【検証:】常設板過去ログ集

【検証:近未来交通地図】
(過去ログNo.058)
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直通運転と始発駅乗車
 投稿者---かもめっち氏(2002/03/21 00:03:46)
直通運転と始発駅乗車
└Re:直通運転と始発駅乗車
 └Re:直通運転と始発駅乗車
 └Re:直通運転と始発駅乗車
  └Re:直通運転と始発駅乗車
   └Re:直通運転と始発駅乗車
    └着席「ニーズ」にどう応えるか
     └Re:着席「ニーズ」にどう応えるか
     └Re:着席「ニーズ」にどう応えるか
      └Re:着席「ニーズ」にどう応えるか
       └Re:着席「ニーズ」にどう応えるか
座れるはずの客を立たせることが問題です
 └問題の根を考察してみたい
  └Re:問題の根を考察してみたい
   └Re:問題の根を考察してみたい
   └限界事例における極論
    └極論レシーブ
     └極論アタック・対策の順序
      └極論羆落とし・実は「南北問題」か?
実体験から

 営団南北・都営三田線と東急目黒線、りんかい線と埼京線、営団半蔵門線と東武伊勢崎線、そしてまだプロジェクトが動き出したばかりの営団13号線と東急東横線、と各所で直通運転が進行し、円滑な移動に貢献しています。
 乗り換えは非常に面倒な上にラッシュ時には階段等で生命の危険すら感じる状況にあることを思うと、非常に好ましいことであるといえます。

 しかし、ここでひとつ重要な問題が発生しています。かつての始発駅やターミナル駅で当然の様にあった「着席権」が奪われてしまう、というものです。
 もちろん、直通運転した上での全員着席が望ましいのですが、現状では夢物語に過ぎません。

 このあたり、皆様はどの様にお考えでしょうか?

Re:直通運転と始発駅乗車
 投稿者---Tom氏(2002/03/21 07:54:31)

 利便性から考えたら直通運転の方が勝ります。
 日中時間帯については、ターミナル駅出発時点では着席比率が50%以上は確保されているのが理想だと思います。(運転距離によっても違いますが) で、20分以内に乗客が入れ替わり、ターミナルから乗車した人は全員座れる程度の混雑度、この程度になるまでの本数が確保されることが理想です。
 現実を見てみると、地下鉄直通各線については、半蔵門線−田園都市線を除きほぼ上記を満たす混雑率なので、そういう意味ではあまり問題はないものと思います。
 夕方ラッシュ時はしょうがないのではないか、と思います。
 最大多数の幸福を考えれば 直通>着席権 ではないかと思います。

Re:直通運転と始発駅乗車
 投稿者---矢切氏(2002/03/21 12:06:41) http://www3.ocn.ne.jp/~skylark7/

 最大多数の幸福を考えれば 直通>着席権 ではないかと思います。

 一般論でいえばそうだと思います。ただし、
   ・ 直通列車が輸送力的にも列車間隔的にも十分な数だけ確保され
   ・ 待ってでも着席したいという需要も相当数ある場合
については、始発列車を設けることも考慮したいです。

 実例としては、いずれも夜間ですが、横浜始発の東海道線や新宿始発の中央快速線が相当します。

 かもめっちさんが挙げた実例の中では、13号線直通開始時の東横線渋谷のみが始発列車設定を考慮するに値する唯一の例と思います。目黒線は目黒での入れ替えが多いものの、直通本数確保の観点や短い路線であることなどから、分断は正当化されないものと考えます。

Re:直通運転と始発駅乗車
 投稿者---かもめっち氏(2002/03/21 17:11:19)

 レスありがとうございます。

利便性から考えたら直通運転の方が勝ります。

 その点に関しましては私も全く同じです。例に挙げた以外でも例えば18号答申での中電の東京−上野間の直通運転など、どんどんやって欲しいと考えています。

最大多数の幸福を考えれば 直通>着席権 ではないかと思います。

 これも同意します。
 そうなのですけれども、実際問題始発駅着席が失われる、というのも問題な気が致しまして、悩んでいるところです。
 なんとかして両立できないものでしょうかね。

Re:直通運転と始発駅乗車
 投稿者---Tom氏(2002/03/21 18:24:47)

 Tomです。こんばんは。こちらこそよろしくお願い致します。
 別の掲示板によると、2010年実施の方向で動き始めたようですね。<上野−東京直通

 矢切さんのあげている13号−東横は渋谷駅の設備次第で設定可能かと思います。また、上野−東京が出来ても上野始発もこれまた残すことが出来ると思います(常磐特急設定部分の空き時間など) 。
 ただ、従来の始発駅だからといって格別優遇する理由もないかと。
 例えば、昔から直通している京浜東北等は上野・東京始発は1本もありません。しかしながら、南行は上野からなら確実に座れますし、時間帯によっては東京でも着席可能なのでまだ良いかと。(北行は19時前後だと田町でもダメ)
 ラッシュ時以外は連続立席時間は短くなるように抑えられる程度の本数を確保することにより、始発減少を補えればよろしいかと思います。

#始発、ということは「座れる、快適な」ということを求めているのだと思いますので、ラッシュ時以外は本数確保が答えになるかと。また、線区によっては有料種別やグリーン車連結もひとつの答えになると思います。

Re:直通運転と始発駅乗車
 投稿者---和寒氏(2002/03/22 12:25:57)

