【検証:】中量板過去ログ集

【検証:近未来交通地図】<中量輸送システムの明日…>
(過去ログNo.321)
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〔LRTなどなど〕新しい道路構造検討案にLRTの基準  投稿者--- とも氏  投稿日時: 2001年3月12日 15時17分

 ともです。
 仕事でサクサクとインターネットをいじっていたら、こんなページを見つけました。

「新しい道路構造に関する基準の検討案に対する意見の募集について(歩行者、自転車、緑のための空間の再構築等に関するパブリック・コメントについて)」
国土交通省道路局 
http://www.mlit.go.jp/road/index.html

 これによると、国土交通省で検討中の道路の構造基準に対し、いろいろ意見をいうことができるとのこと。
 特に注目は、路面電車の走行空間について明文化するとともに、今後は、「自動車の通行空間とは別に、路面電車の通行空間を道路として位置づけるとともに、路面電車の停留所に交通島を設ける・・・」ということが項目として入っていることですね。

 こういったことに対して、意見を言うことってなかなかできませんから(しかも言った意見について、ある程度まとめた上で国土交通省からの回答があるとか)、この機会に、LRTや路面電車などについて、道路サイドへの意見がある方は投稿してはどうでしょうか。

 とりあえずは情報ということで。ではでは。

〔軌道系と自動車〕軌道系と自動車の共存は不可能か
 投稿者--- とも氏  投稿日時: 2001年3月18日 22時31分
〔軌道系と自動車〕軌道系と自動車の共存は不可能か
└Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
└Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
 └Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
  └Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
   └Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
    └Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
    └Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
     └Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
      └Re:軌道系と自動車の共存は不可能か

 ともです。こんばんは。

 ここのところ、軌道系と自動車の関係について、対立軸もしくは主従の関係のような視点に基づく議論が見受けられます(2chの議論はまさしくそれですね。ここでも同じような議論が多いですが) 。
 しかし、本来は双方共に交通手段として相互補完するものであって、交通機関選択において、強制や押し付けによる手段選択をされるようなものではならないはずであり、しかも一概にどちらが善悪とかいう話になるのはおかしい話であるような気がしてなりません。
 前にも何度かその辺書いていますが、あえて再度の問題提議をさせていただきたいと考えます。

1 自動車と軌道系の共存は不可能か

 面的な需要に強い自動車と線的な需要に強い軌道系が対立軸で議論されることが多いようですが、本当に対立するものなのでしょうか。
 そもそも、軌道系にはアクセス&イグレス交通が必要と言う短所が、自動車には需要がまとまった区間では渋滞などの問題が発生するという短所があります。
 パークアンドライドやTDMというものは、そもそもがそれぞれの短所を打ち消す施策といえ、このような短所を無視しての軌道系が有利との議論は、机上の空論にほかなら無いと思います。
 軌道系のアクセス&イグレスをすべて「徒歩」または「自転車」で行うとすると、駅間距離を短くする必要があるため人口密度が低いところでは需要が低いにも関わらず無駄に移動時間を消費するということになり、さらに場所によっては需要が少ないのに軌道系を入れるということにもつながり、今のコミュニティバスに近い問題があるとも考えられます。
 また、自動車の渋滞などの問題は、ここの掲示板に書かれる方ならすでにお分かりと思いますのであえて触れませんが、いろいろ問題があるわけです。
 そう言う意味からしても、軌道系のアクセス交通や低需要導線交通には自動車が向いていますし、逆に都心への通勤需要や高需要導線への軌道系が向いているとなるのではないでしょうか。
 郊外では自動車と軌道系の連携強化を、都心部では極力自動車なしでの移動が可能な都市構造を、郊外相互間などでは自動車による移動を十分担保できる都市基盤整備をという「共存型」をすすめて行くことが重要であり、さらに言うと、どの導線においても、荷物がある場合や交通弱者の利便性を考慮した自動車と公共交通系相互の移動選択の確保も必要だと思います。

2 軌道系を整備すること、そして自動車を削減することが必ずしも環境対策につながるのか

 渋滞を解消すれば車が増加し、公共交通が衰退するという意見の方がおられるようで、そのへんの理由からか「道路は不要である。」といった観点から道路削減を行っての軌道系整備をすべきとの御考えの方がおられるようです。
 しかし、そもそも、エル・アルコン様が別項で書かれていましたが、交通渋滞の緩和には環境改善効果がありますし、公共交通機関の衰退には単純にモータリゼーションの進展以外に、軌道系のサービスレベル(運賃、所要時間、本数など)の問題や、緩すぎる土地利用規制による急激なスプロール化の進展など複雑な要因が絡んでいるのです。
 確かに、道路整備が行われれば自動車交通の増加は否定できません。
 しかし、軌道系のサービスレベルが高かったり、相互の連携が図られれば、それほどの増加につながらず、結果的に環境改善だって図られるかもしれません。
 軌道系の整備のみでの自動車交通削減は不可能ですし、アクセス・イグレスを考えずしての軌道系の整備促進を訴えても、その辺りの検証をせずして、単純に自動車交通不要論もしくは悪玉論を展開しても説得力はありません。
 また、LRT推進派の方が事例に出されるヨーロッパの都市は環状道路もバイパスも持っていて、通過交通流入がないことを前提にすべきですし、LRT反対(慎重?)派の方が例に出される昭和40年代の都電などの廃止に関しては、そもそも都電では需要に追い付かなかったことによる慢性的な「都電の渋滞」という実体があるので、自動車交通円滑化という観点以上に輸送力増強に向けての発展的廃止と考えた方がよいと思います。

3 中心市街地活性化や荷捌きなどの問題

 軌道系、特に路面電車やLRTを入れるにあたって問題になる点です。
 これも、共同荷捌き施設を1ブロックに1箇所義務付けるとか、可能であれば共同集配送を行うことで解決できるなのに、トラック輸送がいけないけないという話になるのが正直不思議です。
 また、郊外型店鋪にしても、それ自体が自動車アクセスによるものを前提としているので悪ではなく、郊外型店鋪の集約や、これらと中心市街地間のシャトルバスなどによる自動車以外でのアクセス手段確保などもできるのですから、それを無視しての議論はちょっと筋違いですね。
 もちろんコンビニも然りです。地方部ではコンビニへの自動車流動は仕方が無いでしょうし。都市部ではほとんどが徒歩や自転車ですから、それを問題にするのは筋違いですね。

