【検証:】常設板過去ログ集

【検証:近未来交通地図】
(過去ログNo.018)
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「究極の善意」を悼んで  投稿者--- 551planning 投稿日時: 2001年1月29日 00時17分

 26日夕に発生したJR山手線新大久保駅触車死亡事故。酔客の転落を助けんがために自ら線路に降りた2人の尊い命までもが一瞬に奪われてしまった惨劇。その「究極の善意」が波紋を呼んでいる。警視総監感謝状、国会議員の弔問…。

 仮に貴方がその場にいたらどうするだろうか。もし自分なら…今回の場合事故現場も陸橋上で待避スペースがほとんどないという特殊条件であったにせよ、まず我々は列車の接近云々の前に、線路上に降りる事の危険性を考えなければならない。複数人死亡事故ということで大きく取り上げられているが、こうした転落事故は非日常的な話ではない。偶然というべきか、新大久保事故発生時には東上線朝霞台で、そのあとにも伊勢崎線竹ノ塚で死亡事故が発生している。新大久保の現場には転落者検地マットがなかったとの報道がなされているが、事業者を責める理由にはならない。むしろ一番の迷惑を被るのは事業者である。事業者側から言えば大事になればなるほど現実的被害が増すわけで、利用者に対して当人の具体的危険性をもって云っているのは勿論のことながら、事業者的な観点から線路立ち入りを嫌がる傾向にある。特に第3軌条の地下鉄などがそうだが、物を落とした場合でも必ず係員を通すようにとされているのは、線路上には多くの危険が潜んでいるからなのである。

 よってその他の最善の策を考えるべきであり(ホーム上の緊急停止スイッチを押す等)、それすら不可能というべき時間であれば、結果どうすることもできないのが現実であり、否定できない「答え」なのである。死者の方々を非難するつもりはないが、今回は残念ながら軽率な行為であったと云う事もできよう。それなのに様々な思惑を越えて「美化」されつつある現状を、我々は気に留めなければならないのではなかろうか。

今こそホームドアの大々的整備を
 投稿者--- 打越健太郎
 投稿日時: 2001年2月2日 14時27分
今こそホームドアの大々的整備を
└Re:今こそホームドアの大々的整備を
 └Re:今こそホームドアの大々的整備を
  └今こそホームドアの大々的整備を(補論)
   └Re:今こそホームドアの大々的整備を(補論)
    └Re:今こそホームドアの大々的整備を(補論)
     └「旅客の」安全は総てに優先する、はずでは。
      └Re: 「旅客の」安全は総てに優先する、はずでは。
       └元・現場人の愚考
└酒類販売を考える

 打越健太郎です。こんにちは。

 先日、新大久保駅で実に悲しい事件が起こりましたね。勇敢に人命救助を試み、そして亡くなられた関根史郎、李秀賢両氏に対しては、心からお悔やみの言葉を述べたいと思います。私事ながら、亡くなられた李氏は僕と同い年(26歳)であり、志半ばで亡くなったご本人と、優秀な息子さんを亡くされたご両親の胸のうちを思うと、何とも言葉がありません。

 さて、関根、李両氏の勇気は絶賛に値するのは当然として、そもそも、こうした事故は防ぎようが無いのでしょうか。実は簡単に防げるはずです。少なくとも通勤路線では。東京6・7号線(都営三田線・営団南北線)では、こうした事件は起こり得ないのです…そう、ホームドア(ホームゲート)です。以前から「ホームドア・ホームゲートを整備せよ」というのが僕の持論でした。今回の事件で、当然その声が大きく出てくると思っていたのですが、どう言うわけか僕の知る限り、そういった声はありません。

 改めて申し上げます。「全列車、ドアの位置が一定の路線(主に通勤路線)では、可及的速やかにホームドア、もしくはホームゲートを整備すべし」と。列車によってドアの位置が違う路線(有料特急の走る路線など)ではホームゲートは無理ですが「こういった路線でも『ふすま式ホームゲート』ならば対応できる」と、以前、エル・アルコン様が御提言になっておられました。ぜひこの「ふすま式ゲート」なども開発し、2度とこういった悲劇が起きないよう、全国の鉄道においては鋭意、安全性を高めてもらいたいものです。もしも「地方鉄道などでは金が掛かって無理」というのなら、国土交通省には、是非とも緊急支援ないし融資を行ってでも、全国の鉄道をさらに安全にすべく、ホームゲートやホームドア整備のために対応して欲しいと切望致します。

〔通勤列車〕ユニット式ホームゲートの提唱 log010.html#3

Re:今こそホームドアの大々的整備を
 投稿者--- 551planning 投稿日時: 2001年2月4日 02時58分

 どうも、おさぼり管理人です…投稿できない状態が続いておりましたがようやく落ちついて参りましたので、返信からぼちぼちと復帰してまいる所存でございます。

 当方は素直に哀悼の念を表明するのは差し控えたいと思います。すでに 「究極の善意」を悼んで で書いた通り、死者の方々を非難するつもりはありませんが、今回は残念ながら軽率な行為であったと云う事もできるのではと考えるからです。にもかかわらず様々な思惑を越えて「美化」されつつある現状こそ、我々は気に留めなければならないのではないでしょうか。
事故後数件の「救出劇」が賛辞でもって報道されていますが、どのような状況においても線路上に降りる事の危険性を改めて考えて頂きたいと思います。その意味では両氏の行動を手放しで絶賛することはできかねます。

 さて、関根、李両氏の勇気は絶賛に値するのは当然として、そもそも、こうした事故は防ぎようが無いのでしょうか。実は簡単に防げるはずです。少なくとも通勤路線では。東京6・7号線(都営三田線・営団南北線)では、こうした事件は起こり得ないのです…そう、ホームドア(ホームゲート)です。
 改めて申し上げます。「全列車、ドアの位置が一定の路線(主に通勤路線)では、可及的速やかにホームドア、もしくはホームゲートを整備すべし」と。

