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  • photo:県道経由(厚狭→美祢)
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    LED案内にも貼紙
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    国道経由便のCJRB車
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    県道経由便の新日本観光交通車
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    厚狭駅到着の防府構内タクシー車
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    数ヶ所で今も片側交互通行規制中
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    沿道最大規模の崩落場所
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    四郎ケ原駅前は大型車には厳しい
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    大木が印象的な四郎ケ原駅
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    大嶺支線が別れていた南大嶺駅
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    大きな煙突が見えれば美祢市街
  • photo:国道経由(長門市→厚狭)
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    交通拠点の長門市駅
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    乗車したCJRB車は山口ナンバー
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    駅構内の先で枕木が置かれ閉鎖
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    長門本山駅前ではぎりぎり旋回
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    美祢以北でも道路被害が出た
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    跨線橋を挟み道の駅と於福駅
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    貨物主体の重厚感ある重安駅
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    美祢駅はやはり沿線最大規模
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    湯ノ峠駅も国道上

トップページ企画一覧特別リポート一覧>551planningリポート20

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なお気掛かりな美祢線の今後-代行バスの状況から

近年、いわゆる“ゲリラ豪雨”による局地的水害が日本各地で多発している印象を受けますが、2010年も西日本を中心に大きな被害をもたらしています。2009/07の「中国・九州北部豪雨」による、防府市を中心とした甚大な被害の記憶も新しい山口県では、2010/07/10~/15に県西部を中心に500mm超の豪雨を記録。特に07/15には未明から朝にかけて、局地的に1時間に50mm以上の非常に激しい雨となり、美祢市から山陽小野田市を流れる厚狭川が各地で氾濫、厚狭駅周辺の広範囲が浸水するなど2市だけで床上浸水546棟・床下浸水536棟に上る被害(2010/09/08現在山口県緊急災害情報)となりました。

厚狭川と沿うようにして走るJR美祢線では、湯ノ峠~厚保間で第三厚狭川橋梁(63m)が流失したほか、四郎ケ原~南大嶺間で線路の盛土崩壊(約20m)、線路盛土流出(237m)、厚狭駅構内冠水などの甚大な被害に。橋梁流出によりCTCケーブルも断線し、被害がほとんどなかった美祢~長門市間を含む全線で運転できない状態となりました。

【検証:】では被災直後から状況を注視してきましたが、07/28のJR-W広島支社長による「復旧まで1年以上」見解、08/11の山口県知事「廃線可能性」コメント、そして09/17の「JR美祢線利用促進協議会」発足-という展開をみせる一方、07/21から開始された列車代行バスの実状については、朝の通学時に混乱するとの話は伝わってくるものの総じて情報が不足しているように感じられます。
現地の状況としては地元輸送中心であり、観光等の広域移動は山陰本線や山口線といったルートでも代替可能ゆえ-とされるのは当然とはいえ、利用促進協の最大のテーマであり重い課題が観光等の広域流動確保でもあることから、その辺りを踏まえつつ今回実見して参りました。とはいえ旅程の都合上、平日日中という中途半端と思われる時間帯にはなったのですが、ともあれ実状の一端ということで。


まず代行バスの状況について整理しておきます。

  • 07/21 運行開始(R316経由)
            基本的に列車ダイヤ準拠
            途中4駅(湯ノ峠・厚保・四郎ヶ原・南大嶺)については通過扱(厚保駅付近r33通行止のため)
  • 07/16 美祢市役所が湯ノ峠駅を除く市内3駅と美祢駅間に無料シャトルバスを設定
            厚保駅については土砂崩れ現場手前のバス停にて発着(駅前まで入らず)
  • 07/28 JR-W広島支社長会見で、代行バス厚狭~美祢間の利用者は平均約350人とコメント
  • 08/07 r33片側交互通行化に伴い、厚狭~美祢駅間県道ルート代行バス運行開始、2ルート化
            原則全便美祢駅で乗換 一部県道経由便とは接続対応せず
            国道ルートは湯ノ峠駅付近停車化 美祢市シャトルバスは08/06にて終了
  • 08/30 学校始業にあわせ増便
            原則全線直通復活(12往復)
 
