【検証:】掲示板過去ログ集

【検証:近未来交通地図】
(過去ログNo.115)
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鉄道趣味、特に「アマチュアの交通論」としての問題の再定義
 投稿者---World's Greatest Railway Enthusiast氏(2003/08/02 21:15:44)

鉄道趣味、特に「アマチュアの交通論」としての問題の再定義
└「アマチュアの交通論」の再定義?
└Re:鉄道趣味、特に「アマチュアの交通論」としての問題の再定義
 └やや飛躍した喩えになりますが
  └「プロ」と「アマ」の垣根とは
   └「アマチュアの交通論」に対する問題意識
「利用者による交通論」の必要性と【検証:】の在り方
 └Re:「利用者による交通論」の必要性と【検証:】の在り方
  └理想と現実の狭間で…
└アマチュアの交通論

 はじめまして、はじめて投稿します(たいそうな名前はあまり気にしないで下さい)。

 私は『路面電車不要論』だけ参照しました。「RE:」の方はわからないので、不完全な見解となってしまうのは否めませんが、『路面電車不要論』に見られるような典型的な見解、すなわち鉄道を趣味とする事が、同書きこみの『卒業しろよ』という言葉に代表されるように「人間の発達の一時期にのみ見られるような」一過性のものであり、鉄道を趣味とする人間の見解や提言と言うものが、「とるにたらない」『マイノリティの見解』であるという話はしばしばでてきます。3〜5段落目『君達も〜 〜ない』は見解として意味をなしていませんのでここでは取り上げませんが(次の私の主題に関係するある種のシンボルが含まれている事は確かですが面倒なので省略します)、前者の問題に関しては、真面目に問題提起しても面白い問題のように思われます。すなわち、鉄道趣味、特にアマチュアの交通論というのには、「一過性で、とるにたらない」要素があり、また、その原因が、趣味としての活動の限界にあると言うよりは、趣味活動を永らく続けている私を含む、当人自身に問題があるような気がしてならないからです。

路面電車不要論 ../neotrans/log360.html#2

 例えば、この掲示板の投稿においても、投稿の参考文献として、市販の鉄道雑誌を取り上げる例が多くあります。こうした雑誌の内容には見るべきところがあるのは私も認めますが、厳密な分析をしたわけではないものの、数年を周期に同じような特集が再び登場するという循環が繰り返されているような気がします。これを雑誌編集者が読者に押し付けた結果と見るか、読者のニーズを反映した記事づくりをした結果と見るかで見解は若干変わってきますが、こうした循環が鉄道趣味の一過性を裏付けているような印象があります。
 また、アマチュアの交通論(小生、このページの主題を、勝手に「(プロではない)アマチュアの交通論」としてしまっています。異議があればご指摘を)という分野に限った場合のこの分野独自の問題があります。多くの時間と費用がかかる、写真撮影や模型といった分野に比べて、アマチュアの交通論と言うのはやもすると軽く見られる傾向があるように感じられます。「軽く見られる」と言うのは私の主観ですが、アメリカの都市交通などの情報が、交通論に重きを置いている趣味人よりも、模型制作のみを主眼としている趣味人の方が所有していて、交通論を議論する時の引き合いとして模型制作の参考書が用いられる事などを見ると、何となく甘さが感じられるような気がします

(写真や模型をやらないで交通についてあれこれ考えをはべらす趣味人、と言う定義は欧米にもあって、Armchair enthusiast と呼ばれていたりする。これもマイナスイメージの言葉だが、ここで言うアマチュアの交通論 をやっている人を指すのに適切かどうかはわからない)

 勿論、趣味であるからして、個々人が満足できれば言いのであって、高い完成度を求める必要性があるわけではないのですが、私自身はこうした現状に不満があります。もう少し長い間付き合える趣味として、多彩なヴァリエーションがあっても良いのではないでしょうか。
 例えば、より高いレベルの交通論を展開出来るようなデータベースを構築するなどと言うのも良いと思います。例えば、川島氏の著書で用いられている理論には間違ったものが多い、またそれを予告なく修正して読者を混乱させる等の批判はありますが、彼の著書を超えた見解を考えようとすると、途端に見なくてはいけない本のレベルが高くなります。(プロならきちんと勉強する必要がありますが)実際には細かい経済学や工学の理論を見ないでも、どうして理想の鉄道網が築かれなかったかを示すのは、実務者の見解をわかり易く示せばそれでいいと思うのですが、現在の段階では、こういった情報は一部に秘匿され、議論で相手を打ち負かす切り札にのみ用いられているような感じがあります。
 また、議論だけではなく、現実の議論でそれを生かすチャンスがあると面白くなります(こうなると趣味ではなく実務になるという根本的問題がありますが)。一部で動きはじめている交通関連のNPOなりでそれなりの知識を持ったアマチュアとして活動するためのノウハウの蓄積などもあったら面白いような気がします。

 これからの時代、余暇や老後をいかにして使っていくかが大切になります。鉄道趣味を人生の一過性のものにとどめず、長い時間親しめるようなものにしておく事は、社会的にそれなりに意義があるのではないでしょうか。「アマチュアの交通論」をこういったレベルの趣味にするためにあれこれ思案する事が我々の今後の課題のような気がします。

「アマチュアの交通論」の再定義?
 投稿者---さいたま市民@西浦和氏(2003/08/04 22:28:28)

 こんばんわ。管理人様。みなさま。久しぶりに掲示板に投稿します。

 はじめまして、はじめて投稿します(たいそうな名前はあまり気にしないで下さい)。

 それではGreatさんと呼ばせていただきますね。適宜引用をさせていただきながら、拙い経験を元に私の考えを述べます。引用で要旨を曲げるつもりはありませんので、おかしかったら言ってください。管理人様より先に仕切ってしまうような言説を弄するかもしれませんが、ご容赦下さい。

 現在、サイバースペースであまたの鉄道趣味や交通論の対論や情報交換が行われているHPや掲示板があります。いろいろな掲示板を読んでおりますと、こちらの掲示板が、他の鉄道関係の掲示板に比べ、「情報交換」や「雑談」というより、長文の投稿が許されていると言うこともありまして、まとまった文章がだいぶ蓄積されたという状況です。ぜひ、過去ログをお読みいただければ幸いです。さらに、常連さん方が列島の各地の様子を機会(もちろん、「利用者としての視点を持った趣味者」からですね)あるごとにレポートされているという、アップツウデートな情報提供の場ともなっているのですね。
 Greatさんは趣味活動を長くされているとのことですが、どのような立場や視点で趣味活動をしていても、様々な形での意見発表や成果発表はされてきたのでしょう。それが、紙媒体であったり、同好の士の集まる会合だったり、または最近隆盛のこのような電子媒体での発表なのかもしれませんね。