 南北線のような完全遮蔽型ホームドアは勿論、三田線のような仕切型においても設置・管理には多大の労力と資金力が必要になります。東急でも池上線のような柵式仕切の設置(ドア部は開口)で対処したいとしていました。両線の場合ワンマン化が直接的原因であり、三田線では心無いものの悪戯が多発して監視員を配置しているという本末転倒の状況にあります。
 三田線は都内でも比較的閑散路線の部類に入るために設置工事が容易であった面もあるでしょう。山手線で工事をするとして、それはやはり大規模なものとなるのは必死でしょう。そもそも板だけ設ければいいというわけでもなく、信号システムからトータルな運輸体制の見直しが求められると考えます。

 もしも「地方鉄道などでは金が掛かって無理」というのなら、国土交通省には、是非とも緊急支援ないし融資を行ってでも、全国の鉄道をさらに安全にすべく、ホームゲートやホームドア整備のために対応して欲しいと切望致します。

 果たして血税を投じてまで喫緊に行なうべき施策でしょうか。
 勿論ホームゲート設置を完全否定するつもりはありませんし、できるに越した事の無いものではありますが、結局は設置・管理に対する費用負担帰属論が最大のネックになるのは必至です。現在各所で進められている移動昇降機に関してもそうですが、これらを設置することで利用者が増えるならば、事業者側は早々に行っていた事でしょう。こうした視点は往々にして事業者側が保守的に映るものではありますが…(特に昨今各種事故で目立ってきているのが気にかかりますが)。
 確かにホームは盲人をはじめとした移動制約者だけでなく、健常者にとっても危険極まりない場所と云っても過言ではありません。しかしそれを言ってしまえば人のいる空間なんて…てな話ですし、そもそもこのシステムで鉄道は1世紀以上運営されつづけているのですから。

 今回はキビシ目の論調になっていますが、いずれにせよ、今回の事件が今後に一石を投じるとするならば、関係各所は事故状況詳細究明と積極的公開を行なうべきと考えます。我々はそこから様々な議論を積み重ねて行く必要がありましょうが、ともあれ状況を正確に把握しないままに行為そのものを「描く」のは適切ではない、と当方は考えます。

Re:今こそホームドアの大々的整備を
 投稿者--- とも氏 投稿日時: 2001年2月5日 18時50分

 こんばんは。ともです。

 今回の新大久保の事故については、まずは率直に亡くなったお二人に哀悼の意を表したいと思います。
 なんであれ、痛ましい事故であることは間違いなく、あの状況下での二人の行動自体を責めるつもりはありません。

 しかし、今回の件に対する管理人様のご意見は、ある意味で正論であって、これは考えなくてはなりません。
 実際、一部のテレビなどでは、緊急停止ボタンの話をしていましたが、やはりPR不足を指摘されていましたね。
 そういった点を念頭において議論する必要があります。

 そこで本題です。

 ホームドアですが、本当に必要でしょうか。
 確かに、ホームドアがあればこのような不幸な事故は防ぐことができたでしょう。
 しかし、こういっては失礼ですが、酒に酔った人がホームから転落するのを防止するために、何百億いや全国に設置すれば何兆もの税金あるいは事業者負担をしてまで設置すべきものなのでしょうか。
 バリアフリーの観点から設置すべきということについても、外国のように他の乗客が手助けすれば良い話ではないんでしょうか。
 そもそも、公共の場で我を忘れるまで酒を飲むということは外国では論外とされています(というよりも公共の場での飲酒は禁止という国だってめずらしくはありません)。また、身障者や妊婦、高齢者に対して、周りの人間が手助けすることも常識です。
 このような基本的なマナー、常識が欠如している状況下で起こりうる事故に対してまで施設面でケアするのはやりすぎのような気がします。
 それよりも、緊急停止ボタンのPRやマナー向上をもっと訴えるべきです。
 前にもどっかで書きましたが、日本人にも「自己責任」という意識が必要です。何でも行政や事業者の責任にしてはいけません。
 その後にあった京王線にしても尾頭橋駅にしても転落した理由がよくは判りませんが、ホームドアで解決することが正しいとは思えない気がします。
 どちらの駅でも緊急停止ボタンは押されていなかったようですし。

 今回の事故についてのマスコミ報道には少し疑問があるのは確かですが、同時にマナーという面にもスポットを当てている報道があるのも救いです(ホームでの飲酒をなぜ禁止しないかというスポットのあて方はいままでにないものですね )。
 こういった議論をすることが亡くなった2人に対する一つの哀悼の意とも言えるかもしれません。

 ちょっと辛口な意見ですが、当日、振り替え対象となった一利用者としての意見です。
 ではでは。

今こそホームドアの大々的整備を(補論)
 投稿者--- 打越健太郎氏 投稿日時: 2001年2月5日 21時41分

 打越健太郎です。こんばんは。
 まず、データから提示致しましょう。「AERA」2月12日の記事によりますと、都営三田線のホームゲート設置に掛かった費用は1駅あたり8000万円、これは業者が出血サービスで安く落札した(「東京都御用達」という信頼を買った面もあるでしょう)ようなのですが、1駅あたり1億4000万円あれば、業者としても採算が合うとのことです。都営三田線のホームは殆どが島式・対向式のホーム2線ですから、JRなどではもっとかかりそうですが、少なくともJRや大手私鉄が「出来ません」と言うような額ではなさそうです。

 で、そもそもホームゲートを設置すべきかということですが、先ずハッキリさせておかねばならないのは、酩酊して線路に落ちたのは最初の犠牲者だけであって、関根氏や李氏が酔っていたわけではない(飲んでいたかもしれませんが、それはこの際無関係でしょう。正常に歩ける程度の飲酒は、何ら批判に値致しません)ということです。ですから、関根・李両氏が「迂闊」だったか、といえば、僕は「否」と言いたいと考えます。もしも両氏が「迂闊だった」と批判できるのなら、では「迂闊でない」合理的な対応としては「あ、ホームから人が落ちた。でも助けると危ないから見殺しだ」ということになってしまいます。確かにこれはこれで社会で生きる知恵と言えなくもないけれど、これが人としての「あるべき姿」なのでしょうか。

