【検証:】中量板過去ログ集

【検証:近未来交通地図】<中量輸送システムの明日…>
(過去ログNo.343)
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結局,日本のLRTはどうなる?〔続〕
 投稿者---打越健太郎氏(2002/06/01 14:25:00)
結局,日本のLRTはどうなる?
└まずはLRTとは?というところからでは?
 └総論大賛成,各論では聊かコメントあり
  └トラム・ナショナリストより
   └道路予算の一部を欲しいんですけど。
    └日本は山が多いからねぇ
    └使えたとしても
     └え?使えますよ
横レス:世田谷線の渋谷延伸の妄想
 └横レスからの発展系〜〜HRTは今のままでいいの?
  └横レスからの発展系〜〜世田谷線の延伸 線増対策としてのLRT
   └Re:横レスからの発展系〜〜世田谷線の延伸 線増対策としてのLRT
    └Re:横レスからの発展系〜〜世田谷線の延伸 線増対策としてのLRT
     └Re:横レスからの発展系〜〜世田谷線の延伸 線増対策としてのLRT
Re:結局,日本のLRTはどうなる?
 └Re:結局,日本のLRTはどうなる?
  └Re:結局,日本のLRTはどうなる?
   └この本を読んではいかが?

    └私その本持ってます!
     └Re:私その本持ってます!←失礼しました。
 └横レス・GMの陰謀は果たして有ったのか
 └大丈夫。日本のLRTは良くなります。
  └Re:大丈夫。日本のLRTは良くなります。
   └Re:大丈夫。日本のLRTは良くなります。
    └横レス続き・裏付け無き推測

(以上前ページ)

└いまのままではLRTの新規導入など妄想の域を出ない
 └いまのままではLRTの新規導入など妄想の域をでないならどうしたら出る!
  └NHKがんばれ
   └やはりこの手しかない!
    └トラム・ナショナリストひとりごと
     └プランナーの戯言
      └一過性と継続性
       └何事も最初は、知ってもらう事から始まります!
       └続プランナーの戯言
 └Re:いまのままではLRTの新規導入など妄想の域を出ない
  └要は適材適所
   └Re:要は適材適所
   └Re:要は適材適所
    └Re:要は適材適所

△ 以上前ページ

いまのままではLRTの新規導入など妄想の域を出ない
 投稿者---とも氏(2002/08/08 11:26:07) http://town-m.vop.jp/

 ともです。ちょっと厳しく書きます。

○GM陰謀説
 「誰が電車を滅ぼしたのか −ある良くできた話−」は私も読んでおります。またいわゆるスネル報告に関しても和訳原典は読んだことがありますが、そもそも原典においても服部氏が指摘されているとおり「そうかもしれない」というレベルであって、一般に都市計画史としては定説にはなっていません。いまだこの説を唱える研究家の方はいらっしゃいますが、時代的な背景などからして否定的見解が出るのは当然であり、GMはバス会社に出資したのであってそれは鉄道潰しが目的ではなく単にバス会社にバスを売り込みたかったという至極まっとうな企業活動の流れと考えるのではないでしょうか。

○さいたま市
 さいたま市の田中氏というのは都市・交通担当参与ですね?
 さいたま市は東西方向へのLRT導入を打ち出しています。ただ、これも市民のどの程度の賛同が得られるのか。そもそもLRTでは供給不足の心配もあるぐいらいですが、そこをどう考えるのか、具体的な法手続きに注目したいところです。

○新規のLRT整備
 今のままではまったく新規の導入は、さいたま市や相模原、横浜、武蔵野(東京南北)、金沢、松江程度でしか実現しないかもしれません。
 なぜか。LRTが目的化しているからです。

 LRTは道具でしかない。一つの都市改変の目標にするのなら大いに結構。でも都市計画の一環としての道具であって、LRTを入れる個とが目的ではないのです。全国の運動でもLRTを入れることが目的化してしまっているところが少なくない。
 実際、こういった方だけではなくLRTを入れればなんとでもなると思い込んでいる方が多い。そんなバカな話は無く、まず都市計画や総合交通計画がありきで、LRTはそのきっかけ、一部にすぎないのです。
 全国でLRTが知られていない?当然でしょう。今の日本のLRTの発想ならばただの路面電車がきれいになっただけです。広島をLRTと呼びますか?呼ばないですよね。一般には。
 そもそもLRTは中量規模の輸送規模を持つ鉄軌道系交通機関(これが広義LRT)のうち、特に軽軌道として路面電車や郊外線を走る形のもの(これが狭義のLRT)を指す言葉であって、極論で言えば路面電車である必要などなく、TDMも既存線直通も必須ではないのです。実際、マニラは全線高架、エドモントンは都心部地下線です。
 ただ、日本では、前にも書いているとおり、いまだストラスブール型しかイメージに無い。あれはあれですばらしいモノですが、あくまでストラスブールはTDMと一体となった交通コントロールにおいてあの電車であったから成立したのだという基本原則を忘れてはなりません。

 今の総合交通論を無視した自動車交通からの転換、具体性の無い中心市街地活性化を期待したLRT導入案では市民の支持を得るなど簡単な話ではなく、妄想と言われても仕方がないでしょう。
 総合的な都市交通のあり方から考えず、しかも単に「自動車から移します。」だけでは妄想の域を出ません。本当の交通計画までしっかりやっているのが、GM陰謀説様の挙げられた都市のうち、いくつあるのでしょうか。やっているというのはただ考えましたではないです。ちゃんとした需要予測を行い、導入した場合の通過交通処理策や自動車交通処理、バスを含む交通網の再編を検討し、自動車交通からの転換誘導になにをどうやって行うのかという根本的な調査です。それをやっていないようなただ運動があるだけならもっとありますよ。でもそれが現実的な具体性を持たないのであれば、導入には至らない。

 交通計画はそんな甘いものではないです。
 「まちづくり」があっての交通なのだから「まちづくり」の具体的な検討もないようならただの軌道導入主義の戯言になりかねません。

 それでは。

いまのままではLRTの新規導入など妄想の域をでないならどうしたら出る!
 投稿者---GM陰謀説氏(2002/08/08 20:55:01)

 とにかく全国ネットTV番組(例えば竹中直人のでてるやつ)に、取り上げさせる!

