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岩見沢駅

交通拠点探訪-岩見沢複合駅舎(北海道岩見沢市 JR北海道)

2009/10/01、今年度のグッドデザイン賞受賞結果が発表されました。1034点の受賞作品のうち11月に大賞が選定されるベスト15には、「GREEN TOKYOガンダムプロジェクト」が話題の中、トヨタ3代目プリウスとホンダインサイトも揃ってノミネート。そして公共交通関連では「岩見沢複合駅舎」が選定されています。
ちなみに、これまでの公共交通関連でのベスト15選定には、JR-E209系(1993)、アストラムラインHRT-60系(1995)、JR-C・JR-W285系(1998)、台湾高速鐵路700T型(2006)、JR-C・JR-W N700系(2007)の各車両と、環境デザイン全体として富山ライトレール・富山港線(2006)が選定されていますが、いずれも大賞までは手が届かず金賞止まりとなっています。また、今回は受賞企業ではないですが、JR-Hの駅舎としては1994年に新千歳空港駅がグッドデザインに選定されています。

プレハブ駅舎
 プレハブ仮駅舎時代(2005/08)

岩見沢駅は道内でも最古の部類に入っていた1933年完成の3代目駅舎が、2000/12に火災で全焼。漏電による失火とされていますが、その後長らくプレハブ仮駅舎での営業が続いていました。
岩見沢市は長期計画で駅前広場整備を進めており、1995年にバスターミナル併設のコミュニティプラザが完成、1997年には駅前に道有林管理センターからメタセコイヤの大木を移植。2002年に「イベントホール赤れんが」を核とする駅東市民広場整備が完成していました。当方には綺麗に整備された駅前に建つプレハブ駅舎のアンバランスさが印象に残っています。

駅舎再建についてはJR-Hと岩見沢市の間で紆余曲折があったそうですが、2005年に市が岩見沢駅周辺地区都市再生整備計画を策定、同年にはJR-H主催・岩見沢市後援による「岩見沢駅舎建築デザインコンペ」が駅舎としては初の全国公募として実施。駅舎・市関連施設・駐輪場と南北自由通路のセットを前提条件に、単なる駅としての機能だけでなく、地域活性化・交流拠点施設としての提案を呼びかけ、応募総数376作品から東京のワークヴィジョンズによる作品が最優秀賞に選出されました。
2006/07に着工、2007/06には駅舎部分が完成、この際には6年半に及んだ仮駅舎への「さよならイベント」も開催されています。そして2009/03に市施設および自由通路・駐輪場等が完成し、市の新しい玄関口整備がようやく完了することとなったのです。

新駅舎とメタセコイヤ

当方、デザインコンペ開催の話は記憶にありましたが、その後特段意識することもなかったせいか、完成等を知らなかったのですが、今回のグッドデザイン受賞、しかもベスト15選定ということで俄然興味が出てきて…たまたま渡道することとなり、まずは見てやろうということで行って参りました。
-ということで、特に厳冬期の状況を知らない物言いもあるかもしれませんが、そこはさらっと訪れた内地の旅行者の戯言として温かくご覧頂ければと思います。


江別から普通列車で到着、跨線橋に上がるとそのまま改札口に直結していた。自動改札が4列と有人通路1列のコンパクトさは、札幌圏の端部といえ1万人に満たない利用者として必要十分か。改札口廻りは後程ゆっくり見るとして、まずはESで地上に降り駅前広場へ。
大きく横に伸びた駅舎は、一面のガラス張りと、足元のレンガが印象的。間近で建物を見上げると、ガラスのサッシ部分に古レールが埋め込まれていることもよく分かる。レールの刻印部分は白くペイントされており、出自までパッと見究められる訳ではないものの、全体から見ても良いアクセントになっている。またレンガの一部には刻印がされているが、「岩見沢レンガプロジェクト」として海外を含む4777人からの寄付でとりつけられたもの。1個1500円、2006年の半年間で5000個を目標にしたということからすると、岩見沢市内で2353件、その他道内で1729件とは意外と伸びなかった?とも思ってしまうのではあるが。