4 自動車利用の制限をどうやって図るべき

 TDMの議論なんかでよく出る話ですが、自動車利用を制限するとしたらどうするべきかという問題があります。
 軌道系を入れれば良いとか、強制的に排除すれば良いというのは大きな間違いで、本来であれば、自動車と軌道系の選択は自由にしてもらい、ただ、軌道系に誘導できるような施策(ある程度までの自動車への負荷増大はやるとしてもです)をもって転換を促するのが理想ではないでしょうか。
 数年前から、いろいろな都市圏の交通計画のタイトルに入る「かしこい自動車利用」というのはまさしくその考え方で、自動車を強制的に削減するのでは無く、自転車や軌道系との連携や都市構造の再編を図ることで自動車交通量を抑制しようというものです。
 そういった観点ぬきの精神論や環境論、べき論での自動車削減論は厳しいでしょう。

5 では自動車はこのままで良いのか

 もちろん、そんなことはないですね。自動車に頼らない都市構造の形成、ある程度強制力をもった土地利用計画の制定、共同集配送などによる自動車総量の削減を図ることができるような施策の展開、都心居住などによる極力移動距離を短縮するような政策などを図っていくことは必要ですね。
 この受け皿として、必要があれば軌道系整備を都市計画などと一体となってすすめて行く必要があるでしょう。

 とりあえずは、軌道系と自動車の共存というよりは、都市計画として軌道系や自動車などの交通計画をどう考えるかと言う話になっていますが、こういった点がどうも抜け落ちての議論が続いていると思いますので、あえて書きました。
 おそらく、皆様異論・反論が多々あると思いますので、お待ちしております。

 長文ですが、御容赦を。
 ではでは。

Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
 投稿者--- KAZ氏 投稿日時: 2001年3月19日 12時46分

 昨今流行の2ch風に言うと「御意」。
 なんか自動車と軌道系を対立させて考える人も多いようですが、本来は棲み分け的な発想があってもいいし、自動車交通の円滑化のために考えている都市圏・自治体もあるわけだから、共存というのが本来の姿なんですけどねぇ。
 一緒にTDMの話が出るので、無理矢理感がでてしまうのでしょうか・・・

 また時間がある時にゆっくり考えてみたい事象です。

Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
 投稿者--- (仮)奈良環状LRT氏 投稿日時: 2001年3月19日 23時55分

 こんばんは、(仮)奈良環状LRTです
 軌道系と自動車との共存は可能か否かと言うよりも、共存せざるを得ないと考えております。
 2chでも、大乱闘を演じた私ですが(故に、アドレスは書けません、失礼をお詫びします)軌道系が全てに優先すると考えている訳では無いのです。
 理由ですが

1)全ての道路に軌道を敷き詰める事は困難。
 
都市内の全ての道路に軌道を建設する事は、困難です。
 全ての市町村に軌道系の交通機関を建設する事も又困難です。
 故に、軌道系の交通機関はクルマとの共存を考えざるを得ません。

2)クルマの今以上の増加は、環境を破綻させる。
 
クルマの輸送量は一車線当たり1時間で1000人に過ぎず、大都市での輸送手段としては、余りにも貧弱な上、多くの汚染物質を排出します。
 故に、クルマは軌道系交通機関との共存を考えざるを得ません。

 以上の2点により、可能なまで軌道系の交通機関を充実させ、軌道系の足りないところをクルマで補完する事が適切と思います。

では、失礼します。

Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
 投稿者--- エル・アルコン氏  http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs 投稿日時: 2001年3月20日 01時49分

 各論的にもいろいろ論じたいテーマですが、大前提の部分についてまず述べます。
 軌道系、というか公共交通とクルマの関係を考える時、そもそも論として、手段の共存とか優劣を論じる前に、目的としての人の移動、物の輸送から考えるべきです。

 つまり、人の移動の場合、個々人の移動意思がまずあるのであり、どこへ何しに行くのかという場面に応じて交通モードを選択するのです。
 最初は当然徒歩からはじまり、自転車、そしてクルマという「補助器具=私的交通」を用いた自由意思による移動の体系があり、一方で移動に伴う労力を軽減したり、私的交通との費用対効果や所用時間差を比較して、業としての交通機関をチョイスすることになります。

 私的交通と公共交通の限界事例がタクシーであり、自由意思による移動を他人をして実現せしめる効果があります。
鉄道やバスの場合は、必ずしも自由意思による移動とマッチしていませんが、自分の移動する経路上に、便利な形態で存在する場合に選択されるのであり、路線を引けば利用されるという考えだと本末転倒ですし、ましてや利用を強制するのでお話になりません。

 自由意思による移動とはいっても、概ね方向は何種類かに集約されてきます。
 その流動がまとまって、バスが相応しいボリュームであればバス、鉄道が相応しければ鉄道と、場面に応じた交通機関により集約することで輸送の効率化が図れ、個々が私的交通で移動するよりも速く、結果としてトータルコストが安く移動できるメリットが発生しない限り、クルマからの自然な転移は有り得ません。

 では環境問題を錦の御旗にして規制することはどうでしょうか。
 そもそもクルマの諸問題のうち、「環境問題」については早ければあと2,3年、遅くとも10年内には昔語りになる可能性が強いです。(交通事故問題は遺憾ながら残る)
 私的交通vs公共交通として捉えた場合、ライバルはクルマだけでなく、スクーターに自転車、そして徒歩も入ります。
 現実に自転車や徒歩に客を奪われているケースにおいて、自転車を規制するのでしょうか。さらには「歩くな」というのでしょうか。

***
 公共交通が成立する場面。すなわち集約された移動のベクトルが一定量以上集まる段階ですが、移動の起点と終点の間でその位置はどちらにも動きます。
 公共交通が不便であれば、最後まで私的交通での移動を試みますし、利便性が高ければ早々に公共交通にスイッチします。
 流れを掴み、早期にスイッチする条件を見つけ出すこと。これが公共交通の復権の鍵でしょう。