NHKがんばれ
 投稿者---栗栖克寛氏(2002/08/09 23:02:14)

 とにかく全国ネットTV番組(例えば竹中直人のでてるやつ)に、取り上げさせる!

→でも民放は視聴率がすべてですからねぇ。LRTのみならず、アウトバーンが有料化(トラックは無料だっけ)された事実も、日本の民放はぜーんぜん報じちゃくれませんし。京都大の某教授ですら知らないほどです。やはりここはひとつ、公共放送たるNHKさんにがんばってもらうしかないのでは。少なくとも、あの自動車と道路が好きで好きでたまらない竹村健一大先生率いる「報道2001」では、たとえ天と地がひっくり返ろうともLRTなんか絶対に報じてはくれません。

やはりこの手しかない!
 投稿者---GM陰謀説氏(2002/08/12 20:18:33)

 笑っていいとも!で、タモリさんに、話題にしてもらうしかない!

トラム・ナショナリストひとりごと
 投稿者---和寒氏(2002/08/12 23:40:50) http://www.geocities.jp/history_of_rail/

 テレビジョンを活用するのはいいとして、いったいなにを訴求しようというのか、見えてきません。訴える中身がなければ、軽く扱われるのが落ちです。そもそも、テレビジョンに採りあげられることが「この手しかない」ほどの最終兵器とも思えませんし。

プランナーの戯言
 投稿者---とも氏(2002/08/13 15:29:58) http://town-m.vop.jp/

 テレビ番組で取り上げたところでどれほどの浸透力があるのでしょう。
 普通の感覚なら「だから?」というリアクションでしょう。数年前、ブーム的にLRTが注目され「路面電車ルネッサンス」なんて言われていたころには様々なニュースショー、ドキュメンタリーなどで採り上げられていました。でも、それでどれほど浸透しましたか?

 視聴者が興味を持たれなければ何の意味も持ちません。興味を持たれるにはどうしたらよいか。そういった観点で見なければ意味がないです。
そもそもLRTに興味があるなんていう人はそうそういません。それが現実です。それでもLRTに興味を持ってもらうにはどうすべきか。
 福井や沖縄や岡山での実際の例をごらんになってはどうでしょうか。

 我が国には社会実験という制度があるんです。テレビなんかで採り上げてもらうぐらいならこの方がよっぽどいいですよ。

一過性と継続性
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/08/14 00:28:39) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 マスコミはその影響力が大きい反面、取り上げられた一瞬こそ話題になり、論議を呼びますが、それはその一瞬の画面・記事造りとしての盛り上がりに終わる危険性があります。
 マスコミ露出のほか、イベントもその傾向があり、岡山の場合も、MOMO導入という「イベント」が、マスコミにも大きく取り上げられ、全国から視察団やファンが来訪するという状態のようです。

 しかし、岡山の街づくりはMOMO導入で終わりではないのです。
 MOMO、いや、路面電車はそのツールに過ぎず、それを活用した街づくりは一過性のものではなく、息の長い継続性が必要です。
 これはきちんと「街づくり」を見据えた計画を立てる場合に必要な認識であり、本当に岡山などの街を良くしたいという意思でMOMO導入を祝うのであれば、MOMO導入はいわばスタートラインに立った段階ということを知るべきでしょう。MOMOは目的ではなく、MOMOを活かしてどうしていくのか、明らかにここまで考えているサポーターがついているのが岡山の強みなのです。

何事も最初は、知ってもらう事から始まります!
 投稿者---GM陰謀説氏(2002/08/15 17:18:33)

 マスコミはその影響力が大きい反面、取り上げられた一瞬こそ話題になり、論議を呼びますが、それはその一瞬の画面・記事造りとしての盛り上がりに終わる危険性があります。

 しかしLRTの存在が未だに浸透してない現状を打破するには、マスコミを使うとゆうのも一つの手だと思います!
 何事も先ず知ってもらうことが大事なのです!すなわちツカミが1番大事なのです!(ダチョウ倶楽部)
 そうじゃないと仙台市交通局等といったLRTに対して偏見を持っている人たちを、変える事は出来ません!

