【検証:】中量板過去ログ集

【検証:近未来交通地図】<中量輸送システムの明日…>
(過去ログNo.348)
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どの様な所にLRTを整備するのが適当か?
 投稿者---TAKA氏(2002/08/24 21:46:14)
どの様な所にLRTを整備するのが適当か?
└簡単なコメント
 └私の導入モデルの説明補足
  └Re:私の導入モデルの説明補足
   └何処にLRTの導入モデルを求めたらいいのか?
    └Re:何処にLRTの導入モデルを求めたらいいのか?
     └Re:何処にLRTの導入モデルを求めたらいいのか?
LRTの前提の東京の都市計画
 └都市計画は一日にしてならず。プラス思考で考えませんか?
  └都市計画の過去と未来
   └Re:都市計画の過去と未来
    └都市計画の成功と失敗と過去と未来

 今晩はTAKAです。又新規スレッドを起こさせて貰います。
 皆さんの議論を伺って、何がLRTか?=LRTの定義は大体分かりました。

LRTの定義をやってみましょう log346.html

 では具体的に何処にLRTを作ればいいのでしょうか?
 皆さんインターネットの掲示板なので色々な所に住んでいるのでなかなか特定の場所を対象に議論すると、分かる人がすくなくなるとは思いますが、具体的な導入に望ましい場所をあげて議論すると分かりやすい様な気がしますが如何でしょうか?
 皆さんの住んでいる所や知っている所でLRTに導入するのに好ましい所の心当たりは有りませんか?
 出来れば教えて頂きたいと思います。

 で私は東京に住んでいて東京の中心〜西部地域と神奈川地域は仕事等でうろうろしていますので、知っている地域はその地域になりますが、その中で構想・計画として新線計画があり其処で普通鉄道等でなくLRTの導入が好ましいと思われる地域が2ヶ所思い当たります。

(1)川崎縦貫鉄道(新百合ヶ丘〜宮前平〜元住吉〜川崎)
 事業費が7000億円もかかるのに地下鉄を導入するほどの需要があるのか疑問だし、導入空間として尻手〜黒川線(片側2車線が大部分の道路)がある、その上に小田急多摩線・京急大師線という大都市の準ローカル線とも言える路線に乗り入れの計画があり影響範囲を広範囲に広げられる(両線はラッシュ時以外LRTはサブの乗り入れにして、メインは普通サイズの車両にすれば輸送力的には賄える?もし賄えなければホームtoホームの接続でも良いのでは?)
 その上川崎縦断の路線として南武線もあるから川崎縦断鉄道はサブ的なLRTでも十分では?

(2)エイトライナー(赤羽〜練馬春日町〜練馬高野台〜荻窪〜高井戸〜八幡山〜蒲田〜羽田)
 未だ構想しかないが、今でも大部分はバス輸送で賄われている地域である。
 鉄道が有れば便利であるがどれだけ需要があるかが疑問である。
 導入空間として環状八号線がある。しかし東京でも名うての渋滞路線であるから、LRT導入空間整備と同時に道路の通過流動用の道路整備も同時に行えれば効果は倍増になる(幾ら掛かるか不明だが、(多分莫大に費用は掛かると思うが…)井荻トンネルみたいに通過交通用の連続立体道路を造り、今の道路は側道と地域道路的使い方をして真ん中2車線をLRT用に転用すれば、道路交通も大幅に改善でき環状鉄道も整備できる)。
 環状八号線沿線で、駅が道路に面しているのは、練馬春日町・練馬高野台・井荻・高井戸の4駅に過ぎずそれ以外は多少又はかなり道路から駅が引っ込んでいるので、柔軟な路線設定が可能なLRTなら、駅前道路整備等が費用がかかる物が必要かもしれないが、通常鉄道や広義LRTより簡単に駅直結に出来る。

 そんなにLRTに詳しくなく、又一部の地域しか知ら無い私ですが、一応LRTの導入が好ましいと思われる例を考えました。色々批評の余地等が存在すると思います。逆に批評を受けたいと思います。そうしないとこの案が間違っているのか?この案が本当に実現可能なのか?この案は広義LRTや地下鉄で整備すべき物なのか?等が分かりません。皆さんの意見をお待ちしております。

簡単なコメント
 投稿者---矢切氏(2002/08/25 13:49:16) http://www3.ocn.ne.jp/~skylark7/

川崎縦貫鉄道
 導入空間として尻手〜黒川線(片側2車線が大部分の道路)がある

 朝ラッシュ時に渋滞に巻き込まれるようなシステムだと利用者数が大きく減ります。
 もろに渋滞に引っかからないシステムにするとしても、トラム的LRTならある程度の信号にはひっかかってしまう。
 通勤時の速達性こそ想定される利用者の多くが願っていることでは?
 また、上記の片側2車線の道路、1車線つぶしても大丈夫でしょうか?

エイトライナー
 LRT導入空間整備と同時に道路の通過流動用の道路整備も同時に行えれば効果は倍増になる。

 これは何年も前に私が「車線増&高速バス網整備」を主張したんですが、車線増は駄目だと蹴られました。
 尼崎の道路公害訴訟で国側の責任が明らかになったことからも、環八にこれ以上車線を増やすという解は認められないと思います。

 また、どうせなら数km郊外側、これから作る「外環道」との一体整備の方が良いかもしれません。

私の導入モデルの説明補足
 投稿者---TAKA氏(2002/08/25 19:54:58)

 矢切様TAKAです。コメント有り難うございます。確かに仰有られる事も有ると思います。
 私もまずLRTありきとは考えていませんが、出来るだけ選択肢の一つとしてLRTを考えたいとは思っております。それで矢切さんの御提示のお話しにちょっとコメントさせて頂きます。

川崎縦貫鉄道
 朝ラッシュ時に渋滞に巻き込まれるようなシステムだと利用者数が大きく減ります。
 もろに渋滞に引っかからないシステムにするとしても、トラム的LRTならある程度の信号にはひっかかってしまう。
 通勤時の速達性こそ想定される利用者の多くが願っていることでは?
 また、上記の片側2車線の道路、1車線つぶしても大丈夫でしょうか?

