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  • Photo:大分空港のりば
  • 大分ホーバー
    空港側エントランス
  • 大分ホーバー
    日本で唯一を20年守ってきたが…
  • 大分ホーバー
    航走路から空港を望む
  • 大分ホーバー
    ビジネスマンが上得意客だった
  • Photo:“ドリフト”中から
  • 大分ホーバー
    展望はあまり望めないが
  • 大分ホーバー
  • 大分ホーバー
    眼前にガードレールが迫る
  • 大分ホーバー
  • 大分ホーバー
  • 大分ホーバー
    直進すればいよいよ海へ
  • Photo:“ドリフト”外から
  • 大分ホーバー
  • 大分ホーバー
  • 大分ホーバー
  • 大分ホーバー
  • 大分ホーバー
  • 大分ホーバー
  • 大分ホーバー
  • 大分ホーバー
  • Photo:ホーバー大分基地
  • 大分ホーバー
    ホーバーバス
  • 大分ホーバー
    空港行き最終を待つ乗客
  • 大分ホーバー
    初代の模型が展示されていた
  • 大分ホーバー
    4隻体制も満身創痍だったという
  • Photo:エアライナー
  • 大分ホーバー
    到着ロビー前に並ぶカウンター
  • 大分ホーバー
    右のみEdy利用可能
  • 大分ホーバー
    屋外券売機はEdy非対応
  • 大分ホーバー
    臼杵行きは大分バスの年代車
  • 大分ホーバー
    主力のガーラ
  • 大分ホーバー
    大分空港道路へ
  • 大分ホーバー
    見やすい液晶案内板
  • 大分ホーバー
    別府北浜
  • 大分ホーバー
    新川BT
  • 大分ホーバー
    大分駅前

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ホーバーからエアライナーへ

“ホーバー後”の大分空港アクセスを占う

2009年10月31日、日本国内最後のホバークラフト定期航路となっていた大分ホーバーフェリーが運航を終了しました。最終日までに県内外から多くの名残乗船があったといい、日本のホバークラフトの歴史に1つの区切りが、惜しまれながらつけられたことになりましょう。

飛翔を止めたホーバー 同社には大分県をはじめ大分交通、日本郵船などが出資。1971年の大分空港移転時に、大分市の旧空港滑走路先を活用したホーバー大分基地から安岐町(現国東市)の新空港までの約29kmを結ぶ航路として開業。
日本国内では国鉄宇高連絡船急行便をはじめ、70年代を中心に佐渡、伊勢湾、大阪湾、天草、錦江湾、沖縄などでホバークラフト航路が存在したものの、利用不調や高速艇などへの切替などにより縮小、瀬戸大橋架橋による宇高連絡船廃止(1988)に伴い、同社航路が国内唯一の存在となっていました。

その後20年に渡り運行継続してきたわけですが、2009年時点で片道2980円(+市街中心部まで連絡バス160円)と、空港連絡バス「エアライナー」の1500円の倍という高運賃ながら、別府湾を廻るため約50kmとなる道路アクセスに対し移動時間短縮による競争力を維持。大分北部中核工業団地をはじめ積極的な誘致による企業進出もあり、ビジネス需要が堅調だったことが成功の一因に挙げられようかと。

地図
 大分ホーバーパンフレットより(一部加工)

しかしバブル崩壊後、御多分に漏れず需要は低迷。最盛期の1990年度には43万人が利用も、2008年度には24万人にまで落ちこんでいました。大分空港利用者自体も1997年度の210万人をピークに2006年度には187万人にまで低下。しかし1989年度が136万人であったことからすると、同社需要の低下ぶりが顕著です。荒天時には欠航になる場合もあるとはいえ、欠航率もさほど高くないとはたしか耳にしたことがあるので、やはり高運賃が敬遠されたとみるのが妥当でしょうか。
この間、大分空港連絡道路の整備進展(1991年暫定供用、2002年には日出BPと併せ全線開通)が進み、空港周辺には民間駐車場が進出するなどクルマへの移行が進んだことや、後述する空港連絡バス強化による競争激化などへの対処が出来なかったことが大きいかと。1990年以降、機材代替や空港ターミナル移転(1991年12月…このときに地上航走路が誕生)に伴う投資が相次いだことから、その後の経営環境激変に機動的な経営が取れなかったものとも推察されます。