区間国道経由県道経由美祢以北
07/2111/1012/10
08/0711/1011/1017/10
08/3014/1711/1015/13

列車ダイヤと比べると、特に厚狭~美祢間については2ルートとなっていることもあり輸送力としてはかなり確保されている印象を受けていましたが、一部報道等から特に県道ルートについては中型以下のバスに限定されてしまう分影響を受けるのかなとも思っていました。 そこで今回はこのような行程としました(車種記載は時刻表に拠る)。

厚狭10:15(県道・マイクロ)10:32厚保10:40(県道・マイクロ)10:57厚狭
厚狭11:19(県道・マイクロ)11:57美祢11:59(国道・中型)12:44長門市13:21(国道・中型)14:30厚狭

県道ルートを見る

山陽本線で厚狭駅へ。到着前に「美祢線はバス代行、在来線口から出発」との案内がありますが「詳しくは駅係員に」として接続時間は告げられませんでした。 通路の時刻表には上から代行バスの時刻が紙で貼られており、改札付近では各所に掲出されているほか、LED次列車案内にも「運転見合わせ」「バス代行実施」と紙張りされています。
駅を出ると2台のバスが停車中。手前は10:09発国道経由長門市行の中国JRバス(以下CJRB)路線車、時刻表では中型とされていましたがエアロスター前後扉でした。岡山ナンバーで側面には吉備エクスプレスの広告が貼られているところ、余剰車を持ってきたのでしょうか。mine後ろは10:15発県道経由美祢止便、長門市に本社がある新日本観光交通のエアロミディ、こちらも時刻表ではマイクロとされていましたが、総じて収容力アップに努めているようです。

この間上りの新幹線と山陽本線が到着し、観光客と思しき人もぱらぱらと駅を出てきて、バス前にいた係員に何やら確認…美祢に行くならこっちということで国道経由便に乗せてゆきます。結局、学生や買い物帰りと思しき中高年女性などを10人ほどを乗せて定刻出発してゆきました。こちらも結局学生1人と高齢女性2人を乗せて定刻出発。中途半端な時間帯とはいえともに寂しい乗りです。
美祢線は厚狭川沿いに北上、湯ノ峠の先でS字にルートを取り厚保に向かうのですが、まさしく流出した第三厚狭川橋梁の付近には道路がなく、まずは大きく迂回する形でr65を進みます。新幹線と山陽本線を一旦潜り厚狭市街をr225沿いにしばらく西進、栗田交差点を右折してr65に入り北上します。再び新幹線と山陽本線を潜り、徐々に高度を上げてゆきます。ゴルフ場を右手に進み小集落の先で丘越えとなり美祢市入り。山間の穏やかな田園風景に見えますが、ここで片側交互通行。丁度水路と道路のカーブが交わる付近で、路肩が洗われたようです。
高架が見えてくれば中国道、r33に入ると美祢西IC。1997/09開設のいわゆる“開発IC”で、もともとは厚保本郷BSだったのだとか。現在もIC外に美祢西インターBSがあり、サンデン交通の下関山口線が1日4往復しています。また、微妙な距離感でr33上に厚保本郷バス停があり、下関・小月~美祢・秋芳洞間を結ぶ全線下道の路線バス(一部準急便あり)が8往復ほどと、豊田町方面とを結ぶサンデン子会社のブルーライン交通の路線バスが2往復入ってきます。mine

市立厚保中学校を横目にストップ、片側交互通行規制で規制時間がかなり長いです。ようやく進むと、左手が崩れた様子…と、右手に厚狭川が迫り、右折して橋を渡ると丁度厚保駅ロータリーに到着。高齢女性2人が降り、これまた高齢の男女4人が乗車しました。降りた女性2人は待機していた構内タクシーに乗車。まさしく生活路線であるとともに交通弱者の頼みの綱であることを実感します。
バスとタクシーは橋の手前でストップ。眼前には大きく崩れた崖-まさにここが08/06まで通行止めとなりバスの運行がされなかったポイントですね。なるほど3方向の交通制御の上カーブしていて見通しが悪いとなると規制時間が長くなるのも致し方ないですね。なお路線バスの厚保駅前バス停は規制区間のちょうど先にあたり、シャトルバスはなんとかそこまでつないだということなのでしょうが、崖崩れの規模からして厚保駅や本郷集落方面とは徒歩を介した連絡となったと思われます。