 また、「鉄道趣味」が一過性のものであるという世間一般の認識について、私はそれを一般化することを好みません。事実、このような電子媒体の発達によって、様々な分野で活躍している、私を含めた「かつての」鉄道少年たちが、それぞれ個人のHPなどで、その「想い」を吐露しているのは実にすばらしいことだと思うのです。この掲示板の管理人さんが選んだリンクされるいくつかのHPは、みなさんそれぞれ本業をお持ちの方々ですね。

 Greatさんがお読みになった、このスレッドの元になった投稿は、このようなまとまったレポートを良くお読みになる方のものだと思っております。おそらくは、鉄道交通や自動車交通に関して深い議論をお望みの方のようで、かつて、おなじような話題を提供いただいたのを読んだのですが、あまり話題が展開する対論の様子ではなかったと覚えています。
 私の考えでは人やものの移動について、深く考えても、答えは何通りも出てくると思えますし、その事に一つの答えを求め、様々な考えの皆さんにそれを元にした話題の展開を求めるのは、「交通論」をGreatさんがご心配される「鉄道趣味の問題」とおそらく同一の視点で心配することになるのではないかと思われます。
 ふたたび、鉄道趣味の一過性の話に戻りますが、確かに、小さな子どもは動くものが好きですね。動物など自然のものや電車バス自動車船飛行機ロケットなど人工物でも動けばそれに目がいくものです。その印象や体験がその子の能力の発達に大いに資するのも事実でしょう。
 そのことと、「分別ある」大人の鉄道趣味を一緒にするという話題の提供の仕方は、あまり「分別」があるとは思えないのです。Greatさんのように、長らく趣味活動をされている方の知識の蓄積に私などはもっともっと学ばなければならないと思うのです。趣味をどのように実生活に生かすか、そのことについては私も思案しているところです。

 例えば、この掲示板の…投稿の参考文献として、市販の鉄道雑誌を取り上げる…内容には見るべきところがある…数年を周期に同じような特集が再び登場するという循環…雑誌編集者が読者に押し付けた結果と見るか、読者のニーズを反映した記事づくりをした結果と見るかで見解は若干変わってきますが…一過性を裏付けているような印象があります。

 鉄道雑誌論については、今後もこの掲示板の話題に繰り返し出てくるかもしれません(もちろん過去ログにも何度かあるのです)が、それらの雑誌がどのようなテーマを選定し、発行するかは私たち読者も大いに気にしていますし、楽しみにしているところです。ただ、それぞれの出版社の都合もあるでしょうから、1冊の雑誌にどれだけの情報を詰め込めるかという限界はあるのでしょう。誰にどこを読んで欲しいのか、様々な思惑が詰まっているのでしょう。
 内容の循環については、かまわないのです。題材はおなじでも、前回からの新しい変化や別な視点、蓄積した情報を紙媒体という形で伝達することを私たちは望んでいるのです。本質は変わらなくても、いや変わったとしても「変化に対応する」事を期待しているのです。

 また、アマチュアの交通論…という分野…独自の問題があります。多くの時間と費用がかかる、写真撮影や模型…に比べて、アマチュアの交通論…軽く見られる…私の主観ですが、アメリカの都市交通などの情報が、交通論…趣味人よりも、模型…趣味人の方が所有…交通論を議論する時の引き合いとして模型制作の参考書が用いられる事…甘さが感じられる…(写真や模型をやらないで交通についてあれこれ考えをはべらす趣味人、…Armchair enthusiast …マイナスイメージの言葉…ここで言うアマチュアの交通論 をやっている人を指すのに適切かどうか…。)

 はっきり言って、こちらの掲示板にはプロの方もいらっしゃいます。私などから見て、そのままどこかの学会に発表したら?と思われるような内容のレポートもあるといえます。
 外国の都市交通の情報について近年では、正に電子媒体などで身近に知ることができるようになりましたね。調べようと思えば、外国の小都市のトラムなどでも時刻表や路線図など簡単に手に入ります。ただ、模型を作る人たちは写真や図面を見るのでしょうけれども、こちらの掲示板の常連さん方では、都市計画や交通計画の視点からそのような外国の情報を捉えているようです。

 勿論、趣味である…個々人が満足できれば…高い完成度を求める必要性があるわけではない…現状に不満…長い間付き合える趣味として…ヴァリエーションがあっても良いのでは…。

 そうですね。ですから鉄道諸雑誌に対する不満もそういう所に由来するものであろうと考えられます。私などは、こちらの掲示板はもう、雑誌を超えているのではないかと想いながら読ませていただいております。

 例えば、より高いレベルの交通論を展開出来るようなデータベースを構築するなどと言うのも良い…。例えば、川島氏の著書…読者を混乱…批判はあります…超えた見解…見なくてはいけない本のレベルが高くなります。(プロならきちんと勉強…)実際には…理論を見ないでも、どうして理想の鉄道網が築かれなかったか…実務者の見解を…示せばそれでいい…現在…情報は一部に秘匿され、議論で相手を打ち負かす切り札にのみ用いられているような感じ…。

 そうですね。私もそうは思うのです。ただ、川島氏についての評価は稿を改めてやった方が良さそうですね。学術的な分析とGreatさんがおっしゃる「理想の鉄道網」の間を埋める方法はまだ、ありそうですけれど…。「秘匿された情報」も、調べることで結構掘り出すことができるのではないでしょうか。それをしてから学ぼうとするか、出てくる話題だけで学ぼうとするか、その違いが議論になったときに出てきます。この掲示板の皆さんは結構情報を持ってますよね。そこから何を学ぶかは私も課題です。

…現実…それを生かすチャンスがあると…(…趣味ではなく実務になるという根本的問題…)。…交通関連のNPO…知識を持ったアマチュアとして活動するためのノウハウの蓄積などもあったら面白いような気がします。

 プロの方は、なぜ、この掲示板へ参加するのでしょう?ここでの対論が仕事の種になっているのかもしれませんね?こちらの掲示板にはNPOやNGOに関わっていらっしゃる方も投稿されたことがあります。活動されている地域の話題が出たことをきっかけにネットワークが広がったのでした。
 この掲示板は、交通をアイテムとして、町づくりやグランドデザインやユニバーサルデザインまでも話題にする掲示板だと私は思っています。もちろん、細かい乗り物の話題もたくさん出てきます。その蓄積は3年分(ですか?管理人様)はあるのです。どうぞ、過去ログをすべてお読みになって、新たな視点や話題をご提供下さい。

