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※当リポートは発表後の変化を反映させ再構成した Reconstruction スタイルです。

都営バス

転換期を迎える都営バス-ミレニアム「地殻変動」2題

 Review-2002/12  

2000年は都交通局にとってエポックメイキングな年になったと思います。まさしく12月の地下鉄大江戸線全通がそれなのではありますが、ラッピングバスの登場、「快速バス」リニューアルによるお台場アクセスの改善、マスコット「みんくる」登場などもこの年。
一方で「企画路線」の廃止が相次ぎました。本文で紹介した2月の銀ブラバスに次いで9月で二階02系統が、さらに翌2001/03で上野-浅草間を長年に渡って結んできた二階01系統が20年の歴史にピリオドを打ち、都営バスのダブルデッカーは姿を消しています。

一方で2000/12の大改編はマスコミにも取り上げられるなど注目を集めました。伸び悩む大江戸線との対比で描かれることが多く、特に本文でも取り上げた四谷地区を抱える新宿区ではその影響を強く受けることに。区でも大江戸線開業前から検討を重ね、2001/03に結果を公表し、結果2002/02より都バス空白地帯に請願路線として2路線が誕生、四谷地区の廃止バス停も復活しています。

石原都政下にあって都交通局の地殻変動は今なお続いています…2002年秋には杉並営業所の2路線について運行を民間委託することが報道されました。最終的には都バス完全移管という方向性もありなしといわれており、今後も目が離せなさそうです。

 

2-1:特別2路線の去就に見る都バス施策の行方

東京の都営バスといえば23区を中心に運行されている白地に緑のバス、というのが皆様思い浮かべられるものであろう。
しかし中には変り種の路線もあったりする。うちバブル期に設定された2路線の去就が注目だ。
民営化等の議論もある中、転換期を迎えている都バスの現状を考えてみたい。


すでに各種メディアで報道されている通り、「銀ブラバス」が2000/02/29限りで廃止された。
「銀ブラバス」は観光振興策として中央区が車体を購入、1992/03から都交通局が委託運行していたもので、1台約6700万円、全席液晶テレビ付の豪華仕様ながら運賃は一般路線と同じくして利用を促したが、平日こそ日本橋~銀座間で中央通りを縦断するが、休日の歩行者天国に泣かされて銀座4丁目交差点こそ通るものの、晴海埠頭折り返しという一般的には分かりづらい路線運行となったこと、そもそも「銀ブラ」というように気軽に乗り降りできるものでなかったと一部には酷評されていた…。
こんなとき数字は正直なもので、最盛期の95年度には年間12.7万人が利用していたが、以後減少し続けて98年度には9.5万人に、採算ラインの千人/日にほど遠い1日250人程となっていた。経営的には当初から赤字で98年度には区が5500万円を負担、区財政の悪化による事業見直しの結果、8年の歴史に幕を下ろすこととなったのだ。銀ブラバス
なお、3台のバスは中央区と交流の深い山形県東根市と岡山県玉野市に無償譲与、第2の人生を歩むこととなったのはいくばかりか嬉しい話題と言えよう。

写真は02/26、起点の東京駅八重洲口の状況であるが、「御別れ乗車」というより「こんなバスもあったんだ」というようなそぶりの親子連れを中心に大賑わい!毎回立客も出る状況となっていた様である。
それもそうだろう。東京駅八重洲口起点とは言え、いわゆるバスターミナルには入らずに、大通り向かいの専用乗り場発着で、そこまで至る道順も特段明記されているわけではない。3台しかないことから運行も30分~1時間間隔という間延びしたものでは、むしろ銀座界隈まで歩いたほうが早い(普通に歩いても4丁目交差点まで1時間とかからない)のである。
車両も特注品とはいえ、座席こそ重厚ながら開放性はあまりなく、嵩上げしている分乗降ステップが増えて気軽に乗り降りできる代物ではない。液晶テレビも故障続きで末期には無放映だったと聞いており、中身と現実が伴っていなかったという好例だろう。

辛口評になってしまったが、企画自体は無駄ではなかったかと考える。むしろ今後の都バス施策のあり方を占うテストケースにもなり得たと考える点は後述しよう。

二階02

葛西臨海公園アクセスとして、都内では上野~浅草(二階01)系統に次ぐ路線である小岩駅~一之江駅~葛西駅~葛西臨海公園駅(二階02)系統も、存続の危機に立たされているという。
1989年にこちらも車両は江戸川区が3台購入、2台を都営バス・1台を京成バスが管理し、委託共通運行されている。

