【検証:】過去ログSpecial

【検証:近未来交通地図】Special011
民営化推進委の中間報告への論評
(2002/09/15)

 本投稿は、【検証:】掲示板でもお馴染みの、エル・アルコン様より当BBSに御投稿頂きました文章を、読みやすく構成させて頂いたものです(なお一部文面を編集しております)。

 なお、【検証:】では掲示板投稿に限らず広く皆様からの御意見・レポート等を御紹介致します。自分ではホームページを持っていないけれど、意見が結構纏まっている…という貴方、各種ご相談に応じますのでお気軽に管理人までどうぞ!

下記内容は予告なしに変更することがありますので、予め御了承下さい。
当サイトの全文、または一部の無断転載および再配布を禁じます。



 道路関係4公団民営化推進委員会は、8月30日に集中審議の結果を中間報告の形で首相に答申しました。31日の各紙にその全文が掲載されておりますが、議事が完全公開だったこともあり、各委員の生の発言から報告内容や委員会の方向性について様々な憶測や観測を呼んだことも事実で、この中間報告についても各メディアはそうした各委員の意向を忖度した解説をしているのが特徴です。

 以下、中間報告についての論評と、それを踏まえた道路公団等の改革問題について述べます。

【中間報告についての論評】

 私は民営化について反対の立場を取りますが、それで片付けては話になりません。民営化推進委は民営化について検討・提言することを目的とした委員会であり、まずはその立場を踏まえた上で論評します。

  1. 改革の意義と目的について
     小泉内閣の政策である特殊法人改革の一環として位置づけており、特殊法人の杜撰な経営を正し、それによる国民にツケを回しかねない負債を削減するという目的においては、道路公団等の改革は、必要の無い道路を作らず、国民負担を最小限にするという理念に間違いはありません。
     この理念において、不採算路線の税金による処理と収益性の高い優良な上場会社を実現することを改革の本旨としないという表現は正論であり、後段の国民全体にメリットのある改革を実現する、ということを最後まで貫くべきです。
     

  2. 基本認識について
     (1)で公団方式が限界ゆえ民営化を行い経営の健全化を図るべしという部分につき、理由が見られないのは遺憾です。(2)における経営の自立性の欠如や(3)における事業運営の非効率性・不透明性のうち非効率性に絡む話ですが、道路公団等が国の施行命令に従って建設するという自主性の無いスキームと公団方式が1対1対応の関係にあるのであれば正しいですが、施行命令というシステムの変更を前提にして公団方式が成立する可能性がある場合は、それをもって民営化を推進する理由にはなりません。民営化を前提とするのであれば、この必然性を訴える大前提がすべてです。

     (3)の後段のファミリー企業の問題については、返済原資を回収するシステムとしての有料道路システムの一部門が、返済原資の確保に寄与していないばかりか、本来返済原資に回るべき資金をプールしている疑いもあり、指摘は当然と考えます。

     なお、(4)の財務状況について、将来の破綻や経営危機ではなく、現在の財務状況において企業としての存立を極めて厳しいと言い切ることは、現在の状況である意味固定して民営化する、すなわち民間企業として存立させるという大前提と矛盾します。
     

  3. 民営化の基本方針について
     民営化を前提にした場合、本章については特に問題となる部分はないでしょう。
     

  4. 国及び4公団が直ちに取り組むべき措置について
     
    これも民営化を前提にした場合、特段問題とされる部分はありません。人事関係についても(2)の表現であれば至極当然のことです。ただし、(3)の値上げについては、状況の変化や経営環境の変化に従った対応の道を閉ざしかねず、かえって公団等の経営を悪化させる危険性もあることに留意すべきです。

     ただし、民営化を前提にした場合であっても、足下の公団組織での経営に言及すること、つまり「民営化への変態」を前提にした組織への改編を提言することが推進委の権限に含まれるのかを慎重に吟味すべきです。
     

  5. 首都高速公団及び阪神高速公団の取り扱いについて
     
    これも特に問題はありません。ただし、(3)の費用負担において公団のみ負担を免れ得るとすることについては運営主体としての責任を無視したものというべきです。
     

  6. 本四公団の債務処理について
     
    これしかないといえますが、民間借入のみ債権放棄を求めないとすることは、それがいかに縁故債であっても、同順位の債権者間の公平など破綻処理の大前提を歪めるものです。また、逆にいかなる場合でも債権放棄が無いとなると、この手の民間債権者にモラルハザードを起こす懸念すらあります。
     

  7. 新たな組織のあり方について
     
    (1)の最終的に上場を目指すという部分の説明がありません。改革の意義と目的で闇雲な上場を戒めてはいますが、そもそも非上場ではなく上場企業になることが改革の目的達成と基本方針の実現においてプラスになる理由が必要です。

     現行の施行命令に基づく整備・建設に対して、整備新幹線方式を採用しているが、そもそもの施行命令の段階における改革をしない限り、(公的セクターが損失を補填するなど)新会社が儲かるスキームであれば、無駄な高速道路でも建設できるという可能性があり、国民負担の観点では改革の理念に反した結果を惹起しかねません。

     また、建設に関する国や地方、保有機構との間での契約について言及しているが、一方で運営に関する公的セクターの関与を排しているため、道路の運営・運用における公共性と採算性の優先劣後に疑義を挟む余地があります。

     (2)の保有機構については、新会社の営業収益を原資とする貸付料で債務を返済するスキームとなっており、旧国鉄処理のようにストック収入に頼り事実上再破綻した教訓は生かされています。しかし、運営を担当する新会社と保有機構の分離は、現行公団方式における「公団による運営・建設」と「国による施行命令」の二重構造の温存になる懸念もあります。
     また、債務返済が順調でないにもかかわらず、運営を担当する新会社が上場するという事態は、改革の意義と目的においても否定されていることを再確認すべきです。
     

  8. プール制について
     現行方式の廃止を提言するのは理解できますが、「用語については、今後使用しない」という部分は意味不明です。
     なお、廃止を必要とする理由付けが全くありません。
     

  9. 料金について
     
    概ね妥当と考えますが、一般道路(含・高規格道)が無料であることとの整合性、つまり、公団等の高速・有料道路のみ料金を徴収し続けることについての説明が必要です。
     なお、「永久有料化」の用語封印については言葉だけを封じれば良いものではなく、プール制と合わせて実質として採用するのかどうかの議論を避けてはなりません。
     

  10. コストの縮減等について
     概ね妥当です。ただし、コスト削減において考慮すべきは、安全性のほか、輸送力確保といった効率を含むべきであり、安く出来るが渋滞しがちといった事態は避けるべきです。
     

  11. 今後検討すべき残された課題について
     
    民営化においては今後の課題かもしれませんが、特殊法人改革の本旨を考えるとむしろ先に考えるべき物も含まれています。(本四の債務処理など)
     また、手前味噌ながらこれまでに指摘した部分も検討すべきであることは言うまでもありません。

