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【検証:近未来交通地図】 特別リポートNo.053
日立電鉄日立電鉄
水戸・日立現地会“鮟鱇オフ”備忘記
(2004/03/13)
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 大変長らくお待たせ致しましたぁ…去る3/13(土)、水戸・日立現地会『鮟鱇オフ』を開催致しました。遅ればせながらその備忘記をば。


 ▽開催経緯

 開催経緯としては、【検証:】BBSやオフ会の常連である打越健太郎氏(茨城県在住)から、つくば・土浦訪問の際などの折に触れて『水戸や日立といったまちを是非見て欲しい』との“【検証:】オフ会茨城ディスティネーション要望”が出されており、日立電鉄の存廃危機の報道に当方が関心を持ったのと、別に進んでいた高岡・富山現地会“寒鰤オフ”(最終的には“ホタルイカオフ”として5/22〜/23に無事開催、仔細は後程…)での、まさに名にあるようにもうひとつのポイントである「旨いもの巡り」に引っ掛けて『茨城の味覚といえば鮟鱇、是非お召し上がりを!』ということで、打越様を主幹事・ナビゲーターとして晴れて開催に至ったのでした…改めまして打越様には各種手配の程、この場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました。

 というわけで、最終的な参加者は7名(打越様、KAZ様、かもめ様、さいたま市民@西浦和様、TAKA様、latir様(以上50音順)と当方551planning)、本企画としては水戸に集合し水郡線で常陸太田に入り、市街を散策後メインとなる日立電鉄で鮎川まで完乗。その後懇親会で鮟鱇に舌鼓を打ちました。なおその前に参加者それぞれが事前に各所を見て廻っており、多くの方が茨城交通湊鉄道線に乗っていらっしゃいます。

 ▽俄か「プレ企画」…那珂湊・大洗、そして水戸市街へ

● 高速バスで勝田入り

 当方は前夜の仕事が長引いたがゆえに、当日朝から現地に乗り込むこととし、関西から夜行で到着のKAZ様に連絡を取って無理矢理?同道にて廻りませんかということにしてしまいました…とりあえず茨交湊線試乗をしましょうということで、当方は東京駅八重洲口7時発の常磐道高速バス東海・勝田線サイクル機構前行JRバス関東(JRBK)便でKAZ様との合流ポイントとした勝田駅へ。始発便ながら15名を越える乗りです。常磐道を淡々と走って友部ICから北関東自動車道へ。当方初通行の道を楽しみながら、水戸南ICから「高速自動車国道に並行するR6BPとしてJHが管理する一般有料道路」の東水戸道路、そしてひたちなかICから「県道57号の有料道路部分として茨城県道路公社が管理する」常陸那珂有料道路への変化を目の当たりにします。
 ちなみにバスは水戸大洗ICで一旦外に出て、昨年6月東水戸道路高架下に有料駐車場が整備されたパークアンドライドのバス停(といってもバス停自体はポールがあるだけ、駐車場も無舗装で砂利に仕切り線が引かれた程度)に立ち寄るとともに、ひたちなかICで常陸那珂有料道路を横目に一般道に降りてしまいます。

 その水戸大洗ICで乗客の半数以上が降りましたが、専用有料駐車場ではなく、かつて無料駐車場を間借りしていた、隣接の大洗イエローポートのほうへ向かう人が圧倒的でしたね…無論出迎えの車が停まっていたりもしましたが、実のところはどうなんでしょうか?なお、有料駐車場にも沢山車が停まっており盛況のようです。ひたちなかICを出て大井競馬場場外のオフトひたちなかを横目に左に折れると、比較的最近に整備されたと思われる広い市道を市街に突き進んでいきます。勝田駅と浜手を直線で結んでいるということで、開発途上ではあるものの、ひたちなかの新市街が形成されつつあるという感じです。数箇所の停留所でぱらぱらと降りました。

勝田営業所

 ほぼ定時に勝田駅前に到着、3名が下車。ここでKAZ様に電話を入れるもつながらなかったので、湊線の発車まで時間もあったことから欲を出してそのまま北方に5分先の茨交勝田営業所まで乗ってみます。当方と女性1名が下車、女性は隣接の有料駐車場に向かいましたが、こちらも特段整備された駐車場という感じではありませんでした…ただそこそこ利用があることを確認しました。