2008年には大分空港国際化等利用促進期成会と共同で割引運賃の実証実験を実施し、2009年から本格導入。 飛翔を止めたホーバー 中でも「5時間以内限定往復割引」は送迎や体験航海用として2800円と、なんと片道通常運賃よりも安いという設定に! ビジネス中心から地元の身近な足としての利用を狙うなどの転換を図ったのですが、ともかく日銭確保をという印象すらも…現実として原油高などのコストが響き、2009年3月期決算時点で債務超過に転落していたのでした。

そしてメーカーから2016年度での部品供給停止の申し入れがあったことが決定打に。就航中の4艇のうち、サッカーワールドカップに併せて導入された1艇を除き15~20年選手となっており、整備コストも上昇していたといいます。こうして9月に民事再生法申請、10月末で運行を終了し、その後会社清算となることとなったのです。

当方、巷間云うところの“葬式厨”ではないものの、一方で乗り物好きの少なからずがホバークラフトには魅力を感じていたはずで、やはり乗っておかねば!と、なんとかかんとか、行くことにしたのでした。
無論、空港連絡バスウォッチャーとして、「エアライナー」の今後も気になるところでもあり、まさに駆け足ながらの実見ながら、今後を考えてみたいと思います。

さらばホーバー ~海から陸から~

■空港で「満員札止」

羽田からANA始発便で到着、“珍”名物となっている手荷物ターンテーブルで廻る巨大回転寿司を見てから到着口を出る。左手に進み一旦ターミナルビルの外に出て、各方面行きバス乗り場の横の入り口からホーバー乗り場への連絡通路へ向かおうとすると、係員に制止された。「体験航海の方が多くて、次の便はほぼ満席です。確認を行ってますので暫くお待ち下さい」とのこと。
色褪せたポスター 5分ほど待たされ、20人ほどが列を作ったところで、結局次便満席、その次の20分後の便になりますがとの断りが入り、連絡通路へと進んだ。その間、別府・大分方面行きバスが複数台、多くの乗客を乗せて出発していった。

先述の通り、就航時は空港敷地からは離れた海岸付近で乗降しバス移動となっていたところ、1991年のターミナルビル新築に伴い移転、結果地上を650m進む航走路が整備されるとともに、ターミナルビルに直結する連絡通路も新設され、ESや動く歩道でまさに直結された。途中には聊か色褪せてしまっているが大判ポスターも掲出され、気持ちが高ぶってくる…と、ブォーンというどデカい音が聞こえ、ちょうど航走路を進むホーバーの姿が! カタチもなかなかデカい。
実は当方、小学生の頃に宇高急行便に1度だけ乗船経験がある。白地に青線の新幹線のようなカラーリングの船体を今だおぼろげに記憶しているが、確かこんなにはデカくなかったはず…調べてみると、あちらは50人乗り、こちらは100人乗りと倍になっている。

乗り場には連絡通路続きの建物内に待合いスペース、自動券売機が2機と窓口。当方は窓口にて「5時間内往復券」を購入。券面には「送迎往復乗船券」とあった。なおいわゆる乗船名簿等の記入はない。
建物内各所に民事再生手続開始の告示が掲出されているのが虚しさを煽る。「ホーバーの運航は、当面の間、平常どおり継続致します」とあるものの、1ヶ月での終焉となろうとは…ちなみに一般的には休航、運休とされているものの、同社でははっきりと運航終了と明記していた。

建物の外はすぐに航走路。海までは鍵手になっており、ここを滑るように進み海に入ってゆく。手前に1機待機中、1990年就航と現在の4機体制ではいちばんの古株である「ドリームアクアマリン」だった。黒ゴムのスカートにエアは入っておらず、まさにラッパ状に垂れ下がったスカートのよう。しばらくして係員が乗り込みエンジンスタート。スカートがぽんと膨らみを帯びた。

