ、やはり競合による不利益が大きいと感じました。
過去長らくの因縁を置いて昨年には共同運航化や経営統合を見据えた水面下での検討もなされ、その結果として昨年末の減便改正時に運航間隔平準化や併記ダイヤの採用、通勤通学振替対応などの柔軟化が図られているとはいえ、運航継続発表タイミングのずれなどにその関係性の根深さが窺い知れるところは、発着場所の微妙な距離感とその中での案内等にも象徴されているような気がしてなりませんでした。

一方、2社の廃止表明を受け地元自治体は、休日1000円高速等の国の施策が直接的原因であると積極的に表明するとともに国主体による財政支援を強く要請。国側もカンタンには応じられないと地元自治体との共同負担を主張しており、急遽設定された宇野高松間地域交通連絡協議会から宇野高松航路活性化再生協議会に至る中でも具体的スキームは見えず、とりあえず調査を…というのが実情。国道Fが既に運航継続の見極めとしている高速道路料金動向が政局に揺れており、無料化社会実験実施の上に休日1000円高速も継続という状況では、体力勝負になる可能性もあります。

とはいえ、両社とも非上場ゆえ直近まで詳細な経営状況を開示してこなかったことや、そもそも運賃が据え置きや対抗値下げという現状を踏まえると、航路維持を見据えた適正を見出すことには、実はそう苦労しないのではないかという気もしなくはなく。少なくとも生活航路の途絶は断じて避けなければならず、廃止前提でのコストを考えれば少なくとも 四国F 旅客運賃については倍額程度、自動車航送も運賃も1.5倍程度までの値上げは許容されるものとしても暴論ではなかろうと思うのですが、素人考えでしょうか…。

●宇野~高松航路運賃比較※いずれもサイト確認ベース
ルート一般旅客普通車
(6m換算)
大型トラック
(12m換算)
国道F390円2700円6500円
四国F390円3700円7100円
直島経由790円8450円16790円
瀬戸大橋1470円3500円5750円
瀬戸大橋の一般旅客はJR宇野~茶屋町~高松間運賃
高速料金は児島IC~坂出北IC間基本料金

高速道路料金次第では更にジリ貧になるのは必至という状況下において、直島経由四国汽船を含めた運航効率化も視野に入れることになろうかと。参考になるのが深夜帯での高速艇運航併用でしょうが、通勤通学時の定時性を念頭にしても高速艇単独での収支確保はさすがに厳しいとも。
先を見据えると船の陳腐化・老朽化もそう遠くない課題にとも思われるなど、難問山積です。

■生命線の都市間輸送が脅かされているJR-S

高速道路との厳しい戦いは、JR-Sも晒されています。2009/12/18のリリースで、マリンライナーおよび特急いしづちの減車が発表されましたが、ともに2両編成の列車が登場するのには少なからず衝撃を受けました。いしづちは多度津以西しおかぜ併結とはいえ、JRの電車定期特急での2両編成は初ではないでしょうか。マリンライナーも早朝深夜の3連運転は開業当初と223/5000系置換後以降ありましたが、2連のみの定期運転は初設定かと。同時に最長編成も9連から7連になっています。

昨年同時期と今回、平日の朝昼夕にマリンライナーで2往復しましたが、減車が効いているのか岡山口では立客も見られるものの高松口含め区間利用も多く、瀬戸大橋区間では朝晩で座席定員ほど、日中は空席が目立つ印象を受けました。JR-S速報値で瀬戸大橋区間の輸送人員は2009年度にはそれまでの底であった800万人を大きく割り込む725万人と落ち込み、全体でも対前年比200万人減の4500万人に。全体での鉄道運輸収入は対前年比31億円減の279億円と、減少率として過去最大、減少額は阪神淡路大震災時に次ぐ3番目のインパクトとなっています。
何より痛いのは、三橋&高速道路時代を受け2004年の独立後、増収を確保してきたJR四国バスも初の減収決算、京阪神ルートを中心に高速バス路線で1割以上の乗車人員減となったことでしょうか。順風満帆とまでは言わずとも、特に対近畿圏を中心とした高速バス路線の拡充振りはここ数年の四国において目を見張るものがありましたが、休日1000円高速によりいともカンタンにマイカーに流出。徳島バスでは路線見直しも進んでおり、これまた高速道路料金政策如何では影響拡大が懸念されます。