厚保駅は開放されておりホームにも入れました。貨物輸送全盛期の昔日を偲ばせる有効長がとられた線路の先の信号機は両方向とも赤を現示。ケーブル断による影響は不明ですが、通電はされているようです。運転見合わせから丁度3ヶ月、レールは既に赤茶けていましたが、駅舎の中は適宜手が入れられている感じ。その後見た各駅含め、駅前には切符の委託販売を受けている商店があり、その絡みなどで目が届いているものと思われます。

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橋から北方を見やると、美祢からの代行バスがやってきました。防府市を本拠とする防府構内タクシー所属と思われるセレガFC、こちらもマイクロと呼ぶには…というところの上、乗ってみればまぁ懐かしやのサロンバス。こちらは長門市09:32発の直通便、お出かけの装いのジさまバさまで混み合っており、中には下関競艇と思しき予想紙とにらめっこするジさまも…乗車19人に女性1人が加わり出発、当方はなんとか後部の通路側席に腰を降ろしましたが、丁度回転椅子にあたったのか小刻みに揺れを拾うのでした。
厚保時点で2分ほどの遅れを引き摺って厚狭到着も若干の遅れ。出入口でJR係員が切符や運賃を回収してゆきます。多くの人が駅改札を通ってゆきました。直後に国道便のCJRB路線車が到着、こちらも数分の遅れとなっていましたが乗客は10人に満たない数…実はこちらも長門市09:50発、726D(長門市09:50・美祢10:27発→厚狭11:57着)のスジに則った運行となっているのは国道便なのですが、結果的に20分弱先行する県道便に乗車が集まる傾向となっている様子。このあたりの設定はなかなか難しそうですね。

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厚狭の街を少しばかり歩いた限りには、厚狭川岸まで行っていないこともあってか、3ヶ月前の出水被害の痕跡を見出すことはできませんでした。ただ駅前には「がんばろう!厚狭のまち」なる横断幕、駅舎にも「がんばろう!We Love山陽小野田」の大きな文字が入っていました。
さて、次の出発は11:19発県道経由美祢止便ですが、10分前の時点で停まっているのは後追いの11:34発国道経由長門市行便のCJRB車。こちらは山口ナンバーですね。係員もやきもきしていると5分前にようやく県道経由便が入線。さっき乗ってきた構内観光のサロンバスでした。やはり買い物帰りの高齢女性と男子学生の3人が乗り込みます…と、係員が改札を行ったり来たり。どうも新山口発の山陽本線下り列車が遅れているらしく、11:20をゆうに過ぎてぱらぱらと乗客が駅前に出てきます。乗り継ぎ客は数人だったものの、観光客もいてどっちに乗ればいいのかと係員があたふたと説明。「美祢に行かれるならこちら(国道便)で」と薦めて出発OKのサイン。11:24、乗り継ぎ?中年男性1人を加えて結局乗車4人で出発となりました。

厚保までは先程の行き戻り、女性1人が降車。駅前後の信号待ちもスムーズに、厚狭川を右手に見ながら北上します。早速、護岸が崩れていたり樹木が倒れている光景が散見されますが、この辺りの線路・橋梁には影響が出なかった様子。と、r33を右折して川を渡ります。先には立派な民家がありましたが…よく見ると1階部分がカラになっている様子。手前にはガードレールがむき出しで倒れており、それだけでもかなりの水位上昇の程が伺えました。
なるほど大型バスでは厳しいなという細道を進んで四郎ヶ原駅前へ。駅前はだだっ広く立派な大木も聳えていました。ここで女性1人が降車。r33に戻る手前、線路を見ると雑草がかなり生えている状況が確認できました。

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1か所片側交互通行区間を越えると美祢市衛生センター、流木などの処理作業が行われている様子も。更に進むと川がS字になって線路がまっすぐ進む部分で、一部路盤が完全に流出し線路が宙吊りになっている光景が、遠目にもはっきり確認できました。その先ではまだ新しい橋の前後で護岸改修工事が行われており、やはりもともと荒れ川ということですね。
r33から分かれてすぐのところに南大嶺駅、学生が降りました。1997/03限りで廃止となった大嶺支線はここから北上しますが、現行線とともにr33もカーブして西進。丘を越えると前方に宇部興産伊佐セメント工場の大きな煙突が見えてきて、美祢の市街に入ります。R435に合流してまもなく左折すると美祢駅に到着です。