 確かに定時制が保証されない事は問題でしょう。しかし準並行路線に南武線があり川崎まで完成後も20m6両で賄える(本当にそれだけ乗客もあるのかも疑問ですが・・・)川崎縦貫鉄道に大型地下鉄が必要なのかは私は疑問です。定時制に疑問なら北部市場・東名高速川崎IC入口・宮前平駅前・元住吉駅前等の道路が狭かったり渋滞が想定できる所だけLRTを地下や高架の専用軌道にすればいいのでは無いでしょうか?
 又尻手黒川線を片側1車線潰すのは確かに問題かもしれません。しかし地下鉄には7,000億円の整備費用がかかるので、整備費用の浮いた部分に関しては道路整備(尻手黒川線拡幅や周辺道路整備)に投入するのも一つの策であると思います。それか自動車交通の削減策を行い其処で減った分をLRTに当てるのも策であると思います。どちらにしても都市計画を総合的に考えその中でLRTを含む鉄道交通と道路交通等のあり方を考え実行していくべきでしょう。LRTが全てではないとは思います。

エイトライナー
 また、どうせなら数km郊外側、これから作る「外環道」との一体整備の方が良いかもしれません。

 確かに外環道と一体整備するのも一策であると思います。しかし外環道は何時になったら出来るのかが分からないのが欠点ですし、外環道は放射状にあるJR・私鉄線の駅と駅の中間点を通るルートであったと思いますので、LRTを整備するのなら外環道より環状八号線の方が既成放射鉄道線への接続は取りやすいかと思います。
 私がLRTと同時に整備する環状八号線の道路交通整備策は地下へ片側2車線の地下道を整備し、通過交通を其方に誘導するという策です。地下で有れば換気塔が必要になりますが、換気塔に空気浄化設備を整備すれば結果的に空気の浄化と騒音の防止(地下に潜れば当然騒音は減る)になりますし、渋滞名所の交差点(環八中の橋・瀬田等)も立体化され渋滞も解消され一石二鳥であると思います(地上との出入り口の整備が難しいとは思いますが・・・)。
 確かに環状八号線で単純な道路拡幅はもう不可能です。地下では莫大な費用がかかりますが、環状七号線西側・環状八号線は渋滞の名所ですから、これと首都高中央環状線を合わせて整備すれば道路交通はかなり改善されるでしょう(こう考えると環状六号線を使い池袋〜要町〜椎名町〜中井〜中野坂上〜初台〜大橋〜中目黒〜大崎も有力な整備先かもしれません。環状六号線は40m道路に拡幅されますし、首都高は地下ですから・・・)。
 これらの組み合わせでLRTを便乗的に整備するのはダメでしょうか?

 確かに東京は大都市過ぎるのでLRTでは輸送力が足りない所が多く出てくると思います。
 しかし道路交通も整備しないと東京はパンク状態ですから、それに都市計画を調整して便乗して総合的に道路とLRTを整備するのも一つの方法ではあるのではないかと思いますが・・・如何でしょうか?

Re:私の導入モデルの説明補足
 投稿者---とも氏(2002/08/27 00:24:56)

 ともです。

○川崎縦貫鉄道
 既存の都市計画との整合性を無視するとして考えるのならありえましょう。私も考えたことがあるものです。
 しかし、都市計画との整合を考えると、尻手黒川線は中原区から片側1車線道路であり、しかも既成市街地です。さらには川崎市で数少ない南北の幹線道路であって、道路としてのネットワークに欠けます。道路幅が20m〜25m程度であり、実質的には4車線の幅員が確保できない(大型車が2台併走できない)区間が長くなるおそれも否定できません。そうなりますとやや影響が大きいかと。
 また、大師線との関係もありますし、LRTにするぐらいなら・・・とも感じます。いっそ京津線と京都市交東西線のようなスタイルもあり得ますので検討に値するとは思いますが、どうでしょう。南武線との競合関係は田園都市線以南であって、以北ではバス網で現在カバーしていますが、ギリギリの状況であること、今後も開発の余地があること、新百合ヶ丘付近の整備を考えるとLRTではやや力不足かなとも感じます。

○エイトライナー
 環六ですと大江戸線、井の頭線、山手線とやや機能がかぶります。
 しかも品川線区間ではシールド工法を採用する可能性もあり、その場合には拡幅はやはり外環と同じように未来永劫拡幅がないかもしれません。
 そうなるとやはり環八なんでしょうが、環八を地下にするとなると結構大変かと。混雑ポイントだけを立体化するとしても、そもそもLRTを入れれば車線減ですからその部分が新たなボトルネックとなります。

 混雑区間の道路をなくすことで渋滞が緩和するという話がありますが、東京ほどの都市ではなかなか厳しいでしょう。

 確かに東京は大都市過ぎるのでLRTでは輸送力が足りない所が多く出てくると思います。
しかし道路交通も整備しないと東京はパンク状態ですから、それに都市計画を調整して便乗して総合的に道路とLRTを整備するのも一つの方法ではあるのではないかと思いますが・・・如何でしょうか?

 道路拡幅とLRT整備の一体整備は十分可能性があるものだと思います。
 ただ、それならば外環や圏央道などの広域迂回がなくては難しいでしょうね。
 じっくり検討したいです。特に環八はいろいろ考えたいところです。

 では

何処にLRTの導入モデルを求めたらいいのか?
 投稿者---TAKA氏(2002/08/27 01:04:25)