JR-Sの要望をもとに四国経済連合会が音頭をとり、4県知事や地元財界、学識経験者などを交えた「四国における鉄道ネットワークのあり方に関する懇談会」が4月に初会合。来春をめどに国への提言をとりまとめる方針とのこと、各種記事ではJR-S経営層は20~30年後を睨み、高速鉄道体系を念頭に入れているとも思われますが、無論都市間輸送がJR-Sの生命線ではあるところ、このご時勢にあって、鉄道インフラ整備に期待するのは非常に厳しいものがあると言わざるを得ないのかな、というのが率直な感想なのですが…頼みの綱はフリーゲージトレインともなりましょうが、では土讃線をどうするのか、などと考えると…。

 

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  • Photo:玉野渋川特急
  • 玉野渋川特急
    最新型はふそう純正ボディ
  • 玉野渋川特急
    車椅子用ドアを特設
  • 玉野渋川特急
    車内には折畳式シート
  • 宇野線
    こぢんまりとした宇野駅舎
  • 宇野線
    茶屋町駅乗継は便利だが
  • Photo:宇高航路を愛でる
  • 宇高航路
    活況の宇野駅桟橋
  • 宇高航路
    とびうおも跳ねていた
  • 宇高航路
    一部が朽ちつつも残る
  • 宇高航路
    港周りではフェリーが行き交う
  • 宇高航路
    迫力ある三井造船遠景
  • 宇高航路
    霞む両備讃瀬戸大橋

玉野渋川特急に見る宇野線の厳しい将来

今回宇高航路を往復するにあたり「宇野線・宇高航路100周年物語きっぷ」を、と思っていたのですが、かなり前から気になっている存在があり結局それを使うことに-両備バスが運行する岡山・玉野・渋川特急線は、瀬戸大橋開業後の1988/09に開業。四国連絡の大儀を失った宇野線茶屋町~宇野間はダイヤ上も日中を中心に岡山方面と分断されたほか、旧型電車改造のクモニ84系が投入されるなどサービスレベルが低下。もともと宇野線が児島湾→児島湖外周を迂回しており、R30経由経由の一般路線バス(ちなみに一部便は宇高国道フェリーのりば発着)でも距離的には短かったのですが、ルートとサービスを練り直して拠点間直結を打ち出したのでした。

岡山駅前の朝、さすが鉄道路線が6方面から集まってくるということで、7時前から通勤通学客が途切れることなく出てきます。その一部は駅前バスターミナルから市内中心部方面へのバスへと乗り込み、やってくるバスにも多くの人が乗っています。
玉野渋川特急が出るのはロータリーの一番奥8番乗り場から。両備バスの岡南方面への路線が発着、案内員がついており、自慢の喉?で小気味良く案内してゆきます。新岡山港行が着いたときには小豆島フェリー連絡「かもめバスキップ」を手売りしていました。