美祢以北および国道ルートの状況は

実は出発時の遅れを取り返せずに2分遅れでの到着、ダイヤ上では同着となる国道経由便は既に停まっており急いで乗換、直ぐの出発となりました。車内は学生で混み合っており30人以上の乗り、最後部になんとか席を確保しました。ここからはR316を北上してゆきます。並行路線バスは船木鉄道が受託する美祢市コミュニティバス「あんもないと号」が於福駅横の道の駅おふくの先まで入ってゆきますが、日中に6往復程度という感じです。mine

美祢駅の先で宇部興産伊佐工場への専用線を越えましたが、こちらのレールもすっかり錆ついています。被災前に唯一残っていた中国電力三隅火力発電所との石灰石/フライアッシュ輸送は現在、トラックに切り替えられているとのこと。
しばらく市街地を走ると、セメント関連施設の威容が迫ってきます。重安駅を挟んで西方すぐの場所は重安石灰の採石所、川を跨いでベルトコンベア道が延びてゆく東方3km弱ほどのところには太平洋セメント重安鉱業所があり、2009/10まではここから宇部岬のセントラル硝子まで1日1本の貨物列車-いわゆる“赤ホキ”が走っていたのは記憶に新しいところでもあり、まさしく美祢線の今後の存在意義へのメルクマールとなる可能性の高い話かと。路線バス停は国道上でしたが、代行バスは律儀に橋を渡って細道を進み重安駅へ…しかしながら乗降はなし。踏切に掲げられた「使用中止」の文字が現実を突きつけます。

谷間をしばらく進むと於福の集落、駅舎は国道とは反対向きになるものの道が狭いのか、バスは道の駅おふく前のバス停を使います。ぱらぱらと降車がありました。その後、かつて難所だったという大ヶ峠をトンネルで越えて長門市入り。引き続き川が寄り添いますが、こちらは音信川となって日本海に注いでいます。渋木駅も駅舎には入れずに国道上に停車ポイント、高齢男女3人が降りてゆきました。
mine 緩やかに高度を下げつつ、また出た片側交互通行規制地点を過ぎると急に近代的構造物が立ち並ぶエリアへ-開湯から約600年、山口でも最古参の温泉場のひとつとされる長門湯本温泉です。ここは細道を入り込んで、情緒ある駅舎前まで入りました。ここからは下関から豊田・俵山温泉を経て長門市・青海島へ至るサンデンバス路線が通っており、駅前商店の大きな「バスのりば」という看板が往時を忍ばせます。観光客と思しき2人連れを含め5人が降車しました。ここで運転手が車内に声掛け、仙崎方面への乗換客の有無を確認しましたが車内からは応答なし。

周囲が拓けてくると長門市街へと進んでゆきます。板持駅は仮乗降場の装いで国道上に停車、学生6人が賑やかに降りてゆきました。R191との交差点では若干滞る感じとなり、そのままノロノロと市街中心部へ。長門市役所を右に見ると踏切を渡ってしばし。長門市駅前はロータリー周辺道路が整備されていました。結局5分弱の遅れでの到着となりましたが、仙崎方面乗り継ぎはまだ余裕がありましたね。美祢出発時点からは半分弱となった乗客の多くは市街地方面へと消えてゆきました。

時間があったので気分転換を兼ねみすゞ潮彩号で仙崎往復。下関からやってきた列車からは日常利用者100人ほどが降車。残っていたのは観光客中心に20人ほどで、指定席車両はやはりというかガラガラでした。仙崎駅について驚いたのがツアー客と思しき熟年組が大挙折返列車に乗車! バスツアーの一部で乗車する感じのようですが、自由席車両の座席があっという間に埋まり、賑やかしこと!長門市から先もしばらく乗車してゆきましたが、どの辺りまで乗って行ったのでしょうか。

