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長距離客をとるか日常最利用客をとるか、「のぞましい」ダイヤ編成とは 〔続〕 投稿者---551planning(2003/10/29 23:34:53) |
長距離客をとるか日常最利用客をとるか、「のぞましい」ダイヤ編成とは
└スクールバスか、特急活用か |
スクールバスか、特急活用か
投稿者---エル・アルコン氏(2003/10/31 14:17:20) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbsスクールバスの運行を考えた時、篠山のようにロットが相当纏まっていてそれだけで収益をそこそこ上げられそうなケースならまだしも、中途半端に纏まっていると難しいです。
立客を前提にしても輸送量で概ね50人程度を単位に車両が1台、運転手が1人という単位で増えるため、なかなかスケールメリットを発揮できないからです。以前ご報告した小牧市桃花台のあおい交通にしても、朝通勤時に桃花台バスに充当された大型バスを日中は名古屋造形大のスクールバスに使用し、朝は春日井駅などから周辺企業への送迎バスに使用しているマイクロバスを日中の桃花台バスに充当というように、異なる需要を組み合わせることで効率的な運行をしています。
一方でスクールバスの場合、スケールメリットを発揮して固定費をカバーできればいいんですが、そうでない場合、運用効率を高めるべき日中の運行のあてが無いと厳しいわけです。
名古屋の通好みな異色バス巡り special/022.html
***
あとは身延線における「ふじかわ」が稼ぎ頭になっているかと言うこと。
確かに急行時代に比べると増えていますが、企画商品や団体対応が専らというのであれば、特急として走らせることでかかる追加コストの回収も覚束無いわけで、ワンマン運行などローコストなローカル列車の収入で稼いだ方がマシかもしれません。通過流動と地域流動の関係ですが、JRは営利企業だから収益性で判断、というのであれば確かに通過だろうが地域だろうが儲かる方を、というのは正しいです。
ただ、それを無条件で受け入れることには抵抗がありますし、そうであれば通過流動、地域流動ともに身延線に対するエスケープルートになる道路交通を整備することで「移動」という行為を担保する必要があります。そういう意味でR52の道路事情は必ずしも良くなく、中部横断道と合わせて甲府も富士宮も向いていない(韮崎−興津)ので鉄道との互換性にもやや欠ける面があると言う事情も汲む必要はあります。
***
話は変わりますが、昭和50年代中盤、長野県東信地方の信越本線で通学輸送を巡る地元の運動がありました。通過流動主体でローカル輸送が少なかった軽井沢−小諸間ですが、下校時間帯の電車が無い反面、特急「あさま」「白山」や急行「妙高」「信州」が頻発していました。
特に急行は中軽井沢、信濃追分と連続停車しているにもかかわらず急行券を要し、定期券で乗車できないと怨嗟の的だったようです。
増発運動を行った末、ようやく昭和57年の改正で増発されましたが、当時の長鉄局は急行の一部を軽井沢以西を快速化することで増発以上の効果を地元にもたらしました。まあ「国鉄」だから出来たのかもしれませんが、そもそも「地域想い」とか美辞麗句を振りまいてスタートした分割民営化の趣旨を考えれば、今回のようなケースももう少し配慮があっても良いのかなとは思います。
とはいえ増発も難しいのであれば、例えば「ふじかわ」の停車駅を再考して、特急での通学を前提にすることで増発無き利便性向上を実現すると言う手はあります。四国なんかではそれを前提にした料金、商品構成になっているわけで、うまくやれば逆に他の時間帯での普通と特急の統合と言うような合理化も可能になるでしょう。
もちろん料金負担の問題もありますが、独自にスクールバスを導入するくらいならそこは地元が補助、というような生きた予算の使い方をすれば良いんです。***
あと、これを言ったら実も蓋も無いんですが、列車に合わせた時間割で良いじゃないですか。登下校のアイドルタイムをなくせるわけですし。
それと各学校の始業、終業も別に揃える必要も無いのです。逆に、学校別の時間割を徹底すれば、スクールバスの運用においてA高校の輸送後にB高校、と言うような効率化が図れますから、スクールバスでの対応へのハードルも下がるかもしれません。鉄道もだめ、スクールバスもだめなら?