その後、ホワイトベースに七色の線、「RAINBOW」の文字が入った玉野渋川特急専用車が入線。勿論水戸岡デザイン、トップドア1ステップハイバックシートという特色ある車両です。乗車したのはふそう純正車体に車椅子用リフト専用扉を追加した2006年登場の増備タイプで、西工車体でトップドアを車椅子でも対応したものが2004年登場の新世代オリジナルとなります。初代はハイデッカー(後に普通床)のエアロバス、最初期には独立3列シート車もあったそうですが、2000年施行の交通バリアフリー法に伴い路線バス車両が低床化原則となったことから代替わりを機にほぼ特注となった意欲作だそうで。しかし投入直後、宇野港・高松港で観測史上最高潮位を観測した台風16号高潮被害で被災、それまでのエアロバス全車が廃車に追い込まれたほか、虎の子の新車も数ヶ月間使用できない状態となるといったエピソードも。
早速乗り込むと座席や横引きカーテンはオレンジ主体のド派手な印象、ただしどギツイ感じはありません。乗車口すぐに前輪タイヤハウス上部を活用した小ぶりながらも荷物置き場と新聞雑誌ラックスペース。路線新設当時は最高級のサービス志向のもと、独立3列シートのほかオーディオサービス、ドリンクセルフサービスなどもあったのだとか。利用増に伴い一般的な4列シートとなり、ドリンクサービスも新世代オリジナル車ではミネラルウォーター、そして増備車ではスペース的な問題からか省略となっていますが、早速新聞に手を伸ばすビジネスマンもいてその精神は受け継がれているかと…ただ、特徴的な車椅子乗降ドア付近には清掃用具などの小物が置かれるなど、あまり使われていない様子。個人的にはバリアフリー法の主旨は当然理解するものの、やはり現実運用面でのベスト解答を一般乗合事業者だけに求めるのはちと難があるのかなと思うところですが。

過半ほど座席が埋まって出発、天満屋BCで4人が乗車。車内は通勤・所用スタイルの方が大半ですが、カートを荷物置き場に預けるビジネスマンの姿も。三井造船方面への出張でしょうかね。玉野渋川特急
ここからしばし無停車走行、R2から県道40号を南下、住宅街の中の道をしばし進むと天満屋ハピータウンとシネマタウン岡南が立ち並ぶ築港新町に停車。数人が降車すると学生が大量乗車、立客も出ました。そこからしばし、周囲が開けると児島湾締切堤防道路を直進します。堤防保全のため路線バス以外大型車通行禁止(児島湾大橋利用)となっており、流量は多いですが快適な道。それ以上に目を惹くのは通学自転車!まさに時間帯でもあるのですが、双方向にバンバン行き交っています。締切堤防だけで全長1.5kmですから、荒天時には自ずとバス利用が増えそう。
堤防道路を渡りきると西郡バス停、周辺は宅地開発されています。児島半島の一部は岡山市南区となっていますがその後児島湖を右手に県道45号線を進み、玉野市に入って見石から八浜へ。ここで学生の過半が降車、県立玉野光南高校へと思われますが、更に乗車もありました。ここからは峠越え、まだまだチャリ通組も少なくなく、立ち漕ぎで坂道に挑んでいました。尾坂トンネルを越えれば宇野市街へと入っていきますが、ここを自転車通学するのはかなりしんどそう…。
県道22号をしばし南下、宇野線踏切を越えると両備バス玉野営業所前で学生が全員降車、県立玉野高校に向かうのでしょう。それにしても港からは1km弱離れており、ここでバスがやられたというのはいかに高潮被害が凄かったかを物語ります。宇野市街の中心築港銀座を過ぎれば、四国フェリーのりばを見やりつつ宇野駅前で当方は下車、学生の流動はありましたが、岡山からの乗車客の大半がこの先渋川方面へと向かったのでした。

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昨年ですがほぼ同時期、同時間帯に宇野線を往復する機会があったのですが、さすがにこちらも学生が多かったものの、115系3連で座席がゆったり埋まる程度の乗り。折返し茶屋町まではガラガラでした。
今回もフェリー往復後に利用しましたが、213系2連で宇野発車時点では20人ほど、その後備前片岡でハイキング然とした熟年層の団体乗車がありましたが、他の駅ではぱらぱらとした乗降。茶屋町到着時点では50人ほどといったところでした。
無論それだけでは判断材料になりませんが、宇野駅利用人員は瀬戸大橋架橋後の1989年度で年間72万人だったのが2008年度で44万人となっており、少子高齢化の影響が伺えます。宇野線ダイヤはほぼ日中1時間間隔ではあるもののパターン化されておらず、もとよりフェリーダイヤの激変もあるところですが、なかなか噛み合わない感じも。いっぽう玉野渋川特急は13往復でスタートしたところその後3倍近くに増え日中を中心に30分ヘッド化、フェリーのりばこそ経由はしませんが、バス車体には「フェリー乗継直島」の文字も。渋滞遅延を考慮する必要はありますが岡山市内中心部へダイレクトという点も大きいでしょう。

