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湯煙の雪猿に卒寿を託して…次の十年へ走り出した「ながでんのいま」

2010/06、長野電鉄の発表には正直驚きました。同月限りで足掛け20年近くに渡る運用を終了したJR-E成田エクスプレス用253系特急電車3連×2編成を譲受し、2011年春から長野~湯田中駅間の特急車両として運用するというもの。

ながでんでは2005/08に小田急10000形ロマンスカーHiSE2編成の無償譲受を発表。11両編成を4両編成に短縮化し、2006/12から1000系「ゆけむり」としてデビューしていました。当方も翌月に1度乗っていますが、内外装的にはほとんど小田急時代と同じとのことで、HiSE未乗車の当方としてはある意味新鮮でしたね。
ゆけむり登場とあわせ、約半世紀の活躍を続けてきた自社発注の名車2000系4編成のうち2編成が引退。残る2編成がゆけむり代替で特急運用も含め活躍を続けていましたが、ながでんでは早晩置換を考えていたのでしょう…なるほど、253系であればイメージカラーである“りんごの赤”に近いですし、何よりもインパクトがあります。
2010/11には公募により愛称名が「スノーモンキー」に決定。まさに253系の“赤ら顔”にも通じる印象がありしっくり来ましたが、初耳段階でロマンスカーとの違和感を感じた「ゆけむり」とのバランスもちと気になったり…それゆえというわけではないものの、18きっぷ消化と温泉に入りたくて、まず2011/01に湯田中までゆけむりに揺られたのですが、「モンハン特急」に化けておりそれはそれで…と思った次第。

訪問直後、いよいよ02/26デビューが発表されたのですが、それに先立つダイヤ改正は『平成9年以降、鉄道利用人員が大幅に減少しているため』一部時間帯で減便されることに。更に02/02には、2009年以降活性化協議会で今後が検討されてきた屋代線の廃線方針が決定。1922/06の開業から満90年を迎えることはできなくなりました。
なによりも雪景色をゆくスノーモンキーを見たくて、そして100周年へ“次の十年”を走り始めた「ながでんのいま」を感じるべく、駆け足ながら行ってきた次第です。

湯本転じて湯田中通いもはや5年目~ゆけむり

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ゆけむりとの出会いは2007/01、ムーンライト信州ありきの旅の際に湯田中往復と洒落込んだもの。なによりゆけむりに乗れればというものだったのだが、湯田中到着後、共同浴場にでも浸かろうかと思いきや、駅前というか駅裏に日帰り温泉を発見! 2003/04にオープンした「楓の湯」で露天風呂もあり、なによりタイミング的にちょうど開館時間だったために地元の方が数人といった空き具合ゆえ、露天風呂をほぼ貸切状態でのんびりとさせてもらい…どちらかというと楓の湯の印象が強く残ることとなってしまった。

ゆけむりに話を戻すと、朝イチの須坂始発列車に乗ったのだがまだ登場直後とあって子供を中心に展望席があっという間に占められ、中間車にて湯田中まで。VSEこそその直前に乗っていたとは云えいわゆる“小田急ロマンスカー”には乗ったことがなかったので、景色こそ違えど、特に信州中野からの山登りに箱根湯本までのそれを想い重ねてみたり。それと湯田中から普通列車での帰路、桜沢駅での交換の際に雪景色の中やってきた姿がBトレチックにも見えたのがまた可愛らしいというか。

 

ーあれから時は流れて今年1月、18きっぷでの雪見と寒鰤と洒落込んだ富山行の戻りで長野泊、もちろん翌朝は前回とほぼ同行程にて楓の湯で雪見風呂へと。長野からは2000系D編成にて須坂まで。前回訪問時とは塗装が変わりかつての“りんご色”とシンプルになったのだが丸っこい姿に似合っていると思った。
ner 須坂ではホーム向かいに1000系が停車中…側面にベタベタとラッピングされている。人気ゲームと渋温泉がコラボ、2010/12/09~11/01/10までの1ヶ月間「モンハン特急ゆけむり号」として運行されたのだった…名前こそ聞いたことはあるもののピンと来ず、改めて撮った写真を見返しても意図的にかラッピングを押さえたものはなかったが、渋温泉の“しぶざるくん”はきっちり押さえておいた。