 公共交通と私的交通は、私は公共交通こそ私的移動の「補助手段」であり、どちらかというと対立軸に位置するのでは、と考えます。

Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
 投稿者--- とも氏 投稿日時: 2001年3月20日 13時24分

 ともです。こんにちは。
 みなさまレスありがとうございます。
 さてさて、本題

エル・アルコン様
 手段の共存とか優劣を論じる前に、目的としての人の移動、物の輸送から考えるべきです。

 その通り。ただ、あえて「共存」という言葉を使ったのは、一般論として(この掲示板や2chの掲示板だけではなく)軌道系導入の前提として自動車からの転換を謳うことがあり、その場合には自動車の性悪論に基づき自動車<軌道系という前提での話が多くなっているからです。
 本来であれば、エル・アルコン様が書かれる通り、人や物の移動(トリップ)の方向性や発生集中を考慮して交通計画を論ずるべきでありながら、そうではなく、場当たり対応的に導入議論がおきているのが現状です。それに対しての意見の言い方として「共存」という言葉を使ったまでです。

 公共交通が成立する場面。(略)移動の起点と終点の間でその位置はどちらにも動きます。
 (略)流れを掴み、早期にスイッチする条件を見つけ出すこと。これが公共交通の復権の鍵でしょう。

 まさしくそのとおりですね。
 それを支援する施設整備(公共交通と自動車あるいは自転車との乗継ぎ拠点)やTDMであってもメリットを感じての公共交通への転換が図られる施策の実施などこういったことができなくてはならないでしょうね。

 公共交通と私的交通は、私は公共交通こそ私的移動の「補助手段」であり、どちらかというと対立軸に位置するのでは、と考えます。

 僕としては、軌道やバスを「公共交通」、タクシー・STサービス(高齢者や障害者向けの送迎サービス交通)を「私的公共交通」、自動車・自転車を「個別交通」というジャンルわけを考えています(これって交通系の技術屋のなかでいつも議論になるので、あまり突っ込まないで下さい(笑))。
 単に「私的交通」としてしまうと、公共交通と融合させると言う観点が無くなり、結果的に対立になってしまう、そのことは結果的に転嫁させるか否かという2択の判断になるということがあると思います。
 よって、前述のように考えるわけです。

奈良環状様
1)全ての道路に軌道を敷き詰める事は困難。
2)クルマの今以上の増加は、環境を破綻させる。
以上の2点により、可能なまで軌道系の交通機関を充実させ、軌道系の足りないところをクルマで補完する事が適切と思います。

 これって、結局、軌道系>自動車という観点ですよね。
 そうではなく、その都市の移動状況を考え、軌道系が相応しいのかバスが相応しいのか自動車が相応しいのか、それを考えずしての軌道系整備は無意味です。
 であるからして軌道系に対する従の関係としての自動車ではなく、極論を言えば需要導線や都市構造から見て自動車が主体であるのが相応しいのであればそう考えるべきであり、軌道系を自動車の補完交通機関とするという選択もありえるはずです。
 また、「大都市では」というものにしても、大都市こそ低需要動向の交通が発生し、それを軌道系で救うのは環境面からしても好ましいことではありません。
 なぜなら、前に打越様との議論で「環境負荷分界点」というものがありましたが、単純に同一地点間を移動するのに1人あたりの環境負荷を考えると、それなりのまとまった流動が常に無ければならず、それであれば、自動車のほうが環境負荷が小さくなる場合もあります。
*1人あたりのエネルギー負荷について鉄道を1(前提は定員の8割乗車)とすると、バスは1.5(鉄道と同じ)、自動車は6(平均乗車)です。

 さらに、自動車の時間あたり輸送力は1車線あたり1000人ではすみません。
 1台あたり平均1.5〜2人の乗車は見込め、かつ1車線あたりの通行可能交通容量はだいたい、1時間800台〜1200台と言われていますので(うそだ!12時間で6000台、日あたり12000台というのが政令にあるではないかとなりますが、これはフリー走行が可能な台数であり、都市内の道路ではその4倍程度流れているところは数多くあります)、少なく見積もっても1200人、多く見積もれば2400人まで対応可能となります。
 一方、LRTでは定員200人として10分間隔で1200人。5分間隔で2400人ですから、それほど変わらないということになるのです。
 すなわち、環境面と輸送力、需要動向からみて、いくつかの手段を考えて行くべきで、単純に軌道系の補完に自動車を使うのでは逆に環境負荷の大きい都市がうまれてしまいます。

 こういった面を踏まえずしての「鉄道性善論」はおかしいとおもうのですがいかがでしょうか。
 ではでは。

Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
 投稿者--- (仮)奈良環状LRT氏 投稿日時: 2001年3月21日 00時07分

 こんばんは(仮)奈良環状LRTです。
 実は、1時間一車線当たり1,000台が本当か否か疑問に思い、大阪市内の道路で調べて見た事があります。
 1,000台よりかなり少ない状況で渋滞が始まり、とても、1,000台もの輸送力はありませんでしたけど。
 では、失礼致します。

Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
 投稿者--- とも氏 投稿日時: 2001年3月21日 00時53分

ともです。こんにちは。

 実は、1時間一車線当たり1,000台が本当か否か疑問に思い、大阪市内の道路で調べて見た事があります。
 1,000台よりかなり少ない状況で渋滞が始まり、とても、1,000台もの輸送力はありませんでしたけど。

 どこで調べたんでしょうか。御堂筋とか(笑)。
 道路計画論から言えば、1車線の1時間あたり可能交通容量は2000台です。(出典「道路の交通容量」交通工学研究会」)
ここに、沿道状況、車線の幅員、歩道の有無、信号の間隔や数、勾配や曲線の状況など様々な要因により割り引き、そこからおおむね1車線あたり800〜1200台という数字がでます。ですから、逆の言い方をすると、道路状況が悪い=走りにくい状況では、容量は極端に落ちて500台以下になることもあります。
 実際、環七や環八でも1時間あたり2車線で2000台以上流れている区間もあれば、2車線で800台に満たないのに渋滞している区間があるのです。