 4扉ロングシートを前提とすると、たとえ「定員乗車」でも、着席しているのは3分の1程度しかない点を、考慮すべきでしょう。混雑率 200%になると、およそ6分の1のお客さんしか座っていないわけです。数だけでいえば、立客を優先して考えるべきでしょう。
 ただし、いかなる状況においても、「確実に着席できる」駅が固定されている点に、問題がないとはいえません(資源配分の固定化)。それは「着席権」ではなく、単なる地理的なアドバンテージにすぎないのですが、不公平感が伴うことは確かです。
 例えば、朝の総武快速線上りは、津田沼始発でも12分以上並ばないと確実に座れません。そして、当然のごとく、次駅の船橋で乗る方はもはや誰も着席できないわけです。使う側としては受容せざるをえないところですが、しかし、着席可能であることを「権利」といわれるのは、抵抗感が伴います。
 住宅購入の選択基準として、「始発駅であること」を挙げる方もいるでしょう。心情としては理解できるところですが、しかしそれは「権利」でもなんでもないと思います。

着席「ニーズ」にどう応えるか
 投稿者---551planning(2002/03/23 03:07:01)

 住宅購入の選択基準として、「始発駅であること」を挙げる方もいるでしょう。心情としては理解できるところですが、しかしそれは「権利」でもなんでもないと思います。

 和寒様がお書きの通り単に地理的条件によって生じるものについて、それを「着席権」として利用者が当然保持し得る権利(=運行事業者側にはそれに応える、すなわち座席提供の義務が発生する)と一元的に捉えてしまうのは、方向性的に危ういものを持っているといえるでしょう(和寒様もそう指摘なさりたいのかなと当方は考えましたが、如何?)。例えば、営団東西線で行徳始発が妙典開業によってなくなった折、行徳利用者の間では不満の声は当然ありましたが、それをいわゆる法解釈上の「権利」として捉えて営団はそれに応える義務があるのか、というとまた違いますし、だったら西葛西始発も作れ、ってなことにもなるわけで、それは議論の余地ありか、ということでしょうね(ゴメンナサイ、一部個人的感情が多分に含まれております…悪しからず)。

 しかしながら、皆様の仰りたい「着席ニーズ」とでも云いましょうか、も現実問題としてあります。ただそれは始発駅だけと甘受されるべき議論とはまた違うものであり、かといって平等に配することもできないものですね…意外と難しいな。まあひとつの回答としてはTom様が触れられている通り、「座席提供」を付加価値と捉えるやり方(ホームライナー、特に湘南ライナーなど各駅での配分があるのは顕著な例)でしょうし、特にこのスレッドの元となる直通運転における「着席ニーズ」対応という意味では、京急の品川増結がそれに値するかもしれません(尤もこの施策もダイヤ構成におけるJR対抗策の一面が強い…休日日中に増結するなら、行えるはずが行わない平日日中や休日朝夕の座席提供に対する同社の見識は疑問)。

 いずれにしても、表現方法云々はともかく、座席提供という根源的には面白い視点での問題提起だと思いますよ。皆様の更なる御意見を期待致します!

Re:着席「ニーズ」にどう応えるか
 投稿者---かもめっち氏(2002/03/23 22:25:26)

 申し訳ありません。「着席権」などと言う言葉を使ったためにはなしがおかしくなってしまいましたね。
 たしかに、そのような権利は存在しません。というよりも、沿線住民には環境権や日照権等が確立されているのに利用者の権利と言うのは全く考えられていませんよね。これは、機会がありましたら別にスレを建てます。

 何度もいいますけれども新線建設や直通運転のための改良工事は決して「無駄な事業」などではなく、これからも進めて行くべきであると考えております。しかし、一方で下りのターミナル駅、上りの主要駅で始発列車を確保する、というきめの細かさもまた求められているのではないでしょうか。

Re:着席「ニーズ」にどう応えるか
 投稿者---和寒氏(2002/03/25 17:47:54)

 和寒様がお書きの通り単に地理的条件によって生じるものについて、それを「着席権」として利用者が当然保持し得る権利(=運行事業者側にはそれに応える、すなわち座席提供の義務が発生する)と一元的に捉えてしまうのは、方向性的に危ういものを持っているといえるでしょう。

→実はそこまで深く考えていたわけではありません。
 座席という「資源」の配分は、明らかに地理的に不公平な面があります。確実に立席となる途中駅からのお客さんは、その現状に不満を持ちつつも、しかし受容せざるをえないわけです。
 この現状を考えると、単なる地理的なアドバンテージにすぎない確実な着席を「権利」と呼ばれるのには、神経を逆撫でされる気分が伴います。
 まあ、それだけのことなのですが。

 極めて余談ですが、総武横須賀線にE217が導入される際、鎌倉以南の客層から猛反発が起きました。これは、たとえグリーン車でさえ立席になりかねない途中駅からの乗客としては、あまり好ましく思えなかったです。
「座っている方はそれで良いだろう。しかし、寿司詰めになっている立客の苦痛を少しは緩和しようと、配慮してはくれないのか」
 着席を「権利」と呼ばれたので、同じような感情を再び感じた、という面はあります。

Re:着席「ニーズ」にどう応えるか
 投稿者---Tom氏(2002/03/25 21:21:10)

 Tomです。こんばんは

 以前書いた意見の通り、私は「直通による利便性>着席権」と考えておりますが、とはいえかもめっちさんの意見もわからなくはありません。なぜなら、私の場合始発電車があるという一点で蒲田に家を買ったわけなので。
 とはいえ、この点については前述の通り代償措置を取ればよいかと思います。

#私の場合、蒲田始発消滅=家の買い替え、になりそう。

 また、和寒さんの指摘された点(総武横須賀線にE217が導入される際、鎌倉以南の客層から猛反発)ですが、これも座席数減少により以前より苦痛を強いられることに対する反発としては根は同じです。
 横須賀線の場合、本来ならば増発によって対処すべきと思います。但し、ここの場合東海道線に設定されている湘南ライナーの余波を蒙っている為でもありますが、こうなると多様なサービスの一環でもあるライナーを削減してでもスカ線を増発すべきか、悩むところではあります。
 スカ線の場合は、東海道貨物線の朝夕のライナー限定の旅客化により湘南ライナーを羽沢−塩浜−大井経由で走らせ、その分スカ線の増発に振り向け座席数の確保及び立ち客の混雑緩和を図るのがひとつの方法と思いますがいかがでしょう?

