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【検証:近未来交通地図】 特別リポートNo.054-2
都市再生オフ都市再生オフ
第1回都市再生オフ開催仔細
(開催意義を考える)

(2004/05/08)
下記内容は予告なしに変更することがありますので、予め御了承下さい。
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異議あり〜「都市再生」とは何か?そしてオフ会の開催意義を問う 〔続〕
 投稿者---とも氏(2004/05/11 23:36:44)
 http://www.koutsu-machi.com/

異議あり〜「都市再生」とは何か?そしてオフ会の開催意義を問う
└Re:異議あり
「都市再生」を見に行く(復習編)
└都市再生の経緯とその方向性の矛盾

(以上前ページ)

 └課題・論点を明確にしなければ議論にならない
  └確かにおっしゃる通りですね…
 └まず、見てみよう
  └異議あり2
   └都市を見るには、そしてオフとするのなら
   └冷静に返信
    └奇跡のタネ明かし
   └「正論」の使い方。
    └≪管理者投稿≫気を引き締めつつ本件の見解を
    └Re:「正論」の使い方。
     └念のための補足
    └私も本件の見解を
     └認識の整理は必要

▽前ページより

課題・論点を明確にしなければ議論にならない
 投稿者---とも氏(2004/05/12 19:09:35) http://www.koutsu-machi.com/

 都市再生が何であるかについては仰るとおり。意見が分かれて当然である。しかし、大枠のイメージは例を見るまでもなくある程度の整合が図られている。それは単に再開発ではないこと、つまり都市問題の解決を図り再生すると言うこと。その点は示されたとおりであり、だれもが納得できるであろう。
 確かに都市再生がなぜここまで注目され動いているかと言えばそれは経済政策や政治的な側面もあろう。しかし、その根底には「解決しなければならない都市問題」があるからこそ都市再生が一定の評価をされているのであり、まずはその原因をつきとめなくてはならない。そこで順番になる。たとえば医者が病気の治療法を学ぶのにクスリの処方や手術から学ぶかどうか。まずは症状から学ぶのではないか。
 荒川区は確かに先進的な取り組みをしている。しかし、荒川区の先進的な取り組みをみるのでは「なぜ都市再生が必要なのか」の答えにはならない。何が問題なのかは見えにくい。本来的には問題となっているポイントをまず見て、その後に解決事例をみるべきではないのか。
 それを私は言いたい。まずは木密市街地やオフィス街、空洞化した中心市街地、あるいはボトルネック踏切・交差点、狭隘な鉄道駅、接続の悪い交通結節点・・・を見て何が問題で何が不足し、何をどう解決すべきか。そこから入り、続いて解決策としてのさまざまな良策を見ることで始めて都市再生を進めるには何が必要で何が問題か、あるいは「町」のあり方、考え方がわかるのではないか。

 管理人様の記述にこうある。

 それらを深く考察するには各種学術論文も数多くありましょうし、インターネット上にはまちを見据えたさまざまな情報が溢れています。その中で、近未来の地域地図を考え、見てみようというのが、「都市再生オフ」の意義になるのかなと考えています…そのココロとしてはやはり愚直に「まちを観る、視る、診る」ということになりましょうし、中には「看る」部分に携わる方もいらっしゃるものと考えます。
 よって、当方の独断で偏視眼的にポイントを決めてというようにはしたくないですし、事前事後には各人の主題や疑問点をぶつけ合うことも必要と考えます。それはこれまでも【検証:】全般のオフのあり方でもあったわけですが、まさに「定期的、長期的」を見据えたオフという形態の中でより深く考えられればと思っております

 まさにこの「みる」という部分の根幹が「現状の問題点把握」ではないのか。

 とはいえ、私自身はとも様が考える「都市再生」を否定するつもりは全くありません。ただ、「都市再生」というテーマ自体が『どのようなテーマで何を重視して論じるか』がズレるのは仕方がない類のものです。
 上記の対談でもあったように、「都市再生」が外資呼び込みのための環境づくりや地価対策、景気回復の手段であるという議論も、経済学者から見れば当然の話です。このように、様々な立場からのいろんな見方があるテーマであることを認識した上で、「都市再生」という都市問題解決のチャンスをより実り大きくするために、いろいろな視点からの議論を尊重したいものです。

 先にも書いたように各人が異なる考え方をするテーマであると私も感じる。しかし、大枠のイメージはある程度集約される。しかし、率直に言って管理人様のレポートを読ませて頂く限り、根幹部分が弱いと感じた。それを感じられなかった。さいたま市民@西浦和様の書き込みを読ませて頂き、管理人様の書き込み、調査会板のかもめ様の書き込みを見比べながら読ませて頂くと、おそらく現状の問題という部分を認識されている方とされていない方で温度差があるのではないかと感じた。その前提で次が舎人新線と日暮里と汐入・白髭では余計にそれを感じさせてしまう。舎人新線から都市再生というのは正直結びつきにくい。既成市街地ではあるが、リストラ過程にあるわけではなく、足立区北部は23区といえども新興住宅街と考えても差し障りがないわけで、その場所と都市再生をどうリンケージするのか不可解としか言いようがない。
 もちろん、「都市計画」「まち」を視点に、「都市再生」を一つの評価軸、あるいは手法と考えるのであればそれは否定しないが、今の段階で「都市再生」をお題目として上げている以上、そして南千住などの開発を見るのであれば、果たしてそれで良いのかと言われれば私は間違いと思う。

 いろいろな視点からの議論を否定はしないが、その視点は大枠のイメージに収まっていなければならないのではないか。少なくとも各自の視点がバラバラ、考え方もバラバラ、それで議論したら結論など到底得られないと思うが。
 都市交通をエネルギーから考えたら交通機関の利用を最小限にするほうがいいし、環境で考えるのならば自動車を使わせない方が良い。しかし住環境で考えればパークアンドライドは一つの案であるし、鉄道会社の運営で考えれば長い距離乗ってもらう方がよい。市街地再開発を高層マンションでやる考え方もあればコーポラティブでやる考え方もある。この点は何にせよ一長一短。つまり物事を考える特に都市や交通や社会事象を考えるのであれば答えは適解はあれど「ベスト」はないのであるから、議論するに当たって大枠のイメージというか論点の明確化はしなくてはならないのではないか。さまざまな視点からの議論を尊重して論点がぼやけ、結果単なる書生論になっては意味がない。
 その大前提である現状の問題把握・課題の明確化をしてこそ始めて論点が明確になると私は思うが。

