【検証:】常設板過去ログ集

【検証:近未来交通地図】
(過去ログNo.020)
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交通事故が無くならないのは…
 投稿者--- エル・アルコン氏  http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs
 投稿日時: 2001年2月12日 00時11分
−Re:交通事故が無くならないのは
 └取り敢えず、飲酒運転対策です
  └事故防止策と取り締まり
厳罰化は抑止力となり得るか
 └聖地から聖地へ

 モータリゼーションの影の部分である事故の問題、それをいかにして減少していくかを考えた際、「事故があるからクルマを減らせ」は確かに効果的かもしれませんが、実数としての減少は実現しても、走行単位(ex:走行1km)あたりの事故の減少を図るものではありません。
 事故減少を図るには、なぜ事故が起こるのかという事故発生パターンの研究と、それをいかにして封じるかという対策の研究こそ王道であり、クルマ無かりせばという議論は、却って目標を遠ざけますし、利用者の目的に応じた交通モードの使い分けという利便性を損なうものでもあります。

 さて、そうはいっても故意や限りなく故意に近い重過失については、分かってやってるだけに始末に終えません。
こうした愚行を抑止・抑制するのが取り締まりなのですが、現状は重大事故につながるような行為に対する取り締まりが全くされていないのが実情です。
 最近、それを痛感する事例を見聞きしたので幾つか述べてみます。

1.飲酒運転
 
ロードサイドの飲食店で「生ビール」の幟を立てているのは当たり前、駐車場完備の居酒屋など理解に苦しむケースが余りにも多いです。
 未成年者飲酒防止法が改正され、売り手がいるから飲酒があるという現実を踏まえ、売り手の責任が厳しく問われるようになりましたが、飲酒運転についても同様の措置として、運転者へのアルコール提供に対する責任を取るべきでしょう。

 2月5日に発売された週刊現代のグラフページには、高速道路のSAで深夜仮眠をとるトラック運転手が夜な夜な酒盛りをしている姿が特集されていましたが、仮眠すれば酔いも覚めるという誤解や、少々の酔いは大丈夫という悪質極まりない例もあるようで、こうした現実が先日の東名用賀での悲劇となっているのです。

 問題は、この事実に対する警察のコメントで、道路上ではなく道路施設の管理は基本的にJH側であり、JHの要請が無い限り取り締まらないという恐るべき怠慢です。
JHも取り締まりには消極的で、SAやPA出口で取り締まれば入れ食い状態ともいえる状態の放置は不作為罪ではともいえます。

 さて、SAやPAでは飲酒運転防止の建前でアルコール類の提供はされていません。これがJHなど道路管理者側の対策とされているのでしょうが、本四公団管理の神戸淡路鳴門道の淡路SAに併設されているハイウェイオアシス淡路には理解に苦しむ施設があります。
いちおう外部から徒歩アクセスでき、高速バスの淡路SAバス停があるとはいえ、土産物店で地ビール「あわぢびーる」が売られ、さらに「地ビールレストラン」が併設されています。

 実際にそこで食事をして(もちろんビールは飲んでいません)そのレストランのロケーションと味、コストパフォーマンスの良さに満足しているので批判するのは忸怩たるものがありますが、ビールを注文した時、同席者全員がビールを飲んでも何も言われないのかどうかは興味深いものがあります。
 #山梨県白州町のサントリーのウィスキー工場では、入口でドライバーは目印のリボンを佩用させられ、試飲できないようになっています。

2.信号無視
 JAF-MATE誌1.2月合併号では、名四国道R23におけるトラックの信号無視が取り上げられています。赤信号への変わり際の盲進といった生易しいものではなく、早朝4時から6時という歩行者や横断車がほとんどいない時間帯に赤信号の時も完全に無視して進行するという信じられない実情です。
 #私自身何度か深夜帯のR23を走ったことがありますが、大型車ばかりで速度超過は常態化してますが、信号無視はなかっただけに驚きをもって記事を見ました。

 これも真面目に取り締まりをすれば有り得ないはずで、愛知県警の「取り締まりを強化している」というコメントが添えられてますが、ここまで無法がまかり通ること自体が、ロクにやってなかったに等しい証左でしょう。

***
 以前JAF-MATE誌では、なぜ(大型)トラックは危険な走行をするのかという特集をして、トラック側の言い分を中心に取り上げたところ、翌月号で読者の大批判を浴びました。

 トラックに限らず、飲酒運転などにおける運転側の意識の低さと、取り締まり側の放置・黙認の相乗が特に重大事故が減らない原因と断じても良いでしょう。
 特に警察が、飲酒運転や大型車の無謀運転のほか、商用車の駐停車違反、暴走族への取り締まりを、故意ではないかと疑うほどにしていないことは重大な問題です。

 それと、本来マスコミは事故が起きた時のお涙頂戴記事だけではなく、日頃から問題を指摘すべきですが、皮肉にも運転者側の団体であるJAFの機関紙がしばしば取り上げるだけです。
 まあ、深夜の首都高や一般道で、「PRESS」と表示した各紙の小型トラックが120km以上のスピードで驀進してますから、自己批判にもなりかねない記事は書けないんでしょうが...

