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shinokubo

担保されうる安全は何処までか…? ~鉄道ホームの柵論議を考える~

まずはある論文記事を御紹介したい。
なお、あえて全文を転載する責任は管理者である551planningが負うものである旨、予め御理解御了承の程。

鉄道ホームの柵論議 伊多波美智夫(鉄道保安研究家)

JR新大久保駅で起こったホームからの転落事故を契機に、ホーム上の危険防止について各方面でいろいろな意見が述べられている。
これらの意見は2つに分類される。1つはホーム上からの旅客の転落防止について、もう1つは転落後の救済措置についてである。これらはいわば、事前措置と事後措置である。
事故防止の立場からは何といっても事前措置、すなわち事故の起こらないようにすることが基本である。
その1つとして最近、ホーム上に柵(さく)を設置するという意見がある。ここでまず、その意見の前に両当事者、すなわち鉄道事業者、鉄道利用者相互のホーム上における安全の関係がどのように考えられているかについて、法・制度に従った慎重な検討が必要である。
法・制度は鉄道の運営においては、鉄道利用者の利益を保護すること、また鉄道は運輸の安全便益を旨とすることを示し、一方、旅客および公衆に対しては、列車運転中の乗降のような危険行為などの罰則、秩序を乱し、または風俗を害する行為の禁止、また鉄道係員の職務上の指図に従うことなどについて定められている。
これらは、国家としての立場から鉄道事業者、鉄道利用者相互が、公の秩序を保持し、相協調して公的輸送と安全の達成が可能とされるよう定めているものである。
以上の見地に立って最初に、果たして駅ホームは危険地帯なのかどうかについて注意深く考えてみたい。

かつて、列車のドアは自動ではなかった。今は列車はすべて自動ドアを備え、着発時の旅客の乗降には危険が生じない。また貨物列車が駅の着発、通過に際して荷崩れなど危険があったが、現在はこれもない。
以前は、車両の車軸発熱、タイヤ割損のようなこともあったが、今ではもはやそのようなことも考えられなくなった。歩道に自動車が飛び込んでくるような危険は、駅ホームでは全く考えられない。
要するに、駅ホームは危険どころか、もっとも安全な地帯なのである。駅ホームへ柵をという場合は、まずホームが安全地帯であるという認識に立たなければならない。
しかし、安全地帯であるからと一転、漫然としていては、ホーム上からの転落、列車接触などの危険から避けることはできない。
このような危険は、何も鉄道のホームに限ったことではない。注意しない限り、日常生活において、いつでも、どこでも起こることなのである。
われわれは日常において、このような事態に遭遇しないよう、常に注意を払って生活をしている。いわば、自分の身を守るための自己防衛を原則として危険防止を図っている。社会生活においては、危険防止はまず自己防衛、これが民主社会の通念というものである。
しかし一方において鉄道事業者は、輸送障害によって社会的混乱が生じないよう、積極的自衛手段を講じておかなければならない。
ホーム旅客に対しての列車情報の伝達、列車進入電光掲示板などによる注意喚起、また多客時、ラッシュ時間帯などの場合の駅要因による案内、状況監視などは積極的自衛策である。
これらは、鉄道事業者、鉄道利用者相互の結びつきにおける一定の秩序である。その調和によって基本条件とする安全と円滑な輸送が可能となる。