以上。

確かにおっしゃる通りですね…
 投稿者---かまにし氏(2004/05/12 23:49:09)

 こんばんは、かまにしです。

 なるほど、以上の書き込みで私自身はとも様のおっしゃりたいことがよく分かりました。確かに、今回のオフ開催にあたっては漠然と『都市再生』という言葉の響きだけで、その共通認識もないまま見切り発車的に開催されてしまった面は否めなかったかもしれません。それではせっかく同じものを見に行ったとしても、実際に学べることは半減してしまうことは確かでしょう。とは言っても、現地に言ってみて初めて分かることがあることも確かですから、この点はバランスの問題でもあるのでしょう…。

 私はできることなら、同一市街地内・エリア内での交通網と人々の回遊パタンの関係を見たい、という目的も当初抱いていたので、調査会情報板では横浜MM・渋谷・池袋・丸の内&八重洲を候補として挙げさせていただきました。実際には直前に用が入ってしまい、私はその時にはご一緒できなかったのですが、八重洲・日本橋エリアを皆様は回られたそうで、メトロリンクのルート設定が今ひとつという感想を持たれているようですが、「どういう風に人々の流動と合わないのか」を議論できるとよかったのかもしれませんね。

 以上のことから、次回オフの予定地をどこにしていくかはまだ議論が必要そうですが、荒川区・足立区にするとしてもその検証ポイントを事前に明らかにすることぐらいはやるべきなのかもしれません。あるいは都市問題として残されている典型例とセットで当該地域を見るというアプローチも検討しても良いかもしれないですね。

 一方で、かもめ様も既に書かれていますが、都市再生オフというのは1回・2回に限るということではないでしょうから、その経緯や背景・現状認識の共有は必要だとしても、仮に手順が前後してしまったとして、数をこなすことで後からキャッチアップすることもありうるでしょうから、そのあたりは柔軟に考えていければ良いのかなと思います。

 というわけで、失礼させていただきます。ではでは。

まず、見てみよう
 投稿者---かもめ氏(2004/05/12 22:35:19)

 かもめです。今回は多くの方にご参加頂きましてまことにありがとうございました。私自身の至らなさも含めて反省点はありますが、それは次回以降にプラスのかたちで活かしていきたいと考えております。

 かまにし様はこう書かれております。

 上記の対談にもあったように、今回の「都市再生」政策は小渕内閣の財政出動路線〜小泉内閣の構造改革路線に至るまで、今も一貫して引き継がれている政策でもあるわけですが、その背景には、小渕内閣時代には自民党が相対的に不人気だった都市部の票を獲得する狙いがあったこと、小泉内閣時代には公共投資を効果の大きい都市部に集中させたこと、から方向性の全く異なる両内閣において、「都市再生」というテーマにおいてだけは奇しくも同じ方向性を示したという事情があります。

 御指摘のとおり、現在行なわれている都市再生論議はそれぞれ全く違った方向からの力が偶然にも、大げさに言えば「神の見えざる手」によって同じ時代にほぼ同じ場所でであってしまった、ということが特徴であるといえると思います。
 現在一般的に都市再生の代表例であるかのようにいわれている六本木と汐留の2箇所をとってみても、その成り立ちは全く異なります。

 多種多様な形態での再開発、南北線や大江戸線、新幹線品川新駅の開業、そして都市再生の掛け声・・・これらは、必ずしも最初から今の時代に照準を合わせてきたわけではないはずです。
 たまたま1997年前後に旧国鉄用地の売却がおこなわれたり、遅れた建設スケジュールがたまたま今の時期に符合したり。大江戸線なんかは奇跡だと思いますよ。沿線の再開発や住宅の都心回帰、そして経済のダウンサイジングの時代にぴったり符号できた。

 今この時代にこれだけたくさんの事柄が花開いている以上は、とにかく見ていかなければはじまらないではありませんか。
 私が都市再生オフの実施先を考えるに当たって、なるべく毛色の違う場所を見てみようと考えました。今回の六本木と東京駅周辺にしてもそう。次回予定の日暮里・南千住・北千住にしてもそう。それは、「同じ日にそれぞれ意義の異なる事業を見ることによってなにか新しい視点が得られるのではないか?」という期待からあらわれていることです。

 とも様御指摘のとおり、次回予定の地域はまだまだ発展途上の地域です。
 数年後にこれらの街がどのような顔を見せているのか、本当の意味では誰も分からない。ひぐらしの里計画もあります。舎人新線もできます。つくばエクスプレスも通ります。駅自体も変わります。白鬚や汐入地区だって変わります。さてそれによってこの地域はどうなるのでしょうか?また、それぞれの計画はどにょうにリンクしていくのでしょうか?そんなこと、誰も分かりません。
 だからこそ、「今」、この今を見ておく必要があると考えています。
 私自身が調査会情報板で書いたとおり、何年かたって同じ地区を定点観測した時に、はじめて分かることだてきっとあるでしょう。オフの成否なんて、その時になってみなければ判断できないと思います。

 とも様が問題提起された、「都市再生の概念とは?」「見てまわる順番は?」ということを過剰に意識する時点で、既にバイアスがかかってしまっていると私は考えます(とも様の研究自体に口をはさんでいるわけではありませんが)。
 また舎人新線についても、交通網の整備も都市再生の重要な案件の一つであることや日暮里駅前の再開発と密接にリンクしていることを考えれば決して排除する必要性はないと考えています。

 こののオフは2回構成で終わるものではありません。
 それぞれの討論や反省などから、その度に課題を見つけてオフを充実させていけばいいのではないでしょうか?

 ものごとには多くの見方があります。例えばビル一つにしてもそう。同じビルを眺めながら、ある立場の方は資産価値の向上による地価やテナント料の上昇を期待するでしょうしある立場の方は供給の増加による地価やテナント料の下落を期待するでしょう。一事が万事、そういうことなのです。
 皆様広い視野で都市再生の現場を見て回りませんか?