 今晩はTAKAです。とも様コメント有り難うございます。

 混雑区間の道路をなくすことで渋滞が緩和するという話がありますが、東京ほどの都市ではなかなか厳しいでしょう。

 こう考えると東京近郊では、東京でのLRTの導入は

  1. 輸送力が中途半端

  2. 道路に導入空間が乏しい

  3. 都市計画においてLRTを導入する事で都市改造の起爆剤となる様な都市計画が不可能に近い状況である

と言う理由でなかなか難しいかもしれません。
 LRTの定義でも都市計画が重要な要素として上がっていましたが、私の私見では東京は「都市計画が都市の発展に伴わなかった都市」と言えると思います。
 本来なら都市計画で用途と都市デザインを決めそれに従い都市が開発されていくのが理想であると思いますが、東京は都市計画が後付で現況を追認して制定されてきたと思います。今の東京では大地震か核爆弾でも落ちて更地にならないと都市としての大規模な改造は不可能でしょう(非常な極論で非難を受けるかもしれませんが、東京の都市改造で平時に成功したのは明治時代の「東京市区改正条例」しかなく、その後の東京を決定付けた都市計画「帝都震災復興計画」「帝都戦災復興計画」はどちらも大震災・空襲が発端になっています。永久構築物が昔より圧倒的に増えた現在では東京という都市を決定的に改善するには上記の様な極限の状況が来ないと不可能で、現在では現況の対処療法の継ぎ接ぎの再開発計画しか不可能ではないかと思います)。

 ですからLRTに相応しいと考え、私も2つの案を提示しましたが障害が多いとも考えましたが、皆さんのご指摘の通りなかなか難しいと思います。
 そうなると東京以外の都市にLRTの導入モデルを求めざる得ないかと思います。そうすると私は東京以外知らないので全然分かりません。
 何処かにモデルになる様な例の都市はないでしょうか?
 やはり既存の軌道系の交通機関がある岡山・広島・熊本等にモデルを求めざる得ないのでしょうか?
 LRTの導入が都市計画上での都市改造の起爆剤になる材料の一つではあると思いますが、完全に壁にぶつかっている感じです。
 皆さんの御意見をお聞かせ頂けると幸いであると思います。

Re:何処にLRTの導入モデルを求めたらいいのか?
 投稿者---KAZ氏(2002/08/27 10:47:26)  http://www5b.biglobe.ne.jp/~ktnh/momo/

 どうもです。少しだけ・・・

 LRTの新規導入構想がある程度まとまっている地方都市としては宇都宮がありますね。こちらは環状道路の整備や都心地区の開発について、かなり明確なビジョンがあるようですから、完全な新規導入のモデルケースとなるのではないでしょうか。過去に全廃した軌道の復活なら金沢がありますね。

 宇都宮なんかは、かなり突っ込んだところまで話が進んでいますから、ここを掘り下げればいいんではないでしょうか。

Re:何処にLRTの導入モデルを求めたらいいのか?
 投稿者---とも氏(2002/08/27 11:30:30) http://town-m.vop.jp/

 ともです。

 LRTの定義でも都市計画が重要な要素として上がっていましたが、私の私見では東京は「都市計画が都市の発展に伴わなかった都市」と言えると思います。

 都市計画という点で見れば、東京の「都市計画」の計画そのものはそれなりに策定しています。用途規制や再開発などは実に明確であり、東京西部のいわゆる高級住宅地と呼ばれる大田〜杉並にかけてのエリアは区画整理も行なわれ、都市計画としてそれなりの完成度を見せています。
 一方、道路に関しては計画だけなんです。実効性が無いという悲しい実態があります。つまり計画倒れなのです。
 都市計画があって都市の発展があるべきであり、現にわが国でも横浜市のような強い都市計画規制を実施した自治体もあります。
 しかし、東京においては計画的な発展の前に急激な経済成長により後追いになってしまったという点は見逃せません。
 都市計画が都市の発展に伴わなかったというよりも、都市の発展が都市計画よりも速いスピードで進んでしまったと解するのが適正かと感じます。
 都市の発展がタイムラグで現れた川崎や横浜はそれなりの公的コントロールにおける開発が行なわれていますし。

 本来なら都市計画で用途と都市デザインを決めそれに従い都市が開発されていくのが理想であると思いますが、東京は都市計画が後付で現況を追認して制定されてきたと思います。

 都市計画は2面性があって、一つはさらな状態からの理想系の構築と現状追認をベースにしての理想的なものに近づけるものです。
 東京の場合は結局のところ山の手地区のごく一部を除きそれが成立しなかった。さらに高度成長期の開発重視型都市計画による弊害といえましょう。

 LRTの導入が都市計画上での都市改造の起爆剤になる材料の一つではあると思いますが、完全に壁にぶつかっている感じです。

 東京であっても環八にしても可能性を妨げるものではありません。たとえば環八も全区間併用軌道を考えなければ別に良いわけですし、外環も高速部が地下になれば整備の可能性も高いです。
 それこそLRTの路線柔軟性があれば、外環ルートでも案外多くの駅と結節の可能性はあります。
 そこはじっくり考えたほうが良いのでしょう。
 東京ですと、大田区内や江東区内、調布〜深大寺〜武蔵境〜保谷の調布保谷線など可能性のあるルートは存在します。
 また、環八も公的な調査がありますから、議論の余地は十分あろうかと。

 東京以外ではKAZ様ご提示の具体化している宇都宮、金沢のほかさいたま市、横浜市、相模原市など考え出すといろいろ出てきます。
 過去ログにも数多くありますが、具体的に検討するのならこういった都市で考えてみるのも良いのかもしれません。

 まとまりませんが。

【検証:近未来交通地図】過去ログタイトル総覧(vol.2 都市内交通編) ../logindex20.html

LRTの前提の東京の都市計画
 投稿者---TAKA氏(2002/08/27 23:41:39)

 TAKAです。ともさんコメント有り難うございます。
 どうもともさんは都市計画の専門家のようですので、私がこの様な否定的な事を言うのも何ですが、最初に私の東京の都市計画に関する私見を書きます。 多少偏見を持った考えかもしれませんが、ちょっと書き込みします。

 都市計画という点で見れば、東京の「都市計画」の計画そのものはそれなりに策定しています。用途規制や再開発などは実に明確であり、東京西部のいわゆる高級住宅地と呼ばれる大田〜杉並にかけてのエリアは区画整理も行なわれ、都市計画としてそれなりの完成度を見せています。

 都市計画はそれなりに存在はしていますが、東京西部の山手の都市計画を言えば細切れですよね?
 田園調布の様な民間企業の区画整理と井荻地区や玉川地区の様な公的区画整理を戦前の開発前の時代に行った物がある地域はそれなりに優れた地域が存在していますが、それ以外の世田谷等の農道のある農業地域をそのまま開発した様な地域は総合的な都市計画が存在していたとしても実施されていたとは必ずしも言えないと思います。
 その影響が現在になっても残っていると言えると思います。