 これからの時代、余暇や老後をいかにして使っていくかが大切になります。鉄道趣味を人生の一過性のものにとどめず、長い時間親しめるようなものにしておく事は、社会的にそれなりに意義があるのではないでしょうか。「アマチュアの交通論」をこういったレベルの趣味にするためにあれこれ思案する事が我々の今後の課題のような気がします。

 こちらの掲示板で投稿活動をさせていただいて、私も大変勉強になっております。Greatさんの趣味活動の成果もぜひご呈示頂ければ幸いです。プロやアマといった区分をお互い軽々と乗り越えて、「異業種交流」的な勉強ができれば幸いです。サイバー空間の中ではありますが、アームチェアー***でいいではないですか。大人の遊びとして、管理人様のお許しのある限り、発信し続けましょう。

 長いお返事になりました。皆様方はいかがお考えでしょうか?この先は管理人様やご常連の皆様方のお考えを伺えればとおもいます。

 乱筆ご容赦。

Re:鉄道趣味、特に「アマチュアの交通論」としての問題の再定義
 投稿者---とも氏(2003/08/05 12:17:00) http://town-m.vop.jp

 World's Greatest Railway Enthusiastさま、始めまして。
 道路板及び疑問板の共同管理をさせていただいております、ともと申します。

 さて、深い問題提議をいただきました点につきまして、私なりの考えを。
 引用文の前後入れ替え、及び省略をさせて頂いております。ご容赦ください。

 『路面電車不要論』に見られるような典型的な見解、すなわち鉄道を趣味とする事が、同書きこみの『卒業しろよ』という言葉に代表されるように「人間の発達の一時期にのみ見られるような」一過性のものであり、鉄道を趣味とする人間の見解や提言と言うものが、「とるにたらない」『マイノリティの見解』であるという話はしばしばでてきます。
 鉄道趣味、特にアマチュアの交通論というのには、「一過性で、とるにたらない」要素があり、また、その原因が、趣味としての活動の限界にあると言うよりは、趣味活動を永らく続けている私を含む、当人自身に問題があるような気がしてならないからです。

 この点は私も日頃感じていたことです。
 鉄道だけではなく、道路や航空路を含め、「一過性でとるにたらない」要素が含まれ、しかもそれが無知もしくは経験の無さといった点から生じているものであるとの考え方は私自身も感じております。

 また、アマチュアの交通論という分野に限った場合のこの分野独自の問題があります。
 アマチュアの交通論と言うのはやもすると軽く見られる傾向があるように感じられます。「軽く見られる」と言うのは私の主観ですが、アメリカの都市交通などの情報が、交通論に重きを置いている趣味人よりも、模型制作のみを主眼としている趣味人の方が所有していて、交通論を議論する時の引き合いとして模型制作の参考書が用いられる事などを見ると、何となく甘さが感じられるような気がします。

 特に交通論を展開される場合において、他の掲示板等を見る限り、多くの方にとって参考となる都市や事例が非常に限られている現実は否定できません。
 たとえば、LRTといえばストラスブール、グルノーブル、カールスルーエであり、ちょっと詳しい層でポートランド、シアトルといった形となりますし、コミバスと言えばムーバスばかり。
 その原因はまさに「資料を読みこなせない」「情報を入手しない」層の多さであり、ご指摘の通り、軽く見られるものでありましょう。

 例えば、この掲示板の投稿においても、投稿の参考文献として、市販の鉄道雑誌を取り上げる例が多くあります。こうした雑誌の内容には見るべきところがあるのは私も認めますが、厳密な分析をしたわけではないものの、数年を周期に同じような特集が再び登場するという循環が繰り返されているような気がします。これを雑誌編集者が読者に押し付けた結果と見るか、読者のニーズを反映した記事づくりをした結果と見るかで見解は若干変わってきますが、こうした循環が鉄道趣味の一過性を裏付けているような印象があります。

 まさに、ここが私は最大の落とし穴と感じています。鉄道雑誌のレポートには資料価値が無い訳ではなく、その時の時事ネタとしての価値はあるわけですし、海外報告などは導入論として高い資料価値(あくまで各自のスキルアップのものとして)はあると考えます。
 しかし、まさにアマチュア鉄道論の総本山的なものである「鉄道ジャーナル」誌をそのまま自分の意見にしてしまう層が数多いのが現実であり、そこにあるレポートなどから自分なりの資料収集や実地視察などで肉付けし、自分の意見とできるのならば善いのですが、そのまま受け入れてしまう層が少なからずいる。いやその方が圧倒的に多数である。これが問題であって、ご指摘の通り、アマチュア交通論の軽さを表しているといえましょう。
 川島氏の著作にしても、一意見として読みこなすのは善いとしても、それを100%信じてしまう、オフィシャルではなく氏の意見を正論としてしまう、そういう層こそが軽く見られる原因をつくっているのは間違いなく、また、現実的にはそういう層ばかりであるのも事実でしょう。

 もう一つの問題は「行きすぎた理想主義」であり、盲目的な「鉄道性善説」を唱える方がいらっしゃるのもアマチュア交通論の特徴であり欠点であります。
 ここも解決しなくてはならない問題です。この解決はそれこそ思想転換に近いものになり、実に難しい問題ですが、一つ言えるのは「現実を知らせる」ことが必要であることでしょう。

 勿論、趣味であるからして、個々人が満足できれば言いのであって、高い完成度を求める必要性があるわけではないのですが、私自身はこうした現状に不満があります。もう少し長い間付き合える趣味として、多彩なヴァリエーションがあっても良いのではないでしょうか。
 彼の著書を超えた見解を考えようとすると、途端に見なくてはいけない本のレベルが高くなります。実際には細かい経済学や工学の理論を見ないでも、どうして理想の鉄道網が築かれなかったかを示すのは、実務者の見解をわかり易く示せばそれでいいと思うのですが、現在の段階では、こういった情報は一部に秘匿され、議論で相手を打ち負かす切り札にのみ用いられているような感じがあります。
 また、議論だけではなく、現実の議論でそれを生かすチャンスがあると面白くなります(こうなると趣味ではなく実務になるという根本的問題がありますが)。一部で動きはじめている交通関連のNPOなりでそれなりの知識を持ったアマチュアとして活動するためのノウハウの蓄積などもあったら面白いような気がします。