投稿者---World's Greatest Railway Enthusiast氏(2003/10/31 23:58:03)そもそも、電車通学やその機能を完全代替できるようなスクールバス運行をする必要があるのかという点からも議論の展開が可能かと思います。
公立高校の入試制度は総合選抜と単独選抜に大別されるようです。ご存知ない型に説明すると、単独選抜は各校ごとの選抜、総合選抜は学区ごとに枠を設定し、合格者は一番最寄の学校に入学できる(地域によって例外や違いがかなり存在するが)という方式です。
身延線沿線である静岡県、山梨県は単独選抜です。これを仮に、総合選抜や、地元高校に入りやすくなる制度等を設ければ、自転車通学圏か、少なくとも非効率なスクールバス運行を行わなくても可能な通学圏を設定できることになります。もう一つ言えば、高校の統合を通学の利便性から取りやめるというのも一つの手段なのでしょう。
実際には総合選抜は、公立高校の質の低下を招くという事で単独選抜化される傾向がありますが、これは通学の利便性で言えば、地元ローカル線の廃線以上に高校生の生活に影響するわけです。実際に岡山県の入試制度改革の時に、中山間地域で通学に大幅な支障が出てくるという事で批判があったという話を聞いています。諸外国などでは、地元公立高校は無試験、有名な私立学校は全寮制にして全国(全世界?)から学生を集めるという形が定着しているように思います。世界有数の地域鉄道網のおかげで苦労せずに遠距離通学ができ、公立レベルでも学校の選択ができるのは好ましいですが、それが供給側の支障で維持できなくなった場合、需要側の改善で対処できるという考え方は重要−少なくとも高校生の通学問題を考える際に必要な要素の一つ−なような気がしますが如何でしょう(そうでもしないとバスと鉄道の趣味人の水掛け論で終わってしまう可能性もあるわけで)?
Re:鉄道もだめ、スクールバスもだめなら?
投稿者---RAH氏(2003/11/01 21:17:52)身延線沿線である静岡県、山梨県は単独選抜です。これを仮に、総合選抜や、地元高校に入りやすくなる制度等を設ければ、自転車通学圏か、少なくとも非効率なスクールバス運行を行わなくても可能な通学圏を設定できることになります。もう一つ言えば、高校の統合を通学の利便性から取りやめるというのも一つの手段なのでしょう。
とありますが、山梨県の県立普通科については、郡部では「小選挙区制」ならぬ「小学区制」がとられているようです。「小学区制」とは、ある学区域内で通学できる高校がひとつしかない、という制度です。なお、単位制、専門科、総合科については全県一区のようです。
山梨県立高等学校通学区域等に関する規則 http://www.pref.yamanashi.jp/somu/shigaku/reiki/honbun/a5000987001.html
これによると、市川高(甲子園出場の野球部が有名ですね)の通学域は、複合学区を含めて下記の町村となります。
三珠 市川大門 六郷 上九一色(一部) 鰍沢 中富 下部(北部?)