続プランナーの戯言
 投稿者---とも氏(2002/08/15 18:09:38) http://town-m.vop.jp/

 ともです。

 都市計画のプランナーとして働いているとビックリするような意見に出会うことがあります。
 どこで引いてきたのか、どっから聞いてきたのかはわかりませんが、とんでもなくその土地にマッチしない思想を持ち込むというものです。
 それが顕著に表れたのがムーバス以降一連の「コミュニティバス信仰」です。

 マスコミはその影響力が大きい反面、取り上げられた一瞬こそ話題になり、論議を呼びますが、それはその一瞬の画面・記事造りとしての盛り上がりに終わる危険性があります。

 まさにこのパターンです。ムーバスは全国に知れ渡りましたが、あれは吉祥寺という東京でも有数の商業地域がバックにあることを考えなくてはなりません。コンセプトはすばらしいものですが、かといってどこにでもあのスタイルで通用するものではないんですね。
 でも、マスコミにかなり取り上げられ、交通弱者向けシステムとして全国各地で真似して導入がされましたが、様々な問題を生んでしまっています。
 つまり、システムを紹介することはいいんですが、その土地の特性を考えずに「すばらしいんだ。導入だ!」となると本質が見えなくなります。

 しかし、岡山の街づくりはMOMO導入で終わりではないのです。
 MOMO、いや、路面電車はそのツールに過ぎず、それを活用した街づくりは一過性のものではなく、息の長い継続性が必要です。
 これはきちんと「街づくり」を見据えた計画を立てる場合に必要な認識であり、本当に岡山などの街を良くしたいという意思でMOMO導入を祝うのであれば、MOMO導入はいわばスタートラインに立った段階ということを知るべきでしょう。MOMOは目的ではなく、MOMOを活かしてどうしていくのか、明らかにここまで考えているサポーターがついているのが岡山の強みなのです。

 そうなんです。
 現実の都市計画や交通計画を行う場において岡山のように、目的をきちんと考えてというのは少ないのが現状です。手段を目的にすることが多い。
 しかし、最近は住民意識の高まりもあり、「まちづくり」という思想が一般化してきたこともあって、行政職員を含め目的と手段の違いを明らかにするようになってきました。よって、無茶な交通機関導入論などは自然淘汰が当たり前になり、普通の市民が普通の感覚でYES・NOの判断の素地ができてきたのかなと感じますが、やはりまだ「べき」論でなにか一方向に突っ走る考え方があるもの事実です。

 よく、「行政の人間はよいものがなにかをわかっていない」などといわれますが、現実に付き合うと詳しいですね。業界紙などはもちろん、専門雑誌などにも当然目を通すのですから、よほど不勉強でなければ案外システム論なども鋭い意見が出ます。
 コミュニティバスもLRTもそうですが、ベストかどうかはそのシステムの良否ではなく単にその土地に合うか合わないかなんですね。
 それは地形だけではなく都市の形成過程やその都市の特性も視野に入れたものにならなくてはなりません。構造上可能だから・・・ではなく、たとえば都心直結が望まれているのか、駅と中心市街地が離れているのか、空港との関係は?インターチェンジなどとの位置関係は?パークアンドライドができるフリンジは?といった非常に多くのポイントを多角的に見てなにがベターかを把握する。
 これが難しいのです。AGTでもLRTでもバスでもなんでもいいんですが、それぞれの交通機関の長所を最大限活かすとして、その都市構造との一体性を検証していく。難しいことですね。

 マスコミで広めるのなら、まちづくりの考え方から広めなくてはならないと感じています。中心市街地活性化で駐車場をつくれば、LRTを引けば、バスがとおればなどという根本からそらした議論をするのはいい加減止めたほうがいいでしょうし。本来は商業に魅力があるかどうか、その町の魅力とはなにかという点なのに、そこをほかの手段、つまり外的要因に原因を求めるという愚行は無責任もいいところです。
 まずはその町をどうしたいか、どのような町にしたいのか。観光客を大勢呼びたいのか、地元の特徴をどう活かすのか。そういったまちづくりの基本思想を広めなくては、おそらく何もすすまないのかなと感じます。

 次の手段がLRTやバスシステムのよさ、TDM理念のPRではないかなと。つまり、手段たる交通は都市計画全体の一つのポイントであるということですね。
 そこを勘違いしないようにしたいものです。

 LRTが来たら観光客が増えるか・・・増えないですよね。ただ、アクセス性向上ができれば市街地の活性化につながるでしょうが、おそらくアクセス向上だけではだめで、市街地そのものの魅力向上が大前提でしょう。

 交通が不便でも、魅力があれば人は集まります。ただ、その魅力をより引き出す道具の交通を多様な観点から見て導入していく。それは結果がなんであれ活性化に資するのならよいわけで、LRTじゃなきゃだめということもなく、バスでもモノレールでもなんでもいいんですよね。
 あとは、そこの住民がどう判断するかという話です。

Re:いまのままではLRTの新規導入など妄想の域を出ない
 投稿者---栗栖克寛氏(2002/08/09 23:46:26)

 前略
 GM陰謀説については、数年前孫の参観日に学校の地理の先生がおっしゃっていました。詳しくは存じませんのでとも殿のように偉そうなことは申せませんが、ただ

 GMはバス会社に出資したのであってそれは鉄道潰しが目的ではなく単にバス会社にバスを売り込みたかったという至極まっとうな企業活動の流れと考えるのではないでしょうか。

というのはちょっと気にかかります。いかにもアメリカさんらしい「資本原理主義」というか、要するに行政当局が総合交通計画なるものをまじめに考えることなく、もっぱら民間の企業活動に任せっきりだったということなんじゃありませんか。いくらバスを売り込むためといって、都市の大切なインフラである軌道を買収してしまうというのはやはりやり過ぎでしょう。ここは非常に重要なポイントであり、わが国でも近年アメリカを真似てやたら民営化議論が先行しておるのは不安でなりません。ニューヨークの同時多発テロの原因のひとつは、あまりに規制を緩和しすぎて航空会社のセキュリティが極端に甘かったことです。エル・アルコン殿が採算主義の石原大臣を批判したのは正解だと存じます。