登場当初は2階建てバス路線としてはけっこう距離もあることからそこそこの人気となったものの、環七を通ることでの定時性の問題や臨海公園の駐車場整備が進んだこと、 並行する江戸川に区の肝いりによって水上バスが運行を開始するなどといった周辺環境の変化を受けて利用が低下、1997/09からは平日の運行を中止、以後休祭日を中心とした運行に切りかえられていた。地元紙報道によると、区は車両老朽化を理由に路線自体の見直しを検討しているとされる。

写真は02/27の状況、臨海公園駅および葛西駅にて乗車動向を追ってみたが、報道のせいかそこそこ乗っている。
車体の痛みは若干見て取れるが、改修すればという程度ではないだろう。しかしさすがにワンマンというわけには行かず、運行効率もさして良いとは言えない。
今後の動向、要注目というところだろうか。

その他の変り種路線といえば、元祖というべき2階建てバス(上野-浅草系統)や東京駅八重洲口とお台場地区を直結する「快速バス」、江戸川区小松川地区で試験運行されている100円バス「アクセスライン」などが挙げられよう。
さすがに最近の設定は今後の都営バスの動向を睨んだ施策といって良いだろうが、ではその効果が現れているかと言えば…機を改めて検証してみたいと思う。


さて、先に銀ブラバスの企画自体は無駄ではなかったとした。その点を考えてみたい。
日本橋・銀座地域はJR線と直接の連絡を持たない商業地域であり、需要を地下鉄利用者に依存してきた傾向にある。
昨今「商業都心文化」とも言うべき核が、これらの地域から新宿・渋谷・池袋に代表されるターミナルに移っているとする意見は「私的流通論」ことはじめ デパート「商業都心」論にまとめている次第だが、先ごろ業務提携を発表した高島屋と三越は昨年に日本橋の両店間で連絡バスを走らせる試みを行なったように、日本橋・銀座地域の「復権」も種々議論されているところである。

現在区間は短縮されてしまったが、かつては上野広小路から銀座9丁目に至るまで、休日は歩行者天国として賑わったものだ。このような日本橋・銀座地域での回遊性を持たせる試みのひとつが銀ブラバスであったはずである。その目的のためのバスが豪華使用で「座らせる」モノであったことは、どこで履き間違いが起こってしまったのであろうか…。

現在バス復権の試みとしてコミュニティバスや100円バスが各地でもてはやされている。何を隠そう、都バスもかつて「ミニバス」を至近で走らせていたのである。そう、東京駅丸の内口~霞ヶ関方面系統だ。官庁街の足として期待されたが、急ぎの用には向いておらず、定時性や運行回数などで試行の域を出ず、何時しか消えてしまった。
ここは是非、東京駅~日本橋・銀座方面へのミニバス運行の検討をしてみてはどうだろうか。

平日は定時性で問題が出ようが、ある程度の本数を確保することでこれに代えることができる。すなわち頻発することで、逆に時刻表要らずとするのである。なにも豪華車両を用意することは無い。かつて高島屋が東京駅や駐車場との間で走らせていたようなマイクロバスで足りよう。

休日は歩行者天国の問題がある。銀ブラバスもこれで晴海埠頭への迂回(?)を余儀なくされていた。しかし、ミニバスとすることで、歩行者天国区間への乗り入れを検討する余地は無いだろうか。
実際、石川県金沢市では特例で歩行者天国へのミニバスの乗り入れも認められていると聞く。目的は回遊性の確保であるのだから、さほど早さは求められていないし、インパクトも充分である。


日本でも有数のバス事業者である東京都交通局には、公営であることによるしわ寄せも多い。車両は4メーカーからほぼ均等に導入せねばならず、低床化や環境対策車両など、新機軸の実験使用対象となることも多いなど、導入・使用ペースも他社より早い。中古車市場をリードしている側面もあるとはいえ、この点でのコストダウンは難しいし、前乗り後降り乗車時徴収という乗降方式では短区間低廉化等の運賃体系変革に適応し難いと言える。

石原都政となり車両全面広告容認等の増収策が打ち出されているが、根本の解決には至らない。
民営化をも見据えた各種の議論がなされているが、利用者として何を求めているかを明確にすること、これこそがまず求められているのではないだろうか。
これは都交通局に限らず、バス事業者すべてにいえることであり、我々利用者自身のスタンスにもかかっていることなのである。