駅前広場をぐるっと廻り込む。シンボリックなメタセコイヤの大木を中心に、東側に一般車・西側にタクシープールが設けられているが、駅舎との間には幅があり、ちょっとした庭園の趣も。また両ロータリーへのアプローチには豪雪地帯ゆえかしっかりとした屋根が架けられている。
その分惜しまれるのが、その屋根が駅舎にまで架かっていないことと、駅前広場西側に建つコミュニティプラザ・バスターミナルとの間も野天となっていること。デザインパース段階では、少なくともコミュニティプラザとの間には屋根が伸びているようにも見受けられるのだが…。庭園部分とのバランスや圧迫感、駅舎としてのトータルデザインからするとズレてしまうのかもしれないが、公共広場における通路屋根が往々にして機能よりもデザイン重視になっている風潮はあちこちで見られるだけに、もっと上手に考えてもらいたいところだと思うのだが。

コミュニティプラザ

駅前広場西方にある岩見沢市コミュニティプラザ・岩見沢市自治体ネットワークセンターは1995年完成、翌年バスターミナルが供用開始。『市民の皆様と岩見沢を訪れる人たちの地域間交流や、子供達からお年寄りまでの世代間交流等様々なコミュニティの機会をはぐくみ、岩見沢のまちの魅力を高め地域社会の活性化をすすめるために』開設されたという地上5階地下1階の建物はバブルのハコモノ感が漂う。

もともとはバスターミナル誘致(というか復帰)のため岩見沢ターミナルビルなる3セクを立ち上げたものの、紆余曲折があり市主体のビル建設となった様子…ちなみに3セク会社は2003年に破産している。しかもコミュニティプラザの主旨は岩見沢複合駅舎にも通じており、結果としてB1に入っていた空知支庁パスポート窓口・市役所サービスセンターが複合駅舎2Fに移転、現時点で跡地利用は決まっていない模様。

駅側から入ると、1F入口横にはFMはまなすのスタジオが入っており、ガラス越しに放送の様子が見られるが、訪問時点では特段動きはなかった。ロビー内の喫茶スペースも休日とあってか閉まっており、照明の暗さからもどんより感を覚えてしまう。
さらに奥に進むとバスターミナル。札幌への高速いわみざわ号をはじめ市内線・郊外線が集まり、広めの待合スペースは有人窓口や売店も大きめで、比較的多くの利用者で活気が見られた。しかしながら御多分に漏れず、2003年のJR北海道バス撤退をはじめ郊外線を中心に路線の休廃止が進んでおり、外には12のバスレーンがあるも、過半は使用されていない状況だった。

コミュニティプラザコミュニティプラザコミュニティプラザ

 

複合駅舎西側は市関連施設が入る。建物は3階建てだが、市関連施設「有明交流プラザ」は2Fで3Fはなく、中央部分のセンターホールは正面口の吹き抜け部分に続く天井高で、ガラス壁面とあいまって開放感に溢れる。センターホールにはベンチが5台置かれていて、時間待ちなのか後述の大学関係者か、たまたまか若い女性グループが数組寛いだ表情で座っていた。ちょうど真横にメタセコイヤの大木が見える場所、開放的ながら静かな空間で、テーブルでもあれば図書館のような雰囲気はなかなかなもの。
i-BOX ガラスの壁面は回廊のようになっていて、レンガの内壁が温かみを出している。ホーム側スペースの一部に「岩見沢の歩み」として鉄道の街の成立過程と、中でも関わりが深く複合駅舎デザインにも取り入れられている「レールの歴史」についての解説文と古レールが掲出されていた。
なお交流プラザ内だが、この日はパスポート窓口はお休み、市役所サービスセンターと消費者センターは開いていたものの、訪れる人はなかった。センターホールに対して駅施設につながる小スペースには北海道教育大岩見沢校の交流スペース「i-BOX」があり、この日はイコン画合同展が開催されていた。