Re:交通事故が無くならないのは…
 投稿者--- 打越健太郎氏 投稿日時: 2001年2月12日 02時04分

 打越健太郎です。以前、この問題に関してエル・アルコン様とはかなり見解の相違する議論を致しました。ただ、今回のご意見に関しては、基本的に僕も賛成であるということを、まず申し上げておきます。ですから部分的には反論していても、基本的にはエル・アルコン様のご意見を「是」とした上でのものとお考え頂ければ幸いです。

参考:LRTの可能性は高くないのでは(このなかでお二人のクルマの存在意義に関する激論が交わされております。必読!)../neotrans/log302.html

モータリゼーションの影の部分である事故の問題、それをいかにして減少していくかを考えた際、「事故があるからクルマを減らせ」は確かに効果的かもしれませんが、実数としての減少は実現しても、走行単位(ex:走行1km)あたりの事故の減少を図るものではありません。

 仰る通りですね。ただ、当然ながら「実数が減少する=死傷者が減少する」ですから、これもあながち無意味ではありますまい。無理なくクルマの減少を図りうる地域では、これも一手法として有効有益でしょう。具体的には「団地でのバス運行」などというのは如何でしょうか。不便を感じる事無く自家用車利用を控えられる人もかなり居る筈です。

事故減少を図るには、なぜ事故が起こるのかという事故発生パターンの研究と、それをいかにして封じるかという対策の研究こそ王道であり、クルマ無かりせばという議論は、却って目標を遠ざけますし、利用者の目的に応じた交通モードの使い分けという利便性を損なうものでもあります。

 うーん… 実際にはルールをきちんと守って運転すれば、相当数の事故が減るのです。以前「事故原因の殆どはドライバーに在り」というデータを御出しした所、信憑性に疑問がつきました。具体的には「ドライバーに些細な過失があれば、皆ドライバーの責任にしてしまってはいないか」というものです。確かにその可能性は有りますが、では実際の刑事司法は如何にと言うと、実際には何度も実験を行い、果たして「加害者」に回避が可能だったか、精密に調査が行われています。で、絶対に避けようが無い飛び出しなど(ブレーキ距離から言って、停車出来るはずが無かった例など)は不起訴・起訴猶予という処分が専らです。無論、原因の分析は重要なのですが、その分析を踏まえて設けられた交通規則(標識や制限速度など)が、何故か空文化することは多いですね。「些細な違反なのに切符切られた」とお怒りの方も多いでしょうが、そもそもあの規則自体が、科学的な分析を踏まえた事故防止策としての一面を有する(全部が現状に合致しているとは、無論申しません)わけで、規則を厳格に守って欲しいという警察や公安委員会のやり方は、この点において必ずしも不当ではありません。

 ロードサイドの飲食店で「生ビール」の幟を立てているのは当たり前、駐車場完備の居酒屋など理解に苦しむケースが余りにも多いです。
 未成年者飲酒防止法が改正され、売り手がいるから飲酒があるという現実を踏まえ、売り手の責任が厳しく問われるようになりましたが、飲酒運転についても同様の措置として、運転者へのアルコール提供に対する責任を取るべきでしょう。

 これなんですが、僕の住む水戸の街は夜間の公共交通が貧弱で、なるほどクルマで飲みに行ってしまう例は跡を絶ちません。で、深夜の水戸の街で何が走り回っているかと言うと、代行運転業者のクルマです。これの利用者は相当数に上るでしょう。しかも、飲み屋さんはお勘定のとき「代行頼みますか?」と尋ねます。つまり一応は合法の経営になっているわけで、なかなか取締も難しいのでしょう。また(全然言い訳になっていないが)厳格に取り締まって、夜の街が寂れることを恐れて、警察も及び腰になっていることも考えられます。(無論、だからと言って許せません。対策も考えました。あとで申し上げます。)

 さて、SAやPAでは飲酒運転防止の建前でアルコール類の提供はされていません。これがJHなど道路管理者側の対策とされているのでしょうが、本四公団管理の神戸淡路鳴門道の淡路SAに併設されているハイウェイオアシス淡路には理解に苦しむ施設があります。
 いちおう外部から徒歩アクセスでき、高速バスの淡路SAバス停があるとはいえ、土産物店で地ビール「あわぢびーる」が売られ、さらに「地ビールレストラン」が併設されています。

 実際にそこで食事をして(もちろんビールは飲んでいません)そのレストランのロケーションと味、コストパフォーマンスの良さに満足しているので批判するのは忸怩たるものがありますが、ビールを注文した時、同席者全員がビールを飲んでも何も言われないのかどうかは興味深いものがあります。

 これも問題ですね。いっそSA(一般道のレストランやドライブインを含む)の駐車場の出口にアルコール検知機を置く、というのは如何でしょう。またはクルマそのものにアルコール検知機をつけ、ドライバーが飲んでいるとエンジンが掛からないようにする、などということも可能ではないでしょうか。

 JAF-MATE誌1.2月合併号では、名四国道R23におけるトラックの信号無視が取り上げられています。赤信号への変わり際の盲進といった生易しいものではなく、早朝4時から6時という歩行者や横断車がほとんどいない時間帯に赤信号の時も完全に無視して進行するという信じられない実情です。

 これも真面目に取り締まりをすれば有り得ないはずで、愛知県警の「取り締まりを強化している」というコメントが添えられてますが、ここまで無法がまかり通ること自体が、ロクにやってなかったに等しい証左でしょう。

 これも問題で、とうてい看過は致しかねますね。「ジャスト・イン・タイム」という制度(自体は悪ではない)を小人数のドライバーに無理強いしている、といった構造的問題は無いのでしょうか。対策としては、赤信号の取締も無論有益ですが、これをやらない警察も、また人手不足なのです。どこかこの国はおかしいですね。昔、消防団を見習って「パートタイム警官」を設けては、などという意見を提言したことがありますが、これが難しいのなら都道府県は警備会社と契約し、警官1人&ガードマン2人といったチームを設けて(要人警備などで実例あり)取り締まっても良いのではないでしょうか(註:日本のガードマンには強制権限が何一つ無いので、警察官がチームに1人は必要)。また、「深夜には不要な信号機」は夜は赤・黄信号の点滅に止め、本当に重要な信号はシッカリと深夜でも機能する、というメリハリも一案でしょうか。

 トラックに限らず、飲酒運転などにおける運転側の意識の低さと、取り締まり側の放置・黙認の相乗が特に重大事故が減らない原因と断じても良いでしょう。
 特に警察が、飲酒運転や大型車の無謀運転のほか、商用車の駐停車違反、暴走族への取り締まりを、故意ではないかと疑うほどにしていないことは重大な問題です。

