【検証:】常設板過去ログ集

【検証:近未来交通地図】
(過去ログNo.082)
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並行在来線問題本格立論−−真の問題は奈辺にありや〔続〕
 投稿者---和寒氏(2002/09/13 08:20:03)
 
http://www.geocities.jp/history_of_rail/

並行在来線問題本格立論−−真の問題は奈辺にありや
└Re:並行在来線問題本格立論−−真の問題は奈辺にありや
 └やや極論になりますが
  └上下分離と整備新幹線・並行在来線融合案について
並行在来線スキームの問題&「交通税」問題&地域輸送の根本問題
└並行在来線問題--空路・道路との分担
Re:並行在来線問題本格立論(論点1:責任分担論)
 └包括対論その1(主に責任分担論)
  └責任分担論の中で・・・(貨物輸送と交通税について)
  └沿線利用者にとっては常にメリットがある
   └個別レス−−プロジェクトとしての意義
  └それでもローカル・貨物の分離しか道はありえないのか?
   └Re:それでもローカル・貨物の分離しか道はありえないのか?
   └個別レス−−在来線の機能

(以上前ページ)

└Re:並行在来線問題本格立論(論点2:収支均衡と負担問題)
 └包括対論その2(主に収支均衡と負担について)
  └Re:包括対論その2
   └個別レス−−運賃体系
Re:並行在来線問題本格立論(論点3:資産と損失と国鉄債務)
 └内部補助と国鉄債務とJRの関係の問題について
  └現状を疑う前提での極論ですが
   └現状を疑うではなく、現状を踏まえた上での問題への私見
 └包括対論その3(主に国鉄改革理念)

(以下前ページ)
  └国鉄改革の理念の再構築とローカル輸送維持スキームの必要性
   └Re:国鉄改革の理念の再構築とローカル輸送維持スキームの必要性
    └改めてローカル輸送維持スキームの必要性と内部補助の問題
     └内部補助(会計関係)
     └ソース開示請求
      └回答
       └承知しました

▽ 前ページより

Re:並行在来線問題本格立論(論点2:収支均衡と負担問題)
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/09/15 13:59:42) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 つづいて、内部補助の問題です。

●収支均衡について総論
 単にコストを賄うレベルの負担を前提にした場合、例えば電気・ガス事業のように独占が認められていて、かつ自家製造などの防衛策が事実上不可能な状況であれば、その100%転嫁は可能です。ところが交通部門においては所謂「交通弱者」を除いてクルマや自転車、果ては徒歩といった対抗・防衛手段を持つことから、それによる逸走を織り込んでも増収(=コスト負担率の好転)にならない限り、コストを100%転嫁することは不可能です。

●事業規模がもたらす差異
 地域密着、小さい会社で小回りが利いて効率的という謳い文句は確かにありますし、一定の効果は上げていることは確かです。ただ、一方で事業規模の大小にかかわらず一定の負担を強いられる間接部門やシステム(最近の鉄道事業における、保安官系を中心にした様々なシステム化を考えられたい)、また保守関係などを考えると、これらの固定費負担はやはり事業規模が大きいほうが有利に働きます。

 内部補助の意味は、採算部門から非採算部門への利益移転だけでなく、スケールメリットによるコスト負担の軽減化という側面も見るべきで、実際、各地の三セク鉄道がここに来て苦戦しているのは、この手の投資の負担・転嫁問題が主因だからです。

●構造的な優劣がある競合相手の容認
 整備新幹線の場合、広域展開していてコスト吸収が可能なJRが、地域限定でコスト転嫁が難しい並行在来線の真横に存在するという悩みがあり、クルマなどの対抗・防衛手段のコストとダブルのキャップが存在します。
 先に在来線でも利用しようと思えば優等列車を近距離移動で利用できると書きましたが、同じJRであれば「特急料金を負担すれば」という前提がつくところ、新幹線と並行在来線の場合は、建前上はコスト見合いの普通運賃に速達・快適料金という側面のある特急料金を附加した新幹線と、並行在来線のコスト見合いの運賃が同レベルもしくは逆転します(IGRと青い森の場合、本当に収支均衡を計るのであればもっと高い賃率になる)。

 この状態で並行在来線にコスト転嫁を前提にした運賃設定を前提にするのはあまりにも酷ですし、そもそも、鉄道(など交通)事業においては、収支とコスト負担レベルの限界点を考慮した運賃規制を敷く代わりに、参入規制による独占を認めるという政策で事業者の存続に配慮していたのであり、そのバランスが崩れた状態であるスキームをまず疑ったほうが良いかもしれません。

●セグメント別収支の徹底は
 しからばJRに対し、セグメント(路線)別収支の徹底を図り、その段階で並行在来線に対してダンピングになるような運賃設定を許さないことで並行在来線の経営を守れるかどうか。
 しかしこれは今以上のローカル線(どころか亜幹線も)の切り離し加速へ直結しますし、企業経営というものはある程度の内部補助を前提にして成立している面があるだけに困難です。

包括対論その2(主に収支均衡と負担について)
 投稿者---和寒氏(2002/09/20 22:08:21) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

【収支均衡と負担】
■ローカル輸送の単価設定に対する基本見解

TAKA様
 「新幹線を作る・作らないにかかわらず幹線とローカルを分離しては?」ということは、表現を変えれば「線路の所有と運営を分離したら(=上下分離)」という事ではありませんか?
エル・アルコン様
 交通部門においては所謂「交通弱者」を除いてクルマや自転車、果ては徒歩といった対抗・防衛手段を持つことから、それによる逸走を織り込んでも増収(=コスト負担率の好転)にならない限り、コストを100%転嫁することは不可能です。