ですから、少なくとも市川高に関していえば、身延線はせいぜい下部温泉あたりまでカバーできていれば足りるわけです。とはいえ、仮に下部温泉までとしても列車の増発は難しい(やりたくない)、「ふじかわ」の時刻はいじれない、スクールバスは出せない、自治体に金はない、高校の時間割は動かせない、となれば、現実問題として、本数を増やさずに身延線のダイヤを再検討するしかない、と思います。
で、改めて身延線の時刻を見てみると、件の列車3740G(市川本町1629、市川大門1631 市川高の終業1620)は甲斐岩間で約15分、身延で23分の停車時間があります。そこで二つの案を思いつきました。
3740Gは現在鰍沢口で3631Mと交換していますが、これを市川大門での交換に変更し、その分3740Gの市川大門発を12分繰り下げます。甲斐岩間には1656頃到着し、従来どおりここで「ふじかわ9号」と交換します。
ただ、これでも市川高の終業からは23分しかなく、多少苦しいかもしれません。だとすれば峡南高と同様に終業時間を10分繰り上げることが考えられます。もっとも市川高は文武とも課外活動が盛んなようですし(市川高HPを見る限り)、それなりの進学実績もあるようなので、いずれにせよ3632Mの時刻まで居残る生徒は少なくないとは思いますが。
もうひとつの案として、3740Gを鰍沢口止まりとして、代わりに3742Gをそれ以南へ直通させることが考えられます。鰍沢口で「ふじかわ9号」と交換して同時に発車(1705)、甲斐岩間で「ふじかわ12号」(1718発)に道を譲り、身延に1744あたりまでに何とか到着し、あとは現在の3584Gと同じです(身延1747発)。
この場合、市川高の終業からは余裕がありますが、身延1743発の3751Gを2分程度繰り下げる必要があります。鰍沢口4分停車だから可能だとは思いますが。以上、素人考えながら2案を提示しましたが、もしかしたらこの案では実行困難な事情がなにかあるかもしれません。しかし、要するに工夫次第では本数を増やさず、特急のスジを重視しつつも地域輸送にとってより便利なダイヤにすることは可能だと思います。少なくとも、JRが重要顧客である沿線高校の終業時刻を把握していたならば何らかの考慮がなされていたはずであり、今回の事態は明らかにJRの編成ミスだと思います。
やっぱり原点に戻って
投稿者---World's Greatest Railway Enthusiast氏(2003/11/01 23:53:00)こんばんは、まずRAHさんのコメントから
山梨県の県立普通科については、郡部では「小選挙区制」ならぬ「小学区制」がとられているようです。「小学区制」とは、ある学区域内で通学できる高校がひとつしかない、という制度です。なお、単位制、専門科、総合科については全県一区のようです。
なるほど、しかも元記事を良く見たら高校名の記載もありましたね。私は問題になっている高校名も対象地域も確認せずに一般論を書いていました、提示された資料をもとに最勉強したところ、通学圏の方はある程度適切であるといえるようです。高校の在学制度を柔軟にすれば、というのは一つの解決案ですが、この場合はあんまり関係なさそうですね。余計なことを書いてしまいました・・・。一応身延学区との越境通学を柔軟に処置すれば、JR東海の態度が今後永久に悪いままでもいろいろと選択の余地が増えるという話が出来ますが、前回と言っていることは逆になってしまいます・・・。
どうも筆が滑りすぎたようなので、管理人さんの、論点の幾つかを私なりに検討して軌道修正をしたいいと思います。
ともあれ、単価の高い長距離客相手に重要性は認める上で、究極を云えば日常最利用客層に対する「仕打ち」こそは自らの首を締めるであろうということに対する認識が如何様なものなのか、ということになると思うのですが、さて。
2時間ヘッドがベストならば利用者側がそれに合わせる工夫も必要。ただ鉄道が地域圏輸送をも兼ねた存在であることについての事業者側の認識を問いたい。
常日頃から思うことなのですが、(儲けを出せる可能性があるとしても、現状として)運行間隔が1時間に1本以上も空くようなローカル線の普通列車輸送って利益が出ているんでしょうか。利益が出ていない時に維持すべきものなのでしょうか。
勿論、社会全体で考えたときの効率を考えれば地域輸送もすべきかもしれないわけですが、株主に配当を行う企業の場合、不採算部門の維持を何の見返りもなく行う事は、株主に対する背徳行為になるわけです。JRの設立にあたって、勿論「よきに計らえ」的な要請はあったわけですが、新会社は路線の維持を義務付けられたわけでもありません。○ではなぜ赤字ローカル線/列車を維持するのか