 で、ここから勝田駅に戻るのが…実は路線バスが絶妙のタイミングであるのを事前に調べていたものの、駅から営業所到着までの「5分間」の際に中途半端に信号待ちに引っかかったため、結果的にタッチの差で逃してしまい、どうせタクシーもあるだろうと高を括っていたのが待合室に電話番号の張り紙もなく、さらにはそこそこ交通量のある道ながらも流しなどそう都合よくやって来ず…結局30分近く掛けてとぼとぼ戻ったのでした。勝田駅周辺の旧市街地というべき状況が判っただけでも、と強がってみたいところですが、なにぶん列車を1本遅らせることとなってしまい、ただただKAZ様に迷惑を掛けてしまいました。

勝田駅

 ちなみにKAZ様はこの間当方とは反対方向となる南方の表町商店街から日工前のジャスコ方面まで足を伸ばされていた由。なるほど、食料品売り場が24時間営業なのは工場勤務をあてこんでですか…。

● 茨交湊線行きつ戻りつ

 とにもかくにもまずはKAZ様にお詫びをして、改めてスタートです。早速茨交ホームへ向かうと旧新潟鉄工製の新車3710形が待っていました…思わず「九州っぽいですね」と。JR-Qキハ125系や島原鉄道2500形などと同型ですが、新潟トランシスになり、さらにはライバル?だった富士重工と実質統合されたことで、その後登場している車輌とはテイストがまた変わったようにも思われます。ロングシートの車内はゆったりめに座って着席定員に近いほどの乗り。老若男女客層はバラバラと特徴的な雰囲気は掴めません。

 勝田を出て左にカーブを切って浜手へ進みます。KAZ様は路盤の広さなどを見ながら「複線用地分を確保していたんですかね」と。貨物営業がいつまで行われていたのか分かりませんが、軌道の状態はかなり良さそうに思われました。街中から田園風景、ちょっとした起伏のなかを進んで東水戸道路を仰ぎ見るなど風景が結構変わり、再び街中となって那珂湊に到着です。それまでさほどの乗降がなかったため乗客の入れ替わりが目立ちましたが、総数はさほど減らずに出発。そうそう、機関庫を併せ持つ広い構内には現役・退役車輌が集結しており、ふとこんなに必要?と思うくらいでした。キハ11形の旧塗装化後俄かに注目を集めるようになった同線ですが、新車は2両、ほかに他社からの車が10両近くいますが、車齢に差もあることから、今後の設備投資の方向性がどのようになるか気になるところ。そもそも、土地が余っているので解体するなら部品取りと倉庫代わりに寝かしているのでは?という話にもなりました。

 終点の阿字ヶ浦で降り立ったのはいかにも御同輩が中心ではありましたが、その間の降車状況から意外にも那珂湊市街の移動に使われていることが伺えました。だだっ広い阿字ヶ浦では丘を下って浜まで降りてみましたが、さすがにシーズンオフゆえか、常設の海の家の中には鮟鱇などを出すレストラン然の営業風景を見出しこそすれ、活気はありませんでしたね。再びだらだらと坂を上って那珂湊まで戻ります。少ないながらも途中で乗客を拾いますが、やはりというか那珂湊下車組が見られました。幹線駅と工場最寄の勝田よりも拠点性はまだ強い、ということでしょうが、このあと街中をぶらついた限りに商店街という感じでの商業拠点性はさほど伺えず、駅西方のSC(ピアポート)も外見を見る限りに昨今のパワーセンターよりも一世代前の中規模郊外型SCと思えた分、魅力的には映りませんでしたが、「日常利用には足りる」安心感が各店舗にあるのかもしれません。