 一律に、1時間1車線1000台というのは大きな間違いであって、その交通状況(道路が全体的に狭いとか沿道利用が進んでいるとか交差点が多いとか)そういったものを無視してはなりません。
 それは、LRTの輸送力を評価するのに定員乗車でみるか、全員着席でみるかというぐらい恣意的に数字を変えることができるからです。

 ちなみに、1時間あたり輸送力を交通計画で使うことはほとんどありません。ピーク時間での評価で使うぐらいですね。
 一般的には1日あたりの需要と供給で判断します。
 なぜなら、ピーク時で評価しては、過大評価になるためです。ま、どうでも良いことですが。

 ではでは。

Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
 投稿者--- (仮)奈良環状LRT氏 投稿日時: 2001年3月22日 00時01分

どこで調べたんでしょうか。御堂筋とか(笑)。

 ええっと、調べたのは西田辺のあたりと記憶しております(ずっと昔なので正確な数字が見つかりません、申し訳ありません)。
 まあ、交差点の多い道路ですし、違法駐車が多いので道路としての能力を減退させているのかも知れませんね(違法駐車で四車線のうちニ車線が使用不能ですから)。
 ちなみに、奈良ではクルマが流れている状況で三秒に一台。時間当たり、1200台。
 ただし、交差点が多いので、かなりの時間は流れていませんので、1000台をオーバーした輸送能力は無いようです。
(東京での、状況はどうなのでしょう?)

Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
 投稿者--- brother-t氏  http://members.jcom.home.ne.jp/brother/index.htm" target="_blank 投稿日時: 2001年3月21日 02時16分

 brother-tです。こんばんは。

 難しい所ですが、ただLRTの輸送力で仮に混雑率150%の時と道路の輸送力で容量の150%の時では多分定時性の点で大差がつくと思いますがどうでしょうか?そしてLRTの輸送力ですが都電荒川線の1980年度の最混雑一時間あたりで2,016人なのですがこの時の混雑率が96%で更に電車が単行で1時間に21本の本数なのであまり当てになりません(参照:全国鉄道事情大研究東京都心部編)。多分3連接車にすれば本数あたりの輸送力は2倍程度になり本数も大手私鉄で一時間に30本というところもあるのでこの程度は可能、そして1986年度の東急世田谷線の混雑率が177%(参照:全国鉄道事情大研究東京西部・神奈川編)とあるので大体150%の混雑率だったら何とか運べると考えると8,640人程度、世田谷線の混雑率を許容するとなれば10,195人の輸送は限界に近いとはいえ可能になりそうです。あくまで机上の空論ではあるのですが正直なところ計算してみて驚きました。多分この限界状態でも所要時間の伸びは平時の1.5〜2倍程度と想定出来るので多分道路が渋滞で平時より2倍となるところの輸送力で比べれば正確な輸送力の比較をする事が出来ると思います。あくまで計算上ですが。

 ちなみに、1時間あたり輸送力を交通計画で使うことはほとんどありません。ピーク時間での評価で使うぐらいですね。一般的には1日あたりの需要と供給で判断します。なぜなら、ピーク時で評価しては、過大評価になるためです。ま、どうでも良いことですが。

 いや〜これを鉄道でやったらえらい事になりそうな気がします。確かにピーク時も普段のスピードで走れる必要はありませんが、ただLRTも含めかなり輸送力に弾力性のある鉄道よりも道路の方がピーク時の需要(あくまで完璧に需要をフォローする必要は無いにせよ)で評価する必要があると思うのですがどうでしょうか?

 それではおやすみなさい。 

Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
 投稿者--- とも氏 投稿日時: 2001年3月21日 17時29分

ともです。こんにちは。

 難しい所ですが、ただLRTの輸送力で仮に混雑率150%の時と道路の輸送力で容量の150%の時では多分定時性の点で大差がつくと思いますがどうでしょうか?(略)

 もちろんそうですね。僕も何も道路のほうが輸送力があると言いたいのではなく、道路であっても軌道であっても最適な需要と供給のバランスがあるから、なにも道路よりも軌道系が優れていると一概には言えませんよということを言いたかったまでで・・・舌足らずでした。
 ただ、注意しなくてはならない点は、鉄道の混雑率150%での輸送力と自動車で比較するのはTDM的な発想で、単純に軌道への転嫁を考えるのであれば、快適性・利便性という概念から転嫁されないおそれがある数字での議論になる点です。
道路の場合の800〜1200台は渋滞しない状態(=設計(又は規制)速度で流れる状態)での容量ですから、この段階のサービスレベルは高水準です。しかし、これ以上の交通量になると渋滞が発生し、サービス水準が低くなります。
 軌道系の場合、定員乗車というのがいわばサービスレベルとしては高い状況なわけですから、ここで比較しなくては、転嫁の議論はおきません。

 いや〜これを鉄道でやったらえらい事になりそうな気がします。確かにピーク時も普段のスピードで走れる必要はありませんが、ただLRTも含めかなり輸送力に弾力性のある鉄道よりも道路の方がピーク時の需要(あくまで完璧に需要をフォローする必要は無いにせよ)で評価する必要があると思うのですがどうでしょうか?