■海から~揺れは心地良いが展望は利かず

オープンなコックピット

アナウンスがありいよいよ乗船。スカートを跨ぐように架けられた小振りなタラップを上り船内に入ると、整然と座席が並ぶ。通路2つを挟んだ3列構成で、バス的な折り畳み式の補助席もついている。後部にはトランクなど大形荷物を載せるラックスペースもあるが、トイレはない。前方中央部に仕切り板があってすぐ操縦席、前列横からは操縦風景も丸見えだ。
結局半分弱の席が埋まるくらいで出発。当方はもともとこの便に乗るつもりではあったが、ゆったりと乗れるのはありがたい。やはり乗客の多くがスーツ姿のビジネスマンだった。ちなみに前便は羽田からのANA便と定刻ベースで5分前に着いているJAL便の両始発便を受けているが、ANA便の一部利用者が乗れなかったとしても、体験航海利用者が相当多そうと思われた。

さらにエンジン音が増すとブワッという感じで機体が持ち上がり、いよいよスタート。するすると進むが、「機体の特性で横滑りしながら進みます」とのアナウンスが入るように、いきなりハイライトというべきドリフト走行! 前面に壁が迫りつつ横滑りする感覚はなんともいいがたいものがある。コーナー上の「お立ち台」や入水スロープ横の海岸付近には少なからずギャラリーが。終航を前に注目が集まっていることが伺えた。
その後は海上を一直線! 宇高急行便乗船時のおぼろげな記憶もそうであったが、波飛沫でさほど展望は利かない。その分独特な体感を否応なしに味わえることにもなるが、30分程度であれば丁度心地良いのでは?

最初右手には国東半島の陸地が寄り添っていたものの、その後見渡す限りの海上をぐんぐん進む。時折漁船や貨物船の横をすり抜けるものの、展望が利かない分単調になりかけたそのとき、気づけば眼前に大分の町並みが…独特のブレーキング音をたてつつ減速し、スッとスロープをかけあがり、意外と小回りにくるりと反転してエアーが抜けるとホーバー大分基地に到着となった。
スロープ部横には多くのギャラリーが到着を見守っていたのだが、降りて驚いたのは、建物内の人・人・人! すぐの便で折り返す予定にしていたが、これを逃すと1時間以上空くのでちと焦る。送迎往復券の復路は窓口引き替え方式となっており、すぐさま窓口で引き替え。当方もそうだが、皮肉にも「5時間内往復券」がかなり売れているようだ。 満員札止! ここで気づいたのはこちらの大分基地には自動券売機がないこと。すべて窓口1カ所で対応している様子、このあたりは後程じっくり見るとしてすぐさま次便を待つ列に並んだ。

結局次便は補助席もほとんど使う大入り満員にて出発。子供や老親を連れた家族連れが多数を占め、一様にデジカメやビデオスーツ姿やキャリーバッグを手にした本来の空港利用者はなんだか肩身狭そう。
再びの航海もあっという間、先程はそうはいかなかったが、こんどは体験航海利用者が多いせいか、タラップを降りると誰ともなしに船体に近づき、スカートを触るもの、記念写真を撮るものと各自に名残を惜しむ様子が見られた。

■陸から~最後の勇姿を見つめる人々

ここで当方は「お立ち台」に移動、“ドリフト”加減を外から見てみる。丁度鍵手になった航走路脇の土手上部分が緑地整備されて、まさしくドリフトを見るに丁度いい場所となっているのだ。
乗船が終了し、自走式のタラップ車がするすると離れると、ボワッと機体が持ち上がってエンジン音が高まれば出発。次第に頭を左に振りながら直進、土手手前で進行方向を変え、今度は頭を右に振って次のカーブをクリアすると、海まで一直線だ…中で思ったほど壁際に近づいているわけではないものの、見事なドリフトだった。

こんどはスロープ横の海岸に移動し、大分からの到着便を待ち受ける。30分ほど時間がありしばし待機していると、三々五々ギャラリーが増えてきた。そして遠くにホーバーが見えたと思ったら、滑走路をJAL機が移動…交錯こそならなかったが、独特の風景感を、先程のお立ち台から移動した人を含め、20人ほどが固唾を呑んで見つめたのだった。