 公共の場で我を忘れるまで酒を飲むということは外国では論外とされています(というよりも公共の場での飲酒は禁止という国だってめずらしくはありません)。また、身障者や妊婦、高齢者に対して、周りの人間が手助けすることも常識です。
 このような基本的なマナー、常識が欠如している状況下で起こりうる事故に対してまで施設面でケアするのは やりすぎのような気がします。(中略)
 それよりも、緊急停止ボタンのPRやマナー向上をもっと訴えるべきです。
 どちらの駅でも緊急停止ボタンは押されていなかったようですし。

 このご意見、後者は賛成です。確かに周囲の人が手伝えば施設整備無しにバリアフリーは実現できるし、それこそ人としてあるべき態度ですね。ただ「人の善意頼み」というのは不完全で、必ずしも良心的な人ばかりが電車に乗っているわけではないし、また僕なども、出来る限りお年寄りや身体障害者のお手伝いはしたいけれど、急用でどこかに行く際には、それこそ「大人の知恵」で、悪いなと思いつつ無視せざるを得ないことだってあります。また、今回の事故に関して言えば、酩酊でなく貧血で倒れる人も居るはずですし、そういった犠牲者に対しては、人々の善意は全く無益です。関根氏や李氏のように線路に飛び降りない限り。まして緊急停止ボタンが何の役に立つかといえば、今回の事故でも電車のほうは緊急ブレーキをかけていたわけで、おそらく何の役にも立たなかったでしょう。

 で、前者ですが、これは賛同致しかねます。確かに「過度の飲酒を慎め」というのは道徳律として正当なのですが、外国と日本とでは文化が違います。欧米が「酔っ払い」に厳しいのは、快楽を戒めるキリスト教文化の賜物と、もう1つ、そもそも白人は酒に強いから滅多に酩酊しないのです。「公共の場での飲酒禁止」はアメリカ合衆国の一部で見られる規制ですが、ではアメリカは過去、酒に対してどんな態度をとっていたかと言えば、愚劣極る「禁酒法」の国で(一部の自治体は「ドライ・タウン」などと称して、未だに撤廃していない)、こんな規制が日本に妥当するか、僕としてははなはだ疑問です。付け加えれば、イスラムの諸国はそもそも宗教的に飲酒禁止です(国によっては厳格でないが、やはり酩酊は軽蔑される)から、これも文化が違うわけですね。また、先に述べたように、倒れる理由は飲酒に限らず、これが貧血ならどうか(これは病気で、自己責任とはなじまない)、ということも付け加えさせて頂きます。

マナーという面にもスポットを当てている報道があるのも救いです(ホームでの飲酒をなぜ禁止しないかというスポットのあて方はいままでにないものですね) 。

 これに関して少々。「ホームでの酒類販売・飲酒を禁止しろ」とのご意見、これはそれこそ自己責任の対極でしょう。飲酒運転とは違いますから、度を越さない飲酒は当人の責任で認めても良いはずです。もしも規制をかける、と言うのであれば、僕はとも様とはまったく逆に、これこそ日本人が自己責任を弁えていない最大の証拠と考えます。また、例えば上野駅ではワインつきの駅弁を売っていますが、これも禁止するのでしょうか。少なくとも鉄道が観光の手段として利用され、また移動手段としてのメリットの1つに「くつろぎ」が求められている以上、これも賛同は致しかねますね。

Re:今こそホームドアの大々的整備を(補論)
 投稿者--- とも氏 投稿日時: 2001年2月6日 00時58分

 ともです。こんばんは。

 まず、データから提示致しましょう。「AERA」2月12日の記事によりますと、都営三田線のホームゲート設置に掛かった費用は1駅あたり8000万円、これは業者が出血サービスで安く落札した(「東京都御用達」という信頼を買った面もあるでしょう)ようなのですが、1駅あたり1億4000万円あれば、業者としても採算が合うとのことです。都営三田線のホームは殆どが島式・対向式のホーム2線ですから、JRなどではもっとかかりそうですが、少なくともJRや大手私鉄が「出来ません」と言うような額ではなさそうです。

 この額がどうして「「出来ません」と言うような額ではない」のでしょうか。
 首都圏全部でホームドアを設置したとするといくらかかるんでしょう。
 1駅で1億4000万ですよ。全駅ともに2線ではないですから、各駅平均3線あるとして1駅2億円、1200駅で2400億円です。
これだけの負担を今の鉄道事業者ができますか?国土交通省が出せばとしても、2400億円もの予算をどこから出すんですか?道路特会ですか?それとも一般会計ですか?
 そもそも国民の言わば血税を使えるのですか?コンセンサスが得られますか?
 正直、理解できません。

 で、そもそもホームゲートを設置すべきかということですが、先ずハッキリさせておかねばならないのは、酩酊して線路に落ちたのは最初の犠牲者だけであって、関根氏や李氏が酔っていたわけではない(飲んでいたかもしれませんが、それはこの際無関係でしょう。正常に歩ける程度の飲酒は、何ら批判に値致しません)ということです。ですから、関根・李両氏が「迂闊」だったか、といえば、僕は「否」と言いたいと考えます。もしも両氏が「迂闊だった」と批判できるのなら、では「迂闊でない」合理的な対応としては「あ、ホームから人が落ちた。でも助けると危ないから見殺しだ」ということになってしまいます。確かにこれはこれで社会で生きる知恵と言えなくもないけれど、これが人としての「あるべき姿」なのでしょうか。