 ところがですね・・・
 ホントなんですよ。とはいえ、施設などの検討(=改札口やホーム幅&長さ、などなど)には当たり前ですがピーク時を使うんですが、一般的に計画段階(=路線のルート設定や駅の位置を決めるなどの根本)においては1日の利用者数なんですね。
 道路も同じで、交差点や信号なんかはピーク時で解析するんですが、ルートやICの位置などは1日あたりの交通量で決めるんですね。
 これは、ピーク時対応としてしまうと、施設が過大になることが一番の理由ですね。ほかにも、鉄道の通勤路線ではピークが一定にかつ同一方向で現れるので良いのですが、都市内地下鉄や道路、環状方向の道路や鉄道の場合、朝夕以外にピークがあったり、方向が郊外方向にむいていたり、はたまたピークがタイムラグをもっているので時間差で次々現れるということがままあるんですね。
 こうなると、ピーク時でやることにさしたる意味がないんです。
 さらには、昨今道路にしても鉄道にしても沿線の都市基盤整備なしでの整備はそうそう無いですから、そういった基盤整備の部分でピークカットや逆需要喚起(需要の主動線と逆の動きを喚起すること)なんかをやって需要の平準化をつとめることが基本になってますし。

 といってもLRTのような都市内交通機関ではどうするのがベストなのかよくわかりませんが。
(東京あたりであれば、まちがいなく供給不足という結果になりそうです)

おっと、実務の雑学になってますね。ではでは。

Re:軌道系と自動車の共存は不可能か
 投稿者--- brother-t氏  http://members.jcom.home.ne.jp/brother/index.htm" target="_blank 投稿日時: 2001年3月22日 00時41分

 こんばんわ〜

 う〜ん僕の方も説明不足だった様ですね、個人的にこの話を考えた時に浮かんだのは横須賀一の混雑道路である衣笠〜林の道路で、もし朝など混雑する時間帯に混雑率150%のLRT(が出来る可能性はほぼ0だとは思いますが)が昼間とそんなに変わらない所要時間で走っていたら確かに混雑はしているかもしれませんがきっと利用者は付くと思います。結局どんなに快適でも基本的に時間がかかったり、読めなかったりするのはやはり交通機関として厳しいし、極端な事を言えば歩いて行くのが一番時間は正確ですから歩きとそんなに変わらなければ(冗談の様ですが本当にあったことです)歩いて行く方が精神衛生上良いわけです。ということを考えるとさすがに1時間も2時間もとは言いませんがそんなに長い時間でなくかつ道路は渋滞して何分かかるか分からない、というときには混雑率度外視で軌道系のほうが有利な気がします。

 まぁ鉄道は収支の帳尻を合わせなくてはならないし、輸送力の弾力性が恐ろしいレベルであるのでそうでしょう、というより確かにラッシュだけで設備を考えたら破産しますね、失礼しました。

 道路も同じで、交差点や信号なんかはピーク時で解析するんですが、ルートやICの位置などは1日あたりの交通量で決めるんですね。

 まぁ道路もいろいろな人に利用してもらうために作りますからねぇ。

 これは、ピーク時対応としてしまうと、施設が過大になることが一番の理由ですね。(中略)はたまたピークがタイムラグをもっているので時間差で次々現れるということがままあるんですね。こうなると、ピーク時でやることにさしたる意味がないんです。さらには、昨今道路にしても鉄道にしても沿線の都市基盤整備なしでの整備はそうそう無いですから、そういった基盤整備の部分で(中略)需要の平準化をつとめることが基本になってますし。

 なるほど、確かにそうですが、こう言った施設整備をやるのには既存設備のボトルネック解消という目的がまずあると思うのですがあくまでピーク時で評価というのはピーク時の需要に完璧にこたえるのが目的ではなく(それが理想ではあるのですが)、あくまで出来る範囲で出来るだけボトルネックを減らす為にサイフと相談しつつ(と書くとみもふたも無いですが)最適な整備を目指すためにという意味合いですのでこれも説明が足りませんでした。

 個人的には正解ではなく財政状況など様々な制約条件をもとに最適解を探して行くべき物だと思います。
 それでは

今後の都市交通(道路&公共交通)についての私案
 投稿者--- 打越健太郎氏
 投稿日時: 2001年3月24日 22時05分
今後の都市交通(道路&公共交通)についての私案
└Re:今後の都市交通(道路&公共交通)についての私案
└Re:今後の都市交通(道路&公共交通)についての私案
└Re:今後の都市交通(道路&公共交通)についての私案
 └住民投票は如何?
  └Re:住民投票は如何?〜そうあわてないで。
   └Re:住民投票は如何?

 打越健太郎です。こんばんは。

 とも様がご教示下さった通り、先日、国土交通省がパブリック・コメントを募集していますね。僕も投稿致しました。で、パプリック・コメントでは(あくまでも「コメント」ですから)言えなかった点も含め、僕なりの提言を申し上げます。

1)バイパス道路
 先日から参っておりましたドイツ・フランスなどでは、都市の外側に外環状道路が設けられ、都市に用の無いクルマは都市内に入る必要が無くなっています。その一方で都市内は(特にドイツでは)LRTやバスなどの公共交通が主体となった交通体系を形成しており、住民のクルマ以外は原則、都市内に入って参りません。僕はこれまで道路建設には原則、反対でしたけれども、こういった都市外環状道路は、都市に用の無いクルマを都市内に入れないためには、むしろ有益と考えました。こういったバイパス道路の建設は、今後も必要でしょう(都市の周囲に土地が無い場合、市街地の直下に地下道路を建設するというのも一案ですね)。

2)市街地へ! (駐車場)
 無論、都市内に所用の方が悉く自家用車を使ったならば、都市の道路はパンクしてしまいます。ドイツにおいては、こういった外環道路の所々に、大規模な駐車場が設けられていました。これはパーク&ライド(またはパーク&ウォーク)用の駐車場で、ここから都市内に用のあるドライバーは、公共交通か、または徒歩で市街地に入っていきます。今後、こういった駐車場は、ますます設置が必要でありましょう。

3)コミュニティ道路(市街地の中)
 市街地には、大勢の住民が済むべきでありましょう。こういった住民がいてこそ、街も賑わいます。また、市民の自治によってある程度の治安維持にも役立つわけです。市街地の中に住むことは、徒歩で日常の用を済ますのにも有益ですね。いちいち何処か遠くに(出かけたくもないのに)出かける必要が無くなります。幸い、最近の地価下落で都心部への人々の回帰が始まっています。東京・大阪のみならず、地方都市においても、市街地内に多くのマンションが建設され始めました。売れ行きも順調なようです。
 ところで、市街地に住民が済む以上、彼らの所有する自家用車のことも考えねばなりません。市街地の住民は、バス等の公共交通に恵まれた人々ではありますが、それでも郊外に出かける際にはクルマを必要とするでしょう。また、市街地の商店街には夜間の貨物搬入がありますし、一部の身体障害者もクルマで市街地に入ってくる必要があるでしょう。こういった排除できない、また排除すべきでない自動車が入ってくるのは、一面当然です。しかし、彼らのクルマが高速でブッ飛ばしては、やはり危険なわけです。ではどうするか? 市街地では、やはりバイパス並みに高速で走られては困るわけで、当然制限速度も低めに設定されるでしょうが、それだけでは不充分ですね。こういった道路は、自動車が高速で走るべきではないし、またその必要も無いのですから、歩行者や自転車優先の道路にすべきでありましょう。具体的には

