【検証:】掲示板過去ログ集

【検証:近未来交通地図】
(過去ログNo.107)
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「鉄道趣味」のあり方を問う
 投稿者---第三波平氏(2003/03/31 13:58:35)

「鉄道趣味」のあり方を問う
└趣味は趣味としても
 └Re:趣味は趣味としても
  └限界はありや否や
   └ファンと利用者の狭間で

 まずは前書きを。 この文は自分が常日頃から考えていた「鉄道趣味」に対する疑問をまとめたみたものである。私も鉄道趣味を始め十数年しか経たない若輩者であるため、多少至らない点があるかもしれないがお許し願いたい。

 5月号のRFのカレチ(編集後記)に、クモハ42引退に際してのコメントが載っていた。引用すると、『鉄道車両としても、何と長生きをしたことでしょうか。近頃の若い者(車両)たちに爪の垢でも煎じて飲ませたい!最近叫ばれる「地球環境に優しい…」「資源を大切に!」といったところで、まるで優等生の見本ここにあり!といった電車である』と書いている。
 今回この文章を書くきっかけになったのはこのコメントな訳である。つまり、RFの編集長は、現在鉄道会社が作る「地球環境(+あらゆる人)に優しい」車両を全否定し、裏を返すと手に入らない部品や保守に費用のかかり、電力を喰う車両こそ鉄道車両のあるべき姿、と言いたいことになる。そんな馬鹿な!鉄道趣味は現実否定主義だったのか、と。
 SLブームの時代、ディーゼル機関車が「否定」され、旧型客車末期の時代、50系が「否定」され、そして50系末期の時代(つまり最近)に701系が「否定」された。鉄道趣味は近代化を否定するモノなのだろうか?以前和寒氏が「要するに、鉄道の本質や企業者としての当然の戦略と、趣味の方向性は、まったく合致していないのです。」と述べた(検証:過去ログ092より)が、ここまで方向性が真逆になる趣味が、あるだろうか。

『若い人たちの“鉄道離れ”を憂える』を憂える log092.html

 では鉄道趣味はいつから「現実への否定」に基づいたものになったのだろうか?子供向けの鉄道本には新幹線や新型の特急電車、最新鋭通勤車等といった近代車両が顔を並べるが、鉄道趣味雑誌だとそれは除外される傾向にある。このギャップは何処から来るのか?確かに古い車両は、鉄道の発展を支えたのは事実である。しかし闇雲に過去を追うのではなく、鉄道趣味には近代化に対し正しい理解を持つことが第一に必要ではないのだろうか?もうすでに「現実への否定」を基本とする鉄道趣味の時代は終わったのだ。それについて行けず、「鉄道離れ」などという台詞が出る。

 「鉄道は、趣味のために存在しない。」鉄道趣味には、その意識が大きく欠けている気がする。

趣味は趣味としても
 投稿者---和寒氏(2003/03/31 19:20:34) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 第三波平様、お呼び頂いたようで。
 で、なにか書こうと思ったのですが、過去ログ092そのままになりそうなので、ちょっと呻吟してます。

 RFはまさに趣味丸出しの月刊誌ですが、それはそれで潔いところがあります。私の知る限り、古いところでは信楽高原鉄道正面衝突事故も、新しいところでは大邱地下鉄火災も、それぞれベタ記事扱いでして、社会性のある事象に対して一線を引いている面がある。そのかわり「鉄道かくあるべき」とは論じない。個人の領域としての趣味性と現実との間に、巧く折り合いをつけている事例だと思います。編集後記の記述にしても、個人的感慨と考えればなんら抵抗ありません。どのみち社会的影響力のある、あるいは影響力を持たせようとする内容ではないのですから。

 以前も記しましたが、鉄道趣味には「鉄道らしさ」よりもむしろ「鉄道らしくなさ」を追求する傾向があります。個人の主観ではそれでよしとしても、客観的情勢からこれほど乖離した趣味の方向性は珍しいでしょう。
 趣味とは詰まるところ主観ですから、あの車両が好き、この駅がいい、ここの路線がお気に入り、というような傾きが個々人にきざすのは許容しなければなりません。
 それでも趣味は趣味として、個人の主観内で完結するならば問題も弊害もありません。このたびのRFの記述はまだかわいい部類に属すると思います。しかしある一線を超え、「鉄道らしくなさ」をもって是または社会的正義とし、主観をもって「鉄道かくあるべき論」を展開するようでは、実害が伴ってきます。
 第三波平様が挙げられた三例のうち前二例はその典型です(701系に関しては編成短縮に伴う混雑が発生しているので若干紛れがある)。ほかにも実例は枚挙にいとまありません。かような方向性を持つ趣味のままでよいのか。深く憂うべきところでしょう。

Re:趣味は趣味としても
 投稿者---第三波平氏(2003/03/31 21:35:28)

 和寒様、レスありがとうございます。

 個人の領域としての趣味性と現実との間に、巧く折り合いをつけている事例だと思います。
 編集後記の記述にしても、個人的感慨と考えればなんら抵抗ありません。
 どのみち社会的影響力のある、あるいは影響力を持たせようとする内容ではないのですから。

 言われれば確かに。RF誌はそのものズバリで趣味的方向を目指したもの、と考えればこのコメントも納得、と思います。同誌を購読してかれこれ10年近くになりますので、やはり至らない点があったものと自省しています。

 ただ、鉄道趣味の問題として残るのが和寒様のおっしゃる通りの、いわゆる好みに合わないものヘの「絶対悪」思想だと思います。
 そこで雑誌側は『価値判断が狭くなっている』という事実をどう受けるか、と思うのです。以前「最近の鉄道雑誌が面白くないのはライターがいないのが理由だ」と書きましたが、書き手は現実を受け止められる。しかし編集サイドは反対の方向性を考えている。二つの考えのギャップが開き過ぎた様に思うのは考え過ぎでしょうか。