 以上、「民営化」を前提、目的としてこの中間報告を見た場合の論評です。

【道路公団等の民営化の考察】

 以上のように民営化推進委の中間報告については、なぜ民営化という根本において説得力をもって訴えるものはなかったものの、民営化を前提にした答申としては、一部に採算を重視しすぎるあまり矛盾点や公平性を欠きかねない部分があるものの、概ね妥当、穏当なものになっています。
 一方で公開の審議で見え隠れした個別論点への意向のうち、プール制と永久有料制についてはいわゆる族議員や地方住民、永久有料制については国民世論の根強い反発を感じたようで、個別論点の議論に時間を食われたくないのか「言葉の封印」という理解に苦しむ対応をとっており、かえって「臭いものに蓋」「問題先送り」を地で行った格好になったのは問題かと思います。

 さて、民営化を前提にした場合は一定の評価が可能な中間報告ですが、民営化自体の是非まで立ち返り、道路行政、国土開発の観点まで踏まえて道路公団等を考えた場合、残念ながら上記のようは評価をそのまま与える訳にはいきません。
 以下、個別の論点について批評していきます。

民営化推進委員会の越権行為 ../../highway/log511.html#4

 なお、委員の人選について設置法が非常に曖昧な表現に留めたことから、実際には首相の「好み」(よしんばそれが万人が見ても妥当であっても、「首相の意向」という「好み」で決まったことを否定できない)で決まったという問題があります。
 さらに、委員の中に、道路公団等の事業と直接利害関係を持つ企業のトップを招聘したことは、委員会の公平性を著しく損ねています。
 実際、その企業は自社の事業の業績に関して、高速道路などの影響があることを明言しており、高速道路の延伸=自社業績のマイナス、凍結・中止=自社業績のプラスに直接結びつきます。そのようなよこしまなことは無いと信じたとしても、その委員が建設凍結を主張していることに対する疑念を招くのは当然であり、わずか7人しかいない委員の1人に斯様な人物を招聘することの是非は問うまでも無いことかと思います。

 なお、民営化に対する説明を欠くにもかかわらず、上場を目指すという意見が推進委の中でも根強いですが、全ての道路負債(これは有料道路に限らない)を一掃した、もしくは一掃する前提で上場し、上場益を債務返済に充当するのであればまだ理解できますが、実態は道路公団等のみの負債返済目的であり、さらに上場企業となることで基本的には資本市場のコントロール下に置かれるという側面と、国民の利益の両立を説明・保証する必要があります。

 実は、現行の国による施行命令の部分がある限り、どのような事業体になろうと同じ結果になるだけです。この部分は本来、立法府がきちんと吟味したうえで法案を通し、かつ行政府が財政や必要性を吟味したうえで施行命令を出さないといけません。
 立法府と行政府がその職務の是非の検証と反省を欠いたままで、「新会社」との協議にそのままの法律に基づいた施行命令をぶつけてくるのでは改革になりません。

 いわば、立法府と行政府が自らの職務怠慢の詰め腹を公団に切らせ、ツケを国民に回してきたのが今回の「改革」という極論も成立する訳で、そこの部分について国会(政権与党)と政府の明快な説明が必要です。

 ここがクリアになれば、新たな組織がどうなるかは実は些少な問題になります。いわば「道路公団」がそのまま内部刷新の上継続しても構わないのです。それくらい重要な部分ですが、肝心な部分に手を付けていません。

 必要な道路の存在を認めていますし、その建設が国の責務であることもどうやら共通認識ですが、採算性を重視するのは道路公団等の問題であって、本当に必要な道路は公的セクターが建設するという論も乱暴の極みで、一般道も含めた「道路事業」という会計単位を仮に創設したとすると、本来は収益性のある高速道路の収入でサポートすべき道路整備という部分を切断することで、収支が均衡もしくは配当原資見合いの利益を計上する「道路公団等」の部門と、大赤字の「必要道路事業」の部門が両建てで存在することになります。

 この時、道路公団等の部門の過去債務償還後の余剰利益は必要道路の部門に回ること無く、配当など外部流出になります。また新規建設も採算が取れる区間は道路公団等の部門が着手しますから、必要道路の部門の収支は極めて悪いことになります。
 この時建設国債でその足らず前を賄うと金利負担が上積みされますし(道路公団等部門の配当金と両建ての外部流出になる)、収支均衡を重視した場合は必要な道路の整備が遅れるという事態になりますが、それが国や地方と国民においてベストの選択かは甚だ疑問です。

行革担当相と民営化委員の「採算第一主義」への警鐘 ../../highway/log511.html#2

 付け加えて言えば、工費費の相当部分を環境対策費が占めますし、阪神大震災以降念入りになった地震対策も高騰の原因です。また前述の番組で猪瀬委員がオーバーブリッジの多さを批判していましたが、それは公団が好きで掛けているわけではないという部分をきちんと説明しないと絵に描いた餅を地で行くことになります。

 また、折りにふれて小田原厚木道路の地平区間をコスト削減の例として上げたり、対面通行での整備を主張していますが、高速走行を前提とする道路において、水捌けなどに問題が出る地平構造は安全確保上も問題であり、対面通行も同様に事故の危険性及び、事故発生時どころか故障車で通行止になるという信頼性の問題もあります。
 トンネルや橋梁にしても、創成期のエピソードですが、関ヶ原付近の名神高速で開業当時、小山を避けて等高線に沿った急カーブで抜けていた区間がありましたが、事故多発によりトンネルによる線形改良を強いられたことや、渋滞の名所の中央道の上野原ICの先の鶴川大橋から大月JCTまで、拡幅と同時に大掛かりな線形改良をしてきたことを考えると、安全性や輸送力に直接響く懸念があります。

 また、対面通行の輸送力はフル規格の半分ではなく、追い越し不能による最低速車への収斂により半分以下になる事実を考えると、安物買いの銭失いを地で行く話です。
 実際、磐越道や東海北陸道といった亜幹線クラスの高速道路で、対面通行で開業したものの、渋滞の影響が深刻になり拡幅を急ぐケースが多く、「必要な高速道路」を「低規格」で建設することは絶対に避けるべきです。低規格で問題が無いのであれば、そもそも必要が無いのと紙一重でしょう。

高規格道2車線化の是非 ../../highway/log509.html#3

 また、猪瀬委員などが地域分割による競争導入を主張していますが、文藝春秋9月号での亀井静香氏と猪瀬氏の対談で、亀井氏が「松本に行くのに東名を使う人なんかいない」と喝破したように、実際にルート選択が成立するのは東京からだと名古屋以遠といった広域移動くらいですし、逆に中国道と山陽道を競争関係に置いた場合は、線形で不利な中国道の経営を損なう危険性もあるなど、問題でしょう。
 それと、本来は渋滞などの迂回路として案内すべき関係にある道路が他社の場合、きちんとした誘導が出来るのかどうか、また通行料金の競争になってしまい、バイパス機能を殺ぐようになる懸念もあります。

