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  • Photo:福井駅
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    JR駅ホームから注記あり
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    小振りとなった駅舎
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    当然ながらホームには人影なし
  • Photo:発坂駅
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    右側通行であることが分かる
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    勝山方も坂でカーブ
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    ホームを見ると嵩上げの痕…全く投資していなかったわけではなかった

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※当リポートは発表後の変化を反映させ再構成した Reconstruction スタイルです。

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明暗…福井の私鉄

地方私鉄が頑張る北陸地方。富山の富山地方鉄道・加越能鉄道、石川の北陸鉄道、そして福井の福鉄と京福…かつてはそれぞれが路線網を誇ったが、現在は都市郊外電車や観光地アクセスとして生き残りを賭けているのが実情である。
現在、福井の2私鉄が揺れている。半年に2度もの列車正面衝突事故を起こし現在全線運休中の京福電気鉄道、先細る市街地の活性化策に会社の今後が左右される福井鉄道…。今回はもはや廃止という瀬戸際を迎えている京福の現状を中心に現地取材を敢行した。


去る06/24夕刻、京福電気鉄道(福井支社)越前本線保田-発坂間にて列車正面衝突事故が発生、25名が重軽傷を負った。昨年12/17の同種事故の記憶も生々しいだけに、半年を経ずの重大事態に各方面へ衝撃が走った。管轄の国土交通省中部運輸局は京福に対し改善措置が承認されるまで無期限の列車運行停止を指示、現在なお福井支社3線全線がバス代行運行となっている。
12月の事故は日中、越前本線志比堺-東古市間で、上りの永平寺発東古市止まりの電車と下りの福井発勝山行き電車が正面衝突、永平寺線の運転士1名が死亡、乗客ら25名が重軽傷を負ったというもので、永平寺線電車のブレーキロッドの破損による暴走が原因とされている。一方6月の事故は、発坂駅で列車交換予定のはずが、上りの福井行き電車運転士の信号誤認による盲進が原因と見られている。fukui

9月の3連休、法事で京都へ出向くのを利用して、福井へと足を伸ばした。
当方がJR福井駅に着いたのは09/22(土)の昼前。東口に隣接する京福駅はかつての記憶と違って小綺麗に改修されており、「永平寺・東尋坊へは電車で」と誘う看板も出ているが、ホームには人影はおろか活気がまるで感じられない…。
JR駅ホーム案内でも告知されていたが、8月下旬から代行バスの発着が表口である西口駅前大通りに移された由。一応東口に向かうと、同じように駅に訪れた老夫婦と西口へ廻るように云われ、地下通路を指示された。昔は共同駅舎となっていた福井駅だが、いつのまにか分離された。他社線との取り扱いを煩雑としてか分離された例をよく聞くが、そこに利用者便宜の発想はない…。
こういう見方が悪いのだろうが、駅頭には窓口で売られている「toto」ののぼりがはためき、案内の京福社員には「明日も知れぬ…」といった悲愴感、緊張感といったものは垣間見えない。むしろ 「現状」が手慣れたものにすら見えてくる…そんな「違和感」をこの先随所で感じるのだった。
駅事務所をのぞくと、休日発売という1日フリー切符が1,000円で発売されていたので購入する。電車時代からあったのか、代行バスのみ利用可とのこと。

地下道を潜り、西口へ。福井駅前にはバスターミナルはなく、1ブロック歩いた駅前通りに乗り場が並んでいる。代行バスのりばはそのいちばん遠く。若干距離を感じる。fukui
しばし待つと勝山行きバスが到着。普通の路線バス仕様だった。15人ほどが乗り込み発車。 最後部に乗った当方、ふと後ろの「電車代行バス」という張り紙をみると、留めているセロハンテープに「京福電車に乗りましょう 未来に残そう 京福電車」というスローガンが。
しばらく市街地を走る。駅前通りからフェニックス通りへ右折、福井鉄道が路面区間となっている。両社の接続点、田原町目前で右折、代替停留所は市体育館駐車場前で、そこそこ離れているようだ。三国芦原線との乗換地とされており、社員が常駐している様子、プレハブの待合所も仮設されていた。
道路をぐるぐると周り、市街地で思わぬ時間を食っていると感じる。北陸本線を渡ると福井口。すぐそばの駅には車庫が併設されており、保有全車両が集められている様子、車両であふれ返っている感じだった。
ここからはR416を進むが、着かず離れずという感じで越前本線が見える。代行バスは基本的に駅前まで入らずにR416上の仮設停留所に停まる 。並行バス路線の停留所と合わせた名称を使っており、場所によっては鉄道駅とちと離れる不便もあろうが、勝山への速達性を考えると止むを得なかろう…とはいえ ここまで各停留所そもそもが、差ほどの乗降はなかったのだが。