 一方、道路に関しては計画だけなんです。実効性が無いという悲しい実態があります。つまり計画倒れなのです。

 究極を言ったら東京の都市計画は「計画倒れの歴史」であると言えませんか?
 「帝都震災復興計画」も計画縮小されていますし、「戦災復興計画」は完全計画倒れに終わっています。
 又東京23区の郊外地域に主要道路に関しては、1927年の「東京都市計画街路」が未だに未完成の状況で仰有られる様に計画だけで実効性にない状況であると思います。

 都市計画があって都市の発展があるべきであり、現にわが国でも横浜市のような強い都市計画規制を実施した自治体もあります。
 しかし、東京においては計画的な発展の前に急激な経済成長により後追いになってしまったという点は見逃せません。
 都市計画が都市の発展に伴わなかったというよりも、都市の発展が都市計画よりも速いスピードで進んでしまったと解するのが適正かと感じます。

 東京の場合「都市の発展が都市計画より早い」と言う側面も強いとは思いますが、それ以上に「都市の発展に際して総合的な都市計画を実施出来なかった」という側面が強いでしょう。都市計画の計画自体は存在しています。しかし道路等の骨格部分のかなりの部分は戦前の各種計画から増強されているとは言えません。増強されているのは首都高速道路だけとも言えます。計画自体は存在していたのは事実ですし、その計画自体は都市計画の観点から見れば素晴らしい計画ですが、それを実施できなかった事自体が問題であったと思います。

 都市計画は2面性があって、一つはさらな状態からの理想系の構築と現状追認をベースにしての理想的なものに近づけるものです。
 東京の場合は結局のところ山の手地区のごく一部を除きそれが成立しなかった。さらに高度成長期の開発重視型都市計画による弊害といえましょう。

 と言うより「東京において都市計画自体を一般的概念として専門家以外の人間が重視しなかった」と言うことであったと思います。そうでなければ、平時に開発が進む時都市計画を積極的に実施する雰囲気になっていたでしょう。都市計画自体は存在しているのですから、それをより住みやすい町づくりに有効活用しようという考えが普及心無かったと言うことでしょう。
 東京の都市計画の進展にはリーダーシップのあるリーダーが居ないと進展しなかったと言えます。「帝都震災復旧計画」では後藤新平がリーダーシップを振るい、戦前の玉川村の「玉川全円耕地整理」や井荻町の「井荻土地区画整理」等(どちらも戦前の東京を代表する行政主導の都市計画開発である)も自治体のトップのリーダーシップが存在して初めて成立していたと言えます。
 ですから東京には都市計画自体は存在しても現状が計画と乖離してしまい現状改善の都市計画も出来ず過去の都市計画に基づいて都市改良が細々と行われている時代遅れの状況で、現状を理想に近づける都市計画しかできなかったと言えます。ですからそれこそ東京が更地になり改めて理想型の構築を行う位の事がないと東京の都市計画は進まないのではないかと私は考えています。
(根本的に東京の住民は人数が多く、都市計画に対する啓蒙が進んでいないから都市計画がこの様な形になってしまうのであると思います)

都市計画は一日にしてならず。プラス思考で考えませんか?
 投稿者---とも氏(2002/08/28 00:22:44) http://town-m.vop.jp/

 ともです。
 いえいえ。私も偏見だらけですから。

 都市計画はそれなりに存在はしていますが、東京西部の山手の都市計画を言えば細切れですよね?

 究極を言ったら東京の都市計画は「計画倒れの歴史」であると言えませんか?
 「帝都震災復興計画」も計画縮小されていますし、「戦災復興計画」は完全計画倒れに終わっています。
 又東京23区の郊外地域に主要道路に関しては、1927年の「東京都市計画街路」が未だに未完成の状況で仰有られる様に計画だけで実効性にない状況であると思います。

 まさにそうなんです。
 都市計画はある。かなりまともです。区役所でも都庁でも見ることが出来ますが実にすばらしい都市計画です。
 でも実効性が無い。欧米でもどこでも計画は似たようなものですが、なにせ東京の計画は絵に描いた餅です。なにせ、日本の都市計画は強い私権制限ができない上にどうしても開発と保全のメリハリが無い。
 まったくもって制度が弱いのです。TAKA様のおっしゃるとおり、どうしようもないほどの状況です。

 これは歴史の史実になるわけでして、過去にも常設板に上がっておりますが、まさに戦後復興、そして高度成長でなにもできなかった(とはいえ多くの道路はつくれたのですが)のです。あそこで出来ていれば・・・というのはあります。
 ただ、東京のポイントは都市計画があまりに大風呂敷であったことが逆に東京の適正な開発をできなかったということがあります。
 これは都市計画制度の変更が遅かった(昭和43年の法改正までは極めて都市計画の制限がゆるかった)ということもありますし、昭和40年代の一時期の公共事業凍結期になにも出来なかったことが大きいのでしょう。
 小田急や京王沿線の乱開発はまさにこの時期の賜物といえます。道路整備を怠ったツケでしょう。

「通勤電車」の源流を分け入る ../traffic/special/005.html

 東京の都市計画の進展にはリーダーシップのあるリーダーが居ないと進展しなかったと言えます。「帝都震災復旧計画」では後藤新平がリーダーシップを振るい、戦前の玉川村の「玉川全円耕地整理」や井荻町の「井荻土地区画整理」等(どちらも戦前の東京を代表する行政主導の都市計画開発である)も自治体のトップのリーダーシップが存在して初めて成立していたと言えます。