 LRTは道具でしかない。一つの都市改変の目標にするのなら大いに結構。でも都市計画の一環としての道具であって、LRTを入れることが目的ではないのです。全国の運動でもLRTを入れることが目的化してしまっているところが少なくない。
 実際、こういった方だけではなくLRTを入れればなんとでもなると思い込んでいる方が多い。そんなバカな話は無く、まず都市計画や総合交通計画がありきで、LRTはそのきっかけ、一部にすぎないのです。

→これについては、GM陰謀説殿はともかく、少なくとも和寒殿はまじめにお考えだと思いますよ。何せ「鉄道ナショナリスト」ですから。彼は決して単純な鉄道愛好家ではないはずです。

 ただ、日本では、前にも書いているとおり、いまだストラスブール型しかイメージに無い。

→そうですかね。欧米では無料ハイウェイがどんどん造られている、というイメージのほうがはるかに強いと思いますが。

 今の総合交通論を無視した自動車交通からの転換、具体性の無い中心市街地活性化を期待したLRT導入案では市民の支持を得るなど簡単な話ではなく、妄想と言われても仕方がないでしょう。
 「まちづくり」があっての交通なのだから「まちづくり」の具体的な検討もないようならただの軌道導入主義の戯言になりかねません。

→ちょっと参考までにとも殿にお尋ねしたいのですが、竹村健一氏のような「自動車原理主義者」についてはどうお考えなのですか。
 そもそも竹村氏に限らず、日本中どこへ行っても、自治体に対する住民の要望項目ナンバーワンはたいてい道路整備です(もっとも近ごろは不況の影響で景気対策も要望されてはいるが)。とも殿のように総合的な交通体系をつくってほしい、などというような請願は(民衆レベルでは)およそ聞いたことがありません。「ドライブ」と称して用もなく走り回る連中はかまわないのでしょうか。

要は適材適所
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/08/10 02:15:37) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

●GM陰謀説
 市内電車を買収して運行せずにバスの運行をしたということは市内電車よりもバスのほうが合理的に運行できるという目論見ですよね。公共交通を運行するという建前であれば、合理的な運行はイコール利用者の利益でもありますから、一概に否定できません。また米国における原油生産の拠点でもあるカリフォルニアにおいて、内燃動力を選択することは、その当時の選択として云々する性格ではないでしょう。

 この節の最大の問題というか疑問は、クルマを普及させ、公共交通を衰退させる「プログラム」が存在したかということです。GMにとって、バス化のところまでは自社のバスの供給先拡大という名目はあるのですが、そのバスも無くすとなると、自社の部門を殺すことになります。しかも、乗用車と違いバス部門は寡占性が認められ、しかも単価が高く、運行距離も長いから買い替え需要やスペアパーツの販売など旨みも大きい部分であり、それを殺して競合相手の多い乗用車部門に傾注というのは経済合理性に反します。
 なによりも、バス会社に投資しなくとも、クルマを直接安価に住民に販売すれば良いだけであり、バス会社への出資と、衰退〜撤退による投資損が完全に無駄になることをどう説明するのでしょうか。

●適材適所
 議論を通じて思うのは、この四字熟語に尽きるということです。
 街づくりの議論の中で、相応しい交通機関を整備する。そのなかで、LRTが相応しいところはLRT、本格鉄道が必要なところ、バスのところ、自動車交通、自転車と考えれば良いだけです。
 そして「街づくり」というのは住民、訪問者、さらには通過する人にとってのメリットを論じることであって、決して商店街の活性化といった特定の目的ありきではありませんし、ましてや軌道を導入するといった特定のツールのみを推進するものでもありません。そこを見失うと、公共交通シフトで不便になった、という批判というより事実が残るのです。

 もちろんあれもこれもあればいいんですが、行き過ぎた整備は「無駄な公共事業」になってしまいます。もっとも最近の採算性重視の議論では、必要なものも造れない状況にあることは事実で、それはそれで悩ましいです。
 問題なのは、見失った議論は往々にして、必要なものを造らないで要らないものを造るという議論に陥ってしまいがちということで、そこを修正するのが都市計画や総合交通計画なのです。

●自動車原理主義者
 呼びましたか(笑)

 冗談はさて置き、過去ログを読んで頂ければお分かりかと思いますが、このサイトの参加者でももっともクルマに傾注している人間と自負しています。
 私の考えを述べますと、クルマと言うのは徒歩、自転車の延長線である私的移動手段であり、公共交通機関と言うのはその私的な移動を楽にするというツールです。
 そもそも人がどこかへ移動したいという要求がまずあり、その移動手段を選択するのもその人の専権事項のはずです。

 クルマ利用と公共交通利用の天秤は都市でも地方でも確実に存在します。しかし、どうしても地方の場合は都市のように交通機関を充実させることは出来ません。そうした状況下において移動の質を手っ取り早く高めることは道路整備により自分の力(自分のクルマ)で動くことなのです。
 もし、私的手段での移動を禁止したとしたら、交通部門には教科書通りの独占の弊害が現れます。つまり、一日数本、月一運休(笑)の交通機関に生活が規定されてしまいますが、それを住民が望むとは到底思えません。実は都市部もそうなんですが、私的移動手段は、公共交通の「独占」に対する対抗手段という側面を無視することは出来ないのです。

 結局、相応の質を保てる交通機関が成立する部分に、鉄道なりバスなりを配置し、そのフリンジで連続性を感じさせない形でP&Rを配するといった適材適所を実践することで、利用者は末端での自由な移動と、幹線部での快適な高速移動のイイトコドリを出来、事業者も利用が収束する生産性の高い部分に経営資源を集中できるというメリットを享受できるのです。