異議あり2
 投稿者---とも氏(2004/05/12 23:45:37) http://www.koutsu-machi.com/

 御指摘のとおり、現在行なわれている都市再生論議はそれぞれ全く違った方向からの力が偶然にも、大げさに言えば「神の見えざる手」によって同じ時代にほぼ同じ場所でであってしまった、ということが特徴であるといえると思います。
 現在一般的に都市再生の代表例であるかのようにいわれている六本木と汐留の2箇所をとってみても、その成り立ちは全く異なります。

 その見方は違いますね。
 都市問題を解決するという一点があるからこそ同時期に同じ場所で始まった。きっかけこそ偶然はあれど、そんな行き当たりばったりに開発を進めているわけではない。
 たとえば光が丘と大江戸線は20年の差があるが計画がリンクしている。沖縄のゆいレールと那覇新都心と返還時の米軍管理地域返還が実は30年の時を超えリンクしている。MM線みなとみらい駅の「ステーションコア」はMM線の姿かたちもハッキリしていなかった7〜8年前には形成している。東京外環との接続部が東名・中央には用意してあり、中央環状扇大橋の段差にも意味がある。大江戸線放射部の中野坂上〜落合南長崎が深いのはトンネルの上に中央環状新宿線を通すためである。六本木ヒルズの麻布トンネルは事前にあのような形になるものとして整備していた。そしてもう一つのメジャーな開発地域環状2号線の計画線は建築制限がかけられている。新幹線の橋梁はあらかじめ環状2号線が通ることを準備してある。東京外環と中央線の交差部はあらかじめ交差する計画で高架橋が出来ている。そしてもっとも有名なものはつくばエクスプレスのつくば駅。筑波研究学園都市は昭和30年代からすでにセンター地区に東京直結鉄道の駅を作るものとして計画を進めていた。
 つまり30年も40年も前の段階からリンクさせるぐらいのことは都市計画や土木計画をやっている人間なら普通に考えることである。

 多種多様な形態での再開発、南北線や大江戸線、新幹線品川新駅の開業、そして都市再生の掛け声・・・これらは、必ずしも最初から今の時代に照準を合わせてきたわけではないはずです。(略)
 今この時代にこれだけたくさんの事柄が花開いている以上は、とにかく見ていかなければはじまらないではありませんか。

 南北線にしろ大江戸線にしろ高速鉄道の整備計画決定手順において順位付けをして決めた順番に従っている。番号はバラバラなれど、思いつきでここあそこと作ったのではなく、1985年の運政審答申においてその整備順位を諮り、そこで決めている。
 その時点で2000年なりの開業目標を設定しており、それと都市開発はきちんとリンクしており、かもめ様がご存知かどうか知りませんが、開発においては交通アセスメントとして計画の調整を諮っている。つまり、その時点で偶然ということではなく、計画的に調整を重ねている。
 もちろん不可抗力でずれる場合などはあるが、そこはきっちりあわせている。
 花咲いている今見ずしてというのは解かるが、そういった背景を考えて見ていかなければ何も意味は無いはずだが。

 私が都市再生オフの実施先を考えるに当たって、なるべく毛色の違う場所を見てみようと考えました。今回の六本木と東京駅周辺にしてもそう。次回予定の日暮里・南千住・北千住にしてもそう。それは、「同じ日にそれぞれ意義の異なる事業を見ることによってなにか新しい視点が得られるのではないか?」という期待からあらわれていることです。
(略)
 さてそれによってこの地域はどうなるのでしょうか?また、それぞれの計画はどのようにリンクしていくのでしょうか?そんなこと、誰も分かりません。

 ん?
 まず、基本的事項から。
 各種計画はすべてリンクを考えている。舎人新線にしてもつくばエクスプレスにしても沿線開発や再開発はそれを一つのタームにおいている。
 都市計画というのはそういうものである。
 南千住はつくばエクスプレスをにらんでいる。それを都市再生に結び付けただけで都市再生など話題になる前から計画はあった。
 そもそも市街地再開発は都市計画の素案を作る時点から完成まで7〜8年かかる。つまり都市再生云々が言われる前に計画立案されたものを予算要求段階の色づけで「都市再生」という色をつけたに過ぎない。
 そういう過程はネット上でも調べれば解かる。

 さらにいえば「どうなるかわからない。」という点。それは都市計画という分野を愚弄しているとしか思えない。都市計画というのはその「どうなるかわからない」をきっちり予測し考え整備している。それを考えてか知らずか、そのように安易に書くというのはいかがなものか。
 そもそもこれだけの開発計画をなんらリンクしないなどということはない。交通処理をどうするか、導線はどうするか。すべて考えている。郊外のショッピングモールでも1年や2年のスパンではあるがきちんと周辺の道路計画や交通計画、駅の改良などを考える。そういう視点を持って見なければ見ても意味は無い。

 とも様が問題提起された、「都市再生の概念とは?」「見てまわる順番は?」ということを過剰に意識する時点で、既にバイアスがかかってしまっていると私は考えます(とも様の研究自体に口をはさんでいるわけではありませんが)。

 順番というのは都市の問題を認識しないままに開発地域だけを見てもそれに意味が無いことを言っているにすぎない。つまり、都市再生の異議も意味も考えないままに「都市再生の場所を見よう」などという話は「都市『再生』」の大元である再生前を理解しないままになりそれは「何のための都市再生か」を考えない、つまりは「なぜこれが整備されるのか」という基本を抑えないことにつながる。
 それを抑えない都市論議など話にならない。
 現状に問題があるから都市再生という手法で再生を行うのだからその問題を考えることを無視して都市再生の現場を見ましょうなど端から見れば滑稽だ。

 また舎人新線についても、交通網の整備も都市再生の重要な案件の一つであることや日暮里駅前の再開発と密接にリンクしていることを考えれば決して排除する必要性はないと考えています。

 舎人新線そのものを見る必要が無いというよりも、ではなぜ舎人新線なのか逆にお聞きしたい。
 交通網整備と再開発なら京急蒲田でも北千住でも渋谷でも、あるいは完成した大崎でもいいわけで、なぜ日暮里なのかその理由がわからない。
 舎人新線には違う側面がある。そういう点を示さないといくらなんでも賛同は得られないと思うが。

 ものごとには多くの見方があります。例えばビル一つにしてもそう。同じビルを眺めながら、ある立場の方は資産価値の向上による地価やテナント料の上昇を期待するでしょうしある立場の方は供給の増加による地価やテナント料の下落を期待するでしょう。一事が万事、そういうことなのです。
 皆様広い視野で都市再生の現場を見て回りませんか?