 その点でRJ誌は明らかな未来ビジョンを指摘していた(結局ここに帰ってきてしまうが)、と感じていますが最近のブルートレイン記事では「(個室化が進んでいる寝台に対し)開放式寝台を残すべきだ」と述べ、そして来月号では「鉄道離れ」を憂う特集を組むと、何か物悲しい感じがしてなりません。

 既存の鉄道雑誌に限界が来ている様に思うのは気のせいでしょうか。
 まとまりの無い文ですみません。

限界はありや否や
 投稿者---和寒氏(2003/04/01 16:00:54) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 ただ、鉄道趣味の問題として残るのが和寒様のおっしゃる通りの、いわゆる好みに合わないものヘの「絶対悪」思想だと思います。
 そこで雑誌側は『価値判断が狭くなっている』という事実をどう受けるか、と思うのです。以前「最近の鉄道雑誌が面白くないのはライターがいないのが理由だ」と書きましたが、書き手は現実を受け止められる。しかし編集サイドは反対の方向性を考えている。二つの考えのギャップが開き過ぎた様に思うのは考え過ぎでしょうか。

→この点に関しては、論じることじたいを控えた方がいいと思います。なにしろ我々は各誌のインサイド情報まで知りうる立場にありません。
 記事が面白くないと、その文責者であるライターの批評は出来ます。誌面構成即ち編集方針の批評もできます。記事あるいは誌面という公開されているアウトプットに対する批評は、その論拠を明示できる限りにおいて問題ない行為です。
 しかし、一般に公開されていないプロセスに対する批評は、よほど一般的公理として誰もがそう思いうるような場合を除き、慎んだ方がよいと思います。

 その点でRJ誌は明らかな未来ビジョンを指摘していた(結局ここに帰ってきてしまうが)、と感じていますが最近のブルートレイン記事では「(個室化が進んでいる寝台に対し)開放式寝台を残すべきだ」と述べ、そして来月号では「鉄道離れ」を憂う特集を組むと、何か物悲しい感じがしてなりません。

→どういう誌面になるか、いちおう注目しています。まぁ、今月号の誌面を読む限りでは、期待しがたいと諦めてますが。
 特にひどいと感じたのは、中央線レポートの視点のブレです。いわゆる「大八回り」を政治的我田引鉄の産物であるように記述する一方で、後半で実は当時の技術水準では長大トンネルを掘れなかったのではとしてみたり、視座が一貫せず腰が据わっていない。いたずらに読者を惑わす内容となっています。
 さらにひどいのは2月続きのインターネット紹介で、これほど薄い内容で対価を求めるとはあんまりです。読者を見くびるにもほどがあり、このページ分だけ値下げしてほしいとさえ思います。

 既存の鉄道雑誌に限界が来ている様に思うのは気のせいでしょうか。

→RF・RP・RMなどには限界はないでしょう。各誌とも「趣味性の高度さ」を追求していますから。ただし、より「鉄道らしさ」を追求する現実の鉄道と、趣味との乖離をどう埋めていくのか、興味深いです。RPに趣味論が掲載されたあたり、それなりに問題意識があるのかもしれません。
 問題はRJですね。RJは他誌と異なり「社会性を持った趣味性」を追求してきた経緯があります。それは昭和50年代には輝いて見えたものですが、ある時期(個人的には国鉄分割民営化が境だと思う)以降失速しているように見えます。追求してきたはずの社会性が、後退している。
 極めて個人的な感想としては、RJを参考書として用いることが出来たのは96年4月の354号「花開く乗入れ直通運転」までで、それ以降の号はただ買うだけ読むだけになっています。
 先にCTCに記した川島令三氏への批判、
   ■基礎データの圧倒的不足
   ■アプローチが飛躍的
は、程度とニュアンスの違いこそあれ実はRJにも共通します。「列車追跡」はRJの核となるシリーズになっていますが、詰まるところ「ライターの主観」に頼る記事が中心ということにほかなりません。力量あるライターが書けば普遍性を備えた面白い幅広で奥行きある記事になりますが、力量に欠けるライターが書けば内容がどうしても偏向する。
 RJのジャンルとてほんらいは限界などないはずです。しかしながら、最近のRJは自ら切り拓いてきた「趣味の分野」(ブルトレなどが典型)を懐古する色が強すぎます。もし限界があるとすれば、それは自らつくっているような感じがするのです。
 RPはおそらく明確な意図を持ちつつ、敢えて懐古懐旧的テーマを採りあげるようになっています。RFは「連絡線ミステリー」のような、一般的にはどうでもいい、でも趣味的には面白がる向きも多いテーマを開拓しています。RMのライブラリーシリーズは凄いニッチを衝いてきてますし、しかも近頃内容を一般的な意味で高度化しつつあります(熊延鉄道の号には瞠目させられた)。してみると、RJのよるべきポジショニングはどこなのか。
 答はあるはずです。というか、それに関する私見はこの記事のなかで既に記しました。RJが自らそれに気づけなければ、それはやはり「限界」と諦めるべきなのでしょうか。長年の読者としては残念なのですが。

ファンと利用者の狭間で
 投稿者---かもめ氏(2003/04/06 13:13:35)