身延線のように幹線輸送も行っている路線の場合、どちらにどれだけ費用がかかっているのかは概算は出せても正確に測るのは困難な事かと思われます。しかも、路線廃止などを表明すれば、訴訟対応、補償、企業イメージのダウンなど、さまざまな費用がかかるわけです。私の認識は、
ローカル列車を廃止する事による総費用 |
> |
ローカル列車が発する赤字 |
であるからローカル列車は維持されているというものです。この場合、次の社会的便益も存在するのであれば路線は維持すべきでしょう(ついでに言うと、アメリカのビジネススクールにかぶれたのか知りませんが、右辺の数字ばかり気になって左辺の数字を無視するような経営はあまりいただけません)。
○今回のJR東海の判断
ローカル列車を不便にする事による総費用 |
< |
特急列車の利便性向上がもたらす |
とおそらく判断して、ダイヤ改正に踏み切ったということなのでしょう。
この場合、議論の進め方は二通りあるかと思います。一つは、ローカル列車を不便にする事による総費用を読み間違えている可能性を指摘すること(1)、もう一つは、ローカル列車が維持されることによって社会的な便益が発生している(市場の失敗が発生している)可能性を指摘することであります(2)。「日常最利用客層に対する「仕打ち」こそは自らの首を締める」という言葉は、明らかに(1)の問題でしょうか。JRがおかしいと主張するならこれによるしかないと思います。関連して、本島三社は、「ローカル線を整理して利益を向上させる事が株主の利益となる」と信じているようですが、実際どうなんでしょうかという話は以前問題提起しました。ただ、マスコミやわれわれのような立場の人間は、この総費用を過大評価する傾向があるようには感じます。
現実には(2)の問題が大きいと思います。スクールバスの諸議論は、身延線のローカル列車が果している社会的便益の大きさが大きいことを暗示しています。上の式に社会的便益を加味してみましょう。もし、
ローカル列車を不便にする事による社会的損害 |
> |
特急列車の利便性向上がもたらす利益向上(C) |
であれば、ローカル列車は不便にすべきではないでしょう。しかし、(C)式と(B)式が同時に成立するなら、地域にとって望ましい列車運行と、JR東海の行動は矛盾することになります(C式の不等号が逆のケースは、たとえばスクールバス化して万事上手くいくようなケースである)。
この社会的便益に反応するようにJR東海の行動を変える事は可能ですが、いろいろ面倒です。JR東海は社会的便益に貢献しているのに、その見返りを受けていないと解釈して、見返りを受けられるシステムを作る(すなわち、普通運賃の値上げ)か、JR東海は社会的便益を受けているのにその費用を支払っていないとしてその支払いを求める(新幹線や幹線列車から地方交通維持のための税金を取る)というのが理屈では考えられるのですが。
問題点として、地域輸送のために鉄道会社をコントロールすることには問題があり、強力な法律が施行されているアメリカでもそうやすやすとは言っていないということを付け加えておきます。○私の見解
個々の事例については、それなりに詳しく調べないと分からないという立場をとりたいのですが、総論としてJRに任せておけば上手くいく、JRが赤字部門も運営しなければいけないという見解には疑問を感じます。当然のことながら、JRが赤字部門を切り捨てようとすることと、一企業の赤字部門を社会的に切り捨ててしまう事は別問題で、JRに存続のための金銭的なインセンティブを持たせるか、何らかの受け皿を用意するという方法が(困難を伴うにせよ)望ましいのではないかと思います。また、地域の青少年の教育にかかわる重大な問題を、色々と別の事にもかまわなくてはいけない一鉄道会社が決定しなければならないという事は、仮に小手先の修正で問題の多くが改善されるにしてもちょっと異常な自体という見方もできるわけで、そういう認識を持つことも重要なのかなと思います。
実はもう一つ視点があって、それは競争原理の働いている部分とそうではない部分がJRには存在しているという話なのですが、暇があったら展開したいと思います。***
ちょっと論調を変えましたが、前回いい加減な問題提起をしたお詫びという事で。やっぱり原点に戻って
投稿者---551planning(2003/11/06 22:26:03)返信が遅くなりましたことについて御容赦の程…。