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30分程で永平寺線との乗り換え駅である東古市に着く。福井~勝山間の中間地で、駅横のバス折り返し場で永平寺線含め巧く接続が図られていた。
ここで永平寺線に乗り換え。観光客然の5名が乗車、なだらかに上る道筋をゆく。12月事故の際はこの一辺倒の坂が電車を暴走させることとなってしまった。沿線では中部縦貫道となる勝山永平寺道路の高架道路が建設中…。
結局終点まで乗降なくノンストップ、終点は永平寺駅前、山門からは5分弱離れたところで、どうせなら乗り入れても、とも思うが土産物屋との兼ね合いもあろう。
永平寺参詣後、再び東古市まで戻る。電車は毎時1本であったが、別にJR芦原温泉駅行きの路線バスも毎時1本あり、実質30分間隔となっていたのを踏襲している。ということで、東古市までは路線バスにもフリーパスで乗車可能とされているのはスマートな配慮だ。なお これらとは別に、土休日日中のみ毎時1本、東尋坊行きの急行バスが入っている。急行バスは東古市に停まらずフリーきっぷでも乗車できない…といっても代行バスとほぼ同時発車なので問題はないが。

再びすぐの接続で勝山行きに乗車、今度は観光タイプのハイデッカー車だった。バスガイドならぬ男性車掌が添乗している。30人近く乗車しているようだ。心地よく空調が効いており眠気を誘われる中、各所で適度に降車がある。R416から県道藤巻下新井線に入ると左に九頭竜川が寄り添い右側は崖、道も細くなり小舟渡駅前では対向車とのやり取りも大変になる場面も…再び視界が開けると対岸の勝山市街が見えてきて、東古市から30分程で勝山に到着、15人程が三々五々街へ消えていった。

勝山では数分で折り返し便があったが、乗車便がちょっと遅れたためタッチの差で逃してしまった…仕方なく駅前のタクシー乗り場で配車を依頼、程なく来た車で2駅手前の発坂駅へ戻る。九頭竜川添いの小集落の入り口にある発坂駅は午後の日差しをいっぱいに浴びたのんびりした対向駅…3ヵ月の夕刻、まさにこの駅で列車交換をするはずが、運転士の信号見落としによって衝突が発生してしまったのである。fukui
事故直後の報道で御覧になった方も多いだろうが、この発坂駅、右側通行の対向駅となっている。本線側は勝山方から直進で進入し、そのままストレートに出る。福井方から来ると駅前後でポイントを渡る形となる。ポイント側には安全側線が設置されているものの、右側通行となっているゆえ全く用を足さないものとなっている。
発坂駅付近、というより越前本線のほぼ全線が勝山への片勾配であり、発坂駅付近はゆるいカーブを描いている状況、なぜ右側交差であったのだろうか…。ホームにはためく「乗って残そう…」という掛け声が 、虚しい。

先程の「観光バス」で再び東古市へと戻る。 勝山での乗車は1名、途中まで乗ってきた乗客は3名…。東古市で永平寺帰りと思しき団体客が待っていたのに救われた…とはいえ、こうした「想定外」の利用に路線バスは限界が考えうる。
ここからは別運賃の路線バスで丸岡を経由しJR芦原温泉駅乗り換えで東尋坊へ。昼下がりのバスは観光客がちらほら。芦原温泉からの東尋坊行きとして程なく来たバスはいま乗ってきたばかりの車。結局芦原湯町まで観光客が乗り通したことを考えれば、運用のあやとはいえスマートではなかろう。
平地に広がる温泉街・芦原湯町と東尋坊の間は2系統循環で30分間隔と本数が確保されている。 湯町で観光客の大半が降りてしまい東尋坊には3名が降り立った。もっとも、夕暮の東尋坊は圧倒的にクルマでやってきた人々で結構賑わっていた。しかし17時前に着いたという中途半端さからか、土産物屋街の多くが仕舞支度中…観光客も冷やかす相手がないと手持ち無沙汰そうだった。