 警察が好きで黙認しているはずはありません。恐らく、現実社会が無謀運転(飲酒運転を含む)を要求している面もあるのでしょう。例えば「公共交通が貧弱なので、飲酒運転を黙認せねば居酒屋が潰れる」「荷捌き場が無く、路地にトラックを止めざるを得ない」などということです。ただの取締でなく、これら社会の歪みを的確に分析し、何らかの対策と併せて取り締まるべきでしょう。また、先述のような「警官不足」も有り得る話です。これも何らかの解決が求められるでしょうか。

それと、本来マスコミは事故が起きた時のお涙頂戴記事だけではなく、日頃から問題を指摘すべきですが、

 まあ、これも考え方で、「御涙頂戴の」記事が事故防止に役立たないかと言えばそうとも限らず、こういった記事に触れた悪質ドライバーが身を改めることも期待できるはずです。運転とは無関係ですが、かつてノルウェー全国の小学校で、「いじめ」を受けて自殺する少年と、その家族との悲しみを描いた物語を強制的に読ませました。結果として、ノルウェーでの「いじめ」の件数は有意に減少したという実例があります(あまりにもショッキングな実例でなく、読者である子供をあまり傷つけないフィクションによって教育したので、これを「教育ワクチン」と呼ぶそうです。弱毒の菌やウイルスで病気を防ぐワクチンに因んだ呼び方なのでしょうね)。

 まあ、深夜の首都高や一般道で、「PRESS」と表示した各紙の小型トラックが120km以上のスピードで驀進してますから、自己批判にもなりかねない記事は書けないんでしょうが...

 これも印刷所や配送業者が無理な小人数で、何とか時間に間に合わせている面は無いでしょうか。気になる所です。

(長くなったので、対策は稿を改めます)

取り敢えず、飲酒運転対策です
 投稿者--- 打越健太郎氏 投稿日時: 2001年2月12日 02時35分

 飲酒運転の対策としては、以下のようなことを考えております。

1)代行運転業者と駐車場との連携
 前に申しましたように、クルマで飲み会に行く人の全てが飲酒運転しているわけではありません。現に水戸の街では、毎晩、代行運転業者のクルマが忙しく動き回っています。また、飲み屋街での駐車場も、別に反社会的な商売をしているわけではありません。彼らを干上げるような政策は拙いでしょう。
 それならば彼らは連携すべきです。具体的には、駐車場の入り口に代行業者の待合室を設け(運転士が常駐するとなお良い)飲んできたドライバーには、彼らと契約せねばクルマを出すことを認めない、といったアイデアは如何でしょう。飲酒運転自体が犯罪行為なのですから、このくらいの強制は社会的にも許されると考えます。

2)タクシーチケットの配布
 そもそもタクシーを使えば、危険で犯罪的な飲酒運転などする必要は無いはずです。では何故、タクシーを使わないのか? タクシーが高いからでしょう。ならば飲み屋街は連携してタクシー会社と契約し、タクシーが安くなるようなチケットをお客さんに配布してはどうでしょう。飲み屋としては利益が小さくなるのでイヤでしょうか。しかし、飲酒運転はそもそも危険極る犯罪であって断固取り締まるべきであり、その取締の結果、(特に郊外などの)飲み屋が潰れようと、そんなことは知らないよ…といった考え方も不可能ではありません。無論、そうまで冷たいことは申しませんが、酒の提供という職業上、飲酒運転させないというのは正当かつ妥当な職業的倫理でしょう。今後も酒を提供するという職業を続けるのであれば、業態自体に潜む背徳性を排除するために、このくらいの義務を果たすのは当然ではないでしょうか。

3)バスなどとの連携  
 僕の住む水戸市では、1番の繁華街は大工町という所で、水戸駅から西に2.5kmほど離れています。それならここから水戸駅までは深夜でも需要があるはずであり、事実、22時を回ってもバスが走っています。これをもっと強化すべきでしょうね。バス会社と飲み屋街の話し合いで、深夜便を増強するというのも1つのアイデアです。実際、水戸駅から僕の家に帰る際には、水戸駅発22時17分という終バスが便利で、しばしば利用しています(ただ、土曜日曜が運休で…)。水郡線にも水戸駅発22時28分常陸大子行きという終列車があり、これも酔客に好評です。こういった深夜便を増強してもらうのです。もしもバス会社が「採算性無し」といって拒絶するなら、タクシーの伝でチャーターしてはどうでしょう。例えば、大工町発23時、23時30分、0時、0時30分といった深夜バスがあれば、酔客は何もクルマで飲みに来る必要は無くなります。たった4本程度なら、チャーターは可能でしょう。水戸駅からはタクシーでも良いし、そこから先、さらにバスが走って行けば、もう言う事はありません。その際には何本も走らせるわけには行かないでしょうから、少々時間は掛かっても、迂回してなるべく多くのバス停を経由すべきでしょうね。経路3つ分くらいまでなら、何とか迂回は可能なはずです。

 と、取り敢えず飲酒運転対策を申し上げました。これらの「飴」と、取締りという「鞭」の使い分けで、飲酒運転はかなり減らせるのではないでしょうか(取締の人手不足への対応は、先ほど申し上げましたね)。皆様のご意見をお聴かせ願います。

事故防止策と取り締まり
 投稿者--- とも氏 投稿日時: 2001年2月12日 15時29分

 ともです。

 交通事故というものを。一くくりに考えてはいけません。
 飲酒運転と住宅地の狭い道路での事故、スピードの出し過ぎによる事故、シートベルト不着用による死亡などは原因がまったく異なります。
 これを一くくりに扱うと議論が拡散し始めます。
 そこで、それぞれのケース別に対策案を提言します。

●中心市街地/住宅地など
 
ここでは、自動車を抑制する考え方が良いと思います。
 といっても「事故が多い=自動車を減らせ」という単純なものではなく、自動車の流入を抑制し、かつ抜け道などのいわゆる通過交通の規制を行うのです。
 なぜなら、その住宅地内に目的地、出発地のある交通に対して、公共交通などを使った抑制策は、結果的にその住宅地に居住する人の交通選択を奪うことになり、結果的に利便性の低下と言うことになります。
 で、対策案ですが、公共交通の利便性向上という局所対策と言うよりも都市全体として不可欠な基本的対策はされるとします。