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長門市駅待合でひといき、一般の方が提供したという「牛乳パック製トレイン」に思わず目が行ってしまったのですが(しかもなかなか良くできてます…第11弾との由)、よく見ると、「こんな素敵な美祢線が」と題した、写真と吟行句の展示が-これは毎年5月に開催されている「長門・金子みすゞ顕彰全国俳句大会」の実行委による展示。実は2010/05の大会時に美祢線列車内での吟行会を実施しており、その際の優秀作品17点を展示したものなのだとか…済みませんそちらのセンスがないものと時間の都合からじっくりは見なかったのですが。なお長門市役所サイトにも紹介があり、残念ながら10/17にて終了した由。

さて、13:21発国道経由便乗り通しでラストとします。先程乗ってきたバスともう1台山口ナンバーの中型CJRB車が待機していましたが、出発10分前に結局先程乗ってきたクルマのドアが開きました。その後三々五々乗客がやってきますが、学生の姿はあまり目立たず、やはり中高年の御婦人が目立つ感じ。最後に一人旅然とした紳士が乗り込み、結局定刻に14人にて出発となりました。
板持で1人降車後、再び長門湯本温泉街へ。3人降車のうち2人は年を召した母娘連れ。『切符、買ってないんですけどお幾らですか』と運転手に申し出ると、「私はお金は受け取れないんですよ…次乗られるときに駅の方に申し出てもらえますか?」との返答。mine御婦人もとまどっておられましたがどうすることもできず、結局そのまま降車していったのでした。
渋木では2人降車、於福では3人乗車。於福手前では厚狭13:12発国道経由便CJRB車と離合、10人ほどの乗りだったかと。ダイヤ的にはやはり5分ほど遅れてという感じ、クルマは中型車でしたがこちらは広島ナンバーでしたね。

重安では乗降なし、ここの出入りが若干時間がかかる印象で、美祢駅には3分ほどの遅れで到着。4人が降車し2人が乗車、ここで県道経由便への接続はなく直ぐの出発となります。登坂車線のある急坂を登り、美祢トンネルで峠を越えます。
中国道を潜り下ってゆくと、右手から線路が迫り、道路ともども緩やかに右カーブを描きます。ここが松ヶ瀬のカーブですが、線路を見やると路盤が洗われて枕木が剥き出しになっている感じにも見て取れました。厚狭川は道路の左側を流れておりきつい蛇行でもないのですが、やはり増水の物凄さを改めて感じさせます。

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谷間を抜けると湯ノ峠駅横、ここでは川を挟んで線路と国道が分かれ、それぞれに集落が貼りついている形ですが、駅舎には入らず国道の側道に入ると臨時バス停のポールが立っていました。ドアを開けるも乗降はなし。
その先は周囲が拓け、厚狭の市街へと入ってゆきます。道路幅も広がり、マックスバリュなどを横目に交通量も増えます…個人的にはかなりそわそわ。というのも厚狭から下関への乗り継ぎが定時で3分というところ、若干の遅れを持っての進行となっており、長門市側と異なり事前の乗継確認もないことからいざというときには…という想定もしなければと頭でいろいろと考えていたため。加藤交差点を右折し厚狭川と美祢線線路を越えれば駅前は目前! と、無情の信号待ちに引っかかり、気は更に焦ります。

-結局定刻から2分の遅れで厚狭駅前に到着。乗継列車は既に停まっており、跨線橋をダッシュして何とか滑り込みました…定時でもちょっと厳しい乗継だったかもしれません。

復旧後を見据えると

上辺だけをさらっと見た限りとはいえ改めて痛感したのは、なんといっても利用主体が高齢者・学生という「交通弱者」であること-かと。
時期的に中間考査の頃だったのか昼前のバスから学生がちらほらと乗っており、学生需要に左右されがちというバス代行の貧弱さを感じさせるものもありました。とはいえこの辺りは十分調整できる部分、厚狭・美祢・長門の各市街で渋滞遅延の可能性は否定できないものの大きな影響が出るほどタイトなダイヤでもないというのが率直な感想ですし、そもそも列車のスジから組み立てられているところをバスのスジとすることで利便性アップにもつながるのかな、と。