松の内ながら平日ということもあり前回訪問時よりも格段に乗客が少ない印象、あっさり進行方向展望席をゲット。車内を見てまわるも、4年前の登場直後とそう変りないというよりも乗り具合の寂しさがどうしても先にたってしまう。モンハンコラボグッズを手にした車掌がまわってきたものの、手を伸ばす人はいない…。
行き交う列車はステンレスばかりの中、信州中野ではマルーンの2000系A編成と離合。そういや須坂で連接台車がむき出しになった状態で置かれていたのだが、ちょうど1000系が1本検査中で代走となっていたのだ。先程長野から須坂まで乗ったとはいえ、湯田中までの山坂道の乗り味も試してみたかったなと。
1000系にとってもはや5年目ということでもはや走り慣れた坂道、このころの積雪はまださほどだったが、りんご畑を進むうちに増えてきた。辿りついた湯田中では青空も見えたが、気持よく一風呂浴びているうちに雪見風呂となり、外に出ると吹雪模様に…コンビニで時間調整の後、やってきた3500系に転がり込んだのだった。マッコウクジラも長野の地にやってきてまもなく20年。東急からやってきた8500系が現時点で湯田中まで登れないことからいましばらく活躍が見られそうではあるものの、未だに残る営団時代の面影に「昭和」をしみじみ思ってみたりするのだった。

「N'EX」改メ「NER」デス~スノーモンキー

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253系改メ2100系は、横浜の東急車輛で整備後、2010/12末に甲種長野入り。直後の当方訪問時点では1編成が須坂にいた。長野から2000系に揺られての須坂到着時、左カーブを曲がっているときに横の車庫先にいきなりその姿を発見っ!ホームから、3500系の後ろにその特徴的なサイドラインを捉えることができたものの、帰路含めこの他に良い感じでカメラに収めることはできず…しかしながら、N'EX時代と変わらぬカラーパターンであったことは確認していた。

その後、02/20の先行特別試乗会を経て、いよいよ02/26から営業運転を開始。引き換えに2000系の定期運用が終了し、A編成が3月末、D編成が8月頃に完全引退となることに。デビュー直後および2000系イベント時には混むだろうし、一方で“雪猿”の姿が見たいなということで、天候を横睨みしつつ登場から1週間後に長野へと向かったのだった。

 

モンハンゆけむり乗車から2ヵ月後、会津から越後を経由、飯山線で信州入り。飯山から木島線跡を追いながらとも思ったもののタイミングが合わずにそのまま北長野駅から信濃吉田駅へと乗り継いだ。時間的には長野まで行けたのだが、ちょうど時間的にスノーモンキーとゆけむりの通過シーンが見られるという事での選択。
早速スノーモンキーの登場-確かにN'EXがながでんを走っている!3連は都内でも見かけられた姿なので違和感はないが、まずパッと見印象に残ったのは、前面右のJRマークが「NER」に変えられていたことか。3500系や長らく須坂留置中の新OSカーには「NAGADEN」と入れられておりその印象があったのだが、確かに社名英字略称で間違ってはいない。とはいえ、であるならばもう一捻りしていっそNEXにしてしまうとか…実は今回前面左に新たにスノーモンキーのマークが入れられたのだが、そこには「NAGADEN EXPRESS 2011」と入っているのだ。ner
続けてゆけむり。ステッカーが剥がされ元通りとなったがやっぱりこっちのほうが落ち着く。展望席を中心に座席が埋まっている様子でなにより。当然ながら相乗効果も期待されようかと。