 なお、道路公団等が手を引く代わりに国が必要な道路を建設するというスキームを導入した場合、もし国が、また地方が大勝負に出て第二東名、第二名神を建設して競争関係に立った場合のことを考える必要があります。
 今回のスキームは、東名と名神の収益維持が大前提であり、それが損なわれた瞬間に瓦解するという危うさを持っています。
 この時、道路容量や迫り来る東海、南海地震に対するリタンダンシーの観点から堅牢な第二東名、第二名神を「必要な道路」として建設するのか、それとも「道路公団等」に遠慮して作らずに予想される損失を甘受するのか、または作っても経営を圧迫しないように手心を加えるという一種の損失補填をするのか、本来合わせて考えるべきものを分けてしまう弊害でしょう。

 現在、無料の休憩スペースや小公園、湯茶の無料サービスや清潔なトイレという、安くはない通行料金をとるうえで最低限とも言えるサービスが提供されています。SAなどの商業施設の充実という原則有料のサービス拡充が、これら無償のサービスとのトレードオフになることはないのか。例えば東名の場合、最近各SAの大規模改修と商業施設の増強が進んでいますが、代表的な海老名や足柄にしても、無料休憩スペースの規模はかえって縮小したのでは、という感じでスナックコーナーその他に追いやられています。

 また再び鉄道の事例ですが、衛生面を理由に優等列車での冷水器撤去が進むなど、「水の一杯もでない」ホスピタリティが当然視されており、道路における、利用者が運転者であり、そのコンディション次第では大事故を引き起こしかねない危険性を孕んでいる特殊性を考えると、闇雲な商業化は首肯できません。
 なお、民営化でローカル色豊かな商業施設が、という「幻想」が未だに大手を振っていますが、例えば鉄道における、駅弁業者や駅そば業者が鉄道事業者の関係会社の資本参加を受けてどんどん同一チェーン化している現実を踏まえると、高速道路という独占形態の商売を、敢えて他社に任せる可能性を信じるほうが甘いといえましょう。

 ただし、現在のいわゆる「ファミリー企業」の問題は論外であり、本来、SA、PAでの事業収益も債務返済の足しにするのが当然であるところ、負債の返済ではなく内部留保に回っているのは理解に苦しみますし、もし利益移転に類する行為が恒常化しているとしたら論外で、それは民営化の問題とは別次元の話です。

「道の駅」やサービスエリアの商業化に死角はないか ../../highway/log508.html#5

 そして、道路公団等での建設は債務返済が不可能になるから出来ないが、必要なものは国が作ればといいという主張を同番組で石原担当相が再三にわたってしてましたが、では国の債務はどうなるという部分への配慮が欠けているようです。
 同番組に出席していた片山鳥取県知事は、道路財源の投入(現在はない)、行財政改革の遂行による捻出を主張していましたが、先に建設問題でも指摘しましたが、政府の「汗」が見えないのがこの問題の特徴でもあります。

 なお、現在はキャッシュフローが回っているという動かしがたい事実、つまり現行方式の最大の強みですが、これに対して同番組で石原担当相は将来の金利上昇リスクを主張していました。確かに支払金利の増大はキャッシュフローを危うくしますが、一方で担当相は同じ番組で、右肩上がりの時代ではなく、潜在成長率が1.5%程度と言ってました。
 対外収支が黒字で、自国通貨建ての長期金利のモデルは成長率に収斂すると言うことを担当相はどうもご存知ないようで(実際にはもう少しファクターがあるが、ラフな計算だとこうなる)、この問題の主務大臣として少々心配になった瞬間でした。

※余談ですが、この問題も含めて財政改革を訴える際に「ボツアナ以下の格付」を援用するケースが多いですが、対外収支が黒字の場合、自国通貨建国債がデフォルトになるケースの想定は極めて困難です。その意味で、財務省の反論に対してムーディーズが何ら有効な反論が出来なかったのも当然であり、おまけに外貨建て国債の格付が高位で維持されているということも合わせると、足下の収支均衡を達成する為の方便のようです。

 実はこの指示は、基本的には目的税である道路財源の一般財源化であり、実際にこれが成立した場合、11兆円の投下も覚束ない、言いかえれば一般会計の財源不足をドライバーのみの負担に求めると言うことです。
 実は昨年度、道路財源からの3000億円の道路公団等への増資を取り止めた際、見合いの道路財源のうち2200億円を一般会計に流用しています(同番組:猪瀬委員)。一部の財源は本来一般会計繰入れなので法律違反ではないですが、道路整備の名目で本則を上回る暫定税率を課税されている側からみると、立派な「ネコババ」です。

 整備負担が消えるのであれば減税、必要な道路整備を継続するのであれば目的税として維持の二つしか選択肢はないはずで、もし一般財源化されるとなると、負債はそのままで資産(道路整備の受益者の立場)が増えないので、国民負担が増えることに他なりません。
 また、国費での道路整備と言う「アメ」をぶら下げる今の論議と並行している事実を適切に伝えないことはだまし討ちと言って良いでしょう。

※これも余談ですが、燃料関係の税金について、最近、アメリカと比較すれば高いが、欧州各国よりは安いという主張や、燃料関係の税金は外国では一般財源という訳知り顔な解説が出回っています。これも道路整備以外で取られることが無い税金をなし崩し的に一般財源化しようとする実質増税の動きと無関係ではないのでしょう。
 他国がどうであれ、我が国においては目的税として徴収されているというだけの話で、我が国でそうするのであれば、租税法定主義の原則を踏む以外にありません。

【おわりに】

 道路公団等の問題は、確かに改革を要する部分が山積していることは事実です。その意味で今回の中間報告を待たずとも手を付けるべき部分も多数存在します。
 しかしながら私がこの問題を批判する理由、それは道路行政全体を見据えておらず、結果として国民にとってサービスもなにもかも悪化しかねないという懸念があるからです。

 道路公団等が所有する道路だけが道路でないのに、何故それを峻別するのか。郵政民営化問題と比較するとその奇怪さが分かるのです。
 つまり、道路行政総てではなく道路公団等だけを民営化すると言うことは、あたかも郵便のうち速達・書留業務だけを民営化すると言うことなのです。
 虚実ない交ぜの喩えをすれば、配達記録や翌朝10時便の収支が悪く、将来の国民負担が心配だから民営化する。しかしサービス区域は採算が取れるところだけに限定する。という話でしょうか。地方都市からサービスの維持を要求されると、それは国の郵政公社が国費で別途同じサービスをすれば良いと言っているようなものであり、そうした切り分けが「郵便サービス」全体で考えた時本当に良いのか。それを真顔でしているのが道路公団等の議論なのです。

 そして、片山鳥取県知事が再三、優先順位を後にされたと言う趣旨の話をされていましたが、そもそも、開発やサービスの水準に地方差があるのは当然ですが、それが容認されてきたのは、「いつかは周回遅れでも我々のところに来る」と言う希望でした。しかし、道路問題に限らず昨今の議論で置き去りになっているのは、「もう成長しない」ということは遅れている地域にとっては永遠にその水準に達することが出来ないと言う死刑宣告に等しいと言うことです。

