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CTC〜千葉圏公共交通利用者協議会〜 (過去ログNo.143) 下記内容は予告なしに変更することがありますので、予め御了承下さい。 当サイトの全文、または一部の無断転載および再配布を禁じます。 |
(京成)昭和50年代の暗黒の10年〔続〕 投稿者---矢切氏(2002/01/09 01:13:58) |
昭和50年代の暗黒の10年
└「京成電鉄85年の歩み」より |
「京成電鉄85年の歩み」より
投稿者---551planning(2002/01/10 00:44:43)遅きに失したレスポンスではございますが、参考ということで。
ここはオフィシャルで確認、ということで、某筋より平成8年刊行「京成電鉄85年の歩み」を借りました。冒頭では当時会長の村田倉夫氏がこのように触れています。
然し、その歴史を顧みますと、必ずしも平坦な途ばかりを歩んで来られたわけではありません。特に、昭和49年に65周年を迎えて以来、平成元年までの15年間は、当社の長い歴史の中で特筆すべき時期でありました。企業の発展を期して、鉄道・バスという車輪業依存から脱却して、経営の多角化を図りましたものの、それがあまりにも急傾斜でありましたのとあわせ、鉄道新線との競合にもさらされるなど経営危機に直面いたしました。
昭和52年下期に無配となり、平成元年度に復配するまで、数々の経営再建策を実施してまいりましたが、この間、運輸当局、金融機関ならびに労働組合、関係各位の心温まるご理解とご支援により、この苦難を乗り切ることができました。重ねて厚くお礼申し上げる次第です。(一部引用) 本文中でも経営危機の原因として次のものが挙げられています。
- 鉄道・自動車の乗客減少、生産性向上の遅れ
- 関連企業による多角化への急傾斜
- 行き過ぎた不動産事業投資
- 空港線開業遅れ
また再建要因としては下記の通りです。
- 省力化による約25%の人員削減
- 資産処分などによる借入金減少
- 百貨店など関係会社の再建・整理
- 金融機関の支援と経費削減
- 労使関係の円滑化
本誌は創業からが7つの章で纏められておりますが、第4章(S33)からざっとトピックスを拾っていきましょうか。
●第4章 事業拡張の時代(S33〜S49)
S33.6 | 千葉駅ビル開業 当時県内唯一のエスカレーター設置、1Fに東京名店街、2Fにレストラン、3・4Fに洋画館 「京成ローザ」、屋上にスポーツランドと、当時沿線のランドマークに。 |
.9 | 谷津遊園に日本一の海上ジェットコースター開業 行楽期には3時間待ちも |
.11 | 市川交通自動車が傘下に、県内タクシー業界進出へ |
S34.5 | 常総筑波鉄道(現関東鉄道)傘下に(.8鹿島参宮鉄道も) 茨城県進出 |
.6 | 創立50周年 |
.10 | 群馬奥水上 洞元湖温泉京成ホテル開業 ホテル業進出 |
.11 | 相直対応の改軌工事完成 |
S35.4 | 京成ストア1号店 常盤平店開業 |
.4 | 本社に不動産部新設 |
.7 | 鋸山ロープウェー設立 |
.7 | オリエンタルランド(OLC)設立 |
.10 | 東亜海運(現東京湾フェリー)傘下に |
.12 | 都営浅草線押上−浅草橋間開業 私鉄業界初の相互直通開始 |
S36.4 | 自動車学校開校 都内一のデラックスコースといわれる |
.7 | ダイヤ改正 押上−千葉7分30秒短縮 |
.8 | 新社体制定 KDKからKeiseiに(11月より) |
.8 | 千葉京成ホテル開業 |
.8 | 航空部新設、谷津にヘリポート設置しヘリ事業免許取得 |
S37.5 | 浅草線東日本橋延伸開業 |
.9 | 浅草線人形町延伸開業 |