 この手の問題認識は私にもありまして、その解決の一助となるように考えたのが、この板にあります膨大な過去ログと特別レポート、本板管理人様と私で共同運営している「疑問・質問掲示板」「用語集」です。
 また、レベルは大変低いですが、私がやっております「交通とまちづくりのレシピ集」もその一つです。
 このほか、各常連様にも近いコンセプトでの情報提供や問題提議のサイト運営をされている方がいらっしゃいます。

交通とまちづくりのレシピ集 http://town-m.vop.jp/

 この掲示板の過去ログをご覧になりますとそのレベルの差だけではなく意見の多彩さに驚かれるかと思います。また、参考文献にも専門書やはたまた英文の資料なども登場します。過去には統計資料の分析や解析なども行われております。
まさにこの板で行われていることがWorld's Greatest Railway Enthusiast様ご指摘の点に近いのではないか、そう考えますがいかがでしょうか。

 乱文大変失礼致しました。
 それでは。

やや飛躍した喩えになりますが
 投稿者---和寒氏(2003/08/05 19:52:05) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 たいへん興味深い提言だと思います。
 本来は真っ正面からお応えしたいところ、しかし自分なりの考えがうまく整頓できないのと、ちょっと表現がキツクなってしまいそうな予感もあるので、やや飛躍した側面から喩えたいと思います。

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 三国志の時代を分析するに、どういう参考文献を使うべきでしょうか。
   陳寿の「三国志」か。
   羅貫中の「三国志演義」か。
   吉川英治の「三国志」か。
   周大荒の「反三国志」か。
 史実に基づいて分析するならば、陳寿「三国志」や范曄「後漢書」かあるいは司馬光「資治通鑑」か、というところでしょう。それが歴史研究の正統です。
 だからといって、「演義」や吉川本や周大荒本が使えないかといえば、そういうわけでは決してない。前二者にはかなりの部分でフィクションが採用されてはいるけれど、描かれている世界は人間社会では普遍的な内容も多く、得られる教訓も少なくない。後者はいわゆる「架空歴史」で、歴史のIfの検証という意義を有してもいる。
 ところが、「演義」・吉川本・周大荒本の内容を「史実」だといってしまうと、根底からおかしくなってしまう。それぞれの著述を枕に論じることは出来ます。史実という保証はないがと前提して、その内容から人間社会の普遍的課題を拾い出すことはできる。その内容が史実に即しているかどうか、という歴史学的検証とはまったく別次元の話になりますが、そういう論の起こし方は成立するはずなのです。

 そういう使いわけがうまく出来るようになれば、「アマチュアの交通論」が成立する余地があるのでしょう。とも様のいうところと共通しますが、現状では「演義」や吉川本を「正史」と認識してしまっているがゆえに、正統な歴史学者から相手にされていない状態ではないかと思われます。
 陳寿「三国志」にしても、当初は私本だったのが、内容の高度さゆえに正史として取り上げられたという経緯があります。それが「アマチュアが起こす論」の醍醐味ではないでしょうか。

 わかりにくい喩えで恐縮ですが、意を汲んで頂ければ幸甚です。

「プロ」と「アマ」の垣根とは
 投稿者---エル・アルコン氏(2003/08/06 14:54:32) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 貴論は興味深い論と感じております。
 確かに明らかに趣味の範疇を逸脱した感があるが如き議論をしていると、部外者がこういう話をして何になるのか、というジレンマを内心感じる時もあります。そういう感情も「アマチュアの交通論」とセットになる部分なのかもしれません。

 一方で、我が国における鉄道趣味の場合、写真や模型といった「趣味の王道」の一環ではなく、鉄道業界というシステムを論じるジャンルが別に成立しているということが挙げられます。
 本来「趣味」はその対象が鉄道のような公共材であっても、車両や路線といったハード面、またいわゆる「乗り鉄」のような感覚的なものになるはずですが、鉄道の場合は、鉄道業界やその背後にある経済・政治・行政に興味をおく特徴があります。これは、一つは歴史研究という分野における要請であり、もう一つは、国鉄の分割民営化というイベントが、本来の「趣味の対象」であった部分と鉄道業界というシステムの部分が不可一体であることを気付かせたこと、また、他分野ではそれが当たり前の前提である業界の体制が、分割民営化に代表されるように万代不易ではなく、変わるという意味で研究、議論の対象になるということでしょう。

 また、これは趣味というよりも、一種の社会評論としてみたほうが良いのかも知れず、そこにおける「プロ」と「アマ」を論じたほうが実態を現しているのかもしれません。

***
 しかし、ここではそういう垣根をあえて曖昧にして、交通論における「プロ」「アマ」論を考えてみましょう。簡単にいうと、文庫や新書に、作者あとがきに並んで簡単な書評がついていることがありますが、それを寄せるのは同業者ではなく異分野のプロであることが多いことと共通すると考えます。

 鉄道業界(鉄道会社に限定されない)に身を置くか否かで「プロ」「アマ」を区切るのは確かに簡単な議論です。しかし、一般的に「対象となる業界人である評論家」はいないわけですが、だからといって数多の評論家を「アマチュア」と評価することはありません。
 つまり、論じる対象に通じているか、という知見、理解によって区切るべきとも言えます。

 一方で、いわゆる「マニア」と呼ばれる知識が豊富な層がいますが、それの蔑称としての「オタク」、さらには「ヲタ」と蔑まれる存在も含めて、確かに業界知識は豊富です。しかし、問題意識、論点の把握や提起は全くダメといってよく、単なる知識だけでは区切ることにはなりません。
 そう考えると、交通論における実のある議論のためには何が求められるのか、ということも自ずから見えてきます。

 結局は、業界というシステムを論じるに足る知見、つまり、その業界に身を置かずとも、業界というシステムのあり方に通じていることで、他業界の評論が可能になると言うことです。見方を変えれば、「本業」においても取引先などの業界、企業研究をするのは至極当然であり、何も変わった事をしているわけでもないのです。そういう下地のもとで、業界に関する知識は若干劣っていても、企業が、また業界というものがどうあるべきという議論や考え方を学習や実務を通じて培っていることで、質の高い議論が可能になるのではないでしょうか。
 確かに、鉄道(交通)業界という括りで見たら「アマ」であっても、彼等が身を置くそれぞれの「業界」において「プロ」と呼ばれるに足る知見を持って語るのであれば、さらに外側からの批評に耐え得るだけの議論をすることが可能ではないでしょうか。そしてそれこそが「アマチュアの交通論」の存在意義かと思います。