茨城交通茨城交通茨城交通

● 那珂川河口部散策記

 水戸城下町の外港としての機能にあった那珂湊。駅の内外にその歴史を伝える案内板が往時を偲ばせます。港に向かう道も歩道舗装に手が入れられるなど観光地対応も取り組まれているようですが、いざ港はというと「おさかな市場」として、クルマというより観光バスで乗り付けるような食事も出す大型の海産物即売所が立ち並んでおり、お昼前の時間でそろそろ…という活気が見られたとはいえ、広くまちあるき、市街観光といったものへのつながりはなさそうでした。
 そのまま那珂川河口部の海門橋を見やると、対岸にはアクアワールド大洗やかんぽの宿などが見えます。しかし双方を結ぶ路線バスの頻度はさほどでもなく、非クルマにおける周辺観光という面から見ると連携性は薄そうです…事前チェックをされてきたKAZ様は水浜電車と現湊線の関係性が気に掛かる様子。大正初期に湊鉄道が勝田と那珂湊を結んだ後、大正後期に対岸の磯浜と水戸を結ぶ目的でつくられた水浜電車が昭和初期に海門橋から那珂川を越えて那珂湊市街まで延伸、しかしその10年後に台風で橋が崩壊したことで休止、その後戦時統合で茨城交通が誕生し両者は兄弟路線となるも、水浜電車は戦時中に大洗市街部分が不要不急路線として廃止になり、戦後のモータリゼーションの波に水戸市街を中心に機能を失ってついには全廃となり、その後鹿島臨海鉄道開業まで水戸大洗間の軌道系交通は20年近く失われていたのでした…さらっと書きましたが、水戸−大洗・那珂湊間のバス頻度と湊線の状況、高規格道路を中心とした道路の変遷、さらには海岸とフェリーポートとして知られる大洗と漁業基地と認識される那珂湊のまちとしてのありかたに思いを馳せると面白いものになるかもしれません。

茨城交通

 那珂湊駅に戻ってガラガラの茨交バスで水戸方面へ。R245に入り、多少手狭で架替工事中の湊大橋を渡り、一旦側道に逸れつつ進み、大洗鹿島線の常澄駅至近を通ってR51に右折すると、今朝通った水戸大洗ICが見えてきます。常澄支前バス停で降りますが、東水戸道路の東南方で高速バス停やイエローポートとはちと離れています…と、ちょうどサイクル機構行JRBK便バスが到着、15名以上が降り立ちましたが、やはりイエローポートに向かう利用者が多い…今朝の車内で見た状況を改めて外側から見られたのはいろいろ参考になりました。おっと、大洗行きのバスがまもなくだ!停留所までダッシュしますが、高速バス降車客も3名ほどいらっしゃって、図らずも拠点整備の必要性を感じたのでした(ちなみにこの後の水戸駅集合の際、かもめ様より『大洗水戸ICバス停にいらっしゃいませんでしたか?』と。実は我々が見たバスに氏が乗られていたそうで…氏はこの後公式?プレ企画で茨交湊線に試乗されています)。

イエローポート

 大洗の磯浜新道バス停で降車、狭いながらも昔ながらの商店街を構成する大洗市街をちょいと歩いてから大洗駅へ…開業当時は市街地の外れの畑か丘かにどんとできた印象だったと思しき大洗駅に着くと、丁度列車が出発寸前!再び小走りになって駆け込んだのでした。いかついスタイルの2両編成の列車は着席定員までは満たないものの水戸大洗間の底堅い需要を感じます。終点の水戸では折り返し列車を待つ人人人…なるほど、サッカーでもあるのでしょうかね。

● 茨城県庁から水戸市街へ

 当方が手洗いに行っている間にKAZ様に打越様から連絡があった様子、丁度公式?プレ企画として今から茨交湊線試乗に向かうところのニアミスだったようで。こちらは裏口に当たる南口からシャトルバスで茨城県庁バスターミナル(BT)へと向かいます。1999年の移転にあわせ、水戸駅と最至近の赤塚駅からの2系統が設定された県庁シャトルバスですが、移転そのものの評判もよろしくないらしく、茨城オート・茨城交通・関東鉄道・JRBKの4社共同運行であったものがこの4月からJRBKが離脱して減便傾向に拍車が掛かっています。試乗便の茨交バス一般車(あ、関東バス譲り?の3ドア車でした)には、土曜日昼下がりと全く期待していなかったもののリクルート姿の若者がちらほら乗車。ん?公務員試験はまだだと思いますが、就職イベントでもあるのでしょうか?
 バスは整備完了直前の南口ロータリーを出発、直行便ながら水戸駅と県庁間で特段の道路整備はなされていないようで、渋滞に引っかかりそうになったり、細道を進んだりしながらに、何処に連れて行かれるんだ?と云うと『見えません?あれですよ』と…あらあら、県庁舎のビルがまたでっかくありましたァ。バスは一旦県庁舎の下にもぐりこむとリクルーターが下車、さてBTはというと、来た道をちょこっと戻ってだだっぴろい原っぱ…おっと、整地された区画の真ん中にロータリーがありました。県庁舎から見ると東方に位置します以前見た石川県庁と比して貧弱…おっと、シンプルであります。横の待合室スペースは、鍵が掛かっていますね。ただ一応高速バスも入ってくる場所であることはポールから分かりますが、むしろ高速バスこそなぜか立ち寄らない県庁下に入るべきではないかなぁとも。

