【検証:】常設板過去ログ集

【検証:近未来交通地図】
(過去ログNo.051)
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もっとブレイクスルーを  投稿者---さいたま市民@西浦和氏(2002/01/06 00:58:20)

 みなさん、管理人様。今年もよろしくお願いします。
 さて、正月休み考えていたことを少々…。おつき合いの程を。

 年末に、年間3大ニュースの話題がありましたが、新年になってしまったので、もっと先のことと、今まで出来たこと、これから出来そうなことについて皆様のお話を伺えればと思います。私から見た「実現したブレイクスルー」と初夢妄想というところです。

 今夜はこんなところで、乱筆ご容赦。みなさん、どんどん発信しましょう。管理人様、今後ともよろしくお願いいたします。

「究極の省力化」が阻むシームレス化  投稿者---エル・アルコン氏(2002/01/07 16:12:32)
 
 http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 関西圏の私鉄各社の共通カードシステムであるスルッとKANSAIは年を追うごとに対象社局が広がり、今や使えない社局を探す方が難しい勢いです。ところが鉄道系では地元神戸の六甲ライナーだけなぜか使えない状態が続いているのです。同じ神戸新交通でもポートライナーは使えるのにといううらみがありますし、だいたい、両線とも自動改札機による省力化が売り物で、運賃はどちらも240円均一で、何が支障しているのかがわかりません。

***
 六甲アイランド自体は毎週のように買い物に行ってますが、いつもクルマなので六甲ライナーは見るだけです。ところが先週末、クルマを置いて一足先に帰ってきた際に六甲アイランドに行きたくなり、ほんとひさびさに六甲ライナーに乗りました。
 先に240円乗り切り制と書きましたが、クルマの利便性(特に島と本土を結ぶ六甲大橋が無料、これはポーアイの神戸大橋、港島トンネルも同じ)を考えると市営バスより40円も高い(並行路線はないが)のではちょっと考えます。

 魚崎で阪神から乗り換えますが、どうしてこういう中途半端な距離を残したのだろう、という離れ方です。確かに阪神を乗り越すあたりは登り勾配の途中ですが、新交通システムなら阪神までの間に登り切れるはずです。住吉川の上という条件は一緒ですから用地問題でも無さそうで、意味不明な離れ具合です。
 改札口にはマスコットキャラクターの「ライナーくん」がお詫びをしている表示があり、「スルッとKANSAIは使えません」と大書。ただ、「早期の導入目指して努力しております」という「早期」はいつなんでしょうね。ポスターの褪色具合からするとかなり時間がたっているようですが。

 六甲、摩耶の山並みを後ろに見ながら六甲大橋を渡る風景は絶品です。この風景を楽しむためか、先頭部分は前向き固定のクロスになっています。
 アイランドセンターで下車して改札に向かったところで仰天。改札機はありますが切符の投入口がありません。機械本体に「穴」が空いており、そこに紙くずを捨てるように放り込むとゲートが空くのです。まさかと思ったのですが、センサーらしきものがついており、そこを遮るとゲートが空くという仕掛けで、これは集札機能が全く無い「改札機もどき」です。入場側は旧型ですが投入口もある立派な改札機ですが、入口でチェックすれば取り逸れは絶対無いということがここまでの究極の省力化を可能にしたのでしょう。

 魚崎はチェックできませんでした(外側から見たら判らない)が、住吉は普通の改札機でした。ですから中間駅にこの手の改札機もどきによる集札をしているのでしょう。もっとも、穴に入れたら出てこないので、定期券、回数券カード、福祉パスなどは投入しないようにという注意が改札脇に大書きされており、出るときはフリーパスです。

***
 六甲ライナーがスルッとKANSAIの対応が出来ない理由が出場処理の問題かと思いかけたんですが、神戸市バスでは降車時にカードリーダーを通す1回の操作で200円が引かれ、次回の利用に支障しません。ただバスは降車時の処理であり、六甲ライナーは乗車時の処理のため、仮に乗車時に240円引落で完了とした場合、後引きという料金徴収の原則の例外となるのを嫌ったのでしょうか。
 また改札機自体も年期が入っており、カードへの印字機能など無さそうで、例え各駅1台だけといっても交換導入のコストがかなりかさみそうな事も導入への障壁なのでしょう。

 定期券や回数券制度がなければ、ターンスタイル方式にすれば機械も単純化できるくらいのレベルであり、他線にはない「究極の省力化」が却って共通化への障壁となってしまったようです。

***
 余談ですが、帰りの住吉ではJRのきっぷ売場へ行く途中に甲南チケットが店を出しています。ここでは昼間特割きっぷ(平日日中と土休終日利用可能)のばら売りもしており、その先の券売機で買うような感覚で割引きっぷが買えます。私もそのあと三ノ宮に行くので買いましたが(個札170円が140円)、いい位置にありますな...(苦笑)
 住吉の甲南チケットは駅の中ということで新聞にも載りましたが、お隣の六甲道も、北側の商業施設「メイン六甲」から入る途中に同店があるなど、半端でない展開です...