その意味では、もしも宇高航路がなくなってしまった場合に、宇野線末端区間で少なからず意義がある、瀬戸大橋荒天(強風)時フェリー振替輸送連絡という使命が潰えることが、この区間の今後にも係ってくるのではないかとするのは短絡的でしょうか。とはいえ、そもそもフェリー振替輸送となっているのは過去3年間で2回(運行情報発表情報による)だけであり、台風や濃霧の場合にはフェリーの運航にも影響することを考えるとむしろ積極的な存置意義とはならないのかもしれませんが。
今春にJR-W社長が赤字ローカル線の廃止方針に言及したのは記憶に新しいところです。この表現が適切かはさておき、宇野線が存廃の俎上に載るのはかなり先とは思われますが、ことサービスレベルという意味で、宇野線に適切な改善策が見出せないのはなんとも心苦しいところです。


両親の故郷ゆえ思い入れが…としましたが、諸般の事情から当家に盆暮れの帰省という習慣がなかったこともあり、当方が宇高連絡船に乗ったのは数度(折に触れ書いてますがホーバーに乗ったのは貴重!)、民間フェリーは実のところ今回が初乗。もはや瀬戸大橋を通った回数が遥かに上回っています。とはいえ、父は連絡船派で「桟橋マラソン」もよくしたクチとか。急行鷲羽が思い出深いという母は民航派だったそうで、よく国道フェリーに乗った、CMがあってねぇ…四国フェリーは歌が流れるのよ-と以前より折に触れ聞かされたもの。それゆえ「近からず」馴染み感をとさせていただきました。
JR-W岡山支社による「懐かしの鉄道・航路展」こそ実見できませんでしたが、宇野港の玉野市産業振興ビル1Fロビーには宇高連絡船愛好會により1960年頃の宇野駅・連絡船桟橋の模型展示や往年の写真などが常設展示されておりふと感慨を…至近には連絡船第2バース跡も朽ち加減ながら残されており、手書きの説明文が哀愁を深めます。

で、改めて1時間の船旅を想えば、好天に恵まれたこともあり、瀬戸内海の島々や遠くながらも瀬戸大橋も見渡せ、宇野港・高松港での他のフェリーとの競演や、宇野出航直後の三井造船の遠景もツボにくるものがありました…無論「フェリーうどん」も外せませんね。四国F
全国的視点から高速道路料金問題を考えた場合、瀬戸大橋をはじめとする本四高速の料金体系が値上げに触れる可能性は低いといわざるを得ず、生活需要主体での航路維持という観点によるギリギリまでの体制縮減が当面の課題であり回答となろうかと思いますが、四国全体での地盤沈下を避けるべく種々のアプローチがなされている観光需要掘り起こし策の一環に、広く四国連絡航路を盛り込むことも期待したいところです。
その意味での試金石がまさに「宇野線・宇高航路100周年物語きっぷ」でしょうし、今夏開催予定の「瀬戸内国際芸術祭2010」と先般発表された「芸術祭フリー乗船2日券」の発売でしょう。宇高航路こそ対象外とはなっていますが、芸術祭が開催される小豆島・直島など7島と高松港、および宇野港を発着する8社11航路19区間約100便に3500円で2日間乗り放題となるもの。国際芸術祭は3年毎開催を目指す長期的プロジェクトと位置づけられており、一過的なイベントではない地域のボトムアップが期待されます。
そこと宇高航路をリンクさせることは早計かもしれませんが、国際芸術祭だけでなく、讃岐うどんやご当地ムービー、あるいは瀬戸大橋や児島湾などの産業観光的視座など種々のパーツを結びつける役割、回遊性をどのように魅せることができるかを考えることもまた、広域流動の中での宇高航路の持つ意義の再評価につながるのではないか、と考えます。

ともあれ、まずは宇野高松間地域交通連絡協議会および宇野高松航路活性化再生協議会、そして何より当事者である宇高国道フェリー・四国フェリーとJR-S、本四高速などの動向を注視してゆきたいと思います。


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