最後のランデブー
上陸上陸上陸

その後「エアライナー」で別府に移動し別の用事を済ませ、夕方に大分駅から“ホーバーバス”で大分基地へ。トキハ・フォーラス前から市役所・県庁を経由し大分川を渡って20分足らずで結んでいるが、特段ラッシュに遭ったわけでもないがいささか時間を食う印象。こうなると空港対大分市街中心部ベースでの比較はかなりどっこいどっこいとなる印象も受けるが、大分基地周辺の専用駐車場は多くの車が停まっており、車アクセスではいい場所だったのかもしれない。
そのあたりや“誤着者救済”を念頭にか11月1日から当面12月末まで暫定的に空港直行バスが運行されることに。しかもホーバー定期便に近い12往復とは手厚い印象も…とはいえ時間が倍掛かることによるリスク対処は大丈夫だろうかと余計な心配をしてしまう。なお蛇足ながら、これまで荒天時対応として、運航情報専用フリーダイヤル案内と、大分発始発2便欠航時には利用者にタクシー代替輸送対応を行っていた。

乗り場建物裏手は20台ほどのタクシー溜まりとなっており、その先は大分川の河川敷。基地は河川敷のちょうど河口に位置しており、夕暮れながらまだ20人以上のギャラリーが。空港行最終は、定刻直前に駆け込んできたビジネスマン待ちで5分ほど遅れて出航。感覚よりもいがいと傾斜のあるスロープを滑り降り、水飛沫をあげて出発していった。
乗り場でしばし待機、空港よりも多めのソファーベンチが並び、空港にはない売店と軽食堂があった。こちらも各所に民事再生手続告示と終航に関する掲示がなされているのが寂しいが、釣りバカ日誌の撮影を行った旨の掲示などが昔日を物語る。次便LED案内表示には、各種割引制度とともに導入された10回乗船で1回タダとなるポイント制度の告知文が流れていたが、どれだけの人が使ったのだろうか。

突入突入突入

夜の帳が降りた中、ギャラリーもさすがに少なくなったものの、賑やかに話をする母子とともに空港からの到着便をスロープ横で待ち受ける。独特の音が聞こえると、思ったよりもサッという感じでスロープを上がり、強風を周囲に撒き散らしたかと思ったら、パフッっと息を吐くかのように膨らみが萎んで停止した。そこには一仕事終えたかのような安堵感をふと感じたのだった。

***
翌朝も大分基地に立ち寄り。この日も朝から多くの体験航海希望者が訪れ、テレビの取材も入っていた。裏手のギャラリーも10人ほどがいるが、手前のタクシー溜まりでは運チャンが将棋に興じるなどのんびりムードも…とはいえ、明後日からは如何するのだろうかと思うと、不安な気持ちを抑えるために興じているとすら見えてしまう、とは云いすぎか。
朝日に輝くホーバーの出入りを眺めていると、ギャラリーや乗下船する人々を見るにつけ、“特殊な日常”がなくなってしまうことへの想いを感じるとともに、これからの大分空港アクセス、ひいては大分空港のあり方がつい気になるのであった。

突入突入突入

変わりゆく空港連絡バスの“いま”

■多方面展開は持続するか?

“ホーバー後”の公共交通アクセスを一身に担う空港連絡バス。こちらも新空港移転時からの老舗であるが、ホーバー出資企業でもある大分交通がメインの別府・大分線空港特急「エアライナー」を運行、現在では別府発着、大分発着高速道経由と3系統化。更には先述の通り、ホーバー代替直行便が期間限定で設定されることとなった。