 もちろんここで議論をしている私がそうであるというつもりは毛頭ありません。他者からの批評に焦ったり冷や汗をかくことも多々あるわけで、「アマチュアの交通論」に至ることが本当に可能なのか、神のみぞ知るという感じであることも事実です。

 余談ですが、本来は鉄道趣味誌や専門誌のような「評論のプロ」が、一指もさされぬレベルのものを提供しているのであれば、「アマチュア」の介入し得る余地は非常に狭いはずです。しかし、そのプロであるはずの専門誌、特に趣味誌の底の浅さが目立つというのも、「アマチュアの交通論」という特殊な分野を成立させていることは否めません。然るに、ネットにおける情報伝播、議論が既存趣味誌の衰退すら招いているのでは、という声もありますが、実際そういう面があるとはいえ、「プロ」としてのあり方が見えていないという「プロ」の問題点を如実に現しているのです。
 いわんやそれを孫引きしただけの議論をすることがいかに無意味かつ危険かは論を待ちません。

「アマチュアの交通論」に対する問題意識
 投稿者---World's Greatest Railway Enthusiast氏(2003/08/09 02:18:56)

 皆様、詳細なレスありがとうございます。
 レスに応えるべく、あれこれ考えているのですが、簡潔な説明がなかなか思い浮かびません。おそらく、私の最初の投稿が

  • アマチュアが交通論を論ずるべきか

  • アマチュアの交通論は趣味として成立するのか

  • アマチュアの交通論と、マスコミ(鉄道趣味雑誌)

  • アマチュアの交通論は奥が浅いのではないか、可能性を無視していないか

  • そもそも交通論におけるアマチュアとプロとは

など多岐に渡る問題点を提示していたからかもしれません。これらの問題をまとめるにはもう少し時間が欲しいところで、今回は、なぜ故こんな事を書いたのかを読み物風にまとめたいと思います。少々読みにくい場所があるのですがご容赦を。

***
 そもそものきっかけは、数年前に遡ります。

 私の鉄道趣味はそのころまでには随分昔に下火になってしまって、山間部の路線バスを乗りまわす事ぐらいが楽しみだったのですが、1つの転機が訪れました。まとまったアメリカの電気鉄道の文献を入手したのがそのきっかけです。
 最初に入手したのはロサンゼルスで1961年まで活躍していたパシフィック・エレクトリックの文献でした。パシフィック・エレクトリックに関しては「トラクション・ブック」という本が機芸出版社から出ていますが、もともと都市鉄道のダイヤなどに関心がある私としては、車両概要だけではもの足りず、いくつかのHPなどを参照して推測を試みました(ただし、この会社の完全な時刻表については入手が大変で、断片的にしか見た事はない)。細かい事はさておき、この会社をいろいろ調べていてわかった事は、世間でGM買収により消滅したという説が問われていながら、実際には、この説が明治期の日本の鉄道忌避説(の多く)と同じくらい根拠のないものであるという事です。『パシフィック・エレクトリックは順調な経営を続けていたのにも関わらず、自動車産業の発展をもくろんだGMが買収し線路を撤去した』というのがGM買収説の概要で、これはスネル B.Cという人が合衆国議会で報告した内容でもある(『クルマが鉄道を滅ぼした』という本が日本語で出ている)のですが、実際には学術的には根拠のない話とされています。実際にはパシフィック・エレクトリックは自社の不動産産業に有益な形での差別的運賃を設定したり、乗客に対し過小な車両しか供給しないため(この話はロサンゼルス市内の路面電車で特に問題になったが)に混雑が引き起こされたりという形であくどい商売をしていたために自ら客離れを導いたというのがその真相といわれています(民間企業に努力を期待するのがおかしくて、適切な規制、補助政策を行えなかった地方政府がいけなかったのですが)。
 一通りパシフィック・エレクトリックの概要が理解できると、今度は、新京阪電鉄などが建設の時に見習ったという「ハイスピード・インターアーバン」の存在が気になりました。パシフィック・エレクトリックは車両性能や軌道状態から最高速度は時速60マイル(96キロ)前後で、戦前から110キロ運転を行っていた新京阪電鉄などは、シカゴ周辺他、中西部で20世紀初頭に発展した諸路線を参考にしていたようです。日本で高速の電気鉄道が発展した1920年代後半以降は、アメリカの電気鉄道にとっては斜陽の時代で、実は新京阪電鉄、阪和電鉄などに匹敵する高規格の路線はほとんど存在しなかった(電車に関しては、カルダン駆動などの技術は遅れていたものの、規模に関しては戦前の段階で日本に利があった)という事実は新鮮でした。また、ここで、1904年に電動車の寝台車が作られ、実際に営業運転に入ったという話を見聞きしました。
 この後、2000キロ近い路線網(東京都の最盛期の数倍)を持っていたと言うシカゴの路面電車に興味を持ち、路線図入手に奔走したあと(完全なのはまだ入手していません)、アメリカのプルマン社に関心を持ち、参考書をいくつか入手し・・・、という形で現在に至っています(詳細、参考文献などは機会あれば紹介します)。

 そんなこんなで、私は鉄道趣味に復帰しました。しかし、ここで大きな問題が生じました。せっかくあれこれ知識を入手したのに、鉄道趣味を持つ人同士でも話が出来ないのです。勿論、ここで言う話とは、アメリカの個々の鉄道についての知識を披露するといった類のものではありません(それはアメリカ型趣味の人同士で交流すれば事足りるので)。日本の都市鉄道の話を議論する際に、例えば、「(アメリカの事例を取り出して)公営化、もしくは民営化が望ましくない事がある。」とか、「路面電車とLRTは(アメリカの事例から考えると)機能に違いがある」とか「(アメリカのシートの例を持ち出し)転換クロスシートをどう評価するか」というような話し方をすると、話が非常に簡潔になる感が生じました。逆に言うと、こうした例を持ち出さずに議論を進めると、鉄道に関心のない人に鉄道の話をする時に感じるようなもどかしさを感じるようになってしまったのです。私は実際にアメリカに行ったことはありませんが、ちょうどMBAコースに派遣留学で留学したあと、会社内で浮いてしまった若手社員の気分に似ているかもしれません。
 特に歴史的な経緯では、既存の趣味の領域で議論されている話にいろいろな疑問を感じるようになりました(プロの領域、もしくは学術的な領域では話は変わってきますが、制度比較のような問題は比較的取り扱われてこなかった点でもあり、学術的にも指摘の余地はあるかもしれませんが)。線路の使い方、座席、寝台車サービスの変遷、鉄道路線の存続に対する考え方、こう言ったもののかなりが、類似のものを基本としているのに、既存の言説とは相当異なった説明が与えられているのです。既存の言説の批判を行うことも(特に、世界最初の電車寝台という記述には不満を持ちました。国鉄が世界最初を宣伝したから仕方がないし、「本格的」などの言葉がつけば間違えではないのですが。)が、それを通り越して、最初の投稿に書いたような『アマチュアの交通論は奥が浅いのではないか』と時折思うようになっていったのです。