 最初は展望台に上がって…なんてなことを云っていましたが、時間的都合や外見から受ける“満腹感”から周辺散策にシフト。旧林野庁木材育種センター跡地に整備されたそうですが、外側との区別がはっきりしていますね…飲食店もぱらぱら出ているところから見て、昼食事情が伺い知れます。県庁舎西方を南北に通る旧水戸街道に出て路線バスで北行の水戸駅方面へ向かおうとしますが、横断歩道の間隔が広い丁度中間にバス停があるということで、県庁舎からのアプローチでは遠回りさせられるのは不親切だと意見が一致!…そう、一般の路線バスは県庁舎下や位置的に真反対になるBTは素通りなのです。そういえばBT自体も県庁舎からはすんなり歩ける距離というわけでもありませんでしたが…周辺のゆったりとした公園や、県庁に行く際の南行バス停を意識したであろうアプローチの構造物を見るにつけ、ちぐはぐさを感じてしまいました。

茨城県庁茨城県庁

 タイミングよく関鉄バスがやってきて市街方面に進みます…丁度梅まつり期間ということもあって千波山越えのあたりで若干渋滞に引っかかりますが、大型バスの駐車場待ちのようです。偕楽園臨時駅を横目に見て常磐線を越せば、水戸市街地の西端となる大工町となります。ここでバスを降り、つれづれに水戸駅方向まで歩くことに。歩道は整備されており歩きやすくなっています。業者がでんとタクシー乗場を構えているのはさすが裏手に歓楽街が控えていることを伺わせますが、泉町の金融機関の本支店街を越えるあたりまでは表通りは比較的おとなしめ。様子が変わるのが水戸京成百貨店のブロックで、向かいは閉鎖後1年を経た伊勢甚跡と県内最大の商業拠点であったわけですが、そこそこ賑わっているところから今も求心力があることが十分伺えました。

 まずは伊勢甚跡を見ましたが、やはり灯の消えた商業施設跡は寂しいものですが、既に再開発計画が始動しており、向かいの水戸京成百貨店が移ってくることになっています。一瞬無駄かなと思いつつ、京成の建物もそこそこ古いのだろうし…と思いましたが、そのもやもやはすぐ後に晴れました。ただし移転後京成跡地の再開発も予定されていますが、キーテナントをどうするかが課題となっているようです。その京成百貨店に向かうときに、ちょうど地下通路があるということでそれを使いましたが、階段でのアプローチとEVが設置されている間に路線バスの停留所があって、手狭な空間は歩行者とバス待ちの利用者で混み合っていました。路線バスの多くが駅から大工町を経て各地へ向かうルートということで発着量も相当あるものの、バス停は1つだけで賄っており、上屋があるわけでもないため利便性に難ありと見ました。
 地下道を越えて京成百貨店へ。B1とはつながっておらず、地上に上がってなかに入ると、これがまさしく鰻の寝床…なるほど、表通りに「面しました」という感じで、メインは後ろに確保した新館?となっており、これではフロア構成以前に什器配置も難しいものがありましょう(ただし工夫ゆえか、店内はなかなか賑わっていましたよ)。上の階に上がるほどに本館?との段差が目立っていましたし、これでは移転ありきの話になろうと、もやもやはスッキリです。

 ここから駅方面へは下り坂。駅とはまだ1キロ以上あり歩く距離ではないものの、人通りはそれなりにありますし、それを見越した仕掛けもいろいろと行われているようです。東京電力茨城支店ビルの1階では水戸商工会議所が昨年から2年間の実験事業として「まちの駅」(案内スポット)が行われており、パンフレットや湯茶の提供、トイレ開放などが行われているほか、この日は梅まつりとリンクしてか大道芸やミニ路上ライブ等が行われていました。テーブルやチェアが半常設で歩道上に置かれているところもあるなど興味深い反面、必ずしも商店街でないため業務関連のビルはシャッターが下ろされているところが、点が線から面への企画として連続する可能性をいささか削いでいるようにも思われたのでした。
 中央郵便局前からは駅北口ロータリーになだれ込むような感じとなり、駅前ではマイム(丸井)・LIVIN・駅ビルが集まる商業核が形成されています。伊勢甚撤退も駅前と泉町・大工町との商業構造の変化の一端ではありましたが、現在は県庁横に出店計画を持つ国内最大級の商業施設「水戸メガモール(MMM)」と駅周辺商業核との“確執”が注目を集めているようで、果たして栄枯盛衰が繰り返されるのか、それとも老舗商業核の復権成るか、そのなかでの交通の関わりは…というところを今後抑えておく必要もありそうと感じました。