大分駅前
  なつかしのエアライナー(1991年当時)
   -大分駅前バスターミナル内に掲出されていた写真より

別府止まりが設定されたのは2000年11月、六勝園や亀川駅前など大分系統と停留所が区分され、別府市内アクセスが強化された。鉄輪温泉発着便も設定されていたが、利用が芳しくなかったのか2003年6月で廃止となっている。
2002年3月末には、大分空港道路と大分道を直結する日出BP開通にあわせ大分から空港へ高速経由直行便が3便新設、2007年7月には空港発を新設し5往復となった。これにより、2009年11月現在、別府駅発着6往復、高速経由の行6/発5を含め、空港行37/空港発34便体制に、ホーバー代替直行便が12往復となっている。

長らく1路線体制(別に大分~国東間の路線バスが空港経由となっている)が続いていたエアライナーだが、2003年7月には亀の井バスと共同で「湯布院高速リムジンバス」を開設、現在6往復運行中。1990年には単独でエアライナー中津線を4往復開設も、利用低迷で2004年3月で廃止…その後大分空港国際化等利用促進期成会の補助を受け2005年12月から「県北快速リムジンバス」として復活、大分交通の子会社である大交北部バスが運行事業者に。停留所増加や途中乗降可能など積極策を採るも利用が低迷しており、6往復から4往復に減便などで何とか運行継続を図っている状況だ。
そんな中、2009年10月に新顔となる「県南高速リムジンバス」佐伯・臼杵線が6往復で開業。こちらは2008年の東九州道佐伯延伸にあわせ、県や関係市、空港促進期成会などによる半年間の実証運行となっており、空港内にも各所に案内が掲出されていた。こちらは大分交通と、空港路線には初参入となる大分バスの共同運行となっている。

というわけで、空港連絡バスは4路線となっているが、当方は老舗路線であるエアライナー別府経由大分系統に空港から別府北浜まで乗車した。
空港到着口の目の前には、ホーバーと並んで空港連絡バスの案内窓口があり、横には自動券売機が2台設置されている。ちなみに1台はEdy支払対応となっており、ANA党の当方としては見逃せない…というか、たまたまそんな話を覚えていたのだが、ターミナル外乗り場前に設置されている自券機は非対応。ホーバー試乗後に外からアプローチしたので、思わず見逃すところだった。 大分駅前 当の自券機も特段Edy云々の表示等はなく、2005年11月の導入当初ダブルマイルキャンペーンをやったほどであるならもう少し宣伝しても良かろうにとつい思ったり。

のりばは3つ、ターミナル寄りから1番のりばが大分直行便を含む別府・大分行き、2番のりばが別府止まりと県北快速、3番のりばが湯布院行きと県南高速、大分・杵築~国東間の路線バスが発着する。
さて、「県南高速リムジン」乗車風景を見たくて時間調整し13:30発の便を見たが、大分バスの年季の入った車が登場! 10人足らずの人を乗せて出発していった。その前には湯布院行きの亀の井バスが15人程で出発。大分行きは直行便に10人ほど、別府行きにも15人ほどが乗車した。

■別府・大分線はリフレッシュ中!

当方乗車は結果的に飛行機の到着便を受けない14:00発便の乗車となったが、それでも5人が乗り込んで出発となった。たまたま直前に路線バスの大分駅行きが若干の遅れで到着したものの、接続などが考慮されているわけではなさそうだった。
大分交通はエアライナー車両の代替を進めている様子、従前の三菱エアロからこれまではいわゆる「廉価版高速車」といわれる西工E型が中心となっていたところ、最近いすゞガーラを大量投入しているとのこと。車内前面には大型の液晶案内画面がつけられ、適宜CMを織り交ぜながら停車地や運賃などの案内が流される。

しばらくR213を進み、大分空港道路へ。そこそこな高度を取り、丘の上をゆったり進むといった感じだ。所々4車線となっているものの、基本2車線対面通行で、交通事故などによる遅延リスクをつい思ってしまう。
杵築IC・料金所を過ぎしばらくするとJR日豊本線と直交。その後藤原JCTから再びR213へ、大分直行便はそのまま日出BPを経由し大分道を進むことになる。日出バス停を過ぎR10に合流すると交通量が増えるも、まぁまぁな流れ。時折低速車に行く手を阻まれ運転手氏が思わず舌打ちをする場面もあるも、相手が大分県公用車では致し方なしか?