パスネットで精算すると...  投稿者---エル・アルコン氏(2002/01/28 15:03:48)
 
http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 パスネットで残額が足りないときは、京王や西武のように2枚投入方式が出来ない会社では精算機での精算になります。このとき、一見簡単に見える手続ですが、利用者を大きく惑わす構造になっている会社があります。

 私が見た例は京成と東葉高速ですが(もと地元ばっかりというのはご容赦)、例えば下記のようなケースで述べましょう。

入場駅から当該駅までの運賃 :370円
入場前のパスネット残額 :300円
入場時の引き落とし金額 :140円

 このとき、パスネットの券面には前残300円に次いで、入場駅での140円引き落としが記載され、残額160円となっています。運賃は370円ですから370-140=230円、つまりカード残高の160円に70円足りません。
 というより運賃370円に対して前残300円ですから70円の不足はすぐ判る話で、自動精算機に向かうことになります。
 さて精算機にカードを挿入すると、表示は70円ではなく230円と出てきます。え〜!そんなに!!と思いながら次のカードもしくはお金を入れると、230円の精算券が出ますが、結局払うお金は70円だけです。最初のカードを見ると当該駅で160円の精算をして残高0になっており、手もとの精算券と表示はなんだったんだと言うことになります。

 このような事態が何故起こるか。入場時と精算時でパスネットが性格を変えるのです。つまり入場時はSFカードとして初乗り運賃を減算しますが、精算時にはSFカードとして0円を限度として減算しないで、単なるプリペイドカードに化けるのです。
 つまり、あくまで370円の運賃に対して140円しか払っていないと認識して、不足額230円を表示します。次のステップで精算券発行のための支払いのうち160円はプリペイドカードで、70円は現金(もしくは2枚目のプリペイドカード)で払うと認識するのです。
ですから追加で払う金額は70円で、精算券は230円という不可解な現象が発生します。

 JRや私鉄の一部では本当の不足額を表示するため、パスネット加盟各社局全体ではなく、少なくともこの2社の精算機が非常にわかりづらいということで、早急な改善が望まれます。

「新幹線連絡バス」の理想と現実とは
 投稿者---551planning(2002/01/16 23:25:38)
「新幹線連絡バス」の理想と現実とは
└神戸とその周辺に見る新幹線連絡バス
└Re:「新幹線連絡バス」の理想と現実とは

 新幹線連絡バス。山陽の広島、東北の仙台・盛岡が知られるところだが、もともと都市間連絡という素地の上に、新幹線ダイヤを意識した設定となっているものである。
 しかしあくまで「連絡」がメインという路線が年末・12/16から首都圏で登場した。田園都市線・南武線の溝の口駅と東海道新幹線新横浜駅を結ぶ東急バスの新路線がそれである。当方は12/21の新横浜22:54発最終便、/28午後の溝の口13:20発便に試乗する機会を得たので、遅れ馳せながら御報告しよう。

***
 横浜での忘年会でこれ幸いと試乗した新横浜発最終便。横浜線で新横浜入りしたが、すでに桜木町方面からは30分間隔と東神奈川発着メインになっており、長距離客には着席狙いできる利はあるものの不便さは否めず。
 新幹線到着後でごった返すコンコースを抜け、きれいに区画されたバスターミナルへ。ゴールド線がポイントのクルマが待っていた。当方が乗ってすぐ発車時刻、乗車は6名、忘年会帰りの地元客、という感じのグループが一組、出張帰りの紳士が一人乗っており思わずニヤリ。
 W杯決勝戦開催の横浜国際総合陸上競技場の横を抜け、第三京浜港北ICからスピードアップ、気分的に「あっというま」に京浜川崎ICを降り、ぐるっと180度ターンすると南武線沿いに北上、所要25分で溝の口に到着。飲み足りなさそうなグループは街に、紳士は南武線改札へ消えたのだった。

 年末も御用納めの金曜昼下がり、商店街は活気に溢れていた。
 ペデストリアンデッキの下、こざっぱりとしたロータリーには経年のワンロマ車が発車待ち。簡単に云えば豪華な路線バスで京王のように繁忙期に高速便に助っ人として運用されたワンロマ車だが、路線的にはまさに最適という感じ。
 待っているうちに11名が乗車、通りすがりに「新横行くの」と聞いてくる人もいて、潜在需要の高さを思い知る。
 京浜川崎インター手前の180度ターンでしばしまごつくも、第3京浜に乗れば速い速い、途中で溝の口行きと離合するも数人の乗りか。
 港北インターを降り、競技場を掠めてしばらくで新横浜駅が目前。駅前の交差点が渋滞しているたもののまたもや所要25分で到着。「約30分」と謳っているだけに早着基調は気分的にも安心感がある。乗車の全員が新幹線コンコースへ向かったのは見事の一言。

