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※当リポートは発表後の変化を反映させ再構成した Reconstruction スタイルです。

佐多岬

Road to Cape Sata ~ 佐多岬ロードパーク、その後

佐多岬は鹿児島県大隈半島の突端、すなわち日本本土の最南端の場所として万人に知られてきました。
1871(明治4)年には洋式灯台が設置(45年戦災で破壊、50年に現存の灯台が再建)、周辺はソテツが自生する南国ならではの風光明媚な地として1955(昭和30)年には錦江湾国定公園に指定(64年に霧島屋久国立公園に再編)されるとともに、70年には日本ではじめての海中公園認定のひとつとなった佐多岬海中公園に指定されています。

***
そんな佐多岬へのアプローチルートとしてつくられたのが佐多岬ロードパーク。丁度お隣の宮崎・青島日南地域が新婚旅行のメッカとして一大ブームになっていた1963(昭和38)年に完成、全長8キロあまりの自動車専用道路で、昭和40年代には年間20万人、6万台以上の利用があった由…しかしブームが過ぎると、佐多岬へ通じる唯一の道ながら“自専道”ということで、徒歩や自転車での通行を認めないことでサイクリストや日本縦断を志す人々から評判が悪く、また最近では普通車で通行料1000円、さらに駐車場から展望所に向かうために入場料100円を取るということが殿様商売では?との評価につながり、2002年度には往時の1/3程度の年間約2万6千台の利用に落ち込んでいたそうで。

ところで、ロードパークは鹿児島の運輸・観光事業体として知られる岩崎産業グループの経営、オーナーは2004年度のフォーブス誌「世界の億万長者」でも72位にランクされている資産家ですが、グループの経営状態はバブル崩壊後思わしくない様子、運輸業界の規制緩和に対応すべく2001年には鹿児島交通や鹿児島空港リムジンバス、種子島交通、屋久島交通、南海郵船、鹿児島商船など運輸関連7社を統合したいわさきコーポレーション(以下いわさきC)を設立し関連会社の傘下集約を実施、03年には税制や商法上の特例を受けることができる産業再生法※を適用していわさきCを持株会社とする再編を行い、高速バス部門の南九州バスネットワークや路線バス部門の鹿児島交通、大隈交通ネットワーク、三州自動車、種子島・屋久島交通、そして船舶部門の鹿児島商船など計8社が傘下となった一方で、01年の統合当時関連会社として存続された鹿児島郵便逓送や奄美交通などのリストラ処理が展開されているというのが現状です。

※産業活力再生特別措置法(1999.10~2003.03)
企業が不採算部門からの撤退等事業の再構築計画の認定を国より受けると、欠損金繰越期間の延長、登録免許税や不動産取得税の軽減、日本政策投資銀行の低利融資などが受けられるという時限立法。企業の自力再建を促す意味で、産業再生機構による建て直しとは異なる。

さて、岩崎グループは2000年3月に大隈半島と薩摩半島の南の動脈である、当時南海郵船運航の山川-根占フェリーの廃止を周辺自治体へ打診、断続的に存続の交渉が行われたものの、具体的支援策がないとしていわさきCが02年3月に再度廃止提案を行い、結果9月末で廃止。フェリーとセットというべき存在であった佐多岬ロードパークについても3月時点で休業の打診を実施、こちらはずるずると営業は続けられていたものの、結局フェリー廃止後の利用落ち込みが大きいとしていわさきCが03年12月に翌年3月からの休業を発表、全国的に注目を集めることに。【検証:】でも議論になりました。