→書ける文量が限られてくるので言葉足らずだったと思いますが、私がまず提唱したいのは「幹線系列車と地域ローカル系列車の会計分離と運賃体系分離」なのです。ローカル系の経営分離は、必ずしも意図していません。しかし、ローカル系だけで単独採算確保可能もしくはそれに近い状態までコストの価格転嫁(つまりは運賃値上げ)が可能であることが証されれば、経営分離しても支障はないはずです。

 このあたりはもう少し絞りこんで議論してみたいのですが、自分の考えをまとめきっていないので概略を記します。
 拙HPにおいて、名鉄閑散線区に対する分析を下記のようにまとめてあります。

http://www.geocities.jp/history_of_rail/mei4/00.html

 この中に記したとおり、廃止された4線区の営業係数は300〜700台、運賃を倍に値上げしても追いつかない不採算路線です。そして、廃止後の代替バス利用者は45〜83%減と、まさに激減しています。
 4線区は、「鉄道だから」利用されていたのか、それとも「内部補助されて低廉な運賃水準だったから」利用されていたのか。今からでは見極められないのです。私は上の記事にも記しました。

 「後知恵ながら、4線区の営業中に運賃水準を大幅に引き上げる措置があってもよかった。第3セクターに転換せずとも、名鉄の運賃体系の中で、廃止対象区間のみの運賃値上げもできたのではないか。これで利用者数が減少すれば利用者は名鉄の低廉な運賃水準に利点を見出していたといえ、減少しなければ『鉄道だからこそ乗る』という魅力を感じていたことになる。統計的分析よりも強力な社会実験になったはずなのだが。
 たとえ運賃が高くとも、『鉄道だから乗る』ということが立証できれば、社会的負担は大きくとも存続させるだけの価値はあった。そのかわり、高水準の運賃が嫌気されるのであれば、鉄道を廃止しても惜しいところはまったくないと断言できる」

 私は、この見極めをつけるための社会実験を行うべきだと考えています。だからこそ、敢えて極論をぶっているのです。

Re:包括対論その2(主に収支均衡と負担について)
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/09/24 00:44:01) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 ローカル(地域)輸送における一つのモデルとして、高目の運賃による均一制というものが考えられます。
 その輸送機関の利用者に、維持費をある程度負担してもらう意味のチャージという含みをこめた運賃を設定します。一方で、収支均衡を目指すせいか、乗れば乗るだけうなぎ上りになる運賃を見直し、一定の金額で打ち切りにするのです。
 極端な話、500円均一とか、500円と1000円の2段階と言った制度でも良いでしょう。

 この手の例としては、浜松の遠州鉄道バスが600円くらいでの上限運賃制を採用してますし、また千葉県印旛村内を走るバス路線(都市交通、大成交通、ちばグリーンバス)は、印旛日本医大駅を出る各路線とも300円均一となっています(日医大駅をまたぐ利用〜京成佐倉駅−日医大−小林駅の系統〜は2区600円になる)。

 初乗りの高さは批判の対象になりますが、そもそもクルマとの競争を考えると、安かろうがなんだろうが逃げるものは逃げると考えれば、ある程度の負担力はあると考えます。逆にローカルでの公共交通への抵抗感が強いのはどこまでも上がる運賃ではないでしょうか。
 価格帯のイメージとしては、高い高いと言われながらも意外と抵抗感なく使われる傾向のある1メーター〜1000円程度のタクシーです。

個別レス−−運賃体系
 投稿者---和寒氏(2002/09/26 23:24:40) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 エル・アルコン様の御提案は、なかなか面白いやり方だと思います。

 私がイメージしていたのは、近距離(200km未満)と中長距離(200km以上)の運賃表の分離です。近距離運賃表は、地域ブロック毎に賃率を変えるという選択もあってもいいでしょう。あるいは、近距離と中長距離ではまったく異なる凝制キロを採用してもいいとも思っています。
(特に近距離での凝制キロ採用は必須。なぜならば、地方部で都市圏型輸送を行う区間では、相応に低廉な運賃体系とする必要があるため)
 近距離運賃表は20〜30円/km、中長距離運賃表は10〜15円/kmを基本線とします。

 あるいは、うんと大雑把な割り切り方として、自由席特急料金を運賃にこみにしてしまって、全ての賃率を20〜30円/kmとし、大都市圏のみ割り引くという選択もあるかもしれません。

 この手のオプションを考えていくときりがありませんが、御参考まで。

Re:並行在来線問題本格立論(論点3:資産と損失と国鉄債務)
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/09/15 14:04:53) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 最後は国鉄改革の議論です。鉄道事業法改正に伴う退出の自由化をJR各社がそれを無条件に(他の鉄道会社並みに)享受することへは疑いがあります。
 それは、切り離される路線は旧国鉄の長期債務に密接に関るからです。

●長期債務の負担
 国鉄再建法の中で、どうしようもない路線については転換交付金を付けて三セク化したりバス化したのですが、対象外の路線については、分割・民営化された新会社での維持が可能という判断だったはずです。
 それで経営が可能になる前提で分割境界をはじめ、三島会社の基金積み立て、当初期間の租税公課の減免がセットになっていたのであり、国鉄改革の最大の課題であった長期債務の国とJR(各社)の負担割合の前提でもあるのです。