  • ゆったりとした歩道を設置
  • 出来うる限り自転車専用道路を設置
  • 自動車を「ついうっかり」高速走行させない工夫(具体的には、ハンプ・狭窄・クランク・スラローム等)

等が求められます。

 今後の都市交通のためには、こうした方策での道路の建設が求められるでしょう。
 そうして、市街地内は「歩いて楽しい」都市、また公共交通を積極的に整備した「脱クルマ社会的」都市にしていくことが求められます。
 因みに、現在、あちこちでバイパスの建設は盛んに行われていますが、市民は必ずしも好意的ではありませんね。好意的でなくて当たり前で、ただバイパスを作るだけでは、ますます自動車中心の都市構造・国土構造になってしまいます。これからバイパスを作る際には、既存の市街地内を歩行者・自転車・公共交通主体の都市にしていくことが同時に求められているのです。この両者を同時に実行することによって、初めてバイパスの建設は倫理的にも是認され、また将来における審判にも耐え得る施策となることが出来るでしょう。国土交通省や地方自治体は「反対派が一坪地主になってしまって…」と嘆くだけでなく、彼ら反対派の主張のうち妥当なものに注目し、むしろ取り込むくらいのことが必要でしょう。

 なお「いや、あの反対派というのは過激にして頑固だから、それでもきっと反対を続けるぞ」というご意見もありそうですね。それはそれで構わないのです。こういった際に問題になるのは一部の人々が反対することではなく、その反対運動が道理の上で正当性を帯びることです。正当な反対運動には世論の支持も集まりましょう。そうなってしまうと、公共事業に対する反撥の強まっている今日、それ以上の事業の継続はまず無理になってしまいます。行政が、僕の提言したような方法で「自動車に対するある程度の配慮」という現実性と、「市街地の脱クルマ社会化」という理想を兼ね備えたプランを立てれば、世論はむしろ行政の側につくでしょう。そうなれば、土地収用法などを適用して反対派を強制排除することも可能になります。市民は行政を批判せず、むしろ依怙地で頑なな反対派のほうを糾弾するでしょう。

 なお、当然の事ながら、バイパスを建設し終わったら、ないし既にバイパスが整備されている都市においては、当然、市街地の「脱クルマ社会化」を強力に推進せねばなりませんよ。バイパス整備を行うのは、歩行者等と自動車との「住み分け」のためであって「今後ますますクルマ社会化を推し進める」など、少なくとも都市部では論外なのですから。ここからは、僕などが既に論じているように、市街地におけるLRT、ないしバスの整備が大いに求められるでしょうね。

Re:今後の都市交通(道路&公共交通)についての私案
 投稿者--- (仮)奈良環状LRT氏 投稿日時: 2001年3月24日 23時56分

 (仮)奈良環状LRTです
 こんばんは、打越健太郎さん。
 基本的に同意します。
 バイパスを建設し終わった後の「脱クルマ社会」をいかに構築するかが、これからの課題でしょうね。

Re:今後の都市交通(道路&公共交通)についての私案
 投稿者--- エル・アルコン氏  http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs 投稿日時: 2001年3月25日 01時19分

 バイパス(特に環状バイパス。対角線方向を直結するものもあればなお良い)があれば、中心街に入ってくるクルマは黙っていても減ります。ただ、内側に入れないという確固たる姿勢を示すためには、その抵抗線となるバイパスの水準を相当なものにする必要があります。
 このところ環七を走る機会が何回かあるのですが、比較的恵まれているとされる東側、北側も、亀有北方の大谷田陸橋から北綾瀬の西の加平までの区間が厳しく、これなら対角線方面なら都心を走った方が、という誘惑にかられます。
#今回はいずれも環七の外側が目的地なので、中に入らなかった。

 外環道は革命的な効果を生みましたが、片側2車線はやはり厳しく、川口西IC付近の混雑・渋滞がかなり深刻になっています。併設のR298も川口市芝や草加市旭町の信号機間隔がネックになっており、効果をかなり減殺しています。
 本来、中環、外環や環七、環八など分散型よりも、大容量の環状道路を作り、その内側はシャットアウトにした方が分かりやすいし流れも良いと思うのですが、日本には中心街の「ロータリー」の発想がないように、回して流すことが苦手なようです。

Re:今後の都市交通(道路&公共交通)についての私案
 投稿者--- とも氏 投稿日時: 2001年3月25日 21時57分

 ともです。こんばんは

 さてさて、都市交通のあり方のような話ですね。
 では、ちょっとばかし僕なりの反論などなど

*都市環状道路&フリンジパーキング
 
打越様も書かれているようにパリにしてもドイツ(ミュンヘンなんかが有名ですがそのへんですかね)にしても都市外縁部の環状道路というのは欧米では当たり前に整備されていますね。(パリは全通したのは最近ですが)
 こういった外縁部の環状道路がある都市では、この環状道路の内側には通過交通はまずは流入しないですから、自動車に対して思いきった対策が打てますね。
 これがなくては、前に環七のLRT導入議論にあったような話しが出てきます。
 こういった環状道路沿いに整備される駐車場を「フリンジパーキング」といい、こういった駐車場を使ってパークアンドライドを行うのが一般的なパークアンドライドのやり方です。
 ただ、東京のような巨大都市になる場合にはある程度の車両流入は許容して対応するという柔軟な考え方が必要です。パリなんかもそうしてますよね。