 渋滞注意箇所も何箇所かはあるが、基本的には快適なルート、もっと早くからあってもおかしくなかったのでは?と思ってしまうほどであった。
 玉に傷は現金のみで共通カード不可なところ。載せている運賃箱が対応機なだけに何故という気持ちが強い。尤も狙いは「定着」にあるようで、「オープニングキャンペーン乗車券」として回数券よりも安いチケットを発売、平日のみ有効の1ヶ月定期券もあり、企業狙いといえようか。

***
 都市圏における新幹線連絡というジャンルは、鉄道網がそれなりにあり、また都市圏内連絡という主旨が強いためにさほど目立った動きは無かったものの、鉄道網の隙間を突いた形で、昨年京阪守口市−新大阪を結んだ「新幹線シャトル守口号」が登場、その先鞭となった。残念ながらこちらは半年間の運行で早々消えてしまう運命であったが、今回は他路線接続の弱い新横浜と南武線と田園都市線という主要2路線の交点である溝の口を結ぶ意義は大きい。裏を返せば追随する路線を挙げるのが意外と難しい事に気づかされる…例えば新神戸では北摂方面の路線は既にあり、こちらもどちらかといえば都市圏内連絡が主、面白いのは熊谷からの群馬県南部方面、小山からの栃木県央・茨城県方面などになろうが、こちらは対東京直通のニーズが強かろうし、といって大宮も鉄道網の盲点を探すのが難しい。
 そんななか有望は、羽田空港アクセスバスで活況の「朝イチ便狙い」ではないか。鉄道でも接続限界が狭い早朝に朝イチの列車に接続することだけを狙うのである。近例が(城西国際大通学バス送り込みの)平和交通千葉市西部−東京駅便であろうか…規制緩和目前、ニッチはまだまだ転がっている。

【2001・夏〜秋・バスレポ3】「都心部中距離直行バス」の理想と現実 report/028.html
首都圏各線の始発のぞみ1号接続を求む。 log006.html#4

神戸とその周辺に見る新幹線連絡バス
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/01/16 23:55:22) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 先に触れられていた通り、北摂NT、三田方面の特急バス(神姫)が新神戸駅を通ります。これは六甲山をぶち抜き北区を結ぶ新神戸トンネルと、西区を結ぶ山麓バイパスの出口が新神戸駅直下という条件を活かした設定です。
 都市内バスとしては、神戸市営の急行64系統が新幹線接続の任務をわずかですが担っています。これは三宮から新神戸駅、新神戸トンネル経由で箕谷駅、神戸北町を結ぶ系統で、神戸北町方面からの新幹線連絡とともに、三宮方面との新幹線連絡という意外な面もあります。
 三宮からは地下鉄ですが、特に新神戸の位置が深く、乗り継ぎに時間が掛かることもありますし、三宮で地下鉄・阪急前と高速バス乗り場の脇の停留所とこまめに拾うことで、新幹線にバスという面があるのでしょう。

 神戸周辺部となると中国道経由の西脇線です。
 大阪から津山への中国高速線は有名ですが、新大阪から西脇市街地への直通バスがあるのです。津山便も滝野社ICにタクシーが常駐しているように、IC着、タクシー継送というパターンであり、西脇の対大阪需要が相当有りそうです。
 西脇直通便の面白いところは、梅田のバスターミナルに入れず、新大阪駅を始終発にしてることでしょう。
 大阪梅田に入らないことで、都市間需要が相当落ちてるはずです。それでも盛況というのは、新幹線経由での東京・横浜方面との流動で相当カバーしていると思います。

Re:「新幹線連絡バス」の理想と現実とは
 投稿者---とも氏(2002/01/17 12:29:07)

 ともです。

 早速試乗しました。3連休最終日夕方、成人式でごった返す新横浜駅からスタートです。
 新横浜駅を乗客約20人で出発、多少詰まりながらもストレス無く港北ICへ。ここから第三京浜をすっとんであっというまに京浜川崎。ところが、ここがネック。もともと京浜川崎は使いにくい混雑するICなので仕方が無いとはいえ、ここを抜けるのに10分はかかりましたが、結局溝口へはほぼ定着。
 文句なしの内容です。

 そもそも東急は二子玉川から第三京浜経由で横浜東口という路線を運行していましたが、昭和50年代に廃止となり、それ以来の久々の路線設定となります。
 田園都市線沿線からは横浜も新横浜も決して便利ではなく、以前からその必要性は言われていたのですが、道路運送法改正がらみもあってようやく設定されたというところでしょうか。
 問題点とすれば、やはり京浜川崎のキャパ不足からの慢性的渋滞、でしょうか。
 今後、さらに二子玉川、横浜、MMへの延伸を期待したいところです。

 次に狙うはやはり小田急かな?
 ではでは

遠き「一本列島」…JR-Hと-Sの車両更新に覚える感慨
 投稿者---551planning(2002/01/28 23:52:54)
遠き「一本列島」…JR-Hと-Sの車両更新に覚える感慨
└特に青函に関して
 └Re:特に青函に関して
  └随想・喪われた儀式
   └Re:随想・喪われた儀式
    └北海道への海外客はバスが主流かと
ベール脱ぐ「新マリンライナー」