今回は普通列車を乗り継いで湯田中へ。信濃竹原駅で交換したゆけむりもなかなかの乗り具合。混んでいるかなと思い今回は楓の湯をパスし、湯田中の街を散策したものの、街中はちと寂しかった。昼時とあって温泉客の時間ではなく、スキーヤー・ボーダーを中心に更に奥へと移動するせいだろうか。
その後駅手前の踏切に移動し、やってくるスノーモンキーを待ち受ける。坂を軽やかに駆け上がってきたその姿…N'EXのまんまだ。
30分後の折返しとなるが、駅改札前には早くも行列が。その前に降車客の多くがスノーモンキーをカメラに収めており、係員がなかなかドアを閉められない様子も。当方も車止めの先にまわりこんで見るも、やはり展望車ほどの見た目のインパクトこそないものの、なかなかの存在感というか、しっくりとくる感じというか。

自身のN'EX乗車経験は2度、1度は千葉駅停車化後に品川~大崎間山手貨物線区間乗車のためだけに、もう1度は2002年新春の「成田山初詣号」G車体験だったけ…などと思い返しながら当方も行列に加わり、いざ乗車。まずは最後尾一角の席を確保し、改めてウォッチ。列車はE1編成、最後尾(湯田中方先頭車)1号車が元G車となり、個室も「Spa猿~ん」として残されている。その他客室はJR時代に普通席に変更されておりシートピッチと窓枠が合わなくなっているが回転式リクライニングシートだ。他の2両はもともと普通席、集団見合式固定クロスシートでハットラックの荷棚もそのまま。座席も背面に小布施の広告が入っているほかはそのままの様子、シックな内装だ。
なお車端部のトイレは閉鎖、洗面所も鏡だけが残るスペースとなっているが、出入口横の文字情報装置はそのまま。随所にスノーモンキーのマークが入っている。自動幌装置を備える運転席部もほぼそのままの様子、残念ながら前面展望は効かない。
エクステリアでの最たるインパクトは、1号車端部にでかでかと貼り出された雪猿の写真だろう。その他はほとんどN'EX時代を踏襲、行先表示も1号車がLED、2・3号車が幕式のままで、ner幕式はN'EX時代のデザインを活かしている様子も。当方が真っ先に気になったNERの文字の下にはJRマークの跡が伺えたり、妻面には長野電鉄の銘板が加えられる一方で「横クラ」の標記がそのままだったりと、いろんな意味で楽しめる?

子供を中心に御同輩の動きが落ち着いた頃、8割ほどの乗りで出発、小布施でほぼ満席状態となった。須坂で1/4程度が替わった印象だが、混み過ぎず空きもなくという感じで長野へと向かっていった。当方はゆけむりとの並びを期待し須坂降車も、1線空いたカタチとなったのは残念。長野へ向かう姿を収めると、車庫内とあわせ現有4車種がなんとか揃ったのでよしとしておこうか。

須坂から屋代へ

須坂では定期運用が終了した2000系車両が新OSカーと並びで留置されていた。前面ヘッドマークも外されシンプルな湘南型の顔が見られた。03/27にはマルーンのA編成が引退、D編成は8月の引退までにまだまだイベントが催される予定で、GWにはゆけむり・スノーモンキーを含め屋代線内での運用も行われている。

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現役時代3カラー

屋代線に乗るのはゆけむりデビュー時の2007/01以来。その際は朝の屋代から須坂までの乗車で、松代から通学客が乗ったなと記憶しているが、今回は昼下がりの逆コース。14:10到着便からは20人ほどが降車、その多くが改札方面へ…実は長野行は14:08発。nerこのあたりにも現状を感じたり。14:24発便は14:17着の長野からの列車を受け、30人ほどで出発。約1/4が御同輩の様子、大半は地元客ながら数駅でかなり降り、松代でほとんどが入れ替わった。
松代から乳飲み子とスーツケースを抱えた若夫婦が乗車、どうやら御主人がこちら出身の様子で、遠く北アルプスを眺めながら「昔はこれで通学してたんだよ」などとおしゃべりを…「もう地元の人はクルマだからなぁ」とはちと寂しげに、長野への流れとは合わないことを説明されていた。