.11 | 常磐急行交通設立(京成・東武・鹿島参宮・常総筑波・茨交・日立電鉄6社出資) 新橋−日立間長距離急行バス運行開始(12月) |
S38.2 | 浅草線東銀座延伸開業 佐倉−押上間通勤準急運転開始 |
.3 | 自動車事業業績悪化 |
.9 | 京成百貨店八幡店開業 「八幡で都心のお買い物」のキャッチフレーズどおり、センスあふれる商品に期待寄せる |
.10 | 土浦京成ホテル開業 客室からの霞ヶ浦の眺望が評判に |
.12 | 浅草線新橋延伸開業 |
S39.3 | 社紋制定 |
.5 | OLC浦安沖埋め立て開始 |
.6 | 犬吠埼京成ホテル開業 |
.8 | CMソング「グングン京成」制作 |
.9 | 霞百貨店(のち土浦京成百貨店)傘下に |
.10 | 浅草線大門延伸開業 通勤準急都営線直通 両開きドア3200形導入 |
S40.3 | 鉄道乗客1億人突破 |
.6 | 関東鉄道合併誕生 |
.12 | ダイヤ改正 佐倉−大門間通勤急行新設 |
S41.4 | 筑波山〜霞ヶ浦〜日本水郷〜銚子間観光ルート「京成ゴールデンルート131」営業開始 ルート名は上野案内所の電話番号にあやかる |
.7 | 新東京国際空港、成田三里塚に建設決定 |
.11 | ダイヤ改正 通勤急行成田に延長、佐倉−大門間3分短縮 |
S42.5 | 新千葉−京成千葉(現千葉中央)間高架化 |
.11 | 本社上野→押上移転 |
S43.5 | ダイヤ改正 開運号・通勤特急増便、千葉線に区間急行登場 |
.6 | 浅草線泉岳寺・京急線品川延伸開業 3社相直開始(京成車は泉岳寺まで) |
.6 | 博物館動物園−日暮里間にて追突事故発生 |
.11 | 浅草線西馬込全通 直通区間も西馬込までに |
.12 | 空港新線免許申請 |
S44.1 | 上野京成ホテル開業 |
.3 | TCATに出資 |
.3 | 営団東西線西船橋全通 |
.4 | 東洋交通(現千葉中央バス)傘下に |
.7 | 大神宮下−船橋間にて追突事故発生 |
.11 | 空港新線免許取得 |
S45.1 | 八幡駅1号踏切死傷事故 運輸省前年に続き特別監査実施、東京陸運局より警告書発布 |
.3 | ATS全線完成 |
.5 | 3社直通特急登場(成田−三浦海岸) |
.9 | 鉄道・自動車部門低迷、減配(1割→9分配当に) |
S46.9 | 東京空港交通出資 |
.7 | 京成不動産設立 民間ディベロッパー目指す |
.10 | ダイヤ改正 東中山止まり区間特急新設 |
S47.5 | 北総開発鉄道設立 |
.7 | 国鉄総武快速線東京−津田沼間開業 |
.10 | 京成百貨店上野店開業 |
.11 | 空港特急愛称「スカイライナー」に決定 |
.11 | 空港新線突貫工事成る |
.12 | 冷房車3500形導入 |
S48.2 | 千葉急行電鉄設立 |
.3 | 空港線橋梁爆破テロ |
.3 | 運輸業低迷深刻化、分譲土地収入で堪える |
.4 | 春闘史上初の交通ゼネスト |
.5 | 京成志満津(現水戸京成百貨店)開店 |
.6 | 上野駅改良工事で日暮里−上野間営業休止(〜12) |
.11 | 大森京成百貨店開店 |
.12 | 筑波山京成ホテル開業 |
.12 | AE車成田特急で暫定デビュー |
S49.3 | 運輸業で営業赤字11億円、副業カバーも足りず事業用地・有価証券売却で凌ぐ |
.4 | 営団勝田台線延伸について運輸省へ善処方要望 |
.8 | AE車ブルーリボン賞受賞 |
.9 | 水戸京成ホテル開業 |
.9 | 運輸業業績深刻化、事業多角化急傾斜が追い討ちに、資金繰り悪化へ |
.12 | 減量ダイヤ改正 種別整理(8種→4種) |
●第5章 経営危機の時代(S50からS55)
S50.2 | 第1回緊急対策委開催 運輸業人件費7割以上に |
.5 | 新空港開港遅延救済策を運輸相に陳情 |