 つまり、新幹線などの収益−ローカル線の損失=新会社の収益であり、それ見合いで返済が可能な水準で長期債務を負担しているのです。
 国鉄改革は、国鉄という会社の破綻処理にあたり、JRという第二会社を設立した上で、JRが負担できない債務を国が引き取るスキームであり、JRという第二会社から見れば、本来旧債を全額引き継ぐべきところ、国の継承という形で債権放棄をしてもらっているのです。

●分離は第二の債権放棄
 今回の分離スキームに限らず、退出規制撤廃に伴い非採算路線の分離(廃止)が可能になるとしたら、上記の長期債務の負担はどうなるのでしょうか。
 収益部門を分離するのであれば、減益なのに負担はそのままという理不尽を訴えることが可能ですが、長期債務の負担計算の基準となった損益のうち、損失部門を切り離すということは、増益でも負担がそのままということになります。

 もちろん各セクターにおける経営努力で増益を達成したのであれば文句の付けようも無いのですが、負債とセットになっている資産のうち、資産だけを切り離すのは不合理であり、見合いの負債を放棄させられた形になります。
(非採算部門なので、マイナスの負債が見合っている格好であり、資産を切り離したらマイナスの負債の減少、つまり負債の増加を計上しないとつりあわない)

 これでも資産の除却損で釣り合うのであればまだしも、民営化当時に簿価譲渡を受けた資産をそのまま三セクに簿価譲渡するという今回のスキームですし、よしんばバス転換としても簿価自体がおそらく非常に安いですから、マイナスの負債だけを所有する意義は大きいです。

●余談・JRバスの退出
 バス部門が一足先に自由化されたのを受けて、各地のJRバスが恐ろしい勢いで一般路線自体の総撤退ととってもいいような改編を進めています。
 しかし、この部門も国鉄の長期債務負担の計上において、「自動車部の損益」として認識されていたはずの部分です。
経営改善効果は確かにあり、長期債務の返済原資確保を確固たるものにすることは確かですが、返済金額自体の増減はないのです。

***
 以上、誤解も多いでしょうし、些か傍論に偏りすぎたきらいはありますが、和寒様の論点提示に対して現状感じた部分を述べさせて頂きました。

内部補助と国鉄債務とJRの関係の問題について
 投稿者---TAKA氏(2002/09/16 23:48:04)

 エル・アルコン様こんばんはTAKAです。
 和寒様の議論に割り込む様な形で大変申し訳有りませんが、貴説の「並行在来線問題本格立論」の中で、気になる内容がありましたので、ちょっと割り込ませて頂きます。
 但し議論の妨害やイチャモンを付けるつもりはございません。あくまでちょっと気になった内容について私見を述べさせて貰うだけですので・・・ そんなに気になさらず聞き流してください。

◎前提として「現在本州のJR3社は株を上場していて一般投資家を含む多数の投資家が株を持っている民間企業である」という事を考えて頂きたいと思います。今ですら未だ国が株の一部を所有していて事業計画を国土交通大臣に認可して頂かなければならない「半官半民」に近い状態ですが、将来的には本州JR3社は完全民営化も視野に入っています。
 その様な状況である以上本州JR3社は他の民鉄協加盟の大手民鉄と変わらない状況にあるという視点で見る必要が有ると考えます。私の話はこれが大前提になります。

★JR各社の対ローカル線内部補助の問題について
 ローカル線への内部補助の問題は、JR以外の民鉄協加盟の大手民鉄(以下民鉄と略す)にも存在しています。
 特に東武・名鉄・近鉄はJRほどでないにしろ周辺地域にローカル線を抱えています。例えば東武では「黒字と赤字の別をはっきり計算している訳ではありませんが大体伊勢崎線の東武動物公園(野田線を含む)・東上線の坂戸まで即ち40km圏辺り収益力のある線区」(97年12月号鉄道ピクトリアル増刊号東武内田社長へのインタビュー内のコメントより)という感じでそれ以外は収益力のある線区に内部補助されたローカル線という事になります。
 その中で名鉄も近鉄も赤字ローカル線の廃止を打ち出していますし、東武も前出のインタビューで内田社長は「今後規制緩和により参入退出が自由になると言われていますが、どのくらい変わる事になるか注目しています(中略)現在は大変な車社会になって事情が変わり地方閑散線区を今後どうすればいいか大変悩む訳です。当社は3分の2が地方閑散線区ですから大変危機感を感じております」とコメントしています。即ち97年当時ですら「現在廃止計画は無い」と明言しながら、閑散線区に危機感を感じているとコメントしているのですから、5年前の段階で既に内部補助の限界=地方線区をどうするかについて悩んでいた事になります。それが退出自由化で内部補助に耐えきれなくなり名鉄と近鉄でローカル線の廃止になり姿を現したのでしょう。