Re:着席「ニーズ」にどう応えるか
 投稿者---かもめっち氏(2002/03/25 22:07:29)

以前書いた意見の通り、私は「直通による利便性>着席権」と考えております

 こんばんは
 すいません。私も以前書きましたけど、その点は同感なんですよ。決してヒステリックに「座らせろ。工事するな」なんていっているのではありませんので。

座れるはずの客を立たせることが問題です
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/03/25 23:29:41) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

●着席サービスは「サービス」ではないという極論
 着席サービスについては、そもそも旅客運輸において基本中の基本であり、いわんや「輸送」と分離した附加サービスとして位置付けることは全く失当と考えています。持論として、着席を附加サービスとすることは、料理屋が箸を別料金で提供するが如きと考えるほどです。
 そういうと、現実はどうの、とか対応へのコストが、という意見が出てくるのですが、一方で安全対策などコストとトレードオフの関係には絶対に置けないものもあるように、着席というサービス(本来当たり前のものであり、「サービス」として位置付けるのもおかしい)をコストを言い訳に縮小することは、極論を言えば経費が賄えないからこの先の輸送が出来ません、と言っているようなものです。

 とはいえいくら設備を増強しても物理的に対応が困難な面もあるので、理想をがなっても仕方がないのですが、一方で平日朝の輸送力をもってすれば、それ以外の時間帯で着席サービスを具現化できないことはないのも事実です。その部分においてコストを理由に着席サービスを削るのであれば、利用者は本来受けて然るべきサービスを削られたという債務不履行を訴えて然るべきという論も成り立ちます。
 およそ旅客輸送業において、立席がデフォルトというほうが異常であり、不完全な提供であるという認識を事業者はもちろん、利用者も認識すべきでしょう。

●始発駅変更が招く悲喜劇
 さて、始発駅の問題ですが、列車単位の輸送量の平準化を目的に停車駅の変更を行う例は阪神電車や西武鉄道で見受けられます。(特に阪神は区間特急の停車駅を魚崎から青木に変更というような大胆な変更をする傾向がある)ただし、この両社も始発駅の変更というところまではなかなか踏みきれていません。逆に複々線化の進捗という特殊事情とは言え、東武伊勢崎線(日比谷線直通)が草加始発が越谷始発に、そして北越谷始発に変更というように一夜にして始発駅の座を失うケースもあります。

 停車駅や始発駅の変更で本来あるべき姿は、「完全着席の実現および維持のため、利用者数の変化に応じて変更する」というものであり、有名な例としてはNYの近郊鉄道であるメトロノースやロングアイランド鉄道での千鳥停車のパターンの細かい修正があります。
 ところが立席が恒常化しているケースでそれを行うと、どう変わろうと着席できるという彼の地の変更とは異なり、一夜にして着席出来なくなったり、着席サービスが降って湧くという悲喜劇が発生します。それでも始発駅が都心寄りに移動するのならまだしも、たいがいの場合は(上記の東武伊勢崎線や、東西線の行徳→妙典)郊外方面への移動であり、禁断の折り返し乗車をしない限り永遠に着席とはおさらばになります。
 これが路線延伸に伴う変更であればある程度は予測がつきますが、取りたてて変化が無いケースでの変更だと理不尽さが増します。さすがにその手の特殊事情抜きでの変更は無いようなのは幸いです。

 「始発駅」というのは事業者側の運点上の都合にとどまる問題でないことを認識して欲しい部分もあります。それは、「始発駅」ということで地価や賃料が格段に違うという住民にとっての問題です。さらにいえば、駅を中心にして栄えていて、その路線を利用する人が増えるのも、始発駅という附加価値が為せる技なのです。そういった面では、「始発駅」を軽軽に扱うことは住民(=利用者)への裏切りであり、一方で笑う住民が「新」始発駅周辺に出来たとしても、事業者への決定的なマイナスイメージを与えるという点で、本来絶対に避けたい事象です。

●都心通過型運行における始発の問題
 都心のターミナルへの路線の場合、よしんば朝の上りは各始発駅にしか着席チャンスがないにしても、帰りは総ての利用者に公平に着席チャンスが与えられていることになります。ところがこれが通過型運行になる場合、帰りも満足に座る機会が無いということになります。
 そのガス抜き(もちろん輸送量に段差があるのが主因だが)でターミナル始発が設けられているケースがありますが、これも本来、ターミナル発の時点で満席になるような輸送力を提供すれば問題など起こり得ない話です。

 個人的に「下策」とみるのは総武・横須賀線で、E217系化により、品川での着席すら覚束無くなりました。これは座席数が113系比で3割も減少したことで、それまであまり気にも留めていなかった千葉〜城東から横浜方面の通勤客だけで座席が埋まってしまったのです。
 入れ替わりで座れる幸運なケースは別とすれば、山手線内を目的地とする通常パターンの通勤客は、完全着席どころか着席可能性がゼロという信じがたい事態になっています。