.11 | 国鉄スト権ストで大混乱 |
S51.3 | 京成サンコーポ琴似台(札幌)分譲開始 |
.3 | 経常赤字転落 配当6分に減配 |
.12 | 千葉線大晦日終夜運転取り止め |
S52.3 | 4波160時間スト決行 |
.3 | 経常損失23億、1日あたり借入金利子が鉄道収入を上回る |
.4 | 第1次経営改善計画労組合意、省力化進展へ |
.9 | 中間配当見送り 総資産の1/3を占める不動産処理急ぐ |
.10 | 航空部廃止、事業を日本ヘリコプターに移行 |
.11 | 運輸相、成田新高速鉄道構想発表 |
.12 | 上野ホテル閉鎖 |
.12 | ユアエルム八千代台に開業 |
S53.3 | 30年ぶり無配転落 |
.5 | AE車焼き討ちテロ(6両全半焼) 施設妨害事件も多発 |
.5 | 成田空港開港 空港線ようやく開業へ 延び延びになったことで建設費は420億円に膨れ上がれる |
S54.3 | 北総開発鉄道小室開業 |
.3 | ダイヤ改正 特急8両化 |
.5 | 土浦百貨店売却 |
.5 | 4波66時間スト決行 第2次経営改善計画労組合意 固定資産処分、関連会社再建・整理へ |
.7 | 金融機関支援策開始(金利減免) |
.11 | 東京湾フェリー売却 |
S55.2 | 鉄道車両ファイアーオレンジ色統一 |
.3 | 日本民営鉄道協会退会 春闘交渉も個別交渉へ離脱 |
.6 | 江戸川橋梁架替 |
●第6章 経営再建の時代(S55〜H1)
S55.9 | 累積損失拡大 経営再建委員会設立 金融機関支援策拡大 |
.12 | TDL起工式 |
S56.2 | 大森百貨店売却 |
.6 | 2波43時間スト決行、中央労働委員会勧告により経営再建計画労組合意 |
.7 | 国鉄総武快速線千葉延伸 |
.8 | 一般職希望退職者募集 |
.9 | 東葉高速鉄道出資 |
.10 | ダイヤ改正 6連普通博物館動物園通過 |
.11 | 時刻表販売開始 |
S57.3 | 運輸業回復の兆し 自動車事業16年ぶり営業黒字化 |
.9 | 宗吾車両基地完成 |
.12 | 谷津遊園閉鎖 |
S58.3 | スカイライナー利用者1千万人突破 |
.4 | TDL開園 |
.4 | 2波48時間スト決行、中労委実態調査実施 |
.10 | ダイヤ改正、スカイライナー一部上り列車日暮里停車 |
S59.3 | 千葉県と船橋付近立体高架化事業協定締結 |
.3 | 深夜バス運行開始 |
.3 | 谷津遊園売却遅れで一時債務超過に |
.11 | 成田新高速案、運輸省Bルート推進へ |
.12 | ダイヤ改正 イブニングライナー登場 |
.12 | 上野百貨店閉店 |
S60.3 | 累損圧縮 運輸業黒字基調に |
.5 | 座席定員シール貼り付け |
.6 | 京成ストア「リブレ京成」に改称 |
.8 | 青砥−高砂間複々線化 |
.9 | 京成上野ビル(旧百貨店)丸井に賃貸 |
.10 | ダイヤ改正 通勤特急・モーニングライナー新設 乗客増へ |
S61.3 | 国鉄京葉線千葉みなと開業 バス路線整理 |
.3 | OLC株、津田沼第2工場跡地売却等により借入金整理進展 |
.9 | 都営新宿線篠崎延伸 バス路線整理 |
.10 | グループ観光バス「KaNaC」塗装統一 |
S62.2 | 千葉−成東間特急バス「フラワーライナー」運行開始 |
.4 | 駅名変更 葛飾・センター競馬場前・国鉄千葉駅前が過去帳に |
.4 | 国鉄分割民営化 JRへ |
.5 | スカイライナー旅客2千万人突破 |
.8 | 公津東区画整理事業開始 |
S63.3 | 千葉都市モノレール開業 バス路線再編 |
.3 | 13年ぶり経常利益計上 |
.7 | 空港バス成田空港-YCAT、千葉中央−羽田空港線開業 |