 では何故内部補助の限界が出てくるのでしょう。それは「公共交通」を担うと同時に「民間企業としての収益性」を追求しなければならないという事が、矛盾として発生しているとしか言えません。本来公共交通を担っている以前に、民間の資本家の投資を受けその金で線路を引いて鉄道事業を行っている以上、「公共交通の使命」の前に「民間企業としての投資家への還元」が会社の使命として大前提になります。正直言って「スケールメリットでのコスト負担の低減」ぐらいは今の第三セクターでも優秀な低コスト第三セクター会社と民鉄の運営コスト差で回収できるぐらいです。その様な物ではありません。やはり収益の移管による純粋な内部補助が行われないと維持できないローカル線が多数存在する事は間違いないでしょう。
 スケールメリットで低減できるコストはそう多くありません。運営コスト差の方が大きいと考えます。先ほどの東武の話で、収益力のない線区に何処が該当するか考えてみてください。その線区と黒字orすれすれ赤字第三セクターと比較してみたら第三セクター以上の輸送量を持ちながら収益力がないといわれる路線が多くあるはずです。そう考えれば第三セクターの方が運営コストが安い事が分かるでしょう。ですから地方閑散線の不採算はスケールメリットによる低減コスト等という問題を通り越して、収益の移管の内部補助をしないと維持できないほどの収益性しか存在しない事になります。

 前にも述べた通り民間の企業にとり究極的には「公共交通維持」の使命より「投資家への収益の還元」の方が重要な使命です。その還元すべき収益が「公共交通維持」のために内部補助で赤字部門に横流しされている様な物です。株主としては「俺たちに還元されるべき収益が地方に流れるなんて冗談ではない!固定資産税等の税金を地方に払いその上地方の為に株主の得られるべき利益を内部補助で回して公共交通を維持するなんて地方が無責任すぎる!民間企業は慈善事業ではない!退出が自由化されているのだから、その様な線路は廃止してその分株主に還元せよ!」という極論が出てきても不思議ではありません。現在企業は内部で不採算部門をかくまう様な経営をする時代ではなくなったのです。
 そう言う事から考えて私は此処で「民間企業の内部補助が好ましい形なのでしょうか?」と疑問を呈しましたが、はっきりと「民間企業の根本から考えて好ましくない」と言えます。内部補助で清濁を併せ呑む様な時代は終わったのです。民間企業としては退出が自由化された現在その様な不採算部門からは撤退するのが好ましい経営であると言えます。
 同じ事はJR各社にも言えます。特に本州JR3社は国が株を売り民間株主を持ち上場している企業です。前述の様に民間企業として扱うべきです。そう考えると地方ローカル各線に対するJRの取るべき姿は自ずと明らかになるでしょう。究極的に言ったらエル・アルコン様がNO794で言われている様な「利益極大化の為のローカル線切り捨て」が株主から見たら好ましい形とも言えます。それは現在参入退出が自由化されれば当然保護が存在しなくなりますし、その様な競争社会で有れば収益分門は競争の可能性にさらされる中で内部補助で不採算部門のローカル線を維持するのは、経営的に見れば自殺行為です。社会的に見れば競争のデメリットかもしれませんが、保護が無くなり退出自由の権利を獲得したならば民間企業としてその権利を行使して利益極大化へ向けての行動をする事は逆に当然の行動と言えます。

→でもこれで終わってしまったら「内部補助は好ましくない」とされたとしても、「公共性のある地域輸送を如何に維持するか?」という問題が何処かへ消えていきます。必ずしも私は「内部補助は好ましくない」とは言いつつ「地方ローカル線は全て採算だけで切り捨ててしまえ」などとは思っていません。ではどうするか?私の考えられる方法としては2つ有ると思います。

  1.  不採算の地方ローカル輸送に関しては、採算性重視の民間企業から切り離し地方が責任を持ち社会サービスの一環として公営又は第三セクター型式で運営する。

  2.  不採算の地方ローカル輸送に関しては、今運営している企業に対し線区別収支を明示させ可能な限り時こそ力で改善させ、その上一部値上げを含む線区別運賃を認める。
     それでも不足する部分に関しては、1.の道を歩ますか、それとも固定資産税等の地方税免除→設備改善等への資金補助→線区別収支の赤字部分への直接補助という道筋を経た形で民間企業の内部補助の代替を行うべきでしょう。これはJR・民鉄・第三セクター等の運営主体は問いません。

 この様な補助を与えるべきでしょう。そうしないと重石だけ押しつけられた企業は、自由競争の荒波の勝てませんし、高収益区間だけ運行している他民鉄と競争する様な場合非常に不利なハンデを背負う事になります。国が政策として自由化を志向し、世間一般は企業の利潤極大化への流れを否定しない状況では、地方ローカル輸送の様な採算性と公共性の鬩ぎ合う問題は自由化の負の側面として切り捨てるか、公共セクターが補助するしかないと思います。少なくとも今までみたいに民間企業の経営努力に頼るのはお門違いです。
 それよりかは有る程度公共セクターが関与してローカル輸送等の公共性の高い物のシビルミニマムを地方で確保する為に補助等を出して関与していく方が分かりやすいと思います。その代わり収益性が望める部門に関しては競争主義を貫く事です。補助と競争のメリハリを付け行政が遠巻きに指導していくのが好ましいと思います。