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2-2:大いなる「賭け」?…都バス大規模路線再編の光陰

東京都交通局の悲願であった「第2の山手線」=地下鉄大江戸線環状部が開業した2000/12/12、これに伴い都バス路線でも路線再編が実施された。先の営団南北線・都営三田線目黒延伸など鉄道整備が進む事で1日10万人弱の都バス利用者の鉄道「逸走」を見込んだ14路線廃止・短縮が話題となっているが、都バス事業そのものの生き残りを見据えた積極的な施策も盛り込まれた大規模なものである。
都市内移動手段、特に「自由化」を目前としたバス事業そのものの方向性が見えない中で、他交通機関との連携や採算性との兼ね合いを事業者はどの様に考えていくべきか、そして実際の利用者である我々はどのような対処が必要なのか…リポートから考えてみたい。


今回の路線再編では新しいバスサービスの提供が盛り込まれている。

アクセスラインバス(平日運行・2路線)狭い地域こまめに走る、お手軽な100円バス
ダイレクトバス(平日朝夕・1路線)居住地域とターミナル駅をダイレクトに結ぶ
ラピッドバス(平日朝夕・4路線/土休日・1路線)主要停留所に停車し、目的地にスピーディーに到着
フレキシブルバス(土休日・1路線)土日のお買い物に…という声に応えた弾力的なバス運行
(説明は交通局発行パンフより)

蛇足ながら、アクセスラインバスは昨年から始まった施策で今回1路線が追加されたもの、「急行バス」という概念は従前から臨海部路線で数路線が設定されていたことを考えれば正直目新しいものではなく、新しさを英語読みで表そうとする考えは如何なものか…とは思うが、ともあれ運行体系の概念化によってこれまでの単調ともいうべき路線運行主体からバリエーションが多彩になったことは評価すべきだろうか。
当方はこのうちラピッドバス新小岩駅-西葛西駅(急行04)とフレキシブルバス葛西駅-錦糸町駅(FL01)に試乗してみた。

【急行04】 新小岩駅→西葛西駅

まずラピッドバスだが、12/15(金)新小岩駅18:50発のバスを選択。10分前に乗り場に着いた後、各停路線(新小22系統)バス西葛西駅行2本、途中の船堀駅行1本が発車して行ったが、いずれも座席は満席、立ち客もそこそこ出る乗りで発車して行った。
船堀行発車の直後、オレンジ色の上に「急行04」と書かれた西葛西駅行が到着、『このクルマは急行バスです!』と運転手が注告する中15名ほどが乗車、すぐに発車した。
南北軌道系交通軸を持たない城東地区では都バス路線が基幹軸となっており、JR総武線新小岩駅と営団東西線西葛西駅を結ぶこの路線もそのひとつ。中間の都営新宿線船堀駅折り返し含め、終日10分を切る運行本数が確保されている。
利用の流れとしては3駅への通勤通学需要のほか沿線に江戸川区役所があることから、江戸川区南部地域からの行政施設需要なども見逃せない。また後述するが船堀~西葛西間は裏道を通る事から地元の足確保という側面も見逃せない。

都道308号(平和橋通り)の渋滞に阻まれ、信号待ちを繰り返して思う様に走れない中、先行した船堀駅行きの背中が遠のいて行く。最初の停留所である江戸川区役所前で10名ほどが降り、乗車も僅か。寂しい車内となる。対向する新小岩行きの急行バスも席が程好く埋まる程度、各駅便が立席も出ている中でダイヤ上「純増」されている急行バスはニーズを掴んでいるかどうかを図るのは苦しい。
この路線の渋滞の元凶であるR14・京葉道路交差点を過ぎると快調な走り。しかし先発の船堀駅止まりのクルマに追いつくことないまま、京葉交差点・船堀駅両停留所とも乗降僅か。10名足らずで西葛西駅に向う。『この車は棒茅場方面へは参りません。御注意下さい』船堀駅発車後の車内テープ放送。今更乗り間違いに気付いても間に合わないのに…と思わず軽くツッコミを入れてしまう。

各停便はこの先都道308号(船堀街道)から西にそれ、棒茅場・小島方面を迂回するルートを走るのだが、その道がバスが行き交うのでも一苦労という細道…船堀街道が未整備だったこともあろうが、立派な道ができてかなり経ってもこのルートは変わらず、それなりの需要を持っていることからしても、都バスがいかに地元の足という立場を貫いてきたかが伺えよう。しかし一方では南北交通軸としての利用で先を急ぐものにとってはこの迂回路が結構いらつくものがあったのも事実。その意味で急行系統の必要性は以前からあったとも言える。…そんな事を考えつつ、船堀街道を下るバスに身を委ねると、あっという間に宇喜田を通過した。
西葛西駅には30分弱で到着。渋滞に巻き込まれてこの時間は結構速く感じる。ただ主要3駅から沿線各地への利用が中心となる朝夕のみの設定には率直に言えば疑問も感じた。