Re:要は適材適所
 投稿者---栗栖克寛氏(2002/08/11 01:29:32)

 尊敬するエル・アルコン殿からのご返信、光栄に存じます。

→小生は「GM陰謀説」につき、いまだ半信半疑で結論を見出すに至っておりません。ただ、素人考えで恐縮なのですが、バスが廃止されれば当然ながらマイカーが売れるわけで、一概に無駄ではないのではないかと存じます。一般に女性には自動車マニアが少ないですから、バスがあればマイカーを持ちたくないという女性は当時も少なからずいたはずです。しかしながらバスが衰退すると、それまでマイカーを持つ意志のなかった者までがマイカーを「買わざるをえなく」なってきます。故・湯川利和氏のいう「マイカー地獄」です。自動車メーカーにとっては、バスの市場なんかよりマイカーのそれのほうがはるかに魅力的だったでしょう。

 そして「街づくり」というのは住民、訪問者、さらには通過する人にとってのメリットを論じることであって、決して商店街の活性化といった特定の目的ありきではありませんし、ましてや軌道を導入するといった特定のツールのみを推進するものでもありません。そこを見失うと、公共交通シフトで不便になった、という批判というより事実が残るのです。

→ああ、なるほど。

 問題なのは、見失った議論は往々にして、必要なものを造らないで要らないものを造るという議論に陥ってしまいがちということで、そこを修正するのが都市計画や総合交通計画なのです。

→同感です。小生は四国に住みますが、エル・アルコン殿もいぶかしんでおられるとおり、徳島道やしまなみ海道がはたして本当に国家にとって必須なものなのか、外環道とかのほうがはるかに重要なのでは、などと思われてなりません。まあ、今の自民党は農村政党ですから、どうしても地方が優先されてしまうのでしょうけれども。
 さらにいえば、国鉄の民営化や道路公団の民営化議論の過程のなかで、総合交通体系なるものがどれほど真剣に考えられているのでしょう。むしろ感情的な国鉄叩き、道路公団叩きが多く見受けられます。竹村健一氏はその著書において「国鉄民営化はスバラシイ!」とさんざん繰り返していますが、小林よしのり氏や西部邁氏などはそういった考え方をアメリカニズムと捉え、批判しています。そもそも民営化しさえすれば何でもうまくいくというのなら、どうして関西空港やJR北海道は赤字なんでしょうか。竹村氏にぜひともうまく説明していただきたいものです。

●自動車原理主義者
 呼びましたか(笑)

→いや、小生の欠礼、平にご容赦。決して侮蔑しているのでも何でもありません。ただ、とも殿があまりに「軌道原理主義者」を批判するものですから、ちょっと問題を提起してみただけです。
 書店やコンビニに立ち寄ってみてください。自動車雑誌がわんさか置いてあるいっぽう、鉄道雑誌なんてほとんど置いてはありません。だいたい「軌道原理主義者」なんて、全国にどのくらい存在するのでしょう。ほんの数万人にすぎないのではないですか。「自動車原理主義者」のほうがはるかに数は多いはずです。

 そもそも人がどこかへ移動したいという要求がまずあり、その移動手段を選択するのもその人の専権事項のはずです。

→いわゆる「交通権」ですな。しかしながら、およそ「権利」なるものは「義務」と表裏一体のはずです。いくら言論の自由があるからといってでたらめや誹謗中傷が許されるはずはありませんし、報道の自由にかこつけて大衆を煽るのもいけないことです。そもそも道路というのは基本的な「移動と運搬」のためのものであり、少なくとも渋滞しがちな都市部にあっては個人に奉仕するマイカーより、社会に奉仕するトラックやバス、タクシー、ゴミ収集車、郵便車、公用車、ダンプカーなどを優先せしむべきです。
 それに特に男性にとっては、マイカーというのは交通機関であると同時に(ひょっとしたらそれ以上に)趣味、愛玩の道具です。道端でマイカーを観察してみてください。3ナンバー車に乗っているのは十中八九男性ですから。女性の運転する3ナンバー車なんてめったに見ません。交通需要を満たすためだけなら、多くの場合軽自動車で十分なはずだし、これだけ大気汚染が深刻な昨今、スポーツカーやRV車の使用をも「交通権」として無条件に認めるのにはやはり疑問符がつきます。まして移動のためでも何でもなく、ただ「ドライブ」するために用もなく走り回るのは、商用車に対する運行妨害ですらあります。子供に道で遊ぶなと言っておきながら、大人がマイカーで遊ぶのでは話になりません。

 もし、私的手段での移動を禁止したとしたら、交通部門には教科書通りの独占の弊害が現れます。つまり、一日数本、月一運休(笑)の交通機関に生活が規定されてしまいますが、それを住民が望むとは到底思えません。

→そのためにこそ公営交通があるのではありませんか。

 実は都市部もそうなんですが、私的移動手段は、公共交通の「独占」に対する対抗手段という側面を無視することは出来ないのです。

→マイカーの「独占」はかまわないのですか。

Re:要は適材適所
 投稿者---とも氏(2002/08/10 09:44:47) http://town-m.vop.jp/

 ともです。
 私の旗色が悪い・・・

●GM陰謀説
 そもそも陰謀などは考えにくいのですよ。単にGMはバス会社を購入した。バス会社は鉄道と真っ向勝負を挑み、鉄道が敗北し、バス会社の傘下にはいった。そういうことです。それならば通常の企業活動の一環では?
 そもそもお考え戴きたいのはこれは1920年代の話です。総合交通計画など当時はほとんど考えられていません。