 何も、二人が酒に酔ってなどと言ったつもりはありません。
 僕が言いたいのは、この二人がなぜ助けるために飛び込まなくてはならなかったのかを言いたいのであって、この二人に対して管理人様の御意見のようなことはあるものの、決して批判するつもりはありません。

 確かに「過度の飲酒を慎め」というのは道徳律として正当なのですが、外国と日本とでは文化が違います。欧米が「酔っ払い」に厳しいのは、快楽を戒めるキリスト教文化の賜物と、もう1つ、そもそも白人は酒に強いから滅多に酩酊しないのです。「公共の場での飲酒禁止」はアメリカ合衆国の一部で見られる規制ですが、ではアメリカは過去、酒に対してどんな態度をとっていたかと言えば、愚劣極る「禁酒法」の国で(一部の自治体は「ドライ・タウン」などと称して、未だに撤廃していない)、こんな規制が日本に妥当するか、僕としてははなはだ疑問です。付け加えれば、イスラムの諸国はそもそも宗教的に飲酒禁止です(国によっては厳格でないが、やはり酩酊は軽蔑される)から、これも文化が違うわけですね。また、先に述べたように、倒れる理由は飲酒に限らず、これが貧血ならどうか(これは病気で、自己責任とはなじまない)、ということも付け加えさせて頂きます。

 ここは限度を問題にしたいんです。飲酒は個人の自由ですから、それを咎めるつもりはありません。ただ、限度とマナーを守るべきだと言うことです。
 「日本人は酒が弱い」とか「文化が違う」というのは言い訳にすぎません。
 まずは、酒を飲む以上、自分の限度を守って飲む、それだけのことです。

 一方、善意に関して言えば、日本の文化にあるべきものがないと言う悲しい実体ですから、これを啓発していくことが必要です。
 結局、病気の人の場合にも、同じことが言えますね。
 もし、病気などで転倒し、ホームから転落するような駅は改修すべきです。

 これに関して少々。「ホームでの酒類販売・飲酒を禁止しろ」とのご意見、これはそれこそ自己責任の対極でしょう。飲酒運転とは違いますから、度を越さない飲酒は当人の責任で認めても良いはずです。もしも規制をかける、と言うのであれば、僕はとも様とはまったく逆に、これこそ日本人が自己責任を弁えていない最大の証拠と考えます。また、例えば上野駅ではワインつきの駅弁を売っていますが、これも禁止するのでしょうか。少なくとも鉄道が観光の手段として利用され、また移動手段としてのメリットの1つに「くつろぎ」が求められている以上、これも賛同は致しかねますね。

 これも前の話と同じこと。僕も、ホームでの酒類販売を禁止しろとまではいいませんし、長距離列車などではかまわないでしょう。
 しかし、山手線のような通勤電車のホームでの飲酒は、他の乗客からすれば迷惑ですから、そういったところでは制限すべきということです。

 なんでも一律に制限するのではなく、めりはりをつけた規制をすべきということです。

 さらに言えば、自己責任と何らかの制限は相反するものではありません。
 自分の責任でやったことに対する責任を取ることと、最低限のマナー、常識として制限することは相関関係なんてないですよね(たばこと禁煙の関係と同じです)。

 ちょっと書き込んでますが、御勘弁を。
 ではでは。

Re:今こそホームドアの大々的整備を(補論)
 投稿者--- brother-t氏  http://members.jcom.home.ne.jp/brother/index.htm 投稿日時: 2001年2月6日 02時38分

 なんかすごいことになってますねぇ〜

 個人的にはホームゲートその物に関してはあまり賛成できません。というのは結局相互乗り入れの多い日本では、エル・アルコンさんのふすま案の様なものができたとしても、これを義務化してしまうと新駅設置の費用がそれだけで二億円も増えたら新駅設置に鉄道会社が躊躇してしまう気がします。あとこれが原因で相互直通が中止になるケースもあるでしょう。そう言った意味で得る物より失う物の方が多いな気がします。

【通勤列車】ユニット式ホームゲートの提唱 log010.html#3

 一見ホームでの酒類販売規制というのは理にかなってる気がしますが、これを行った所で駅の酔っ払いがどれだけ減るでしょうか?結局規制した所で駅の外で飲めるわけですから、結局規制する事で失う利益ほどの効果は得られ無い気がします。更に長距離列車のホームではという部分に関しても、横浜駅の横須賀線ホームのように実際長距離列車と近距離列車のホームが分離してない駅も多いのでその線引きは難しい気がします。

 ただマナーとしての部分は納得するのは両方と一緒です。もしこの事故の教訓を生かすべく何らかの活動を行うとしたらやはりこのマナーと言う意味での問題と、あとは上手い言い方が浮かばないのですがこう言った時に最善の対応をとれるようにするための広告活動でしょうね。ただこう言った事態で扇情的な報道をするマスコミが地道に広告するとは思えないのでその辺がなんだかなぁと思うわけですが。

「旅客の」安全は総てに優先する、はずでは。
 投稿者--- エル・アルコン氏  http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs 投稿日時: 2001年2月9日 21時49分

 お久しぶりです。

 この問題で、とある方から意見を伺ったのですが、危険なことが明白なのに対策が取られていないし、それが当然視されていることはやはり問題です。
 危険性が容易に予見できる場所で、安全対策が取られていないのに、施設管理者や運営責任者の責任が問われないのは何故かというところに立ち帰らない限り、今後も同種の事故が続くでしょう。

 発生する種類が特定できる危険性を予見でき、それに対する対応策も分っているのに、対策が取られない。しかもその理由がどうも物理的、構造上の理由ではなく、コストや経済性の問題であるというところはひっかかります。