 勿論、鉄道に対する批評というのは海外事例の紹介だけで事が済むわけではなく、私の思いの一面には、自分が仕入れた海外の鉄道の知識をひけらかしたいというマニア特有の感情が混ざっている可能性も否定できません。しかし、海外事例を随分含めることで議論の流れが変わる可能性がある(と感じた)事は、裏返すと、何か別の論理を持ちこむと、多くの議論の流れが変わる可能性でもあります。鉄道好きの人間が議論を行うことによるバイアスや財政的視野に欠けている(需要分析と供給分析が学術的なレベルで上手く融合できていない事にその理由を求めるべきかもしれませんが)ことは良く指摘されますが、それ以外の変動要素もあるかもしれません。こうした要素も加味すると、アマチュアの交通論は脆弱な基盤の上に立っているような気がします。悪い事に、アマチュア、もしくは趣味で交通論をやると言う事は、範囲が規定されないだけに、グランスケールが求められる事が往々にしてあるような気がします。この仮説を適用するなら、ある一部門の交通問題の解決が出来ればいい「プロ」の交通論に比べても、その到達点は高いものである、ということになります。

 とりとめのない議論になって申しわけありません、個別の議論は改めて。

<補足>
 ここでいう、奥の浅い「アマチュアの交通論」というのは、この掲示板の議論が、ということではなく、あくまでも一般的なものと理解していただければ幸いです。この掲示板の議論の中には高度に専門的な議論が含まれているのは私も認めるところであります。
 また、今後の議論、特に電鉄史や都市鉄道のサービス、経営の問題などに関しては、出来るだけコメントしていきたいと思います(別に情報公開も行って行きたいと思います)。それが自分の抱いている問題の解決への一助になるかもしれませんし。

「利用者による交通論」の必要性と【検証:】の在り方
 投稿者---551planning@おさぼり管理人(2003/08/10 16:05:49)

 まずはWorld's Greatest Railway Enthusiast様(以後当方もGreat様とさせて頂きたく)はじめ皆様、御投稿を賜りまして誠に有難うございます。先に書いたとおり、この真摯な問いかけは【検証:】のあり方そのものへ繋がるものと考え、当方自身もいろいろと考えているところでもあり、率直に云っていまだ返答に迷うところがありますが、ひとまず私見を述べさせて頂こうかと思います。なお、内容的には以前示している【検証:】の検証議論時のものと重なる点が多いので、併せてお読み頂ければ幸いです。

【検証:近未来交通地図】を検証します。 ../../rules.html

 まず、Great様の御投稿の発端となった経緯については詳細に触れるまでもないでしょうが、おかげさまで幸か不幸か【検証:】では少ないとはいえ、このような独善的視点からの「言い切り」投稿についてはこちらも切って捨てるべき、「お約束」に掲げている以上は即時削除処理が当然という声も聞きます。ただ当方はその場でも書いたとおり、こうした「輩」を何が【検証:】に向かわせるかを見極めたい、傍目からは「閉鎖的」ともされた「ハードル」をあっさりと幾度も越えてくるのには、単にヲタ、厨坊と切り捨てるにはむしろ惜しいのではなかろうかとすら考えるのです。
 その根底には、広く一般的な人々…それを「アマチュア」と捉えるかはひとまず置いて…が有する認識の狭小さがあろうと思います。そして当方はそのことについて直ぐに責める云々の話にはならないと感じます。問題になるのはその先であって、それを知ってどうなるという範疇論と、知ったからどうなるかというレベル論に集約されようかと思います。

 この前者、たとえれば範疇論において、例えばこうした計画がある、このような方法があるといってもそれが現実のものにならなければ広く一般が知見することにはならないわけで、その認識の有用無用はある程度の部分で区分されるのだと考えます。それを有用とする人々をマニアなりヲタと見るかはまた後で考えたいと思います。
 後者のレベル論、これはとかく趣味の世界の一片に過ぎないBBS運営というものをまがりなりにも丸5年に渡り行ってきた当方が強く捉えたいと考えているのですが、ある認識を前提としての意見交換は総じて知的好奇心を擽られるばかりでなく、非常に難解なものであると日々感じているところです。ただその感覚の裏返しとして、いわゆる論文なりディスカッションなり学会なりという表現の、オブラートで包まれたような空間…それを「プロの世界」とするかも後述します…を見るにつけ、強い憧憬とともに一般的には「誇張された認識」しか得ることができないのではないかという思いを常に抱いてきました。それをどのように補い埋めるのか、実はそこに「レベル」があるのではなかろうかと考えます。Great様のアプローチが端的に示しているような資料収集を中心とした認識の習得はこのネット社会で非常に容易になりつつあります。さらに当方はこれを人的交流によりなしてきました。【検証:】では5年で延べ200名近くの方からの御投稿を賜り、その1割弱の方々とは実際にお会いしかつ継続的な交流を深めさせて頂いておりますが、全く不思議な縁といいましょうか、多くのものを得させて頂いております。そのような具体的行動というのは誰しもが出来得る、なにも難しいことではありません。ただそこに、現在の鉄道趣味誌なり川島令三作品や反クルマ的都市交通論チックな専門的著作なりの評価をどのようになすかが非常に問題となってきていると考えます。