さて、定性的以前に感覚的反応しかできない自分を恥ずかしく思いつつ、私見を述べさせて頂きたく。先にも御説明しましたが、そもそも当方が本件に関する記事を引いたのは、当該事象が「ままある話」ともし、少子化の流れの中で事業者の指向性の変化について問題提起を図ったもので、直接的に事業者(この場合JR-C)の対応を批評する意図はありませんでした。ゆえに基スレで『実際に各校レベルで対応できる話なのであれば、それに越した事はないとも思います』、また後に『2時間ヘッドがベストならば利用者側がそれに合わせる工夫も必要』ともしています。
一方で通学客とローカル線問題総論に対する意識の存在自体は否定しませんし、本件であれば線路容量の問題、ないしそれまでのダイヤでは問題になっていなかった事を踏まえて『事業者側にも柔軟性が肝要と思います』としています。具体的なダイヤ検証について、今思えば当方これを忌避したわけですが、RAH様より詳細な分析・提案を頂きました。勿論実状細部についてまではRAH様御自身も触れられているように実現の是非までは判りかねる(JR-Cにしてそのダイヤ編成に相当の理由のある可能性が否定できない)ところとはいえ、なるほど物理的改善対応の可能性はあるのだと理解する事ができたことに感謝するとともに、自身に欠ける検証姿勢であると自戒するところです。論を進めてスクールバスの導入についてですが、正直当方自身はここまで思いつきませんでした。その意味では可能性の検証不足を反省するところですが、言い訳をすれば当該地域については数度通過経験があることと、以前に山梨交通について趣味的調査(という大袈裟なものでもないですが…特にICカード導入に代表される先進性に惹かれて事業展開等々をちょこちょこ調べたというものです)を通して当該地域での撤退基調の知識があったため、成立可能性は低いという認識でした。またその後とも様やエル・アルコン様に挙げて頂いたような道路事情からも難しいと思われます。ただし可能性を全否定していませんし、実際大新東などを例に挙げてその可能性を示しているところです。
また、高校教育と「通学」の介在…在学制度の柔軟化やあるいは寄宿・全寮制等の検討余地についても考え及ばずでありました。これもよほどの離島辺境地でなければ、という単純思考で反応する一方で、更なる少子化によってはより現実味を帯びる話とも思われることから考慮しなくてはならないと認識するところ、「そうでもしないとバスと鉄道の趣味人の水掛け論で終わってしまう可能性もあるわけで」という御指摘は耳の痛いところ、特に過疎と公共交通のあり方を当初根底にしてのスレ建ての中からのやり取りが第三者的にはそのように映ってしまったことについて管理者として思うところ多々あり、です…。***
さて、ここからWGRE様の御主張およびまえだ様・TAKA様の与するであろう認識(=主に鉄道による地域輸送維持における事業者と行政・利用者の関係性と纏めさせて頂きます)に対する私見を、WGRE様の論点整理に沿って述べてみます。引用の適宜省略は御了承の程。運行間隔が1時間に1本以上も空くようなローカル線の普通列車輸送って利益が出ているんでしょうか。利益が出ていない時に維持すべきものなのでしょうか。
右辺の数字(ローカル列車を廃止する事による総費用)ばかり気になって左辺の数字(ローカル列車が発する赤字)を無視するような経営はあまりいただけません。
当方自身は、鉄道という公共機関は今後都市間高速輸送と都市圏大量輸送という2種に大別されながら存立してゆくのであろうと感じています(他方都市間大量輸送=貨物輸送の意義解釈については軌間的側面から悩ましく感じているところですが)。その意味において、そのどちらにも当てはまらない場合には厳しい現実が待ち構えていると認識します。特に2000年の鉄道事業法改正による需給調整規定廃止・退出時事前届出制は事実的にその流れを加速させるものであり、昨今の各種状況に繋がっていると思われますが、個別検討をひとまず置いて、総論として当方はその流れを否定するつもりは毛頭なく、ある種当然の帰結とも考えているところです。ただし1点付け加えるところ、それは鉄道存廃論においては概ね代替機関(主としてバス)による填補が前提となっているところがあることでしょうし、さてバスについても同様に法的規制緩和が行われているところにあって、過疎路線廃止の深度化がより進んでいる現実に対して、公共交通維持に対する問題の重さを指摘しておきたいところです。