当初休業後については白紙としていたいわさきCですが、その後地元の佐多町への譲渡方針を示したものの議論がまとまらないまま時間だけが流れています…。

200203いわさきCが山川-根占フェリーの廃止提案、佐多岬ロードパークの休業打診を実施。
 09/30山川-根占フェリー廃止。
200312/04いわさきCが佐多岬ロードパークの来年3月以降の無期限休業を発表。その後同社は佐多町に対し休業と施設譲渡を打診。
 12/11佐多町・町議会が、同社と鹿児島県に要望書を提出。ロードパークを生活道路とする田尻地区の利用確保と県の整備を要望。
200402/19国土交通省が同社に対し、『観光客などの利便性に影響するため、申請があっても現状では休止は許可できない』との見解を示していた旨報道。休業後の通行是非について地元自治体と詰めることを求める。同社はこの時点で申請を提出しておらず、審査に数ヶ月かかることから当面閉鎖は回避される。
 03/09同社が不採算事業からの撤退を念頭に5月のGW明けから1年間の営業休止許可申請を国交省に提出。
 04/14町が同社に対し『存続について検討を重ねているが方策を見いだせない』として休業延期の要望書を提出。
 04/28同社が申請を一旦取り下げ。町と協議の結果、9月末までの営業継続を決める。
 09/27同社は町に対し10月以降も当面営業を継続する旨連絡。
 

で、前置きが長くなりましたが、【検証:】で話題になったこともあり、追々御紹介しようと思っておりますが、先日敢行した“九州収穫紀行”の口火に行って参りました。
丁度営業継続再延長がなされた直後、台風21号が鹿児島直撃したこともあって影響が懸念されましたが、当日は天候に恵まれました。


鹿児島空港

東京発の初便で鹿児島空港着。最後の活躍を続ける、準備中のYS-11JAC機に挨拶をして空港ターミナルをひと歩きした後、送迎ワゴンで駐車場向かいのレンタカー店へ向かい、予約のマーチに乗り込んで出発です。

まずはR504の長いだらだら坂を下って隼人市街へ。九州新幹線開業に合わせてリニューアルされた隼人駅は竹細工で覆われた和趣たっぷり。隼人塚を通りかかり古の時代に思いを馳せていると、丁度傍を観光特急「はやとの風」が駆け抜けてゆきました。
交通量の多いR10を東進して国分市街を抜け、カーナビはしきりにR504を薦めるなか錦江湾の最深部を眺めていたくてR220で大隈半島南下を始めます。すごくタイトな道というわけではないながらもアップダウンやカーブが多く、加えて大型車との行き違いが多いこともあって慎重に進みます。前方、きょうも噴煙をたなびかせる桜島がどんどんと大きくなってゆくと垂水市入り。カーラジオからは“競合路線”となった奄美交通vs.岩崎バスの様子とともにロードパーク営業継続のニュースが聞こえてきました。

隼人駅 埋没鳥居

1914(大正3)年の大噴火で陸続きとなったポイントから県道に入り桜島一周と洒落込みます…途中社会科の教科書で見たことのある埋没鳥居でしばし休憩を取り、小集落の中を縫うように進んでフェリー乗り場へ。ここからは溶岩なぎさ遊歩道沿いを進んでからR224入り。後で調べると今夏の長渕剛コンサートはこのあたりでしたか。いや、自然をまざまざ見せ付けられる凄い光景です。
ぐるっと桜島一周に小一時間を要するとは思っておらず、時間を気にしながら佐多街道となったR220で再び南下を開始。鹿児島からのフェリー拠点である垂水市街を抜け、県道でショートカットしてR269に入り大根占町へ。コンビニで小休止して町内を抜けると程なく根占町、フェリー乗場の案内が消された標識を眺めつつ一旦内陸へ進んで再び海沿いに出ると断崖にトンネルと覆道が続きますが、根占からは対向の車もぐんと少なくなり、僻地感がより高まる気が。

佐多岬ロードパーク

ようやく佐多の市街に入るも、ここから岬まではまだ20キロ近い道のり…事前の調べでは険しい道が続くとのことだったのですが、数年前くらいに手が入った感じで、山間を比較的ストレートに進んでゆきます。そして最後の直線を一気に抜ければ、佐多岬ロードパークの入口、大泊の集落に到着です。鹿児島空港から若干の寄り道はあったにせよ、走り詰めで約3時間超の道程でした。
入口は平日の昼下がりであるせいかもしれないけれど、営業再継続となった日にしてはすっかり静まり返っており、恐る恐るゲートに進みます。と、愛想良さそうなオバちゃんが門番。話に聞くサイクリストを頑なに拒む然は感じられないままに、通行料1000円を支払ってから『今後いつまでやるんですか?』と聞いてみると、『私らも当面としか聞いてないんですよ…』と苦笑に諦めと困惑の交じり合った表情。こちらも二の句が告げないまま、まずは走ってみることとします。