 例えば今ネットでこの論をご覧になっている方で、今までは「来年になればADSLが来る」と言っていたのが、「もうあなたのエリアには永遠にADSLは来ません」となった場合、納得できるでしょうか。
 趣味娯楽なら耐えられる、とはいっても昨今の情報化で、流行その他の画一性が進んでいるおりに、情報の遅れ、物流網から阻害されて流行物もこないといった弊害もあります。前述の番組の最後の出席者である自民党の栗原国土交通部会長が、彼の選挙区のある日本海東北道の予定線沿線は、未開通区間の新潟・中条−秋田の230kmの間に高度医療施設が両端にしかない、と言ってたように、助かるエリアの影に助かりにくいエリアが残るのです。
 前述の番組では本四架橋が3つあって無駄と言うコンセンサスを感じましたが、先日の台風で空路や海路が欠航したように、指呼の間に望む関係であっても万里の隔たりになるという「島」の苦労を理解しているのでしょうか。
 身近な例でいうと、明石海峡大橋の対岸、淡路島はそれこそ今であれば舞子乗り換えで考えれば加古川あたりの東播地区と同じ距離ですが、その発展の差は論じるまでも無いレベルです。

 こうしたエリアの住民をどうするのか、「地方には地方の暮らし方がある」というようなはっきり言って無責任かつ脳天気な意見でない対応を提案してはじめて、国土開発、地域開発としての道路論を始められるのです。

【質疑応答編】

Re:民営化推進委の中間報告への論評
└公団(会社)は道路建設運営の手段である、道路は国土開発の手段である
 └Re:公団(会社)は道路建設運営の手段である、道路は国土開発の手段である
  └Re:公団(会社)は道路建設運営の手段である、道路は国土開発の手段である
   └めちゃ短レス

Re:民営化推進委の中間報告への論評
 投稿者---あんぱん氏(2002/09/03 03:04:08) http://homepage1.nifty.com/m-fujii/

 国鉄改革の過程を経てきたものからにしてエル・アルコン氏の主張はある程度は納得できるものです。

 ただ、国鉄改革の場合、鉄道そのもの存続の為には、異様なほど拡大した組合の力を早急に見直しする必要性があったと言えるでしょう。これが引き金になって、社会党の弱体化となり、55年体制崩壊の一因になったと考えています。マスコミのキャンペーンがあったとも言えますが、腐った組織を国民各位が見ていたからこそ、国鉄の分割民営化に対して積極的に世論が動いたと思います。

 地域医療の問題ですが、ドクターヘリが発着場所や既存の消防との連携に問題山積しているものの、徐々に発展している状況で、この場に持ち出すのはいかがなものかと思います。稚内へは送電ルートが1ルートしかないこととかそういったインフラはどうするのかとかドンドン話しが広がってきます。

 さて、新規建設の是非ですが、やはり問題となってくるのは首都圏の環状道路でしょう。
 基本的に幹線ルートが完成した中四国地域において、国費を投じてまで有料道路を建設する意義はありません。道路公団の後継組織がどの様になろうとも、鳥取県は意地でも鳥取市内まで高規格道路を造ってしまうでしょう。実際に必要なのは30kmぐらいの区間です。

 本四公団の債務処理はどうしても避けれません。縁故債と自治体の出資金が問題になってきます。ただ、政府保証を履行せずに素直に処理してしまうと、中四国地方の金融機関が軒並み破綻になってしまいます。
 グループ企業の問題ですが、現在のJRでも国鉄改革時に手をつけなかった問題だったので、JR西の大幅な合理化も関連事業での失敗が影響するなど今日では相当深刻化しております。見なし公務員だったものが、完全民営化で法的規制が相当緩和されたことから、さらに深刻化するのは間違いないでしょう。

 非常に心配なのが、資産を持たない民営会社という考え方なのです。国鉄分割民営化において、一番失敗したのが、新幹線保有機構という存在であり、JR各社は長期経営計画をまとめる際にこの組織を解体する必要に迫られしまい、巨額の負担を新たに行ったのです。ローカル線のサービス格下げなどの不合理はこのあたりの問題も出てくるのです(固定資産税の減免終了時に大幅な合理化が行われました)。

 いままでの事例を考えると民営会社という形態はベターだと思います。施行命令も時間が掛かりますけどスキームをそれぞれの路線・区間毎に決めて民営化した会社からの申請によって免許を出すという他の交通機関と同じ様な形が良いと思います。また、地域分割も現在の高速道路網を考えると全国一体化組織では大きすぎると思うので、分割が必要だと思いますが、競合よりも、電力会社的な分割がベターだと思います。

公団(会社)は道路建設運営の手段である、道路は国土開発の手段である
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/09/03 10:56:44) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 今回の道路公団等の改革において、確かに国鉄改革と同じ手法を使って世論を見方につけようとしていることは事実です。つまり、国鉄の場合はご指摘のように当時制御不能に陥っていた労使問題が根底にあり、後に当時の関係者が著した記録においても明確にそれが改革の実質的な目的だったとしています。
 実際、今の道路公団等と決定的に異なる営業ベースでの欠損についても、赤字ローカル線の建設を止めて強引な合理化を経た結果、営業キャッシュフローベースでは急激に回復しており、サービス面でも昭和61年11月改正を実現する能力を有するなど、その後のバブル期のことを考えると必ずしも民営化がベストだったとは言い難い可能性すらあります。
 また、長期債務の存在を考えると、今の道路公団よりも脆弱なキャッシュフローで配当可能な民間会社になり得るかは疑問であり、ましてや基金の収益で損失補填するようなスキームを生命線にするような三島会社にいたっては、本来「民間会社」というほうがおかしいのです。
※主要事業が「金融資産での運用」と言う鉄道事業ですから...

 結局、当時の組織を維持したままでの労使問題の解決が不可能であったから、第二会社方式による任意整理(法律に基づく処理だが、既存の破産関係法の適用をしなかったため)をすることで、別法人である第二会社への雇用と言うフィルターをかけて強引に解決しました。逆にいうと、どうしても別組織の成立が必要であり、その舞台回しとして民営化が選ばれたとも言えます。

***
 道路公団等の場合は、少なくとも制御不能な労使問題はありません。あるのは内部の杜撰な経営体制と呼ばれる経営側の問題と、いわゆるファミリー企業と呼ばれる民間で言うところの連結ベースの不明瞭な経理実態です。
 この部分の「ダーティーさ」をフレームアップして、民営化で「クリーン」という世論誘導を図っているようですが、旧国鉄の労使問題が、いちおう労働三法で守られた権利への介入というデリケートな面を持っていたのに対し、道路公団等の経営問題はどれだけ「腐って」いたとしても、極端な話監督官庁の監督権の行使次第でなんとでもなるのです(監督官庁の介入を拒み、保護され得る法的根拠はない)。

 そこに今回の「改革」の不透明な面があり、国鉄改革の手法だけを上手に活用して、違う目的を達成するのではという疑念。そしてその目的が国民の利益になるのかという疑問があるのです。