一方で特にJRにおいては「ネットワーク性」からの存立意義が示されるところですが、裏を返せば内部補助の正当化ということになりましょう。ただこの問題について対株主責任が指摘される事が多いですが、当方自身は違和感を感じるところです。無論JR各社(本島会社)に路線維持義務付けがなされているわけではないですが、一方で株主には経営環境における現実の状況(=内部補助の存在性)を受け入れている前提があろうと思われるところ、株主側からの主張余地を否定するつもりはありませんが、現にローカル線維持を実施している経営者の対応そのものは基本的に受容されているものと考えます。その上で、まさに今月一杯でJR-W可部北線が廃止されるところですが、経営環境と地元利用者の便宜(及び当然生じるであろう反対運動対処、イメージ戦略等への考慮)との兼ね合いからの結果と理解するところです。総論としてJRに任せておけば上手くいく、JRが赤字部門も運営しなければいけないという見解には疑問を感じます。当然のことながら、JRが赤字部門を切り捨てようとすることと、一企業の赤字部門を社会的に切り捨ててしまう事は別問題で、JRに存続のための金銭的なインセンティブを持たせるか、何らかの受け皿を用意するという方法が(困難を伴うにせよ)望ましいのではないかと思います。
ここはTAKA様の御主張がより深いところですが、すなわち地域公共交通維持方策としての行政によるサポートをどのように考えるか、ということになろうかと思われますが、端的に資金援助に答えを求める時にバスや中小私鉄に対しては直間各種制度のあるところ、ことJRに対するそれが法的に可能なのか(駅舎や車両などの近代化整備等はあるが…)ということと、他方TAKA様が「「口も出すが金も出す」という姿勢」とされるところに含まれるであろう事業運営そのものの直間的介在(現状3セク組織になるが、今後はそれに留まらないスキームもありえようかと)への検討もポイントになると考えますが、正直申して当方自身はこれ、というコタエを出せていません。
また、地域の青少年の教育にかかわる重大な問題を、色々と別の事にもかまわなくてはいけない一鉄道会社が決定しなければならないという事は、仮に小手先の修正で問題の多くが改善されるにしてもちょっと異常な事態という見方もできるわけで、そういう認識を持つことも重要なのかなと思います。
この点については意見を異にします。勿論ダイヤ決定権については事業者に専権されているといって良いでしょうし、物理的障壁を加味しての結果である事も理解します。一方でネットワーク性による存立を図っている時点で、地域からは歴史的な地域流動体としての存在価値を与えられているという認識を持たれると解しても拡大解釈とは思えません。さらに本件においては当該改正まで結果的にマスコミ報道ともなる問題認識が呈されていなかったとも思われる以上、事業者としては対応可能性を探るべきであり、その経緯において地域との認識共有の機会を持つべきではなかったかと考えます。さらには実際の利用者としては突然惹き起こされる事態である以上、事業者に対する認識がどのような反応となるかは悲観的に捉えて当たらずとも遠からずでしょう…それゆえの『「仕打ち」こそは自らの首を締めるであろう』という表現に帰結します。
無論当方の認識を押し付けるものではありませんし、当スレについての応対はそのように心掛けてきたつもりではありますが、参加者としての立場と管理者としての対応が交錯した所もあるところ、皆様にどのような印象を持って受け入れられているかについては多々考えるところではありますが、こちらについては追々別途【検証:】サイト全体における「管理者見解」として示したいと思っております。実はもう一つ視点があって、それは競争原理の働いている部分とそうではない部分がJRには存在しているという話なのですが、暇があったら展開したいと思います。
今回は一記事を引き出しにして主に各論的な分析をと思っておりましたが、ことここに至り総論的な意見交換を強く望むところです。その意味でもWGRE様の展開に期待し、皆様との意見交換を心待ちにするところです。今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
展開予約
投稿者---World's Greatest Railway Enthusiast氏(2003/11/15 23:53:07)レス遅くなりました。この議論については、今までの言説も踏まえて少し広い視野で行おうかと考えています。しばらく間をおきますが、展開ご期待ください。
WGRE
消防隊員死傷事故に関する事故調査委報告を読んで |
投稿者---エル・アルコン氏(2003/11/05
14:12:35) |
JR神戸線塚本−尼崎間で発生した消防隊員死傷事故からまもなく1年が経とうとしています。
本件については航空・鉄道事故調査委員会から9月12日に報告書が出ています。