左手に先の集落まで別ルートで進む町道を見て、大泊小の傍をゆるやかに右カーブ。路面状況は相当悪いらしいと聞いていましたが、なるほどと実感しつつくねりくねりと進みます…両脇の樹木は伸び放題、南国の雰囲気というよりちょっとしたジャングル探検の気分?アップダウンが激しくなってきて、前方にトンネル!隧道内での対向はちと気を使いそうと思いつつ、実際にはなくてすんなりクリア。急カーブを切ってゆくと先程の町道が寄り添ってきます。その横には何やら大仰な看板が…思いっきり落書きされてます。
進んで前方左手には1990(平成2)年に登場した、海中公園をめぐる水中展望船さたでい号の乗場。人影もそうないままに山側にカーブを切ってさらにくねくね進むと、まさに本土最南端の集落となる田尻地区。バス停もありました…ここで白い小さな小屋の検札所。退屈してますよ、という感じのオバちゃんに先程貰った通行券の半券を切られます。ここから先がまさに唯一の「道路」となるようです(ネットで調べてみると獣道…もとい、自然歩道があるようですが…?)。

佐多岬ロードパーク

で、「自轉車通行禁ズ」「早朝魚釣入場禁ズ」という標識を横目にくねくね道をさらに進むと、ロードパークの見せ場のひとつである北緯31度線のどでかい碑が迎えてくれました。真っ直ぐ東西にはエジプトのカイロ、インドのニューデリー、アメリカのニューオリンズ、そして中国の上海があるわけですかぁ…(碑の看板順、昔はパキスタンのカラチの看板もあったようですが?)。
そしてようやく?佐多岬駐車場に到着!車はここまでで、歩道のトンネルが先にありますが、プレハブの建物が通せんぼをして入場料100円取られます…何もケチったわけではなく、時間的都合から泣く泣くここで引き返すこととなりましたが、各所に本土最南端を感じさせる場所がありそれなりに満足できました。
帰路はポイントポイントで車を止めて写真をパチリパチリやってましたが、本来は当然駐車禁止…しかしながら駐車場に居たのがクルマ1台とバイク2台、そして折り返し待ちの路線バスが1台、さらに往復の30分少々、ついに対向する車は現れなかったのでした…。


先を急いだのは大根占港から指宿に渡る南九船舶フェリーの都合上。不定期船ゆえ事前予約をしていたのと、それを逃すと2時間空いてしまうこと、開聞岳と知覧を見たかった…ということから、今来た道をそのまま北上します。
で、出航40分前の集合予定に間に合う形で大根占町入り。詳しい乗船場所まで事前チェックをしていなかったので、一旦漁港方面まで行ってしまったものの、可愛らしいプレハブの建物を何とか発見、中に独りいた女性係員の応対で手続き完了。しばし時間があるということで、一旦根占町まで戻って、桟橋を見に行くこととしました。
佐多岬へ行くときに左折した交差点を直進、雄川を渡った先が根占港桟橋。赤い大きな可動橋と船の色と揃えられていたと思われるグリーンの船客待合所がほぼそのままの形で佇んでいました。閉鎖された待合所内には運航案内板もそのまま掲げられており、がらんとしているとはいえ既に2年も時が止まっていることを感じさせません。

根占港 根占港

再び大根占港。こちらには桟橋なるものはなく、跳箱のロイター板宜しく木製の板路がある程度…不定期船というのも、桟橋設備を持たないため干潮時の車両積み下ろし時の安全確保の法的問題ゆえということで、規模が知れようというもの…おっと、やってきました。本当に可愛らしいフェリーです。そろりそろりと接岸、先程の板路にあわせて先端の可動板を降ろします。乗客7名が下船した後、甲板に満載したバンやSUVなど8台の車が降りてゆきました。
フェリーなんきゅう 乗組員がしばし休憩の後乗船開始。当方含め3台のクルマがバックで乗船。真ん中で縦にゆったり並んで感じるに、軽自動車含め3列入れば12台程度は入る、というところでしょうか。階段を上るとオープンデッキスペースと、操舵室と一体の客室。客室には12席ほどあり、「クーラーも効いてますよ」と薦められました。乗組員は3名、てきぱきと仕事をこなしながらも気さくな方です。携帯電話でちょい先の事務所に確認して程なく出航、防波堤を出て穏やかな錦江湾にすべるように進んでゆきました。