.10 | 成田空港高速鉄道設立 |
H1.3 | 都営新宿線本八幡全通 |
.3 | 成田空港−仙台間高速夜行バス(ポーラースター)開業 |
.3 | 成田空港高速鉄道起工式 |
.4 | 新経営計画(Gプラン'90)開始 累積一掃後後をにらむ |
.4 | 消費税導入 |
.4 | 東京駅−鹿島神宮間高速バス(かしま号)開業 |
.6 | 創立80周年 |
.9 | 中間利益計上で累積債務一掃 |
●第7章 経営自立から21世紀に向けて(H2〜H6)
H2.3 | スカイライナー旅客3000万人突破 |
.3 | 13年ぶりに復配(8分) |
.4 | 民鉄協復帰 |
.6 | AE100形導入 |
(以下省略) |
Re:「京成電鉄85年の歩み」より(自分の投稿の間違い発見)
投稿者---エル・アルコン氏(2002/01/10 01:03:52) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbsああ、うろ覚えで書いたのがばれてしまった(爆)
京成の減量ダイヤ改正は昭和49年でしたか。前も同じ間違いをしたような気がするし、どうもあれくらい溯ると1年程度の記憶がごっちゃになってしまいます...習志野台時代には斜向かいの図書館に85年史を見に行っててすぐチェックできたんですが、と言い訳をば。
自分の投稿訂正
投稿者---矢切氏(2002/01/10 05:40:43)減量ダイヤ改正は、東西線開業はもちろん総武快速開業より2年も後だったのですね。誤った認識を持っていました。減量改正で利用者逸走を招いたとし当時のダイヤ担当者を責めた先の私の発言を撤回します。減量時は会社再建に 必死な時代だったわけですね。
減量自体は誤りでなく、遅い急行と普通を主体にするダイヤにしたのが誤りでした。特急(船橋以東は各停でもよい)と普通主体のダイヤだったら、もっと京成が使われつづけたものと思います。
ところで、減量直前のダイヤ(特に緩急接続パターン等)はどうだったのでしょうか。どこにも資料がないのですが、ぜひ知りたいです。S35.12改正のダイヤは鉄道ピクトリアルに一部のみ出ていたので分かるのですが、S40年代は全く不明なんです。
時宜を得たものであったか
投稿者---エル・アルコン氏(2002/01/10 18:41:30) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs京成の改正が昭和49年12月として、昭和47年7月の総武線改正と直接の関係がないというのはちょっと早計です。さらにこの時期は非常に間が悪く、昭和50年3月の北総電化完成の直前でもあるのです。
昭和47年改正との関係でいえば、当時の主戦場であった京葉地区でもみ合う中、根負けした感があります。そして佐倉・成田エリアでの競争力も必然的に下がってしまうなか、昭和50年改正で国鉄の体質改善が為されたといえます。国鉄の攻勢で苦しいのは判りますが、何か対抗策を打ち出すでもなく自分から身を引いたようなものであり、これが逸走(特に船橋が事実上のターミナルになってしまうという屈辱)の大きな原因といって構わないと思います。
実際、この流れを止めたのは、昭和60年10月改正の「通勤特急」デビューという積極策であり、この布石をバブル直前に打ったことが急速な業績回復につながったといえます。なお改正前のダイヤですが、私もそこまでの記憶がありません。
ただ、当時あったパターンに、千葉線〜本線の列車で、津田沼に着いて「車両交換」と称して上野方の引上線に入るものがあったように記憶してます。どういうダイヤだったのでしょうか。***
競争相手と対峙しているときに身を引く場合、そのタイミングを誤ると一気に壊滅します。