  「レールがつなぐ 一本列島」ともてはやされてはや14年…1988年春の青函トンネルと本四架橋瀬戸大橋ルートの開通は、日本の総合交通体系史に燦然と輝く一大トピックスであった。
 そんな両ルート鉄道輸送の要である快速「海峡」と「マリンライナー」の車両交代が相次いで発表された…その裏側に互いの苦悩を垣間見る思いがしてならない。

 JR北海道は14年度末に迫ったJR東日本東北新幹線八戸延伸開業に合わせ、八戸−青森−函館間に新型特急車両789系を投入し、あわせて今や最後の客車普通列車となった「海峡」を全列車特急格上げ置き換えすると発表した。青函間で現行より40分短縮の2時間運行となるという。

JR北海道プレスリリース http://www.jrhokkaido.co.jp/press/kaikyonew.html

 開通時の青函ブームも今は昔、波動対応の柔軟さから導入された客車も、カーペット車やカラオケ車の一部体質改善も行われたものの減車減車が恒常化して、実質3両編成で走る列車もあるほど。特に造船産業から観光中心へと経済構造切り替えを進めた函館が道内周遊ルートの太宗からから外れ、周辺完結型のスタイルが一般化、中には日帰りツアーすらあることから経済的な偏重・凋落が進み、それが青函間流動をより細くさせた…という見方もある。物流の大動脈に成長したとはいえ、カートレイン構想は構想のままで、長距離フェリーとの競争に津軽海峡間船便も収斂状態、対「海峡」の嚆矢とされた高速艇も今はない。
 そんな中で、対北海道連絡の命脈を繋げるかの八戸−函館間特急はまあ当然の流れとはいえ、まさか「海峡」消滅は予想だにしていなかった。青函連絡船が、「津軽」・「八甲田」が、北海道ワイド周遊券が消え、18きっぷでの渡道が狭まるということになれば、若者が長期休暇に北海道を目指した「文化」も、より安い海外に完全に取って代わられてしまうのであろうか…。
 もちろん感傷論だけでは進まない話。JR-E751系との両立になるであろう新生「はつかり」(になるかどうかも分からないが…)に少なからずの活性化を期待したい。

 JR四国とJR西日本は陳腐化が進む「マリンライナー」用213系を03年度までに全車置き換えることで合意したという。最高速度110→130キロ化のほか、現在展望型G車である先頭車に2階建て車両を採用して乗客数低迷の歯止めを期待している由。

日経サイト http://www.nikkei.co.jp/news/retto/20020122cldi047822.html

 それまでの宇高連絡船乗船時間が高松−岡山間移動時間になったインパクトは計り知れなかったことであろう。しかも坂出・丸亀といった香川県西部広域圏をも巻き込んだルートは新たな経済圏を生んだといって良い。その立役者はまさしく「マリンライナー」。ステンレスに2色のブルーラインも鮮やかに、昼間は観光客、朝夕は通勤通学客の頼れる足となった。
 しかし新たな経済圏醸成とはいえ、香川・高松のそれまでの玄関口たる機能は失われ、実際には観光客はダイレクトで高知・松山へと向かい、通勤通学客は岡山への流出が目立っていたのは事実。レオマワールド・コトデンそごう…官民一体となった「サンポート」が追随しなければいいが。
 更なる脅威は明石鳴戸ルート完成・島内高速道整備進展での関西流出。丸亀からも神戸・大阪行き高速バスがそれなりの頻度でそれなりの時間で出られるようになったことは、屋台骨である瀬戸大橋線需要に直撃するJR-Sにとっては死活問題である。しかしJR-Wの反応は鈍く、ようやく大元付近高架複線化が完成したものの、宇野線区間に残る単線はダイヤ策定のネック。今回の新車導入も-Sが資金負担をするということで(元来特急車が-S持ち、「マリンライナー」が-W持ちで使用料精算していたものと思われる)、-Sの焦りが滲み出ているように感じるのは当方だけだろうか。
 -Wにとっても一般車では初のDD車両投入、普通に考えればG車になるのだろうが、より低価格の料金で気軽な利用促進策は出てくるだろうか…。

特に青函に関して
 投稿者---和寒氏(2002/01/31 12:06:47) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 試運転列車のうち1本(ED79+50系)に乗り、に開業1番列車(上り「はつかり」)にも乗り、さらに旅行・移動の手段として何回となく利用した身にとっては、この変遷に感慨を覚える。開業から、14年も経ったのか。