大工町大工町

 ▽本企画…水郡線と常陸太田市街散策後、いよいよ日立電鉄へ

● まずは常陸太田へ

 所定時間となり7名全員が集合、初顔合わせもあるため軽く自己紹介をしていると、丁度からくり時計が賑やかに鳴りました。改めて周囲を見回すと、時間もいいせいか若年層を中心にかなりの人出です。混み合う駅構内を掻い潜るようにして水郡線ホームへ。程よく席が埋まった3連の郡山行を見送ったあとに常陸太田行が入線、そこそこ残っていたホームの待合客が乗り込むとやはり席が埋まりました。立客がちらほら出て出発時間となり、列車は軽やかに走り出します。谷筋を抜けて進行方向を北に取り那珂川を渡ると、早くも周辺は長閑なムードに。雁行しているためか車内は落ち着いたままに分岐駅の上菅谷に到着、さらに北方に進んで久慈川を渡ると常陸太田市街に入ります。結局目立った乗降もさほどないままに終点に到着、駅前はしばし賑やかになりました。

常陸太田

 佐竹氏の拠点として、さらに水戸徳川家の要地として古くから発展した常陸太田は、鉄道駅付近を南端にR349とR293に囲まれた台地を旧市街地としており、まずは城址方面を目指して西側から北方に切り込む形で果敢に進みます…が、これといって特徴的に映らなかったこともあって、しばし歩いたところで断念、東側に降りる事としました。それにしても細道の坂も多く、いろいろと名前がついているのが楽しいですね。
 ぐるっと小回りする形で再び駅前に戻りましたが、市街地とそこまで至らずに入口でいかにも力尽きたかというかの鉄道駅の関係を“体感”したとして、ファーストフード店で小休止。これから乗る日立電鉄の雑感を語り合いました…というのも本来はタイミングよく接続列車があったものの、まさにこの日(3/13)からJRのダイヤ改正に併せるかたちで日中を中心とした減便改正となっており、30分から1時間に「調整時間」が増えたためでもありますが。

● 日立電鉄乗車記

常北大田

 いよいよメインとなる日立電鉄乗車編です。JR常陸太田駅向かいの常北太田駅舎は、駅前にバスロータリーを持つ風格ある駅ですが、バス路線も大幅に減っているほか、券売機でお札が認識されないなどのトラブルもあって早速厳しさを伺わせてくれます。待っていた電車は云わずと知れた元営団銀座線(+日比谷線の足回りやパンタグラフ他)車両ですが、定番の赤い電車ではなくラッキー?にもクリームと柿色の旧塗装再現車…しかし窓は相当汚れており、メンテの状況は漏れ伝わる話以上のようです。そもそも留置線にも電車が何台も停まっている他、このあと久慈浜や大甕でも留置車輌があるなどを見ると、1991年から総勢24両も揃える必要性すら疑問に思ってしまったのでした。さすがに車内はそれなりに清掃されているようですが、その前に目が行ったのが車内灯!これを知る知らないで年齢が分かる時代になってしまったんですね…。

 “貸切”とならずにほっとしたものの、その他ご同輩を含めても寂しい限りの乗りで発車、早速ポイント部分で左右に揺られます。あっさりと市街を出てまだ春になりきらない農村風景を眺めつつ、ゆったりとしたペースで進みます。隣をR293が寄り添うもこちらもセンターラインがない区間の多い貧弱な道のようで、交通量もさほどでした。KAZ様とさいたま先生は川中子駅の北方の高台にある、バス路線も通じる真弓ヶ丘ニュータウンと日立電鉄の関係性を見ようとされていましたが…予想通りほとんど関係はなさそう。常磐道を潜り、少し纏まった集落を見下ろしつつ、噂の老朽化した橋脚をそろりそろりと渡って大橋駅へ。川沿いで起伏がある中を結ぶ合理的な?路線形態が仇になったともいえましょうか。ここで列車交換があったのですが、発車直後にがくんと急停車!その後再びそろりと走り始めましたが、どうやらこれは電力不足のようで…。R6を潜ると大甕の市街地に入り、常磐線を仰ぎ見て身をくねらせるようにして久慈浜へ。さらに常磐線に寄り添い跨いで接続駅となる大甕となります。この間ぱらぱらと乗降があって、大甕で乗客を吐き出す形となりました。ここで列車交換含みでしばし停車、常磐線接続を特段意識してというわけではないようですが、比較的広いホームには飲料などの自動販売機が多く置かれており、ついのどを潤すことになっているようです?