ここで改めて山川-根占航路の廃止提案以後の状況を整理すると、2000年4月に関連2市8町が連絡協議会を設立していわさきCと交渉を行い、02年9月の廃止後は第3セクター設立による復活を検討していったのですが、最終的には根占・山川の桟橋利用等で利用権保持者のいわさきCと折合がつかず、周辺市町が協議会から離脱し03年8月に協議会自体が解散、その後は根占・山川両町が検討を続けている…というもの(なお仔細は山川町サイト内「山川・根占航路調査研究会」ページが詳しいです)。

この流れの中で鹿児島地区の小型船舶・エンジンの販売代理店、修理会社であった南九エンジンドックが大根占町の要請を受ける形で同所を拠点とした旅客船舶運送業への参入を決め、南九船舶を設立し03年4月から大根占-指宿間での小型高速艇による不定期海上タクシー航路を開設したことは、その後周辺市町の協議会離脱の時期と近いことからも、自治体間に少なからずの波紋を投げかけたことは間違いなかろうかと。特に根占町と大根占町はその後広域合併でも破談しており、溝の深さを感じさせます…。
ただし、南九船舶は大根占町から直接的な支援を受けているわけではないとも聞いており、一時期大根占-鹿児島航路をぶち上げるなど先走り感はあったにせよ、結果として今年8月からの大根占-指宿航路フェリー化へと歩を進めたことは大いに評価すべきと思います。

しかしながら、なんといっても使われてナンボ。そこで航行中オープンデッキで待機されていた乗組員の方に声をかけてみると…『まだ2ヶ月だし、まぁぼちぼち。でもこの前は団体さんが入って別に高速艇で対応したんだ』との由。まだ不定期なんですか?と振ると『新造船だし性能的にはもう数往復できる。でも港の利用制限もあるし…この前も台風だったけど前後1日港が閉鎖されて(波的に大丈夫でも)動けなかった』のだとか。その語り口に、閉ざされた2年のブランクを超えて、時が動いているのを感じたのでした。

小さなフェリーは力強く穏やかな錦江湾を真っ直ぐ突き進み、航跡の波紋がゆらりと広がってゆきます。航跡の先には「フェリー屋久島2」が鹿児島へ向けて進んでゆく姿。ところで、水面を見ればまぁゴミが浮いていること…これはちょっと興醒めでした。
緩やかに左に弧を描き始めるともう指宿港が目前に。岸壁には大根占行きを待つ数台の車と家族連れを中心とした待人が…まもなく40分の短い船旅が終わろうとしていました。

遠かりし道程 ■
実際に行ってみて思うのは、やはりまず「遠いなぁ」ということ。鹿児島空港から車で3時間以上、鹿児島市街からだとフェリーが3ルート(桜島、鴨池-垂水、指宿-大根占)あるものの同程度掛かることになります。公共交通系になるとバスが鹿屋や根占、各拠点での乗継がベースとなる上、佐多岬まで入るバス自体が5往復、さらに日祝日には3往復しかなくなるということで、観光ではほぼ使えないということに…。
そもそも観光需要としての大隈半島自体の地盤沈下ぶりは顕著です。九州新幹線開業にあわせて軒並み新装丁化された南九州・鹿児島関連の旅行ガイドブックにひととおり目を通したものの、大隈半島では桜島を除いては佐多岬がちょこっと扱われている程度。スポーツでは鹿屋が注目されていますがその他にめぼしい観光資源が希薄なため、指宿・知覧・開聞岳・枕崎を抱える薩摩半島の紹介ボリュームがどうしても増えてしまいます。その意味では九州新幹線開業をターゲットとした串木野のまぐろラーメンは近場の大きな成功例でしょう。ちなみに皆様大隈半島が「日本のフロリダ」として売り込んでいること、御存知でしたでしょうか…。
そのような状況で、大隈半島に拠点を持たない岩崎グループとして、不採算事業撤退を検討したときに航路とロードパークの撤退をセットで行うに至ったことは、その過程論は置くとして致し方なかったとも思われます。