 であればオフにする意味が解からない。論点をそこまでぼやかして議論が成立するとはとても思えない。

 少なくとも都市計画のメカニズム、制度、考え方を考えてみれば、かもめ様のご提議には違和感がある。もし、私の書いている内容がおかしい、あるいは間違いだというのならそれでも結構だが、少なくとも今の形のオフを【検証:近未来交通地図】として行うことになんら意義を見出せないと私は考えている。

都市を見るには、そしてオフとするのなら
 投稿者---エル・アルコン氏(2004/05/13 01:26:54) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 ちょっとヒートアップ気味ですね...

 「再生」にしろ、「再開発」にしろ、それをテーマにして都市を考える際に踏まえなければいけないことがあります。
 それは、「歴史」であり、その都市がどういう「都市計画」で成り立ってきたのか、そしてそれがどういうきっかけで、どういうコンセプトで変わってきたのか、ということを示す鏡でもあります。

 ルポを拝見して思ったのは、さいたま市民さんが江戸と東京の重ね地図を持参されていたことの意義であり、この掲示板でも以前取り上げられていた「東京都市計画物語」(越沢明著:ちくま学芸文庫)で書かれている近代東京の変遷との関係です。

 家康の江戸入府、振袖火災、そして明治維新、関東大震災、戦災、東京五輪と、東京の街に関する「都市計画」が大なり小なり建てられた訳です。
 それらは全くの白紙から始めるのではなく、それまでの計画の問題点を抽出し、変えていこうとする「変更プラン」であり、その意味で、「都市再生」は個別の「開発」「再開発」ではなく「都市計画」に属する部分です。
 「計画」には必ず「目標」があるわけで、その目標である完成形をイメージしてそれぞれの個別計画が絡んでいく訳です。その計画が過去の計画との連続性を維持している以上、時期のずれはあるが予定調和の世界になるのです。

 そこで「都市再生」を考えるのであれば、それはこれまでの都市計画、開発の問題点とその克服をテーマにしたものですから、そのテーマに即したもの、出来れば典型例を見るのは当然ですし、各時代の都市計画のさわりくらいは押さえたいものです。

 では、それをオフでどう見ていくか。
 その手段はおそらく、「一つのエリアにおける多岐にわたる論点を見る」というやり方か、「一つの論点に対する多くのエリアにおける解決策を比較する」というやり方になると思います。

 【検証:】の場合、今般実施する「ホタルイカ」オフは富山平野の交通と都市という意味で前者であり、昨年実施した「さぬきび」オフは高速舞子から東浦、高速鳴門、大内という高速バスストップの整備という意味で後者になります(もちろんクロスする部分も有るので、それだけとは言い切れない)。

 今回のルポ、そして次回予告を見て感じたのは、「多くのエリアで多くの論点を比較しないで見る」というものです。特に次回予告ではその傾向が顕著なだけに正直違和感を覚えるのです。
 例えば舎人新線を都バスと絡めてみるのなら、論点は東京北郊の交通不便地域であり、新規参入業者による地域バスでフォローしている足立北部や、常磐新線の足立北東部や埼玉県八潮、またこれも都外になりますが埼玉高速で改善した鳩ヶ谷、川口東部を比較するべきです。
 一方で日暮里のターミナル開発ならば、大崎や錦糸町、そして北千住あたりを絡めてこそですし、白鬚西開発であれば、住宅街として見れば東池袋、未着工なら豊島、中野あたりが比較材料ですし、隅田川沿いの都市計画の変遷で見れば尾竹橋あたりから墨田公園を経て両国あたりまでを辿るべきでしょう。

 確かに数をこなすことは重要です。そしてとにかく実際に見ることも重要です。
 しかし、それは論点がある程度見えていて、それを確認するという段階ではじめて有効なのであり、それが曖昧なままに回っても、何が論点なのかを見落とす危険性があります。
 もし現状のスタイルに固執するのであれば、最低限のこととして、事前に「調査会」板で論点のすり合わせ、確認をしておかないといけないでしょう。

冷静に返信
 投稿者---かもめ氏(2004/05/13 21:45:35)

 とも様、返信頂きましてありがとうございます。

 都市問題を解決するという一点があるからこそ同時期に同じ場所で始まった。きっかけこそ偶然はあれど、そんな行き当たりばったりに開発を進めているわけではない。

 そうですね。今回挙げていただいた具体例は私も存じ上げておりました。本当に細かい点まで知っているかというと自信は持てませんが、少なくとも一個人として容易に調べ得ることについては理解しているつもりです。
 MM線みなとみらい駅などはたびたび現地訪問もしておりましたし。

 つまり30年も40年も前の段階からリンクさせるぐらいのことは都市計画や土木計画をやっている人間なら普通に考えることである。

 これも私自身かねてから普通に意識していることです。

 南北線にしろ大江戸線にしろ高速鉄道の整備計画決定手順において順位付けをして決めた順番に従っている。番号はバラバラなれど、思いつきでここあそこと作ったのではなく、1985年の運政審答申においてその整備順位を諮り、そこで決めている。

 先ほどから同じ言葉で大変恐縮ですが、これも都市計画を考える上での一般常識の一つとして承知しております。
 また「擂り合わせ」という点では、大江戸線の汐留附近でのルート変更などは文句なしのクリーンヒットであるといえると思います。
 私が「神の見えざる手」という表現を使ったのは、それを踏まえた上で更なる時代の意志のようなものを感じたからです。例えば1985年の運政審答申の時点でバブル経済の膨張とその崩壊、バブル崩壊とは別の事象という説もある平成不況、少子化、そして都市再生を看板の一つにかかげる内閣の誕生というところまで正確に予測できたでしょうか?
 1985年というと国鉄問題においてもまさに微妙な年でしたが、1987年4月1日を持っての新会社発足、国鉄精算事業団(当時)方式による旧国鉄用地の強引とも取れる簿価での引継ぎ、その売却の凍結といったところまでは正確に予測できなかったと思います。そのあたりを「神の見えざる手」と表現しました。
 その後に「誰にも分かりません」と書いたのも数十年スパンで見たときにその種の不確定要素があるからです。

 そもそも市街地再開発は都市計画の素案を作る時点から完成まで7〜8年かかる。つまり都市再生云々が言われる前に計画立案されたものを予算要求段階の色づけで「都市再生」という色をつけたに過ぎない。
 そういう過程はネット上でも調べれば解かる。