階段を上がり3Fの駅施設へ。正面玄関とは吹き抜けの中ESが直結、交流プラザへはEVと階段でのアプローチ。ツインクルプラザとみどりの窓口がコンパクトにまとめられているが、改札口に対する位置の自動券売機は2台…当方にはわずか2台とも思ってしまうが、やはり必要十分なのか。ちなみにKitaca利用エリア北限だが、改札風景を見る限りきっぷ派がまだまだ多そうだった。
券売機横はKiosk表示だが、「スイーツステーション」として軽食のみの販売。地元洋菓子店の商品も扱っている。なお、コンビニキヨスクが1Fに入っている。1Fにはこの他ベーカリーのHOKUOや地元ドラックストアのくすりのコーワ、観光物産・福祉施設生産品の展示販売店舗であるネットワークショップふらっとなどが入っている。
さて、改札口前には長めのベンチが7台ほど置かれており、待合スペースとされている。旅行商品パンフなども置かれており、聊かごちゃついた印象も。改札前とはそれなりなスペースがあるものの、朝夕ラッシュ時などはどうなるのか。それよりも気になるのは厳冬期の環境、かなり広い吹き抜けなのでそれなりの暖房がなされるとは思うが、コンペでは建設費や維持管理費の低減提案も求めているので対策があるのだろう。ただし、何かしらの独立した待合室などがあっても良かったのかなとも。

さて、改札口横の通路を鍵の手に進むと駐輪場。2段階整備となったこともあるのか、駐輪場・南北自由通路は別棟となり鍵の手の部分が連絡橋として結ばれている。通路が狭めに造られているのは自転車の侵入を避けるためか。駐輪場・南北自由通路はいわゆるコンクリ打ち放しが多用されているが、適度な照明と壁や天井のレンガ色の部材で冷たさが和らげられている。
i-BOX 南北自由通路は長さ100m、幅6m。これまでアプローチのなかった駅北部分へのダイレクトアクセスを担う市道「有明連絡歩道」として整備されており、自転車も通行可能(一応押して通るようにとの注意書きあり)。地上とは双方でEVが連絡しているほか、南側は駐輪場と一体で自転車コンベアを設置、北側は階段スロープを緩やかにしている。

連絡歩道北口の階段を降りた1Fスペースには、レールを使ったオブジェが飾られていた。明かり取りの窓もなかなかワイドで、借景の趣すらある。意図にあったかどうかはいざ知らず、買い物帰りの御婦人がベンチ代わりに一休みで寛いでいる姿は思わず微笑ましく映った。
外にはロータリーと駐輪場が整備されているが、その他はちょうど区画整理事業が進められていることもあるが殺風景な未利用地が広がっている。その中にJR-H岩見沢レールセンターの事務所・工場棟がぽつんと建っていた。

コミュニティプラザ

複合駅舎にも通じるレンガ造の建物は、長年の風雪を耐えてきた、まさしく風格漂う姿。正確な築年は不詳とされるがもとは旧北海道炭礦鉄道岩見沢工場材修場で、五稜星の北炭社紋が往時を物語る。
北海道初の鉄道となる官営幌内鉄道は、1882(明治15)年に当初計画全通となり、その際に岩見沢にも駅が設置された。1889年に幌内鉄道は北炭に経営譲渡、北炭は1892年に岩見沢駅を現在地に移すとともに、1899年に鉄道工場を建設(建物建設はこの頃か?)、1903年には札幌から本社機能を移転させた。前後して砂川・歌志内・輪西(室蘭)方面へ路線が延び、まさしく鉄道の要衝として機能してゆくこととなったのである。

1906(明治39)年に鉄道国有化、北炭は北海道炭礦汽船に社名変更し室蘭へ本社移転、鉄道工場は1909年までに苗穂に機能移転されている。しかし岩見沢は石炭をはじめとする物資の中継点として機能し、1926(大正15)年には駅操車場が建設。その後機関区も2つ設置され、戦後の最盛期で鉄道関係従事者は2000人、家族を加えると1万人規模に達していたという。1956(昭和31)年には北海道最大の岩見沢貨物操車場が増設されるに至っている。
しかし時同じく、エネルギー革命による石炭産業の、モータリゼーションによる鉄道貨物の衰退が始まり、1975年に全国最後の蒸気機関車定期運行終了、1980年に貨物操車場廃止。電化にあわせ運転所が設置されたものの、1994年には機関区が廃止されている。レンガ造の建物は数棟あったのだが、現存のもの以外は順次取り壊されていったという。