 直通がベストという話もありますが、例えば総武快速なら東京駅で分断してすぐの対面接続、1本(5分程度)落とせば座れるというダイヤを組んだ場合(かつての18〜19時台が対面接続は無理だったがその思想でのダイヤだった)、座れない直通(直通の本数=接続の本数として空振りは無いという前提)とどちらの支持が高いかを真面目に検証すべきでしょう。

●立客配慮への偏重への疑念
 通勤型のみならず近郊輸送においても多扉、少座席化が決定的ですが、一方でラッシュが楽になった、と言う声があることは確かです。しかし、そうした声への配慮が過ぎていないかと言う疑念があります。

 つまり、ラッシュアワーの対策を考えた際、a)楽に座る b)苦労して座る c)楽に立つ d)苦労して立つ という4つのモードをどう扱うかになります。
 転クロを投入すればaとdモードで、積み残しが大量に出ることは必至です。113系のような3扉セミクロスの場合はbとdモード、E231系はbとcモードでしょうか。

 この時、3扉セミクロスから4扉ロングになる場合、bモードの約3割がcモードへ移行します。もちろんそれを大幅に上回るdモードからcモードへの移行があり、現状の施策はそちらを優先しています。
 ところが朝ラッシュ以外の時間帯(夕ラッシュも含む)では、bモードからcモードへ移行するだけという結果になっています。そして、数的なレベルではdモードからcモードへの改善を享受する層が多いのですが、一方でa、bの着席モードとc、dの立席モードの間では、それぞれのモード間の移行とは比較にならない「苦痛」や「好転」をもたらす移行になることを留意する必要があります。

 言いかえれば、dからcという極論すれば「同じ立席」での変化については、それこそ積み残しが出ないレベルであれば「我慢」して頂いて、着席から立席という最悪のモード変換を全日に亘って回避するという選択肢もあるのです。
 総武快速の場合、ピークの1時間で座席を失った人はざっと5千人。終日で考えると一体どれだけという数です。この数を多いと見るか少ないと見るかはそれぞれでしょうが、座れなくなった不満と、例えば今から3扉セミクロスに戻してぎゅうぎゅう詰めになる不満の許容度は同じでしょうか。

 これは必ずしも最大多数の幸福とは言いきれないのではないか、少なからぬ数にとんでもない犠牲を強いて得られる幸福のレベルがせいぜい「楽に立つ」程度であり、こうした極端な対応は、本来客商売では絶対に取れないはずと考えるのです。

問題の根を考察してみたい
 投稿者---和寒氏(2002/03/27 10:08:02) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 およそ旅客輸送業において、立席がデフォルトというほうが異常であり、不完全な提供であるという認識を事業者はもちろん、利用者も認識すべきでしょう。

→この基本認識は、実は私においても全く同じです。それを前面に出さなかったのは、あまりにも原理原則論すぎるかなという遠慮であって、本来の思想はそうでなければならないと認識しております。
 ところがなぜか、後段の論理展開が私と大きく異なる部分が見受けられます。基本認識が同じだというのに、面妖なくらいディテールが異なる。
 その理由について考えてみたところ、2つの要因が浮かんできました。

(1)利用者は混雑を受容してしまっている
 原理原則として座席提供は当然の措置であっても、現実の利用者は、必ずしも混雑を厭っていないと思われます。
 これは、朝ラッシュ時営団西船橋のホームに立っていればわかります。たった数分のアドバンテージしかない快速列車に、お客さんは寿司詰めになりつつ乗りこみます。次発の各停は、立席が若干あるかという状況なのに。
 数多くの統計的な分析からわかっていることとして、1分の早着は、通勤定期数千円の価値に相当するという、時間価値の強烈な優位性です。
 勿論だからといって、座れずとも混雑しても良いとは思えないのですが、現実の利用者の傾向がかくの如しであれば、原理原則によらないオプションもありかと、考えこむ部分があります。

(2)資源の再配分があってもいい
 これは新幹線の例ですが、山陽新幹線の博多開業時、岡山には若干の抵抗感があったそうです。東北上越新幹線の東京開業時、上野には抵抗感を通り越し反対があったことはよく知られています。
 いずれも心情としては理解できます。また、経済タームに絡む問題ですから、切実な面があることもわかります。
 しかし、既存の状況を所与として固定するのは、如何なものかと思います。少なくとも、列車系統の改変には、もっと自由度があってもいい。
 始発駅問題は、「着席」(及びそれに関連する付加価値)という資源配分を固定化するか流動化させるか、という判断がからむと思います。私は後者の立場を採っておりますが。

 これは重要な問題なので、性急な結論づけは難しいと考えております。
 時間をかけて議論を積み重ねていくべきかと、思います。

Re:問題の根を考察してみたい
 投稿者---とも氏(2002/04/01 16:08:51) http://town-m.vop.jp/

 ともです。

 およそ旅客輸送業において、立席がデフォルトというほうが異常であり、不完全な提供であるという認識を事業者はもちろん、利用者も認識すべきでしょう。

 私はそうは言い切れないのではないかと思います。
 確かに、旅客輸送において着席サービスは当然と言われればそのとおりであります。
 しかし、現実問題として、混雑時において全員着席をさせるだけのスペックを有する施設整備(車両も含め)を行うことは、事業者には酷であり、利用者もそこまでは望まないのでしょう。
 仮に全員着席を図るための施設整備を行う場合、その原資たる部分をだれが拠出できるのか、利用者負担として利用者が是認するかといえば否であり、言い方は汚いですが、「座りたい奴は金を払え」的思想のライナー列車は一つの解といえます。
 ただし、原理原則としてこの考え方をという点は支持しますが、それは、あくまで努力目標としてのものという認識に立つべきではないでしょうか。
 平常時においてすら着席サービスが提供できる状況になっていない現状では、そのレベルへの道は程遠いと思われます。