また柵設置のことについては、文明社会のなりわいについても言及しておく必要があろう。
明治以来、わが国においては、日常生活の中に各方面にわたって機械化、自動化が進められ、特に戦後は急速な勢いで進んだ。こうした中で、社会生活環境は一変してしまった。
デパートにおいては、いち早くエレベーター、エスカレーターが設けられた。そして当初は、保安要員として女性店員が必ず配置されていた。やがてそれは姿を消すことになる。
この間、エレベーター、エスカレーター利用に際しての死傷事故は少なからず起こって推移した。それでも、エスカレーターガール復活の声はなく、今では自動化の中での自己防衛が利用者の常態となっている。
また、路線バスにはかつて、運転手のほか必ず車掌が乗務して安全確認をしていた。この車掌も、相当以前に姿を消してしまっていることは周知の事実。その後、バス発車時また退行時の死傷事故は、やはり起こって推移した。
しかし、世間ではバス車掌の復活を望む声は起こることもなく、乗降時の安全は、運転手、利用者相互の注意によって保たれ現在に至っている。バス停留所における柵など、もちろんない。
明治5年に動き始めたわが国の鉄道は、もはや120余年を経過した。今では、毎日、下駄をはくような気楽な利用の仕方である。
ホームはつねに列車が高速で走っているところという一般の認識は、特に取り立てていう必要もないであろう。外国では、ホームに入る改札のないところもある。このようなところでは、一般の人々がホームに自由に出入りができる。
ホームにおける危険防止については、自分の身は自分で守るということについて、鉄道利用者も鉄道事業者も社会通念として徹底した認識である。他に依存する前に、まず自己防衛が明確に原則とされている。
またホーム上に限らず、弱者に対しては、直ちにいつでも手を差し伸べるという自然の社会生活が出来上がっている。
要するに、文明社会においては、以上のようなもろもろの要素が相互に一定の関係を保って結びつき、社会秩序が保たれ、安全が保持されている。

どうしても鉄道ホームに柵を、というなら、ホーム旅客の注意義務について、法律をもって明示されるべきであろう。

 

当【検証:】サイトにおいても、事故発生直後から議論展開された(可動)柵設置の是非…当方551planningは、設置・管理に対する(事業者)費用負担帰属論から、果たして血税を投じてまで喫緊に行なうべき施策であるか、と疑問を投げかけた。
しかしながら、「コスト」が一種の免罪符として安全対策が疎かになるということは本末転倒ではないか、等々の御指摘を受け、確かにそれが正論であるために、当方としてもその後積極的な意見展開ができずにいた…その意味で上記論文は当方にとってこの問題を再考させる契機となったものである。

本リポートでは現状を踏まえつつ、上記論文を踏まえた当方の見解を改めて纏めてみようと思う。なお、議論の焦点はホーム柵設置に関しての1点とし、飲酒問題、マナー論等は触れない点御了承の程。


2001/01/26 19:15頃、JR山手線新大久保駅内回り側ホームにて、酔った男性乗客が線路内に転落、助けようとした男性乗客2名も救助に間に合わず、3名とも電車にはねられ死亡する事故が発生した。
結果的に自らの命を投げ出してまで救出しようとした2名の果敢な行動に対して多大なる社会的関心が寄せられ、その波紋が多方面に広がったことは皆様も御存知の通りであろう。
ただし、事故当時の詳しい状況については、今日それを知ることは意外と難しくなっている。当初一部報道では3名ともがベンチで飲酒していたらしいというものさえあった。結論としては、酔った男性がまず転落、たまたま通りかかった両名がどちらからともなく自ら線路へ降り、救出を試みたものと思われる(状況の詳細については下記リンク参照)。

先日、現場に行ってみた。事故発生以後、新大久保駅で降りるのは初めてである。
駅に着いたのは20:30過ぎ。山手線電車は両方向とも結構な乗車率であるが、駅での乗降はそれほどでもない、といっても50人単位は軽くいるだろう。1時間前ならばもっと混んでいたかもしれない。
現場はちょうど北口への階段部付近で乗降が集中する場所、しかも線路部分は大久保通りのガードで、とっさの場合でもホーム下に潜り込む隙間など無きに等しかった。事故状況がはっきりしないまでも、転落から電車入線まで数十秒というタイミングであったと思われる。「勇敢なる行為」はまさに反射的なものだったのだろう…。

当方は素直に哀悼の念を表明するのは差し控えたいと思います。すでに 「究極の善意」を悼んで で書いた通り、死者の方々を非難するつもりはありませんが、今回は残念ながら軽率な行為であったと云う事もできるのではと考えるからです。にもかかわらず様々な思惑を越えて「美化」されつつある現状こそ、我々は気に留めなければならないのではないでしょうか。
事故後数件の「救出劇」が賛辞でもって報道されていますが、どのような状況においても線路上に降りる事の危険性を改めて考えて頂きたいと思います。その意味では両氏の行動を手放しで絶賛することはできかねます。