レールセンターレールセンターレールセンター

残る建物は国鉄時代からと思われるがレールセンター関連施設として今なお現役。岩見沢レールセンターは青函トンネルのスーパーロングレールを始め、高い技術力を誇るという。
1982年は日本建築学会が「日本近代建築総覧―各地に遺る明治大正昭和の建物」で全国2000棟の1つにピックアップしたほか、2001年には北海道遺産「空知の炭鉱関連施設と生活文化」内にて選定。そして2007年、経済産業省「近代化産業遺産」のうち「我が国の近代化を支えた北海道産炭地域の歩みを物語る近代化産業遺産群」のストーリーにて構成遺産リストに盛り込まれることとなった。

JR-Hも鉄道の日のイベント等で産業観光、鉄道遺産に絡めた企画にてこの建物を活用するようになった。しかしながら外観の状態は見るからに悪そうで、それゆえ味があるともいえようが、周辺の区画整理にあわせて今後の動向が注目されるところ。なによりも連絡歩道でアクセスが簡単になったことが、複合駅舎の意義ともあいまっていい方向に動きそうとも思われるのではあるが。

 

連絡歩道を戻ると、駅構内をはじめ、遠くの山並みまで視界が広い…ただ、その分駅跨線橋がみすぼらしくも感じられてしまうのがなんとも。EVなどが整備されていることもあるのか、今後も改築の予定はないとの話もあるようだが、そもそも論で言えば橋上駅舎なら駅北利用者の利便性もより上がったのではともいえるだけに、このあたりは難しい。
南側屋内駐輪場は3階建てで700台収容可能、有料となっており6時~22時の時間制、そして4月~11月のシーズン制で、12月~3月は有料で保管可能、ただし支払わないと放置自転車扱いとなるという。さすが道内随一の豪雪地帯ということか。ちなみに北側は屋外駐輪場となっており無料、約300台が駐輪可能とのこと。

改めて外から全体像を眺めると、なかなかの迫力である。それでいて圧迫感を感じないのは、やはり駅前がゆったりしているせいか…その理由のひとつに、東側に広がる広場とイベントホールの存在が挙げられよう。

岩見沢市では石炭産業衰退に伴う産業構造の変化や道路整備の進展に伴い郊外への大規模店舗進出が相次いだことで駅前商店街が凋落化、市は1999年に中心市街地活性化基本計画を策定し、駅周辺施設整備や空き店舗活用などの事業を推進してきた。

駅東市民広場 その一環として2002年に整備されたのが「イベントホール赤れんが」を核とする駅東市民広場。220mの歩道には約30万個のレンガが敷き詰められ、うち12,000個には市民約1/7が1枚500円で買い取り名前やメッセージ、手形などを刻んでいるという。
この日は閉まっていたものの、イベントホールでは年間を通して様々な催事が行われており、複合駅舎デザインコンペ作品の一般公開もここで開かれている(ちなみに2次審査会場はコミュニティプラザ)。広場側に大きく開口することもでき、いろいろなアレンジか可能という。

その一方、中心市街地の凋落は深刻さを増している。この日は商店街方面を見ることは出来なかったが、2005年訪問時でもシャッターが目に付いた状況があった。
さらに今年3月の複合駅舎グランドオープンと同時に、中心市街地の核店舗であった西友岩見沢店が20年の歴史に幕を下ろし閉店。2004年にポスフール岩見沢店、2005年に岩見沢大和タウンプラザとイオン三笠SCがオープンしており、西友も24時間営業などを実施したものの実を結ぶことはなかった。西友が入っていた「岩見沢ポルタ」の再建問題も不透明な状況という。

 

メタコセイヤ 駅東市民広場から再び駅前へ。最後にシンボルツリーであるメタセコイヤを見上げる。傍の解説文などによると、メタセコイヤは石炭の原木とも言われ、日本では1939年に化石の状態で発見。約100万年前に地球上から姿を消したと考えられていたものの、その後1945年に現在の中国湖北省で現存することが確認され、その後世界に広まったという種なのだとか。
日本には1949年にアメリカ経由で苗木と種子がもたらされ、まず皇居と小石川植物園に移植されたという。昭和天皇は「曙杉」との和名を命名するほど好まれ、1987年の歌会始でもその成長の速さと日本の復興を重ね合わされた御製を詠まれているが、図らずもそれが最後の歌会始となったのだという。