ポツポツと乗り降りがあるも10人弱の状況が続き、長野新幹線を仰ぎ見てしなの鉄道と寄り添うと屋代着。若夫婦含め、ほぼ全員が運転士から乗車証明書を受け取り、長野行に乗り継いだ様子。御主人もカメラ片手にパチリとやっていた。
駅の先にはスノーモンキーの整備も行った長電テクニカルサービスの屋代車両検査場があるのだが、屋代線廃止後も引き続きしなの鉄道車両の検修を行うとして、ながでんはどうするのだろうか…まだ真新しい施設を眺めつつ、長野を後にしたのだった。


スノーモンキー、デビュー1週目ということで御祝儀乗車もあろうかと思いますが、一方でたまたまなのかもしれないものの、湯田中の街がちと寂しいなと。スノーモンキー乗車組でもそのまま折り返す人も見受けられたほか、駅横のバス乗り場に向かった親子が時刻表としばしにらめっこ…nerその時間帯には目的地に向かう便がなかったらしく、父親が『電車は良くてもこれじゃぁな』と漏らしていたのが印象に残りました。その時点ではバスが冬ダイヤだったかと思いますが、下調べがなくても湯田中の街やその周辺を楽しめるような仕掛けがあってもなと…。

ちなみに駅前ではタクシーのほかワゴン車も待機。渋温泉旅館組合等が、一般車通行止めとなる冬期間に湯田中・渋温泉~地獄谷間に運行している「スノーモンキーホリデー観にバス」でしたが、これもたまたまなのか、ながでんの改正ダイヤと微妙なズレがあり、この日の13:35発便の乗車はなかった様子。無論来季シーズンではより使いやすくなると思いますが、駅構内でも案内がポッと貼り出されていた程度と見受けられたので、まず周知が課題なのかなと感じられました。

屋代線廃線は、県都周辺の(公共)交通の変化に取り残された部分が大きいですが、ながでんとしてはバスやタクシーなどこれからも地域公共交通の主体的役割を担ってゆくわけで、メインラインも先細る状況の中、荒療治とは云え車両置換の後に出てきた「次の十年」を見据えた体質改善策と受け取れます。
いっぽう、2011/02からは深夜24:00発の深夜乗合タクシー「ミッドナイトライナー」を長野~三才・須坂方面の2ルートで運行開始する積極的な施策も。深夜便運行は地方都市でもそう珍しくない話、長野でも川中島バスが1998年以降、23:00過ぎに松代・若槻団地方面の2ルートで深夜バス「フライデー松代・若槻」を運行していますが、こちらは文字通り基本は金曜夜、その他東京等でも深夜便は平日中心のところ、ミッドナイトライナーは24:00前着の最終あさま接続を謳い文句に土休日を含め全日運行というのがミソではないでしょうか。

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さて、有人駅でも各種グッズ販売等商売熱心なながでんですから、これから2000系完全引退、そして屋代線廃線カウントダウンというカタチで各種イベント等が展開されようかと(つい先日には2000系普通列車代走というサプライズがあったようで)。
しかし当方訪問直後となった東日本大震災および長野県北部地震により、ながでん鉄道線には直接的被害こそなかったものの、2000系引退イベントの一部を中止・縮小したり、グッズ等収益の一部を義援金とする等の影響も出ています。

どうしても耳目が東北に集まるとともに自粛、出控えといった状況が続くことになるかとも思いますし、屋代線についてはネガティブな話でもあるわけですが、更に茨の道となるであろうながでんの「次の十年」のためにも、折をみてゆけむりやスノーモンキーにまた会いに行けたらな…と思っているところです。


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