本リポートの意図とは離れるが、メール等で御批判を頂いた当方の上記考えについて、改めて現場を訪れてみて、個人的な意見に揺るぎは出なかった。改めて当時の社会的「雰囲気」を思うとき、皆様はどのようにお考えになるであろうか…。
しかしながら、事故が起こって初めて積極的な「議論」を生んだことも事実である。今だからこそ、このことを当方は重く受け止めなければならない、と考えている。

shinokubo

改札口を一旦出てみる。明らかに日本語でない言葉が飛び交っている…久し振りに新大久保に降りたが、「勢いのある雑多な街」の印象がさらに濃くなっているように思う。事故に巻き込まれたお一人が、韓国からの留学生であったということも、「事故」の波紋を大きく広げるものであった。
冒頭写真の碑は、階段下踊り場に設置されていた。いまだに足を止める人が少なくないようである。しかしながら、当方が短い時間ながら見て廻った限りでは、駅構内にこのほかの「痕跡」を見出すことは、できなかった。


事故後国土交通省は、02/19付鉄道局長通達「プラットホームからの転落事故に対する安全対策」にて鉄軌道事業者に対して下記指導を行い、それに基づく各事業者の安全対策の整備計画等が07/19付で「鉄道駅のホームからの転落事故に対する安全対策の整備計画等について」として取り纏められている。

平成13年2月19日付鉄道局長通達(要約)

  1. 転落に対する安全対策
     (1)非常停止押しボタン又は転落検知マットの整備 (3)ホーム柵等の設置に関する検討
     (2)プラットホーム下の待避スペースの確保     (4)旅客に対する注意喚起の徹底等
  2. 駅構内における酒類販売に関する検討
 

このうち、ホーム柵等の設置の検討状況及び今後の対応策としては下記のようなものが挙げられている。

●固定式ホーム柵の検討(8社)

  • 旅客流動等の検証として試験的に一部の駅に設置(JR西日本、東急)
  • 京都駅(新幹線)の一部に設置(JR東海)
  • 今後の車両更新時等に車両ドアの位置の統一を含めた中で設置を検討(JR北海道)
  • 既設駅(横浜駅)の使用状況を検証し、今後の計画に反映(相鉄)
  • 鉄道駅総合改善事業で整備を行っている駅に試験的に設置する方向で検討(名鉄、阪神、山陽)

●可動式ホーム柵の検討(3社)

  • 旅客の流動に与える影響についてシミュレーションを行い、結果を踏まえてドア数の異なる車両の混在等の課題について検討(JR東日本)
  • 千代田線分岐線についてワンマン化とあわせて導入を計画、他の路線は技術的可能性を検討(営団)
  • 平成15年度より導入予定のワンマン化とあわせて設置を予定(東京モノレール)

ここでホームと軌道部を分離するものについて、改めて整理しておきたい。
一般に「ホーム柵」とされるものは固定式と可動式に分かれる。固定式はまさしくホームの軌道部と接する部分が乗降部を除いて柵で仕切られているものである。例は古く、東海道本線京都-神戸間の一部駅で、複々線部の外側(列車)線に接するホームの一部で国鉄時代から柵やロープで仕切られていた記憶がある。このほか東京モノレールも軌道桁以外のところが地上まで開いている場所があったがために早くから柵で仕切られていたと思われる。上の写真のJR東海京都駅や相鉄横浜駅もこの例だ。GWB「ゆとりーと」軌道部でも採用されている。
一方可動式は、乗降部を含めて完全に仕切られたもので、乗降部は列車到着時のみ(自動)開閉される仕組みになっている。当初通過列車がほとんどであった東海道新幹線の新横浜駅内側線に設置された形に代表される可動柵式と、無人運転を基本とするために事故完全防止を主眼とした、AGT新交通システムで採用された完全密閉型のホームドア式とに分かれよう。

ホームドア最大の利点は転落事故の「完全防止」にある。ホームからの転落轢死事故の多くが「自殺」である事実からすれば、可動柵式では乗り越えられて…ということが考えられる。もっとも触車事故を防ぐ観点からすれば可動柵式で十分有効であり、その意味で採用決定時期と事業者の考えが明らかに分かれている端的な例として、ホームドア式を採用した営団南北線と、可動柵式を採用した都営三田線・東急目黒線が乗り入れていることであろうか。さらに言えば都営地下鉄では大江戸線もワンマン運転だがホーム柵はなく、東急も多摩川線や池上線では固定柵(と検知センサー)を採用しているのである。