1 コミュニティーゾーンの導入
 
ここ数年、国土交通省、警察庁がすすめている住宅地への自動車流入抑制策の一つで、いわゆるハンプ(段差)やクランクなどを故意に設け、自動車の速度を低下させるというもので、住宅地内の道路の通過交通を抑制するだけではなく、住宅地内道路の安全性向上に効果的です。
 さらには、イギリスなどに有る袋小路とバス専用道路の組み合わせによる抜け道対策なども考えられます。(バス専用リンクといいます)

2 トラフィック(交通)セルの導入
 
日本では長野市で計画されている方式で、周囲や中央にある幹線道路に囲まれたエリアを1つのセルとして、各セルへは環状道路などからのアクセスに限定するようにします。
 そうすると各セル間を行き来するには環状道路などの幹線道路を経由することになり、抜け道交通の大幅な減少が可能です。

3 環状道路、バイパスの整備
王道中の王道です。これがなければ、上段2つの対策は不可能です。
もし、整備しないのであれば、並行する道路の改良などによる容量向上を図るなど工夫しなくてはなりません。

●高速道路
 
高速道路に関しては、一般道にくらべ、事故率は低くなっています。
 これは比較的整備された道路環境下での走行であり、また、歩行者などとの直接的な接触がないことが理由です。
とはいえ、一度起きたら大事故になりますから、ここではシートベルトの徹底、道路の改良(見通しの確保、標識などによる誘導)などでの対策でしょう。

●飲酒運転
 
これは取り締まりしかありません。
 ただ、逆説的な一つの方法として、飲酒の目安を明確にするという手があります。このほか、対策としての受け皿をつくることが必要でしょう。

1 飲酒運転の目安の明確化
 
今の道路交通法の基準どおりで行うと、アルコール濃度がどうのこうのとなり、口の中が酒臭ければ引っ掛かるという曖昧なものになります。(素人にはまずわからない)
 だからこそ、「これぐらいなら」という甘えにつながるのです。
 ここは一つ欧米のような明確なものを定めたらどうでしょうか。
 例えば、「ビール大びん1本を飲んで○時間経過していれば良い」とか、「アルコール度1%未満のものは○○ccまで飲める」などです。
(ヨーロッパではビール1本、ワイングラス1杯はセーフなんて言う国がめずらしくはないのでそれをそのままではいけませんが。)

2 ノンアルコールビール、ワインの普及
 
取り締まりの受け皿的発想でノンアルコールビールなどを広めると言うこともできますね。
 ヨーロッパやオーストラリアのレストランにはメニューにあって、車を運転していても皆と同じように楽しめる配慮がされています。皆がビールの中で一人ウーロン茶というのはちょっと悲しいですよね。
 JHのサービスエリアなんかでは良いと思うのですが。

3 公共交通の利用促進
 
公共交通の利用促進に関しては、終電、終バスが早い(22時ではいくらなんでも早すぎ)、駐車場料金が高いといった部分の改善を図ることである程度期待できるでしょう。
 地方都市では厳しいかもしれませんが、JRの最終が23時台発という地方都市は多くなってますのでそれにバスなども連係すると良いでしょう。
 ちなみに、地方都市で自動車交通削減を目的に終電を遅くした例としては、オリンピック期間中の長野(JR、長野電鉄、バスがそれぞれ長野駅発0〜1時台に終電、バスを設定した)なんかがあります。

●スピード超過など
  
日本の道路交通政策の悪い点と言われるのが、過保護なまでの規制です。
特に、速度規制に関しては、その道路の安全に通過できる速度=設計速度を大きく下回る速度を規制速度にしている例も有り、結果的に規制速度をだれも守らなくなると言う事態を発生させますから、諸外国のようなメリハリある規制を行うのが一つの解決策でしょう。
 追い越し禁止にしても、全線でやってはストレスがたまっていき、無理な追い越しなどに走りますから、そう言った点の改善だって必要です。
 さらに、市街地では強制的に速度を落とさせる方法(ハンプなど)によってコントロールすると言うことも考えられます。

 だらだらと長く書いてしまいました。反論などなどお待ちしてます。
 ではでは。

厳罰化は抑止力となり得るか
 投稿者---551planning 投稿日時: 2001年2月16日 00時36分

 先の東名高速事故高裁判決を引くまでもなく、度重なる悪質運転致死事故に対して現行道交法や刑法での対応が難しくなってきていることが世間においても広く認識され始めたのを受けて、警察庁と法務省はいわゆる「危険運転致死傷罪」の新設と罰則強化に関して、今国会での道交法改正案へは調整がつかず盛り込まれない事となったが、共同作業で来年の通常国会への関連法案提出を目指すという。
 確かに一瞬のうちに愛するものを失われた遺族にとって、「業務上過失致死」という言葉でもって「殺人者」が5年程度の懲役刑以下で裁かれる現実はいかようにも納得できるものではないだろう。基本的において、厳罰化の流れは否定し得ないと思われる。
 しかしながら、こうした厳罰化が交通事故抑制力に役立つかどうかは疑問と云わざるを得ない。仮に被告人が死刑判決を受ければ遺族は納得するというのか。今回の道交法改正案では駐車違反等の罰金引き上げも盛り込まれていたが、「便乗値上げ」との指摘を受けるなど警察庁に寄せられた意見を中心に世間の反応は今ひとつで今回は棚上げされるようであるが、総体的な厳罰化が否定される中で悪質運転事故だげが余計クローズアップされたカタチになりつつはないだろうか。より国民的議論を起こした上での道交法を核とした道路交通体系法規の抜本的な見直しが図られるべきではないだろうか。
 森首相は以前「(悪質運転加害者への)量刑は、われわれが感情論になればなるほど法関係者は冷静な考え方をしていく面があって、隔靴掻痒(かっかそうよう)の感がないわけではない」と述べたという。交通事故裁判の問題点も確かに多く指摘されているとはいえ、一方的な見方が確固となりつつある現状は危惧せざるを得ないものと考えるのだが…。