わが国のたちなほり来し年々にあけぼのすぎの木はのびにけり

道有林管理センターから駅前広場に移植されたのは1997年。日中・日米友好のシンボルと、かつての産炭地である空知地方の新しいふるさとづくりの象徴として移植されたそうだが、その後の駅舎焼失を乗り越え、新しい駅舎を穏やかに見守っているように思われてならない。10年、20年、そして次の100年…この大木はどのような成長を見せてくれるのであろうか。


JRの駅舎としては、これまでにない画期的な「質」の高さを示している。北海道的なシンプルでクリーンな空間性を持ちながら、決して冷たいものではなく、むしろどこかに温もりすら感じられる。その、計画プロセスにおいては、積極的な市民参画が行われ、刻印レンガとして形態化されている。また、鉄道の聖地という土地の記憶を積極的に活用し、古レールを活用したガラスファサードは巧みである。そして、完成した今日、多くの市民が愛着を持って、駅空間に接していることが、何よりもグッドデザインの証しであろう。

 

グッドデザインファインダーで、デザイナーのワークヴィジョンズ代表 西村浩氏はこのように語っています。

建築という枠を超えて、街再生へ向かう強い意志が求められている。
最大の課題は、新しく生まれる駅舎が中心市街地の活性化の契機と成り得るか。
駅からまちづくりへ。この施設の本当の価値は、地域のよさを掘り起こし、人と人との繋がりを再生しながら、これからのまちづくりに繋げていくことにある。4代目岩見沢駅舎は、そのはじまりに過ぎない。

その中心に据えられたのが古レールでありレンガである-そしレンガプロジェクトに代表される市民参加プロジェクトの連続的実施により、今後のまちづくりに繋げていくことを目指したのだといいます。
施設内に常設ブースを持つ北海道教育大学をはじめ、若い世代との連携が期待できる点は大きいでしょうし、実際にその取り組みが評価され、2009年7月には第4回まち交大賞部門賞プロセス賞を受賞しています。

一方、2009年7月に実施された駅周辺地区整備事業に関するアンケート調査結果では、市民約500世帯無作為抽出配布で約4割からの回答があり、複合駅舎のデザインについて半数以上が好評価ながら、「格好良いが、岩見沢の街とは合っていないと思う」「特に何も思わない」「見た事がないのでわからない」との回答も少数ではなく、自由意見では「駅北の人は便利になったかも知れないが、駅近くの商店街が淋しくなり魅力がないので、買い物に行かなくなりました。街の中心をもう少し賑やかにしてほしいと思います」「駅だけが目立ち街の中が死んでます。時代に合わないアーケードを取り素敵な岩見沢にしてください」といったものや、無料駐車場への要望が多く寄せられるなど、埋めきれない現実の生活スタイルとのズレも伺えてしまいます。

センターホール

その意味では、審査委員の評価にある「多くの市民の愛着」の持続こそが、岩見沢の街の発展にもつながることは間違いないでしょう。
ただ、デザイナーが『駅は、外から訪れる観光客と、まちやそこに暮らす人々との出会いの場でもある。なお、岩見沢の街は全国的に有名な鉄道の“聖地”でもあることから、鉄路の風景に開かれた空間として“鉄道ファン”の来訪も想定した』とも触れているところ、まさしく今回の当方もほぼそれに近いのではありますが、現在は散発なイベントこそあれ、鉄道遺産、産業観光というものとの関連性がより明確になれば、ますます注目を集めるスポットになる可能性を秘めていることは十分窺うことができたと感じています。
その意味で、気軽に立ち寄れる飲食スポットが乏しいかなと。流行りでもあるB級グルメなどが出てくるようならば、中心市街地との回遊性にもまた進展が生まれるのではないかとも思った次第です。バスターミナル横には味のあるやきとり屋などもあり、表現は悪いですが清濁併せ持つくらいのインパクトは欲しいかもしれませんね。

最後に、夜の姿もなかなかなようで…機会があったら狙って再訪してみたいと思いました。


祝! 大賞受賞!

投稿者---551planning (2009/11/06(Fri) 18:59)

11/06、ベスト15から、岩見沢複合駅舎がグッドデザイン大賞に選定されました。公共交通関連では恐らく初めてではないかと思います。

岩見沢駅の益々の発展を祈念して…真価が問われるのは、まさしくこれからです。


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