東尋坊で小1時間ほど過ごした後、路線バスで三国港に向かうと、代行バスが発車寸前!クラクションで乗り継ぎありを示してくれたおかげで乗り継ぐことができた。三国港駅は写真を撮る暇もなかったが、古ぼけた駅舎と1面のホームがひっそりと佇んでいた…かわって隣の三国駅は郊外電車の中心駅然と整ったロータリーがあった。車庫も併設されており、今やまさしくバスターミナルである。fukui
芦原湯町まで寄り添うように走ったバスはこの先三国芦原線とはだいぶ離れたコースを辿った。夕日が落ち、暗くなった道を福井へと急ぐ。越前本線系統の代行バスは「臨時」と方向幕が出ていたが、三国芦原線系統では「電車代行バス」と幕が貼られていて区別されているようだ。対向する三国行きバスは多くて座席が埋まる程度、こちらは結局5名が乗るだけで福井駅前に到着したのだった。
ふと向かいの乗り場を見ると、東京圏ではお馴染みのオレンジ色のクルマが…。まさか、と思いつつ駆け寄ってみると、京福バスとは書かれているものの、まさしく東武の路線バス車両!ナンバーも福井になっており、レンタルというわけではなさそう。確かに運用的に両線で20台近くのバスを使うわけで、実際に乗った観光バスを導入したり、京都からの応援組もあるかもしれない。それにしてもこの「珍客」には驚くと同時に、急な車両増備を強いられている実情の端緒というべき光景でもあった。

今回は乗車こそしなかったが、福井鉄道も現在注目を集める路線である。4年前に武生新から福井まで全線を乗車したが、JRとの圧倒的な線形の差を痛感させられた。意外と起伏がある沿線、お世辞にもしっかりしたとは言い切れない路盤の中で頑張って走る姿が印象的でもあった。さらには国道沿いに並ぶパワーセンター、それらが必ずしも福鉄の利用には結びつかないというモータリゼーションの如実さをも目の当たりにしたのであった。
御存知の通り、福井市内では大通りに併用軌道として走る姿は知られていよう。特に福井駅前は低いホームに普通サイズの電車が乗り入れてくるという印象的な光景もある。感覚として新潟交通と似た面も少なくないと云えようか…連続した都市圏電車としての機能を持っていたことが今に残る差とも思われる。

(左)フェニックス通りを走る福鉄(裁判所前-田原町)
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福井駅前停留所…ステップあるも乗り降りには一苦労(右)

その併用軌道を活用したトランジットモール社会実験が10月以降実施されることとなった。郊外へと流出した買い物客を再び中心街に引き込もうという施策で、福鉄の福井駅前-市役所前間の駅前電車通りをトランジットモールにすると同時に、百貨店前に仮設停留所を設けたり、福井駅前-田原町間で小型車両「すまいるトラム」のシャトル運行(名鉄の最新軌道線用車両800形をレンタル)や、数箇所でのパークアンドライドも行われる由。詳細はリンクを御覧頂くとして、モール内の歩行を楽しめるよう各種「演出」も用意されており、岡山や浜松と違い本格的、長期間ということもあり、成果を大いに注目したい。

 

今回の京福試乗を終え強く思ったのは、結論から言えばバス転換で間に合うのではないか、ということになってしまう。休日の日中、ちょっと試乗しただけでこんなことを云ってしまうのは確かに適切ではなかろう。しかし、代行バス運行開始直後はラッシュ時の交通渋滞等により通勤通学客に遅刻が相次ぐなど多大の影響が出たようだが、現状では(学校の夏休みなどもあろうが)利用者が電車運行時の4割にまで落ち込んでいるとも県議会で報告されており、三国芦原線ではJRへの逸走も顕著になっているという。
そもそも、今回の事態となる前から廃止論が出ていたことや、今回の事態を受けての京福のスタンスは、3セク化による存続を検討しているとすれば聞こえはいいが、結局は沿線自治体の補助なくしては廃止 やむなし、というものになっているようにうかがえる。現業員からも「士気感」が感じられないこともショックであった…。
「結論待ち」を決め込む京福に対して沿線自治体は「マイレール死守」を云いながらも足並みはそろっていない。国交省の調査ではATC導入などの保安関連だけでも運行再開に10億単位の費用負担が生じるとしていることが大きな足かせになっているのであろう。