●適材適所
 要はそういうことです。適材適所。それしかないです。
 和寒様にしても、本当に必要なところに必要というスタンスと思われますが?
 LRTを入れればなんとでもなるというのはいくらなんでもひどい話です。
 LRTがあればナントカなるで失敗した都市は海外にもあるんです。そういう事実を踏まえなくてはなりません。
 LRTを入れる目的は軌道を作ることではなく、まちを活性化させるまちづくりなんです。あくまで手段に過ぎない。ここは絶対に忘れてはならない基本原則です。

●自動車原理主義者

 結局、相応の質を保てる交通機関が成立する部分に、鉄道なりバスなりを配置し、そのフリンジで連続性を感じさせない形でP&Rを配するといった適材適所を実践することで、利用者は末端での自由な移動と、幹線部での快適な高速移動のイイトコドリを出来、事業者も利用が収束する生産性の高い部分に経営資源を集中できるというメリットを享受できるのです。

 すべて語っていただきました(笑)

 で、住民は道路整備を要求しているではないかとなりますが、これは総論なんです。各論では抑制案も出てきます。また、都市と地方では状況がまったく異なります。さらにいえば都市内での通勤などの定常行動では公共交通へのリクエストはそれなりにあります。調査結果でも都市内の環状道路や都市内への公共交通への整備要求は多く、栗栖様がおっしゃるほど国民の発想は凝り固まっていないのです。総務省の国民への世論調査でもこの辺は指摘されています。

 総合交通計画論はいまや各都市で一般的な考え方です。今の都市計画法が「住民参加」をベースにしている以上、今後はその考え方が際立ってくるでしょう。
 栗栖様は少々悲観的にお考えすぎでは?

 LRTの整備スキームも道路系部局がかなりの部分を占めているものです。対立軸で考えていては意味がありません。

Re:要は適材適所
 投稿者---栗栖克寛氏(2002/08/11 01:46:56)

 こんばんは。棺桶に片足を突っ込んだ栗栖です。

 そもそもお考え戴きたいのはこれは1920年代の話です。総合交通計画など当時はほとんど考えられていません。

→いや、たしかにおっしゃるとおりなんです。アメリカはモータリゼーション初体験の国ですから、その先を見通せなかったのです。
 問題は、われわれがアメリカの二の舞にならないことです。

 LRTがあればナントカなるで失敗した都市は海外にもあるんです。そういう事実を踏まえなくてはなりません。

→寡聞にして存じませんでした。肝に銘じます。

 で、住民は道路整備を要求しているではないかとなりますが、これは総論なんです。各論では抑制案も出てきます。また、都市と地方では状況がまったく異なります。

→すみません。何ぶん田舎者でして。

 総合交通計画論はいまや各都市で一般的な考え方です。今の都市計画法が「住民参加」をベースにしている以上、今後はその考え方が際立ってくるでしょう。

→ということは、たまたま小生の親類に「自動車原理主義者」が多いのかもしれません。
 今後はもっと民意を研究することにします。

新型路面電車システム(LRT)を、日本にも、導入させるには!
 投稿者---GM陰謀説氏(2002/08/02 20:55:24)
新型路面電車システム(LRT)を、日本にも、導入させるには!
└そのためには
└岐阜ばなし
 └場所によってここまで違うのか!
  └行き着くところは目的と手段
   └岐阜について

 岐阜県警の様な公共交通機関に対して理解のない団体に、理解してもらう!そして名古屋のCBCテレビの様な路面電車は、時代遅れだと思っているTV局にPRしまくる!

そのためには
 投稿者---栗栖克寛氏(2002/08/10 00:23:34)

→じゃ、貴殿が結社を組み、県警やマスコミに訴願してはいかがですか。

岐阜ばなし
 投稿者---551planning(2002/08/11 17:02:30)

●岐阜ばなし
 当方の今夏のテーマであるLRVのりある記のため、先日名鉄美濃町線関−田神−新岐阜間で800形試乗を行いました。片道1乗車なんで論外かもしれませんが、所感をば。
 そもそも、新関が運転上の拠点ということは理解するものの、親関段落ちの運行形態から美濃方面までのやる気を、岐阜バスとの相互乗車制度から美濃町線自体のやる気を感じたような気がします。前者は長良川鉄道との連絡主体であることは理解するものの、たった1駅間ですら少なからず関市内流動に寄与しようという姿勢もあまりないということ、後者は別会社とはいえ子会社のバス路線が完全並行である以上というダイヤ構成になりつつある現状から、もはや名鉄が路線維持主体の運行姿勢になっていることを伺わせます。
 といって当方は名鉄の姿勢を糾弾し、路線活性化に積極的に取り組むべきである、という結論を導くつもりもありません。またそのための資料も持ち合わせていないのが事実です。ただ実乗で受けた雰囲気では、土曜午後の乗車状況からすれば中量交通としての軌道系の維持はまだ可能かなという印象は受けました。その中で関と岐阜という流動関係、岐阜市内の求心性等が焦点となろうかと感じますが、その中で岐阜市内道路交通状況もポイントになろうかと。
 そこでGM陰謀説様にお伺いしたいのが、糾弾されている岐阜県警の姿勢とやらですね。中京圏にお住まいとお見受けしますが、実際どのような点が問題なのか御教示頂ければと存じます。