1975年のベトナム戦争末期、北軍と対峙していた南軍は、中部高原での不毛な掃討戦での消耗を回避すべく、生産性の高い海岸部やメコンデルタに戦力を集中させる戦略を取りました。戦力の集中と非採算部門の切捨てという非常に合理的な作戦でしたが、史実はどうなったか。
その指令が下り、陣地替えのために退却戦に移った南軍を北軍は急追、そのまま進撃してわずか50日後に首都サイゴンは陥落、南ベトナム政府の無条件降伏という最悪の結果になりました。
30年の戦争がわずか50日で終わってしまったのは、やはり引いては行けない場面での「引き技」でしょう。微妙なバランスが崩れたとき、急激なスピードで敗勢が近づいてくるのです。よこみち話
投稿者---和寒氏(2002/01/11 13:09:32) http://www.geocities.jp/history_of_rail/横道な話題ながら、簡単なクイズを。
- 速いけれども高い。
- 遅いけれども安い。
さて、利用者はどちらの鉄道を選択するでしょうか。
実は、圧倒的多数が前者を選択するのです。少なくとも、毎日の通勤交通においては。これは様々なデータや分析が立証している事柄です。通勤利用者の行動原理は、世間でいわれるほど価格弾力性を持っていないのです。
後者のアドバンテージを追求してみたものの、あるいはアドバンテージがあると思いこんでいたものの、実際には利用者に顧みられなかった、それがこの問題の本質であるような気がします。通勤特急が回生の一策となったことが、その尤なる証といえましょうか。よこみち話につけたし
投稿者---とも氏(2002/01/12 17:39:41)ともです。
通勤利用者の行動原理は、世間でいわれるほど価格弾力性を持っていないのです。
そうですね。
これに付け足すと、どういう状況下ならそれを使うのかですね。
道路であれば、車が増える→渋滞する→速度が落ちる→容量が低下する(速度が下がれば時間あたりの通過台数が減少する)
という構図になりますから容易に判断できますが、鉄道の場合は難しいですね。
よほどのことが無い限り速度低下などには結びつきません。
そうなると、移動1分あたりの単価が○円だから・・・という話になるんでしょうが、そこに心理的な要因(慣れているほうを使いたがる)が加わるから難しいんですね。
そうなると、客を呼び込むには、
- スピードアップおよびアクセス・イグレスタイムを短くして、トータル所要時間を少なくする
- 運賃制度を見直す
- 着席サービスの提供による高いサービス水準の確保
といった堅実な策なんでしょうね。
そういう意味では京成の行ってきた策は1番の策をやったということなんでしょうか。とするとあとは、やはり2、3あたりをやるのがいいんですかね。
では利用者に対するアドバンテージ
投稿者---和寒氏(2002/01/15 12:02:06) http://www.geocities.jp/history_of_rail/和寒です。とも様、リプライありがとうございました。
以前、西船橋で東西線始発列車の席取行列をしていた際に見ていて、驚いたことがあります。快速(先発)・各停(次発)が並んで出発を待っていると、たとえ寿司詰め状態でも、お客さんは快速に集中するんですね。各停の方はというと、さすがに空席こそないですが、立客はほとんどない状態で出発していたものです。各停2本抜きとしても、到着時刻は高々10分程度しか違ってこないのに、それでも「早く着く」列車を選択するのが普通の人の心理といえそうです(ちなみに自分自身は、混雑が大きらいなので、多少遅くとも座れる、最低限つかみ棒を確保できるポジションに乗れる列車を選びますが、こういう選択基準を持つ者は稀なようです)。
してみると、速達列車は実はお客さんに対するデファクト・スタンダードであって、これをベースにした付加価値をつけていかなければならないのが鉄道会社の課題といえましょうか。