 例えば企業活動において、安全対策の「コスト」は馬鹿になりません。
 だからといってその「コスト」を安全対策が骨抜きになる程度まで削減したり、ゼロにするという選択肢は有り得ません。
 安全対策不備による労災事故でも起こした会社が、「コストがかさむから」「経営上耐えられない負担だから」という理由を縷々述べたとして、それで納得してもらえることは絶対にないはずです。
 増してや労災事故のように「身内」の犠牲ではなく、「顧客」が犠牲になるという危険性を放置していることは、ある意味ものすごく恐ろしい事態です。

 公共交通で不思議なのは、今回露呈した安全対策もそうですが、バリアフリーの問題にしても、「コスト」が一種の免罪符になっていることです。
 そのコストにしても、1駅2億として、JREの東京近郊区間(拡大前)が全部で400駅弱だったはずです。無人駅も含んでの数字でも800億円。単体の経常利益が1000億円を超える会社にとって、果たして「どこから出す」というような大仰な数字でしょうか。近郊区間の閑散駅を除外し、地方主要駅に導入して1000億円程度でしょう。

Re:「旅客の」安全は総てに優先する、はずでは。
 投稿者--- とも氏 投稿日時: 2001年2月9日 22時28分

 ともです。

 この件に関しては、ちょっと僕も感情的になってしまいました。
 失礼しました。

 ところで、エル・アルコン様の意見はその通りと思います。
 ただ、やはりホームドアの全面整備には賛成しかねます。

 ホームドアについては、もちろんあればあったで良いとは思いますが、整備をするのであればやはり、メリハリをつけた整備を考えるべきでしょう。
 たしかに、設置費用はクリアできるとしても、ランクを考えるべきでしょう。
 例えば、新宿や池袋、渋谷のような利用者も多い主要駅には設置するが、ホームが広く、特に問題とはならないような駅には設置しないといったことを考えて行くべきです。
 私鉄などでは、ダイヤ上のメリットも大きい、優等通過駅での設置が良いかも知れませんね。

 #それこそ、池に柵を張り巡らせるようなことはできる限り避けましょう。

 ちなみに、新幹線などではホームドアがあったにもかかわらず、転落事故が発生したこともありますし、万全な対策はありませんから、やはり乗客へのマナーの訴えも必要でしょう。
(目黒線のホームドアの内側にあえて入った酔っぱらいもいるんで、キリがないんですが。(苦笑))

元・現場人の愚考
 投稿者--- 氏 投稿日時: 2001年2月9日 22時28分

 お元気ですか?Pでございます。

 ホーム上での酒類販売規制について…
 えー、私、かつてホーム上で水商売をいたしておりました。(決していかがわしいものではありません^^立ち食いのうどん・そば・きしめん<地域色が…>スタンドで、軽い一杯飲み屋も兼ねていたと言ったら通じましょうか。)売上ははっきり言って「ちりも積もれば…」の言葉通り、凄まじいものです。そして、酩酊のお客様が転落…も経験があります。その時は駅員さんがすぐ発見してこと無きを得ましたが、それでも間一髪だったように記憶いたしております。日本人の民族性と言いましょうか,キオスク等駅構内から酒類を排除することとなったら,業界からは反発と悲鳴と怒号の声が,間違いなく!あがります。それに(個人的な意見ですが…)お酒と車窓の相性が良い場所と言うのは全国至る所にあるわけで…その…(以下略^^;

 ホームドアについて
 全面的な設置というのはやはり厳しいものがあるように感じますが、今後の新幹線の通過駅、歓楽街近傍駅もそうですが、児童が多く利用する駅にも必要でしょう。そもそもホームドアの起源は、新幹線開発者である島秀雄氏のご家族がごった返すホームから転落して轢死したことが設置の発端になったわけです。常にこういった危険は鉄道にはつきものですが、排除できる危険なわけですから、良い方法を模索する意義と必要性は多分にあるように感じます。なにより、現場の目撃者でしたから、私(今回の事故の、では、ありませんが)。
So Long.

酒類販売を考える
 投稿者--- 551planning 投稿日時: 2001年2月6日 00時37分

 最近「引用ッ子」のコマッタ管理人でございます…。法学部卒のハシクレとして著作権法の存在は理解しておりますが…「個人で(議論を盛り上げて)楽しむため(のツールとして)」利用させて頂いている点、予め御了承下さい。

 で、引用でス…。

駅で酒を売る愚かしさ【矢作俊彦(作家) 2/4朝日新聞朝刊 eメール時評より全文】

 新大久保駅の事故で、多くの人がJRの安全管理体制を問題にしている。ホームに1人も係員がいなかったなど、論外だ。
 しかし、すべての駅にホームドアをつけろという意見は、どうかと思う。これこそ本末転倒ではあるまいか。公園の池に子供が落ちたからと言って、池に柵を巡らせ、池を市民から隔離するのと同じ愚の骨頂だ。
 今回、最初にホームへ落ちた人はしたたかに酔っていた。駅に売店で買ったカップ酒をホームで煽っていた。聞けば、駅でホームに落ちる人の大半は酔客である。たとえ山手線、中央線だけでも、ホームドアなど全駅に設置するとなると莫大なコストだ。当然、利用者に跳ね返る。このような社会コストを負担する必然が、どこにあるのか。
 何より、酒の販売をやめるが先だろう。先進国では日本だけだ。今回の場合、売店で売られたカップ酒と、この3人の死にははっきりとした因果関係がある。
 それに関して、JRが道義的責任を感じている様子はない。記者会見では、長距離客へのサービスであり、現実にやめるのは難しいと言って恥じるところがない。これは詭弁だ。酒の売上は、年間100億円以上に上るという。間違いない、利益のために人の安全を犠牲にしているのである。普通、長距離列車は車内で酒が買えるものだ。だいたい新大久保のどこから、長距離列車が発車するのか?
 ホームドアなど短絡する前に、まず酒の販売をやめさせるべきである。国鉄時代から、かれらのコスト計算は「人間」が最も安く見積もられているのだ。