 当時から今に至るまで思うのは、青函旅客輸送には力が入っていないなあ、ということだ。特に50系はひどい。幹線系列車に充てるには、あまりにも質が劣る車両ではなかったか。原型車を乗り比べてみれば、その違いは実に明らか。改造を施したとはいえ、弥縫的対応であることは、明瞭にわかる。遅い、揺れる、しかもうるさい。
 その初動を批判したい気持ちは、私においては多分にある。しかしJR北にしても、苦しい選択を迫られていたこともまた理解できる。手持ちの余剰車両は50系しかなかったし、機関車を共通運用できるというメリットもあった。なによりも、「金をかけても利用者がつかない」というリスクを冒すことは、できなかっただろう。
 力を入れようにも、金をかけられなかったという、厳しい制約条件があったものと、推察する。開業直後の繁忙期でさえ、「海峡」に充てられる車両はいわば「寄せ集め」だった。塗装が剥げて外板がベコベコになった14系(おそらくは波動輸送用車両の借入)が走っている姿も、見たことがある。
 青函間の現実として、利用者数の推移は下り坂である。その原因を「車両が寄せ集めだった」点に求めるのは、おそらく適切ではない。それは車両に対する過大評価であろう。現状の鉄道ネットワークにおいて、青函間の改善だけでは局地的に過ぎた、という現実を鑑みる必要がある。
 羽田空港の沖合展開に伴い、千歳便・函館便はかなり増えている。この利便性向上により、潜在的需要もかなりの部分顕在化してきたであろう。シェアが航空に傾けば、その利用がデファクト・スタンダードとなり、鉄道が選択肢として有力ではなくなったことも、理解できる。
 その一方で「海峡」は、東北新幹線沿線の利用者から見て、利用するには遠すぎた。時間的距離の隔たりは、利用を疎遠なものとしていた。

 東北新幹線の八戸延伸は、青森そして函館を、新幹線沿線から見て指呼の内とする、交通の革新である。その革新の時を迎えるにあたり、現「海峡」が器として充分かと問えば、答は否であろう。車両の質を云々する以前に、青森で乗換を要する点にまず問題があるし、足が遅すぎる点も列車としての魅力に欠ける。
 あるいは、またも「金をかけられない」制約から、JR東からの 485系移籍もありかと思っていただけ(正直にいえば半ば覚悟していた)に、新車投入は嘉すべきことである。あるいはひょっとすると、50系もED79も老朽化が進み、置換しなければならないという背景があるだけなのかもしれないが。
 ともかく、JR北は青函間輸送に初めて「力を入れる」ことになる。積極策を打つことは、積極的な意志を形に示すことである。それは、青函間がようやくにして、鉄道ネットワークのデファクト・スタンダードに組みこまれることをも意味する。
 八戸延伸なおもて革新たり、いわんや青森延伸をや、というところか。東北新幹線完工後の将来像が、さらに期待できる。

→過日投稿の拙文を、加筆修正のうえ、自分のHPに転載しました。
 写真等も追加しております。御笑覧のほど。
(2/19 和寒)

 http://www.geocities.jp/history_of_rail/news/010926.html

Re:特に青函に関して
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/02/06 16:49:14) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 平成元年、「北斗星」のロイヤル(!)で渡道した帰り、50系5000番代の「海峡」に乗りました。
 大型かつ桟の無い固定窓、かつての新幹線の発生品である転換クロス、トンネル内現在位置案内装置など、よく見れば粗は多いものの、居住性は悪くなかったと記憶しています(逆に「はまなす」間合いの14系が暗くて窮屈だった) 。
 当時編成の自由度が高かった50系客車は膨大な需要によく応えました。12連という「海峡」に乗車したこともあります。それが最後に渡道した7年前には3連の「海峡」に出会う有様で、青森を出るときは「混んでるのに3連か」と悪態をついていたのにほとんどが蟹田で降りてしまい愕然とした記憶があります。

 ただ、機関車牽引の客車快速という舞台回しが悪過ぎました。青森と函館で乗り換えというダイヤでは、連絡船が列車に変わっただけです。瀬戸大橋線のように岡山−高松間で宇野乗り換えが消えたというような改善点が無かったのです。
 「はつかり」を基本的に直通させて、速達便以外は青森以北快速という運用が何故出来なかったのか。一時期函館に持ってきて何やらしていた781系はどうして投入されなかったのか。「はくつる」はなぜ「日本海」のように函館行きに出来なかったのか。「北斗」を青森まで延長しなかったのはなぜか。92年に「リゾートエクスプレス北海道」が青函間EL牽引で札幌−盛岡間運転をしており、183系DCの直通例もあったのですが。

 海峡線内ATCという制約はありますが、こと旅客に関しては一部の特急を除いて「一本列島」の看板に偽りありという状態だったことが、今日の惨状を招いた一因でもあるでしょう。

随想・喪われた儀式
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/02/06 17:04:09) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 その昔、別に「鉄」でもない学生が夏に大きなリュックを背負って北海道内の列車を乗り歩くという「風習」がありました。その名を「カニ族」といい、20日間有効の「北海道ワイド周遊券」を持ち、ユースホステルや夜行急行・鈍行の座席をねぐらにして、有効期間いっぱいに乗り歩き、中には違法行為ですが有効期間を残して帰る人と周遊券を交換してまで長居する人も多くいました。