 皆様こんにちは。かもめです。

 鉄道趣味について私が常日頃感じているのは「鉄道ファン」と一般的な「芸能やスポーツのファン」との違いです。
 後者が応援対象とファンの心理がほぼ同じ方向を向いているのに対して、前者はそれぞれがまったく違った方向に向かってしまっているのです。いってしまうと、「本来趣味の対象になり得ない移動の手段を趣味にしてしまっている」ということです。ここが悲劇のはじまりです。

 では、ファンと利用者の違いはどこにあるのでしょうか?
 私は、それは「コストの壁があるのかないのか」で言い表されるのではないかと考えています。
 ファンはお金やエネルギーの費用対効果など考えずにそのファンの対象を応援する。興業主側も完璧な公演、完璧なプレーを行って自分が満足するべく努力する。そして膨大な富や地位を獲得していく。ファンはそれをわが事のように喜びます。
 利用者は違う。お金を出す時に費用対効果をシビアに計算します。会社がそれによってどうなるか、従業員の生活はどうなるかまで考えてお金を出す人はあまりいないでしょう。会社もまた、必要以上に完璧なサービスは考えずコストに見合った「割り切り」をしています。

 では、鉄道はどうなのか?残念ながら後者なのです。
 ですから、芸能やスポーツでお金が使われるのと同じ感覚で線路や車両に投資して欲しい、そして興業主やヒーローと同じように鉄道会社やその社員に富み栄えて欲しい、と願っても絵空事で終わってしまうのが現状です。

 私も悩みました。他のファンと同様に鉄道会社が鉄道に投資し、莫大な富をうめるように熱烈に応援して発展を助けたいと。利用者がサポーターであるべきだとも。

 しかし、残念ながら利用者は鉄道にそのようなことは求めてはいないようです。鉄道会社も投資意欲はあまりないようです。そして、鉄道整備による利権は沿線の自治体や地主が持っていっている現状もあります。

 「鉄道ファンの夢」は夢に終わるのでしょうか?

『“鉄道離れ現象”の行方』を考える専門スレ
 投稿者---551planning(2003/04/21 00:47:36)

『“鉄道離れ現象”の行方』を考える専門スレ
└考えるべきは「鉄道『雑誌』離れ」ではないのか
 └情報の抜け落ちた「情報誌」

 日本の鉄道は130余年の歴史を持ち、以前は官の事業であったことと陸上交通で独占的な地位にあったことから、現代にあっても鉄道の組織や輸送サービスの考え方に古い体質をぬぐい去ることができない一面がある。長いあいだ人々の暮らしとも密接に関わってきたため、鉄道側も利用者の側でも、たがいに相手を理解しているつもりなのであるが、他の交通機関とか自家用車のような次元の異なる移動手段が定着すると、相互の認識にずれが生じてくる。切符の買い方一つにしても、時刻表の見方とかホームでの列車待ち合わせ方とか、そもそも鉄道の使い方自体、少し前までは半ば常識であったものが必ずしもそうは言えなくなってきている。列車は毎日同じ時間に走るが、利用者は同じ時間に同じ区間を移動するわけではない。通勤電車がなぜ見動きもままならないほど混雑しているのかについても、内心では鉄道企業の怠慢と思っているのかもしれない。そうした認識のずれが鉄道離れを生む。鉄道は、自ら利用者に近づいていかなくてはならないのではないだろうか。

−鉄道ジャーナル 2003年6月号(No.440)巻頭より全文引用

『若い人たちの“鉄道離れ”を憂える』を憂える log092.html

 あえて別スレにしました。
 ひとつだけ。【検証:近未来交通地図】は鉄道に留まらない交通全般の流れを見据えて行きたいと思っています。その中での鉄道の存在とは、単なる1モードに過ぎないとも云えるでしょう。しかし、その「存在感」まですら失われつつあるのか…。皆様の御意見を求めたく。

 恐縮ですが当方の私見も折を見てまた詳しくということで。

考えるべきは「鉄道『雑誌』離れ」ではないのか
 投稿者---エル・アルコン氏(2003/05/22 16:42:32)  http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 発売前からいろいろと話題を呼んだ03年6月号ですが、蓋を開けてみるとさらなる議論を呼ぶでもなく終わった感があります。ところが今月号となる7月号のバックナンバー紹介を見ると、ご好評を頂き売り切れ絶版とあります。取り敢えず購入した人が多かったのか、4月号、5月号も絶版というところを見ると刷り部数を絞ったのではという穿った見方も出来ますが、まあ少なくとも見出し自体は興味を引いた特集であったことは確かのようです。

***
 ただ、中身はどうかというと「先月号」になった時点で言うのも今更ですが、「”鉄道離れ”現象の行方」というタイトルと内容があまり噛み合ってないという感は否めませんでした。
 旅行などの移動自体が手控えられるのであればまだしも、旅行需要など移動ニーズはそれなりに高いなかで、「鉄道離れ」であれば、離れた利用者が向かう先があるはずです。「鉄道離れ」を検証するのであれば、逸走したさきの交通モードとの比較検証は欠かせません。
 ところがいきなりの中央線と京王線の「同一モード内比較」では話になりません。本来バスや航空などの交通モードを取り上げるのはジャーナルのお家芸でしたが、その発揮が最も求められる号において、鉄道の殻に篭って論じてしまったというのは致命的とも言えます。

 読ませないといけないはずの論文も、鈴木氏の論文は99年1月号の曽根氏、00年12月の編集部名の論文の事実上の焼き直しであり、佐藤氏の論文も掘り下げ不足の感が否めません。斎藤論文も定性分析の材料だけを羅列した感じで、数値データによる比較も試みていますが、震災の年のデータを使うなど配慮が足りません。

 ルポ、特に「さよなら、僕等のブルートレイン」がそうですが、現状認識すら十分に出来ていないようでは、鉄道の「将来を考える」などと言うことは出来ません。
 そういう観点で見ると、確かに世に「鉄道離れ」と言える事象は存在しますが、先月号の特集内容ではその片鱗にも触れないレベルの独り善がりという酷評すら当てはまります。「鉄道離れ」を心配する前に、「鉄道『雑誌』離れ」を心配すべきではと思うのは私だけでしょうか。

 最後に、とある「原稿」を公開します。これを読んだ皆様が、「それはお前の独善じゃないか」という批判を頂戴するのであればまだ「救い」もあるのでしょうが...