 さて、「プロ」「アマ」という捉え方については、エル・アルコン様の御指摘に完全同意するところです。線引きは必要でしょうが、隔絶までは不要でしょう。一方で「マニア」についての私見ですが、これは非常に微妙と申しましょうか…社会認識論をここで振るつもりはありませんが、当方も会社では時刻表が「読める」(手早くプランニングできる?)というところで「鉄道マニア」で通っているところもありますし、かといって範疇論とレベル論における区分が相容れない存在かというとどうでしょうか…さらに器物損壊や窃盗といった犯罪行為に至る社会的隔絶者の存在は残念ながら認めざるを得ないところですし、一方でBBS上での意見交換において「荒らし」と呼ばれるそれ以前の道徳的というかいわゆる社会常識に足らない振る舞いをする存在をも多く見出すわけですが、かの2chで見ているだけでも、交通系こと鉄道系の諸投稿からは前述とも違う存在…ヲタ、厨を多く見出すわけです。それは端的に云ってレベル論におけるいわば「半端物」と断じることができるのではないでしょうか。すなわち、特定の情報源を信奉しかつ低レベルな対論テクニックに走るという存在です。ただ当方としてはそうした存在を忌避することだけでいいのか、という思いがどうしてもあるのです。交通論を広く一般にまで訴えかけようとするときに、そうした存在をも納得させられなければならないのではないかと考えるのです。

 その意味で、【検証:】という存在はどうあるべきで、かつ今後の方向性をどのように見据えるべきかについては昨今特に悩ましく感じているところでもありました。【検証:】の検証はそれをも意図していたのですが、ひとまずはBBS運営論に留まっていました。そこでも示しているとおり、当方自身としては【検証:】は参加者全員で育ててゆく空間であるとの考えを第一に持っており、これまであまり方向性を明確に打ち出してこなかったのですが、現時点では当方個人としては漠然とではありますがこう考えています。
 先ず短期的にはそれこそ分け隔てなく『利用者の視点』を掲げ、かといってテクニックに走らない身の丈の合った井戸端会議的議論スペース維持・向上を指向しています。それは当方自身を含めた参加者全員のレベルアップを意図するものです。その果実が「特別リポート」群であり、現状把握および各種資料収集かつ新たな資料作りの模索を目指すことで、その創作ノート的な位置付けとしてのBBSへの還元、更なる議論継続化という流れを作ってゆきたいと考えています。これは【検証:】の検証でも『実見・見聞とデータが有機的に結びついてこそ「議論」が始まり深まるのだ』という考えにて示しているところです。
 中長期的には更なる情報発信の強化でしょう。まさにGreat様も書かれていますが、『アマチュアとして活動するためのノウハウの蓄積』というところでの「特別リポート」群の活用、またとも様との共同運営による「交通・まちづくり関連用語集」「疑問・質問掲示板」の活用による、啓蒙活動とすればおこがましいですが、データの積極的な開示を考えます。そこには【検証:】に留まらず、より優れた交通系サイト…具体的に示すと本スレッドに御投稿頂いております方々による交通とまちづくりのレシピ集や以久科鉄道志学館など…との緩やかなアライアンスをも見据えるところです。そしてそれはGreat様が『秘匿』とされ、当方が「憧憬と誇張」としたようなものであってはならないと強く考えるのですが、率直に云ってそこに至るにはかなりの時間的・経済的・社会環境的制約により一筋縄では行かなかろうと思われますが、そこで出てくるのがまさしく人脈といいましょうか、人的交流の産物と考えます。【検証:】がいち早く「顔の見えるサイトづくり」を標榜しているのもこのためといっても過言ではありません。

交通とまちづくりのレシピ集 http://town-m.vop.jp/
以久科鉄道志学館 
http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 そしてそこに至るには途方も無い距離感を感じてはいますが、その先には広く一般を見据えた、まさしく「趣味」からの「提言」への昇華が拓けてくるであろうと信じます。確かに現状を見ればぷっと吹き出してしまうかもしれませんが、あくまで夢物語でなく真剣に考えているのだ、と受け止めて下さる方がいらっしゃれば当方は幸せに感じます。

***
 最後に、Great様がどのように纏められるかを注目しつつ、御提示点についての私見を簡略に示してひとまず締めとさせて頂きたく。

  • アマチュアが交通論を論ずるべきか

  • アマチュアの交通論は趣味として成立するのか

  • アマチュアの交通論と、マスコミ(鉄道趣味雑誌)

  • アマチュアの交通論は奥が浅いのではないか、可能性を無視していないか

 最後からですが、奥は深いと考えます。確かにGreat様の云う専門的認識との「レベル」の壁はありますが、その根底にある「利用者としての視点」は無視し得ないものであり、その吸い上げが現在のいわゆる交通論評においてきちんと正確になされているかと問われれば必ずしも十分足るものではなかろうとの認識を持っています。その端例を先の川崎縦貫論にも見出すところです。
 その視座に立てば、「アマチュア」≦利用者による交通論はより積極的に認識されるべきであり、それは利用者自身からのものであるべきと考えます。そしてその一助としてのマスコミュニケーションの介在は必要十分な限りにおいて存在すべきと考えますが、それが全てではないという事を我々自らが認識しておくべきと思います。

 以上、総てにおいて不十分な返答かもしれませんが、できうる限りの率直な私見までに…。

「アマチュアの交通論」に対する問題意識
 投稿者---World's Greatest Railway Enthusiast氏(2003/08/12 13:17:54)

 こんにちはWorld's Greatest Railway Enthusiast 略してGreatです(変な略ですが)。管理人様、レスありがとうございます。

 今回は、この掲示板についての批評も行う必要があるようです。と、及び腰になっているのは、この掲示板に限らず、私は掲示板と言うものにあまり親しみが無く、この掲示板自体もたまに閲覧する程度でしたから、過去の議論を充分に踏まえないものになる恐れがあるからです。ただ、そうも言っていられないので取り急ぎ、川崎縦貫線に関する投稿と、【検証:】の検証論を読ませていただきました。以下はそれらを踏まえた上での私の私見です。

 それは端的に云ってレベル論におけるいわば「半端物」と断じることができるのではないでしょうか。すなわち、特定の情報源を信奉しかつ低レベルな対論テクニックに走るという存在です。ただ当方としてはそうした存在を忌避することだけでいいのか、という思いがどうしてもあるのです。交通論を広く一般にまで訴えかけようとするときに、そうした存在をも納得させられなければならないのではないかと考えるのです。

 随分、中途半端な引用で申し訳無いのですが、”「利用者による交通論」の必要性と【検証:】の在り方”の中程の方からの引用です。私の問題意識の1つは、「そうした存在」をも納得させる必要があるのではないか、また、「高度な学術的知識」を要求せずに、「そうした存在」を高いレベルに導く事が出来るのではないか、また、そうする事で何かプラスになる事があるのではないか、と表現する事が出来ると考えています。
 翻って当掲示板を参照してみるに、彼等を納得させる内容を持っているかというと私は少々疑問を感じるところがあります。彼等の多くが言って納得する連中ではないからという説明も出来ると思いますが、どうもそれだけに問題は限らないようです。