現状を一通り見て来たわけだが、ここからは論文の内容を吟味してゆきたい。なお、恥ずかしながら当方、鉄道保安研究家という伊多波美智夫氏なる御仁、存じ上げないでいた。ネットで検索しても、「おぉ」という内容をお目に掛かる事はできなかった…そういう意味では先入観なくこの文章を読んだ、ということを申し添えておきたい。

上記論文において、氏はまず、そもそもの鉄道利用者と鉄道事業者のそれぞれの安全担保の関係を問うている。すなわち、国家が定めている鉄道に関する法・制度からの検討が重要と解く。「国家としての立場から鉄道事業者、鉄道利用者相互が、公の秩序を保持し、相協調して公的輸送と安全の達成が可能とされるよう定めているもの」をもってしてはじめて、ホーム上における安全担保を検証しなければならないとしているのである。
それを前提として、「果たして駅ホームは危険地帯なのかどうか」という検証を挙げている。仰せの通り、鉄道保安および鉄道そのものの発展につれ、今日において交通機関としては最も安全に利用でき得るシステムが確立されたといって良いだろう。まさに「駅ホームは危険どころか、もっとも安全な地帯」であるのだ。

そもそも、ホームに限らず、人間は日常生活において、どのような状況下でもまず自らの保身、自己防衛をもって生活しているものであると解く。しかしながら、それが何らかの理由を基に欠けてしまった場合においては、ホームからの転落や触車といった事故も当然起こり得る。新大久保事故の場合、最初に転落した人物が(飲酒という要因が影響している中で)自己防衛が欠けていたことになろうか…。
この一方で「鉄道事業者の公共性の見地に立った自衛手段の必要性」を挙げ、事故防止のため、利用者への情報伝達、駅係員による状況監視などを積極的な自衛策として捉える事ができるとしている。今回の事故では、ホーム立哨活動の激減やホーム下の避難脱出設備・転落検知マット等の不備、非常発報装置の周知徹底活動の希薄さなどが指摘されたが、このことに関しては後程検討したい。
そして、これら「利用者と事業者相互の結びつきにおける一定の秩序の調和」をもって、鉄道の安全と円滑な輸送が可能であるとしている。

人間の持つ自己防衛という観点では「文明社会のなりわい」というアプローチでも言及している。昇降装置や路線バスにかつていた「保安要員」が時代の流れで姿を消したこと、といってそれに関わる死傷事故も少なからず発生していたことは、日常生活の多方面での機械化、自動化が進んだことと、それに伴う自己防衛がいまや利用者の常態となったことの証左である、としている。
すなわち、誕生後120余年を経過した鉄道にあって、ホームにおける危険防止についても、まず自己防衛こそが社会通念であるものと利用者・事業者相互の徹底した認識である、と結論付けているのである。
さらには「弱者に対しては、直ちにいつでも手を差し伸べるという自然の社会生活が出来上がっている」とし、文明社会はさまざまな要素が絡み合う中で、社会秩序・安全の保持が図られているのだ、と締め括っている。

すなわち、ホーム上における安全担保は、事業者側による積極的なサポートは必要としながらも、主として利用者自身の自己防衛の下に、社会通念上すでに成立しているものであるとし、それでもなお「柵をつける」ということであるならは、ホーム上における利用者の注意義務について法制度によって明示された上でなされるべきだとしているのである。

…以上はあくまでも当方の解釈であり、もしかすると氏自身の見解と異なり得る可能性もあるが、そこまでは当方もサポートし得ないことを予めお断りしておこう(…逃げではないですよ)。いずれにせよ、上記解釈を踏まえて自己の結論を纏めよう。


tamachi

左の写真は、事故の当事者でもあるJR東日本が、当面の策として進めている「ステップ」である。結構多くの駅で見掛けるようになったが、裏を返せばそれだけホーム下に空間がない駅が多い、ということにもなろう。
皆様の中で、線路面に降りられたことのある方はどれくらいいらっしゃるであろうか…当方は何度かあるが、ホーム面まで1m前後、結構「高い」。例えるならプールが一番イメージし易いだろうか。ただし浮力が掛からないことを念頭に入れて頂きたい。