***
 資産を持たない企業という点については、新幹線保有機構のように減価償却費という最大の投資キャッシュフローを分離したことが経営のインセンティブを削いだ事実を考えると頷けます。
 ただ、装置産業において固定資産の償却が重荷になっていることも事実であり、リースバックなど資産の流動化によるオフバランス化とキャッシュフローの獲得が昨今の流れになっていることも事実です。

 私としては道路という公共財は公的セクターに属す形にして、その運営を外部委託するという形態で民間企業経営の利点を享受する形態のほうが、交通インフラ整備の観点からは正解ではと思うのですが。
 鉄道、港湾、空港と言った基本インフラも合流させ、その整備に関しては、国や地方の総合的な、かつ整合の取れた計画をベースに、コストと直接間接の便益を十分検討した実施計画を踏まえて公費で整備し、その運営は入札により事業者を募るというものです。

***
 今後の整備については、大都市環状道路(通過流動を確保せしめる道路)及び、基本的な都市間連絡道路をもって高速道路(高規格道)は打ち止めで良いでしょう。

 いわゆる山間僻地(ひどい用語ですが)の津々浦々までやる必要はないですが、外周、縦貫、横断の基本パターンをどう整備するのか。先の喩えの日本海東北道(法律上は日本海沿岸東北自動車道=日沿道)沿線とか、山陰地方、九州東岸といった横の連絡がないR7とR9やR10の沿線。また散々叩かれてはいますが道東道など道東、オホーツク沿岸(北見・網走)と札幌の連絡をどうするのか。

 例えば対東京や大阪といった広域流動は航空機や高速鉄道に任せ、国道の高規格化とするとか、中距離の地域間連絡のために高速道路が必要と考えるのか、物流はどうするのかとか、交通全体の整合性を踏まえた議論、地方分権というのなら対大都市の放射型路線よりも横断型路線の方が有効ではとか、後世に負債と同時に資産として残すのですから、後世の批判に耐える交通網の整備を考えるべきでしょう。

 もう充分という意見もありますが、なぜ人口の流出が続くのか、地域格差が深刻化するのか。
 均衡ある発展は幻想と言うのは簡単ですが、実際に住んでいる人をどうするのか。今回の議論ではそこがお留守になってしまっています。
民間会社として採算性に傾注するのも問題ですが、いわゆる「抵抗勢力」と呼ばれる人達が、計画道路の建設費を確保できれば良いという部分しか見ていないのも情けなく、作れば良いというものでもないのです。

 結局、目的と手段の取り違え、これが総てです。

Re:公団(会社)は道路建設運営の手段である、道路は国土開発の手段である
 投稿者---あんぱん氏(2002/09/03 12:26:10) http://homepage1.nifty.com/m-fujii/

 有料道路という形態が地方においてベターなのか非常に感じているのです。
 一定以上の需要があるからこそ、有料道路という形態が成り立つわけで、お金を払ってもという需要が無いと思います(せめて山陽道なみの通行量がないと・・・)。首都圏と地方における整備手法については、分けるべきだと思います。
 瀬戸大橋地元の論理と言われそうですが、山間僻地である中国道の沿線を見ている限り、有料の高速道路では過疎化に対して歯止めを掛けることは出来ないと考えています。

 道路施設が未来永劫残るものとして、減価償却がキチンと行われないのは、問題ではと考えています。これだけレベルが高い施設となりますと、将来の建て直しを想定した上で減価償却を行わないと、この先に対する不安も感じます。

 国策として、自動車の台数を増大させるという方針を貫いてきて、それは大変な効果を上げましたが、今後もそのままで良いのかというレベルまで戻って考えないとことにはと思うのです。一方でインフラを一度、民間セクターへ渡してしまうと、もう二度と戻ることは出来ないのです。

 一刻も先送りを許されないのが、本四公団問題で、当事者同士がこれを避けている気がするのです。

Re:公団(会社)は道路建設運営の手段である、道路は国土開発の手段である
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/09/04 01:35:58) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

●有料道路のあり方
 そこは理想と現実のギリギリの整合性でしょうね。道路財源と地方負担の一般財源で一気に作れたら問題はないんでしょうが、通行料による償還見合いの借金を抜きにして総てを賄えるかというとそうでもなしですから。

 ただ、既完成の道路の場合はやり方はあるでしょうね。例えば中国道の場合、今後は基本的に広域流動は山陽道経由になりますから、ローカル利用は思いきってダンピングして利用促進をする、というか一般国動的な存在にしてしまうという考え方も出来ます。広域利用だけは従来並みの料金を取ることとの整合性ですが、地元用のETCカードを配るとか、開き直って各ICで入りなおして安く上げるようなヒマなクルマは捨て置く手もあります。

 それでも中国道の場合、もしなければ津山にしろ三次にしろ、姫新線や津山線、芸備線だけで今のような「繁栄」(岡山や広島に比べたら話にならないレベルですが)があったでしょうか。例えば中央西線という幹線鉄道が通る木曽路と飯田線というローカル線が走る伊那谷。道路は前者がR19で後者が中央道ですが、木曽路は特急街道ではありますが、街自体は南木曽にしろ木曽福島にしろ伊那谷に遠く及ばないでしょう。

●費用の源泉
 減価償却費=保全費であれば正しいですが、結局、キャッシュとしての保全費用は別途見積もって積みたてるわけです。当然ご存知の話とは思いますが、減価償却はあくまで会計の話であり、類型化された耐用年数において定率か定額で価値を減ずるだけで、設備劣化にしたがって減価償却費を計上するわけではないです。
 要は運用サイドをどう賄うかというときに、調達サイドで減価償却費を充てるか、外部借入を起こすかという問題です。よしんば減価償却費を計上していなければその分は費用計上していないわけですから内部資金として存在するはずです。

 逆に、減価償却費という非キャッシュ項目で費用計上されても、見合いのキャッシュを保全関係に使う義務もないわけで、保全費を適切に計上できるという前提であれば、減価償却を導入することは必ずしも必要ありません。逆に適切に計上できていなければ、減価償却を導入していても改修に伴い除却損を計上したときに、見合う資金を確保できていない危険性すらあります。
 道路の資産価値をその時々で正確に把握するのであれば減価償却の考え方も必要ですが、正直言ってそこまで計算することになんの意味があるでしょうか。国の資産額の把握というかもしれませんが、正確な評価が必要ということはその対象物を譲渡対象にするときか、課税対象にするときでしょう。

●本四公団
 通行料金での回収・償還が絶望的という意味での破綻ですね。

 本四架橋にしろ、青函トンネルにしろ、日本の基本となる4つの島を結ぶことの意味を考えたとき、「破綻するような無駄なもの」という評価が可能か、いや、そういう評価対象とすべき存在かということです。
 それを考えればその債務はどうあるべきかは自明でしょう。実際、瀬戸大橋の鉄道部分の債務は清算事業団(今は鉄道公団)が引き継いでおり、JR四国は一般路線並みの運賃設定で集客に成功しています。
 事業団が引き継いだ負債をJR各社が改めて負担する話はないですよね。本四を東名にくっつけて償還するよりも好条件な話を鉄道だけに、というのも変な話です。