★ 国鉄債務とJRの関係について
 エル・アルコン様は旧国鉄の債務に関してJRは「本来旧債を全額引き継ぐべきところ、国の継承という形で債権放棄」と述べられていますが、これは少し違いませんか?
 確かにJR各社は特定地交線に関して切り離し、採算性に関して配慮の上でスタートしています。不採算の三島会社に関しては基金を積み立てて貰い採算性に関してはかなりの配慮はされています。又その採算性の中で本州JR3社は旧国鉄長期債務を負担しています。
 しかし私とエル・アルコン様に見解の相違があるのはこの長期債務の意味合いで有ります。旧国鉄の継承会社はJRだったのでしょうか?実質的には路線等はJRが引き継いでいるので実質的な継承会社はJR各社ですが、本来は国鉄精算事業団ではないですか?何故JR各社が「本来旧債を全額引き継ぐ」義務が存在したのでしょうか?根本を考えれば国鉄は誰の持ち物だったのでしょうか?そう考えれば国鉄の経営責任は何処にあったのでしょうか?そう考えれば見解の相違が出てくると考えます。
 即ち旧国鉄は正式名称「日本国有鉄道」が示す通り国有でありその経営責任も債務の償還の究極の義務も国に存在する物です。ですから旧国鉄債務に関しては、一部を本州JR3社に引き継がせ同時に鉄道事業に必要な資産も合わせて引き継がせ、残りの資産と新会社の株式を国鉄精算事業団に引き継がせると同時に残りの負債も引き継がせ資産売却で国鉄債務の返済を計りそれでも残る債務は国民負担にしたのではないでしょうか?そう考えるとJR各社に関しては本来国の責任で運営していた鉄道の債務と経営責任を全て引き継ぐ義務は存在しなくなります。
 本州JR3社が引き継いだ長期債務は収益を上げる資産の対価という事ではないのでしょうか?そうすれば三島会社は資産に収益を上げる基盤がないので、公共交通維持の為に無償で譲渡され持参金(=基金)付きになったのではないでしょうか?
 そう言う事で有れば国鉄経営破綻の責任は実質継承会社のJR各社に存在する物ではなく、国に存在しているのであり国の継承で債権放棄して貰っていると言うより、国が自ら税金で後始末を付けているという事ではないでしょうか?
 少なくとも私は国とJRの関係はもう債務継承等の問題が発生する事自体おかしく、国との関係は許認可官庁との関係と未だ未処分で持っている分の株式による支配権だけとなります。既に国はJRの株を売却し上場させている以上、過去のしがらみで特定の関係を有する関係とも言えますが実際は残りの株がしばらくの内に売却され本州JR3社の完全民営化が達成されれば、普通の民鉄と変わらない民鉄会社になると考えます。そうなれば継承の旧国鉄債務は資産購入の為負債と言う事でしかなくなります。

→こうなった段階で普通の民間会社になった本州JR3社に関して「鉄道事業法改正に伴う退出の自由化をJR各社がそれを無条件に(他の鉄道会社並みに)享受することへは疑いがあります。」というのは問題があるのではないでしょうか?少なくとも完全民営化されれば制度上他の鉄道会社と区分けをする根拠も存在しなくなるのでは?その上改正鉄道事業法には「退出の自由化に関してJRは例外扱いする」という意味合いの条文は入っていましたっけ?完全民営化すれば資本の側面からの締め付けも出来なくなります。又それが公共性のためを大義名分として行われるので有れば何故完全民営化したのか?特定企業に公共の負担を不公平に押しつけるのはおかしいと株主が言い出すでしょう。
 完全民営化されれば本州JR3社に対し、特別扱いをするのもおかしいですし、条件を付けたり負担を押しつけるのも論外です。ましてや法律の条文に書いている事を公平に適用しないとなったら大問題です。既に完全民間企業になろうとしている会社なのですから、その様な考えはすべきではないのではないでしょうか?

***
 まとまらない超長文になりすいません。空くまでも私の私見に基づくちょっとした書き込みなので色々誤解や間違い等有るかと思いますがそこら辺はお許し頂き間がしてください。
 いつも喧嘩の吹っかけ人と思われていますから、この様な合っているやら間違えているやらの異端の意見で不快な思いを皆さんにさせたくはありませんので・・・

現状を疑う前提での極論ですが
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/09/17 18:07:14) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 まず、私の議論は「現状を必ずしも肯定しない。現状を疑ってかかっている」ということをご理解下さい。「今のスキームにそもそもの矛盾があるのではないか」という議論に対し、「現状がこうだから」(これは私の議論が「法規定の瑕疵」「法自体の瑕疵」を含むものである以上、「法律がこうだから」という部分も含みます)という反論はあまり意味を為さないと存じます。願わくば、「斯々云々の理由で貴方の考え方はおかしいから、現状(法律)は正しい」という構成で反論頂ければと思います。

●不採算のボーダー
 公的支援の対象の線引きをどうするのでしょうか。
 極端な話をすれば、路線別収支が赤字であれば「不採算」ですし、株主が期待するリターンを上げられない黒字路線も「不採算」になります。
 完全なセグメント別主義を採るのか、内部補助をしても支えられないという企業単位での評価を併用するのかというところです。
 内部補助も見方を変えれば企業の経営努力であり、納税者から見れば儲かっている企業の赤字部門になぜ税金を投入するのかという当然の疑問に耐えられるスキームが必要です。

●株主への配慮
 極論からいうと、公共・公益企業において投資家の利益と国民の利益が背反する場合、投資家の利益を優先する必要は全くないということです。
 もちろんそれは究極の事態ではありますが、政策に縛られるリスク、突き詰めれば国益、国民の利益に反する行動をとることを抑制されるリスクというのは、本来公共・公益企業固有のリスクとして投資にあたって認識されるべきものです。もしそれに対するディスクロージャーが足りないとすれば、それは金融行政としての国の責任であり、運輸行政としての国が責任を負うべき性格のものではありません。
 さらに、もともと再建が完了しない段階の第二会社であるJRが上場すること自体に実はかなり無理があるのであり、厳しい見方をすれば、投資家の自己責任と切り捨ててもおかしくない話です。