 これについても認識しております。
 現在稼動中の物件も、着工したての物件も議論の成り立ちは相当古くからですよね。

 それは都市計画という分野を愚弄

 今ほどの予算要求のはなしとも重なりますが、私が都市計画を愚弄していると考えるのはかつて問題提起した通りオリンピックやワールドカップなどの誘致の例ですね。
 一般に何十年もかけてじっくりと都市計画について議論しているのに、これらの場合は例外的にスムーズに予算がついてしまう。アクセス路線や道路も、もしかしたら本来の都市計画上の順番とは違うのかもしれないのに。そしてこの種のイベントでは「反対するものは国賊」という表現まで使われる。常日頃都市計画について消極的なマスコミもこのようなケースではそれを煽る。
 都市計画はもっとスムーズにできるはず、イベント誘致はもっとその必要性を考えてやるべき、と私は考えますけどね。

 ものごとには多くの見方があります。例えばビル一つにしてもそう。同じビルを眺めながら、ある立場の方は資産価値の向上による地価やテナント料の上昇を期待するでしょうしある立場の方は供給の増加による地価やテナント料の下落を期待するでしょう。一事が万事、そういうことなのです。
 皆様広い視野で都市再生の現場を見て回りませんか?

であればオフにする意味が解からない。論点をそこまでぼやかして議論が成立するとはとても思えない。

 これについては何故このような答えが返ってくるのか正直いってわかりません。

 私が感じているのはこのようなところです。何かございましたらよろしくお願い致します。

奇跡のタネ明かし
 投稿者---エル・アルコン氏(2004/05/13 01:26:54) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 もう少しだけ。

 いろいろなプロジェクトの竣工が重なるのは何も偶然でも奇跡でもないです。
 それは結局は都市計画のタイムスケジュールのうえでの出来事に過ぎません。大江戸線の場合は、南半分は1960年代初め、北半分も60年代後半には基本計画があったわけで、それがリスケジュールされて85年の答申になり、今に至っています。

 当然オフィスにしろ商業施設にしろ住宅にしろ、その開発は足付けとなる鉄道の開業を横目で睨んでいますし、事業と言うものはいかに仕入れコストを下げるかが勝負でもありますから、早め早めに手を打つわけです。その「仕込み」は答申が出たらもう遅いとも言えるわけで、計画決定されるように運動中の時につばをつけるケースも多いのです。
 大江戸線の場合は85年の答申で2000年までの整備と言うスケジュールが示されており、オンスケジュールで整備されたわけです。ですから「沿線の再開発」はきれいに揃うんです。

 一方で外れた例、死屍累々と言う例もあるわけです。
 東葉高速なんかは、72年の答申が85年着工でさらに開業は96年とご存知の事情ではありますが、散々だったわけです。実際には60年代後半には(東西線の西船橋開通前!)東西線が北習志野を通り勝田台まで来る、という話はあったわけで、70年代には沿線にそれを当てこんだ宅地開発が目白押しでした。
 これらの住人が東葉開業時には定年退職と言う笑えぬ事態も続出しています。

 若干の見こみ違いではりんかい線。JT跡地の東品川再開発(品川シーサイド)を押えるべく、当初計画を改め天王洲から東品川、大井町を大きく迂回するルートになりましたが、肝心な品川シーサイドがキーテナントに擬せられた企業の業績不振により計画が変更、さらに大井町など市街地での工事の遅れもあり、大崎接続は2〜3年遅れになったように記憶しています。
 一方で大崎駅前の再開発ビル・ゲートシティ大崎は99年にオープンしてますが、これも大局的に見れば地権者が合わせにかかって来たことは明白です。

 要は、都市計画と言うものは過去の計画に、今の変更点を上乗せするわけですから、過去計画、今の計画を問わず、今仕掛かり中、計画中のものは、計画自体が順調なら重なるのです。

 もちろん将来は不確定なわけです。震災復興、戦災復興、東京五輪で完成した計画がそのままでないケースのほうが多いわけですから。しかし、それらは新しい計画に取り込まれ、変わるのであればそれこそ「都市再生」「再開発」として再びスケジュールに上るのです(同潤会アパートなんかはそうですね)。

***
 大江戸線に話は戻りますが、85年答申の時点では汐留再開発は考慮に入っていたでしょう。
 少なくとも国鉄分割民営化の最終答申は85年秋には出ていましたから、長期負債の返済スキームにおける資産売却の目玉として認識されていないということは有り得ません。
 そもそも、武蔵野線、小金線、京葉線での貨物迂回と、その線上に置かれた貨物ターミナルの整備と、都心部の貨物ターミナルである汐留、隅田川、飯田町の処遇はリンクしているはずで、神ではなく、人が見ていたのです。

 あと、今の時代にフィット、というのは、その「再開発」の最後の数年で何とでも調整できる(商業施設をメインにするか、住宅にするか、など)わけで、見方を変えれば、もしバブルが継続していたならば、新宿、六本木、麻布、竹芝、汐留と都内新旧の繁華街を貫く時代の寵児と言う評価も可能だったわけです。
 実際、環状部が開通してしばらく、例によっての「無駄」批判のなか、大江戸線の価値に真っ先に気付いたのは、新宿から六本木への移動が革命的に早くなった、という「遊び」の流動からでしたし。

***
 国家的イベントによる整備については、都市計画を歪めるのではなく、都市計画を推進するというのが世界的な共通認識と実績です。もっとも有名なのが万国博でのパリでしょう。

 本来あるべき整備が予算の都合などで遅々として進まないのが、予算が付き、自治体には国の補助も出て、期限が切られることで大きく進むわけですが、それはあくまで「既存の店晒しの計画の促進」なのです。
 もちろん意地悪く見ると、都市計画の促進のためにイベントを招致しているとも言えるわけですが、都市計画があるから完成すればイベントが開催出来るともいえますから、表裏一体の関係でもあります。

 古典的な例だと、東京五輪で整備された首都高、環七や青山通り、玉川通りも、都市計画自体はあったわけです。それと震災復興計画で完成した外苑と、戦前、戦中の緑地計画で出来た駒沢公園がリンクしたわけです(全くの余談ですが、1964年と言う時期で、これだけのイベントを鉄道ではなく道路交通に依存して対応したことは、2002年のワールドカップなどと比較しても興味深い)。
 一方で選手村は朝霞キャンプ(外環和光ICの西南)の予定が代々木になった。これは明治公園の存在と首都高の計画が大きいのであり、もし、イベント対応で計画を歪めるのなら、そこに何かしらの道路を作っていたでしょう。