どうだろうか、イメージ頂けたであろうか…そもそも、「ホーム下に降りる(落ちる)」ということを想定している人は少なかろう。それこそが我々に自然に備わってる「自己防衛意識」ではなかろうか。こうした半ば本能的な意識のもと、我々は日常生活におけるさまざまな体験を重ねて危機回避への対処を図っているといえる。
その意味において、一時的もしくは永続的に自己防衛意識を働かせることのできない人々がいることを、我々はまた忘れてはならない。前者が酩酊や急病などによる、後者が主に障害者を指すとお考え頂いて構わない。氏は、「弱者に対する支援という自然の社会生活」の存在を指摘しているが、現代社会においてこれが適切に機能しているかどうかを吟味することは難しいといわざるを得ない。これに対してはさらに検討の余地があろうが、それはまたの機会に譲るとして、一例をもって述べるならば、ホーム全体に隈なく点字ブロックが張り巡らされている国は珍しいと聞いている…障害者の積極的社会参加は否定しないが、それがホーム柵設置の絶対条件になるかどうかは別の話であると考える。

話が前後したが、結局のところ我々は、鉄道事業者の公共性の見地に立った自衛手段の必要性における「積極的な自衛策」の範囲を議論する必要があると考える。その意味において、事業者側がホームからの転落時の対処について、例えば、以前よりホーム上にも緊急列車停止ボタンが設置されつつあったが、不用意な悪戯を恐れて積極的には告知してこなかったことなどに対しては、積極的に反省し改善する必要があるだろう。また、遺族に対する配慮等で不透明になりがちな(自殺等による)列車運行阻害に対する損害賠償等についても、公開でき得る範囲で積極的にこれを開示し、抑止力とすべきではなかろうか(余談ながら、中央線での人身事故が多いことについて、それが強調されて伝えられることで「中央線でなら確実に死ねる」というような幻想を自殺志願者に抱かせる効果を持ちうるという指摘もある)。そもそもの根本として、線路上やホーム端部は非常に危険であることをさらに周知徹底させる必要がある。

その上で考えなければならないのは、既存施設が持つ危険性であろう。キャパシティ以上の利用状況において、特にラッシュ時などにホーム端部を通行せざるを得ない状況は珍しいことでないのが実情だ。当然通行者自らが気をつけ、自重すべき行為ではあるのだが、このことに関しては事業者の積極的対応、すなわち注意喚起のための策を講じる必要があるだろう。それがホーム端部にLEDなどの発光装置を設置することで足りるのか、柵を設けなければならないのかは個々の判断に任されることになるというべきか。
この観点からすれば、ホーム可動柵(ホームドア)の設置はある程度路線全体的になされなければ効果的ではない、ということになるだろう。列車の到着、乗降扉の開閉、列車の出発という一連の動作において密接な連携が求められる以上、単に設置すれば良いということではなく、列車運行、信号保安システムからの総体的な見直しが肝要となるからである。ここにおいて、コスト的要件が出てくると論じることもできるだろう。仮に一定の条件を設けて設置するにしても、それが真に利用者と事業者が相協調しての公的輸送と安全達成を満たすかどうかをさらに個別具体的に勘案する必要が多分にあるものと考える。

現実論からしても、まずもっての方向性は固定柵の設置を軸に進んでゆくことになろう。しかしこれもすでに指摘されていることだが、列車編成、特に扉位置によって設置要件が大きく変わってくることは大きな問題点である。事業者側にとっても駅ごとに対応が変わるとなると、維持管理におけるさまざまな対処を要求されることになる…「安全の担保」の名の下に、果たして事業者側がなし得るべきこととはいったい何処までを指すのであろうか。そして、利用者である我々も、「自己防衛」と「弱者支援」という自然社会通念を改めて考えてみる必要があるのではなかろうか…そこに3名の死が活かされることにつながると信じて。

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鉄道事業、「公営であるがために」~札幌市がホーム柵整備へ~

投稿者---551planning(2004/03/08 18:46:42)