 「鉄道『雑誌』離れ」とならないために 〜本誌に求めたいもの〜

 映像メディアの普及の中でも活字メディアは一定の地歩を築いてきたが、今度はインターネットの普及に対する対応が問われている。情報をグラビアや文章の形で、しかも即時に提供できるメディアであるインターネットを前にして、活字メディアである鉄道雑誌がどうあるべきか。もしインターネットという新しい媒体に総てを委ねるのであれば無為無策も止むを得ないが、読者としても、速報性に優れたインターネットには無いものを雑誌に求め続けていく部分もあり、鉄道雑誌側はそうした時代の変化に応じて自らを変化させる努力を要求されていると見たい。

 インターネットの特徴は即時性とともに各自が情報発信者になることであるが、それが飛び交う情報の質を高めるかというと必ずしもそうではない。つまり、鉄道雑誌という「プロ」の情報発信者にしか出来ない内容が雑誌の特徴となり、読者も雑誌を「プロ」の情報を得る場所として求めていくようになる。その「プロ」というのは何も業界人や業界情報という意味ではなく、専門家の目に耐えるだけの内容が求められているということである。
 つまり、本誌の場合、「鉄道の将来を考える専門情報誌」と銘打つからには、運輸、土木などの専門誌とまではいかずとも、それを平易に、しかし正しく伝えることが求められているのであり、そうした情報の出し手の確保と、それを適切に編集する2種類の「プロ」が揃ってはじめて読者の求める雑誌が出来上がると考える。これは何も編集者に二足のわらじを履くことを求めているのでもないし、読者に媚びろというわけではない。いわんや活字離れとして片付け得るものでもない。

 では今の本誌がそのニーズを充たしているか、僭越ながら70年代後半からの読者である私が独断で評価してみよう。本誌の独擅場であるブルートレインについての記事を例に取ると、02年10月号から集中連載している「さよなら 僕らのブルートレイン」はいかがであろうか。
 11月号で、夜行列車の否定ではなくかつて君臨したブルートレインへの賛辞という解説があるが、他ならぬ本誌が「さよなら」と過去のものとして括るのであれば、それなりの解説や論証があって然るべきであろう。ところが専ら感傷的な既述にとどまり、今なお高い乗車率の「日本海」や、ビジネス需要が多い上りの「サンライズ」「あさかぜ」など明らかに潜在需要すら見て取れる部分からブルートレインの未来を展望することすらない。これはどうしたことか。
 さらに言うならば、12月号の「出雲」には列車の主要目的地ともいえる丹波、但馬エリアの記述が無い。1月号の「はくつる」では「ゴロンとシート」の評価も無い。3月号の「なは」ではなぜ「レガートシート」が不入りなのかの考察が無い。これで「さよなら」では「専門情報誌」の看板が泣く。

 厳しい評価をしたが、80年代の本誌は今読み返しても充分に読み応えのある内容であり、その内容に魅力を感じて読者になった人も多いであろう。確かに年少時には少々難しい内容ではあるが、内容がしっかりしていたので読み手には伝わったのである。その世代が今あらゆる分野でそれなりの地位に就き、彼らの分野のプロとして本誌に目を通していることを忘れないで欲しい。
 そうした世代と話す機会を得るたびに感じることだが、彼らは今の本誌に明らかに物足りなさを感じている。しかし80年代の内容を知っているだけに本誌を過小に評価はしていない。それだけのポテンシャルのある雑誌だからこそ、敢えて今こそ奮起を促したい。

情報の抜け落ちた「情報誌」
 投稿者---エル・アルコン氏(2003/05/22 17:49:45)  http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 なぜ先月号の話を今頃、という話ですが、今月号、つまり7月号を見て愕然としたからです。

 通常より高い特大号としているからにはそれに相応しい内容が求められますが、どう考えてもそうは思えないのです。「新型特急電車図鑑」についてはまあ好き好きの部分でしょうが。
 問題なのは、内容が雑に過ぎる、ということなんです。

 「さよなら...」で「夜行列車のニューモデル」として「サンライズ瀬戸」を取り上げるからには、これまでの「惜別」「時代の流れ」というムードに流された編集を踏まえて、新時代の夜行列車への展望があって然るべき、と考えるのが自然です。
ところがそのルポ、先月号のジュニアフォーラムでの指摘を受けたかのように、夜行が未だ強いとされる上り列車を取り上げたのは良いんですが、乗車日が4月11日の金曜日です。
 春休み明け、GW前の端境期、さらに年度初めの多忙な時期で長距離異動がいちばん手控えられる時期、しかも金曜夜なので東京出張となるビジネス需要も全く望めない日をわざわざ選ぶこと自体に、編集者の意図を疑います。平日であれば三ノ宮、大阪で50人以上の乗車を数えるようですし、事実、三ノ宮と大阪からの乗車には発売枠制限がギリギリまでかかっています。