●マスコミへのアピール
 別のスレでもマスコミ対応をと仰られていますが、いわゆるLRTの普及へ向けて、確かに広く周知させることは必要かもしれません。ただそれがどのような方向性を持って行われるべきなのか…地域活性化なのか、環境論なのか、公共投資策なのか、いろいろ切り口はあろうと思います。
 その中でマスコミの立場がLRTに対して偏重なのかは判断のしようがありません。ただし「取り上げられないこと」もひとつの事実の証左でありましょう。
 ここ1年で日本のLRV導入は大いに進んでいます。ただしそれが「路面電車」であるという受け止められ方が太宗であると当方は思っています。だからこそ今夏のテーマにし、独自の取材を行っているわけですが、LRTが本来のムーブメントを起こすには地元での理解こそが最重要であり、それは全国的なものには結びつきにくいと考えます。
 また、「ムーバス」からのコミュニティバスの事実をも真摯に受け止めるべきでしょう。マスコミの伝播力を如実に示した事例ですが、結果はどうなのか。LRTになると「バスを走らせれば…」とはまた別次元の話になりましょう。

 それこそ草の根ではありますが、こうしたBBSレベルでの議論からスタートすることもありましょうし、そのほうが中身の濃いものになるのでは、と思っています。如何ですか?

場所によってここまで違うのか!
 投稿者---GM陰謀説氏(2002/08/13 20:56:54)

 昔岐阜県警は名鉄に対して、北一色付近の道路幅の狭さを理由に美濃町線の廃止を要求した。
 福岡県警も同じ理由で西鉄に対して北九州市内線の廃止を要求した。こちらは本当に全廃した。
 しかし近年、歩行者ゾーンとセットで路面電車を復活させた都市における、都心部の軌道が通っている道路は、全般的に狭い!

行き着くところは目的と手段
 投稿者---とも氏(2002/08/13 23:07:06) http://town-m.vop.jp/

 この辺の話は過去ログに全く同じような議論があります。

【路面電車・LRT】道路交通法の規定を実効化する私案 log301.html#3
【軌道系と自動車】軌道系と自動車の共存は不可能か log321.html#2

 昔岐阜県警は名鉄に対して、北一色付近の道路幅の狭さを理由に美濃町線の廃止を要求した。
 福岡県警も同じ理由で西鉄に対して北九州市内線の廃止を要求した。こちらは本当に全廃した。

 GM陰謀説さんの書かれる文面を素直にとると「県警が市電を廃止させた」とそうおっしゃいたいのですか?
 すなわち、本来軌道に対しては道路交通法に対する規制権限しか有しない県警(正確に言えば県公安委員会ですが)=交通管理者が道路法の監督処分に近い指導を行ったと。交通管理者が本来できるのは道路交通法の道路使用許可の処分だけです。廃止の指導までは占用許可権者ではない交通管理者はできません。軌道の使用は道路使用許可の対象にはならないのではないでしょうか。つまり、軌道敷は道路管理者により占用許可をうけているのですが、そこは道路法95条により道路管理者が公安委員会に占用許可にあたり意見照会を実施し、その段階で安全確保ぐらいは意見として出しているでしょうから(これは指導並みに権限のあることです)、公安委員会は軌道事業者に「安全確保のお願い」はできても「指導」はできないでしょう。
 私は県警の事業者に対する一つの「お願い」と解釈しますが。

 西鉄の場合は北九州市内線を自らが廃止したかったのでは?
 北九州市内線はJRと競合し、バスとも競合していてさらに北九州の産業構造の改変に路線網がついていっていなかった。結果的に路面電車の利便性は低く、バスやJRに転換が進んだ。筑豊もJRのフィーダーとしての機能が強くなり、都心乗り入れを求められなかった。つまり利用者のニーズに合わなかったということではないですか?
 個人的には惜しい気がします。小倉の結節性の高さ、都心100円バスの盛況を見ると早まったかなとは感じます。でも、それが事業者の出した結論です。
 公安委員会が廃止しろといったから廃止できるのならもっと問題が顕在化しているところではとうの昔に鉄道事業者は圧力を受けますよ。そんな理由以前に事業者側が出した結論がそうなんですから仕方ありません。
 ちなみに、北九州は廃止と時期を同じくして北九州高速4号線の北九州都市高速ネットへの組み込みを行い、道路交通の通過交通排除を狙ったTDM的施策を行っています。さらに各駅前の結節性強化なども図っています。
 つまり、路面電車が機能を発揮することができなかったというのが正解ではないかと。

 名鉄の場合は微妙です。岐阜県警と岐阜県、当時の建設省は美濃町線乗降安全確保のための事業すら検討していたのでは?

 しかし近年、歩行者ゾーンとセットで路面電車を復活させた都市における、都心部の軌道が通っている道路は、全般的に狭い!