FL01

【FL01】 葛西駅→錦糸町駅

「特別需要に対応した弾力的なバス運行」…概念として目新しいフレキシブルバス。運行初日の12/16(土)葛西駅11:55発のバスを選択。10分前に乗り場についた後、各停路線(錦25系統)バス錦糸町駅行き2本が立ち客も乗せて発車して行った。
この路線も葛西~船堀~亀戸~錦糸町という南北交通軸路線として位置付けられており、かつ城東地区最大の繁華街である錦糸町へのアクセス路線として「買い物需要」も少なくはない。しかしR14・京葉道路を経由する事で先述の京葉交差点をネックに定時性に弱点がある路線でもある。
ラピッドバスが全区間速達タイプ中心だったものと違うのが、中間まで各停便としての運行である点。FL01では葛西駅~船堀駅間が各停留所に停まり、以遠通過となる。かつ船堀橋を経由して荒川越えする事で各停路線のネックである京葉交差点を通らないことも注目である。

運転手と私服姿の交通局職員の注意のもと三々五々乗車するとすぐに発車。車内は立ち客も出る盛況で、船堀駅までどんどん増えてくる。運行初日なのに浸透しているのか、乗客にも違和感はなさそう…。
と、船堀駅で半数以上下車。それに見合う乗車もあったので車内の混雑ぶりは変わらなかったものの、船堀駅を境にだいぶ需要に段差がある様子…各停便も船堀駅段落ちダイヤとなっている。
この先船堀からは各停便ルートと違って船堀橋を渡ってしばし都営新宿線沿いを走る。船堀橋はかつて錦糸町からの路線バスが走っていたものの利用低迷で10年前くらいにか廃止されて久しく、「都バス通」には感慨ひとしお?のルートでもある。

急行区間は「水神森」と錦糸町駅のみの停車。「水神森」…一見すると古めかしい名前だが、土地勘のある人はお分かりだろう。水神様がある亀戸地区での停留所で、しかも再開発SC・亀戸サンストリート前。「土日のお買い物に…という声に応えた」要因の一つでもある。その水神森では半数ほど下車、はしゃいだ子供連れの家族も何組か見受けられた。
結局錦糸町駅には40分ほどで到着。葛西を10分前に出た各停便とほぼ同時到着であったことを考えれば、自らも若干渋滞に嵌まった分余計早く感じさせてくれる。その効果としてはむしろ帰りのほうが有難かろうが…。

みんくる みんくる

今年導入され、大きな話題を振り撒いたラッピングバス。施策自体は以前より各地で行われていたものだが都条例との兼ね合いで都内では余りお目にかかれなかった。美観上議論もされたが、背に腹は代えられない…ということか。
企業広告バスが注目されているが、都の各局でも各種広告が-錦糸町駅でたまたま揃った都交通局の広告バス2種より

 

JR四ツ谷駅から歩いて10分弱。R20もまだ新宿通りと称する通りに、そのバス停「跡」は今も残る。
今回の路線再編では、都電時代からの歴史ある路線を中心に14路線で改廃が行なわれた。結果ここ四谷二丁目停留所は通過していた2路線双方とも区間縮小で廃止され、もうバスがやってくる事はない。
付近は通りを入れば高齢者が多い閑静な住宅街。四ツ谷・営団丸ノ内線四ツ谷三丁目駅とも徒歩で10分圏内である事を考えれば利便性が悪いわけでは決してないものの、地下にわざわざ潜らずに新宿・銀座へと気軽に行けたバス路線が無くなったのはやはり衝撃だったろう、町内会でも廃止撤回の嘆願書などを都交通局に提出、各種マスコミでも取り上げられた。

東京都交通局長様

前略、都営バスを便利に利用させて頂いております。
この度は、平成12年12月12日より都営バス(四97、都03)路線変更と、四谷一、二、三丁目バス停の廃止が実施される事となりました。
年間2千万円、1億5千万円といわれる赤字路線の見直しは、都財政の再建に不可欠なものかもしれません。
しかし、地域の利用者の意見確認や調整なしに、一方的な決定を押し付ける姿勢は、地域利用者の理解を得られないものです。
四谷は高齢化の街となり、路線バスの担う役割はこれからも大きくなっています。
今回の決定実施には、私たち地域利用者の意見は届かないと思われますが、近い将来再検討を頂いて、四谷を通るバス路線の復活をお願いいたします。その為に、再検討の時まで、現在ある四谷一、二、三丁目のバス停の保存を重ねてお願いいたします。
ここに、以上の要求に同意した地域利用者1379名の署名を付けてお願いを申し上げます。