 議論において、短距離輸送としての着席サービスの必要性如何(地下鉄や短距離フィーダーで着席サービスのための始発駅担保は?)と、中長距離輸送における着席サービス拡充の必要性(中長距離通勤客等へのサービスとしての着席担保策とはなにか)に整理したほうが良いのかと思いますがいかがでしょうか。

利用者は混雑を受容してしまっている

 和寒様のこのご意見に私もほぼ同意します。現実の利用者動向との相互関係からして、全員着席は非現実的なものであり、あくまで平常時の目標としてということでしょう。

 「着席」サービス資源については、流動化を図らなければならないのはそのとおりだと思います。
 始発駅の変更による着席サービス減少をうける人数と直通によるメリットを受ける人数との差というものを考えなくてはならないでしょう。
 湘南新宿ラインでも池袋から着席できなくなったことに対する批判が、池袋などであったという話しがあります。しかし、それ以上に新宿や渋谷、横浜への直通サービスを求める客が多いのならば、そこはあきらめるしかないといえます。
 もちろんただあきらめることがよいとは思えません。JRは着席余裕があるような編成での運転が必要でしょう。でも、その程度でしかないものと考えます。

 始発着席などの既得権保持的反対は確かに多いです。
 東横線の渋谷も13号線開通時に始発ではなくなるので着席できなくなることを危惧し、直通する必要はないという意見があることや、半蔵門線の伊勢崎線直通によって大手町などでの田園都市線方面への着席率が低下するのではといった話しが時々でています。
 しかし、この直通によるメリットがある以上、既得権である「着席権」を振りかざすことは交通計画としては誤ではないかと感じます。
 この既得権の流動化がなくては交通網の改革なぞ進まないのでしょう。

 なんかまとまらない意見ですが。ではでは

Re:問題の根を考察してみたい
 投稿者---かもめっち氏(2002/04/01 22:12:27)

 レスありがとうございます。

 私自身、直通運転工事は諸手を挙げて賛成しています。ただし、それを大前提としてあえて本文でふれなかったことが誤解をまねいてしまったのかもしれません。私が言いたかったのは、「その上で、細かいケアもなされれば更に良い」ということです。

 既得権益の壁といえば、もうひとつ思い浮かぶのが優等停車駅の通過化ですね。こちらも遠慮しいしいに新たに列車種別を設定して、というケースが目立ちます。(東横線の特急、小田急の多摩急行、湘南急行等)
 こちらも需要に応じて通過しやすい風潮にしていくべきでしょうね。

 もっとも、一番既得権益に執着しているのは利用者ではなく商店街等の団体、というのが現状ですからね。これに関しては私も怒りを覚えます。

限界事例における極論
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/04/01 22:49:43) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

●着席「サービス」整備の問題
 これに言及すると最終兵器(笑)の域なんですが。

 主に通勤輸送対策としての線増、増車、そしてその効果としての混雑緩和や着席機会の増大(完全着席の実現)に対するコストの問題において、正直言って利用者の増加(=収入の増加)に直接はつながらない施策は事業者にとって経済合理性 に全く欠けるものであることは事実です。
 このコストを運賃という形で全額直接利用者が負担するケースから、事業者が経営する上で可能な範囲での投資に限定された改善しか為されないというケース。そしてその中庸として利用者が容認する負担増を探るという選択。事業者と利用者の間でコストを分担するならこうなります。

 あるいは、通勤輸送の改善(もちろん日中輸送の改善という意味も併せ持てば公共交通シフトなど様々な名目をさらに合わせられる)に社会的意義を見出すことで、公的なプロジェクトとして税金を投入する(基本的に収入増ではないのだから借入金だと返済原資が無い)という選択もありますが、それも全額からこちらは逆に国家・地方の財政が許す範囲に限定するところを下限とし、増税などの直接負担や起債といった後年度負担をどこまで納税者が容認するかを探るという選択になります。

 このとき、「通勤」そして「通勤輸送」はどうあるべきか、というデザインの策定と、利用者のコンセンサスが今の議論に欠けている気がします。
 何か日頃のともさんの主張を本歌取りするような議論ですが、現状を見ると、これからの鉄道での通勤スタイル、移動スタイルは事業者の都合に合わせようとする部分が大きいようです。そこには例えば「快適に移動する」といったクルマの世界では当たり前、いや、大前提となる、ユーザーに直結する部分の議論が置き去りになっています。
 あるべき姿を実現するには営利事業である「民営鉄道」では難しい、と言うのであれば、そこまで水準を下げる選択肢と共に、この事業を非営利事業として事実上公営化するという選択肢も当然存在します。この部分はある意味禁じ手なのかもしれませんが。

 立ってでも早い電車に、という通勤客の性向を挙げるのであれば、乗車率300%のすし詰めでいいから運賃を何割か下げて欲しいという欲求も当然あるでしょうし、座って通勤したいという欲求も存在します。その改善が社会的に有益であれば、反対はあろうが公費をそれなりに投入すべきでしょう。(公費投入に対する反対はあらゆる支出にありますから、単に「反対」というのは理由にすべきではない)事業者の減収から利用者の負担増、国民の負担増といったさまざまな選択肢の中から、利用者のコンセンサスに基づいたあるべき姿の結果が現状であれば致し方が無いのでしょうが、結局現状は事業者にとってのあるべき姿では、という疑念が払拭できないのです。