聖地から聖地へ
 投稿者---氏 投稿日時: 2001年2月18日 19時39分

 お元気ですカ?Pでございます。愛知県から北海道へという全国交通事故率ワースト3の県をまたいだわけですが私…、厳罰化というのは車社会に対する行政としての責務を放棄したと言ってるような失政だと感じます。愛知も北海道も贅沢でではなく、ないと生きていけないから乗っているという人も多いのに…。北海道に至っては国が勝手な事情で線路を引き剥がして、陸の孤島になってしまった地区も本当に多く、牧場経営者などは真冬の吹雪の中も自前の10トン超の家畜トラックを駆って、峠を越えて市場に牛を買いに行くなんてはっきり言って日常です。私の前の仕事場では毎週十勝北部から道北の豊富・道東の中標津までトラックを出していました。それ以外に生きる術が無いからです。

 先の東名高速事故高裁判決を引くまでもなく、度重なる悪質運転致死事故に対して現行道交法や刑法での対応が難しくなってきていることが世間においても広く認識され始めたのを受けて、警察庁と法務省はいわゆる「危険運転致死傷罪」の新設と罰則強化に関して、今国会での道交法改正案へは調整がつかず盛り込まれない事となったが、共同作業で来年の通常国会への関連法案提出を目指すという。
 確かに一瞬のうちに愛するものを失われた遺族にとって、「業務上過失致死」という言葉でもって「殺人者」が5年程度の懲役刑以下で裁かれる現実はいかようにも納得できるものではないだろう。基本的において、厳罰化の流れは否定し得ないと思われる。

 確かに必要以上の性能を積んで,必要以上の騒音・排気ガスを出し、周りの車を威嚇して喜んでいる「自称・走り屋」の取締りが強化されるなら言うことは無いですね。これらの方々は「車社会」の恐ろしさを知らないわけですから。ただ、もっと柔軟な法律態勢にすべきなのに…。

 森首相は以前「(悪質運転加害者への)量刑は、われわれが感情論になればなるほど法関係者は冷静な考え方をしていく面があって、隔靴掻痒(かっかそうよう)の感がないわけではない」と述べたという。交通事故裁判の問題点も確かに多く指摘されているとはいえ、一方的な見方が確固となりつつある現状は危惧せざるを得ないものと考えるのだが…。

 つまり今回の私のレスは感情論なわけですが…、私は自分で運転するよりも列車なりバスなりで移動する方が好きです。ですが,それが出来ない,あるいは好きでもないのに乗ってるという人も多いわけで、政府としてするべきことはもっと違うことだと愚考いたします。So Long.

国家百年の思い付き
 投稿者--- エル・アルコン氏  http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs
 投稿日時: 2001年3月17日 04時16分
−国家百年の思い付きの裏にあるもの
 └国家百年の思い付きの裏の裏
国土交通相おおいに語る

 ワールドカップ対応で、羽田を時限的に国際便に開放すると扇国土交通相が表明しました。確かに「横浜に行くのになぜ成田」というのは事実でしょうが、羽田が便利な事例だけを挙げての議論であり、結局、羽田を国際化したい、というホンネがまずありきの「為にする」類の論と酷評しときましょう。

 例えばカシマは成田が圧倒的優位ですし、浦和も中央環状線小菅の車線の引き方をちょこっと変えれば(向島線優先を中環優先に変える)、東関道〜中環〜川口線で安行の方が速いでしょう。
 国内線乗り継ぎという大義名分なら、それこそ関空を活用すれば良いのであり、羽田を国際化するのであれば、税関等国家主権に属する部分のインフラ整備はどうするのでしょう。

***
 これだけなら「ニッポンの空港論」のネタなのですが、今回の論点は実は「個人攻撃」なので、ここでスレッドを立てました。
 実は昨日の朝日夕刊は1面で羽田国際線開放表明を載せ、社会面で、首都高の日本橋近辺の地下化検討を載せており、国土交通相が八面六臂の活躍?です。

 で、「高速道路が上にあるので、懐中電灯を持っていかないと日本橋が見えない」と大臣が嘆いたと記事は伝えてます。

 都心環状線の日本橋近辺の地下化なんか、新聞の言うように「課題が多い」などというレベルの問題ではなく、妄言の類です。
 高架の箱崎JCT、竹橋JCTからどうやって地下に入れ、江戸橋JCTを地下に移すのか?地表すぐから地下5階レベルまである地下街、地下鉄をどうかわすのか。江戸橋や呉服橋のランプはどうなるのか。
 今ですら千代田、霞ヶ関の両トンネルや湾岸線の東京港トンネルが走りづらくて渋滞の巣になっているのに、地下化は状況を悲劇的に悪化させるだけでは。

 都心環状線を作り替えるに等しい話であり、敢えて言えば「たかが橋」のためにそこまでする費用対効果を考えれば、子供でもその是非は分かります。

***
 綸言、汗のごとしという言葉があります。
 大臣程度に用いる言葉ではなく、「お墨付き」と言い換えた方が良いのかもしれませんが、いかに非現実的な話であっても、主務官庁の大臣がいったん口に出してしまった以上、「大臣が賛同」「大臣が検討」という事実が一人歩きするのであり、組織のトップの発言は、それが根回しされたものでない思い付きであっても、組織の意向として取られるのです。

 それを考えた際、昨今の発言はあまりにも軽率の謗りを免れないレベルのものが多すぎますし、自分の発言の重さと影響を本当に自覚しているのでしょうか。
 大臣の発言は同時に政府、つまり国家の発言でもあるのです。