参考 矢作俊彦公式?ページ http://www.qqnet.com/user/test/index.html

 寡聞にしてこのハードボイルド作家氏のことは知らないのですが、文章全体のニュアンスは理解できるような…(言葉尻で突っ込んであげないで下さいな)。

 それはさておき、改めて強調しておきますが、「ギョーカイ」に関わりのある方なら「軌道内立入厳禁」の主旨はおわかり頂けると思います。確かに目の前に転落者がいて…という状況下に置かれた際に「助けない」という行為が道義的にどうか、ということがありましょうが、では時の凡才首相に「日本の今の若者には…」と云わしめたり、黙っていても義捐金と称しておカネが集まり、方や原因を作ったであろう酩酊転落者は犯罪者ぎりぎりの報道がなされているという現状をどう説明するのでしょうか。

 話を戻して。酒類販売は直ちに販売中止ということでなくとも、やはり考えなければならないことでしょう。営団地下鉄の売店では事故前から未成年者には販売しない旨の張り紙がされており、問題になったのでしょうね。そうでなくとも街中でいとも簡単に酒類が購入できる状況は(先進国と限らず)珍しい方でありましょう。
 しかし100億円も売り上げているんでしょうかね…?事実ならば凄いッスねぇ。多額が税金で取られるとはいえ、いっそこの売上を基金としてホームドア設置・維持費なぞ簡単に捻出できそうではないでしょうか?グリーンマークならぬ「ワンカップを集めてホームドアを造ろう!」ってな。

 すべての人に優しい公共交通のあり方を考えるとき、必ずどこかで破綻します。確かに理想は最大公約数を満たす事になるのでしょうが、日々の痛勤輸送に追われて最小公倍数ぎりぎりのところでのサービス提供にとどまっているのが大都市鉄道各社の現状でしょう。しかも容赦なく需要=収益性は落ち続けてけているのです。100億を稼ぐ「サービス」を手放すのは惜しいのが偽らざる本音でしょう。「ホームドアを付けるのでこれこれ値上げします」と云えるのか…。難しい判断が迫られつつあります。

大久保ホーム転落事故は日本の公共交通政策の貧弱さをあらわす事件
 投稿者--- davy氏 投稿日時: 2001年2月6日 23時03分
新大久保ホーム転落事故は日本の公共交通政策の貧弱さをあらわす事件
└Re:新大久保ホーム転落事故は…

 こんばんわ

 新大久保の事件で盛り上がっていますが、私は皆さんの意見を見て違う意見を持っていますので、別スレをあげさせてもらいました。

 「新大久保事件」では「泥酔客」がクローズアップされていますが、線路に落ちる客の多くは「視覚障害者」等の「交通弱者」であることを忘れてはいけないと思います。
 交通弱者は連結部に落ちたり、戸袋やホームと車体の間に挟まれたりと交通弱者には本当に「優しくない」のです!!!

参考 http://www.dinf.ne.jp/doc/prdl/jsrd/rehab/rhb001/r070_033.htm

 今の鉄道企業に「常時駅員配置」というのは無理でしょう。
 今の駅構内の環境(人員配置が不可能な現状)を勘案してもホームドアは付けるべきだとは(私は)思いますが・・・

 交通弱者を無視した公共交通は役割は終わったも同然です。
 バリアフリーと喧伝してはいるけれど、異常なほどのラッシュ、乗客マナーの悪さ、公共交通に関わる人間の対応の悪さ、謙虚さ・真摯さの無い態度は認可事業であるところの公共交通の使命を忘れていると思います。

 国土交通省の公共交通政策は抜本的に改革しなければ日本の公共交通は壊滅する!
 私は強く警告する!

 日本の交通政策が改革されなければ、流通や金融で巻き起こっている外資の風を取り入れて淀んだ空気(=旧態依然とした公共交通政策)を打破しなければいけなくなるだろうと私は思う!

 今度の選挙(千葉県知事選・国政選挙)には、交通政策を重点的に聞いて投票しよう!
 千葉県民の交通権という基本的人権がいかにして守られるかがポイントだ!

Re:新大久保ホーム転落事故は日本の公共交通政策の貧弱さをあらわす事件
 投稿者--- とも氏 投稿日時: 2001年2月7日 00時11分

 ともです。はじめまして。
 いわゆるおおくくりの「ぎょーかい」(公共交通)に関わる仕事をしているものとして、一つ反論を。

 確かに、今の国土交通省の公共交通政策には中途半端な規制緩和、バリアフリーと言えばエスカレーター、エレベーターぐらいしにしか考えていないのではないかという旧態依然とした政策があるのはまったくもってそのとおりです。さらにいえば、混雑緩和についても遅々として進まない複々線化や駅の改良をみるにつけ、なんとかならないものかと思います。

 ただ、これは金融や流通のように商売の仕方どうこうと言うものではないので、外資なり海外なりのものを入れたところで何も変わらないでしょう。
 さらに言えば、今の規制緩和論者の考え方でいけば、バリアフリーのように費用対効果が得られないようなものは不要と言うことにだってなります。

 それよりも、他のところでも書かれているように、乗客のマナーなどのソフト的な面での問題の方がよっぽど重大です。
 例えば、点字ブロックにしても、ホームにビッチリと設置してあるのは日本ぐらいなものです。(諸外国では車掌室付近や決まった位置に誘導するよう設置している。)
 欧米だけではなく、諸外国では他の乗客が手助けするのが当たり前のことですから、ホーム全面には必要がないんです。点字ブロックが全面に貼っていることを誇りに思ってる方がいるようですが、海外では笑いの種だということをよく考えた方がいいです。点字ブロックがバリアフリーと思ったら大間違いです。
(点字ブロックがすでにあることに関しては、いまさら不要とは言いません。視覚障害の方には必要なものだということはわかっています。)

 これは国なり県なりの政策どうこうではなく、各個人の問題だと思います。
 あとは、公共交通に対する国民の考え方です。諸外国ではあたりまえの都市内交通の公営化などはいまの日本では考えられません。そんなことをしては規制緩和に反するとされるでしょう。そういった面も障壁になっていることを忘れてはなりません。
 さらに言えば、鉄道の改良に対する沿線住民の非協力的な対応や反対運動、駅前へのバスの乗り入れへの商店街の反対などのいわゆる「エゴ」も結果的に公共交通の改良への障壁になっていることもかんがえましょう。

今度の選挙(千葉県知事選・国政選挙)には、交通政策を重点的に聞いて投票しよう!
千葉県民の交通権という基本的人権がいかにして守られるかがポイントだ!