http://www.motnet.go.jp/araic/railway/report/detail.asp?ID=1620
本件の結果制定されたマニュアルについては「検証」でも私による批判を中心に論じました。また、事故直後を中心に各メディアでさまざまな議論を呼びました。それを振りかえりつつ、公的機関による総括であるこの報告書を元に、この事件について幾つか再論したいと思います。
角を矯めて牛を殺すが如き事故対応 log105.html
抑止する側に求められる説明責任 log110.html
●事故の時系列
時刻 | 現場 | 大阪駅 | |
a) b) c) d) e) f) g) h) i) j) |
19時12分頃 (19時18分頃?) 19時22分 (19時26分頃?) 19時23分 19時34分頃 19時36分頃 19時39分頃 19時42分頃 19時42分 19時45分頃 |
新快速3643M(大阪19時8分始発)が現場で線路に侵入した 中学生と接触し、現場の450m先に緊急停車。 後続の特急3027M(「北近畿17号」大阪19時12分発)は人身事故 発生の報を聞き、徐行運転を行い現場の50m手前に停車。 尼崎駅員が上り普通列車に便乗して現場へ向かい、 現場(3643Mの横)で便宜下車。 3643M出発。 3027M出発。 警察官到着。 消防隊長到着。ついで消防隊員現場へ。 61Dが消防隊員と接触。 |
特急61D(「スーパーはくと11号」大阪19時23分発) 大阪駅発車の抑止を受ける。 61Dが大阪駅を出発。 |
→尼崎駅員への引き継ぎ終了に伴い、現場から列車が消えた後に警察官と消防隊が到着しており、列車運行についての情報を視覚的に得ることが出来なかった。事故列車である3643Mに続いて後続の3027Mが現場を通過する現場を見ていれば、警察官と消防隊における注意が働いた可能性は否定できない。
●運行状況、特に61D通過に対する認識(各自の聴取から)
尼崎駅員 警察官 消防隊 |
:輸送指令より61Dが運転再開後一番列車になり、新快速は内側線運行と聞いている。 :外側線の運行に付き駅員に確認し、大丈夫という回答を得ている。 :運転状況は尋ねていない。 |
→尼崎駅員は現場の通過状況についての把握はしていた。警察官は下記の通り不充分ながらも先着の駅員に確認している。ただ、消防隊については駅員と警察官の存在で現場の安全が確保されていると認識して、自身による確認はしていなかった。
なお、このとき、輸送指令は現場の状況を駅員と直接交信しながら、3027M乗務員からの情報に基づいてのみ判断している。最徐行の要請につき、駅員は3027M乗務員経由で輸送指令に要請した時点で確認をしておらず、輸送指令は3027M乗務員経由で情報を得ながら、「最徐行」を「注意」と自らの判断で読み替えて通常運行の指示をしている。
結局、全体の統括者である輸送指令における一次情報入手および発信の不備と、情報判断における恣意性の混入を排除していなかったことが根本の問題点といえる。●61D通過に対する認識の相違と推測
尼崎駅員によると、警察官に「新快速は内側線、下り外に1本運転」と伝え、警察官から「新快速はここに来ませんね」と問われて「そうだ」と答えている。 なお警察官(2名)はそのやり取りを否定。確認内容は「ここ電車大丈夫か」と言う問いかけに「大丈夫や」と受けたとしている。 |
→どちらも当事者であり、どちらかが嘘を言っていない限り整合性が取れない。ただ唯一整合性が取れるケースとして、警察官が外側線を走る電車の意味で「新快速」の有無を問い、駅員が(内側線に振っているので)「大丈夫」と答えたため、61Dの存在が宙に浮いた可能性がある(その際に「外に一本」を言ったが聞き落としたかその言葉自体を理解できなかった可能性は否定できない)。
●線路立入に対する安全確保
尼崎駅員 | :警察官、消防隊の立入につき、鉄道用地の水際で確認はしていない。立入後に現場の大阪方3〜4mで見ていたが、最徐行要請が伝わっていると誤認しており防護体制は取っていない。 |
警察官 | :最初に到着した警察官は安全確認をしていない。駅員が「どこからいつ入ったかも分からない」という感じ。後から到着した警察官が上記の確認を行う。 |
消防隊 | :現場に立ち入る際、また立ち入った後も駅員、警察官のいずれにも確認はせずに作業に入る。 |
→駅員の鉄道用地立入に対する認識が甘い。また、列車防護における確認も不充分。警察官、消防隊の安全確認も不備。61Dの通過時間によっては、警察官が確認前に遭難する可能性もあったし、消防隊は駅員と警察官が適切な情報を共有していたとしても遭難する可能性があった。