 少数の乗客を受け入れて再び出発、常磐線を跨いで暫く市街地を進みます。このあたりも起伏があり築堤上の駅もあったりしますが、勿論バリアフリーなんて名発想などなかったわけですから、階段の段差がそのまま利用阻害要因にすら思えてくるのでした。浜手を中心に工場や社宅然の風景も広がりますが、駅配置と特段の関係性はなさそう。桜川駅で陸手が日立製作所の工場に隣接しているようですが、常磐線常陸多賀駅方向や、あるいは最も近い海の様子などは全く想像できません。工場に囲まれつつR245と寄り添いながら進み、常磐線が近づいてくると終点の鮎川に到着。ここまでで少ない利用客もほとんど降りており、ほぼ貸切状態での到着となったのでした…。

日立電鉄日立電鉄日立電鉄

 ▽懇親会…鮟鱇を堪能しつつ議論も煮えたぎる?

 実は当初の予定では30分前の到着ということで、日立駅至近の懇親会場まで2キロちょいの距離ということから徒歩での移動を想定していたのですが、結果的には幹事の交渉によってワゴンで送迎して頂けることとなり、ありがたく乗車しましたが…今まで以上に起伏のある道でして、こりゃ歩くのもきついなぁというのがほぼ全員の感想。ということは、鉄道を延伸することの困難さも十分にお判り頂けようと思います。
 丁度あたりも暗くなって懇親会場に到着、個室貸切で鍋に揚物にそしてアンキモという鮟鱇尽くしと地酒を堪能しつつ、賑やかに意見交換を楽しみました。ご近所(勝田)からの参加となったlatir様からは並行道路もまた厳しいというお話を、打越様からはちょうど前日か当日に出た茨城新聞で県議会で廃止後の交通渋滞による影響額試算が示された旨の記事紹介をして頂きつつ、参加者の多くが初見ではありましたが、車両や軌道など構造物の厳しさを目の当たりにし、また多くの方が同日に乗られた茨交湊線との比較をしながら、存続には相当な覚悟が必要だなぁというのが共通の実感のようでした。
 改めて当時の状況を思えば、負担拠出に難色を示し廃止も已む無しとする日立市側と、生活路線の確保維持を掲げる常陸太田市側とで地元が二分されており、新聞記事を踏まえて県としては維持方向性にも傾いていると思われたことから、特に県民としてのお二人の意見と外野から見た意見ではどうか、という話にもなりましたし、茨城の場合には「かしてつ応援団」の活動が有名になった鹿島鉄道の存続方向性という“先例”があって実際連携して日立電鉄沿線の通学生も声を上げる動きとなっていたことなどから、ところで鹿島鉄道って何で残れるの?という話にも展開するなど、鍋が煮詰まるほどに議論も白熱していったのでした。

 幹事から「是非泊まりオフで!」という強いお誘いもあり、かもめ様が宿泊されて2日目を幹事とクルマで楽しまれたようですが、その他参加者は泣く泣く?最終の特急に乗車することとなり【検証:】オフとしては比較的早目の散会に。日立駅では東京に戻るのが4人ということで回数券だ!となったものの、最終が「スーパー」ゆえに「フレッシュ回数券」が使えないということで『使えねぇ!』などと云いながらしっかりと燃料を補充し、俄か2次会と相成ったのでした…当方は上野でお別れしましたが、なんでも「3次会」もあったようで…なにはともあれ、皆様お疲れ様でございました。


 というわけで、2ヶ月以上遅れての現地会報告となりましたが、その後事態は確実に進展しています。5/24には繰上廃止についての意見聴取会が行われており、常陸太田市+茨城県vs.日立市の様相がよりはっきりしてきているようです。その一方で日立電鉄側は廃止理由について経営面ありきではなく施設老朽化による安全運行維持困難との判断ゆえと強調しているところも改めてポイントとして押さえておくべきではないかと思っています。さらには県や支援団体が指摘する手続期間の“短さ”についても考える必要がありそうです。これらを改めて考えてみたいと思っております。