「列車代行バス」でよく語られるのが京福電鉄列車事故長期不通(2001/06~2003/07)での経験-利用の多くが自家用車へ流れたことで道路渋滞が常態化、さらに輸送力が大幅に低下したことで代行バスが恒常的な満員・遅延状態となり、結果的に鉄道の存在が見直される形でえちぜん鉄道誕生につながる-ですが、事故前の状況で2路線で約8000人/日、代行バスで約3000人/日というという状況であったことを念頭に置く必要があろうかと。
またJR-Wにおいて美祢線より輸送規模の小さい、大糸線(1995/07姫川氾濫で並行するR148もろとも壊滅的被害、代行バス運行開始まで半年を要し1997/11全線運転再開)や九頭竜線(2004/07福井豪雨で5橋梁流出等の被害により一部区間長期不通、足羽川改修後の2007/06全線運転再開)の“先例”も、河川大規模改修とセットになった点がポイントとなるでしょうし、JR-Wを取り巻く経営環境が激変していることも、今後の状況を見据えるに抑えておきたいところと当方は考えます。

もっとも、現時点で山口県・関係3市は協議会設置や河川改修を前提とした支援を明確化させており、JR-W側も支社レベルでは存続前提で動いています。県としては来秋のおいでませ!山口国体までの復旧をとしているところ、技術的協議継続中で先行きは未定(10/15知事記者会見要旨)とのことですが、そう遠くない時期に新たな情報開示があるものとも受け取れます。
気になるのは利用促進協議会の動きですが、3市サイトをさらっと見る限りでは、山陽小野田市サイトでは「美祢線復活へのアイデア募集」(~09/30)といった動きが見える一方、長門市サイトでは協議会設立等の情報提供に留まり、尤も中心となるべきと思われる美祢市サイトでは、代行バス運行情報こそあるものの、9月以降の情報提供については見当たらない、というのが実状です。

促進協の大きなテーマのひとつが観光利用促進であるところ、改めて周辺環境を考えるに、小野田・宇部・美祢の産業観光、秋吉台・青海島の景観、長門湯本温泉や俵山温泉、金子みすゞ他文化的要素など、周辺エリアには観光的要素が数多く点在しているといえます。しかしながら美祢線がそれを有機的に結びつけるか、というとなかなか厳しいと云わざるを得ないのではないかと。
当方も実際に利用しましたが、エリアの対関東方面の玄関口となる山口宇部空港からは美祢・厚狭どころか宇部市内への公共交通アクセスすら乏しく(宇部市営の路線バスはあるが、宇部新川・宇部から先のJR・バス広域流動に即していない)、比較的積極的展開が行われている乗合タクシーの設定も県東部方面のみ。対関西・九州方面との玄関としても、新幹線厚狭駅は弱くどうしても新山口駅ありきになるところ、こちらも秋芳洞こそ防長交通の路線バスがあるものの美祢・長門市方面への直通路線はなく、裏返すと周辺地域での公共交通流動の“線の細さ”を改めて痛感させられます。
翻って地域公共交通を見ても、地場の船木鉄道と下関をベースとするサンデン交通およびブルーライン交通が路線網を持つも、近年ではかなり縮退しており、実際美祢市内の多くがコミュニティバスとして維持されているほか、今回の代行バス県道ルートでもバス停跡を確認しています。それにしても両社とも代行バスには絡んでいなさそうで、車種の都合もあるのでしょうが、地域のバス事業者の体力という意味でもちょいと気になるところです。mine

その意味においては、やはり地域の公共交通全般をどうするのかという検討のもとで、美祢線および鉄道各線、バス路線やその他モードをどのように有機的に結びつけるか、という視点が求められるところですし、5年10年のスパンを見据えた検討は必須かと-その意味で、まさにたまたまという“国体ありき”の復旧策は、余所者の素人が謂う事ではないのでしょうが、いささか早計という気もしなくはなく…。
ただし、厚狭川防災という観点からすると、被災前から早期整備が求められていた様子もあり、2ヵ月後の状況としても厳しい一端を垣間見たところからすると、セットによる復旧策というシナリオは可能性が高いのかなと。

いずれにせよ、まずは11月にも変化が予想される復旧に向けた動きと、促進協の展開に注目してゆきたいと思いますし、代行バスの状況も継続的に追えればとも思っております。


“復旧”工事始まる。

投稿者---551planning (2010/11/05(Fri) 07:38)