都交通局の立場になれば、独立採算性が原則の中で、これまで直接おカネを落としてくれなかった高齢者のために路線運行してきたツケをどこでどの様に解消するのか、という剣が峰に立たされている中、最低限の「血」を流さざるを得ない判断の結果としか言う事ができなかろう。
今回の改廃は確かに旧態の路線体系改革の大きな一途であるといえるが、この事例でも分かるように、都交通局の方針が必ずしも利用者に向いた施策であるということができないかもしれない点は今後注視していかなければならないだろう。具体的に云えば四谷三丁目で曲がる向きが変わった四97系統(品川車庫~四谷駅から新宿駅西口に変更)は丸ノ内線との競合が要因の一つだが、新宿でもそれは変わらず、むしろ大江戸線をはじめとする地下鉄各線と多くの停留所で接続可能である事、新宿通りの常態化した渋滞を考えると新規需要創出の姿勢は理解できるものの、すんなりと理解できるというにはもう少し時間が必要であろうし、それによって失われる需要に対する施策が明確化されているとも残念ながら云えないのである。


都交通局はひとつの「賭け」に出た、といえまいか。これまで旧都電路線を下敷きにしてきた、半ば硬直感すらあった都心部での大胆な改廃、さらには城東地区を中心にした新機軸は、路線バスの新たな可能性の模索として評価に値する姿勢である。
新規需要創出への施策は路線再編だけでなく、専用カードでの都バス同士の乗り継ぎ割引など制度面でも取り組みが行なわれている。しかし四谷の例でも触れたように、地下鉄との割引制度の拡大は図られておらず、パスネットとバスカードの統合もその予定は無いという。その意味で、大江戸線並行路線の改廃とバランスが取れていないのではないのかという思いを強くする。

民営化をも見据えた各種の議論がなされているが、利用者として何を求めているかを明確にすること、これこそがまず求められているのではないだろうか。
これは都交通局に限らず、バス事業者すべてにいえることであり、我々利用者自身のスタンスにもかかっていることなのである。

そう書いたのは9ヶ月前、今回の大規模再編では利用者ニーズへの回答の一端を覗く事が出来たと当方は考える。ただそれはあくまでてこ入れされた城東地区に住む者としての意見であり、こと都心部の大江戸線並行廃止路線沿線の方にすれば…となるかもしれない。
ただ、いずれにせよその成否を決めるのは我々利用者自身のスタンスひとつであるということを改めて強調しておきたい。四谷の例が近い将来何らかの結果がもたらされることを期待しつつ…。

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 Reconstruction-2011/04  

まず個人的には意欲的として好意的に見ていた新規バスサービスですが、結果的に現存するのはアクセスラインバスとフレキシブルバス、ダイレクトバスの計3系統と、ラピッドバスの土休日2系統で、ラピッドバスの平日4系統は2003/04までに各停便に吸収という形で事実上廃止となっています。
銀座・日本橋エリアへのミニバス導入提案は、2004/03のメトロリンク日本橋、2009/12の江戸バス(中央区コミュニティバス)としてカタチを変えて実現した格好になっていますが、両者のスタイルは対照的というか、江戸バスが苦しいかな…。

なお、大江戸線開業時の大規模再編の“揺り戻し”については冒頭Reviewでも触れていますが、都営バスにとってその後の大きなトピックとしては、2003/04から小滝橋営業所杉並支所を皮切りとしたはとバスへの管理委託化が挙げられましょう(2011/02時点で12営業所7支所中5支所を委託)。2004/04には旧葛西営業所が江戸川営業所に改称され、旧臨海営業所が格下げの上江戸川営業所傘下の臨海支所となりはとバスに委託化されるなど組織も大きく変わったり、それに併せて所管路線の大規模な組み換えも行われています。
その意味で、時期を近くして多くの区でコミュニティバスが導入されたものの、交通局はほとんど絡めていないのはどうなのでしょうか。台東区「めぐりん」の移管(2004/04)にもコスト構造や「公共交通サービスとしての考えの相違」が透けて見える気もしなくはなく…。

 

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