 井荻町にしても玉川村(実はまだ事業中です)にしてもリーダーシップもそうですが、特に市民の意識が問題になります。あの当時に区画整理が成立できたのは奇跡的です。玉川村は結局時間がかかり、早期に完成した井荻町は軍需工場が関係しておりますので、一概に行政のリーダーシップとはいえない面はありますが、先見性は高く評価されなくてはなりません。
 でも、いくら先見性があっても強いリーダーシップを発揮してもひっくり返されればどうしようもないですし。
 昨今の都市再生に絡み、東京においては都市計画規制緩和と強化が入り乱れています。都市計画といっても住宅環境も含めば道路計画も含むものですが、特に住宅環境面での規制緩和・強化が同時にスタートしています。特に中野、杉並、練馬などの木造密集市街地の開発に対し、強い規制強化+緩和策で様々な方策がとられようとしており、その場においてようやく都市計画に対する動きが出ています。
 強いリーダーシップというよりも市民意識や行政の態度が問題であったのがようやくそこがクリアになってきた。これは大きいですね。これからに期待するしかありません。少なくとも40年間は失われた時間なんです。
 しかし、東京都内では未着手都市計画道路の撤廃運動も起きており、経済界からは用途規制の撤廃(市場原理による開発優先)も求められていますので、コトは簡単ではありません。

 でも、あまり悲観的に考えず、今の状態をいかに変えていくかという方向で考えたほうがよいでしょう。
 そうしなきゃ今のままです。

 それでは。

都市計画の過去と未来
 投稿者---TAKA氏(2002/08/29 22:24:30)

 今晩はTAKAです ともさんコメント有り難うございます。
 返事が遅くなりまして申し訳有りません。私も色々考えながら返答しようと思ったら時間がなかなか取れなかった物で・・・

☆日本の都市計画の最大の欠点は、「過去の時代の一般の都市計画の無理解」「強い私権制限が出来ないのに理想型を追い求めた都市計画」にあると思います。それが都市計画が実効性の無い浮いた存在になり、都市計画の実行を妨げてきたと言えます。その象徴が東京の都市計画の歴史でしょう。
 過去において、戦前・戦後すぐの旧内務省・東京市が都市計画の主導権を握っていた時代に造られた都市計画は、確かに素晴らしい物です。
 しかし其処で後藤新平を中心とするグループが「八億円計画」(後藤新平東京市長の施政方針「後藤の大風呂敷」といわれる)「関東大震災時の焼土買上案」「帝都震災復旧計画での区画整理」等を行うにより、理想的な大計画を行い、また私権制限を強調する様な計画を一般の理解を得る前に打ち上げ私権の制限に対する恐怖感を植え付けて、議会を都市計画への抵抗勢力に追いやってしまった事や一般市民に対し都市計画=私権制限のイメージを植え付けてしまった事や、「戦災復旧計画」等日本の国力・国情を考えない理想主義的都市計画を実施しようとした事等が日本特に東京で都市計画を理解させ協力させる事が出来なくなった最大の原因であると思います。
 過去のプランナーの人々の計画自体は素晴らしかったですし、「帝都震災復旧計画」で区画整理された東京の下町地域はそれ以来インフラを追加しなくても十分今の車社会にも対応できる物です。しかし大震災後の費用のかかる時期に20億円の「帝都震災復旧計画素案」を作ったり終戦後の焼け野原でみんなが飢えている時に100m道路を造る様な幾ら掛かるか分からない都市計画を作っても、正直言って反感を買うだけです。それらの現実を直視しないプランナー達の自己満足的都市計画が東京の都市計画を最終的にダメにしたと私は思います。考えない理想主義的な都市計画を立案した事等が、最大の問題です。
 その反動が高度成長期やオリンピックの時に道路偏重の都市計画を導き出し、今の東京を作り出したのではないでしょうか?道路偏重を100%否定は出来ません。モータリゼイションが予想以上に進んだ時代に対処療法で都市機能を維持する為の都市計画を作ろうとすれば、必然的にそうなりますし都市計画に無理解であった状況を考えれば道路偏重で都市計画をせざる得なかったでしょう。総合的都市計画を作る事は困難であったと考えます。

☆しかし成功した都市計画も存在します。その例が「帝都震災復旧計画」であり「井荻町区画整理事業」です。何故これが成功したかと言えば

  1. 過剰に理想を追いかけない都市計画(帝都震災復旧計画は内容を査定され必然的にそうなってしまった)

  2. 住民の理解を得られる様な努力をした

という点にあります。
 どちらでも区画整理のモデル地域を作り区画整理をする事で私見を供出しても、それに見合うメリットが存在する事をアピールした(井荻区画整理では最初に新駅の西荻駅前で区画整理をして其処をモデルに全町へ区画整理を広げた)(帝都震災復旧計画ではパンフレットや啓蒙活動等で区画整理のメリットをアピールした)等の努力をしてその上現在でも十分耐えられるインフラでありながら、過剰でない都市計画をするバランス感覚があった(特に井荻では)という点であると思います。其処から考えれば、如何にして都市計画を進めれば良いかが明白になると思います。

☆では今の東京で如何に都市計画をすればいいか?これが問題です。都市計画が無計画に進められ無秩序に広がっていった東京で、既に多くの永久構造物も出来、それこそ更地にした上での理想的都市計画(区画整理等)は不可能になっています。その上下がったといえども高い地価が影響し現実的に予算規模から考え根本的な都市改良は現在の東京では不可能です(何せ環状2号線の未着工の虎ノ門〜汐留間を作るだけで1兆円ですから)。
 そう考えると今あるインフラを最新技術を使用してその上に高度インフラを積み重ねて行く方法しか存在しないと考えます。大都市東京で住宅地の中に幅員40mの道路を貫かせるのは不可能に等しいと考えます(外環道を作るのは不可能に等しいでしょう)。今できる最善の策を取るしかないと思います。

☆確かに悲観的に考えたくありませんが、今の方向を如何に変えていくのかは上記の通り今までの都市計画の失敗の歴史の上に成り立ってきた状況ですから簡単ではないと思います。今のままで良いとは私も思っていません。
 正直言って私は都市計画は理想論と現実論の中間的考えを持っています。しかし現状を打破すべき策を持ち合わせていません。少なくとも時間を掛け地道に啓蒙活動を続け、一般市民の理解を得られる様に努力すると同時に、理解の得られ新しい都市計画を進められる様になった時に備え、地道に計画を作っておくしかないと思います。
 しかし今後の日本の国・自治体の財政状況を考えれば、もう大型の都市計画を実施するだけの余力は残っていないと考えます。返す返すも失われた時代が長すぎたと考えます。