●比較について
 「混雑を厭わない」という性向について、結局は「着席」を犠牲にして得られるサービスとの比較であることは言うまでも無いでしょう。同条件の2個列車が並行していて(山手線と京浜東北線のイメージ)、片や空席あり、此方満席立客ありで、立客がいる電車を選択するケースは無いでしょうし。

 例えばすし詰めで立つからには数分でも早く着くという価値を見出せるのであれば選択される反面、楽に立つという明朗な価値が見出せない場合の性向はどうでしょうか。
 直通サービスとの比較においても、本来は直通かつ着席と両立させるべきところ、異なる種類のサービスを比較対象にしている面が否めません。もちろん「着席」を犠牲にしてはじめて「直通」が得られるという「補償」が必ずセットになっているからこその支持といえます。

 その「補償」が明快でないように見えるのは僻目でしょうか。

●「着席権」の流動化
 完全着席を諦めた状態とセットになる「着席権」(=始発駅)の流動化は、やはり基本的には反対です。「原則として」それが許されるのは、それこそ直通サービス(それも運用上の都合ではない流動に即した実を伴うもの)というような相応の「補償」を伴う場合です。

 この問題で懸念するのは、「着席権」の固定化がもたらしていた、ターミナルやいわゆる「始発駅」が「優等停車駅」と同様のアドバンテージを有することで持っていた相応の附加価値が再配分されること無く崩壊することです。
 つまり、「始発駅」が一定のタイミングで見直されるというような原則がある場合、「始発駅」という価値が一夜にして失われる危険性があります。長期保有を原則とする不動産において、結局その価値は現在の中間駅とほとんど変わらない、つまりその路線の価値は、「始発駅」として固定化されることで高まったはずの価値を中間駅が回収できない状態になり、沿線価値の総和は減少するでしょう。
 先に利用者への裏切りという過激な論を書きましたが、事業者自身にとっても「拠点駅」を作りづらいという、営業上必ずしも適切でない事態も想定できるのです。

極論レシーブ
 投稿者---和寒氏(2002/04/03 19:44:53) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 和寒です。まずは簡潔に。

 このとき、「通勤」そして「通勤輸送」はどうあるべきか、というデザインの策定と、利用者のコンセンサスが今の議論に欠けている気がします。
 結局現状は事業者にとってのあるべき姿では、という疑念が払拭できないのです。

→通勤電車のスタンダードが、4扉ロングシートになった時が、「そのとき歴史が動いた」瞬間なんだと思います。その始祖は鉄道省63系→国鉄73系とされていますが、実はそれより前に、2扉クロスから4扉ロングに改造された形式が存在しています(詳細は後ほど調べなおしますが)。
 このスタンダードが確立した時、通勤輸送とは着席できないのが当たり前、という暗黙のコンセンサスが得られてしまったものと、ひそかに思量します。

 だからといって、私はこの現状を是認しているわけではないのです。運輸サービスである以上、基本的に着席は提供されてしかるべきです。この点で、エル・アルコン様と認識は一致しています。
 しかし、現実に容量が極端に不足していること、利用者に混雑を厭わない傾向が見られることから、上の認識にこだわらないオプションの採用もありかな、と思うのです。

 「混雑を厭わない」という性向について、結局は「着席」を犠牲にして得られるサービスとの比較であることは言うまでも無いでしょう。

→この点についても認識が同じです。全列車が混雑率 300%という状況が許されるかといえば、それはやはり許されないでしょう。混んでいても早いとか、安価だとか、あるいは遅いけれど混まないとか、別料金を払わなければならなくても座れるとか。そのような比較のうえで、混雑が許容できるかどうか、という世界なんだと思います。

 ここで考えるべきは、混雑する「場所」です。列車の中でどこが一番混むかといえば、扉部です。扉間は存外楽という列車も、実は少なくない。あるいは、比較的すいている車両がある列車も存在しています(総武快速線先頭車などはグリーン車前後と比べかなり楽です)。
 扉部で寿司詰めの一方、着席で楽に過ごせる方もいる、これはこれで不公平でしょう。着席できる可能性がごく低い駅から乗車するお客さんにとっては、怨嗟の対象とさえいえます。
 通勤電車の混雑を緩和するに、最も必要なことは多扉化です。ロングシート化はその次です。いずれにせよ着席定員は減る施策ですが、多扉化により混雑する「場所」を分散させ、「怨嗟」を軽減させることは重要だと、私は思います。
(余談:E217の4扉クロスシートが定着しなかったことは、惜しまれます。少なくとも、付属4連はクロスシートでも対応可能だと思うのですが。)

 完全着席を諦めた状態とセットになる「着席権」(=始発駅)の流動化は、やはり基本的には反対です。
 この問題で懸念するのは、「着席権」の固定化がもたらしていた、ターミナルやいわゆる「始発駅」が「優等停車駅」と同様のアドバンテージを有することで持っていた相応の附加価値が再配分されること無く崩壊することです。

→私はこの見方には反対です。
 先ほどの「怨嗟」とも共通するのですが、「始発列車がある」ということだけでアドバンテージがあるというのは、他駅利用者にとって承伏しかねる不公平だからです。それを基準として不動産を取得したというならば、同情すべき余地はあるのですが、それにしても不公平感が伴います。
 列車設定の自由度を阻害するような印象も伴いますし。

 それにしても、なぜに基本認識が同一で、ここまで論旨が異なるのだろうか。不思議な現象ではあります。

極論アタック・対策の順序
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/04/03 22:44:33) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 この議論をしていて思うのは、たいてい出だしはみんなで相槌を打っていたのにそのうち対立する(笑)という経緯を辿るんです。ですから、よほど「通勤客から搾り取ってがっぽり儲けよう」というようなよこしまな考えで無い限り、基本認識は共通だと思うのです。