 その当時、上野を出る青森行きの急行「八甲田」は連日立客が出る満席と、今の「ながら」や「救済臨」のような状態でした。接続の連絡船も満員で、桟敷に詰めて座るのがデフォルトでした。道内の各列車も混雑が激しく、主要列車は指定席のデッキまで満員という黄金時代があったのです。

***
 これは何も遠い昔の話ではありません。といっても私が体験したのは昭和61年、国鉄北海道総局最後の夏ですから、今から16年前の話です。分割民営化を翌年に控え、特急にはキハ183(その年の11月改正で500番代投入)、急行に14系客車、ローカルにはキハ40系100番代の投入が進み、体質改善が進んだ中での渡道ですから、数多の先達に比べたら楽な旅行でもありました。
 夜行列車で、ローカル列車で、そしてローカルバスで隣合せた人と意気投合して語り合い、情報を交換しながら旅をするという旅行の良さがそこにありました。

 我々の親の世代も同じような年代で道内を旅しており、蒸気機関車やおんぼろバスでの旅の話を聞かされ、そしてお互いの旅の記憶を時空を超えて共有できました。

***
 しかし現在、その「通過儀礼」はすっかり廃れました。

 昭和63年3月、青函トンネル、津軽海峡線の開業で青函連絡船が歴史の彼方に去りました。
 平成5年12月、急行「八甲田」は奥羽線経由の急行「津軽」とともに廃止(当初は多客期臨化)され、青森、そして北海道を目指す列車は新幹線からの乗り継ぎか、寝台特急だけになりました。
 平成10年3月、「周遊券」制度そのものが廃止され、周遊きっぷという新制度が導入されましたが、かつてのように20日間有効には遠く及ばない道内5日間有効という別物になり果てました。

 鉄道自体はその間、津軽海峡線を通り札幌まで直通する寝台特急「北斗星」をはじめ、豪華設備が売り物の寝台特急が東京、そして大阪から通うようになりました。確かに北海道旅行のブームは起きましたが、それが連綿と続いた「通過儀礼」に絡むことは少なかったです。また豪華列車の旅が北海道である必然性が必ずしも無かったこと、つまり「北海道に行く」ことではなく「豪華列車に乗る」こと、また「青函トンネルを通る」ことが旅の目的になってしまったブームだったので、対象物への熱が醒めたとき、人は鉄道で北海道へ渡らなくなりました。

 それでも航空運賃の低廉化で渡道する人は増えています。新千歳空港に降り立った旅客の半分は千歳線に乗るように、移動の局面で鉄道はそれなりに利用されています。しかし、そこでの鉄道はone of themにすぎません。

 この間、「通過儀礼」はその手段としての急行列車と周遊券の両方を喪いました。津軽海峡線の通過人員は目だって減少し、遂には連絡船末期よりも少なくなるという、旅客輸送に限ればトンネル建設の効果すら喪うような事態になってしまいました。
 新しい流れに期待して古い流れを省みなくなったとき、突然に宴の終わりがやってきました。残ったのは平成初年に比べて半分以下に減った鉄道分担率が示す惨状です。

 宴のあとにはかつての賑わいはありません。我々はまた一つ、鉄道が絡む「儀式」を喪ったのです。

***
 軽井沢、そして信州に行くのに横川でホームの「峠の釜めし」売りに走ったのもそうでしょう。無くても別に構わないといえばそれまででしょうが、そうした積み重ねが日々の通勤などでの利用以外で鉄道を日常生活、そして人生と結び付けてきました。

 急速に進む鉄道離れ。「儀式」の喪失と無関係とは誰が言えるでしょうか。

Re:随想・喪われた儀式
 投稿者---とも氏(2002/02/06 23:16:13)

 ともです。

 北海道への旅行客は飛行機代金の低下もあってそれなりの推移をしているとおもいますが、昔のいわゆるカニ族、今で言う列車を使うバックパッカーは確実に減少しているでしょうね。
 ではこういった旅行客はどこに行ってしまったのか・・・

 北海道内急行の廃止、特急化・・・近代化によって道内、特に札幌を中心にした鉄道の復権・活性化はJR化当時の懸念を払拭できる画期的な大いに評価できるものです。それを否定はできません。
 青函トンネルも日本の物流体系のモーダルシフト・ミックスそして昨今のマルチモーダル思想推進の立役者ともいえるものです。そして、これらが旅行者ニーズにかけ離れたかといえばそうではなく、今でも十分旅情あふれる旅行スタイルを確立できます。でも北海道の列車でのバックパッカーは減少している。

 アジアやオーストラリアなど海外において、一時期日本人バックパッカーが大量に押し寄せたことがあります。一昔前の北海道旅行者のように列車やバスなど安い交通機関にバックパックを持ち込み、数十日、いや数ヶ月、数年にも及ぶ旅を続けるスタイルが人気でした。
 しかし、今はどうなんでしょう。アメリカの同時多発テロの前からすでに見かけることが少なくなってきました。オーストラリアなどではバスターミナルあたりには日本人が大勢たむろしていましたが、最近では少なくなっているそうです。
 ただ、レンタカーやバイク、キャンピングカーを使う旅はいまだに人気のようで、これまで日本人がたずねることが少なかったバスなどの不便地域が人気の旅行先になっています。
 ヨーロッパなどでもその傾向はありますね。