Re:都市計画の過去と未来
 投稿者---とも氏(2002/08/30 16:44:13) http://town-m.vop.jp/

 ともです。

 私は東京の都市計画はあれでよかったと思っています。
 都市計画というものはマスタープランです。よって、現実発生した課題に対し対処法でどうこうというものではなく、都市としての理想像を形成するものであって、それが仮に絵に描いた餅に近いものであったとしても何らかの形で実現できるのであればそれはそれでよいと考えます。もちろん、局所的なものや実際の事業に際しては対処法であってもよいのですが。
 東京に関して言えば確かに大風呂敷ではありましたが、戦災復興において東京の都市計画事業に予算が回らなかった現実を踏まえれば、決して計画に問題があったのではなく、事業採択に問題があったと言えましょう。

 当時の東京や日本の人口、戦前の経済力、戦争後の復興という特殊事情を勘案すれば都市計画街路網は不自然ではなく、逆に不足がちとも言えなくはないぐらいです。

 都市計画は理想の部分と現実の部分を併せ持ったものです。
 理想は当然理念に反映されるべきであり、住宅環境や都市環境、交通など多岐にわたるものとして考えなくてはならないですね。その上で事業にあたり、トータルコストや都市としての開発の度合いに合わせ適宜見直し、事業を進めていく。
 その姿勢がなくては対処療法での都市構築、まさに途上国のような都市計画になってしまいます。

 LRTとは大きくずれますが。それでは

都市計画の成功と失敗と過去と未来
 投稿者---TAKA氏(2002/08/30 21:33:10)

 とも様色々私の意見にお付き合い頂き有り難うございます。又悲観論者の私の意見です。
 只LRTからは離れてしまっていますが、LRTの定義に都市計画が入っている以上多少は良いのではないでしょうか?都市計画に理解を示す事も議論の上で必要でしょうから・・・

 私は東京の都市計画はあれでよかったと思っています。

 東京に関して言えば確かに大風呂敷ではありましたが、戦災復興において東京の都市計画事業に予算が回らなかった現実を踏まえれば、決して計画に問題があったのではなく、事業採択に問題があったと言えましょう。

☆これに関しては一部異議ありです。確かに都市計画はマスタープランです。現実対処の対処療法だけでなく、長期的視点に立った構想も必要である事は私も認めます。しかしそれは状況によりけりです。後藤新平の「八億円計画」は東京市の年間予算が1億数千万円の時代に立てられた壮大な計画ではありますが、年間予算の約5倍の壮大な計画であっても、内容が共同溝・都市計画街路・下水から始まり港湾・庁舎新築・学校新設に渡る広い内容を網羅した物で、第一次大戦後の日本という国力の大幅に増進した時期であるという状況を考えれば、「八億円計画」を単年度でやる訳ではないのですから、「後藤の大風呂敷」と言われても強ち無理な計画ではありません。この「八億円計画」が後の「帝都震災復興計画」の叩き台となり形を多少変えてでも、現在にも繋がる東京の根幹を作り出したという点でも大風呂敷が都市計画のマスタープランになり、都市計画には長期的視点が必要であるとの重要な証拠になるでしょう。

 しかし東京の都市計画の最大の失敗は「戦災復興計画」です。これはマスタープランとしての計画は素晴らしい物です。しかしあまりに理想主義過ぎて現実を見ていない事に問題があります。現在の東京の社会資本の低さの原因は戦災復興計画の失敗にあります。東京の都市計画の失敗の最大の戦犯は「戦災復興計画」でしょう。都民の多くが食うか食わずの生活をしている敗戦直後に理想的マスタープランを打ち上げても一般市民に大切なのは将来の理想の都市より今日の食です。その現実を見ずに都市計画のプランナーが自己満足の為に理想の計画を打ち上げたと言われても仕方ないでしょう。
 今更IFを言っても仕方有りませんが、この時GHQの「東京だけが敗戦国に贅沢な都市計画はけしからん」と言う事に唯々諾々と従わず実現可能な現実的都市計画で(例えば道路幅員を減らす、疎開空地を公有地買上し将来の都市計画用地に保有する、震災復興施工地域を除外する(1947年以前は算入されていた)、公園・広場等を減少させる等)対応していれば、即ち焼土の区画整理をメインにしていれば後は自治体のリーダーのやる気次第で(しかし当時の安井都知事は戦災復興計画に力を入れていなかったが・・・)実現可能であり、東京のかなりの部分特に今木賃ベルト地帯と言われる地帯(豊島・中野・新宿・品川等)ももっと良くなっていたでしょう。

 あくまで都市計画は現実を考慮して改良する計画であるべきで、それが大風呂敷でも現実性が有ればいいと思いますが、現実離れした都市計画であってはなりません。その時代を反映してその中でベストを尽くす計画でなければなりません。そうでないと一般市民に理解は得られません。ですから生きるか死ぬかの生活をしている時にその様な理想的計画に予算を回す事はないでしょう。ですから事業選択に問題があったのではなく、現実を直視しない計画その物に問題があったのです。

☆昭和20年当時の東京を考えましょう。人口は確かに多く戦前の経済力は確かに欧米先進国に近づく物がありました。しかし太平洋戦争で日本は国土全体が焼土になり生産設備が失われ都市は焼土になりインフラは破壊されました。その様な状況で国民はそれこそ途上国と言うより、北朝鮮の農民みたいな厳しい生活を送っていました。それこそ経済的にも今の北朝鮮みたいな状況であったと言えます。
 その中で為政者は何を一番重視すべきか?自己満足に近い理想の都市計画でしょうか?そうではないでしょう。国民の生活の復興、経済・生産力の復興でしょう。その上に住宅環境・都市環境・交通等の都市計画が来る物でしょう。その様な状況でその当時で見たら理想で過剰な都市計画街路整備は当然順番として先送りされるでしょう。衣・食・住の中で一番重視されるのは衣であり食です。その後住が来るのではないでしょうか?
 確かに都市計画はマスタープランとして理想と現実を併せ持つ物とするべきでしょう。但しその時々に応じてどちらに力を入れるかを使い分けなければなりません。東京では最初にその使い分けを都市計画のプランナーが間違えた事が東京の都市計画の悲劇であったと言えるのではないでしょうか?其処で第一歩を踏み間違え戦災復興計画を全くと言って出来なかった事が、戦争の復興に伴う東京の都市拡大に対し有効な手を打てなくし、昭和30年代後半の東京オリンピックの時の都市改造をモータリゼイションへの対処療法的道路整備に終始させる事になり、それこそ総合的な都市計画を行えなくしてしまったのです。