日立電鉄線廃止の波紋 短期の決定 沿線に不満 乗客激減、あきらめも(05/24茨城)http://www.ibaraki-np.co.jp/…
地元両市の相違鮮明に 日立電鉄線廃止巡り(05/25朝日)http://mytown.asahi.com/ibaraki/…


割れる地元、専門家の見方は…
 投稿者---打越健太郎氏(2004/05/26 23:48:19)

 日立電鉄に関して、5/25付讀賣新聞茨城版に取り上げられました。ご参考までにリンク先を(案の定、万葉線が前例として取り上げられています)。なお、これらの記事は本日限りしか見られませんので、資料としてお使いになる場合、文書をコピーしての保存をお勧め致します。

※管理者註:御指摘の通り、既に見られなくなっております…よって当方が保存したものからタイトルのみ示します。

存廃 両市で正反対 日立電鉄問題で意見聴取−日立 廃止やむなし、常陸太田 公的支援で存続(05/25讀賣)
意見陳述 日立電鉄バス、日立市、常陸太田市、県(05/25讀賣)
地域あげ議論、支援を 石田筑波大教授に聞く(05/25讀賣)

 僕としてはよほど手を入れなければ、日立電鉄は今日の交通機関としては役に立たないと思うのですが、筑波大の石田教授の見方は少し違うようです。
 まずはご報告まで。

***
 参考に、石田教授の部分について、前述の通りネット上で確認不能のため、あえてここに全文を転載します。なお下記については管理者551planningがその責任を負います。

地域あげ議論、支援を 石田筑波大教授に聞く (05/25讀賣茨城版記事より全文転載)

 日立電鉄の存廃問題について、富山県の万葉線再生に携わった経験を持つ石田東生筑波大教授(都市交通計画)に話を聞いた。

 ――日立電鉄を含め地方鉄道が苦戦しているが、その果たしてきた役割をどう見るか。

 非常に重要だ。日立電鉄のように都市間をつなぐ路線は、行政の広域化と生活圏の拡大が進む中で、地域をつなぐ物理的な軸になる。環境に優しいのはもちろんだが、鉄道利用者はマイカー利用者より、町中で過す時間が長く、使うお金も多いという研究結果もある。残せるものなら、是非存続させたい。

 ――県は向こう30年間の存続便益を157億円とし、廃止による地域全体の損失のほうが大きいと試算している。

 その通りだと思う。ただ、鉄道事業法の改正で国の需給調整がなくなり、鉄道会社は採算性の判断のみで廃止できるようになった。民間の営利企業である以上やむを得ない。問題は地域あげて支える事ができるかだ。鉄道存続で得られる道路の渋滞緩和や環境負荷の低減は、地域住民全体に及ぶ利益だ。

 ――鉄道事業廃止届が出た後も、地域あげての支援で存続させたケースもある。

 富山県の万葉線が最もいい例だ。地元の高岡市(17万人)、新湊市(37,000人)だけでなく、知事自ら先頭に立って熱心に支援のあり方を議論した。その結果、県や市、地元財界から市民までが出資して第3セクターを作り、加越能鉄道から買い取って運行を継続している。「地域にとって重要な財産だ」という認識が幅広く市民に共有された。

 ――同じ沿線でも、日立市と常陸太田市で存廃を巡る意見に大きな温度差がある。

 地理的に路線が市街地に入ってくる常陸太田市と、そうではない日立市の間で差があるのは理解できるが、日立市は大人の態度を示すべきだ。前向きに存続を考えて欲しい。県も主導的な役割を果たすべきだ。

 ――第3セクターなど運営主体を変えて存続する場合、税金も投入することになるが。

 やむを得ないと思う。地方鉄道はどこも経営が苦しい。鉄道事業だけで採算を維持するのは困難だ。地域の足として本当に大事だというなら、都市基盤の一部として税金を投入するのは決して悪い話ではない。アメリカは車社会だが、鉄道にかなりの税金をつぎ込んでいる。路面電車の建設費は行政が100%負担し、運賃収入が運営費の4割程度にとどまっているケースも結構ある。ドイツはガソリン税収入の半分を公共交通機機関に回している。ところが、日本の鉄道事業は独立採算が原則だから、どうしても苦戦する。行政が発想を転換しない限り、第2、第3の日立電鉄が出てくるのが現実だ。