03/07、存廃問題で揺れる秋田内陸縦貫鉄道について住民有志が「秋田内陸線の乗車促進を実現する町民集会」を開催、所謂「乗って残そう」運動に取り組むことを確かめ合ったそうです。会社、県、住民代表らによるパネルディスカッションも行われ、活発な議論が行われた由。出席の地域振興局長氏はメタメタになってそうな雰囲気が伝わってきますが、『毎年県と沿線町村が3億円の赤字を埋め続けていくことに、県民全体が納得するかどうかだ』とは十分納得、しかし『沿線住民が地域の足として残そうと決意して、乗車運動を進めるなら他の県民も納得するだろう』と続けたのはさて如何なものかと…おっと、本投稿はこれが本題ではありません。

その席上、『内陸線は県、沿線町村が全員一致で存続を決めた鉄路。本当に設立当初の気持ちがあるのか残念だ。金がかかるからやめるというのは不思議でならない』との行政側の姿勢を批判したのは、縦貫鉄道元専務の伊多波美智夫氏-ん?この名前、どっかで見たことあるなぁ、と思っておりましたが…ありました。2001/01に発生した、かの「新大久保事故」を受けての当方の私見をまとめたときに参考とした記事を書かれた「鉄道保安研究家」でいらっしゃいましたか。

そういえば新大久保事故以降、【検証:】でもホーム柵設置に焦点をあてていろいろ議論しておりましたが、当方自身は確かに主要駅への一律的な整備はベストであり、事業者もそれに向けたできうる限りの努力をなすべきとは思うものの、根本的にホームと列車の関係はどのようなものかを考えた時に、事業者が責任を持って整備すべし、その義務を負っているのだとする“風潮”を良しとはしないし、現実的に費用対効果が釣り合うのかというところでも疑問視していました。“どうしても”ホーム柵設置というのなら法的な整理が必要とする「伊多波論」も当方の考えに近いものかなと解釈しています。

で、短絡的にその議論を蒸し返そうというわけではないのですが、たまたまこんな話も伝わってきておりまして…。

早ければ05年度からの整備ということで、記事にもある通り約4,400億円の累積赤字を抱え、路線バス事業からの撤退、市電事業は存続を決めたものの根本的見直しを図るというように、公営交通維持へまさに崖っぷちにある市交通局にしては余程の選択肢のようにも思われましたが、結構切羽詰った「背景」があるようで。

いきなり『政令指定都市の中では投身事故率ナンバーワンという現実。』と題されているように、札幌市は政令指定都市の市営地下鉄の中で、営業距離に対する事故発生件数の割合が最も高いそうで。しかも路線規模を考えると3大都市圏と比してもその割合はかなりのものになるとされています。南北線の開業後年々増加基調にあるとされており、ゴムタイヤゆえの「悲惨さ」や道経済低迷が背景との分析など、短いシリーズながらも端的に拾いつつ、その結論としてハード面の「ホーム柵の必要性」を、ソフト面として「周囲の気遣い」が最大の予防策としていますが、こと前者については担当係長の発言を引いて『「ホーム柵の必要性は認められているものの、予算の関係上、現実的に設置されるかは全く未定」と肩を落とす』と記されています。
記事にも出てきますが、当方が市営地下鉄を利用した時に車両に網棚がないこととホームのどでかい鏡が面白いなァと思っていて、こと後者は駅構内の照明がちと足らないのを補う役目もあったりして?などと今思えば事業者に失礼なことも考えていたのですが、その照度向上や警備員の配置など、以前に社会問題化したJR-E中央快速線とほぼ同様の対応策が行われているところからすると、なるほどあらゆる抑止要素の末の今回の決断であろうことが伺えます。

***
この記事が効いて、ということでもないのでしょうが、局内部からの「声なき声」が予算確保につながったとすれば、余程事態は深刻ということでしょう。
ただしもう一つの視点としては、やはり「公営事業者ゆえ」ということもあろうかと。記事にもあるように『国土交通省から全国の鉄道事業者に対して、こうした安全対策を強化する旨の通達が下されていることもあり』ということで、個別の採算性等とは別な判断の末の結果ということが伺えます。そして個人的にその“要請”に対していくばくかの懸念を抱くものでもあります。

前提として、ホーム柵議論において個人的な思考として重きを置くのが、「ホーム柵は鉄道事業において必要条件か」ということがあります。ここは以前でも異論の多くあったところですが、確かに安全確保がすべてに優先すべきであることは理解しますが、例えば視覚障害者の安全性の観点からであれば確かに説得力を持つものの、その場合でも「点字ブロックの理想と現実」の分析こそが急務であり、それに併せてやはり制度の明確化が求められるものと考えます。何も制度ありきでないとと云う気は全くありませんが、いろいろな角度からの検討、議論が求められる案件なのではないかという認識を持っています。