あくまで個人的意見。仮に3セク化されても京福に運営を委ねることはもはや得策とはいえない。一介の素人が…と思われようが、これまでの社のスタンスおよび現地を見て否定できない結論である。ゆえに、3セク化になっても福鉄ないしJRなど、既存事業者のサポートを得なければ成り立たないと考える。バス代行であれば京福バスが担当しているゆえ、会社面でのリスクを低く抑えることができるかもしれない。さらに維持管理費用が浮く分コスト面でも改善が期待される。
バス運行に対しては、現状のように駅との対比位置にこだわらず、積極的・柔軟な設定・運用を行ってほしい。朝夕ラッシュ時は適切な増便や急行運転も考えられよう。浮いたコストを積極的に投資に廻してもらいたい…モノである?

一方の福井鉄道、本格的トランジットモール実験を梃子に、タイトルのごとく「明暗」の「明」 ということになるだろうか…。「都市間鉄道」的側面を多少なりとも持っているがゆえに、京福と性格を異にするといえなくもないが、実態は同様に苦しいと言わざるを得なかろう。LRV導入などの抜本的な改善策がなされ得る余地があればまだしも、環境的にもおいそれとは行かなさそう。せめて今回の実験での「市内電車的生き残り策」が奏功すれば…とはいえ、スイッチバック的線形がため、個人的には疑問符をつけざるを得ないと云ったら厳しすぎようか。しかしながら何はともあれ、そもそも企業体としての「やる気」の問題に帰結してしまう「対比」を、まざまざと見たような気がしたのだった。

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2011/06

この時点で、当方自身は京福の復活は厳しい、いっぽう福鉄はLRT化により地域圏輸送への貢献可能性も広がってくるのではないか…なんて思っていたわけですが、結果的には逆転します。

まず京福はまる2年超の運休期間を経て、2003/07に地元出資3セク「えちぜん鉄道」として運行再開。同年10月までに永平寺線を除く主要2路線全線が再開しました。元阪神車両に加え愛知万博を前に更新されることとなった愛知環状鉄道の車両が輿入れし、白地に青と黄のさっぱりしたデザインに。運賃値下げにより利用の幅を広げた結果、京福時代から利用客増を果たしたほか、なによりウケたのが「アテンダント」で、メディアに取り上げられることも増えたため他のローカル線にも広がりました。

いっぽうの福鉄。2005/03の名鉄岐阜600V線区の全廃に伴い、路面電車11編成(2連×9本、部分低床車2両)を譲り受けるとともに全線でのホーム嵩下げ対応を行った上、2006/04から運用を開始。引き続き既存鉄道車両もラッシュ時等対応のために残されたものの、路面電車導入はLRT化への第1歩というよりも、乗客の大幅減に身の丈を合わせられた側面が強かったのでした。
それが顕在化したのが翌2007/09、自主再建を断念し沿線自治体に支援要請を実施-スッタモンダの末に2008/12に名鉄が10億円を拠出し経営から撤退、現在は地元各種団体が株を保有する形態となっています。

当方は路面電車導入後の2006/11と2010/01の2度、えち鉄&福鉄に駆け足乗車していますが、たまたまともに祭日にあたったこともあるものの、えち鉄の混雑振りと対照的な福鉄の乗り具合に唖然としたものです。冷静に見れば福鉄はJR-W北陸本線と並走しており、福井駅周辺のルートも変則的、車両小型化で居住性の低下に加え揺れを余計に拾いやすくなったとも感じられ、なかなかに厳しいなとも。
ただしえち鉄がバラ色かといえばそうでもなく、確保してきた利用者増も鈍化、北陸新幹線絡みの福井駅付近高架化も二転三転しており、こちらには田原町で接続する福鉄との相直構想が絡んでややこしいことになってきています。個人的にはいっそえち鉄と福鉄の統合なんてのもどうかな、それこそ北陸新幹線開業後にはJR-W九頭竜線もどうなるか判らないし…とも思ってみるのですが、まだまだ先は不透明です。

 

ご意見は【検証:】常設板までどうぞ!

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