 一般国道28号線、30号線、317号線として、一般国道2号線の関門トンネルのように維持費見合いの料金を設定するにとどめ、残りは公的資金しかないでしょう。
 ただ、その負担を国だけがするのかどうか。例えば瀬戸内海の島嶼には本土とを結ぶ橋がかかっているケースが多いですが、こうした橋の負担はどうなっているのでしょうか。一昨年開通の安芸灘大橋を別にすれば、通行料は無料もしくはごく小額で、地元もしくは交付金、補助金の形で分担して負担しているかと思うのですが、そうした分担は不可避でしょう。

 せっかく国土を結んでも料金が高くて使われない、あまつさえ本来は役割を終えないとおかしい並行航路すら採算をキープしているというのは、橋が正しく使われていないことにほかなりません。橋が所定の目的を達成するという前提で、国と自治体、出資者と利用者の負担すべき部分を計算する必要があります。
 この部分はあらゆる公共事業にいえる話で、償還可能な数字から運賃水準と利用者が決まっているのでは?というケースが多々あります。本当に必要なものならば、利用が見込まれる運賃水準と利用者数を計算し、不足分の負担を考えないといけません。そしてその必要性と負担額の関係が妥当かという判断が必要ですが、往々にしてなぜか机上では辻褄があっているものです。
※未だに忘れられない事象として、多摩モノレールの多摩センター開業日、乗客が押し寄せ過ぎて麻痺状態になったときの乗客数が、計画での1日あたり乗客数だったということがありました。

●本四架橋
 なお、本四架橋が3本も必要だったのか、というテーマですが、橋と船ではコンディションが違いすぎるということと、九州や北海道のように複数ルートを取り立てて必要としない(地形上、九州は下関−北九州、北海道は青森−函館の各都市間に収斂するため、たいていの移動パターンに対応できる)地形ではないこともあり、両端もしくは中央というパターンに帰結するでしょう。
 ただ、中央、つまり瀬戸大橋だけの場合、四国4県対大阪、そして東京という日本の中心方向を向いた場合、明石鳴門ルートの優位性を捨ててまで、という話になりますし、しまなみ街道も他の芸予諸島を考えると、因島、大三島まではどのみち必要で、議論が分かれるのは大島大橋と来島海峡大橋だけといってもよく、規格の問題はありますが結ばれてもおかしくありません。

 鉄道サイドから見ると新幹線の効果を生かせる岡山、そして対面の高松が要衝だったのですから、瀬戸大橋がベストルートなのです。でも道路で考えると、岡山は必ずしも要衝でなく、鳴門から各地への方が合理的なのです。
 もともと性格も得意分野も違う3ルート、財布の中身を見て調整して1本にした方がよかったのか、無理をして3本にした方がよかったのか、瀬戸大橋の開業からまだ14年のこの時期に結論を急ぐものでもないと思うのですが...

めちゃ短レス
 投稿者---長州藩近未来交通奉行氏(2002/09/04 04:02:42)

 眠いのでひと言だけ。

 要するに、政治家や役人に将来ビジョンがないことが問題ではないかと思います。
 これから先、どのような交通体系を築いてゆこうとするのか、自動車交通一本でいくのか、公共交通をメインに据えるのか、あるいは両者をミックスしてゆくのか、ミックスするなら具体的にどのようにミックスするのか……。運輸白書とか環境白書とかを見てみても、そういった将来目標がどうもパッとしません。
 国鉄民営化のときは国鉄ばっかり論じる。今は道路公団ばっかり論じる。これではだめだと思います。
 各論云々以前に、未来の交通社会のグランドデザインから始めるべきではないかと思います。

 とんだ駄文ですみません。ではさようなら。


中間報告が浮き彫りにした民営化論者の呉越同舟
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/09/16 23:31:36)
 
 http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

中間報告が浮き彫りにした民営化論者の呉越同舟
└Re:中間報告が浮き彫りにした民営化論者の呉越同舟
 └金利リスク
まさかの呉越同舟(中間報告批判の推進派への批判
)

 道路関係4公団民営化推進委員会の中間報告が8月30日に発表されたところ、意外にもいわゆる道路族や建設中路線を抱える地方の反発よりも、民営化推進派から激しい批判を浴びています。
 中間報告のスキームは、資産と負債を特殊法人となる「保有機構」に帰属させ、民営化された公団は運営と付帯事業を実施し、機構所有の資産の使用料を支払い、機構はその収入で負債を返済するという、第二会社方式による整理と上下分離をミックスした手法です。

 なぜこれが道路族ではなく推進派の批判を浴びたかというと、ひとえに道路資産が保有機構という政府所管の組織に帰属することになり、その建設や維持の決定権限が民営化会社に帰属しなかったからです。
 確かに前々から批判しているように、無駄な道路建設の原因となっている立法と、監督官庁による施行命令の部分にメスを入れない限り問題の本質は絶対に解決しませんし、税金による整備という「別腹」で無駄な道路整備が進行する懸念は払拭できません。しかし、推進派の反発をみると、どうも彼らの主張の本心はそういった本質論でないことがうかがえます。

●民営化論議の「目的」は何か
 今回の「民営化」論議の根本に立ち返ると、そもそも国家財政の足枷となっていた特殊法人の改革という大きなテーマがあり、その手段として民営化や特殊法人自体の廃止といったメニューが用意されていたわけです。
 ですから、この事業は民間でも出来る、ということで移管・民営化するといっても、それに伴い税金での負担が残るとか、今まで以上に必要になっては目的を達成し得ないわけです。
 今回の中間報告では、保有機構スキームを用いて国民負担(=税金処理)を前提にしていないのが特徴で、少なくともその点において目的を履き違えてはいません。
 しかし、民営化議論で明らかになってきた民営化論者同士の対立は、この「目的」に違いがあることを示しており、同じ「民営化」でも、そもそもの趣旨に合っているかという疑義があるわけです。

 この「目的」の違いですが、それが端的に表れた例として、民営化委員の選定と審議入りに当たり、小泉首相は「新会社が早期に上場できるように」という注文を付けたことがあります。国家財政に最終的に責任を負うはずの首相が、「公団債務が早期に償還できるように」という特殊法人改革の本旨と、我が国が抱える問題点に添った注文を付けずに、新会社の上場に言及したことは、「特殊法人改革」という誰もが反対し得ないプロジェクトが実は手段に過ぎず、別の目的があることを示唆しています。
 図らずも審議の途中でマッキンゼーの川本委員が、「民営化会社として存立するには早期の税金投入による債務圧縮が必要」というレポートを出し、「公団は破綻している」と波紋を呼びましたが、実際良く考えると、このレポートは公団のキャッシュフローによる債務償還のスケジュールではなく、上場企業として成立できる負債とキャッシュフローの比率の実現を示したものであり、特殊法人改革の目的以上のものを求めているレポートに過ぎません。