***
 前述の「懐中電灯」ですが、「日本橋」を実際に見た人ならお分かり頂ける通り、如何に上に首都高があろうと、昼間に懐中電灯をかざしても文字どおりの昼行灯です。
 こうした表現は最近石原都知事や田中長野県知事といった文人知事の影響かと思われますが、「強調」というにはあまりにも無理がある「付会牽強」というしかない表現は、世間受けはするでしょうが、ミスリードそのものです。

 本人の「想い」は想いとしても、思い入れや思い込みの面が強い発言を、公人として繰り返すことには、強い懸念を感じます。
 私見と国家の方針をごっちゃにしている。そう捉えられても仕方が無いのです。

国家百年の思い付きの裏にあるもの
 投稿者---brother-t氏  http://members.jcom.home.ne.jp/brother/index.htm 投稿日時: 2001年3月17日 15時34分

 ワールドカップ対応で、羽田を時限的に国際便に開放すると扇国土交通相が表明しました。確かに「横浜に行くのになぜ成田」というのは事実でしょうが、羽田が便利な事例だけを挙げての議論であり、結局、羽田を国際化したい、というホンネがまずありきの「為にする」類の論と酷評しときましょう。

 熱いですね〜、個人的には浦和・鹿嶋へは成田、そして決勝会場でありプレスセンターもある横浜は成田だけじゃ対応できないといった所でしょうか?あとは宿泊場所としての東京も重要です。

 今回の論点は実は「個人攻撃」なので、

 論点を個人の資質に持っていくと結局ずれてしまう様な気がします。と言うのは結局こう言った個人発言を容認している組織(位しか言葉が浮かばない)にも多かれ少なかれ意図はあるでしょうし、少なくとも彼女の親玉の様にたたかれたりしないのはその証左でしょう。

 実は昨日の朝日夕刊は1面で羽田国際線開放表明を載せ、社会面で、首都高の日本橋近辺の地下化検討を載せており、国土交通相が八面六臂の活躍?です。(中略)都心環状線を作り替えるに等しい話であり、敢えて言えば「たかが橋」のためにそこまでする費用対効果を考えれば、子供でもその是非は分かります。

 さて前述の見方をすればこれは所詮「われわれは地方ばかりでなく都市住民のことも考えてるんだ」と言うメッセージであり(本当か)、実現可能性や費用対効果に大した重要性など無く、そう言ったニュアンスのイメージさえ伝われば良いのでしょう。そして彼らに利益を持ってくる人達を「所詮イメージしか考えない愚衆」と考えているならば、あるいはオピニオンリーダーとなるべき存在がイメージ戦略しか出来ない愚かな存在ならば、良い戦略です。前者はともかく後者はほぼその通りなので頭が良いですねぇ。

 綸言、汗のごとしという言葉があります。大臣程度に用いる言葉ではなく、「お墨付き」と言い換えた方が良いのかもしれませんが、いかに非現実的な話であっても、主務官庁の大臣がいったん口に出してしまった以上、「大臣が賛同」「大臣が検討」という事実が一人歩きするのであり、組織のトップの発言は、それが根回しされたものでない思い付きであっても、組織の意向として取られるのです。

 確かにそうですが、問題はそれを彼女の部下達がどう考えているかと言う事で、それほど否定的な意見は聞きませんから思いつきのように見えてそうでないかもしれません。ただ逆に問題なのは部分的な所しか情報が伝わってこない点で、こっちをちゃんと話して(と言うより伝えて)欲しい所です。

 こうした表現は最近石原都知事や田中長野県知事といった文人知事の影響かと思われますが、「強調」というにはあまりにも無理がある「付会牽強」というしかない表現は、世間受けはするでしょうが、ミスリードそのものです。

 僕はそう言った意味でいえばこの国の首相と都知事は問題があると思います。前者は発言そのものは自由な言論は民主主義の基本だと思いますから良いのですが、それよりもその不用意さが生んだ物は厳しいですが彼の責任と言って良いでしょう。結局自分の発言・権力の大きさをわきまえない脇の甘さと言うのは大問題です。後者の厳しいのは一言で言えば「日本のヒトラー」と言うあだ名にその本質が集約されていると思いますが20世紀で良い悪いは別として最も大きな仕事をした政治家になぞらえるには失礼ですが子供と大人と言って良い格の差があります。詳しくは偏見は入っていますが Tadashi's Room 等は参考になると思います。

Tadashi's Room http://w3222.nsk.ne.jp/~otanuki/index.html

 本人の「想い」は想いとしても、思い入れや思い込みの面が強い発言を、公人として繰り返すことには、強い懸念を感じます。私見と国家の方針をごっちゃにしている。そう捉えられても仕方が無いのです。

 まぁ権利(=権力)と責任は裏表ですからそうですが、個人的には自由な発言こそ民主主義の基本ですから別に良いとは思います。ただその裏にある例えば全体的なプロジェクトだとかを書かずイメージだけで書くマスコミ、あるいはそれだけを見て良い悪いをわざわざ言う自称中産階級のプロレタリアの方が問題は大きく根は深いと思いますが、と書くと青木雄二は入りまくりな気はしますがどうでしょうか?

国家百年の思い付きの裏の裏
 投稿者---さいたま市民@西浦和氏 投稿日時: 2001年3月20日 05時33分

 おはようございます。花粉がひどくて眠れません。TVではドイツの天気予報をやっています。

 巨大官庁の長となってしまった彼女にいささか同情しながら・・・。言いたいことは言いましょう。
 役所の長として、役所が何をしようとしているか、何を考えているのかを示唆する役目としては、よく見ていると無駄がないわけです。

 「日本橋」上の高速道路は、そろそろ耐用年数になるのではないでしょうか。酸性雨に打たれ、錆の浮いた橋脚、カバーや蛍光灯できれいにしてありますが、常に揺れている構造物、これをそろそろなんとかしたいということなのでしょう。「地下化」といっても銀座のように川の水を埋め、川底を道路にするのでは?