 順番の入り繰りはありますが、百年河清を待つよりは、完成を見たほうが効果もあるわけです。そう言う意味では、それこそ「まず出来るところから完成させてみよう」なのですし、それがショーウィンドー効果になって、抜かれた先順位の案件の促進になるかもしれませんから

「正論」の使い方。
 投稿者---World's Uniquest Railway Enthusiast氏(2004/05/13 23:41:59)

 WUREです。こんばんは。

 オフ会報告、感想・批評ともに興味深く参照させていただきました。

 私は、散歩マニアなのでこういう街歩きを意味もなくする事がよくあります(これも、鉄道おたくであることがばれないようにするために、折り返し乗車の時には一旦街を用事ありげにぶらつくという習慣から定着したという話があるのですが)。その中で本やニュースでは見たものの、そのまま忘れてしまっていたトピックに出くわす事があり、勉強させられてしまう事は多々あります。その視点から見ると、参加者の皆様、随分有意義な体験が出来た感じでうらやましく思います。
 一方で、とも様の指摘されている、目的設定に関する諸問題についても、なるほどと思う事は多々あります。私自身、訓練を受けずに、調査としての短期間の街歩きをする事には疑問を持つタイプなので、疑問提示には素直に納得できる点も多いです。

 ただ、ここまでの意見のやり取りについては違和感を感じます。

 例を挙げましょう。
 変な議論になりやすい典型的な例は、川島令三氏の、「高加速・高減速車でスピードアップ」の議論です。
 この話が単純ながらしばしば議論を呼ぶ原因の一つに、この意見を信奉する立場の人間が、きちんと確認(勉強・計算)もしないで理論を拡大解釈する事が挙げられます。『単純化のために、加減速を線形(定加減速)と想定して比較したら・・・』というような説明があれば、少しは有意義な話もできるのでしょうが、私が提案した『鉄道の明日は如何に』という話の如く、とりとめのない話が続くのは真に滑稽です。
 この話に終止符を打つのは非常に単純な事です。『どういう論拠(根拠ある結果もしくは計算)にもとずいてそれが例示できるのか、出来なければ貴方の意見は無効だ』と返すわけです。議論が白熱して喧嘩になってしまったらとめようがありませんが、意見の交換としてはこれでけりがつくでしょう。
 実際、この手の議論はこんな感じで収束しますが、うやむやな点が残ります。きちんと計算できる事と最適解を求める事は別の話であり、実際、現在の車両性能は経験則で妥当な解であることは明らかであるとしても、意義をはさむ余地もない最適解かどうかには疑問の余地があるわけです。最適な加速度は、資源制約(すなわちモーターの大きさ)と対象となる路線の駅間距離(もしくは、使用線区の勾配条件、運行間隔なども加味されるでしょうか)で計算する事が出来るわけですが、資源制約も操作変数(固定された値ではなく変更可能な値)とみなして諸コストと連動させ、さらにコストにもより柔軟な競争の要素を加味して・・・とやっているわけではないわけで、多くの人に納得してもらう事を目指すなら、この辺りまで議論を尽くす事も面白いわけです。
 納得のいくレベルにたどり着くにはどうするか、お互いの知識のレベルを確認しあい、その知識レベルで可能な議論を行うか、不十分なら、必要な知識に至る手助けをする。面倒ですが、そういった作業が必要なのでは、と思います。

 本題に戻ります。
 とも様ご指摘の、表題・および調査後の議論にたいし、そもそも調査対象が適切でないという問題点、これは大いに理解できるところであります。私自身、以前から愚痴っているように、良いところだけ見る自治体の海外視察のようなものには違和感があり、先日のストラスブールなどでは、この分野に詳しい知人がいる事を利用して、「課題・論点を明確にしなければ議論にならない」で示されているのと似たような問題意識で変な場所を歩いたものです(おかげでテロリストだと疑われて荷物検査を受けてしまったりもしましたが・・・)。マンションの売り込み宣伝文句のようになってしまった「都市再生」という言葉を使わずに、発端のスレッドにあった「オフィス2003年問題と鉄道」(+の事後的確認)、「旧国鉄用地および大江戸線・南北線沿線の再開発の実地検分」という用語を使ったほうが良かったのかもしれません(その後の議論に影響を与えた可能性もあるし)。
 ただ、こうした問題ゆえに、「オフを【検証:近未来交通地図】として行うことになんら意義を見出せない」かどうかについては非常に疑問をもつところです。仮に調査に対する作業仮説が根本的に間違っていたというなら、何故、過ちを犯すのかを議論すれば良い訳で、そこには、以前から議論になっている「趣味誌的思想」が導かれるロジックの考察や、その他マスコミの認識の根本的な誤りを分析する鍵が含まれているかもしれませんし、それは今回のオフがなければ判明しなかった事かもしれません。特に、投稿者が限られているものの、閲覧者が多い本掲示板に置いては、そういう議論の積み重ねを示していく事が、有意義な結論をもたらすものと推測しています(従って、とも様のご指摘は、最後の勇み足がなければ非常に意味のある投稿だと思いますが)。
 勿論、このように「過ちから何かを学ぶ」という仮定は、実務、もしくは明確に目標を持ってプロジェクトを進める場であったら、非効率以外の何者でもなく、そこで、「未熟者は叱り付けて矯正させる」的なやり方を薦める事に異存はありません。しかし、【検証:】は、「近未来の交通を筋道立てて議論する場」ではありますが、「近未来の交通にまつわる問題について『効率的に』分析、改善提案を導く場」なのでしょうか。この認識の差が、今回のかみ合わない議論のそもそもの発端になっているように私には思えてなりません。
 例えば、私などは前者にもっとも特化した人間の一人です。ハンドル名の名の通り、直感と趣味で蓄えたアメリカの鉄道知識を元に純粋に議論を楽しむ事を目的として参加していまして、ここでの思索は首尾一貫として趣味として把握しています。多分、忘れかけた昔の勉強内容(土木や都市計画、電気の話じゃないです・・・)を思い出して議論するなら、より狭い問題について、より的確な結論を出したり、ここでのいくつかの議論の根本的矛盾について指摘できるのかもしれませんが、色々な意味でそれを行う事には疑問があります。そういった場としては学会なり、大学ゼミなり、一般社会人なら社会人を対象にでもしたセミナーでも開いて訓練を行ったほうが効率的であると思うし、一定の誤謬を「指摘しつつも許容しつつ」緩やかな制約のもと議論を進めるというのが、この【検証:】にとっての最適解のように思えるわけです。