 また、同じように旅行需要が減っているといえば団体客です。バスツアーは人気ですが、日帰りや宿泊でも自由時間の多いタイプに集中しています。
 昔のような強行軍でも安いというツアーは減ってきています。

 そして今、国内で人気の旅行立ち寄り地といえばなんといっても「道の駅」です。地方の名産物をただ揃えるのではなく、地元の人々との交流、文化の直接的な体験などこれまでに無いスタイルの旅行を提案しています。
 そして、列車の旅。特に長距離ではなく近距離をのんびり移動する旅が人気です。そしてレンタカーなどとの組み合わせで自由な旅をつくる。さらには気ままに温泉に立ち寄り、気に入ればその場で宿泊を決める。予約なしの当日飛び込みも確実に増加しています。

 海外に目を向ければ、ヨーロッパへのロシア上空通過による直行速達便が一般化しながらもいまだ、香港やソウル経由が人気です。値段も直行よりも安価ということは無いのですが、途中の立ち寄りというアドバンテージが人気の秘訣ともいえます。

 これらの旅行事象、一見無関係のようで、大きな日本人の旅行スタイルの変化を象徴しているのだと思います。
 皆が同じような一過性ともいえるブーム的、定番的旅行スタイルから脱却し、「個性的」な旅を求めるものにシフトしているのでしょう。
 北海道へのバックパッカー的旅行者は一見減っているようで、車や青森などの中距離フェリー利用者は根強く残ってます。バイクを使う旅も根強い人気があります。
 ではなぜ鉄道を使う旅が減ったのか。
 それはこれまでの鉄道の旅は自由度が高いようで、実際の自由度が低いからではないかなという気がします。定番といわれるコースやアプローチがあり、時間的自由度は案外あるものの要所要所での自由度が低く、同じ類の旅行者と行動をともにせざるを得ない。しかも目的地までの所要時間がかかりすぎる割に快適でも安価でもない。

 それよりも自分なりに組み立てて自由に歩いたり、好きなところでフラッと降りてみたり、気に入ったら滞在したり、食事はホテルや旅館ではなく外の食堂でゆっくりいろいろ、そして現地までは極力早くて安価に、経由するならその都市での滞在を楽しめるスケジュール。そんな旅に変化しているのかもしれません。

 そう考えると、JR東が地方部で展開している適切なグレードでしかも安価、地元の食堂などを利用するよう食事が付かないなどの特徴的な駅構内ホテルや、リーズナブルでしかも目的地までの速達性があって個人としての自由度の高い新幹線+トレン太くんなどのサービスはまさにそういったニーズにマッチしているのでしょう。

 北海道は観光地として世界的なレベルの地域です。青函カートレイン、バイク輸送の復活、北東北〜北海道という新たな国際的観光導線・・・。いくらでも需要は生み出せます。速達性も東北新幹線の延伸によって道南はそれなりの競争力を持っています。函館という経由地にするのが勿体無いトップクラスの観光地もあります。
 この世界的観光地を活かすも殺すも北海道次第。そしていまや某食品メーカーの自滅??以後、北海道の代表企業とも言え、しかも交通機関としてのJR北海道がいかに魅力的なサービスを地元密着で提供できるか。それがキーかもしれません。

 なんだかまとまらないですね。ではでは

北海道への海外客はバスが主流かと
 投稿者---Tom氏(2002/02/07 21:09:12)

 北海道はここ数年、香港や台湾の観光客が急激に増えてきています。
 先週買った週刊新潮(2/7号36頁)によると

 1)登別温泉全体で東南アジアからのお客様がここ4年で10倍に増えて年間7万人
 2)JALは2月にチャーター28便を新千歳−香港で飛ばす
 3)台湾のエバー航空や中華航空もチャーター便を台湾から新千歳・函館・帯広・旭川に計70本以上飛ばす予定

とのこと。何でも旧正月の休暇の旅行先として北海道が人気だそうで理由は「雪」だそうです。
 確かに、私は毎年2月もしくは3月に趣味の風景撮影で北海道に行きますが、濤沸湖(白鳥が見られる)や阿寒丹頂センター、鶴居村の鶴見台(共に丹頂がみられる)などには中国系の観光客が訪れる機会が増えています。
 ただ、まだ台湾・香港といった新興経済諸国の場合、海外旅行の出来る余裕の出来た人というのがおおよそ30歳代以上がほとんどの為か、バスツアーがほとんどです。
 一時の日本人や欧米人のように、若くして少額の費用で旅を楽しむには日本の物価はまだ高いのかもしれません。