 さて前述の見方をすればこれは所詮「われわれは地方ばかりでなく都市住民のことも考えてるんだ」と言うメッセージであり(本当か)、実現可能性や費用対効果に大した重要性など無く、そう言ったニュアンスのイメージさえ伝われば良いのでしょう。そして彼らに利益を持ってくる人達を「所詮イメージしか考えない愚衆」と考えているならば、あるいはオピニオンリーダーとなるべき存在がイメージ戦略しか出来ない愚かな存在ならば、良い戦略です。前者はともかく後者はほぼその通りなので頭が良いですねぇ。

 それはそのとおりです。

 飛行場問題、外環道問題、そして首都高のリニューアル。いつかは誰かがやらなければならない課題を並べているのですね。芸能人政治家が言いますと、耳目を引きますね。ああ、そうなのか、と。

 確かにそうですが、問題はそれを彼女の部下達がどう考えているかと言う事で、それほど否定的な意見は聞きませんから思いつきのように見えてそうでないかもしれません。ただ逆に問題なのは部分的な所しか情報が伝わってこない点で、こっちをちゃんと話して(と言うより伝えて)欲しい所です。

 逆なのです。部下たちが何とかしたいと考えているから、彼女の口に上るように日夜役所の人たちは動いているのです。彼女は思いつきのように行動しているように見えますが、すべて計画済みなのです。彼女が語る言葉までも。

 こうした表現は最近石原都知事や田中長野県知事といった文人知事の影響かと思われますが、「強調」というにはあまりにも無理がある「付会牽強」というしかない表現は、世間受けはするでしょうが、ミスリードそのものです。

 彼女と慎太郎と康夫ちゃんはそれぞれ全く別なイデオロギーで動いているのです。唯一共通する点は、「芸能人」であるということぐらいでしょう。
 政治家の言説は、その政策や政治思想を表したものですが、政治家にとって、気の毒なことに、有権者の半分以上が「無党派」である現実の上には、彼らも模索しているのではないでしょうか。役人と政治家が「こんなこと言ったらどうなるかね」と有権者を常に試していると考えるくらいがわかりやすいでしょうか。
 「芸能人」政治家は「演ずる」ことが元の商売ですから、役人にとっては世間の風を測るには格好の役割を果たしてくれているのです。私が高級国家公務員ならそれを利用しますね。

 まぁ権利(=権力)と責任は裏表ですからそうですが、個人的には自由な発言こそ民主主義の基本ですから別に良いとは思います。ただその裏にある例えば全体的なプロジェクトだとかを書かずイメージだけで書くマスコミ、あるいはそれだけを見て良い悪いをわざわざ言う自称中産階級のプロレタリアの方が問題は大きく根は深いと思いますが、と書くと青木雄二は入りまくりな気はしますがどうでしょうか?

 その人が、彼が指摘している問題を解決するために政治的に行動するなら(不勉強ですいません)それはそれで筋が通っているかもしれませんね。

 少なくともこの掲示板で対論を楽しんでいる私たちは、彼女たちよりも自由に構想、発言してますよね。ネットの力の源泉というのは、ここにあるわけです。政治家や高級国家公務員が一番気にしているのは、まさにこの点なのではないでしょうか。

 ちょっと社会のお勉強をしてしまいましたね。私もまだまだ勉強しなければなりませんね。
 乱筆ご容赦。バーミャンの大仏に合掌。

国土交通相おおいに語る
 投稿者--- エル・アルコン氏 (ホームページ) 投稿日時: 2001年6月11日 12時35分

 先週末はいろいろ見て回ってきてネタを仕入れてきたんですが、取り敢えず後日ということで、今回は10日のフジ系「報道2001」に、扇国土交通相が出演し、いろいろ興味深い話をしたことを書きます。

 まず、道路特定財源の一般財源化について、「受益者負担前提の高税率を見直さないといけない」「道路整備については、それを必要としている地方が鉄道か道路かを選択すべき」と至極真っ当なことを言ってました。
 九州における港湾などとの有機的結合を目的とした整備を説明しており、片面的な公共事業否定論でもなく、なかなか説得力があります。
 ちなみに手元のフリップでは、環状道路の整備状況などを諸外国と比較した数字が並んでおり、日本の道路整備が決して充分ではないことを訴えています。

 そして、ETCについては彼女が「今回初めて発表します」と前振りして、「ETCキャンペーンとして秋までに車載器を購入した場合、JH、首都高、阪神高速の3公団それぞれ1万円を上限として、2年間で20%の割引を実施する」と発表しました。
 つまり、2年間、3公団それぞれ1万円に達するまで20%の割引を実施するそうです。
#JHしか使わなかったら1万円が上限になる。各公団で2年間で各5万円の利用をすれば最大限享受できる。

 あと、手元のフリップでは、「ハイカの14%、回数券の18%を超える割引」とあり、現行の割引制度を完璧に意識しています。(ハイカの50,000円券については、プレミアムは16%相当だが、58,000円からの割引率計算では約14%になる)そして、ETC割引は2年間限定かいな、と思ったところにこれもフリップだけですが、「14年度早期に前納割引」とあり、ハイカ同様のプリペイド型割引が導入される見込みです。

 扇大臣は「そのうちETC車しか通れなくなります」と物騒なことも言ってましたが、2年間の割引後は前納割引が出来れば文句も少ないでしょうし、これなら私も早急に車載器を買いたくなります。
 なお、ETCの決済について、クレジットカードとなってますが、クレジットカードを持っていない、持ちたくない、持てない人々の対策が聞こえてこないのは遺憾です。高速道路がETCオンリーになったとき、クレジットカード発行会社という一私企業の基準で利用可否が決まったり、意に反して一私企業のカード発行という受信行為を強いられるということは断じてあってはならないことですから。