実情はというと、新大久保駅事故を受けて2001年9月、国交省鉄道局内に学識経験者から事業者まで含めた委員で構成される「ホーム柵設置促進に関する検討会」が設置され、約2年を経た昨年12月に報告書が提出されています。これを見ると、新規単独路線へは可動式ホーム柵の設置を求めつつ、さまざまな制約が考えられる(特に大都市の)既存路線については“設置促進のための検討を進めていく必要がある”として、事業者に対して課題の把握を求めている(しかもその要点として大小十数項目が示されている)ほか、費用負担については今回の検討委が技術的観点を主題としていることから、検討課題であるとしか触れられていません。

このように、現実としてはホーム柵整備について規模、範囲、方法などで明確な基準が示されているわけでも、費用負担についての助成制度が明確化されているわけでもなく、原則として事業者負担となっていることからすると、そのハードルは特に採算性を求められる民営事業者には高いハードルといわざるを得ません。だからといって民営事業者がやらない、ということを云いたいのではありませんし、例を引くまでもなく現にやるべきところではやっています。しかし対応した事業者だから良い、対応していない事業者だからダメだ、という議論でもないはずです。
しかし公営事業者としてはどうでしょうか。少なからずそうした視点で判断されることが無きにしも非ずでは…と考えます。パッと思いついた例としては、横浜市営地下鉄の民営化答申に際し、ワンマン化での効率化を求めつつ、ホーム柵の設置を安全確保の条件としていたと記憶していますが、福岡市交通局や都営大江戸線を持ち出すまでもなく地下鉄の「ホーム柵なし」ワンマン運転は先例があることを思えば、確かに横浜市営地下鉄の場合は第3軌条であることはあっても、そのあたりのコストを別に活用することが現実に即しているのではと思うのです。

丁度当BBSでは鉄道事業の公営民営論が行われているところですが、こうした側面からの研究もまた論点としては興味深いものと考えます…ちょいと混乱してしまうかな?
当方はホーム柵の設置を求めるならば、各種要件を明確化した制度化が求められるとともに、助成体制の確立が必須と考えます。その財源確保としてはやはり、トータルなバリアフリー対策の促進を図るための交通税的なものの必要性を感じています。それが無い中での「社会的要請」はあまりにも事業者に重く、特に公営企業にとっては納税者である市民への説明責任含め難題ではなかろうかと考えるのですが…。

福岡市営地下鉄は・・・

投稿者---3京新聞氏(2004/03/09 02:24:05)

こんばんは、お久し振りです。あまり突っ込んだ投稿もできないのですが・・・

福岡市交通局や都営大江戸線を持ち出すまでもなく地下鉄の「ホーム柵なし」ワンマン運転は先例があることを思えば、

その福岡市交通局は現在、空港線にホームドアを設置中です。現在、建設中の七隈線もホームドアを設置し、さらに無人運転という究極のコスト削減策も行われようとしています。

横浜市営地下鉄の場合、ワンマン対応を考えて建設していないというのもあるのではないでしょうか?福岡市も大江戸線もワンマン化に考慮してホームの出来るだけの直線化など見通しが利く様にしていますから。ただ、池上線のようなホーム柵でもいいような気もするんですが。

こういうのを設置するのは大変でどうしても公営事業者先行になってしまいますね。可動柵を導入したのは他に東海道新幹線の一部の駅ぐらいですし・・・。

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本来は許されないはずの「対応の遅れ」

投稿者---エル・アルコン氏(2004/03/24 18:15:39)
http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

この手の話題でいつも感じるのですが、ホームドアのような「利用者の安全対策」、バリアフリー対策のような「移動制約者への対応」、どれを取っても免罪符のように「事業者の負担が重い」という理由付けがあり、整備の遅れが正当化されていることです。