10/29の県知事定例記者会見で言及があり、その後一部報道でも出ましたが、11/01から第三厚狭川橋梁の橋台撤去工事が始まりました。まず1ヶ月で2基の橋台を撤去、新橋梁については現地状況や工期短縮を考慮し、河川内での作業を要せず陸上部から橋桁を伸ばす「引き出し工法」が採用される見込みとのことですが、具体的な工期等は県とJRが今月中にも締結する工事協定で定める-とされています。
讀賣記事に写真も出ていますが、橋梁前後では重機搬入のために一時的に線路を撤去。現地の場所確保の厳しさの一端が伺えます。

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山口国体までの運転再開は厳しい状況-美祢線復旧工事のその後

投稿者---551planning (2011/03/07(Mon) 14:31)

03/04、JR-Wは03/12改正にあわせ美祢線代行バスの時刻変更を発表しました。これまでは既存列車設定に合わせた設定だったため時刻表にも列車番号が振られていたのですが、今回の見直しで国道/県道ルート発車時刻をずらすことで「厚狭~美祢間の乗車機会を増やす」としていますが、端的に言えば漸減に。更に土休日・休校日の朝夕一部便で運休も設定されています。

また、03/03にはJR-W広島市社長が記者会見で復旧工事の状況を明らかにし、10月の山口国体までの復旧は困難との見解を示しています。流出した第3厚狭川橋梁の両岸の橋脚は完成、詳細設計もほぼ完成しているとのことですが、昨秋段階で仮設道路が4度流出するなど現場環境は厳しく工期は当初予定より遅れており、出水期にも架設工事可能な特殊工法を採用するなど工期短縮を進めているものの、梅雨時などを考慮すると難しいようです。『通常、災害発生から3年かかるところを1年余りでやろうとしていることを、山口県にもご理解いただきたい』(山口新聞記事)との発言が端的に心中を物語っているような…。一方、二井知事は『何もなければ要望に沿っていただけると理解している。事故がないことを願っている』(TYS記事)とのことで、おカネを出している以上は目標値に近づけてもらいたい(そう言わざるを得ない)思いが滲み出ています。

その意味でやはり気になるのはJR美祢線利用促進協議会の動向。山口新聞記事ではJR-Wとしての参加は「現在、検討中」とのこと。検索ベースでもあまりひっかからず、関係3市では唯一山陽小野田市が一部情報開示をしていますが、なかなか動きが見えないのは歯痒い限りです。

今回の代行バスダイヤ見直しが「現状」を示すだけに、橋梁部分だけで6億7000万、全体では13億円超ともされるプロジェクトの行方を今後も見守ってゆきたいと思います。

なんと「すべりこみセーフ」で運転再開へ!

投稿者---551planning (2011/07/14(Thu) 10:09)

その後を追っていなかったわけではないんですが…まさに「異例」となるようで。

大雨災害から1年を前に、07/13にJR-E広島支社長が山口県庁で記者会見し、今後新たな災害が発生しない前提において9月末までの全線運転再開方針を発表したもので、県知事も『難工事を例のない速さで進めていただいた』〔日経〕と謝意を示しています。
異例の工事進展は、梅雨明けが早まるなど新たな災害リスクが低く推移している状況に加え、工事現場至近に資材置き場を確保し搬入ルートを複数確保したことなど、工期短縮の工夫が奏功したとのこと。第3厚狭川橋梁については7割程の進展状況で、今後の台風シーズンを前に、復旧済みの線路を活用した資材運搬等により工期遅延が生じないような対策も練られている由。なにより河川管理者である県の積極的協力が大きかったようです。

一部報道では災害前の厳しい利用状況に言及し利用促進協にて策が練られているとも触れられていましたが、こちらはイマイチ見えてこないというか。 拾えたのは下記くらいですが、JTBによる、厚狭駅を基軸としてつながる美祢線&電気自動車による秋吉台・長門の環境観光パッケージ(ジオパークライドツアー)という提案こそ目新しいものの、基本的には「乗って残そう」スタイルになってしまうのは致し方無いというか…。

小郡萩道路や山口宇部道路など、国体を睨んだ道路整備が進む中、『山口県や沿線の自治体にとっては国体での選手団の移動手段として利用できるほか、観光分野での波及効果にも期待が高まっています』〔NHK〕はさて?とも思うのですが、まずは国体後の状況を見据えてゆきたいなと思っています。


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