●2つの民営化論者
 
ここまで言えばお分かり頂けるかと思いますが、道路公団等の民営化において、民営化論者の中に、それを特殊法人改革や財政再建の「手段」とする「手段派」と、道路公団等を民営化した民間企業を成立させることを「目的」とする「目的派」の2派があるのです。
 特殊法人改革や民営化推進委員会設置法など法的根拠の部分においては、明らかに民営化は「手段」」であり、特殊法人を改組した民間企業を作ることは目的ではありません。もちろん最終的に民間企業が出来ることは事実なんですが、目的に反するような形態で民間企業が設立されることは有り得ないはずです。

 しかし、あろうことか首相がまず目的を取り違えています。さらに川本委員のレポートとそれに対する支持が示すように、税金という国民負担を強いてまで上場を急ぐという、国民負担を軽減するはずの特殊法人改革で、国民の犠牲の元に早期に上場企業を設立するということが目的視されるようになっています。
 中間報告の発表後、報告書批判のボルテージを上げているのは明らかに「目的派」であり、残念なことにその理念を批判するというよりもフレームアップや人格攻撃に類する批判なのです。

●代表的な批判の紹介
 
週刊新潮9月12日号掲載の櫻井よしこ氏の「迷走 道路公団 民営化論議のまやかし」はその際たるものでしょう。まあ御自身の期待に反したからではないでしょうが、JR東日本会長の松田委員にスポットを当てて、「行動が分かり難い」はないでしょう。今井委員長を「財界代表」、中村委員を「国土交通省と人的パイプの太い」とレッテル貼りするあたりもまた然りで、ならば財務コンサルを生業とする川本委員あたりは「金融界代表」とでもして頂かないとバランスが取れないというものでしょう。

 それでも櫻井氏はまだマシなほうで、産経新聞9月10日付「正論」の屋山太郎氏に至っては、他人評もさることながら御自身の過去の発言との矛盾もまずご説明頂かないとという代物です。前述の中村委員をとらえて「国交省の廻し者」ですから恐れ入りますし、上下分離は論外で、猪瀬委員は辞すべきとボルテージが上がる一方です。
 屋山氏は上下一体の民営化を支持するようですが、同じ産経から出ている「正論」誌2001年11月号で、高速道路の民営化=無料化を説いていました。メインの事業収入が無くてどうやって民間会社が成り立つのか、特に川本委員の試算を前提に批判してましたが、川本委員の前提である上場の場合は配当原資も必要ですが、どうやって確保するのかをまず読者に説明してからお説は説いて欲しいものです。

 このほか、猪瀬委員が道路族と結託といったおどろおどろしいタイトルを付けた週刊誌もありましたが、こうした批判に猪瀬委員自身は週刊文春9月19日号のコラムで反論しており、猪瀬委員は民営化は特殊法人改革の「手段」という大前提を再度確認しています。このあたり、批判する側に今回の中間報告で特殊法人改革という「目的」が損なわれるのかどうかという議論が無いのも気がかりです。

●上下分離論への私見
 
私自身は先の中間報告の上下分離のスキームについては中立的な評価をしています。確かに批判者のいうように、また先の批評でいみじくも私も述べた通り、現行の建設ステップが温存され、無定見な建設の温床になる懸念はありますが、一方で交通インフラ、特に高速道路という国家レベルでの公共材の保有と建設・維持についての権限を民営化会社に直接渡していないことは、私の主張とも一致するからです。

 またこの状態で運営を民営化することについては、その運営体制・内容が公共サービスとして相応しいものであり続ける保証(契約)を前提にするPFIのような形態であれば私も否定しません。
 上下分離の上下とも民営化する場合は、下物所有の会社に設備更新などの資金回収・転嫁スキームの確立により、設備更新という投資に対するインセンティブを与えるようにしないと、英国国鉄の民営化のような下物会社の収益低迷による安全投資削減による重大事故多発と経営破綻というリスクを負いますが、道路の場合下物を公有とすることで、投資基準を「費用対効果」ではなく「必要なもの」としやすくなり、公共インフラ整備・維持の原則から逸脱するリスクを回避できます。

 なお、櫻井論文では資産を持たない会社にインセンティブがあるだろうか、という批判をしていますが、一般事業会社、金融業問わず、資産を所有して収益を上げる伝統的な形態から、サービスの請負など役務の提供と手数料などフィー収入で収益を上げる形態へのシフトが進んでいることを無視してます。願わくば櫻井氏が、日米欧の金融業界の比較なんて論文を書いて、日本の銀行は米国のように手数料で稼ぐ体制になっていないから収益性が悪い、という業界の常識に与することがないことを祈ります。

道路4公団民営化 猪瀬論文への批評 ../traffic/log046.html
道路公団民営化問題第2弾〜櫻井論文への批判 log503.html#3 
民営化論者の主張はなぜブレるのか log510.html#3
行革担当相と民営化委員の「採算第一主義」への警鐘 
log511.html#2

Re:中間報告が浮き彫りにした民営化論者の呉越同舟
 投稿者---通りがかり氏(2002/09/25 02:00:09)

 一言だけ言わせていただきますと、上場を急ぐ理由として

  1. まともに上場できず国が100%の株を持っているのでは民営化の意味がない

  2. キャッシュフローの数倍の負債を持っているということは、金利の変動に対する体力がないということ

 川本委員は、上場した後の金利のリスクは会社に負わせる前提で話しています。
 今の猪瀬氏等の「国庫負担なし」は耳障りがいいですが、結局金利に対するリスクは負い続けなければなりません。今後数十年にわたり、一定以上の金利は国が負担しなければならないのです。

 川本委員は、長期にわたり国が金利のリスクを負うことを回避する「手段」として早期の上場にこだわっている点も考えてください。

金利リスク
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/10/03 14:26:31) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 道路公団の負債構成は道路債券が19兆円、民間借入などが8兆円で、道路債券は国内債が10年もしくは20年の期間と言うのがスタンダードのようです。
 資産見合いの負債が存在する建前ですので、道路の償還期間50年で考えると、国内債ベースで2ないし4回借り換えが発生することになります。

 この借り換えリスクを「金利リスク」とするわけですが、現状の道路債券は、発行体=JH、保証=日本政府という政府保証債であり、その格付は国債と同格になるため、国債並みの調達が可能です。
 あくまで発行体=元利金の支払人=JHですから、JHが事業収入を得て、償還準備金勘定への積立が可能になっている状態であれば、JHは事業収入による償還もしくは借り換えによる償還が可能です。
 政府が負うリスクは、JHがいわゆるデフォルト状態に陥った時にJHの負う総ての政府保証のついた債務を保証に基づき実行することであり、JHがデフォルトにならない限りビタ1文支出がないのです。
 民間の会計基準では、かつてはこの手の保証債務は脚注表示で済ませるオフバランス扱いであり、金融商品会計の改正以降は、被保証者のデフォルトリスクに応じた率による負債計上となります。もちろんJHは今までデフォルトを起こしていませんから、負債計上額は相当圧縮されます。

 では「上場後の金利リスクは会社が負う」とはどういうことでしょうか。
 これは政府保証が付きませんから新会社の信用力で調達をするということです。そのため負債の圧縮など財務状況を相当良くしない限り、資本市場からの直接調達はもちろん、金融機関からの間接調達すら覚束無いということで、ゆえに負債を税金投入までして圧縮しようとしているのです。