 この様な戦後の戦災復興計画の大失敗を引きずり、修正すら出来なくなってしまった東京の都市計画は今後どの様にすべきなのでしょう。もう負の遺産が大きすぎて修正も非常に容易ではなくなってしまっていると思います。どうすべきなのでしょうか?
 前向きに考えなければ先に進まない事は分かっていますがどうしょうもない様な気がします。
 少なくとも私にはどうすればいいのか分かりません。今までの既存のインフラの上に対処療法的ですが、可能な限りインフラを集積させ何とか都市機能を果たせる様にするしかないと思いますが・・・

東京で想定できそうなLRTモデルについて
 投稿者---TAKA氏(2002/08/29 23:30:13)
東京で想定できそうなLRTモデルについて
└環8・江東区・調布保谷
 └環8に関しての基本的意見

(以下次ページ)
東京で想定できそうなLRT・・・環八編
 └Re:東京で想定できそうなLRT・・・環八編
  └Re:東京で想定できそうなLRT・・・環八編
   └環八横レス
    └Re:環八横レス→道路板に移行します?
     └環八横レスにLRTを少々加えた横レス
      └究極のTDM施策?としてなら可能性はある
       └究極の環八LRT完成のための方策は外環完成にあり?

 今晩はTAKAです。ともさん私の話にお付き合い頂き有り難うございます。
 都市計画の話は取りあえず別にツリーを延ばすとしてここから又LRTの話に戻して行きたいと思います。
 其処で東京で導入できそうなLRTの話をちょっとしたいと思います(私の住んでいるのが東京なので東京に拘っていきたいと思います)。

☆環状八号線に関しては、やはり今の形では併用軌道での建設は不可能でしょう。ではどうするか?
 やはり前にも言った通り、環状八号線の地下バイパス建設との併用しかないでしょう。そうすれば道路交通も救済されますし、一石二鳥でしょう。それに私は外環道に関しては大泉以南の建設は実質的に不可能であろうと思います。
 その代替手段として環八の下に片側2〜3車線の地下道を造る方が現実的でしょう(とある雑誌で外環の環八地下設置案が出てましたが、その時の試算費用が約1兆円でした)。
 その時に合わせて、併用軌道(地下化で側道のみにした地上部分の真ん中にLRTを走らせる。主要道交差部分等は既存の立体交差等を有効利用する。それでも足りない所や地下化の恩恵が及ばない場所には高架等で専用軌道を造る。今の環八建設部分に関しては要検討する)と専用軌道の併用LRTにする。と言う方策もあると思います。
 但し道路地下化を含めると谷原〜用賀間の地下化で1兆円ですから、地下化区間を第三京浜玉川入口まで延長するとして地上整備費用、LRT整備費用を入れると想像で1.5兆円程度かと・・・その上に赤羽〜練馬高野台間の環八とLRTの整備費用を考えると2兆円近く掛かると思います。
 しかし環状西側の鉄道整備と道路交通の改善を図れると考えると外環を整備するよりは低コストであると思います。
 それでも約2兆ですから・・・単独ではとても採算は取れないでしょう。何処からその整備費用を捻出するかが最大の問題であると思います。

エイトライナーこそ、LRTを log330.html#2

☆江東区内の話は亀戸〜新木場間の話ですね・・・しかし此処はLRTを導入するにしても、条件付きであると思います。
 私は明治通りへの導入には反対です。明治通りはこの区間で丸八通りというバイパスは有りますが、それでも片側2車線で大型自動車が駐車すると実質1車線になります。ですからLRTは併用軌道では出来ません。
 それなら東武亀戸線とJR貨物小名木川線を亀戸で接続させ、其処から小金線とも接続させ、越中島まで延長し越中島から廃線後を利用して豊洲まで延長して曳舟〜亀戸・金町〜新小岩〜亀戸・亀戸〜小名木川〜越中島〜豊洲と言う路線を通常鉄道で電化整備し、20m4両程度の列車を15分間隔程度で走らせる方が好ましいと思います。

【LRT】東京・下町 南北交通再編へのステップ!? log301.html#2
【LRT】江東区が導入の検討を本格化 
log332.html

☆調布保谷線も導入空間が確保されれば、LRT設置に相応しいと思います。保谷〜武蔵境間・武蔵境〜調布間も既存でバス需要がかなりありますので、LRT導入の下地が整っていると言えます。しかし導入空間の保谷〜調布線の拡幅の用地買収の進捗率が思わしくない事を考えると、何時になったら導入空間が確保できるかが問題でしょう。又西武線への接続駅を保谷からひばりヶ丘に変えて武蔵境〜田無〜ひばりヶ丘でも良いとは思います。

東京の縦方向の移動についての提案 ../traffic/log011.html

 しかし今この掲示板でも、環八・外環・調布保谷線の3ヶ所にLRTの設置構想が出ていますが、東京西部の環状線が山手線と武蔵野・南武線と多摩モノレールの3本有る状況で、山手線と武蔵野・南武線の間の環状線は1本で後はバスで補完すればいいと思います。環八・外環・調布保谷線何処を選択するかが問題であると思います。
 私は一番用地買収が少なく道路環境の改善も出来る環八案が好ましいと思いますが・・・環八地下化と調布保谷線整備とLRT導入も捨てがたい選択肢であるとは思いますが・・・

 とも様を始め皆様 これらの意見はどう思われますか?出来れば意見を聞かせて頂きたいと思います。

環8・江東区・調布保谷
 
投稿者---矢切氏(2002/08/31 18:48:50) http://www3.ocn.ne.jp/~skylark7/

●環状八号線
 ここに鉄道を通した場合の需要予測はどうなっていますでしょうか。LRTでは掃けきれず地下鉄が必要なほどになるのではありませんでしたでしょうか。地下鉄をやめて一部路面走行タイプに変更すれば、その分だけ遅くなって利用者も減り、LRTで十分な需要しか発生しないという可能性もありましょうが。