 僕は千葉県民じゃないので、よそ者ですから邪魔ですね。でもちょっと一言だけ。
 ただ、交通政策=公共交通じゃないですよ。
 道路交通と公共交通の両立、使い分けをどう考えるのか、都市政策をどう考えているのか、福祉に対しても、ただのばらまき型ではなく、住宅、交通、都市政策でのケアをどう考えているのか、そういったことをかんがえましょう。

駅の駐輪場に関する私見…駅整備に異議あり!
 投稿者--- 打越健太郎
 投稿日時: 2001年2月27日 02時57分
駅の駐輪場に関する私見…駅整備に意義あり!
└Re:駅の駐輪場に関する私見…駅整備に意義あり!

 こんばんは。打越健太郎です。今日は駅に関する意見を少々…

 最近は駅の整備が盛んです。バリアフリーなどということもあって、少しでも利用し易いような駅にしよう、ということなのでしょう。これ自体は高く評価致します。で、標準的な駅としては、駅舎を高架化し、1階にバスターミナル、地下に駐輪場といった所でしょうか。僕の地元の水戸駅では、まさにその形をしています。以前、出張で参りました豊橋駅も全く同じでした。ホームと駅舎(2階)との間にはエスカレーター・エレベーターなどが設置され、また気の利いた駅だと、1階のバスターミナルにもエスカレーターで降りられるようになっています。一見すれば、実に使い勝手の良い駅、と言うべきでしょう。
 しかし、この形態の駅には、実は大きな弱点があります。僕はあまりクルマを使わない代わりに、自転車で駅に乗り付け、ここから電車やバスを利用する機会が多いのですが、地下の駐輪場に自転車を運び込む事の大変さと言ったら… 階段に並行して自転車用のベルトコンベアーが設置されていますが、これに自転車を載せても、やはり自転車の上げ下げはかなりの力仕事です。加えて、時間も掛かるので、電車に乗り遅れてしまうことさえあります。一方で、駅前の広い広いバスターミナルはバスに占領されているものの、駅の手前にある信号機のせいで、酷い時には2分も待たされてしまいます。で、列車に乗り遅れないように(禁止されているにも拘らず)バスターミナルを走って突っ切る人の多いことと言ったら…本当はバスのホームからは歩道橋を渡ることになっているのですが、余程のラッシュ次以外、誰もそんなことはしておりません。みんな、禁止されている構内横断を平気でやっているのが実態です。
 僕に言わせれば、こういった駅を設計した人は、実際にはバスターミナルや地下駐輪場など、使ったことも無いのでしょう。だから、こんなに使い勝手の悪い駅を造るのでしょうね。では、どうすれば良いのか? 以下に私案を申し上げます。

1)駐輪場は1階に
 駐輪場が地下にあるというのは、自転車を持ち運ぶ人間の身になっていません。駅前のバスターミナルをこそ、駐輪場にすべきであります。こうすれば、駅を利用する場合、駐輪が容易になりますし、それがひいては違法駐輪を減らし、鉄道の利用者を増やすことにもなるでしょう。

2)バスターミナルは地下に
 上記のことからも推測できると思いますが、バスターミナルは地下に設け、加えて駅前の道路(無論、信号機の手前)からのバス専用の誘導路も儲けるべきです。バスは自動車であり、勾配を上り下りするのに何らの労力を必要としないのですから、これで良いはずです。また、駅前で2分も待たされるのは、バス利用者にとって迷惑極り無いことです。バス優先信号、という手もありますが、信号に煩わされないバス誘導路のほうが、他の自動車の迷惑にもならずに済むでしょう。加えて、地下ならば面積にゆとりを持ったバスターミナルを建設できます。歩道橋でしか駅に到達できないホームなど作らずとも、全てのバス発着場を、同一直線上に並べることが出来るでしょう。乗換も便利になりますね。無論、地上や、2階改札口と繋がったペデストリアンデッキとバスターミナルとの間は、エスカレーター・エレベーターで結びます。

3)地下にも改札口を
 改札口が2階にあること自体は結構ですが、バスターミナルが地下に移ってきた以上、地下にも自由通路を兼ねた改札口を設けて欲しい所です。列車のホームや、地上の駅前広場・駐輪場からはエスカレーター・エレベーターなどでバリアフリーを確保します。バスターミナルとはもとより同一平面ですから、鉄道とバスとのシームレスにも有益です。なお「改札口を増やすと、駅員の増加が必要では?」との疑問が予想されますが、近年の自動券売機・自動改札機は何のための発明かと問い返したい所です。改札口が2箇所になっても、それぞれに最低1名の駅員さえいれば済むのですから、このくらいのことは出来るはずです。

 以上、利用者の立場に立った「真のバリアフリー・シームレス」の為の私案です。皆様のご意見、ご批判等を賜りたく存じます。

Re: 駅の駐輪場に関する私見…駅整備に異議あり!
 投稿者---とも氏 投稿日時: 2001年2月27日 12時57分

 こんにちは。とも@昼休みです。

 さてさて、打越様の意見、厳しいですね。交通計画を生業にし、駅前整備の設計を実際に行うこともある一技術者としてはかなり痛いところを突かれた気がします。
 とはいえ、自己弁護が入りますが、いくつか反論を。