 もっと信じられないのは鈴木氏の羽越線、由利高原鉄道の記事。
 鈴木氏といえばバスの泰斗として名高く、過去のローカル線関係の記事でも並行・競合関係にあるバス路線を丁寧に解説しているのが特徴でした。
 その鈴木氏が、昨年7月に運行開始して半年以上が経過した高速バス仙台−本荘線に全く言及していないのです。宮城交通、庄内交通、羽後交通共同運行のこの路線、昼間の1往復以外は朝上り2往復、夜下り2往復の3往復運転と由利地区基準の運行ですが、既存の鶴岡・酒田線の延長のような扱いでもあり、途中吹浦、金浦、象潟、仁賀保、西目にも停車と、ほぼ鉄道のめぼしい駅を全部カバーしています(R7と離れる遊佐は停まらない)。
 おまけにこのバス、空席がある場合、仙台への乗客を優先という前提で、鶴岡・酒田以北での利用も可、とこのエリアからの広域流動だけでなく、域内流動においても競合しています。
 それが全く触れられていないというのは、本当に鈴木氏の筆なのかと疑いたくなるような事態です。

 情報の抜け落ちた「情報誌」が、その対価に相応しいものなのか。ますますその「存在」が問われる事態になっていると思います。

ローカル線廃止の「例外規定」は万代不易か
 投稿者---エル・アルコン氏(2003/05/05 18:58:05)
 
 http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

ローカル線廃止の「例外規定」は万代不易か
└そもそも「公共交通」として存続する必要性さえ疑わしい
 └Re:そもそも「公共交通」として存続する必要性さえ疑わしい
  └誰が為に三江線はある

 別稿の山陰行の帰路、石見川本から三江線沿いに三次に抜けました。
 長大ローカル線の三江線は、言い方は悪いですが昭和50年7月になまじ全通したばっかりに廃止基準が緩くなり、その利用実態とは裏腹に現在まで鉄道として残っています。

石見路の道路事情を考える ../highway/log524.html

 三江線が廃止を免れた理由に並行道路の未整備があります。今回川本町から三次市まで県道40号〜R375を走りましたが、見違えるようなバイパス区間がある反面、1車線ぎりぎりの隘路や、田圃に囲まれた太めの畦道という感の区間が続出しており、確かにその適用が理解できるものでありました。
 一方で、たまたま、というか幸運にもすれ違った列車の乗車率も少なく、道路の通行量も少ない現状に、移動需要があまり無いうえに、対江津、広島といった広域流動のベクトルからも大きく外れた路線が未だ鉄道で残る意義は限りなく低いのも事実で、11月に可部線北部が廃止された後のJR西日本管内では、今後同様の理由で残っている木次線とともに、行く末を考えていくべき線区であることは確かです。

 今回通って見て感じたのは、着実に道路整備は進んでいる反面、全線で2車線通行が可能になるには相当な時間が掛かります。ただ、離合不能区間が多いのですが、行き違い箇所の整備はそれなりにあるため、バックを余儀なくされるといった難渋はありませんでした。
 広域流動と外れているため、通行するクルマは地元や沿線に用がある感じのクルマに限られています。しかも大和村や作木村など、R54への県道やR433経由で中国道高田IC方面に抜けてしまえば無理にR375を使う必要も無く、道路容量は充分です。

 ではこの区間に代替バスの設定は不可能でしょうか。旧国鉄の赤字ローカル線廃止基準が決まった四半世紀前、その基準は「大型バスによる代替」で、三江線をはじめ、岩手の岩泉線など実走して無理と判定されたケースもありました。
 しかし、時は流れて公共交通離れが進み、バス輸送の単位は小さくなり、沿線で見かけるバスも小型化が進んでいます。さらに、都市部でここ数年急速に普及している小型車を用いて住宅地を縫う狭隘路線の存在を考えると、三江線沿線に同種のバスの導入は十分可能です。

 基準が決まった当時のバス路線が適当とされた区間での輸送力よりも小さいと見られる区間で、未だに鉄道で残す理由は本当にあるのか。代替交通手段の多様化を踏まえて、あくまで例外規定に過ぎない部分は見直して、本当に残すべきものは残して、止めるべき所は止めるという時期に来ていると思います。

そもそも「公共交通」として存続する必要性さえ疑わしい
 投稿者---和寒氏(2003/05/06 11:17:17) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

  エル・アルコン様の投稿を興味深く拝見いたしました。
 私も似たような感覚を持っておりまして、深名線(当時はまだ営業中)や岩泉線をトレースしたことがあります。

寒風つのりゆく鉄路〜〜山田線・岩泉線実乗記 special/012.html
雨龍三部作
http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 岩泉線の記事は、未だ完全な状態にまで至っていないのが心残りなんですが、乗車して思うに「鉄道としてはもとより公共交通として存続させる意義と価値があるのか」というのが正直な印象でした。特に岩手和井内−岩手大川間は峠越えの隘路で、道路もまた狭隘、それゆえにバス代替できないというのが特定地方交通線転換を進めている当時の結論でした。
 しかし、これだけ需要が少ない、あるいは需要の流れに合致していない路線を、「公共交通」として維持するべきなのか。そこに根本的な疑問を感じます。
 エル・アルコン様は鉄道としての営業について問題提起されていますが、私はさらに踏みこんで「公共交通」としての営業維持に疑問を呈したいです。利用者が特定少数に限られるのであればいわゆる「福祉バス」でもよいように思えます。極端に流動が少なければ、完全に廃止でもよいでしょう(岩泉線の場合は、宮古からは小本経由で、盛岡からは龍泉洞へのバスがあるため、峠越え区間を完全廃止しても機能代替は容易にできる)。三江線の場合は、如何でしょうか。