 無論、清算事業団が自らの債務償還のために所有株を放出した経緯がありますから、無茶をしたら国が何らかの責任を免れ得ないことと、国債などの信用を暴落させることは確かで、まさに禁じ手の世界ですが、とはいっても国が国民に犠牲を強いてまで投資家を守るという事態も禁じ手に変わりはないのです。

●「国鉄」の承継
 法的な主体云々と言う神学論争以前に、当時の当事者の認識というか公式見解を引いて見ましょう。
 昭和62年の運輸白書によると、昭和61年12月4日の日本国有鉄道改革法の成立に基づき昭和61年12月16日に「日本国有鉄道の事業等の引継ぎ並びに権利及び義務の承継等に関する基本計画」を閣議決定しており、現在のJR各社を「承継法人」と定義しています。
 なお、長期債務については「国鉄長期債務等については、新事業体の健全な経営に支障が生じない範囲で旅客会社等に承継させ、残るものについては、清算事業団に帰属させて処理することとしその総額は37.1兆円、そのうち11.6兆円を新事業体が負担し、残る25.5兆円を清算事業団において処理することとされている。」と述べています。

 なお、国鉄資産の継承は日本国有鉄道改革法20条2項に従い、簿価で計上されています。

●破綻処理について
 破産処理ではなく事業は継続するのですから、更生手続きに入るのが通常でした。この場合は更生会社である「国鉄」が事業を継続する反面、事業を継続しながら債務を弁済できるように、減資と旧債の減免を軸とした更生計画を立てることになります。
 しかしそうすると出資者と貸主という債権者としての国は貸倒の発生となり、財投の破綻となりかねませんし、鉄道債券の保証債務者としての国は偶発債務である保証債務の即時履行を強いられ、償還できない場合は国がデフォルトになる最悪の事態になります。

 結局JRという第二会社を設立して、国鉄は国鉄清算事業団という旧債管理の会社にする。旧債務はデフォルトにならないようにあたかも健全債権の如く元利払を継続するという、国の信用上やむをえない面があるとはいえ、妥協の産物といえるスキームです。

●JR継承債務の意味
 国鉄の債務を引き継いだのが清算事業団で、その処理の過程で清算事業団が所有する旧国鉄の資産ならびに営業権という「資産」を返済減資捻出のために長期債務引受を対価としてJR各社に処分したのであれば、清算事業団による資産処分の先がJRという会社であるに過ぎず、JRはJRが取得した債務を淡々と償還するだけの話です。

 しかし、そこで重要な要因は譲渡価格が簿価であるということです。設備など償却資産はともかく、土地の再評価を持ち出すまでもなく、明治以来営々と積み重ねられてきた鉄道用地において簿価>時価ということはないでしょう。当然「旧国鉄」という暖簾の計上もないですし、通常の会計、税務でこれが営業譲渡と認められる余地は非常に小さいのです。つまり、JR各社は資産の対価として長期債務を負ったのでは決してない、B/S上釣り合うはずのないものであり、その実際の計算は運輸白書にあるように「新事業体の健全な経営に支障が生じない範囲」というP/Lから計算された数字なのです。

※時価簿価を無視した話ですが、面積ベースでJRは国鉄所有の土地の87.5%を継承して、債務は新幹線保有機構分を含めた当初ベースで46.6%を継承しているように明らかに不均衡が見て取れます。
 三島会社が基金を積んだのもP/Lを出発点にしており、この承継資産・負債の計算は決して貸方、借方がまずあってというよりも、P/Lから出てきた数字に合わせる形で勘定を合わせただけなのです。

 私がこの問題で指摘する核心はまさにそこであり、清算事業団(国)とJRの責任を峻別するのであれば、JR各社は法人間取引として当たり前である時価計上された資産と暖簾の対価を払うべきだったのです(これは例え親子間取引であっても必要な要件です)。それが減免されたのは、「新事業体の健全な経営」の保証、特定地方交通線問題が完結した時点での旧国鉄のサービスの維持を可能ならしめるためという指摘に間違いはあるでしょうか。
 「特定企業に公共の負担を不公平に押しつけるのはおかしい」と株主は言い出す前に、「特定企業に公共の負担を不公平に減免したのはおかしい」と自覚すべきではないでしょうか。 

●長期債務と資産と旧債の関係
 再度述べますが、JR各社が承継した債務は、資産見合いではなく損益見合いの数字です。その損益のマイナス要因を切り離すことで債務の実質負担は減少します。
 この部分、JR会社法によるコントロールと鉄道事業法による退出規制の二重の縛りがあったものが、両方とも外れることになりますが、長期債務引受の算定根拠を考えると、それはおかしいのではないか、という指摘なのです。

 さらに進めれば、旧国鉄の長期債務の償還を第一に考えているのであれば、第二会社方式の整理の本線として、JR各社のフロー収益を旧債償還まで充当すべきであり、百歩譲っても旧債は清算事業団に帰属させ、清算事業団はJR各社に対して営業譲渡時点の時価評価額(もしくは公正妥当な譲渡価額)を元本とした長期未払金債権を取得して、その元利金を回収することで旧債の償還に充てるべきだったのです。
 そんな無茶なというかもしれませんが、これが普通の破綻処理であり、それをまけてもらったのはどういう目的でしょうか。JRという民間企業を育成するためではないことは明らかですが。