 まあ、某所論壇で叩いたように、便利の「対価」を求める某社の姿勢と比べると、比較にならぬ対応です。

***
 扇大臣は成田問題その他で私と完全に対立するのですが、本件のように充分評価出来る出色の施策も目立ちます。それだけに、実際は期待する面が大きいのです...

〔燃料電池自動車〕燃料電池車への懸念  投稿者--- 打越健太郎氏
 投稿日時: 2001年4月15日 12時20分

 打越健太郎です。燃料電池自動車の開発が盛んですね。近い将来、環境破壊が極限まで達することを考えれば、こういった試みに関して積極的に進むのは望ましいことでしょう。ただ、これで自動車の環境問題は全部解決か、と言えば、僕などには幾つかの懸念が残ります。 

 1)燃料の供給の問題
 燃料電池自動車の燃料として、現在よく用いられているのがガソリン・メタノール・天然ガスなどです。以前、この掲示板でも論じましたが、これらの燃料は化石燃料であるか、または化石燃料を元に作られています(メタノールは本来バイオマスだったが、現在では石油・石炭・天然ガスなどから抽出した一酸化炭素と水素を化合させて造っている)。これらの供給は、将来的にも大丈夫でしょうか。天然ガスについてはあとでもう1回論じますけれど、ガソリンは、もう後がありませんね。石炭なら結構残っているはずですが、それはエネルギー源が石油系にシフトしたからで、石炭とて大々的な使用に耐えるほどは残っていませんね。

【自動車】自動車の将来に関する私論・燃料電池車を中心として log015.html#5

 2)環境負荷
 同じく燃料電池自動車の燃料に関して、その燃料を造る際の環境負荷を考えねばならなりません。確かに燃料得電池自体の環境負荷は、それなりに小さいのです。加えて家庭などで燃料電池を使う場合には、燃料電池自体の廃熱もまた給湯・冷暖房(冷房も可)などに使えますから、ますますエネルギー効率は高まります。では自動車ではどうか? 廃熱が使えないので、ここまで効率は良くありません。現在のデータでは、メタノールを燃料に使った場合は現在のガソリンエンジン車の約半分の環境負荷とされています。但し、燃料電池自動車に関しては、この前、やっと公道を走った、というレベルですから、これが実際にスピードを出しては緩め、渋滞にも巻き込まれる一般道で妥当するのかは未知数です。使う燃料がガソリンの場合、環境負荷はメタノールよりも大きくなりますが、やはりガソリンエンジン車よりはマシだとか(但しこの「マシ」というのは、「排気ガスが今までよりもきれいである」ということで、これにはトリックが潜んでいる可能性があります。詳しくは後で)。

 しかし、これらのエネルギー源を生産する際、その他の環境負荷も考えなければなりません。メタノールは確かに環境負荷の点でガソリンに優位しますが、メタノールの生産には莫大なエネルギーが使われる(取り出せるエネルギーより、生産する際に使うエネルギーのほうが大きい。つまりエネルギー源として「赤字」状態なわけです)上、パイプライン・スタンド等のインフラを一から整備する必要が生じます(註:メタノールは多くの金属を腐蝕させるので、特殊なインフラが必要になる。ガソリン用のものの転用は出来ない)。これらを初めから整備するのでは、メタノールの環境負荷優位性も有名無実ですね。

 ガソリンは? これはインフラは既存のものをそのまま使えます。「既存インフラの転用が可能」というのは大変な利点ですが、ではガソリン燃料電池車のほうが良いのか、は簡単には結論を出せません。ガソリンが既に品薄、というのも重要ですが、もう1つ、省エネの問題も残ります。「さっき環境負荷は論じたではないか」というご指摘が予想されますが、実はあそこでは論じていない問題がありまして、それは燃費の問題です。ガソリンを使って走る場合、エンジンで燃やすのと、燃料電池で使うのと、どちらが燃費が良いのかは分かりません(燃料電池を自動車に積む場合、据置型と違って廃熱は捨てるしか無い。それゆえ、かなりエネルギー効率は悪い)。その意味で、燃料電池自動車をガソリンで動かすというのが、実は資源の無駄遣いになっている可能性もあるわけです。もしもガソリンを生産するのに使うエネルギーよりも取り出せるエネルギーのほうが小さい(例によって「エネルギー源として赤字状態」ということ)、などということになれば、いっそ素直にガソリンエンジンで自動車を走らせたほうが環境負荷が小さくなりはしないかという問題もありますね。

 3)天然ガス
 現在、将来の資源として期待されているのが天然ガスです。エンジンで燃やしても燃料電池に使っても、環境負荷は化石燃料の中ではもっとも小さいとも言われています。但し、これにも難点はあって、一体いつまで供給が続くのか、です。現在「メタンハイドレート」(深海に眠るメタンのシャーベット)に期待が集まっていますが、実は今日の技術ではメタンハイドレートは採取できません。「将来の需要の高まりから技術開発が起こるだろう」という予想もありますが、これは未知数ですね。必要は発明の母であっても、必要が常に発明を生むわけではないからです。例えば癌の特効薬など、今日凄まじい需要があっても、未だ実現していませんからね。また、技術的に可能になっても、コストという問題が残ります。例えば第1次世界大戦後のドイツで「海水から金を抽出する」という技術が開発されました。でもコストがかかりすぎ、今日なお事業として行われた例はありません。「天然ガスしかエネルギー源が無ければ、それでも皆買うだろう」という予想も可能ですが、これとて程度問題ですね。ガソリンに換算して「リットル1万円」などという値段なら、自動車自体を断念してしまうでしょう。
 また、仮にメタンハイドレートの採掘が可能になったとして(技術的にもコスト面でも)採掘する際にもかなりのエネルギー消費が予想されます。何しろメタンハイドレートは深海深いところに眠っているのですから。掘るのに使うエネルギーよりも取り出すエネルギーのほうが大きくなければなりません。ここでもまた「エネルギー源として赤字状態」にならないか、という問題が残ります。それは可能でしょうか。更に言えば、そんな深い所のものを掘り出す際の環境負荷は如何なものでしょうか。

 以上、僕なりに考え付いた燃料電池自動車の懸念を申し上げました。意見・反論など、是非お聴かせ願います。

2005.03.13 Update


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