 さて、ここで不思議なことが起こります。
 極端な例えをしますと、政府保証債による調達スキームを温存して政府が偶発債務のリスクを負うことを回避した場合、確かに政府は偶発債務の計上と履行から逃れますがキャッシュベースでは支出はゼロ同士で変わりません。
 一方で、税金を投入した場合、見合いの歳入確保は歳出削減か増税か国債の増発になります。
 このとき国民セクターは一般財源もしくは道路財源からの支出という「増税」(実際には他に回るべき部門の削減で埋め合わせる?)か、他の歳出部門の削減か、国債費の増加という形で影響を受けます。特に最後の国債増発の場合、保証債務を回避して、「実弾」としての債務を負うことになります。

 さらに負債を圧縮した新会社はどうでしょう。
 FCFを債務圧縮に回すわけですが、借り換え時の格付は原則、政府保証債>新会社です。つまり政府保証債よりも高いコストの資金調達になるわけで、JHのままで、税金で負債の一部を処理するだけのほうが外部流出の総額が安くなるのです。まあ、当初政府保有の株式の放出に伴い得るキャピタルゲインはそのまま外部負債圧縮の重要な原資になりますが。

 また、再調達時の金利水準の変化という意味での変動リスクですが、対外債務に財政を頼るといったことがない限り、国内経済環境によって金利水準はある程度規範されます。
 特に長期金利は経済成長率に収斂する傾向があるわけで、通行量の伸びどころか減少するような経済の収縮が予想される場合、さらに現下のデフレに鑑みれば長期金利が将来に亘って上昇する可能性は低いでしょう。一方で長期金利が上昇局面に転じる場合は、スタグフレーションが発生しない限り経済成長が復活したり、インフレ環境に転じるわけですから、通行量・通行料の伸びにより吸収されることを考慮する必要があります。

 そういう意味ではイールドの変化よりも、やはり絶対水準としての資金調達レートが悪化する(一般的に「国債」+「スプレッド」で表されるため)ことは、利用者に営業外費用の負担がスプレッドの分だけ重くのしかかるという意味で影響があるともいえます。

***
 なおいちばん愚の骨頂とも言える事態として、現下の議論が発行体としての道路公団等の存続そのものを疑わせてしまっているため、公団等の資金調達が困難になっていることがあります。
 公団等の経営に危機感ではなく、どうなるか分らないからというのが真相であり、煽りたてて調達できなくなったのに「ほら調達できない、危ない」というマッチポンプは、それこそ負債を増やすだけの愚行です。

まさかの呉越同舟(中間報告批判の推進派への批判)
 投稿者---エル・アルコン氏(2002/10/18 11:20:46) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 この問題で私が猪瀬直樹氏に組するとは天地がひっくり返っても有り得ないと思っていましたが、そんな動天驚地の論を書かざるを得ない事態になったようです。

 民営化推進委員会の中間報告以降、民営化反対論者よりも推進論者の間から中間報告への批判が高まっていることについては先に論じましたが、その矛先は専ら猪瀬委員に向けられているようです。
 不思議な一致点として、(中間報告反対派の)推進派も反対派も国費投入を主張しており、反対派はともかく、賛成派までが事実上国の負担をどうするかという特殊法人改革=道路公団民営化において国の負担を増す方向に向けようとしています。
 マスコミも、推進委のなかで猪瀬氏だけが国費投入に反対、と言う印象操作に近い報道を見ることもあり(これは後日他の委員も国費投入に反対or慎重になった際に、先の記事とうってかわってベタ記事で逃げたことからもうかがえる)、先の論ではないですが、「呉越同舟」の底が見えます。

 さて、こうした推進派の推進委批判、有り体に言えば今井委員長、猪瀬委員、そして松田委員への批判の急先鋒が櫻井よしこ氏ですが、先に週刊新潮9月12日号での松田委員批判を挙げましたが、同趣旨の文章を文藝春秋11月号に寄稿しています。
 また週刊新潮10月24日号では、「「道路公団」民営化推進委員会は空中分解する」というおどろおどろしいタイトルで迫っていますが、結局委員の心理状況の忖度や、今井委員長の差配への不満、推進派の意見が通らないことへの不満に終わっています。
 また10月3日に日経と朝日が掲載した「債務超過論」について、今井委員長と猪瀬委員による批判を単にリーク者の魔女狩りだけのように扱い、だから国費投入論の側に正義ありというイメージづくりをしています。

 これらについては、猪瀬氏側も週刊文春の自身の連載で反論していますが、10月12日号の反論は非常に判り易いです。まず櫻井氏の「批判」については傍目の言い草、思いこみと反駁していますがまさに同感で、まあ一連の審議で中心的だった松田氏の中間報告賛成がよほど許せないのか、本人の弁を否定して推測でモノを語るというのはジャーナリストとしていかがなものかと思います。

 さらに、「債務超過」の件ですが、些か手前味噌ですが先に漠然とではありますが指摘した通り、企業会計と別体系である税務会計での計算であり、これを企業会計での話に当てはめるというのは記者やデスクがよほど無知か、為にする記事のいずれかです。
 このあたり、「計算方法を変えただけで債務超過になるような財務状況は健全とはいいがたい」というコメントは的外れ(それを言ったら日本中の企業で同じことが起こる)ですが、下記URLの京都新聞の記事は比較的正確であり、企業会計と税務会計の違いも理解しています。
 なお蛇足ですが、ラストの川本委員のコメントの前振りの「企業会計に詳しい」は、「税務会計に詳しくない」という編集子のささやかな皮肉にも見えてきます。

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2002oct/07/K20021007MKA1Z100000025.html

 なお、固定資産税(地方税)の課税標準額の計算に当たっては補修費などを除外しますが、法人税法(国税)では補修費や、猪瀬氏が週刊文春で引用している地交体への寄付部分、また建中金利の固定資産計上については、建中金利は算入不算入は任意ですが、その他は算入する旨、法人税法通達で定められており、会計と税務の泣き別れどころか税法の体系内でも泣き別れの部分です。

 このあたり、猪瀬氏の分の冒頭、「生半可が一番困る」はまさに正論です。(もちろん私もおおいに自戒すべきですが)

***
 どうも櫻井氏に代表される批判は「自分の思うとおりに行かなくなった」という極めて主観的なものに感じます。いわんや今週号の新潮の「空中分解」に至っては、思う通りに出来ない子供が怒ってグチャグチャ壊すような感情すら見て取れます。
 ジャーナリストは事実を伝えるのが仕事であって、結果を作って事実と称するのが仕事ではありません。

 両派の相克を見てきて、原則を維持し、目的を忘れず、客観的な反論をする猪瀬氏の論のほうに分があると感じるのは私だけでないでしょう。

 もちろん、分があると感じるのはあくまで推進派の相克での話であって、猪瀬氏の主張に対しては、あくまで「なぜ民営化しないといけないのか」という大前提における納得できる説明がない限り、組することはありませんが。

2004.11.14 Update


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