Re:そもそも「公共交通」として存続する必要性さえ疑わしい
 投稿者---KAZ氏(2003/05/06 14:44:21) http://www5b.biglobe.ne.jp/~ktnh/mono/

 どうもです。

 三江線は普通に考えたら「そもそも何で作ったの?」という路線ですよね・・・。陰陽連絡需要はそれなりにあるとは言え、三江線の路線と陰陽連絡の需要は合致していないでしょうし、福塩線と合わせた形で軍需などへの対応を考えていたのでしょうか。それとも単なる我田引鉄?しかし廃止にしてバス転換と言っても、恐らく一般路線ではなく「福祉バス」の範疇になってしまうような需要しかないでしょうし、そうなれば行政区域を越えるような動きに対処できるのかなど検討することはいっぱいありそうです。さてどうしたもんでしょうかね・・・。

 しかし国鉄赤字線の廃止対象の選定には柔軟性がなかったですよね。鍛冶屋線の廃止で加古川線自体の競争力を殺いでしまったり(鍛冶屋線西脇駅は西脇市の中心で、実質的な加古川本線系統の一部区間だった)、実質は幹線ルートの一部なのに廃止対象になったり(伊勢線)・・・。今更言っても仕方のないことなんですが。

誰が為に三江線はある
 投稿者---エル・アルコン氏(2003/05/07 01:09:01)  http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 三江線沿線の流動で無視できないのは広島市の求心力です。山陰地方で最初に高速道路が来たのが浜田だったというのも、石見地区と広島との交流が伏線になっていたことは想像に難くなく、それを裏付けるように広島からの陰陽連絡バスは官民とも戦前からの伝統を持っています。

 その視点で見ると、江津、因原、川本からは広島行きの中国JRバスがあり、江津から見ると浜原、三次を迂回する三江線は見当違いの方向と言わざるを得ません。三次への流動に至ってはわずかというのが実情でしょう。
 三江線全通4年前の1971年10月の時刻表を見ると、三次−赤名−粕淵−大田市の国鉄バス雲芸線が接続していますが(三江南線の終点口羽からは三江北線の終点浜原への交通が無い)、粕淵で三江北線との接続が取られているとは言い難いダイヤであり、大田市から三瓶山観光のアプローチとしての雲芸線があり、それがたまたま粕淵を通っているという形態です。その意味で、昔から存在を、というか建設意義を問われて然るべき路線だったという事が出来ます。

流動を考えると、現在の広島−江津・大田市線を軸に、江津−浜原までがかろうじて公共交通として成立し得るレベルでしょうか。観光色がある大田市−三瓶/湯抱−粕淵を絡めて赤名まで延長するのがせいぜいで、あとは大和村は赤名、羽須美村・作木村は布野へのコミューター路線が成立するかどうか(赤名も布野も広島−三次−出雲の幹線バス停車駅)。基本的には福祉タクシーでの対応の方が、細やかな対応も可能でしょう。
 ちなみに広島から三次方面の高速バスを運行している備北交通には、三次、庄原から北に入った比和、口和、高野の3町から朝広島に行き、夕方帰る便が1本ずつありますが、こうした対応が取れればベストでしょう。

 観光対応としても、上述の三瓶山・三瓶温泉に柿本人麻呂終焉の地といわれる鴨山、そして江の川自体がカヌーのメッカですが、アプローチに三江線に乗る必然性はありません。三江線自体を観光資源化しようにも、江の川の眺めがメリハリも無く延々と続く様は正直言って飽きます。

 実は三江線では、88年から94年まで、旧盆輸送などで広島−三次−江津−浜田の臨時急行「江の川」の設定がありました(三次−浜田間快速)。
 朝浜田を出て夜戻る設定でしたが、88年で広島−川本が3時間8分、江津が3時間58分かかっており(広島行きの数字、広島発はなぜか30分前後余計に掛かる)、バスの川本2時間40分、江津3時間10分に遠く及びません。最後の年となった94年は広島行きこそ川本3時間2分、江津3時間51分と踏ん張りましたが、広島発は浜原以遠時刻が近接する普通とスジを統合したため1時間近く遅くなってました。バスは浜田道開通で川本2時間20分、江津2時間40分(ちなみに浜田は「江の川」広島行き4時間14分、広島発5時間39分に対しバス1時間55分)と話にならず、よく7年間も続いたというべきでしょう。

 そうした「実績」を考えると、意義は自ずから明らかでしょう。

地方間の移動に対するJRの視点は?
 投稿者---井原氏(2003/05/23 02:15:41)