 仮にとある赤字鉄道の存続を議論しているとしましょう。
 有る専門家は、沿線住民の移動需要に対する調査結果を元に需要モデルを構築、シュミレーションを行い、改善施策あれば、利用客は増加し、黒字経営が可能と説得するかもしれません。これを議論Aとしましょう。それに対し、別の専門家は、異なるモデルを設定し、黒字経営は不可能なので、鉄道は廃止すべきと説くかもしれません(議論B)。
 これだけでも論争を生むには充分ですが、「専門家」のきちっとした見解はそれに留まりません。別の専門家は経営自体は赤字が続くとしても、経済的便益を何らかの形で計測し、地域全体にとってプラスかもしれないと言う立場から存続論を論じるかもしれませんし(議論C)、別の専門家は、海外の数多の類似事例を比較検討した結果、存続に何らかの経済的便益があっても、それを上回る弊害が生じるとして廃止論を説くかもしれません(議論D)、有力な政治家(もしくは政治制度の経路分析に関する専門家)は、鉄道の存続に関する経済的便益は熟知していても、それを生かすべく政治システムが機能しない事から廃止論を説くかもしれませんし(議論E)、ある専門家は、鉄道に関する一切の経済的便益を見とめないにしても、社会心理的な見方から、その有用性を説明しようとするかもしれません(議論F)。
 こうした専門家の議論がある一方で、利用者や愛好家は、別に議論を展開する事があります。彼等の議論を考える際に注意しなくてはいけないのは、彼等の議論が専門家の議論をデータや理論をただいい加減にしているわけではなくて、かなり幅広い要素を統合して結論を導いているという点です。確かにデータや議論に誤解、誤用が多く、質は非常に低いのですが、雑多ながら、様々な方法論、価値観が含まれているのが素人の意見です。

 先程私が記した「どうもそれだけに問題は限らないようです」と言う言葉の真意は、こうした素人の意見と比較的専門的な意見を持った人の意見の間に微妙な食い違いが存在するというものです。先の例を用いると、非常に質が低いながら、議論Fに沿った疑問を記している人に対し、議論Cの立場に立った専門的知見が説かれたり、素朴な議論Bを唱える人に対し、議論Eの立場に立つ人が議論Eの不勉強を説教するといった(あくまでも例なので、記号は適当に選択しました)かみ合わないやりとりがしばしば行われている感があります。(例え自覚していなくとも)Bの立場に依拠して議論を述べている人は、やはりBの立場における批判や補足を受けたい筈で、Eの立場の説教をいきなり食らったとしても面食うだろう事は充分予想されます。この掲示板にどうもなじめない、もしくは理屈では説明できないが不満があり、感情的な記述に走る人が結構いる原因のひとつはそこに求められるのではないでしょうか。
 勿論、専門外の事についてあれこれ言うのは難しくて、素人のレベルに落ちてしまう危険性もあるのですが、持論を展開する前に、質問者の立場を吟味して内容整理を行う事は相当面倒臭い事ですが可能であると思われます。そうした努力は既に行われている事でもあり、ここで提言として述べる事に果たして意義があるのかどうかはわかりませんが。

理想と現実の狭間で…
 投稿者---551planning@おさぼり管理人(2003/08/12 20:25:59)

 Great様、リプライ有難うございます。貴重かつ的確な御指摘と認識しますが、うーん…難しい。的外れかもしれませんが返答までに。

 私の問題意識の1つは、「そうした存在」をも納得させる必要があるのではないか、また、「高度な学術的知識」を要求せずに、「そうした存在」を高いレベルに導く事が出来るのではないか、また、そうする事で何かプラスになる事があるのではないか、と表現する事が出来ると考えています。

 この認識は理解しますし、この後にある、では【検証:】上のやり取りはどうですか?という問いかけについても基本的には仰る通りと考えます。確かに『かみ合わないやり取り』の末に忌避される、という事も実際にあったことでもありますし。
 その事への改善対応としては、Great様にも触れて頂いているとおり、先ずもって先導なりジャッジなりが適切に行われるべきということになりましょう。実際前記の案件において常連の方々にそうしたやり取りをなして頂いたという事もありました。では管理者である当方は、というと残念ながら先のプロアマ論ではないですが、自身がどちらかといえば素人の立場に組する事もあってそうした適切と思われる対応をとりなすに至っていないのが実情です。
 ただ根本を云えば【検証:】自体が管理者自身のスキルアップ(というか、前投稿でいうところの「認識」の増補向上)のために運営しているというところが大きいので、そうした立場的な「段階差」を少しでも埋められれば、ひいて云えば議論の過程の中でその参加者全員がレベル向上をなすためにどうすべきかをも見据えられれば、という理想はあります。しかしながらあくまでも「議論の過程」なわけで、その中で対論の基本的マナーとでもいいますか、キャッチボールがどうしても不得手な存在による現実にまま悩まされる事もある…と考えるのですが。

 一方で、BBSというメディア特有の問題としての「荒らし対応」という観点もあります。既に何度も触れてきたように、【検証:】でもお約束という形でラインを定めているわけですが、それ自体は一般社会的にも至極当然のものと考えています。【検証:】の検証論でも言及していますが、実際のところ即時削除等に至った対象者全員が何らかの形でお約束を外れた事によるものですし、しかも直接的対応処置に至るまでにはメール及びBBS上で注意ないし警告を行ったうえで、最後の最後でのオプションとしています。ゆえにスペース全体の保持のためには時として威圧的な対応もなさざるを得ない場合もあろうと考えていますし、先の理想論で云えばそれは議論の流れ上で全参加者によって等しく行われて然るべきとも考えます…まぁ傍目から見れば管理者責任の回避・放棄的なとも取れますが、事実嫌な役回りを常連の方に強いてきたということもあり、当方自身反省しているところでもあります。
 その意味において、このスレの基となった某投稿については運営面から云えば即時削除すべきであったにも拘らずにあえてそのままとしたところに、管理者の苦悩を御汲み取り頂ければとも…これは大袈裟でした。ただまぁGreat様の問題意識に戻るわけではないですが、ある意味「そうした存在」へのアプローチの模索でもあります。結果的にこのような意見交換という果実を生んだのは瓢箪から…の世界でしたが。

アマチュアの交通論
 投稿者---ゆか氏(2003/10/04 09:16:53)

 一過性でとるに足らない?
 それとも、生活者として一理ある?

2004.11.02 Update


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