 エル・アルコン様が書かれている東京の環状道路の問題は、東京の都市構造に問題があるのではないかなという気がします。
 なぜなら、東京の場合、東京23区の他にも、千葉、横浜、さいたまなど大きな都市が連担しています。東京外郭環状道路(外環道)や環七、環八は23区の外周環状ですから、対23区という点では効果があるのですが、横浜、千葉、さいたまの相互間などそのフリンジ部もすでに市街化が進んでいるため、さらにその外側の環状道路も必要になるのです。
 例えば、パリやロンドンはある程度まとまった範囲が市街化していますから二重(パリ、ロンドンは都心環状と外縁環状の2つですね)の環状道路程度で済むのですが、東京の場合、その都市圏の広がりで考えると東京都心、23区、東京圏、首都圏という4段階ぐらいでの整備が必要になるような気がします。
 そう言う意味では、中央環状・(環七)・外環・16号・圏央道という複数の環状道路整備は一つの考え方だと思いますね。とはいえ、圏央道の千葉エリアの線形や外環の車線数設定(パリのペリフェリックのような4車線ぐらいは欲しいですよね)には不満はありありですが(笑)。

 ところで、奈良環状様が「環状道路整備後の脱クルマ社会・・・」ということを書かれていますが、環状道路の整備とあわせて、車の総量をコントロールする(交通需要マネジメント=TDM)をするのであれば、環状道路整備後ではなく、環状道路完成と合わせて一緒にやるんだという発想ですね。

*コミュニティ道路
 
こういった速度を押さえたり容量を極端に悪化させるものを配置するのがコミュニティ道路の特徴ですが、こういったものはやたらめったらやれば良いというものでは無く、ある程度まとまったゾーンで考えるべきですね。
 また、これをやるのは都市としてある程度集約した場所で考えるべきでしょうね。東京なんかであれば、環状道路に囲まれたエリアとか。こういったものについては、国土交通省と警察庁の事業で「コミュニティーゾーン形成事業」というものがありますので、それを活用すれば意外と容易に可能です。

*反対運動
 
これは難しい。
 まず、反対運動を2つにわけて考える必要があります。それは、

1)道路(鉄道でも良いのですが)の設置自体に疑問を持つ、あるいは手続きに疑問をもって反対する。
2)反対することで政治的あるいは社会的なアピールを狙う「反対を目的化している反対運動」

です。

 1)については、打越様の言う通り、道路建設によって、どのようなメリットがあるのか、あるいは自動車に対する都市の考え方をどうするのかを明らかにすれば、いわば情報公開や双方の歩み寄り(意見交換)で解決するでしょう。
 しかし、日本の反対運動には2)の運動組織がついています。こういった人たちは反対運動をやって、行政側の計画をとめることで自分達の意見、政治的思想を社会に知らしめるということを考えている場合があるやに聞きます。
 こういった人たちは、クルマを使うことは否定しないが道路は否定する。通過交通排除はどうやるんですか?と聞くと「市民に義務をおわせずに、大企業や行政がなんかやって減らすべき」と禅問答のような答えを返してくるんですね。
 これでは反対運動に行政が歩み寄るのはなかなか難しいでしょう。
 しかも、1)の人たちは、双方の意見を聞いたうえで出た結論には賛成というか納得することが多いようですが、2)の人たちはあくまで行政が計画を白紙撤回するまで(計画を見直しても)反対という姿勢を崩しませんから、話はそうは簡単ではありません。市民のバックアップなんぞなくたって、反対派は「市民の支持はわれわれにあり」として「国民・市民の反対があるのに強行する」といった表現で計画をとめるのです(成田空港や圏央道なんてそうでしたね) 。
 こういった人たちに解らせるには、やはり市民側からの別な圧力、すなわち「都市にとって必要なんだからそんな反対運動をするな」という彼等にとって最も恐い反対運動への明確な不支持(=行政への支持)を本当の市民が打ち出すことです。

 これこそ市民参加の一つの姿かなと思うのですがどうでしょうか。
 ちょっと長くなりましたが、ではでは。

住民運動は如何?
 投稿者--- 打越健太郎氏 投稿日時: 2001年3月25日 23時33分

 打越健太郎です。皆様、ご意見有り難うございます。特にとも様のご意見に関してちょっと僕なり発想を付け加えさせて頂きます。

 とも様の反対運動に関するご意見、大いに頷ける点があります。政治を論じる掲示板においては、こういった「反対の為の反対派」のことを、しばしば(「左翼」でなくて)「サヨク」などと呼んで糾弾していますね。この言い方自体は幾ら何でも失礼ですから僕は追従致しませんが、この区分自体には、とも様の仰る1)と2)との区別と通ずるものもあるかと考えます。こうした人達は、まさに市民のバックアップなんぞなくたって、反対派は「市民の支持はわれわれにあり」として「国民・市民の反対があるのに強行する」といった表現で計画をとめるのです。

 ではどうするか。僕が一案を献じましょう。こういった人々に対して、まずは「円卓会議」的なものを呼びかけるのです。とも様のご指摘する2)の輩であれば、多分参加しないのですが、まあ参加してきたとして(参加しなければ、それ自体が反対運動の胡散臭さを市民に明らかにします)徹底的な情報開示と議論、さらには今後の社会のあり方に対するヴィジョンなどを提示し合い、最後には関係自治体の市民による住民投票を行います。この投票の結果、市民が行政の側についてしまえば、もう反対運動には寄って立つ基盤がありません。逆に行政は民主的正当性を得て、ここで堂々と正義の強硬手段を取ることが可能になります。反対派は(特に2)の反対派は)なおも何か言い続けるかもしれませんが、もはや彼らは、市民にもマスコミにも相手にされないでしょう。住民参加、住民投票といった方策は、最近一部の市民運動家の間で人気があります。そして、これらの方法は、確かに「勝利した側に民主的正当性を齎す」という優れた面を有しているのです。ならばこの方法を使わない手はありません。
 因みに、この方法で行政が負けてしまったら…? その際には一旦、退却しかありません。その代わりに、その地域でどういう事態が起こったのかを詳細にレポートし、次に別の地域で反対派と円卓会議を行う際、参考資料とすべきです。無論、一旦行政の提案を退けた地域で再び「やはり行政の提案に従いたい」という世論が起こる場合も予想されますね。その際には、もう1度、円卓会議から仕切り直しです。今度は行政の提案が市民に人気なのですから、勝てるでしょう。こういった方法は如何でしょう。まあ、特に初期においては時間がかかりそうですが…