 ただ、経済情勢が激変している今、仮に日本の経済状態がこのままの状態で続き、政府の借金漬けが治らず結果的に国債が売られ高金利・かつ円安という状態が続けば東南アジアからみた日本の物価は相対的には下がることは考えられます。
 台湾あたりは日本好きの若者も多く、一度目は東京に来たとしても2度目以降は他の地域を旅するといったことも十分に考えられます。
 とはいえ、日本人旅行者が多かった昔の北海道と決定的に異なるのは、北海道の鉄道は既に「ネット(網)」ではなく何本かの線だけで構成されていることでしょう。
 今の鉄道網を前提とすると、いくら海外客向けのレールパスを作っても、あまり引き寄せる効果がないような気がします。
 航空会社がやっているような、(例えば全日空のスカイホリデーパスのような)乗り合い観光バス網を主要観光地間に整備し、それと組み合わせたキップを売る、というようなひと工夫した施策が海外客を鉄道に引き寄せる為には必要でしょう。
 場合によっては中華航空やエバー航空、キャセイパシフィックとJR-Hが業務提携することを考えるのも1つの方法でしょう(全日空超割ともタイアップしたのだし)。

ベール脱ぐ「新マリンライナー」
 投稿者---551planning(2002/04/18 23:31:29)

 JR-W4月社長定例会見で触れられ、サイト上では想像図(写真)も出ています。濃淡2色のブルーラインは引き継がれるものの、223ベースで一般車両は3扉に、注目の先頭DD-G車は-E415系DD試作車然、223系のお面が少しずんぐりするような印象ですね。

JR-W http://www.westjr.co.jp/news/k020417.html

 上記HPでは『高松寄りのグリーン車を2階建てにして、瀬戸大橋からの展望をより楽しんでいただける車両にしようと考えております』としか触れられておらず、現行のG車・指定席車1両づつの体制の変化があるかまでは未知数…と思っていたら続々「続報」が届きました。

  • 新造車両は32両(現行37両)、基本3連(-S所有18両)+付属2連(-W所有予備含む14両)の5連がベース編成?
  • DD車2階部がG車、1階部が指定席、自由席車両は3扉。内装や座席数、外観については未定も、現行の輸送量(1便約370人)は確保する。
  • 外観は瀬戸内海を走る列車にふさわしい色彩にする予定。
  • 2003年度までに全車置き換え、最高速度130キロ化、岡山-高松間で3分所要時間短縮。
  • 「JR西日本所有の列車が四国内を走る際の車両使用料の軽減も大きい」(JR-S)

KSB瀬戸内海放送 http://www.ksb.co.jp/newsweb/indexnews.asp?id=8201&CSFlg=contents
山陽新聞 http://www.sanyo.oni.co.jp/2002/04/18/15.html
四国新聞 http://www.shikoku-np.co.jp/news/economy/200204/20020417000584.htm
高知新聞
http://www.kochinews.co.jp/0204/020418headline10.htm

 同日発表された2001年度の瀬戸大橋線利用実績は宇多津・坂出―児島間年間利用者数で852万人と6年連続減で開業以来最低となったそうで。同区間の1日平均の利用実績は23,332人で、1988年度の30,189人と比べ▲22.7%と実に1/4近くの下落…。
 なお2001年度の同区間実績内訳は下記の通り。

マリンライナー 13,651人 (前年度比▲3.8%)
しおかぜ 5,624人 (▲0.1%)
南風 2,545人 (+6.9%)
うずしお 249人 (▲21.2%)
普通列車等 1,263人 (▲0.3%)

 うずしおの減少を取って明石海峡高速バス効果を指摘する声がある一方で、大増殖した高速バス系統の一部でははや頭打ちの傾向も見られているそうで、今後は少ないパイの奪い合いが激化しそう…。
 「ライバルは、鉄道ではなくて自家用車。高速道路ができたことは、高速バスだけでなくマイカー族にとって有利だ」という梅原-S社長の言葉が重いです。

毎日新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020418-00000003-mai-l37
毎日新聞 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020417-00000002-mai-l39

 対関西圏という意味では四国3橋時代を象徴する流動の地殻変動を如実に感じるものの、東京にいる当方にとっては対四国の入口は岡山であり瀬戸大橋であることに変わりありません。航空アプローチも場所が悪ければ利便性は五分以下になるもので、しおかぜの健闘、南風の反動(高速バスとの激闘が続いていると聞いていましたが…)をある意味心強く思います。
 その意味で地元密着ルートである「マリンライナー」の「G車」連結という観光対応継続姿勢は若干引っかかるものがないわけではありません。実質減車されますし、流動漸減に対応する適正両数といわれるには寂しいものも…。ただ昨夏日中に利用しましたが、岡山発車時に地元客でごった返していた車内が茶屋町・児島でかなり降り、瀬戸大橋上では立ち客がちらほらという感じでしたから、それが現実なのかな(ただし児島で丸亀方面琴平行普通に接続しており、そちらにかなり流れたのも事実…これも流動の変化のひとつ?)。
 ちと纏まりませんが、もう少し整理して後述することにします。

2004.11.06 Update


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