地方間の移動に対するJRの視点は?
└Re:地方間移動需要と供給の関係
 └Re:地方間移動需要と供給の関係
  └需要が大きい区間にプライオリティが置かれる

 茨城在住の井原と申します。
 長くなるかもしれませんが、地方から地方への移動に関して。

 私自身、茨城の水戸に在住しているのですが、JR(特に東日本)の商品や列車の設定は、対東京が主体なのだと痛感しております。
 私事に関連して記すのも申し訳ありませんが、水戸からの移動を例に取りますと……。
 勝田・水戸から東京(上野)なら利便性はとても良いです。30分に1本程度の特急列車が走っています。
 しかし、水戸・勝田以北になると、だんだん列車本数は先細りになります。
 「フレッシュひたち」は茨城県内のみの設定なので、通常はいわきまでは行きません(臨時は除く)。大部分が勝田止まり、あとは高萩が北限です。
 いわきから仙台に行く特急列車になると一日4往復です。
 余談ですが、『ゆえに高速道路は必要だ』(四方洋著、毎日新聞社刊)によると、この区間の列車本数について「明治時代と変わらないレベルだ」といった記述がされています。
 福島県の浜通り(いわきや原町など)の人々のレジャーなどの動きは、県庁所在地のある中通りよりは仙台に向いているそうです。
 高速道路は未整備なので、鉄道に頼らざるを得ませんが、比較的速い列車である特急(いわき・仙台間2時間、原ノ町・仙台間1時間)は1日4往復しかなく、普通列車も本数は少ない上、時間もかかります(いわき・仙台間2時間45分前後、原ノ町・仙台間1時間20〜30分程度)。
 浜通り沿いの家庭の子弟が高等教育機関に通う場合、下宿させる場合もままあるようです。特に、国公立の大学は存在しません。近くても、中通りや仙台に出て行く事になります。その場合には下宿を余儀なくさせられます。
 更に余談ですが、JR発足から数ヶ月経った『鉄道ジャーナル』でJR東日本(東北地方)の特集が組まれた事がありますが、その中で「相馬や原町といった福島県浜通り地方は、仙台との経済的結びつきが深いため、東北地域本社の管轄を原ノ町までにしてほしいと思っている」旨記述があったように記憶しておりますが、どうなったのでしょう?
 常磐線の列車設定を見ると、JRの対東京重視の姿勢を象徴しているように思われますが如何なものでしょうか。

 あと、水戸にいて感じられるのは、旅行商品が東京近辺や新幹線沿線中心であることです。
 水戸にもある旅行商品のパンフレット(例えば東北・北海道方面に向かうもの)は、東京・大宮発がウェイトを占めます。たまに宇都宮発の設定もあります。
 水戸などの茨城、高崎・前橋などの群馬からだと、宇都宮発の商品を利用するには、宇都宮に行かなければなりませんが、茨城から宇都宮直通列車はゼロ、群馬から宇都宮に直通する列車は一日数本に過ぎません。大抵、小山での乗り換えを要します。水戸からだと、友部で乗り換えを求められることもあります。
 ひどくなると、小山・宇都宮経由では、便利の良い列車を使うには不便で、一度、東京・大宮方面に出た方が良い場合もあります。こうなると東京・大宮発の商品の利用を余儀なくさせられる上、東京・大宮までの交通費が別に必要になります。
 せめて「茨城や群馬から東北・北海道に行くには、こうすれば良いですよ」という情報があれば良いのですが、それも提示されていません。パンフレットの内容は東京と変わらぬものを置きっぱなしにしています。売り方を間違えているような気がするのですが……。

 「対東京の流動に積極的に力を入れる(投資する)方が儲かる」「地方間は儲からないからコスト削減に力を入れる(投資しない、手を抜く)」というのも、JRが一企業である以上、収益重視の見地からやむを得ない部分もあるでしょう。
 しかし、そのことが「鉄道は便利・快適ではない」という気持ちを地方在住の人に植え付けて、地方における鉄道利用(公共交通)の衰退を招いているのだとしたら……。
 一企業としての優秀さが、公共交通を真剣に考える機会を失する風潮を招く一因になるのだとしたら、非常に皮肉なことだと思われます。

 とりとめがなくなり、失礼しました。
 考えをうまくまとまられませんでしたが、上記のような私の考えについて、何かコメントを下さるなら、幸いです。よろしくお願い申し上げます。
 ではまた。

Re:地方間移動需要と供給の関係
 投稿者---とも氏(2003/05/23 12:36:15) http://town-m.vop.jp

 ともです。

●地方間需要
 水戸やいわきから仙台や福島。確かに需要はそれなりにはあるでしょうが、果たしてそれを鉄道で救うのが適切かどうか。
 つまり広い意味での「公共交通」か「鉄道」かという観点にもなるのですが、あえて私はバスで救えるのならそれが必然であろうと思います。

 たとえばいわき−仙台、ひたちは4往復ですが高速バスが5往復設定されています。いわき−福島は8往復。
 このように地方間では案外高速バスや都市間バスが成立しています。こういった交通機関が存在し、それで需要がカバーできているのであればそれはそれで公共交通網としての抜け目はないのであり、良いのではないかと考えます。

 とはいえ、たとえば弘前−青森や長野−松本、富山−金沢のように鉄道規模の需要が確実に見込める区間であれば鉄道側の活性化もわかります。でもいわゆるニッチねらい的な移動需要であれば、それを鉄道側でというのはどうかと私は思いますが。

●水戸から宇都宮・・・
 この辺は関東地区の弱さなんですね。東京の求心力があまりにも強すぎて宇都宮だって都市圏人口では100万人近い政令市候補4番手ぐらいの都市ですが、ここが霞む。
 鉄道で快速や特急を新設するほどの需要があるとは私は思えません。
 ですが高速バスなら確実に成立しうる。であればそういったサービスを考えるのがスジでしょう。
 圏央道や北関東道もそう遠くないうちに完成するでしょうからこれから改善されていくのでしょうね。

●ツアー
 いやぁこれはJTB水戸支社なりびゅうプラサ水戸支店の商売下手でしょう。
 ちゃーんとそれ用になにかネタを用意するんですけどね。
 長野でもちゃーんと長野発がありますし。
 うーん・・・何でかな??