ホームドアの場合はその有無で利用者の生死に直結するとは必ずしも言えないわけで、設置を急いで強制する必要性については意見が分かれますが、韓国の地下鉄放火事件を受けて再点検して判明した、地下駅における避難通路確保などの安全対策が取られていないケースですら、指摘を受けても具体的な対応が全くなされていないケースが目立つわけです。
バリアフリー対策にしても、エスカレーターやエレベーターの設置についての努力目標が旧運輸省から出されていたにもかかわらず、一向に進まなかったという経緯もあっての「交通バリアフリー法」であり、事業者の意識に任せたことが「失敗」だったゆえに、拘束力のある法律が出来た訳です。

そもそも、一般事業法人における安全対策、バリアフリー対策と比較すると、交通事業者のそれは非常に甘いといわざるを言えません。
本来、事業を行う「前提条件」に属する分野であり、その資金が出せない、設備が備えられないなら事業をやる資格が無いというだけの話のはずです。お金が無いから汚水処理や排煙処理が出来ない、だけど事業は継続する、ということが世間一般で認められるかどうかということです。
もちろん事情変更に属する部分であり、何らかの救済措置があっても良いのですが、例えば商法の改正で株式会社の最低資本金が1000万円にアップした時、国や自治体に泣きついて出してもらったような話を聞かなかったように、社会全体に共通する事象であり、そこまで面倒を見る話かということです。

もちろん実際には一般事業法人にも安全やバリアフリーに対する支援はあるのですが、概ね「低利融資」のように最終的には全額自己負担です。それでいて普及は交通事業者に比べると明らかに進んでいるわけですが、一方で交通事業者の場合は公的負担部分があるなど、非常に恵まれているにもかかわらず、「大手」と呼ばれる事業者ですら普及が早いとは言い難いことは留意すべきです。

***
安全問題については、京福(福井)が2度の正面衝突事故により、安全確保がなされていないことを理由に運行を差し止められました。このケースでは赤字経営でATSなどの保安装置への設備投資もままならない状態であっても、それが運行継続が許される理由にならないということを示したわけです。
いわんや黒字を計上し、利益配当を実施している企業にとって、本来「事業の参入条件」に等しい投資を回避することが許されるかどうか。

例えばJR船橋駅。エレベーターを整備するのに適した空間があるのにそこをコーヒーショップにしてバリアフリーは数年単位で後回しにしましたが、事業者であるJR東日本はそこまで資金が無かったのか。コーヒーショップを作る資金はあったようですが。
また、阪神三宮駅。狭い地下駅の出口は1箇所で、しかも地下街につながっているため直接地上に出るルートが取れない危険な構造で、韓国の事故を受けた調査でも当然指摘されましたが、改築のアナウンスすら見えてきませんが、阪神には資金が無いのでしょうか。タイガースの優勝で相当潤っているようですし、西大阪線の延伸への投資を再開していますが。

重ねて言いますが、一般事業法人は、例えそれによって赤字になったり債務超過になったとしても、安全や環境対策、バリアフリーなどで最低限必要とされる支出をケチることは許されないのです。
そして株主がそれに対して「安全対策を省け」というようなクレームをつけることは無いのです。

***
交通事業は公益性が高いことは重々承知しています。運行が止まることによる不利益は京福レベルでも相当あったわけで、ましてや「大手」は動かすことが最優先といえます。
しかし、こうした安全やバリアフリーへの投資を行うことで経営が行き詰まるのであれば話は別ですが、そうでない以上は回避は許されないはずですし、行き詰まるのであればはじめてそこで手厚い公的支援を行えばいい話です。

交通事業の持つ公共性、公益性を重視すれば、一般事業法人以上に迅速かつ完璧な対応が求められる反面、民間事業として株主からの利益追求の要請があるわけで、難しい立場なのは理解出来ます。
とはいえ現実は、公共性、公益性に鑑みて一般事業法人より手厚い支援策がとられているにもかかわらず、交通事業以上に株主に対する責任を果たしているはずの一般事業法人と比べて進捗も水準も見劣りすらするわけです。

その問題がどこから来るのか。制約、義務の多い公共・公益事業に一般事業法人並みの利益を求めている結果なのか、そもそも公共・公益事業における基本インフラの部分の整備(所有)を企業活動ベースに委ねているからなのか。
交通事業者は「公共」と「営利」の狭間で苦悩しているのか、それとも「イイトコドリ」が見え隠れしているだけなのでしょうか、気にかかる部分です。


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