 ――廃止予定の来年3月まで、あまり時間が無いが、行政はどうすべきか。

 いったん廃止してしまうと復活させるのは難しい。街づくりや交通システムにおける日立電鉄の位置付けが議論されないまま、ある日突然なくなってしまうのは問題だ。少なくとも1年間は、行政が赤字補てんして今の形で存続させてもいい。その間に地域をあげて十分議論すべきだ。単に廃止に反対するだけでなく、存続させるにはどう負担したらいいか、地域の発展にどう役立てるかといった点まで踏み込んだ議論を期待したい。

岡電の意図が見えない
 投稿者---551planning(2004/09/15 18:04:33)

 常陸太田市による前代未聞とも云うべき日立電鉄の後継鉄道事業者公募が思わぬ方向へ向かっています。当初締切の8/31に関東地区外の事業者1社が“電話問い合わせ”をしてきた…ところからおっ、という流れになりましたが、まぁその時点でひょっとして岡電?ってなことは岐阜の件もあったことから予想範囲内にありました。で、それが岡電であると具体的に伝わってきた段には、施設保有について岡電側の上下分離と常陸太田市側の上下一体で真っ向意見が分かれて、結局市側が協議打ち切りを決めたという話になっていたのですが…。

日立電鉄線廃止問題 後継経営者に応募の岡山電気軌道、協議継続申し入れ(09/14毎日)http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/ibaraki/…
日立電鉄問題、岡山電気軌道が再協議提案(09/14朝日)http://mytown.asahi.com/ibaraki/…

日立電鉄ファン 存続問題 http://homepage2.nifty.com/jotta/caution.html

 岡電側が改めて直接「問い合わせ」を行ったような形らしいものの、市側としては100%引き受けてくれるのかそうでないのかの是非論判断を前提としており、どうも噛み合わなさそうな印象を覚えます。
 個人的には岡電常務が指摘するように、市の「公募」そのもののあり方に問題があるように感じられます。手続き的なタイムリミットからポーズとしての公募であるような気もしますし、結果として奇特にも名乗り出てきた岡電と数日数回の交渉で打ち切るというのも柔軟性に欠けるといわざるを得ません。ただし、日立市や県も密接に絡む問題であること、さらにそのスタンスが異なってしまっている(概ね廃止止む無しにある)以上、致し方ない思索であったとの同情の余地はありますが、それにしてもいたづらに事態を混迷させてしまったのではないかと思ってしまいます。

 一方、岐阜に続いてという岡電の動向、これまた意図が見えない気がしてなりません。朝日記事で『全国の都市で、まちづくりでお手伝いできればと思った』という常務の弁が載っていますが、現実問題として岐阜しかり日立しかり誠心誠意受け入れる余地があるのかどうかは見えてきません。確かにその分析をなすための「問い合わせ」としての一連の行動と考えるに問題はないにせよ、一方の当事者としては切迫した状況の中でそんなことを云われても…的な反応として跳ね返ってくるのではないかということも想像に難くなかろうかと。個人的には岐阜の件の場合、結果的に存廃論ばかりがクローズアップされて、同時並行的に議論されるべき10年20年それ以上の公共交通体系への視点がないがしろにされていったのではないかという気がしています。

 その意味で、2000年の改正鉄道事業法による退出規制の大幅緩和によって「タイムリミットは1年」となったことで、事業者と沿線自治体・利用者とが十分に議論を尽くせなくなっているという状況に対する明確なシグナルを行う、という基での動きを事業者なり支援団体なりがなすのであればその意義を認めるのですが、現実的には受け皿論議が先立ってしまうゆえに根本的問題点が見えなくなることでウヤムヤ…という状況が繰り返されているような気がしてなりません。
 振り返れば万葉線では周知徹底をし議論を尽くす時間と、結果沿線住民も加わって支えるカタチが生み出されたことが大きいでしょうし、えちぜん鉄道もきっかけは突発的に見えて従前から問題意識を持たれていたという背景がありましょう。個人的には北勢線の例があって昨今の受け皿ありきにつながっている気がしてならないのではありますが、それぞれこれから数年が本当の正念場になる気もしています。そうしたときに岐阜や日立はどうであったのか、「残す残せない」ではない何かを見出さなければ、各地での問題は今後も続いてゆくような気がしてなりませんし、それが必然なのだと考えてしまいます。

2004.11.14 Update

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