佐多岬佐多岬佐多岬

企業の論理と地域の論理 ■
改めて佐多岬という存在を考えるときに、これまでは岩崎グループのものであったがゆえ「おんぶに抱っこ」ということが少なからずあったのかもしれません。ただロードパークがここ十数年は投資されていないのでは、という状況をも放置してきたツケが一気に噴出したという感も…率直に云って、今回徒歩で最南端へ到達していないにも拘らず、当方自身には現時点で再訪意思はないなぁと…それはルートにも魅力が感じられなかったことも大きいかと。今夏北海道では自治体毎に道の駅事業に力を入れていることをまざまざと実感しましたが、今回のコースでは根占の1箇所(来年垂水にもできるようですが)、そこもドライブインに毛の生えた程度という感じを受けたのでした。岩崎グループを責めることは簡単ですが、地域として今後どうあるべきかが見えないということも重かろうと。
ただし地元でも危機感はあったようで、1990(平成2)年にNHK大河ドラマ『跳ぶが如く』での鹿児島ブームにあわせて町主体で「さたでい号」を導入、97年にはロードパークの入口に「佐多岬ふれあいセンター」を建設、岩崎グループと共同経営の佐多ビーチホテルを営業したり(なおいわさきCは経営撤退も打診中)、佐多町中心からロードパークの入口までの隘路を大幅に改修したり、2001年からはロードパーク自体を開放した町主催の「佐多岬マラソン」を年1回開催したりとテコ入れを行っていることはいるものの…というところ。
知床とまでは云わないが… ■
今後は町が譲り受けて補修するなり、というのが傍目からの見解ですが、航路を失った根占町との広域合併を目前として(来春「南大隅町」が誕生)、その航路や奄美交通問題でも喧伝される、補助金狙い・資産譲渡価格狙いというレッテルの貼られているいわさきCとの交渉は一筋縄ではいかなさそう。その上で改めての魅力づくりとなると…前途は多難のようです。
乱暴な物言いをしてしまうと、宗谷や納沙布で感じるような寂寥感で売ることもできるのかなぁと…これ以上手を入れないことで、野生のサルが迎えてくれる辺境の地としての魅力が高まれば、変わった形でスポットライトが当たることになるのやも知れません…。

佐多岬

 

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休業回避決定へ!

投稿者---551planning(2005/03/30 22:21:26)

佐多岬ロードパークの休業回避が決定したそうで。まずは本土最南端への道がつながったことを喜びたいですね。

記事にあるように現佐多町(03/31付で根占町と合併し南大隅町に)といわさき側が水中展望船さたでい号待合所付近の県有地等(町が取得)とロードパークの一部(第1料金所~第2料金所区間、町道として維持へ)を土地交換することで合意、手続き終了までのロードパーク経営継続についても盛り込まれています。
手続き終了後もロードパークの残存部分(第2料金所~駐車場~)はいわさき側が所有するとしていますが、佐多町長は「将来的には県に移管してもらいたい」ともしているところ、まずは区間が短くなることでの通行料金をどうするか、というのが気になります…もっとも土地交換区間は現状も町道が並行していることから、そのまま1000円で、ということも考えられますが。

「佐多岬展望公園」の展望は…

投稿者---551planning(2007/04/30 23:58:30)

あれから2年経ってたんですね…。

南大隅町といわさき側の交渉は2005/03に土地交換で合意していたものの、交換用の土地が県有地および鹿児島大学所有地だったことからその後の事務手続きが難航、今年に入ってようやくまとまった次第。結局、04/26にロードパークは町道として全面無料通行化と相成りました。
ただし、いわゆる第2料金所から駐車場までの道路区間と、駐車場から先の遊歩道区間はいわさき管理のままで、遊歩道通行料100円が「佐多岬展望公園」入園料として300円になったほか、現在災害により休業中の展望台利用料が200円となる由…値上げを云々するよりも、いわさきが財政難で未定とする各種施設整備にまず期待したいですね。