 以上、とも様の指摘・批判が申し分ない「正論」であるだけに、全体の議論とのかみ合わせの悪さを危惧して投稿させていただきました。私自身オフの効果の表題に即した形での評価は懐疑的なもので、ゆえに、個々までの内容の把握には不十分な点があるかもしれません。純粋に方法論的なものとみなしてご意見・ご感想いただければ幸いです。

WURE

≪管理者投稿≫気を引き締めつつ本件の見解を
 投稿者---551planning@おさぼり管理人(2004/05/14 01:25:28)

 遅ればせながら投稿させて頂きます。
 前夜の流れを見ておりませんでしたので、昨朝見て率直に云って驚きました。
 その際は時間的にスレ構成の一部手直しに留まりましたが、その後問題点の抽出が進んだと判断し、【検証:】管理人としての見解を示したいと思います。

●大前提…「都市再生」という冠の是非について
 当初提案を受けた段階においては、当方自身前述の通り対極的な語句の捉え方をしたことでそれほど問題には感じておりませんでした。また後述しますが、先のオフのルートについても調査会情報板でやり取りしたものとはいえ、基本的には消去法の産物というべきものでした。確かにこれらを総合して無計画性はなはだしいと詰問されれば、厳に受け止めなければならないと感じておりますが、少なくとも実参加者の一人としてはいろいろ見ることができたと感じている次第です。
 なお、レポートそのものに対するオフ会内容全否定とも取れる御批評を頂いておりますが、こずるい言い方をすれば、そこの当方の所感の総てを盛り込んでいるわけではなく、それに基づいて他の参加者の方にフォロー含みでの御投稿を促すような形であったり、例えばメトロリンクのルート取りについては既に別スレがあるので改めてそしらに、とか、いろいろな副次的効果方向性を考えての書き方をしている=これは普段からそんな感じでおります=点をお含み置き頂ければと思いますし、更にもとを質せば、当該オフ開催について既存の【検証:】主催オフよりもライトな方向性での新機軸の可能性模索という念頭があったことで、レポートについても意気込んで書いた、というものではありませんでしたので、その反響にびっくりしてしまったというのがホンネです。

 しかしながら、「都市再生」という語句そのものについてはより明確な意味合いがあること、それと比して本企画はズレが生じているのではないかとの御指摘にはこれに同調するものであります。でも不適切、とまで言い切ってしまうには惜しいような直感的な響きであったりしますけどね…。ともあれ、個人的には『まちの“見方”勉強会』『愚直に『まちを観る、視る、診る』なんてな表現も示しましたが、そういったより広範な意識付けの方向性が望ましいかなと考えております。

●課題・論点の明確化について
 これについては当初提案時から必要性を訴えていたところでもありましたが、最終的にはメールやBBSでのやり取りだけでは相互理解が進まないと判断したこともあって「とりあえず顔合わせ的に」オフ会に至った、というのが実際と云えましょう。また懇親会では、専門家から見ては物足りないものであろうと思いますが、当方の理解しうる範囲内で、例えば川越・栃木論や、モール整備に見る商業特性というようなものも記していますが、まちの捉え方に対する具体的な意見交換も多分になされたと考えておりました。
 しかし表題と企画意図の根本的相違が指摘される中で、やはり直ぐにその疑問・異論に応じられなかった事は、本コンセプトの明確化がなされていない事を端的に示しており、現地調査会スタイルでのオフ会継続の上では致命的と云わざるを得ません。ただ、直接的な御指摘には【検証:】管理者として相当の危機感を痛いほど感じ緊張しておりますが、だからといって全否定されるべき重大事象なのかという思いも当事者としてあります。特に次回提案について課題・論点設定から考えてのズレ、おかしさが指摘されているところですが、地域設定という提案だけで、仔細および開催日時などの具体的確定はなされておらず、あくまでも1提案として、これからより多くの皆様との議論の進展で煮詰めて行ければと思っているところです。

 その意味ではとも様より調査会情報板に課題と調査が対応した詳細な計画案が提示されているところですので、たたき台のひとつとして進めてゆければと思いますが如何でしょうか?

***
 改めてテーマへの関心の高さと、【検証:】としてどうあるべきかということに思いを巡らせつつ、まずは2点について見解とさせて頂きます。宜しく御議論賜りたく。

Re:「正論」の使い方。
 投稿者---エル・アルコン氏(2004/05/14 09:56:11) http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs

 改めて皆さんのご意見を拝読しました。

 かもめさんのおっしゃりたいことも判ります。
 「六日の菖蒲、十日の菊」じゃないですが、「今」をターゲットにして完成したプロジェクトを「今」見ずして何の意味があろうか、ということは全く正しいです。

 結局、オフに関して見解が相違するのは、同じものを見ているのにもかかわらず、「何に関して見るのか」という考え方の部分が違うわけです。さらに話をややこしくしたのは、オフのテーマが捻れをさらに深度化してしまったわけですが、これについては551さんやWUREさんが見解を述べておられており、私も首肯するところです。

 となると、やはりWUREさんの「仮に調査に対する作業仮説が根本的に間違っていたというなら、何故、過ちを犯すのかを議論すれば良い訳」というわけで、結局はオフの目的についての議論をもう少し重ねることで、その捻れや考え方を正すことは充分可能です。

***
 今回の経緯、やや度が過ぎるように見えるのですが、一方で致し方が無いと言う面もあります。

 紛いなりにもその分野で飯を食っている人間が、その専門分野での誤りを看過出来ないのはある意味当然であり、結果的にスルーした格好になれば、その場に居合わせた専門家のほうが鼎の軽重を問われかねません。
 門外漢から見れば、なんでそんな瑣末なことに拘るの?という感想を持つでしょうが、例えばもう少し分野を広くして見ると、「鉄道系」のオフで、「電車乗り回し」と言いながら気動車やバスがメインだったりしたらやはり拘りますよね。これは極端な例えでしたが、交通、都市計画については門外漢であっても、皆さんも自分の専門分野は持っているわけですから、そこに関係する話が出てきたら、同じような論争になってもおかしくはありません。

 もっとも、知っているのは自分だけであり、それを理解してもらう努力も必要なわけです。
 仕事でプレゼンテーションをする時、「それはお前にとっては常識かもしれないが」という苦言を上司から頂戴することが多々あるように、理解してもらうにはそれなりの努力とやり方が必要です。
 今回の場合は、【検証】の参加者ならそれ位は、という思い込みがあったのかもしれませんし、とりわけ、管理人である551さんがかもめさんを「ディレクター」としているからには、それ位は、となったのでしょうね。