Re:住民運動は如何?〜そうあわてないで
 投稿者--- さいたま市民@西浦和氏 投稿日時: 2001年3月26日 00時33分

 こんばんわ。ちょっと「道徳」の時間です。

 私たちの「さいたま新都心」そばに、こんな光景があります。

 .新都心西の国道17号線で、4車線拡幅工事が進んでいるのですが、数軒の家が、何か訳があるのでしょう、引っ込んでくれないのです。国土交通省と埼玉県はよっぽどあわてたのでしょうか、その家々の敷地の部分を残して4車線化してしまいました。歩道も敷地に沿って曲がっています。ですから、下り線は1車線、新都心側の上り線は2車線+駐車帯(すでにできている車線の分)として一旦完成させた形になっています。下り線の1車線ではJR線のガードと交差する上落合交差点で少し渋滞するのですが、それも一時で、むしろ駐車車両がいると対向車線の追い越し車線に出る形になり危険で、駐車違反が少なくなるようです。

 ただ、車に乗っている方からすれば「こんちくしょう」と思うのですが、よく、その眺めを見ていますと、権力が個人をいじめているようにも見えるのです。みなさんは、どう思いますか。

 ちょっと本業入っていますが、わたしは、大きな力を動かすには慎重な態度が必要だと思っています。
 しかし、外環道や圏央道の問題も解決されると思っています。

 こういうのを「横レス」っていうのでしょうか。おやすみなさい。

Re:住民運動は如何?
 投稿者--- とも氏 投稿日時: 2001年3月26日 18時44分

 ともです。こんばんわ。

打越様>
 「反対運動家」(前述2)に属する人たちをあえて呼ぶとこんなんでしょうか。)の人たちとの話し合いで最も難しいのは、相手方が反対運動を主眼にしているので、議論がかみ合わない点と、行政の話は聞かないという姿勢があることです。
 すなわち、彼らには答えが白紙撤回もしくは事業中止以外ないわけですから、規模縮小やルート変更はあり得ないのですし、行政側の話は一切聞かないという姿勢も見受けられますから、行政が情報を公開しても相手にしないのです。
 ですから「円卓会議」のようなものはそれこそ成田の地権者のように、「双方が話をまず聞く&話す」という前提がなければ難しいでしょう。
 であるからこそ、いわゆる「外野」(本来は主役であるはずの市民)から声を上げる必要があるんですね。
 もちろん、反対運動家の意見も聞くことは必要ですし、行政はその意見に真摯に答えるべきです。
 ただ、問題は、反対運動家は基本的に行政が情報公開をするなど住民に対してきっちりとした対応をしても、「ウソ」もしくは「ねつ造」という形で「データに信憑性が無い=事業を中止」という論法に持っていきますから、行政側も及び腰になる点ですね。
 ま、過去の様々な事業の進め方に問題があるとはいえ、なんでこんなことになってしまうんでしょうか。
 ただ、住民投票は、恣意的な報道や双方の運動によって結果が左右されますので、双方が十分な情報公開を行い、公平な報道がされる状況下で、それこそ反対も賛成もあるような事業の場合には可能でしょうね。
 実際、ヨーロッパやアメリカでもやられていますから。

さいたま先生>

こんばんわ。ちょっと「道徳」の時間です。

 おっ、学生時代嫌いだったんですよ(笑)

 私たちの「さいたま新都心」そばに、こんな光景があります。
 新都心西の国道17号線で、4車線拡幅工事が進んでいるのですが、数軒の家が、何か訳があるのでしょう、引っ込んでくれないのです。(後略)

 ここについて言えば、そもそも17号は4車線で都市計画が決定していますので、立ち退いていただくべきということになってしまうんでしょうね。
 ここでポイントになるのが、その家が都市計画(これ自体が財産権の侵害で違憲であるとの意見がありますが)にかかっているという点です。
 本来、都市計画については、その都市の有るべき姿を定めるものとして、住民などの意見を聞いた上で(実際にはそこが問題なんですが)決まっている計画ですから、それを実行することが行政の責務とも言えるのです。
 しかし、反面、地権者からすれば勝手に都市計画なんて決めやがってとなるので、そこでもめるんですね。
 これがある意味で「公と私」の関係になるわけですが。
 であるからして、行政は「法的に」正当な手続きに従って事業を進めることは何ら問題ないですし、それを攻めることはできません。
 一方、地権者サイドからすれば、行政が用地買収をするということは公権力の乱用にとられますから、行政はおかしいとなるのです。

 そう考えると、本来の都市計画を決める段階で、住民の意見を100%把握すればとなるんですが、そんなことはできません。もしそうなると住民側がエゴを言い出すことになり、そんな人が何割かでもいれば道路も鉄道も一切できなくなります。
 ですから、民主的な判断で都市計画手続きを行うことが必要で、そのためにパブリックインボルブメントなどを進めていく必要があります。
 とはいえ、いくら民主的な判断であっても、それこそ某元都知事のように「一人でも反対すれば・・・」なんてことになるので、そこが難しいのですが。

 あとは、都市計画に対する住民側の考え方一つですね。
 日本の場合、土地利用規制や都市計画については欧米に比べ遙かに緩いのに、さらに緩めるべきとの議論があるぐらいですし。マスタープランも住民の意見をいくらでも言えるのに、そこでは一切言わなくて、決まってから文句をいいますし。
 もう少し、都市計画や建築規制なんかに関心をもってもらえればこんなにもめないんでしょうが・・・。いわば政治や社会への無関心と関係する話なんですね。

 ちょっと愚痴入ってますが(笑)。
 ではでは。

2004.11.02 Update


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