別府市街に入るも特段の降車がないまま、中心地の別府北浜に到着、当方含め3人が降りた。バスはこの後別大国道を進み大分へ向かうことになる。
翌日昼前、別大国道区間をエアライナーではないものの長距離バスで通ったが、流れてはいるもののやはり時間がかかる印象…大分から乗り通すとホーバーに比べやはり時間が倍掛かるのではという感触を持ってしまったのだった。
別大国道は2011年を目処に悲願の全線6車線化拡幅工事が進められており、2004年の一部拡幅段階で、ラッシュ時間帯の大分~別府間所要時間が半減したとのデータもあり、エアライナーの安定運行にも寄与しているとは思うが、最近では高速道経由大分直行便の増加も図られていることから、ホーバーという選択肢がなくなる中での今後の展開が注目されよう。

大分駅前
 大分駅前バスのりば 停車中は空港も経由する路線バス国東行

大分から利用機会がなかったのでなんともではあるものの、個人的に気になったのは停留所ベースで見るその複雑な経路。系統としては3系統と分かりやすいものの、ほぼ同一ルートを通る別府市内で別府止まりと大分行き便とで分かれていることや、大分市内でも高速経由便と別府経由便で停留所が異なるほか、アプローチの問題とはいえ空港行と空港発で停車順が変わるのも微妙な感じ…大分最大の繁華街である百貨店トキハ前は大分バスの縄張りであるがためか停車しない(高速経由空港行のみ向かいの自社縄張りであるトキハ・フォーラス前に停車)。

大分駅前バスセンター(ビル1Fの案内所に待合室機能もあり、のりばは狭小ながらホーム機能もあるが路上)と新川バスセンター(専用乗降場に隣接して案内所・待合室機能、少し離れているが利用者有料駐車場完備)がエアライナー発着拠点と明確となっているとはいえ、いちげんさんには取っ付き辛いところもあろうかと…。

なお、大分市中心部のバス拠点については、また別の機会にまとめてみたいと考えている。

車両更新中のエアライナー

敵はクルマにあらずか-試される大分空港のポテンシャル

ホーバー最終日となった10月31日、臨時便を含め32便に2600人が乗船、乗り場周辺にも最後の勇姿を一目見る人が大勢訪れたそうです…しかしながら現実は厳しさを増しています。

先に触れたように同社は清算されることとなりましたが、一定限の運航維持や事業継続の可能性を含め民事再生法処理が選択されており、実際大分県が県内企業を中心に譲渡を模索したものの、厳しい経済情勢から手を挙げるところがなかったそうで…一因にホーバー船体の老朽化もあり、まさに心臓部であるエンジンの取替が必要とされるところ、改造コストに1隻まるごと新造するほうがという状況で、このままでは船体はスクラップの可能性が高いとのこと。
更に、大分空港の利用者数が今年上期で前年同期11%減というニュースも…景気低迷、新型インフルエンザによる“出張控え”がビジネス客の多い大分空港で顕著との分析ですが、東京線の利用率が一般的に損益分岐点とされる60%を割ったことは関係者にとって衝撃でしょう。下期はホーバー休航によるアクセス利便性低下の影響も懸念されるとの指摘もあります。

大分空港サイトでは、ホーバー運休に伴い、自家用車アクセス急増の可能性から、空港関係者で収容台数の増加について検討を急ぐとしつつ、週末などに空港内駐車場の混雑や満車の発生が懸念されるとして、公共交通利用や周辺民間駐車場活用などのアナウンスを含めた注意喚起がなされています。空港内駐車場は530台収容、2006年に駐車料金が700円から500円(/24h)に値下げされた状況を考えれば思わぬ展開?なのかもしれませんが、民間駐車場も複数あることから、いきなりパンク状態になることもないかと…。ちなみにホーバー基地駐車場は200台分でしたが、代替バス利用者には120台分提供とされています。