 どこのことをおっしゃっているのですか?欧米のトランジットモールでしょうか?
 確かにヨーロッパのトランジットモールやセミモールは狭いですね。トラフィックセルと環状道路によって通過交通排除をしっかりやる。その内側の歩行者専用街区では道路拡幅など行わずにLRTを導入し、水平エレベーター的な使い方をしています。まさにそのとおり。
 でも、これはまさに都市計画ではないですか?都市計画の手段としてLRTを導入しTDMを採用しています。つまりLRTを入れるためにそんなことをしたのではないですよね。都市計画の道具としてLRTや路面電車を考えている。発想が違うんです。
 都市計画で路面電車を明確にできていない岐阜や北九州とは違いますね。

 GM陰謀説さんは一面的に見すぎちゃいませんか?
 路面電車を残し活用するにはそれなりの工夫を事業者も行政もしなきゃならないいです。でも路面電車を活用することだけを目標にした努力・工夫ではうまくいかない。当たり前です。言い換えればハサミを使うために紙を買うなんてことは普通はしないのですから。
 紙があって切るためにハサミがあるんですよね。LRTはこの場合ハサミで、街づくりや都市計画が紙です。切った紙をふたたび張り合わせるテープのようなほかの材料とともにLRTはハサミとして形を切っていく、つまり、LRTは手段なんです。
 だから岐阜がどうこうと言われても正直のところ同意できない。

 岐阜の場合、まず、具体的に都市計画上の問題としてバイパスや環状道路の未整備によって通過交通処理が難しく、さらに新岐阜−岐阜に代表される既存軌道ネットワークの不整合などの問題があって、その解決手段に路面電車は有効なんですよね。
 ところが都市計画道路の整備が進んでいないこと、市街化が急速に進んだことから路面電車そのものの機能面の課題である「安全性」が顕在化する。
 そこで対策としてはまずは通過交通処理が必要で、軌道の走る道路に並行した都市計画道路を整備しなくてはならない。それにより、軌道の走る道路は比較的交通処理に余裕ができるので乗降場も安全に整備できる。
 岐阜の場合、センターリザベーションではなくサイドリザベーションを採用するのもまずできる一案です。
 岐阜市内区間は路面電車走行空間改善事業の適用要件に合致するのですから、道路管理者は事業者の同意があれば停留所の整備ができます。道路整備会計支出が可能であり、国土交通省所管の道路補助事業ですから名鉄の負担は少なくなります。さらに道路法に基づき道路管理者は軌道を含む道路利用者の安全確保が義務であるのですから(軌道法にはその条文があったかな??)。
 事業を行えるのに行わないのはどこかになにかあるんですよ。
 これぐらい私のような端くれでも簡単に想像できます。
 それを考えてみてはいかがですか?

 前に戻る話ですが都市計画における路面電車の位置付けがしっかりされていればどうにでもできるんです。ただ、それを位置づけられなければ意味がない。
 豊橋や岡山や広島がそれなりに上手くいっているのは都市計画上の位置付けがしっかりしているから。つまり手段としての路面電車をどうするかがはっきりしているのです。でも北九州や岐阜はどうでしょうか。
 路面電車を目的とすれば仙台も金沢もあれではダメといえましょう。でも街づくり、都市計画を目的にすればあれはあれで一つの答えになりませんか。

岐阜について
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/08/13 23:59:41) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 ここ岐阜の市内電車についてはあまりにもひどい状況ゆえ、何度か指弾したことがあります。岐阜の市内輸送において路面電車が適任かどうかの議論以前の問題として、乗降客の安全確保が全く保たれていないこと、そして岐阜駅前−新岐阜駅前間の無告知運休(岐阜駅前電停で「運休することがあります」という無責任な掲示を見たことがあります)があります。

 それでもR248やR256といった主要道路による通過流動への対応も考えると、安全地帯すらままならないのも止む無しだったのかもしれません。かつては。
 しかし、西側に岐阜環状線(黒野線方面では近ノ島の西方なので、忠節からの市内区間の外側になる)、東側では岐阜東バイパス(美濃町線日野橋から電車通りを迂回して、岐南からそのままR22名岐BPになる)が完成し、通過流動の受け皿が出来ています。また広域移動であれば東海北陸道も戦力でしょう。
 そういう意味でお膳立ては整いつつありました。

 さらに岐阜駅前電停も、市内線で唯一安全地帯があるとは言え、アプローチが地下道しかなく、しかもそのつなぎが悪いためブロックによっては目の前なのになかなか辿り着けないという有り様ですが、これも岐阜駅高架化の際に、バス乗り場の東方のスペース(タクシープール)を活かし、新岐阜駅前からまっすぐ駅前広場に乗り入れるという施策を取れるという最大のチャンスがありました。

 こういう状況を考えると、岐阜の問題点が見えてくるとは思いませんか。チャンスが重なっても動かない、それどころか末端部切り捨てに動いた事業者。そして2つのターミナルと市街地を有機的に機能させられない自治体。警察の責任よりも、プランナー不在というほうが正しそうです。

都市交通政策審議委員会のメンバーに、ついて!
 投稿者---GM陰謀説氏(2002/08/11 19:48:21)
都市交通政策審議委員会のメンバーに、ついて!
└都市交通政策審議委員会?

 ここにいるメンバーの大半は、普段絶対に公共交通機関を、使わないようなメンバーにしか見えない でなきゃAGTとかHSSTとゆう電気を大量に、食うものを建設要求するはずがない!

都市交通政策審議委員会?
 投稿者---551planning(2002/08/12 00:07:52)

 まず無知で恐縮なのですが、「都市交通政策審議委員会」でGoogle検索をかけたところ、ソウル市庁の機関がヒットしてしまいました…。

ソウル市庁(愚問かもしれませんが、何で日本語サイト持ってるの?)
http://japanese.metro.seoul.kr/government/departments/departments/detail.cfm

 一応国土交通省の交通政策審議会委員名簿を御紹介しておきましょうか。見たこと、聞いたことある人から知らん人まで並んでますが…うーん。

名簿 http://www.mlit.go.jp/singikai/koutusin/koutusin1.html#1

 とりあえず情報まで。

2004.11.06 Update


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