 では、なぜここまで違うか。たぶん、基本認識も問題点の把握も差は無いので、問題解決の手段、というか順番がここまでの違いを生むんでしょう。
 ただ、その解決手段について、お客が何らかのコストを払ったり負荷を負うような方向を最後に回すか、最初にするかというところが決定的な対立点でしょう。しかも悪いことに、この「お客に求める」ということは、お客に直接利くということですから一番効果的、つまり効率的なんです。

●ターニングポイント
 確かモハ42系でしたよね、京阪神急電用(有名な流電に対し半流といわれたやつのはずです)の改造が若干早かったようです。ただ、あくまで改造は「戦時輸送」対策であり、いわんや63系のような「決戦輸送」タイプを「もはや戦後ではない」「昭和元禄」「バブル」...と時世時節が移ろいでもベースにしてきたのは、対症療法に甘んじて、ソフト、ハードの両面で通勤輸送の根本的な見直しや改善を考えてこなかったという批判が改めて湧いてきます。
 少なくとも戦後に改めて増備された63系の場合、座席はありますし、1人あたり433.3mmの座席幅で計算されていますから、昭和60年の205系まで冷房の有無は別として、接客面では同じスペックでした。

●混雑の濃淡
 特定の場所だけが混む。これへの対応として、上策は「特定の場所だけが混まないようにする」、中策は「特定の場所に対策をする」、下策は「特定の場所用の対策で統一する」といえましょう。
 総武快速の場合、最初はグリーン車前後をロング化して、相当の実を挙げました。しかしなぜかロング化した編成を早期に廃車(およびロング化車両を転出)して、4扉車を導入しました。つまり、中策から下策に流れたわけです。

 対症療法でも、安直な方向に流れたわけですが、最後まで「なぜ混むのか」という根本を見据えていません。つまり、総武線でも1位2位の乗降客を誇る(今は違うが)船橋と津田沼が、通路1本、階段がそこから前後に出るだけ、という貧相な構造で、しかもホームに出たらグリーン車が停まっているという状況こそ元凶であり、出口につながっていなくても乗り換え用でいいから通路を増設するとか、グリーン車脇の車両の手近な入口にやっと乗り込むという事態回避するためグリーン車の連結位置を変えるとか、何かやったのでしょうか。それへの障害事由をあげる時、顧客を犠牲にしてまで通すに足るものでしょうか。要は、一般事業法人では当たり前の「顧客が何を求めているか」「そのためにはどうするのが一番か」というアプローチが取られていないと見られることこそ、私のいう「手段」そして「順番」の問題なのです。

 どこの駅もグリーン車脇のユニットの2、3、6、7号車が階段最寄りで混まない方が不思議なのです。ではどうすればいいのか、上策の例を挙げましょう。
 同じように構造上前後の車両が混雑する営団東西線は、都心部の地下駅という決定的なハンデにも関わらず、高田馬場、そして飯田橋でホームを延伸したり、階段を増設して、今まで中野方先頭車が階段前だったのをずらしました。当然乗客もそれに対応して乗車車両を変えてきますから、結果として混雑の均質化に資したのです。

●乗客に求める「協力」
 乗客が溜まるのは扉部であり、階段のそばであるという自明の事実を前に、どう対応するか。
 停車位置をずらして分散させるという手段もそうですし、多扉化もまた、乗客が特に意識しなくとも混雑緩和につながる施策です。他にも比較的空いている車両の居住性を高めたり、座席数を確保して着席率を高めるといった附加価値をつけて、空いている車両への誘導を図るのもあるでしょう。

 一方で、乗客に「協力」を求めての解決は不可能でしょうか。車内中程へ進むこと。乗降時に戸口付近に立ち止まらないこと。戸口に立つのは極力途中駅下車のお客を優先すること。それによって混雑や混乱が相当回避できることを挙げて啓蒙するのです。
 そんなことは出来ない、と言うのは簡単ですが、地道な努力と、意識の改善(実際には「世代交代」が必要ですが)を図っていけば、いつの日か無理と思っていたことが実現することもあるでしょう。
 以前では信じられない話ですが、大阪駅の新快速などの乗車口できれいな2列の整列乗車が確立しています。これも、地道な取り組みと乗客の意識改革で改善した例でしょう。

 以前このbbsに書きましたが、遅延が慢性化する新快速の対策として、多扉やロング化ではなく、速やかな乗降を実現するようにくどいほど放送で早めの乗降を促しています。
 これも、座席減少や居住性の低下といったお客の負担を強いる前に、出来ること、可能性のあることをやるという「手段」の「順番」がお客本意に取られている例だと思います。

「過密 「新快速」 遅れて不快」 http://www2.gateway.ne.jp/~planning/project/traffic/log040.htm#4

極論羆落とし・実は「南北問題」か?
 投稿者---和寒氏(2002/04/09 12:53:19) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 この議論をしていて思うのは、たいてい出だしはみんなで相槌を打っていたのにそのうち対立する(笑)という経緯を辿るんです。ですから、よほど「通勤客から搾り取ってがっぽり儲けよう」というようなよこしまな考えで無い限り、基本認識は共通だと思うのです。
 では、なぜここまで違うか。たぶん、基本認識も問題点の把握も差は無いので、問題解決の手段、というか順番がここまでの違いを生むんでしょう。