佐多岬観光についてはこの2年でも状況が様変わりしています。

■山川-根占航路

2005/12に暫定復活、当初6ヶ月予定のところを県・指宿市(←山川町)・南大隅町・いわさき(鹿児島交通)の4者協議を重ね、一時3セク化も模索しつつ結局、フェリー「ぶーげんびりあ」について3億6000万円で指宿市・南大隅町が折半購入、いわさきは年3600万円×10年間リースで運航委託を受け、県が港湾施設を取得し、発券などの陸上業務は両市町が担当する上下分離方式を導入することで合意、2006年11月から晴れて新体制による定常運航となっています。
ただし今年2月の「山川・根占航路利用促進協議会」では、2002年の廃止時点と比較して約6割の利用率となっていることが報告され、4月の同会では運賃の割高感や運航ダイヤへの不満が指摘される一方、事業者の鹿児島交通は「現在でもかなりの赤字」と、見直しに難色を示しているとの事。

ちなみに南九船舶の指宿-大根占航路は健在。2005/07には「フェリーなんきゅう2」も就航し2隻体制になり、新航路もとのウワサを聞いた記憶もありますが…なお今年2月には運賃を若干値下げしています。個人的には、ガンバレなんきゅう!

■大隅交通ネットワーク

2006/04にいわさきグループ全体での赤字路線大幅撤退を柱とする再編案が発表され、そのうち大隅交通ネットワークについては大半が該当するとあって、深刻な問題となりました。結局関係市町村等の補助を得る形で11月再編実施時に一部存続が図られたものの、南大隅町内でも主要3路線に集約され、その他路線については中学校スクールバスの開放で対応しています。
なお、この再編で大泊~佐多岬間が廃止となり、ロードパークを自動車以外で通行することが事実上不能という状態になっていました。

■観光施設

佐多岬の観光拠点である「佐多岬ふれあいセンター・佐多ビーチホテル」は旧佐多町といわさきが共同事業で3セクを設立し運営していましたが、2004年にいわさきが負債を負う形で撤退、指定管理者を美創産業が引き継いだものの昨年12月で撤退し、現在は佐多岬観光開発が引き継いでいますが、施設の陳腐化という問題を抱えています。その他町内施設の多くが赤字体質となっており、一部施設の休廃止も検討されている由。

***
山川-根占航路定常運航時にも話が出ていますが、2008年はNHK大河ドラマ「篤姫」が指宿ゆかりであること、2011年には九州新幹線全線開業を控える…として、鹿児島観光に追い風と捉える向きもあるようですが、一方で佐多岬観光に絞っての観光客入り込みは漸減が伝えられており、少なくとも厳しい状況は続くものと思われます。その中で町道となったロードパーク、そして「佐多岬展望公園」の展望が気掛かりです。


■ そして、今…
2007/04の無料解放後も、展望公園はいわさき側の管理のままとなっており、各種施設整備については国立公園内ゆえに積極策が採れないとして事実上「放置プレイ」状態に…2008/10にはいわさきと県・南大隈町、国立公園管轄の環境省が参加する4者会合が持たれ、席上いわさき側から「新たに投資する経営方針はない」と表明。なんともはやな状況となっていました。
一方、山川-根占航路についても厳しい旨の反応を見せていたところ、2009/12に行政支援が得られなければ2010/02末で撤退すると突如表明。2006年の上下分離方式化の際に10年間の運航継続協定を結んでいたものの、その後の景気低迷や燃料費高騰に耐えられなくなったとする一方で、「積極的にやめようと思っているわけではない。本当に航路が必要なら、(行政側に)考えてほしい」との社長発言もあり、またか…という思いがしてしまいます。
そしてその際、佐多岬展望台等については県に寄付を申し出る方針も表明。こちらも「県が受けなければ閉鎖しようと思う」との発言が出ています。
2011年春には九州新幹線が全線開業、新大阪からも直通列車が運行される運びとなっており、鹿児島の観光は2004年の新幹線部分開業以来の転機を迎えます。その間、多くの識者が佐多岬について危惧を表明しているところ、大隈半島全体の先細り感にもつながってしまいかねません。
いわさき側に振り回されている側面は否めず、余所者にはなんとも歯痒く思えてならないのですが、さりとてこれまでの持ちつ持たれつの関係性からすれば、捨て置くことも出来ないということなのでしょう。行政の回答が待たれるところです。
 

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