空港内駐車料金の値下げや、一旦廃止されたエアライナー中津線が県北快速リムジンバスとして復活したのには理由があります-それは2006年3月の新北九州空港開港。SFJ参入とあいまって、県北エリアを中心に利用者流出に対する危機感の高まりから各種対応策が採られたのですが、結果的には大きな影響を受けなかったものとされているようで。ただしそれは新北九州空港が供給過剰にあったことと、なんといってもの福岡空港の強さによるものとも考えられます。
エアライナーが空港まで1500円のところ、福岡まで高速バスで3100円。4枚回数券だと2000円になります。別府系統は国際線ターミナルながら福岡空港も経由しますし、福岡空港ならば多彩な発着路線に加え、対東京でみれば直前まで各種割引運賃が使えることでの価格差も広がります。そもそも別府・湯布院をはじめとする九州ツアーは空港選択が自由に利く事も多く、団体ともなれば福岡発着でバス移動…というのも少なくないのでは?

道がないから近道だった

アクセス活性化で参考になるのが、佐賀空港が継続展開中の1000円レンタカーキャンペーン。空港発着便利用者に対し、最初の24時間を1000円にするもので、類似例に富士山静岡空港やオホーツク紋別空港で展開されたキャッシュバックキャンペーンもありましょう…空港のポテンシャルからして比較対象にならないと一笑に付すことも可能かもしれませんが、高速道路無料化の可能性すらある現状、大分道や東九州道へのアクセスをウリにした展開も考慮したインパクトある施策を個人的には期待します。
エアライナーですが、こちらも付加価値の訴求を期待します。例えばポイント制度とか、エアライナー利用者優遇の別府・大分での観光・買物クーポン的なものとかはどうでしょうか。時刻表小冊子につけるならそれほどコストは掛からないでしょうし、そんな手間がかけられないのなら、せめて空港内に置かれているるるぶFREEなどのフリーペーパーを車内に、せめてきっぷ売り場に積んでおくだけでも観光客には嬉しい移動時間内のサポートになろうかと思います。

***
いささか話が拡散したきらいがあるので、最後にエアライナー別府・大分線の今後を占っておきます。
これまで3系統で30数往復できたところ、ホーバー代替便が高速経由で12往復加わったわけですが、暫定運行ながら、高速経由便の可能性を占う形にもなるやもしれません。これまでは運行効率から別府経由としてきたところでしょうが、別大国道拡幅を横睨みしつつ、大分ICまでのアプローチに安定性があれば、思い切って大分・別府系統分離もあるのかなと。経由便は路線バスとの統合で残すというテもあろうかと思いますし、むしろエアライナーの一部便を国東方面に伸ばす効率化もあるのかなと思ったりしますが…どうなんでしょう。

まずは来年、ホーバー代替バスがどのようになるのかを注目したいと思いますが…改めて、「ココに近道あります-道がないから近道なんです」というポスターが印象に残った次第です。

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飛翔を止めたホーバー

ホーバー代替バス、2月末まで継続

投稿者---551planning (2010/01/07(Thu) 16:08)

当初12月末までとされていたホーバー代替バス、大分交通Webサイトでも年末ギリギリまで更新されなかったのですが、年明けに改めてみると、とりあえず2月末まで更新されていました。

1月はこれまでと同じ12往復ですが、2月は10往復に減便。航空便数は変わっていないようなので、季節的および実利用状況を考慮したものと思われます。

ちなみに、路線の状況についてはこちらのブログが詳しいので紹介。
利用はあるようなんですが…。

***
ところで、政治評論家の岩見隆夫氏がキレてますねぇ。

簡略すると、11月中旬に大分市内での講演会に向かう途上、主催者側から送られた「船車券」から、以前乗ったホーバーを思い浮かべ、乗り場に急ごうととした際にホーバー代替バスへの乗車を促され、そのまま乗ったらえらい目に遭った-というもの。出資者でもある大分県知事に苦言を呈しておられます。

ご当人も書かれているように、「うかつだと言われればその通り」ではあるものの、やはり相応の案内体制を敷いておかなければホスピタリティに欠けるといわれても当然。まして大分市内と距離がある上、複数方面にバスが走っている以上は、このあたりをきっちりしてもらいたいものです。


ご意見は【検証:】常設板までお気軽に!

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