●第一事故の保護体制
第一事故の被害者が安置されている場所における外側線の車両限界からフェンスまでの幅は約1.15mとあるので、被害者が中学生であることを考えると、列車との相対位置ではホーム白線付近に安置されたイメージと思われる(報告書26P)。
また、レール端から1.9mあること、道床の盛り上がりと犬走りの下がり勾配を考えると、実際の列車との相対位置として、必ずしも「列車のすぐ脇で危険である」という当時のメディアのような批判は無条件で受け入れられないと考える。また、報告書27Pの現場写真を見る限り、加島駅舎の張り出し部分に向けて犬走りが広がるポイントであり(写真左側のパイプで組んだ構造物は当時は無かった)、この手前にかけて広がる箇所を使わずに被害者の中学生を除く9人がひしめいていたとするには疑義があり、逆に、犬走りに安置された中学生に対し、線路側から充分な作業空間をとりつつ直角にアプローチしたため消防隊が遭難したというのが真相では。
●61D運行の是非
警察官、消防隊到着前の3027M乗務員の情報に従っての指示であり、線路に近接しての救助作業の発生が予想される状況下においては通過は不可能という結論であるが(報告書20P)、適切な防護体制を取っていれば61Dを通過させることと救護活動の両立は可能と考える。
ただし、報告書21Pの通り、救助作業についての確認があることは当然であり、現場の救助作業の状況を確認せずに運行を再開したことは問題である。
●全面抑止に対する評価
報告書21Pにおいて、列車の運転再開についてはケースバイケースとしながらも、「救急救助活動が、列車の運行に支障のない安全な場所で行われること、又は事故に伴う現場での作業が完了し、すべての関係者が列車の運行に支障のない場所に移動した等により、安全が確保されることが確認された場合」を前提にしており、結論として「救急救助活動が完了するまでは、救急救助活動に直接関係する線路の列車運行を抑止するという考え方」を原則することを必要としている。
あくまで救急救助活動としているが、駅員社員は法的な死亡を確認出来ないので、結局は死亡事故を含む総ての人身事故に適用されることになる。ただ、抑止対象となる救急救助活動に直接関係する線路については、本来、救急救助活動をしている場所が当該線路から見て「列車の運行に支障のない安全な場所」であれば足りるはずではあるが、実態は「救急救助活動に支障のない線路」以外の全面抑止となっている。
また、現場検証等の確認作業については範囲外であり、証拠隠滅の危険性があると言った証拠保全の緊急性が認められない限り、現場検証を優先させる必要性への言及はなく、現状の現場検証まで含む抑止については、少なくとも鉄道システムの安全確保と言う観点からは導かれないことに注意したい。
なお、航空・鉄道事故調査委員会の設置の意義を踏まえると、本報告内容は他鉄道における同種の事故を防止する観点から、他鉄道においても普く適用されて然るべきである。しかしJR西日本と他鉄道での同種の事故における運転再開までの時間、また一部鉄道で死体を放置したまま運転再開をした事例が発生したことなどを考えると、本報告内容に盛りこまれた対策項目を他鉄道が充足しているかを改めて調査、指導すべきであり、その必要性を認めないのであれば、「同種の事故の再発防止」を謳う報告書(報告書23P)の存在意義も問われることになる。
●結論
この事故は、全体の統括への情報集中の不備、情報伝達における恣意的判断の混入とそれによる情報の変質、不完全な情報の元での指示、全当事者の安全確保における不備と思い込み、関係当事者間の役割分担が不明確、という事情が相次いだことによると考える。
特に、現場の安全確保における「思い込み」はこれまでの報道ではあまり重視されていなかったが、情報伝達等が完全であったとしても事故が発生する余地を残すものであり、危険と隣りあわせの任務を帯びるプロとして問題であり、改善が徹底されているものと信じたい。
なお、本報告書で不満な点は、同種の事故再発の防止という大義名分は分かるが、本事故の発生もつき詰めると、鉄道事業者に課せられた輸送という義務ゆえに救助活動と運行再開を天秤に掛けざるを得ないという部分についての言及や考察がなかったことである。
輸送を犠牲にすればするほど救助活動はより完全完璧になることは言うまでもないわけで、運行再開を前提にした意見かどうかはなお議論の余地を残していると考えたい。
2004.11.02 Update | |||||
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