京成の場合、(3分おきにやってくる総武快速に対抗して)通勤特急をどこまで増発できるか、さらに着席型列車を設定できるか、が課題といえそうです。Re:利用者に対するアドバンテージ
投稿者---とも氏(2002/01/15 12:31:55)ともです。
いえいえ。そんなリプライといえるようなものでは・・・。してみると、速達列車は実はお客さんに対するデファクト・スタンダードであって、これをベースにした付加価値をつけていかなければならないのが鉄道会社の課題といえましょうか。
考え方は単純で、同じ料金ベースであれば早いほうを選ぶということなんでしょうね。
京成VS総武快速という観点で考えると、トータルの所要時間での勝負になります。ついつい忘れがちな部分ですが、例えば、船橋から日本橋まで、京成が仮に総武快速より速い列車を運転しても、結果的に乗り換えて行く先の大手町なり日比谷なり新宿までの所要時間、すなわち最終着地までの所要時間が乗り換え時間を含め、総武快速利用よりも速くならなくてはなりませんね。その上、料金抵抗の考え方からJRより速くても高すぎては意味がありませんし、乗り換え所要時間と待ち時間もそこに加味されます。そうなると、今の京成のサービスで果たして勝てるのかということになるのですね。
確かに、通勤特急によって、京成はかなり盛り返していますが、これはこれまで総武快速の恩恵を受けられなかった沿線住民の取り込みに成功したからとも考えられます。
すなわち、総武緩行〜総武快速というルートは、乗り換え抵抗を含め、時間ロスにもなりますし、仮に総武緩行で全線となると時間的には京成のほうが有利になる区間もあります。
こういった隙間ねらいが手でしょうね。
幸いにして京葉間は快速停車駅と緩行停車駅で駅前集積に大きな差があるのではなく、もともとの集客力は同程度と考えられます。
それであれば、隙間的に本八幡、中山、幕張などを地道に狙っていけばよいのかなという気がしますね。あとはやはり差別化でしょう。少なくとも定員乗車を超えた混雑状況になると乗客の逸走が始まりますから、それを受けることが出来る魅力あるダイヤ設定と運行が求められるのかもしれません。
なんかまとまりません。
ではでは
京成がようやくまともな外国語による空港案内ウェブサイトを開設 | 投稿者---矢切氏(2002/03/03 15:51:49) |
京成がようやくまともな外国語による空港案内ウェブサイトを開設しました。
このページ右上に、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語ページへのリンクがあります。
サッカー対応で作ったようですが、既存のページよりスマートですから、サッカー終了後もサッカー部分だけ修正し採用して欲しいです。
http://www.keisei.co.jp/keisei/tetudou/airportaccess/top.html
スカイライナーの予約や予約状況紹介など先進的な面もある京成ホームページ、デザイン・使い勝手の悪さで損している面が多々ありますので、このサッカー対応ページの経験を生かしてトップページ(www.keisei.co.jp)の方も改善してほしいです。
京成がウェブサイトを更新
投稿者---矢切氏(2002/04/25 13:30:10) http://www3.ocn.ne.jp/~skylark7/京成のホームページのデザインが大幅に改善されました。今までのは使い勝手も見栄えもあまりにひどかったです。まだページが縦長すぎる気はします。
ワールドカップ情報のほか、バリアフリー情報などが新たに追加されています。
期間限定で意見箱も置いていますが、これは常設しておいてほしいです。
2006.01.23 Update | ||
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