先にも指摘したように地下への車線増を伴う工事を計画した場合、尼崎の公害訴訟で問題になったように、大気汚染の観点から不可となる可能性がありませんか。長大トンネルは防災上もいかがなものでしょうか。

ともさんがIC建設に土地取得で莫大な費用がかかることを指摘していますが、ひょっとしたら、車線増+LRT整備よりも、単純に地下鉄整備した方が安上がりかもしれません、いかがでしょう。車線増になってくれた方が私は嬉しいですが(爆)。

●江東区内の話は亀戸〜新木場間
 これは私を含め過去ログで議論したかと思います。

【LRT】東京・下町 南北交通再編へのステップ!? log301.html#2
【LRT】江東区が導入の検討を本格化 
log332.html

●調布保谷線
 既存バス路線の主な利用形態は、その沿線上だけなんでしょうか。それとも幹から枝分かれが多数ある状況でしょうか。
 主要駅間(放射状路線各駅間)の利用や道路沿線需要だけだったらLRTで良いのですが、さまざまな直通系統がありしかも枝線部分の利用者数が相当な割合になる場合はバスを活かすほうが便利になると思われます。バス専用レーンを設置したり、主要駅ではバス車内でなく改札で支払いする形にすることで、今までのバスとは比べ物にならないほど便利になります。

環8に関しての基本的意見
 
投稿者---TAKA氏(2002/08/31 21:07:43)

 矢切様今晩はTAKAです。御意見有り難うございます。取りあえず環八に関して書き込みました。
 又江東のLRT整備に関しては私も他スレッドに書き込んであるはずですし、一応案として上がったので意見を書いてありますが、それ以上の話をするつもりでありません。
 又調布保谷線に関しては、私の考えを別に書き込みたいと思っております。

***
 需要予測としては、私も資料を持ち合わせていませんので何とも言えませんが、周囲の状況を考えると確かにLRTでは厳しい量かもしれません。
 しかし東京の環状鉄道で(山手線を例外とする)武蔵野線は昼間で20m車6〜8両で12分間隔で輸送する輸送量が存在しますが、多摩モノレールは4両編成で10分間隔でもかなり空いている位の需要しか存在しない様です(全線乗ったのはかなり前なので今はどうかは知りませんが・・)。
 東京の鉄道交通では基本的に環状交通が非常に弱いですが、それは都心への求心力が強く地域間移動の必要性が意外に低いし、その様な時にはバスや自動車で移動したり、都心地域の山手線を利用する例がかなり多いと思います。ですから業務各都市の立川を中間に持った多摩都市モノレールですらモノレールで輸送力過剰でないかと思われる状況ですから、地下鉄を作るだけの需要が環八地区に存在するのかは(需要を吸い上げる核が存在しないですし・・)私は感覚的には疑問です。もし地下鉄を作るべきという需要予測が存在しているので有ればLRTでなく地下鉄も選択肢であると思いますが、私には感覚的にLRT+α相当の需要しか無い様な気がします。需要予測が間違っていない事を祈りますが・・・

 環八地下バイパスに関しては大気汚染の問題は解消可能であろうかと思います。何故なら高架で高速道路等を作ればその排気ガスは大気中にばらまかれますが、地下で有れば換気塔経由になります。その換気塔で排気ガスを環境規制値内に浄化してから換気すれば、環境には優しくなるでしょう。今の技術で有れば不可能ではないと思います。
 又一部車線を緑地に変換したり、地上の交通量が減ったり、地下化により騒音が減少する等の効果を考えれば、公害訴訟の問題はクリアできると思います。少なくとも環境規制値内に大気汚染と騒音を収めれば訴訟が起きても、勝訴できるのではないでしょうか?少なくとも現況より環境には優しいはずです。
 又地下化の費用に関しては、とある雑誌で外環の環八地下化での延長案の費用シュミレーションが出ていましたが、外環大泉IC〜東名東京IC間での建設費用が1兆円強で出ていました。その費用シュミレーションの根拠を見ていないので何とも言えませんが、それを信じるとして、地下バイパスの整備・地上区間の再整備・LRT建設を総合的に加えても1兆5000億円程度でしょう。IC付近での用地買収も発生する可能性は多いですが、外環を計画ルートで建設するより費用的・用地買収的にも障害が少ないでしょう。その混雑緩和等での経済的効果を考えれば、費用は巨額ですがその効果も又莫大です。又費用に関してはこの総合的効果に関して道路特定財源を投入する事も可であると考えます。
 そして技術的にも首都高中央環状線高松〜池尻間が地下シールドトンネルで建設される事を考えれば、防災上の側面を含めて問題は解決可能でしょうし土木技術的にも建設は可能です。

 確かに単独で地下鉄を整備するより費用は遙かにかかります。しかし地下鉄では自動車の東京西部の南北通過交通と東名〜中央〜関越の各高速間の通過交通が環八に集中するという現状を解消する事は出来ません。私は環八地下に地下鉄を整備するほどの需要が存在するかも疑問ですし、外環の関越〜東名間を完成させるの事を可能なのかも疑問を抱いています。これらの疑問を解消する為の策は環八地下バイパス+LRT整備であると考えております。
 少なくとも私にはそれ以外の策が見あたりません。それにLRTの定義の所でも話が出てきましたが、鉄道・道路それぞれ単独に計画をしても仕方がありません。総合的に計画して行く方が好ましいですし、今の東京では別スレッドでとも様と議論していますが、私は既存インフラに立体的かつ集約的に集積していくしか東京の都市インフラの改善は困難であると考えています。費用のかかる方法ではありますが、既に完成されてしまっていて大改良の余地の少ない東京で改善をするとすれば(しなくても凌げますが)致し方ない方法であると思います。
 別案が有ればお聞きしたいですが、なかなか道路と鉄道の両方を改善する方法はなかなか無いと思います。如何でしょうか?

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2004.11.02 Update


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