 エル・アルコン様はこのような見立てをなされましたが、私はまったく別の観点からくる「違い」を感じました。
 わたしは船橋駅の利用者で(ただし過去形)、そしておそらくエル・アルコン様は津田沼駅の利用者とお見受けしました。その違いなんだと思います。詰まるところ、これは首都圏の通勤行動における「南北問題」と位置づけられるのかもしれません。
 始発駅の利用者は、着席機会が多ければ幸せなわけで、その意味において始発列車及びクロスシートが歓迎されるわけです。
 しかし、途中駅の利用者は、着席できる機会がごく少ないわけですから、車内設備などどうでもいいという部分があります。極端なことをいえば、全車6扉座席なしでもかまわないわけです。混雑に起因する苦痛を少しでも緩和できるならば。
 途中駅の利用者から見て、始発駅利用者が持っている「資源」は嫉妬羨望の的といってもよく、だからこそ先の投稿で「怨嗟」などと強い言葉も使ってみたのですが。不公平感は、どうしても、伴います。
 してみると、この議論は、混雑にかかる本質的な問題であると同時に、地理的不公平に対する認識の相違という気もします。そうなると自分の「地理的立場」が前面に出てきてしまうわけで、まっとうな議論が成立しにくいテーマなのかもしれません。

 こういう時は、自分の手法として、個別路線に関する議論から一般性を広げていく、というアプローチを採ろうかと思います。具体的には、総武快速線・緩行線の混雑緩和。まぁ、テーマとしては小さくないので、時間をかけつつ追々と論じられればと思っています。

 ※題名の由来は「テニスの王子様」ではなく「燃えろアタック」です。古すぎてわからないかな・・・・・・

実体験から
 投稿者---さいたま市民@西浦和氏(2002/04/03 22:52:08)

 こんばんわ。みなさん。今夜は私の体験です。

 昨年の年度始めの休暇では海外渡航などという派手なことをしてしまった私ですが、今年度は1日単位での行動しかできなかったため、甥と姪(小5・中2)を連れて横浜見物に行って来ました。この掲示板の話題を発展できそうな体験をしてきましたので、まぜて下さい。

 西浦和から出発した私たちは、埼京線で赤羽へ。「湘南新宿ライン」の電車があるかと表示を見ますと、国府津行きがあります。これに乗って行ってみようと階段を上がりますと、先頭車の位置で、結構かぶり付きの人がいたりして、中にはビデオ撮影をしている人まで…。
 池袋や新宿で入れ替われば座れるかなとたかをくくっていたところが、かぶり付きの人たちは(まあ当たり前でしょうが)微動だにせず、子どもたちが「すわりたい」と言い始め、渋谷で国府津行きを捨て、東横特急へ。
 東横特急は発車直前に駆け込んだにもかかわらず、前へ進んで行ったところ4両目で座れました。これは東横渋谷駅の構造の利点かもしれませんね。約30分で桜木町ですが、まだ余力があるように感じます。多摩川〜日吉の複々線が完成すればもう1〜2分稼げそうですね。
 桜木町からは「カレーミュージアム」を目指してぶらぶら歩いたのですが、「関内駅近く」という情報しか持たない私たちはコンビニで聞いたりしながら伊勢佐木町モールの入口の目的地へたどりつきました。カレーで腹一杯になったところで、こんどは横浜スタジアムをかすめて中華街へ。
 マンゴーソフトクリームをなめながら中華街を抜け、山下公園、氷川丸をゆっくり見て(久しぶりに改めてゆっくり見た)、シーバスで横浜西口ターミナルへ行きました。横浜からお台場への船が(昔?)あったような気がしたのですが、思い違いだったようです。桜木町から氷川丸まで歩いた子どもたちは船の中で船をこぐ始末。そこで、羽田行きのバスで移動することとし、お昼寝タイムとしました。
 10分間隔で発車し、約30分の所要時間の高速バスは、10分待てば概ね全員が座れる輸送量で、バスの中では私も休もうと思ったのですが、いつも前しか見ない湾岸線の高い視野にきょろきょろするばかり、居眠りもできずに羽田へ到着です。賓客用のターミナルには、いるはずのない中国民航機が駐機しており、これは中国の高級指導者が来日しているためと納得。
モノレールに乗ったことのないという甥のリクエストに応えてモノレールで浜松町へ。改札機がJRと同じ型になっていました。スイカカードが使えるようになるのは時間の問題ですね。
 さらに子どもたちの要求に応えるために、神田小川町のスポーツ用品店街へ。大門から浅草線で東日本橋のりかえ、新宿線小川町というコースでしたが、モノレールの終点が浜松町というのはやっぱり半端ですね。

 スポーツ店街、古本屋街をみて、お茶の水から新宿、埼京線の始発電車で武蔵浦和、西浦和と帰ってきました。

 子どもたちは日頃から自動車に乗る生活がデフォルトですので、公徳心育成のためにも機会があれば電車で出かけたいのですが、すらりと長い子どもたちの足は、長時間立っていることはできません。このような将来の利用者に、「電車は立って乗るもの」というイメージを植え付けるのは如何なものかとも思うのです。
 もちろん、それは乗車時間にもよりますし、前にやった4ドアクロスシート論でも出てきたかもしれませんが、どこかで「電車は座って乗るもの」という潜在意識を持ち続けていないと、私たち乗客は、会社の論理に押し切られてしまうことになるのではないかと危惧もしているのです。

 とても難しい話題なのですが、私の体験と感想です。
 乱筆ご容赦。始発駅論についてはまたあとで。

「4扉近郊型」は是か log013.html
「鉄道会社」の繁栄か、「鉄道」の繁栄か  log040.html#2

2004.11.02 Update


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