現状を疑うではなく、現状を踏まえた上での問題への私見
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/09/22 13:25:52) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 エル・アルコン様今日はTAKAです。「現状を疑い現在のスキームに矛盾がある」という否定的視点で物事を見るのは、非常に重要であるとは思います。しかし現状として国鉄改革のスキームはもう最終段階に来ていますから、それを否定するのは好ましくないと思います。
 それならば現状の中から如何にして現状を踏まえて、将来の方向を考慮する方が現実的です。タイムマシンに乗って過去に行き修正する事は出来ないのですから、現状を追認する事も必要な事であると考えます。

●不採算のボーダー
 「何を持って不採算というべきか?」という事は非常に重要な問題です。
 私は個人的には「各々の路線ごとの単独収支」を考えその上で、設備投資の補助をすべきか?・固定資産税の減免をすべきか・収支補助をすべきか?・第三セクター化や公営化を検討すべきか?・バス代替等の他の交通手段を検討すべきか?等々を検討すべきであると考えます。
 基本的には「内部補助でローカル線を何処まで支えるか?」という問題は、基本的には運営会社が判断すべきであると考えます。現在参入・退出が自由化されてますので、民間企業としての採算性と株主への配慮と公共的事業を運営する企業としての義務を天秤に掛けた上、民間企業が自己のデータを公開して、地方自治体へ協議を発議して自治体も公開された内容を精査して、正しく赤字で有れば、上記内容を協議すべきであると考えます。

●株主への配慮
 公共・公益企業で投資家と公共の利益が相反する場合、投資家の利益を優先する必要なしという事は公共・公益企業を運営するのに、その資本を民間に依存する事自体が間違えています。それならば公共・公益企業は全て国有化して投資から全て国が責任を持つべきです。
 本来資本主義の世界において、国有化を強化して民間の活躍の場を狭めるという形の経済運営が失敗の上に終わっている事自体は、歴史が証明しています。過去の失敗の歴史を繰り返すべきなのですか?
 確かに公共・公益企業の独特のリスクは存在しますし、投資家はそれを認識した上投資するのが投資家の自己責任です。しかしその様なリスクは最小限にすべきですから、公共セクターは法律・規制・政策を使い最低限の公共性や安全性の維持はしなければならないですし、その為に運営企業がリスクを背負う事は甘受しなければならないと思います。しかしそれは最低限に留めるべきです。その様な微妙な問題を調整する為に国の行政は存在するのであると思います。
 今の段階では「国の投資家への補助」「投資家の切り捨て」「国有化」も禁じ手であると考えます。基本的には民間のJR各社に運営させるというスキームが出来ている以上、それを民間企業として最大限尊重し、著しく公共性を損ねる行為に対しては国が規制等を加え調整・誘導すべきですし、民間企業の自己責任以上の公共性維持に関しては、公共セクターがそれ相応の責任を持つべきです。

※この禁じ手を行っているのが「金融行政に寄る銀行救済」です。公共資金注入・保有株の買取が「金融システム維持」の大義名分の下行われています。これが好ましい事かは皆さんのご判断にお任せしますが、私の私見に基づく基本的考えでは、非常に好ましい事ではありません。この弊害が将来に渡り日本経済に重大な影響を及ぼす事に非常に危惧しています。

●「国鉄」の承継
●破綻処理について
 基本的にJR各社が法的な継承法人であり、マイナスの債務の内JRの採算性を損ねる部分に関しては国鉄精算事業団に継承させ、最終的には国(=国民)が責任を持ち処理を行う事に関しては、仰有られる通りであると思います。其処には下記のような考えがあったと愚考します。
  (1)如何にして国有企業(=国)の破綻処理を国の信頼を維持して行うか?
  (2)何とかして公共輸送としての鉄道を維持するか?
  (3)如何にして破綻処理の国民負担を最低限に押さえるか?
  (4)今後鉄道運営企業が破綻しないスキームを作り上げるか?

 その様な条件を満たす為に、今あるような国鉄解体のスキームができあがったのでは無いでしょうか?
 国鉄は実質的な破綻処理をしないともう成り行かない。継承会社は採算性を考慮した状況で成立させないと今後公共輸送としての鉄道も維持できないし又破綻しかねない、国民負担を最低限にする為には、譲渡資産を売却すると同時に継承会社を上場して株を民間に売却する事で、実質的に最大限の資産を売却するというスキームで国鉄処理は行われたのではないでしょうか?
 妥協のスキームではありますが、この当時の「民活」の流れに乗ったなかなか練られたスキームで有ると考えます。この後バブル発生に対応する土地売却の凍結等の予想外の状況が発生しましたが、その様な将来の環境の変化を除外してこの当時できる最良のスキームを考えれば、妥協の産物といえどもベターのスキームで有ったと考えます。
 その後欧州各国にて起きた鉄道民営化の流れと、イギリスに於ける民営化によるBRの継承会社のレールトラックの破綻等を考えれば、比較的国の負担が多いスキームであったとは思いますが、本州JR3社は民営化して優良企業に変身させる事に成功し、公共性を維持しつつ民間活力で公共輸送を維持できているという事は、全体的には国民の負担を最低限にして公共輸送を維持できたという点から考えれば、国鉄改革は成功であったと考えます。
 しかし国鉄改革から年月も過ぎ本州JR3社の完全民営化が迫った今、色々吹き出してきた問題について今のスキームを壊さず、その中で民間と公共セクターの役割分担を考え直すのも必要であると考えます。