●鉄道≠公共交通
 考え方ですが、鉄道網としてネットワークを構築すると考えるか、複数モードを多様に組み合わせて公共交通網としてネットワークを構築するか。
 非常に難しいところですが、私は鉄道・バス・航空、そして端末なり低需要導線の自動車、自転車をすべて組み合わせてネットワークは構築されることが必須と考えます。
 公共交通のネットワークであれば鉄道もバスも利用するのにシームレスで使える環境を整備してやること。それが結果的に公共交通としての鉄道やバスの利便性向上であり、公共交通離れを抑えるものとなるのでしょう。

 我が国においてはまことしやかに鉄道離れが語られますが、輸送量は増加基調であり、分担率では自動車の伸びに抑えられてますが、輸送キロ単位で見れば鉄道の分担率は未だ相当。であるからして、鉄道側で今何をすべきか、公共交通として何をするのがよいのか、バスとの連携は?航空との連携は?その模索こそ今求められているのではないかと。

 つまり、公共交通=鉄道+バス+航空+水運・・・ということですね。

 なんか話がズレズレですが。

Re:地方間移動需要と供給の関係
 投稿者---エル・アルコン氏(2003/05/23 16:09:54) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 地方間でもその流動がほとんど拠点間移動である場合は、需要の多寡によって鉄道かバスという選択になりますが、同一都道府県、また同一経済圏に属するエリアで、小都市が連続するようなケース、つまりピンポイントではなく線状に需要が存在するケースの場合が難しいです。

 常磐線沿線の場合はいわき−仙台間というそれなりの規模の街が連続するエリア内における公共交通、いや、交通そのもののカバーが弱いという特徴があります。
 常磐線が東京から見て最北端にあたるため優等列車の本数が少ないというのはご指摘の通りですが、一方で東北屈指の大都市であるいわき市と東北の中心である仙台の都市間輸送の問題がありますし、常磐線いわき以北は福島県ですから、沿線の諸都市と仙台との需要はそれなりにあるでしょう。
 ところが主力は常磐線の普通電車というのが現状で、昨今お騒がせの浜通りの原発群が東京電力所有であるなど、対東京の需要も見逃せないはずなのにいわき以北の速達サービスは相当手薄なのです。
 おまけに道路交通もお粗末で、常磐道はいわきJCT以北対面通行で広野まで開通で、今年度にようやく富岡までと、いつ仙台東部道路の亘理までつながるかというのが実情で、片側1車線のR6が基幹交通なのです。

 いわき−仙台は郡山JCT経由で磐越道〜東北道の高速バスがカバーしてますが、原町、相馬あたりにはなんの恩恵もありません。前に道路板で石見地方の道路事情を書いた際にも触れましたが、山陰のほか、日本海東北道関係の新潟−秋田、東九州道関係の大分−宮崎間とならんで同区間は高速交通不毛の地であり、鉄道の高速化もさることながら、高速道路の整備を急ぐべきでもあります。

石見路の道路事情を考える ../highway/log524.html

 こういう同一経済圏や同一都道府県の場合、いわゆる「横の連携」は大切であり、「平成の大合併」で行政(=各種サービス)の単位が広域化しているだけに、その重要性は増しています。営利企業である鉄道がそこまで配慮すべきかという問題もありますが、流動が増える要素があるのですから、ビジネスチャンスという捉え方も出来るはずです。

***
 水戸から北方面は、新幹線開業以来の問題点ですね。もともと戦前から直通があったお蔭で流動があったわけですが、常磐線経由の寝台特急の廃止や仙台での乗継割引の廃止(新幹線以前に直通があったという本来の制度趣旨に基づいた既得権を主張できるケースだったのに...)など、仙台に出るのもひと苦労のうえ、いわんや北東北においておや、という感じですから、いっそ百里基地の民間化で北東北や北海道への路線を、なんて真顔で考えたくなる事態です。

 北関東道経由の高速バスで宇都宮に出て、という手も将来的にはあり得ますが、ちょっと冗漫です。いわき−仙台の特急がせめて2時間ヘッド程度になればまた違うんでしょうが。

需要が大きい区間にプライオリティが置かれる
 投稿者---和寒氏(2003/05/23 18:46:29) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 皆様、興味深い提言ですね。
 やや論点がずれるかもしれませんが、私からも所感を。

 「対東京の流動に積極的に力を入れる(投資する)方が儲かる」「地方間は儲からないからコスト削減に力を入れる(投資しない、手を抜く)」というのも、JRが一企業である以上、収益重視の見地からやむを得ない部分もあるでしょう。

 ひょっとすると収益はあまり関係ない、と発想してもよいかもしれません。
 例えばJR北海道が函館−旭川間直通利用者の利便性向上に配慮して、栗山経由札幌非経由の直通特急を設定するか、といえば答は否でしょう。ちょっとやそっとの時間短縮よりも、需要の大根源地札幌をハブにして連絡する方が、利用可能な本数も増しますし、かえって便利でしょう。
 JRは営利企業であると同時に、鉄道というマストランジットでもあります。需要が大きい区間に対して優先投資していくのは当然と考えられないでしょうか。
 比較的需要が少ない区間に対する投資といえば、
   ・JR四国の振子化(ただし同社にとっては基幹路線)
   ・日豊線宮崎−延岡間の高速化
   ・山陰線の高速化
などを挙げることが出来ますが、常磐線仙台口の場合、需要規模としては明らかに日豊線より少なさそうですし、山陰線と比してもいい勝負です。
 JR東日本の在来線高速化投資が、山形秋田両新幹線と「あずさ」「ひたち」(東京口)以外にめぼしい対象がないことを考えれば、積極投資がされないことじたいは嘆じるに値しないと思います(※)。むしろどういう手法やインセンティブがあれば積極投資が出来るかという方法論でアプローチした方がよさそうで、その点では山陰線の事例が参考になりそうです。
   ※特急が運転されているだけまだマシという発想もあるでしょう。
    例えば長野−新潟間には直通特急がなくなりました。

 少なくとも、JR東日本が単独で動きだすことはまず考えられませんから、動かすための方法を考えた方がよいと思います。

2004.11.02 Update


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