 まず、橋上駅舎化、交通広場(バスターミナル)整備というものは一体不可分なセットものですね。
 ここに駐輪場はとなると空いているスペースが地下になるということになりますから地下に整備される事例が多いですね(最近は鉄道の横に平面もしくは立体が多くなっていますが)。
 究極の(理想的な)駅整備の形というのは、鉄道を高架にして、改札コンコースとバス乗り場、自動車乗降場、自転車駐輪場をすべて同一レベルで整備することです。
 それができれば、バリアフリーの観点からも利用者利便性からも問題はありません(それを実現したのが松江駅ですね)。

 しかし、鉄道高架化自体に市民側からの反対が多いこと、鉄道事業者の莫大な負担があることから困難なものです。しかも駅のためだけに高架にするというのは投資効果や周辺都市計画との整合から見たら無駄とも思われます。
 そこで、鉄道事業者側の負担を極力抑え、かつ駅の表裏の均等な発展を目指す構造として橋上駅舎化があるのです。
 ちなみに、駅舎及び駅前の整備については、行政(一般会計・道路特会それぞれの補助制度があります)と鉄道事業者の共同負担が基本です(一般的に改札内、切符売り場などの鉄道営業に関する部分は鉄道事業者、自由通路、改札外階段、交通広場は行政負担が多いようです。なお、JR駅に関しては旧建設省と旧運輸省の間で協定があり、ここでは駅前広場建設費の1/6までを鉄道事業者(=JR)が負担することになっています )。

 橋上駅舎による問題は打越様が書かれていることはまさしくそのとおり。実際、こういったことに携わる人間は皆わかっています。しかし、自治体の限られた予算の中でこういった大規模事業をやるには、ある程度目をつぶらざるを得ないこともあります。
 地下駐輪場にしても、平面では用地費というものが必要であり、この取得を考える(費用ではなく、地権者の協力という最も難しいもの)と地下が良いということになるのです。
 そういった実状があることを理解してください。(ほんと自己弁護ですね。(笑))

 「都市交通に関しては費用だけで評価するのはおかしいと言っているではないか!」と怒られそうですが、僕としては、どの交通モードを入れるのかといういわば「マスタープラン」は多少コストがかかっても、本来の「あるべき姿」から入るべきだし、都市の施設そのものの整備、いわば「各論」はコストや用地制約などを考えていくべきと思っています。
 そうしなくては、理想的な都市構造を形成するという交通計画になりません。

って話が飛びましたが、では、それぞれに反論を。

 1)駐輪場は1階に

 1階に駐輪場を設置することは自転車利用者からするとかなり利便性は高くなりますが、駅前の平面といういってみれば貴重な空間を自転車駐輪場に使うのはもったいないという発想があります。
 なぜなら、駐輪場については、機械化や2層化をしなくてはべらぼうな面積が必要になるものであり、結果的に上下動がつきまとうことが多くなります。また、駅前の商業発展から考えると用地活用としては不適当です。

 2)バスターミナルは地下に

 バスターミナルを地下にすると大規模構造物になり、工事費がべらぼうなものになります。相当なバス路線数があり、かつ市街地内でのバス専用道路、将来の軌道系への発展などが考えられるのであれば良いのですが、都市近郊や地方駅などでは非現実的です。
 また、一般車の扱いやタクシーの扱いなどの問題が残ります。さらにはバスが地下に入るためには斜路(平面から地下までの坂道)が必要ですが、バスターミナルを地下に設置するとなると深さ7m程度は必要ですので、単純に斜路延長はアプローチを含めると100m近くになり、相当な影響があります。

 3)地下にも改札口を

 地下にバスターミナルがある駅では良いのでしょうが、一般的に線路地下に改札コンコースを設けるとなると相当な費用と、鉄道側への影響が考えられます。
 さらには、橋上駅舎化にくらべ、メンテナンスコストの増大、防犯上の問題(24時間解放の通路にできないことも考えられる)などがあり、相当な利用者数が無いと不可能でしょう。

そこで、対案です。

1)駐輪場は機械式もしくは立体化で鉄道線上に設置
 
駐輪場の坂の上り下りはたしかに大変です。そこで、ベルトコンベアやエスカレータ(ショッピングセンターにあるようなもの)によって上下動を楽にした上で、鉄道線上改札前に設置します。

2)バスターミナルは平面。タクシー・一般車とバスは分離
 
バスターミナルの横断問題は、バスベイの配置に問題があります。地方駅の場合、バス降車スペースと乗車がごっちゃになっていることが多く、そのためにアイランド形式のバスベイ(歩道橋や横断歩道でのアクセスが必要になるバス停のこと)が増加します。
 そこで、降車スペースと乗車を明確に区分し、極力道路横断すること無く乗車が可能なような工夫が必要でしょう。
さらに、タクシーや一般車の送迎スペースを設け、キスアンドライドなどの需要に応えましょう。

3)改札口は橋上のみ、駅前道路まではペデストリアンデッキを整備
 
改札口から同一レベルで駅前広場反対側に行けるデッキ(歩道橋)を整備し、さらに歩道橋を周辺の商業施設と直結させます。
 また、自転車はデッキ上からそのままメインストリートの自転車道部にアクセスできるような構造とし、道路横断を減らします。

 まずはこんなとこでしょうか。
 さらに言えば、バスターミナルを2階鉄道上に上げるのがもっともバリアフリー的には好ましいとも言えます。
 これは日本ではあまり例がありません(どっかにはあるんでしょうが(笑))がドイツ、香港、オーストラリアなどでみられる形態で、鉄道上にバスターミナルを設けるとともに、駅前の商業ビルの2階と直結させ、歩行者の歩行抵抗の軽減を図ります。
こんなのがあるとかなり利便性は向上しますね。

 長くなりましたがまずは反論を。
 ではでは。

2005.03.13 Update


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