包括対論その3(主に国鉄改革理念)
 投稿者---和寒氏(2002/09/20 22:12:07) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

【国鉄改革との関連】

■国鉄改革スキーム以降

エル・アルコン様
 鉄道事業法改正に伴う退出の自由化をJR各社がそれを無条件に(他の鉄道会社並みに)享受することへは疑いがあります。
 それは、切り離される路線は旧国鉄の長期債務に密接に関るからです。

→国鉄改革のスキームは、JR各社の内部補助を前提として、現状のネットワークを維持することにあったはずです。従って、エル・アルコン様の御意見は正当です。
 実をいうと、承継債務の位置づけに対する私の認識はTAKA様と同じでして、公式見解がエル・アルコン様の調べたとおりであれば、自分の不勉強を恥じるしかありません。とはいえ、資産見合いであれ損益見合いであれ、JR各社が軽々に不採算部門・路線の分離を行ってはならないことは、改革の理念からすれば当然です。
 しかし、その縛りとて、未来永劫というわけにはいかないでしょう。どこかで見直しが必要です。
 ここで重要なのは、国鉄改革より遅れて退出の自由が確立されている、ということです。JR各社に対し「退出自由の適用除外」がなされていれば、国鉄改革の理念が未だ生きていると確実にいえるのですが、しかし現実はそうではありません。
 国鉄改革の理念が記憶に新しい時期に、適用除外なく退出の自由が確立されたことは、理念の見直しがアナウンスされたに等しいのではないでしょうか。まあ、改革後高々10年での見直しは早すぎる観がありますが、それにしても明確な見直しといえます。
 だから、JR各社は、国鉄改革の理念の縛りから免れる時期に達しており、退出の自由を獲得している、というのが私の認識です。

 しかし、退出の自由を獲得したJR各社が、内部補助にてローカル輸送を維持しているというのは、本スレッドトップ投稿の冒頭に記したとおり、矛盾した状況といわざるをえません。
 従って、最も正当な扱いは、JR各社に対して「退出自由の適用除外」を設けることであったでしょう。こうしておけば、国鉄改革の見直しをかくも早い時期に行う必要もなく、参入退出規制の撤廃という政策転換における例外規定を明示することにより、国鉄改革の意義を再確認させることもできたでしょう。

■真に適用除外すべき事柄
 ところで、私が考えるに、JR各社においては、「退出自由」よりもむしろ「資産処分の自由」を適用除外すべきではなかったでしょうか。
 営業を維持すべき事柄とそれに必要な資産がJRに継承されたという前提で考えれば、その資産を自儘に処分し、しかもその利益が長期債務返済に回らないというスキームは、おかしいといわざるをえません。JR貨物のように財務状況が厳しいところはともかくという観はありますが、資産処分による売却益は、長期債務返済に回すスキームであるのが国鉄改革理念の本質であるはずです。

 先に八戸開業のスキームを「現実の制約のなかでよく練られた」と前向きに評価したのはなぜか。それは、信越本線軽井沢−篠ノ井間の資産をしなの鉄道に有償譲渡したという前例が既にあるからです。
 これは悪しき前例と評価せざるをえない。しかし、前例は前例であって、八戸開業では踏襲されるべき見本となるのもまたやむをえないのです。

 一民間企業の資産を無償で供させていいのか、という疑問はあるでしょう。それは法的には無理です。しかし、スキームの一部として組みこめば、当事者の了承のみで確定させられる事柄といえます。
 新幹線の営業に移行したとて、「受益の範囲内の線路使用料」という制約がある以上、在来線時代より大きな利益を計上できるとは限りません。それでも、スキーム発動の条件として、「JRは並行在来線は廃止することができる。ただし、その資産は無償で受け皿会社に譲渡する」と記しておくだけのことで、だいぶ違った展開になったでしょう。JR各社は、この条件を飲まない限り、新幹線での営業ができないのですから。

■そうはいっても
 以上の記述を通してみても、私の考えはよく見えてこないかもしれません。よってここに明記しておきます。
 私は、国鉄改革の理念がかくも早い時期に見直されたことを残念に思っています。JR各社にはサービス水準とネットワークを維持し続ける義務と責任があるはずです。しかし、これらは退出自由の確立によりキャンセルされてしまっています。だからこそ、ローカル輸送は累卵の危うきにあるといえ、またJR各社の良心と使命感によってのみ支えられていることでもあります。これは望ましい状態からはほど遠いといわざるをえません。

 その一方で、ローカル輸送の運賃水準が低すぎることも確かであり、これに対する社会的実験を行えないものかと、真剣に考えてもいます。
 新幹線を含む幹線系優等列車の運賃料金水準はおよそ20〜30円/km、ローカル地方私鉄の運賃水準もほぼこの程度、しかしJRの運賃水準のみはおよそ10〜12円/kmなのです。これはあまりにも安すぎるといえないでしょうか。
 だから、極論と思われようとも、幹線系とローカル系の会計分離と運賃体系分離を提案するのであり、これからもその可能性を考えたいのです。

 以上、3項目4分割の長々とした文になりましたが、皆様のお考えを頂戴できれば幸いです。

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2004.11.02 Update


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