 WUREさんの、先の引用は「マスコミの認識の根本的な誤りを分析する鍵が含まれているかもしれませんし、それは今回のオフがなければ判明しなかった事かもしれません。」に続くのですが、もう一つ、「人に伝えたいものがあるときの説明のやり方」という、趣味に限らず実社会のあらゆる局面で出てくることを再認識させてくれる機会でもあったわけです。

念のための補足
 投稿者---551planning@おさぼり管理人(2004/05/14 11:01:42)

 今回の経緯、やや度が過ぎるように見えるのですが、一方で致し方が無いと言う面もあります。

 この点一応補足させて頂きます。
 まず、当方の認識として「かもめ氏をディレクターに任ずる」的な大上段という意識はなく、自発的提案者を尊重すること、特に、『数年間に及ぶ定例オフのかたちにしたい』との提案に対して重きを置いたということがあります。
 確かにこれまでの【検証:】のオフでは、まず大枠=概ね当方の偏視眼的な興味関心を発端に=があって、幸福にもベクトルが似通った常連諸氏の間で煮詰められて、公開オフという形に至っていたことから、今回の流れが異質に映ったということもあろうかと思いますが、この背景としては先述のとおり、『これまでの【検証:】のオフ会はいつの間にか仔細まで決まっていて、参加するにもなんともの“不透明な”雰囲気がある』との指摘と、それに伴うかたちでのオフ参加者の固定化からの進化を考えてゆきたいという当方自身の思いがあったからです。

 その意味では「オフの進めかた」および「議論時の応対」においての意識の差が大きかったことがあれよあれよ…ということにつながったという点で、管理者責任を感じております。さまざまな御指摘を糧により良い方向性を皆様と模索しつつ、弊サイトやオフ会を通じて有益な議論環境の構築、さらには提言等より具体的な行動へもってゆければと考える次第であります。
 …うーん、なんだか未納議員の弁明みたいで自身気味悪い表現ではありますが、どうぞこれからも御指導御鞭撻の程!

私も本件の見解を
 投稿者---かもめ氏(2004/05/17 22:26:57)

 かもめです
 今回は熱い投稿を多数頂きましてありがとうございました

●大前提…「都市再生」という冠の是非について
 「都市再生」という冠自体には問題はなく、内容をそれに合わせてブラッシュアップしていくべき、というのが私の考えです。
 私自身も今言われている「都市再生」については、その準備段階(という表現が適切かどうかは分かりませんが)を担当していない現政権が上手く流れに乗ったな、と感じています。

●事業の歴史について
 そう言った意味も込めて書いておきたいのは、それぞれの事業について、また全体的な都市計画については素人と呼ばれる立場の人間でも一応はその歴史を知っている、ということです。少なくとも公的な文書で出されているものについては。何も私だけの問題ではなく都市計画に多少なりとも興味を持っている人間は。
 個人的なことを書かせていただければそれを勉強する過程において、住民の権利をはじめとした障壁の多さに専門家への道を挫折したのが今の私であるわけですが。

(略)当該オフ開催について既存の【検証:】主催オフよりもライトな方向性での新機軸の可能性模索という念頭があったことで、レポートについても意気込んで書いた、というものではありませんでしたので、その反響にびっくりしてしまったというのがホンネです。

 当初はその予定でしたからね。万が一にもそれによって管理人様の顔をつぶされたようなことがあったとするなら、私の方からお詫びしたいと思います。

 しかしながらこの反響の多さについては素直に嬉しく思っておりますし、今後についていいステップになれたと確信しております。

●課題・論点の明確化について
 結局は「都市再生」によってどのような街を、そして社会を生み出していくかということになりましょうか。
 手段と目的を取り違えないようにしなければならないと考えております。

 繰り返しになりますが今回このような反響をいただけたのは非常に嬉しく思っております。また、とも様がこれまでの異議申立てから積極的な提議に立場を移されたのも嬉しく思います。
 これから私も前向きに議論に付いていきたいと考えておりますので皆様の御指導御鞭撻の程、よろしくお願いしたいと思います。

認識の整理は必要
 投稿者---551planning(2004/05/18 11:35:09)

 「都市再生」という冠自体には問題はなく、内容をそれに合わせてブラッシュアップしていくべき、というのが私の考えです。
 私自身も今言われている「都市再生」については、その準備段階(という表現が適切かどうかは分かりませんが)を担当していない現政権が上手く流れに乗ったな、と感じています。

 この点は認識の整理が必要と考えます。政治問題をタブー視するわけではないですが、単に時流判断から進んでいる話ではないと考えます。また、それだけの分野の話からの興味関心では足らないということとも。「都市再生」の文言に拘るのなら、それ相応の覚悟が求められるということが諸氏の指摘と当方は理解しています。ブラッシュアップという方向性は当方もそうではあるのですが。

 そう言った意味も込めて書いておきたいのは、それぞれの事業について、また全体的な都市計画については素人と呼ばれる立場の人間でも一応はその歴史を知っている、ということです。少なくとも公的な文書で出されているものについては。何も私だけの問題ではなく都市計画に多少なりとも興味を持っている人間は。

 知識等の有無は個人差がありましょうし、参加者間でその点をどのように埋めるかという問題もありますが、当方自身はまっさらな状態で見たいなという希望があります。さらには道路板での都市伝説の話ではないですが、実はね…という話も結構あるわけで、そのあたりが掘り返せればなお面白いかなぁと。自身の経験で云えば土浦ニューウェイは結構のめりこみましたし。参加者個々にとってさまざまな「きっかけ」になる会であればと思います。

 結局は「都市再生」によってどのような街を、そして社会を生み出していくかということになりましょうか。
 手段と目的を取り違えないようにしなければならないと考えております。

 「都市再生」という字句だけで見ることができるかは単純に懐疑的です。自身の意識が当初からより広範にあるということもありましょうが、街が形成されるダイナミズムは、また別角度で見れば多々要素はあるものと考えます。確かに初回開催前に「交通からの街形成か、街形成からの交通か」という視点が問われていたわけですが、大前提は後者であるとしても、枠を何処に設定すべきかは更なる議論を待ってとしたほうが良いと当方は考えています。

2007.01.28 Update

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